SSブログ
国内クラシックコンサート・レビュー ブログトップ

伝説は受け継がれていく。阪田知樹 ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会 [国内クラシックコンサート・レビュー]

”伝説は受け継がれていく。”
                                                  
いまから12年前。2011年8月6日。サントリーホール。高関健指揮東京交響楽団で、清水和音さんがラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会をおこなった。
                                                 
当時は大変チャレンジングなマラソンコンサートということで、日本のクラシック界の話題をさらったし、この偉業は自分の心の中に深く刻まれている。
                                                 
いまでもはっきり覚えている。だから、自分にとって、ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会といえば、もう清水和音さんの代名詞なのである。
                                                 
あれから12年後、
                                                 
阪田知樹という若者が、この偉業に再挑戦しようとしている。
                                                 
今年はラフマニノフ生誕150周年、没後80周年メモリアルイヤーということで、ラフマニノフの企画が各地でおこなわれていて、それに合わせるように、阪田知樹氏が、ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会に挑戦しようというものである。
                                                 
1番→2番→4番→パガニーニの主題による狂詩曲→3番
                                                  
12年前の清水和音さんのときとまったく同じ演奏順番である。
                                                 
13:30開演で16:45終演。途中2回の休憩時間を挟むものの、3時間15分。
ピアノ協奏曲を1日で5曲演奏すると言っても、3時間15分で済むなら、意外やこんなんで終わってしまうの?とは思う。ラフマニノフのコンチェルトは、1曲が意外や1時間もかからない。30~40分ぐらいで終わってしまうものが大半だからであろう。
                                                 
とはいえ、演奏するピアニスト側からすると、難曲と言われているラフマニノフのピアノ協奏曲を1回のコンサートで全曲演奏するとなると、これはもう大変なことで精神力、体力の極限まで達することだと思う。
                                                  
本当にご苦労様である。
                                                
                                                
                                                 
2023年9月17日。同じサントリーホール。ここに日本のクラシック音楽界のこれからの次世代を担っていく若い世代の阪田知樹が、その偉業を達成した。大井剛史指揮・東京フィルハーモニー。
                                                  
                                                 
”伝説は受け継がれていく。”
                                                 
神話、伝説、偉業は偉大なる先人から若い世代へと受け継がれ、後世へと語り継がれていくのである。
                                                  
約束通り、この偉業達成にともない、自分は12年前にmixiのほうに上げた”清水和音 ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会”の日記をブログのほうにもアップ、デビューさせたいと思う。この日記は、mixiのみの公開になっていて、ブログとして公開されていなかったのだ。
                                                  
阪田知樹氏の偉業を祝して、清水和音さんの日記を、阪田氏のコンサートレビューといっしょに併記してあげようと思うのである。
                                                  
これが、自分の阪田知樹氏の偉業に対する敬意と献呈である。
                                                  
清水和音さんの日記は、なにせいまから12年前なので、いま読み返してみると、自分の文章力やコンサートレビュー力の稚拙さが目立ち、お恥ずかしい限りである。改訂しようとも思ったが、やはりニュアンスが変わってしまうし、あの時のコンサートの印象はもう忘れかけていて、再レビューするほどの記憶がない。やはり一字一句変えずに原文のままアップする。
                                                  
                                                  
355159440_851778879709236_8704209725623304508_n.jpg
                                                  
                                                
阪田知樹
                                                  
愛知県名古屋市生まれ、横浜市育ち。5歳からピアノを始め、西川秀人、渡辺健二、パウル・バドゥラ=スコダ、アリエ・ヴァルディの各氏に師事。6歳より作曲を始め、音楽理論・作曲を高橋千佳子、永冨正之、松本日之春の各氏に師事。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校卒業後、東京藝術大学音楽学部器楽科を中退し、ハノーファー音楽演劇メディア大学[1]に特別首席入学。学士課程、修士課程ともに最優秀の成績にて修了。2021年現在第3課程(ゾリステン・クラッセ)に在籍。
                                                  
2015年CDデビュー、2020年3月、世界初録音を含む意欲的な編曲作品アルバムをリリース。内外でのテレビ・ラジオ等メディア出演も多い。
                                                  
2016年フランツ・リスト国際ピアノコンクール(ハンガリー・ブダペスト)第1位、6つの特別賞。コンクール史上、アジア人男性ピアニスト初優勝の快挙。「天使が弾いているようだ!」-Leslie Howard-と審査員満場一致、圧倒的優勝を飾る。
                                                  
2021年世界三大音楽コンクールの一つ、エリザベート王妃国際音楽コンクールピアノ部門にて「多彩な音色をもつ、知性派ヴィルトゥーゾ」-Standaard-と称えられ第4位。
                                                  
第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールにて弱冠19歳で最年少入賞。「清澄なタッチ、優美な語り口の完全無欠な演奏」-Cincinnati Enquirer-と注目を集める。
                                                  
イヴァン・モラヴェッツ氏より高く評価されイヴァン・モラヴェッツ賞、ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、聴衆賞等5つの特別賞、クリーヴランド国際ピアノコンクールにてモーツァルト演奏における特別賞、キッシンゲン国際ピアノオリンピックではベートーヴェンの演奏を評価され、日本人初となる第1位及び聴衆賞。
                                                  
現在、国内はもとより、世界各地20カ国以上で演奏を重ね、国際音楽祭への出演も多数。
                                                  
                                                 
                                                 
                                                  
なかなか自分は若い世代の演奏家のコンサートに行くことは稀なのであるが、阪田知樹氏はぜひ行ってみたいとかねてから思っていた。なかなか知性派な人で、クラシックの音源などにも詳しくそこが自分のようなオーディオマニアと似ている側面を感じて興味を惹かれるきっかけとなった。
                                                  
また見た目のルックスもかなりのイケメンで、天が二物を与えたかのようなバランスのとれたピアニストのように感じていて、そこがさらに拍車をかけた。
                                                  
そこに、このラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会の企画を知り、これはいい機会、ぜひ聴きに行こうと思った次第である。
                                                  
昨日、このマラソンコンサートをコンプリートして拝聴した結果、自分が感じた阪田知樹氏の印象。
                                                 
これは凄いピアニスト!
                                                  
ということだった。
                                                      
とにかく想像以上に凄かった。
                                                
                                                
スマートで線が細い。いわゆる体育会系の爆演タイプではないけど、パワーはかなりある。指が高速で良く回って、打鍵も均等で精緻。走るタイプ。乗ってくると一気呵成に走るタイプ。やっぱり若い。とにかくエネルギーがすごい。瞬発力というかバネがあって、跳ね返ってくるようにリズミカルに弾いて、切れ味も鋭い。ここに若さを感じるなー。自分がいままであまり経験したことのないピアニストだった。(ふだんあまり若いピアニストを聴いてないので。。笑笑)
                                                   
反面、もっと柔らかいタッチがほしい。柔らかいのと強打腱とで緩急がつくといいな~。基本走るタイプなので、弱音、ピアニッシモのときに、もっと柔らかさがでて緩急がつくともっといいな~。いま細いけど、もっと体が大きくなってガタイがよくなってくると自然とそういう柔らかさも出てくるのかな~。
                                                  
・・・そう思って聴いていたところ・・・
                                                   
パガニーニ・ラプソディーの第18変奏や、ラフマニノフ3番の第2楽章などの緩徐楽章とか弱音再生部でも、ほんと信じられないくらい柔らかいタッチで、なんだこっちも得意なのか、と。(笑)
                                                  
もうパーフェクトじゃないか。すごい。弱点があまり見つからない。
スマートな細身だけど、パワフルでバネがあって、指が良く回る。そんな印象。
                                                 
いまの若い男性ピアニストは、みんなこんなにパワフルで上手いのか、そんな印象を抱いた。他の若い男性ピアニストもどうなのか、聴いてみたくなった。
                                                  
とにかく凄かった!
                                                  
ざっとラフに振り返って統括してみるとこんな感じのピアニストだった。
たった1日のコンサートでの印象だけど、ラフマニノフの難曲を5曲も連続で聴いたわけだから、たぶん本質としてほぼ間違いないであろう。
                                                 
パーフェクトなピアニストだった。
                                                  
まだ30歳だよ!(驚)
                                                 
たった30歳ですでにここまで完成されているのもどうか、と思うくらい。(笑)
若いうちは、まだもっとのびしろがあったほうが、将来もっと化ける可能性を秘めていて、将来大器となるケースもそのほうが育ちやすいということもある。
                                                  
でも阪田氏はおそらくいま現在でこれだけの完成度を誇っていても、さらに高みに向けて精進して上を目指していくに違いない。あくまでピアノが素人の自分の感想なので、もっとプロ目線で見れば、改善、精進していくポイントは何か所もあるのだろう。
                                                 
またラフマニノフだけでなく、いろいろな作曲家のレパートリーを増やしていくこと。これも大きなテーマでもある。ピアニストとしては、そのレパートリーから生涯自分はどういうタイプのピアニストとして、クラシック界に認知されていきたいのか。
                                                  
ショパン系なのか、現代音楽系なのか、ラヴェルやドビュッシーのようなフランス系なのか、あるいはモーツァルト、ベートーヴェンのようなきっちりと音階的な型のある古典派を中心にやっていきたいのか。あるいはラフマニノフのようなロマン派の得意なピアニストとして売っていきたいのか。。。はたまたあるいは全部が得意なオールマイティな巨人になりたいのか。。
                                                  
もういろんな選択肢が待っている。ピアニストとしていちばん重要なところは、やはりそこなのかな?これは膨大な時間がかかりますね。やっぱりピアニスト人生かけて一生涯研磨する内容だと思う。
                                                  
今年に入って、ものすごい公演量をこなしている。ピアニストとしての経験、場数、レパートリーをどんどん増やしている過渡期なのであろう。
                                                  
頑張ってほしい。
                                                  
それでは、今回のラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会。1曲ずつ簡単に感想を述べて振り返ってみたい。
                                             
                                          
                                                                                                           
DSC08635.JPG
                                                 
DSC08643.JPG
                                                 
                                                
                                                 
●ラフマニノフ ピアノ協奏曲第1番
                                                   
2番、3番はすごく有名だけど、自分はじつは1番もかなり大好きである。ラフマニノフらしいロマン的な旋律が随所に現れながらも、かなりアバンギャルドなコード進行というかカッコいいのである。この独特のカッコよさは2番や3番にはありませんね。1番だけが持っている魅力だと思っています。1番のときは、かなり連打のときの打鍵の響きが混濁する感じで、自分は最初座席による音響のせいかな、とも思ったが、つぎの2番以降は、そういう混濁現象は起こらなかったので、やはり1番特有の和音進行とか、そういう譜面上の構造の問題からそう聴こえてしまうのだろう。
                                                   
この1番の演奏で、初めて阪田知樹氏の演奏を聴いたわけだが、第一印象は走るタイプのピアニストだな、と感じたことだった。どんどん走るタイプ。若さあるゆえに、1度乗ったら怖いというか、どんどん走っていくタイプ。打鍵も強打腱でパワーがかなりある。スマートで線が細いんだけど、パワーはある。そんな印象を受けた。
                                                  
                                                 
                                                  
●ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
                                                  
この曲は、あまりに有名なスタンダードな曲で、もう数えきれないくらいたくさんのピアニストの演奏を聴いてきたし(もちろん音源でも)正直この曲は誰が弾いてもあまり差を感じないというか、そのピアニストの力量を量るには難しい曲かなと感じる。
                                                  
ピアニストの力量を確認しながら聴くというよりは、どうしても曲自体を聴いてしまうのである。(笑)相変わらずいい曲だな~という感じで。この曲、ほんとうに名曲だと思います。阪田氏の2番は、非常にオーソドックスな解釈、アプローチで正統派の2番を聴かせてくれました。
                                                  
                                                  
                                                  
●ラフマニノフ ピアノ協奏曲第4番
                                                   
ラフマニノフのピアノ協奏曲の中でもっとも演奏される機会が少なく、ほとんどレアな曲。こういう機会じゃないとまず経験できないであろう。今回全曲のマラソンコンサートだから聴けたが、単品で披露されることはあるのだろうか・・・
                                                  
ヒット曲としての音楽の造形、型というか、そういう型がきちっと決まっていないような印象を抱く散文的な構造で、ラフマニノフらしいなあ~素敵なロマンティックな旋律だな~そういう旋律が現れたと思った途端、それが長続きしないのである。つぎにすぐにまた違う音型へと展開していく。つねに散文的で聴者がのめり込みにくい難しい音楽のように感じる。
                                                   
ヒット曲がなぜヒット曲なのか、というと、そこにヒットするだけに理由があって、コード進行やリズムの韻、全体としての音型にきちんと型があってそれが人の心を魅入るそういう魅力の秘訣がそこに全部詰まっているのである。リピートや繰り返し、サビの部分の登場とか、ヒットする曲は、もう音型のルールがきちんと型にはまっている。
                                                   
4番はそれがなかなか見いだせない難しい曲なのである。聴者がその型を見つけることが難しい。その型に安住することが難しい。つねに違う進行で新しい展開をしていく。そういう感じの曲である。ある意味ラフマニノフらしくないと言えばそうかな、と思う。
                                                  
反面、オーケストラとピアノの競演が非常にかけひきが面白く、丁々発止とでも言おうか、かなりお互い語り合いながら連携していってハーモニーを作っていくのが素敵だ。まるで現代音楽を思い起こさせるような旋律なのだけど、そこにピアノは連射、トリルのような速砲弾のような連打が連なり、ピアニストとしてはかなり腕の見せ場なのではないだろうか。こういう場面になって、自分は阪田氏はかなりテクニックのある上手いピアニストである、ということがここでようやく認識し始めた。
                                                  
正直言うが、1番、2番では初印象を掴むのが精一杯で、ピアニストとして上手いのか、凄いのかはよくわからなかった。また1番、2番はあまりに知っている曲、いろいろなピアニストの演奏で知り尽くしている曲なので、よく差がわからなくて、阪田氏の力量を見極めるのは難しかった。
                                                   
阪田知樹が本物である。かなり上手いピアニストである、と確信し始めたのは、この4番からである。4番のオーケストラとピアノの丁々発止のやりとりを聴いてから、こりゃテクニックのあるピアニストだな、とようやく確信を持てるようになった。
                                                   
滅多に聴くことのできないブラボーな4番であった。
                                                  
                                                  
                                                   
●パガニーニの主題による狂詩曲
                                                  
ごぞんじラフマニノフの大人気曲。パガニーニの主題を手を変え、品を変え、どんどん形を変えて24種類のいろいろなバリエーションで進んでいく変奏曲である。この曲はまた独特の美しさ、クセになる魅力的な旋律がある。第18変奏の一部分だけを捉えるのではなくて、いろいろ変貌していく主題の変奏を全体として捉えるというか、そこにこの曲を楽しむコツがありますね。
                                                  
阪田氏のパガニーニ・ラプソディーは、非常にスタンダードで、教科書通りの解釈。正統派の演奏を聴かせてくれた。最初の1番、2番、4番、そしてパガニーニ狂詩曲。ここまで阪田知樹のピアノは、パワフルで精緻というピアノ奏法の特徴はあるものの、音楽の解釈としては、極めてオーソドックスで保守的な伝統的で教科書通りの解釈をするピアニストだな、と感じた。独特の色付けとか独創性をアピールする、そういうピアニストではないと感じた。
                                                  
とくにこのパガニーニ狂詩曲で新たな発見だったのは、弱音、ピアニッシモのときの柔らかいタッチである。体の線が細くて、しかも走るタイプなので、どうしても強打腱連射だとすごいアピールするんだけど、静かな弱音再生の部分は、柔らかいタッチが必要になり、別の自分を披露する必要がある。自分は素人だからよくわからないけど、ピアノって早く速射砲のように連打弾くことよりも、スローな部分を柔らかく静かに弾くことのほうが技術的によっぽど難しいのではないか。まさに息を止めてこらえながら弾かないといけない。感覚的にそう思う。
                                                   
こういう弱音再生の柔らかいタッチが上手にできると、それが反動で強打腱の連打も生きてくるのである。逆に強打腱の連打だけだと一本調子のピアニストに感じてしまう。この緩急の差、柔らかいタッチ、そして一見ゴムまりのように弾む強打腱の連打、これを、いかにおたがい上手に披露できるのかが、上手いピアニストの完成された姿なのかなと思う。
                                                   
もっと体が大きくなってガタイがよくなってこれば、こういう柔らかいタッチも自然とうまくなっていくのだろう、と思いながら聴いていたのだが、このパガニーニ狂詩曲で第18変奏を代表とする散々出てくる弱音再生の部分では、ものの見事な柔らかいタッチを披露してくれて驚いた。なんだ!これも得意じゃん!という感じで。(笑)
                                                   
つぎのラストの3番の第2楽章もすごいメローでスローな聴かせる箇所なのだが、じつにソフトで柔らかい表現を披露してくれた。
                                                  
あっぱれであった。
                                                  
                                                 
                                                  
●ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
                                                    
そしてこの全曲演奏会のトリをつとめるのが、我が愛するもっとも敬愛する第3番である。3番の魅力については、もう散々書いてきたので、ここでは割愛するが、まさにトリに相応しいドラマティックなエンディングである。
                                                 
12年前の清水和音さんも3番を弾きたくてピアニストになった、と豪語するほどで、3番に対しては並々ならぬ愛情と特別の感情を抱いている。譜面上の音符の数が非常に多く、奏法的にも非常に難しい、弾けるピアニストはなかなか存在しない。そういう曲である。
                                                      
阪田知樹のラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番は、それはそれは素晴らしかった。
阪田氏のピアノは、いままで聴いてきた分には、あまりイレギュラーな解釈をしない、オーソドックスな基本的な解釈に忠実と思っていたのだが、この3番ではかなり趣が違っていた。
                                                
非常に個性的で、いままでに聴いたことのないようなオリジナリティのある独特な3番であった。まずテンポを揺らすというか、じっくり歌い上げるような部分やメローな部分では非常に遅く、スローなテンポで、そして走る部分はかなり速いテンポで。。というようにかなりアップダウンの激しい抑揚のある揺らすタイプの3番であった。
                                                   
自分はいままでどちらかというと、全体を通して比較的1本調子、均一なスピード感の演奏を聴いていた感触が多いので、そういう演奏が染みついている耳には、かなり揺らすタイプだな、と感じた。こういうのもメリハリが出てきて、なかなか素晴らしいと感じた。
                                                   
そして第1楽章のカデンツアの部分。ここは初めて聴くカデンツァだった。いままで聴いたことがないカデンツァであった。コロコロと転がすようなトリル的な装飾を施して、明るい感じの表現をしていた。もちろん根底にあるのは従来のカデンツァのメロディなのだが、そこにアドオンしてそういう装飾を加える感じである。これはなかなか新鮮であった。誰のカデンツァなのだろう?阪田氏は自分で作曲や編曲もするらしいので、ご自身で創作したカデンツァなのであろうか?ここはかなり驚いた。非常に魅力的だと思いました。
                                               
3番のここ!というような見せ場、そしてテクニックの披露する部分、物語の展開の劇的なところ。。。そういうところはどちらかというと保守的できちんと伝統通りの表現に忠実な演奏であった。
                                                
でも随所随所に、テンポを揺らすことと、独特の慣れた弾きまわし、抑揚のつけ方など、かなりこなれた自分なりの解釈を大いに盛り込んでいて、全体としてかなりドラマティックになるように工夫をされているのが、素晴らしいと感じた。
                                                          
またテクニック的にも素晴らしかった。やはり3番はどうしてもパワーのある男性ピアニストが有利な曲ではあります。男性ピアニストらしいパワフルで切れ味のするどい奏法は、ほんとうに聴いていてスカッとさせてくれるし、やはり男性ピアニストだな、と再認識させてくれた。
                                                     
3番の最高の場面である最後のエンディングのシャットダウン。いままでの長い音楽絵巻物語をここにて一気に終結するラフマニノフ終止。頂点にどんどん上り詰めていく進行のオーケストラでの上昇部分。ここまで、ためにためてゆっくり歌い上げるスローなテンポは初めて聴きました。(笑)ここまでやるか!という感じでもうびっくり。
                                                     
そして一気呵成にピアノの連打で最後はすざましいシャットダウン。
その瞬間、もう鳥肌が立ちました。
                                                    
さすが男性ピアニストともいうべき、その迫力と切れ味。
                                                                 
格好良かったです。
                                                             
その瞬間、ホール内は大歓声。そして一気にオール・スタンディングオーベーションとなりました。3時間15分の長いドラマが終結した、その劇的な終結の瞬間にみんな高揚して、自分を抑えることができないような感じであった。
                                            
                                                                                                       
ドラマは終わった。
                                                        
                                         
                                               
3番は、自分の時代は、あまりに弾くのが難しいので、弾けるピアニストがあまりいなくて、実演に接することが難しい曲でした。でもいまの若い男性ピアニストは、いとも簡単に弾いちゃうんですよね。(笑)技術の進化というのは、ほんとうに凄いです。
                                                                    
阪田知樹のラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番。
                                                                           
あらたに自分のラフ3コレクションに加えておこうと思います。
                                                                
最後に、見事に競演を務めた指揮・大井剛史氏と東京フィルハーモニー。
                                                     
素晴らしい演奏で、非常に分厚い弦のサウンドがかなり気持ちよく充実して鳴っていました。ピアノを表に出すべく、あるときは掛け合いで語り合い、お互い足並みをそろえての3時間。
                                                        
見事でした。
                                                  
380703668_815144327279307_7761021155335392869_n.jpg
                                                                                                                                            
380708172_815144027279337_8486310228416527959_n.jpg
(c)ジャパン・アーツFacebook
                                                              
                                                               
                                                                 
阪田知樹 ラフマニノフ・ピアノ協奏曲全曲演奏会
2023年9月17日(日) 13:30~16:45
サントリーホール 大ホール
                                                  
ピアノ独奏:阪田知樹
指揮:大井剛史
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
                                                                     
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第1番
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
                                                        
(休憩)
                                                                     
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第4番
パガニーニの主題による狂詩曲
                                                            
(休憩)
                                                                    
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番

                                                                             

                                            

                                                        

                                           

                                                       

                                           

                                                           

                                                                  








nice!(0)  コメント(0) 

清水和音 ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ピアニスト清水和音さんが、デビュー30周年記念公演ということで昨日8/6(土)でサントリーホールでラフマニノフピアノ協奏曲全曲演奏会を開催し、そのコンサートに行ってきました。


指揮は高関健さんで東京交響楽団。


清水和音

1760032668_184.jpg


高崎健

1760032668_213.jpg


サントリーホール

25940505_1251461653_117large.jpg


ラフマニノフのピアノ協奏曲の全5曲を1夜で弾くというとてもチャレンジなコンサート で、1番~4番はもちろんのこと、パガニーニの主題による狂詩曲も含むというまさに 贅を尽くしたコンサートで、ラフマニアンの私にとってはもう堪らないコンサートでした。


実際の曲順はこうでした。(↓)


ピアノ協奏曲第1番

ピアノ協奏曲第2番

(休憩)

ピアノ協奏曲第4番

パガニーニの主題による狂詩曲

(休憩)

ピアノ協奏曲第3番



13:30~17:00のマラソンコンサート。本当に清水和音さんご苦労様という感じです。先日の序章の日記で私の各曲との出会い、思い入れなどを記載しましたが、最大の注目曲は文句なしに3番。


何を隠そう清水和音さんは「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾きたいためにピアニストになった」と明言しているほどの3番の大ファン。今回の演奏でも曲順を3番をオオトリに持ってくる思い入れの強さ。


かく言う私も3番の中毒患者。マラソンコンサートの最後のエンディングは、あの3番の最終楽章のグルーブ感(盛り上がり)で凄い感動するんだろうな?と思っていましたが、期待通りの素晴らしい演奏でした。最後のシャットダウンのエンディングでは思わず背筋がゾクっとする大興奮。この曲の生演奏を聴くたびに経験するこの感覚、今回もきちんと体験することができました。


つぶやきでご存知と思いますが、じつは最初の1,2番のときはいまいち下手な感じで、全曲ともこんな感じなのかな?と思わず凄い心配しましたが、4番以降無事持ち直し、パガニーニ・ラプソディーも素晴らしく、最後の3番は頂点の最高の演奏でした。やっぱり3番の完成度は清水和音さんがもっとも思い入れのある曲だけのことはある、と思いました。


ラフマニノフのピアノ協奏曲で最も有名なのは2番。ところが清水さん自身過去に「僕は3番が好き。2番には興味なし」って何度か発言されているんだそうです。


まさにそれを地で行くようなくらい2番と3番では演奏の完成度が違いました。

まったく別人と思うくらい。(笑)本当に正直な方なんですね。(笑)


じつはこの公演のために自分のiPodに予習用として1,2,3番の曲を入れて聴いていました。この日も開演前の1時間も前にサントリーホールに到着したので、ホール前のカフェテラスで座ってiPodを聴いていたのです。



ラフマニノフ ピアノ協奏曲1番&2番 アンスネス、パッパーノ指揮ベルリンフィル


アンスネス盤.jpg


ラフマニノフ ピアノ協奏曲3番 アルゲリッチ、シャイー指揮ベルリン放送響


25940505_1251461632_70large.jpg


アンスネス盤は1,2番の演奏ではもっともお気に入りで上手いと思う演奏。3番は正直これは、と思うCDがないのが現状ですが、このアルゲリッチ盤はよく聴き込んでいた演奏。


さっそくホールが開場になってさっそく座席を探すと、今回に限り座席場所を事前に確認していなくて、座席を探す段階でなんと1階の最前列であることが判明!

