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マイタウン 自由が丘 マリ・クレール通り 後編 [街歩き]

そして、ここが九品仏川縁道です。もう~素敵すぎです!マリ・クレール通りというと、この通り、このストリートの風景のことを言っていることが多いです。正確には、九品仏川縁道と言います。


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普段のマリ・クレール通りは、暖かい陽気の日には、通り沿いで買ったスイーツを持った人や、読書をする人、デート中のカップル、ペットの散歩中の親子など、思いのままに木漏れ日の下に腰を下ろしている姿が並び、とても穏やかな時間の経過をあらわしています。


もうここは自分のディープなマイスポットです。

病院の帰り、薬局でお薬をもらったあと、とくに用事がない場合は、大抵ここのベンチに座ってホケ~としていることが多いです。こういう時間を持てることが至福の楽しみです。都会の片隅にこういう素敵な空間があるとは、これは急にできることではありませんね。何年もかけて計画的に都市計画・開発をしていかないと、こうはならないです。




この九品仏川縁道沿いにもなんとも素敵なスポットがいっぱいあります。



FLIPPER'S 自由が丘店


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ここは素晴らしいですよ。パンケーキと卵料理がメインのお店なのですが、いまはだいぶ落ち着いてきましたが、開店当初は、もう若い女性の長蛇の行列で凄かったです。大人気のお店です。


この看板の写真でもわかるように、もうパンケーキがあまりに美味しそう。自分もこの看板についついつられて、この長蛇の列に並びました。2回ほど経験あります。もう周りは若い女性ばかりの中を、自分のような初老の男性が並ぶのはかなり恥ずかしかったです。(笑)


長時間待って挙句ありつけたパンケーキはもちろん美味しかったけれど、あっという間、こんな感じなのかな、と思ったことは確かです。



木目調のインテリアで整えられたおしゃれな店内で、採れたての卵を使った心にも体にも優しい一皿を楽しめます。


この看板メニューの"奇跡のスフレパンケーキ"


北海道産の甘く新鮮な牛乳、国産小麦、竹鶴ファームの採れたて卵など、厳選された素材を贅沢に使って作り上げる"奇跡のスフレパンケーキ"は、ここでしか味わえない一皿。確かにウマいです。みんなこの"奇跡のスフレパンケーキ"目当てにやってきます。自分もそうでした。



自由が丘SHUTTERS (イタリアン)


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ここは基本イタリアンです。でも前を通りかかるといつも混んでいます。外のテラス席もお天気にいい日はいっぱいになります。この自由が丘だけでないですね。首都圏を中心に店舗を広げて運営しているようです。シックな色調で整えられた店内では、落ち着いてゆっくり過ごせる居心地の良い空間。


看板メニューは100%国産の豚肉を使用したスペアリブと、100%国産のりんごを使用したアップルパイアラモード。スペリアリブは食べたことありますが、美味しかったですよ~。


なんか店内の内装が、赤坂、銀座のような高級というわけでもなく、ややカジュアルな装いが多く、いかにも自由が丘だな~と感じるお店です。



九品仏川縁道の端のほうにあるこのうなぎ屋さん。八沢川さん。


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いつも前を通るたびに、入りたいな~という衝動に駆られますが、うまぎ高いよな~と思い、寸前のところで思いとどまります。一度食べてみたいと思っています。




自由が丘 スイーツフォレスト


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20年間、この街を歩いてきて思うことは、自由が丘ってスイーツの街だよね、ということです。

この自由が丘スイーツフォレストは、その天王山にあるところではないでしょうか。


スイーツだけのテーマパークというコンセプトは、この「自由が丘スイーツフォレスト」が日本で初めてだそうです。自由が丘=スイーツの街というイメージはここが最たる所以ですね。


SNS映え間違いなしの店内外の造りや、メルヘンチックな空間で食べられる絶品スイーツが若い女性を中心に注目されています。フロア内には、スーパー・パティシエによって作られた、出来立ての絶品スイーツを頂けるお店が8店舗あります。韓国資本系が3店舗もあり、このスイーツフォレストも資本力として、韓国傘下になってしまうのでしょうか・・・。


オールピンクという色が凄いですね。平日の日に行ったので、誰もいませんでしたが、普段は若い女性でいっぱいです。以前にも病院デイケア仲間とこのスイーツフォレストに行ったことがあります。相変わらず圧巻でした。


このピンクの公衆電話ボックスというのがいいですね。



マリ・クレール通り、そして九品仏川縁道は、こんな感じになります。




ここでまた自由が丘南口の戻って、病院に行く途中の経路を散策してみましょう。ここも20年間通い続けただけあって、もう馴染みの場所、風景がいっぱい並びます。



病院へ行く道も、九品仏川縁道から繋がっていることもあって、こういう植樹とベンチで癒しの光景が現れます。


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よくこのベンチで、コンビニで買ってきた弁当を開封して食べていると、空から突然カラスの軍団に襲われたり、地上でも鳩がどんどん寄ってくるなど、かなり危険な状態になります。(笑)病院に行く途中のこのベンチはそんな想い出ばっかりです。



ここが毎年5月~6月になると紫陽花がいっせいに咲くスポットです。いまはまだつぼみですね。規模は小さいですが、決して北鎌倉の明月院に負けていないと思います。(笑)ここでスマホで記念撮影するのが、毎年の日課になります。


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無邪気


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自由が丘南口にある豚骨醤油、家系ラーメンのラーメン店。ここは病院デイケアの仲間とよく昼食のときに食べに来ました。お昼時間になると、”よし!これから無邪気に行くぞ!”というのがみんなの合言葉でした。確かに美味しいとは思うけど、自分の心の琴線に触れるウマさかというと、そうでもなくプライベートではあまり来たことがないです。



自由が丘 DELI BREEZE


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お惣菜、お弁当のお店です。無邪気の隣にあります。病院デイケアでは、一時期はお昼はみんなで無邪気に行く、という選択肢が多かったですが、それに飽きてきたみなさんは、その後、このお店でお惣菜とご飯を買ってきて、病院で食べるという選択肢が多くなりました。後年は圧倒的にこちらのほうが多かったです。


自分はこっちのソリューションのほうが、全然いいと思ってました、当時。ここのお惣菜はすごく美味しいです。自分も積極的にこのお惣菜屋さん、利用してました。

インスタ、フォローしておきました。




鶏匠 自由が丘店


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病院のすぐそばにある鶏料理専門店&居酒屋。ここの前を通るたびに、一度入ってみたいと猛烈な衝動に駆られます。でも基本居酒屋なんで、夜からの営業になるんですよね。だからいままで一回も体験出来ていないです。


いつかは!と狙っているお店です。



自然食品 F&F


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F&Fでは、全国各地の直接契約農家から送られてくる新鮮な野菜・お米をはじめ、無添加の調味料、お弁当・お惣菜、手作りパンなど美味しく安心安全な食材がそろうお店。いわゆるちょっとしたスーパーマーケットみたいな感じです。違いは自然食品に拘っている、というところで、駅の南口から病院に行く途中に必ず目の前を通るので、気になるときは、ときどき中を覗いてみます。



ここで、また南口のほうに戻りますと、東横線の線路の踏切を通り過ぎると、亀屋万年堂さんがあります。


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ここもよく使います。自分のおらが街にも駅前に亀屋万年堂があり、よくオーディオオフ会のときのおみやげとして、ここでナボナを買っていきます。


そうです。亀屋万年堂といえば、王選手のナボナはお菓子のホームラン王です!というあのお菓子です。自分はあれが好きなのです。美味しいと思います。


自由が丘を歩いていると、無性にこれが食べたくなり、ここで調達することが多いです。


じつは、亀屋万年堂の総本店というのが、自由が丘の北口エリアにあるのです。ここの総本山もじつは自由が丘にあったんですね。



その亀屋万年堂をずっと行ったところに、三井住友銀行があります。マイバンクです。自由が丘を歩いていて、これから他の街に繰り出すとか現金が入用のときは、ここで調達します。自分がちょっと北口エリアに入るときです。


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ざっとこんな感じです。

20年間歩き続けてきた自由が丘南口エリア、マリ・クレール通り、九品仏川縁道はこんな感じのところです。もう知り尽くしているマイタウンという感じです。


自由が丘の北口エリアは意外や普段行かないんですね。用事がない限りあまりこちらの方面には出ない。でも街のエリアとしては、北口のほうが大きいと思いますし、自由が丘繁華街、自由が丘スポットとしては、やはり北口エリアなのではないか、と思っています。


今度じっくり北口エリアを散策して、日記にして紹介したいと思います。


自由が丘北口エリアで、とてもお勧めの観光スポットがあります。


ラ・ヴィータ


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”自由が丘のベニス”とも言われ、写真撮影スポットとして人気を集めている小さな商業施設。水の都で知られるヴェネチアの街を再現しており、洋風の橋がかかる小さな池にはゴンドラが浮かびます。そしてレンガ造りの建物にはショップやサロンが数軒、まるでイタリアの街角を歩いているかのよう。


買い物目当てというより、写真撮影を楽しむ人が多いのも特徴で、ドラマや雑誌の撮影に使われるのも納得の、まさに”インスタ映え”スポットです。


自分は遠い昔行ったことありますが、それはそれは大感動しました。まさにこういう感じが、”自由が丘”そのもの!というイメージだと思います。やっぱり自由が丘のメインスポットは北口だな、と思い知らされた瞬間でもありました。


また是非再訪したいと思います。










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マイタウン 自由が丘 マリ・クレール通り 前編 [街歩き]

自由が丘は、病院がそこにあったから、つまり主治医の先生が、自由が丘で開業されたので、お付き合いしてきた街なのだといま思えばそういうことなんだろうな、と思う。


そうでなければ、自由が丘のような若者の街に自ら足を運ぶということはあったであろうか・・・。


2004年からおよそ20年間通い続けてきた街だが、いまよく思い出してみれば、2004~2009年間の6年間は、月4回、つまり毎週通っていた。2010年からの13年間は、月2回で通い続け現在に至る。


これだけ頻繁に通っていれば、知らず知らずそこを通るのであるから、好き、好きでないにかかわらず、その街のことがわかってしまうものだ。


もちろん自分は自由が丘は大好きな街である。

いまの東京での生活での精神面で支えて来てくれた命の恩人のような街である。

自由が丘なくしては、いまの自分はなかったであろう。

まさに自分の青春の街であり、いまもどっぷり依存している街である。


自由が丘は、駅でいうと北口エリアのほうがメイン・エリアで街としては大きく栄えている。

でもじつは南口エリアのほうがずっと素敵なのだ。


自分は自由が丘といえば、やっぱり南口なんじゃないかな~と思うのだ。


それは何を隠そう、病院が南口のほうにあるから。(笑)


自由が丘の南口エリア、すなわちマリ・クレール通りは、まさにマイタウンと言っていい。どんな袋小路の細かい道に至るまで知り尽くしている。完璧なまでに知り尽くしているエリアである。どれだけここに時間を費やしてきたか。ただぶらぶらと歩き回ったり、いろいろなお店で食べたり、飲んだりしてきたか。


自分にとって、休日の最初の土曜日。いちばんウキウキする、今日からお休み、さてなにをやろうかな、と妄想を膨らます一番楽しいとき。そのときが、病院の定期診察が終わった後の自由が丘 マリ・クレール通りで過ごすひとときなのだ。


だから、この街、このエリアは、明るくて楽しい気分の記憶しかない、この20年間。なんかいつも天気は快晴だったようなイメージしか残っていない。


そんなマイタウンである自由が丘 マリ・クレール通りをぜひ日記で紹介してみたいと思い、実行に移すとする。


自由が丘南口。


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自由が丘北口は構内からしてすごい広くて大都会の駅のような感じだが、南口はほんとうに小さい。ついでにあるという感じである。(笑)



この隣には、スイーツのお店がある。こういう感じがいかにも自由が丘らしいのだ。すべてにおいてこんなテイストである。


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自由が丘はメインは東急東横線だが、大井町線も交差しており、この下をくぐっていくと病院のほうに向かう。そこに商業ビルがあって、いろいろなテナントが入っている。


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このビルの看板に、”牛たん焼き 仙台辺見”というのが見えるだろう。2018年、はじめて仙台に音楽旅行に行ったとき。なぜ牛タンといえば仙台なのか。その永遠のテーマをずいぶん勉強させてもらった。仙台市にある牛タン焼きの元祖のお店「太助」の牛タンを食べるのをずいぶん楽しみにしていた。


ところがそれまで待てないのだ。(笑)もう本番前のずいぶん前から盛り上げてしまったので、期待に期待が重なってしまい、仙台の牛タンってどんな食べ物なんだろう?牛タン焼き、麦めし、テールスープ。これがどんな味がするのかもう我慢できなくなってしまった。それで、本番の仙台行を前にして、病院帰りにこの自由が丘の仙台辺見で一足はやく牛タン定食を堪能したのだった。


それがここ自由が丘のお店である。これが牛タン焼きか~。まっ普通に美味しかったけれど、自分の周りがガラス張りで食べているところが丸写しになっているのがちょっと嫌でした。



自由が丘南口を出たすぐ前を通っている通り。これがマリ・クレール通りである。

ここは自由が丘南口商店会という組織が管理運営している。


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マリ・クレール通りは、地区のイメージづくりの取り組みの1つとして、フランスのファッション誌、マリ・クレール社および中央公論社の女性誌「マリクレール」とのタイアップにより実現し、1984年に正式に通りの愛称として採用されたのである。いわゆるマスメディアの力を街のブランディングに最大限に活用した取り組みという感じの計画的な街作り、ストリート作りなのである。


「マリ・クレール通り」は、カフェやセレクトショップが並ぶ、まるでパリのようなオシャレなストリートで、そのフランスのファッション誌「Marie claire」の名がつけられたこの通りは、雑貨やスィーツ、カフェ、ブティック、アパレルブランドなどが立ち並び、さらにもう1本奥に入ったストリートでは、中央に桜の木とベンチが長い距離に渡って設置され、自由に外での時間を過ごすことができるようになっている。


この通り沿いのカフェ、レストランは本当によく利用した。毎週土曜日の自分の食事処といってよかった。ここで大抵の用を足す。だからいろいろ散策して物色するので、どこにどのお店があるか手に取るようによくわかる。


でもそこは自由が丘、やはりお店の出入りも激しいんだよね。逆にずっと長年老舗としてやっているお店もあるし。この通りには大戸屋もある。よく病院デイケア仲間とこの通りの大戸屋で昼ご飯食べました。大戸屋はチェーン店だけど、やはり和食好き、日本食が一番の自分にとって欠かせない腹満たし処ではあります。


スープカレーのお店もあります。


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2014年頃だったかな?ここのお店に、たくみちゃんといっしょに入ったことあります。そのときはお互いFacebookを利用したての頃だったからFacebookについていろいろ情報交換した覚えあります。店内は狭いけど、スープカレーはなかなかのものでした。



マリー・クレール通りをずっと行くと、このカフェがあります。

エクセルシオール カフェ。


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ここもドトールコーヒー傘下ですね。自由が丘は本当にドトールコーヒー系強いと思います。自由が丘南口にあるカフェは、ほとんどドトールコーヒー傘下ではないでしょうかね?(笑)イタリアンエスプレッソを中心とした日本生まれのカフェのチェーン店で、どこの街でもかならずありますね。


自分はこのマリ・クレール通りのエクセルシオール カフェ、よく使うのです。自分は歳寄りだから、朝目覚めるのがすごい早いんですよね。で、ずっと診察時間まで家で待っているのは苦痛なので、もう出かけちゃう。自由が丘に早く着いたら、ストリートのお店の開店時間はふつう10時とか11時とか。そうすると、どこもまだ閉まっている訳ですよ。


そんな中で、このエクセルシオール カフェは、朝早くから開いていて、自分の居場所を作れる。ここで朝のコーヒーとクロワッサンをいただくのがいつもの定番メニューになります。店内もなかなか素敵です。



その向かいにある東急デパート。


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自由が丘の中心部には大型のショッピングセンターやアミューズメント施設はないと書きましたが、実際はあります。(笑)やっぱり自由が丘に居住している方もいらっしゃりますので、生活必需品、飲料、食料などを調達するところがないと困ります。東急デパートはそんなところです。品揃えはかなり立派です。


自分はこの東急をどのように使っているか、というと、トイレです。(笑)

自由が丘を歩いているとどうしてもトイレがしたくなるときがあります。そのときにカフェにトイレだけのためにお邪魔したりするのも気が引けますし、他のところも同様です。でもデパートであれば、もう人目を気にする必要はありませんし、堂々とトイレを使えます。自分は、この東急デパートの2Fにあるトイレはよく使わせてもらっています。(笑)



吉野家


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じつは自由が丘という街は、お腹が空いているときに、ガッツリ食べるところが意外や少ないんですね。マリ・クレール通りを突き抜けて、東急デパートの前を左折すると、そのまま直進すると、東横線の線路に突き当たりますが、その踏切を通り過ぎると、いろいろ飲食店街が並んでいます。およそ、お洒落な自由が丘らしくない、かなり庶民的な飲食街屋さんです。ラーメン店、飲み屋さん、とかいろいろ・・・。でも自分が病院に行くときは朝早い午前中なので、これらのお店は大抵夜、夕方から開店なのです。


診察が終わって、ガッツリ食べたいときは、午前中、お昼の自由が丘というところは本当に困るのです。そんな中で、踏切を突き抜けたところに、この吉野家さんがあります。


吉野家の牛丼か~と思ったりしますが、なにせお腹ペコペコなので、思わずここで済ましてしまうということがすごい多いです。自由が丘滞在期間中、この吉野家さんはかなり利用した回数多いです。そんな記憶がいっぱいあります。




このマリ・クレール通りで自分の最大のスポットといえば、このカフェです。

じつは自分が通い詰めていたカフェは、残念なことに去年の2022年2月13日をもって閉店になっていたようでした。もう大ショック。まさに自由が丘のマリ・クレール通りを代表する顔のような存在のカフェでしたので、そこが閉店してしまうなんて、心の柱をポッカリ失ったような喪失感です。


でも代わりに、すぐ2022年4月からオープンしたのが、このカフェ・モーツァルトのようでした。これは素晴らしいカフェですよ。おそらく自由が丘マリ・クレール通りの顔、No.1と言っていい存在感です。


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この褐色系の色調に、クラシックな装いの内装空間。もう素敵すぎます。BGMに静謐でゆったりしたクラシック音楽が流れておりました。いや~いい雰囲気だな~と思いました。


壁には絵画も飾られていてとても素晴らしいです。


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最後の会計、チェックのときも伝票ではありません。こういう鍵を渡されていて、それがお客番号に相当するんですね。メニューはあらかじめタブレットなどで、自動入力、記憶されていて、この鍵番号と共に管理されているのだと思います。


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やっぱりカフェ・モーツァルトというだけあって、メニューにはオーストリア・ウィーン系のスイーツが並びます。自分は定番だとは思いましたが、ザッハトルテとモーツァルトティーブレンドをいただきました。

ザッハトルテは、デメルじゃないですね。たぶんウィーンザッハのほうだと思いますが、かなり小振りなサイズで、おそらく自家製のザッハトルテのように思いました。


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自分は、ここまで来て、カフェ・モーツァルトという名前、そして店内メニューがウィーン系であることから、ザルツブルクのカフェ・モーツァルトと関係があるお店なのかな、と思いました。会計のときに店員さんに聞いてみたのですが、よくわからないようです。


2013年にザルツブルクに行ったときに、入ったカフェ・モーツァルト。(そのとき自分が撮影した写真)


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絶対このザルツブルクのカフェと系列店だと確信したのですが、どうもそうでもなさそうです。いろいろネットで調べてみますと、



『MOZART』 といえば、自由が丘にも「洋麺屋五右衛門」、「腰塚」をはじめ多ジャンルの飲食店を展開する「ドトール」のグループ会社「日本レストランシステム」が運営するブランドだそうで、およそ6年半ぶりに「自由が丘店」として復活し、インド直輸入の紅茶とケーキを提供するカフェになのだそうだ。


かつて自由が丘に2店舗あったカフェ モーツアルトでしたが2014年、2015にそれぞれ閉店してしまっていた。


現在は、正面口にパンとケーキを扱う「モーツアルト自由が丘北口売店」が営業中。カフェ モーツアルト復活の地は、「カフェラミル自由が丘店」があった場所。2022年2月13日(日)で閉店し、その跡地に日本レストランシステム株式会社の店舗が入ることとなった。


以前のカフェ モーツアルトでは赤いファザードが印象的でしたが、新しくオープンしたお店は白やゴールドを基調にしたシックで大人っぽい印象のエクステリア。


カフェ モーツアルトは、モーツアルトが流れる店内で、手作りケーキとくつろぎの時間が楽しめるカフェ。インド直輸入の最高級ダージリンティーもラインアップし、香り高い優雅な気分を味わえるそうです。


なんか、全然違いましたね。(笑)


最近、自由が丘の南口、マリ・クレール通りをぶらぶら歩いていて気付くのは、ドトールの多さですね。いろいろなところにあのドトールが出店してます。せっかくお洒落な街並みにドトールはやめてほしいな、と思いますが、やはり力、そして資金力があるんでしょうね。


でも、このカフェ・モーツァルト、なかなか素敵なカフェでこれは贔屓にしてしまいそうです。


じつは、このカフェ・モーツァルトのあった場所には、かつて”カフェ・ラミル”というカフェがあったのです。

(2011年の自分が撮影)


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このカフェこそが、自分が自由が丘 マリ・クレール通りを語るうえで絶対避けては通れないカフェで、2004年からおよそ2015年くらいの10年間通い詰めていました。病院の診察が終わった後、かならずこのカフェ・ラミルで休憩して、コーヒーとこのカフェお手製のモンブランをいただくのが常だったのです。店内は木製の薄暗い照明で雰囲気ありました。


自分が、このカフェ・ラミルに嵌った理由は、そのお手製モンブランです。(2011年の自分が撮影)


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モンブランというと栗味のする線状が渦巻いたそういうケーキを想い出すかもしれませんが、ここのモンブランはちょっとかなり違うのです。相当スタンダードと違います。


東京自由が丘ということころはモンブラン発祥の地として有名です。自由が丘にはそのモンブラン発祥のお店「MONT-BLANC」というお店があるのです。これは南口ではなく、北口のほうのカトレア通りなのですが、それだけモンブランにはうるさい街なのです。


南口にもモンブランの有名なお店あります。マリクレール通り沿いにあった和栗モンブラン専門店「栗歩」と、九品仏川緑道沿いにあった姉妹店・さつまいもスイーツ専門店「いもこ」が統合。2022年8月13日(土)に「栗歩と芋こ 自由が丘店」としてオープンしたそう。今度行ってみます。


それだけモンブランには伝統があって、モンブランにうるさい自由が丘ですから、やはりこのカフェ・ラミルのモンブランは、そういう標準仕様とはかなり違う独特の味、デコレーションなのです。


カフェ・ラミルのモンブランは、全面的に白色の甘いクリームで構築、覆われていて、ちょっとアーモンドっぽいじつに美味しいテイストなのです。これはいままで食べたことがない。ケーキの種類としてもこんな美味しいケーキは経験がないな~、というそんな衝撃でした。


以来、すっかりこのカフェ・ラミルのモンブランが気に入ってしまい、通院が楽しみでした。診察が終わったら、このモンブランが食べれるんだな~と思うとうれしくて、うれしくて。


