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足が壊れてしまいました。 [街歩き]

外見は極めて健康人そのものなんですが、後遺症はやはりあって、内なる違和感というか、体内がいつもビリビリ痺れているし、顔面がツル感じだし、退院した頃のほうがまだ軽くてよかったんですが、月日が経つにつれてどんどん重くなっていく感じで、これってやはり後遺症なんですかね。後遺症って、すぐには出なくて、月日が経つにつれて、あとになって徐々に現れてくるというか。脳疾患になると、もとのクリーンな状態に戻るということはないんですよね。


救いなのは、頭脳明晰であること、仕事にまったく影響がないこと、食欲旺盛、味覚・臭覚正常、歩くのも正常そのもので、歩いている姿は、外観から見ると、健康人となんら変わらないです。


脳疾患になると、本当に脳に重い障害が残ったり、歩けなくなったりで半身不随、重い後遺症で人生変わったりしてしまうことが大半なので、自分の場合は本当に軽くてよかったです。ほんとうに恐ろしい病気です。再発だけは避けたいです。血液を綺麗にするべく健康な生活を心がけています。


とくに食生活!


入院してから、体重激減!血糖値HbA1cもみるみる良くなっていって、いまや正常値!

この病気、闘病生活23年の自分が信じられないです。(笑)


血液的には、極めて健康なのですが、歩行に難があるというか、やはり昔みたいにたくさん歩けないですね。

体力が昔みたいにない。


もともと旅でも詰め込みに詰め込んで、むちゃくちゃな旅程で歩き回る人だったので、その全盛期に比べて、という意味ではありますが。(笑)正常範囲に収まったのかもしれません。


とくにこれはやばいな、と思うのは、ずっと同じ姿勢を長時間続けて、そこからなにか動き出そうとするとき。かなりヤバいです。在宅勤務でずっと8時間パソコンに向かって仕事をしていたり、あるいはテレビを見ながら音楽を聴きながら椅子に長時間座っているとき、そこから立ち上がったり、なんか動こうとするとき、体が動きませんね。ある維持状態から状態遷移するときですね。


外を歩くのも、歩き出しの最初はかなりキツイ状態ですが、しばらく歩いていると、慣れてきて正常状態になり問題ありません。やはり状態遷移に弱いんですね。


月日が経つにつれて、後遺症は現れてきて、どんどん重くなってくるので、やっぱりリハビリが重要ですね。リハビリは毎日やることが大切です。


体幹トレーニング重要です。猫のバランスポーズやってます。

そして自分の場合、やはり歩くことですね。ウォーキングです。


後遺症がどんどん重くなっていって、10年後になったら杖や歩行器がないと歩けなくなるともう終わりですね。自分の場合、アウトドア派で出歩くことが大好きなので、ふつうに歩けないともう人生終わっちゃう感じで悲しすぎますね。


とにかく歩いて歩いて歩きまくる。襲ってくる老化現象と後遺症に打ち勝つには、もう毎日歩きまくることです。鍛えないとダメです。鍛えないとどんどん衰えていきます。


ウォーキングは毎日やるのがいいですが、夏は暑すぎますね。(笑)

とくに今年は記録的な猛暑だったので。


あと、ウォーキングは毎日同じコースで同じ景色を見ながらだとやはり飽きが来ますね。


オーディオなどの物欲だったり、海外旅行に行ったりすると、確かに気分的にスカッとしますが、やはり予算体力的にキツクて大変ですね。もっとお金をかけないで、人生楽しめたり、気分的に高揚したりすることができないか。


それが自分の最近のテーマでした。


読書もいいけど、もともとアウトドア派の自分にとって、その中で考えたのが街歩きでした。東京に40年間住んでいても、じつは自宅から会社に通勤することに大半を費やしていて、意外や東京の街を知らないことに気づきました。


東京には無数のたくさんの街がありますが、意外やほとんど知らない。こんなに長く暮らしていても、ほとんど知らない街が圧倒的。


街をなにげなく歩いて、その街の景観だったり、雰囲気を知るだけでも楽しいと思うようになりました。いままでは海外の街を体験することで同じように特別な快感を得ていましたが、べつに海外でなくても東京の街でもぜんぜん楽しいです。


なにせお金がかからない。電車賃とときたまするその地のグルメくらい。そしてなによりも知的欲求を満たされる。前日にネットでちょっと予習して、頭に中にその街のイメージを膨らませて、ターゲットを絞ったりすると、ほんとうに当日は楽しさ倍増。新鮮で驚きがあって楽しいです。


街歩きって楽しいですよ。


テレ東のアド街(アド街ック天国)は大変好きな番組なのですが、あれを地で行く感じです。

お金のかからない新しい趣味を見つけた感じです。


そしてこうやって歩きまくることが、自分にとってはリハビリにもなって、健康にはすごくいいのです。ウォーキングだと毎日同じコースで飽きますが、街歩きだったら、いつも新鮮でフレッシュな驚きで楽しくウォーキングできます。


8月の猛暑の時から、横浜を徹底的に歩こう、横浜の観光スポットを徹底的に網羅しようと進めています。8月11日~8月19日は夏休みだったので、もううだるような酷暑の中、もう毎日、横浜の街を歩き続けました。


平日になったら、土日だけになりますが、横浜ウォーキング進めています。横浜はすごい観光スポットが膨大にあるので、まだongoingです。


今日も行ってきました。


今日は、日本大通りの横浜三塔(キングの塔、クイーンの塔、ジャックの塔)と元町ショッピングストリートに行ってきました。


横浜三塔の愛称は、昭和初期に外国船員がトランプのカードに見立てて呼んだことが由来と言われています。


「キング」の神奈川県庁は、五重塔をイメージさせるスタイルで、昭和初期に流行した帝冠様式のはしりといわれています。「クイーン」の横浜税関は、イスラム寺院風のエキゾチックなドームが特徴です。「ジャック」の横浜市開港記念会館は、東南隅に時計塔、西南隅に八角ドーム、西北隅に角ドームを配しています。


横浜三塔は、戦争等をくぐり抜け建ち続けてきました。いつしか船員達が航海の安全を祈り、これを目印に入港したと言われています。


今日、拝見してきましたが、すごい歴史的な建造物という感じで素敵ですね。神奈川県庁は最新のビルもあって、この旧校舎のキングの神奈川県庁との間を渡り廊下で結ばれていました。


この三塔ですが、実は一度に見ることができる場所は限られています。要は同一のフレーム画面の中に、キングの塔、クイーンの塔、ジャックの塔を納めて同時に見ることができる、という意味です。


「①赤レンガパーク」

「②日本大通り」

「③大さん橋」


この3か所でそれが可能なのだそうです。


この3つのスポットを1日で巡ると、願いが叶うという伝説があるのだそうです。これが「横浜三塔物語」です。


カップルで巡ると結ばれるという噂もあります。

この3つのスポットには、ビューポイント、目印(地図)が設けられています。


上の①、②、③はすでに取材のために行っていたところだったので、土地勘がありました。地図上のビューポイントの場所を見て、あ~大体あそこだな~という風にすぐにわかりました。


その中で、たとえば③の大さん橋のビューポイント。こんな感じです。


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この足跡のところに立って眺めてみると、キングの塔、クイーンの塔、ジャックの塔が同時に同じフレームの中に存在して見えるのです。


結局この日、1日で①、②、③のすべてのビューポイントを制覇できました。

きっと願い事が叶いますね。(笑)


本番は、後日のI LOVE YOKOHAMAの日記で詳しく書きます。


クイーンの塔の横浜税関では、横浜税関資料展示室というのが無料で公開されています。


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ここは大変興味深かったです。自分の知的欲求をかなり刺激されたです。輸出、輸入、通関、税関に関するお仕事紹介みたいな感じで、いろいろなパネルで解説されていました。これは刺激的でしたね。個人的に興味のある分野なので。



キングの塔の神奈川県庁は、日本大通りにあるのですが、日本大通りってほんとうに素敵なストリートですね。すごいお洒落な雰囲気いっぱいです。道幅がすごく広くて、両側に植樹がされていて緑が豊富ですごいお洒落です。


その日本大通りに、旧横浜英国総領事館があります。


ここはかねてのネットでの予習で、ここはぜひ行くべき、という意見がすごい多かったスポットでした。本当に国宝的な重要文化財で非常に貴重な建物なので、絶対行くべき・・・という・・


いまは、横浜開港資料館になっています。


隣にある玉楠の木の下で日米和親条約が結ばれたという土地に建つこの建物は、昭和47年までイギリス領事館として使われていました。設計も英国工務省らしく18世紀のジョージアンスタイルの都市邸宅をほうふつとさせるデザインで、玄関周りが特徴的。


横浜開港資料館は、まさに横浜の開港の歴史が解説パネルになっていろいろ展示されていました。みなとみらいにも横浜みなと博物館というのがあって、そこもすでに取材済みなのですが、そこも横浜開港の歴史の展示がされているところでした。


日本大通りの横浜開港資料館は、みなとみらいの博物館をちょっと小振りにした感じで、歴史的にはこっちのほうが古いというか時代を感じました。


自分はなんといっても、この日で一番感動したのが、この旧横浜英国総領事館(横浜開港資料館)でした。ここは最高でした。


これも本番は、後日のI LOVE YOKOHAMAの日記で詳しく書きます。


じつは、この旧横浜英国総領事館でいちばんツボだったのは、そこに併設されているカフェなんですよね。


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これはツボでした。なんか自分は、ライプツィヒの聖トーマス教会の横に併設されているトーマスショップを思わず思い出してしまいました。まさにあんな感じです。中は一面ホワイト塗装で、まさにトーマスショップを思い起こさせる、いわゆる横浜開港グッズに囲まれているのです。そこにこじんまりとカフェがあるのです。そこで元町ブレンドという紅茶とお菓子をいただきました。




元町ショッピングストリートは、横浜開港当時、外国人御用達の店が集まって発達した商店街です。自分は、最初元町商店街と理解していましたが、そうじゃありません。それじゃ怒られます。(笑)やはり元町ショッピングストリートと言わないといけません。


自分は初めて行きましたが、とても素敵ですね。西洋風のお洒落で洗練された雰囲気が漂ってます。600mぐらいずっと続く商店街です。


ブティック、小売店、カフェやレストランなど、日本中からの来訪者を魅了する店が並んでいます。国内最大の中華街からすぐ近くのこの地区は1970年代から80年代の流行「ハマトラ」の発祥地で国際的な雰囲気をたたえた街として有名なんだそうです。ミハマ、キタムラ、フクゾーがその流行を代表する三大ブランドで、今日も高い人気を誇っているんだそう。


横浜が開港した150年以上前に元町の歴史は遡ります。1860年1月、当時の横浜村の住民90戸が、隣接する本村に強制移転させられ、後に本村が横浜元町に地名変更したのが元町の始まりです。元々は静かな農漁業の町でしたが、元町を望む山手の高台が外国人居留地となって変わっていきました。


ここで前日に自分はすごい運命的なことを知ってしまいます。


ここにカフェ・ラミルがあるんですよね。


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自分が自由が丘で通いまくっていた、あのモンブランの美味しいカフェ・ラミルです。カフェ・ラミル横浜元町だそうです。店内の内装は、自由が丘店とかなり違っていましたが、狙っている雰囲気とかは共通のテイストがありました。縦に細長いフロアでした。


ここのメニューにモンブランありました!

自分がカフェ・ラミル自由が丘店で愛し続けたあのモンブランとはちょっと違いました。あのままの姿ではありませんでした。


でもあの当時のあのモンブランをもっと進化させた感じでした。そしてあのアーモンド味のクリームいっぱいなところ、そしてその味は、まさに自分が愛したあのモンブランとまったく同じです。


自分は思いました。間違いない!あの頃のモンブランと同じ。あの頃のモンブランを進化させたものだ!ということを確信しました。


カフェ・ラミルに入れるとも思ってもいませんでしたが、まさかカフェ・ラミルでモンブランを食せるとも思っていませんでした。それも横浜元町で。。。


いい想い出になりました。


元町ショッピングストリートでは、2月と9月に「チャーミングセール」といういわゆるバーゲンセールですね。それを毎年開催します。


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とくに秋の連休に開催されるほうは、9日間で50万人近くの集客があるビッグイベントになっています。洋服、アクセサリー、バッグ、靴など、元町自慢のファッションアイテムはもちろん、食器、家具、輸入雑貨、輸入食品などお値打ちプライスで販売。


今年2023は、9/16~9/24だそうで、9/24の最後の日にぎりぎり駆け込みました。日本大通りの横浜三塔の上にさらに元町ショッピングストリートを強行追加したのも、このチャーミングセールにかけこもうという魂胆で無理やり押し込みました。強行スケジュールです。


元町ショッピングストリートは、じつはふたつの通りがあるんですね。

元町通りと元町仲通りです。


もちろんメインのショッピングモールは、元町通りなのですが、じつは元町仲通りもかなりイケてます。もちろん道幅もすごい狭い細路なのですが、じつはカフェや飲食店はこちらのほうがすごく存在しています。それもすごいお洒落なんですよね。通り自体は一見地味な感じなのですが、その両側にこうなんか埋め込まれているという感じでオシャレなカフェや飲食店が存在しているんですね。


ほんとうに埋め込まられている、という感じです。(笑)


この元町仲通りのほうでは、前日にチェックしていたパスタ屋さんに入りました。とても素敵な店内装でオシャレでした。パスタも美味しかったです。


元町ショッピングストリートのほうも、本番は後日のI LOVE YOKOHAMAの日記で詳しく書きます。


なにせ、すごい長編の連載になりそうで、今日行った横浜三塔、元町ショッピングストリートは相当後になりそうなので、この興奮を抑えきれず、自分へのメモ書き、予告編として書いておきました。


とにかくこの日はもう大感動の1日でした。


そして、この日もよく歩き回ったこと。横浜シリーズは、毎回すごく歩くのですが、この日は、いままでの記録を超える最大の距離を歩いたのではないでしょうか・・・。


とくに日本大通りの横浜三塔が相当歩きました。ビューポイントの3か所が結構お互い距離がかなりあって、いったん撮影終了したのに、あっあそこも撮っておいた方がよかったといって、また戻ったり、行ったり来たりして、相当歩きました。


8月の頃のような猛暑じゃなかったので、助かりましたが、家に帰ったら、かなり具合が悪くなりました。足がもうジンジン病む感じで、もうすごい腫れています。もうそのまま起きていられないので、いったんベッドに入って短時間眠りました。もうその間も足はジンジン。


とうとう足が壊れてしまいましたね。(笑)


横浜シリーズを始めて、こんなことは初めてのことです。


でも毎回これくらい歩いたほうがいいですね。

この足が壊れるくらいのウォーキング、これからも続ける予定です。


来週も歩く予定の横浜のスポットは決まっています。(笑)








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I LOVE YOKOHAMA [街歩き]

横浜というのは、日本一エリアが広い市なので、自分も横浜市民なのであるが、いわゆる世間一般のイメージにあるようなお洒落なハマ、YOKOHAMAという風情とはまたちょっと違うんだな。横浜ってほんとうにいろんな顔をもつ都市なので。


1995年から、いまのおらが街に住み始めて30年。東横線ユーザーなのだが、それで灯台元暗しというか、渋谷方面にはよく行くんだけど、意外や横浜方面、そしてみなとみらい方面にはほとんどいかないんですよね。


東横線は、渋谷駅や横浜駅がまだ地上にあったとき、そして終点が桜木町だった頃。その後、横浜~桜木町間の東横線が廃止になり、みなとみらい線が開通した。終点は元町・中華街になった。


その変遷もリアルタイムで体験した。


でもこれまた意外や、みなとみらい線って普段あまり使わない。せいぜい行っても東横線の横浜駅まで。香川名物の骨付き鶏 一鶴の横浜店に行くときくらいだ。(笑)


横浜、YOKOHAMAはほんとうにおしゃれな観光都市で、デートスポットがいっぱいある魅力的な都市。おそらくいまではどこに行っても外国人でいっぱい。そんな素敵なエリアばかりである。


そんな横浜を紹介したいと思った。自分も若かりし頃に行ったきり、横浜エリアってずいぶんご無沙汰しているな~と思い決行することにした。


横浜は、おらが街もそうだけど、お洒落なハマ、YOKOHAMAのイメージだけではない。いろいろな顔をもつ。呑兵衛の聖地、野毛なんかもそうだ。横浜の別の顔だ。それこそ、横浜市民にしかわからないとっておきのスポットもあるであろう。


でも今回はそこまでやらない。大変だから。


本当に観光ガイドブックに載っているような、いわゆる横浜のポピュラーで代表的な観光スポットに焦点をあてていきたいと思う。


Facebookで横浜関係のコミュニティ、I LOVE YOKOHAMA、ぶらり横浜とかいろいろ入会している。結構毎日、刺激的なんだよね。その投稿写真が。(笑)かなりドキッとする感じで超刺激的。これは、ちょっと自分もリアルにその場所に行かないとダメだな、という気持ちにさせられた。


この刺激的な投稿が原因で、これは今やすっかり灯台元暗し状態の横浜にスポットをあてよう!という気持ちにさせてくれたのである。


今回の日記の連載のタイトルを、そのコミュニティの”I LOVE YOKOHAMA”とさせていただいた。


横浜は、やはり港、船なんだよね。ハマのイメージはやはりこの港、船から由来するところが多いと思う。自分は、生まれ育ったときから陸内地の出身だから、海とか船は慣れていなくて、どちらかというと怖い、というか恐怖感を抱く。とくにあの巨大な船の姿を見ると、すごい怖い。そういう恐怖感をまず抱く。


横浜は、江戸時代、開港に始まって、海外の文化がいち早く流れ込んできた街で、和洋折衷。海外からいろいろな文化が入り込んできたと同時に、日本の文化もこの横浜から海外へと輸出された。そんな文化交流のブリッジ、真っ盛りの街だったのだ。それ以来、商取引、人、モノ、情報の交流はここ横浜を通して行われるようになり、横浜こそが文明開化の象徴的な街となっていったのである。


横浜が、なにかこう異国情緒な雰囲気に溢れているのも、こういう歴史を辿ってきたのがその要因だと思う。横浜にお洒落な雰囲気が漂っているのはここに由来するのかなと自分は思っている。


いまの栄えている横浜のエリアというのは、昔は海だったところなのだ。その海を埋め立て地して整備して、その上にいまの横浜が成立しているんですよね。


横浜には西洋館がたくさんあり、どれも歴史ある素敵な建物ばかり。しかも、神戸や長崎の西洋館と違い、観覧するのにお金が掛らないというのも魅力の一つである。こういう海外異国情緒な点なところが横浜の一番の魅力のように思う。横浜で西洋館巡りはなかなか素敵だと思う。


今や横浜は国内有数の国際都市と言っても過言ではないであろう。


横浜のコンサートホールといえば、みなとみらいコンサートホールである。


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みなとみらい駅に直結していてアクセスもよく、新しいホールで、なかなか素敵なホールである。ワインヤードというよりは、拡張型シューボックスという趣で、ホールの響きもなかなかのホールである。


横浜のホールでしかも東横線のみなとみらい駅で、自分の家からは東横線1本直通ではるかに近いのだが、首都圏のホールに行く頻度に比べるとあまり通っていないかな。(笑)すみません。


ヤノフスキ&ベルリン放送響と河村尚子さん、そしてインバル・都響の「新」マーラー・ツィクルスでみなとみらいホールは通ったことあります。


ヤノフスキ&ベルリン放送響のときは、河村尚子さんピアノ独奏で、ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。(あれ、4番だったっけ?)このみなとみらいホールって、ピアノの音がすごく綺麗に響くんですよね。クリスタルのように透明感ある透き通った響きで、自分はこのホール、ピアノの響きが綺麗だな~と大感動しました。河村尚子さんを初めて生で鑑賞できた日でした。ヤノフスキは、まだ東京春祭のリングをやる前だったので、日本での知名度もいまひとつでお客さんの入りもイマイチだったかな。(笑)


インバル・都響は、マーラー・ツィクルスをやっているときで、「新」マーラー・ツィクルスというタイトルで、前期は東京芸術劇場、後期は横浜みなとみらいホールでやる、というものでした。自分はこのマーラーツィクルスは前期・後期とも全部チケットを購入して全曲通いましたよ。そのとき後期はみなとみらいホールなので、このホールにせっせせっせと通いました。ほんとうに懐かしいです。マーラー人生だった自分のマーラー生体験の貴重な体験のひとつです。




横浜市は、市町村別で全国最多の人口(2019年7月現在、約374万人)を抱える大都市であり、神奈川県では最大面積を誇る市町村でもある。


しかし、元来の「横浜」はごく限られた地域を指す地名で、現在の山下町(横浜市中区)付近を指していた。久良岐郡横浜村の周辺は入海になっており、現在の関内駅周辺や山下公園などは、関東大震災(1923年)後に埋立事業が行われるまでは海だったほどなのだ。かつての横浜村は入江の先端に突き出た小さな漁村で、1800年代の前半まで、わずか80数戸ほどの漁師小屋が並ぶにすぎなかった。


もともと神奈川県域では、鎌倉幕府の玄関港としての歴史をもつ六浦湊(むつらみなと)(横浜市金沢区)や神奈川湊(横浜市神奈川区)のほうが重要度は高かった。とくに神奈川湊は、港町が東海道の宿場町になったことで、陸路でも重要視された。


神奈川宿の位置関係を見れば一目瞭然、横浜村は東海道から外れた寒村であったが、そんな横浜村が国際港になったのには理由がある。


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1858(安政5)年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を締結。それまで幕府は長崎 (出島)で限られた相手とのみ貿易を行ってきたが、黒船の圧力に屈してアメリカと条約を結び、さらにはオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修好通商条約を結ぶことになった(安政五カ国条約)。


そして幕府は、貿易を前提とする開港場として、函館、新潟、神戸、長崎、そして横浜の5港を指定したのである。


アメリカ総領事のハリスは、当初は神奈川宿の開港を求めた。当時の港の規模を考えれば、当然の要求でしょう。


しかし、幕府としては、外国人と日本人の接触は避けたかったのである。人の往来が多い東海道筋で開港するのを得策ではないと判断し、約9万両もの巨費を投じて横浜港を整備した。それ以前から横浜村に住んでいた住民を元村(現在の元町)へと移住させ、確保した用地に港湾施設を建設したのである。


日本人が外国人と交流をもつことに難色示した幕府は、横浜港に外国人居留地を設置し、その周囲に関所を置いた。このため、外国人居留地は「関内(かんない)(関所の内側)」と呼ばれるようになった。


そして1859(安政6)年6月2日(新暦7月1日)に横浜港は開港し、現在でも6月2日は開港記念日に定められているのである。



開港後の横浜は、西洋文化をいち早く取り入れる場であるとともに、日本文化を海外へ発信する場でもあった。来日外国人が洋画や写真技術を伝え、陶磁器や漆器など、日本の伝統工芸品が海外へ輸出されている。また、幕末には横浜の街や外国人を題材とした浮世絵が数多く制作され、異国情緒あふれる横浜の様子が紹介された。さらに、戊辰戦争を経て成立した新政権は、新橋―横浜間に鉄道を開通させるなどの欧化政策を推し進め、工業国家を目指す。その一方で、民権思想に触れた者たちは、藩閥色の強い新政権への反発を強め、県下に数多くの民権結社が組織された。


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「鎖国」下においてオランダ、中国、朝鮮、琉球との交流は限定的であった。18世紀半ば以降、工業化を進めた西洋諸国の船舶が日本近海へその姿を頻繁に現し、また1840年に隣国中国で始まったアヘン戦争情報は、「鎖国」日本を揺るがすものであった。


そして、1853年ペリー率いる蒸気船は、当時の最先端技術の象徴であり、新たな時代の幕開けを予兆させるものだったのである。かながわを舞台として、日本の近代は始まりを告げたのである。


世界へ開かれたみなとYOKOHAMA・文明開化の音


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安政5ヵ国条約の規定により、のちにYOKOHAMAとして知られるようになる神奈川は1859年7月1日(安政6年6月2日)に開港する。人家もまばらな砂州であった横浜は埋め立てられ、外国人が居住することが許された外国人居留地、日本人商人が店を構える日本人町、そしてその中間に官庁街がつくられ、商取引を行うことができる区域である開港場として整備される。人、モノ、情報の交流はここ横浜を通して行われるようになったのである。


明治政府はまた、新橋-横浜間にわが国初の鉄道を敷設するなど、西洋文明を採り入れた近代化政策を進めていく。横浜と神奈川県域は外国文化摂取の最前線として機能したのだ。


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情報引用元


横浜がなぜ開港の地になったのか?寒村にすぎなかった地が大都市へ~神奈川県の歴史~



【テーマ4】近代「横浜開港と近代化」(神奈川県立歴史博物館)




外国人居留地だった関内。関内もなかなか縁のある街。いまでは毎年の会社の定期健康診断で自分が通う中央診療所がある街だ。かならず1年に1回は顔を出す。ここには横浜スタジアムがある。そして宮崎の居酒屋さん、いっちゃが関内も。。。関内にあったラーメン二郎もなかなか自分の好みに合った美味しい二郎を食べさせてくれるお店だった。


またなによりも、みなとみらい線ができる前までは、横浜中華街には、関内・石川町からアクセスしていたのだ。関内は中華街にいくための街というイメージが強い。いまやみなとみらい線で、元町・中華街駅からそのまま地下通路でダイレクトアクセスですよね。便利な時代になったものです。


江戸時代の鎖国から横浜開港による明治時代の文明開化の象徴的な街であった横浜。


そんな明治時代の横浜の風景も、いまや令和の時代の横浜。

こんなに風景が変わっている。時代の変遷というものです。


インスタグラムで、そういう昔の横浜の風景と、いまの横浜の風景を比較して懐かしむ。。そういうとても粋なアカウントがある。@yokohama_meiji_romanticさんなのだが、ここは数枚のお写真をお借りして、その横浜の変貌をご紹介したいと思う。


みなとみらい21


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赤レンガ倉庫


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横浜中華街


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馬車道


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大さん橋


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さて、


I LOVE YOKOHAMA


これから横浜の素敵な魅力をいろいろ紹介していきたいと思う。紹介と言っても、べつにそんなにかしこまったことではなく、自分が直接その横浜の観光スポットに出向いて、自分のカメラで写真を撮って、自分の肌でその感動を実感し、その感想を述べる。そしてその場所に纏わる歴史やいろいろなうんちく、そしてもしあるならば自分のその地に対する想い出や想い入れ。そして特産物、ぜひここに来たら通うべきレストラン、食事処などのグルメ情報。。。そういうのをノンノン・スタイルでご紹介できれば、と思う。


なんてことはない。いつもやっている街歩き日記の横浜編と考えてもらえればいい。


ただ、横浜は大変大きな都市なので、観光スポットも膨大にあり、この連載、かなり長編の大作となりそうだ。今年春に決行したDX時代のコンサートホールのときの連載を、はるかに上回る連載となりそうである。ぜひ楽しみにお付き合いください。


この横浜エリアの散策は、猛暑だった8月からスタートした。まだ全候補地、完遂していなくて、いまだにongoingの状態である。



東京2023 酷暑日連続 23日 記録更新中!

