ガランチャ様バイロイトデビュー [オペラ歌手]
わが愛しのディーヴァ、エリーナ・ガランチャがバイロイト音楽祭でデビューを飾った。ご本人のインスタで報告しているのを拝見した。
学生の頃、グリューネン・ヒューゲル(バイロイト祝祭劇場のこと)に立って、そこでワーグナーを歌うなんて想像もできなかった。 この経験は圧倒されすぎて、本当に忘れられない。 サポートしてくれた皆さん、そしてこの素晴らしいライド(そのオペラに乗っている、役として参加しているという意味)に私と一緒に参加してくれた皆さんに感謝します!
もううれしいじゃないですか!
ファンというのは、やはり自分のことのように喜びたく、一緒にお祝いしたくなる、そういう生き物なのです。
ほんとうに心からおめでとう!
やっぱりオペラ歌手にとって、ワーグナーの聖地、バイロイトで歌うということは、もう歌手キャリアにおいて最高の名誉なんですよ。もうどんなにキャリアを積んでハイレベルな歌手においても。バイロイトで歌うということは、それだけ特別な意味を持つ。
バイロイトのチケットは、抽選制で、昔はずっと参加希望のお便りを出して、当選するまで7年半待ったという敷居の高さ。それだけワグネリアンにとってはバイロイトは夢のまた夢の舞台であった。
ところが昨今ではネット販売方式に変更、たぶん抽選ではあると思うのだが、昨今のバイロイト音楽祭の不人気で、チケットがまったく売れない、余っているというような危機状況で、ネットで応募すれば、ほぼ当選してしまう?というほど地に堕ちた人気ぶり。
またクリスティアン・ティーレマンの女性差別発言によって、彼は外されているとか、かつてのバイロイトの威信は、もう跡形もなく崩れ落ちた。。。というような記事をよく拝読する。
まっそうなのかもしれないが、歌手にとっては、どんなに評判が地に堕ちても、やはりバイロイトの地に立って歌うということは、特別な意味を持っていて、歌手キャリアの中に、ひときわ輝くものなのだ。
やはりバイロイトはバイロイトなんです。
やっぱり劇場内は暑くないとダメなんです。冷房設備を入れちゃダメなんです。
高校野球が、ドーム式球場でやることと同じ。やっぱり阪神甲子園球場でないといけない。
そういう伝統というものがある。
(でも伝統の名のもとにいつまでも不変ではなく、時代の流れに応じてやはり変えていかないと、時代に添うものに変えていけないことも確かにある。まっここで言及するのはやめておきましょう。)
ガランチャ様の出演した演目は、パルジファル。そのクンドリの役としてピンチヒッターとして、7/30と8/12の2日間出演を果たした。そして上がりから3日後の落ち着いたところで、インスタにポストというところであろうか・・・
カッコいいですね~。
バイロイトでストリーミングやっていないんでしたっけ?BR-KLASSIKとか?ライブ配信は逃してしまったけど、オンデマンド配信あるならぜひ観てみたいです。
ガランチャ様、出演の合間にバイロイトの街を散策していろいろ楽しまれたようですよ。
ハウス・ヴァンフリートも訪れたみたいです。そりゃ当然ですよね。
ガランチャ様、あらためておめでとう!