なんとこの席!(↓)


1階1列25番


25940505_1251461646_249large.jpg


私から見上げたステージ風景


25940505_1251461659_98large.jpg



なんと目の前にピアノがドカンと(笑)。演奏する清水和音さんの姿は見えません。指揮者の高関健さんの姿は結局最後まで見えませんでした(笑)。ヴァイオリンの協奏曲や木管、金管楽器の協奏曲と違ってピアノ協奏曲の場合は、座席の位置で視覚的にかなり楽しめるか、そうでないかが決まります、私の場合。


オーディオマニアの意見によると、ピアノの位置に対して向かって右側の座席がピアノの音響が一番素晴らしく聴こえる位置だそうで、今回の私の席はまさにそう。確かに聴こえてくるピアノの音はCDの聴こえ方と全然違い素晴らしいものだった。みんなの言っていることは確かに間違いじゃない。


でも私の場合、やはり指が見えないと駄目なのだ。だからピアノに向かって左側の位置がいい。演奏している指の動きを観て、流れてくる音と相まって感動するのです。つまりピアノ協奏曲の場合視覚と聴覚の両方の相互効果がないと楽しめないのです。だから向かって右側だと顔しか見えなくて音だけが聴こえてくるので欲求不満になります。


だからピアノ協奏曲の場合の座席位置は結構コンサートを楽しめるか重要なファクター。


今回の席はまさにピアノを下から見上げるような感じで清水和音さんの顔さえ見えなかったのでいかがなものか?(笑)という感じ。


さてコンサート開始。


●ピアノ協奏曲第1番


第1楽章は、印象的なファンファーレで開始され、ピアノのオクターブの強烈な下降音型が繰り出される楽章です。ところが出だしのピアノの下降音型の部分、なんかテンポが凄く遅くて、しかもタッチのかろやかさがなくてかなり雑な印象?うん?下手だな?(笑)事前に聴いていたアンスネス盤は通常の演奏よりかなり速めのテンポでウマすぎな演奏なので、あぁ~、これは事前の予習が失敗したな~と思いました。予習は大抵海外の超一流の演奏家のCDを聴いて、うまい演奏を当然のように聴いている訳で、実際の国内演奏家の生演奏を聴いたときに、がっかりしちゃうというケースが多いのです。今回もそのパターンかな?と思いました。それでこれ以降の全曲も同じような出来だったら正直がっかりだな、楽しみにしていたのに困ったなと思ってしまいました。


第2楽章は、幻想曲とも言える書風。協奏曲におけるごく一般的な緩徐楽章です。この楽章のメロディは本当に美しいですね。この楽章に関しては出だしの悪い印象と違って素晴らしいと思いました。でも第3楽章でも結局波に乗れない感じで、全体としていまいちの印象。


●ピアノ協奏曲第2番


ご存知ラフマニノフのピアノ協奏曲の中で最も有名な曲。でも前述のように「僕は3番が好き。2番には興味なし」の清水さんの過去の発言にもあるように、その発言を裏付けるような出来でした。理由は1番と同じで、全体的にテンポが遅くて、なんかタッチが雑で曲全体的にバランスが悪い感じがしたのです。オケとのバランスも悪いです。2番はぜひいい演奏を聴きたかったので残念でした。でも誤解のないように言っておきますが、これは私感ですので、他のみなさんは素晴らしい演奏だったのかもしれません。ただ私がイメージしていた曲のイメージ像と違ったので違和感を持っただけなのです。


現にこの後の4番以降は見事に復帰するので、やっぱり1,2番に関してはアンスネスがウマすぎなのでしょうか。コンサートに対して予習することの欠点を認識した次第でした。



●ピアノ協奏曲第4番


休憩を挟んで4番に。今回の全5曲の中で唯一の不安要素だったのは4番。この曲はあまり馴染みがない、というか普段あまり聴かない。(笑)


清水和音さんも、もちろんピアノ協奏曲第3番をじっくり聴いてほしいと思うが、今回は特に第4番に注目してほしいと願っている、と言っていました。これはふだんあまり演奏される機会に恵まれないコンチェルトだが、だからこそこうした機会に耳を傾けてほしいと。


予習はしませんでした。これが正解でした。ピアノの重音で演奏される荘厳な雰囲気の第1主題が印象的。出だしから鍵盤タッチが安定していてバランスが良くて落ち着いて聴いていられました。先入観がないのが良かったのかもしれません。休憩を挟んで清水さん復活したな、と安心しました。


4番はどんな曲なのか記憶にないので、第1印象は、う~ん、ラフマニノフのロマンティック路線とは全く違う異質な印象を受けました。1,2,3番とはあきらかに毛色が違います。


ロマン派のラフマニノフの作風を望んでいる人であれば、ちょっと受け入れ難い印象を受けるんじゃないか、と思いました。でも私は演奏が安定してオケとのバランスも素晴らしく好印象でした。


最初の1,2番が絶不調で全曲こんな感じ?と心配だったので、本当に安心して、予感ですが、これ以降は上手くいくような感じがしたのです。



●パガニーニの主題による狂詩曲


この曲は3番同様、私はうるさいです。(笑)ご存知パガニーニの主題を、味を変え、品を変え、24種類のいろいろなバリエーションで変奏していく変奏曲です。第18変奏があまりに有名ですが、私はこの部分だけでなく曲全体としてトータルな流れとしてこの曲を捉えるのがこの曲を楽しむコツだと思っています。


清水さんの演奏も、この曲の場合もとてもオケとの掛け合いのバランスがよくタッチも安定していて安心して聴いていられました。大変良かったです。最初の序奏の後、分解された主題の”ラミ”が骨格で演奏され、その後に主題が変奏の後に登場するという画期的な手法。前半の一番の頂点は第4変奏でもうひとつの分解された主題”ラドシラ”をいろんなバリエーションで演奏していくこの部分です。最初のエクスタシーを感じるところです。


次に第7変奏、ここにはラフマニノフが生涯こだわったディエス・イレの旋律が隠されています。ディエス・イレはロシアの教会の聖歌の旋律のことでラフマニノフは自分のいろいろな曲にこの旋律を入れています。ロシアを亡命するという悲劇の人生の根底に潜む旋律で、革命によって失われたロシアの教会の響きへのラフマニノフのこだわりの部分だと思うのです。この変奏曲の中で唯一パガニーニの主題とはかけ離れているメロディで私は特別な想いがします。


そして第18変奏。映画やCMなどに使われていたりするあまりに有名な旋律ですが、この前の第17変奏に伏線があります。凍えるような寒く長いロシアの冬を感じさせる旋律で、そこから春の訪れを感じさせるように第18変奏に切り替わる瞬間がなんとも言えないエクスタシーなのです。そして第18変奏は非常に甘美なメロディーでせつなく響く官能的な響きで最高ですね。


もうこれ以上の説明は不要でしょう。(笑)


清水さんの演奏、非常に素晴らしかったです。



●ピアノ協奏曲第3番


そしていよいよオオトリの3番。清水さんに「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾きたいためにピアニストになった」と言わしめた曲。


そして私自身もこだわりのある曲。


オーケストラによる短い序奏の後にピアノがオクターヴで奏する第1主題が全体を貫く共通主題となっており、全曲を統一する役割も持っています。この出だしの部分の演奏で清水さんの演奏は非常に安定して、まさにCDで予習していたイメージ通りなのです。これはいけると思いました。さすが清水さんのこだわりを持っている曲だけのことはあると思いました。


1,2番のときの演奏とは全く別人かと思いました。


第2楽章ではオーボエで提示される憂鬱だが美しい旋律を中心に、その他様々な重要な旋律を扱って進んでいき、清水さんの演奏に私もどんどん引き込まれていきます。もっともこだわりのある3番で自分のイメージ通りの安定した演奏に私はいいわ~(笑)とご満悦。


アタッカによって休みなく第3楽章へ続き、そしてこの曲で私が最も興奮するところ、終盤のエンディングにかけてのグルーブ感(盛り上がり)、テンポを上げて一気に盛り上がり、その頂点で派手な軍楽調の終止に全曲を閉じる部分です。この賑やかな軍楽的な終結は「ラフマニノフ終止」と呼ばれているもので、この部分で私はいつも体全体に稲妻のようなゾクっとくるのを感じるのが快感なのです。


私はこの「ラフマニノフ終止」を経験したくて、いつもこの曲の生演奏に出かけるのです。日本のピアニストでは小山実稚恵さんがこの曲を得意としていて(というかこの曲だけでなくラフマニノフ弾きの名手として有名)、小山さんのこの曲の公演はいままでかなりの回数通っていますが、この瞬間は何度味わっても凄い快感なのです。


そして清水さんの演奏のこの瞬間もまさに期待通りの快感。


この終わった瞬間、となりに座っていた高貴な上流階級の感じの貴婦人の方は、「わぁぁぁ~」という決して意識的ではない無意識に出てきた叫び声を挙げていました。


本当に素晴らしい一瞬で素晴らしい演奏でした。さすがこだわりの曲だけある、と思いました。


清水和音のラフマニノフを聴くなら、やはり3番ですね。


マラソン演奏会で、最初の1,2番では絶不調だったのが、後半から最後にかけては素晴らしい名演を聴かせていただき、波はありましたが、本当に大満足でした。


清水和音さん、お疲れ様でした。







nice!(0)  コメント(0) 

ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

ヒラリー・ハーンほど日本に馴染みのある親和性の高いヴァイオリニストはいないであろう。本当に何年あたりからだろうか。ちょっと思い出せないくらい日本を第二の故郷のようにかならず日本でリサイタルを開いてくれる。自分も思い出せないくらいの回数、足を運んでいる贔屓にしているヴァイオリニストである。


351961709_1508576569550391_8962323415893579272_n.jpg



ハーンのどこがいいのか、というと自分はやはりとてもスタンダードな弾き手である、というところなのかなぁと思う。これはアラベラさんにも言えることなのだけれど、自分のヴァイオリニストの好みというのは、やはりその弾きっぷりがとてもスタンダード。録音のCDの作風にしてもスタンダード、教科書のような折り目正しいスタンダードなアレンジが好きなのだ。


よくヴァイオリンの曲でこの曲を新しく勉強したいな~、自分のモノにしたい。そう思ったときに、このヴァイオリニストのCDを買っておけばまず間違いない。そういうスタンダードなアレンジが好きなのだ。


ピアノもそうなのだけれど、ヴァイオリンも本当にその奏者によって、同じ曲でもまったく別曲としか思えないくらいすごくバラエティ豊かに様変わりする。


これは指揮者にも言えますね。指揮者が同じオーケストラを指揮しても、その指揮者によって、同じ曲でもまったく別次元としか思えないくらい様変わりする。


これはなぜなのか?


これはひとえにその奏者、指揮者の楽譜の読み込み方、解釈の仕方なんだと思っている。楽譜には、たしかに作曲者の指示のマークは書き込まれていることはあっても、基本はそのままずら~っと音符が左から右に並んでいるに過ぎず、それをどのようなフレーズ単位、段落感で息継ぎをして、どのようなアーキテキュレーション(強弱のアクセント)の付け方をするか、どのような曲の骨格、アレンジにするかは、もうまさにその譜面を読み込んでいる奏者、指揮者によって自由な解釈ができるのだと理解している。


その楽譜から、結局、聴衆に届ける音楽として、どのような曲として作り上げるかは、その譜面を解釈する奏者であり、指揮者の頭の中にあるのである。


ヴァイオリンほど、このフレージングやアーキテキュレーションで奏者の違いを肌に感じることはない。それだけ奏者によって十人十色のように表現される楽器はないと思う。


とくにフレージングは影響は大きいと感じていて、びょ~んとレガートのように長く強調したりとか、このフレージングのつけ方、解釈の仕方は本当にヴァイオリニストにとって十人十色である。


昔、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでスプリング・ソナタというベートーヴェン・ソナタでは1,2位を争うほどの人気曲があった。自分はこの曲が大好きで大好きで、何回聴いても聴き飽きなかった。毎日ヘビロテで聴いていた。


ソニーのシングルSACDで出ていた樫本大進&イタマール・ゴランの演奏がとても好きだった。そこに共通しているのは、フレージングが極めてスタンダードである、ということである。


この曲が好きすぎたので、もっといろいろなアーティストの演奏も買い集めてみた。たくさんのコレクションをしてみたかった。ところがこれが本当に十人十色で、全然1人1人別ものなんだな。フレージングの解釈やアーキテキュレーションの解釈が全然個性豊かで、もう全然別物。


ヴァイオリン界ではもう大御所といっていい大ヴァイオリニストがいる。誰もが知っている大奏者である。この人のスプリング・ソナタであれば、きっと間違いないだろう!大感動するだろう!と期待したものの、いざCDが手元に届いて聴いてみたところ、かなり強烈な個性剥き出しのフレージングの解釈で、なんか聴いていて悪酔いしてしまうような感覚に陥ったこともあった。とてもスプリング・ソナタとは思えない独自のこの人の解釈といっていいものだった。


もちろん名前は言えないが、外国のめちゃめちゃ著名なヴァイオリニストである。(笑)


そんな経験が山ほどあり数えきれない。もちろん録音物のCDだけではない。実際のライブの生演奏でも、自分が理解している、イメージしている曲とは到底思えないくらい違う曲想だったりしたこともある。


やっぱりフレージングかな~・・・。楽譜の読み込み方としてはフレージングとアーキテキュレーションはつねにペアのものだと思うだけど、とくにフレージングの違いは致命傷と言うか、フレージングのほうが徹底的にその人のその曲の演奏の形に影響を与えるような気がする。


これはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番についてもいえる。もう日記で何回も言及してきた曲だが、この曲のCDで自分がこれは!と思ったCDは本当に少ない。もともとこの曲を弾けるピアニストも少ないのだけれど、これが自分の好みに合う、自分のイメージにピタっとくる演奏はほとんど皆無なのだ。


本当にピアニストにとって、ほんとうに十人十色の演奏、表現の仕方で、この曲こそがピアノでいうところのフレージングの解釈の違いというか、そんな演奏表現の違いが出てしまう曲のように思うのだ。


クラシックの世界では、作曲者の意図通りに表現すること。ジャズの即興のような個人のアレンジは入れてはいけない。そういう基本的な鉄則はある。


でもベートーヴェンにしろ、モーツァルトにしろあの頃に使っていた古楽器では出る音域もある程度限られていて、その範囲内での表現だったのが、いまのモダン楽器の音域の広さ、ダイナミックな音を出すことも可能。もうあの当時とは全然違う。


そういう楽器を以てして、あの時代のベートーヴェン、モーツァルトなどの曲を演奏しても、譜面通りという訳には行かなく、いまのモダン楽器だからこそ、ここまでの音域が出せるからこそ、こういう表現もいまでは可能になった。だからこそ、このような表現をそのベートーヴェン、モーツァルトの曲に施しても、いわゆる装飾してもベートーヴェンやモーツァルトはけっして怒らないだろう。逆にそれはいいことだ!ということで許してくれるだろう。逆にそうあるべきである。


そういうことなんであろう。


いまの現代楽器、モダン楽器だからこそ可能な、その個人特有の感性によるフレージングやアーキテキュレーションのつけ方によるその曲の膨らませ方、表現の自由さ。そういうのがいまのヴァイオリン、ピアノ、そしてオーケストラと全部クラシックの世界には暗黙の了解として存在するのではないか、と思うのである。


295136455_611221267029676_7627072687782990081_n.jpg


ヒラリー・ハーンが自分にとって、非常にお気に入りのヴァイオリニストで居続けたのは、やはりそのフレージングの解釈が非常に素直で変な息継ぎをしないし、強弱アクセントのつけ方も極めてスタンダードで素直。


いろいろなヴァイオリニストがいる中で、ハーンのCDを買っておけば間違いないだろう。ガッカリすることはないだろう。そういう極めてスタンダードな立ち位置のヴァイオリニストだったのだ。昔から。


彼女のCDには外れがなかった。大体期待通りの教科書のようなスタンダードな解釈をするヴァイオリニストなので、自分としては絶対の信頼を寄せているところがあった。


それは演奏会場に足を運んでも同じ印象であった。


自分がいつ頃からヒラリー・ハーンというヴァイオリニストに注目し始めたかは、やはり彼女がメジャーデビューしてその時代と共に追っかけてきたような気がする。いわゆるハーンは自分らの世代のスターで、その成長を見届けて一緒に時代を過ごしてきた演奏家というイメージでふっと気がつけば自分のそばにいつも居る感じ。それが当たり前すぎて特別視するような感じではなかった。


それだけ自分にとってリアルタイム世代のヴァイオリニストである。


17歳でソニーからバッハの無伴奏でデビューしたときから、いままで聴いてきたハーンの印象は、演奏家固有のクセがなく、とてもスタンードな弾き方、フレーズの捉え方をする奏者で、バッハ、メンデルスゾーン、モーツァルト、チャイコフスキー、ブラームスなどヴァイオリン弾きにとって必須の曲はほとんど録音済みなのだが、ハーンのCDを買っておけば間違いはない、という感じだった。


2000年のサントリーホールでベルリンフィルとマリス・マンソンスとのショスターコヴィチのコンチェルトは圧巻だった。実演で拝見することは叶わなかったが、後年DVDになって買って自分の宝物になっている。


ただ、女性ヴァイオリニストとして、あくまで異性の女性としてのアーティストとして捉えたときに、初期の頃はいまひとつ熱中できないところもあった。デビューのときから若い時代にあったアルバムジャケットやイメージフォトの写真から想像する、どこかクールで温かみを感じないアンドロイドの人形や、ばね仕掛けのお人形さんみたいな印象がそうさせていたのではないか、と分析する。


やや女性ヴァイオリニストとしての妖艶さというか、女性ならではの色気というか、自分にとってどうも大人の女性として異性を感じさせない中性的な印象があったことも確かである。


でも、それも最初の頃の話。いまではすっかり女性らしい柔和さ、優しさが滲み出るようになり、大人の魅力的な女性にすっかり様変わりした。自分は女性アーティストの場合、若いカッコいい勢いのあるときの美人も素敵だと思うが、じつはある程度年輪を重ねた経年になってからの女性アーティストのほうがいいと思う。好みである。人生がわかってきて、それなりの熟知を経て、顔に年輪が現れる。


いわゆる人間としていい顔になる、という意味である。


これはとくに女性より男性のほうが顕著ですね。男性はどうしても若いとまだまだ青い、として思われな傾向にあるが、人生いろいろ経験して、年輪が現れてくると、40歳、50歳代の男の顔はほんとうにいい顔になると思う。50歳代の男はいい顔だと思います。


317800757_710965470388588_2932817583475057581_n.jpg


ハーンのCDで自分を一気に虜にした、というかその評価を本物にしたのはシベリウスのヴァイオリン協奏曲をリリースしたときであった。いまでもシベリウスのコンチェルトとしては、ハーンの録音は、自分の中でも不動のリファレンスの1枚である。


ただでさえ、難曲中の難曲といわれるシベリウス。この寒色系で厳冬な雰囲気をここまで完璧に表現しているのは驚きとしかいいようがなく、この曲で、自分のハーンの印象が一気に株上がりした。



ハーンは、DG所属だが、アルバムリリースも非常にコンスタント。ムラがない。ヴァイオリンの曲としては有名なところは、ほとんど網羅してきており、現代音楽の録音も積極的だ。前回のリリースでは、なんと!ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲を録音してくれた。なかなか演奏されないレアな曲で新しい録音が欲しいな~とずっと思っていたので、自分にとって大変なご褒美だった。


そして先日リリースした新譜では、なんとイザイの無伴奏ソナタ全曲(6曲)である。



109.jpg


イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 全曲 ヒラリー・ハーン



もうスゴイとしかいいようがない。なんという積極的なアプローチ。彼女の長年に渡る名曲という名曲は、かならず全部自分の録音としてしまうこの積極的なスタンス。やはりDGとのチーム連携がうまく行っているんだろうな~。やぱり信頼できるスタッフと長年に渡る賜物なんだろう。これからも末永く続きますように。


ハーンは元気だ!




さて、ようやく本題。(笑)


東京オペラシティにヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルに行ってきた。


EELxQoCo67PRIfe1686378289.jpg



コロナ禍で延期になっていたコンサートであったが、やっと実現である。

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの9番「クロイッツエル」と10番である。


相棒のピアノは、アンドレアス・ヘフリガー。


ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタで1番人気があるのは、やはり第5番「春」(スプリング・ソナタ」であり、第9番「クイッツエル」であろう。そんなクロイッツエルを冒頭に持ってきた。


ピアノのアンドレアス・ヘフリガーは、どちらかというと爆演型。強打腱の嵐で、ハーンのヴァイオリンとの音量バランスにちょっと不安を感じたが、心配もそれほどでもなく、なんなくこなしていた。


前回のハーンのバッハ無伴奏のリサイタルでは神がかっていた瞬間もあったが、今回はそこまでの驚きもなく、そつなくレベルの高い演奏を繰り広げていた。クロイッツエルはやはり名曲ですね。第3楽章のツボに入ったときのこれでもか、これでもか、というリピートはかなり来るものがありました。10番はとても平和で素敵な曲だけれど、自分はやはりクロイッツエルいいな~、やはり名曲として人気のある曲だな~と感心しました。


ハーンは、黄金と黒のドレス、といういままで観たことがないくらい素敵な大人の女性に変貌していた。たぶん長年自分が観てきた彼女のリサイタルでは一番大人の女性で素敵だった。


ハーンの演奏は、やはり安定した音程に、ボーイングの弓裁き。じつに安心して観ていられるいつもハーンの演奏だな、と安心しきって観ていました。


今回、ちょっとサプライスというか驚きだったのはアンコール。ハーンのパルティータ無伴奏、そしてピアノのアンドレアス・ヘフリガーの「イゾルデの愛と死」を彼の爆演で。(笑)


最後の3曲目が、佐藤聰明氏の微風。


佐藤聰明氏というのは日本の現代音楽作曲家だそうで、自分は存じ上げていなかった。初めて聴く曲だが、これが実に神秘的な調べで、驚いてしまった。これはかなり素晴らしかったですね~。


感動の一夜を締めくくる驚きのエンディングでした。


350001743_206738698905855_7280673812130727690_n.jpg



ヒラリー・ハーン ヴァイオリンリサイタル 2023


2023年6月5日(月) 19:00~

東京オペラシティコンサートホール


・ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第9番イ長調 op.47「クロイツェル」

・ヴァイオリンソナタ第10番ト長調 op.96


アンコール


・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004より サラバンド(ハーン ソロ)

・ワーグナー=リスト:「トリスタンとイゾルデ」より イゾルデの愛の死(ヘフリガー ソロ)

・佐藤聰明:微風(ハーン&ヘフリガー)








nice!(0)  コメント(0) 

水谷×大陸 [国内クラシックコンサート・レビュー]

まったくの想定外だった。もうびっくりして驚いてしまった。心から拍手とブラボーを贈りたいと思う。最高のデュオである。


もともとそんなに期待していなかった、というと大変失礼なのだが、今年の東京・春・音楽祭 川本嘉子さんのブラームス室内楽を10年ぶりの天下の大ポカですっぽかしてしまい、水谷晃くんがせっかく東京春祭初出場という晴れ舞台に申し訳ないことをした、というその罪滅ぼしで、水谷くんの出演するコンサートに足を運んだ、という理由だったのだ。


水谷×大陸 MIZUTANI×TAIRIK


1b46063bf8e5435da036f679abdcb7b2.jpg



同級生だそうである。音楽家、ミュージシャン同士のデュオだから、きっとお互い慣れないMC付の進行でポツポツと語りながらの進行なんだろうな、とは思ったのだが、もうこれがプロの漫才師、コメディアンを遥かに凌駕する凄さなのである。(笑)


いまの若い人ってほんとうに凄いな~。


若いイケメン2人ということで、聴衆は95%以上女性客である。男性客なんて自分含めて、ほんとうにごく少数。若い女性も多いのだけど、意外や年配の女性客も多く、クラシック音楽ファンであること、自分の孫を応援するような感覚なんだろうな、と推測した。


このホール内の聴衆の心を一気に鷲掴みにして、笑いツボの抑え方、そして会話のテンポの良さ、そして単なる漫談に終わらない音楽的素養の高さ。。。もうスゴイのである。笑っちゃうほど凄いのである。もうびっくりしてハハハという感じで、拍手するしかなかった。


まっお互い同級生ということもあると思うのだが、あ・うんの絶妙の掛け合いで、とにかくテンポがよくて、プロ・コメディアン顔負けのレベルで、もうこれはいまの地上波テレビのお笑い芸人を観ているより、もう全然レベルが高いと思う。


なによりも会話のレベルが高いですよね。

クラシック音楽ファンのための会話、水谷×大陸のファンのための会話であるから、余計に音楽的素養が高いと思うし、そこに2人のデュオという最高の演奏を挟みながら進行していく訳だから、レベルが高いに決まっている。最高のエンターティメント・ショーと言っていいと思う。テレビの大道芸人の漫才を観ているより、全然いいと思いました。


水谷晃くんは、大谷康子さんの後任として東京交響楽団のコンサートマスターとして2013年かな、入団した頃からよく知っている。もう鳴り物入りのスターという感じで、輝かしい活躍で存在感のあるコンマスであった。それが今年の3月でその東響のコンマスを辞めるという。


このニュースには自分ももうびっくりで、なんでなんだろう?なにかあったのかな?その理由が知りたかった。今回のMCで、東響のコンマスに就任してあっという間に10年間が過ぎてしまった。もうあまりに速過ぎる時の進み方。このまま行くと、あっという間に自分の人生終わってしまう。。そういう危惧があって、もっと自分をきちんと見つめ直して自分の人生を歩んでいきたい・・・発展ある前向きな退団。そういう理由なのだそうである。


水谷くんは、奥さんや子供もいるのに、経済的な理由もなんのその、安定な収入も捨てて、やっぱり芸術家、音楽家の心意気なんだろうな、と思った。


自分なんて、どうやって生きていくか、自分にどんな才能があるか、などを探りながら必死で生きてきた人間で、それで企業人として36年間ぶら下がって生きていた訳だが、そんな人生に比べると、本当にチャレンジングで音楽家らしい人生だと思う。ぜひ頑張ってほしい。この後も、幸運、大成功、ユニークな人生が待ち受けていることをお祈りしています。


水谷くんはクラシック音楽界の中では、お城好き、城マニアであることで、とても有名で、コンサートで地方に行ったときはその合間を見て、いろいろなお城を見て回っている。


自分のように単にお城が好き、というなんちゃって城マニアと違って、歴史にも詳しく、本格的なお城大好きファンである。そんなところも自分は気に入っていた。


でも水谷くんはいったい何歳なんだ???

1986年生まれ、ということだから、今年37歳。

1986年!!!自分が上京した頃か~!


でも37歳であの流暢な喋り、MCはすごくないかい?

ほんとうにスラスラと滑らかな喋りで、人間的にもすごく完成されたできた人のように感じる。

もう隔世の感があります。


自分が37歳のときと言ったら、もう生意気そのもので、世間知らずでかなり失礼な人間(いまもそうですが。。笑笑)で、あんなに流暢には喋れませんでしたよ。


自分は喋りは苦手なほうでいまも下手なのですが、37歳の若さしてあのスピーチ、コミュ力には本当に驚くしかないです。なんか見た目も本当にいい人でナイスガイ。奥さんもすごい美人で、本当に幸せな人生を送っているのだと思います。


さて、TAIRIKさんのほうは、今回自分にとっては初めてのご対面、体験でした。

インスト・ユニット「TSUKEMEN」のリーダーだそうで、ライブではヴァイオリンとヴィオラの両方持ち替えて弾きます。


デビューから現在までに、40万人以上の観客を動員。

リリースしたCDはクラシック・チャート1位を次々に獲得。

2015年ウィーン楽友教会「黄金の間大ホール」で行われたコンサートは驚異のキャンセル待ち200席を記録。近年では、古沢厳氏と「品川カルテット」、東京交響楽団コンサートマスターの水谷晃氏と「MIZUTANI×TAIRIK」を結成。コンサートや作曲活動の他「徹子の部屋」「題名のない音楽会」等数多くのTV番組にも出演。2021年4月より、NHK今日の料理「栗原はるみキッチン日和」にアシスタントとしてレギュラー出演。


水谷くんとは桐朋音楽大学のときの同級生。あるいはもっと前から???


人間って歳を重ねていくほど、年寄りになって行くほど友達、親友というのはできなくなっていきます。みんなお互い家庭を持っていくし、家庭の事情もあり、そんな友人同士の付き合いというのもなくなります。


また腹を割って、本音で喋る、冗談を言い合う、そういう親友というのも、やっぱり同期の仲間だけなんですよね。歳をとるほど、そういう親友というのはまずできなくなります。そういう生き物なのです。


そういう点で会社に入社時の同期、あるいは学生時代の同期というのは、人間の人生にとって貴重な宝だと思います。


そこからすると、この同期のユニット「MIZUTANI×TAIRIK」は、最高のデュオだと思うし、この類まれな絶妙な掛け合いのMCもお互い同期だったからこそ、お互い心が知れている間同士だからこそ、実現可能だった凄技なのだと思います。


MIZUTANI×TAIRIKってクラシック音楽界では有名なの?(笑)

まだ結成したてでそんなに月日が経っていないようだし、コンサートも年に1回ペースのようだから、これからもっと認知度が上がって、日本中いろいろなところで演奏会ができるようになるといいですね。


今回自分が行ったコンサートはこちら。

「2023 MIZUTANI×TAIRIK AGAIN」


Fn17JB0acAEmqp7.jpg



北とぴあ さくらホールというところで開催されました。

自分は初めて行ったホール。多目的ホールですね。結構な収容人数で2000人以上は確実の規模の大きさ。当日は満員御礼でした。さすがの人気です。


音響効果面でNHKの技術協力を得たハイグレードな大ホールだそうで、本格的なオーケストラ演奏やオペラ、歌舞伎、能、狂言、演劇、バレエなど、広くご利用できるのだそう。


DSC06700.JPG


DSC06702.JPG


DSC06686.JPG


初めて行くので、南北線で、JR王子駅なのですが、なにを間違ったか路線を間違えてしまい、全然違う方面に行ってしまいました。慌てて戻り、着いたときは1時間前と、いつもだいぶ前に会場入りしないと気が済まない自分にとっては大遅刻でした。


パネルも手書きがいいですね。(笑)


1KnHiA1f7eSefs01685570391.jpg


まだ資金がない、というか、知名度もこれから。。。という感じが微笑ましいです。主催は、東京第一友の会で、協賛は公益財団法人 全国友の会振興財団だそうです。


コンサートは、1曲ごとにMCを挟みながらの進行で、それはそれは盛り上がりました。最高のショーでした。


水谷くんは、ヴァイオリンですが、TAIRIKさんは、ヴァイオリンとヴィオラの両方を持ち替えながら弾いていきます。イケメン2人の弾く姿はさすがにカッコいいというかサマになっていましたし、演奏も抜群のアンサンブルで最高だったと思います。最高に絵になる2人ではないでしょうか?