毎日36度の灼熱地獄。


顔、腕、足真っ黒に日焼け。全日程とも快晴・酷暑。 皮むけてきた。体重激痩せてきた。血糖値(HbA1c)極めて良好!毎日グルメ爆食いだったにも関わらず。たぶん運動のせいだ。運動療法も効果あるんだな。


毎日、午前9:00~午後15:00のもっとも暑いときに実行した。夕方遅く涼しくなってからというのは性格的に待ってられない。


横浜を散策と言えば、イコール灼熱の太陽ギンギラの真夏の日というメモリアルが一生脳の中に埋め込まれることになるだろう。


汗びっしょり。帰宅したらもうグッタリ。帰宅したら、冷や水のシャワーを全身に浴び、それでも体は火照っていて、クールダウンするのに、4~5時間かかった。それを毎日やっていた。


1日のペットボトルの消費量 6~7本。カバンの中に常時詰め込んでいた。歩きながらカバン重かった。(笑)灼熱の太陽の中、汗ダクダクになりながら、熱中症、脱水症状に陥らないように、歩きながら水分補給をこまめに取ることを心掛けた。


まさに苦行、修行と言ってよかった。(笑)

こんな爆暑いときに、わざわざ外を歩くか、というところだが・・・


目的地に大体一発では辿り着かないので、必ず迷うので、迷いに迷って、人に聞きながら、さらに迷って・・・もう1日のトータル歩く量はスゴイ。


1日平均、膨大な距離を歩いた。この灼熱の太陽地獄の中で。


自分にとって、「横浜、YOKOHAMA=灼熱の真夏の太陽」。


これはずっと自分の脳裏の中の深いところに刻まれることであろう。


何十年ぶり、いや何世紀ぶり?とも言われた今年夏の記録的な猛暑続き。秋はやはり芸術の秋で気候的にも過ごしやすいし、精神、食欲、芸術、すべてにおいて快適なシーズンだけど、自分は夏が大好き。夏男なので、夏が終わってしまうとなんか寂しく感じてしまう。秋になると急に時が進むのが早く感じる。


自分にとって、この記録的な猛暑続きの灼熱の太陽の夏。

まさに最高の夏であった。(笑)



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新宿東口 [街歩き]

上京して社会人スタートした1987年からの7年間。小田急新百合ヶ丘の会社寮に居たとき、かならず休日の遊び場として徘徊していたのが、新宿東口エリアの界隈である。自分的には新宿というと、この東口エリア界隈のことを指す。


十数年ぶりに新宿中村屋の純印度式カリーを堪能して、建て直しリニューアルした新宿中村屋ビルと、新しいレストラン&カフェ マンナも経験することができた。


お腹がいっぱいになったところで、ひさしぶりに出てきた新宿東口エリア。ちょっと懐かしさのあまり散策してみようかな、と。あの頃からどんなところがガラ変しているか。。


新宿東口を歩いていると、やっぱり胸キュンとするよね。なんか人間として青かった(いまでも不完全人間ですが。。笑笑)若かった頃の自分をど真ん中に投影している街で、あの頃の想い出がいっぱい詰まっている。


東口エリアを歩いていて何をするか、なのであるが、北海道の田舎育ちの人間にとって、あの当時は、とにかく東京という街が新鮮で、いろいろ東京のことを知りたい。休みの日には寮の部屋でくすぶってないで、どんどん歩き回って東京を実感しよう!というのが自分の考えにあった。北海道の田舎もんにはすべてが新鮮であった。


自分の中には、東京=新宿(東口)という方程式が成り立っていた。


だからただ街中をぶらぶら歩いているだけなのである。街の様子とか、こんなところにこんな建物があるのか、そしてショッピングとか。そしてメインだったのは、やはり食べ物関係ですね。新宿東口でいろいろな食べ物屋さんを発見するのが楽しくて、いろいろ食べ歩きました。


だから今回のじつにひさしぶりの新宿東口散策でもどうしても食べ物中心の探し物になりました。また先日ご紹介した24時間サウナもよく利用した。伊勢丹の近くと歌舞伎町のいまの東急シアターの向かいにあった。花金のウィークエンドに24時間サウナで宿泊して、翌日は新宿三丁目にある西武新宿プリンスホテルのブッフェでモーニングをいただいて、そこから寮に帰るという日々の繰り返し。


人生、つねに新しいことにチャレンジ、習得するだけじゃ疲れるんじゃないでしょうか。自分のように長年人生やってくると、振り返りのほうがエネルギー消耗しなくて楽です。(笑)懐かしさを楽しむ、ということも人生必要なのではないでしょうか。気持ち的にもキュンとするものです。


自慢ではないですが、自分は新宿にはかなり土地勘があります。

自然と土地勘を養うぐらい新宿の街は歩き回った自負があります。


新宿東口といえば、やっぱりまずここである。スタジオALTA。一時代を一世風靡したタモリさんの「笑っていいとも!」のスタジオでした。自分の世代ど真ん中のロングセラー番組でした。


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自分はじっさい生放送のスタジオには行ったことはないけれど、あ~ここでやっているんだな~といつも思っていました。


いまスタジオALTAのビルの横には、こんな猫の3Dオブジェクトの試みがあるんですね。いま話題です。15分に1回の間隔で、猫が3D的に飛び出してくるんですよね。現場にいるとほんとうにそう感じます。新しい新宿東口の観光スポットですね。


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そして、なんといっても新宿東口と言ったら、この東口から新宿通りを眺めたこのシーンではないでしょうか。新宿東口を代表する風景だと思います。


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交差点の角にあるお店は変わっているかもしれないけど、ビッグカメラは昔からありますね。いまは白い壁で覆われて、デパートみたいな趣になってますけど、昔はここは出店というか外にどんどん商品を展示していて、そこに売り子さんがいっぱいいて、お客さんがその外の売り場にたむろっている、というそういう風景でした。


そして新宿通り。ここは新宿東口の自分のメインストリートですね。


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この通りには小さなカジュアルな洋服売り場があって(いまはもちろんありませんが。)、自分はかなりの頻度で買っていました。あの頃は洋服にお金をかけていました。



紀伊国屋書店。

まさに新宿東口といえば、紀伊国屋書店ともいうべき絶対的存在でした。この本屋さんもよく入りました。


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新宿東口は、この新宿通りのメインストリートから1本駅側に入ったところのエリアがかなりマニアックで自分は愛好していました。ちょうど新宿通りから、新宿南口の甲州街道に行くまでの間に存在しているエリアで、なんかアングラな雰囲気でいいのです。このアングラエリアは飲食店関係が充実していて名店が多いですね。なんか食べ物関係などかなり自分に所縁のあるお店がいっぱいあります。とくにこのエリアにある喫茶店はよく通っていました。喫茶店通いが趣味みたいなところもありましたので。


このアングラエリアに行くのに、いまこういうゲートができているんですね。驚くと同時に笑ってしまいました。(笑)


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アングラエリア


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この新宿ライオン会館も昔からありますね。


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ここで、ステーキのレアを頼んだことがありましたが、もう中身が冷え冷えの生肉という感じで、美味しくないな~と思い、それ以来ステーキはミディアムにすることにしています。レアは頼まなくなりました。それがここの新宿ライオン会館で学んだことです。




アングラエリアに昔から存在する天ぷらの名店「つな八」。ここはまさに老舗で天ぷらとしては名店中の名店です。お値段もすごく高いです。そしていつも劇混みです。予約しないと長時間待たされます。


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昔、北海道の友人のおもてなしに、この新宿つな八を利用したことがあって、天ぷら定食を堪能しましたが、なんか高い、劇混みの割にはあっけない瞬殺だな~と思ったことを覚えています。



そして、これも日記で紹介しましたが、名曲喫茶「らんぶる」。


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ここはお話した通り、自分の新宿におけるたまり場みたいなところでした。ここで長時間時間潰しているみたいな。店内はクラシック音楽が静かに流れていて、店内の内装がとてもクラシックで素敵です。かなりハマりました。名曲喫茶というのは、こういう喫茶店のことを言うんだな、と最初に知ったのが、この新宿の名曲喫茶「らんぶる」でした。



アングラエリアでは、いまはこの場所に新宿東口横丁というのができていますね。(笑)これは驚きですね。もちろん昔は存在していなかったです。


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昔このビルには喫茶室ルノアールが入っていました。よく使っていましたが、喫茶室ルノアールは基本高いんですよね。コーヒー1杯だけでもすごく高い。そして長時間居続けると、天下のお茶をどうぞ!がやってくるし。(笑)いまは喫茶室ルノアールはもうありませんね。かわりに椿屋珈琲というのが入っていますね。自分はまだ椿屋珈琲は1回も入ったことがないです。1度は入ってみたいです。



アングラエリアには、もうひとつじつにクラシックでこれぞ、純喫茶!カフェではなく喫茶店。という名店があります。


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それがここの珈琲タイムスです。ここはかなりクラシックで素晴らしいですよ。まさに純喫茶のお手本のような喫茶店です。けっしてカフェではないです、あくまで喫茶店です。当時からあまりに老舗なのでいつ潰れてもおかしくなかったですが、まだ存在していたとは驚きでした。(笑)ここは自分は愛好者でした。


自分は喫茶店愛好者なので、こうしてみると、この新宿東口、とくにアングラエリアは、喫茶店の名店が多いことがわかります。



当時は、名曲喫茶「らんぶる」の隣、近くにあったディスク・ユニオン。移転したことは知っていましたが、こんなところに移転していたとは!今回初めて知りました。


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当時、珍しいCDをここで漁って夢中になっていました。いまでは貴重な音源探しという行為ですが、これからは、そういう行為自体も少なくなりそうですね。ひさしぶりに中を覗いてみたら、やはりアナログ中心になっていました。やはり漁るという行為はアナログですかね。


あと、アングラエリアでは、落語の寄席をする芝居劇場というかそういう建物があったように記憶しています。毎回大相撲の旗みたいに、その寄席のやる落語家の掛看板みたいなものが壮麗に並んでいた建物がありました。いま行ってみるとなくなっていますね。いつか入ってみたいと思っていたのですが。



このアングラエリアを突き抜けていくと、新宿南口、甲州街道にぶち当たります。

その甲州街道沿いにあるうなぎ屋さん。「登亭」

正直、店の名前は憶えていませんでした。たしかここに、よく通っていたうなぎ屋さんあったな。それもお店全体が黄色だった。いまここに再会して、お店の名前を思い出しました。でも全然覚えていませんでした。


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懐かしすぎる~。(笑)

まだ潰れずに存在していたとは!自分の時代からずっと生きながらえているうなぎ屋さんです。ここでよく、うな重、鰻の蒲焼定食食べました。ここはとても美味しかったです。値段も当時は控えめでしたね。


いますごい鰻の値段が高騰しているではないですか?そのときに自分が頭の中に思い出したのは、新宿のあそこのうなぎ屋さんも高くなっているのかな?と思ったことです。それくらい自分にとって、うなぎ屋=新宿のうなぎ屋「登亭」というイメージがはびこっていた。。。それくらい通っていたお店です。


ここから、また新宿通りのほうに向かいます。



伊勢丹。


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まさに新宿に昔からある老舗百貨店。中に入ったことは数回しかありませんが、まさに伝統の百貨店です。外観に威厳があります。


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丸井〇I〇Iも昔からありますね。でも丸井と言えば、自分としてはやはり渋谷のほうがメジャーだと思います。自分は渋谷のほうの丸井をよく使っていました。



新宿通りをすこし東口に向かって歩くと、ビッグカメラが見えますね。


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これは自分の時代にはなかったものですね。こんな大きな変貌があったんですね。ビッグカメラは東口付近のほうは昔からありました。




新宿通りを東口沿いに歩いていくと、そこから枝道に入っていくと、カレー「ガンジー」があります。


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ここはカレーの隠れた名店で、欧風のカレーを堪能できます。いまネットで調べると、ここは欧風カレーということになっているのですが、自分の記憶ではもっとユニークなちょっと普通では味わえないような特殊なカレーだった記憶があるのですが。だからこそ、こんな枝道の入ったところの目立たないお店なんだけど、宝物を見つけたみたいな、そんなお店でした。


なんのカレーだったか、覚えていないです。欧風カレーってあまりに普通っぽくて。そんなのに自分が興味を示して通うかな~と思うのですが。5回くらい通い詰めました。



また新宿通りに戻って、今度は紀伊国屋書店から歌舞伎町方面に向かう枝道に入ります。ここもいろいろ怪しげなアングラな飲食店がいっぱいあります。自分はアングラな雰囲気が好きなんですね。(笑)




うなぎの「こばやし」。


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ここは新宿に昔からある老舗の名店で、新宿ではかなり有名なうなぎ屋さんです。自分は2、3回入ったことありますが、まさに暗くて狭くて、いまに潰れそうな伝統ある老舗なのですが、年老いたお婆さんが切り盛りをしていて(当時はワンオペでした。)うな重、うなぎの蒲焼定食を食べたことあります。美味しかったです。お値段は高かったような。



その隣には・・・


出た~~~。桂花ラーメン。(笑)


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東京で革命を起こした本場熊本ラーメン、桂花ラーメン。

社会人スタートの頃、アムスの同期友人に教えてもらったのが最初に知るキッカケ。

この桂花ラーメンがウマいんだよ、ということで。その最初に教えてもらって入ったのが、この新宿東口エリアにあるこのお店だったです。


アムス友人といっしょに入って食べたこともありますし、自分1人で入ったことも何回もある。熊本ラーメンらしい豚骨ベースのこってりしたラーメンで、これはこれで美味しいな、と思いました。


でも、いまや熊本県、福岡県、新宿、渋谷、池袋で店舗を構える桂花ラーメンだが、自分が桂花ラーメンを食べるために入ったお店はこの新宿東口店しか経験がないのです。他店舗は入ったことない。


だから自分にとって、桂花ラーメンといえば、ジャストでこのお店のことを言います。見ての通り、店内は超狭いです。(笑)


よく調べていないが、入社時期だった1987年だから、おそらく桂花ラーメンも東京に進出したばかりではなかったのかな?その第一号店がこの東口の店舗じゃなかったのかな?



沖縄料理ってどんなものなのかな?初めて食べてみたいと思って、沖縄料理食べさせてくれるお店をいろいろ探して入ったのが、この「沖縄食堂 やんばる」。沖縄料理店をいろいろネットで調べたのですが、やはり自分は新宿にすごい土地勘があるので、アクセスに有利な新宿のお店にした、ということです。さっきのうなぎ屋「こばやし」や桂花ラーメンの斜め向かいにあります。


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もうだいぶ前の昔のことなので、どんな沖縄料理のメニューを食べたか覚えていませんが、これが沖縄料理か~という感じで楽しみました。




つい最近見つけた金沢カレー「ゴーゴーカレー」の新宿歌舞伎町店。

新宿通りから歌舞伎町に向かう途中にあります。


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ここは地下にあって、かなり狭いアングラ色いっぱいですが、金沢カレー、あの独特のテイストを十二分に楽しめて美味しいです。金沢カレーには、ゴーゴーカレーとチャンピオンカレーの二大勢力があるのですが、東京ではチャンピオンカレーを経験することは難しく、もっぱらこちらのゴーゴーカレーになると思います。



まっあまり長時間は歩けないので、こんな感じでしょうか。

やっぱり自分の想い出に残っているのは食べ物関係が多いですね。(笑)新宿東口といえば、自分の頭の中にずっと記憶として残っているのは、やはり食べ物関係と喫茶店関係なんですね。


以前紹介しました高層ビルの新宿西口、そしてダイナミックオーディオ、そしてこの新宿東口というのが、自分の青春時代を謳歌した場所でした。


ひさしぶりにその想い出の場所をいろいろ巡って楽しかったです。こんなに変わっていたのか、と驚いたところもありますが、総じてあまり変わっていないという印象のほうが大きかったです。












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雑色 [街歩き]

自分には子供時代によく遊んでくれた方がいらっしゃる。ここではOさんとしよう。オヤジは高校教師だったのだが、そのオヤジの教え子で、卒業後、ご本人も東京に就職されて生活基盤を東京に移されたわけが、それでも義理堅く、帰省で北海道に戻っては、オヤジのところに挨拶がてら、よく遊びに来てくれた。


子供の頃、よく自分と妹はOさんにいっしょに公園に連れて行ってくれたり、とかいろいろ遊んでもらった。子供の頃はほんとうにOさんと遊んでもらった記憶がいっぱいある。ほんとうに面倒見のいい、優しい方であった。オヤジもOさんには絶大な信頼を寄せていた。


自分も就職で東京に上京したときにも、相談事にのってあげてくれ、いろいろ見守ってくれ、というようなことをオヤジはOさんに相談していたと思われる。


Oさんは読売新聞社の記者を勤められておいでだったので、東京の知見とか、情報通など頼りになる方だった。オヤジもそこを見計らって、息子を頼む、という感じで相談していたのだと思う。


東京生活でいろいろ自分がピンチになったときは、いろいろ相談に乗ってもらったこともある。自分が病気で3年間、休職したときも復職のときに電話をかけてご挨拶したことがある。でもその2003年以降かな?それ以降、もういまや20年間音信不通である。


すでにリタイアされている年齢とは思うが、どうされているのか音信不通である。


オヤジが亡くなったこともあるし、オフクロも施設となると、それも仕方がないことか。


じつは、自分が東京に上京した1987年に、Oさんが「よく来た!」という感じで、ご挨拶がわりに東京で会おうということで、お電話をいただいたことがあった。


待ち合わせをどこにするか、ということで、指定されたのが、”雑色(ぞうしき)”という街。


雑色?


東京に不慣れな自分は、雑色、それってどこ?という感じで、結構入念に事前に調べた記憶がある。雑色は、いまでも無名というか、ほとんど知られていない街ですよね。ほんとに目立たない街、まったく無名な街である。


Oさんが、どういう理由で、この雑色という街を選んだのか?

自分にはわからない。


雑色にある居酒屋さんで、ちょっとお酒を傾けながら、「よく東京に来た。」という感じで、いろいろよもやま話をしたのを覚えている。


あれから36年経つわけだが、どうして雑色だったのか?東京で待ち合わせなら、渋谷、新宿、有楽町とか大きな街はいくらでもある。確かにあまりデカい街だと待ち合わせに困るので、ある程度小さい方がいいだろう。


でもなぜ雑色(ぞうしき)なのか?


そのとき思ったのは、Oさんは新聞記者なので、やっぱりいろいろ土地通というか、情報通で、こうなんか味のあるそういう普通の人が選ばないような隠れた名宝みたいなそんな価値観をこの街の中にあることを知っていて、それで自分に紹介してくれてこの街で会おうということになったのではないか。


いわゆるOさんが雑色という街に、なにか特別の拘り、所縁のある町、あるいは、Oさんが雑色という町が好きである、この単純な解でもいい、たとえば自分の取材で訪れて知った町とか、そういう想いがこの町にあったからではないか。


自分はずっとそう思っていたのである。それ以来、自分の心の中に、この雑色という街がずっとこびりついていて、忘れることができない。Oさんと最初に東京であった街。それが雑色。


なぜ、Oさんは雑色を選んだのか?


自分の永遠の謎だったのである。


ずっ~と、っ自分の心の片隅に居座り続け、その解を見つけることができない。でもそんな36年前に、Oさんと会った町を克明に覚えているということ自体、なんか異常ではあるのだが(笑)、それだけ自分の記憶には鮮明で、しかも雑色という町自体が無名で、なぜそこなのだろう?という想いをず~っと心に抱いていたからである。


”雑色(ぞうしき)”という街の名前自体が、なにかこう日本古来の由緒ある、そういう雰囲気を漂わせているのである。自分が雑色という街をいつまでも覚えていたのは、やはり他の街では感じない、独特の風格がある。


日記で街歩きというジャンルを開拓したいと思っていた矢先、自分はあれから36年後な訳だが、自分は雑色の街をいま改めて訪れたいと思うようになった。


36年後の真実を暴きたい。(笑)


あの頃からずっと謎に思っていたこと、なぜOさんは雑色を選んだのか、いま現在、雑色の街を歩いてみたら、ふっと頭の中にその解が浮かんでくるかもしれない。


そんな想いがあり、ぜひ実行したいと思った。


その前に”雑色(ぞうしき)”という言葉自体にどういう意味合いがあるか、調べてみた。自分は昔から、この雑色という名称そのものに、にどうしても引っかかりを感じて、心の隅に残り続けているのだ。


雑色”と書き、「ぞうしき」と呼ぶ街の由来は、鎌倉時代、宮中の雑役の役目をしていたむかしの地名によるものである。


古代の律令(りつりょう)制に始まる用語で、中世より近世まで用いられたが、いずれも下級の諸種の身分と職掌を表す。


古代では、「諸司雑色人」といって、朝廷の官人や有位者の下にあって、雑使に従う使部(しぶ/つかいのよぼろ)、宮廷の諸門の守衛、殿舎の清掃・管理・修理、乗輿(じょうよ)の調進、供御(くご)の食物の調理、水氷の供進などにあたる伴部(ばんぶ/とものみやつこ)などの職種があった。


それより身分が低く、宮廷工房で生産にあたる品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)も雑色に含める解釈もあり、各官司で、写書、造紙、造筆、造墨、彩色、音楽などに従う諸生・諸手もそうよばれた。


その後、雑色の概念は拡大され、「諸国雑色人」といって、国衙(こくが)や郡家で、上記に準じた身分のもの、「諸家雑色人」として貴族の家務に従う従者にも適用され、また蔵人所(くろうどどころ)をはじめ政府の諸所が成立すると、蔵人所雑色のような特殊なものも現れる。


中世に入って、武家の従者が雑色とよばれるのは、おもに「諸家雑色人」の系譜を継ぐもので、幕府の番衆の下級役人から、一門以外の従者に及ぶまで用いられた。


・・・とのことである。


まっその時代その時代の定義の仕方はあるようだが、要は雑用係ですね。(笑)それも身分の低い・・・



雑色という駅名は、開業当時の地名である雑色村に依る。「雑色」は鎌倉時代に宮中の雑役を務めた地名だが、明治末期に六郷村に編入され、地名は駅名のみに残る感じだそうだ。


いまの雑色駅(ぞうしきえき)は、東京都大田区仲六郷二丁目にある、京浜急行電鉄(京急)本線の駅である。各駅停車でないと停まらない駅である。


雑色駅


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たぶん36年前の雑色駅がどうであったかは、まったく覚えていない。ただ覚えているのは、雑色駅の前の商店街のところのどこかの居酒屋で(ベージュな感じの色合いの上品なお店だった。)お会いして盃を交わした、ということだけである。


雑色の街のことも全然覚えていない。


いまの雑色駅は上の写真通りだが、あの頃がどうであったかも覚えていない。


とにかく雑色という街をいま現在歩いてみればなにか閃くかもしれない。


雑色駅の前には、雑色商店街というアーケイドの商店街が存在する。


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雑色商店街は、駅の東西両側に長く伸びた比較的大きな商店街で、駅の東側にオーケーストアの大型店が在る。また、3大ハンバーガーショップであるマクドナルド・ロッテリア・モスバーガーが全て駅前に存在する珍しい地域である。(笑)駅前は車通りは少なく、主に歩行者や自転車が通る道路となっていて、バスやタクシー乗り場は駅前には存在しない。


駅前のアーケイドの中にある商店街は、さっと俯瞰する限りでは、いわゆるいまでいう資本系のチェーン店がずらっと並んでいるという風情であまり個性的なお店とかがあるとは思えないところであった。コンビニもセブンイレブン、ファミマと連なっており、それにハンバーガーショップ、そしてdocomoやauなどのスマホショップ、そしてドトールや日高屋など、ほんとうにチェーン店の嵐。


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自分はつまんない街だな~という初印象であった。(笑)

車の通りはほとんどない。ただ人が歩く通りだけである。


東西に横にずら~っとひたすら長い通りなのである。


アーケイドを通り過ぎると、また横にずっと今度はアーケイドなしで飲食店などが並んでいる感じである。


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36年前の居酒屋さんがいまも残っているとは思えないのだが、アーケイド内、そしてアーケイドを外れた通りで、何件か居酒屋さんをピックアップしてみる。


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・・・う~ん???・・・・違うよな~~~。


敢えて言えば、こんなイメージに近かったかも?居酒屋さんじゃなくて、とんかつ屋さんだけど、ベージュというのがなんかイメージに合う。そりゃ36年前の居酒屋さんがいまも残っている訳ないですよね。(笑)


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正直、雑色商店街のお店はつまらないと思いますが(笑)、このインド・ネパールのレストランは魅かれる感じがしました。(笑)


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このやきとり屋さんは、すごい人気がありました。おいしそ~。食べたかった・・・


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正直である。正直である。気を悪くしないで欲しいが、雑色はそれほど個性的な街とは思えず、やや寂れているというか寂しい街のような印象がする。車、タクシー、バスという類のものはいっさいなく、ひたすら人か自転車のみが行き来する。そして高齢化が進んでいる街のような印象を受けた。若い人はほとんど見かけない。


でもあのテレビ東京のアド街ック天国で、京急 雑色が放映されているんですよね。(2021年5月22日放送分)

驚きました。


第1位は雑色商店街でした。

昭和な庶民派商店街ということで紹介されています。



昭和23年から続く、お惣菜が大充実の商店街。


【デリカキング】


鶏肉を使ったお惣菜がオススメ。中でもお買い得なのが、日替わりの盛り合わせ。店の人気商品が7種類入って、お値段はなんと400円。


これは私のほうで写真を撮りました。


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【肉のミゾグチ】


昭和34年に創業。80種類以上ある惣菜の中から日替わりで40種類の惣菜が並ぶため、毎日来ても飽きることはない。毎月2日間だけ登場するのが、「ビーフカレー」。お肉屋さんが、大量の牛すじを使って作るカレーはコクが深い逸品。



【いのせ】

ショーケースには、揚げたてのお惣菜がずらり。しかし、一番人気のお惣菜は水曜日限定の「ポークシュウマイ」。12個も入って400円。水曜日だけで、1万5千個が完売する。発売日にはお店の前に行列ができ、お客さんは大量買いが当たり前。ポークシュウマイの仕込みは3日前にスタート。岩手の「岩中ポーク」を使う。味のポイントは、大量の玉ねぎ。みじん切りにした玉ねぎを、洗濯機で脱水。このほうが余分な水分が抜け、肉の脂が生きるのだという。



「雑色」

知っている人もいるが、聞いたことがない人もいるであろう町。


雑色駅について目に入るのが、駅前からJR京浜東北線の線路まで続く商店街。

東京都大田区で最多の店舗数を誇るにぎやかな商店街。


帰宅時間、夕方の商店街には、スーツ姿、主婦、学生、たくさんの人がそれぞれの一日を終え帰宅する。一人暮らしをしていると、誰しも一度は「寂しさ」を感じることがあるはず。


「人」と関わる温かい町、おかえりがある町。商店街で、いのせや肉のミゾグチで今晩のごはんのおかずを買っているときに、お店の人との会話で温かみを感じ、ホカホカした気持ちで家路に急ぐ。


そういうささやかな幸せがある街が雑色なのだ。それはネットで調べてようやくそういう町なんだということがわかった。


街をただ歩いているだけでは、そのことはわからない。たた寂しい寂れた町のように思ってしまうかもしれない。やっぱりそこに住んでみないとわからないのだろう。


いま現在、2023年のときの雑色を歩いてみたが、正直自分の頭に閃くものはいっさいなかった。(笑)


Oさんがなぜ雑色を選んだのか?


雑色は、古くから雑用係の身分の低い人たちのこと。町も高齢化の進んだ庶民的な町。あえていえば住宅街だと言っていいだろう。暮らすために商店街やオーケーストアがあるということ。ほんとになんの変哲もない、ふつうの小さな町。


雑色であるからこそ、というポイントが自分には見つからなかった。理解できなかった。



Oさんがなぜ雑色を選んだのか?


これは、まだ永遠の謎、永遠のテーマとして自分の中に残りそうである。





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Shibuya_SKY [街歩き]

世界三大夜景というのは、香港・函館・ナポリの夜景のことらしい。また日本三大夜景とは、北海道函館市の函館山、兵庫県神戸市の摩耶山、長崎県長崎市の稲佐山の3スポットを指すそうだ。 日本ではかねてから日本三大都市や日本三景、三種の神器などの様に「三」の数字で括る文化がありますね。


あのロック界の三大ギタリスト。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミーペイジもそうですね。そのように呼んでいるのは日本だけらしいです。海外ではそんな括り方ないらしいです。(笑)ロック少年だった自分は、その事実にずいぶんショックでした。


日本三代夜景では、北海道函館市の函館山の夜景を子供の頃に、家族旅行で見ようと訪れたことがあったのだが、途中で自分が熱を出してしまい、函館山に行く計画がとん挫したことがある。オヤジから「なんだよ~、オマエ。すごい楽しみにしていたのに~。」と至極残念がられた。(笑)


このパターン結構あるんですよね。同じく家族旅行で九州・熊本に行ったとき、熊本城を見学しようと思ったとき、前の晩に、同じく自分が熱を出してしまい、計画がとん挫。同様にオヤジに残念がられた。(笑)


この2つのスポット、いつかリベンジして、あの世のオヤジに贈りたいと思います。


百万ドルの夜景、一千万ドルの夜景に、自分は新たに、渋谷再開発計画の象徴、渋谷スクランブルスクエアの屋上、Shibuya_SKYから眺める渋谷の夜景、東京の夜景をお薦めしたい。


先だって、初めてShibuya_SKYで屋上から昼間に東京の風景を観たときは、これは絶対夜に来ないとダメだな、ここから夜景を観たら最高だな、と直感でピンと来た。


そして改めて、今度は、ちゃんと事前にネットで夜9:00~9:20の時間帯のチケットを購入して、いざ!と乗り込んだのである。


まさに百万ドルの夜景、一千万ドルの夜景であった。


新しい東京観光のシンボルになると直感した。


素晴らしいですよ!ぜひ体験されることをお薦めしたいです。


その生々しい衝撃の感動をこの日記でお伝えしたいと思う。


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Shibuya_SKYのコンセプト



展望せよ。渋谷。世界。自分。未来。


毎日30万もの人が行き交うスクランブル交差点。

喧騒。雑踏。多様な人々。

街頭ビジョンに溢れる広告。

そんないつもの風景から、空の舞台へ。


上空で聞こえる、渋谷の街の息遣い。

その先に広がる、まだ出会ったことのない世界。

視ることに、新しい物差しが与えられたとき、

初めて意識する自分。

新しいあなたの視点を、未来に。


ここから、すべてを、展望せよ。



・・・である。


さっそく、14FにあるShibuya_SKYまで直通のエレベータに乗る。もはや大行列。いやな予感である。


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そして14FのShibuya_SKYに到着。


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予感的中!まさに大劇混み。そりゃそうですよね。みんな考えることは同じですよね。みんな昼間より夜の夜景の景観を観たいと思うのは当然ですよね。みんな狙うところは同じなのです。


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もう圧倒的に外国人。客層の80%以上は完璧に外国人でした。アジア系だけでなく西洋系もかなり多いです。ここは海外?というくらい、日本人は少数派であった。海外の人が望む日本ってこういう感じなのかと妙に納得したところもある。


「芸者フジヤマ」という言葉がいわゆる海外から見た日本へのイメージ、印象を表すステレオタイプの表現があった。


昔、このイメージを嫌った日本人が多くいた。戦後といわれる時代、日本はもっと近代的な国だと背伸びしたがっていた頃のことだ。でも今や、江戸情緒をかもす「芸者」とその芸も、日本の象徴ともいえる「富士山」も、世界に堂々と披露できる宝となったといえる。


一方でもっと新しい日本をイメージにしてもらいたい、そういう若い世代もいる。そして旅行業界なのか、国なのか、わからないけどいまの日本をイメージするステレオタイプの観光スポットとして、このShibuya_SKYがその象徴シンボルとなっているのだと思う。


まさに、いまの海外の人が望む日本ってこんな感じなのである。海外の人が喜ぶ東京見物の名所とはこういうところなのである。


圧倒的な外国人率。あらためてコロナでの渡航規制が緩和され、インバウンドビジネスが復活してくれてうれしいと思う。初めの頃、有名な観光地に行くと、もうありとあらゆる方面から外国語が聞こえてきて、圧倒的な外人天国なので、いやだな~、昔の時代に戻してほしいと思ったこともあったが、いままさに彼ら、外国人の方々が大勢日本に観光旅行に来てくれるからこそ、日本は観光業界ふくめ大儲けさせてもらっているのだと思う。外国人による日本観光はドル箱ビジネスなのだ。感謝しないといけないと思う。そういう意味合いもあって最近は心に寛容さがでてきた、と思う。


そんな大劇混みのShibuya_SKY。自分の予約している時間になり、並ぶ。屋上まで行くエレベータに行く途中、全面ガラス張りの窓なので、そこから、つまり14Fから見下ろした渋谷スクランブル交差点の夜景が見えてくる。