しかも1個の注文では足りません。かならずお替りの2個、3個のオーダーをしていた記憶があります。1回行ったら、かならず2個から3個いっぺんに食べてたということになります。(笑)食いしん坊ですね~。あまり恥ずかしいとは思いませんでした。(笑)


しかもこのモンブラン、あまりに好きすぎて、ついにホールで注文してしまうことになるのです。店内ではウィンドウケースの中にホール上で冷蔵設置されていて、自分がモンブランひとつください、というと女性の店員さんが、そのホールにナイフを入れて、1サイズにしてくれるのです。


店員さんに聞くと、クリスマス用のケーキとして、そのモンブランをホールとして注文オーダーできる、というのです。ただし、1か月前からの事前予約のみです。そのお客さん専用に特別仕様で作ってくれるのです。


自分は、このモンブランが好きすぎて、ついに毎年のクリスマスイブ専用のケーキとして、このカフェ・ラミルのモンブランをホールとして注文するようになったのです。かなりの年数、たぶん5年くらいかな、ずっとクリスマスケーキは、このカフェ・ラミルのモンブランでした。


北海道の友人で、東京でのおもてなし、をやったときも友人をこの自由が丘カフェ・ラミルに連れていき、このモンブランを食べさせました。すごい喜んでいました。



あるとき、2018年頃かな~???いつものように診察が終わった後、カフェ・ラミルに入って、モンブランを頼もうとしたら、もうやっていない、やめました、という。


もうショックで。ショックで立ち直れませんでした。

そのあまりの落胆ぶりはご想像につくと思います。


それ以来、このカフェ・ラミルから足が遠のきました。

通わなくなりました。悲しい想い出です。


あのモンブランが食べたいから、10年も毎週通い続けてきた自分のマイスポットだったのに、なんてことをしてくれるんだ、という感じです。


そして先日自由が丘マリ・クレール通りに行ったら、カフェ・ラミルさえなかった。

もうその後釜には、カフェ・モーツァルトがでんと入っていたのです。


自分は、ショックを受けるとともに、これも時代だな~と思いました。


自由が丘 マリ・クレール通りといえば、自分にとってカフェ・ラミルでした。そしてここのモンブランでした。まさにマリ・クレール通りの顔といっていいカフェでした。存在感ありました。


自由が丘南口マリ・クレール通りの老舗カフェ 『Cafe La Mille 自由が丘店 / カフェラミル』はなんと!創業36年なんですよ!まさに自由が丘マリ・クレール通りの歴史と変貌をじかに目にしながら36年間ずっとその変化を見守ってきた老舗カフェでした。


たしかに目の前を通るだけで、そのオーラ、存在感が凄くて、ついついフラッと吸い込まれそうになる妖気はありました。


自分の自由が丘での美しい想い出とともに、ずっと脳裏に焼き付けておきたいと思います。あのモンブランの味はいまでも忘れることできないです。はっきり覚えています。


このマリ・クレール通りにあったカフェ・ラミルはあくまで自由が丘店ということでした。


そんな 『カフェラミル』 はドトールグループの運営「Les deux」が手掛けるブランド。ニュースタイルカフェラミルの『カフェラミル 都立大学駅前店』 も3月29日をもって閉店。


「新宿モア四番街店」も3月21日に閉店が決定。

あちこちに店舗があった『カフェ・ラミル』も都内ではニュースタイルも含め、新橋、赤坂、吉祥寺、錦糸町、池袋の5店舗になってしまったようです。


・・・とのことでした。じつはカフェ・ラミルもドトールグループだったんですね。(笑)

ドトール強すぎます!


残りの5店舗を探して訪ねてみましょうか?ひょっとすると、あの自由が丘店で食したあのオリジナル・モンブランが食べられるかもしれません。あるいは、ほんとうにあれは自由が丘店のみだったのでしょうか・・・


自分にとって、自由が丘 マリ・クレール通りといえば、このカフェ・ラミルでしたので、ついつい熱く語ってしまいました。


マリ・クレール通りというのは、地図上で正確に言うと、自由が丘南口を出たその前の通りのことをいいます。でもさらにその奥にもう1本行ったところにも素敵な通り、ストリートがあります。



そこを九品仏川縁道といいます。


これがあまりに素敵で素敵で、緑道の桜の並木に沿ってベンチが置かれ、レンガのような地面のテクスチャで、どこか海外に迷い込んでしまったかのような感覚を味わえるのです。


南口駅前のマリ・クレール通りと、この九品仏川縁道をペアにして、いっしょくたんに、マリ・クレール通りと呼んでいることが多いようです。


南口直のマリ・クレール通りと、九品仏川縁道の間には抜け道があります。


栗の木通り(くりのき通り)と言われるこの抜け道。


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自分のお薬をもらう行きつけの薬局さんは、この九品仏川縁道沿いにあるので、いつも薬をもらった後、駅まではこの栗の木通りを通っていきます。建物と建物の間にあり、ちょっと木陰で日の当たらない通りなのですが、ここもまた雰囲気あるんですよね~。ブティックがずらっと並んでいて、おしゃれ~という感じです。


もうひとつの抜け道はこちらです。


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自由が丘ノーブルビルがある通りになります。自由が丘ノーブルビルというのは、いわゆる貸ビル、テナント申し込みなどの複合ビル・商業ビル・オフィスビルです。


ここにいろいろな業者、ブティックやレストラン、飲食店などが入ります。お寿司屋さんなんかも入ってますよ。一度は行ったことあります。高かったです。(笑)


毎年5月下旬になると、マリ・クレール フェスティバルというお祭りがあって、この抜け道のこのノーブルビル前のエリアは、もう緑色のテントとフランスの国旗で埋め尽くされます。いつもは病院の帰りにあ~また今年もやっている、という感じで、いろいろ見て楽しみますが、今年は特に日記にすることを前提に重点的にフォーカスしたいと思います。








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高峰秀子展 [展示会]

銀座ミキモト(MIKIMOTO)が、昭和の日本映画を代表する女優 高峰秀子に焦点を当てた展覧会「真珠のようなひと-女優・高峰秀子のことばと暮らし-」をミキモト銀座 4丁目本店7階 ミキモトホールでスタートしている。


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高峰秀子は1924年北海道出身。5歳の時に映画「母」で子役デビュー。以後、「二十四の瞳」「浮雲」「名もなく貧しく美しく」など、50年以上にわたって300本を超える作品に出演した。キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞など、受賞数は日本映画界最多を誇る。随筆家としても知られ、「わたしの渡世日記」で第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。主な著書は「巴里ひとりある記」「いいもの見つけた」「台所のオーケストラ」「にんげんのおへそ」「コットンが好き」、夫・松山善三との共著「旅は道づれアロハ・ハワイ」など。2010年12月に死去。享年86。


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展覧会では、シンプルで丁寧な暮らしを愛した同氏の「ことばと暮らし」に注目。ライフスタイルを物語る写真と、日用品やジュエリーなど初公開となる愛用の品々が並ぶ。多くの文化人とも交流があったことを物語る貴重な作品、直筆の原稿、旅のスケッチなどを多数展示している。



まず、このパネル写真が格好良すぎる!素晴らしい。自分のセンス、アンテナにビビッとくる感じで、これは素敵なフォトだと思った。いまの格好良さと昔の格好良さは、やはりなにか基準が違うというか、センスが別物という感じがする。


もちろん昔の格好良さをそのままいまの現代に持ち込んだとしても、通用しなくて単にセンスが古臭すぎると言われるだけかもしれない。現代の格好良さというのは、いまの時代にそぐう、いまの時代ならではの、そういうセンスが必要であることは間違いない。そのセンスって、絶対時代によって違うはずだ。


でも昔の格好良さを、こういう機会に見せつけられると、なんとカッコいいんだろう!いまじゃこの雰囲気出せないな、あの頃の格好良さというのは別格だ、とシミジミ感じてしまう。


昔の時代というのは、スターというのは、よりカリスマというか、神格化されつつある存在で、庶民からするとずっとずっと遠い存在であることに余計に憧れを感じてしまう。そういう存在だった。でもいまの時代は、そんなのダメだろう。逆にシラケちゃう。より自分たちに近い、ユーモアにも溢れ、庶民の味方というかそういう親近感を感じる、それでいて素敵な部分も兼ね備える、そういうスターが好まれるように思う。


やっぱり時代が違うと思う。


自分はこのパネルフォトを見た瞬間、カリスマ、神格化されつつあった銀幕のスターの時代を彷彿とさせるようなそんなあの当時の威厳、気配感を感じた。



高峰秀子さんは、もちろん自分の世代ではなく、うちのオフクロの世代だ。何を隠そうオフクロが、高峰秀子さんの大ファンであった。青春時代ずいぶん憧れていたそうだ。子供の頃によくその話を聞かされていたので、名前はよく存じ上げていたが、なにせ原節子さんもそうだが、高峰秀子さんは、自分にとってはまったく遠い世界の人で、名前と若い頃の写真を拝見したことはあっても、その女優活動やキャリアは存じ上げなかったし、作品も観たことがなかった。


今回MIKIMOTOで、そういう展示会をやるということを知って、このパネルフォトがあまりに素敵だったので、これはいい機会だと思い、高峰秀子さんのことを知るいいチャンスだと思ったし、きっといま闘病中のオフクロも喜ぶだろう、オフクロが思春期に憧れた大女優を知ってみたいということで行ってきた。


高峰秀子さんは、なにせ1979年に女優引退だから、自分が中学3年生のときには、もう銀幕の世界から引退されている。晩年の頃も、残念ながら自分の記憶にはまったくない。全盛のときは、1930年から1965年あたりの活動だ。もう自分が生まれる前が全盛期だったのだ。物を書く才能にも恵まれ、その後はエッセイストとして、いろいろ作品を残していかれたようだ。


まさに銀幕のスター時代、大女優時代の神話・逸話はたくさんある。



役者によっては個人の個性が前面に出てしまい、「何を演じても、誰それ自身」というタイプの俳優も少なくないが、高峰秀子の場合、その対極であり、まさに百変化とも言うべき、多様な役を、その役の性根をつかんで演じきった日本映画史上、稀有の名女優であった。晩年にいたっても、舞台出演は極めて少なく、「映画でデビューし映画で引退した」、日本映画史上、最高の大女優・名女優として評価される存在である。



1955年(昭和30年)2月25日、当時木下の助監督をしており『二十四の瞳』の撮影で出会った松山善三との婚約を発表。仲人は川口松太郎・三益愛子夫妻と木下惠介の3名だった。めでたい話が漏れてゴシップ扱いにされるのを嫌った木下が自ら報道各社に「松竹の木下ですが、うちの松山君と高峰秀子を結婚させますので取材に来てください」と電話をして関係者一同による記者会見を行い、これが芸能人の結婚記者会見のさきがけといわれている。



1975年(昭和50年)、『週刊朝日』誌上で『わたしの渡世日記』を連載。この本では関係者を実名で登場させ、国民的女優、かつ一人の女性としての半生を率直な態度で回想している。その内容に「本当に本人が書いているのか」という問い合わせが殺到したが、当時の週刊朝日の編集部では、「ゴーストライターを使っているなら、あんな個性的な文章にはなりません」と答えたという。



1955年(昭和30年)に松山善三と結婚し、麻布十番近くの瀟洒だが、大女優と呼ばれる人物の邸宅としては質素な家に住んでいた。当初は、西洋の教会建築を模した建物であったようだが、平成以降、老後に備えて建物を小じんまりしたものに改装し、晩年は殆ど外部との接触を絶ち、早寝早起きの生活で余生を楽しんでいたと言われる。



大の愛煙家であった。著書『おいしい人間』によれば、初めて煙草を吸ったのは22歳の時、映画『愛よ星と共に』のために煙草を吸う練習をしたとあり、「それ以来、相当なヘビースモーカーになり果てて今日に及んでいる」と書かれている。著書『コットンが好き』に、お気に入りの灰皿とライターの写真があり、高峰の文章と共に紹介されている。86歳での死因は肺がんであった。



『文藝春秋』で日本一の美人を決める対談企画があった際、高峰は「『美女』である以前に人柄や教養も含めた『美人』でないといけないという観点」から美智子妃を推し、企画で選出している。


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なにせ膨大な出演作品数であるから、全盛期の女優時代の活躍は、もうネットで拝見する限りあまりに情報過多で消化しきれないので、それ以外のいわゆる本業以外の素の部分というか、自分の感性に引っ掛かった部分はこんなところが印象的であった。


やはり、高峰秀子さんを語るには、その作品をひとつは拝見しないといけないだろう。どのような女優さんなのか、どのような演技をなされるのか、そこを拝見したいと思っていた。


たくさんの代表作の中で、高峰秀子さんの最高の代表作は、「二十四の瞳」であることがわかった。高峰秀子さんは、作品に木下惠介監督は計12本出演。「二十四の瞳」は「浮雲」と並ぶ秀子の代表作で、小豆島の分教場に赴任する新人教師を演じ、当時の女優賞を独占。


これはあまりに有名な映画で、もう何回もリメイクされて上演されている定番中の名画であり、自分もよく知っていたが、映画そのものを観たことはなかった。


よし!これにしよう!


「二十四の瞳」は、1954年(昭和29年)に、高峰秀子さん主演で映画化された。これがオリジナルである。


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『二十四の瞳』は、1952年(昭和27年)に日本の壺井栄が発表した小説である。第二次世界大戦の終結から7年後に発表された小説で、作者の壺井栄は、自身が戦時中を生きた者として、この戦争が一般庶民にもたらした数多くの苦難と悲劇を描いた。


発表の2年後の1954年(昭和29年)に映画化された『二十四の瞳』を含め、これまで映画2回、テレビドラマ8回、テレビアニメ1回、計11回映像化されている。


映画は、オリジナルの高峰さん出演作品の他に、もう一回リメイクされているが、それが1987年。自分が上京した年だ。(笑)田中裕子さんが演じられている。


テレビドラマのほうは、1回目が1964年。自分が生まれた年だ。(笑)香川京子さんが演じられている。


高峰秀子さんは、北海道函館出身だそうで、なんか、自分となにかしら縁があるのかもしれない。オフクロが大ファンだったとはいえ、こうやっていまこの時代に高峰秀子という大女優に興味を持つということ自体。そんな感じがしてきた。


Amazon Prime Videoでさっそく、高峰秀子主演のオリジナルの「二十四の瞳」を拝見した。


まず高峰秀子という女優について。


やはりこの時代の銀幕のスターらしい、メリハリが効いて、しっかりした、活舌のいい、いかにもスターらしいセリフ物言いに、演技。シャキシャキとしていて、あ~これはこの時代のスターの代表的な感じだな~という印象。いまの時代だともうあり得ない。


でもこの時代の大女優さんは、やはり基本ができているというか、すごいと思うのは、活舌がいいことはもちろんのこと、声の張りや声量がしっかりしていて、すごい声が通るんですよね。もう他の出演者とは、もうあきらかに違うという一線が引かれているくらい違う。で、オーラがすごい出ているので、やはり存在感が全然違う感じで、これは素晴らしいと思いました。1954年(昭和29年)という自分が生まれる年の10年以上前の作品なのに、思いっきり感情移入してしまいました。


高峰秀子さんは確かに美人なんだけど、つんつん系の美しさというよりは、キョロとした瞳で、雰囲気的に可愛らしい愛嬌のある女性のように感じます。美しいというより可愛いですね。撮影所では、「デコちゃん」という愛称で親しまれていたようですが、そんな雰囲気がよく似合う素敵な女優さんだと思いました。


二十四の瞳は、女教師が、12人の教え子たちと心を通わせながら、戦時中の時代を経過するにつれて、その波乱の世相とともに、その教え子たちがどのように変化していき、後年そのうちの数人の教え子と再会して、あの頃の想い出を共有し懐かしむ、というようなストーリー。


自分もようやく、この有名な映画を、そのオリジナルで観ることができました。

素晴らしかったです。


なんかこの映画を観ていると、自分が昔、大学生のときにアルバイトとして塾講師をしていたことを想い出してきました。オヤジも高校教師だったし、教師として生徒に勉強を教えながら、お互い心を許しあい信頼関係を結んでいく・・・そういう関係性が懐かしく思い出されました。


学校の先生と違い、塾講師というのは、結局受験のための秘訣や、ためになることをきちんと教えてくれる先生が、やはり最後は勝つというのが自分の経験談でした。確かに話術に長け、面白いことを言える先生は人気が出るかもしれませんが、でも塾講師の場合、受験でなんぼの世界なので、結局生存競争に残れる先生、生徒から信頼を得られる先生は、そんな話術より、いかに丁寧に分かりやすく、受験のためになることを教えてくれるか、そういう真摯な態度の講師が最終的には勝つし、生徒のアンケートもそういう先生に票が集まります。


これが他の塾講師の先生方を見ていて、自分の体験談も踏まえ、習得した結論でした。自慢ではないですが、自分は生徒のアンケートはいつもすごくよかったです。(笑)塾講師はこのアンケートがかなりその塾における評価になる指標になります。


なんか、この映画を観ていると、急にそんなことが頭の中を駆け巡りました。

オヤジは、就職するときは、かならず企業就職だけではなく、教員免許も取っておけ、人生なにがあるかわからんからな、とよく自分に言っていました。

オヤジは自分が炭鉱に務めるために九州から北海道に移住してきましたが、結局体を壊し、仕事を辞め、それから高校教師として生計を立てるようになりました。

そんな体験から息子の自分にアドバイスしたのだと思いますが、自分は結局教員免許は取りませんでした。


いま教員は大変ですね。教員免許更新するのに試験を受けないといけなかったりで、すごく大変だと思います。


なんかこの映画を観ていると、そんな想い出が走馬灯のように頭をかけめぐったです。


女優として高峰秀子さんを理解したうえで、今日、銀座ミキモト(MIKIMOTO)の展示会に行ってきました。


銀座ミキモト、MIKIMOTO。


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おそらく女性の方であればともかく、男である自分には一生涯縁がない処ではありますね。(笑)

ジュエラー、宝石を扱う専門ブランドです。


このMIKIMOTOの7Fに高峰秀子展があります。


エントランスのところにパネルが用意されていて、このスポットは撮影可能だそうです。

これは私のカメラで撮影した写真です。あとは撮影禁止です。


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高峰秀子展は、暗室の中に数々のモノクロの写真が展示されていて、それぞれの素敵な写真にはかならず高峰さんのエッセイのひと言が添えられているという感じで、これは観ている者に対して、なにかその写真が自分に語り掛けてくるようなそんな説得力がありました。


これは素晴らしいと思いました。

高峰秀子さんは、キャリア中にパリに滞在していたこともあって、そのときに夫とのロマンス、その後運命を共にすることになっていく。そんな夫との一連のロマンスを、エッセイ付写真でどんどん語り掛けてくる。。。そんな感じです。


遺産として残されていた高峰秀子という女優人生の中のプライベートな1枚1枚のモノクロ写真が、本人のエッセイ付で絵巻のように紹介されていく。真珠が特に好きだったようで、その真珠に対する並々ならぬ愛のエッセイも紹介されていました。それがMIKIMOTOとも関係してくる大きなポイントなのかもしれません。


そのほかにも、年表や日用品、初公開となる愛用の品々が並んでいて、多くの文化人とも交流があったことを物語る貴重な作品、直筆の原稿、旅のスケッチなども展示されています。


なかなか素敵な展示会だと思いました。


4月12日から5月12日まで、です。

ぜひ行かれてみてください。



女優としてだけではなく、「銀座カンカン娘」では主題歌も歌い、公開前に発売されたレコードは50万枚(1957年時点)もの売上げを記録して大ヒットした、当時のハイカラそのものの存在だった高峰秀子。この展示会にオフクロを連れて行ってやればさぞかし大喜びだったに違いない。これこそが本当の親孝行というものであろう。いまやそれもはかなき夢となってしまいました。









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自由が丘 マリ・クレール通り [街歩き]

自由が丘は、雑貨やスィーツ、カフェ、ブティック、アパレルブランドなどが立ち並ぶお洒落な若者世代の街である。また自由が丘といえば、お洒落、住みたい街ランキングでもつねに上位を独占する常連の街でもある。東急東横線沿いで渋谷にも近い。


都心の中で、まるでフランスのような街並みで、住みたい街としても人気の高い「自由が丘」は、高級住宅街として名高い田園調布と隣り合う街で、セレブ御用達のショッピングスポットでもあり、ヨーロッパの街をイメージさせる街づくりがされているのだ。


自分はずいぶん自由が丘とは縁が深く、自分の常連の街である。

というのも、ここには自分が定期通院している病院があるのだ。

月に2回、2週間間隔で通っている。

ここで主治医の先生といろいろなお話をするのが、もういまや自分の最大の楽しみでもあり、ストレス発散にもなっている。

だから月に2回はかならず自由が丘に来ているのだ。2004年頃からこの自由が丘の病院に通っているので、もう20年近くずっと通院のためにこの自由が丘に通っている。だから、もうマイタウンと言っていい。


自由が丘は、北口を出ると、大きく街が広がっていて、こちらが自由が丘のメインのエリアだと思うのだが、自分はいつも南口を利用する。病院は南口のほうにあるからだ。だから、自分にとって自由が丘といえば、南口に広がる景観、マリ・クレール通りのことを言っていることに等しい。


この自由が丘のマリ・クレール通りがこれまた素敵なのだ。

さすがお洒落な街の代表格の自由が丘らしい計画的に造られた街景観で、病院が終わって、薬局でお薬をもらったら、このマリ・クレール通りのベンチで腰掛けて、なにも考えずボーっと何時間もここで過ごしているなんてことも多い。特に予定がなければ、開放感溢れる休日の最初の土曜日。ここで、これから休みが始まることをひしひしと心の中で喜んでいる一番楽しいひとときである。


自由が丘のマリ・クレール通りというのは、正確に言うと、自由が丘南口を出たすぐその前にある通りのことで、ここにはカフェ、スィーツ、ブティックなどが通りの両側にずらっと立ち並んでいて、まさにお洒落感覚満載の景観で圧巻である。


で、このマリークレール通りのさらに奥に1本入ったところにもうひとつ通りがあって、正確には九品仏川縁道という通りがある。自分が言っている通りはこの九品仏川縁道のことである。でも世間一般では、南口出たすぐのマリ・クレール通りと九品仏川縁道とでペアで、マリ・クレール通りと言っていることが多いようだ。


マリ・クレール通り・九品仏川縁道はこんな感じの通りである。


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マリ・クレール通りは、地区のイメージづくりの取り組みの1つとして、フランスのファッション誌、マリ・クレール社および中央公論社の女性誌「マリクレール」とのタイアップにより実現し、1984年に正式に通りの愛称として採用されたのである。いわゆるマスメディアの力を街のブランディングに最大限に活用した取り組みという感じである。


 「マリ・クレール通り」は、カフェやセレクトショップが並ぶ、まるでパリのようなオシャレなストリートで、そのフランスのファッション誌「Marie claire」の名がつけられたこの通りは、中央に桜の木とベンチが長い距離に渡って設置され、自由に外での時間を過ごすことができるようになっている。