選曲もドヴォルザーク、フォーレ、モーツァルト、スメタナ、シューベルト、プッチーニ、プロコフィエフ、サラサーテと、プロコフィエフを除けば、非常に若い人、クラシックをあまり知らなくても親しみやすい優しい選曲だったと思います。


楽しいMCにこれらの親しみやすい作曲家の演奏。

ほんとうに最高のショーなのではないか、と思いました。


まったく想定外で、ほんとうに心底驚いてしまった演奏会でありました。


次回は10月に愛知だそうですよ!MIZUTANI×TAIRIKのコンサートを年に2回というのは初体験なんだそうです。愛知県のみなさん、ぜひ足を運ばれてみてください。


驚きますよ。(笑)


やはり同じ同性の男性アーティストのコンサートは、やはりちょっと違う効果を自分にもたらしますね。若いイケメン2人ですと、同じ男性として自分もいつも歳寄りぶっていないで、若々しくこれからも頑張っていこう!という気持ちに勇気づけられました。


FxIGdpwaQAEn6DC.jpg



2023 MIZUTANI×TAIRIK AGAIN


2023年5月27日 14:00~

北とぴあ さくらホール


ドヴォルザーク わが母の教え給いし歌

フォーレ シチリアーノ

モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラの為のDUO kv.424 第3楽章

スメタナ モルダウ


シューベルト 魔王

伝承歌 ロンドンデリー

プッチーニ 誰も寝てはならぬ

プロコフィエフ 2台のヴァイオリンのためのソナタ 1.2楽章

サラサーテ ツィゴイネルワイゼン






 

nice!(0)  コメント(0) 

東京・春・音楽祭 ニュルンベルクのマイスタージンガー [国内クラシックコンサート・レビュー]

カラヤン、バーンスタイン、そして小澤征爾さんもそうであるが(小澤さんはリアルタイムでしたが。)、みんな自分が生まれたときからスーパースターだった。そういうスターに心を寄せていく、応援していくというのもクラシックのスタンダードなファンの在り方だと思う。またクラシックを勉強していく上では逆にそういうスタイルのほうが入りやすいことも確かであろう。


でも自分にとって、マレク・ヤノフスキという指揮者は、自分と一緒に育ってきた、自分と一緒に成長してきた、自分と一緒に同じ時代を見てきた、そういう同越感があり、それが、よくここまでやってきたなぁ・・・というなんとも言えない気持ちと、他の指揮者とは違う特別な運命の絆のようなものを感じて感慨深いものがある。


もちろん自分は最初から狙っていた訳では全然なく、まったく意識することなく、本当に偶然の偶然もいいところなのであるが、自分のクラシック人生の中で、マレク・ヤノフスキという指揮者と不思議な絆で運命をともにできたことを誇りだとと思っている。自分の人生の誉としたい。音楽の神様の粋なプレゼントだったと思いたい。


ヤノフスキという指揮者はキャリアはかなり長いが、下積みもかなり長く、陽の目を見始めたのが、手兵ベルリン放送響を率いてベルリンフィルハーモニーでワーグナー10大楽劇の演奏会形式コンサートのツイクルスをやったときからだったであろう。このツイクルスをPENTATONEが収録していた。


自分もこれをきっかけにヤノフスキを知り、彼のバイロイト・デビューのときも追いかけた。そこから現在に至る活躍、すっかり大巨匠となっていったのはご承知の通りである。


当時のヤノフスキは、ワーグナー音楽について自前の理論を持っていて、一種独特の雰囲気を醸し出していた。


「ワーグナーの楽劇は、演奏会形式が一番いい。昨今のオペラ形式の過剰な演出は、ワーグナーのもつ素晴らしい音楽性を堪能するには邪魔である。純粋にワーグナー音楽の美しさ、素晴らしさを堪能するのであればコンサート形式が一番いい。」


日本ワーグナー協会の例会でのインタビューでもこのように発言をして、物議を醸したというか、大騒動だったような記憶がある。


自分はなんとも頑固なオヤジ風な印象を抱いたが、実際のベルリンフィルハーモニーでの実演を拝見して、聴けばその実力はわかる、という感じで納得できた。ニュルンベルクのマイスタージンガーとタンホイザーだったが、舞台は本当にシンプル、オーケストラの前に独唱ソリストを立たせて歌わせる。歌手は自分の出番になると舞台袖から静かに登場して、そして歌う。出番が終わるとそのまま舞台袖に下がる。


本当にシンプル。これがヤノフスキ流なのである。現在の東京・春・音楽祭に至るまで、このヤノフスキ流は終始一貫している。


そして驚いたのがその快速テンポである。ヤノフスキのサウンドは、非常に引き締まった筋肉質な音で、とにかくその疾走感に驚く。それは速すぎるだろう?と思うくらいすごい快速で進んでいく。


従来のワーグナー・サウンドといえばじっくり歌わせる、いわばうねり感のようなどっしり座ったような深みで演歌のこぶしではないけど、そういう節回しを丁寧に歌い上げる演奏が多かったと思うが、その伝統の演奏観をいっさい無視するかのようなどんどんすごい速さでサクサク進んでいく快速テンポで、ある意味淡白すぎると揶揄されることも当時は多かったように思う。


でも自分はこの疾走感こそが、なんか新しいワーグナーサウンド像を象徴するような感じがして、すごく新しく、格好良く感じたものだった。そしてなにを隠そう、自分はヤノフスキの演奏が速いという認識が当時の自分にはあまりなかった。(笑)自分には、あくまで普通で、とてもちょうどいいテンポのように思い、周りがみんなヤノフスキは速すぎると言うのを聞いて、あれ?そうなのかな?と思ったことを正直に告白しよう。(笑)



340495930_1850440425328978_8499069852436524523_n.jpg


東京・春・音楽祭2023はニュルンベルクのマイスタージンガー。


自分が初めて生のヤノフスキを観たのが、海外音楽鑑賞旅行と謳って初めてベルリンを旅行した2011年。ベルリンフィルハーモニーで観たときのマイスタージンガーが最初だった。あれから12年経過した今。ふたたびこの楽劇で原点回帰、先祖帰りする。。。そういうことなんだろうな、となんとなく直感的にそう感じた。運命のようなものを感じ感傷めいてしまった。


東京・春・音楽祭もリング指環四部作、そしてローエングリン。途中他の指揮者によるN響ワーグナー演奏も途中で挟んだが、やはりヤノフスキでないとダメだと思った。これは自分だけではなかったようだ。他指揮者ではみんなN響の演奏力にガッカリする声が多く、ヤノフスキを望む声が多かった。ことワーグナーに関しては、指揮者が変わるだけで、こんなに変わるものなのか、というほどN響の演奏もヤノフスキのもとでは本当にすごい鳴りっぷり、演奏パフォーマンスに豹変する。


なんでここまで豹変するのか?

ワーグナーという超長尺の演奏をここまで豹変させる、これがヤノフスキという指揮者の経験値と推進力なのだろう。N響がまったく別のオーケストラと思うくらい豹変する。


今回のマイスタージンガー。最初のあの有名な前奏曲から心を持っていかれる。


この重厚感と切れ味、そしてこの鳴りっぷり、弦の分厚い位相の揃った和声感のあるハーモニー、ワーグナー旋律を歌わせるその雄弁さといい、その大地を這うような、うねるような歌わせ方といい、ほんと聴いていてうっとりしてしまった。すごいな、と思った。


テンポは相変わらず速い。


今回は、バンダも大活躍で、かなり大編成スタイル。舞台いっぱいに編成が広がっていた。


コンサートマスターは、ライナー・キュッヒル。彼がコンマスだとやはり推進力が全然違う。自分は前方中央7列目ど真ん中とかなり前で聴いていたので、ライナー・キュッヒルのヴァイオリンの音色がグイグイとオーケストラを引っ張っていっているのがよく聴こえた。やはり彼はすごいと思う。


バンダだったか、一瞬金管が裏返ったこともあったが、それは木を見て、森を見ず、ということと同じ。全体の完成度からすると大したことではない。


もう100点満点といっていいほど完璧な演奏であった。こんな素晴らしいマイスタージンガーの演奏を聴いたのは、自分の鑑賞史上でも初めてである。おそらくいままでの、もうゆうに10年以上ある歴史ある東京・春・音楽祭 N響ワーグナーの演奏会の中でもベストワンと言っていいと思う。それほど圧倒的な完成度と大感銘を受けたパフォーマンスであった。


終演後、自宅に帰った自分は、溢れ出るこの感情を抑えることができず、思わずヤノフスキPENTATONE盤をもう1回聴き直してしまった。そしていまもであるが、数日間頭の中をあのメロディが延々とループしていて、ずっとあの旋律が鳴り続けているのである。


ワーグナー恐るべし!


東京オペラシンガーズも相変わらず素晴らしかった。今回はオーケストラの背後にスペースをとって、そこで整列して歌っていた。あるいは、舞台中に左右の入り口付近に小編成で並んで歌う、その2通りであった。


東京オペラシンガーズのすごさを実感するのは、毎年この東京春祭のN響ワーグナー演奏会のときである。やはり合唱というのはかなり自分にとってグッとくる。人の声が幾重にも重なって折り合うハーモニーの美しさというのは、筆舌に尽くしがたい美しさがある。この美しさはちょっと言葉では表現できませんね。じかに体験してみないとわからないと思う。


東京オペラシンガーズは、日本のトップのプロ合唱集団。まさに合唱という芸術の極みを見せつけてくれる。。そんな感じである。






340342520_982181009826891_7300002676282720199_n.jpg


340442595_623559626454779_3097336210652940752_n.jpg


340513424_236517848944086_1174700730960168253_n.jpg


独唱ソリスト歌手陣もレベルが高かった。

限られた予算の中で、そして出演者のタイムスケジュールの調整、そんな苦労もありながら、これだけの粒ぞろいのレベルの高い歌手陣を集めてこれるのは、本当に東京春祭スタッフのご苦労が頭が下がる思いである。


特に圧倒的な存在感、アピールをしていたのは、意外やザックス、ヴァルターの主役2人ではなくベックメッサーであった。このワーグナー唯一の喜劇であるこのマイスタージンガーの中にあって、じつはこの悪役のベックメッサーの役割というのは非常に重要なのである。このベックメッサーの出来具合によって、そのマイスタージンガーの出来も決まってしまうほど重要な役割だと自分は思っている。


これがもう驚きであった。歌手陣の中でただ1人オール暗譜。そしてその卓越した演技力。自分はこれは只者ではないと思った。瞬時にこの歌手さんは、このベックメッサーでずっとご飯を食べてきているその道のプロの歌手さんに違いないと確信した。それほどまでにこのベックメッサーという役を自分のモノにしている。完璧だった。


わかってはいたが、最後のカーテンコールでは、やはり最大の拍手と大歓声であった。ベックメッサーの歌にはリュートという楽器が使われるが、今回はハープの小型の特別な楽器が使われていた。確かに音色はリュートそのものの音であった。最後のカーテンコールでは、ベックメッサーが花束をこのリュートのハープ奏者に渡して笑いと大歓声を受けていた。こういうところのパフォーマンスも場慣れていて、さすがだと思った。


主役のザックス、ヴァルターは、最初は主役にしては、ちょっとオーラと言うか主張してくるものが少なくて不満なものがあった。ふつうは主役は、舞台前列で歌っている歌手の中でもやはり発するオーラや存在感、気が全然違うものである。そういうものが、自分には物足りなさを感じたが、歌唱力ふくめ歌手としての実力はやはり素晴らしいものがあると思った。


ヴァルターは、最初存在感薄いな、と思ったが、最後のヴァルターの一番の魅せ場のアリアである「朝はバラ色に輝いて」に到達するまでにどんどんその存在感を増してきて、最後は立派にそのアリアを歌い切った。自分はあっぱれだと思った。ブラボーを贈りたい。


ザックスは、自分がこの楽劇でもっとも大好きな役なのだが、歌唱力ともに申し分ない安定感だったが、如何せん譜面にかぶりつきという印象があって、演技力そのものに物足りなさを感じた。演奏会形式とはいえ、もうちょっと表情の変化をもって演技という側面で我々を楽しませてほしかったように思う。でも最後のマイスター芸術の価値を説く(ザックスの最終演説)はカッコよかった~~~。自分はこのが喜劇の中でもここが一番大好きです。


女性歌手陣2人も最高に素晴らしかった。特にエファが素晴らしい。基本はかなり高音域な声質だが、絶唱したときに、けっして飽和したり金切声になったりせずにきちんとした声帯の広さ、容量の大きさというのがあって、その歌声が飽和せずに突き抜ける感じでホール空間に声がきちんと定位するし、声の伸びや安定感がある。じつにすばらしい歌手だと思った。声量、声質ともに申し分がなく、抜群の歌唱力をもった歌手だと思った。


清純派のエファにしては、かなりセクシー系で色艶っぽい雰囲気で誘惑されそうになりましたが。(笑)


このように歌手陣はほんとうに素晴らしいレベルで驚いた。


第3幕の第4場、マクダレーネも交え、エファ、ヴァルター、ザックス、ダフィトはそれぞれの思いを歌い上げ、五重唱となる”愛の洗礼式”アリア。ここは最高の魅せ場でじつに美しい五重唱で毎回感動するところ。


自分も最後の歌合戦以外に一番好きなアリアで、ここは本当に楽しませてもらいました。


では、さらにそれぞれソリストごとにもう少し詳しく感想、気になった点を補足していきますね。


ハンス・ザックス役:エギルス・シリンス(バス・バリトン)



Egils_Silins.jpg



経歴を見ると、完全なワーグナー歌手。最近の出演では、クリスティアン・ティーレマン指揮でバイロイト音楽祭にもデビューしている。


とてもいい声をしていて、バリトン声域のお手本のような声質をしていると感じた。声量も十分である。歌手としての才能、歌唱力としては申し分ないと思う。いい歌手だと思うのだが、如何せん今回のザックスでは譜面にかぶりつきという感じで、もう少し表情を表に出し、演技力を発揮してくれるといいのにな~と思った。演奏会式とはいえ、やはり歌手に演技力が備わっていると観ているほうも感動具合が全然違ってくるものである。




ヴァルター・フォン・シュトルツィング役:デイヴィッド・バット・フィリップ(テノール)


d533b35aaef4f71fbcf2abbdd28571f4.jpg



今日の英国が誇る最もエキサイティングなテノールの一人であり、主要な国際舞台で早くも確固たる人気を獲得している。


非常に若々しい感じが伝わってきて、フレッシュな感じがよく伝わってきた。最初は主役ヴァルターとしての存在感がもう少し欲しいなと思ったが、幕や場が進むにつれて、だんだんとその存在感が大きくなってよかったと思う。声質は、自分が望んでいるような突き抜けるような高音というタイプではなく、やや籠るというか、もう少し突き抜け感があるともっといいだけどな~とずっと聴いていた。でもヴァルターの一番の魅せ場の「朝はバラ色に輝いて」では見事に歌い切り、場を制覇した感があってブラボーであった。将来のオペラ界を席巻するいい歌手に育って行ってほしいと思う。英国人だと思うけど、ドイツ語発音なかなかでしたよ。



ジクストゥス・ベックメッサー:アドリアン・エレート(バリトン)


ErC591d.jpg



ベックメッサー役のアドリアン・エレートの大活躍はさきほど述べた通り。とにかくベックメッサー専門、その道でご飯を食べてきたプロに違いないと自分は確信し、帰宅後さっそくプロフィールを確認してみました。



オーストリア出身のバリトン歌手。長年にわたって、拠点であるウィーン国立歌劇場だけでなく国際舞台でも人気を博しており、その多彩な歌唱力で聴衆とマスコミを魅了してきた。クリスティアン・ティーレマン指揮でワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》ベックメッサーを歌い、華々しい成功を収めたことから、2009年にはバイロイト音楽祭に招かれて同役を歌うことになった。以来、チューリッヒ、ケルン、ライプツィヒ、東京、アムステルダム、ドレスデン、ザルツブルク復活祭音楽祭でもベックメッサーを歌っている。


やっぱりね・・・自分は2012年の東京春祭のマイスタージンガーのときのベックメッサーもおそらくエレートだったとそのとき思いました。なんとなくそのときのイメージが自分の脳裏にこびりついていて、今回観たときもまったく同じだったので、ひょっとしてあの2012年のときのベックメッサーと同じではないか?と思ったのでした。自分は行きませんでしたが、新国立劇場でのマイスタージンガーをやっていて、そのときのベックメッサーもエレートだったそうです。




エファ:ヨハンニ・フォン・オオストラム(ソプラノ)


Johanni-van-Oostrum.jpg


南アフリカ出身。R.シュトラウス、ワーグナー、ヤナーチェク、モーツァルトの主役として引く手あまたのソプラノ歌手である。


自分はこのオオストラムがすごくいいと感じた。最高だと思いました。


ところが、もっと驚いたのが、この超素晴らしいと感動したエファ役のヨハンニ・フォン・オオストラム。なんと!去年のローエングリンのエルザ姫の歌手だったのだ!去年は、もう本当にお姫様みたいなルックスですごい声量、歌唱力に大ファンになってしまいましたが、今回のエファもまさか彼女だったとは!今年はもうイメージガラ変。セクシー系で誘惑系なのでまったく同一人物だとは気づかなかったです。


今回自分のチョンボで公演があることをその日の朝に気づいたので、ちゃんと歌手の経歴の予習もできていなかった。



この写真は去年のローエングリンのときのカーテンコール。一番右端がエルザ役のオオストラムでした。


25940505_2559894855_153large.jpg



ご覧のように清純なお姫様容姿で、それでいて抜群の声量、歌唱力で自分はいっぺんに虜になってしまい、もっとその普段のオペラ界での活躍を知りたいと叫んでいました、去年。


まさかのあのお姫様容姿の彼女が、今年の超セクシーで誘惑系のスタイルのエファと同一人物とはまったく気づかず、女性歌手ってほんとうに恐るべし!(笑)


とにかく声が素晴らしい!歌がうまい!オーラがある感じでいい歌手だな~と思いましたが、同一人物とは知らず、2年間続けて大感動するということは、彼女はやはり本物だということですね。


ちょっと2年連続で、自分を魅了したヨハンニ・フォン・オオストラムという歌手、ちょっといろいろ追っかけてみたくなりました。去年のお姫様エルザで感動して、いろいろ作品探したんだけど、見つからなかったんだよね。ひさしぶりに自分を本気にさせてくれた女性歌手との出会い。いろいろ彼女のこと知りたいです。



確かにカーテンコールするとき、彼女の作法は、片膝を曲げつつその上に両手を添えるといういわゆるプリンセス・スタイル(あれ?正式名称はなんというの?)ですごく気品があるんだよね。あっ去年のエルザと同じだとそのとき思いましたが、まさか同一人物とは、まったく思いも寄らなかったです。




マグダレーネ:カトリン・ヴンドザム(メゾ・ソプラノ)


Katrin_Wundsam_c_Liliya_Namisnyk.jpg



その「美しく、みずみずしく、光り輝くメゾ・ソプラノ」(フランクフルト総合新聞)や、「芸術的な演技と歌」(ケルン日刊新聞)によって、一流の歌劇場やコンサートホール、音楽祭で名を知られるようになった。オーストリア出身で、これまでにベルリン国立歌劇場、ドレスデン・ゼンパー・オーパー、ハンブルク州立歌劇場、エルプフィルハーモニー・ハンブルク、ウィーン楽友協会、ブレゲンツ音楽祭、ザルツブルク復活祭音楽祭、インスブルック古楽音楽祭、グラフェネック音楽祭等に出演してきた。


自分は、最初彼女がエファだと思ってたんですよね。(笑)本物はかなりセクシー系、誘惑系のスタイルなので。自分の中でエファは純真派というイメージが定着していたので。エファがオオストラムだと分かったとき、はたしてこのカトリン・ヴンドザム演じるマグダレーネって女性役を想い出せなかったです。(笑)


マイスタージンガーでエファ以外に女性役って誰だったっけ?という感じで。マイスタージンガーしばらくご無沙汰でしたので。マグダレーネはエファの乳母でした。


このマグダレーネを演じたカトリン・ヴンドザムもすごく声色が美しく声量も申し分なくいい歌手と思いました。




ファイト・ポークナー:アンドレアス・バウアー・カナバス(バス)


295aef5b2e4552592eeb93de093109a6.jpg



主要な役どころのシリアス・バスの役を8つの異なる言語で歌う特殊才能の持ち主。そのレパートリーには、ヴェルディのフィリップ2世(イタリア語及びフランス語)、ザッカリーア、フィエスコ、デ・シルヴァ、グァルディアーノ神父や、リリカルなワーグナーの役では、マルケ王、ハインリヒ王、ヘルマン方伯、ファイト・ポーグナー、ダラント等がある。


自分はこの人のバスの声質、声量は、まさにポークナーそのものだと思うんですよね。まさに自分のイメージ通りのポークナーそのものでした。マスクも端正で、いい歌手だと思う。最後まで安心して観ていられた最高のポークナーだったと思います。





ダフィト:ダニエル・ベーレ(テノール)


e9f4833754721eb47c54681742b454c4.jpg



歌手であり、作曲家でもある。自身のアルバム『MoZart』では、オーパス・クラシックの「シンガー・オブ・ザ・イヤー2020」を受賞した。コンサート、歌曲やオペラでも同様に成功を収めており、2020年初めにはローエングリンでデビューして高い評価を得た。レパートリーは、バロックの名曲や古典派・ロマン派のレパートリーから20世紀、21世紀の作品まで幅広い。


自分は第1幕の冒頭からもっとも活躍した、というか自分のカラーを出し切っていて、演技力もあってもっともアピールしていたのは、間違いなくこのダフット役のダニエル・ベーレだと思いました。


それほど目立っていたし、凄い存在感があって素晴らしかった。いいダフィト役だなと思いました。前半のMVPといっていいほどの活躍で自分へのアピールは大きかったです。経歴を見ると、すごい才人なんですね。驚きました。



東京・春・音楽祭2023 ニュルンベルクのマイスタージンガー。


東京春祭史上もっとも素晴らしいレベル、パフォーマンスであり、大感動を与えてくれた大伽藍であった。


マイスタージンガーの前奏曲は、毎年、東大、東京大学の入学式で、新入生の入学を祝って、東大のオーケストラ部が演奏する定番レパートリー曲なのだそうだ。


この前奏曲の明るい未来に託す、期待するような旋律は、これから明るい未来を目指して船出しようとしている新入生の門出を祝うには絶好の音楽なのだろう。


2023年4月。自分も明るい気分できっと素晴らしい未来が待っているに違いない、そう期待しよう!

そんな想いをさせてくれる素晴らしい演奏会であった。



340351670_744388413997765_8117132747134488728_n.jpg



東京・春・音楽祭2023


ワーグナー:楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(全3幕)

上演時間:約5時間30分(休憩2回含む)


2023年4月6日 [木] 15:00開演(14:00開場)

東京文化会館 大ホール



指揮:マレク・ヤノフスキ


ハンス・ザックス(バス・バリトン):エギルス・シリンス

ファイト・ポークナー(バス):アンドレアス・バウアー・カナバス

クンツ・フォーゲルゲザング(テノール):木下紀章

コンラート・ナハティガル(バリトン):小林啓倫

ジクストゥス・ベックメッサー(バリトン):アドリアン・エレート

フリッツ・コートナー(バス・バリトン):ヨーゼフ・ワーグナー

バルタザール・ツォルン(テノール):大槻孝志

ウルリヒ・アイスリンガー(テノール):下村将太

アウグスティン・モーザー(テノール):髙梨英次郎

ヘルマン・オルテル(バス・バリトン):山田大智

ハンス・シュヴァルツ(バス):金子慧一

ハンス・フォルツ(バス・バリトン):後藤春馬

ヴァルター・フォン・シュトルツィング(テノール):デイヴィッド・バット・フィリップ

ダフィト(テノール):ダニエル・ベーレ

エファ(ソプラノ):ヨハンニ・フォン・オオストラム

マグダレーネ(メゾ・ソプラノ):カトリン・ヴンドザム

夜警(バス):アンドレアス・バウアー・カナバス


管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)

合唱:東京オペラシンガーズ

合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩

音楽コーチ:トーマス・ラウスマン

字幕:舩木篤也








nice!(0)  コメント(0) 

札幌コンサートホールKitaraで札響を聴く。 [国内クラシックコンサート・レビュー]

北の大地、札幌コンサートホールKitaraは、じつに素晴らしいコンサートホールであった。音響はもちろんのこと、ホールの内装空間の雄大さ、清潔感すべてにおいて自分が経験したことのないレベルで極上のホールであった。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraは、過去にも2回ほど体験しているのだが、大ホールでパイプオルガン、小ホールでピアノのコンクール。やはり自分の中には、大ホールで大編成のオーケストラを存分に味わってみたい、自慢の大ホールの音響を存分に堪能してみたい、そういう願望があった。
                                                   
大ホールの音響は、やはり大編成のオーケストラを存分にホール内で鳴らしてこそ、そのときどう感じるか、そこにかかっているように常日頃から思っている。
                                                   
オーケストラも札響、札幌交響楽団をこのホールで聴いてみたい。
                                                   
”札幌コンサートホールKitaraで札響を聴く。”
                                                    
まさに究極の選択。
これを自分の近々に成就したい夢のトップに掲げていた。
                                                   
父親、母親、実家の件で帰省する必要があり、そのときKitaraで札響が聴ける日に照準を合わせて日程を組んだ。いつも帰省するときは、夏休み、年末年始に札響のコンサートカレンダーを確認するのだけれど、札響は、夏休み、年末年始はお休みなんですよね。
                                                   
だからいままで何年もチャンスがありながら、タイミングが合わなかった。3月の北海道、札幌はまだ雪が残っていて、歩行するのはかなり大変だったけれど、やはり行ってよかったと思っている。
                                                   
一時期、お腹の調子が最悪で、雪でコンディションが悪い中、歩行するのがなんとも気が重くて、今回はKitaraは延期してまたの機会にしようかな、とも思ったが、やはり行ってよかったと心から思っている。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraは、札幌中島公園の中に建っている。
                                                   
中島公園は、札幌市中央区にある公園で、「日本の都市公園100選」、「日本の歴史公園100選」にも選定されている大きな公園で、札幌の歓楽街である、すすきのに隣接しているが、水と緑豊かな公園になっている。
                                                   
国指定の重要文化財である豊平館や八窓庵、人形劇の専門劇場である札幌市こども人形劇場こぐま座、音楽の専用ホールである札幌コンサートホールKitara、札幌市天文台などがある。
                                                   
築山林泉回遊式庭園などの日本庭園もあり、とにかく広くて自然豊かな大変美しい公園である。夏などは散策するにはとてもいいスポットだと思う。
                                                   
とにかく膨大に広い。札幌の地下鉄南北線の中島公園で下車して、Kitaraまでは、地上出口からそのまますぐにわかるように1本道になっている。足元の悪い3月であったので、雪道の中を歩いていく訳だが、地下鉄中島公園駅からKitaraまではかなり歩いた感覚であった。
                                                   
札幌コンサートホールKitara
                                                   
DSC03725.JPG
                                                   
DSC03847.JPG
                                                   
北海道内初の音楽専用ホール。
札幌市が所有し、同市の外郭団体である公益財団法人札幌市芸術文化財団が指定管理者として運営管理を行っている。
                                                   
札幌交響楽団が活動拠点にしているほか、「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」(PMF)などの拠点にもなっていることでも有名。その音響は、まさに世界水準のコンサートホールとして有名で、1998年にバーミンガム市交響楽団を伴って演奏に訪れた指揮者サイモン・ラトルは「近代的なコンサートホールとしては世界一」と評したことは有名である。
                                                   