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すでに武者震いである。


屋上に向かうエレベータは面白い。中の照明がいっせいに落とされ、天井にこんな模様が次々と現れ、いま屋上に上昇中~というリアリズム感を出そうという工夫がされている。これはなかなか面白い、気の利いたセンスだと思う。


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屋上に到着すると、まずこういうフロアが現れる。


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そして荷物は100円ロッカーに預ける。デジカメ、スマホなどの撮影機器以外は持って行ってはいけないのだ。危険だからだ。


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そして屋上に出る。


ここからはまさに連続写真ショーである。じっくり堪能していただきたい。

Shibuya_SKYから眺める渋谷の夜景、東京の夜景である。


まさに百万ドルの夜景、一千万ドルの夜景である。


おもわず感覚がぶっ飛んでしまうほど感動した。自分が生きている世界とは別次元の世界だった。やっぱり夜景のときのほうが、桁レベル違いで感動度合いが違う。


渋谷の街だけではない。遠くには、東京タワーなども観ることができた。東京のエリア全般が、ここから俯瞰できると思ってもらっていい。


ぜひ夜景のほうをお薦めしたい。


この日も風が強く、ちょっと怖かった。。。


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ここは、有名な写真撮影スポットみたいですね。いま自分は、Shibuya_SKYにいるんだよ~という感じでインスタに上げるための定形の撮影場所なんでしょうね。長い順番待ちの行列ができていました。


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そして、Shibuya_SKYのもうひとつ名フォトシーンとしては、この下りのエスカレータに乗っている最中で、そこからガラス越しに見下ろす街の風景、これが、いかにもいまShibuya_SKYにいるんだよ~という臨場感を表していてカッコイイのだ。この下りエスカレーターからの構図も、インスタの名スポットである。


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ここが屋上にあるルーフトップバー。

こんな百万ドルの夜景、一千万ドルの夜景を眺めながら傾けるカクテル、グラスの一杯はまさに至極の境地なのであろう。ここは予約制で利用料も取られる。(5,000円くらい。)その予約がないと入れない仕組みなのだ。


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自分は利用しなかったが、shibuya_skyさんのインスタを借りますと、ルーフトップバーの中ってこんな感じになっているそうですよ~。素敵ですね。ぜひ恋人同士で利用したいですね。


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大感動の屋上を体験できて、屋内のSKY GALLERYを再訪する。

夜のギャラリーも素敵なのだろう。


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まさに、渋谷、Shibuya、少女である。少女じゃないとダメなのだ。このくらいのAgeの女性じゃないと渋谷、Shibuyaのイメージに合わないのだ。

大人の女性ではダメなのだ。


まさに外国人がイメージする渋谷の街を象徴する雰囲気、イメージだと思う。

いまの海外の人たちは、東京、渋谷にこういうイメージを求めているのである。


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今回はお土産屋さんの中も、ちゃんと覗いてみました。魅力的なグッズばかり。お土産、記念として最高ですね。


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Shibuya_SKY


まさに新しい渋谷を象徴するようなランドマーク的なスポットで、こういう感じで、いまの新しい東京、渋谷をイメージしてほしいという、若い世代の人たちや外国人の方を対象としているように思えて、イメージ作りにとても成功しているように思えた。


素晴らしい観光スポットだと思う。


ぜひ1度行かれてみてください。

やはり夜景がお薦めです。


すべてが終わって、地上に降りて、夜の渋谷スクランブル交差点。

ここも外国人がもっとも大好きで興奮するスポットなのである。(笑)



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人形町 [街歩き]

人形町は敷居が高かった。(笑)
                                                                                                                                                
すき焼きの名店「人形町今半」を訪れたとき、人形町の街をぶらぶらと散策してみたところ、江戸の下町風情が感じられる情緒あふれる街並みで自分を惹きつけた。素敵な街だなぁ~と思い、いつか街歩きをしてみたい、と思っていたのだ。
                                                                                                                                             
いろいろな日記の中で街歩きほど、お金のかからない趣味はないだろう。それでいながら知的欲求を満たしてくれる。最高に楽しい遊びだ。
                                                                                                                                             
ある日、人形町の街歩きに出かけようとした。猛暑の3連休で、気温36度まで上がる日曜日だった。みんなが言うようにやめておけばよかった。(笑)でもどうしても今日行きたく、強行した。おらが街から大体1時間もあれば人形町に着くだろう、と思い、朝9時に家を出た。ところがなにか巡り合わせが悪く電車の行き先を間違え乗り過ごし、下車して戻ろうとしたら、待っているホームを間違え、そしてやっと電車に乗れたと思い下車したところ、
そこはひとつ手前の日本橋で(笑)、やっと人形町に着いたと思ったら、昼の12時近くになっていた。3時間もかかった。(笑)
                                                                                                                                               
もううだる暑さ。
                                                                                                                                              
そうしてようやく人形町を散策しようと思ったら、お目当てのグルメのお店が軒並みお休み。(笑)人形町は日曜日はお休みなのだ。まったくの想定外だった。
                                                                                                                                            
ふつう観光の街は、お休みの土日は稼ぎ時だから休まず、平日に休みをとるものだが、人形町は江戸からの歴史ある街。やはりきちんと日曜日にお休みをとるのだ。
                                                                                                                                              
きっと神様は「今日はやめとけ!」という意味で、行くときに私に至難を与えていたのだろう。3時間もかけてこの有様なので、もうがっくり来て、トボトボ家路に着いていたところ、まさかの、とても人には言えないハプニングが起きてしまい、もう大変な1日でございました。
                                                                                                                                             
人形町は敷居が高かった。
初回からは簡単には心を許してはくれなかった。
                                                                                                                                             
人形町の街歩きをするには、平日しかない。会社にお休みをとって、再度チャレンジである。
                                                                                                                                             
この日も、雲ひとつない快晴であった。大変な猛暑であった。でも暑くて汗びっしょりだけど晴れていたほうが気持ちいいですよね。
                                                                                                                                             
ようやく念願の人形町の街歩きである。
                                                                                                                                             
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人形浄瑠璃で使う人形を作っていたことから人形町と呼ばれた町。
                                                                                                                                              
江戸時代初期には、幕府公認の遊廓である吉原が人形町通り東側の辺りにあった。今も通りの名前に残る「大門通り」はその名残だそうだ。
                                                                                                                                             
1657年(明暦3年)1月の明暦の大火の後、幕府の命で吉原が地名ごと浅草寺裏の日本堤付近、千束田んぼの真ん中に移転させられた。以後、この地を吉原、若しくは元有った人形町付近を元吉原、対する様に新吉原と呼ぶ様になった。
                                                                                                                                              
遊廓の移転ののち、江戸期において、近隣には芝居小屋が集中した。また、1764年(明和元年)には旧芳町に12軒の陰間茶屋が存在した。近隣の旧堺町や旧葺屋町まで含めると20数軒にまで及ぶほど、かつての人形町は男色の中心地として賑わいを見せていた。
                                                                                                                                             
江戸時代、堺町と葺屋町が現在の日本橋人形町三丁目の人形町通り西側にあり、歌舞伎小屋の中村座と市村座があった。また、薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居(結城座)も行われていた。一般には人形遣いが多く住んでいたから人形町と名付けられたとされているそうだ。
                                                                                                                                             
かつては男色の町。そして歌舞伎小屋、そして浄瑠璃と人形芝居。
                                                                                                                                              
人形町がなにげなく江戸時代の下町情緒あふれる感じの一種独特の風情なのは、こういう歴史の積み重ねの上に成り立っている町だからなのであろう。
                                                                                                                                               
                                                                                                                                               
人形町駅を降りるとすぐ近くには、江戸火消しからくり櫓(やぐら)が出迎えてくれ、人形町独特の雰囲気がすぐ伝わってくる。
                                                                                                                                              
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「江戸火消しからくり櫓(やぐら)」は、人形町のシンボルモニュメントと言える時計台。人形町という地名の由来でもある人形劇が描かれている。
                                                                                                                                              
この時計台の内部には人形たちが隠されていて、  11時~19時までの「00分」に約2分間からくり人形たちが踊る仕掛けなのだ。これを見たいがために「00分」に時間を合わせて待機してましたよ~。
                                                                                                                                             
火消しとは江戸時代の消防隊。は組のひとたち。「00分」になると、この時計台から「あいや~!」というようなメロディが流れてくる。
                                                                                                                                            
そしてこの中にいる人形たちが動き出す。
                                                                                                                                           
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そして、こうやって時計台の上部のほうから火消しの「は組」のお人形さんが出てきて、踊り出すのだ。これは楽しい~。(笑)
                                                                                                                                              
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なかなか「00分」に時間を合わせて見る人なんていないと思うので、貴重な映像だと思います。
                                                                                                                                           
この通りの反対側には、「江戸火消し落語からくり櫓」も人形町観光での見どころの一つ。向かいの通りを歩くと見えてきます。
                                                                                                                                              
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江戸火消しからくり櫓(やぐら)と同様、11時~19時の間「00分」になると人形たちが踊ります。
                                                                                                                                         
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こちらの時計台は、かつて芝居小屋が立ち並ぶ繁華街でもあった人形町を表現しているのだとか。人形町では欠かせないスポットなのだ。
                                                                                                                                             
楽しい~。(笑)
                                                                                                                                            
                                                                                                                                          
つぎに甘酒横丁。
                                                                                                                                         
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「甘酒横丁」は、人形町の食べ歩きスポットとして有名な通り。
長い歴史があり、老舗の名店や甘酒横丁でしか味わえないグルメもありますよ。
                                                                                                                                        
人形町の町ってこんな地理関係なのだ。
                                                                                                                                         
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いわゆる人形町として観光スポットが集中しているのは、地図の黄色線の十字路沿いにあって、甘酒横丁はその横に走る通りのこと。ここに一気にグルメのお店が軒並み集中している。
                                                                                                                                         
                                                                                                                                            
そんな甘酒横丁では、たい焼きやがんも、甘酒、アイスクリームなどが味わえるお店が軒を連ねている。グルメ関係もたくさん堪能してきました。
                                                                                                                                              
グルメは、「人形町おすすめ食べ歩き」として別日記で紹介します。
魅力的な食べ物がたくさんあって、ついつい目移りしてしまいますよ。
                                                                                                                                          
食べ歩きはもちろんのこと、どこか懐かしさを感じながらゆったりと街歩きを楽しめるところもいいかな。
                                                                                                                                           
                                                                                                                                         
                                                                                                                                          
「大観音寺(おおかんのんじ)」は、人形供養で有名な寺院。こちらにある「鉄造聖観世音菩薩(ぼさつ)」は、東京都指定有形文化財に指定されている。
                                                                                                                                             
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お寺なんだけど、歩道歩いていたら、すぐに横に見える感じで、町に溶け込んでいる。街中にひっそりと佇んでいて一見目立たない。
                                                                                                                                            
階段右下には百度石があり、本堂は階段を上がった2階にある。
                                                                                                                                            
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本堂右手には「江戸三十三観音札所第三番」の文字とともに、馬頭観音(ばとうかんのん・めづかんのん)が祀(まつ)られている。馬頭観音は頭上に馬の頭を乗せているのが特徴で、観音菩薩が変化した「六観音」の一尊だと言われている。
                                                                                                                                            
民を煩悩から救ってくれる仏なんだそうです。
                                                                                                                                           
                                                                                                                                           
人形町の十字路を縦に走る道路をまっすぐ行くと、水天宮が現れる。地下鉄で人形町と水天宮前と駅ひとつ分くらい距離はある。
                                                                                                                                          
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「水天宮」は、安産や子授け、水難除けのご利益があるとして夫婦やカップルに人気のある神社である。戌の日になると、安産を祈願する妊婦の姿が多く見られるそうだ。
                                                                                                                                            
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水天宮は、元々有馬家の屋敷にあった神社であった。その神社が、参勤交代の際に有馬家の藩主が江戸でも参拝できるようにするために、福岡県久留米市から分霊したのが現在の水天宮。江戸時代には、有馬家以外からの信仰も厚かったため、塀の外から賽銭を投げ入れる人が後を絶たなかったと言われている。
                                                                                                                                             
水天宮は水難や除災の神として信仰されてきたが、その当時は水難から逃れたくて漁師が多く参拝していたのだとか。今の水天宮とは違い、安産祈願のために訪れる神社ではなかった んですね。
                                                                                                                                             
 水天宮が「安産祈願の神様」として崇められるようになった経緯には諸説ある。
                                                                                                                                             
 ひとつは、徳川綱吉から犬を賜ったことが関係しているとの説。昔から犬は「安産の象徴」と言われていたため、そこから派生したのではないかと言われているそう。
                                                                                                                                             
 また、御祭神の一人である天御中主神が関係しているという説もある。天地創造の神といわれ、「すべてを生み出す」神様として安産祈願へつながったのではないかというもの。
                                                                                                                                            
安産祈願だけでなく、厄除けや交通安全、商売繁盛などを祈願しに来ても良いそうだ。
                                                                                                                                          
ボクもしっかり子宝にたくさん恵まれますように!と祈願してきました。(笑)
                                                                                                                                        
                                                                                                                                           
人形町の中心街、十字路から、少し離れた距離にあるのが、小綱神社(こあみじんじゃ)。
                                                                                                                                         
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ここはすごい人で混雑、にぎやっていました。
ご利益あるんでしょうね?
                                                                                                                                        
今の社殿は1929年に竣工され、鎮座550年の年にあたる2016年に社殿神楽殿の銅板をふき替えた。
                                                                                                                                        
小網神社で見どころなのが、  社殿に施されている向拝の「昇り龍・降り龍」。昇り龍・降り龍は、強運厄除の御神徳があるとして崇められている。
                                                                                                                                           
参拝者の祈りや願いを受けて神様に伝えるのが「昇り龍」で、神様からの徳(神徳)を参拝者に授けるのが「降り龍」である。
                                                                                                                                         
                                                                                                                                        
                                                                                                                                          
谷崎潤一郎 生誕の地。
                                                                                                                                         
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プレートにその旨刻まれているというスポット。
それ以外にはとくになにかがあるわけではない。
                                                                                                                                        
自分の人生や才能で足りないものと常日頃思っているのは文学の才。小説を読むという習慣。これは自分には持ち合わせていない世界だなぁと常日頃思ってる。悩みと言っていい。もちろん有名な小説家の純小説を読みたいとか、そういう志向とか意思はすごい強い。だから嫌いなんじゃなくて、時間や頭の余裕スペースがいまはないんだよね~というところ。隠居したら楽しみたい世界だとずっと考えている。
                                                                                                                                          
自分は、やはり理系人間、技術の世界で生きてきた人間だな~とつくづく。それはそれで楽しい人生だったけど。。。
                                                                                                                                            
                                                                                                                                           
小説「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」
プレートの右下に「松子書」とあるが「松子」は潤一郎の奥様
父親は活版印刷所を経営していたが、経営不振で売却。
家業は楽ではなかったため親戚から学資援助を受け、東京帝国大学に進学するも授業料が払えず退学。
その後、永井荷風に称賛され、文壇デビュー。
「幼少時代」に日本橋人形町で過ごした幼少期を回想している。
昭和33年と昭和35年にノーベル文学賞候補に上がった。
昭和40年、79歳で死去。
                                                                                                                                      
                                                                                                                                            
この谷崎潤一郎の生誕の地のあやかってのことがわからないが、そのプレートの貼ってあるビルには、しゃぶしゃぶと創作料理のお店で「谷崎」というお店が・・・(笑)
                                                                                                                                             
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西郷隆盛 屋敷跡
                                                                                                                                         
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ここは探すのにすごい苦労した~~~。もう何回もあたりをウロウロ。人に聞いてもわからない。結局、このプレートに書いてあるだけ、ということだった。(笑)そりゃわからいないよね。この跡には、いまは幼稚園が建っていました。
                                                                                                                                          
明治6年に征韓論に敗れて鹿児島に帰るまでの約2年間、ここに住んでいた。2600坪もある広い屋敷には書生を15人、下男を7人雇い、猟犬数頭を飼っていた。西郷は日本橋の『千疋屋』を贔屓にしていてよく西瓜を注文したという。
                                                                                                                                             
                                                                                                                                           
                                                                                                                                        
勧進帳の弁慶像
                                                                                                                                        
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甘酒横丁をず~っと歩いていくと、ちょっと細長い公園らしきスペースが現れて、そこに立っています。
                                                                                                                                           
甘酒横丁のランドマーク的な存在。歌舞伎発祥の地であるということから、象徴的な登場人物である弁慶の像が建てられたそう。
                                                                                                                                            
                                                                                                                                           
この弁慶像に向かうために、甘酒横丁をず~っと歩いていくと、ちょっと吸い寄せられるように気になるお店が。。。
                                                                                                                                            
伝統工芸品 てづくり工房「ゆうま」
                                                                                                                                            
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なんかいかにも人形町そのものという感じでよかったな~。
                                                                                                                                            
人形町の街並みを歩いていると、ほんとうに江戸の下町風情が感じられる独特の雰囲気があって、自分は好きだな~。長いこと人形町を歩いてみたい、という願いがやっと叶いました。
                                                                                                                                             
男色の町。そして歌舞伎小屋、そして浄瑠璃と人形芝居の町。
                                                                                                                                            
まさにそういう感じがする素敵な町でした。
                                                                                                                                          
自分の本性は、やはり洋より和。ブレックファーストよりも朝ごはん、パンとミルクではなく、白米と味噌汁、ハイセンスな都会より、こういう江戸時代の下町風情が残る街並みに親近感を覚えるな~。
                                                                                                                                            
街の景観は緑が豊かなところもいいな、と思いました。
歩道には、かならず植樹されている。
                                                                                                                                              
この日は、本当に雲ひとつない快晴だったので、人形町を歩いていて気持ちよさと目の前に広がる緑あふれる街並みに癒されました。
                                                                                                                                        
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情報引用元:
                                                                                                                                        
中央区観光協会特派員ブログ お勧めの人形町散策コース
                                                                                                                                             
人形町のおすすめ観光・グルメスポット9選!下町情緒溢れる街並みを堪能しよう
                                                                                                                                          
                                                                                                                                      
                                                                                                                                      
                                                                                                                                     
                                                                                                                                     


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新しい渋谷を体感する! Part2 [街歩き]

つぎは渋谷ストリームである。


渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、そして渋谷ストリームは、連絡通路で繋がっているのだが、渋谷ストリームに向かう方面の、その外に出たところの通路が、絶好の写真撮影スポットになっていて、ここからから渋谷ヒカリエや、渋谷ストリームのビルの全景が見えるのだ。


女性の愛好カメラマンらしき方が、一眼レフをこう構えて、そのビル群を撮影している姿は、サマになっていて、カッコいい。自分はその姿を見て、あっここは絶景スポットなんだ!ということに気づいたのだ。


渋谷ヒカリエ


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渋谷ストリーム


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今度は渋谷ストリームである。


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渋谷ストリームは、日本の東京都渋谷区渋谷3丁目に所在する複合商業施設。東急東横線の旧渋谷駅地上駅舎ホーム南部の線路跡地及び周辺地域を再開発して開業した高層ビルである。


低層階はカフェ&レストラン、高層階はホテル、オフィスなどから構成される複合施設である。


オフィスフロアはGoogleの日本法人であるグーグル合同会社が一括で借り上げている。


東京急行電鉄 (現:東急)は東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転による地下化を契機に、高架橋跡地及び隣接する個人地権者との共同で開発事業を進めることを決定し、都から都市再生特別地区の認定を受け、2015年8月に「渋谷駅南街区プロジェクト」として再開発事業に着手。3年余りの歳月を費やし、2018年9月13日、地上35階・地下4階建てのタワーを中核とする複合施設「渋谷ストリーム」を開業した。名称は付近に渋谷川が流れていることから流れや小川を意味する「STREAM(ストリーム)」にちなんだ。




そうなんですよ。渋谷ストリームというのは、カフェ&レストラン、そしてホテル、そしてオフィスの3種類しかなく、ショッピングモール買い物関係はいっさいないです。自分は事前に予習していなかったので、なんか物足りない感じがするな~とは思った。もっとなにかあっていいだろう?てきな・・・。


渋谷ストリームの前には、渋谷川が流れています。ここから小川を意味する上でストリームという名前がついているんですね。


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渋谷ストリームの中に入ると、まずこの空間が現れて、ひたすらカフェ&レストランの飲食関係なんですよね。もうこれが圧倒的。ショッピングモール関係はいっさい出てこない。


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渋谷ストリームは、建物としては、35階建てのかなり大きなビルなのだが、ここはホテルとオフィスが入っているのだ。渋谷の商業ビルは、かならず上階にはオフィスが入るのが鉄則になっていると思うのだが、この渋谷ストリームは、さらにホテル「渋谷ストリームエクセルホテル東急」が入っているのだ。


9-13F  ホテル客室階

14-35F  オフィスエリア


14F~35Fのオフィスエリアは、一括してグーグルの日本法人「グーグル合同会社」が借り上げ、本社を2019年に六本木ヒルズ森タワーから移転したのだそうだ。グーグルの日本法人の拠点はここにあったんですね。


5Fがオフィスエントランスロビーになっていて、グーグルのアイコンを探したのだけど、日曜日でお休みでよくわかりませんでした。


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だからこのホテルとオフィスの分だけで、もうこの商業ビルのほとんどを占めていると言っていい。


1F~3Fが飲食関係で、約30店舗が入っている。


渋谷ストリームとは、そういうビルなのである。


だから正直見どころとしては、1F~3Fの飲食関係しかないと言える。


ちょっとずらっと見て回ったので、写真でご紹介しますね。


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どれも高級なお店ばかりのようでお金は張りそうだな~という印象はもつ。みんないいお店です。


そして、ここから「渋谷ストリームエクセルホテル東急」のエントランス・ロビーに入る。


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7Fなのかな?渋谷ストリームホールというのがありました。


なにか、コンサートを開くとか、そういう音楽関係というよりは、アニメとか、もっとイベント関係のホールのように思いました。


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とにかくこの日は、なにも用意してこなかった。事前に予習もあまりしていない。こうやって渋谷駅にある地図掲示板を逐次確認しながら、その商業ビル群はどちらにある、どっち方面にいけばいい?ということを毎回ここで確認していたのだ。


渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、そして渋谷ストリームは渋谷駅から連絡通路でお互い繋がっていて、案内掲示板もあるので、迷うことはなかった。


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でも今度行く、渋谷マークシティは連絡通路で繋がっているようだが、渋谷フクラスは、連絡通路では行けず、いったん外に出ないといけないようだ。



あらためて、渋谷スクランブル交差点。


毎日30万もの人が行き交うスクランブル交差点。

喧騒。雑踏。多様な人々。

街頭ビジョンに溢れる広告。


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まさに東京を代表する名所中の名所、そして渋谷といえばこのスクランブル交差点。外国人の中でとりわけ人気No.1なのが、この渋谷のスクランブル交差点なのだ。


日本を訪れた外国人観光客のうち、なんと約4割が渋谷のスクランブル交差点を訪れるといわれている。この交差点でカメラを構えている外国人がじつに多いことがよくわかる。


数字的に見ても、渋谷のスクランブル交差点を渡る人々は、1回の青信号が瞬く間になんと3000人におよぶといわれていて、もちろん時間帯によって数は変わるが、3000人収容のイベントホールなどを連想すると、それがかなりの規模であることがわかる。


しかも、それだけの人が一斉に動いているわけだから、見慣れた日本人にとっては驚きの光景ではないにしろ、外国人にとってはアメイジング!ということになるらしい。(笑)


そして、1日に換算すると渋谷のスクランブル交差点を行き交う人の数は、30万~50万人になるのだそう。そんな巨大な交差点を誰に頼るでもなく、ぶつからず、交差点を渡り歩くことができるのは日本人ならではの「譲り合いの精神」に基づく「高等テクニック」と思われているらしいのだ。(笑)



ここまで多くの人々が軽やかかつスムーズにスクランブル交差点を渡りきることができるわけだから、日本がスクランブル交差点を生み出したと思っても不思議ではあるまい。


ところが、スクランブル交差点を初めて生み出したのは「カナダ」「アメリカ」なのである。


しかし、まさかカナダ人やアメリカ人も、東京・渋谷にここまで巨大な交差点ができるとは思ってもみなかったというのが本当のところのようだ。


まさかの元祖超えというところであろうか?




外国人観光客を案内する機会があったら、おすすめしたいスポットがある。

それは渋谷駅と渋谷マークシティをつなぐ「連絡通路」。


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人々が行き交う全体像を撮るには、高い位置から撮影するのがおすすめであるが、マークシティをつなぐ連絡通路なら、俯瞰的に撮影できるはず! 何より、通行者の邪魔にもならず安全を確保できる。


また、外国人観光客が楽しみにしているのが「雨」の日らしい。その理由は、高い位置から見ると交差点上に色とりどりの傘の花が開き、さらに迫力のある風景が撮れるから。


せっかくの観光地めぐりが雨だと残念がるケースも多いが、スクランブル交差点にいたっては特別のようである。


スクランブル交差点を熱心に撮影している外国人の多くが、混雑している場所でも秩序を保って動くことができることに、とても感心するという。


私たちは普段あまり意識していないことかもしれないが、日本人として大事にしたい風習でもある。



その渋谷スクランブル交差点から、渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、そして渋谷ストリームを臨む。


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写真の左側から右側へ、渋谷ヒカリエ、そして渋谷で1番高い渋谷スクランブルスクエア、そしてその渋谷スクランブルスクエアの後ろに隠れるように、ほんのちょっと姿が重ねて見えるのが、渋谷ストリームである。


そして一番右側にある大きなビルが、今年2023年11月30日に竣工予定といわれる「渋谷サクラステージ」である。もうビルはこういう感じで、全部出来上がっているのだ。あとは、店舗テナントなどの内装関係の準備なのでしょうか。


驚きべく渋谷再開発のスピード化である。


そして、このアングルからず~っと右側に渋谷マークシティがある。


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渋谷駅と渋谷マークシティは、長~い長~い連絡通路で繋がっており、自分はいつも小田急の梅が丘の美登利寿司に行くときとか、下北沢にスープカリーを食べに行くときは、井の頭線を利用するので、この長~い長~い連絡通路を渡って行く。


この連絡通路から、スクランブル交差点を眺めると最高らしい。

今度試してみます。雨の日がいいのかな?(笑)


渋谷フクラスは、高階のビルではないので、ここからは見えないし、連絡通路では繋がっていない。もうこれは歩いていくしかないだろう。


・・・ということで、つぎに目指すは、渋谷マークシティである。


渋谷マークシティは、東京都渋谷区道玄坂一丁目にある、株式会社渋谷マークシティが運営する複合商業施設である。京王井の頭線の渋谷駅や商業施設、ホテル、オフィス、バスターミナルなどの機能を有する。2000年度グッドデザイン賞受賞(建築・環境デザイン部門)。


「イースト」(EAST=東)と「ウェスト」(WEST=西)の2棟のビルからなり、東京地下鉄渋谷駅構内側線(渋谷車庫)、京王電鉄渋谷駅に跨って建てられている。


上階はホテル(渋谷エクセルホテル東急)、オフィスで占領されている。


Eastはホテル棟で、Westがオフィス棟だそうである。


Eastのホテルは、5 - 25階部分。客室は全408室

Westのオフィスは、11 - 23階部分。オフィスロビーは5階である。


あと、これは当日はわからなかったけれど、バスターミナルもあるんですね。


1F~4Fのところかな?ここに飲食関係街が集中しています。そして1Fと2FにはFOOD SHOWがあり、スーパーみたいな生鮮食品を販売している。長年東急百貨店東横店東館で営業していた食品売場が、2013年3月の東館閉鎖に伴い、EAST地下1階に同年4月4日移転オープンした。地下連絡通路を通じて、東横店地下1階の「TOKYU Food Show(東急フードショー)」と一体運用となっていたそうである。


施設は1994年に着工し、2000年4月7日にオープンした。渋谷は若者の街として知られているが、その中でもあえて『オトナ発信地』をコンセプトとして、渋谷で生活する20歳代後半以上の女性をターゲットに設定した。渋谷マークシティのオープンは渋谷駅周辺の人の流れを変えたといわれた、とも言われたそうである。


自分はやはり渋谷マークシティを意識するのは、井の頭線を使うときですね。このとき、かならず併立しているマークシティが嫌が上でも目に入ってきます。


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また、以前日記で紹介した、自分が馴染みで通っている英国パブ「ホブゴブリン 渋谷店」もこの渋谷マークシティのすぐその目の前の向かいにあります。


この英国パブはよく行くんだよね~。

イギリス人がオーナーの本格的な英国パブ。

2004年創業というから、かなり昔から有名なパブだと思います。


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英国ビールハーフパイントに、フィッシュ&チップスや日曜日のサンデーローストの日にはローストビーフ。よく通ってますよ。(笑)


難なのが、BGMがヘビメタ、ハードロックなんだよね。(笑)うるさくてうるさくて。でも、お客さんの大半は、ほとんどイギリス人。日本人はほとんどいない。渋谷在住のイギリス人が、みんな集まって来て、同じイギリス人同士、思う存分英語を話してスッキリする、そんな憩いの場所のような感じでした。みんな仲良かったよ。日本人彼女で男イギリス人というカップルも多かった。


自分はここ、よく出没しますよ。周りの会話が、全員英語なので、外国にいるような感覚になれるし、かなり本場のイギリス、ロンドンのパブに似ているので、自分は愛用しています。


この英国パブ「ホブゴブリン 渋谷店」に行くときに、どうしても渋谷マークシティの向かいになるので、意識せざるを得ない。


渋谷マークシティとはそういう商業ビルなので、見せ所としては1F~4Fの飲食関係街のところだと思う。


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ちょっとランダムに撮影した写真を投稿しますね。

やっぱり結構お高いというか、お洒落で気品のあるお店が多かったです。


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銀座ライオンなんかもあります。


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自分が驚いたのは、美登利寿司。こんなところにあったのかぁぁぁああああ~~~。


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美登利寿司といえば、庶民的なお寿司でネタも大ぶりの大人気の大衆寿司店。いつ行っても超満員。自分はやっぱり美登利寿司といえば、絶対本場の小田急線の梅が丘本店まで出かけるのだけれど、じつはこの美登利寿司、渋谷駅構内にもある、という噂やSNS投稿を昔からずっと聞いて知っていて、いつかは行ってみたいと思っていたのでした。


その美登利寿司渋谷店が、まさか渋谷マークシティの飲食街フロアにあるとは!

