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高峰秀子展 [展示会]

銀座ミキモト(MIKIMOTO)が、昭和の日本映画を代表する女優 高峰秀子に焦点を当てた展覧会「真珠のようなひと-女優・高峰秀子のことばと暮らし-」をミキモト銀座 4丁目本店7階 ミキモトホールでスタートしている。


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高峰秀子は1924年北海道出身。5歳の時に映画「母」で子役デビュー。以後、「二十四の瞳」「浮雲」「名もなく貧しく美しく」など、50年以上にわたって300本を超える作品に出演した。キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞など、受賞数は日本映画界最多を誇る。随筆家としても知られ、「わたしの渡世日記」で第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。主な著書は「巴里ひとりある記」「いいもの見つけた」「台所のオーケストラ」「にんげんのおへそ」「コットンが好き」、夫・松山善三との共著「旅は道づれアロハ・ハワイ」など。2010年12月に死去。享年86。


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展覧会では、シンプルで丁寧な暮らしを愛した同氏の「ことばと暮らし」に注目。ライフスタイルを物語る写真と、日用品やジュエリーなど初公開となる愛用の品々が並ぶ。多くの文化人とも交流があったことを物語る貴重な作品、直筆の原稿、旅のスケッチなどを多数展示している。



まず、このパネル写真が格好良すぎる!素晴らしい。自分のセンス、アンテナにビビッとくる感じで、これは素敵なフォトだと思った。いまの格好良さと昔の格好良さは、やはりなにか基準が違うというか、センスが別物という感じがする。


もちろん昔の格好良さをそのままいまの現代に持ち込んだとしても、通用しなくて単にセンスが古臭すぎると言われるだけかもしれない。現代の格好良さというのは、いまの時代にそぐう、いまの時代ならではの、そういうセンスが必要であることは間違いない。そのセンスって、絶対時代によって違うはずだ。


でも昔の格好良さを、こういう機会に見せつけられると、なんとカッコいいんだろう!いまじゃこの雰囲気出せないな、あの頃の格好良さというのは別格だ、とシミジミ感じてしまう。


昔の時代というのは、スターというのは、よりカリスマというか、神格化されつつある存在で、庶民からするとずっとずっと遠い存在であることに余計に憧れを感じてしまう。そういう存在だった。でもいまの時代は、そんなのダメだろう。逆にシラケちゃう。より自分たちに近い、ユーモアにも溢れ、庶民の味方というかそういう親近感を感じる、それでいて素敵な部分も兼ね備える、そういうスターが好まれるように思う。


やっぱり時代が違うと思う。


自分はこのパネルフォトを見た瞬間、カリスマ、神格化されつつあった銀幕のスターの時代を彷彿とさせるようなそんなあの当時の威厳、気配感を感じた。



高峰秀子さんは、もちろん自分の世代ではなく、うちのオフクロの世代だ。何を隠そうオフクロが、高峰秀子さんの大ファンであった。青春時代ずいぶん憧れていたそうだ。子供の頃によくその話を聞かされていたので、名前はよく存じ上げていたが、なにせ原節子さんもそうだが、高峰秀子さんは、自分にとってはまったく遠い世界の人で、名前と若い頃の写真を拝見したことはあっても、その女優活動やキャリアは存じ上げなかったし、作品も観たことがなかった。


今回MIKIMOTOで、そういう展示会をやるということを知って、このパネルフォトがあまりに素敵だったので、これはいい機会だと思い、高峰秀子さんのことを知るいいチャンスだと思ったし、きっといま闘病中のオフクロも喜ぶだろう、オフクロが思春期に憧れた大女優を知ってみたいということで行ってきた。


高峰秀子さんは、なにせ1979年に女優引退だから、自分が中学3年生のときには、もう銀幕の世界から引退されている。晩年の頃も、残念ながら自分の記憶にはまったくない。全盛のときは、1930年から1965年あたりの活動だ。もう自分が生まれる前が全盛期だったのだ。物を書く才能にも恵まれ、その後はエッセイストとして、いろいろ作品を残していかれたようだ。


まさに銀幕のスター時代、大女優時代の神話・逸話はたくさんある。



役者によっては個人の個性が前面に出てしまい、「何を演じても、誰それ自身」というタイプの俳優も少なくないが、高峰秀子の場合、その対極であり、まさに百変化とも言うべき、多様な役を、その役の性根をつかんで演じきった日本映画史上、稀有の名女優であった。晩年にいたっても、舞台出演は極めて少なく、「映画でデビューし映画で引退した」、日本映画史上、最高の大女優・名女優として評価される存在である。



