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AI・IoT [クラシック雑感]

5G,AI,IoTは、もう家電メーカーや電機メーカー、あと自分に関係する分野でいえば、カービジネス、自動車産業にとっても、キーワードになる最新技術で、将来の目指すべき新しいテーマ、いろいろな分野の商品に、これらのテクノロジーを入れようと日々努力していることは間違いない。


また、これらの分野の特許出願も盛んにおこなわれていることも当然である。

いまやあまりにも日常化しているキーワードですね。


5Gというのは第5世代移動通信システム、無線通信システム、大容量の動画・音声をサクサクやりとりできる無線ネットワークで、世界が一変するということで大注目。AIは人工知能、そしてIoTはInternet Of Thingsの略で、「モノのインターネット」。いろいろなモノにインターネットへの通信機能を付加して、どんな世界が展開できるか、そんな世界を模索する技術だ。


もうどこのメーカーでもやっているというか、鋭意取り込み中というところであろうか?


社会人になってからの会社人生をすべて電機メーカーに勤めることで、その数十年間の中でしみじみと学んだことがある。


それは画像処理(圧縮・伸長技術も含む)や音声処理(圧縮・伸長技術も含む)、そして記録メディアの大容量化の開発。この3点セットは、もう電機メーカーにとって基礎体力のようなもので、その開発費など金食い虫的な存在なのかもしれないけれど、この分野を怠ってしまえば、もうにっちもさっちも行かなくなってしまい、その企業の存命危機にも及んでしまうと思うこと。


いまの時代では、商品が売れるポイントは、もっとアプリケーション的と言うか、ユーザーの使い勝手、便利さという視点が大事なのであって、そこがモノを売るための戦略になっているような気がする。


昔と違って、この3つの分野は、いまや商品を売るための絶対的で、徹底的なアピールポイントにはなりえないのかもしれないけれど、でもここを疎かにしてしまったら、企業体力、企業の基礎体力、いわば技術力そのものがなくなってしまい、知らず知らずに老衰してしまうような気がする。


この3つの分野は一度やめちゃうと元に復活するのは大変ですから。大事な資産は保有し続けるべきです。


画像処理・音声処理・記録メディアの大容量化の3点セットはそんな電機メーカーの基礎体力の存在なのではないかと感じます。


自分の長年の経験値の感覚みたいなものです。


AIは、自分は、今後のこの企業の基礎体力の役割を担うのではないか、と想像します。AIで実現できることは、どちらかというとその人間では達成不可能な完璧なまでに計算された高性能、計算処理の高速化などがアピールポイントである。


でもAIだけじゃ、商品が売れるアピールポイントにはならいないんじゃないか?


AIもやはり画像処理・音声処理・記録メディアの大容量化の3点セットと同じ立ち位置で、いわゆる企業の基礎体力的な存在で、商品を支えていく感じで、それで今後は絶対に必須な技術。この基礎体力を疎かにしたら、将来取り残され存亡の危うさもあり得る。


だからAIは、決して商品宣伝の戦略の表には出にくいけれど、じつはその屋台骨を支えている基礎体力のような存在。


そんなイメージである。
だから企業はAIを今後やっていかないといけない。

そんな感じに感じています。



昨日、自分がいつも贔屓にしている大戸屋のある店舗に行って驚いてしまった。


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なんと!配膳のためのAIロボットが活躍していた。


店員さんの話だと、先週から導入を始めたそうで、名前は、”ひよしちゃん”というらしい。


大戸屋は、株主問題で旧体制と新体制が揉めていたニュースを拝見していたが、ひさしぶりに来てみたら、いまや、配膳もAIロボットで自動である。(笑)


この時代の進化は、もはや誰にも止められないだろう。
古き良き伝統を慮る精神も大事だが、これが我々に突きつけられた現実の姿だ。


このAI配膳ロボットだけではない。


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メニュー・オーダーも、いまや完全にiPadでの自動入力オーダー。このシステムに変わってから、オーダーから、配膳されるまで、スゴい回転率速くなった。(ひょっとしたらiPadではなく、お店特有の専用端末かもしれない。)


iPad入力に変わってからの配膳のスピード・アップは、自分は大戸屋のこの店舗に通い続けて10年以上の大ベテラン。昔をよく知っているからこそ、その配膳スピードの驚異的な改善が実感できるのである。本当に早くなった。


たぶん各テーブルの位置情報は、iPad入力により、その各テーブルの各iPad端末の個別IDが、そのままAI配膳ロボットに認識されているのだろう。


まさにキッチンとの連携プレーである。


店舗システムのAI,IoT化は、そのまま客の回転率の促進につながり、お店の利益上昇につながる。う~ん、時代はどんどん進んでいく。そのスピードぶりに驚くばかりだ。


でもそのとき自分は、すべての飲食店がそうなるべきか、というとそうなのかな、という気持ちもある。


昨日、吉田類さんの酒場放浪記が、ついに酒場を放浪すること1000回記念と言うことで、特別番組をやっていた。


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日本のよき伝統文化である”酒場””居酒屋”という大衆文化、地域密着型文化に対して、はたしてこのようなAI,IoTの導入は向いているであろうか?