驚きの発見でした。やはり長蛇の列で並んでいました。

今度行ってみたいと思います。



スープストックTOKYOもあります。


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ここのフランスのパン屋さん&カフェが素敵だったな~。


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1F,地下1Fは、フードショー(FOOD SHOW)です。

生鮮食品売り場であります。スーパーマーケットの大きな感じですかね?


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そして最後に渋谷フクラスに行きます。

渋谷フクラスが一番渋谷駅から遠いかな。連絡通路では繋がっておりません。


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渋谷フクラスは、東京都渋谷区道玄坂一丁目にある高層ビルの複合施設。商業施設、オフィス、バスターミナルなどで構成される。キーテナントは商業施設の東急プラザ渋谷。東急グループの東急不動産が運営する。2019年12月5日開業。



渋谷フクラスは、2015年(平成27年)3月22日をもって閉館し解体された旧東急プラザ渋谷の跡地に建設された。2階から8階には東急プラザ渋谷が入居し、閉館から4年8ヶ月ぶりに渋谷に東急プラザが復活した。


渋谷フクラスは「大人をたのしめる渋谷へ」をコンセプトとしており、旧・東急プラザ渋谷と同様、ターゲットとする客層の年齢層は高め(40代以上の中年からシニア層)である。


そうなんですよ。この渋谷フクラスというのは、昔の東急プラザ渋谷のあったところです。自分は視力が悪く、メガネを作らないといけないときは、かならず渋谷駅前のメガネドラッグだったかな?そこでメガネを作っていました。もう前職時代ずっとそこで作っていました。もうかなりの年数お世話になってました。ところが閉店になり、その個人のメガネデータは、東急プラザ渋谷の中にあるメガネ屋さんに引き継ぐということになったのです。


それでそのメガネ屋さんに用事があって、結構な回数、その東急プラザ渋谷に通ったことがあります。ずいぶん立派なデパートでした。


それが今回の渋谷再開発計画で、その東急プラザ渋谷が閉館となり、渋谷フクラスに生まれ変わった、ということなんですね。2019年開業ですから、もう出来立てホヤホヤです。



ここには、あのデジタル署名、デジタルサイン、電子契約などインターネットインフラ全般のビジネスを司っているGMOがオフィスとしてここに入っていました。GMOはここにあったんですね。


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GMOデジタル美術館という展示もありました。


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渋谷フクラスは、フロアスペースが直方体ではなく、ちょっと流線形の細長い半円弧を描くフロア形状でオシャレ感覚を醸し出しています。渋谷フクラスは、40代以上の中年からシニア層がターゲットだとか。。。確かに大人の雰囲気を漂わせてはおりました。


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以上で、渋谷再開発計画・実践編。自分でじかに渋谷、渋谷駅周辺の進化を体感してこよう!はお終いです。


もう圧倒されました。なぜ従来の百貨店・デパートではダメなのか?それは先の日記でも述べた通り、この世界は、つねに時代のトレンドに合った場や空気、雰囲気を周期的に一変する必要があるからだと思います。


いつまでも同じじゃダメなんですね。その時代、その時代に合わせて衣替えをしていかないといけない。そういうビジネスのやり方をする世界なんだと思いました。


でもこれはべつにこの世界だけのことではありませんよね。我々技術の世界でも、世界の日々の技術の核心、流れはめちゃめちゃ速いです。うかうかしているとあっという間に置いてきぼりを食らって、うちの会社閉業ということになりかねません。つねに最先端の技術の流れ、動き、マーケット、他社動向などをウォッチしながら自分の会社のかじ取りをしていかないといけません。


これはどの業種、ビジネスでも同じことが言えますね。


でも今回のこの渋谷再開発計画のことを、ちょっと自分で勉強してみよう、ということで始めたシリーズでしたが、改めて東急グループの大きさ、巨大さ、パワフルさ、東急電鉄はじめ、この渋谷に影響を及ぼしている、そしてこの渋谷再開発計画を実質イニシアティブをもって誘導している、この影響力の大きさにもうびっくり驚きを隠せざるを得ません。


東急グループとは何者なのか?

かなりビッグな巨大企業体のように感じます。


自分はいまのおらが街に住んでもう30年近くですが、それ以来ずっと東横線ユーザーです。

東横線に乗って渋谷に出る。


東横線はまた改めて日記にしたいと思っていますが、東急の電車、東急電鉄です。東急線の各駅には、かならず東急ストアのデパートがあります。


自分はおらが街のとなりの駅の東急ストアでは、和食のご飯が食べたくなったときは、この東急ストアの大戸屋でかならずご飯を食べますし、ドコモショップもこの東急ストアに入っているお店を使っています。


いわば30年間、ずっと東急グループの傘下の中で暮らしてきたようなものです。べつにそれを不思議とは思わなかったし、たまたまそうだった、というだけではありますが。


電車というのは不思議で、各路線のその車両の中の雰囲気は、それぞれの路線でぜんぜん雰囲気違いますね。その路線の車両に乗ると、あ~オレはいまここにいるんだな、あの時代のことをよく思い出す、てな感じになります。


小田急や井の頭線の車両に乗ると、上京したての新人時代をどうしても思い出します。東横線はいまのリアルタイムなのです。銀座線とか南武線は、サントリーホールとかミューザ川崎に通うので、これもいまのリアルタイムなのです。


北海道の札幌の地下鉄南北線に乗ると、あ~オレはいま北海道にいるんだな~と実感します。このように路線の車両って、ほんとうに雰囲気がそれぞれの車両で違っていて、それに乗ると、その状況に自分の精神状態がフィードバックするのです。


自分は首都圏の路線の中では東横線がいちばん大好きです。いちばん明るい感じがします。そしていちばん年数を乗ってきた路線でもあります。


まっ東横線のことは、また別日記でゆっくりとお話ししたいと思います。


東急グループは、ほんとうに巨大な企業体。不動産までやってるし。いまはとてもその全貌を理解することはやりませんが、自分の頭にゆとりが出てきたら、改めて勉強したいとは思います。


今回のこの渋谷再開発計画では、この東急グループによって、大きなイニシアティブ、主導権を握って進められているプロジェクトなのだということは、今回の勉強で理解できたと思います。








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新しい渋谷を体感する! Part1 [街歩き]

渋谷再開発計画はどのように進められているのかは、よく理解できた。あとは自分で直接見て回らないとダメだろうと考えた。東横線に乗るために、渋谷ヒカリエ改札を使うにしろ、いつも渋谷ヒカリエや渋谷スクランブルスクエアの目の前を通るだけで、1回も入ったことがないのでは、とやかく言う資格はない。
                                                                                                                                              
渋谷、渋谷駅周辺がどんなに進化を遂げているか、じかに体感してみないとダメである。
                                                                                                                                             
渋谷駅周辺の再開発はこのような感じで進められている。
                                                                                                                                           
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渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、渋谷フクラス、そして渋谷マークシティのショッピングモール、商業ビル群が渋谷駅を囲む感じで一帯を形成している。
                                                                                                                                             
これを1日で全部廻って観てきた。
                                                                                                                                              
これから写真日記のオンパレードになるが、その前に結論を端的に言おう。
                                                                                                                                             
ショッピングモール、商業ビル、カフェ・レストランというのは、いわゆる百貨店、デパートの類と何が違うのだろう?そこにはなんら新しい要素、驚きの要素がないのではないか、と自分は考えていたのだけれど、その考えを改めたい。ひと通り廻ってみて、確かにやっていることは、ショッピングモールなのかもしれないけど、やはり新しい風、雰囲気というかその時代、時代に合ったトレンドのような雰囲気・空気とか装いが必要で、何年か周期で場を一新しないとダメな世界なんだろうな、ということがわかった。
                                                                                                                                             
老舗デパートも確かに味わい深いけど、売るものは変わっても、場の雰囲気がいつまでもずっと変わらないでは、この世界やっぱりダメなんだろうな、という感じである。この世界、やっぱり場の雰囲気、空気を何年か周期で変えないとダメなのである。
                                                                                                                                               
渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、渋谷フクラス、そして渋谷マークシティとひと通り廻ってみて、まず感じたのはとてもピカピカに新しくていまの時代、トレンドに合っている感じがすること。そして空気、雰囲気が新鮮でいいので、必然と誘い込むように人の流れが出てくること。すごい活気づいていること。
                                                                                                                                              
これはやはり一新していまの時代に合ったものにしているから、人が寄ってくるんだろうな、とつくづくそう思いました。そういう新しいショッピングモール、商業施設ができましたよ~、というアナウンスとともに、人の流れが出てくる。もちろん人の動線も考慮した都市設計をする。
                                                                                                                                            
いつまでも変わらない、はなかなかビジネス的に難しいものがあるのだろう。もちろん記念的な建築物とかそういう貴重さもあるけど、そこはいつも争いの根源になりますね。
                                                                                                                                            
なんか、そのような勢いのようなものを感じました。
                                                                                                                                             
あと、これらの商業ビルの上階は全部オフィスになっていることですね。若者カルチャーの発信源の街だった渋谷が、オフィス、そしてショッピングモールと変貌していくと、やはり対象年齢層は高齢にシフトしていくことはやむを得ないと考えます。
                                                                                                                                           
でも、もう驚きとしかいいようがなかったです。
煌びやかで華々しかったです。
                                                                                                                                            
40年前からずっと渋谷は首都圏への交通のブリッジとしてずっとお付き合いしてきた街だけれど、あの頃の渋谷、東横線、いまでもよく覚えていますよ。あの頃からすると、もう激変と言っていいほど変わりました。ずっと付き合ってきて感慨深いものがあります。
                                                                                                                                             
そんな渋谷、渋谷駅激変ぶりの写真日記をお届けしたいと思う。
                                                                                                                                             
昔の渋谷、東横線は、”東横線”というタイトルでまたひとつ日記を書こうと思っているので、そこで懐かしのあの時代の写真を持ち出したいと思う。あの時代の東横線渋谷駅は、よく覚えていますよ。(笑)あの頃は東横線は地上にありました。
                                                                                                                                            
渋谷駅の激変は、なんといっても、渋谷ヒカリエ改札の整備と、そこに向かう大規模なエスカレータ群が整備されたことであろう。ここの大きな幹線が出来てから、各路線に向かうための動線が非常にスムーズになったような気がする。
                                                                                                                                             
渋谷ヒカリエ改札
                                                                                                                                          
自分の使っている改札です。東横線です。もちろん東横線以外にも副都心線、田園都市線、半蔵門線とかいろいろあります。副都心線はラーメン一番に行くときに使う路線です。
                                                                                                                                            
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この渋谷ヒカリエ改札に向かうために、3F/2Fと何重にもエスカレータを乗り継いでいかないとダメであり、このエスカレータの大幹線は、渋谷スクランブルスクエアと併立する感じで位置している。この写真はJR線、いわゆる地上から観た図である。銀座線は、さらにその上階にある。銀座線は、サントリーホールや京都銀閣寺ますたにに行くために使う路線である。
                                                                                                                                              
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JR線のある地上からさらに1F下がっていくと、大きな電子スクリーンが登場する。この連絡通路をまっすぐ行くと、渋谷ヒカリエである。
                                                                                                                                              
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まずは渋谷ヒカリエを散策。
                                                                                                                                             
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渋谷ヒカリエは、渋谷駅東口に位置する東急文化会館跡地に建設された東急グループの複合商業施設。東急百貨店や飲食店、事務所のほか、ミュージカル劇場「東急シアターオーブ」などが入居している。
                                                                                                                                             
2005年に渋谷駅周辺が都市再生特別措置法に基づく特定都市再生緊急整備地域に指定されて以降、同地域では東急東横線地下化に伴う複数の大型開発プロジェクトや区画整理事業(渋谷駅街区土地区画整理事業)が進められている。
                                                                                                                                             
そのトップバッターとして開業したのが、渋谷駅東口に竣工した高層複合施設・渋谷ヒカリエなのである。
                                                                                                                                            
渋谷再開発ではいちばん歴史が古いトップバッターだったんですね。
                                                                                                                                             
また明治通りの向かい側にある渋谷スクランブルスクエア(東棟)とは連絡橋を介して行き来する方が可能である。渋谷における情報・文化の発信拠点として、渋谷の新たなランドマークとなることが期待されている。
                                                                                                                                              
当初は仮称として「渋谷新文化街区プロジェクト」あるいは「(仮称)渋谷二丁目21地区開発計画」と呼ばれていたが、正式名称を「渋谷ヒカリエ」とすることが2010年4月14日に発表された。2009年6月30日に着工となり、2012年3月に竣工した。
                                                                                                                                              
自分は申し訳ないですが、渋谷ヒカリエまったく縁がなかったです。(笑)つい先だって、11Fのミュージカルシアターの東急シアターオーブに初めて入ったくらいですから。
                                                                                                                                              
地上34階、地下4階です。
                                                                                                                                             
そのうち上階の17 - 34階はオフィスです。
5階くらいまではショッピングモールですね。
                                                                                                                                              
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6F/7Fは柴田陽子プロデュースのカフェ・ダイニングになってます。
                                                                                                                                             
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8Fはヒカリエホールになってます。
                                                                                                                                             
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11Fはミュージカルシアターの東急シアターオーブ。ここで先日、ブロードウエイミュージカルの「ウエストサイドストーリー」を観劇しました。
                                                                                                                                             
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このフロアには渋谷再開発計画の模型が飾られているのです。
                                                                                                                                             
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つぎに渋谷スクランブルスクエア。これはエスカレータの大幹線のすぐ横に位置しているめちゃめちゃデカいゴージャスな商業ビルである。
                                                                                                                                              
渋谷ヒカリエ改札を出た瞬間にもうその入り口がゴージャスに出迎えてくれる。
                                                                                                                                            
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渋谷スクランブルスクエアは、渋谷駅に直結した複合施設型超高層ビル(駅ビル)。東棟はセルリアンタワーを抜いて渋谷エリアで最も高いビル。東急(旧・東京急行電鉄)・JR東日本・東京メトロの3社の共同開発によって誕生した。1日の利用者数が約330万人を誇る渋谷駅に直結した大規模複合商業施設であり、商業施設、オフィス、交流スペース、展望施設などで構成される。
                                                                                                                                              
東棟ですね。
                                                                                                                                              
46Fまであります。渋谷で最大に高いビルです。2019年に開業ですから、まだできたてホヤホヤです。自分も東横線乗るためにエスカレータの大幹線に乗っているときに、つい最近できた印象しかないです。
                                                                                                                                             
                                                                                                                                              
17-44Fはオフィスです。46Fには、Shibuya Skyという展望施設があります。これがスゴイんだ!!!あとで説明しますね。
                                                                                                                                                
自分は、渋谷再開発計画の商業ビル・オフィスの中で、いちばんスゴイと思ったのは、間違いなくこの渋谷スクランブルスクエアです。商業施設、ショッピングモールのスケールの大きさ、ゴージャスさなど、一番凄かった。まちがいなく渋谷最大のランドマークタワー的な存在になると確信しました。
                                                                                                                                           
商業施設、ショッピングモールは14Fまであります。
                                                                                                                                                
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この渋谷スクランブルスクエアの最大の魅力は、自分は46FにあるShibuya Skyという展望施設だと思います。
                                                                                                                                           
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当日まで、自分はその存在は全然知らなかったのですが、なにせ展望台大好き少年ですので、せっかくあるなら、ぜひ登ってみたい。屋上から渋谷の街を一望したいと思ったのです。
                                                                                                                                             
Shibuya Skyに行くには、まず14Fまで上がる必要があります。
展望台行特別エレベータというのがあります。もうすごい大人気です。
                                                                                                                                             
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14Fに到着するとShibuya Skyに到着します。
                                                                                                                                              
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ここでチケットを購入します。
                                                                                                                                           
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自分は行き当たりばったりだったので、ここで当日券を買いました。でもふつうはネットで事前に買っておくものみたいです。スタッフに、すぐに当日券は売り切れますので、急いでください、と言われました。案の定、自分が買った後にすぐに本日のチケットは完売しました、とアナウンスが出ました。お昼の12:30頃のことです。
                                                                                                                                           
やっぱり事前にネットで買うことですね。
                                                                                                                                             
                                                                                                                                          
Shibuya Skyのコンセプトです。
                                                                                                                                            
展望せよ。渋谷。世界。自分。未来。
                                                                                                                                             
毎日30万もの人が行き交うスクランブル交差点。
喧騒。雑踏。多様な人々。
街頭ビジョンに溢れる広告。
そんないつもの風景から、空の舞台へ。
                                                                                                                                                
上空で聞こえる、渋谷の街の息遣い。
その先に広がる、まだ出会ったことのない世界。
視ることに、新しい物差しが与えられたとき、
初めて意識する自分。
新しいあなたの視点を、未来に。
                                                                                                                                        
ここから、すべてを、展望せよ。
                                                                                                                                           
カッコいい~~~。(^^;;
興奮を覚え、ドキドキしてきます。
                                                                                                                                         
14Fでチケットを買ったら、チケットは30分間隔での観覧チケットですので、自分の時間帯に来たら並びます。そのとき、14Fの屋内から下の渋谷の街並みを観ることも可能です。
                                                                                                                                           
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そして14Fから46Fに行くための最終の特別のエレベータに乗ります。いわゆるオフィス階を一気にぶっ飛ばして屋上に行くエレベータですね。
                                                                                                                                             
このエレベータがすごい洒落ているのです。
ぐんぐんと上に上がっていくにつれて、室内の照明がいっせいに落ちて、天井にこんな模様が現れて、いまエレベーターが屋上に向かってどんどん上がっているんだというデモ効果をサービスするのです。
                                                                                                                                            
これは凄かった~。
                                                                                                                                              
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そしていよいよ屋上です。
屋上に出るときは、ロッカーに荷物を全部預けます。スマホやデジカメなどの撮影機器だけOKというルールです。
                                                                                                                                          
                                                                                                                                          
なんか高所恐怖症で怖かった~。(笑)
意外や落下防止の透明の壁の高さが意外やそんなに高くないような・・・
この日はすごい風が強かったので、尚更怖かったです。
                                                                                                                                               
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ここは、Shibuya Skyのインスタの撮影スポットみたいですね。
みんな行列で順番待ちで、こうやって撮影していました。
                                                                                                                                             
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でも自分は最高だと思ったのは、なんとも言えない開放感があることです。すごいいっきに何もかもがなくなる感じで、障壁がいっさいなくなる。とつぜん解き放たれるような感じで、すごい気持ち的にスカ~とするというかすごい解放感です。気持ちいい~。空気が美味しい~、ってな感じです。
                                                                                                                                             
この屋上から見る渋谷の街は最高でした。
                                                                                                                                              
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これはきっと夜の夜景を観たほうがずっと綺麗で感動するな、と直感で思いました。よし!今度来るときは、深夜帯のチケットを事前にネットで買おうと思いました。そしてすでに購入済みです。
                                                                                                                                              
そうしたら、Shibuya Skyさんのインスタでこんな投稿が・・・。
                                                                                                                                             
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夜景と言っても、これくらい夕暮れ時のほうが綺麗なんですね。
このくらいのイメージのほうがオシャレですよね。
                                                                                                                                       
そうだったんだ・・・。
もっと早くに投稿してください~~~。(笑)
                                                                                                                                      
自分はもっと深夜帯の真っ暗の時にチケットを買ってしまいました。(笑)
                                                                                                                                             
                                                                                                                                             
                                                                                                                                           
屋上を堪能したら、つぎに屋内です。
展望台と言うことは、ほんとうの外気に触れる屋上ということと、屋内の屋上という2つの意味があります。その屋内の屋上という意味です。
                                                                                                                                           
ここはSKY GALLEYという展示ルームがあります。
ここから渋谷の街を展望できる以外に、部屋内に写真が飾られています。
                                                                                                                                               
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この写真がすごいカッコよくてお洒落なんだ~。
いかにも渋谷、SHIBUYA,Shibuya・・・という感じじゃないですか。若者カルチャーの渋谷は死んでない、という感じです。自分はこの写真のセンスにすごく感動しました。カッコいいです。
                                                                                                                                           
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渋谷、Shibuyaはやっぱり”少女”なんですよ。大人の女性じゃダメなんです。
このAgeの女性だからこそ、Shibuyaなんだと思うな。
                                                                                                                                               
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そして屋内から見る渋谷の街。
                                                                                                                                          
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この屋内の屋上には、ルーフトップバーと言って、バーの施設があります。
ここは予約制です。ドリンクもあるんじゃないかな。
                                                                                                                                          
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この屋内の屋上には、お土産屋さんもありました。
                                                                                                                                            
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このShibuya Skyは最高だと思います。この渋谷スクランブルスクエアの中で一番の売りのポイントだと思います。
                                                                                                                                           
夜景の渋谷、楽しみです。










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渋谷再開発計画 [街歩き]

いつ行っても工事中の渋谷。(笑)まったく迷路のようで、開発責任者出てこい!と叫びたくなるような渋谷駅構内。もう何年前からだろうか。。。渋谷駅はずっと工事中が続いている。渋谷の再開発計画が進んでいるからだ。


国、東京都は渋谷をどうしたいのか?


先日の日記で、渋谷再開発計画をちょっとチクっと皮肉ったものの、渋谷ヒカリエとか渋谷スクランブルスクエアとかまったく入ったことのない分際で、単に批判だけするのはフェアじゃないと思った。


自分はすぐにその翌日、渋谷駅周辺の都市開発の象徴である渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、渋谷フクラスを全部見て回ってきた。


もう驚きとしか言いようがなかった。

もう圧倒されてしまったと言っていい。

まさに驚異の世界がそこに存在していた。


いつも目の前を素通りして、そのまま渋谷ヒカリエ改札から東横線に乗っていたオレ。まったくその秘かに進んでいた街の進化を知らなかった。


オレの知っている若者カルチャーの発信源の渋谷は遥か彼方の遠きにありけり、である。


渋谷はどう変わろうとしているのか。

まずはそれを理解する必要があるのではないか?


渋谷再開発計画をまず勉強しよう!


ここが今回の目的とするところだ。


”渋谷再開発計画”を勉強しよう!


である。


もちろん先日、渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、渋谷フクラスを全部見て回ったときに撮影してきたたくさんの写真や感想、経験談は、これはまた別途、”渋谷再開発計画 実践編”として後日お届けしたい。



渋谷駅周辺開発プロジェクトのコンセプトを確認しておく。


まさに100年に1度の渋谷の大改革。国や東京都も関わっているだろうが、主導権を握って進めているのは東急グループだ。(もちろん東京都主導のプロジェクトもある。)


渋谷駅周辺では、東急グループが2000年代に加速させた「100年に1度」と言われる大改造の主要プロジェクトが2020年までに次々竣工。同グループは「第1フェーズがおおむね完了した」と位置付けている。


そのなかで東急グループは、渋谷駅中心の半径2.5kmエリアを対象に「Greater SHIBUYA(グレーターシブヤ)」と呼ぶ広域圏を設定。長期的な視点で街をブランディングする取り組みを続けてきている。2021年7月、それまでの活動を「1.0」と位置付け、改めて「2.0」にバージョンアップしたコンセプトを公表した。


1.0段階では、スタートアップ支援などによる新たなビジネスの創出や、エンターテインメントの集積を強調していた。2.0で比重が高まるのは、「暮らす」というキーワードだ。「『遊ぶ』という渋谷最大の強みに、充実したオフィスが加わった。しかし、比較的近くに“住”の要素がある街なのに行き来は少なかった。それらの間の関係を強めたい」(東急渋谷開発事業部開発計画グループまちづくり戦略担当課長補佐の松原未佳氏)


東急グループは、これまで「エンタテイメントシティSHIBUYA」と「広域渋谷圏(GreaterSHIBUYA)構想」の2つのビジョンを掲げ、新しいビジネスの創出や、さまざまなエンタテイメントの集積、世界の人々を常に惹きつける街を目指し、渋谷駅周辺における再開発の推進や、官民一体で組成した「渋谷駅前エリアマネジメントの活動」や、地域イベントへの参画・協力など、さまざまな分野において関係者と協力して、駅の利便性・快適性とともに、自然の潤いと憩いが感じられる、居心地の良いまちづくりに取り組んできた。


今後はこれまで掲げてきた2つのビジョンをより強化し、「働く」「遊ぶ」「暮らす」の3要素の融合と、その基盤となる「デジタル」「サステナブル」に取り組むことで、相乗効果を生み出し、渋谷でしか体験できない「渋谷型都市ライフ」の実現を目指していきます。


・・・だそうです。(滝汗)


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渋谷駅周辺エリアでは、100年に1度とも言われる大規模再開発が進んでいる。渋谷ヒカリエ、渋谷ストリーム、渋谷ソラスタ、渋谷フクラスに続き、2019年に渋谷スクランブルスクエア(Ⅰ期)が竣工した。引き続き、桜丘地区・道玄坂・宮益坂・渋谷二丁目などでオフィスビル・商業ビルの大型開発が予定されているのだ。


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渋谷駅周辺 近年のオフィス・商業ビル開発(竣工/開業年、規模)


2000年 2月 渋谷マークシティ(地上23階・地下1階、高さ約95.55m ※オフィス棟)

2001年 5月 セルリアンタワー(地上41階・地下6階、高さ約184m)※2

2012年 4月 渋谷ヒカリエ(地上34階・地下4階、高さ約182.5m)※3

2018年 8月 渋谷ストリーム(地上35階・地下4階、高さ約180m)※3

2019年 3月 渋谷ソラスタ(地上21階・地下1階、高さ約107m)※3

2019年11月 渋谷フクラス(地上18階・地下4階、高さ約103m)※3

2019年11月 渋谷スクランブルスクエアⅠ期(地上47階・地下7階、高さ約230m)

2020年 6月 MIYASHITA PARK(商業棟 地上4階建て/ホテル棟 18階建て)


これがいままでの分。すでに完成されて稼働されている分。いわゆる先日自分が観てきた渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、渋谷フクラスなどのショッピングモール群である。


こんな感じである。新しいビジネスや文化を世界に発信し続ける「エンタテイメントSHIBUYA」の実現と、都市機能の課題解決を目指して、いま9つの再開発プロジェクトを進めているのだ。


先日自分が観に行ってきたのはこのエリア、建物のことです。



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そして以下が、今後これから2023年以降に竣工が予定されているオフィス、商業ビル群である。


2029年まで計画はあるのだ!



渋谷駅周辺 今後のオフィス・商業ビル開発(竣工予定年、規模)


2023年 3月 道玄坂通 dogenzaka-dori(地上28階・地下1階、高さ約118.8m)

2023年11月 Shibuya Sakura Stage 渋谷駅桜丘口地区第一種市街地再開発事業(A1棟 地上39階・地下4階、高さ約179m)

2024年5月 渋谷アクシュ(SHIBUYA AXSH)(地上23階・地下4階建て、高さ約120m)

2026年度 道玄坂二丁目南地区第一種市街地再開発事業(高層棟 地上30階・地下3階、高さ約155m)

2026年度 (仮称)MITAKE Link Park(地上14階・地下2階)

2027年度 渋谷スクランブルスクエア 第Ⅱ期(中央棟・西棟)

2028年度 宮益坂プロジェクト(A街区 地上33階・地下3階建て、高さ約180m)

2029年度 渋谷二丁目西地区再開発(渋谷二丁目プロジェクト)(B街区 地上41階・地下4階、高さ約208m)


ではこれから2023年以降の渋谷駅周辺にさらにどのようなものが建てられていくのか、紹介していこう。


1.Shibuya Sakura Stage 渋谷駅桜丘口地区第一種市街地再開発事業(2023年11月30日竣工予定)


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渋谷駅南西部一帯の大規模開発。A街区にはオフィス主体の2棟が竣工予定。動線をつなぐ歩行者デッキの整備や、国際競争力強化に資する複合施設の整備、防災機能の強化などを担う、渋谷駅周辺の再開発と連携した大型都市再生プロジェクト。2023年2月9日、施設名称「Shibuya Sakura Stage」の決定が発表された。


これは先日自分が行ったときは、すでにビルは建っていた。渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、そして渋谷ストリームと並ぶ形で、おおよそビル完成の感じである。これがまさしく「渋谷サクラステージ」なのだろう。




2.道玄坂通 dogenzaka-dori(2023年3月)


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渋谷文化村通りに面す、ドン・キホーテ跡地とその裏の一帯の、大規模複合開発。地上28階・地下1階建てのタワー高層階11~28階には、外資系ライフスタイルホテル「ホテルインディゴ東京渋谷」を誘致。2階から10階が1フロア約526坪のオフィス、1・2階はショップ等で構成される予定。 大規模な敷地の中を通り抜けできる導線により“道(みち)”がきり拓かれ、街の新たな回遊空間が誕生する。


これはまさにいまやってますよね。あの渋谷文化村のところの東急デパートでしたっけ?閉店になりましたし、あの文化施設、自分は芸術系の映画館でずいぶんお世話になりました渋谷Bunkamuraもしばらく休業になりますよね。それがこの道玄坂通、渋谷文化村通りに面する大規模開発なのである。



3.道玄坂二丁目南地区第一種市街地再開発事業(2026年度)



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道玄坂の左手側、新大宗ビル1号館(1964年竣工)、新大宗ビル3号館(1971年竣工)など計7棟のビルを含む0.8haもの敷地の大規模再開発。オフィス中心の高層棟と、ホテル中心の中層棟で構成され、隣接する「渋谷マークシティ」とも接続。ホテルは、ラグジュアリーブティックホテル「トランク ホテル(TRUNK(HOTEL))」に決定。




4.(仮称)MITAKE Link Park(2026年度)


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東京都児童会館跡地と、隣接する渋谷区役所旧第二美竹分庁舎及び渋谷区立美竹公園の一体的な開発。東京都と渋谷区が誘導する創造文化教育施設等とともに、民間複合施設を整備・運営するPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)事業として注目される。



5.渋谷スクランブルスクエア 第Ⅱ期(中央棟・西棟)2027年度


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2019年11月に開業した渋谷スクランブルスクエア(第Ⅰ期(東棟))は、地上47階・約230メートルの規模を誇り、渋谷の新たなランドマークとなっている。第Ⅱ期は、現在のJR渋谷駅の真上の中央棟(地上10階・地下2階、高さ約61m)と、東急百貨店東横店の跡地周辺の西棟(地上13階・地下5階、高さ約76m)が計画されている。




6.渋谷アクシュ(SHIBUYA AXSH)(仮称)渋谷二丁目17地区市街地再開発事業(2024年5月)


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渋谷ヒカリエに隣接し青山通りに沿う一帯に地上23階建ての複合施設が誕生予定。 ガラス張りの印象的なファサード。5階~23階は、1フロア約400坪の環境負荷軽減対応型ハイグレードオフィス、1階~4階の低層部は、商業施設が計画されている。渋谷駅とつながる多層の歩行者ネットワークや広場も整備され東口エリアの利便性向上が目指される。



7.宮益坂プロジェクト(2028年度)


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渋谷駅東口すぐ、宮益坂下の交差点の道路を挟み左右にわたる、延べ20万m2の大規模複合開発。明治通りにも隣接するA街区には地上33階・地下3階建て・高さ180m2・延床191,150m2の大規模複合タワーとなる。


上層階に国際水準のホテル、中~上層に事務所、低層階には多様なイベントに対応するホールや商業施設、産業育成支援施設などが設けられる。現りそな銀行等が立地する、ヒカリエ隣接のB街区は商業ビルとなり、A街区とデッキで接続予定。計画概要によると、2024年度着工、2028年度竣工予定とされている。




8.渋谷二丁目西地区再開発(渋谷二丁目プロジェクト)2029年度


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渋谷駅東側の青山通りや六本木通りなどに面した区域面積約2.9ha・敷地面積は約18,800m2もの大型プロジェクト。「Shibuya REGENERATION Project」と称され、渋谷エリア最大規模の再開発となる。宮益坂上のA街区には独創的な上空広場。B街区には地上41階建てのオフィス・ホテル大規模複合タワーが誕生。 各街区はデッキで接続され、渋谷駅から周辺市街地へつながる歩行者ネットワークも創出される。本体着工は2025年度、2029年度竣工の予定。



・・・・・・・


どうよこれ?(笑)


いつも工事中の渋谷駅周辺どころか、2030年あたりまでずっと工事中続くらしいですよ。(笑)


いったい渋谷をどうしたいのか?