また日本にリサイタルでもオペラでもいらしてください。
現代最高のディーヴァ [オペラ歌手]
ディアナ・ダムラウとニコラ・テステのオペラ・アリア・コンサートをサントリーホールで聴いてきた。
ダムラウは1度でいいから、生の声を聴いてみたい、とずっと願っていた歌手で、コロナ禍で延期になっていたコンサートでようやくそれを実現できた。
想像していた以上に、素晴らしい歌手で、自分はもう興奮度は最高潮マックス!やっぱり自分が目をかけていた通りの大器の歌手だと確信した。
あの晩は、もうコンサートの感想をつぶやくほどの体力もなし、ひたすら、参りました~、という感じで、そのまま興奮で夜寝られなかった。
これはあくまで自分の曖昧な記憶の中での話なので、認識違いもあるかもしれないので、ご容赦願いたいのだが、ディアナ・ダムラウという歌手は、過去の出演作の中で、いわゆるあたり役という形で一世を風靡した、華々しいデビューを飾った、この作品で一気にオペラ界で知名度を上げた、というような衝撃的にオペラ界に登場してきた歌手というのではなかったように思う。
いわゆるコンスタントに地道に作品に登場を重ねつつ、そのプロ、歌手としてのレベルの高さ、そしてその容姿端麗さ、そしてこの人本来が持ち合わせているパッと陽が差して、一瞬にしてその場が明るくなるような暖かい人柄。。。こういう要素が積み重なってきて、2010年以降にいわゆる推しの歌手というか、評判が一気に高まってきた、そういうオペラ界への認知度の高め方をしてきた人なのではないか、と思うことだ。
2011年、日本が東日本大震災に見舞われたとき、アンネ・ネトレプコをはじめ、軒並み来日キャンセルを決め込むアーティストが多い中、ダムラウはいっさい構わず、来日してくれて、我々日本のオペラファンに大きな感動と勇気を与えてくれた。
あれがほんとうにいかに嬉しかったか!
もちろん来日しなかった方々を否定するつもりは毛頭ないし、普通に判断すればあの危機的な状況下で来日中止を決めるほうが、極めて正しい判断だったと思う。これは間違いない。
でも第九を振ってくれたズービン・メータもそうであったが、そんな逆風の中で来日してくれたその行為は、その当時大惨劇、悲劇で心身ともに打ちのめされている状態の我々にとって希望の光というか、いかに勇気づけられ、嬉しかったか。日本人の心の中にずっと大きな感謝の意味も含めて一生涯深く刻まれるのではないか、と思っている。
オペラ界で、いわゆる推しのブームが押し寄せたのは、2013~2015年あたり。自分もその波に乗った。彼女のCDをいろいろ聴き込んでいき、ロペス=コボス&ミュンヘン・オペラ管の「ランメルモールのルチア」全曲で感銘をし、ダムラウはいい歌手だな~と認識を新たにした。
自分の中で、ディアナ・ダムラウという歌手が心に入ってきた、自分がおそらくファンになってしまったんだろうな、と思ったその瞬間だった。
当時の自分にとって、ルチアといえば、やはりナタリー・デセイだった。デセイのファンでもある自分にとって、デセイのルチアは十八番中の十八番でコンサートにはよく足を運んでいた。
そんなデセイのルチアと比較すると、
ダムラウの声の印象は、声帯が広いというか発声のレンジに余裕があって、聴いていて抜けるような気持ち良さがある。
デセイのほうがレンジが狭くて、強唱のときに高域の音が少し耳にキツク感じることがあるのだが、ダムラウの声はスゴイ余裕があって、うるさく感じないというか、発声の許容レンジが大きいと感じる。声質はとても美声で線というか芯が太いしっかりした声だと思う。歌い方もとても情感的に歌う感じで、色っぽい。もちろん彼女のコロラトゥーラ技法は素晴らしいの一言。
確かに一推しされるだけの才能あるソプラノ歌手だと感じた。
ルックスも、鼻筋から目のあたりがとても平坦でさっぱりした爽やかさが漂っていて、彼女のオペラの実演に接してみると、とても魅力的なんだろうなぁ、と想像できた。なんか全体に漂う雰囲気が御嬢さん的なので、役柄的に似合う、似合わないというのが出てきそうだな、とその当時は確かに思った。
自分にとっては、とても魅力的な歌手に映り、自分の応援するオペラ歌手のリスト・宝箱入れに入れることにした。そんな2013~2015年頃のいわゆる業界におけるダムラウ推しのブーム真っ盛りのときに、自分もいい歌手だと心酔し、彼女のファンになっていったのだった。
ディアナ・ダムラウは、ドイツ出身の歌手。ヴュルツブルク音楽大学でカルメン・ハンガヌに師事後、ザルツブルクでハンナ・ルートヴィヒの薫陶を受ける。1995年にヴュルツブルク市立劇場でモーツァルトの《フィガロの結婚》のバルバリーナ役で初舞台を踏み、マンハイム国立劇場やフランクフルト・オペラなどにも出演するようになった。
以降、モーツァルト、ヴェルディ、ドニゼッティ、ロッシーニ、ベッリーニなどのオペラ作品に数多く出演し、オペラ歌手のジャンルとしては、ベルカントの歌手の部類に入るのではないか、と思う。でも、R.シュトラウスのオペラも、「ばらの騎士」をはじめ、「アラベラ」、「ナクソス島のアリアドネ」なんかにも出演されているのですよ。またベートーヴェンのフィデリオにも!