緑道の桜の並木に沿ってベンチが置かれ、レンガのような地面のテクスチャで、どこか海外に迷い込んでしまったかのような感覚を味わえる。


以前のこの場所は、九品仏川が流れており、”裏”通りとして、連れ込み宿がある治安のよくない場であったそうだが、戦略的なデザインでそういったイメージを払拭させている。


現在では、犬の散歩道コースやショッピングロードとして利用されたり、休日には観光客が訪れにぎやかになります。


桜が満開になるときは圧巻ですよ。この通り一面が桜で美しく彩られ、けっして目黒川の桜に負けていないと思います。(笑)そしてその桜の季節には、レジャーシートを広げ、お酒を片手にお花見を楽しむことができます。病院の帰りにこの通りを通ると、そういう風景に出会うことも何回もありました。


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また5月から6月の梅雨にかけては紫陽花の季節になりますが、このマリ・クレール通りにその紫陽花が満開になるスポットがあって、ここでスマホで記念撮影するのが自分の毎年の恒例行事になっています。(笑)桜の植樹、紫陽花の植樹、こういう風景を計画的に造っているそういうストリートなのです。


 これらの運動は全て地元の自由が丘商店街振興組合が行っており、結束力がとても高い街であることが分かります。


また毎年5月には、このマリ・クレール通りや九品仏川緑道の空間を利用して、マリ・クレール祭り、マリ・クレール・フェスティバル、通称マリ・クレール・フェス、というのが開催されます。フランスの国旗が多数掲げられ、シャンソンのライブが行われることで知られるなど、フランスの祭りを意識した演出がなされています。これにはフランス大使館文化部も、このイベントの後援を行っているそうです。


このマレ・クレール・フェスも、よく病院の帰りに遭遇します。本当に華やかそのもの。たくさんの人でにぎあっています。いろいろな出店が出ていて、それこそクレープとかいろいろな食べ物関係の出店が多いかな、いわゆる日本和風の七夕のお祭りのちょっと洋風のお洒落バージョンというような感じです。テントは緑色が多かったような記憶がある。そしてフランスの国旗があちこちでいっぱい掲げられています。あっまた今年もやっているな~という感じで通り過ぎますが。中にはストリートのスペースを確保してシャンソンのライブ演奏もされるんです。この通りの由来から、ずっとその伝統を受け継いでいくというか、非常にフランスと縁が深い、その関係性を大切にしてきた通りなのだと思います。


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今年の5月、来月ですが、このマリ・クレール祭り、取材して日記にしてみますね。




普段のマリ・クレール通りは、暖かい陽気の日には、通り沿いで買ったスイーツを持った人や、読書をする人、デート中のカップル、ペットの散歩中の親子など、思いのままに木漏れ日の下に腰を下ろしている姿が並び、とても穏やかな時間の経過をあらわしています。


このマリ・クレール通り沿いにあるレストランやカフェなどは外のテラス席もあったりして、本当にパリそのもの。ここに立ち並ぶカフェ、スィーツ、レストランをいろいろ食べ歩くだけでもすごく楽しそうです。女性に大人気ですね。ネットにはそんな記事で溢れています。自由が丘はとくにスイーツの街なんじゃないですかね。自由が丘スイーツフォレストも昔行ったことありますが、圧巻でしたよ。もう店内一面スイーツ天国というようなところでした。


自分は、自由が丘は確かに北口エリアは大きいけど、じつはほんとうに素敵なのは、この南口のマリ・クレール通りなのではないか、とずっと思ってます。20年間この通りを見てきて、自分がしみじみ実感することで、自由が丘ってやっぱりこっちだよな~と思ったりします。


自由が丘マリ・クレール通りの活性化のための発想のスタンスって、活性化と開発の主体はあくまでも地元商業者と住民であるという姿勢を育んだところに独創性があって、現代に至る多くの商店街の活性化と開発が、行政や民間ディベロッパー等の主導であるのと比べて、マリ・クレール通りを始め、自由が丘の中心部には大型のショッピングセンターやアミューズメント施設はないのにもかかわらず、多くの来街者を集め、常に住みたい街の上位を占めている・・・


これが自由が丘という街のオリジナリティでもあって、自由が丘ならではの独特の街景観がある所以なのだと思います。


自分が薬をもらう行きつけの薬局は、このマリ・クレール通り沿いにあって、ここで薬をもらったら、あとはこのベンチでずっとほけ~~~としているのです。

今日は土曜日。これから休みが始まるな~。なにしよ?ってな感じです。


そうやってほけ~っとしているときが、一週間の中で最大に楽しい瞬間でもあります。


先日の通院の帰り。薬局で薬をもらった後、ホケ~としているときの撮影。


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ブルーな儀式のあとの至極の一杯 [グルメ]

毎月1回の血糖値の定期検査は、まさにブルーな儀式そのものである。大体検査日の1週間前あたりから気分は憂鬱というかブルーになってくる。今月の食事はどうだったかな~。食べ過ぎたかな~。大丈夫かな~とか、である。そして検査日その日は、まさにブルーな気分マックスのときである。もう朝起きてからドキドキ。病院に行くまでがもうブルーでブルーで。。。
                                                   
もうそれの繰り返しである。そして診察で結果を聞くわけだが、その結果次第で、その後の気分がかなり左右される。結果が悪いときは、本当に落ち込む。これから節制の毎日だな、次月まで節制を続けよう。そんな反省モードになるので、そのあとの食事はあまり羽目を外せないというか、あまり楽しくない。
                                                   
逆に結果がよかったとき。これはもう嬉しさマックスである。やったー!ブルーな儀式を終えて、一気に心が晴れやかになる。よし!1か月間、よく頑張った!これからご褒美のご馳走を食べるぞ!という瞬間なのである。
                                                   
自分は、毎月厳しい食事制限を続けていく上で、人間なんだから、やはり食の楽しみは最大の楽しみ。いつも毎日、カロリー制限食、病院の食事のような糖尿病食のような食事ばっかりしていたら、人間いやになっちゃうと思うのだ。なんのために生きているか、わからなくなる。それだと健康な精神状態を保つことができないと思う。
                                                   
ポイントは月平均で考えること。普段は節制したカロリー制限をして、たまに大好きな御馳走を腹いっぱい食べる。でも月平均でいえば、いわゆるHbA1Cでいえば大丈夫。そういうコントロールを心掛けている。
                                                   
自分の大好きなあれを食べたい、ラーメン食べたい、というようなときは、その数週間前、あるいは数週間後は節制を続ける。そしてお楽しみのときに精一杯楽しむ。
                                                   
これだとやっていける。食の楽しみの人生を続けていくことができる。グルメ人生を続けていくことができる。あとは甘いドリンク、完食はいっさいしないこと。
                                                    
これが自分が20数年この病気の闘病生活をしてきて習得したコツである。
                                                   
最近、検査結果が良好である。
昔はこの良い状態を長く続けることができなかった。
下がった~と思ったら、嬉しくて、ついつい食べ過ぎて、翌月また上がった~という感じである。HbA1Cは、上がるときはあっという間に瞬時に上がるけど、下がるのはすごい時間をかけないと、つまり血糖値が低い状態を何か月も続けないと下がってこない数値なのだ。
                                                   
でも最近はこの良好な値を長くキープできるようになってきた。自分はこの病気は、運動療法もいいけど、一番影響があって、重要なのは食事療法だと思っている。すべては食事が原因である。食事コントロールできるかが、鍵を握っていると感じている。食べ過ぎたから、一生懸命運動しましょう、という考えはかなり愚かで効果が少ないと思っている。
                                                   
良好な値を長くキープできるようになったということは、この食事コントロールが自分でコツを掴めるようになった、ということかな、と思っている。自分で自分が食べたいという欲望をセーブ、コントロールできるようになった、ということ。
                                                   
奥さんがいる方であれば、奥さんが一生懸命栄養を考えて食事を作ってくれるかもしれないけど、自分のような男の独身は一番この点が悲惨ですね。(笑)男独身者にとっての最大のウィークポイントは食事面なのではないでしょうか。
                                                   
男だとついつい酒、暴飲暴食でどんどん健康悪化していきますね。
                                                   
てなわけで、先日、まさにブルーな儀式を乗り越えた。先月と変わらず。良好な値をキープできていた。
                                                  
もうやったー!である。
                                                   
このブルーな儀式を終えたあとのなんともいえない爽快感。開放感。こんな晴れ晴れとした気持ちになるのは、月の中でもこの儀式が終わった直後のこの瞬間のみだ。
                                                   
こういうときは、診察が終わったあと、ご馳走を腹いっぱい食べることにしている。大好きなラーメン、京都銀閣寺ますたに、すみれを食べに行くか、はたまた、二郎の体育会系で腹ペコペコ感を満たすか。。あるいは大戸屋でご飯山盛り500gを2杯、納豆と卵でかっ込むか、もちろん定食。お魚、サバ定食に最近ハマっている。
スミマセン、基本貧乏なのであまり高級な食事でなくてすみません。(笑)
                                                   
もうこのなにを腹いっぱい食べるかを考えているときが最大の楽しみである。1か月間頑張ってきた自分へのご褒美である。
                                                  
そんないろいろ腹を満たす大好きなメニューの中で、最近、意外な一品が自分の候補の中にしゃしゃり出てきている。らーめんなんだが、検査の後は、なぜか無性にこの一杯が食べたくなる。
                                                  
大勝軒のラーメンである。
                                                  
                                                  
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検査をやる病院の町にあるこの大勝軒の一杯が無性に食べたくなるのである。
この3か月連続して、検査後の食事はここでの一杯になっている。
                                                   
正直なところ、食べた瞬間、衝撃だとか、目から鱗が落ちるとか、そんな衝撃のウマさは感じなかった。そんなにリピートするほどではないかな、という印象だった。
                                                   
醤油ラーメン、東京ラーメン、もとい中華そば、なんだが、でもなんというか、煮干し系ラーメンというか、スープの独特の上品な香りが結構いいなと思うようになって、どうしても気になってついつい食べてしまう、そんなラーメンである。麺はふにゃふにゃしていて、柔らかすぎて、自分の好みではない。そして一杯の中の麺の量が多すぎるような気がする。
                                                  
初めて、この大勝軒のラーメンを頼んだとき、大盛を頼んだので、あまりの麺の多さにこれは美味しくないと思い、これ一回キリで終わりだな、という印象だった。大勝軒のラーメンを食べるときは、麺がふにゃふにゃしていて、基本麺多めに入れてくれるので、普通盛りがいいかな、と思います。
                                                   
そう思いながらも自分がなんとなく、また食べたくなるのは、このスープの味の煮干し系なのであろうか、幾重にもいろいろな味が重ねられている上品な香りがするスープのおかげであった。
                                                  
ラーメンのスープは、こってり系、背脂系、あっさり系、ギトギト体力系とか、いろいろな流派に分かれるが、ここは完全なあっさり系である。
                                                   
あっさりで上品なのである。
                                                   
これはじつはかなり高級なラーメンなのではないだろうか。。
なんか最近そんな感じがしてきた。
                                                   
大勝軒は、ラーメン屋という訳でもなく、ラーメン屋、中華料理屋というふたつの顔を持つようだ。同じ屋号を使用しているが、大きく分けると以下の3つの源流があり、それぞれはまったく関係ない。
                                                   
人形町大勝軒 - 1913年、東京都中央区日本橋人形町で創業した中華料理屋。
丸長系「大勝軒」- 1951年、坂口正安が東京都中野区で創業した中華料理屋。1954年、代々木上原の新店が本店となる。
東池袋大勝軒 - 1961年、山岸一雄が東京都豊島区東池袋で創業したラーメン屋。上記の中野大勝軒の暖簾分け。
永福町大勝軒 - 1955年、草村賢治が東京都杉並区・永福町駅前で創業したラーメン屋。
                                                  
いずれかの店で修行した弟子による、暖簾分けの店舗が数多く存在する。
                                                   
この毎月検査する病院の町にある大勝軒は、ラーメン屋のみで、中華はやっていない。路地裏にある本当に小さなお店で、カウンター席5席くらいの超狭いお店である。
                                                   
ところがつねに長蛇の列で並ぶのだ。人気店なのである。商売繁盛している感じである。
                                                   
自分はじつは、このお店のことを、Facebookのラーメン、中華関係のコミュニティで知った。自分はかねがね、凝った一流のラーメンもいいけど、いわゆる町中華のラーメンがいいな、食べたいなと思っていた時期があった。町中華って、なかなか最近お店を見かけないし、行きたいと思ったときにどこにいけばいいか自分の馴染みのお店がなかった。無性に町中華のラーメンが食べたくて食べたくてしょうがなかった。
                                                   
そんなときに、そのコミュニティに投稿されていた写真のラーメンが、まさに中華そば、町中華のラーメンで、美味しそうで、典型的な東京ラーメン、醤油ラーメン、中華そばなので、いいな~と思い、名前は大勝軒。しかもその町が自分が定期検査に通っている病院のある町なので、それで、それなら一回行ってみよう!ということになったのだ。
                                                  
初めて食べたときは、すでに書いた通り、これ一回で終わりだな、と思ったのだが、意外やスープの気品の高さにいまやリピーターになってしまっている。しかもいつも長蛇の列の人気店のようだ。
                                                   
この大勝軒のスープの秘密ってなんなんだろう?
かなり独特でいままで食べたことがなくて、かなり気品がある。
                                                   
ネットで調べてみました。
                                                   
                                                   
「大勝軒系ラーメン」の命とも言えるスープは、「げんこつ」、「豚足」、「鶏」、「ひき肉」を使って肉の甘み・うまみを凝縮。 そこに「煮干し」や「さばぶし」、「魚粉」など魚介のダシを加えることで、風味とコクをプラス。 肉系と魚介系を合わせて煮て、ダブルスープにすることで豊かな風味を感じられるスープに仕上げています。
                                                   
・・・だそうです。
                                                   
やっぱり大勝軒のラーメンの命はスープにあったんですね。
そしてそのスープはこんなに手の込んだものだったのです。
                                                   
よくラーメンの命はスープだといいますが、これだけの手間暇をかけてこそ、美味しいラーメンができるんですね。麺で差別化というのは、なかなか難しいように思います。
                                                   
どうりで、スープがかなり独特で気品があると思いました。
納得いきました。
                                                   
そんな大勝軒の独特の香りを醸し出しているスープ。
こんな寸胴で作られていました。
                                                   
こりゃいろいろなエキスが入っている秘密の味になる訳だ・・・。
                                                   
                                                  
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ラ・フォル・ジュルネ [クラシック雑感]

いよいよGW。コロナ禍も落ち着いて、海外からのインバウンドも復活。逆に日本から海外へ。もちろん国内旅行も!今年は成田、羽田と国際線はもちろんのこと、国内線も、空港は大混雑、航空会社は荒稼ぎという感じになりそうですね。日常が戻ってきてうれしいです。お天気晴れるといいですね。


自分にはちょっと縁がなくて体験していなかったクラシックの音楽祭がある。


それがラ・フォル・ジュルネ。


今年の東京・春・音楽祭で川本嘉子さんのブラームス室内楽の公演を思わず忘れてしまう、という大チョンボをしてしまった。まさに10年間通い続けてきたのに、まさかの大失態である。


このままでは、ちょっと後味、収まりが悪く、今年1年もやもやが続いてしまうので、踏ん切りをつけるため、そのリベンジをしようと思って川本嘉子さんの出演するコンサートを探してみたところ、このラ・フォル・ジュルネに出演することを発見し、ラ・フォル・ジュルネは自分も体験したことがないので、これはぜひ行ってみたい、この公演にしたいと即決したのであった。




ラ・フォル・ジュルネは、1995年、フランス西部の港町ナントで誕生したクラシック音楽祭。「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」のネーミングそのまま、ヨーロッパの数ある音楽祭の中で最もエキサイティングな展開を見せている。


フランス北西部、ロワール河畔に佇む都市ナントでは、毎年1月末から2月初めにかけて、世界最大のクラシックの祭典「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」音楽祭が開催されます。


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毎年テーマとなる作曲家やジャンルを設定。コンベンションセンター「シテ・デ・コングレ」の9会場で、同時並行的に約45分間のコンサートが朝から夜まで繰り広げられる。演奏者には旬の若手やビッグネームが並び、5日間で300公演!を開催。好きなコンサートを選び、1日中、音楽に浸ることができるのである。


しかも、入場料は6~30EURO(700円~3,000円)という驚きの低価格。「一流の演奏を気軽に楽しんでいただき、明日のクラシック音楽を支える新しい聴衆を開拓したい」というルネ・マルタン(アーティスティック・ディレクター)の意向によるものである。来場者の6割をクラシックコンサート初体験者が占め、たくさんの子どもたちも参加している。


ユニークなコンセプトで展開されるラ・フォル・ジュルネの人気は国外へも拡がり、2000年からポルトガルのリスボン、2002年からはスペインのビルバオ、2005年からは東京国際フォーラムで開催。2008年には金沢とブラジルのリオ・デ・ジャネイロ、2010年には新潟、びわ湖、ワルシャワ、2011年には鳥栖、2015年にはロシアのエカテリンブルクで開催され、いずれも大成功を収め、クラシック音楽界にセンセーションを巻き起こしている。


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1995年、ルネ・マルタンが初めてラ・フォル・ジュルネを企画したときのテーマは「モーツァルト」。まず頭にあったのは、複数の会場で2日間ほど24時間絶え間なくコンサートを開催し、祝祭的な音楽祭にしたい、ということであった。そのネーミングを考えたとき、インスピレーションを受けたのがボーマルシェの戯曲「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)、あるいはフィガロの結婚」である。


1784年に発表され、モーツァルトもオペラの元にしたこの戯曲は、当時の価値観を覆す革命的なものでフランス革命の導火線になったともいわれている。 「ラ・フォル・ジュルネ」というタイトルこそ、まさにルネ・マルタンの夢、人々をクラシック音楽から阻もうとする様々なバリアを取り去りたいという思いにぴったりの言葉だったのである。ちなみに第1回ラ・フォル・ジュルネのポスターは、モーツァルトが鼻に親指をつけて指を広げた、ヒトを小馬鹿にした仕草のシルエット。常識を覆そうとしていた、破天荒なモーツァルトのイメージです。


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この方が、ナントでの音楽祭を始めたルネ・マルタン氏だ。[コピーライト]Marc Roger

ちょっとインタビューを抜粋して紹介しよう。


―― ラ・フォル・ジュルネはいかに誕生したのでしょうか。


アイデアは初回開催の2年前、93年に生まれました。ナントのサッカースタジアムで行われたU2のコンサートに35,000人もの若者が集まったことに対し、僕が企画している『ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭』などの大規模な音楽の祭典に、こうした若者はどうして来ないのだろうか、と思ったのがきっかけです。


モーツァルトやベートーヴェンを聴く機会が彼らにはないからだ、僕がするべきは、出会いをもたらすことだ、と。でも、それには大勢の人がクラシック音楽を聴きに行きたくなるような、独創的なコンセプトが必要です。それでクラシック音楽を非神聖化し、より多くの人が近づきやすい方法をいろいろと考えたのです。


たとえば、お祭り的雰囲気が欲しかったので、複数のコンサートホールが1カ所に集まった場所での開催が希望でした。それゆえに初回からシテ・デ・コングレで開催しています。 人々がすれ違い、話に興じることができるという場。日本で東京国際フォーラムを会場に選んだのも、同じ理由から。そしてチケットは低価格に抑え、ひとつのコンサートの長さは45分と短めにするということも大切でした。



――発掘した演奏家を招くのも喜びではないでしょうか。


長年、たくさんの音楽フェスティバルをオーガナイズしているので、大勢の著名音楽家の友達がいます。でも、若い音楽家を提案することも好きですね。かつて日本にも連れていきましたが、ネマニャ・ラドゥロヴィチはいまやすっかりスターになりました。今回のラ・フォル・ジュルネの素晴らしい驚き、それは若いチェロ奏者のアナスタシア・コベキナです。彼女、まだ20代半ばですが素晴らしいですよ。


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――日本でのプログラムはナントのラ・フォル・ジュルネとまったく同じではないのですね。


はい。東京で初めてラ・フォル・ジュルネを開催するにあたり、その前の2年間、東京の人々の暮らしにおける音楽について、音楽学校についてなど可能なかぎり知りたくて、いろいろとリサーチをしたんです。それに日本の奏者たちを知ることにも時間をかけました。たとえば諏訪内晶子や庄司紗矢香は、日本ではスターでも、フランスでは知られていませんから。


日本の人々はクラシック音楽をよく聴きますね。世界中の有名なオーケストラが来日しているし、素晴らしいコンサート会場があります。でも、チケットが驚くほど高価なので、一般大衆はなかなか聴きに行くことができない。この人々に僕は興味があったのです。僕がベートーヴェンを知ってほしいのはこの一般大衆。それで日本では5月のゴールデンウィークにラ・フォル・ジュルネを開催しているのです。


これは素晴らしいアイデアでした。この時期、金銭的にゆとりのある人々は海外旅行に出かけています。日本に残っている、海外旅行に出られる余裕のない人々に向けて、ラ・フォル・ジュルネは存在しています。初回は50万人が来場し、そのうちの75%の人々にとってこれが初のクラシック音楽のコンサートだったそうです。日本の音楽コンサートのプロデューサーたちに、彼らの知らない別の聴衆がいることを教える結果となりました。僕と主催者は賭けに成功したのです。日本人はモーツァルトやベートーヴェンといった有名な作曲家をよく聴いているようですが、ラ・フォル・ジュルネのおかげでそれはそれはたくさんの作曲家を発見できるのですよ。


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シテ・デ・コングレの向かいのパン屋「La Boulangerie d’Honore」は、音楽ファンの強い味方だ。この裏手の建物にもコンサート会場がひとつある。photo:MARIKO OMURA


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シテ・デ・コングレ内のバーではキッシュ、サンドウィッチ、スイーツなどを販売。複数のコンサートを聴くために長い時間を過ごす人や、仕事の後に駆けつける人のお腹を満たしてくれる。photo:MARIKO OMURA



このルネ・マルタン氏の言葉こそが、ラ・フォル・ジュルネのコンセプト、この音楽祭が存在する意義といっていいですね。


日本でのクラシックは敷居が高すぎる。高級な趣味と思われていて、それなりの階層の人しかコンサートに行かない。チケットもすごく高い。一般大衆はなかなか聴きにいけない。クラシックとの出会いがない。クラシックのコンサートって大体2時間コースが多いけれど、庶民にはそれはハードすぎる。もっと一般大衆向けに体力的に受け入れやすい45分を目安にどの公演も組まれている。


そんなクラシックにあまり馴染みのない一般大衆がターゲット。GWはお金に余裕のある人は、みんな海外旅行に行くので、音楽祭を開催するのをGWにした。


クラシック音楽をもっと気軽に楽しもう!ふだんクラシックを聴かない一般大衆に聴いてもらえるように親しみやすい、敷居の低い音楽祭にしよう。


高級・静謐なクラシック・コンサートではなく、もっと楽しく華やかなムードのクラシックコンサート、音楽祭にしたい。1箇所にたくさんのホールが集中しているエリアを選んで、そこで1日中クラシックのコンサートが楽しめる。そんな楽しい雰囲気な音楽祭にしたい。


そういう意図があるんですね。

なるほど~そうなんですね。


まっでもこれは、よくわかっていました。このGWの時期になると、かならず耳に入っていましたし、よくこの音楽祭のコンセプトのことは理解していました。


だからこそ、自分もそんなに意識して行かないといけないと思ってもいなかったことも事実。


でもやはり1回は行ってみてもいいし、ぜひ体験したいものです。

それが今回行こう!と思ったきっかけでした。


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1995年、フランスの港町ナントで誕生したラ・フォル・ジュルネは、2005年「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」として東京に上陸しました。2007年には来場者数100万人を超え、2019年までに延べ866万人の来場者数を記録。世界最大級の音楽祭に成長しています。


2015年には、1人の作曲家を特集するなど、クラシック音楽の文脈に沿った従来のテーマを一新。あらゆる文化の根底にある普遍的なテーマに基づき、時代やジャンル、地域を越えたプログラムを組むことによって、音楽との出会いがより豊かで冒険と発見に満ちたものになっていきます。


また、2018年より音楽祭のネーミングを「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」から「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」とし、ロゴマーク制作もクリエイティブ・ディレクター?佐藤可士和氏を起用、さらに進化する音楽祭に生まれ変わりました。


ずばり、ラ・フォル・ジュルネ TOKYO ってこんな感じの音楽祭で、こんな6つの魅力があるといえます。


・毎年異なる新鮮なテーマ展開

・1公演約45分~。朝から晩までいくつものプログラムを気軽にハシゴできる。

・国内外の一流の演奏を低料金で楽しめる。

・多彩な無料イベントを開催

・赤ちゃんからクラシック通までピクニック気分で楽しめる

・街全体が音楽であふれ「お祭り」ムード一色に


ラ・フォル・ジュルネって音楽祭はこんな感じの音楽祭なんですね。


ちょっと日本の東京国際フォーラムで開催されているラ・フォル・ジュルネ・ジャポンの時代からどんな感じの音楽祭か、いくつか写真を紹介しますね。


もういまや日本ではGWの風物詩といえば、このラ・フォル・ジュルネになりますね。


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やっぱり華やかな感じがしますね。そして客層もすごく若いですよね。驚きです。コンサートホールで開催される普段のクラシックコンサートは、もうクラシック業界の将来、先行きが不安視されるほど高年齢層なお客さんばかりですから。(笑)


たしかに有楽町の東京国際フォーラムというところは、音楽のコンサートホールにはあまり向いていないところではあるんですよね。もともとはコンベンションセンター、展示会、講演会などの用途で使用されることが多いですから。最大の要因は、床に敷き詰まられている絨毯ですね。(笑)


音楽ホールに床に絨毯はあり得ないです。(笑)(じつはロンドンのウィグモアホールもそうなのですが。。。)コンサートホールは基本は反射系の設計です。吸音ももちろんやりますが、基本は反射系です。床一面に絨毯ですと、音が全部吸われちゃって、ホール内音響はめちゃめちゃデッドになりますね。あと、ホールの容積が音楽ホールにしてはかなり広すぎかな?