1955年(昭和30年)2月25日、当時木下の助監督をしており『二十四の瞳』の撮影で出会った松山善三との婚約を発表。仲人は川口松太郎・三益愛子夫妻と木下惠介の3名だった。めでたい話が漏れてゴシップ扱いにされるのを嫌った木下が自ら報道各社に「松竹の木下ですが、うちの松山君と高峰秀子を結婚させますので取材に来てください」と電話をして関係者一同による記者会見を行い、これが芸能人の結婚記者会見のさきがけといわれている。



1975年(昭和50年)、『週刊朝日』誌上で『わたしの渡世日記』を連載。この本では関係者を実名で登場させ、国民的女優、かつ一人の女性としての半生を率直な態度で回想している。その内容に「本当に本人が書いているのか」という問い合わせが殺到したが、当時の週刊朝日の編集部では、「ゴーストライターを使っているなら、あんな個性的な文章にはなりません」と答えたという。



1955年(昭和30年)に松山善三と結婚し、麻布十番近くの瀟洒だが、大女優と呼ばれる人物の邸宅としては質素な家に住んでいた。当初は、西洋の教会建築を模した建物であったようだが、平成以降、老後に備えて建物を小じんまりしたものに改装し、晩年は殆ど外部との接触を絶ち、早寝早起きの生活で余生を楽しんでいたと言われる。



大の愛煙家であった。著書『おいしい人間』によれば、初めて煙草を吸ったのは22歳の時、映画『愛よ星と共に』のために煙草を吸う練習をしたとあり、「それ以来、相当なヘビースモーカーになり果てて今日に及んでいる」と書かれている。著書『コットンが好き』に、お気に入りの灰皿とライターの写真があり、高峰の文章と共に紹介されている。86歳での死因は肺がんであった。



『文藝春秋』で日本一の美人を決める対談企画があった際、高峰は「『美女』である以前に人柄や教養も含めた『美人』でないといけないという観点」から美智子妃を推し、企画で選出している。


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なにせ膨大な出演作品数であるから、全盛期の女優時代の活躍は、もうネットで拝見する限りあまりに情報過多で消化しきれないので、それ以外のいわゆる本業以外の素の部分というか、自分の感性に引っ掛かった部分はこんなところが印象的であった。


やはり、高峰秀子さんを語るには、その作品をひとつは拝見しないといけないだろう。どのような女優さんなのか、どのような演技をなされるのか、そこを拝見したいと思っていた。


たくさんの代表作の中で、高峰秀子さんの最高の代表作は、「二十四の瞳」であることがわかった。高峰秀子さんは、作品に木下惠介監督は計12本出演。「二十四の瞳」は「浮雲」と並ぶ秀子の代表作で、小豆島の分教場に赴任する新人教師を演じ、当時の女優賞を独占。


これはあまりに有名な映画で、もう何回もリメイクされて上演されている定番中の名画であり、自分もよく知っていたが、映画そのものを観たことはなかった。


よし!これにしよう!


「二十四の瞳」は、1954年(昭和29年)に、高峰秀子さん主演で映画化された。これがオリジナルである。


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『二十四の瞳』は、1952年(昭和27年)に日本の壺井栄が発表した小説である。第二次世界大戦の終結から7年後に発表された小説で、作者の壺井栄は、自身が戦時中を生きた者として、この戦争が一般庶民にもたらした数多くの苦難と悲劇を描いた。


発表の2年後の1954年(昭和29年)に映画化された『二十四の瞳』を含め、これまで映画2回、テレビドラマ8回、テレビアニメ1回、計11回映像化されている。


映画は、オリジナルの高峰さん出演作品の他に、もう一回リメイクされているが、それが1987年。自分が上京した年だ。(笑)田中裕子さんが演じられている。


テレビドラマのほうは、1回目が1964年。自分が生まれた年だ。(笑)香川京子さんが演じられている。


高峰秀子さんは、北海道函館出身だそうで、なんか、自分となにかしら縁があるのかもしれない。オフクロが大ファンだったとはいえ、こうやっていまこの時代に高峰秀子という大女優に興味を持つということ自体。そんな感じがしてきた。


Amazon Prime Videoでさっそく、高峰秀子主演のオリジナルの「二十四の瞳」を拝見した。


まず高峰秀子という女優について。


やはりこの時代の銀幕のスターらしい、メリハリが効いて、しっかりした、活舌のいい、いかにもスターらしいセリフ物言いに、演技。シャキシャキとしていて、あ~これはこの時代のスターの代表的な感じだな~という印象。いまの時代だともうあり得ない。


でもこの時代の大女優さんは、やはり基本ができているというか、すごいと思うのは、活舌がいいことはもちろんのこと、声の張りや声量がしっかりしていて、すごい声が通るんですよね。もう他の出演者とは、もうあきらかに違うという一線が引かれているくらい違う。で、オーラがすごい出ているので、やはり存在感が全然違う感じで、これは素晴らしいと思いました。1954年(昭和29年)という自分が生まれる年の10年以上前の作品なのに、思いっきり感情移入してしまいました。