ベルカントだけに偏らず、いわゆる自分の声に合った作品であれば、作品の幅を広げていく。そういう心意気も見え隠れする。
オペラ歌手にとって、自分の声に合った役柄を選んでいく。
これは非常に重要なことだと思う。
声は天が授けてくれた自分の宝でもある。
この声を壊してしまえば、自分の歌手人生もそれで終わってしまう。
自分の歌手キャリアを考えていく上で、どのような作品、役柄を引き受けていくかは、自分の声に合うもの、それでいながら歌手としての自分の成長が見込めるもの、そういう判断が歌手の中にあるに違いない。
加齢とともに、声変わりもしていくかもしれない。そうすると若い頃歌っていたレパートリーがだんだん自分の声に合わなくなってきて、次第に重い感じのものに変えていくなど、つねに自分の声のコンディションとともにレパートリーを今後どう増やしていくかは、オペラ歌手の人生かけての永遠のテーマ、宿題事項なんだと思う。
ちょっと歌手名は忘れてしまったけれど、カラヤンがこの役を歌え、とある歌手に命じたところ、その歌手はきっぱり拒否。我々歌手は、声を壊してしまえば、それで人生お終い。どの役であれば自分の声に合うかは自分が一番わかっている。いくらマエストロの命令でもそれは従えません。。。
そんな問答を想い出した。
CD、歌手として、いわゆるオーディオとしてダムラウをじゅうぶんに聴けてきた自分にとって、今度はダムラウが実際歌っているところ、いわゆるオペラ作品として歌っているその姿を拝見したいと思うようになってきた。
もちろんその頃には、ダムラウはすでに大スターだったので、ふつうに新国立劇場でオペラ出演という訳にはいかない。キャリア的に、もうそのエイジ世代は通り越しているのである。
そうすると、もうその頃はオペラ界の大スターであったディアナ・ダムラウの実演に接しようとするならば、もう現地にいくしかないのである。ダムラウを観るために、ヨーロッパ、アメリカMETにいかないといけないか~。。まっそんな感じで自分の中では考えていた。
ある日、米METでグノーの「ロミオとジュリエット」が上演され、ヒロイン役のジュリエットとしてダムラウが抜擢されたのだった。METライブビューイングとして日本でも映画館で観れるようになった。当時はMETのオペラ公演が映画で世界中に配信される、ということで超話題になっていた時期である。
ダムラウの「ロミオとジュリエット」をMETライブビューイングとして映画館に観に行ったのは、2017年ですね。
これがまさに衝撃であった!!!