そんなホール音響のハンデもありますが、やはり一か所にホールが集中していることが、この音楽祭のひとつの目玉ですから、そこはやはり東京国際フォーラムしかない、ここがベストな選択だったのでしょう。



今年のラ・フォル・ジュルネTOKYO2023は、なんと!4年ぶりの開催だそうです。コロナ禍まっさかりのときでしたから仕方がなかったですね。なんかひさしぶりの開催。そして祝祭的な記念イヤー。おおいに湧きそうな気がします。


ちょっと、ラ・フォル・ジュルネTOKYO2023について、紹介してみますね。


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4年ぶりの開催となる2023年のテーマは、やっぱり 「Beethoven ― ベートーヴェン」!


ベートーヴェンという大作曲家の魅力をぎゅっと詰め込んだ、特別な3日間をご用意します。交響曲やピアノ協奏曲、ピアノ三重奏曲、ピアノ・ソナタなど傑作の数々をはじめ、ベートーヴェンへのオマージュ作品など、ラ・フォル・ジュルネならではの独創的なプログラムの数々で、3年越しの生誕250周年を盛大に祝います。凝縮された“ベートーヴェン三昧”の3日間をお楽しみください。


ベートーヴェンの作品はヒューマニズムにあふれ、人類愛と思いやりを今もなお人々の心に届けるという意味においても、音楽史上唯一無二の存在です。ベートーヴェン自身、彼の音楽の目指すところを、このように記していたではありませんか。


「心より出で、願わくば再び心に至らんことを」 -「ミサ・ソレムニス」の楽譜に添えられた言葉


ルネ・マルタン

LFJアーティスティック・ディレクター



ベートーヴェンがテーマだったんですね。なぜか、というところもありますが、思えばコロナ禍がスタートしてしまった2020年は、まさにベートーヴェン・イヤーだったではないですか。もうクラシック業界では数えきれないくらいのイベント、企画が用意されていた。それが全部、中止になってしまった。ベートーヴェンさん、可哀そうすぎる!


そのベートーヴェン企画をもう一度リベンジ!という狙いが魂胆にはあるんではないですかね。


・・・てというか今年はベートーヴェン生誕250周年にあたるということですかね。(笑)


ベートーヴェンは、もうクラシック音楽史において、もっとも革命的な作曲家で、それまでの常識をいろいろな面でつぎつぎと覆してきて、新しい扉、新しい手法、新しい体系、など音楽史の改革をつぎつぎと打ち立ててきた大作曲家です。


ベートーヴェンってどんな人?


①ベートーヴェンはウィーンに住んでいた35年間で実に79回も引越しをしていた。計算すると半年に一回以上のペースである。

②ベートーヴェンはコーヒーを毎日飲んでおり、コーヒーの粒を必ず60粒数えて淹れる程のコーヒー好きだった。

③1816年にメトロノームが発売されると、ベートーヴェンは直ぐに気に入り、楽譜にテンポ設定を書き入れるようになった。音楽家で最初にメトロノームを使用したのはベートーヴェンといわれている。

④「エリーゼのために」の「エリーゼ」とはテレーゼという女性なのかエリザベートという女性なのか現在も判明には至っていない。

⑤ベートーヴェンの葬儀には2万人にもなるウィーンの庶民達が彼の墓まで列を作り、彼を見送ったといわれている。



ベートーヴェンは、女性に多く興味を持ってきて、いろいろアプローチもしたようですが、結局生涯独身だったことも自分はすごい好感を持てます。(笑)


自分は、


5月6日 (土) 15:00 ~ 15:45

東京国際フォーラム ホールC:エレオノーレ


公演番号:323

7人の名手による親密にして豪華な共演


7つの音色が織りなす妙~ウィーン初演時に爆発的な人気を得た、ベートーヴェン初期の大曲。


吉田誠 (クラリネット)

水野信行 (ホルン)

モリス真登 (ファゴット)

オリヴィエ・シャルリエ (ヴァイオリン)

川本嘉子 (ヴィオラ)

マクシム・ケネソン (チェロ)

髙橋洋太 (コントラバス)


の公演を拝聴する予定です。



あの東京国際フォーラム一帯で集中して、タイムカレンダーが決まっていてコンサートなら45分で、1日でいろいろなコンサートをはしごしていくというやり方なんかも楽しみ方のひとつのようです。5/4~5/6の3日間は、もう1日中、あの東京国際フォーラムのエリア内外でずっとクラシック音楽が流れている、聴こえてくる。。たくさんの若いふだんクラシックに馴染みのない方々が集まってきて賑わっている、そんな華やかな音楽祭なのです。


ちなみにラ・フォル・ジュルネTOKYO 2023はなにも有料コンサートだけではないですよ。無料コンサートや、プレイベント、講演会、イベント、エリアコンサートなんかもあります。



たとえば東京国際フォーラム 1階 ホールB5(2) (ジュリエッタ)では、ベートーヴェン について多彩なゲストが様々な角度から紐解く講演会を行われるそうだ。音楽祭期間中の有料公演チケットもしくは半券があれば無料で参加できるイベントである。1回ごとの完全入れ替え制。


自分はコンサートのチケットを持っているので、参加してみたいなと思っている。片山杜秀さんの講演が興味深いかな。。。


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そうした中、4年ぶりの再スタートにあわせて新たに加わる企画にもぜひ注目である。それが無料イベント「オーディオコンサート ベートーヴェン・サロン」(提供:Bowers & Wilkins)だ。


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え? オーディオコンサート? そう、この新企画では、会場の一室に、なんと総額1000万円クラスの最高級スピーカーやプレーヤーなどを取り揃え、いわゆる“ハイエンド”な再生機器で、ベートーヴェンの過去の名演や珠玉のセレクトなどを楽しんでもらう企画なのだ。


いやいや、会場では次々と素晴らしい生演奏が展開されているよ? なぜわざわざオーディオで? 生演奏が一番じゃない? そう思う方もいるかもしれない。もちろん会場ではたくさんのコンサートに足を運び、オーケストラの響きに包まれるような体験や、アーティストの繊細な息遣いまでも実感できる生演奏を思う存分堪能していただきたい。


その一方で、オーディオ再生による、オーディオでしか実現できない、いわば“別物”としての素晴らしい音楽体験も、ぜひLFJで体感してほしいのだ。オーディオならではの体験といえば、たとえば、今は亡き大巨匠の名演を、ハイクオリティな再生により生々しく、何度でも聴くことができる。ベートーヴェン時代のピアノを何台も目の前に揃えることは難しいが、数々の録音によってそれらを一気に聴き比べることもできる。アーティストたちが丹念に刻み込んだアルバムを、丁寧に再生することで、私たちは時空を超えて豊かな聴取体験を広げていくことができる。録音再生は今や(というか、もう何十年も)、音楽的な営みの重要な側面を担ってきているのだ。


・・・だそうである。(笑)


これはなかなか興味深いですね。


でも部屋ちょっと広過ぎ。(笑)オーディオの視聴というのは、それに適応した視聴ルームの容積というのがあります。あまりに広いと音が散っちゃっいます。まっイベントですから、たくさんの人を収容しないといけないという条件もありますから仕方がないところではありますね。


【主な使用予定機材】

スピーカー:Bowers & Wilkins 801 D4

パワーアンプ: Classe Delta MONO ×2台

プリアンプ: Classe Delta PRE

SACDプレーヤー:Marantz SA-10

ネットワークSACDプレーヤー:Marantz SACD 30n

レコードプレーヤー:Pro-Ject Xtension 9 TA/WB


・・・だそうです。


興味のある方はぜひ行かれてみください。


気軽にクラシックに接する、クラシック音楽はけっして敷居は高くない。子供も含めてファミリーで一般庶民がクラシックを楽しむ。1箇所にたくさんのホールが集まったところで集中的に行う華やかな雰囲気、しかも開放的な気分になりやすいGW。それがラ・フォル・ジュルネである。


ちょっと初体験してみたいと思ってます。


東京・春・音楽祭のブラームス室内楽でデビューを飾った水谷晃くんへの償いは、


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5/27(土)の北とぴあ さくらホールでの「MIZUTANI×TAIRIKU」AGAINに馳せ参上しようと思っています。













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アナログをいろいろ聴く [ディスク・レビュー]

新譜を買うたびに、アナログも併売しているものは、なるべく買おうと思っている。こういう場合のアナログはいわゆる限定盤という扱いで、いつアナログのほうが売り切れになるかわからないからである。自分のいままでのアナログ収集はこの限定盤の蒐集がスタイル。現在の新譜を買うのみ。


昔の演奏家の古い時代のLP、オリジナル盤などをいろいろ集めていたら、もういくらお金あっても足りない。そこまではやらないつもり。アナログは腰掛程度なので。


最近買ったアナログは、この3枚。

ずっとそのまま未開封になっていた。1年ぐらい。。。(笑)


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・マルタ・アルゲリッチのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番のアナログ・プレス

・リサ・バティアシュヴィリのCITY LIGHTS

・ヒラリー・ハーンのドヴォルザーク・ヴァイオリン協奏曲、ヒナステラ・ヴァイオリン協奏曲、サラサーテ


ヒラリー・ハーンのLPは、いわゆる新譜で、CDもいっしょにもちろん買った。


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アルゲリッチとリサさまのLPは、すでにCD新譜として販売されているもののアナログが後発で限定盤として販売になっているものである。


ひさしぶりにターン・テーブルを稼働させたが、針をLPに落とす作業も最初は慣れなく恐怖を感じたものだが、3回目あたりになるとすっかり思い出してきてスムーズになってくる。


大半のLPはすでに先にCDを聴いているので、どうしてもCDとLPの聴き比べになってしまう。


やはり


空間表現、音場のCD、音像、解像感のLP


という感じに聴こえてしまうかな~。


CDのほうが記録媒体の器としてダイナミックレンジが広いので、再生される音場や、空間の拡がりがLPより断然広くて、オーケストラ再生などには断然CDのほうがいいように思う。部屋中にホールの響きが広がっていく感じなど、空間描写、空間表現としてはもう断然にCDのほうがいいかな。あとクリアなS/N感とか定位のよさ。


それに対して、


アナログLPは、解像感が優れている。周波数レンジが優れているので、20KHzで帯域制限しているCDと違って高域はかなり伸びているし、低域も、基本、帯域制限していないので、非常に解像度が優れている。CDだとサウンドの線が太く角がとれた丸っこい音の印象(高域落ち気味)なのに対して、アナログはサウンドの線が細く、非常にシャープ、鋭利・繊細で高解像度な音に聴こえる。研ぎ澄まされている感じの切れ味いい音。さらにあと音全体もすごく濃い。


よくCDとLPのサウンド比較というとLPのほうが音がいいように聴こえると言われるけど、これが原因かな。解像度が高くて濃いんだから、やはりそう聴こえるのだろう。


でもダイナミックレンジはLPは狭い器なので、いわゆる部屋中に広がるとか、空間表現はそんなに得意ではないように思う。


一長一短なんですよね。


あと、自分にとって最大の懸案事項は、やはりA面、B面と裏返さないといけないこと。片面の再生はあっという間に終わる。そうするとすぐに裏返して針落としなどやらないといけない。これはもうアナログなんだよね。この儀式がやはり雰囲気あるから好きだという気持ちもよくわかるけど、やはりずっと座りながら、リモコンで操作できること、あるいは機器のリピート機能をつかって、ずっと再生しっぱなしにできること。あるいはスキップ機能で好きな曲だけを再生できる、これがやはりデジタルなんだよね。


リスニングチェアに座りながら、テレビを見ながら、あるいは読書をしながら、そのままずっと音楽を聴いていたい、いちいち立ったりしたくない。このニーズをデジタルは満たしてくれる。自分はアナログいいと思うけど、ここはどうしても面倒くさく感じてしまう。デジタルの優位性を感じてしまうし、自分にとってはこちらのほうがとても重要だ。


やっぱりずっと音楽を流しっぱなしにするという点ではデジタルだと思う。


アナログLPからCDへの切り替えの時期、LPのA面、B面の違いがわからないと言われたものだった。アーティストたちは、このA面とB面でそれぞれどのような曲の流れのコンセプトでアルバムを作るか、これが結構重要でアルバムつくりの肝になっていたりした。それがCDになったら、ずらっとそのまま連続再生だから、そのアルバムコンセプト自体無意味だと非難されたものだった。


ところがいまや、いまの世代の人たちは、ストリーミングの世代だから、単発で1曲ずつ単位での再生が基本になるから、アルバムというコンセプトすら意味がなくなってきている。アーティストたちが、いかにアルバム単位で、どのような曲をどのように並べて、その全体として、どのようなアルバムコンセプトにするか、そういう仕事すら全部意味のないものにしようとしている。


これが音楽のリスニングスタイル、音楽メディアの変遷だと思っている。



これが自分の見解である。


大方、そんな感じでいつも聴いているし、今回もそんな見解はあまり変わらなかった。


あとはターン・テーブルの高級なものが欲しい。これによって出てくるアナログサウンドはもう断然にレベルが違ってくるに違いない。とくにカートリッジの効果は大きいと思う。


まっアナログは腰掛程度なので、いったいいつになったら、高級なタンテを入手するのかまったく未定である。


●マルタ・アルゲリッチのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番


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つい最近、一時期心臓の病気でコンサートをキャンセルするなど、すごい心配したけれど、また復帰して頑張ってくれているようでうれしい。安心しました。いつまでも長生きして頑張ってほしいアーティスト。それがリアルタイム世代でお付き合いしてきた我々にとって一番うれしいプレゼントである。


この世代のアーティストでは、アルゲリッチが一番元気で演奏もしっかりしているほうだと思う。同郷のパートナーのバレンボイムがかなり健康上危なくなってきているので、アルゲリッチの相変わらずの元気が唯一の救いである。


日本へのコンサートとしては、5月の別府アルゲリッチ音楽祭がある。

今年はなんとオーケストラに水戸室内管弦楽団を従えて演奏する。


これは行きたいな~と思っていたのだが、チケット発売日がちょうど札幌に滞在していたときで、帰京していたときにはソールドアウトになっていたし、あと本年度は、北海道帰省があって予算的にも苦しかったので、無念だけど今年はあきらめた。ぜひ大成功になることを心からお祈りしています。(でもチケット残ってたら、やっぱり行っちゃうかも?(笑))


今回のラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番は、あのPhilips/DECCAのアルゲリッチの名盤(リッカルド・シャイー指揮、ベルリン放送響)でラフ3だけをアナログとしてリマスタリングしてリリースするという限定盤のようだ。このラフ3のリファレンスとして、自分は長らくアルゲリッチ盤を使ってきたので、それがアナログになるということで、やはりこれはコレクションとして収集しておきたいと思い衝動的に買ってしまった。


なんと6,000円もする大変な貴重盤である。


そして驚くことが、アナログへのマスタリングは、Emil Berliner Studiosがやっている。

シドニー・クレール・メイヤー氏のようだ。


これは嬉しいね~。エミール・ベルリナー・スタジオのマスタリングと聴くだけで、もう嬉しくてたまらいし、アナログLPの古の時代からの確かなマスタリング技術を受け継いでおり、俄然信用もあがってくる。


聴いてみたが、概ね予想通りで、既述のようなCD/LPの聴こえ方の違いはあるが、アナログとしてコレクションしておく、という点では非常に価値のあるLPだと思う。


アルゲリッチが彼女のピアニスト人生の中でラフ3を弾いたのは、このとき1回切り。アルゲリッチらしい猛突進型の強打鍵で、疾走型ではあるものの、ものすごい白熱ぶり、フィナーレでの猛烈なスピード、百獣の王の威厳と激しさと強さ、そして美しさ、すべてを兼ね備えたラフマニノフの3番だと思います。



ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番という曲は、なぜか映像素材ではいい素材が見つかるのだが、CD、音源となると自分にビシッとロックしてくる音源が皆無に近く長らく探し求めてきたのだが、なんとなく自分のイメージに合うかな、と思った最初の出会いがこのアルゲリッチ盤であり、以降後生大事にこの盤を、この曲の基準、リファレンスとしてずっと聴いてきているのだ。


そのアナログ盤のリリースはうれしい。


●リサ・バティアシュヴィリのCITY LIGHTS


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リサさまのCITY LIGHTSは、世界の11の都市にちなんだ小品を連作的に組み上げたアルバム。リサさまゆかりの街だという。


ミュンヘン、パリ、ベルリン、ヘルシンキ、ウィーン、ローマ、ブエノスアイレス、ニューヨーク、ロンドン、ルーマニア、トビリシ。


普通にクラシックの作曲家の作品を取り上げるものではなく、いわゆるコンセプト・アルバムである。


2019年に生誕130年をむかえたチャップリンの音楽と映画に触発されたメドレーを作るというリサ・バティアシュヴィリとニコラス・ラクヴェリのアイデアが、リサさまの生活する主要都市に基づいた自伝的コンセプトへと発展したというのが事の発端である。


今回、クリエイティヴ・ディレクターとして、リサ・バティアシュヴィリとニコロズ・ラクヴェリの2人がクレジットされている。


「リサ・バティアシュヴィリと個人的・音楽的な繋がりがある世界の11都市と、そこに関連する美しいメロディーでその都市を旅し、そしてチャップリンにトリビュートする。」


これがこのアルバムのコンセプト。


ミュンヘン/パリ/ベルリン/ヘルシンキ/ ウィーン/ローマ/ブエノスアイレス/ニューヨーク/ロンドン/ブダペスト/トリビシ


最後のトリビシは、ジョージア国(グルジア)の首都のこと。リサさまは、このトリビシで生まれた。生まれ故郷の街である。 



全体の印象としては、クラシックのアルバムを腰を据えてしっかりと聴こうという感じのアルバムではなく、世界の都市を脳内でイメージしながら、その美しいメロディを聴きながら、リラックスして聴くBGM的な聴き方をするアルバムのような感じがした。



一聴すると、耳あたりの良い曲を集めたムード・ミュージック風のようなアルバムだが、じつに芯の通った個性的で丁寧な仕上がりである。そしてモダンでフックの効いたキャッチーな旋律の小曲をメドレーのように紡いでいくその手法は、優雅な世界旅行をしているような気分に誘われる。


それがリサさまとゆかりのある世界の11都市と1曲1曲関係があるという仕掛け。


ジャケットのリサさまの格好良さも相まって、もう最高に大好きなアルバムである。


最高のBGMである。


脳内にいっぱいアルファ波が出ます。

そして多様性があって、けっして美しい優しいだけの1本調子にならないドラマがあると思う。


アルバムの最初から最後まで、なんか映画を見ているような完結された作品性・ドラマがあります。ずっと聴いているとそのストーリーがよく理解できてくると思います。


クラシックというよりは、イージーリスニングというような聴きやすさ、やさしさがあり、自分は大のお気に入りで、ヘビロテで聴いている。


じつは、このアルバムのアナログLPが限定盤として後日発売になっているのを知った。ぜひこれも記念に買っておこうと思い、入手した。通常のLPサイズと比較すると、若干小さなめなLPで、でも33回転である。


アナログらしいサウンドで、これもいい出来具合である。

大事なコレクションになるであろう。


リサさまは、最近このCITY LIGHTSのツアーに合わせて世界ツアーを始めているようである。CITY LIGHTSは2019年にアルバム制作で、2020年にリリースされた。2020年は世界中はコロナ・パンデミックの真っ最中だったので、アルバム発売だけでツアーができなかった。コロナ禍が落ち着いた今年2023年から、このCITY LIGHTSツアーと称して、世界ツアーを始めたようなのだ。べつにアルバムに収録されている世界11都市と限定されている訳ではなく、たとえば上の写真では韓国ツアーでのサイン会のひとこま。だから需要があればどこの国でもお伺いします、というスタンスなんだろうと思う。


ぜひ日本にも来てほしいです~。



●ヒラリー・ハーンのドヴォルジャーク・ヴァイオリン協奏曲、ヒナステラ・ヴァイオリン協奏曲、サラサーテ


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このアルバムは去年の2022年に新譜としてリリースされたアルバムで、タイミングを逸してしまいきちんとレビューの日記が書けなかった。大変申し訳なく思っています。


ハーンの新譜は、なんと!ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲である。

これは嬉しいというか、意外というか、よくぞ録音してくれた、という感じである。


ドヴォルジャークのVnコンチェルトは、なかなか演奏される機会の少ないコンチェルトで、生の実演でもそうだが、音源としてもあまり新しい録音というのも見当たらない。それをヒラリー・ハーンのような大物ヴァイオリニストがCDとして出してくれて、もうなにをかいわんやである。大満足である。最高に感謝している。そういう面でもぜひリアルタイムでレビューをリリースするべきであった。