コンセプトは「エンタテイメントシティ SHIBUYA」を実現し、渋谷を「日本一訪れたい街」にすること。ここで肝になるのが「Greater SHIBUYA(広域渋谷圏)構想」である。



●Greater SHIBUYA(広域渋谷圏)構想


渋谷駅から半径2.5キロ圏内をGreater SHIBUYAの範囲とし、「面」として街づくりを進めることで渋谷の魅力向上を図り、より回遊性の高い街にするというもの。「点」から「面」での街づくりが進められる。


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●大きく変わる渋谷の動線


渋谷の再開発はビルが建つだけではない。渋谷は名前の通り、「谷」地形。谷の地形の影響により、これまで渋谷の動線はかなりこみ入ったものだった。そしてその谷に流れていたのが渋谷川であった。


今回の開発では渋谷自体の動線も渋谷川も大きく変わる。すでに東口アーバン・コアや国道246号線にかかるデッキの設置が完了し、移動がスムーズになっている。


都市開発、エリア開発にとって重要なのが、この「動線」という発想だ。


「動線」という発想は、建築や都市における人や物の動きを示す線のこと。方向・頻度・時間的変化などを表示し、建築設計や都市計画の判断材料とする。動線とは、商業施設や都市における人や車の動きを示す線。方向・量・時間的変化などを表示し、出店計画の判断材料とする。。。というように使われるパラメータなのだ。


まさに100年に1度のこの渋谷の大改革によって、渋谷の動線も大きく変わろうとしているのだ。




まさに100年に1度の大改革!


どうりで昔から渋谷駅、渋谷駅周辺はずっと工事中だと思ったのだが、じつはこんなに大それた大改革なのである。ちょっとやそっとでは終わるはずもない。


自分が先日、観てきた渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、渋谷フクラスで最高だと思ったのは、やはり渋谷スクランブルスクエアだと思う。間違いない。やはり出来た新しい順にゴージャスになっていく。新時代の渋谷のランドマーク的な存在になるだろうと推測する。


たしかに外国人、アジア系だけでなく西洋系もすごく外国人観光客が多かった。もう圧倒的なシェアと言っていい。ほとんど外国人観光客ばかりだった。(笑)もうすでにこの渋谷スクランブルスクエアは、そういう渋谷の観光名所、ランドマーク的な存在になっていると言っていい。


とくに渋谷スクランブルスクエアで圧倒されたのは、屋上にあるShibuya SKYである。


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屋上で渋谷を見下ろせる絶景とともに、ビルの屋上の爽快感、外気に触れる爽やかさ、そして高所恐怖症にとっては、かなり怖い感じ。(笑)もちろん屋内からも眺められるようになっていて、屋上にはルーフトップバーと言って、屋上でバーを楽しめたりする。


自分は、渋谷スクランブルスクエアでなにが一番感動したかって、文句なしこの屋上のShibuya SKYである。

これはぜひお勧めである。


これはぜひ夜景の渋谷の街をこの屋上、ルーフトップバーで味わいたいと思い、後日、深夜帯の鑑賞チケットを購入した。これも後日レポートします。


これはあとで詳細に実践編として日記にするので、あまりネタバレはしたくないが、どれもやはり自分にはショッピングモールの粋を脱していないような気はした。昔で言うところの百貨店デパートを、もっと現代風にsophisiticateした、そしてテナントに入っているブランドも最新のブランドであること、こういう点は違うとは思うけど、そこはやはりショッピング、カフェ・レストランのジャンルなのですよね。


まさに現在のこの状態に、さらに2030年までの再開発でさらに商業ビルが立ち並び続けることで、渋谷はかつてないほどの巨大なショッピングモール街、エンターティメントな街という位置づけを揺るぎないものにするに違いない。


渋谷の動線も大きく変わる。


渋谷はまさに生まれ変わるのである。


それに伴い、都市再開発にともなって、退去を命ぜられる建物も出てくる。


渋谷の街で90年余り、あの名曲喫茶ライオンも、この再開発計画にともない、取り壊しになるとのこと。


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なんとも悲しいこと。。。ラストショーのときはもう一回訪れてみようかな。こういうまさに渋谷の街の成長を見守り続けてきた昭和の遺産のようなものをどんどん廃墟にしていき、どれも区別のつきにくい新型ショッピングモールばかりになってしまい、それで渋谷はいいのだろうか?


現に先日自分が渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、渋谷フクラスを観に行ったときは、やはり圧倒的に外国人(アジア系、西洋系)と若者という客層であった。これらの商業ビル、ショッピングモールがひとつの観光名所となりつつあるのであろう。


でもそれは本当の文化、カルチャーといえるものなのであろうか?


自分が危惧している世界中の都市のどこにでもある景観と同じになってしまう、脱個性化というか、それが心配で、独創性のあるユニークな街づくりの意味合いとは、またちょっと違うのではないかともやはり思ってしまう。


あと自分が街づくり、都市づくりで重要だと思っているのは、緑、自然とが調和する美しい街景観。昔のSF映画に出てくるような近代都市の模範のような景観ではなく、かならず緑、自然とは調和するような仕掛けが必要だと思うんですけどね。SFっぽい近代的な景観ばかりだと、人間の心は疲れちゃうと思うんですけどね。


とにかく渋谷がどう変わっていこうとしているのかがよく理解できました。



情報引用元:


・東急グループの渋谷まちづくり戦略”Greater SHIBUYA 2.0”



・“100年に1度”の開発を継続 「広域渋谷圏」が新フェーズに



・渋谷駅周辺エリアの再開発計画・新築オフィスビル特集 TOKYO BEST OFFICE



・まだまだ終わらない!渋谷の再開発プロジェクト全部見せ→2027









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サブカルのまち 下北沢 [街歩き]

自分が東京に上京してきた1987年、小田急の新百合ヶ丘に会社寮があったので、そこを住まいとして、会社のオフィスのある山手線内の品川、大崎、五反田のほうに通っていた。


そうすると小田急→井の頭→山の手という路線の乗り換えである。この小田急線から井の頭線への乗り換え駅が下北沢だった。


会社寮に住んでいられる資格は7年間なので、7年間この通勤経路で会社に通っていたのだ。新百合ヶ丘というところは、当時はベッドタウンというか新興土地だったので、住居以外ほとんどなにもなく、ちょっとした買い物をするのにもなにもなくて不便で困ったものだった。(いまはいろいろできていて、かなり便利になっているみたい。)


そういう点から、乗り換えをするところの下北沢は、いわゆる自分の食事処であったり、ちょっとした日用品を買ったりする便利な街だったのだ。


毎日の通勤でかならず、下北沢で下車して、下北沢の街をぶらぶらする。これが自分の上京したてのマイスポットというか忘れようにも忘れられない街である。


下北沢は、若者の街、古着、雑貨などサブカルの聖地として有名だ。サブカルというのはサブカルチャーのことで、日本語にすると「下位文化」あるいは「副次文化」となる。


社会において、その文化の主流ではなく、独自の性質を持つ独立した文化のことを指す。具体的には、日本の漫画やアニメ、アイドルなどに関連する文化、いわゆるオタク文化がサブカルチャーの代表例である。


日本には地域によって独自の文化がある街が多くあり、中でも東京にはアニメや漫画、音楽や劇団など、サブカルチャーが盛んな街が点在している。


代表的なのは秋葉原。アニメ・漫画・ゲーム・アイドルなどのオタク文化の聖地である。秋葉原と並ぶサブカルチャーの聖地として有名な街に、中野がある。アイドルやアニメグッズを取り扱う店が集中しているエリアがあり、サブカルチャーの街として人気の街である。


また、池袋にある「乙女ロード」もサブカルチャーの街として知られている。アニメグッズや同人誌を取り扱っている店が集中していることがオタク文化の聖地といわれる理由である。


そして我が下北沢は、演劇や古着の街として知られ、ここもサブカルチャーの街として人気があるのだ。


街を歩く人たちのファッションも話題になり、古着屋、インテリアショップや骨董品店が多いことでも有名な下北沢。劇場や画廊、ライブハウス、そして居心地のよいカフェや居酒屋など、「下北」という愛称で親しまれているこの街は、ほかにはない、個性的なものを求める人にとってはたまらない場所なのだ。


1970年頃から、下北沢は東京のサブカルチャーを育んできた。ここで発表される作品のほとんどは、メジャーデビュー前のアーティストによるものだそう。


そのためか、若者に人気のある街でありながらどこか懐かしい一面を持ち、さまざまな方面での創作活動を支える街としてのイメージができあがった。



そうなのである。


下北沢のことをふつう「下北沢」とフルネームでは呼ばない。

みんな通称、「下北」「シモキタ」と呼ぶ。


自分も下北(シモキタ)と呼んでいた。


下北は一種独特な街の景観だった。

とにかく古着、雑貨、飲食店街が、通りの両側にびっしりと密集していて、いわゆるごちゃっとしている景観で、いかにも若者の街、サブカルの街という感じである。


上京したての頃の自分の東京での溜まり場、遊び場といえば、新宿、渋谷、そして下北沢だった。共通するのは人が多く、ごちゃっとしている景観であること。


北海道の田舎から出てきたばかりの自分はこの3つの街に、”東京”というイメージを投影していて、それを肌身に感じていたところがあった。


東京=新宿・渋谷・下北沢だったのだ。


でも歳をとってくると、もう完全に変わってきますね。いまはもう新宿とか全然ダメ。人が多すぎるし、街の景観がごちゃごちゃし過ぎて、精神的にも視界的にも疲れすぎてもう受け付けない。不思議なもんです。あれだけ新宿で遊びまくっていた若い頃、新宿西口の夜の高層ビル街では彼女とデートを楽しみ、新宿の街は隅から隅までよく知り尽くしていた。


いまはもうまったく受け付けない。いまはやはり赤坂のようなクラシック音楽の似合う静かで高級なところがいいです。歳を取るとともに、嗜好が変わりますね。


自分にとって、下北は、そんな若い青春時代の代表する想い出の街であった。


歳をとってくると、若い頃自分が住んでいた街、慣れ親しんでいた街にひさしぶりに訪れたくなる。人間ってそういう生き物なのである。


認知症というのは、最近のことから忘れるのである。昔のことはずっとよく覚えているのである。だから人間って生き物は、若い時代の頃を懐かしみ、その場所に再訪してみたくなる・・・そういう生き物なのである。


下北沢、いや下北(シモキタ)を再訪してみた。


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もう下北沢駅からして大きく改築されていて、もうガラ変であった。これは都心の路線増設の常識であるが、新しく増設しようとするなら、もうひたすら地下を深く掘っていくしかないのだ。小田急線は、昔と違っていまはもう完全に地下深いところにあった。


井の頭線のみ昔のままの地上の路線が残っている感じであった。


とにかく駅がガラ変。驚きである。


こんなスターバックスやレストラン街などが集中しているエリアも駅内に増設されていた。


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ネットで古い時代の下北沢駅の写真を探してみた。自分の1987年時代の写真である。


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こんな感じだったなー。これが自分のイメージにすごく近い。


駅の階段を下りてきて、この改札口を出たところに、ドトールやファミリーマートがあったような気がするのだ。だからこの写真で間違いないと思う。


自分はこのファミリーマートで毎日のご飯、弁当、あるいは日用品なんかを買っていた。この小田急下北沢駅口のコンビニで毎日の日常品の用を足していたのだ。


自分が当時下北沢の街を毎日歩いていたのは、下北沢南口商店街である。ここは健在であった。


この通りの両側にびっしりとお店がひしめいているのだ。でもあの当時どんなお店があったなんて、全然覚えていない。もう36年も経つのだ。


下北沢南口商店街の通りを歩いてみる。。。

下北ってこんな街である。


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いまの時代、ケバブもあったりします。(笑)


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このなんというかごちゃっとしている景観は、昔と変わらないのだけれど、おそらく36年前に見ていたお店といまのお店とでは全然違うと思うんだよね。たぶん総入れ替えに近いくらい、テナントとして入っているお店は36年前と比較しても全然違うと思う。いまはチェーン店が多いですよね。



下北沢が長年「サブカルチャーのまち」「若者のまち」として愛されてきた背景には、個性派個人店が多く存在していたことがある。


この個人経営のお店こそがサブカルのまち「下北沢」を代表する街を形成していたところがあると思うのだ。


しかし、まちの人気にともない、店舗の賃料が上昇。潰れた個人店の跡には、高い賃料が弊害となり小さな個人店は入ることができず、大手チェーン店ができる……という流れが生まれ、下北沢の特色を生む個性派個人店がオープンする「余白」がなくなりつつあるのだという。


これがいまの下北沢の状況なんでしょうねぇ・・・。こうやっていまの南口商店街の通りを歩いてみても、みんなチェーン店かな~という印象は否めない。


南口商店街をずっと歩いていくと、ちょうど正式な交差点ではないけど、ラフな分かれ道のところに遭遇するのだが、ここにあるこのミスタードーナッツ。


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これはなんか、36年前からずっとここにあるような気がする。なんか自分の記憶にあるのだ。確かにここにミスドあったな~、という感じである。


そうして、今回36年ぶりに下北沢を再訪してみようと思った1番の理由は、餃子の王将 下北沢店である。前回、下北の街を再訪して、あの頃の餃子の王将を探してみたんだけど、たしかにここにあったんだけどな~というところになにもなかった。あちゃ~もう36年前だからなくなっちゃんだな、と思いました。


ところが、そのエリアは下北沢北口だったことが後日判明。(笑)

餃子の王将は、南口エリアにあるのでした。


なにせ、下北沢駅はすごく新しくなってガラ変しているので、どっちが北口でどっちが南口だったのかよくわからなくなっていたのです。自分の青春時代は、みんな南口エリア、南口商店街での話です。


それをいまの自分は、北口エリアを歩いていて、あの頃とはずいぶん違うな~。変わっちゃったな~。餃子の王将もなくなっちゃって・・・なんて瞑想していたのです。とんだ勘違いでした。(笑)


下北沢の南口商店街をずっと歩いていくと、ありました!


餃子の王将 下北沢店。


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ここです!まさにここ!

36年前とまったくこれぽっちも変わっておらず。あの当時のまんま。


この餃子の王将 下北沢店こそ、我が人生で、はじめて焼き餃子というものを食べた場所。もちろん人生で餃子の王将というお店に入ったのもここが初めてである。当時の北海道にはなかったです。


上京したての頃は、本当にお金がなくて貧乏だったので、毎日ここで餃子定食を食べていたのでした。オフクロは家庭ではどちらかというと水餃子のほうをよく作ってくれたので、焼き餃子というのを子供のころあまり食べた事がなかった。この餃子の王将 下北沢店で初めて食べて、焼き餃子ってこんなに美味しいものなのか!と目にウロコであった。ほんとうに夢中になった。毎日食べてました。


自分は、下北沢というと、ここ餃子の王将で焼き餃子定食を食べていた記憶しかないです。


このドアがいまどき全自動ではなくて、こういうマニュアルな手動の開きドアになっているのもあの当時のままなんでしょう。


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店内もまったく、これっぽっちも変わっていませんでした。

自分の記憶、イメージ通りの店内です。


懐かしすぎる~。(笑)


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自分のいつも座っていた場所は、ここのカウンターだったんですよね。

ここが自分の定番の場所でした。


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餃子の王将 下北沢店は、お昼時ということもあったのでしょうが、大変混雑していて商売繁盛のようでした。お客さんはみんな若い人が多いですが、この人たちもこれから36年後に、ふたたび下北沢を再訪したときに、懐かしくて、この餃子の王将 下北沢店に再訪して懐かしむのかな~と思いました。自分がそうであるように・・・


餃子の王将は永遠ですね。永遠に受け継がれていくメニューですね。


スタンダードに餃子定食を注文しました。(にんにく激増し餃子ではない。ふつうのです)


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まっ、とくに下北沢店特有の味というわけでもなく、餃子の王将はどこでも同じ味ですね。おらが街のお店と同じ味でした。


でも自分が青春時代の若い頃に毎日通っていた餃子の王将 下北沢店を再訪できてうれしかったです。まったくあの当時のあのまんま。涙が出てきました。。



あれから36年間、同じ姿でいてくれた餃子の王将 下北沢店。

自分にとって餃子の王将の原点の場所でした。

これからもずっとここにいて、下北の街を見守っていって欲しいです。


これで自分の下北を再訪する一番の目的が達成されました。

満足です。


あと、そのほかにもいろいろ懐かしい下北の街をぶらぶら。


下北沢本多劇場


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下北沢の「本多劇場」は、1982年に開場した東京を代表する劇場。俳優として所属していた会社が倒産し、俳優業を続けられなくなってしまった本多一夫氏によって創られた。


「演劇の道を志す若者に、活動の機会を提供したい」という思いから、約10個の小劇場を設立しており、日本の現代演劇界に大きく貢献しているそうだ。


本多劇場の1Fには本や雑貨を扱っているヴィレッジヴァンガードが入っている。ここには本やCDから小物類や豪華な日用品に至るまでさまざまなグッズがあるそう。店内は迷路のようになっており、まるで宝探しのようにおみやげ探しを楽しめるそうだ。


本多劇場は、まさに下北沢を代表する名地ですね。下北に本多劇場あり!というように名高かったと思います。


この本多劇場、近いうちに役者さんたちによるお芝居を楽しみたいと思っています。近々に実行します。


自分は、映画やドラマは観るけど、お芝居、舞台というのは縁遠いんですよね。なかなか経験がない。いままでの人生のうちで友人に誘われた1回しかないのではないだろうか?(渋谷の劇場だったかな?)


舞台は、役者さん、俳優さんたちにとって、勝負というか、人間としてそのままありのままが観客に見えてしまい、ある意味勝負処なのではないかなと思ったりします。映画やドラマだとカメラというフィルタを通しての自分の表現。でもお芝居、舞台は、そういうフィルタがないので、そのまま自分という人間が全部丸写しで観客のみなさんに見えてしまうので、俳優としては勝負!!!という感じなのではないかな、と想像していたりしています。


そんな俳優さんの真剣勝負をこの本多劇場で体験してみたいです。


サブカルのまち 下北沢。


さすが若者のまちです。ひさしぶりに歩いてみて、99.9%完璧に若い人しか歩いていません。すれ違う人、みんな若い人ばかりです。年配の方はほとんど見かけなかったような気がします。


そこはいまも昔も変わりませんね。


でもそういう表面的な景観は変わらないような感じはしますが、その”サブカルのまち”として名を馳せてきたその意味合いが大分違ってきているのではないかな、という印象は受けました。








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マイタウン 自由が丘 マリ・クレール通り 後編 [街歩き]

そして、ここが九品仏川縁道です。もう~素敵すぎです!マリ・クレール通りというと、この通り、このストリートの風景のことを言っていることが多いです。正確には、九品仏川縁道と言います。


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普段のマリ・クレール通りは、暖かい陽気の日には、通り沿いで買ったスイーツを持った人や、読書をする人、デート中のカップル、ペットの散歩中の親子など、思いのままに木漏れ日の下に腰を下ろしている姿が並び、とても穏やかな時間の経過をあらわしています。


もうここは自分のディープなマイスポットです。

病院の帰り、薬局でお薬をもらったあと、とくに用事がない場合は、大抵ここのベンチに座ってホケ~としていることが多いです。こういう時間を持てることが至福の楽しみです。都会の片隅にこういう素敵な空間があるとは、これは急にできることではありませんね。何年もかけて計画的に都市計画・開発をしていかないと、こうはならないです。




この九品仏川縁道沿いにもなんとも素敵なスポットがいっぱいあります。



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ここは素晴らしいですよ。パンケーキと卵料理がメインのお店なのですが、いまはだいぶ落ち着いてきましたが、開店当初は、もう若い女性の長蛇の行列で凄かったです。大人気のお店です。


この看板の写真でもわかるように、もうパンケーキがあまりに美味しそう。自分もこの看板についついつられて、この長蛇の列に並びました。2回ほど経験あります。もう周りは若い女性ばかりの中を、自分のような初老の男性が並ぶのはかなり恥ずかしかったです。(笑)


長時間待って挙句ありつけたパンケーキはもちろん美味しかったけれど、あっという間、こんな感じなのかな、と思ったことは確かです。



木目調のインテリアで整えられたおしゃれな店内で、採れたての卵を使った心にも体にも優しい一皿を楽しめます。


この看板メニューの"奇跡のスフレパンケーキ"


北海道産の甘く新鮮な牛乳、国産小麦、竹鶴ファームの採れたて卵など、厳選された素材を贅沢に使って作り上げる"奇跡のスフレパンケーキ"は、ここでしか味わえない一皿。確かにウマいです。みんなこの"奇跡のスフレパンケーキ"目当てにやってきます。自分もそうでした。



自由が丘SHUTTERS (イタリアン)


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ここは基本イタリアンです。でも前を通りかかるといつも混んでいます。外のテラス席もお天気にいい日はいっぱいになります。この自由が丘だけでないですね。首都圏を中心に店舗を広げて運営しているようです。シックな色調で整えられた店内では、落ち着いてゆっくり過ごせる居心地の良い空間。


看板メニューは100%国産の豚肉を使用したスペアリブと、100%国産のりんごを使用したアップルパイアラモード。スペリアリブは食べたことありますが、美味しかったですよ~。


なんか店内の内装が、赤坂、銀座のような高級というわけでもなく、ややカジュアルな装いが多く、いかにも自由が丘だな~と感じるお店です。



九品仏川縁道の端のほうにあるこのうなぎ屋さん。八沢川さん。


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いつも前を通るたびに、入りたいな~という衝動に駆られますが、うまぎ高いよな~と思い、寸前のところで思いとどまります。一度食べてみたいと思っています。




自由が丘 スイーツフォレスト


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20年間、この街を歩いてきて思うことは、自由が丘ってスイーツの街だよね、ということです。

この自由が丘スイーツフォレストは、その天王山にあるところではないでしょうか。


スイーツだけのテーマパークというコンセプトは、この「自由が丘スイーツフォレスト」が日本で初めてだそうです。自由が丘=スイーツの街というイメージはここが最たる所以ですね。


SNS映え間違いなしの店内外の造りや、メルヘンチックな空間で食べられる絶品スイーツが若い女性を中心に注目されています。フロア内には、スーパー・パティシエによって作られた、出来立ての絶品スイーツを頂けるお店が8店舗あります。韓国資本系が3店舗もあり、このスイーツフォレストも資本力として、韓国傘下になってしまうのでしょうか・・・。


オールピンクという色が凄いですね。平日の日に行ったので、誰もいませんでしたが、普段は若い女性でいっぱいです。以前にも病院デイケア仲間とこのスイーツフォレストに行ったことがあります。相変わらず圧巻でした。


このピンクの公衆電話ボックスというのがいいですね。



マリ・クレール通り、そして九品仏川縁道は、こんな感じになります。




ここでまた自由が丘南口の戻って、病院に行く途中の経路を散策してみましょう。ここも20年間通い続けただけあって、もう馴染みの場所、風景がいっぱい並びます。



病院へ行く道も、九品仏川縁道から繋がっていることもあって、こういう植樹とベンチで癒しの光景が現れます。


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よくこのベンチで、コンビニで買ってきた弁当を開封して食べていると、空から突然カラスの軍団に襲われたり、地上でも鳩がどんどん寄ってくるなど、かなり危険な状態になります。(笑)病院に行く途中のこのベンチはそんな想い出ばっかりです。



ここが毎年5月~6月になると紫陽花がいっせいに咲くスポットです。いまはまだつぼみですね。規模は小さいですが、決して北鎌倉の明月院に負けていないと思います。(笑)ここでスマホで記念撮影するのが、毎年の日課になります。


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無邪気


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自由が丘南口にある豚骨醤油、家系ラーメンのラーメン店。ここは病院デイケアの仲間とよく昼食のときに食べに来ました。お昼時間になると、”よし!これから無邪気に行くぞ!”というのがみんなの合言葉でした。確かに美味しいとは思うけど、自分の心の琴線に触れるウマさかというと、そうでもなくプライベートではあまり来たことがないです。



自由が丘 DELI BREEZE


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お惣菜、お弁当のお店です。無邪気の隣にあります。病院デイケアでは、一時期はお昼はみんなで無邪気に行く、という選択肢が多かったですが、それに飽きてきたみなさんは、その後、このお店でお惣菜とご飯を買ってきて、病院で食べるという選択肢が多くなりました。後年は圧倒的にこちらのほうが多かったです。


自分はこっちのソリューションのほうが、全然いいと思ってました、当時。ここのお惣菜はすごく美味しいです。自分も積極的にこのお惣菜屋さん、利用してました。

インスタ、フォローしておきました。




鶏匠 自由が丘店


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病院のすぐそばにある鶏料理専門店&居酒屋。ここの前を通るたびに、一度入ってみたいと猛烈な衝動に駆られます。でも基本居酒屋なんで、夜からの営業になるんですよね。だからいままで一回も体験出来ていないです。


いつかは!と狙っているお店です。



自然食品 F&F


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F&Fでは、全国各地の直接契約農家から送られてくる新鮮な野菜・お米をはじめ、無添加の調味料、お弁当・お惣菜、手作りパンなど美味しく安心安全な食材がそろうお店。いわゆるちょっとしたスーパーマーケットみたいな感じです。違いは自然食品に拘っている、というところで、駅の南口から病院に行く途中に必ず目の前を通るので、気になるときは、ときどき中を覗いてみます。



ここで、また南口のほうに戻りますと、東横線の線路の踏切を通り過ぎると、亀屋万年堂さんがあります。


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ここもよく使います。自分のおらが街にも駅前に亀屋万年堂があり、よくオーディオオフ会のときのおみやげとして、ここでナボナを買っていきます。


そうです。亀屋万年堂といえば、王選手のナボナはお菓子のホームラン王です!というあのお菓子です。自分はあれが好きなのです。美味しいと思います。


自由が丘を歩いていると、無性にこれが食べたくなり、ここで調達することが多いです。


じつは、亀屋万年堂の総本店というのが、自由が丘の北口エリアにあるのです。ここの総本山もじつは自由が丘にあったんですね。



その亀屋万年堂をずっと行ったところに、三井住友銀行があります。マイバンクです。自由が丘を歩いていて、これから他の街に繰り出すとか現金が入用のときは、ここで調達します。自分がちょっと北口エリアに入るときです。


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ざっとこんな感じです。

20年間歩き続けてきた自由が丘南口エリア、マリ・クレール通り、九品仏川縁道はこんな感じのところです。もう知り尽くしているマイタウンという感じです。


自由が丘の北口エリアは意外や普段行かないんですね。用事がない限りあまりこちらの方面には出ない。でも街のエリアとしては、北口のほうが大きいと思いますし、自由が丘繁華街、自由が丘スポットとしては、やはり北口エリアなのではないか、と思っています。


今度じっくり北口エリアを散策して、日記にして紹介したいと思います。


自由が丘北口エリアで、とてもお勧めの観光スポットがあります。


ラ・ヴィータ


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”自由が丘のベニス”とも言われ、写真撮影スポットとして人気を集めている小さな商業施設。水の都で知られるヴェネチアの街を再現しており、洋風の橋がかかる小さな池にはゴンドラが浮かびます。そしてレンガ造りの建物にはショップやサロンが数軒、まるでイタリアの街角を歩いているかのよう。