以来、札幌コンサートホールKitaraがミューザ川崎と並んで、日本のコンサートホールがいかに世界トップ水準レベルなのかは、サイモン・ラトル、マリス・ヤンソンス、ヴァレリー・ゲルギエフといった巨匠たちが来日で当ホールで公演するたびにその感想を伝えたことで、有名になっていった。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraの音響設計は永田音響設計の豊田泰久さんである。
                                                   
自分はいまから10年前の2013年に大ホールでパイプオルガンしか聴いたことがなく、大編成のオーケストラをこの大ホールで聴いてみたい、そして世界の巨匠たちが大絶賛するこの大ホールの音響というものを思う存分堪能してみたい、とずっと心に願っていたのだ。
                                                   
いま、その瞬間が訪れようとしている。
                                                   
これから徐々に紹介していきたいと思うが、ひと言でいうならば、札幌コンサートホールKitaraは、とても雄大でまさに北海道をイメージするような広大な広さのホールであった、ということである。
                                                   
コンサートホール自体は、これは音響設計のこともあり、あまり広くはできないし、狭くもできない。音響設計的に適切な容積というのがあるのだ。なのでホールとしては、べつに首都圏のコンサートホールの大ホールと同程度レベルの容積、広さでじつにスタンダードである。客席2008席で、残響時間:空席時2.2秒(満席時:2.0秒)。
                                                   
これはホールの容積としては決まっているスタンダードな値、容積である。あまり広くしても、また狭くしても、途端に音響が破綻してしまう。適切なホール容積というのがある。だから首都圏のコンサートホールとまったく同じ規模感、容積感である。
                                                   
自分がびっくりしたのは、そのホワイエ空間の広大さである。ホワイエは別に音響と関係ないので、もう自由に広く設計できる。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraのホワイエ空間は、首都圏のコンサートホールのホワイエ空間の優に3~4倍はあるのではないだろうか?首都圏のコンサートホールは、まさに土地価格が高いので、ビルの中にそのホール空間がある場合が多く、狭い空間を有効活用しているような印象である。というかそうせざるを得ないのである。
                                                   
でも札幌コンサートホールKitaraは、まさにめちゃめちゃ広い自然の公園、札幌中島公園の中にポツンとそびえ立つ建物である。そのような敷地的制限がまったくないのだ。
                                                   
だからホワイエ空間にしろ、その造りすべてにおいて余裕があって、すごい広大なのである。自分は過去2回訪れたのだけれど、そのことをあまり考えなかったのだけれど、今回訪問して、その広すぎるホワイエ空間を歩いてみて、そういうことなのではないのかな、と思ったのだ。
                                                   
まさに贅沢な造り、デザインで、スペース的にゆとりのある設計。そのゆとりが、その場にいる者にとって、心の安心感というかのびのび感というかとにかくストレスがない。広々としていてスカッとする。
                                                   
まさに北海道のコンサートホールだよな~と思ってしまう。広大なイメージの北海道ととてもイメージが合います。
                                                   
開場前、並んでいるとレセプショニストの女性スタッフが集まってくるわけだが、その人数に驚いてしまった。開場前の円陣を組んでのブリーフ・ミーティングや開場扉前に集まってくるその人数。軽く15人は超えているのではないだろうか?
                                                   
首都圏のホールでは、開場扉に集まるとしたら、せいぜい3~5人くらいだと思うのだが、Kitaraは軽く10~15人はいたような気がする。これはおそらく広大なホワイエ空間含め、施設内がかなり広大なので、これに見合う人数を用意しないといけないのだろう、と自分は考えた。
                                                   
これがじつに広大な札幌コンサートホールKitaraのホワイエ空間。ご覧あれ。
                                                   
DSC03793.JPG
                                                   
DSC03832.JPG
                                                   
ここはクローク。
                                                   
DSC03800.JPG
                                                   
ここがCD売り場になります。
                                                   
DSC03802.JPG
                                                   
ドリンクバーも1階と2階でゆうに3か所はあったように思います。
                                                   
DSC03817.JPG
                                                   
そして、いよいよホール内潜入。
                                                   
DSC03758.JPG
                                                   
DSC03766.JPG
                                                   
DSC03768.JPG
                                                   
DSC03773.JPG
                                                   
DSC03778.JPG
                                                   
                                                   
毎度のことながらこの瞬間はほんとうに息を吞んでしまうというか、全身に雷が落ちたかのようにピリッときてしまう。
                                                   
本当に美しいホール。
本当にいいホールだな~とため息がでました。
                                                   
アリーナ型のワインヤード。
Kitaraの音響設計では、曲線の反射壁を客席に設置しており、まさにワインヤードの音響設計という標準的で教科書どおりの設計空間である。
                                                   
北海道産の柔らかい木材を使用していて、そのブラウンの色彩が視覚的も非常に暖かくてじつに美しいと思う。ホールの下層の壁面では、縦に入ったスリットなど反射音の拡散のためと思われる凹凸が見受けられた。
                                                   
DSC03792.JPG
                                                   
ただ、反射音の万遍な方向への拡散はとても音響的に大事なことであるけれど、やりすぎるとホール空間のデザインにもスマートさがなくなってそこはトレードオフのようなところもあると思っているので、その点、Kitaraはそんなにゴテゴテにやっている訳でなく、空間デザインと調和を取りながらうまくその塩梅を調整している。そんな空間に思えた。基本そんなに拡散のためのスリットというか凹凸はないような感じでツルンツルンの反射壁のように思えた。
                                                   
ホール空間上部の周辺のモコモコした反響板のスタイルは、かなりユーモラスで可愛らしいイメージがあり、北海道らしさがあるように思える。
                                                   
                                                   
前回訪れたときは、ステージ上空の音響反射板の存在に気付かず、このホールは、まさかそれがないのかな、と驚いたが、今回よく見たら、ちゃんとありました。そりゃそうですよね。(笑)ない訳ないですよね。なんか天井と保護色になっていてまったく目立たず気づかないのもよくわかるような気がしました。でもステージの真上にあるのではなく、ややステージから客席に入った上あたりにあるところが、他のホールと違うところだな~と思いました。
                                                   
DSC03787.JPG
                                                   
                                                   
自分は、この札幌コンサートホールKitaraのホール空間を見た瞬間、どうしても東京赤坂のサントリーホールの空間を思い出してしまいます。パッと目に入ってくるその瞬間のイメージ、それはホール形状、最背面からみたワインヤードのそのスタイル、そして色調感覚的にあまりにサントリーホールにそっくりなのです。
                                                   
自分がはじめてKitaraのホールに入った2013年のときにもまったく同じ印象でした。この2つのホール、本当によく似ていると思います。
                                                   
今回Kitaraの天井の造りもしげしげと確認したのですが、もうまったくサントリーホールと同じです。最前面のステージあたりからどんどん上に上がっていくスタイルで、真ん中あたりで頂点に達し、そこから最後尾に向けてまた下がっていくスタイルです。いわゆる三角形の起伏で、これはまさにサントリーホールだよな~と思いました。天井のデザインもまったく同じです。
                                                   
それイコール、ベルリンフィルのベルリンフィルハーモニーホールの天井とまったく同じと言っていいことになります。サントリーホールは、ベルリンフィルハーモニーホールの天井を参考にして、自分のホール天井を設計しましたが、札幌コンサートホールKitaraの天井もまさにサントリーホール、ベルリンフィルハーモニーホールの天井とまったく同じなのです。
                                                    
札幌コンサートホールKitaraは、サントリーホールの進化型のコンサートホールと言っていいと思います。
                                                   
コンサートホールは年代が経過するにつれて、その建築設計スキル、音響設計など技術進歩でどんどん進化していくものです。新しいコンサートホールほどそのような進化が目覚ましいものです。
                                                   
そんな印象を受けました。
                                                   
では一番肝心の音響面の印象。
                                                   
自分の座席はここでした。
                                                   
DSC03785.JPG
                                                   
これは名だたる世界の巨匠が絶賛するのも納得する素晴らしい音響でありました。札幌交響楽団という大編成の鳴りをじかんにこの空間で堪能したわけですが、もうなにをはいわんやですね。
                                                   
自分を1番深く感動さしめたことは、音が飽和しない、サチらないそのゆとりのある空間、容積感ということです。いわゆるダイナミンクレンジですね。
                                                   
ミューザ川崎もそうですが、音響のいいホールというのは、ステージ上のオーケストラという発音体に対して空間的な余裕があるのです。その空間自体がそのオケの発音を丸っとそのままつつみ込んで全体を潰さない、そのまま丸っと再現できるようなそんな空間的余裕を感じることです。
                                                   
ですからオーケストラの響きも余韻が長く、非常に美しい響きとして再現されます。
                                                   
ホールの響きは、天井も高く、そんな空間的余裕を感じるので、ステージからの実音に対して反射音もやや分離して遅れて聴こえてくる感覚があってそう聴こえることが余計に3次元的で立体的に聴こえてくる要因にもなっていて、空間の広さ、余裕を感じさせていい響きだな~と思わせる原因になっていると思いました。
                                                   
このホールとしての空間的余裕という点では、開演前のステージで団員の数人が先に登場して楽器の音を鳴らしてリハーサルしていますよね。オーボエ奏者が鳴らすそのオーボエの音を聴いて、自分は鳥肌が立ちましたから。
                                                   
そのオーボエの音がすっ~~と上空に上がって消え去っていくその長さに自分は鳥肌が立ちました。これはいい音響だな~という感じで。しかもすごい広い空間の感覚。。。
                                                   
大体そこのホールの響きの良し悪しは、この開演前のステージでの団員が鳴らしている楽器の音を聴くとすぐに判断つきますね。
                                                   
一席当たりの空間もかなりゆとりのある空間で、首都圏のホールとは全然快適さが違う感じです。
                                                   
音質も非常に前から後ろまでクリアな音。実測周波数特性は他のホールと違ってどフラットだそうですから、納得のいくところです。そして全体的に木目調の内装空間でもあることから、やや暖色系の柔らかい音質のように感じました。
                                                   
”札幌コンサートホールKitaraの音響は、まさに明晰でクリアな音で、3次元的、立体的に聴こえるぐらいの空間としての余裕があって非常にダイナミックレンジの大きな音響空間であった。”
                                                   
と結論付けることができると思います。
                                                   
まさに日本のみならず、世界を代表する屈指の音響を誇る名ホールだと自分は確信しました。大編成のオーケストラが鳴る空間でないとこのことはわかりませんね。
                                                   
                                                   
そして最後に札響、札幌交響楽団の演奏です。
                                                   
330121148_754247253080318_2689688579983617467_n.jpg
                                                   
                                                   
自分が聴いた演奏会は、札響の第651回の定期演奏会でした。この日のプログラムは、今年ラフマニノフ生誕150周年記念ということで、それに因んだ内容となりました。
                                                   
自分はお恥ずかしながら札響を生で聴くのは、今回が初めてだと思います。いろいろ過去に想いを巡らしてみましたが、記憶にないのです。
                                                   
札響ってどんなオーケストラなのか、どのような演奏をするのか。とても楽しみにしていました。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraでオーケストラを聴くなら、まず1番最初に札響で聴きたい。それが筋というか正道のように思いました。それ以外のオケの選択肢はまったく自分にはなかったです。
                                                   
自分のために札幌交響楽団のことを簡単に説明しておきます。(札響公式HPより抜粋)
                                                   
                                                   
札幌交響楽団は1961年に発足し、2021年に創立60周年を迎えました。北海道唯一のプロ・オーケストラとして「札響」の愛称で親しまれ、透明感のあるサウンドとパワフルな表現力は雄大な北海道にふさわしい魅力を放つオーケストラとして常に人気を集めています。
                                                   
2018年春から札響を率いるのはスイスの名指揮者マティアス・バーメルト。また、通算22年にわたり指揮者を務めてきた尾高忠明名誉音楽監督、広上淳一友情指揮者のほか、正指揮者に川瀬賢太郎とともに、オーケストラのさらなる充実と発展を目指します。2022年4月現在の団員数は、コンサートマスターを含めて74名。年間の公演回数は道内外で120回をこえます。海外においても2011年創立50年のヨーロッパツアーに続き、2015年には台湾4大都市での5公演を成功させました。札響は、常に多くの道民・市民に愛されるオーケストラを目指し、北海道から世界に発信する活動を展開しています。
                                                   
レコーディングにも積極的で、尾高と札響は、シベリウス、グリーグ、ドヴォルジャーク、エルガー、邦人作品等のCDをリリース。ベートーヴェンの交響曲全集のCD化に続き2013年から3年にわたって取り組んだシベリウス交響曲全曲演奏のCDは、2021年秋に全集として再発売される。
                                                   
エリシュカは来日を重ねる毎に全国的な人気が上昇し、札響とのチェコ音楽のCDは音楽雑誌で推薦盤に選ばれるなど高く評価された。2021年、日本での最終公演を収めたBru-rayが冬にリリースされることとなり、再び話題を集めている。2015年から18年3月まで首席指揮者を務めたマックス・ポンマーとは、メンデルスゾーン「讃歌」、バッハ「管弦楽組曲」等がCDとなり、そのユニークな活動は注目を集めた。マティアス・バーメルトとは創立60周年を記念して自主制作したCD「The Waltz」を2022年3月に発売した。
                                                     
現在の首席指揮者マティアス・バーメルトは2018年4月に就任。21年9月、札響60周年記念の演奏会に、コロナ禍のもと1年半ぶりの来日を果たし、喝采を浴びた。(2022年4月現在)
                                                   
                                                      
尾高忠明さんと非常に所縁の深い楽団なんですね。今回聴けたのも尾高忠明さんでしたから、本当に最善の選択でよかったと思います。尾高さんとは、札響に限らず、東京でも節目節目のコンサートでお世話になっていることが最近かなり多く、不思議な縁を感じます。
                                                          
演奏会全体を通して感じた札響の印象は、非常に素晴らしい演奏能力をもったオーケストラであること。もうびっくりしました。この日終始かなり圧倒されっぱなしで、この3月4日の演奏会は一生涯自分にとって忘れることのできないコンサートといっていい。
                                                            
この宝物のようなコンサートホールを持ちながら、これだけの実力を兼ね備えた演奏能力の楽団がオフィシャルとしているのですから、もうすごいことだと思います。北海道民はほんとうに幸せ者だと思います。クラシックという点では恵まれた環境にいると思います。
                                                              
観客動員も7~8割埋まっている感じで上々で、客層も首都圏と比べるとかなり若い印象を受けました。
                                                         
弦楽器、管楽器、打楽器すべてにおいてそつがなくてバランスよく秀逸で、全体的な優等生的なパフォーマンス、演奏をするオーケストラだと思います。とくにどこの楽団でもそうですが、心配な金管楽器の安定感なども平均点以上でそつがない。あまり目立った欠点がなくべつにあら捜しをしているわけではありませんが、すべてにおいて合格点以上のバランスの良さ。弦楽器のあの分厚い重厚なハーモニーは素晴らしかったな~。そしてあの嫋やかなオーボエなどの木管楽器も。
                                                          
とにかくすべてにおいて、そつがなく合格点以上なのです。褒めてばかりでもなんですから、それなりに指摘ポイントもあるといいと思うのですが、この日の演奏しか知らない訳ですが、本当に素晴らしかったというしかない。
                                                               
いいオーケストラだと思いました。
尾高さんとの信頼関係、連携も素晴らしく素晴らしい演奏会でした。
                                                          
もうひとつ大きく感心したことは、プログラムの内容が非常によく考えられていて、あまり商業的に感じないこと。エルガーの序曲「南国にて」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、そしてラフマニノフ交響的舞曲。
                                                          
マニアックというほど極端ではないですが、商業路線とはかなり毛色が違う聴きごたえのあるプログラムで、自分はかなり興奮したし、いいプログラムだなぁと感心しました。
                                                        
とくにプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲を実演で聴くなんて、いったいいつ以来でしょうか?ちょっと記憶にないです。
                                                   
首都圏では、なかなかお目にかからない演目ですよね。ヴァイオリン好きの自分もかなりのコンチェルトの演奏会に接していますが、プロコフィエフはなかなか経験が少ないです。本当にヴァイオリンが好きな人は、こういう演目が本当に好きなのになぁと思ってしまいます。
                                                         
メンデルスゾーンも確かに素晴らしい曲ですが、プロコフィエフのあの渋い玄人好みのあの旋律を聴くと興奮が止まらないと思いますよ。プロコフイェフがわからないと本当のヴァイオリン好きとは言えない、そう断言してもいいと思います。自分はそれだけプロコフィエフは好きですし、いいと思ってます。
                                                        
この日のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストを見事に演じたのが、金川真弓さん。
                                                              
金川真弓-c-Bruno-Bonansea-1024x683.jpg
                                                           
1994年ドイツ生まれ。4歳から日本でヴァイオリンを始める。その後ニューヨークを経て、12歳でロサンゼルスに移る。現在はハンス・アイスラー音楽大学ベルリンで、元ベルリン・フィル コンサートマスターのコリア ブラッハー教授に師事している。
                                                         
2016年プリンセス・アストリッドコンクール(ノルウェー)および2013年ヤッシャ・ハイフェッツ国際コンクール(リトアニア)第1位。オーケストラとは、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲)、フィンランド放送交響楽団(ベルク ヴァイオリン協奏曲)、リトアニア国立交響楽団(ブルッフ ヴァイオリン協奏曲)などと共演している。2012年アメリカの“パフォーマンス・トゥデイ”アーティストに選ばれ、演奏とインタビューがナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)を通じて全米に放送された。
                                                        
これまでに、日本で名倉淑子、ジュリアード音楽院プレカレッジで川崎雅夫、ロサンゼルスのコルバーン・スクールにてロバート リプセットの各氏に師事。使用楽器は、ドイツ演奏家財団のドイツ国家楽器基金から貸与されたペトラス・グァルネリウス(マントヴァ、17世紀後半製作)。(2017年1月現在)
                                                               
                                                                          
                                                                                   
自分は大変申し訳なかったですが、この日の演奏会まで存じ上げませんでしたが、初めて実演に接して、クセがなく非常にスタンダードで育ちのいい気品のある演奏をするヴァイオリニストだと思いました。この難曲のプロコフイエフをものともせず完全に自分のスタイル下においた演奏で、かなり圧倒されました。プロコフィエフのヴァイオリンはふだんなかなかお目にかかれないので、自分のメモリーの中で曲とともに強烈な印象として刻み込まれた感じです。
                                                  
いいヴァイオリニストだな。。。と驚きを隠せなかったです。なんかこうやって自分の知らない間にどんどん若い演奏家が育ってきて陽の目をみてどんどんデビューしていく。日本のクラシック業界の未来も明るいと思いました。
                                                                      
一生忘れらない演奏になりました。
ブラボーでした。
                                                     
そしてラフマニノフの交響的舞曲。通称シンフォニックダンス。
ラフマニノフ生誕150周年の今年に因んで選ばれた曲ですが、素晴らしかったですねぇ。もうこの日の演奏の中でもっともボルテージMAXとなった曲です。
                                                             
この曲、もう大好きです。自分の大好物です。なんともラフマニノフらしい異国情緒溢れるメロディに、そしてなによりもカッコいいですよね。最高にイケている曲だと思います。
                                                                
第1楽章で炸裂するグランカッサとともにオケ自体がドスンドスンと落とし込む箇所、オーディオ再生的にもかなり興奮して美味しい箇所でしてこの部分は何回聴いてもすごい快感、興奮するものです。生演奏でじかにこの箇所を聴いたのは何年振りでしょう?
                                                                     
数年前にポリヒムニアのRCO Liveでヤンソンス&RCOでこのシンフォニックダンスのSACDが出て、自分の愛聴盤でした。この第1楽章のドスンドスンの箇所を何回も繰り返して聴いていました。
                                                              
尾高&札響が披露するラフマニノフの交響的舞曲は、まさに抜群のオーケストレーションとアンサンブル能力を自分にこれでもか、これでもか、と魅せつけるような迫力があり、自分はもう正直ノックダウン寸前という感じで相当興奮していました。
                                                                        
この曲が大好きということもあるし、それ以上に初めて聴く札響のパフォーマンスの素晴らしさにひたすら驚くしかなかったです。
                                                                           
失神寸前だったと言っていいです。
                                                                            
なかなか首都圏でもこれだけの出色のコンサートに出会えることは少ないと思います。そしてなによりも終演後しみじみ思ったのは、プログラムが商業的に感じなく、かなり聴きごたえがあって渋くていいプログラムだったなぁと感心したことです。
                                                                             
こういうクオリティの高い公演を聴けるというのは、北海道のクラシックファンにとって大変恵まれたことなのではないかと思った次第です。
                                                                               
一生の記憶に残るいい演奏会でした。
                                                                        
                                                                    
330338782_5859315554117828_8401320023819728457_n.jpg
(c)札幌交響楽団 Facebook
                                                                
                                                                  
                                                                       
334852207_107580065573977_8475479493422200803_n.jpg
(c)札幌交響楽団 Facebook
                                                                     
                                                                                                                                                              
334529882_591269059540896_6340360612542584254_n.jpg
(c)札幌交響楽団 Facebook
                                                  
                                                       
2023/3/4 (土) 17:00~
札幌交響楽団 第651回定期演奏会~ラフマニノフ生誕150年記念~
札幌コンサートホールKitara
                                                      
指揮:尾高忠明
ヴァイオリン:金川真弓
管弦楽:札幌交響楽団
                                                           
前半
                                                                         
エルガー 序曲「南国にて」
プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番
                                                               
(休憩)
                                                         
後半
                                                        
ラフマニノフ 交響的舞曲








nice!(0)  コメント(0) 

エリーナ・ガランチャ リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

自分がずっと憧れてきた永遠のディーヴァ、ガランチャ様こと、エリーナ・ガランチャのリサイタルがすみだトリフォニーホールで開催された。6/28と6/29と2日間とも自分は通った。


289859623_5843556542340966_8504688663622798332_n.jpg



思えば2020年のマーラーフェスト2020でアムスから帰国したら、すぐに1週間も経たないうちに、ガランチャ・リサイタルである。うわぁ~これは大変だな~と思いながらも、まさに音楽に溢れた日々を過ごせるんだから、うれしい悲鳴じゃないのか、この幸せ者!と思っていた。


マーラーフェストといって騒いでいたときである。いったいいつのことだ?(笑)そしたら、世界中の誰もが予想もしなかったコロナ禍に突入。音楽界は地獄に落とされた。


ガランチャ・リサイタルも延期に延期で2年待った。ご本人も主催者側もよく中止にしないでくれたものである。主催プロモーターはテート・コーポレーション。


そしてようやくその日が来たのである。自分の中でいろいろ想うところが多かった。


89254738_10156922690801127_5743894682472022016_o[1].jpg


エリーナ・ガランチャ。


ラトビアの歌手である。自分は2010年の米METのカルメンでその衝撃ともいえるセンセーショナルな旋風を巻き起こしたときをきっかけにファンになり、ずっと注目してきた。


その年だったか、年末のベルリンフィルのジルベスターコンサートでラトル指揮でソリストとして歌ったのもとても印象的ですっかり彼女の虜になってしまった。NHKで放映されたその録画を何回も何回も擦り切れるほど繰り返して観た。当時の自分にとってガランチャといえば、カルメンだったので、もちろんそのジルベスターでカルメンを歌ってくれたときは、この上ない幸せだった。


2013年にザルツブルク音楽祭を訪問できたときも、祝祭大劇場でのムーティ&ウィーンフィルのオーケストラ・コンサートでヴェルディのレクイエムのときも、独唱ソリストで登場していた。自分がガランチャの実演に初めて接した体験はこのときだと思う。


なにせ、ヴェルレクであのような曲だから、ソリストが活躍するシーンも短く、あっという間だった。でも将来、オペラやリサイタルをじっくり体験したいと思っていた。


そのときはすぐにでもそれが実現できそうな気がしていた。


あれから10年、まさかこんなにインターバルが空くとは思ってもいなかった。


ガランチャが日本に初来日したのは、2003年の新国立のホフマン物語のときだそうである。ガランチャが世界的なスター街道を一気にかけ上がっていたのが、2003年ザルツブルク音楽祭でニコラウス・アーノンクール指揮によるモーツァルト「皇帝ティートの慈悲」のプロダクションでアンニオを歌ったときである。


このときからガランチャの国際的な活躍が始まった。


そんな世界スターになる前に、新国立で歌っていたんですね。自分はまったく知らなかったです。


あれから19年ぶりに日本来日。日本での初のリサイタルを開催してくれたのである。



188978691_322185302598456_8826526355432255393_n.jpg


現代オペラ界の頂点に君臨。まさに欧米の第一線で活躍しているオペラ歌手を堪能できるのである。


自分がオペラ歌手に対して、猛烈に追っ掛けしたのは、グルベローヴァさま、こと、エディタ・グルベーロヴァの来日ツアーである。でも悲しいかな、グルベローヴァさまは、もう全盛期はとっくに過ぎ、引退宣言もしてそれを撤回しての来日ツアーだから、衰えも隠せず、実演を聴いても往年の声の張りもなく悲しいところもあったが、でもやはりオペラファンにとって、グルベローヴァさまの実演に接することができただけでも大感動なのである。


一生の宝物なのである。


それに対して、ガランチャ様は、いままさに頂点なのである。歌手キャリアの中で、いまがもっとも光り輝いているときなのである。


ヨーロッパのオペラハウス、米METなどの第一線を走り抜けているそんな最高のときを堪能できるのである。これほど至宝の体験はないと思う。


ガランチャの実演に接するにはどうしたらいいのか。自分なりに考えていた時期がある。なにせ欧米オペラ界の一流の大スターである。


新国立のオペラでふたたび呼んでくれるだろうか?たぶん自分はそれはないだろうと思っていた。


新国のオペラというのは、やはり年間の予算というのが決まっていて、1つのプロダクションにかけられる予算もさらに限られてくる。舞台芸術の舞台装置から、歌手、合唱のギャラに至るまで。だから選出される歌手は、新人とか、これから世界に羽ばたいていきそうな新しい人材を選ぶ傾向にあって、出演ギャラもそんなに高騰ししていない頃の人材を選ぶものである。


そういう海外の若手歌手と日本の二期会の日本人歌手と和洋折衷的な感じで組むのが新国オペラだと推測するのである。


そんな中で、ガランチャのような第一線の歌手を呼ぶことってあるのかな?と思ったりした。やはりギャラ的に難しいのではないかと自分で勝手に思っていた。


そうしたら、もう彼女を聴きたいのなら、もう自分からヨーロッパに行かないとダメなんだろう。こちらから現地に赴かないと聴けない歌手なんだろうという結論に達した。


日本で実演に接するには、リサイタルというスタイルが一番近道なのだろう。


でも基本は自分がお金をかけて、ヨーロッパや米国に出向く。そういう歌手なんだ。夢はとりどめもなく高いな、と挫折しかけたこともあった。


283914572_587041579446159_7155408153055115597_n.jpg


彼女の声音域はメゾ・ソプラノなのだが、メッゾらしい安定感があって、ガランチャの声は本当に定位感がよく安定しているので、聴いていて気持ちがいいのである。ソプラノは本当に高音域の美しさがいいけれど、じつは高音域であるからこその線が細くて、不安定要素も大きい。それに対してメッゾは、すごく安定感があって、声の線が太いので、とても安心して聴ける良さがあるのである。


自分がガランチャが素晴らしいと思うのは、そしてオーディオで録音を聴いていて思うのは、とにかく定位がすごくいいこと。発音の音程の安定感が飛びぬけて素晴らしい。声の線は太い方だけれど、安定感抜群の美しさがあってそこに惚れているのである。