古くは、黒沼ユリ子さんの日記に始まり、2022年7月に小林美樹さん、広上淳一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢で生の実演を、金沢で初めて聴き、そして最後の望みは、過去にも音源が少ない、このドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲の新しい録音を手に収めることであった。


これからはこの曲は、ハーンのこのアルバムで予習をすることにする。あとで気づいたのだが、じつはアラベラさんもPENTATONEの昔の音源、いわゆる有名になる前に、このドボコンを録音しているんですよね。自分はこのアルバム持っていますね。こちらはPENTATONEであるからSACDサラウンドで聴けますね。これも後日聴いてみます。


ヒラリー・ハーンのドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲。


ヒラリー・ハーンというヴァイオリニストは、ソナタにしろ、コンチェルトにしろ、いわゆる王道的な作品を発表しながら、現代作品に至るまで広く取り上げてきた現代屈指のヴァイオリニスト。


そんな作品群をずっと聴いてきた自分はヒラリー・ハーンというヴァイオリニストは非常にクセのないスタンダードな演奏をする奏者だと認識しているので、今回のドボコンの録音も極めて正統派の演奏で自分の満足いく内容であった。教科書のような襟を正したような演奏で、区画、音の隈取がしっかりしている、折り目正しい演奏のように感じた。


決して主張しすぎないソリストのパフォーマンスとオーケストラとのバランス感覚。しっかりと堅実でありながら、技巧的な箇所もさりげなく弾いてしまうテクニックの高さ、歯切れのいいボーイングとそれに伴う弾けた音などソリストとしてのテクニックも相変わらず見事なものであった。


本当にパフォーマンス的、そして全体の音楽の造形からしていかにも教科書的でスタンダードなので、間違いなく今後のこの曲の自分の基準、リファレンスになると確信した。


やっぱり新しい録音、新しい演奏は、これからの未来を期待させてくれるし、すべてを解決してくれるような気がする。なんといっても明るいのがいい。


そしてドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲は、非常に民族的で地域に根付いた地域密着型の暖かい優しいメロディで包まれた音楽であること。この曲だけではない。祖国の音楽を大切にしていた彼の音楽には、故郷への想いを呼び起こすような不思議なエネルギーがあるのかもしれない。たった30数分の短いコンチェルトではあるが、そこに由来した確かな名曲だということがわかる。


大変いいコレクションを入手できたと思う。



ドヴォルジャークやサラサーテは、ロシアのチャイコフスキーやムソルグスキー、ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウスなどと同じ、後期ロマン派の音楽ナショナリズムの大きな潮流の一部でもあった。


もうひとつカップリングされているヒナステラのコンチェルトは、かなり現代音楽風の独特の語り部。ハーンもこういう世界が得意、指向性があるんだなと思いました。過去の作品でもこの系統の音楽は何回もチャレンジしていた。


20世紀半ばのアルゼンチンのヒナステラは、初期の音楽的影響と現代の発展を融合させて、独自の音楽言語を作り上げた作曲家。


今回のこのヒラリー・ハーンの新譜、”エクリプス”は、ヴァイオリニストにとって音楽的節目となるもので、ハーンは、1年以上の休暇を経て、長年に亘って愛奏してきた作品を初めて録音している。


と、同時に、この全く異なる3つの作品は、ヴァイオリンという楽器だけでなく、それぞれの作曲家が長い間故郷を離れていたにもかかわらず、何らかの音楽的・地理的なつながりを持ち続けていたという考えによって結びついている、という伏線もあるようだ。


パートナーは、指揮にアンドレス・オロスコ=エストラーダ、管弦楽にhr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団)。


ヒラリー・ハーンの新譜”エクリプス”は、ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲を収録しているだけでなく、非常に素晴らしい完成度とコンセプトの作品となっているので、ぜひ入手しておくことをお勧めしたいです。


ヒラリー・ハーン、今年の6月に来日してヴァイオリン・リサイタルを東京オペラシティで開催してくれる。ベートーヴェンの一連の作品のソナタのようで、これはコロナ禍で残念ながら中止になってしまった演奏会のリベンジである。自分も前回も行くつもりであったが中止になってしまい、返金してもらった。今回も、自分はぜひこの公演に馳せ参じようと思っている。


またハーンの神業を観れると思うと楽しみである。

彼女のリサイタルもいろいろ経験してきたが、彼女はときどき信じられないような、一瞬聴衆が凍り付くような神業を連発するときがあるんだよね。思わず会場が息を呑む、というか息が止まる。そんなテクニシャンなのである。


楽しみです。







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餃子の王将 [グルメ]

下北沢は、青春の思春期を過ごした忘れられない街である。甘酸っぱい想い出である。北海道から東京に出てきたばかりで、ホームシックにかかってばかりいて、夜になったら毎日会社の寮の公衆電話から実家に電話ばかりかけていた。


人生初の一人暮らしは、精神的にかなりきつかった。会社寮は小田急の新百合ヶ丘にあったのだが、そこから会社の品川、大崎、五反田に行くには、小田急→井の頭→山の手と乗り換える。


その小田急→井の頭の乗り換えのところが下北沢である。

当時は、新百合ヶ丘はいわゆるベッドタウンで新興土地であまり飲食店とか、コンビニとかスーパーマーケットとかなかったので、なにか夕ご飯を食べたり、部屋で食べるものを買うときは、かならず下北沢で用を足すのであった。


毎日、下北沢の街をぶらぶら歩いていた。

田舎者の自分にとって、都会すべてにおいて物珍しかったが、その中でぶらぶら散策して大都会・東京を身に感じていたのが、下北沢と新宿、そして渋谷であった。


上京したての自分は、本当に世間知らずというか、青い人間だったので、会社での仕事もバリバリというわけでは全然なく、すべてにおいて大学時代のような友人関係を築ける訳でもなく、同期などふつうに友人関係は広くあるのだが、なんか大学時代の楽しかった濃厚な友人関係とは違っていて、どこか表層的というか、やはり社会人としての仕事を抱えながらの友人関係ってこんな感じなのかな、とも思っていた。


親元を離れて、人生初の一人暮らし、そして友人関係、慣れない仕事、社会人生活そんなものがいろいろあった1987~1994年の7年間であった。


この7年間は、そんな社会人人生をかけだしたときのセンチメンタルで甘酸っぱい、自分の記憶の中で忘れられない想い出の期間である。


そんな想い出の街、下北沢であるが、後日、下北沢の街歩きや下北沢のスープカレー、そして下北沢本多劇場を体験して日記にしたく、それまでの楽しみにしていてほしい。


先日そんな下北沢に何十年ぶりであろうか、行ってみたのであるが、もう全然ガラ変で自分が過ごしていた街の面影はまったくなかった。


驚いた。


今回取り上げるのは、下北沢にあった餃子の王将である。

残念ながらもう自分が通っていた下北沢のあの場所にあった餃子の王将はなかった。


もうそうりゃそうだよな。


もう36年経つ。


下北沢の小田急駅を下車して階段を下りてきたすぐその場所にコンビニがあった。

そのコンビニで調達する。


そして下北沢をぶらぶら街散策をして(これが田舎者にとってはすごく楽しい。)、いろいろな飲食店で夕ご飯を食べるのだ。


下北沢という街は、都会の冷たさというよりは、ものすごいカジュアルな学生の街、雑貨店の多い街という感じで、若くて庶民的な景観だった。


そんな下北沢でかなりの回数、夕ご飯食べていたのが”餃子の王将”である。

いまや押しも押されぬ大チェーン店であるが、当時、それまで北海道には餃子の王将はなかったんじゃないかな?あったとしても自分はまったく知らず体験したこともない。


餃子の王将を初めて食べたときの印象は、これはウマい!餃子ってなんてウマいんだ!とやみつきになった。夢中になった。


それまで餃子というと、オフクロが家庭でよく作ってくれた”水餃子”のほうが圧倒的だった。焼き餃子がこんなに美味しいとは!!!


これは目に鱗であった。自分は焼き餃子のすっかり虜になった。


焼き餃子のにんにくの効いた香ばしさ、焼き餃子ならではのクセになる美味しさ、中毒性があって毎日食べてもまったく飽きなかった。


餃子の王将そのものが人生初体験だったので、そしてお値段も安いしお手頃。そして焼き餃子がこんなに美味しいものとは!!!


なんかあの7年間、毎日餃子の王将で焼き餃子を食べていたような記憶がある。ほとんど毎日である。


焼き餃子は定食にしていただく。焼き餃子とご飯の相性が最高で、餃子をほうばりながら、ご飯をかっこんでいく、こんなウマいものが世の中にあるなんて!という感じで夢中になった。


人生23歳~30歳になって初めて体験する焼き餃子であった。


店内の様子の想い出も鮮明に頭の中に刻み込まれている。もう毎日通っていたので、完璧なまでに覚えている。カウンター、テーブル、ケースバイケースだった。


そんな想い出の下北沢の餃子の王将、人生初の餃子の王将であったが、ぜひあの頃の想い出に浸りたいと思い、先日下北沢に行ってきたのであるが、もうあの場所には餃子の王将はなかった。


人間、歳をとってくると、若い頃の想い出の場所をもう一回再訪したくなる、そういう生き物なのである。


それ以来、自分にとって、餃子、焼き餃子は、そんなに珍しい食べ物ではなくなり、その7年間で徹底的に食べ尽くした感もあって、そしてグルメ体質の自分にとっては、もっと高級でいろいろな美味しい食べ物のほうに興味が移ってしまい、餃子の王将に行くこともほとんどなくなった。


ご飯食べるのに、わざわざ餃子の王将入るか?


そんな感じである。


もういまや自分にとって、餃子は若くてお金がなかった頃の食べ物だった。


数年前に、いまのおらが街に餃子の王将が開店した。


行きつけの床屋さんで、”なんか噂によると、餃子の王将ができるらしいんですよ!すごい楽しみなんです。”と仰るのを聞いて知った。


なんだ、餃子の王将か・・・(笑)。すっかり飽食体質の自分にとってさほど驚かず、その程度にしか思わなかったが、もちろん若い頃のあの7年間の想い出が頭を過ったことは確かである。


そんなおらが街の餃子の王将に行ってみた。


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あの頃のリバイバル、36年ぶりの再会、ブーム再来という感じで、またすっかり餃子の王将に嵌ってしまい、最近また何回も通ってしまっている。


餃子、焼き餃子はやっぱり美味しいよ。

驚くのはその大人気ぶりである。


行く度にものすごい大混雑、特にお昼時。すごい劇混みでいつも行列で待たされたりする。餃子の王将は、いまや大チェーンなので、お店に寄りけりだと思うのだが、おらが街の餃子の王将は、大繁盛しています。いつもすごい混んでいる。


店内は敷地のせいか、そんなに広くない。下北沢の店内はすごく広かったです。


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超驚いたのが、そのメニューの多彩さである。


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36年前の下北沢の餃子の王将は、それこそ餃子専門店という感じで、どのメニューも餃子に特化したものが多かった。


でもいまやどうだ!


もう餃子だけじゃやっていけないのだろう。

これはもう町中華である。

町中華の豪華版といっていい。


ラーメン、麻婆豆腐、レバニラ炒め、天津飯・・・はじめ町中華で常連のメニューは全部入っている感じ。これはがっつり食える感じである。お腹を満たしてくれる感、満載である。


客層はやはり男性が多い。


おらが街では意外や、こういうがっつり食える感のお店、中華屋さん、町中華が少なくて、すごく重宝しているのだと思う。日高屋さんなんかもあるが、こちらの餃子の王将のほうが、全然美味しいと思う。


我々、ふつうに餃子の王将というと餃子を食べるのか、と思いがちだが、いまやこの時代の餃子の王将は違うのだ。餃子だけではない、がっつり食べれる系、中華ものであれば大抵カバーされている、町中華の豪華版、そんな感じなのである。


それがいつ行っても大混雑で混んでいる理由だと思う。


自分は何回か通い詰めているうちに、いろいろ餃子を食べてみて、やはりこれだな、と思うのが、にんにく激増し餃子2人前の定食である。


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これに凝っているというか、最近はこればっかりである。

にんにくの量が普段の2倍入っている。


やっぱり焼き餃子はにんにく次第である。


自分は大食漢なので、餃子定食だけでは足りず、ラーメンとかレバニラ炒めをいっしょに頼むことが多い。ラーメンはやっぱり町中華に来たら、純粋な東京ラーメン、正油ラーメンがいいです。ラーメンに関しては、いつも高級で一流のラーメンばかり食べているけど、やはり町中華に来たら、このしょうゆラーメンが無性に食べたくなります。


というか、いまや昔ながらの東京ラーメンは、町中華でしか体験できないのではないでしょうか。


・・・ということで、人生晩年になって、また餃子の王将の魅力にハマってしまい、またおらが街で、ガッツリ食べれる系のお店が少ないこともあって、この餃子の王将は重宝している、という感じである。


人生は繰り返すですね。(笑)


餃子の王将について、詳しく紹介していこう。


餃子の王将は、株式会社王将フードサービスが京阪神地区を中心に全国展開する餃子を売りにした中華料理チェーン。


単に「王将」と呼ばれることもあるが、後述の「大阪王将」と区別するために「京都王将」と呼ばれることもある。看板に「京都」と明記してある店舗も存在する。


2020年3月31日現在、直営店523店舗(うち海外3店舗)、フランチャイズ214店舗の計737店舗を展開している。なお、鹿児島県を除き、青森・岩手・福島・秋田・山形・島根・宮崎・沖縄の各県には未出店となっている。



餃子の王将 四条大宮店(直営1号店)


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本チェーンの代表的な店舗の形態である。


1967年(昭和42年)12月25日に京都市の大宮駅付近(四条大宮)に一号店が開店。1970年代後半からは東京地区に積極的に出店している。



オープンキッチンスタイルでの店舗調理で、一部の店舗を除いて、各店舗で調理が行われている。これは、中華料理は出来立てが一番美味しい、調理の過程が見えた方が安心度が高い、という理念による物であり、2000年(平成12年)初めごろ、不況により外食産業全般が不調になった際に、餃子の王将もコストカットのため、他の大型外食チェーン店と同じように、セントラルキッチンの食材を大幅に増やしたが、餃子の王将らしさがなくなったと不評で、従来の方式に戻したという経緯もある。但し、食材の下拵えや製麺などは作業効率とコストダウンを考えて、セントラルキッチンで行われている。


店の看板である餃子については、過去、店舗毎の味のバラツキを無くすためセントラルキッチンで餡と皮を製造し、各店舗に配送し販売当日に包んで焼いていた。しかし従業員が総出で1日1000食以上も餃子の包みを余儀なくされる店舗も増え、次第に店内サービスや調理業務を圧迫し始めたことから、全自動成型餃子システムを導入したセントラルキッチンによる製造に移行。


2016年に東日本エリアをカバーする東松山工場が竣工し、東日本の各店舗へ配送を始めたことを契機に全国に拡大、2019年までに店内の餃子製造を取りやめている。なお、ラーメンに関しては、店舗で仕込んだ独自のラーメンを提供している店もある。



・・・これはすごい重要なことですね。

昔は、餃子は店内で餡の下ごしらえ、餡を皮つつみから焼いたりするまでを、全部店内でお店の人がやっていたんですね。いろいろな経緯を乗り越えて、いまや工場で作って、各店舗に配送なんですね。店舗間の餃子のバラツキもなくなる、という感じでしょうか。


確かにいま思えば、下北沢の餃子の王将は、すごく広かったのはお客さんのスペースも広かったですが、キッチンもすごく広かったです。いま思えば、あの当時は餡の下ごしらえ、皮つつみ、餃子焼きまで全部お店ごと、自前でやっていたんだと思います。記憶はそこまで定かではないですが、オーダーしてから結構時間がかかったと思います。


でもいまやおらが町の餃子の王将は、オーダーしてから出てくるのすごい早いですよ。


ちなみに、2014年に餃子の主要食材(豚肉・小麦粉・キャベツ・ニラ・にんにく・生姜)をすべて国産化したことを発表。また、麺料理に関しても国産の小麦粉を使用することを発表しました。



店舗のブランドとして「餃子の」と付けている通り、看板メニューは餃子である。


焼き方は、デフォルトの「普通焼き」以外に、皮のモッチリ感が味わえる「うす焼き」や、しっかりとした香ばしさが味わえる「両面焼き」や「よく焼き」など、焼き加減を裏メニューとして注文可能である。


2016年、餃子を食べたあとのニンニク臭が気になる人向けに「にんにくゼロ餃子」を発売。2019年7月8日より、そのアップグレード版とも言える「にんにくゼロ生姜餃子」を発売。


2021年3月19日、通常の餃子の2倍以上のにんにくを使った「にんにく激増し餃子」を発売。


・・・にんにく激増し餃子は、2021年の最近のメニューなんですね。


●餃子の王将に関する逸話


・フランチャイズ店の出町店(京都市上京区)では、苦学生を対象に「皿洗いを30分することを条件で無料で食事ができる」伝統が35年以上行われていた。2018年頃には衛生上の理由から皿洗いはなくなったが、苦しい学生には無料で食事を提供することは続けていた。店主の井上定博が70歳になり、年齢によるフランチャイズ契約終了のため、2020年10月31日をもって閉店した。



・『取締役島耕作』3巻では、同店をモデルにした「錦丸食堂」が登場する。京都での会議の途中に中国家電大手出発集団の孫鋭が、貧しかった留学生時代に世話になったその店を島と共に再訪し、二人は食後に皿洗いをした、というストーリーである。


・「週刊新潮」2006年(平成18年)11月9日号では、『取締役島耕作』作者の弘兼憲史が出町店を訪ね、皿を洗う写真記事「とっておき私の京都-餃子の王将出町店-弘兼憲史」が掲載された。




お金のない苦学生のために、皿洗いをすれば無料でお食事させるのは有名でしたね。店主の年齢により、このお店が閉店になり、この無料サービスが終了してしまったのは、ニュースになっていて当時テレビで拝見していました。


いまこういう美談はなくなってしまいましたね。


自分の青春の想い出、下北沢の餃子の王将。

ネットで写真を探してみたところ、ありました。


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そう!まさにここです。

あまりに懐かしくて、涙が出てきました。


自分の青春の腹満たし処でございました。



餃子の王将、これからも愛用していきたいと思っています。









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マシュ・ケ・ナダ [音楽雑感]

最近ハマりにハマっている曲で紹介したいのがこの曲。


マシュ・ケ・ナダ



これは1度聴いたら完璧に中毒。何回も繰り返して聴きたくなる、そんな中毒性のある。おもわずツボに入り込んだ感じで、たまらん!という感じです。


まさに昭和そのもののメロディ、平成を飛び越えて昭和はすごい古くなってしまったけど、この昭和でないと醸し出せない旋律というのがあるんですね。


メロディを聴いたら、これはとても令和、平成では無理だ。この時代には絶対生まれてこない旋律。昭和だからこそ、昭和の1960~1970年代だからこそ出せる格好良さ、そういうイカした雰囲気がある。


でもそういう旋律をいま聴くと、逆になんかとても新鮮ですごくカッコイイんだよね。


いまこの曲にもうハマりにハマっています。


マシュ・ケ・ナダはボサノヴァです。


「マシュ・ケ・ナダ」(Mas que nada) は、ブラジルのシンガーソングライター、ジョルジ・ベン作曲のボサノヴァの楽曲。


曲名の意味は、納得できない事に対して「ありえない!まさか!なんてこった!やなこった!勘弁してくれよ!」と不満を口にするポルトガル語の表現。


なんか妖気漂う怪しさがあって、これがじつにカッコいいんだな。

この旋律に自分はイチコロにやられました。


この独特の妖気漂う怪しいカッコよさというのは、昭和という時代だからこそが生み出したものというよりは、ブラジル音楽、ボサノヴァがもつ独特の音楽としての造形美なんだろうと思ってきました。自分はそれにやられたんだと思う。


ボサノヴァもちろん大好きだけど、普段そんなに毎日あまり聴かないからね。

自分にとって新鮮だったんだと思う。


ジョルジ・ベンの作品として、ブラジルにて1963年にコンチネンタル・レーベルからシングルとして発売された。その後、フィリップスから発売されたベンの初アルバム『Samba Esquema Novo 』(サンバ・エスケーマ・ノーヴォ、訳:サンバ新体制)に収録。ブラジル国内で2か月で10万枚を越すヒットとなる。



これです。


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これはいかにも古いブラジル音楽、伝統的なボサノバそのもの、そんな直球勝負な感じである。自分は、この曲がなんとも中毒性があって妖気漂う怪しいカッコよさと感じるのは、おそらく後世のカバー・バージョンを聴いてからだと思う。カバーというのは本当に素晴らしい。カバーのほうがオリジナル、原曲よりいい、というのはここにありますね。カバーがその曲のいろいろな可能性を拡げてくれる、そんな想いがします。




1966年に、セルジオ・メンデスのアルバム『Sergio Mendes & Brasil'66 』に収録された女性コーラス入りのカヴァーが大ヒットし、世界的に有名になる。このヒットでセルジオ・メンデスが世界中の様々なジャンルの音楽ファンに知られるところとなる。このバージョンは2015年にトヨタ自動車のコンパクトミニバン「シエンタ」のCMソングに使用された。


これです。


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マシュ・ケ・ナダが世界的に大ヒットしたきっかけが、このセルジオ・メンデスによるカバーでした。リズムからアレンジからいかにもブラジルってな感じで、アップテンポのボサノバという感じである。女性コーラスがリードボーカルを取っていて、これがカッコいいんだな。ブラジル語でしょうか・・・。


格好良すぎる。

この格好良さは、1966年じゃないと出せないんだよね。令和や平成じゃ無理だと思う。


ハナ肇とクレージーキャッツの シングル、 アッと驚く為五郎は、セルジオ・メンデス&ブラジル'66による「マシュ・ケ・ナダ」の影響を受けたとされる。



小野リサとDJ TAROのマシュ・ケ・ナダ


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これがまたいいんだな。小野リサさんは、ブラジル生まれの日本人ボサノヴァ歌手。ブラジル音楽が好きな父がライブハウスを経営しようと1958年に渡伯。サンパウロで「クラブ一番」という店を営んでいた両親の下、ブラジルで生まれる。日系ブラジル人の幼稚園に通い、日本とブラジルの音楽両方に囲まれて育つ。


2013年、ブラジル音楽への献身と日本でのボサノヴァ普及の功績に対し、ブラジル政府からリオブランコ国家勲章の叙勲を受けている。


まさに日本のボサノヴァの第一人者、重鎮のような存在ですね。

一度コンサート行ってみたい、とずっと思っているんですね、昔から。


その小野リサさんのマシュ・ケ・ナダも素敵なんですな。スローテンポで、これぞ、まさにボサノヴァという感じで、リズムの切り方といい、歌い方といい、雰囲気といい、まさにボサノヴァそのものというアレンジである。でも新しい近代のサウンドという感じがします。ジョルジ・ベンのような原曲のコテコテのブラジル音楽、ボサノヴァというより、もっと今風に新しく洗練されたアレンジのボサノヴァです。結構ゆったり系のスローテンポです。ブラジル雰囲気たっぷりです。



由紀さおりのマシュ・ケ・ナダ


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この曲において、自分にとって、最大の衝撃だったのがこのカバー。自分はこの曲のカバーでこれが一番好きです。これが最高にカッコいいと思います。これはもうボサノヴァではないです。もう完全に日本の歌に変更されています。もちろん日本語で歌っているんですが、音楽のジャンルとしては何になるのであろうか。ちょっと思い出せないくらい中庸な立ち位置で、独特の存在感があります。


ものすごいアップテンポで疾走感があることが、この妖気漂う怪しさのメロディによく合っていてじつにカッコいいんだな。それに由紀さおりさんの美声がよくフィットしていてたまらん、という感じです。


これは、2011年に世界中で大ヒットしたピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』の中に入っています。


このカバーにはかなりハマって、1日中リピートして聴いていたこともあります。

いまもかなりヘビロテで聴いています。



江部賢一のマシュ・ケ・ナダ


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江部賢一さんは、クラシック・ギターを鈴木巌に師事。ヤマハ・ネム音楽院でジャズ・ギター、理論、アレンジを学ぶ。さまざまなジャンルで音楽活動を行ない、ギターのアレンジ集も多数出版されている。


江部賢一さんのマシュ・ケ・ナダはこの得意のクラシック・ギターでアレンジしたインストルメンタル・バージョン。つま弾かれるクラシック・ギターの音色がじつに落ち着いた静謐な美しさで、この曲のもうひとつ別世界の違ったイメージを作り出していて、とてもいいと思います。




サパトスのマシュ・ケ・ナダ


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木村純 Jun Kimura(guiter) ブラジル系グループのギタリストとしてライブ、コンサート、レコーディング等をこなし、数多くのCMに音楽提供をして、2001年度放送広告審査会(ACC)の銅賞(資生堂)とACC賞(松下電器)をダブル受賞。ボサノバギタリストとしての参加アルバムは多数に及ぶ。


これはカッコいいですね。アップテンポでかなりカッコいいアレンジです。自分は由紀さおりさんに次いでカッコいいと思います。数多くのCMに携わっていらしてきているので、あの数分の短い時間にいかに視聴者の心、耳を瞬時に掴むか、というキャッチーなアレンジに長けているというか、そういうセンスを感じますね。


これはかなりカッコいいと思います。


そして最後に、


ザ・ピーナッツのマシュ・ケ・ナダ


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ザ・ピーナッツって知ってますか?(笑)

まさに我々の昭和の世代を代表する双子のデュオでした。


うりふたつの見分けがつかない双子をアイドル、歌手にして売り出そう、という戦略は誰が考えたものなのでしょうか?