自分の感触は”ノー”である。


やはり居酒屋、酒場は、オヤジ、店員さんとの直接対話、「今日はこんないいもんが入ってまっせ!」的な何気ないやりとりがないとダメなのだろうと思う。そういうやりとりがあってこそ、人の気持ちの行き来ができるのであって・・・そんな文化である。


人の温もりですね。


”酒場””居酒屋”文化には、AI,IoTは向いていないような気がする。


クラシックの分野で、AI,IoTの導入はどうであろうか?


いつぞやAIのアンドロイド・ロボットが指揮者になって、人間奏者たちのオーケストラを指揮する、というニュースを拝見したが、大変申し訳ないが、自分はあまりいい印象を持たなかった。


AIロボットの指揮者には、いわゆるAIによってプログラミングされた、昔のカラヤン、バーンスタインとかの巨匠の指揮振りのデータ情報が埋め込まれているのだろう。


だから、その指揮は、外見はロボットだけれど、指揮振りはカラヤンやバーンスタインそのものなのかもしれない。


でも自分は、やはりその外見ロボットが指揮をしている、というその姿に限りなく違和感、拒絶感があった。


また独奏者、ヴァイオリニスト、ピアニストなどの独奏者の奏法やクセなどもAIで徹底的に解析してデータ化することも可能なのであろう。


このようなことはすでにいま現在研究されていることではないだろうか?


クラシックの分野でAIによってなにができるのか?というのは、まだまだこれからの未知分野で探り中というところだと思うが、自分としては、AIがあまり表に出てくるような仕組みではなく、もっとその屋台骨を支えている基礎体力的な存在になってくれる、そういう立ち位置であってくれれば理想なのではないか、と思うのである。


やはりクラシックという分野は、指揮者、オーケストラ奏者、独奏ソリスト、声楽家ともに人間が織りなす芸術である。いろいろな人間がやるから、その個性が生まれるのであるし、また希代まれにみる大名演の公演もあれば、凡演の失敗もできてしまう。


そしてそこに音楽評論という世界が存在する。


音楽評論は、人間が織りなす芸術文化に対してのとても、いや最も人間らしい分野なのではないか、と思うからだ。


いろいろな指揮者、いろいろなオーケストラ、いろいろな独奏者がいるからこそ、その大名演&凡演、そしてそのバラエティ豊かな個性に対して論評を加えることができる。


AIロボットがおこなう画一的な行いに対して、果たしてそのような個性・多様性を見出すことができるであろうか?(ある学習されたプログラミングされた個性は見ることができるかもしれない。)・・・な~んて漠然だけど感じているのだ。(笑)


だから、クラシックの分野については、AIはいま指揮者たち、演奏家たちが困っている悩み事をそっと屋台骨で支えてあげるような、それで全体的に性能アップするような、そんな立ち位置を期待している。


自分の意見ですけれどね。

自分はクラシックに関しては、比較的保守的なので。。。


やっぱりいままでのクラシックの歴史・文化を壊したくない、その歴史をそのまま今後も永遠に継承していきたい。。そんな気持ちがあります。


あまりドラスティックに変わってしまうのは、好まないです。


たとえば電子楽譜GIVDOなんかもそうですね。自分はやはり奏者は紙の楽譜をめくってくれる操作をしているほうが好きだなぁ。奏者にとっても電子楽譜は、いろいろ便利な点が多いのでしょうけれど。


将棋の世界でもそうですね。
AIの登場で、棋士たちのライフスタイルが劇的に変わった。


いままで過去の名勝負の棋譜を自分で並べて、それを自分で勉強するという勉強スタイルが、いまやAI将棋ソフトで対戦もできるし、その棋譜をAIソフトで再現、勉強、分析することもできる。


でも人間の棋士同士が対戦するいままでの将棋スタイルが変わっている訳ではない。AIは、あくまでそんな棋士たちの勉強道具、あくまでツールとして利用しているに過ぎない。将棋の世界でもAIは、あくまで屋台骨を支える基礎体力的な存在である。


そのようなアプローチは、やはりAIとともに生きていくことを考えていくとき、必然と生まれたお互いの立ち位置の関係だったのだろう。



あくまで予想だけれど、クラシックについては、本当に何百年という伝統芸術の歴史の継承であるから、AIとの住み分けを考えた場合、AIが表に出るのではなく、そういう基礎体力の部分の屋台骨を支えるような役割がいいのではないのかな?と素人ながらに思うのである。AIをツールとして使うということですね。


AI,IoTについてそんなに明確なビジョンがある訳ではありませんが、なんとなくイメージ的に沸々と自分の中に沸き上がってきていることを書いてみたまでです。


昨日の大戸屋のAI配膳ロボットとの出会いがきっかけでした。(笑)





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