そしてそこにスタイルが抜群で、さらに美貌ときている。なんか天は二物も三物も与えた感じで、いつかじっくりリサイタルでも堪能してみたいディーヴァ(歌姫)だと思っていたのである。



オペラ歌手はその得意のレパートリーからして、ワーグナー系、ベルカント系とかに分けられる傾向があるが、彼女はとくにそのような分類はないような感じがする。でもワーグナー系ではないことは確かである。(笑)キャリアでもワーグナーの演目はやっていないようだ。


モーツァルト、ロッシーニ、ヴェルディ、R.シュトラウス、ロッシーニ、ベッリーニ、ビゼーなどなど。


所属レーベルはDG。彼女の録音はかなり買え揃えている。そのたびにいままでも自分の日記で幾度も取り上げてきた。



242052231_411805156969803_8380075716625905610_n.jpg


クラシック、オペラは自分にとって”現実逃避”。


普段の会社生活、仕事での自分の世界から、まったく異次元の夢の世界に自分を連れてってくれる。その現実社会から離れて、夢を見たいから、その稼いだお金を、みんなそこに惜しげもなくつぎ込むのだ。そのために会社で働いている、仕事をしているのだ。


それが生き甲斐なのだ。



DSC07070.JPG


DSC07080.JPG



初の単独日本リサイタル。すみだトリフォニーで、初日は3階席、2日目は1階席で聴いた。



実直な感想を述べると、実演とオーディオでそんなに差のない自分のイメージした通りの歌手だと思った。よくオーディオで録音を聴いていると、すごくいいのだけれど、じっさい実演に接してみるとガッカリする歌手は結構多いのだ。


その点、ガランチャはまったく差がなく、むしろ実演のほうが全然素晴らしい歌手であった。


あの声量感、ダイナミックレンジ、そして抜群の定位の良さ。自分が想像している以上に凄かった。


ガランチャの一番の魅力は、その完璧なまでの定位の良さ、音程の安定感だと思っているのだが、それ以上に驚いたのが、声量である。とくに強唱のときのあの声量は凄すぎる!!!(滝汗)


これは実演に接して初めてわかることだと思う。オーディオで録音を聴いているだけでは、絶対わからないと思う。


強唱のときでも、けっしてサチらない(飽和しない)。要はいっぱいいっぱいな感じではなく、器の容量が大きく、その大きな容量の中で十分にコントロールされている強唱なのである。


それでいてあの声量感。これは恐れ入りました。凄すぎる・・・、と冷や汗だった。


初日の3階席で聴いているとき、視界的には本当に豆粒くらいにしか見えないのに、発せられる声量はすごいのである。2000~3000人は収容すると思われるホールの隅々まで響き渡るのである。もちろんマイクなんてなく地声ですよ。オペラ歌手って本当に凄いな、と思ってしまう。


その圧倒的な声量、D-Rangeにもう驚愕されっぱなしであっという間の2時間だったと思う。


もうひとつ凄いと思うのは、歌い始めた最初からエンジン全開、絶好調なのである。ふつう歌もの、歌手のコンサートというのは、最初は喉が温まっていないせいもあって、歌い始めはかなり不安定なものである。聴いている側は、ちょっとちょっと大丈夫?と心配するくらい不安定なもので、これが中盤から終盤にかけて、喉が温まってきて、ラストは最高潮に感動・・・こういうパターンである。


自分がいままで経験してきた90%以上はこのパターンである。生身の人間が楽器のコンサートなんだから、それも仕方がないことと思っていたところもある。


でもガランチャは、もう最初の1曲目から、まさに絶好調、最高潮のボルテージ、テンションなのである。(笑)これは驚くしかなかった。


259971492_465826164901035_4355515234854787690_n.jpg


260091954_465826161567702_2828268464087208792_n.jpg


演目は、ブラームスに始まり、ベルリオーズ、ドビュッシー、サン・サーンス、グノー、チャイコフスキーなどすごい多岐に渡り、熟慮を重ねたよく練られた構成の曲のように思えた。



自分があまり聴いたことのないような曲が多かった。でもカルメンのハバネラを聴けたときは、もうこれで十分だなと思った。


まさかガランチャ様のカルメンのハバネラを、こうやって生で聴けるなんて!自分の目、耳でじかに体験できたなんて、ファン冥利につきるのではないだろうか。これ以上の幸せはない。


2日目は、1階席の真ん中なので、ステージ上での表情や演技もよく拝見できた。


1曲1曲、とても表現豊かで演技が入っているのが素晴らしい。歌ってよし、美人で、愛嬌もある。


驚いたのはアンコールである。第1部(前半)と第2部(後半)は比較的に真面目に進行していくのだが、アンコールが大変な盛り上がりだった。最初、我々は3曲くらいやって終わるのだろう、と思っていたのだが、初日で6曲、2日目で7曲の大サービスだったのだ。


3曲目以降になると、さすがに聴衆もみんなびっくりですごいどよめき(^^;;と大歓声である。1曲ごとにガランチャの流暢な英語でコメントを発しながら進んでいくのだが、もう聴衆はアンコール後半になるにつれて、狂喜乱舞である。ガランチャ自体、すごい陽気で明るいキャラなので、そのノリもあって、すごい盛り上がりだった。


もうこれはアンコールではない。列記とした第3部なのである。この第3部アンコール編でコンサートは一気に頂点に達した。


これはあとで自分が思ったことなのだけど、これは彼女の計算のうちなんじゃないかな、と思うのだ。第1部、第2部とうって変わって、観客から大歓声と大拍手でどんどん乗っていく、彼女は完璧なまでのエンタティーナー、ショーマンなのだと思う。


圧倒的な歌唱力で、すごい馬力でどんどん進んでいくと思えば、根っから陽気で愛嬌がある。明日もあるのに、アンコール6曲、7曲も平気でどんどん歌って頂点に誘っていく。


女性なんだけど、


鉄人・・・


思わずそんなイメージを頭を過るそんなすごいパワーを感じるオペラ歌手でした。



最後に、ガランチャの実演に接して思ったこと。


我々アジア系の人種で、このように同じ世界観を表現できるのか。自分は正直なところ、かなりジェラシー、嫉妬のようなものを感じた。


クラシックは西洋人の音楽。そこに我々は根本的なコンプレックスがある。小澤征爾さんも、自分はモルモット。西洋人のものであるクラシックの世界に東洋人の自分がどこまでできるのか、だと仰っていたのは有名な話だ。


それもずいぶん昔の話。いまでは日本人演奏家、日本人歌手の実力も軒並みレベルが上がってきてそういうことをまったくといっていいほど意識しなくなった。


現に聴衆である自分も、コロナ禍になる2020年前までは、まったく外来オケ、外国人歌手と日本オケ、日本アーティストなどの差なんかまったく意識したことなく楽しんでいた。そんなこと思ったこともなかった。



コロナ禍になって、海外のオーケストラや海外アーティストの来日がまったくなくなって、そういうブランクがあって2年ぶりにひさしぶりに体験して、なんかそんな微妙ななんともいえない嫉妬を感じたのだった。




エリーナ・ガランチャ リサイタル2022


2022年6月28日(火)・29日(水)

すみだトリフォニーホール


第一部


ブラームス(1833-97)


「愛のまこと」Liebestreu Op.3-1

「秘めごと」Geheimnis Op.71-3

「僕らはそぞろ歩いた」Wie wandelten Op.96-2

「ああ、帰り道がわかるなら」O wusst ich doch Op.63-8

「昔の恋」Alte Liebe Op.72-1

「五月の夜」Die Mainacht Op.43-2

「永遠の愛について」Von ewiger Liebe Op.43-1


ベルリオーズ(1803-69) 劇的物語「ファウストの劫罰」より「燃える恋の思いに」


ドビュッシー(1862-1918)「月の光」


サン・サーンス(1835-1921)歌劇<サムソンとデリラ>より「あなたの声で心を開く」


グノー(1818-93) 歌劇<サバの女王>より「身分がなくても偉大な方」


休憩(Intermission)


第二部


チャイコフスキー(1840-1893)歌劇<オルレアンの少女>より「さようなら、故郷の丘」


ラフマニノフ(1873-1943)

「信じないでほしい、恋人よ」

「夢」

「おお、悲しまないで」

「春のせせらぎ」


アルベニス(1860-1909) タンゴ ニ長調


バルビエリ(1823-1894) サルスエラ<ラバビエスの小理髪師>から「パロマの歌」


ルペルト・チャピ(1851-1909) サルスエラ<エル・バルキレロ>より「とても深いとき」


サルスエラ<セベデオの娘たち>より「とらわれし人の歌(私が愛を捧げたあの人のことを思うたび)」







nice!(0)  コメント(0) 

別府アルゲリッチ音楽祭 [国内クラシックコンサート・レビュー]

クラシック音楽界のスーパースター、マルタ・アルゲリッチは日本に初めて降り立った日から51年、大分県別府との出会いから28年。日本で初めて自らの名前を冠した音楽祭は、「別府の奇跡」と世界を驚かせた。



なぜ東京ではなく別府なのか。


クラシックファン、アルゲリッチファンとしては、ずっと遠い別府で開かれるこの音楽祭に憧憬の念を抱きながら過ごしてきた。


この音楽祭が東京公演と称して、東京オペラシティで開催されるようになったのもそんなに遠い昔のことではないのではないだろうか。


自分は、いまから何年前だったか覚えていないけれど、その東京公演をやるというその記念の年にかけつけた覚えがある。東京オペラシティ。


アルゲリッチも自分もこれからは一期一会。アルゲリッチの公演にはできる限り足を運ぼうと決意している。


自分のクラシック鑑賞人生の中で、唯一悔いが残るのは、自分の日記できちんと”別府アルゲリッチ音楽祭”のことを語っていないことだ。


これはダメだろう。自分にとって絶対避けては通れないことなので、今年の音楽祭に通って華々しくぶち上げたいと考えていた。じつはそう思ったのは去年で、無念にもコロナ禍で中止。そして今年もチケットが取れず、奇跡的にギリギリのところで救済できてなんとか確保したという次第である。やっぱり波乱の運命だな、と思う。


別府アルゲリッチ音楽祭について、私の日記でぜひ語らせていただきたいのと、この音楽祭の末長い繁栄をお祈りするばかりです。


別府アルゲリッチ音楽祭の公式HP



このHPの記載から抜粋して紹介させていただきたいと思います。もちろん自分のために書きます。自分の勉強のため、この音楽祭の歴史を学ぶために書きます。



なぜ東京ではなく別府なのか。


アルゲリッチと別府のものがたりは1994年に始まる。


記者会見など滅多に応じないクラシック音楽界の頂点にあるピアニストアルゲリッチが、ジャーナリスト達の素朴な質問に答えた印象的なシーンがあった。



「日本であれば東京だと思いますが、なぜ別府なのですか?」

「それはキョウコがいるからです。」


story2.jpg

キョウコとは日本人ピアニスト伊藤京子さんのことである。アルゲリッチは1977年ミュンヘンで伊藤さんと出会った。二人の親交は続き、この別府へと奇跡をもたらすこととなったのである。


当時の別府市には別府コンベンションプラザの建設が進んでいた。別府のこの施設から世界発信を願っていた別府市中村太郎市長は、両親が別府へ移住した伊藤の噂を聞き、この役割を伊藤に託したのである。


伊藤さんは市長に尋ねました。「本気で世界へ発信を考えているのですか?」と。市長の国際的な催事を本気で考えていきたい、という返事を受けて伊藤は真に世界へ通用する人材が必要だと考えました。


偶然にもその時、伊藤さんはアルゲリッチと共に聴衆と一緒に演奏家が育っていけるような音楽会を企画していました。伊藤さんの知人であった馬場財団の支援を受けて「アルゲリッチ・チェンバーミュージック・フェスティバル」を東京はじめ地方公演を行いました。長年サロンコンサートをシリーズで続けていたNHK大分放送局の要望もあり、その公演の一つに大分市も入っていたのである。


この公演の時に中村市長が直接アルゲリッチに委嘱をすることになったのだが、これだけのスターピアニストであり多忙を極めており、芸術家の中の芸術家であるアルゲリッチがまさか受諾するわけがない、と考えていました。


しかし大半の予測を覆してアルゲリッチは快諾したのです。


「別府の奇跡」はこうして始まったのです。



「出会い」から生まれたアルゲリッチとの奇跡は、本格的な音楽祭を前に地元の人々にその意図を伝えることから始めました。


そのために、プレコンサートとして1995年から1997年までの3年間の時間を持ちました。


'95年の第1弾、世界を驚かせたアルゲリッチの10年ぶりのピアノリサイタル!


story3.jpg

以後、小澤征爾、ギドン・クレーメルなどアルゲリッチの推薦する世界のトップ・アーティスト、アジアの演奏家たちによるコンサートを毎年ビーコンプラザで開催。回を追うごとに、地元の人々の間にも少しずつ理解が深まり、ボランティア活動に協力する人たちも増えてきました。



そして満を持して1998年11月アルゲリッチの世界初の音楽祭が開始されました。


音楽祭の正式名称「Argerich's Meeting Point(R) in Beppu」~アルゲリッチの出会いの場~にはアルゲリッチと伊藤京子さんの“人が出会うことで多くのことが変わり、未来が開ける、幸せな出会いを多くの人々へ“という深い思いが込められています。


音楽が社会にできることを心に刻み、この名称に込められた思いと共に音楽祭はスタートしたのです。[日本語名通称:別府アルゲリッチ音楽祭]



・・・そうだったのか~~~。


この音楽祭はアルゲリッチと伊藤京子さんの関係で持っているということはよく理解していた。でもここまでも大きな音楽祭に育っていくには、スポンサー、大分県、そして財団など大きな力が必要で、並々ならぬ努力のたまものだったということがうかがえる。


1995年のアルゲリッチのソロ・リサイタルって、じつはすごいことなんですよ!クラシックファンであれば、よくご存じだと思いますが、アルゲリッチはコンサートでは決してソロをやらない、1人では演奏をしない人なのです。必ず気の合った室内楽メンバーと小編成、あるいはオーケストラとのコンチェルトでやります。


だからソロ・コンサートをやるということは、それだけ別府、伊藤京子さんへの信頼が厚い証だったと言えると思います。


2007年3月より財団法人アルゲリッチ芸術振興財団(総裁:マルタ・アルゲリッチ、理事長:大分県知事)がこの音楽祭の企画・運営を行っているとのことである。


会場は、大分県別府市のビーコンプラザ、iichiko 総合文化センターなどでおこなわれるが、特筆なのは、2015年春にオープンになった世界で唯一の”しいきアルゲリッチハウス”である。


ふたたび起きた別府の奇跡と言われている。


sc_img3.jpg


素晴らしい音楽の時を与えてくれるアルゲリッチへ、アルゲリッチ芸術振興財団の名誉理事 椎木正和氏から尊敬と親愛の証しとしてこのハウスが贈られることになったのです。アルゲリッチ専用のピアノ「マルティータ」とともに永く音楽を届けて欲しいという願いも込められ、素晴らしい音響を持つ「サロン」から、これからも歴史に残るアルゲリッチの名演を皆さまへお届けします。


このようにアルゲリッチの名を冠したサロン、ホールはもちろん世界唯一であろう。きっと音響も素晴らしいに違いない。


このしいきアルゲリッチハウスのレジデンス・アーティストとして竹澤恭子さん、川本嘉子さん、小菅優さんが選ばれ活躍している。


大分県別府市にとって、アルゲリッチは、まさに街起こし的な大切な至宝であり、これからも大切な関係を続けていきたいという真摯な気持ちがよく伝わってくる。


そんなアルゲリッチに対する熱い想いで驚いたのが去年2021年に制定された”マルタ・アルゲリッチの日”の制定である。これには自分は心底驚いてしまった。(笑)もうここまで大切に思われたら、同じ人間としてこれ以上の幸せな気持ちはないだろう、と思うのである。


大分県では、アルゲリッチ芸術振興財団総裁 マルタ・アルゲリッチの大分県をはじめ日本、そして世界各国での歴史的な功績を称え、2021年6月5日アルゲリッチ総裁の80歳の誕生日を祝し、6月5日を「マルタ・アルゲリッチの日」として制定しました。


私たちアルゲリッチ芸術振興財団は、大分県とともに、地方から世界に向けた音楽祭を通じて、芸術の役割や寛容と共生の精神を世界に発信していきたいと考えています。そして、誰もが安心できる安寧な社会の実現に向けて努力するとともに、この精神を未来に伝えてまいります。



アルゲリッチと大分のつながりは、公式HPのぜひこのページを読んでほしいと思います。



photo_image01.jpg


photo_image02.jpg


photo_image07.jpg


photo_image08.jpg


自分は圧倒されてしまいました。ここまで深くは知らなかったので、大分県とアルゲリッチの歩んできた28年、お互いがとても大切なパートナー関係だということがよく理解できました。この日記を書くまでまったく知らなかったです。これを機会に大分県とアルゲリッチの深い絆についてみなさんの知ることとなれば幸いと思います。


自分はこのことを知って思うのだが、自分の場合、ある意味28年経過してできた成果物、結果を紹介しているに過ぎない訳じゃないですか?ある意味トンビに油揚げ的な感じで、出来上がったものを紹介しているに過ぎない。


でも、いままで紹介してきたことを、なにもないところから始めて28年かけて、ここまで育て上げてきた、いわゆる主催者側のご苦労の賜物と考えると、本当に頭が下がる思いでもある。


別府アルゲリッチ音楽祭でもうひとつ重要なのが、ピノキオコンサート、ピノキオ基金である。



マルタ・アルゲリッチと伊藤京子が「育む」のコンセプトのもと、「子どものための無料コンサート」を1998年第1回音楽祭から実施。2007年3月、財団法人設立を機に、子どもたちを良質なコンサートへ招待する「おたまじゃくし基金」(2000年設立)と「子どものための無料コンサート」を統合し、新しく「ピノキオコンサート」と名付け、大人と子どものためのコンサートとした。


2015年第17回別府アルゲリッチ音楽祭にて、ピノキオコンサートの活動にご賛同いただいたArgerich's Friendsを中心とした音楽家や日本生命保険相互会社のご協力を得て、同年5月18日に「日本生命presents ピノキオコンサート支援チャリティin東京」を開催し、コンサートの収益金を全てピノキオ基金に充当しました。


この基金を活用し、しいきアルゲリッチハウスや県外でのピノキオコンサートを開催し、さらなるピノキオコンサートの充実を目指します。



遠い別府で開催されていたアルゲリッチの音楽祭。東京でも開催されるようになって自分も縁が出てきた音楽祭。数年前に九州にオーディオオフ遠征をおこなったときに、東京への帰路で別府から飛行機を使うため、別府空港に寄ったときのこと。空港内にアルゲリッチ音楽祭の看板が立っており、あ~、いまそのシーズンなんだな~と感慨深げに思ったのも懐かしい想い出である。いつか本拠地の別府でこの音楽祭を体験してみたい夢は捨てきれていない。


そしてコロナ禍を経て、満を持して3年ぶりに開催された別府アルゲリッチ音楽祭2022。東京オペラシティにやってきました。


WSG2dm2s7Ux7F4z1652912864.jpg


275583726_489745039298105_8276016646916167998_n.jpg


もう超満員御礼です!


DSC06592.JPG


自分が最近アルゲリッチの実演に接したのは、2016年のロンドンでのBBC Promsのときと、いつか忘れたけれど、同じ東京オペラシティでの別府アルゲリッチ音楽祭であった。


シューマンのピアノ協奏曲。


DSC06579.JPG


シューマンはやはりアルゲリッチの雰囲気にとても合う曲だと思う。とてもシューマンらしい明るい長調な曲で自分は大好きである。アルゲリッチのピアノ奏法はある意味、もう自分の体の中に染みついているので、どんなにお歳を召されていてもその雰囲気はまったく変わらず、アルゲリッチらしいな~と思ってしまった。強打鍵で、なんかこうちょっと雑といおうか(笑)、いい意味で愛嬌のある即興性というか、アルゲリッチらしいのである。愛せる人だな~と心から思ってしまう。


シューマンのピアノ協奏曲は、ピアノコンチェルトの中でも優秀な佳曲である。自分にとってはマレイ・ペライア、ハイティンク&コンセルトヘボウ、そして内田光子、ラトル&ベルリンフィルなど、2010年あたりにこの曲に徹底的に嵌って、この曲を追求し尽くした経験がある。アルゲリッチの演奏は、そんな名演奏とは、ちょっとひと味もふた味も違ったような気がする。かなり違う。スピードやダイナミクスの緩急がけっこうあって、アルゲリッチ・オリジナルカラーという感じであった。


アルゲリッチの雰囲気、カラーに染まっているとてもオリジナリティのある演奏で、ちょっと自分はいままで聴いたことのない、耳慣れた演奏とはずいぶん違うな~と感じた。第1楽章のカデンツァはこの曲のカデンツァとしては自分はあまり聴いたことのないカデンツァであった。


でも終わってみれば、大好きなシューマンのピアノ協奏曲であることには間違いなかった。それを再確認できた、という感じである。


でも思うのである。自分が生まれる前から世界の第1線で活躍してきた大ピアニスト。演奏云々という次元で語ること自体が間違っていると思うのである。もういまではそういう次元で語ってはいけないピアニストなのだと思う。


アルゲリッチ&マイスキーの室内楽コンビも聴けたし、もう自分のクラシック人生で微塵の後悔もないです。


やっぱりアルゲリッチは、愛すべき人。マイスキーもそうだと思うけど、アルゲリッチ80歳越えているはずですよね。すごいもうバリバリに元気そう。(笑)50歳後半で老い発言している自分が恥ずかしくなりました。彼女を見ていて、自分は、いま人生の最高潮のところにいるんだ、まだまだ、という元気をもらったという思いです。


素晴らしかったです。



別府アルゲリッチ音楽祭2022 東京公演

日本生命 presents ピノキオ支援コンサート オーケストラ・コンサート


マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

チョン・ミン(指揮)

ミッシャ・マイスキー(チェロ)

ウィリアム・チキート(コンサートマスター)


東京音楽大学オーケストラ・アカデミー


序曲「ローマの謝肉祭」(H.ベルリオーズ)

ピアノ協奏曲 イ短調 op.54 (R.シューマン

幻想曲集 op.73(R.シューマン


~アンコール

ショパン:序奏と華麗なポロネーズ op.3

ショパン:チェロ・ソナタ ト短調 op.65から第3楽章ラルゴ


交響曲第1番 ハ短調 op.68(J.ブラームス)


~アンコール

ブラームス:交響曲第1番から第4楽章





nice!(0)  コメント(0) 

発散型と締め型 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ヤノフスキのローエングリンは凄かった。完璧なまでに叩きのめされ、圧倒されたといってよかった。正直なところ、ここまで凄いとは思っていなかった。


まさに体育会系、肉食系真っ只中のハードボイルドなワーグナーであった。自分がここ数年くすぶっていたストレスを一気にぶっ飛ばしてくれたような爽快感だ。


棒ひとつ、タクトひとつでこんなに変わるものなのか。同じN響なのに、まるで別人のような、見違えるように、オーケストレーションが素晴しくなり、その鳴りの良さ、ワーグナー音楽には必須の分厚いうねるような弦の厚み、まったく見違えるようなサウンドだった。


クラシックの世界では、オーケストラは、指揮者によって、その奏でる音楽は全然違ってくるということはよく言われていることで、誰もが知っていることだ。


これは常識なこと、とそのまま流していたところがあって、深く考察したことはあまりなかった。やはり実際のオーケストラの奏者でないと、その指揮者による音楽作りの違い、指揮者の良し悪しって体感できないものなのじゃないかな、と思っていたからだ。


聴衆の立場で、あ~だ、こ~だと能書きを垂れていても、底の浅い論法にしかならないと自分は思っていたのだ。


でも、ここまで違うところを見せつけられたら、はて?なにが違ったのだろう、そのからくり、要因などを自分なりに考えてみたくなった。


自分が置かれている立場で、自分なりに考えるのは自由である。正しい、正しくない、とかも関係ない。


277578431_5239972232691921_2238825650778134185_n.jpg


自分は、長い間、企業人なので、会社にいると、ひとつ達観した思いが頭に浮かんでくる。それは、会社にいる人間の脳の構造は、「発散型」の人と、「締め型」の人とのふたつのタイプに分かれるということだ。


発散型は、つねに新しいことにチャレンジし、思いっきり考えて、考え抜いてチャレンジしていくタイプの人。技術者、エンジニアに多い。逆に締め型というのは、全体のフレームを捉える力、大局観、構成力の備わった人である。管理職に多い。


これは別に個人がそれを意識しているのではなく、その置かれた立場で必要になるだけの話である。全体のことを考えるのは、なかなか大変なことだ。あまりそのようなことに捉われずに、のびのび自由に発想する。過去の慣わしなどに捉われず、自由に考えるだけ、考える。そうすると新しい発見や可能性も見えてくる。若いということはそういうことだ。


「発散型」の思考の特徴は、ストレスがない、ということである。なにかの足かせや制限がなく、枠を意識せず、自由にのびのび考えるので、ストレスがない。ある意味気持ちよさみたいなものがある。


それに対して、「締め型」というのは、つねにそれがもたらす結果の是否についてジャッジしないといけない立場で、採算が取れているのか、取れていないのか、対費用効果などをつねに考察していかないといけない。いくら自由にのびのび考えていても、結果が伴わってなかったら、会社は倒産してしまうからだ。結果ありきである。よってつねにその結果を検証するステップを入れる。これは管理職はもとより、一番の頂点は会社の経営者でもある。


脳の使い方として、なにか、こうぎゅっと締めるという感じで、発散型のまったく逆である。脳をぎゅっと締める感じだと、これは正直気持ち良くない。ストレスを感じるものである。


なんかこうぎゅっと締まった感覚を持つのは、やはり大局観をもってものごとを見ていかないといけないこと、ものごとを構成していく構成力の才能が必要だから感じる感覚なのだと思うのである。


会社にいる人間は、大別して、この「発散型」と「締め型」の2タイプに大別できるのではないか、と自分は思うのだ。


自分はこの歳になって、絶対このふたつのタイプに大別されるよなぁ~と思うようになり、このふたつのタイプがいるからこそ、会社って廻っているんじゃないかな、とも思うようになった。


たとえば締め型のタイプしかいない場合、脳の使い方がつねに締め型の人は、新しい発想をどんどんチャレンジしていくということが苦手のような気がする。新しい可能性が開くことが少ないように思ってしまう。会社に締め型の人しかいなくなっても、それはまたそれで困るものなのである。


自分はどうか、というと、若いとき、前職時代の技術者時代は、完璧な発散型であったが、いまの会社になって管理業務になったおかげで、いまは締め型のタイプなのではないかな、と思います。


最近、自分が思うことは、会社人間として、発散型と締め型の両方の才能がある人、フレキシブルに両方使えるような人間になるのが1番理想だな~と思うことである。


でも人間ってそんな器用なものではなく、発散型と締め型の両方を使い分けるというのは、かなり無理な話ではないか、と思うのである。本能的に無理。その人の性格によって、必ずどちらか一方だと思います。


277565126_5239974736025004_7474568137662227912_n.jpg


なぜ、ヤノフスキが振るとN響は見違えるようなサウンドになったのか。


それは、ヤノフスキ自身が偉大なる締め型の脳の使い方をする人で、その大局観、構成力に長けた人だからである。自分がどういう音楽を作りたいのか、それがワーグナーのオペラであるならば、それぞれの楽劇について、どういう音楽像を持っているか、そういう明快なビジョンを自分の中に持っている人だからではないかと思うのだ。


棒に迷いがないのである。


ローエングリンであれば、どういう音楽像にしていきたいか、という明確なイメージが自分の中にあって、本番当日までにそこに焦点が合うように、N響を持っていくのだと思う。


N響の団員メンバーは、いわゆる発散型の思考の人たちである。自分のベストを尽くして考えに考え抜いてベストな演奏をする。


それをヤノフスキが大きなフレーム枠で見ていて、大局観と構成力でひとつの大きな作品に仕上げていく。そういう自分のイメージしている音楽像に合うように矯正していく、そういう締め型の脳の使い方の優れている人なのだろう、と思うのである。