当時の一世を風靡していました。自分も子供の頃、家のテレビで歌謡番組で、ザ・ピーナッツが歌っていたのをリアルタイムでよく見ていました。


いまでもはっきり覚えています。


怪獣映画での”モスラー~~~や”はよく覚えている。懐かしすぎる~。(笑)


そんなザ・ピーナッツですが、マシュ・ケ・ナダのカバーを歌っているのです。


これはSpotifyでは検索しても出てこないのですが、YouTubeに上がっています。聴いたら、オォォォオオオ~、まさにピーナッツの声だ~。もう50年以上も昔の子供の頃なのに、はっきり脳裏に焼き付けられているデュオ、伊藤エミ、伊藤ユミの双子の声。間違いない。涙が出てきました。


ザ・ピーナッツがカバーするマシュ・ケ・ナダは明るい張りのある歌い方で、ちょっと演歌みたいにこぶしが回ってますね。(笑)でもいかにもピーナッツの歌です。なかなか素晴らしいです。


ザ・ピーナッツは、オー・シャンゼリゼもカバーしてます。YouTubeに上がってます。





ブラジル音楽、ボサノヴァ、もちろん大好きだし、いい音楽だと思うけど、生身の人間である自分にはやはり容量がありますね。なかなかすべての音楽を全部消化しきれないです。


でも、このマシュ・ケ・ナダをきっかけに、ブラジル音楽、ボサノヴァにも興味がシフトして、いろいろ聴くようになればいいと思います。









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オー・シャンゼリゼ [音楽雑感]

パリのシャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées)は、パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われている。


パリといえば凱旋門、その凱旋門を西から東にまっすぐ直線で突っ走る大道路である。凱旋門のところは、シャルル・ド・ゴール広場、そして東のコンコルド広場、ここまでを大直線で結ぶ大道路である。

まさに世界でもっとも有名な通りであり、もっとも美しい通りである。華のパリといったら、まず真っ先にこのシャンゼリゼ通りのことを思い起こすのは間違いない。


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懐かしすぎる~~~。(笑)

もうここにどれだけの想い出があるか。。。


シャンゼリゼ通りをまっすぐコンコルド広場に向かって行って途中に右折したところにシャンゼリゼ劇場があります。響きがデッドな(笑)もともとはオペラハウスです。


そして、凱旋門のところからは、サル・プレイエルにも行けます。昔は、パリ管弦楽団のフランチャイズ・ホールでしたが、フィルハーモニー・ド・パリが出来てからは、とくにクラシックとは限定しないマルチユースな使い方をされているようです。ショパンが愛したプレイエル・ピアノの展示ルームがありました。

またぜひ行きたいです。


凱旋門からコンコルド広場までは、地図で見るとそんな距離はないような感じがしますが、実際歩いてみるとかなり歩きます。でも自分はよく歩いたんだな。(笑)いま、自分はシャンゼリゼ通りを歩いているんだ、という実感を味わいたいために、この一直線をよく歩いて楽しみました。途中セーヌ川とエッフェル塔も見えます。


コンコルド広場には、自分がパリに来たときに定宿にしていたホテル(ちなみに典型的なコンチネンタル・ブレックファーストでした。)があって、ここはそのままコンコルド広場で楽しめてそのままルーブル美術館やオルセー美術館も近いし、またパリ・オペラ座ガルニエにも行ける。

そして、そこからメトロで凱旋門まで一直線だし、またお天気のいい日は、シャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩いていくのです。


シャンゼリゼ通りには、もう高級ブティックが立ち並び、いかにもファッションの街フランスらしいお洒落な雰囲気を醸し出しています。


シャンゼリゼ通りには、昔フーケッツという老舗のカフェがありました。

パリの4大カフェのひとつです。


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まさに世界の俳優さんや著名人たちが愛した歴史と伝統のあるカフェでしたが、なんと!4年前の2019年にパリ市民の暴徒で放火されてしまいました。(笑)「黄色いベスト」デモでしたね。なんたる暴挙!開いた口がふさがらなかったです。


あれからこのフーケッツ、再興されたのでしょうか・・・

ネットで調べてみたら、無事修理完了で再開されているようですよ。それも事件のあった2019年度中にですね。全然知らなかったです。でもよかったです。


自分はシャンゼリゼ通りというと、どうしてもこのカフェ・フーケッツを思い出します。凱旋門から歩いてすぐのところにあって、なぜかパリに行く度に、このカフェの前を必ず通ることがすごいパリのイメージとして自分の脳裏に焼き付いています。パリのカフェは、店内よりテラス席がいいですね。お天気のいい晴れた日に、テラス席で楽しくゆったりしているパリ市民の姿は、まさにパリの風物詩といっていいです。”ブロンド美人はサングラスがよく似合う。”まさにそんな風景が広がっています。


自分もこのカフェ・フーケッツに入ったことありますよ。以前日記でも紹介しましたが、すごいメニューのお値段がお高いので、ゆで卵を頼んだ記憶があります。(笑)でもちゃんとゆで卵立てに1個だけちょこんと乗っかっているサーブのされ方です。


そんな想い出いっぱいのパリ・シャンゼリゼ通り。

このシャンゼリゼ通りのことを歌った有名な曲があります。


オー・シャンゼリゼ


もうこの曲、日本でも大ブームになって、そのメロディを聴いたら、あ~あの曲!と、誰でも知っている有名な曲ではないでしょうか?もちろん世界中で大ヒットして、ほんとうにたくさんの歌手によってカバーされてきたスタンダードな名曲となりました。


ある日、なんか、無性にオー・シャンゼリゼが聴きたくなって、Spotifyで聴いてみたら、例によっていろんなカバーバージョンが選曲できるので、いろいろ聴いてみると、もう大感動!あまりに素敵すぎ。しかしいい曲だな~。名曲ですね。


いろいろなカバーが、これまたそれぞれの個性、アレンジがあってとてもグーなのです。みんなイケているのです。以来、ここず~っと自分の中ではオーシャンゼリゼ、かなりマイブームです。



「オー・シャンゼリゼ」(フランス語: Les Champs-Élysées)は、パリのシャンゼリゼ通りをモチーフとした歌曲。フランスの歌手ジョー・ダッサンの楽曲として1969年に発表されました。


邦題の「オー・シャンゼリゼ」はフランス語で「シャンゼリゼ通りには」、「シャンゼリゼ通りで」を意味する歌詞「aux Champs-Élysées」に由来していて、発音は”オ・シャンゼリゼ”となるそうです。


オー・シャンゼリゼの原曲は英語で書かれた楽曲「ウォータールー・ロード(Waterloo Road)」であり、イギリスのサイケデリックバンド・ジェイソン・クレストの4枚目のシングル曲として1968年に発表された。ジェイソン・クレストのプロデューサーであったフリッツ・フライヤー(2007年死去)が彼らの作曲能力に限界を感じて、ザ・フォー・ペニーズ(英語版)のマイク・ウィルシュ(Mike Wilsh)とThe Jugular Vein のマイク・ディーガン(Mike Deighan)が作った曲の権利をビートルズのアップルレコードから買い戻して提供したものである。


この楽曲に、フランスの作詞家ピエール・ドラノエがフランス語の詞をつけたのが『オー・シャンゼリゼ』である。原曲はロンドンの「ウォータールー通り」を舞台としていたが、フランス語訳の際にパリのシャンゼリゼ通りに差し換えられた。これは、ウォータールー(ベルギーのワーテルローの英語読み)はフランスがイギリスに敗れたワーテルローの戦いの戦場と同名であり、フランスではそのままでは発売できないためである。


自分はこの事実を知ってびっくり!ウォータールー、Waterloo!

オー・シャンゼリゼの原曲がウォータールー・ロード、Waterloo Roadだったとは!


ウォータールー、Waterlooは、もう自分にとっては人生で忘れることのできないイギリス、ロンドンの街である。


懐かしい郷愁漂うわが青春の街、ベージングストーク、Basingstokeから毎週末、土日になると、マイカーでモーターウエイM3を1時間くらい突っ走り、そのままロンドンに出るところがウォータールー、Waterlooなのであった。そこからピカデリーサーカスにいったん出て、自分のロンドン遊びが始まるのである。遊び終わると、またピカデリーサーカスからウォータールー経由でわが街に帰っていく。それをずっと繰り返していた。


ウォータールー、Waterlooには、ロンドン・フェスティバル・ホールがありますね。2016年にときにロンドン再訪したときに行ってきました。

懐かしかったです、ウォータールー、Waterloo。


そんなオー・シャンゼリゼの原曲となった「ウォータールー・ロード(Waterloo Road)」。


これですね。


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さっそく聴いてみました。

イギリスのサイケデリックバンドなので、あの当時のあの雰囲気ありありです。サイケデリックそのもの。


サイケディリックってわかりますか?


あの頃のロック・ミュージックはドラッグとは縁の切れない世界でした。

LSDなどの幻覚剤によってもたらされる心理的感覚や様々な幻覚、極彩色のグルグルと渦巻くイメージ、そんな世界がサイケディリックです。この感覚は当時のロックを世代的に体感した人でないとなかなかイメージ湧きにくいかも。あのなんともいえない退廃的な雰囲気、ムードというか。。


でもいざ聴いてみると、オー・シャンゼリゼなのです。(笑)まさにひとフレーズも違うことなく完璧にオー・シャンゼリゼなのです。で、肝心のサビの部分が、ウォータールー・ロード(Waterloo Road)として歌っているのです。


だから後世に伝えるに至って、編曲なんかいっさいしていないという感じです。

原曲はそのままオー・シャンゼリゼそのものでした。


でも曲の雰囲気は、サイケディリックなのです。(笑)

しかもサイケデリックな野郎たちが歌ってます。(笑)


お洒落なパリのシャンゼリゼ通りの歌曲「オー・シャンゼリゼ」が、じつはイギリスのサイケデリックバンドの曲が原曲だったとは!


しかも似ても似つかないその両者。

面白過ぎる!



その後に、フランス在住アメリカ人の人気歌手ジョー・ダッサンがアレンジして、1969年に自らのアルバムに加えて発表しました。シングルカット版はベルギーのワロン地域のチャートで最高4位となったほか、多くのヨーロッパの国でチャート入りした。


ジョー・ダッサンの日本でのシングル初版は「シャンゼリゼー」のタイトルだったが、すぐにタイトルを「オー・シャンゼリゼ」としジャケットも変更して再発売している。


これですね。


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これが、いわゆる「オー・シャンゼリゼ」としての最初のリリースになったのでした。「オー・シャンゼリゼ」は、フランスの歌手ジョー・ダッサンの楽曲として1969年に発表されたのが始まりだったのです。


男性のぶっとい声で、武骨な感じで歌い上げる感じでお洒落な雰囲気とは全然違う世界ですが、フランス語なんで、なんとなく雰囲気はそれなりに出るもんなんですね。これがオリジナルか~そんな印象でした。



日本では、1971年に発売されたダニエル・ビダルのレコードがヒットしました。


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ダニエル・ビダル(1952年6月27日 - )は、モロッコ生まれのフランスの女性歌手。1970年代前半に日本で活躍したことで知られる。ダニエル・ビダルが歌う「オー・シャンゼリゼ」は、日本語ともうひとつのフランス語のチャンポンで歌います。


これは、まさに「オー・シャンゼリゼ」ですね。「オー・シャンゼリゼ」のオリジナルのイメージはこの曲が原型と言ってもいいのではないでしょうか。


ボンジュール~アンニュイなパリのイメージ、当時の1970年代のあの雰囲気の伴奏。ハイカラという言葉が似合うようなあの時代の精一杯のオシャレ感覚。


1970年代だな~という感じのオー・シャンゼリゼです。



そして越路吹雪さんの「オー・シャンゼリゼ」です。


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これも日本で、この曲を有名にしたひとつのきっかけになりましたね。越路吹雪さんのあの独特のカラーで見事に自分の曲としてアレンジされてます。もちろんオール日本語で歌ってます。訳詞は岩谷時子さんがやられています。


南沙織さんも「オー・シャンゼリゼ」をカバーしています。


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南沙織さん知ってますか?(笑)

我々の世代、昭和の代表的なアイドルでした。


南沙織さんが歌う「オー・シャンゼリゼ」は、溌溂とした若々しいアレンジですね。越路吹雪さんが、昭和初期のシャンソンっぽいだったのに対して、一気に昭和アイドル時代のど真ん中の勢いのあるアレンジになりました。




またレイモン・ルフェーブルがイージーリスニングにし、世界的にヒットしました。小中学校の音楽の時間に取り上げられたり、たびたびCMにも使われたりもしました。


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レイモン・ルフェーヴルはフランスの編曲家、指揮者、作曲家、ピアニスト、フルート奏者などいろいろな顔を持つ多才な人でしたが、イージーリスニング界の第一人者として有名。特に日本では、キングレコードを発売元としていた時期に、ポール・モーリアの「ラブ・サウンドの王様」に対して、「ラブ・サウンドのシャルマン」がキャッチフレーズとして使用されたことで有名になりました。


そんなイージー・リスニング界の第一人者が編曲する「オー・シャンゼリゼ」。これが世界的にヒットしました。とても優雅で、でもちょっとした躍動感もあって、パリの気だるい色気というよりは、もっと明るい元気な感じのアレンジでした。正統派という感じですね。



オー・シャンゼリゼは、もともとはイギリスの曲であるが、シャンソン及びフレンチポップスであるかのイメージが根強くあり、特に日本でフランスの歌として大ヒットしたため、長年シャンソン若しくはフレンチポップスとして扱われてきたのである。


もうちょっといろんなカバーを楽しんでみます。

Spotifyはとても便利です。




クレモンティーヌの「オー・シャンゼリゼ」


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クレモンティーヌ(1963年 - )は、フランスの歌手。1988年にシングル「アプソリュマン・ジャズ」をリリースしてデビュー。歌手として多くの音源をリリースするほか、NHK Eテレ『テレビでフランス語』の毎月最終週に放送されている「Divertissement」に出演するなどしている。


このクレモンティーヌの歌う「オー・シャンゼリゼ」が自分は一番のこの曲のイメージにぴったりだと思います。もちろんフランス語で歌っていて、優しくソフトなシルキーっぽい肌感というか、ちょっとパリのアンニュイで気だるい色気、妖艶さを感じさせる歌い方なのです。もちろん彼女の声質もパリらしい。


自分は「オー・シャンゼリゼ」のカバーをいろいろ聴いた中ではこれがベストだな。



由紀さおりの「オー・シャンゼリゼ」



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由紀さおりさん知ってますか?(笑)

我々昭和世代ではあまりに有名な方でした。自分は圧倒的に歌手としてしてのイメージなのですが、実際の活動としては、歌手、タレント、女優、ナレーターなど多岐に至る幅広い芸風でございました。シンガー・ソング・コメディアンを自称しているそうです。(笑)


由紀さおりさんは、演歌ではないんですよね。

もっと近代的でいろいろなバリエーションの歌を歌える才能があって、特に声質がいいですね。なんかジャズとかシャンソンとかの洋風の歌を日本語で歌う日本風アレンジのようなそんな立ち位置のような気がします。


いわゆる美声といわれる声質で、しっかりと線が太い声なのですが、定位がしっかりしていて、透き通った透明感のある美しさがあって、さらに湿度感があるしっとりとしたじつにいい声をしていると思います。美声なんですね。大人の女性の歌という感じです。歌手としては、すごいうまい歌手だと思ってます。


これは自分は知らなかったですが、2011年にピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』が各国で高く評価されました。


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ロンドンとアメリカのステージに、プロモーションも兼ねて立った。2011年に世界50ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、2011年11月2日付のiTunesジャズ・チャート及びカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位獲得という快挙を達成。さらにギリシャのIFPI総合アルバム・チャートで最高6位、シンガポールのHMVインターナショナル・チャートでは最高18位となった。この報道の影響もあって、特に2011年暮れから2012年に掛けて、由紀さおりのテレビ番組への出演が増加していた。


これは驚きました。

まったく知らなかったです。


このあとの日記でもご紹介しますが、このアルバムに入っている「マシュ・ケ・ナダ」がもう最高で、自分の中でベストワンの「マシュ・ケ・ナダ」と確信しています。さっそくこのアルバム、Spotifyで自分のお気に入りに登録しています。


夜明けのスキャット、喝采、ブルーライトヨコハマ・・・、懐かしすぎる~。(笑)


この由紀さおりさんが歌う「オー・シャンゼリゼ」もこれまたいいんだな~。この透明感のある美声でしっとりした雰囲気で歌う「オー・シャンゼリゼ」もなんとも素敵です。もちろん日本語です。これもなかなか捨てがたいベストワンに押したい感じです。



オー・シャンゼリゼ、まさにフランスと日本の両方の架け橋となる素敵な歌曲でした。まさかその原曲が、イギリスのサイケデリックバンドにあったとは思ってもみませんでしたが。(笑)


この曲を聴いていると、本当に昭和のよき時代、あの頃の時代の言葉でいえばハイカラというような、そんなあの当時の精一杯のオシャレ感覚を醸し出しているそんな曲ですね。


いまでも毎日ヘビロテで聴いている曲です。









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チェ・ジウ [ドラマ]

「冬ソナ」から20年、あの頃のスターたちの現在、というニュースを偶然読んで猛烈に反応。懐かしすぎる~(笑)。2003年~2004年の冬のソナタで始まった韓流ブーム、もうめちゃめちゃリアルタイムでしたよ。


自分がちょうど3年間の休職から復帰した頃。オフクロが大の冬ソナの大ファンで、ずっとNHKに見入って嵌ってました。


みんな、ヨン様と騒いでいたけど、自分はもう断然チェ・ジウの大ファンでした。


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恋焦がれました~。ジウ姫って呼ばれてましたね。チェ・ジウはロングヘアーがトレードマークで、ショートカットにしたのは、この冬ソナのときだけでしたが、自分はじつはショートカットのほうが全然いいと思ってました。冬ソナは、あのショートカットだったから、あの切なさが出たんだと思ってます。


冬ソナは、NHKはもちろん日本語吹き替えで、チェ・ジウの声は田中美里さんがやっていらしゃっていました。それ以降、もうチェ・ジウのドラマはかならず田中美里さんがやっていました。


冬ソナに凝りだすと、その後、じつは吹き替えでなく、字幕がいい、直接の俳優さんの声が聞こえるほうがいいとか、さらにはノーカット版が話題になり、ここが未放送分とかで興奮した覚えがあります。


自分は日本語字幕のじかに俳優さんの声が聞こえるのは、ちょっと最初はショックで、やはり日本語吹き替えのほうがいいな、と思ったりしていました。だから自分にとって冬ソナといえば日本語吹き替えです。


その後の天国の階段とか、美しい日々とか見てましたね~。チェ・ジウのファンなので、過去の出演作とか全部見漁っていたような記憶があります。


いまはもう見ないけど、当時韓国ドラマというのがすごく新鮮というか、珍しくて夢中になって見てました。冬ソナのユン・ソクホ監督のドラマ作りは、すごく美しい描画シーンを作り出す古典的、古風な良さがありましたね。でも韓国ドラマって、勧善懲悪というか、かならず悪役がいて、主役がいじめられる、というか、でも最後はそれに打ち勝って幸せに・・・というパターンが決まっているんですね。かなり極端に描きますね。日本のドラマが逆に緩すぎて刺激がないように感じました。それだけ韓国ドラマってかなり強烈だと思いました。国民性の違いですね。


あまりに神格化されて、なかなか簡単に何回も日本に来日とはいかなかったヨン様と違って、チェ・ジウは韓流ブームに沸く日本の架け橋になっていたところがありましたね。


2004年6月、日韓国交正常化40周年を記念する「日韓友情年」諮問委員会の一員となり、2005年の「日韓共同訪問の年」の韓国代表の広報大使に任命(日本代表は女優・木村佳乃さん)され、6月には韓国観光公社から広報大使を務めた功績に功労牌を授与されました。


2006年に、TBS日曜劇場「輪舞曲」で竹野内豊氏とW主演を務め日本のドラマにも初出演しましたね。かなりドキドキしながら見てましたが、なかなか流暢に日本語話せる訳ではなく、片言の日本語で、ドラマを紡いでいくのがやはり無理があるな、と当時思って見てました。(笑)


それから、自分が転職した2007年以降は、ニュースになるときに見かけるくらいで、それ以降は自分の中でまったく気にしなくなってしまいました。


冬ソナから20年経つんですよ!あの狂騒曲だった韓流ブームもあっさり去っていき、落ち着きを取り戻した日本。チェ・ジウの存在もすっかり忘れて、まったく気にもとめていなかったです。


あれから20年、冬ソナで一世を風靡したスターたちの現在。

まさにその記事を読んで、う~ん、時代はあれから経ったな~と感慨深く・・・。


まずは主役チュンサン&ミニョンを演じたヨン様ことペ・ヨンジュン(50)。


「ヨンジュンさんは’11年のドラマ『ドリームハイ』(KBS)と教養番組『韓国の美をたどる旅』(MBC)への出演を最後に、韓国では一切、芸能活動をしていません。昨年11月には公式HPの運営が一時中断されたこともあり、引退説まで流れました」(韓国芸能界関係者)


’15年7月に人気グループ「Sugar」出身の女優パク・スジン(37)と結婚し、1男1女をもうけたヨン様。以降、拠点をハワイに移し、俳優業から投資家へと転身していた。


「この3月には、韓国最大手のフィギュア製造会社・ブリッツウェイや、仮想現実(VR)のベンチャー企業、自ら立ち上げた『センターコーヒー』などに投資家として出資していることが明らかになりました。いまは韓国企業の未来を応援しているのでしょう。韓国芸能界からは“美しい退場”をしたとされ、いまはハワイで静かに家族と暮らすことに満足しているといいます。」


●ジウ姫は44歳で出産…育児の悩みは「女優ママ友」会で解消


ヒロインのユジンを演じたジウ姫ことチェ・ジウ(47)は、いまなお女優業を続けている。


「’18年に9歳年下のIT企業勤務の一般男性と結婚。妊娠中に『愛の不時着』にゲスト出演したことも話題になりました」(前出・韓国芸能界関係者)


’20年5月に女児が誕生。44歳での高齢出産だった。


「出産後の昨年も連ドラ『流れ星』(tvN)に出演して、健在ぶりを示しています。彼女の最近のインスタには、旧正月に韓国の伝統的な衣装を着用した後ろ姿の長女との2ショットがアップされていました。韓国では、すっかり“理想のママ女優”としても人気になっています。


とはいえ、育児と仕事の両立はやはり大変なようです。シン・エラさん(54)やユン・ユソンさん(54)など、長年交流のある先輩女優たちに『子供が最近言うことを聞かなくて……』と悩みを相談しているそうです。『次は5歳の時期が大変なのよ!』と笑顔で返されるなど、“先輩ママ”からの身近なアドバイスに助けられているといいます」(韓国ドラマ関係者)



ジウ姫、インスタ???