これがダムラウか~。。。である。
もう完璧なまでに自分の好み。よし!これで完全に自分の射程内に入った。ダムラウとはどんな歌手なのか完全に理解できた。
この日を以て、自分は正式にダムラウのファンになって行こう!と心に決めた日である。いまから6年前の2017年である。
METライブビューイングは、日本では非映画コンテンツとも言われるが、カメラワークなど多彩で、実際のオペラハウスの座席で観劇するよりも、リアルに間近で歌手たちの演技を観れるため、効果は抜群だと思う。
ひと昔前のロックコンサートと同じですね。昔のロックのコンサートは、スタジアム級でのライブになると、もう観客席からはスターたちは米粒くらいにしか見えないのだけれど、大型電子スクリーンが登場してから、コンサート会場でもスターたちのアクションが間近で観れるようになった。ロックショーにおける一大革命である。
METライブビューイングでオペラを観る、という行為もそういう革命的な要素が十二分にあると思う。
ダムラウは、やはりそのさっぱりとした風貌というか、上品さを兼ね備えた美貌なので、いわゆる役を選ぶ、というかお姫様的な役割が似合うことは間違いない。ロミオとジュリエットのジュリエット役は、まさにそんな彼女にドンピシャのあたり役だと感じた。
声も素晴らしかった。ソプラノとしての純度の高い声質で、定位もしっかりしていて安定感のある発声。やはり喉、声帯の帯域が広いので、強唱してもけっしてサチらない、というか飽和しない。突き抜ける高音など突き抜け感抜群で、これはじつにうまい歌手だと確信した。
そしてなによりもオペラは演技である。いかに歌いながら演技で我々を魅入るか。オペラは、演奏会形式と違い、オペラ歌手は演技で、そして歌唱の両方で我々を魅入らないといけない。
そんな演技と歌の双方を拝見して、お姫様役のジュリエットとしては、ダムラウは最高だと自分は認識、PLLフェーズロックインしたのである。
METライブビューイングでこんなに大感動したのは、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」のときのイゾルデ役のニーナ・ステンメ様のときと、このグノーの「ロミオとジュリエット」のジュリエット役のディアナ・ダムラウのときの2回のみである。
METライブビューイングの場合は、幕間になると舞台袖でインタビューがある。
そのインタビューで、まず彼女は英語がすごく流暢だった。(笑)ドイツ人なのだけど、子音が強いドイツ語訛りもまったくなく、ネイティブのように滑らかに英語を話す。驚きました。
そしてなによりも、すごく明るい人なのだ。めちゃめちゃ陽気で、その場がパッと明るくなるような陽のオーラがあって、ダムラウってほんとうにいい人なんだな~明るい人なんだな~とそのときに初めて知ったのである。
自分は、METライブニューイングの幕間インタビューで、ダムラウの人となりを知ったのである。、
ふだんから着飾らないお茶目な人なので、自分は好意を寄せていた。
コロナ禍のときに突然沸き起こった日本で、ウィーンのチョコレート、ザッハトルテをウィーンのホテルザッハから取り寄せることが殺到してしまった大騒動。大ブームになったとき。
ダムラウは、ウィーンのホテルザッハのカフェ・ザッハで、ザッハトルテで自分のお誕生日を祝福。(笑)
また、オペラ歌手として大尊敬するエディタ・グルベローヴァと記念撮影が撮れたことをすごく喜んでいた。
自分は、いまはやはり仕事が忙しいので、なかなかオペラはいろいろ聴けなくて、どうしてもワーグナーに偏る傾向があるのだけれど、ベルカントものは、グルベローヴァのCDはほとんど全部集めているし、ダムラウのCDもかなり集めている。
自分にとって、ベルカント・オペラの有名なオペラ・アリアは、グルベローヴァのCDとダムラウのCDで、普段聴いているので、よく勉強して知っているという感じなのだ。だからベルカント・オペラは、自分にとって、グルベローヴァとダムラウが先生のようなものである。
だからこの記念のショットは、すごく自分のことのように嬉しかった。
いいフォトだと思います。
ここまでが、自分にとってのディアナ・ダムラウとの馴れ初めである。
・・・となると、あとは実演に接することだけなのである。
生の声を拝聴することだけなのである。
残されたミッションというのは。。。
これを、2023/5/23(火)に実現してきたのである。