ある意味、指揮者ってみんなそのような才能が必要なわけで、とりたてて、目新しいことでもないけれど、オーケストラから素晴らしいサウンド、音楽を誘える、誘えないの差は、その締め型の脳の使い方に差があるのではないか、と新しい説を唱えてみたい。(笑)


指揮者による差ってなんなのか、素晴らしい指揮者ほど、自分の中にその楽曲に対する明確なビジョン、音楽像、イメージ像をきちんと持っていて、棒に迷いがないのだ。


どういう音楽を奏でたいのか、どういうサウンドを出したいのか、明確なビジョンが自分の中にあるから、楽団員に対しても、説得力があって、どうどうと説明できるのだ。それは楽譜をどこまで深く読み込み、自分の解釈とするか、にも起因しますね。


楽団員たちも、そういう姿勢を見せられたら、そしてそれが揺るぎのない堂々とした態度で、そして実際の音としても正解の世界であるならば、大きな信頼感を寄せ、この人についていこうと思うはずだ。


指揮者とオーケストラの間の絶大なる信頼感ってそこなんじゃないかな、と思ったりする。あくまで聴衆の立場で言ってますが。(笑)


ヤノフスキの造る音楽は、非常に引き締まった音造りをする人で、テンポもものすごい快速テンポで速い。速すぎる、という評価も多いくらいだ。とにかく硬質なサウンド造りで、きびきびしていて、聴いていてとても気持ちよく快感なのである。


2014年~2017年に至る東京・春・音楽祭でのワーグナー・リング4部作での共演。そして度重なるN響定期公演での共演で、ヤノフスキとN響の間には、もう絶大なる信頼関係が築かれているのだと想像する。


ヤノフスキがどのような音作りをしたいのか、N響のメンバーはもうよくわかっているのである。そんなお互いあ・うんの呼吸で、マエストロが指揮台に立てば、もう必然とそのようなサウンドにN響自身がそうなってしまうのではないだろうか。


今回のローエングリンは、83歳のマエストロ・ヤノフスキのワーグナー観を十分見せつけられたような満足感があり、まさに体育会系、肉食系真っ只中の重厚なワーグナーであった。


もうこうなれば、今後の将来の東京・春・音楽祭のワーグナーシリーズのマエストロは、ずっとヤノフスキにしてほしい、と思ったりもするが、それはやはりバランスというのも考慮が必要で無理なんだろうな。


そう思わせるくらい素晴らしい公演であった。


最後に歌手陣について簡単に感想を述べさせてもらいたい。


277355203_5239972966025181_5683707622832520136_n.jpg


今年は歌手陣もすごく充実していた。もうびっくりである。水準、レベルがかなり高かったと思う。特に自分的に素晴らしいと絶賛だったのが、エルザ役のヨハンニ・フォン・オオストラム。


確かにプロフィールではすごい経歴なので、すごい歌手なのだろうとは思ったが、ここまで素晴らしいとは夢にも思わなかった。まず容姿がとても素敵で、声もじつに素晴らしい。エルザというお姫様の役にピッタリなのである。清楚な感じがして、自分はひさしぶりに体験するドキドキ感。こんなにときめいた歌手はひさしぶりである。


声も、じつにいい声をしていて、声量もあるし、声の質感も明るい柔らかい美声である。絶唱でも絶対にクリップしない喉の広さがある。


かなり素晴らしいソプラノ歌手ではないだろうか。自分はひとめぼれで、ゾッコンという感じになってしまった。


まったく知らない歌手なので、本当に想定外で驚いてしまった。自分はずっとエルザばかり注視していたかもしれない。(笑)


ちょっともう一度どういう歌手なのか、そして出演作のオペラ映像作品などをサーベイしてみて、いろいろ観てハマってみたい歌手である。


ブラボーである。



ローエングリン役のヴィンセント・ヴォルフシュタイナーも素晴らしかった。白鳥の王子様というには、ちょっと体格的に貫禄ありすぎるが(笑)、声はその体格にあったパンチのある圧のあるじつにいい声で、声量も素晴らしく、フォークトとはまた違った魅力があって、素晴らしいローエングリンだったと思う。


オルトルートは、本来であれば、ロシア人歌手のエレーナ・ツィトコーワであったが、おそらく昨今のロシア~ウクライナ紛争で来日が叶わなくなってしまった。11年前のサイトウ・キネン・フェスティバル松本の青ひげ公の城でユディットを演じていた歌手で、11年ぶりの再会でとても楽しみにしていたのだけれど、本当に残念でした。


ところがどっこいである。ピンチヒッターのアンナ・マリア・キウリが、これまた素晴らしい歌手であった。まさに声量のお化けともいえるくらいの素晴らしい声で、オルトルートのあのドロドロした悪のイメージをものの見事に演じていた。第2幕のオルトルートの大活躍するアリアでは、まさに圧倒されました。ブラボーである。


ワーグナー歌手というのは、本当に層が厚いなと思いました。主催者側としては、もしものときに、サブは常に考えておくべきであるが、本当に素晴らしくてよかった。


テルラムントのエギルス・シリンスと、ハインリヒ王のタレク・ナズミの2人もじつに安定した低音の魅力。ある意味一番安定していた歌手だったかも。やはり男声の低音はいい!


大槻孝志さんらのブラバントの貴族、斉藤園子さんらの小姓も素晴らしい。しっかりと目、耳に焼き付けておりました。ブラボーです。


最後に東京オペラシンガーズ。もうこれは最高でしたね。もう毎回のことですが。彼らはなんでこんなに素晴らしいのだろう。合唱のあの人間の声の和声の美しさ、声の厚みの美しさは、筆舌に尽くしがたい美しさでした。第2幕のエルザの大聖堂への行列は、え~ちゃんと泣きました。(笑)ハンカチとティッシュは大活躍しましたよ。



とにかく、ヤノフスキ&N響のぐいぐいと推進力あるオーケストレーション、歌手、合唱とまさに大スペクトラルの異次元の空間であった。ここ数年間の中では最高のできだと思いました。


277675855_5239974732691671_2800727961789185620_n.jpg


東京・春・音楽祭2022 

東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.13

《ローエングリン》(演奏会形式/字幕付)

東京春祭 ワーグナー・シリーズ


2022年3月30日 (水) 17:00開演(16:00開場)

東京文化会館 大ホール


出演


指揮:マレク・ヤノフスキ

ローエングリン(テノール):ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー

エルザ(ソプラノ):ヨハンニ・フォン・オオストラム※1

テルラムント(バス・バリトン):エギルス・シリンス

オルトルート(メゾ・ソプラノ):アンナ・マリア・キウリ※2

ハインリヒ王(バス):タレク・ナズミ

王の伝令(バリトン):リヴュー・ホレンダー

ブラバントの貴族:大槻孝志、髙梨英次郎、後藤春馬、狩野賢一

小姓:斉藤園子、藤井玲南、郷家暁子、小林紗季子

管弦楽:NHK交響楽団

合唱:東京オペラシンガーズ

合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩

音楽コーチ:トーマス・ラウスマン

字幕:広瀬大介





nice!(0)  コメント(0) 

人生まだこれから輝くに違いない [国内クラシックコンサート・レビュー]

今年も東京・春・音楽祭にやってきた。小澤征爾さんの「エフゲニー・オーネギン」をやっていた東京オペラの森の頃からだから、東京春祭の時代の歩みとともに自分もお付き合いしてきた自負がある。


この春の季節になると、東京文化会館にピンクの意匠が並び、そして上野駅の駅ナカのたいめいけんのオムハヤシを食べることで、春の訪れを肌に感じるのである。


東京文化会館.jpg


25940505_2559650173_144large.jpg


今年は川本嘉子さんのブラームス室内楽からスタートである。このシリーズが開催されたのは2014年からのスタートであろうか。今年で9年目である。自分は2015年から通い始めているので、まさに8年間の皆勤賞である。


本当にしみじみ感慨深いものがある。よく通ったなぁという。こういう想いは、短期間じゃ無理である。1年1年の地道な積み重ねがないと、成り立たない気持ちなのである。


最初の頃は、川本嘉子さんに近い小澤さんのメンバーで編成することが多かったが、年々年を重ねるごとに、バラエティに富んできて、新しい交流がどんどん生まれ新鮮で多彩なメンバーで彩られるようになってきた。


1年1年、よく記憶に刻み込まれて、昨日のごとくよく覚えている。


25940505_2559650390_203large.jpg


9年間、同僚世代とは、一緒に競い歩むように、大先輩には、尊敬と敬う気持ちで接し、若い世代には大きく暖かく受け入れる。この9年間、様々な世代のゲストを受け入れつつ、このシリーズを育んできた川本嘉子さんは、いま、ひと回りもふた回りも器の大きい演奏家になられたのではないのだろうか。


9年間の歴史とともに、今日の公演を聴きながら、いままでの想い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡りながら、自分はまさにそんなことを考えていた。


今年は、”若い”世代である。いま新進気鋭の若者、これからの日本のクラシック音楽界を背負って立っていくであろう若い世代の音楽家に囲まれていた。


辻彩奈、川本嘉子、向山佳絵子、佐野央子、上野星矢、荒木奏美、三界秀美、皆神陽太、福川伸陽、阪田知樹。まさにフレッシュで、眩しかった。


若い世代は、観ていて、聴いていて、とても将来の見通しが明るい気持ちになる。フレッシュなブラームスである。


ブラームス・セレナード第1番とブラームス・ピアノ四重奏曲 第3番。どちらも素晴らしかった!


このブラームス室内楽は、主に弦楽器中心に構成されることが多くて、あってもピアノ。木管や金管の管楽器が構成に入るのはとても珍しい。自分は過去にあまり記憶にない。


ブラームス・セレナード第1番は、そんな管楽器がとても大活躍する素晴らしい曲だった。オーボエが、クラリネットが、ホルンが・・・これに様々な弦楽器が加わり、九重奏なのである。自分には未体験な音のパラダイムにとても幸せな気分になった。それでいて、あのブラームス特有の旋律を奏でる。こういう弦楽器、管楽器含んだある意味小編成のオーケストラともいえる新しいブラームス室内楽のスタイルだな、と感じた。聴いていて楽しかった。


後半のブラームス・ピアノ四重奏曲 第3番は、従来のスタイルを踏襲した伝統的なアプローチだと思った。自分が9年間聴いてきた伝統の演奏形式のスタイル。ブラームスのあの美しさ満載で、圧巻だった。


ブラームスの美しさは、わかる人にはわかってもらえるんですよ。自分も9年間通いつめて、このブラームス美学というのを、ここでずいぶんと勉強させてもらったと思う。


まさに終演後、ブラボーであった。


今年の東京・春・音楽祭のブラームス室内楽も素晴らしい感動で終えることができた。音楽の神様に感謝である。


25940505_2559650708_82large.jpg


25940505_2559650881_199large.jpg


9年間、同僚世代とは、一緒に競い歩むように、大先輩には、尊敬と敬う気持ちで接し、若い世代には大きく暖かく受け入れる。いま若い世代の音楽家に囲まれて、先導して頑張っている川本さんを拝見していて、自分に期するところがあった。


それは自分も50歳代後半に差し掛かり、最近老け込み発言が多くなってきたが、今の年齢は、男にとって一番働き盛りで、油の乗っている時期なのではないか。仕事、プライベートと人生、自分なりに頑張ってきたと思う。後の世代に伝えること、そしてまだまだ老け込む年齢じゃないと思い直した。


世代的に近い(失礼)川本さんが頑張っている姿を見て、奮起したのだった。


自分はいまの年齢に自分の人生もそろそろ終わり。活躍はもう終わりであとは隠居老人の世界が待っているのかななんて漠然と考えていたことがあった。そこには未来を見通せないなんともいえない閉塞感が漂っていた。


自分なりに一緒懸命生きてきて、公私ともに、世界が大きく広がってきた。いまの年齢が一番世の中のことがわかってきて、いざとなれば実行に移すことも可能な年代。50歳代後半は、男にとってまだまだ華の時代なのだ。


次の世代に伝えること。少しでも自分の体験談がお役に立てれば、といつも思いながら書いているのだが、あまり役に立ってないか?(笑)


歳をとっていくと、人間ってどうしても自分の考えに固執していく傾向にあって、それだと、そのうち誰にも相手にされない頑固爺になってしまいます。(笑)


門戸を広げて大きく包み込む、受け入れることも肝要であると思う。


そんな寄る年波に陰鬱となっていた昨今であったが、男にとって、いまの年齢こそがまさに働き盛りで、輝いているときではないか、と一瞬でも思ったのだ。


具体的な実現の保証はまったくないけれど、気持ちだけでも一瞬でもそう思えたのは、とても有意義だったのではないか、と思う。


コンサートに行く前は、まったくそんなことはこれっぽっちも考えたことはなく、演奏中にまさか自分の年相応の振舞や心構えについていろいろ考えさせられることになろうとは思ってもいなかった。


まったくの想定外のできごとであった。


25940505_2559655004_186large.jpg


(C)東京・春・音楽祭 Twitter


終演後の記念撮影。鈴木会長も入ったレアなショットとなった。ご覧のように今年は”若い”がアピールであった。




東京・春・音楽祭2022 ブラームス室内楽

2022年3月26日(日)15:00開演。

東京文化会館小ホール


ブラームス(B.オスグッド編):セレナード第1番 ニ長調 op.11(九重奏編)

ブラームス:ピアノ四重奏曲 第3番 ハ短調 op.60


ヴァイオリン:辻彩奈

ヴィオラ:川本嘉子

チェロ:向山佳絵子

コントラバス:佐野央子

フルート:上野星矢

オーボエ:荒木奏美

クラリネット:三界秀美

ファゴット:皆神陽太

ホルン:福川伸陽

ピアノ:阪田知樹








nice!(0)  コメント(0) 

国際音楽祭NIPPON [国内クラシックコンサート・レビュー]

「長く活動して来て、どこかの時点で音楽界に恩返しをしたいと思って始めたのがこの音楽祭」


「音楽を届けるべきところに継続的な支援をしたい」


第一線の指揮者やオーケストラと共演を重ねながらも、「長く活動を続けるには演奏がうまいだけでは足りない。総合的な力がなくては」との思いを常に抱いてきた。


ただ単に自分が演奏がうまく弾けるだけではなく、演奏家人生として、若い世代に伝えていく、音楽業界のマネジメント・企画を通して自分でモノを造っていく。。。そんな諏訪内晶子さんの新しい人生のチャレンジ。


自分のクラシック人生の中で、これはどうしても避けて通ることができないと思っていたのが、国際音楽祭NIPPON。


諏訪内晶子さんが芸術監督を務める音楽祭だ。


いつかこの音楽祭の公演に行ってみたいとずっと思っていたのだが、なかなかチャンスがなく、ようやく今年行くことができた。


Y4nqRbXFxOlGl6Y1645416092.jpg


DSC03259.JPG


地方開催中心のこの音楽祭であったが、今年は東京オペラシティで開催され、諏訪内晶子さんのバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲を2夜にかけて、そして尾高忠明さん&N響とのコンチェルトを1夜、計3夜のチケットを確保し、この音楽祭への初めての参加ということで、意気揚々と乗り込んでいった。


非常に寒い夜が続き健康維持が大変であったが、なんとか無事3夜とも完遂できたのは、責任を全うした、なんともホッと胸をなでおろした限りである。


この国際音楽祭NIPPONを開催する上で、音楽評論家舩木篤也さんナビゲーターのもとスペシャル・インタビューを拝見した。


国際音楽祭NIPPON 2022.jpg


国際音楽祭NIPPON-2.jpg


ソナタとパルティータはその曲順にやっていく。


ドルフィンとデル・ジェズの倍音の処理の仕方は全然違う。1人で空間で弾いているときは感じないのだけれど、教会で天井が高く、マイクでその音を拾う空間ですとあっこんなに地響きがする倍音を、どうやってそのポリフォニーの中に納めていけばいいのか、そこを結構苦労しました。


バッハ無伴奏はキャリアの浅いうちにやるものではない。熟してから取り組むものだ。


自分と対峙する時間が増えた(コロナ禍)ときに、こういう作品(バッハ無伴奏)に向き合えたのは意味があったのではないか。周りになんと言われようと、あまり気にしないで、まずは入れてみよう。


バッハ無伴奏は、課題曲としては小さいときから接していたが、作品として作り上げたのははじめて。


演奏会のソロのプログラムとしては、何回かあったのだけれど、全曲を作品として完成させるというのは初めてである。


チクルス性


1人の作曲家に焦点をあてて、というのは非常に意味のあることだと思う。ブラームスの室内楽マラソンコンサートもそう。バッハとかブラームスなど、本当に細かいところまでメッセージが込められている。ドイツの作曲家、バッハ、ブラームス、ベートーヴェン、本当にひとつひとつの楽曲で、これも取り上げたい、あれも取り上げたい、というメッセージがたくさん散りばめられているので、なるべく漏れないように、大事に伝えていきたいな、と思いながら取り組んだ。


ソナタ、パルティータの交互の順番になっている。


なにかしらの調性。


バッハの自筆譜。印刷譜とは違う曲風、曲線がある。バッハの息遣い、うねり、手書き譜からよくわかる。印刷譜にはない曲風、雰囲気がある。諏訪内さんのCDからそういうものを感じる。


教会でふたつ並べて演奏していた。自分で用意した印刷譜と、自筆譜。いままでたくさんの人がピリオドアプローチ。奏法だけ取り入れる人もいるし。いろんな演奏のタイプの人が増えてきて、モダン楽器ですべてやるというのはまた別の世界。ピリオドはパキパキと語る、喋る音楽、バッハのなにかが浮かび上がってくる。


モダン楽器をつかった昔からある巨匠達のある種の荘厳さ、パキパキ喋っていくというよりは、なにか厳かな感じ。諏訪内さんはちょうどその間。歌がある。ポリフォニーがすごい豊かで、雄弁になる、その歌謡性は、自筆譜を思い浮かべる。


筆というのは、その人の心臓がよくでる、大体自分の持っているイメージと相反することは少ないけれど、大体予想通りの自筆譜であった。


バッハの場合は、意外に自分が思っているより人間味溢れる曲。バッハを弾き込めば、弾き込むほどそのような曲であることがしてくる。バッハはすごく厳かなんだけれど、それとは別にとても人間味あふれるところを焦点に当てたかった。


グルーブ感、諏訪内さん独特のノリ。


ソナタとパルティータの違い


1曲1曲弾いているときは、そんなに感じなかったけれど、全曲を通してソナタは、そのきっちりとした構成力をかなり意識して、演奏することによってよりその良さが出てくる。


それは3曲を通して2曲目にフーガが入っている。1番のフーガと3番のフーガでは長さが全然違う。やっぱり鏡のように3番は作曲されている。ある中央の地点からカウンターポイントが反転になっている。テーマのところが反対になっている。テーマのところがすべて鏡状になっている。


調性もそうなんだけれど、やはりその辺を演奏者のほうできっちり捉えて演奏すること。3曲のソナタのしっかりしたところを聴かせる。その間に入っているパルティータは舞曲なんだけれど、本当の本当の舞曲というよりは、いろいろなキャラクターが入った舞曲。あまり実際に踊るというよりは、いろんな要素が入った曲だと思う。割と自由に作曲された曲。1番のほうはルーヴルと言って、1曲目の変奏、また2曲目の変奏、という形で自由に作曲されている。その辺を意識して、ソナタとパルティータは別に作曲された曲、という形でまとめた。


パルティータのほうは装飾音を入れることのほうが多かった。1回目のほうには、すべてに繰り返し(リピート)が入っているので、1回目のところにはあまり入れていないが、2回目になったときに当時の演奏法というか、装飾音というのはヴィブラートに近いところもあって、強調するところであったりとか、やはり同じになってしまっても面白くないので、ソナタのほうは最終楽章が繰り返し、演奏されることはあっても、フーガが繰り返されるときに、そういうのはないし、やはりその辺も区別をした、自分の中で。


それなので、装飾音は2回目のリピートしたところに、少しづつ封じながら変えたりとか、あとはアーテキュレーションもそう。


割と自由に演奏しました。


フレージングの作り方、ヴィブラートを少し抑制したり、そういうところは取り入れているけれど、実際のところガット弦などで演奏している訳ではないし、ただし練習の段階でクラシカルボウでかなり練習したので、バッハ自身の中でどう描いていたのかを自分の中で理解はしつつ、自分が演奏しているスタイルからまったく外すということは難しいし、どうしても中途半端になってしまう。それだったら、現代の奏法でまとめたほうがいいのかな、という形で今回まとめました。




ナビゲーターの舩木篤也さんの専門的な内容の誘いも素晴らしかったせいか、諏訪内さんはかなり演奏をする上での細かい事情について、詳しく語ってくれた。非常に参考になった。これは演奏家当事者でないとなかなかわからない貴重な内容だと思う。この情報を元に、そして本番当日自分が感じたことを、述べていきたいと思う。



まず、2/16(水)、2/18(金)の無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲。


DSC03263.JPG


座席は2夜とも、後方席、中央。ホールの響きがよく堪能できる座席である。今回は、初日と二日目、ソナタとパルティータはそのままの順番で演奏された。なので、やはりパルティータ2番、シャコンヌを頂点として、後半二日目のほうが聴き映えするというか、魅せ処が多かったせいか、二日目のほうがお客さんの入りも満員に近く、人気があった。また二日目は週末ウィークエンドということもあったのだろう。


初日に自分が感じたことは、録音とはまったく違う、録音の基準にはまったくあてはまらないライブならではの演奏である、ということであった。録音はやはり未来永劫ユーザーの手元に残るものであり、永久保存版としてユーザーに楽しんでもらうためには、教科書のような模範演奏、襟を正した演奏である必要がある。


そこには均等な規則正しいリズム、インテンポな感じ。完成度という点では、究極の完成度なるべく、文句のつけようのないものに仕上げる必要がある。


でも実際の実演は、そういう録音の作品をずっと聴き込んで臨んだわけだが、ある意味ちょっと意表をつかれたというか、戸惑いがあった。


演奏の完成度としては、やはり録音に勝ることはなく、それと比べると、そういう型にはまることのない、もっと自由に演奏されているという印象があって、どちらかというと少し粘着型のメロディの奏で方であるとか、抑揚の出し方であるとか、かなり自由に弾かれている印象が自分にはした。


録音のような模範演技を聴いてきた者からすると、表現の悪い言い方をするならば、ちょっと雑というか、まとまり感をあまり感じない、演奏パフォーマンスからすると、もうちょっと自由に弾いている、そんな印象である。


でも、ヴァイオリン一挺で、まさに裸一貫という感じで誰も守ってくれる人はいない。自分1人、自分の弾く音と延々と長時間対峙しながら、物語を作っていかないといけない。そういう緊張感の持続、ギリギリの線で続く精神状態。


それをいやというほど自分は感じ取ってしまう。聴衆との間のそういう張りつめた緊張感、空気感を、ステージ上でたった1人ですべてを受け止めて、物語を進めていく、そういう点では、かなり一種独特の異質な雰囲気をもった演奏会であった。


それは二日目のときに頂点に達する。初日は初日で感動したのだけれど、二日目はさらにその上を軽く飛び越えていった。


初日は、どちらかというと演奏の完成度という点では、録音に劣るという印象があったのだけれど、二日目は、その録音を遥かに超える、これこそいい意味での来てみなきゃわからない1発勝負のライブならではの醍醐味があった。


教科書通りの、均等・インテンポな録音をはるかに凌駕する、我々聴衆を一気に高みに持って行ってくれる、いい意味での高い次元での意外性である。


そこには演奏家の息遣い、躍動感があって、ドラマ性のある抑揚感、うねりのある旋律の運び、ゴムまりのように弾む聴衆に対するインパクト、まさに圧倒される感じであった。ボディブローからカウンターを受け、見事なストレートを食らう、我々はそんなサンドバック状態であった。


初日を遥かに圧倒している内容だと自分は感じた。


これこそ録音を超えるライブの真骨頂なのだと思った。


じつは、そう思う伏線があった。

それはヴァイオリンの音である。音が全然初日と違っていた。


自分は、二日目のとき、あくまで初日のときの印象をそのまま継続して構えていたのだが、最初に出てくる1発目の出音がおもわず、オッと思ってしまうほどすごい音で、これは全然初日と違うではないか!という感じであった。


倍音豊かな非常に分厚い音。いろいろな周波数成分の音が幾重にも重なっていて潤いがある分厚い音。そして音像が非常に明晰で、音が立っている。音量も大きい。ヴァイオリンとして申し分のない音である。


ホール空間を空間描写するその色彩感あふれる空間表現力。


こりゃあいい音だな~と自分は惚れ惚れ。

初日と全然違うじゃん!なぜ?