さっそく探してフォローしました。


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あれから20年経つのに、まったくスタイル変わらず、年齢をまったく感じさせず、あの頃のまま。

女優さんってやっぱりすごいですね。


インスタはそんなに熱心という訳でなく、気が向いたときに投稿という感じで投稿数も少ない。でも普段の生活のシーンなどの気を許したなにげないショット満載で、癒されます。


ジウ姫、相変わらず元気でなによりでした。

そして変わらず美しく、驚きました。


すっかり忘れていたけど、一気に20年間がワープするくらい全然変わっていない。

すごいです・・・。(^^;







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東京・春・音楽祭 ニュルンベルクのマイスタージンガー [国内クラシックコンサート・レビュー]

カラヤン、バーンスタイン、そして小澤征爾さんもそうであるが(小澤さんはリアルタイムでしたが。)、みんな自分が生まれたときからスーパースターだった。そういうスターに心を寄せていく、応援していくというのもクラシックのスタンダードなファンの在り方だと思う。またクラシックを勉強していく上では逆にそういうスタイルのほうが入りやすいことも確かであろう。


でも自分にとって、マレク・ヤノフスキという指揮者は、自分と一緒に育ってきた、自分と一緒に成長してきた、自分と一緒に同じ時代を見てきた、そういう同越感があり、それが、よくここまでやってきたなぁ・・・というなんとも言えない気持ちと、他の指揮者とは違う特別な運命の絆のようなものを感じて感慨深いものがある。


もちろん自分は最初から狙っていた訳では全然なく、まったく意識することなく、本当に偶然の偶然もいいところなのであるが、自分のクラシック人生の中で、マレク・ヤノフスキという指揮者と不思議な絆で運命をともにできたことを誇りだとと思っている。自分の人生の誉としたい。音楽の神様の粋なプレゼントだったと思いたい。


ヤノフスキという指揮者はキャリアはかなり長いが、下積みもかなり長く、陽の目を見始めたのが、手兵ベルリン放送響を率いてベルリンフィルハーモニーでワーグナー10大楽劇の演奏会形式コンサートのツイクルスをやったときからだったであろう。このツイクルスをPENTATONEが収録していた。


自分もこれをきっかけにヤノフスキを知り、彼のバイロイト・デビューのときも追いかけた。そこから現在に至る活躍、すっかり大巨匠となっていったのはご承知の通りである。


当時のヤノフスキは、ワーグナー音楽について自前の理論を持っていて、一種独特の雰囲気を醸し出していた。


「ワーグナーの楽劇は、演奏会形式が一番いい。昨今のオペラ形式の過剰な演出は、ワーグナーのもつ素晴らしい音楽性を堪能するには邪魔である。純粋にワーグナー音楽の美しさ、素晴らしさを堪能するのであればコンサート形式が一番いい。」


日本ワーグナー協会の例会でのインタビューでもこのように発言をして、物議を醸したというか、大騒動だったような記憶がある。


自分はなんとも頑固なオヤジ風な印象を抱いたが、実際のベルリンフィルハーモニーでの実演を拝見して、聴けばその実力はわかる、という感じで納得できた。ニュルンベルクのマイスタージンガーとタンホイザーだったが、舞台は本当にシンプル、オーケストラの前に独唱ソリストを立たせて歌わせる。歌手は自分の出番になると舞台袖から静かに登場して、そして歌う。出番が終わるとそのまま舞台袖に下がる。


本当にシンプル。これがヤノフスキ流なのである。現在の東京・春・音楽祭に至るまで、このヤノフスキ流は終始一貫している。


そして驚いたのがその快速テンポである。ヤノフスキのサウンドは、非常に引き締まった筋肉質な音で、とにかくその疾走感に驚く。それは速すぎるだろう?と思うくらいすごい快速で進んでいく。


従来のワーグナー・サウンドといえばじっくり歌わせる、いわばうねり感のようなどっしり座ったような深みで演歌のこぶしではないけど、そういう節回しを丁寧に歌い上げる演奏が多かったと思うが、その伝統の演奏観をいっさい無視するかのようなどんどんすごい速さでサクサク進んでいく快速テンポで、ある意味淡白すぎると揶揄されることも当時は多かったように思う。


でも自分はこの疾走感こそが、なんか新しいワーグナーサウンド像を象徴するような感じがして、すごく新しく、格好良く感じたものだった。そしてなにを隠そう、自分はヤノフスキの演奏が速いという認識が当時の自分にはあまりなかった。(笑)自分には、あくまで普通で、とてもちょうどいいテンポのように思い、周りがみんなヤノフスキは速すぎると言うのを聞いて、あれ?そうなのかな?と思ったことを正直に告白しよう。(笑)



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東京・春・音楽祭2023はニュルンベルクのマイスタージンガー。


自分が初めて生のヤノフスキを観たのが、海外音楽鑑賞旅行と謳って初めてベルリンを旅行した2011年。ベルリンフィルハーモニーで観たときのマイスタージンガーが最初だった。あれから12年経過した今。ふたたびこの楽劇で原点回帰、先祖帰りする。。。そういうことなんだろうな、となんとなく直感的にそう感じた。運命のようなものを感じ感傷めいてしまった。


東京・春・音楽祭もリング指環四部作、そしてローエングリン。途中他の指揮者によるN響ワーグナー演奏も途中で挟んだが、やはりヤノフスキでないとダメだと思った。これは自分だけではなかったようだ。他指揮者ではみんなN響の演奏力にガッカリする声が多く、ヤノフスキを望む声が多かった。ことワーグナーに関しては、指揮者が変わるだけで、こんなに変わるものなのか、というほどN響の演奏もヤノフスキのもとでは本当にすごい鳴りっぷり、演奏パフォーマンスに豹変する。


なんでここまで豹変するのか?

ワーグナーという超長尺の演奏をここまで豹変させる、これがヤノフスキという指揮者の経験値と推進力なのだろう。N響がまったく別のオーケストラと思うくらい豹変する。


今回のマイスタージンガー。最初のあの有名な前奏曲から心を持っていかれる。


この重厚感と切れ味、そしてこの鳴りっぷり、弦の分厚い位相の揃った和声感のあるハーモニー、ワーグナー旋律を歌わせるその雄弁さといい、その大地を這うような、うねるような歌わせ方といい、ほんと聴いていてうっとりしてしまった。すごいな、と思った。


テンポは相変わらず速い。


今回は、バンダも大活躍で、かなり大編成スタイル。舞台いっぱいに編成が広がっていた。


コンサートマスターは、ライナー・キュッヒル。彼がコンマスだとやはり推進力が全然違う。自分は前方中央7列目ど真ん中とかなり前で聴いていたので、ライナー・キュッヒルのヴァイオリンの音色がグイグイとオーケストラを引っ張っていっているのがよく聴こえた。やはり彼はすごいと思う。


バンダだったか、一瞬金管が裏返ったこともあったが、それは木を見て、森を見ず、ということと同じ。全体の完成度からすると大したことではない。


もう100点満点といっていいほど完璧な演奏であった。こんな素晴らしいマイスタージンガーの演奏を聴いたのは、自分の鑑賞史上でも初めてである。おそらくいままでの、もうゆうに10年以上ある歴史ある東京・春・音楽祭 N響ワーグナーの演奏会の中でもベストワンと言っていいと思う。それほど圧倒的な完成度と大感銘を受けたパフォーマンスであった。


終演後、自宅に帰った自分は、溢れ出るこの感情を抑えることができず、思わずヤノフスキPENTATONE盤をもう1回聴き直してしまった。そしていまもであるが、数日間頭の中をあのメロディが延々とループしていて、ずっとあの旋律が鳴り続けているのである。


ワーグナー恐るべし!


東京オペラシンガーズも相変わらず素晴らしかった。今回はオーケストラの背後にスペースをとって、そこで整列して歌っていた。あるいは、舞台中に左右の入り口付近に小編成で並んで歌う、その2通りであった。


東京オペラシンガーズのすごさを実感するのは、毎年この東京春祭のN響ワーグナー演奏会のときである。やはり合唱というのはかなり自分にとってグッとくる。人の声が幾重にも重なって折り合うハーモニーの美しさというのは、筆舌に尽くしがたい美しさがある。この美しさはちょっと言葉では表現できませんね。じかに体験してみないとわからないと思う。


東京オペラシンガーズは、日本のトップのプロ合唱集団。まさに合唱という芸術の極みを見せつけてくれる。。そんな感じである。






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独唱ソリスト歌手陣もレベルが高かった。

限られた予算の中で、そして出演者のタイムスケジュールの調整、そんな苦労もありながら、これだけの粒ぞろいのレベルの高い歌手陣を集めてこれるのは、本当に東京春祭スタッフのご苦労が頭が下がる思いである。


特に圧倒的な存在感、アピールをしていたのは、意外やザックス、ヴァルターの主役2人ではなくベックメッサーであった。このワーグナー唯一の喜劇であるこのマイスタージンガーの中にあって、じつはこの悪役のベックメッサーの役割というのは非常に重要なのである。このベックメッサーの出来具合によって、そのマイスタージンガーの出来も決まってしまうほど重要な役割だと自分は思っている。


これがもう驚きであった。歌手陣の中でただ1人オール暗譜。そしてその卓越した演技力。自分はこれは只者ではないと思った。瞬時にこの歌手さんは、このベックメッサーでずっとご飯を食べてきているその道のプロの歌手さんに違いないと確信した。それほどまでにこのベックメッサーという役を自分のモノにしている。完璧だった。


わかってはいたが、最後のカーテンコールでは、やはり最大の拍手と大歓声であった。ベックメッサーの歌にはリュートという楽器が使われるが、今回はハープの小型の特別な楽器が使われていた。確かに音色はリュートそのものの音であった。最後のカーテンコールでは、ベックメッサーが花束をこのリュートのハープ奏者に渡して笑いと大歓声を受けていた。こういうところのパフォーマンスも場慣れていて、さすがだと思った。


主役のザックス、ヴァルターは、最初は主役にしては、ちょっとオーラと言うか主張してくるものが少なくて不満なものがあった。ふつうは主役は、舞台前列で歌っている歌手の中でもやはり発するオーラや存在感、気が全然違うものである。そういうものが、自分には物足りなさを感じたが、歌唱力ふくめ歌手としての実力はやはり素晴らしいものがあると思った。


ヴァルターは、最初存在感薄いな、と思ったが、最後のヴァルターの一番の魅せ場のアリアである「朝はバラ色に輝いて」に到達するまでにどんどんその存在感を増してきて、最後は立派にそのアリアを歌い切った。自分はあっぱれだと思った。ブラボーを贈りたい。


ザックスは、自分がこの楽劇でもっとも大好きな役なのだが、歌唱力ともに申し分ない安定感だったが、如何せん譜面にかぶりつきという印象があって、演技力そのものに物足りなさを感じた。演奏会形式とはいえ、もうちょっと表情の変化をもって演技という側面で我々を楽しませてほしかったように思う。でも最後のマイスター芸術の価値を説く(ザックスの最終演説)はカッコよかった~~~。自分はこのが喜劇の中でもここが一番大好きです。


女性歌手陣2人も最高に素晴らしかった。特にエファが素晴らしい。基本はかなり高音域な声質だが、絶唱したときに、けっして飽和したり金切声になったりせずにきちんとした声帯の広さ、容量の大きさというのがあって、その歌声が飽和せずに突き抜ける感じでホール空間に声がきちんと定位するし、声の伸びや安定感がある。じつにすばらしい歌手だと思った。声量、声質ともに申し分がなく、抜群の歌唱力をもった歌手だと思った。


清純派のエファにしては、かなりセクシー系で色艶っぽい雰囲気で誘惑されそうになりましたが。(笑)


このように歌手陣はほんとうに素晴らしいレベルで驚いた。


第3幕の第4場、マクダレーネも交え、エファ、ヴァルター、ザックス、ダフィトはそれぞれの思いを歌い上げ、五重唱となる”愛の洗礼式”アリア。ここは最高の魅せ場でじつに美しい五重唱で毎回感動するところ。


自分も最後の歌合戦以外に一番好きなアリアで、ここは本当に楽しませてもらいました。


では、さらにそれぞれソリストごとにもう少し詳しく感想、気になった点を補足していきますね。


ハンス・ザックス役:エギルス・シリンス(バス・バリトン)



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経歴を見ると、完全なワーグナー歌手。最近の出演では、クリスティアン・ティーレマン指揮でバイロイト音楽祭にもデビューしている。


とてもいい声をしていて、バリトン声域のお手本のような声質をしていると感じた。声量も十分である。歌手としての才能、歌唱力としては申し分ないと思う。いい歌手だと思うのだが、如何せん今回のザックスでは譜面にかぶりつきという感じで、もう少し表情を表に出し、演技力を発揮してくれるといいのにな~と思った。演奏会式とはいえ、やはり歌手に演技力が備わっていると観ているほうも感動具合が全然違ってくるものである。




ヴァルター・フォン・シュトルツィング役:デイヴィッド・バット・フィリップ(テノール)


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今日の英国が誇る最もエキサイティングなテノールの一人であり、主要な国際舞台で早くも確固たる人気を獲得している。


非常に若々しい感じが伝わってきて、フレッシュな感じがよく伝わってきた。最初は主役ヴァルターとしての存在感がもう少し欲しいなと思ったが、幕や場が進むにつれて、だんだんとその存在感が大きくなってよかったと思う。声質は、自分が望んでいるような突き抜けるような高音というタイプではなく、やや籠るというか、もう少し突き抜け感があるともっといいだけどな~とずっと聴いていた。でもヴァルターの一番の魅せ場の「朝はバラ色に輝いて」では見事に歌い切り、場を制覇した感があってブラボーであった。将来のオペラ界を席巻するいい歌手に育って行ってほしいと思う。英国人だと思うけど、ドイツ語発音なかなかでしたよ。



ジクストゥス・ベックメッサー:アドリアン・エレート(バリトン)


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ベックメッサー役のアドリアン・エレートの大活躍はさきほど述べた通り。とにかくベックメッサー専門、その道でご飯を食べてきたプロに違いないと自分は確信し、帰宅後さっそくプロフィールを確認してみました。



オーストリア出身のバリトン歌手。長年にわたって、拠点であるウィーン国立歌劇場だけでなく国際舞台でも人気を博しており、その多彩な歌唱力で聴衆とマスコミを魅了してきた。クリスティアン・ティーレマン指揮でワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》ベックメッサーを歌い、華々しい成功を収めたことから、2009年にはバイロイト音楽祭に招かれて同役を歌うことになった。以来、チューリッヒ、ケルン、ライプツィヒ、東京、アムステルダム、ドレスデン、ザルツブルク復活祭音楽祭でもベックメッサーを歌っている。


やっぱりね・・・自分は2012年の東京春祭のマイスタージンガーのときのベックメッサーもおそらくエレートだったとそのとき思いました。なんとなくそのときのイメージが自分の脳裏にこびりついていて、今回観たときもまったく同じだったので、ひょっとしてあの2012年のときのベックメッサーと同じではないか?と思ったのでした。自分は行きませんでしたが、新国立劇場でのマイスタージンガーをやっていて、そのときのベックメッサーもエレートだったそうです。




エファ:ヨハンニ・フォン・オオストラム(ソプラノ)


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南アフリカ出身。R.シュトラウス、ワーグナー、ヤナーチェク、モーツァルトの主役として引く手あまたのソプラノ歌手である。


自分はこのオオストラムがすごくいいと感じた。最高だと思いました。


ところが、もっと驚いたのが、この超素晴らしいと感動したエファ役のヨハンニ・フォン・オオストラム。なんと!去年のローエングリンのエルザ姫の歌手だったのだ!去年は、もう本当にお姫様みたいなルックスですごい声量、歌唱力に大ファンになってしまいましたが、今回のエファもまさか彼女だったとは!今年はもうイメージガラ変。セクシー系で誘惑系なのでまったく同一人物だとは気づかなかったです。


今回自分のチョンボで公演があることをその日の朝に気づいたので、ちゃんと歌手の経歴の予習もできていなかった。



この写真は去年のローエングリンのときのカーテンコール。一番右端がエルザ役のオオストラムでした。


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ご覧のように清純なお姫様容姿で、それでいて抜群の声量、歌唱力で自分はいっぺんに虜になってしまい、もっとその普段のオペラ界での活躍を知りたいと叫んでいました、去年。


まさかのあのお姫様容姿の彼女が、今年の超セクシーで誘惑系のスタイルのエファと同一人物とはまったく気づかず、女性歌手ってほんとうに恐るべし!(笑)


とにかく声が素晴らしい!歌がうまい!オーラがある感じでいい歌手だな~と思いましたが、同一人物とは知らず、2年間続けて大感動するということは、彼女はやはり本物だということですね。


ちょっと2年連続で、自分を魅了したヨハンニ・フォン・オオストラムという歌手、ちょっといろいろ追っかけてみたくなりました。去年のお姫様エルザで感動して、いろいろ作品探したんだけど、見つからなかったんだよね。ひさしぶりに自分を本気にさせてくれた女性歌手との出会い。いろいろ彼女のこと知りたいです。



確かにカーテンコールするとき、彼女の作法は、片膝を曲げつつその上に両手を添えるといういわゆるプリンセス・スタイル(あれ?正式名称はなんというの?)ですごく気品があるんだよね。あっ去年のエルザと同じだとそのとき思いましたが、まさか同一人物とは、まったく思いも寄らなかったです。




マグダレーネ:カトリン・ヴンドザム(メゾ・ソプラノ)


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その「美しく、みずみずしく、光り輝くメゾ・ソプラノ」(フランクフルト総合新聞)や、「芸術的な演技と歌」(ケルン日刊新聞)によって、一流の歌劇場やコンサートホール、音楽祭で名を知られるようになった。オーストリア出身で、これまでにベルリン国立歌劇場、ドレスデン・ゼンパー・オーパー、ハンブルク州立歌劇場、エルプフィルハーモニー・ハンブルク、ウィーン楽友協会、ブレゲンツ音楽祭、ザルツブルク復活祭音楽祭、インスブルック古楽音楽祭、グラフェネック音楽祭等に出演してきた。


自分は、最初彼女がエファだと思ってたんですよね。(笑)本物はかなりセクシー系、誘惑系のスタイルなので。自分の中でエファは純真派というイメージが定着していたので。エファがオオストラムだと分かったとき、はたしてこのカトリン・ヴンドザム演じるマグダレーネって女性役を想い出せなかったです。(笑)


マイスタージンガーでエファ以外に女性役って誰だったっけ?という感じで。マイスタージンガーしばらくご無沙汰でしたので。マグダレーネはエファの乳母でした。


このマグダレーネを演じたカトリン・ヴンドザムもすごく声色が美しく声量も申し分なくいい歌手と思いました。




ファイト・ポークナー:アンドレアス・バウアー・カナバス(バス)


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主要な役どころのシリアス・バスの役を8つの異なる言語で歌う特殊才能の持ち主。そのレパートリーには、ヴェルディのフィリップ2世(イタリア語及びフランス語)、ザッカリーア、フィエスコ、デ・シルヴァ、グァルディアーノ神父や、リリカルなワーグナーの役では、マルケ王、ハインリヒ王、ヘルマン方伯、ファイト・ポーグナー、ダラント等がある。


自分はこの人のバスの声質、声量は、まさにポークナーそのものだと思うんですよね。まさに自分のイメージ通りのポークナーそのものでした。マスクも端正で、いい歌手だと思う。最後まで安心して観ていられた最高のポークナーだったと思います。





ダフィト:ダニエル・ベーレ(テノール)


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歌手であり、作曲家でもある。自身のアルバム『MoZart』では、オーパス・クラシックの「シンガー・オブ・ザ・イヤー2020」を受賞した。コンサート、歌曲やオペラでも同様に成功を収めており、2020年初めにはローエングリンでデビューして高い評価を得た。レパートリーは、バロックの名曲や古典派・ロマン派のレパートリーから20世紀、21世紀の作品まで幅広い。


自分は第1幕の冒頭からもっとも活躍した、というか自分のカラーを出し切っていて、演技力もあってもっともアピールしていたのは、間違いなくこのダフット役のダニエル・ベーレだと思いました。


それほど目立っていたし、凄い存在感があって素晴らしかった。いいダフィト役だなと思いました。前半のMVPといっていいほどの活躍で自分へのアピールは大きかったです。経歴を見ると、すごい才人なんですね。驚きました。



東京・春・音楽祭2023 ニュルンベルクのマイスタージンガー。


東京春祭史上もっとも素晴らしいレベル、パフォーマンスであり、大感動を与えてくれた大伽藍であった。


マイスタージンガーの前奏曲は、毎年、東大、東京大学の入学式で、新入生の入学を祝って、東大のオーケストラ部が演奏する定番レパートリー曲なのだそうだ。


この前奏曲の明るい未来に託す、期待するような旋律は、これから明るい未来を目指して船出しようとしている新入生の門出を祝うには絶好の音楽なのだろう。


2023年4月。自分も明るい気分できっと素晴らしい未来が待っているに違いない、そう期待しよう!