旦那様のニコラ・テステとともにデュオコンサートで、オーケストラの東京フィルをバックに備えてのオペラ・アリアコンサートである。サントリーホールで拝聴してきた。
ディアナ・ダムラウ。6年半ぶりの日本。渋谷忠犬ハチ公で。(笑)なんか思う存分東京を楽しんでくれているみたいでよかったです。
ちょっと座席が遠すぎたかな。ダムラウの表情やアクションなどもうちょっと間近で観たいと感じた。やっぱり歌もののコンサートは歌手の近くで聴くのが一番ですね。
このRDブロックはふだんあまり利用しないポジションなのだが、音響的にはいいと感じた。やっぱり歳のせいか、オーケストラは全体の響き、音場をすっぽりそのままつつみ込むように聴ける座席がいいと思うように嗜好が変わってきた。とくにサントリーホールは、1階席の平土間より上階席のほうが音響がいいように思う。
オーケストラの響きがそのまま丸っと包み込むように堪能出来て、その響きが上に上がってくる感じのところを聴くのがベストだと思う。サントリーホールは皇族VIP席のRBブロックがベストなのだが、ここだと真横になるので歌手が真正面から観れないので、RDブロックにした。
コンサートは、ディアナ・ダムラウの歌、ニコラ・テステの歌、そしてオーケストラ・東京フィルのオーケストラコンサートという3パターンを繰り返していく感じで進行した。
当初は、ダムラウの声をずっと聴いていたい、と思っていた自分は肩透かしを食らった感じで、ちょっと欲求不満であった。なんか楽しみが分散されてしまうみたいな感じで。
でも今考えてみると、ひとつのパターンをずっと繰り返すよりは、このような3パターン単位で繰り返していった方が、コンサート自体が単調にならずによく練られた手法である、と理解出来てきた。
演目は、やはりロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、ベッリーニ・・・とベルカントが中心。
前半は、正直なところ、ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステともに素晴らしいのだが、最近声楽もののコンサートといえば、東京・春・音楽祭の5時間のハードボイルドなワーグナーしか聴いていないので、なんか、今回のコンサートは、ダムラウの声は美しいのだが、なんか物足りなくて、上品だけど、これで終わっちゃうの?という感じで、かなり欲求不満であった。
やっぱりオレの体質的には上品なベルカントより、ハードボイルドなワーグナーのほうが合うのかな?自分を思う存分気持ちよく興奮させてくれるのは、ワーグナーなのかな、とか思ったりした。
それが自分の前半の正直な感想であった。
旦那様のニコラ・テステは、非常にいい、じつに素晴らしい声質を持ったバス・バリトンであった。いや~いい声しているな~~~と惚れ惚れする感じである。男声であれば最高に憧れる声質であろう。声量も申し分なし。いい歌手だと思います。
ダムラウ、オーケストラと交互に順番に主役を務めていったのだが、非常に奥ゆかしいというか、奥さんのダムラウにひと華もふた華も咲かせるというか、自分は一歩を身を引いて、あくまで奥さんを前面に出すように自分を抑えるというか、底辺の力持ち的な振舞で、自分は泣けてきました。
まさに男の鏡のような存在ですね。声も素晴らしいですが、この1歩引いた感じで、でも全体に華を添えるこの演出には大変感心いたしました。
そして後半。
クライマックス、驚きは後半に待っていた!
ダムラウ、まさにアクセル全開。この日のコンサートでは、1曲歌うごとにドレスを変えていくサービスぶり。さすが!と唸ってしまった。
自分は最近メッゾばかり聴いているので、ソプラノの声域の声を聴くのがじつにひさしぶりのような気がした。ソプラノらしい非常に線が細いというか繊細な美しさで、非常に純度が高い、ピュアな声。でありながら、ここぞ、というときの強唱のときの広大なレンジ感、突き抜け感という圧倒的な歌唱力を披露した。
声質としては、非常に柔らかい声で、すごく揺らぎというか癒しの効果を聴衆にもたらす独特の周波数軸特性・時間軸特性をもった声だと思う。そしてすばらしい声量感。
それはワーグナー歌手の巨艦のような圧倒的な声量とは違うのだ。
非常に繊細な美しさを伴った線の細い声でありながら、ピュアで声量も圧倒的にある。
そういうトータルのバランスとしての完璧さ。