座席の位置はほとんど変わっていないし、二日目のほうが満員で吸音効果が大きいはずだ。自分は理由を解析することができなかった。


やはりこれだけ音がいいと演奏も全然映えてくる度合いが違ってくる。我々に対する説得力が全然違うのだ。


最初の1発目の出音で素晴らしいと感じた印象は、終演まで変わることはまずない。そのままの印象で終えるものである。


二日目の演奏が自分にとって素晴らしいと感じたのは、諏訪内さんの演奏もさることながら、このヴァイオリンの音の空間表現力に他ならないとも思っている。


デル・ジェズは、奏者にとっては、音を引き出してあげることが難しい楽器と仰っていたが、観ている分にはそれほどそのような感じはしないほど、すでに自分の楽器とされている印象があった。


二日目でこれだけ倍音が豊かに出るのだから、それは教会空間で録音する場合は、その倍音をポリフォニーの中にどうやって納めていくのかその処理に苦心するのはわかるような気がした。




バッハの天才が最も力強く発揮され、壮大にして深遠、華麗にして神秘といわれる曲。

ヴァイオリン1挺で広大な宇宙を描いていく曲。


バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲。



この曲は、長い間、練習曲、あるいは伴奏を欠いた不完全な曲とみなされてきた。


バッハを19世紀によみがえらせたメンデルスゾーンでさえ、この曲に伴奏をつけ、出版までしている。メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルトを初演したヴァイオリニスト、フェルディナント・ダーフィトも、この曲を親友メンデルスゾーンの伴奏つきで演奏し、その演奏を聴いたシューマンも”それによってこの曲は楽しく聞けるものになった”と評している。


この曲が、無伴奏だからこそ価値がある、ということに気づいたのは、そのダーフィトの弟子、ブラームスの親友だった名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムだったそうだ。(彼はブラームスのヴァイオリン協奏曲のカデンツアで有名ですね。)


彼は、バッハの自筆譜と向き合い、頑としてこの曲を無伴奏で弾き、その素晴らしさを示すとともに、自筆譜の校訂、出版を行ったのである。以後、この曲に余計な伴奏がつけられることはなくなり、その真価が正しく世に伝えられたのだそうだ。



メロディラインしか弾けないはずの1台のヴァイオリンで、ハーモニーが奏でられるこの曲は、奇跡なのであろう。


諏訪内さんの演奏を聴いていて、シャコンヌやフーガは、本当に重音奏法だらけだと思った。本当は4人で弾いてもよい曲を1人で弾くので、頭の中は大変なのではないか、と思う。


ストイックなまでに求道的で芸術的な音楽



そういう意味で、このバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲は、ヴァイオリニストにとって、聖なる領域で、いつかは必ず通らないといけない登竜門でもあり、それもキャリア的に十分熟した時期である必要がある、というのはそういうところに起因するのだろう。


イザベル・ファウスト、ヒラリー・ハーン・・・いろいろなヴァイオリニストのバッハ無伴奏の演奏を聴いてきたが、諏訪内晶子さんのバッハ無伴奏は、それらとはまたまったく違ったタイプの諏訪内さんらしいバッハ無伴奏であったと思う。


自分のクラシック鑑賞の金字塔のひとつに堂々とランクインするものである。



そして本日の尾高忠明さん&N響とのコンチェルト。いま帰宅したばかりである。興奮ホッカホッカの茹でタコ状態である。凄かった~~~。


DSC03558.JPG


シベリウスの「ペレアスとメリザンド」組曲は、北欧らしい、シベリウスらしい寒色系、透明感あふれる美しい組曲で、開演の曲としてはとてもいい選曲だと感じた。


続くデュティユーのコンチェルト、ヴァイオリンと管弦楽のための夜想曲「同じ和音の上で」。これはなかなか聴く機会のない素晴らしい曲、かなり自分のアンテナに敏感に反応する曲だった。


アンリ・デュティユーは20世紀後半から21世紀初めにかけてのフランスを代表する作曲家で、2013年までご生存であった新しい世代の作曲家である。


自分は、よく知らなかった。もちろん彼の作品は聴いたことがないと思うが、ジョナサン・ノットがデュティユー好きで、東響の名曲全集で頻繁に取り上げていたような記憶があるので、ひょっとしたらそれで聴いているかもしれない。


ヴァイオリンと管弦楽のための夜想曲「同じ和音の上で」は、アンネ=ゾフィー・ムターによる委嘱作品なのだそうだ。もちろん自分は初めて聴く。


一聴すると現代音楽のような切り口で、非常に鋭利的で、尖った前衛的な曲であった。ヴァイオリンには、こういう現代音楽のようなエッジの効いた音のトランジェントの急峻な曲というのはとても似合うのである。そういう曲調の雰囲気を醸し出すには、ヴァイオリンはとても合っている楽器なのである。諏訪内さんがこういう前衛的な曲を演奏するのは、自分は初めて聴く、体験したかもしれない。


そして休憩を挟んで、メインディッシュのブラームスのヴァイオリン協奏曲。


自分は数あるヴァイオリン・コンチェルトの中でブラームスが1,2位を争う3本の指に入るほど、いやおそらく1番好きであろう、この曲が大好きである。


ブラームス特有の美しさがあるんですよね。重厚で、重さを感じる中の美しさというか。。秋の季節が似合う。。。なんともいえない切なさ、哀愁感が漂う、妖艶、・・・そんなブラームス音楽特有の美しさがある。


モーツァルトやベートーヴェンじゃ出せないんだよね、この美しさは。うまく表現できないけれど、ブラームスの音楽が好きな人であれば、このブラームス音楽に共通している美しさって感覚的にわかってもらえると思う。


蒼々たるヴァイオリン・コンチェルトの中でもメンデルスゾーン、チャイコフスキー、シベリウス、モーツァルト、そしてベートーヴェン・・・美しいドラマティックな曲は数多あれど、このブラームスのコンチェルトほど哀愁漂う美しい曲には敵わないと思う。


そして、このブラームスのコンチェルトを演奏して様になるのは、ある程度の年輪を重ねた円熟期のヴァイオリニストでないと、あの妖艶な色気って出せないと思う。


若い奏者でも、もちろん音、音楽として奏でることはできるかもしれないけれど、それが似合うかどうか、様になっているか、ブラームス固有のあの妖艶な美しさをきちんと表現できているか、となると、やはり難しいと思うんですよね。


あの色気を醸し出すには、そしてそれを演奏していて似合うにはある程度の年輪が必要だと思う。


自分はブラームスのコンチェルトを聴くたびに、いつもそんなことを考えるのである。


諏訪内さんのブラームスは、自分の経験の中で聴いたことがあったけな?という感じで記憶にないのだが、もう言うことのない完璧な演奏だった。


こうして、自分の国際音楽祭NIPPON 2022の鑑賞はすべて終了した。




諏訪内晶子さんの公演は、いままで数知れず足を運んできたが、デビュー25周年、満を持しての、そしていまが円熟の境地というまさにこの瞬間に、国際音楽祭NIPPONで、その晴れ姿を拝見できたことは、自分のクラシック人生での大きな財産であり、これからもずっとこの想い出を大事にしまって生きていこうと思った次第である。





国際音楽祭NIPPON 2022

芸術監督:諏訪内晶子


諏訪内晶子ヴァイオリン・リサイタル

2022/2/16(水)19:00~

東京オペラシティ・コンサートホール


プログラム1

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番 ト短調 BWV1001

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番 ロ短調 BWV1002

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番 イ短調 BWV1003


アンコール

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調 BWV1005より Ⅲ. Largo


諏訪内晶子ヴァイオリン・リサイタル

2022/2/18(金)19:00~

東京オペラシティ・コンサートホール


プログラム2

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調 BWV1005

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調 BWV1006


アンコール

イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 Op.27-2より Ⅰ. Obsession

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番 イ短調 BWV1003より Ⅲ. Andante



尾高忠明指揮NHK交響楽団、諏訪内晶子

2022/2/21(月) 19:00~

東京オペラシティ・コンサートホール


シベリウス:「ペレアスとメリザンド」組曲 Op.46

デュティーユ:ヴァイオリンと管弦楽のための夜想曲「同じ和音の上で」

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77





nice!(0)  コメント(0) 

体験!浜離宮朝日ホール [国内クラシックコンサート・レビュー]

築地市場にある浜離宮朝日ホールは、かねてより自分のお気に入りのコンサートホールのひとつで、室内楽専用のシューボックスというまさに”究極の音響”が得られるホール形状が、気に入っている理由のひとつであった。


かなり自分のお気に入りのホールで、その昔、かなり通い詰めた想い出深いホールである。


1992年にオープンし、客席数552席、世界で最も響きが美しいホールの一つと評価されるシューボックスの室内楽専用ホール。


単に、個人的にお気に入りというだけではない。正式な箔もついている。


1996年、米国音響学会は世界22カ国の76ホールを調査。その結果、ウィーンの楽友協会ホールなど3ホールが最高の「Superior」の評価を受け、浜離宮朝日ホールやニューヨーク・カーネギーホールなど6ホールが「Excellent」に挙げられた。


この調査は、残響・聴衆とステージの関係の親密度・音のバランス・音色の輝き・透明感・温かさ・質感などを技術的に測定する一方、演奏家や音楽評論家の意見も取り入れて総合的に判断されたものである。


一度、自分の日記でこのホールのことを、自分の印象、自分の言葉でぜひ語ってみたいとかねてよりずっと考えていて、そこにピアニスト浦山純子さんのピアノ・リサイタルがあることを知り、そのコンサートに行くことを決めた。


数年前にもこの浜離宮朝日ホールで浦山純子さんのピアノ・リサイタルを聴いており、これもなにかの縁なのだろうと思い、今回のコンサートを以て、正式にこのホールのことを自分の日記で語ってみたい、と決意したのだ。


これを決めたのは、入院真っ盛りの9月のことであった。病院のベッドの中で決めた。


あと2か月でちゃんと復活できるのだろうか、駅からコンサートホールまで、ちゃんと自分の脚で歩いて行けるのであろうか、そんな不確定要素がたくさんある中、決断した。


コンサートホールに通う日常を取り戻すための自分の決意表明のようなものであった。これを決めてから、日々のリハビリに気合が入ったことは言うまでもない。(笑)


およそ6年ぶりの築地市場。築地市場には朝日新聞東京本社がある。


DSC00848.JPG


朝日新聞は、自分の人生に縁がある。自分の実家がずっと朝日新聞をとっていた。そして自分が就職して上京して1人暮らしをし始めたときも、朝日新聞をとっていた。毎日きちんと新聞に目を通すというそんなあたりまえの日常生活を送っていたが、電子版などが普及していくにつれ、紙媒体で読むことが億劫になっていった。


あとこれが一番の理由だけれど、若いときは、社会人として仕事に慣れる、そういう社会人生活のサイクルに慣れるまでいっぱいいっぱいで、心に余裕ある生活を送れなかった。電子版で十分と思っているところがあった。


その影響が後押ししてか、あの古新聞を定期的に処分するあの手間が面倒になってしまい、その後、紙媒体の新聞をとらなくなってしまった。


でも自分の心の中では、やはり新聞はちゃんと読んだ方がいいと思っている。社会の常識、見識を身につけるには新聞を読むべきである。もういまは社会人生活として余裕のある生活を送れているので、また近いうち、復活しようかな。



浜離宮朝日ホールは、その朝日新聞社のホールなのである。朝日新聞は、音楽・文化活動に熱心な媒体なので、そこが世に問うた、「元祖良質のリサイタルホール」ともいうべき立ち位置のホールである。


朝日新聞社東京本社新社屋新館2階にある。この音楽ホールとリハーサル室、多目的イベント会場としての小ホールの3つの施設を備える会館。


国内外のアーティストやアンサンブル団体がこぞって東京公演のコンサート会場に指名する人気ホールでもある。東京の中規模コンサート専用ホールの草分けとして1992年の開館以来、首都圏有数のリサイタル・ホールとして、海外のアーティストにも知れ渡っており、出演者からも評判は高い。


iDNvwmQFESgBEyJ1638070951.jpg


DSC00864.JPG


ビル内は内装壁は白い大理石でできていて、階段、エスカレーターで2Fにあがると、そこにホワイエ空間が現れる。浜離宮朝日ホールのホワイエは、この階段、エスカレータを上がったところの大きなエリアと、ホール前の小さなエリアと2か所に存在する。


まず、階段、エスカレータを上がったところの大きなエリア。


AiX5F5i4yn7IieV1638072208.jpg


PrNcwWExMbausLT1638072339.jpg


コロナ禍が鎮静ムードであることもあり、超満員御礼の混雑ぶりであった。確固たる、そして暖かいファン層に囲まれていることがよくわかる。



そしてホール前の小さなエリア。


DSC00967.JPG


DSC00960.JPG


DSC00974.JPG


花束も贈呈されていた。


DSC00988.JPG


DSC00992.JPG


白い内装壁に赤い絨毯。とても清潔感溢れる明るい雰囲気があって、素敵なホワイエである。


そして、いよいよホール空間。


DSC00898.JPG


DSC00909.JPG


DSC00917.JPG


DSC00925.JPG


DSC00935.JPG


DSC00943.JPG


ステージ正面の上空間。


DSC00926.JPG



天井


DSC00933.JPG




XCqVAW7p7D9QvT01638072674.jpg


ブラウンを基調とした白とのツートンカラーで落ち着いた雰囲気の内装空間である。


客席552席という室内楽専用の慎ましやかな容積感もさることながら、やや横幅が狭いシューボックスである。これはウィーン楽友協会を思わせるところがあって、側壁からの反射音の到達もステージからの実音とそんなに時間差がないように思われ、座席の聴衆には、いわゆるいっぺんにドッと音がやってくる感覚なのだろうと思った。


だから、どちらかというと(もちろん側壁だけでなく、天井、床からもですが)音の包まれ感が豊かな凝縮された濃密な音空間なのだろうと思う。


空間感、ホールのボリュームによる残響感のある音とはちょっと真逆な感じですね。もっと凝縮された感じ。


自分がこのホールに入ったときに、まず感じたことは、ホールの壁面の凹凸がすごい少ないと感じたことであった。ホール内の音の乱反射をさせるための壁面の仕掛けが極端になさすぎる。


かなり平坦な感じで、バルコニー席の上部のほうに、定距離間隔で、とてもシックで大人の雰囲気のあるシンプルな彫刻がなされている程度である。(これは反響板の役割でしょう。)


客席すぐ横の壁面は、ツルツルテンである。


シューボックスの場合、その両端の平行面に起因する定在波という王様のような問題があって、その定在波対策のために、壁面に凹凸をつけたりあるいはそういう仕掛けをするのものだが、これだけ凹凸が少ないと、その定在波の問題が大丈夫なのかな、ブーミーな音響になっているのではないかというような心配をまずしたものである。



天井は、折上・格天井風に設えた反響板で表装されている。1次反射音を散乱するとともに残響音の拡散にも寄与する音響拡散体としての効果があるのだろうと推定する。


ステージの背面にある茶色の囲いもステージから客席への音を反射するための反響板の役割なのだと思います。縦に乱反射のためのスリットが入っていますね。


そのステージ上空の空間がよく理解できないところでもあった。室内楽ホールにそういうことはないと思うが、まるでパイプオルガンが納まるはずであったホール舞台背面の壁面は、その計画が資金難で頓挫してしまい、「ポッカリ」収納スペースが空いたままのような感じがして、その正面に三角錐の屏風型の反響板が設置されている。演奏者にお互いの反射音を、前方聴衆に初期反射音を返しているのであろう。



内装空間は、一見すると木造の木のホールのように思うのだけれど、1992年当時の昔に竣工されたホールなので、当時の建築基準ではステージの床以外での木材の使用が禁止されていたそうで、バルコニーから上の拡散デザインの壁には表面を波形に加工した大理石状の不燃性材料が用いられていて、それ以外の壁と天井は石膏ボード、もしくは不燃性材料が使われているのだそうだ。


床なんか、写真を見ると完全に木の床だと思うのだけれど・・・。


1992年というと、まだそんなに日本には、クラシック専用、室内楽専用のシューボックス・ホールというのがない時代でその頃に完成したこの「浜離宮朝日ホール」はその当時としてはものすごい画期的なホールだったのだと思います。


同時期頃にできた、大阪の「いずみホール」や、その後新しい時代にできた、「彩の国さいたま芸術劇場・音楽ホール」,「紀尾井ホール」,「トッパンホール」,「石橋メモリアルホール」などを見ると、シューボックス・タイプのホールの進化具合がよくわかると思います。


浜離宮朝日ホールはその元祖だったんだと思います。室内楽専用シューボックス・ホールの走り、元祖だったのです。


実際自分の耳で感じた音響であるが、ピアノとヴァイオリンの音での判断であるが、柔らかい暖色系の音質で、響きも豊かな素晴らしい音響であった。


傾向として、やはり包まれ感があって、ホールのどこの座席でもきちんと音が届く、それがpppの再弱音であっても、そんなホール音響の均一性を感じた印象であった。


素晴らしいホールだと思います!


ブーミーな定在波とは無縁のように思えた。内装空間を見て、自分の頭で理論づけても実際に聴こえる音は、その通りにはならないというよい例ですね。(笑)


この日は、浦山純子さんのピアノ・リサイタル。


DSC00894.JPG


ヨーロッパデビュー25周年、日本デビュー15周年を記念する特別なリサイタルで、本来であれば去年開催される予定だったのが、コロナ禍で延期となってしまい、今回開催の運びとなったのであった。


仙台出身で、桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業後、ポーランド国立ワルシャワショパン音楽院に留学。1995年ラジヴィーウ国際ピアノコンクール優勝、及び最優秀ショパン賞(ポーランド)、98年ポリーノ国際ピアノコンクール最高位(イタリア)を始めとする数々の賞を受賞。


96年よりロンドンを拠点とし、名門ウィグモアホールにてデビュー。ヨーロッパで数々の名門オーケストラ、名指揮者と共演。華麗な経歴とともに現在に至る。


ご覧のようにとてもフォトジニックな演奏家であるけど、まったく飾らない性格で、ファンとの交流をとても大切にする音楽家である。


定期的なリサイタルを、この浜離宮朝日ホールでおこなっている。



DSC00908.JPG


ピアノはスタンウェイ。浦山さんはスタンウェイの専属アーティストである。


DSC01011.JPG


ここの座席で聴きました。ホールの音が全体を俯瞰できる中間位置で、ピアノの打鍵の音が響板で反射され、右に流れていく方向を堪能できる、まさにピアノの音を堪能するには最高の座席でした。


この日は、チャイコフスキー、スクリャービン、ブラームス、そしてシューマンと、まさに浦山さんの世界を思う存分堪能することができた。


チャイコフスキーのくるみ割り人形は、あのミハイル・プレトニョフがピアノ版に編曲したバージョンで、かなりの大曲だと思った。


もちろん素晴らしくて感動したけれど、ピアノであの世界観を表現するのって、なかなか大変という感じで、演奏するのが大変そうに感じた。冒頭だったということもあってか、いつになくピアノの音が固くて、倍音が響き渡らないというか、ステージのところで音が固まっているような感じで、ホール内に響き渡らないような感じがした。


ところが、それ以降、ピアノの音がみるみるうちに変わっていき、音がどんどん柔らかくなっていって、響きも芳醇になり、最後のアンコールのシューマンではホール内に音が廻る感覚で、じつに素晴らしいと思った。


ピアノの音って、同じコンサートでもこんなに変わるものなんですね。まるで別人のようでした。


おそらくこのピアノは開演前のリハーサルでも試弾されていて、十分にウォーミングアップされているはずなのに、それでも本番で、最初と最後でこんなに音色、響きが違ってくるとはびっくりしました。


スクリャービンは素晴らしかったなぁ。オーディオではときどき聴いているけれど、実演で体験するのはほとんどない。レアな作曲家、曲だけれど、弾かれる前に、試弾しながらスクリャービンの和音進行について解説されていた。


その官能的な和音に思わず、ホロッとくるというか、心を揺さぶられる、心中穏やかでなくなる、なんともエクスタシーな和音である。


スクリャービンの練習曲と幻想曲であったが、じつに官能的な美しさで自分はひとめぼれ。この曲、CDで欲しいなとすぐに思いました。


ここらあたりからもうエンジン全開になってきて、どんどん吸い込まれるように惹かれていった。


後半は、ブラームス。桐朋時代の同級生のウィーン在住のヴァイオリンの前田朋子さんも加わって、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ2番。ブラームスのソナタ2番は本当に名曲ですよね~~~。あのメロディの美しさは、ブラームスならでは、という感じですね。


ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集はアンネ=ゾフィー・ムターとオニキス爺さんのBlu-rayを狂ったように聴いていた時期があって、自分も2番はとくにお気に入りでした。


じつに素晴らしい演奏でした。


そして、アンコールにタイスの瞑想曲。もうこれはアンコールの名曲中の名曲。これを最後に持ってきたら、みんな必ず泣くでしょう。(笑)なんて美しい曲なんだ!


本当の最後のオオトリは、いままで登場してきたチャイコフスキー、スクリャービン、そしてブラームスに共通した作曲家としてシューマン。シューマンの献呈でありました。


もうこのときはピアノを弾くうえで、まさに脱力の極致といえる柔らかさで、ピアノの響きも柔らかくホール全体に響き渡る。美しさのクライマックスだと思いました。


最高のリサイタルでありました。


思えば、病院のベッドで、コンサートホールに自分で行けるかどうかもわからない不安の中で過ごしいたあの時分を考えれば、こんな有終の美、幸せな気分が待っていようとは予想もできませんでした。



2021年11月21日(日)14:00~
浜離宮朝日ホール
                                                  
浦山純子ピアノ・リサイタル
                                                  
ヴァイオリン:前田朋子
ピアノ:浦山純子
                                                 
チャイコフスキー(プレトニョフ編)
演奏会用組曲「くるみ割り人形」op.71
                                                
スクリャービン
練習曲 ニ短調 op.8-12
練習曲 ハ長調 op.2-1
幻想曲 ロ短調 op.28
                                                 
休憩
                                                 
ブラームス
                                                   
スケルツォ ハ短調 WoO.2
「5つの歌曲」op.105から 第1曲「メロディのように」
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番 イ長調 op.100
                                                  
アンコール
                                                   
タイスの瞑想曲
シューマン 献呈










nice!(0)  コメント(0) 

復活の日 [国内クラシックコンサート・レビュー]

「一に健康、ニに才能」というのが座右の銘である。なぜ「一に健康」で「ニに才能」かというと、単純に考えて健康が才能を呼びこむことはあっても、才能が健康を呼びこむ可能性はまずないからである。


この座右の銘を知ったとき、自分はものすごく感動して、これをそのまま自分の座右の銘にすることにした。


思い起こせば、自分の50数年の人生の中で、もっとも人生の危機と言える期間は、いずれも病気になって健康を損なったときである。


健康の有難みは、普段なんとも感じなく生活しているけれど、それを損なってはじめてその有難みを思い知るものである。


今年のミューザ川崎のフェスタサマーミューザ川崎2021で広上&京響の公演で最後のお別れをしに行ったとき、謎の平衡感覚欠如&歩行困難に襲われ、なんとか川崎までコンサートに行ったのだけれど、自宅へ帰るまではもう這って死に物狂いで帰ったと言って過言ではなかった。


その夜に超絶具合が悪くなって、夜が明けるのを待って、救急車で病院へ救急搬送された。(自分で救急車を呼びました。)


緊急入院。それから怒涛の2か月間の闘病生活を余儀なくされた。楽しさいっぱいのあの頃、誰がこんな展開を予想できたであろうか。。。


Tokyo2020真っ盛りのとき。閉会式まであと2日という日だった。もうなんかすごい遠い昔のように思えてしまう。(笑)


平衡感覚、バランス感覚欠如。歩行困難。もう車いす生活である。車いすから立つことすらできなかった。目眩で超気持ち悪い。


医学の進歩により、最近の治療の考え方が変わり、入院したその翌日からすぐリハビリに入る。昔は安静にという発想だったらしいが、いまは事が起きた事象のすぐその翌日からリハビリに入って、もう最初の2か月間が勝負。この2か月間でいかにもとに戻せるか、が勝負だ、ということだった。1年以上、数年経ったら、その回復度のカーブ曲線も緩やかになってしまう。


だから回復カーブ曲線が急激に変化する最初の2か月間が勝負だった。


そこからリハビリのスタッフと2人3脚の生活。


理学療法士、作業療法士という名前の職業をはじめて、そのときに知った。リハビリのスタッフのことである。国家試験資格が必要な大変な仕事である。


患者に寄り添って、その患者の症状にあったカリキュラムでリハビリを指導してくれるスタッフだ。


リハビリのPT/ST/OTと言う専門用語も初めて知る。


PT=Physical Therapy:理学療法

OT=Occupational Therapy:作業療法

ST=Speech Therapy:言語聴覚療法

 

である。自分の症状から、OT/STはすぐに免除され、PT、つまり運動だけのカリキュラムになった。


1日3コマ(3時間)、みっちりPT(運動)のリハビリである。


なんせ、立てない、歩けないんだから、自分はかなり自分の将来について恐怖感に襲われた。


このまま行くと・・・回復しなかったら・・・


会社へ通勤できないものももちろんだけれど、クラシックのコンサートにもう行けないじゃないか!!!もう目の前が真っ暗になって、あまり先のことを不安に考えても、疲れるだけだと思い、考えないようにした。目先のリハビリのことだけに専念する。


そして飯食って寝る・・・ただそれだけである。


リハビリやっているときはいいけれど、それが終わってベッドで横になると(病院はそれしかやることがない)ついつい将来の不安のことを考えてしまうんだよね。これは仕方がない。


でもそんな悲壮感溢れる2か月間の闘病生活ではなかった。かなり明るく楽しく過ごしていた。毎日、リハビリのスタッフと、たわいもない世間話で盛り上がりながら、リハビリするのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。患者を暗い気持ちにさせないということもスタッフのミッションのひとつなのであろう。


病院食は噂にたがわず美味しくない。カロリーコントロール食。


それでいて、1日3コマの運動であるから、当然どんどん体重が減っていく。15Kg減!!


リハビリも最初は平行棒や歩行器、そして杖とかで、徐々に・・・。フリーハンドで立って歩けるようになったときは、もう天にも昇るような最高の気持ちだった。


こんなあたりまえのことができて、神に感謝である。


リハビリのPTのメニューはほとんどすべてをやり尽くした、と言っていいほど極めた。


毎日日替わりでスタッフも変わる。やっぱりリハビリのスタッフは男性のほうがいい。自分の場合ですが。。。男性のほうが力があるし、メニューが厳しくて、そのほうが早く元に戻りたい、治したい自分にとってありがたかった。


女性は力がないし、気持ちが優しいので、メニューが軽いというか優しすぎるんですよね。スタッフが女性の場合は、おしゃべりを楽しむ、という感じだったかも?



そうして、いまや外見から見た限りでは、健康だったころの普通の歩行状態となんら変わらず平常通りに戻った。


1週間前に退院して、先週の金曜日に会社へも復職した。(当面在宅勤務ですが。)


この間、いろいろ気持ちの揺れ動きはあったが、正直言葉で表現するのは難しい。これくらいの描写が限界であろう。



そしてようやくコンサートに行くこともできた。


入院していた時は諦めていたサントリーホール35周年記念ガラ・コンサート、正装コンサートがスケジュール的に可能になって、退院後はじめての復帰コンサートとなった。


DSC00548.JPG


DSC00574.JPG


こうやって、サントリーホールに自分の脚で歩いてこれるようになる日がまたやってくるとは・・・。こんな至極あたりまえのことを、毎日夢見て、2か月間特訓していたのである。


リハビリPTのとき、外の歩行距離をどれくらいまで回復できたらよし、とするか、スタッフと話し合ったとき、自分は溜池山王駅からサントリーホールまでの大体の距離を想定して、1kmと伝えたのである。


それ以降のメニューは、すべて1kmを想定してメニューが組まれた。病院内歩行にしろ、病院外歩行にしろ、すべて1㎞が基準となった。


自分が溜池山王駅改札から、あの長い地下通路を歩いて、ANAインターコンチネンタルホテル東京の敷地内通路を通っていったとき、なんだ、本番は全然楽じゃないか!という感じだった。


よかった!