買い物目当てというより、写真撮影を楽しむ人が多いのも特徴で、ドラマや雑誌の撮影に使われるのも納得の、まさに”インスタ映え”スポットです。


自分は遠い昔行ったことありますが、それはそれは大感動しました。まさにこういう感じが、”自由が丘”そのもの!というイメージだと思います。やっぱり自由が丘のメインスポットは北口だな、と思い知らされた瞬間でもありました。


また是非再訪したいと思います。










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マイタウン 自由が丘 マリ・クレール通り 前編 [街歩き]

自由が丘は、病院がそこにあったから、つまり主治医の先生が、自由が丘で開業されたので、お付き合いしてきた街なのだといま思えばそういうことなんだろうな、と思う。


そうでなければ、自由が丘のような若者の街に自ら足を運ぶということはあったであろうか・・・。


2004年からおよそ20年間通い続けてきた街だが、いまよく思い出してみれば、2004~2009年間の6年間は、月4回、つまり毎週通っていた。2010年からの13年間は、月2回で通い続け現在に至る。


これだけ頻繁に通っていれば、知らず知らずそこを通るのであるから、好き、好きでないにかかわらず、その街のことがわかってしまうものだ。


もちろん自分は自由が丘は大好きな街である。

いまの東京での生活での精神面で支えて来てくれた命の恩人のような街である。

自由が丘なくしては、いまの自分はなかったであろう。

まさに自分の青春の街であり、いまもどっぷり依存している街である。


自由が丘は、駅でいうと北口エリアのほうがメイン・エリアで街としては大きく栄えている。

でもじつは南口エリアのほうがずっと素敵なのだ。


自分は自由が丘といえば、やっぱり南口なんじゃないかな~と思うのだ。


それは何を隠そう、病院が南口のほうにあるから。(笑)


自由が丘の南口エリア、すなわちマリ・クレール通りは、まさにマイタウンと言っていい。どんな袋小路の細かい道に至るまで知り尽くしている。完璧なまでに知り尽くしているエリアである。どれだけここに時間を費やしてきたか。ただぶらぶらと歩き回ったり、いろいろなお店で食べたり、飲んだりしてきたか。


自分にとって、休日の最初の土曜日。いちばんウキウキする、今日からお休み、さてなにをやろうかな、と妄想を膨らます一番楽しいとき。そのときが、病院の定期診察が終わった後の自由が丘 マリ・クレール通りで過ごすひとときなのだ。


だから、この街、このエリアは、明るくて楽しい気分の記憶しかない、この20年間。なんかいつも天気は快晴だったようなイメージしか残っていない。


そんなマイタウンである自由が丘 マリ・クレール通りをぜひ日記で紹介してみたいと思い、実行に移すとする。


自由が丘南口。


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自由が丘北口は構内からしてすごい広くて大都会の駅のような感じだが、南口はほんとうに小さい。ついでにあるという感じである。(笑)



この隣には、スイーツのお店がある。こういう感じがいかにも自由が丘らしいのだ。すべてにおいてこんなテイストである。


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自由が丘はメインは東急東横線だが、大井町線も交差しており、この下をくぐっていくと病院のほうに向かう。そこに商業ビルがあって、いろいろなテナントが入っている。


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このビルの看板に、”牛たん焼き 仙台辺見”というのが見えるだろう。2018年、はじめて仙台に音楽旅行に行ったとき。なぜ牛タンといえば仙台なのか。その永遠のテーマをずいぶん勉強させてもらった。仙台市にある牛タン焼きの元祖のお店「太助」の牛タンを食べるのをずいぶん楽しみにしていた。


ところがそれまで待てないのだ。(笑)もう本番前のずいぶん前から盛り上げてしまったので、期待に期待が重なってしまい、仙台の牛タンってどんな食べ物なんだろう?牛タン焼き、麦めし、テールスープ。これがどんな味がするのかもう我慢できなくなってしまった。それで、本番の仙台行を前にして、病院帰りにこの自由が丘の仙台辺見で一足はやく牛タン定食を堪能したのだった。


それがここ自由が丘のお店である。これが牛タン焼きか~。まっ普通に美味しかったけれど、自分の周りがガラス張りで食べているところが丸写しになっているのがちょっと嫌でした。



自由が丘南口を出たすぐ前を通っている通り。これがマリ・クレール通りである。

ここは自由が丘南口商店会という組織が管理運営している。


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マリ・クレール通りは、地区のイメージづくりの取り組みの1つとして、フランスのファッション誌、マリ・クレール社および中央公論社の女性誌「マリクレール」とのタイアップにより実現し、1984年に正式に通りの愛称として採用されたのである。いわゆるマスメディアの力を街のブランディングに最大限に活用した取り組みという感じの計画的な街作り、ストリート作りなのである。


「マリ・クレール通り」は、カフェやセレクトショップが並ぶ、まるでパリのようなオシャレなストリートで、そのフランスのファッション誌「Marie claire」の名がつけられたこの通りは、雑貨やスィーツ、カフェ、ブティック、アパレルブランドなどが立ち並び、さらにもう1本奥に入ったストリートでは、中央に桜の木とベンチが長い距離に渡って設置され、自由に外での時間を過ごすことができるようになっている。


この通り沿いのカフェ、レストランは本当によく利用した。毎週土曜日の自分の食事処といってよかった。ここで大抵の用を足す。だからいろいろ散策して物色するので、どこにどのお店があるか手に取るようによくわかる。


でもそこは自由が丘、やはりお店の出入りも激しいんだよね。逆にずっと長年老舗としてやっているお店もあるし。この通りには大戸屋もある。よく病院デイケア仲間とこの通りの大戸屋で昼ご飯食べました。大戸屋はチェーン店だけど、やはり和食好き、日本食が一番の自分にとって欠かせない腹満たし処ではあります。


スープカレーのお店もあります。


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2014年頃だったかな?ここのお店に、たくみちゃんといっしょに入ったことあります。そのときはお互いFacebookを利用したての頃だったからFacebookについていろいろ情報交換した覚えあります。店内は狭いけど、スープカレーはなかなかのものでした。



マリー・クレール通りをずっと行くと、このカフェがあります。

エクセルシオール カフェ。


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ここもドトールコーヒー傘下ですね。自由が丘は本当にドトールコーヒー系強いと思います。自由が丘南口にあるカフェは、ほとんどドトールコーヒー傘下ではないでしょうかね?(笑)イタリアンエスプレッソを中心とした日本生まれのカフェのチェーン店で、どこの街でもかならずありますね。


自分はこのマリ・クレール通りのエクセルシオール カフェ、よく使うのです。自分は歳寄りだから、朝目覚めるのがすごい早いんですよね。で、ずっと診察時間まで家で待っているのは苦痛なので、もう出かけちゃう。自由が丘に早く着いたら、ストリートのお店の開店時間はふつう10時とか11時とか。そうすると、どこもまだ閉まっている訳ですよ。


そんな中で、このエクセルシオール カフェは、朝早くから開いていて、自分の居場所を作れる。ここで朝のコーヒーとクロワッサンをいただくのがいつもの定番メニューになります。店内もなかなか素敵です。



その向かいにある東急デパート。


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自由が丘の中心部には大型のショッピングセンターやアミューズメント施設はないと書きましたが、実際はあります。(笑)やっぱり自由が丘に居住している方もいらっしゃりますので、生活必需品、飲料、食料などを調達するところがないと困ります。東急デパートはそんなところです。品揃えはかなり立派です。


自分はこの東急をどのように使っているか、というと、トイレです。(笑)

自由が丘を歩いているとどうしてもトイレがしたくなるときがあります。そのときにカフェにトイレだけのためにお邪魔したりするのも気が引けますし、他のところも同様です。でもデパートであれば、もう人目を気にする必要はありませんし、堂々とトイレを使えます。自分は、この東急デパートの2Fにあるトイレはよく使わせてもらっています。(笑)



吉野家


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じつは自由が丘という街は、お腹が空いているときに、ガッツリ食べるところが意外や少ないんですね。マリ・クレール通りを突き抜けて、東急デパートの前を左折すると、そのまま直進すると、東横線の線路に突き当たりますが、その踏切を通り過ぎると、いろいろ飲食店街が並んでいます。およそ、お洒落な自由が丘らしくない、かなり庶民的な飲食街屋さんです。ラーメン店、飲み屋さん、とかいろいろ・・・。でも自分が病院に行くときは朝早い午前中なので、これらのお店は大抵夜、夕方から開店なのです。


診察が終わって、ガッツリ食べたいときは、午前中、お昼の自由が丘というところは本当に困るのです。そんな中で、踏切を突き抜けたところに、この吉野家さんがあります。


吉野家の牛丼か~と思ったりしますが、なにせお腹ペコペコなので、思わずここで済ましてしまうということがすごい多いです。自由が丘滞在期間中、この吉野家さんはかなり利用した回数多いです。そんな記憶がいっぱいあります。




このマリ・クレール通りで自分の最大のスポットといえば、このカフェです。

じつは自分が通い詰めていたカフェは、残念なことに去年の2022年2月13日をもって閉店になっていたようでした。もう大ショック。まさに自由が丘のマリ・クレール通りを代表する顔のような存在のカフェでしたので、そこが閉店してしまうなんて、心の柱をポッカリ失ったような喪失感です。


でも代わりに、すぐ2022年4月からオープンしたのが、このカフェ・モーツァルトのようでした。これは素晴らしいカフェですよ。おそらく自由が丘マリ・クレール通りの顔、No.1と言っていい存在感です。


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この褐色系の色調に、クラシックな装いの内装空間。もう素敵すぎます。BGMに静謐でゆったりしたクラシック音楽が流れておりました。いや~いい雰囲気だな~と思いました。


壁には絵画も飾られていてとても素晴らしいです。


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最後の会計、チェックのときも伝票ではありません。こういう鍵を渡されていて、それがお客番号に相当するんですね。メニューはあらかじめタブレットなどで、自動入力、記憶されていて、この鍵番号と共に管理されているのだと思います。


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やっぱりカフェ・モーツァルトというだけあって、メニューにはオーストリア・ウィーン系のスイーツが並びます。自分は定番だとは思いましたが、ザッハトルテとモーツァルトティーブレンドをいただきました。

ザッハトルテは、デメルじゃないですね。たぶんウィーンザッハのほうだと思いますが、かなり小振りなサイズで、おそらく自家製のザッハトルテのように思いました。


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自分は、ここまで来て、カフェ・モーツァルトという名前、そして店内メニューがウィーン系であることから、ザルツブルクのカフェ・モーツァルトと関係があるお店なのかな、と思いました。会計のときに店員さんに聞いてみたのですが、よくわからないようです。


2013年にザルツブルクに行ったときに、入ったカフェ・モーツァルト。(そのとき自分が撮影した写真)


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絶対このザルツブルクのカフェと系列店だと確信したのですが、どうもそうでもなさそうです。いろいろネットで調べてみますと、



『MOZART』 といえば、自由が丘にも「洋麺屋五右衛門」、「腰塚」をはじめ多ジャンルの飲食店を展開する「ドトール」のグループ会社「日本レストランシステム」が運営するブランドだそうで、およそ6年半ぶりに「自由が丘店」として復活し、インド直輸入の紅茶とケーキを提供するカフェになのだそうだ。


かつて自由が丘に2店舗あったカフェ モーツアルトでしたが2014年、2015にそれぞれ閉店してしまっていた。


現在は、正面口にパンとケーキを扱う「モーツアルト自由が丘北口売店」が営業中。カフェ モーツアルト復活の地は、「カフェラミル自由が丘店」があった場所。2022年2月13日(日)で閉店し、その跡地に日本レストランシステム株式会社の店舗が入ることとなった。


以前のカフェ モーツアルトでは赤いファザードが印象的でしたが、新しくオープンしたお店は白やゴールドを基調にしたシックで大人っぽい印象のエクステリア。


カフェ モーツアルトは、モーツアルトが流れる店内で、手作りケーキとくつろぎの時間が楽しめるカフェ。インド直輸入の最高級ダージリンティーもラインアップし、香り高い優雅な気分を味わえるそうです。


なんか、全然違いましたね。(笑)


最近、自由が丘の南口、マリ・クレール通りをぶらぶら歩いていて気付くのは、ドトールの多さですね。いろいろなところにあのドトールが出店してます。せっかくお洒落な街並みにドトールはやめてほしいな、と思いますが、やはり力、そして資金力があるんでしょうね。


でも、このカフェ・モーツァルト、なかなか素敵なカフェでこれは贔屓にしてしまいそうです。


じつは、このカフェ・モーツァルトのあった場所には、かつて”カフェ・ラミル”というカフェがあったのです。

(2011年の自分が撮影)


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このカフェこそが、自分が自由が丘 マリ・クレール通りを語るうえで絶対避けては通れないカフェで、2004年からおよそ2015年くらいの10年間通い詰めていました。病院の診察が終わった後、かならずこのカフェ・ラミルで休憩して、コーヒーとこのカフェお手製のモンブランをいただくのが常だったのです。店内は木製の薄暗い照明で雰囲気ありました。


自分が、このカフェ・ラミルに嵌った理由は、そのお手製モンブランです。(2011年の自分が撮影)


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モンブランというと栗味のする線状が渦巻いたそういうケーキを想い出すかもしれませんが、ここのモンブランはちょっとかなり違うのです。相当スタンダードと違います。


東京自由が丘ということころはモンブラン発祥の地として有名です。自由が丘にはそのモンブラン発祥のお店「MONT-BLANC」というお店があるのです。これは南口ではなく、北口のほうのカトレア通りなのですが、それだけモンブランにはうるさい街なのです。


南口にもモンブランの有名なお店あります。マリクレール通り沿いにあった和栗モンブラン専門店「栗歩」と、九品仏川緑道沿いにあった姉妹店・さつまいもスイーツ専門店「いもこ」が統合。2022年8月13日(土)に「栗歩と芋こ 自由が丘店」としてオープンしたそう。今度行ってみます。


それだけモンブランには伝統があって、モンブランにうるさい自由が丘ですから、やはりこのカフェ・ラミルのモンブランは、そういう標準仕様とはかなり違う独特の味、デコレーションなのです。


カフェ・ラミルのモンブランは、全面的に白色の甘いクリームで構築、覆われていて、ちょっとアーモンドっぽいじつに美味しいテイストなのです。これはいままで食べたことがない。ケーキの種類としてもこんな美味しいケーキは経験がないな~、というそんな衝撃でした。


以来、すっかりこのカフェ・ラミルのモンブランが気に入ってしまい、通院が楽しみでした。診察が終わったら、このモンブランが食べれるんだな~と思うとうれしくて、うれしくて。


しかも1個の注文では足りません。かならずお替りの2個、3個のオーダーをしていた記憶があります。1回行ったら、かならず2個から3個いっぺんに食べてたということになります。(笑)食いしん坊ですね~。あまり恥ずかしいとは思いませんでした。(笑)


しかもこのモンブラン、あまりに好きすぎて、ついにホールで注文してしまうことになるのです。店内ではウィンドウケースの中にホール上で冷蔵設置されていて、自分がモンブランひとつください、というと女性の店員さんが、そのホールにナイフを入れて、1サイズにしてくれるのです。


店員さんに聞くと、クリスマス用のケーキとして、そのモンブランをホールとして注文オーダーできる、というのです。ただし、1か月前からの事前予約のみです。そのお客さん専用に特別仕様で作ってくれるのです。


自分は、このモンブランが好きすぎて、ついに毎年のクリスマスイブ専用のケーキとして、このカフェ・ラミルのモンブランをホールとして注文するようになったのです。かなりの年数、たぶん5年くらいかな、ずっとクリスマスケーキは、このカフェ・ラミルのモンブランでした。


北海道の友人で、東京でのおもてなし、をやったときも友人をこの自由が丘カフェ・ラミルに連れていき、このモンブランを食べさせました。すごい喜んでいました。



あるとき、2018年頃かな~???いつものように診察が終わった後、カフェ・ラミルに入って、モンブランを頼もうとしたら、もうやっていない、やめました、という。


もうショックで。ショックで立ち直れませんでした。

そのあまりの落胆ぶりはご想像につくと思います。


それ以来、このカフェ・ラミルから足が遠のきました。

通わなくなりました。悲しい想い出です。


あのモンブランが食べたいから、10年も毎週通い続けてきた自分のマイスポットだったのに、なんてことをしてくれるんだ、という感じです。


そして先日自由が丘マリ・クレール通りに行ったら、カフェ・ラミルさえなかった。

もうその後釜には、カフェ・モーツァルトがでんと入っていたのです。


自分は、ショックを受けるとともに、これも時代だな~と思いました。


自由が丘 マリ・クレール通りといえば、自分にとってカフェ・ラミルでした。そしてここのモンブランでした。まさにマリ・クレール通りの顔といっていいカフェでした。存在感ありました。


自由が丘南口マリ・クレール通りの老舗カフェ 『Cafe La Mille 自由が丘店 / カフェラミル』はなんと!創業36年なんですよ!まさに自由が丘マリ・クレール通りの歴史と変貌をじかに目にしながら36年間ずっとその変化を見守ってきた老舗カフェでした。


たしかに目の前を通るだけで、そのオーラ、存在感が凄くて、ついついフラッと吸い込まれそうになる妖気はありました。


自分の自由が丘での美しい想い出とともに、ずっと脳裏に焼き付けておきたいと思います。あのモンブランの味はいまでも忘れることできないです。はっきり覚えています。


このマリ・クレール通りにあったカフェ・ラミルはあくまで自由が丘店ということでした。


そんな 『カフェラミル』 はドトールグループの運営「Les deux」が手掛けるブランド。ニュースタイルカフェラミルの『カフェラミル 都立大学駅前店』 も3月29日をもって閉店。


「新宿モア四番街店」も3月21日に閉店が決定。

あちこちに店舗があった『カフェ・ラミル』も都内ではニュースタイルも含め、新橋、赤坂、吉祥寺、錦糸町、池袋の5店舗になってしまったようです。


・・・とのことでした。じつはカフェ・ラミルもドトールグループだったんですね。(笑)

ドトール強すぎます!


残りの5店舗を探して訪ねてみましょうか?ひょっとすると、あの自由が丘店で食したあのオリジナル・モンブランが食べられるかもしれません。あるいは、ほんとうにあれは自由が丘店のみだったのでしょうか・・・


自分にとって、自由が丘 マリ・クレール通りといえば、このカフェ・ラミルでしたので、ついつい熱く語ってしまいました。


マリ・クレール通りというのは、地図上で正確に言うと、自由が丘南口を出たその前の通りのことをいいます。でもさらにその奥にもう1本行ったところにも素敵な通り、ストリートがあります。



そこを九品仏川縁道といいます。


これがあまりに素敵で素敵で、緑道の桜の並木に沿ってベンチが置かれ、レンガのような地面のテクスチャで、どこか海外に迷い込んでしまったかのような感覚を味わえるのです。


南口駅前のマリ・クレール通りと、この九品仏川縁道をペアにして、いっしょくたんに、マリ・クレール通りと呼んでいることが多いようです。


南口直のマリ・クレール通りと、九品仏川縁道の間には抜け道があります。


栗の木通り(くりのき通り)と言われるこの抜け道。


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自分のお薬をもらう行きつけの薬局さんは、この九品仏川縁道沿いにあるので、いつも薬をもらった後、駅まではこの栗の木通りを通っていきます。建物と建物の間にあり、ちょっと木陰で日の当たらない通りなのですが、ここもまた雰囲気あるんですよね~。ブティックがずらっと並んでいて、おしゃれ~という感じです。


もうひとつの抜け道はこちらです。


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自由が丘ノーブルビルがある通りになります。自由が丘ノーブルビルというのは、いわゆる貸ビル、テナント申し込みなどの複合ビル・商業ビル・オフィスビルです。


ここにいろいろな業者、ブティックやレストラン、飲食店などが入ります。お寿司屋さんなんかも入ってますよ。一度は行ったことあります。高かったです。(笑)


毎年5月下旬になると、マリ・クレール フェスティバルというお祭りがあって、この抜け道のこのノーブルビル前のエリアは、もう緑色のテントとフランスの国旗で埋め尽くされます。いつもは病院の帰りにあ~また今年もやっている、という感じで、いろいろ見て楽しみますが、今年は特に日記にすることを前提に重点的にフォーカスしたいと思います。








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自由が丘 マリ・クレール通り [街歩き]

自由が丘は、雑貨やスィーツ、カフェ、ブティック、アパレルブランドなどが立ち並ぶお洒落な若者世代の街である。また自由が丘といえば、お洒落、住みたい街ランキングでもつねに上位を独占する常連の街でもある。東急東横線沿いで渋谷にも近い。


都心の中で、まるでフランスのような街並みで、住みたい街としても人気の高い「自由が丘」は、高級住宅街として名高い田園調布と隣り合う街で、セレブ御用達のショッピングスポットでもあり、ヨーロッパの街をイメージさせる街づくりがされているのだ。


自分はずいぶん自由が丘とは縁が深く、自分の常連の街である。

というのも、ここには自分が定期通院している病院があるのだ。

月に2回、2週間間隔で通っている。

ここで主治医の先生といろいろなお話をするのが、もういまや自分の最大の楽しみでもあり、ストレス発散にもなっている。

だから月に2回はかならず自由が丘に来ているのだ。2004年頃からこの自由が丘の病院に通っているので、もう20年近くずっと通院のためにこの自由が丘に通っている。だから、もうマイタウンと言っていい。


自由が丘は、北口を出ると、大きく街が広がっていて、こちらが自由が丘のメインのエリアだと思うのだが、自分はいつも南口を利用する。病院は南口のほうにあるからだ。だから、自分にとって自由が丘といえば、南口に広がる景観、マリ・クレール通りのことを言っていることに等しい。


この自由が丘のマリ・クレール通りがこれまた素敵なのだ。

さすがお洒落な街の代表格の自由が丘らしい計画的に造られた街景観で、病院が終わって、薬局でお薬をもらったら、このマリ・クレール通りのベンチで腰掛けて、なにも考えずボーっと何時間もここで過ごしているなんてことも多い。特に予定がなければ、開放感溢れる休日の最初の土曜日。ここで、これから休みが始まることをひしひしと心の中で喜んでいる一番楽しいひとときである。


自由が丘のマリ・クレール通りというのは、正確に言うと、自由が丘南口を出たすぐその前にある通りのことで、ここにはカフェ、スィーツ、ブティックなどが通りの両側にずらっと立ち並んでいて、まさにお洒落感覚満載の景観で圧巻である。


で、このマリークレール通りのさらに奥に1本入ったところにもうひとつ通りがあって、正確には九品仏川縁道という通りがある。自分が言っている通りはこの九品仏川縁道のことである。でも世間一般では、南口出たすぐのマリ・クレール通りと九品仏川縁道とでペアで、マリ・クレール通りと言っていることが多いようだ。


マリ・クレール通り・九品仏川縁道はこんな感じの通りである。


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マリ・クレール通りは、地区のイメージづくりの取り組みの1つとして、フランスのファッション誌、マリ・クレール社および中央公論社の女性誌「マリクレール」とのタイアップにより実現し、1984年に正式に通りの愛称として採用されたのである。いわゆるマスメディアの力を街のブランディングに最大限に活用した取り組みという感じである。


 「マリ・クレール通り」は、カフェやセレクトショップが並ぶ、まるでパリのようなオシャレなストリートで、そのフランスのファッション誌「Marie claire」の名がつけられたこの通りは、中央に桜の木とベンチが長い距離に渡って設置され、自由に外での時間を過ごすことができるようになっている。


緑道の桜の並木に沿ってベンチが置かれ、レンガのような地面のテクスチャで、どこか海外に迷い込んでしまったかのような感覚を味わえる。


以前のこの場所は、九品仏川が流れており、”裏”通りとして、連れ込み宿がある治安のよくない場であったそうだが、戦略的なデザインでそういったイメージを払拭させている。


現在では、犬の散歩道コースやショッピングロードとして利用されたり、休日には観光客が訪れにぎやかになります。


桜が満開になるときは圧巻ですよ。この通り一面が桜で美しく彩られ、けっして目黒川の桜に負けていないと思います。(笑)そしてその桜の季節には、レジャーシートを広げ、お酒を片手にお花見を楽しむことができます。病院の帰りにこの通りを通ると、そういう風景に出会うことも何回もありました。


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また5月から6月の梅雨にかけては紫陽花の季節になりますが、このマリ・クレール通りにその紫陽花が満開になるスポットがあって、ここでスマホで記念撮影するのが自分の毎年の恒例行事になっています。(笑)桜の植樹、紫陽花の植樹、こういう風景を計画的に造っているそういうストリートなのです。


 これらの運動は全て地元の自由が丘商店街振興組合が行っており、結束力がとても高い街であることが分かります。


また毎年5月には、このマリ・クレール通りや九品仏川緑道の空間を利用して、マリ・クレール祭り、マリ・クレール・フェスティバル、通称マリ・クレール・フェス、というのが開催されます。フランスの国旗が多数掲げられ、シャンソンのライブが行われることで知られるなど、フランスの祭りを意識した演出がなされています。これにはフランス大使館文化部も、このイベントの後援を行っているそうです。


このマレ・クレール・フェスも、よく病院の帰りに遭遇します。本当に華やかそのもの。たくさんの人でにぎあっています。いろいろな出店が出ていて、それこそクレープとかいろいろな食べ物関係の出店が多いかな、いわゆる日本和風の七夕のお祭りのちょっと洋風のお洒落バージョンというような感じです。テントは緑色が多かったような記憶がある。そしてフランスの国旗があちこちでいっぱい掲げられています。あっまた今年もやっているな~という感じで通り過ぎますが。中にはストリートのスペースを確保してシャンソンのライブ演奏もされるんです。この通りの由来から、ずっとその伝統を受け継いでいくというか、非常にフランスと縁が深い、その関係性を大切にしてきた通りなのだと思います。


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今年の5月、来月ですが、このマリ・クレール祭り、取材して日記にしてみますね。




普段のマリ・クレール通りは、暖かい陽気の日には、通り沿いで買ったスイーツを持った人や、読書をする人、デート中のカップル、ペットの散歩中の親子など、思いのままに木漏れ日の下に腰を下ろしている姿が並び、とても穏やかな時間の経過をあらわしています。


このマリ・クレール通り沿いにあるレストランやカフェなどは外のテラス席もあったりして、本当にパリそのもの。ここに立ち並ぶカフェ、スィーツ、レストランをいろいろ食べ歩くだけでもすごく楽しそうです。女性に大人気ですね。ネットにはそんな記事で溢れています。自由が丘はとくにスイーツの街なんじゃないですかね。自由が丘スイーツフォレストも昔行ったことありますが、圧巻でしたよ。もう店内一面スイーツ天国というようなところでした。


自分は、自由が丘は確かに北口エリアは大きいけど、じつはほんとうに素敵なのは、この南口のマリ・クレール通りなのではないか、とずっと思ってます。20年間この通りを見てきて、自分がしみじみ実感することで、自由が丘ってやっぱりこっちだよな~と思ったりします。


自由が丘マリ・クレール通りの活性化のための発想のスタンスって、活性化と開発の主体はあくまでも地元商業者と住民であるという姿勢を育んだところに独創性があって、現代に至る多くの商店街の活性化と開発が、行政や民間ディベロッパー等の主導であるのと比べて、マリ・クレール通りを始め、自由が丘の中心部には大型のショッピングセンターやアミューズメント施設はないのにもかかわらず、多くの来街者を集め、常に住みたい街の上位を占めている・・・


これが自由が丘という街のオリジナリティでもあって、自由が丘ならではの独特の街景観がある所以なのだと思います。


自分が薬をもらう行きつけの薬局は、このマリ・クレール通り沿いにあって、ここで薬をもらったら、あとはこのベンチでずっとほけ~~~としているのです。

今日は土曜日。これから休みが始まるな~。なにしよ?ってな感じです。


そうやってほけ~っとしているときが、一週間の中で最大に楽しい瞬間でもあります。


先日の通院の帰り。薬局で薬をもらった後、ホケ~としているときの撮影。


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ロンドンで日本食材を求めて。 [街歩き]

1990年代のロンドンの日本食材屋さんといえば、もう圧倒的にヤオハンであった。ロンドンのみならずイギリスに住んでいる市民であれば本当に誰もが知っていた。それだけ圧倒的な存在だったのだ。


ヤオハンは1993年に開業して、1997年に閉業しているので、2000年代以降の年代の方々には、まったくその存在を知らない人が多いと思うが、我々の世代の1990年代の人にとってのヤオハンは凄いものがあった。


オフィスのイギリス人の同僚からも、ヤオハンにいけば日本の食材は大抵なんでもありますよ、とアドバイスを受けていたし、日本人赴任者からも同様だ。


ヤオハンがつくられて当時評判になった「ヨーロッパ最大」のショッピングセンター。ここの規模のデカさ本当に凄かった。ハンパなかった。


たぶん自分も東京でのスーパーマーケットやデパートを見て回ってきたが、これだけデカかったショッピングセンターはいまだかつてない、というほど広かった。


まさに体育館といっていい。


あの体育館の広さで、食品から、雑貨、書籍を始め、文字通りなんでもありで、キャッチフレーズ通り、「一つ屋根の下に日本がある」のだ。スーパーマーケットの他にフードコート、お弁当屋、ケーキ屋、日本系書店、さらには不動産屋、写真店(その頃はまだデジカメは普及していませんでした)までなんでもあったのだから。まさに日本パラダイムの世界だったといっていい。(日本食のフードコートは、あまり美味しくなかったです。。笑笑)


ネットで写真を探したんだが、いい写真が見つからないんだよね。あれだけ有名な日本専門ショッピングセンターだったのに、なんでこんなに写真が少ないんだろうと思ったのだが、よく考えれば、当時はデジカメがなかった時代でフィルムカメラの時代だからPCとの親和性がなかった時代。撮った写真をPCに取り込むということができなかった時代。


だからなのかな、と思った。


そんな中から敢えて探し出したのが、この写真。

自分とまったく同じ年代に、ヤオハンに行ったことがある方の日記のお写真をお借りした。だから自分が言及しているヤオハンとまったく同じである。


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でも自分の記憶のイメージにあるヤオハンは、こんな小粒な感じじゃなかったんですよね。もっとバカでかい感じ。


まさに体育館で、このように醤油、みりんとかの調味料だったら、もう膨大な数の展示があって、もうありとあらゆる日本食材が、その圧倒的な品ぞろえで、ずらーっと膨大な敷地に陳列されていたのである。


生鮮物からなにから、日本の食材に関するものは全部揃っていた。当時自分はこれはもう日本のスーパーマーケットやデパートどころではない。こんな巨大なショッピングモールは見たことないというくらい凄かった。


最寄り駅は地下鉄ノーザンラインのコリンデールにあって北ロンドンでかなり郊外のほうにある。バスの便も少ないし、幹線道路沿いなのだが、車で買い物に行く分には便は悪くはないのだろうけれど、この場所自体ロンドンの北のはずれに近いので、多くの日本人客を集めるにあまり適しているところとは言えなかった。


それが開業してたった5年目の1997年に経営破綻してしまった理由の一つであろう。


ヤオハンは、当時のロンドン、イギリスに住む日本企業の駐在員家族に依存する商売だったと言っていいと思う。


後から思うと、自分が住んでいた1995年当時がヤオハンの最後の輝きの時期であったと思う。熱海の青果商から出発し、世界中に店舗を構える巨大小売業にまで拡大したヤオハンであったが、1997年に経営破綻してイオングループに吸収された。ロンドン Colindale にあったヤオハンショッピングモールも、その後はOriental Landと名前が変わってしまった。そしてそのOriental Landも倒産。いまやあの区域にあの当時の面影なしのようだ。


日本に帰国した翌年には、ヤオハンが経営破綻したということを耳にしたのだが、あんなバカでかい日本パラダイム世界が倒産してしまうなんて、まったくびっくりしたものである。


ヤオハンにいけば、日本食材ならなんでも売っているという感じだったが、なにせ北ロンドンにあるので、車で行くにしても僻地である。BasingstokeからM3でロンドンに来る経路から外れて、いったん北に向かわないといけない。


自分は、ヤオハンには3~4回行ったのだが、なんか遠いな、そこまで行くの面倒だなと思うようになった。


そのあと発見したのがピカデリーサーカスの日本食材屋さんである。BasingstokeからM3でLondonに行くとWaterlooに出て、そこからすんなりとピカデリーサーカスに出る。そのピカデリーサーカスで日本食材屋さんを見つけることができた。


結局、経路的にすごく便利、自分の経路上にあるお店なので、そのまま寄れるということで、自分はその後、このピカデリーサーカスの日本食材屋さんを自分のお気に入り、アジトに決めた。


そのピカデリーサーカスの日本食材屋さん、ひょっとしてネットで載っていないかな?と淡い期待を寄せながらググってみたら、驚きの結果が待っていた。


ピカデリーサーカスの日本食材屋さんとして複数店あって、それを紹介していこうと思う。


日本人の多い地域に住む人にとっては、その地域にこじんまりとした日本食材店があったりしてそれで十分間に合っているのだが、おそらくそれ以外の人にとっては意外と重要な存在らしいピカデリーサーカス周辺の日本食材店たち。


ピカデリーサーカス周辺には、2013年までロンドン三越があった経緯もあるのか(そうだったんですね、これまた驚きです。)、日本食材店が豊富なのだそうだ。


●ジャパンセンター


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入口はこんなんです。ピカデリーサーカス駅から徒歩0分。日本人ももちろんお客さんとしてターゲットにしていると思いますが、どちらかというと東京にあるご当地ショップと似たような感じで、日本全体を宣伝する役割も担っている感じ。



品揃えはやはりロンドンイチ???