高峰秀子さんは確かに美人なんだけど、つんつん系の美しさというよりは、キョロとした瞳で、雰囲気的に可愛らしい愛嬌のある女性のように感じます。美しいというより可愛いですね。撮影所では、「デコちゃん」という愛称で親しまれていたようですが、そんな雰囲気がよく似合う素敵な女優さんだと思いました。


二十四の瞳は、女教師が、12人の教え子たちと心を通わせながら、戦時中の時代を経過するにつれて、その波乱の世相とともに、その教え子たちがどのように変化していき、後年そのうちの数人の教え子と再会して、あの頃の想い出を共有し懐かしむ、というようなストーリー。


自分もようやく、この有名な映画を、そのオリジナルで観ることができました。

素晴らしかったです。


なんかこの映画を観ていると、自分が昔、大学生のときにアルバイトとして塾講師をしていたことを想い出してきました。オヤジも高校教師だったし、教師として生徒に勉強を教えながら、お互い心を許しあい信頼関係を結んでいく・・・そういう関係性が懐かしく思い出されました。


学校の先生と違い、塾講師というのは、結局受験のための秘訣や、ためになることをきちんと教えてくれる先生が、やはり最後は勝つというのが自分の経験談でした。確かに話術に長け、面白いことを言える先生は人気が出るかもしれませんが、でも塾講師の場合、受験でなんぼの世界なので、結局生存競争に残れる先生、生徒から信頼を得られる先生は、そんな話術より、いかに丁寧に分かりやすく、受験のためになることを教えてくれるか、そういう真摯な態度の講師が最終的には勝つし、生徒のアンケートもそういう先生に票が集まります。


これが他の塾講師の先生方を見ていて、自分の体験談も踏まえ、習得した結論でした。自慢ではないですが、自分は生徒のアンケートはいつもすごくよかったです。(笑)塾講師はこのアンケートがかなりその塾における評価になる指標になります。


なんか、この映画を観ていると、急にそんなことが頭の中を駆け巡りました。

オヤジは、就職するときは、かならず企業就職だけではなく、教員免許も取っておけ、人生なにがあるかわからんからな、とよく自分に言っていました。

オヤジは自分が炭鉱に務めるために九州から北海道に移住してきましたが、結局体を壊し、仕事を辞め、それから高校教師として生計を立てるようになりました。

そんな体験から息子の自分にアドバイスしたのだと思いますが、自分は結局教員免許は取りませんでした。


いま教員は大変ですね。教員免許更新するのに試験を受けないといけなかったりで、すごく大変だと思います。


なんかこの映画を観ていると、そんな想い出が走馬灯のように頭をかけめぐったです。


女優として高峰秀子さんを理解したうえで、今日、銀座ミキモト(MIKIMOTO)の展示会に行ってきました。


銀座ミキモト、MIKIMOTO。


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おそらく女性の方であればともかく、男である自分には一生涯縁がない処ではありますね。(笑)

ジュエラー、宝石を扱う専門ブランドです。


このMIKIMOTOの7Fに高峰秀子展があります。


エントランスのところにパネルが用意されていて、このスポットは撮影可能だそうです。

これは私のカメラで撮影した写真です。あとは撮影禁止です。


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高峰秀子展は、暗室の中に数々のモノクロの写真が展示されていて、それぞれの素敵な写真にはかならず高峰さんのエッセイのひと言が添えられているという感じで、これは観ている者に対して、なにかその写真が自分に語り掛けてくるようなそんな説得力がありました。


これは素晴らしいと思いました。

高峰秀子さんは、キャリア中にパリに滞在していたこともあって、そのときに夫とのロマンス、その後運命を共にすることになっていく。そんな夫との一連のロマンスを、エッセイ付写真でどんどん語り掛けてくる。。。そんな感じです。


遺産として残されていた高峰秀子という女優人生の中のプライベートな1枚1枚のモノクロ写真が、本人のエッセイ付で絵巻のように紹介されていく。真珠が特に好きだったようで、その真珠に対する並々ならぬ愛のエッセイも紹介されていました。それがMIKIMOTOとも関係してくる大きなポイントなのかもしれません。


そのほかにも、年表や日用品、初公開となる愛用の品々が並んでいて、多くの文化人とも交流があったことを物語る貴重な作品、直筆の原稿、旅のスケッチなども展示されています。


なかなか素敵な展示会だと思いました。


4月12日から5月12日まで、です。

ぜひ行かれてみてください。



女優としてだけではなく、「銀座カンカン娘」では主題歌も歌い、公開前に発売されたレコードは50万枚(1957年時点)もの売上げを記録して大ヒットした、当時のハイカラそのものの存在だった高峰秀子。この展示会にオフクロを連れて行ってやればさぞかし大喜びだったに違いない。これこそが本当の親孝行というものであろう。いまやそれもはかなき夢となってしまいました。









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