そんな想いをさせてくれる素晴らしい演奏会であった。



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東京・春・音楽祭2023


ワーグナー:楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(全3幕)

上演時間:約5時間30分(休憩2回含む)


2023年4月6日 [木] 15:00開演(14:00開場)

東京文化会館 大ホール



指揮:マレク・ヤノフスキ


ハンス・ザックス(バス・バリトン):エギルス・シリンス

ファイト・ポークナー(バス):アンドレアス・バウアー・カナバス

クンツ・フォーゲルゲザング(テノール):木下紀章

コンラート・ナハティガル(バリトン):小林啓倫

ジクストゥス・ベックメッサー(バリトン):アドリアン・エレート

フリッツ・コートナー(バス・バリトン):ヨーゼフ・ワーグナー

バルタザール・ツォルン(テノール):大槻孝志

ウルリヒ・アイスリンガー(テノール):下村将太

アウグスティン・モーザー(テノール):髙梨英次郎

ヘルマン・オルテル(バス・バリトン):山田大智

ハンス・シュヴァルツ(バス):金子慧一

ハンス・フォルツ(バス・バリトン):後藤春馬

ヴァルター・フォン・シュトルツィング(テノール):デイヴィッド・バット・フィリップ

ダフィト(テノール):ダニエル・ベーレ

エファ(ソプラノ):ヨハンニ・フォン・オオストラム

マグダレーネ(メゾ・ソプラノ):カトリン・ヴンドザム

夜警(バス):アンドレアス・バウアー・カナバス


管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)

合唱:東京オペラシンガーズ

合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩

音楽コーチ:トーマス・ラウスマン

字幕:舩木篤也








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児玉麻里のブラームス [ディスク・レビュー]

児玉麻里さんのひさしぶりの新譜は、初のブラームス・アルバム。

児玉麻里さんといえば、言わずと知れたベートーヴェンひと筋のピアノ人生、ベートーヴェンを敬愛し研究し、極め尽くしてきた。ピアノ・ソナタ全集、ピアノ協奏曲全集、弦楽四重奏曲。PENTATONEだからこそできる息の長いプロジェクトを長年にかけて完遂してきた。おそらくほかのメジャーレーベルであれば目先の売り上げを重視し、つねにマーケット優先、売上優先の曲目選び、レーベルの指針通りの選択を余儀なくされることもあり得たであろう。


演奏者の意図を汲み入れ、そのアーティストの目指すところを、それを何年、十何年かけてひとつのツィクルスとして完成させる、というのは、やはりレーベルとしてそれなりの理解がないとなかなかできないことだと自分は思う。


児玉麻里さんは、本当に2000年当初からPENTATONEでベートーヴェンのピアノソナタ全集に取り組んでいた頃から注目して追いかけていたが、こうやって20数年以上経過して思うことは、あの頃からまったくブレていないというか、完璧なまでに自分軸を持っていて、すごくマイペースというか、自分のリズムを崩さず、自分の目指すところを進めて、それをきちんとレーベルが理解していて、自分の理想通りのピアニスト人生を歩まれているのではないか、と思うことだ。


ご家庭も幸せ、もういうことない人生なのではないでしょうか。(笑)

うらやましいです。つねに激動で幾度ものの苦難を乗り越え、もう波瀾万丈だった自分の人生もあやかりたいところです。


ピアノとしてのベートーヴェンを極め尽くした感のある児玉麻里さんにとって、つぎなるターゲットとして選んだのがブラームス。ベートーヴェンといえば、ブラームス。ブラームスはベートーヴェンを尊敬していたし影響も大きく受けてきた。児玉麻里さんのピアニズムの根底にはやはりドイツ音楽があるんだな、と思いました。妹の児玉桃さんは、フランス音楽、現代音楽を得意としていて、姉妹とも、ご自身のカラー、目指す音楽性がきちんと確立されているのが興味深い。



児玉麻里さんは長年ブラームス作品を温めてきており、まさに今、満を持しての発表となるそうだ。ブラームスのピアノ作品もかなりの作品数があるので、これからの児玉麻里のアルバムとしてはブラームスを軸に展開していくことになりそうな気配である。



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新しい道~ブラームス:ピアノ・ソナタ第1番、シューマンの主題による変奏曲、シューマン、C.シューマン編:献呈 児玉麻里(日本語解説付)





「新しい道」。

~ブラームスとシューマン夫妻の出会い


今回フォーカスしたのは、ブラームスとシューマン夫妻の出会いで、そのときにブラームスが作曲したいわばブラームス初期の作品である。ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、そしてヨハネス・ブラームスの関係ほど、文書の形できちんと記録されているものはないであろう。我々はその記録から、いまの時代においても、この3人の当時の関係を詳しく理解することができる。


三者の間にあった友情は終生、変わることはなかった。この生命の繋がりから発せられる魅力は、長年に渡って、心に深く刻まれ、その始まりの物語を音楽でなんとか伝えることができないか。それが児玉麻里さんの最大の関心事になっていた。


ライナーノーツに、そのようにご自身が書かれている。

そういう衝動、想いが今回のブラームス・アルバムとして思う存分、その思いの丈を語ってくれているのだ。


ブラームスとシューマン夫妻の出会い、そしてブラームス初期の作品。


自分もずいぶんご無沙汰しているので、ここはひとつひとつ確認しながらトレースしていってみたい。とても感動的であると同時に、とても人間臭くて、ブラームスという人柄がよくわかり、その後のブラームスの成功はやはりシューマン夫妻なくしてはありえなかった、ということがわかる。そしてその後のブラームスの人生、創作活動についても、シューマンの妻・クララとの関係を抜きにして語ることはできない。


この部分は別途解説を試みてみることにする。音楽を聴く前に、こういう知識は事前にあったほうが絶対いい。アルバムの音楽性、意図するところがよく理解できると思う。


ブラームス~“恩師の妻との禁断の愛-14歳年上の女性に翻弄された人生” (日本コロンビアHPより抜粋)


本名:ヨハネス・ブラームス

出生地:ドイツ ハンブルグ

生年月日:1833年5月7日(おうし座)


星の数ほどの女性が人生に登場するも、その恋愛が盛り上がるとブラームスの方から逃げていく…女性からすると、こういうタイプもかなり面倒だったりしますね。


そんな偏屈なブラームスにも、ずっと敬愛しつづける女性がいたようです。それは自分の大切な恩師の妻であり、14歳も年上の女性でした。


《苦労を重ねた幼少期》


ブラームスの父は、ダンスホールや町の楽隊で演奏するコントラバス奏者でした。裕福ではありませんでしたが、小さい頃から音楽の手ほどきは受けていました。ただ、家庭を養うために若い頃はハンブルクの売春宿でピアノを弾いていたといいます。


「数ヶ月沖に出ていた帆船が入港すると、船内から船乗りたちが女を求めて猛獣のごとく姿を現す。するとその半裸の女たちは彼らをいっそう駆り立てようと、ダンスや接吻、抱擁の合間にぼくを膝に座らせてわくわくさせたものだ。それが女性の愛についてぼくが最初に受けた印象なんだ。」


ブラームスの恋愛観はこうした幼少期の出来事が作用しているのか、彼は一生結婚もせず束縛されず、単純でお金で買う愛も普通にころがっている…そんな生き方をしてゆきます 。


《シューマンとの出会い》


ブラームスのピアノ演奏の実力は悪くはなかったものの、性格的に地味なこともあって、演奏家には向いていなかったようです。その代わり、作曲家を生業として切磋琢磨しているうちに、20歳の頃、彼はシューマンの元へ出向き書き溜めた曲を次々と披露。43歳のシューマンはこの若い作曲家の才能にすぐにほれ込み、ブラームスを世に送り出す記事を書いたり、出版社への売り込みのサポートもしていきます。無名で新人のブラームスが活躍できたのも、このシューマンのサポートがなかったら決してできなかったことですね。


《追いかけては逃げる-やっかいな性格》


若い頃のブラームスは、金髪に青い瞳のイケメンタイプ。周りの女性も実力のある若くてかっこいいブラームスを放っておくはずもなく、何人かの女性と仲良くなっては離れるということを繰り返していたようです。ブラームスは付き合いだすと結婚を考えずにはいられないようだったのですが、結婚したら自由でいられなくなってしまう・・・というジレンマも抱え、結局は関係が盛り上がるとブラームスの方から逃げてしまうようでした。


《14歳年上の恩師の妻への恋心》


青年時代はもてていたブラームス。20歳のときに出会った恩師、シューマンとの出会いが彼の恋愛人生に大きく影響します。ブラームスの才能にほれ込んだのはシューマンだけでなく、その妻で実力派ピアニストだったクララもそうでした。1854年シューマンは自殺を図り、精神病院に入ることになってしまいます。その知らせを聞いたブラームスはすぐにクララのもとに駆けつけ、シューマン夫妻のこどもの世話から家事にいたるまで家族のようにクララを支えたといいます。そして、「愛するクララ。あなたをこよなく愛しています。」という手紙も見つかっています。14歳も年上のクララと若きブラームスの仲の良さは、周囲にもはっきりと分かるようになり、入院中のシューマンもそれに気がつき、そのショックもあって精神的にますます悪化させたという説もあるほど。


自殺騒動から2年。シューマンは入院中に亡くなってしまいます。 では、シューマンの死後ブラームスとクララはどうなるかというと・・・結局二人は別れてしまいます。 理由は確固たる証拠があるわけではないのですが、もともとブラームスはマジメな性格。自分の存在でクララが完璧な女性でなくなることを恐れて、ブラームスの方から離れていったのではないかといわれてます。


《離れてはまた戻り・・・》


クララのもとから離れたブラームスは、アガーテという女性に恋をして婚約まですすんだものの、「結婚して束縛されたくない」という手紙を残してアガーテからも去ってゆきます。そして、こともあろうにクララの元にまた戻っていきました。その後もブラームスは他の女性と仲良くなっては自ら別れを告げ、またクララのところに戻るということを繰り返し行いました。そのたびにクララは寂しい思いをしたのではないでしょうか。そんなこんなでつかつ離れずな関係をずっと続けたブラームスとクララ。その関係はクララ76歳でその命を閉じた瞬間まで続いたといいます。 生前、この二人は作品や演奏について相談したり議論をする、最高の友人といってもいい関係でもありました。二人の関係がプラトニックだったのか、そうではなかったのか…そこまでは私たちの知る由もありませんが、これほど長い間最高の友人関係が続いたとなると、あくまでも二人の関係は男女の関係を超えた精神的なつながりだったと思わざるを得ません。




ブラームスは、女性に対してすごい熱く恋愛は盛り上がるのですが、そうなって佳境になってくると結婚に縛られたくないということで、自分から去っていく。。。なんとも面倒な人だったんですね。(笑)


ブラームスの肖像画といえば晩年の髭のけむくじゃやらの老人画が有名で、みんなそちらを想い出すかもしれませんが、じつは若い頃のブラームスの肖像画もあって、これは驚きますよ。すごいハンサムなのです。これはもてただろうな・・・と推測します。


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ブラームスは、敬愛するベートーヴェンと同じ生涯独身を貫きますが、その人生はけっして寂しいものではなく恋多き人生で、本人自身も恋に没頭するタイプのようでした。でも女性と恋に落ちては、ブラームスのほうから去っていき、そしてまたクララのもとに戻ってくる。。それを繰り返していた、といいます。そうやってクララとは一生涯の恋、というよりはある意味ここまでくると、いい親愛なる友人関係といったほうがいいのではないでしょうか。


ブラームスにとって、ロベルト・シューマンの妻、クララはそんな永遠の女性だったのです。


名もなきブラームスを音楽界に知らしめたのは、ロベルト・シューマンのおかげです。ブラームスがシューマン夫妻のデュッセルドロフの家を訪れて、書き溜めた自分の曲をピアノで何曲かを夫妻の前で披露。それにシューマンはいたく感動。まさに、ピアニストとして、作曲家としての”救世主”を見出させしめることになります。


シューマンはすぐに、「新音楽時報」に掲載した有名なエッセイ「新しい道」で、熱くその予言めいた熱意を表現したのです。


「私は、そのような人物が・・・突然現れると信じている。その熟達は徐々に花開くのではなく、ミネルヴァのようにジュピターの頭部から”完全武装”で飛び出してくるのだ。そして今、彼は、その揺り籠で神の愛と英雄たちが見守る、若き血の持ち主として登場した・・・


こんな感じでシューマンの絶賛の賛辞が延々と続くのです。


これで無名だったブラームスは、いっきに楽壇・音楽界にその名を馳せることになります。

まさにブラームスにとって、音楽家、作曲家としての人生を歩むうえで、シューマンは恩師ともいっていい存在だったのです。


もうここまでは、この今回の児玉麻里さんのブラームス・アルバムを聴き込むうえで、最低限知っておかないといけない史実です。これを知って聴くのと、知らないのとでは、全然有難みが違ってくると思います。


というか、ある意味、この3者の相互関係、そしてブラームスにとって、ロベルト・シューマンとは、クララとは、そういう史実を語っていく上で絶対欠かせない曲が、今回のアルバムにすべて散りばめられている。そう言っても過言ではないと思います。


今回のメインはブラームスの「作品1」であるピアノ・ソナタ第1番。1853年10月1日にブラームスはシューマン夫妻を初訪問し、この曲を自らの演奏で披露したといわれます。最初ロベルト・シューマンがひとりで聴き始めたものの、「クララにも聴かせたい」と止めさせたことが知られています。シューマンは晩年の病に苦しんでいましたが、その月末に「新しい道」のタイトルで熱くブラームスを楽壇に紹介しました。


このピアノ・ソナタ第1番。


その第1楽章の冒頭から、ベートーヴェンを手本としていることを隠そうともしていない、その大胆な手法。(笑)ベートーヴェンのハンマークラヴィアからの引用とも思われる追想もあり大胆だな~と思います。やはりブラームスは、ピアノだけでないですが、交響曲、弦楽合奏、すべてにおいてベートーヴェンの影響を受けていて尊敬していたのだと思います。


自分はこの曲を聴いて、ブラームスの晩年の頃の作品に比べると、希望に満ちた明るい雰囲気が漂っていて、若い頃の作品だな~と思います。けっして旋律的に凝った難解な節回しがなく、非常に単純で明快。わかりやすい曲だと思います。


そしてこれはいつも思うことですが、そしてベートーヴェンの曲にも言えることなのですが、ブラームスの音楽というのは、いわゆるブラームス節とでもいうのか、独特の曲調みたいなものがありますね。旋律、拍感、調性などいろいろ全部ひっくるめて。パッと聴いたときに、あっこれはブラームス!って一発でわかるような。骨格感がしっかりしていて、重厚、分厚い、メロディを聴いたら一発でわかる。らしさというのがある。


その中でブラームス特有の美しさという要素がある。


ふだんはとても厳格的でいかにもドイツ音楽そのものという感じなんだけれど、ふっとしたところのフレーズにすごい美しいメロディが垣間見えるんですよね。厳格な流れが基本にあるから、余計にこの突然短くふっと現れる美しいフレーズに妙に感動してしまう。その美しさもどちらかというと哀愁、陰の美しさ、四季のシーズンで言えば秋。ブラームスのこのメローな美しい哀愁を帯びた旋律の作曲能力はすごいと思います。


自分はブラームスの音楽を聴くときは、いつもそう思います。基本はとくに晩年作品ですが、とても重厚で分厚くて厳格的なんだけど、このふっと現れる美しさにブラームス音楽が美しい、と感動してしまうのです。ブラームス音楽って、この組み合わせ、兼ね合いこそが真髄なんじゃないかなと思っています。これこそがブラームス音楽という感じで。


まさに大人の音楽です。この渋さ、渋い美しさは若い人はもとより、ある程度年配がいった人のほうが理解しやすいような気も・・・。


これはベートーヴェンの曲もそうです。やはりここはブラームスは師であるベートーヴェンのエッセンスをいただているのではないでしょうか。


このブラームスの音楽人生の出発点ともいえるピアノ・ソナタ第1番は、基本は若々しいまだ希望に満ちていた時代の溌溂とした筆致ですが、このブラームス音楽に特徴のそういう緩急のつけかた、短フレーズの美しさが強調されるようなそんな仕掛け造りがもうこのときから身に着けているように思います。その兆しが見られるのです。これはいわゆる才ということなんでしょうね。


これがきっかけとなり、ブラームスは翌年、シューマンの「色とりどりの小品」Op.99の「5つのアルバムの綴り」第1曲と「クララ・ヴィークの主題による即興曲」Op.5をもとに「変奏曲」Op.9を作曲、クララに捧げました。さらに6年後、ルイ・マルの映画「恋人たち」で用いられたことでも有名な弦楽六重奏曲第1番の第2楽章による変奏曲を作り、やはりクララに捧げています。


この2曲がアルバムに収められています。

これらの2曲はブラームスとしては悩ましいまでの感情があふれており、クララへの思慕の情が感じられます。


そして最後が、シューマンの献呈。


これはあまりに有名ですね。本当に美しい珠玉のような曲。なんと美しいメロディなんだと思います。もう誰でも知っている曲ではないでしょうか?耳にした瞬間、あっこの曲!というくらい有名です。


ロベルト・シューマンは1840年の結婚記念日に歌曲集「ミルテの花」Op.25を新妻に贈りました。「あなたは私の魂、あなたは私の心」という言葉にすべてを託し・・・これらを素晴らしく強調する、舞い上がる旋律によって、クララに向けて直接語り掛けました。


クララは日記にこう書いている。


「ポルターアーベント(婚礼前夜)!ロベルトがまた、花嫁への美しい贈り物<ミルテの花>をくれました。私はとても感動しました。チェチェリーが私にミルテの花輪を手渡してくれましたが、それに触れたとき、私は非常に神聖な気持ちになりました。」


フランツ・リストは、この「献呈」をはじめてピアノ独奏用に編曲しました。超絶技巧で鳴らしたリストらしいかなり技巧に走ったヴィルトゥオジックな曲調にアレンジして、この美しい曲を編曲しました。


このリストのピアノ編曲版の「献呈」は、曲の時間も2~3分程度の手頃な短さと相俟って、この曲の持つ本来の美しさなどがあって、まさに不滅のアンコール・ピースとして定着し、どのピアノコンサートでも、かならずアンコールでお目見えする、というくらい定番になりました。


もちろんこのリストのピアノ編曲版だけではない。本来の歌曲としても不滅のアンコール・ピースなのです。自分はグルベローヴァさまのCDや実際のリサイタル、そして他のオペラ歌手のリサイタルのアンコールでもこのシューマンの献呈の歌曲版は、もう数えきれないくらい体験してきた。もうそれだけ絶好の美しさ、秀逸な作品なのである。


こんな素敵な歌曲を、婚礼前夜に妻のクララにプレゼントするなんて、ロベルト・シューマンという男はなんとロマンティックな男なのだろう、と思ってしまいます。


リストのピアノ編曲版の「献呈」は、自分はCDでもよく聴いてきたし、YouTubeでもよくお目にかかる。日本のピアニストもこぞって、この献呈を録音してきた。


やはりそこはリストらしい、どちらかというとメリハリの利いた技巧的な派手な献呈である。


でもクララは、このリストによる超絶技巧的な編曲をあまり好んでいなかった。ロベルトが自分に贈ってくれた細やかな気持ちとはだいぶかけ離れているように感じていたからだ。


それで、結局クララ自身が、この歌曲「献呈」をピアノ編曲し直してしまうのだ。

本来の夫の曲のイメージを壊さないように。本来の姿に戻すべく。。。


それがクララ・シューマン編曲の「献呈」であり、このアルバムに収められているのもこのクララ編曲版のほうである。クララ編曲版のほうは、おおよそ超絶技巧とはまったくかけ離れた素朴でおとなしい素直な曲調である。


リスト編曲版はものすごい数が出回っていてメジャーなのに対し、クララ編曲版はあまり演奏される機会も少なく陽の目をあたることもない。


このクララ編曲版のほうをアルバムに収めることが、児玉麻里さんのひとつの拘りだったのであろう。


児玉麻里さんのピアノは、とてもスタンダードというか派手な色付けとか個性を際立たせたり、とかの脚色はしないタイプだと思う。まさにあるがままの自然流。自分が目指すところのベートーヴェン、ドイツ音楽に向かって自分を素直に表現する、実直なピアノだと思う。そこにあまり作為的なものはほとんど感じない。


ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、そしてヨハネス・ブラームスという3人の出会いをなんとか音楽として表現できないか、そこに今回のアルバムの肝があって、それにあわせて選曲をされて、アルバムコンセプトが決まっている。。そんなアルバムである。


素晴らしかったです。

こういう新譜を聴いて日記を書いてみないと、普段なかなか仕事や他趣味などで忙しく頭が回らないので、いい勉強になりました。やっぱりクラシックは自分の原点だな、と思うとともに、この場に戻ってくるとなんかホッとしますね。



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録音は、2022年7月、ノイマルクト・ライトシュターデルでおこなわれた。

録音チームは、ポリヒムニア。レコーディング・プロデューサー、バランス・エンジニア、エディターにエルド・グロード氏。

ベテラン、やっぱり安心して聴けます。児玉麻里さんのPENTATONE新譜は、SACD5.0サラウンドなのです!もういまや、コストの関係上、PENTATONEアーティストの中でもサラウンドで出せる人は、本当に看板スターとしての扱いの人くらい。


すごいことだと思います。


SACDサラウンドを聴くために、ひさしぶりにリアスピーカー、リアパワーアンプを稼働した。リアスピーカー、スピーカーケーブル外れてた。(笑)


やっぱりSACDサラウンドのサウンドいいです~。音の厚み、音の定位感、音場感などがぐんとリッチになって、これを一度聴いてしまうともとに戻れないです~。


オーケストラと違って、ピアノソロだと2chステレオでも十分でないか、と思ったときもあった。昔そういう日記を書いてゴローさんに、いやそれは違うとコメントをもらったこともあった。(笑)


やっぱりピアノソロでもサラウンドになると、実際の現場、会場の気配感、空気感など一段と豊富になり、2chステレオとは段違いの差である。



児玉麻里さん、最近、アルフレッド・ブレンデルを訪ねる夢が叶ったそう。


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(c)Mari kodama Facebook


アルフレッド・ブレンデルは、まさに我々の世代のピアニスト。もう引退してしまいましたが、その全盛期ではベートーヴェン弾きとして有名なピアニストでした。


1960年代にベートーヴェンの全ピアノ曲を録音した初のピアニストとなる。1970年代にベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音(フィリップ)した。1982年から1983年にベートーヴェンの全ソナタ32曲を欧米の11都市、77リサイタルで演奏。1996年にベートーヴェンの全ソナタの全曲を録音(3回目)した。


ベートーヴェンだけではない。ハイドン、モーツァルト、シューベルト、シューマンといったドイツ・オーストリア音楽の王道とも言うべき作曲家の作品を得意としていました。


派手なピアニストではなかったですが、知的な雰囲気を漂わせていたピアニストで、堅実な奏法でした。自分の記憶ではレーベルは、フィリップスでしたね。


自分もブレンデルのCDはよく買いました。その中でもフィリップスから出ているサイモン・ラトル&ウィーンフィルとのベートーヴェン ピアノ協奏曲全集はいまでも自分のベートーヴェン・ピアノコンチェルトの基準、ものさし、定番です。数ある作品の中でもベートーヴェンのPコンチェルトといったら、このラトル&VPO&ブレンデルの録音がすべての基準になっています。この基準がまず自分の身体の中にあって、それで他作品を比較します。



同じベートーヴェン弾きとして、児玉麻里さんとしては、どうしてもお会いしたかった先偉人だったのでしょう。


よかったと思います。










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