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お魚やデリ、霜降り牛も売ってます。高いけど。


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あとは小さいですが書店コーナーも。雑誌と漫画、旅行ガイドブックが充実してます。高いけど。


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自分が通っていたところはここではないような気がする。



●らいすわいんショップ


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ロンドンではいくつか日本食材を扱うお店があるが、チューブ(地下鉄)ピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)駅そばのRice Wine Shop(らいすわいんショップ)。ちなみに、ウェブサイトもあり、オンラインショッピングで配送もしてもらえます。


ピカデリーサーカス駅から本当にすぐで、出口によっては徒歩3分以内にある。お店自体はそんなに広くないですが、品数はかなり豊富です。



特に、日本のお米に近くてそれなりに値段がリーズナブルな欧州産こしひかり「ゆめにしき」はいつもこちらで買っています(10 kgで15ポンドぐらいです)。


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調味料も一通りそろっていて、しょうゆ、ポン酢、めんつゆ、オタフクソースなどお馴染みのものがあります。


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子供に必須のふりかけやご飯のお供もしっかりあります。


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インスタンスラーメンもあります。写真は出前一丁ですが、他にもいろいろあり、こういうのを買って食べると日本のインスタンスラーメンのクオリティの高さをあらためて実感できます。


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お味噌や豆腐などの冷蔵品も取り扱っています。


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カレールーもとっても貴重です。


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日本のお菓子(ここではハッピーターン)もあり、この手のお菓子は外国人宅に呼ばれた時に持っていくと歓迎されることが多いです。


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その他パスタソースなんかもあり、特にたらこパスタのソースはとても貴重です。ロンドンではたらこ自体を見かけたことがないので、たらこパスタはこのソースなしでは食べられません。その他、このらいすわいんは日本酒が豊富に揃っているので、こちらも手土産として活躍します。


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まず、自分が一番反応したのは、そのグリーン色した店の面構え。

これは・・・たぶん自分が通っていたピカデリーサーカスの日本食材屋さんってここかもしれない。

おそらく95%以上の確率で間違いないと思う。


自分の記憶のイメージとしっかりとPLLロックする感じで、その店面構えの風貌や、グリーン色であること、まさにこんなお店だったのである。たぶん間違いない。


25年以上も前のことだったが、まだやっているとは!!!驚きとしかいいようがない。


自分の記憶では地下1Fにあったお店だったと記憶しているのだが、この地上にあるグリーン色の店の面構えを見て、さらに記憶がグイグイ蘇ってくる。確かに地上1Fにもお店があって、そのお店は地下にも降りて行って地下にも展開している2階建てのお店だったのである。


これはたぶん絶対間違いないと思う。たまたま自分は地下のほうの記憶だけが断片的に残っていただけであって。。。いまスルスル~と記憶が蘇ってきた。地上1Fから地下に降りていく階段を下っているシーンが走馬灯のように蘇ってきた。


たぶん間違いない!この店だよ。


まさかネットでググったら、そのお店に出会えるとは!

ネットの時代、恐るべし!である。


もう大号泣である。


自分の時代では、このグリーンの玄関のところにお勘定するカウンターがあって、その横に日本の雑誌なんかも売っていたように思う。地下のほうにはカップラーメンや、生鮮食品とかお味噌や豆腐などの冷蔵品、お菓子類とにかくなんでも売っていた。


お勘定を済ませ、外に出るときに、このグリーン色の扉、玄関を通っていった記憶があるので、間違いなく自分の記憶イメージ通り。間違いなくこのお店ですね。


もうここピカデリーサーカスのらいすわいんショップに行けば、日本食材はもう十分なくらい完璧に揃っていて買えたので、自分はヤオハンよりもこっちのお店を重宝した。自分の経路上にあるお店だからである。



ピカデリーサーカス駅から本当にすぐで、出口によっては徒歩3分以内にある。お店自体はそんなに広くないですが、品数はかなり豊富です。


この情報も、まさに自分の記憶イメージとぴったし合致する。


しかし驚きました。25年以上も前のことなのに、ちゃんと営業が続いているんですね。

嬉しいのひと言です。


そして25年以上経ったいま、そのお店に出会えるとは!!!またロンドンに再訪できる日がいつか来るかどうかわからないが、ぜひこのらいすわいんショップ、再訪してみたいです。


大号泣することでしょう。


このように海外で毎日の食生活を営んでいくとなると、やはり日本の食材で調理することも必要になってきます。そういうときのために現地での日本食材店はきちんとカバーしておく必要があると思っています。


ブリュッセルに住んでいたときも、堀米ゆず子さんをよく見かけることで有名な日本食材のお店によく通っていましたよ。(笑)


これは経験値としてしみじみ思うことなのだが、海外に旅行するということと、海外に住むということでは、やはり次元が違うように思う。


ハードルはやはり住む方がいろいろ高いというか大変である。

自分が日本に住んでいて至極あたりまえのように出来ていたこと、たとえばちょっと具合が悪くて病院に行くとか、区役所に行って書類記入だとか、そんな日常生活に身近で些細なことは普段まったく気にも留めないというか心配しないじゃないですか。


でも海外に住むということは、そんな普段あたりまえに出来ていることから、それをちゃんとやれることから、もうすでにハンディが始まっているというか、大変なものなのです。自分もイギリスに住んで、区役所になにかの登録に行ったり、文書を提出したりとか、そんな事務仕事、意外や苦労するものなんです。これって日本に居たらあっという間に終わっちゃうことだよね~といつも思っていた。


自分が相手にこれこれこういう感じでお願いね!と区役所のスタッフにお願いして、自分はこれでこの事務作業も終わったと安心していたら、何日経っても音沙汰なし、なにも起こらなかったとかはしょっちゅうの出来事でした。(笑)


そんな日本に居たら、ちょっとついでに用事を足すというレベルな些細なことも、海外に住むと全力でやらないと進まないのです。そこにハンディがあるな~といつも思ってました。


海外赴任者にとって病院は非常に大事なことだと思います。海外で健康保険がどう利くか、海外で働いているなら、海外の医療費、健康保険負担はどうなのか、これをいろいろちゃんと勉強しておく必要がある。イギリスは、いま医療費は無料フリーでしたかね?


こんな日本じゃあたりまえのついでにやることも、見知らぬ海外の土地でやることになるとなかなか大変です。


自分は病院関係は、海外に駐在されている日本人医師による専門病院にお世話になっていました。これは大変助かりました。内科、皮膚科、精神科、眼科など、複数の日本人医師でまわっている日本人駐在者用専門病院みたいなところです。ロンドンの郊外にありました。


日本人医師ですので、日本語で思う存分症状など説明できるし、日本語で適切な指示も受けられる。やっぱり命にかかわることなので、病院関係はきちんと押さえたほうがいいと思います。自分はここは海外で生活するにはかなりキーになるところかな~と思ってます。


一度、歯が猛烈に痛くなったことがあって、仕方がなくイギリス現地の歯医者で治療してもらったこともあります。


やはりこういうのは、海外に住んでいる期間が長くなればなるほど、段々勝手がわかってきて、こういうケースのときはどこに行けばいい、どこにコンタクトすればいい、というのが段々経験値とともに蓄積されていくものなんですね。


自分はもう高齢者ですが、もう一回ぐらい海外で暮らしてみたいと思うこともあります。

特にクラシックに関わりながら。。たとえばベルリンに住めるようになって、ベルリンフィルの定期会員になって、ベルリンフィルハーモニーに定期的に定期公演に通いたい。ベルリン市内のコンサートホール、オペラハウスを自分の好きなときに自由に鑑賞できるようになりたい。それはやはりベルリンに住んでいるからこそ、という感じです。


でもいまや毎月定期通院が必要な持病をいくつも持った体。やはり無理なんじゃないかな~といまは諦めています。自分は今後はやはりあくまで旅行と言う形で関わっていくと思います。


自分は、人生の中ではやはりどんな形にせよ、海外で暮らす経験はぜひしておいたほうがいい、という意見です。その人の人生にとって無形ではあるけれど、その経験は、もうとてつもない自分の財産になると思っています。


だから若い人には、自分の体が健康体のときに、チャンスがあれば思う存分海外で生活することを経験しておくことをお勧めしたいと思っています。


間違いなくかけがえのない人生の財産になります。








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懐かしい郷愁漂う青春の街 後編 [街歩き]

今回、とくに驚いたのは、ロンドンとベイジングストーク(Basingstoke)の位置関係を表すための地図を探しているときに、その近傍の街を思わず認識してしまったことである。


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それがオックスフォード(Oxford)である。


自分はこの25年以上の間、オックスフォードという街を完璧に忘れていた。

あの頃から1回も思い出したことはないのではないだろうか。

それだけ完璧に頭の外に飛んでいた。


でも当時、Basingstokeに住んでいたときに、ロンドンに次いでよく遊びに行っていたのがオックスフォードだったのだ。もう数えきれないくらい。おそらく両手の数(10回)以上は訪れている。


地図を見てもらえばわかるように、オックスフォードはロンドンやBasingstokeとは、めちゃめちゃ近いのである。北側に1時間くらいか。


当時インターネットとかなかった時代だから、特にガイド本で意識でもしない限り、その街に行こうとは意識的に思わなかったのであるが、そもそもなぜオックスフォードを知ったかというと、マイカーでBasingstokeの街中とか、あるいはM3のMotor Highwayをぶっ飛ばしているときに、あの世界標準の道路標識、背景色に青色で、白字の道路標識。それでOxfordという文字を認識したことに始まる。


あれ?あの世界的に有名なオックスフォード大学のあるオックスフォードってこんなに近いの?じゃあちょっと行ってみる??


こんな程度のノリである。


それであっさりオックスフォードの街に到着して、大学はもちろんのこと、街を徘徊してみて、いかにも学生街というカジュアルな感じがして、しかもどこか歴史的な重鎮さという正反対な魅力もあって、自分はすっかり虜になって何回も通ったのである。なにせ車で1時間もかからないから本当にご近所さんなのである。



オックスフォードは、英語圏において最も古い大学であるオックスフォード大学の拠点であることから、大学都市として有名な街である。


オックスフォード大学(University of Oxford)は、現存する大学としては世界で3番目に古く、英語圏では最古の大学である。


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各種の世界大学ランキングで1位の大学に選ばれるなど(例えば「タイムスハイヤーエデュケーション」では2017年から5年連続で1位)、ハーバード大学、ケンブリッジ大学、スタンフォード大学などと並び、常にトップレベルの優秀な大学として評価される世界有数の名門大学なのである。


6人のイギリス国王が学び、日本からも今上天皇さま、皇后雅子さま、秋篠宮文仁親王さまらの皇族が留学している。


そのほかにも、多くの政治家や学者を輩出し、政治家では28人のイギリス首相、30人以上の各国元首、55人のノーベル賞受賞者、150人以上のオリンピックメダリストなどがオックスフォードの出身である。


オックスフォード大学は学科だけでなくカレッジというシステムがありますね。大学の運営は、学科(department)とカレッジ(学寮、college)が並列に行っており、カレッジと学科が複雑に相互依存している感じになります。


カレッジは寮なのです。学寮なのです。


オックスフォード大学のカレッジは39あり、大学への入学はカレッジに認められなければならず、授与される学位も、学科での審査とカレッジの認証によって大学から与えられる。カレッジは、学生を学科に送って講義を受けさせる一方で、3人以下の少人数制の個別指導や、4~15人程度の中規模のクラスを主催し、専門性が強くなると学科に委託する・・・。


日本の大学にあるような学生寮と違って、かなり大学の学業の中のカリキュラムとして組み込まれたシステムなんですね。オックスフォード大学に入学するということは、必ずこのカレッジ、学寮に入らないといけないということなんでしょうね?


自分は、オックスフォードに行くたびにこのオックスフォード大学のキャンパスに勝手に入り込んで散策など楽しんでいました。(笑)キャンパスの芝生に座り込んで、たくさん歩いているカジュアルな学生たちを横目に見ながら、自分はいまあの世界のオックスフォード大学のキャンパスの中にいるんだな、とかよく思っていたです。


あの雲ひとつない晴天の日のキャンパスのあの風景の想い出をネットで探してみましたが、いまひとつ自分の記憶に近いものはなかったです。


敢えて言えばこれかな~。。。でも違うな~。


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それ以来、オックスフォード大学のキャンパス内は、この街に行く度に必ず寄る自分の定番の場所となったのです。


オックスフォードの街並みもすごく素敵なのです。車をどこかに駐車させて、いろいろ歩き回りましたが、本当に素敵な景観で自分はあっという間にファンになってしまいました。なにせ大昔のことですから、ネットで自分の記憶のイメージに合う写真を探すのが大変でなかなかそういう写真はないです。


でも1枚だけ、これは間違いなく記憶にある。

この建物はよく覚えている。間違いない!というのがこれです。


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セントメアリー教会。

オックスフォード大学の創建当初に本部が置かれ、会合や式典が行われた教会です。127段の階段を登って塔の先端まで登ることができます。


オックスフォード大学はすごい広いですが、車でグルグル回っていると、かならずこの教会に出会うんですね。この建物は間違いなく覚えています。


自分の記憶のイメージあるオックスフォードという街は、とてもカジュアルな雰囲気であると同時に、とても歴史ある重鎮さというか重みのある風格があるんですね。


ちょっとこう暗めのくすんだ煉瓦色の建物が多いとか、いかにもイギリスという感じもして、すごく素敵なのです。重ね重ね思いますが、当時はインターネットもなかったし、ガイドブックで事前に気合を入れて、ここの観光スポットに必ず寄るというような根性もなかったですから、ただ街内をふらっと散策して回って雰囲気を楽しむという程度でした。


あえて、記憶のイメージに近いと言ったらこんな写真になるかな・・・???


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同時期に海外で働いていたアムスの同期の友人ともオックスフォードに行ったことがあります。アムスの友人が遊びに来てくれたときに、一緒にオックスフォードまで行こうということになって行ったものです。そのときにはっきり覚えているのは、オックスフォードで有名な本屋さんに入ったことです。


友人はなんでも知っていたので、オックスフォードに来たら、この本屋さんに行かないとダメなんだよ、と言って教えてくれたのです。その本屋さんの中の様子はいまでもはっきり覚えています。


その本屋さんがなんという本屋さんだったか覚えておらず、いまネットで検索してみました。


このBlackwell'sでしたでしょうか・・・


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とにかくオックスフォードに来たら、この本屋さんに来ないと絶対ダメという肝入りだったので。オックスフォードのサイエンスミュージアムの近くにある有名な書店でBlackwell'sという本屋さんです。オックスフォードの本屋さんといえば、このBlackwell'sというネット上の情報です。


二階建ての店内は広く、オックスフォード大学出版のクラシックシリーズなど、文学本がたくさん並んでいます。


書店内の蔵書数はとても豊富で、専門書も多くある。また、オックスフォードゆかりの作家の作品・・・たとえばアリス・イン・ワンダーランドなどは同じストーリーでありながらさまざまな出版社からのものを1冊ずつ取り扱っており、その品質の高さには感嘆とか・・・。


1846年にオープンしたBlackwell'sはイギリスでは歴史あるオックスフォードにある本屋なのです。イギリス国内に50店舗近くあるのですが、その本店がすごいのです。


入り口はいたって普通な本屋さんなのですが、地下に行ってみると物凄く広い!なんと「最も大きな一部屋の本売り場」としてギネス認定されており、そこにある本棚の長さは合わせると5キロにも及ぶとか。


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どうやらBlack Well'sは書店を開いた後どんどん売り場を増築していって、運よく地下に開いているスペースが見つかり、それがこの巨大なギネス記録にもなった本の販売スペースだったようです。実はここオックスフォードの有名なトリニティーカレッジの地下なんだとか。


自分が友人と入った本屋さんはこんなに広いスペースではなくふつうの本屋さんでした。それでもすごく大きな本屋さんでしたが。でもこのギネス認定されている広いスペースはあくまで地下のスペースのことなんですね。あのときは地下には行かなかったような気がします。


だから実際、Blackwell'sに入ったんだろうけど、地下には行かなかったということだったんだと思ってます。


あるいは本店じゃないお店のほうに入ったとか。とにかくオックスフォードというと、このアムスの友人といっしょに入った本屋さんのことをとても鮮明に覚えています。


あとオックスフォードの街には、会社の上司の方もお連れした記憶があります。


もちろんそんな歴史ある重鎮さ漂う街並みなんですが、意外やデパートみたいなところもあって、結構近代的なところもありました。


いまやオックスフォードといえば、ハリーポッター、ハリポタですっかり人気観光都市としてスポット化されていますよね。自分は当時そのハリポタのイメージ、記憶が全くないのです。


調べてみると、ハリーポッター・シリーズの1番最初のシリーズである『ハリー・ポッターと賢者の石』は1997年の作品ですね。自分はそれよりも前の時代になります。だからまったくハリポタの記憶がないんだということがわかりました。


今度いつ行けるかまったくわかりませんが、今度はきちんとオックスフォードの観光スポットはどこなのか、ということをきちんと把握したうえで臨みたいと思います。


オックスフォード以外にも、地図をみて突然思い出した、ずっと忘れかけていた街があります。


それがサザンプトン(Southampton)です。


ロンドンやBasingstokeよりもさらに南下したイギリス南部にあります。

これも車で1時間くらいでしょうか。


ここには、PhilipsのLabがありました。


Philipsは大きなメーカーですが、自分の仕事に関係してくるのは、半導体ICに関するPhilips Semiconductorsのほうの会社です。Philipsとはとても大切なパートナーで、自分のメーカーの製品、セットに搭載するICとして、Philipsはとても重要な候補だったのです。その情報収集という意味合いも含めて、このサザンプトンにあるPhilipsはよく訪れてました。


サザンプトンやさらにその南下したところにあるポーツマスはいわゆるイギリスの港町で、海沿いの街として、とても風情があっていい街だと思いました。忘れられないです。


イギリスの西側の最西端にあるペンコイドという街もテレビの工場があって、そこに出張ということで、日本から上司をお迎えしてお連れしたことがあります。これは車でもう何時間もかかります。懐かしい想い出です。甘酸っぱい想い出のひとつですね。



アムスの同期の友人が遊びに来てくれたときに、ちょうど休日を利用して、私の車で、ロンドンからずっと北上して、イギリスの北部のほうにドライブ旅行に行ったこともあります。どこに行ったのかは、もう覚えていないのですが、1泊で海辺あるいは湖辺のすごく雰囲気のいい風情のある、いかにもイギリスらしいホテルに宿泊して、とても素敵な想い出として記憶に残ってます。


あと、車でイギリス南部の港町まで行って、そこからフェリーに車を乗せて、ドーバー海峡でヨーロッパ大陸に渡り、フランス北部の港街に着いて、そこから車でパリに向かって、パリを楽しんだ後、オランダのほうに行き、オランダの港から再度フェリーでイギリスに戻ったという旅をしたこともあります。


イギリスは右ハンドル右車線ですが、大陸は左ハンドル左車線ですので、なんかよくわからなく混乱して危険なシーンになったことも何回かありました。


ナビなんかなかった時代。よくやったなと思います。とにかくあの頃の自分は無茶苦茶だった。恐れを知らなかったです。かなり若気の至りで無謀で、ガムシャラな人間でした。


なにげなく、昔住んでいた街をFacebookで検索してみたところ、思わず昔とまったく変わらない街景観の写真で思わず感動で泣きそうになったこと。そして地図を確認したところ、あの頃からまったく思い出すことのなかった完璧に忘れていた街のことを思いだしたこと。


基本はマイカーでの移動が前提の生活、旅行でしたが、結構自分は車だけど、イギリス国内だけでも、いろいろなところに行ってたんだな、とあの頃のバイタリティーには驚くばかりです。


ブリュッセルに住んでいたときも、毎週のように週末はアムスの友人宅に車で通っていたし、パリにも車で遊びに行っていた。アムスの友人とは、アムスからスタートして、ヨーロッパ縦断というか、ドイツをずっと南下して、オーストリア、ザルツブルク方面まで車でドライブしたこともあった。とにかく若かった。無茶苦茶だった。よくできたと思いますよ。




思うんですが、のちのクラシックがメイン目的の海外音楽鑑賞旅行をするようになって、初めて電車、列車というのを使うようになったです。仕事で暮らしているときは、移動手段は圧倒的に車がメインであった。出張のときは、原則飛行機とホテルからはタクシーだし。で、ふだんの生活、旅行は、完璧に車。距離がそんなに遠くない旅行はなるべく車で行ってましたね。遠距離の旅行は飛行機ですが。。


だから自分は欧州では列車を使ったことがほとんどなかったので、ヨーロッパ大陸間の列車移動にちょっと苦手意識がありました。でも音楽旅行をたくさん経験するようになって列車移動が楽しくなってきた。列車旅の魅力がわかってきた。


ヨーロッパの列車旅はほんとうに最高に素敵なのですよ。車窓の風景がもう最高なのです。列車旅の素晴らしさがわからないままなんて、旅人生にとってかなり損をしていると思います。そうやって自分は、列車苦手意識が払拭されてきたのです。


反面、仕事で暮らしているときは、圧倒的に車人生だったので、走行距離は相当凄いものだったと思います。その距離が長ければ長いほど、その反動というか当然なのだが、危険なことに会ったこともたくさんあった。これは大きな反省点でもあった。甘酸っぱい想い出である。(笑)


もう日本に住む限りでは、命が惜しいし、車の事故で人生や一生を台無しにしたら、自分がこれまで大切にしてきたものを一気に全部犠牲にしてしまうと思うので、もうこれから先は車は運転しないでしょう。


東京の首都高なんて怖くて運転できないです。(笑)


でも自分の仕事は、この16年間、カービジネス、モビリティ一色の世界に身を置いてきた人生なのでした。(笑)人生って面白いもんです。


ヨーロッパで車でむちゃくちゃやっていたことと同じことをやれ!と言われても、いまじゃとてもじゃないけど、そんな体力もないし、まず方向感覚、アンテナ感度がぜんぜんダメですね。


もうそんなことできないと思います。









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ラウンドアバウトとスピードハンプ [街歩き]

ロンドン郊外を運転して驚いたのは、ラウンドアバウトである。日本語でいうなら環状交差点である。


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これは衝撃であった。日本ではもちろん見たことがなく、また自動車教習所でも教習項目に入っていない。海外に来て、ロンドン郊外に来て、初めて見たし、初めて体験したのである。


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交差点なのに、日本のように、交差点が十字架の形状で四隅に交差点信号機がなく、円環状を走っている車を優先させて、その隙を狙って、自分の車も入り込んでいくのである。そして自分の好きなところで出ていくという感じである。もちろん後続車のためにどちら側に曲がっていくかは、円環状に入るときと出るときは、かならずその方向にウィンカーを出す。



これは面白いな~と思いました。信号機に左右される日本の交差点に比べると、もうドライバーの感覚でどんどんすり抜けていく感覚があって、面白い。意外や信号機の交差点と比べるとこちらのほうが事故少ないんじゃないか、と思いますね。


自分はもちろん日本で国際運転免許を取得していきましたが、現地でも自動車運転講習を受けさせられました。それは学科試験はなく、実技運転のみで、それも実際の街の路上を運転するという訓練です。もちろん教官はイギリス人です。


そのときに自分は、初めてこのラウンドアバウトの存在を知ったのです。

まさに衝撃でした。



このラウンドアバウトはイギリスが発祥のようだが、ヨーロッパの大陸のほうにもあるようです。一番大きい有名なラウンドアバウトは、パリの凱旋門のところですね。


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あそこそ最大のラウンドアバウトです。

あそこは怖いんだよね~~~。凱旋門周遊上の車が、もうびゅんびゅんすごいスピードで回っているので、その中に入り込むのはなかなか大変なのです。円環状を運転しているときもすごい怖いです。


ラウンドアバウトはイギリス発祥だが、フランスには1990年代後半の時点で約15,000箇所のラウンドアバウトが設置されるまでになったし、アメリカでも、諸外国での成功例からラウンドアバウトが見直されるようになり、1990年にネバダ州でアメリカで初めての現代的ラウンドアバウトが建設された。


以来欧米ではラウンドアバウトはメジャーな交差点となっていった。


日本には2013年に長野県飯田市の東和町交差点で信号機が撤去され、はじめてラウンドアバウト導入されている。以来、北海道とか、東京、大阪とかいろいろ見かけるようになった。日本はつい最近ですね。どうりで、と思いました。


でも当時の自分が住んでいた時代では、やっぱりラウンドアバウトというのは、イギリス発祥でイギリスのみの交差点、ルールだった。ヨーロッパ大陸やアメリカではまだまだだった。ヨーロッパ大陸を車で運転していても、あまり見かけなかった。


Basingstokeには、このラウンドアバウトが非常に多く、自分は初めてのカルチャーショックを受けたのである。



自分は、このBasingstoke Hatch Warren地区の住宅街でひとつのイギリスらしいというか、面白いものを発見した。当然車が移動手段ですから、気づかざるを得ないのである。


日本には道路にこういう仕掛けを見たことはないです。

ヨーロッパの大陸でも見たことないですね。


これはイギリスだけなのか、確信は持てないです。

かならず住宅街のところにある仕掛けなのだが、道路にこういう車道に対してその進行方向に対してこういう突起物が敷いてあるのである。


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自分の記憶にある突起物の写真はネットにはなかったのだが、代替えでこの写真を選びましたが、実際自分が体験したのは、もっと灰色で三角錐上で尖っている突起物です。それの棒状のものが道路の進行方向にこのような状態で置かれているのである。


住宅街にはかならずありました。


これは運転しながら理解できたのですが、おそらくスピード落とせ、徐行運転させるための仕掛けなんですね。ふつうのスピードでこの突起物を乗り越えようとすると、もうガタンとすごい車に衝撃が与えてしまいます。それを避けるには、この突起物を乗り越えようとするときに徐行せざるを得ないんですね。


住宅街は閑静なところですから、安全のために、こういう徐行させるための突起物が道路に敷いてあるんだな、と当時は理解しました。なんかヨーロッパらしい面白い仕掛けだな、と思いました。


調べてみると、スピードハンプ、減速ロードハンプ、道路減速帯という正式名称なんですね。


いまは日本にもあるようです。


海外では車がないとなかなか生活が大変で、車での移動が原則になる。道路事情は、基本世界共通とはいえ、やはりそこで遭遇する海外ならではのルールや道路事情があることは確かで、ずいぶん困惑したものである。