そしてこのサントリーホール前に到着したとき、自分はやはり胸が熱くなりこみ上げてくるものがあったな。


この写真をそのまま自分に寄り添って頑張ってくれたスタッフたちに感謝をこめて送ってあげたい気持ちでいっぱいであった。


こんな感じの2か月間であった。


これからは、サントリーホール35周年記念ガラ・コンサートの模様の紹介である。


なんかホールのフロントの前の飾り付けが5年前と比べるとずいぶん地味になったな、と思うけれど、よくよく見ると秋らしい味のある雰囲気のある飾りつけですね。


LP14SBHvSjCa7oE1633339529.jpg


o7hD2MUK6YaOMqM1633339869.jpg


0DBaclr0eD8o2OS1633339658.jpg


SUininYZsnZJSwq1633339736.jpg


そしてこの開演前のファンファーレ。


DSC00591.JPG



正装にマスク。(笑)


1hq1vnBEmj2kZBC1633340046.jpg


これからここにあげる写真を後年顧みたとき、あ~2021年はコロナ禍の年だったんだなぁとしみじみ思うことであろう。


そしてなによりも自分にとって今回の印象に大きく寄与したのは、女性の和服姿。5年前の前回と比較しても圧倒的に、女性の和服姿が多かったと思います。


日本の正装コンサートの特徴は、やはり女性の和服姿と言っていいでしょうね。日本独特の雰囲気を醸し出していると思います。すごくいいと思います。日本らしくていいです。


それでは、5年に1度のサントリーホールの正装コンサート。35周年記念ガラ・コンサート2021にドレスアップして集まってくれた紳士・淑女の様子をお楽しみください。


DSC00612.JPG


DSC00622.JPG


DSC00626.JPG


DSC00639.JPG


DSC00635.JPG


DSC00661.JPG


DSC00667.JPG


DSC00674.JPG


DSC00677.JPG


DSC00694.JPG


DSC00709.JPG


DSC00711.JPG



コンサートは、イタリア・オペラ特集。


cb044WLsiEYPdpw1633341348.jpg



ルイゾッティ&東響で、海外・国内の独唱ソリストたちによるイタリア・オペラのアリア特集だった。素晴らしかった。全体のトーンがあのイタリアの情熱的な明るさの雰囲気いっぱいで、あ~これはイタリアだなぁとつくづく思った。サプライズも多くエンターテイメントいっぱいのコンサートだった。


ホールの飾りつけも含め、祝祭感たっぷりの素晴らしいコンサートだと思いました。


もう自分は、こういうコンディションで行ったので、最初からこのコンサートの詳しいレビューをするつもりはなく、ただ楽しんでこようと思っていた。


自分のことでいっぱいいっぱいであった。


コンサートレビューは、他に行かれた方や音楽専門誌の音楽評論家のレビューなどを参照なさってください。すみません。。。愛想なくて。(笑)


出演者全員にブラボーを送りたいです。


DSC00720.JPG


死とか、再起不能とかの世界を彷徨うと、人生観変わるんですよね。世の中の事象がみんな浅く感じて、入院中にスマホでSNS TLで流れてくる記事をみても、みんな感動して騒いでいることも、自分にとってなにがそんなに嬉しんだろう?という感じにシラっとしてしまう感覚があって、ものすごく世の中が浅く感じてしまう感覚があります。


修羅場をくぐると、そんなひねくれた感性の持ち主になって、感動の世界とはかけ離れた感覚になって、昔みたいに無邪気に明るく振舞えないというか、そういう気持ちの状態になります。


こういう心の傷は、やはり時間が経って忘れていかないと元に戻らないかな、とも思っていた。


これまた困ったな、と思っていたのである。


でもこの日のコンサートを体験してみて、思ったことは、やはり自分の好きな世界に接すると、そういうことも一気に忘れさせてくれる、元の自分に戻してくれるというか、生き返らせてくれるそういう一番の良薬のような気がしたのである。


2021年10月2日。


この日は自分にとって”復活の日”、”再出発の日”として一生メモリアルな日として心に残っていくことであろう。










nice!(0)  コメント(0) 

アラベラさんのメンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲 [国内クラシックコンサート・レビュー]

メンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲は、なぜここまで愛されるのか。プロモーターの方々が、いざ勝負処のここぞ!というときにかならずこの曲を持ってくるのはなぜなのか。


この曲がもつその魔性の魅力みたいなものを突き止められればいいな、と思っていた。


もちろん自分はこの曲が大好きである。昔からもう数えきれないくらいいろいろなヴァイオリニストの実演に接してきたし、そのたびにいい曲だなぁと思うことしきりである。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェンの作品、ブラームスの作品と並んで、3大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれているほど王道のヴァイオリン・コンチェルトである。


「メンコン」と愛着を持って略して呼ばれることも多く、本当にクラシックファンのみんなから愛されている。ある意味、コンサートの定番中の定番の曲と言っていいだろう。


自分はメンデルスゾーンは、やはり女性ヴァイオリニストが演奏するのがとても似合うのではないかなといつも勝手に思っている。


もちろん男性ヴァイオリニストならではのメンコンの魅力というのもあるのだろうけれど、自分はやっぱりこの曲は、女性ヴァイオリニストがいいな。


女性奏者の華やかな外見にとてもイメージがあうし、優しくて春らしい感じの曲調がとても女性向けで、この曲を演奏するなら、自分はやっぱり女性奏者のほうが断然いい。


男性奏者には、男性でないとその魅力が出せない楽曲はもっと他にありますね。



メンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲というのは、じつは2曲存在する。ホ短調とニ短調。世間一般に有名なのはホ短調のほう。ニ短調はなかなか世に出るのも遅くて知名度もあまりない。


自分は大昔クラシックを勉強したての頃、ニ短調のほうをメンコンだと思ってしまい、この曲がなぜそんなにスタンダードな名曲なのかよく理解できなかったという失敗をした経験がある。(笑)ニ短調のほうは、いまもあまり演奏される機会が少ないのではないだろうか。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、30分くらいの演奏時間で、いわゆるコンチェルトの中ではもっとも短い作品と言われている。


第1楽章から第3楽章まで、ほぼノンストップで演奏されるのが特徴。第1楽章にソリストのカデンツァが入るが、これも他のコンチェルトと違っていて、奏者に自作も含めてどのカデンツアを選ばせるかという自由もない。


もうメンデルスゾーンが造ったカンデンツアで決まりなのである。これは奏者によって、いろいろなカデンツアを演奏されると、曲自体に統一感がなくなって、それをメンデルスゾーンが嫌ったためと言われている。


明るい華やかさ、幸福感と憂愁の両面を併せもち、穏やかな情緒とバランスのとれた形式、そして何より美しい旋律で、メンデルスゾーンのみならずドイツ・ロマン派音楽を代表する名作といってもいいだろう。


でも開放的に明るい曲かというとそうでもない。どこか憂愁のイメージも備わっていて、その二面性がとてもうまく融合している曲だと思う。


プロモーターの方々が、ソリストと交渉して曲を決めていく過程で、やはりとてもマニアックなマイナーな曲を選んでしまうと、集客に影響するというか、チケットの売りに影響を及ぼすものなのだろう。


クラシックファンの中にはコアなファン層もいっぱいいるが、やはり大半層は、せっかく高いお金を払うのなら、とても有名な曲を聴いて、それなら確実に満足できるし、幸せな気分になれる。チケットも売れるし、主催者側・そしてファン側の両方において、お互いハッピーエンドで終われる、確かなビジネスとして売りさばける。。。そういう暗黙の了解というものがあるのであろう。


マニアックな演目だと、チケットの売れ行きに確実に影響を及ぼしてきますから。ビジネスとして成り立てていかないといけない主催者側の立場に立てば、その判断も至極当然なことだと思うし、自分がその立場になれば同じ行動をとるかもしれない。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、いわゆるメンコンは、そんなヴァイオリン界のキラーコンテンツなのである。


自分の自慢は、アラベラ・美歩・シュタインバッハーのメンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲の実演を今回で通算7回も体験している、ということである。



しかもアラベラさんのメンコンはNHKで放映された2015年のときのヘンゲルブロック&NDRとの映像素材をもう擦り切れるぐらい繰り返して観ているので、もう彼女がどのフレーズでどのように体を移動させ、どのタイミングでどういうボウイングするか、もう完璧に頭に入っているのである。


ヴァイオリニストにとって弾くときはその曲によって個人の個性がどうしても出るから、何回体験しても同じタイミングで、同じ所作というように壊れたコンピューターを見ているかのように、自分の頭の中に叩き込まれてるのである。



アラベラさんの来日公演のときは、かならず馳せ参じて体験することにしている自分にとって、そりゃ時折、ブリテンとかのコンチェルトをやってくれたりすると、どんなにいいことか、と思うこともある。



アラベラさんのブリテンのPENTATONE録音は、とてもダイナミックレンジの大きい自分好みの優秀録音なのでこれはぜひ実演に接してみたいな~、じかにその演奏を観るとどんな感じなのかなぁと音源を聴きながら常日頃憧れていたのである。


来日公演が決まって、演目がメンデルスゾーンと分かった時点で、またメンコンなの?という気持ちはやはりどうしてもある。しかも7回目となると。。。それが人情と言うものである。


ファンとしては、せっかくアラベラさんのコンサートに行くなら、世の中にあるいろいろなコンチェルト、リサイタルの曲を満遍なくいろいろ体験したい、と思うものなのである。アラベラさんがあらゆるレパートリーを演奏するところを観たいのである。


でも主催者側からすると、確実なビジネス、商売、そして聴衆の確実な満足感、幸せ感という見地からおのずと定番の曲に決めてしまうのだろうと思う。


そこに”クラシック界におけるメンコン必然の法則”というのが存在するのだと自分は確信している。


アラベラさんは毎年来日してくれるので(プロモーターさん感謝しています。)、また彼女自身も日本は第2の故郷と思っているので、日本でコンサートを行うことは毎年とても楽しみにしている。


彼女は母方の実家が日本なので、その際には実家に寄ることもあるのだろう。


2020年はコロナ禍と、そして彼女自身がお子さんを授かったというタイミングもあって、来日中止となった。今回は2年ぶりで自分はけっこう待ち望んでいて、ひさしぶりにワクワクドキドキしていて楽しみにしていた。



6月14日(月)ミューザ川崎 14:00~


DSC08197.JPG


DSC08255.JPG



6月15日(火)サントリーホール 19:00~


DSC08383.JPG


DSC08390.JPG


この2公演を終えてみて、自分が直感で感じたこと。


アラベラさんのメンデルスゾーンは、これで通算7回目となった訳だが、想定内だったかというとまったくそんなことはない。新たな発見、感動があって、そのたびに大感激して涙する。これがクラシックというものではないだろうか?自分が煩悩の末に到達、達観した涅槃の境地であった。


つねに新しい曲を創っていかないといけないロックやポップスと違い、何百年も昔の作曲家の曲を繰り返し演奏、表現し続けていくクラシックの世界では、何千回、何万回、同じ曲を演奏しても、その都度かならず違った感動が創り上げられ、1回たりとも同じになることはまずない。


それが演奏表現の奥深さ、ということなのであろう。みんなそれを目指して頑張っている。なんか解脱の境地というか、涅槃の境地で悟った感があった。


しみじみそういうことなんだろうな・・・と思い直したのである。



アラベラさんは人柄も控えめで、表現に誇張がなく、つねに音楽と真摯に向かい合っているところが素敵である。そしてなによりも自分のペースというのを持っている。繊細な見かけと違って、じつは心が強い、しっかりと自分を持っている人ではないかと思う。


そして好奇心も旺盛で音楽についても議論が弾む。


アラベラさんは、美しさ、技巧、情熱、そしてセンスを兼ね備えたヴァイオリニストである。


演奏スタイルは、エレガントで、ヴァイオリニストとしての立居姿が非常に美しく、教科書のような理想のフォームである。その奏者特有のクセというのが、あまりみあたらない。背筋がピンとしていて、姿勢がよく、その演奏姿はじつに美しい。


運弓もその場面、その場面に応じて、水平に、そして縦にと、とても柔軟な弓運び。


繊細で、”弱音の美しさ”、”弱奏の美”を表現することに、とても秀でているヴァイオリニストだと思っている。


もちろんツボに入ったときの大胆で情熱的な一面も持ち合わせている。



6年前の2015年ヘンゲルブロック&NDRの映像では、弓を払うようにする仕草とか、いろいろ細かな部分において、聴衆に見られていることを意識した、ヴィジュアル指向型の演奏スタイルのところがあった。またそれが容姿と相まって最高に決まっていて格好良かったこともある。


でもいまはそういう意識した所作というのが影を潜め、あざとらしさを出さないように、とても大人びた柔らかい感じの印象になった。


おとなしい、標準に近い、ある意味、以前ほどのギラギラした気負いのようなものが抜けて脱個性的な感じで大人になった。


キャリアを積んでいくとともに、自分を変えていかないといけない、経年に応じた相応のスタイルに徐々に移行することを御自身でも意識しているのではないか。


アラベラさんのメンデルスゾーンは、とても古典的、誇張した表現がなく王道をいく演奏であった。


アラベラさんに至っては、これからも極端な装飾をせず、誇張した表現であることもなく、つねに王道で、ある意味、古典的路線、保守路線を突き進んでほしいと思う。


昔から大切に受け継がれてきているクラシックの大事な部分を、これからもずっと継承していってほしい。


周りに影響、感化されることなく、つねに自分のペースで突き進んでほしいと思う。



今回の演奏を体験して、自分はそのようなことを感じたのである。そこには進化したアラベラさんの姿があって、自分にとって新しい出会いみたいなものであった。


演奏全般的には、いつもと違って、テンポがかなりゆったりで、抑揚やタメを造っていてこれまたいままで体験したことのないアラベラ・メンコンであった。


この日の演奏は、日テレが映像収録していた。これは楽しみである。いままで2015年 ヘンゲルブロック&NDRのNHK放映の録画が自分のリファレンスのようなところがあったので、これにまた新しくアラベラさんのメンコンのライブラリーが追加される。


そこには大きな進化をみることができるであろう。


今回の来日公演はいつもと雰囲気が違っていた。それは自分が感じ取っていたことでもあった。


131353843_227758395826700_5609975443603118645_n.jpg


日本音楽財団から貸与されていたストラディヴァリウス「Booth」を返却することになった。15年間お世話になりました。6月15日のサントリーホールでのメンデルスゾーンが最後であった。


Boothはアラベラさんの顔のような存在でもあったので感慨深いともに自分はショックだった。


演奏家にとって、楽器は体の一部みたいなもので、とてもセンシティブでデリケートなもの。 アラベラさんはデビューが2004年なので、2006年からということは、ほとんどBoothとともに生きたヴァイオリニスト人生だったということです。Boothはつぎは誰のもとに行くのか楽しみでもある。


諏訪内晶子さんも長年愛用してきたストラディヴァリウス「ドルフィン」を返却して、新しいヴァイオリンで再出発した。日本音楽財団にとって長期貸与はその返却をご本人に言い出すことはとても心苦しいものだったことは想像に難くない。


アラベラさんの6月15日サントリーホールでのメンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲は、そんな自分の身体の一部「Booth」での最後の演奏でもあり、その演奏会に立ち会えたこと、感動できたこと、そしてその演目がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲であったことは自分にとって一生忘れることはできないであろう。


アラベラさんの新しい楽器パートナーでの再出発を心から願っている。


2021年6月14日(月) 第2回 川崎マチネーシリーズ  ミューザ川崎シンフォニーホール  14:00~

2021年6月15日(火) 第643回 名曲シリーズ サントリーホール  19:00~


指揮:セバスティアン・ヴァイグレ (常任指揮者) 

ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー                       

コンサートマスター:林悠介

管弦楽:読売日本交響楽団                       


ヴェルディ:歌劇<運命の力>序曲                                

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲  ホ短調 作品64              

(休憩)  

ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68


















nice!(0)  コメント(0) 

米元響子 ヴァイオリン・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

自分のクラシック鑑賞人生の中でまさにこれぞ経験則だと思うのは、百聞一見にしかず、ということである。何度くり返し聞いても、一度でも実際に見ることには及ばない。 何事も自分の目で確かめてみるべきだという教えである。


つくづくそう実感する。


ピアニストもそうだが、ヴァイオリニストは必ず1回は実演に接しないと絶対ダメですね。いくらプロフィールやCDなどの音源を勉強してもダメなんです。


それじゃわかんない。
1回の実演に勝るものはないです。

1回観たら、すべてわかります。

たった1回観るだけで、そのアーティストのことがわかります。

実演に勝るものなし!


実演に接して初めて、その奏者のプロフィールや音源に繋がっていきます。音を聴いてるだけじゃ絶対わかんないだよね。全世界のオーディオマニアに言いたい!です。


たしかに音を聴いて、いろいろ想像を張り巡らせる楽しみも確かにある。
それもたしかにオーディオならではの醍醐味であろう。


でも本当にそのアーティストのことを知りたいのなら、絶対ステージを観ることをお勧めする。1回観たら、いままで辺り一面に霧が張り巡らされているようなどんよりした世界が一気に払拭され、くっきりとそのアーティスト像が浮かび上がってくるし、いっぺんにすべてが見えてくる。


なにをいままでいろいろ悩んでいたんだろう、と思うくらい、はっきりそのアーティストのことがわかるものなのである。


それはたった1回観るだけでいい。


もちろん何回も観れば、それだけ、そのアーティストのいろいろな側面も新たに発見できて、新しい側面を垣間見ることができるが、まずは1回観ること。


これはオペラ歌手などの歌手についてもあてはまるし、クラシックに及ばず、ジャズ、ロック、J-POPS、すべての音楽にあてはまることだと思う。


自分の知らない米元響子というヴァイオリニストは、いったいどういう奏者なのだろう、とずっとそのイザイ音源と、プロフィールを一生懸命勉強していろいろ想像を張り巡らせてみても、結局1回実演、その奏法を見たら、あ~こういうヴァイオリニストなんだ、ということがいっぺんにわかってしまうのである。


米元響子というヴァイオリニストのすべてがわかってしまったような。。。
それだけ視覚の訴えてくる衝撃は大きい。


昨晩つくづくその想いに感嘆としてしまい、思わず無意識につぶやきで吐露してしまった、というのが真相である。


昨日は、ハクジュホールがお届けするプラチナ・コンサート・シリーズ「ヴァイオリン・リサイタル」という企画で、米元響子さんが出演するということで、急遽チケットをとって馳せ参じたものである。2019年の20周年記念コンサートを逸してしまった自分にとって、同じ失敗は二度と出来ないという背水の陣で臨んだ。


米元響子ポスター.jpg


DSC05680.JPG


ハクジュホールは、白寿生科学研究所の所有しているホールで、健康器具など健康ビジネスを主体としている企業だけあって、絶対にコロナ罹患者、クラスターは出せないというプライド、面目があるのであろう。


チケットには、来場者カードのようなものがペアで連なって、座席番号、住所、氏名、連絡先電話番号などを書くようになっていた。


さすが!


ホワイエもこんな感じで、レセプショニストもフェースシールドなど完全装備、入り口の手の消毒、検温など万全態勢で臨む。


DSC05726.JPG


DSC05728.JPG


緊急事態宣言の中、ホール座席もこのようにSocial Distancing対応で間引き対応である。収益的にもかなりダメージになると思うが、仕方がないであろう。それでもこの緊急事態宣言の中、コンサートを開催してくれた勇気に本当に感謝したい。


DSC05771.JPG


ハクジュホールは、自分の大のお気に入りのホールである。
芸術的で実験的なその空間内装デザイン、そして抜群の音響の良さ。
都内屈指の室内楽ホールである。


DSC05700.JPG


ハクジュホールといえば、このN801くん、なんだよね。(笑)
相変わらず美しいフォルムです。


DSC05688.JPG


DSC05692.JPG



なぜホワイエにN801があるか、というと、遅刻でホールに入れなかったお客さんがホワイエで待機している訳だが、そのホール内の演奏の模様(音声)をホワイエに流すモニタースピーカーの役割なんだそうである。モニターSPにB&W N801を選ぶのは古のオーディオマニア心を刺激してナイスです。


この日の公演は、テレビ&ラジオで放映されます。

撮影入っていました。


日時はまだ未定ですが、

NHK-BS クラシック倶楽部
NHK-FM ベストオブクラシック

で放映予定です。楽しみです。絶対録画です。


おそらく5.0サラウンド音声、2K/4K/8Kのハイビジョン画像であろう。カメラがそのカット割りシーンに応じて5台、全体の空間をキャプチャーする天吊りマイク5本、そしてヴァイオリン、ピアノにそれぞれステレオのスポットマイク、とまさにクラシック番組を撮影するサラウンド収録の典型的で王道の配置であった。


DSC05712.JPG


カメラは、レンズがCANNONで、本体が池上通信機のようです。
ステージ後方の正面に、正面からアングルを撮るメインカメラ。


DSC05704.JPG



そして、ステージに向かって、右側にヴァイオリニスト、ピアニストを右横側面のアングルから撮るカメラ。床もケーブルが汚く見えないように処理してあります。(笑)


DSC05754.JPG


DSC05759.JPG


ピアニストを横のアングルから撮るカメラ。


DSC05757.JPG


ヴァイオリニスト、ピアニストを左側面そして、ちょっと下から覗き上げるようなアングルで1台。


DSC05721.JPG


DSC05724.JPG



これらの5台のカメラで録りっぱなしにして、あとで各々カット割りシーンをつなげて1本の作品にしますね。


音声マイクのほうは、まず全体の空間をキャプチャーする、音場を録るマイクですね。天吊りマイクで、L,C,Rのフロント3本。


DSC05744.JPG



ふつうのオーケストラを録るときのL,C,Rマイクアレンジに対して、ちょっと、L,C,Rの間の距離がすごい短いな、と思いましたが、オーケストラは大きいエリアを占有するのに対して、室内楽の規模だとこれくらいの距離でいいのでしょうかね。


そしてサラウンドL,Rの天吊りマイク。


DSC05762.JPG


この5本の天吊りマイクで全体の音場をキャプチャーして、そしてヴァイオリン、ピアノの各楽器の音像は、それぞれスポットマイクで録るという感じ。


ヴァイオリンのスポットマイク。譜面台の横にあります。オーケストラのスポットだとモノラルがよく使われたりしますが、さすがバシッとステレオでした。


DSC05736.JPG



ピアノのスポットマイク。こちらもバシッとステレオ・タイプ。ピアノの場合は、ピアノの弦がハンマーで打たれ、その響きの音が響板に反射されて、右側に流れますので、そこにスポットマイクを置くのが、一番ピアノの音を満遍なく上手に録るマイク配置ですね。もうこれは常識ですね。


DSC05733.JPG


まさに5.0サラウンド音声のクラシック番組を撮る王道の配置ではないでしょうか?(笑)


ひさしぶりに生音を聴いたときの衝撃。とは言っても、正月のニューイヤーコンサートからまだ1か月くらいしか経っていないのに、あまりに驚きであった。


とにかく音が大きい!
生音ってこんなに大きい音だったのか!


そしてSocial Distancing対応されたホールの響くこと、響くこと!
ずっとこのままがいいです。(笑)


いやぁじつに素晴らしい音響、これぞ、ホールの響き!という感じである。


これはちょっと家庭内のオーディオで実現するのは、無理というか、厳しいものがある、と実感とため息。もちろんビフォー・コロナのときは、そんなことを意識することは全然なく、”技術は必ず追いつきます”と豪語していたわけで、もちろん自分はオーディオファイルの味方である。


実演とオーディオ・ビジュアルの世界は常に両輪で発展してきたもので、どちらかが欠けても現在のようなクラシック業界の発展はなかったと断言できる。


それはいままでのクラシックの歴史が証明してきている。


それを生演奏だけが音楽である、なんていうのは言語道断である。


オーディオ・ビジュアルの世界はつねに実演のレベルを目標に追いかけてきた立場である。これからも本物求め、ずっと追いかけます。


このホールの響きを体験したら、この四方八方から全身に音のシャワーのように浴びせかけられるこの体感。この体感の違いこそ、これからのオーディオの突き進む道標があるのだろうと確信した次第である。


ビフォー・コロナのときは、そんなに意識しなかったけれど、アフター・コロナになって、生演奏を体験できる機会が激減して、たまにしか体験しないと、この音の大きさ、体感の違いに愕然とするのである。そして、これは毎度思うことだけれど、本番の生演奏で大感動したそのコンサートが、収録され、NHKで再放送され、それを観たときのショック。あれだけ大感動したのにも関わらず、テレビ放映で見るとこんなに音の感動の波が平坦でつまらないものになってしまうのか。。


これは業界の永遠のテーマですね。
自分が昔からずっと感じていることだし、誰もが同じ印象であろう。


現在の放送という小さなD-Range、器にはやはりもう限界が来ているのではないか、と思うのだ。5.0サラウンドのD-Rangeでは、もう表現し尽せない世界、それを感じてしまう。


NHKの22.2chサラウンドが世の中にon publicになったとき、なにをたわげたことを!と一笑した。あのときは、9.1chなどのDolby AtmosやAuro-3Dを世の中に普及させることでさえ、しんどいことで、家庭にハイトチャンネルのSPを設置させること自体、抵抗があって無理があるだろう。


それなのに、22.2chなんて・・・という感じである。


でもなんかアフター・コロナのいま、それがわかるような気がしてきた。
なるべく実存する音空間に近いままをマスター音源とする考え。


一度削除してしまった情報は二度と復旧できないのであるから、マスターは限りなく実在の音空間と同じレベルで最高のスペックでアーカイブしておくこと。


それをあとで、Dolby AtmosやAuro-3Dにダウンコンバートすればいいだけである。マスターのフォーマットは下位互換があるようにしておくことが肝要。


マスターのためのフォーマットはあまり世の中に普及できるかどうか、などの心配をしないほうがいいという考え。


自分はなんかわかるような気がしてきた。


これだけリアルなホールでの響きを体感して、家庭内のオーディオとの差が大きいと、なんとかせな、いかんというところである。


スマン、コンサートの鑑賞日記の予定が、思わず脱線方向に・・・こっちのことを語らせると、つい熱く語ってしまい止まらなくなるので。(笑)


これくらいにしておこう。


EtRCCNjUcAAGVcz.jpg


art_det_image_149[1].jpg


米元響子さんというヴァイオリニストを初めて体験して、感じたことは、女性奏者とは思えないくらい非常にパワフルで定位と音程の良さが素晴らしいヴァイオリニストだと思ったこと。パフォーマンスや虚飾といった類のものとは無縁の地に足がついた堅実な奏者だと思いました。


特に男性奏者並みのその定位と音程の良さに、自分は、なんかレオニダス・カヴァコスを思い出してしまった。

レオニダス・カヴァコス、日本ではたびたび来日してくれるのだが、自分が思うには、そのむさ苦しい風貌(失礼)からなのか、どうも人気がいまひとつのような気がする。

 
シャイー&ケヴァントハウスと良きパートナーで日本(サントリー)にも来日してくれて、聴きに行ったし、2012年の訪欧ではアムステルダム・コンセルトヘボウで彼らをシベリウスのコンチェルトで聴いたことがある。


そう言えばN響定期公演でもカヴァコス観たさにNHKホールで、これまたシベリウスのコンチェルトを聴きに行ったことがある。


結構自分にとって縁の深い奏者である。


彼の実演を観て圧巻と思うのは、そのボウイングとその音程の良さ。


右手の弓が弦に吸い付くようなボウイング。


一例をあげれば ヴァイオリンの重音奏法。
二つの弦を同時に弾けば、理論的には 音量が2倍にすることが可能のはず。


でも現実は そうではなく3度やオクターブの重音で動くパッセージでは、しばしばヴァイオリン独奏がオーケストラにもぐってしまうことが多い。 ところが カヴァコスの重音奏法は 音程が素晴らしく良いので本当に独奏ヴァイオリンの音量が2倍になったかのようにオーケストラを圧して くっきりと大ホールに響きわたるのだ。 


レコーディング、録音で聴くと 技術的な完璧さは あたりまえの成果のように思え、それほどビックリしないが、変幻自在のボウイングによる彼のダイナミックな表現力は、やっぱり生演奏を聴かないとそのスゴサはわかりえないと思う。


何回も彼の実演に接しているからこそ、わかるスゴサなのだ。


カヴァコスは本当に凄いです。
これは実演でリアルに体験しないとわからないと思う。
CDの音源を聴いているだけでは絶対わからないカヴァコスの凄さだと思う。


自分もオーケストラとコンチェルトで共演するカヴァコスを聴いたから、わかったことなのである。


oth_det_blog_image1_3683[1].jpg


米元響子さんの奏法には、そんな定位と音程の良さが際立っているような気がする。
これはじかに観ないと絶対わからないことだと思います。


米元さんは、少なくとも商業スターという路線ではなく、もっと玄人筋で売っていくような奏者のような感じがします。


モーツァルト、イザイ、ドビュッシー、サン=サーンス、そしてフランクと、ヴァイオリン・ソナタのコンサートでは王道中の王道と呼ばれるレパートリーの中で、やはりイザイを演奏するときの殺気だったあの空気感は凄いものがあった。


もちろん他の演目も素晴らしいのだけれど、イザイを演奏するときは、譜面台をステージから撤収し、完全暗譜で1人、ヴァイオリン1本でそのホール空間を朗々と凍てつかせる、その恐ろしい空気感は圧倒されました。


米元響子にイザイあり!


という感じでやはり凄かったな。他の曲のときとは全然空気感が違ったです。


イザイ・ソナタの2番でしたが、やはり2番はいいですね。自分も6曲のソナタ全曲の中で1番好きです。一番コンサート向けかもしれませんね。


この日は、イザイ1曲だけでしたが、イザイの全曲+未完ソナタだけのリサイタルになれば、相当スゴい空気感のコンサートになるのでは?と思います。


ぜひ希望します。

この日はかなり痺れました。


空気を切り裂くような鋭利な感覚というか。自分は好きだなぁ。他の演目がかなり温く感じたくらいです。でもイザイだけだと集客の面でいろいろ問題ありますか?(笑)


とにかくこの日の演奏をじかに拝見して、いままで朦朧としていた米元響子というヴァイオリニスト像がはっきり見えたのである。




EtTru42VkAA_OVH.jpg

終演後の記念撮影。
(C)ジャパン・アーツ(Japan Arts) Twitter



ハクジュホール プラチナ・コンサート・シリーズ Vol.5
米元響子 ヴァイオリン・リサイタル
2021年2月3日(水)19:00~21:15 ハクジュホール


モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第17番 K.296
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 Op.27-2
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ


インターミッション(休憩)


サン=サーンス(イザイ編):ワルツ形式のカプリスOp.52-6
フランク:ヴァイオリン・ソナタ


~アンコール

イザイ:子供の夢
クライスラー:愛の悲しみ










nice!(0)  コメント(2) 
国内クラシックコンサート・レビュー ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。