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懐かしい郷愁漂う青春の街 前編 [街歩き]

先日、なにげなく、まったく期待もせず、昔、ロンドン郊外に住んでいた街のことをFacebookで検索してみたら、思いも寄らず、いろいろなコミュニティが存在し、しかもたくさんの街の景観の写真の数々。


その街の写真を見て、思わず涙が出るほど嬉しいのとあまりに懐かしくて、自分を見失うほど興奮してしまった。もう25年以上も前だろうか。。。全然街の景観が変わっていなくて、すごい郷愁の念。


あ~こんな時代もあったなぁ...海外で生活するという体験をし始めた頃で、そもそも自分は海外でぜひ仕事をしたい、住むなら断然ヨーロッパという欧州に対して並々ならぬ憧れを抱いていた時期で、その願いが叶い、とにかく毎日が楽しくて興奮状態で未知との遭遇の連続。反面いろいろな大きな失敗も数えきれないくらいした。


自分にとって、かなり甘酸っぱい想い出でもある。後年、ヨーロッパにはクラシックという切り口で海外音楽鑑賞旅行としていろいろな国を行脚するようになったがその頃の明るい楽しい想い出とはまたちょっとひと味違った若い頃の甘酸っぱい想い出である。


やっぱり仕事を背負って、働くという環境下では、そういう単純に無邪気な想いにもなれず、つねに重圧というかストレスの中で生きていたように思う。


そして地図を見てみると、その街の周辺にある街の数々。おそらく地図を見なければ、まったく思い出さなかったであろう25年以上もすっかり忘れていた街の数々。あまりに懐かしすぎて涙ポロポロ。全く忘れていた街の景観が、次から次へと鮮明に頭の中に蘇る。25年以上昔のことなのに、その街の景観はじつにくっきり鮮明に覚えている。人間の記憶ってすごいです。


あの当時はデジカメってなかったんですよね。フィルムのカメラだった。自分は当時カメラはやらない人だったので。写真を撮るときは写ルンです、を買っていたぐらい。


写真を撮るという習慣があれば、あの頃の想い出もいっぱい現実の証拠として残っていたかもしれない。本当に勿体ないことをした。


もうすごく懐かしい郷愁の想い、ヨーロッパでの自分の原点。そんな懐かしい街の景観の写真の数々を眺めながら、そんな甘酸っぱい想い出をいろいろ日記で語ってみたいと思った。


ロンドンより車で1時間くらい郊外で、地図でいうならばちょうど左下(南西)あたりの都市、ベイジングストーク(Basingstoke)というところに自分は住んでいた。


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ベイジングストーク(Basingstoke)は、イングランドのハンプシャー州にあるタウンである。Basingstokeは、いわゆるロンドンの郊外のベッドタウンというような位置づけで、元は古いマーケット・タウンだったらしいのだが、1960年代にロンドンの過剰人口の受け皿として、拡張された街である。


基本ベッドタウンなので、マイカーがないと生活できない街である。バスなどの公共の交通機関ってあったであろうか。記憶にない。鉄道はある。ロンドン行きの鉄道は存在する。自分も現に1回使用したことがある。寒い冬のときで、駐車場に車をとめて、わざわざ電車でロンドンまで行ったことがある。電車を使ってみたかったという理由だけで。寒い冬のときだったので、夜遅く街に戻ってきたら車のエンジンをかけたとき、寒くてなかなかかからなかったことを覚えている。


街は車がないと移動できないようなタウンで、ほとんどが閑静な住宅街というような街である。みんなマイカー族なのである。自分も会社から車を与えられていたので、自分の足はマイカーだった。


Basingstokeは、またIT系の企業のオフィスが集中しているワーカー用のオフィス街、オフィスタウンであるともいえた。自分の会社もそうであるが、他にもCanonとかの日系企業もあったし、そのほかにもイギリスの企業のオフィスが軒並みたくさん集中してあるエリアに固まって建っているのである。


もうそこは企業オフィスエリア。アメリカでいうところのサンノゼのイメージに凄く近い。イギリスのサンノゼ版といっていいタウンだった。


もちろんロンドンのベッドタウンなので、オフィスがロンドンにある人もたくさんいるだろう。なにせ車で1時間くらいだから、車通勤でロンドンに通っている人も大勢いたに違いない。


Basingstokeは原則は、大半が住宅街なのだが、そこに住んでいる人はやはり生活していかないといけないので、もちろんスーパーマーケットもあったし、いわゆる飲食店含めたお店などが並んでいる繁華街エリアもあった。


車で行って、繁華街エリアの入り口にある大型駐車場(本当にバカでかい!)に止めて、そこから徒歩で、繁華街エリアに入っていくのである。


これが自分が今回FBで発見したBasingstokeの街の景観の写真である。繁華街というと正直大袈裟な言いようで、もっと質素で銀行とか、旅行会社とか、床屋とか、少なからずの飲食店など生活必需品、生活していくに必要な最小機能が集まっているエリアといったほうが適切である。こじんまりした規模の街なのである。


懐かしすぎる~~~。(笑)


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これがBasingstokeの街である。

もう全然あの頃と変わってない。

信じられないです。


自分はこの写真を見て、もうかなり心の動揺が激しかった。もう完璧に忘れかけていて、忘却の彼方、甘酸っぱい想い出のまま心の奥深くにしまい込んでいたもの。それがまさかいまになってあの頃の記憶が走馬灯のように頭を過るとは予想もしなかった。


イギリスならロンドンとか、ドイツならベルリン、フランクフルトとか、いわゆる観光都市を旅行してその街の写真を掲載するということはあっても、Basingstokeのようなほとんど誰も知らないような街の景観の写真はとてもレアで貴重だと自分は思います。


このなんのへんてつもない、ただの小さなこの街の景観に思いっきり反応する人なんて自分くらいしかいないでしょう。(笑)


だれも知らない、わからない無名の街だと思います。



Basingstokeのお店というのは、いかにもお店という面構えでなく、あくまでふつうの住宅の中がお店のように改装したような趣が多く、すごいこじんまりとした風情なのである。


出張のときは、会社のオフィスにある旅行課で航空チケット、ホテルを手配しますが、自分のプライベートの旅行のときは、この街エリアのところにある旅行会社でエアー、ホテルを手配するのです。本当にこじんまりとした旅行会社でその予約カウンター内の様子などいまでもはっきり覚えている。



銀行もこの街エリアにあった。イギリスはNational Westminster Bankだったと思います。そこの銀行カードとクレジットカード作りました。その銀行にもよく通いました。


あと、床屋もありましたね。現地人の方にカットしてもらいます。最初は自分はこの街エリアの床屋さんでやってもらっていましたが、その後、ロンドンに日本人がやっている床屋さんを発見して、そこに通うようになりました。


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この銅像はっきり覚えています。

まだあるとは!!!驚きです。


あとは、小さな雑貨屋さんというか、玩具さんとか、文房具屋さんとか、そして電気屋さん、そういう生活最低限に必要な規模のお店しかないんですね。文房具屋さんにはよく行きました。


だからBasingstokeの街での生活というのは、いま考えると、現在の自分の生活環境と比較すると、すごく禁欲的な生活でレジャー要素のお店がほとんどない、生活必需品のみのお店だけしかなく、仕事のことをしか頭にないというか、仕事中心に考える生活だったなーと思います。


自分は当時イギリス人はまじめなんだな~、こんな禁欲的なところで暮らしているんだな~と思っていました。いま考えればそれは浅はかな考えで、じつはみんな家庭を持っていて、家庭料理で、家族といっしょの時間を楽しむというちゃんとした自分の場所、自分の暮らしを持っていたということだけなんだと思います。


イギリス人にとっての唯一の楽しみはパブなんですが、この街エリアには1軒ありましたね。


あとは飲食店です。自分はこのBasingstokeの繁華街エリアでお世話になっていたのは、普段の食事に使う飲食店です。もちろんスーパーマーケットもありましたから、家庭での自炊もありますが、当時あまり料理が得意でなかった自分は、もっぱら外食専門でした。


この繁華街エリアにあった飲食店は、レストランと言えるほど豪勢ではなく、本当に古民家を改装してできた小さな街のレストランという装いです。非常に家庭的な趣で、家族経営のような感じで、家庭料理のイギリス料理メインで食べさせてくれるお店が多かったように思います。


自分は、この街レストランによく入り浸っていたのですが、壁に貼ってあるメニューを書いた板に、〇〇〇Served With〇〇というように、このServed Withという表現に当時すごく感動した記憶があります。


英語圏の現地ではこういう表現をするんだな・・・という感動です。いまではふつうになんともない表現ですが、経験の少なかった当時の自分は、この表記にすごく興奮したものです。


そして中華ですね。中華は、その後、自分の食生活の中心になっていきます。このBasingstokeの街エリアには中華屋さんが1軒ありました。ほどよく経ってから、自分はこの中華屋さんを毎日の食事処にするようになりました。


やっぱり日本人にとって1番美味しかった~、食べた~という満足感が得られて、日本人の味覚に合うのは中華です。日本人なら、外国の料理の中で、毎日食べてもいいと思うのは中華くらいしかないのではないでしょうか。中華はほんとうに偉大でヨーロッパではどこの国にも必ずありました。


Basingstokeの街エリアには、日本料理はなかったです。日本料理を食べたいならロンドンまで行かないとダメだったです。いまほど日本料理もメジャーじゃなかったので、当時は日本料理は非常に珍しく高級料理として扱われていました。



この繁華街エリアにあった中華屋さんは自分の毎日の食事処でした。店内は結構お洒落な装いで、薄暗い照明でした。このお店で自分は、以前日記でも紹介した甘辛スープ(現地語で、Hot & Sour Soup)の存在を知り(いまでいうス―ランタン(酸辛湯)に近い。)、それ以来この甘辛スープの虜になってしまい、ロンドンの中華街でもかかさず頼んでいたし、イギリスの中華レストランではかならず存在していました。


白い小さな容器に入っていて、オレンジ色のトロミのついた甘くてちょっぴり辛いスープなのです。その容器についているレンゲですくって食べるのである。


でも日本の中華レストランでは、ほとんど目にしないメニューなんですよね、この甘辛スープ。それが不思議なのです。


本当に生活していく上で必要最低限の機能、お店しかない街。それがBasingstokeでした。やはりロンドンのベッドタウンなんですね。遊びたいならロンドンまで行くしかなかったです。そしてIT企業のオフィス街でした。だからその会社で働いている方々がその街に住居を持ち、そこに毎日マイカーで通勤して働く。家庭持ちが大半だろうから、スーパーマーケットもあるし、家庭料理中心で家庭を大事にする。基本は閑静な住宅街。。。そんなイメージの街です。



IT企業が集まるオフィス街にある会社オフィスは、そんな街の中でもさらに郊外のほうにあるので、会社へ車で通う道は、もう田舎の草原の中を突っ切る道路という感じである。自分の記憶のイメージとはピッタリ合わないけれど、大体こんなイメージである。


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そうすると当然結構スピードを出して運転している訳だが、夜になるとネズミみたいな小動物がこの道脇からよく飛び出してくるんですよね。とうぜん急にはブレーキをかけれないので、そのままズブっとやってしまう訳です。(笑)他のドライバーもみんな同じ体験をする訳で、もう道路には、この小動物の死骸がゴロゴロ転がっていて、まさに壮絶な地獄図でした。(笑)


自分はこの街のさらにHatch Warrenという区域に住んでいました。いまも大事に保管してあるVOIDされたパスポートには、その頃の現地の住所が書いてあります。自分の住民票には、イギリス・ハンプシャー州から転入、という記録が必ず残ります。


まず、イギリスに渡ったときに、最初はB&B(Bed&Breakfast)みたいな民宿のようなところで過ごすのですが、そこに滞在しながら、自分の住居を決めないといけません。


いまでいう不動産屋さんみたいなところに通って物件探しです。

そのときに、イギリスには、その住居スタイルとして、


デタッチド・ハウス(1戸建て:2階)

セミデタチッド・ハウス(つまり1棟に2住宅は入っている。)

パーパスビルト・フラット (マンションタイプ)

バンガロー(平屋造りで建物の周囲にベランダを持つ)


とか複数のスタイルがあることを知ったのです。

どの住居スタイルがいい?と聞くのです。


いろいろ悩んで、結局デタッチド・ハウス(1戸建て)にしました。日本だと一戸建てとなるとマイホーム購入、借りても大変な家賃と思うかもしれませんが、当時のイギリスではそんなに高くもなかったです。


こと住居に関しては、日本とヨーロッパでは考え方というか相場が違うような気がします。ヨーロッパは人間らしい生活を標準としますから、住居もそれをスタンダードとします。日本のようなうさぎ小屋のような住宅事情、高騰した一戸建てという状況は理解できないのかもしれません。


Basingstokeの中のHatch Warrenという区域は完全な住宅街です。Hatch Warrenで画像検索してみると、自分の記憶の中にある自分の家やその周りの風景とドンピシャという写真はもちろんありませんが、大体こんな感じのイメージのところでした。


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いかにもイギリスのデタッチド・ハウス(1戸建て)ってこんな感じなんですね。家の造りもまさにこんな感じの家です。マイカーは家の前に置きます。日本の一戸建てとはちょっと趣が違います。いかにもイギリスの家という感じです。こんな風情をした住宅が一面に広がっているのです。


イギリス、ロンドンは夏はそれこそ夜の10時くらいまで外は明るく、冬になると午後3時になったらもう外は陽が落ちしてしまい真っ暗になってしまいます。そんな真冬の午後3時~4時頃に、すでに真っ暗な中を、この住宅街の通りを車で走りながら、国が位置する緯度が違うだけで、こんなに感覚が違うんものなんだな~と思ったことを覚えています。



Hatch Warrenにある自分の家は快適でした。外国の家ですから家の中も土足なんですね。(笑)でも自分はイヤだから土禁にして靴を脱いでました。


2階建ての一戸建てで、家具付きでした。やはり借りるときは家具付きの家を借りるのが無難ですね。拘り過ぎて家具まで自前で全部揃えようとしたら、大変な出費になってしまいます。寝室も大小で2部屋。大のほうは洋服ダンスがすごい大きかったです。トイレやお風呂が、1階と2階それぞれにありました。トイレはなぜかよく詰まったのを覚えています。(笑)


車は家の前に止めるのですが、夜中によくロンドンに遊びに出かけていたので、夜中に車で出発することが多く、それを見ていた隣人が、休日に家に訪ねてきて、「Youは、日本人だから働き過ぎだ。夜はちゃんと家でゆったり過ごしていないだとダメだ。日本人は働き過ぎなんだ。」と怒られたこともたびたびあります。(笑)


また隣人とも仲良くさせていただき、よくホームパーティに誘ってくれました。まわりの近所の人が仲良くて、その近所のお仲間みんなを1人の家に集めてやるホームパーティという感じです。たくさんの大皿にいろいろおつまみがあって、それを食べながらお酒も飲みながら団らんするという感じです。イギリスのホームパーティってこんな感じなんだな、と思いました。


基本は近所同士のパーティーなんですね。日本じゃ親しい人同士やりますが、近所同士でやることはほとんどないですよね。(笑)



BasingstokeからLondonへは車で1時間くらいです。

高速のM3で一直線です。


もうBasingstokeは退屈な街なので、若かりし頃で血の気が多く、刺激が欲しかった自分、そしてなによりも学生時代のブリティッシュ・ロック、パンク・ニューウエーブ時代のロンドンに憧れていた世代の人間ですから、とにかく時間があればロンドンに通っていました。できる限りロンドンの空気、街並みにじかに触れていたい。


土日はお休みですので、土日はかならずロンドンに出ていたような記憶があります。


BasingstokeからLondonをM3で車で行くと、ロンドンに出るところがWaterlooになります。ロイヤルフェスティバルホールのある街ですね。ここにかならず出ます。


そこからピカデリーサーカスに出ることが多かったです。ピカデリーサーカスは自分のひとつのブリッジというか分岐点のような街でした。そこからいろいろな街、方面に行って遊んでから、帰るときは、またこのピカデリーサーカスからM3でBasingstokeに帰るみたいな。


いまの自分でいうなら渋谷と同じですね。東横線でいったん渋谷に出て、渋谷を起点にして東京のいろいろなところに出かける。帰るときはまた渋谷から帰るみたいな。。。です。



2016年頃に再訪したときのロンドン・ピカデリーサーカス


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ピカデリーサーカスには、自分の御用達の日本食材専門店があったのです。当時のロンドンにはヤオハンという日本食材のみを扱った巨大スーパーマーケットがありましたが、郊外にあって車とはいえちょっと不便な所にありました。何回か通いましたが、これは遠いや、と思い、それ以来、ピカデリーサーカスに日本食材専門店を見つけて以来、こちらに通うようになりました。なんかビルの地下1階にある小さなお店で、もういま閉業して存在しないんじゃないかな?それだけちっぽけなお店でした。


でもカップラーメンとか、ちょっとした日本の食材はほとんど品揃えしてあり、すごく重宝していた便利なお店でした。


ピカデリーサーカスには、もうひとつあの頃よく通っていたドーナッツ屋さんがあって、夜にロンドンに繰り出したときに、夜遅くによくそこでドリンク、ドーナッツを腹ごしらえでよく食べてました。2016年にロンドンに行ったとき、まだそのお店があったことに大感激。涙が出てきました。


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M3に乗る前に、左側にハロッズを見ながら通っていくという構図はよく記憶に残っています。しかも夜、家に帰るときですから。


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後編につづく


PS:


当時住んでいていちばんショッキングだったのはサマータイム(夏時間)というヨーロッパ(というか欧米)特有の発想です。ヨーロッパでは夏は、日が長いからその分、1~2時間早めて効率的に時間を使おうというものです。


春頃に1日23時間の日があり、秋頃に1日25時間の日があることになったりします。これは日本にいるときから注意しなきゃと知っていましたが、実際現地で住んでいるときに、難しいと感じるのはそのサマータイムに切り替わる日時なんですよね。3月の第2日曜日にいっせいに1時間進めることになるんですが、そのことにまったく気づかないというかわかんないんですよね。


今日からサマータイム、今日から元の標準時間に戻りましたとか、ふだん気づかない。


自分はこれで何回も失敗したことがあって、サマータイムに突入したとき、大陸のほうに出張するときに、航空チケットに書いてある飛行機の離陸時間を見て、何時に自宅を車で出れば間に合うな、ということを計算する訳です。


ところが途中で今日もうすでにサマータイムに入っているんじゃ?ということに気づいて、ありゃ、やべっ、すでに1時間進んで考えないといけない!飛行機の離陸時間は、1時間前倒しだったんだ!


いかん、もう間に合わない、と思い、慌てて車で飛ばしてヒースロー(LHR)まで駆け込んだことありました。ギリギリ間に合いました。


反対の場合もありました。サマータイムから標準時間に戻ったとき、その切り替わっていることに気づかず、これまた飛行機です。(笑)空港に行ったら、実際のボーディングはまだ1時間後だったということもありました。


日本はサマータイムがなくてよかったと本当に思います。







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やっぱり六本木はカッコいい! [街歩き]

去年のクリスマスイヴ前夜にサントリー美術館に行ったときのこと。じつにひさしぶりに六本木界隈を訪れて、その洗練された街並みに圧倒されてしまった。


ギロッポン(六本木)はやはり都会だ!

東京、そして成功の象徴のような街ですね。


住みたいとまでは思わないけど、通勤で毎日この街に通えるんなら、なんか華の貴族社会人、世の中の大成功者になったみたいで憧れます。


まっ六本木は、自分とは縁のない街といえばそうですね。(笑)


六本木を歩いていてなにが違うかというと、なんというのかな~顔、体に吹き付ける風の冷たさ、そしてなんとも冷たくてクールな都会的ハイセンス、高層ビルが立ち並ぶ中を歩いているときのゴミひとつない清潔感あふれるストリート。その風景に都会的な冷たさを感じるというか・・・。


とにかくクール、冷たい・・・そういう都会的な感覚を味わうんですよね。

あくまで個人の感性です。


でもこれはサントリー美術館がある東京ミッドタウンのエリアの雰囲気のこと。

冷静に考えてみると、六本木ってやはりオフィス街と歓楽街の街ですよね。


六本木ヒルズを筆頭に多くのオフィスビルがある六本木は、外資系企業や大使館も集中しているため国際色豊かな街となっている。高級ブランド店や有名飲食店が多数営業してるエリアなので、高級感のある大人なイメージがどうしても先行してしまいます。


六本木は、昼はビジネス街、夜は繁華街・歓楽街と時間帯によって2つの顔を持つ街なのです。国際色豊かで高級志向の人たちが集まる。「六本木」という地名にはネームバリューがあり、このエリアにオフィスや住居を構えることに憧れる方が多い。大手企業や外資系・IT・コンサルティング・メディア関連の企業が主としてオフィスを構えているほか、海外企業の日本法人もある。


ランドマークである六本木ヒルズや東京ミッドタウンではショッピングやグルメを楽しむことができ、イベント開催時には参加目的の人も集まり賑わいを見せている。


六本木ってそんな街だ。


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自分は夜遊びに行くとか、酒を飲むとかは、まったく無縁の人生を送ってきたので、夜の繁華街、六本木に飲みに行く、遊びに行く。。。というのは遠い遠いとお~い、自分とはまったく無縁の世界だなと思っていました。また経験してみたいとも思わなかった。自分には向いていない世界。


演歌に代表されるように酒、女・・・いろいろな歌に六本木はでてくる。

まさに東京、日本を代表する夜の繁華街である。


そして六本木で遊ぶとなると、ベラボーに高いんですよ。もう福沢諭吉さんが一晩で何十枚も飛んでいくような。。銀座のママ、六本木のママ・・。そんな遊びをやってみたいとも思わないこともないが、自分には無理だ。(笑)


一般庶民の遊び場じゃないですね。

銀座、六本木とも水商売を代表する日本一の繁華街なのである。

そこで遊べるのはおそらく富裕層の方々。自分には無理ゲーの次元・・・。


夜の六本木の繁華街には、たぶん一生で1回しか行ったことがないと思う。

しかも夜に行ったんだが、カレーを食べてたと思う。(笑)


日本人なら誰もが知っている六本木交差点。


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ここは行きましたよ。この首都高速のこの風景、よく覚えている。六本木に来たら、夜の繁華街、そしてこの六本木交差点、首都高速、これはマストですね。


そして六本木いえばやはりこの六本木ヒルズを代表とするハイセンスで都会的なHigh Society。


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都内でも群を抜いて前衛的で国際的な街並みが広がっている。


六本木といえば名所は数々あるが、やはりポピュラーなスポットといえば「六本木ヒルズ」。森タワーを中心に、レジデンスやテレビ朝日、グランドハイアット、TOHOシネマズなど数々の施設・企業を含む六本木ヒルズは広大で、そしてリゾート地かテーマパークかと思うほど作りこまれた近代的な装い。


ショッピングエリアには、六本木の持つセレブなイメージそのままのハイランクな店舗が並んでいる。


六本木ヒルズも行きました。なんかあまりに広くて大きくて、見るところあり過ぎて、とても自分には消化できなかったです。


六本木はじつは外国大使館が多く存在する街でもあるのだ。サウジアラビア大使館、スペイン大使館、スウェーデン大使館、アメリカ大使館宿舎などなど。


あと、自分の人生に関係するスポットとしては、アークヒルズ、サントリーホール、テレビ朝日、J-Wave、森美術館。。。こんなところも六本木の住所である。


まさに上昇志向、高級志向の強い富裕層によって営まれているそんなオフィス街、繁華街なのだ、六本木というところは。はぁ~と溜息である。


日本一の繁華街、夜の六本木交差点でカレーを食べてた自分には、やはり無理ゲーな街である。


そんな六本木であるが、サントリー美術館に行くにあたって、東京ミッドタウンにあるので、美術館鑑賞を終えた後、あたりをちょっと散策して、いろいろ楽しんできた。


東京ミッドタウン界隈ということで、自分の六本木散策をお伝えできれば、と思う。


自分は東京ミッドタウンは初めての体験だと思っていたのだが、中をいろいろ歩いてみると、昔何回も訪れていたかのようによく見覚えのある景色が並んでいるのだ。


なんか見たことあるな~。何回も来たことあったっけ?

その種明かしはあとでまた述べよう。


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東京ミッドタウンは、三井不動産の複合施設である。都営地下鉄(大江戸線)六本木駅に直結している。東京ミッドタウンは六本木だけでなく、八重洲や日比谷にもあります。


東京ミッドタウンは、オフィスや高級ホテル、さまざまなショップおよびレストラン、美術館、レジデンス、医療機関、公園・緑地など、多様な施設から構成されている。


いわゆる本当の意味で複合施設なのである。


東京ミッドタウンに含まれる施設にはホテル ザ・リッツ・カールトン東京、赤坂見附から移転したサントリー美術館、アメリカのジョンズホプキンス・メディスンと提携する東京ミッドタウン・クリニック、「コンラン」ブランドのレストランなどがある。


オフィス部分のテナントとしては、コカ・コーラ ボトラーズ、シスコシステムズ、ジーユー (GU)、スルガ銀行、ソニー・ミュージックエンタテインメント (SME)、ナイキ、富士フイルムホールディングス、ファーストリテイリング(ユニクロ)などが本社や東京本部を移転・設置したのをはじめ、ゲーム大手のコナミも東京都内各所に分散していた拠点をここに集約した。


都営大江戸線で六本木駅下車なのだが、直結とはいえ、結構歩くんだな。

いきなりこんなオブジェが現れます。

さすが六本木と思いました。


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サントリー美術館はこちらの方面なんだな、ということで歩き進めます。


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東京ミッドタウンホールがあります。


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そうするとちょっとした広場のようなところに出ます。


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サントリー美術館は正確には、東京ミッドタウンの中にあるというよりは、その建物の横にあるガレリアとよばれる棟の3Fにあるのです。このガレリアというところは、いわゆる施設としては東京ミッドタウンの中に含まれるのですが、中をいろいろ歩いて散策してみると、いわゆるショップやレストラン街という感じですね。東京ミッドタウンの中でそういうテナントを集めたエリアがガレリアなんだと思います。


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このガレリアの3Fのサントリー美術館ありました。

十二分に楽しまさせていただきました。


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京都・智積院・長谷川等伯障壁画展、1/22までですよ~。お早めにどうぞ!長谷川親子画伯の寺外展示は初の試みで、なかなかお目にかかれないと思います。最高の美と思います。


ガレリアはこんな感じで吹き抜け構造になっているのです。


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このように道路を跨ぐ橋もかけられていました。


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さすが六本木!と思うような超お洒落なレストランもありました。思わず吸い込まれそうになり、入ってしまうところでした。(笑)


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そのレストランの前には、このような表面に薄く水を張っているような癒しの空間も演出されていました。


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VW(フォルクスワーゲン)の車が展示されていました。


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この日は、クリスマスイヴ前夜だったのです。

クリスマスツリーが展示されてました。


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このときは、あ~、クリスマスなんだな~と1年が経つのが早い~としみじみ感慨にふけっておりました。


お酒を売るお店も入っています。


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どうですか!!!この高級感溢れる通路。


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東京ミッドタウンもそうですが、特にこのガレリア。なんか自分は昔に何回も通っていたような感覚。なんか見覚えある景色ばかりだな~と思っていたのですが、その解がわかりました。


ここでした!

ビルボードライブ東京。


あのジャズのライブレストランで有名なビルボードライブ東京です。

この東京ミッドタウン、ガレリアの4Fにあったんですね。


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昔、若かった頃、と言っても20年前の2000年代ですが、ケイコ・リーさんやakikoさんのライブでここに入り浸って、湯水のようにお金つぎ込んでました。自分の人生軸は音楽でした。


あの巨額の投資は、今はもう無理です。経験は、若いうちに積むべし!



東京ミッドタウンは、とにかく壮大な複合施設で高層ビルで成り立っています。そこにガレリアのようなショップやレストラン街が横に繋がっているという感じです。


その前がちょっとした広場になっているのです。

その広場から、いろいろなアングルで東京ミッドタウンを撮ってみました。


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ザ・リッツ・カールトン東京。もう六本木の超高級ホテルです。

自分には一生縁がなさそうなホテルです。


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正面エントランスから入ろうと思いましたが、正面にガードマンさんががっちり目を光らせているので、とてもそのままスルスルとは入れなかったです。いかにも不審者という感じなので。(笑)ここのエントランスには、ひっきりなしに、豪華な車が入れ込んでいました。


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ザ・リッツ・カールトン東京は、東京ミッドタウンの中に併合されているホテルなのです。正面からは怖くて入れないので、いったん諦めました。そしてもう一回東京ミッドタウンの都営大江戸線のほうに戻っていくと、なんと!ザ・リッツ・カールトン東京の裏口のようなところを発見。


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これはホテル宿泊者で都営大江戸線を使うお客さんはこちらの裏口から直結している地下鉄を利用するという感じなのでしょうね。でもふつうこのホテルに泊まる富裕層は、豪華な車で送迎でしょうから、正面エントランスから堂々と出入りするんだと思います。


そうすると・・・おぉぉぉ~~~。ザ・リッツ・カールトン東京!その片鱗を伺うことができます。でも韓国人や中国人のアジア系の外国人のお客さんが多かったです。服装も汚いし。でも彼らは金持っているんだな~。(笑)


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これで自分の東京ミッドタウン散策記はお終いです。

すばらしい複合施設でございました。


東京ミッドタウンと直結の都営大江戸線の六本木駅に戻るべく、地下通路を歩いていると・・・

六本木のセブンイレブンはやっぱりカッコいいですね~。(笑)ちょっと普通の店舗とは違います。


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六本木の整体師マッサージのお店のようです。外から筒抜けで見えてしまいますね。(笑)


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六本木のカフェはなかなかお洒落で雰囲気ありました。


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今度は、六本木ヒルズや六本木交差点、そして森美術館を散策してみようと思っています。

街歩きの日記の一環でです。









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