そんなイメージがダムラウの声の印象であった。
そして、それは彼女が歌っているときに、本人の意識とは関係なく無意識に出てしまう歌っているときの自然の仕草や演技、細やかなパフォーマンス。そういうものがすべてにおいて、すごく自然でサマになっているのだ。
やっぱりダムラウはオペラ歌手なんだな。。彼女はやっぱりプロだ。演技をしながら歌っている彼女を観てみたい。そういう衝動に無性に駆られてしまった。
まさに圧倒されたと言っていい。
自分の選択眼に間違いはなかった。
ディアナ・ダムラウは現代最高のディーヴァと言っても過言ではない、と確信した。
アンコールも5曲も歌ってくれるサービスぶり。
プッチーニの「私のお父さん」のアリアのときは、そのあまりに誰もが知っているその美しいアリアに、みんな大興奮。ダムラウがそれをあの美声で美しく歌い上げる姿は大変な感動を巻き起こした。
そして、さらにびっくりするようなサプライズもありました。
アンコールの最後に、「春よ来い!」を流暢な日本語で2番まで歌ってくれるサービスぶり。
もう場内は大歓声となりました。
後半にこんなに大興奮が待ち構えていようとは思ってもおらず、もう終演後は恒例の感想のつぶやきを打つ気力もなく、ただそのまま帰って、ドキドキ興奮しながら布団に入ったのでした。
ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステ オペラ・アリア・コンサート Kings & Qeens of Opera
2023年5月23日(火)19:00~
サントリーホール
指揮:パーヴェル・バレフ
管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団
G.ロッシーニ
歌劇「セミラーミデ」より序曲
G.ロッシーニ
歌劇「セミーミデ」より「麗しい光が」
A.トマ
歌劇「ハムレット」より「私は貴方に懇願する、おお、兄上よ」
A.アダン
歌劇「我もし王なりせば」より序曲
P.ハジェフ
歌劇「マリア・デシスラヴァ」より「偉大なる神よ、私の願いを聞いてください」
C.グノー
歌劇「シバの女王」より「一人の女性の足元に」
L.ドリーブ
バレエ「歓楽の王」よりガイヤルド
G.ドニゼッティ
歌劇「マリア・ストゥアルダ」より「私のタルボ!」
<<インターミッション>>
G.ヴェルディ
歌劇「ドン・カルロス」より「ひとり寂しく眠ろう」
G.ドニゼッティ
歌劇「アンナ・ボレーナ」より「ああ、この純真な若者は」
P.I.チャイコフスキー
組曲 第1番 ニ短調 作品43番より第6曲 ガヴォット
P.I.チャイコフスキー
歌劇「エフゲニー・オーゲニン」より「恋は年齢を問わぬもの」
V.ベッリーニ
歌劇「ノルマ」より序曲
V.ベッリーニ
歌劇「ノルマ」より「清らかな女神よ」
<<アンコール>>
ヴェルディ
歌劇「群盗」より「3か月前に見知らぬ1人の男が!」
ドニゼッティ
歌劇「ドン・パスクワーレ」よりカヴァティーナ「騎士はあの眼差しを」
プッチーニ
歌劇「ラ・ボエーム」より「古き外套よ、聞いておくれ」
プッチーニ
歌劇『ジャンニ・スキッキ』より「私のお父さん」
春よ、来い(童謡)
ガランチャ様がバイロイト音楽祭に! [オペラ歌手]
今夏のバイロイト音楽祭のオープニングは、パルジファルなのだが、そのクンドリの役で、なんとエリーナ・ガランチャがピンチヒッターで登場するのだそうだ!バイロイト音楽祭の公式HPで伝えている。
これは嬉しいな~。ガランチャ様がついにバイロイト登場とは!
もう驚きです。ファンとしてはすごく嬉しい。
ガランチャ様は歌い手としてのジャンル分けとして特にワーグナー歌手というカテゴライズされる訳でもないので、これはすごく名誉なことだと思う。
ガランチャ様は、これを受けてこんなコメントを出している。「ラトビアでは、パルジファルは、バイロイト祝祭劇場で初演されたと認識している。信じられないくらい名誉なことで興奮している。」
もともとクンドリ役は、ロシア歌手のエカトリーナ・グバノヴァが歌うはずなのだったが、オープニングの7/30と8/12が都合が悪くキャンセルで、そこにガランチャ様に白羽の矢が立ったのだそうだ。8/15,8/19,8/23,8/27は従来通り、エカトリーナ・グバノヴァが歌うのだそうだ。
ラトビアの歌手で、バイロイト音楽祭の舞台に立つのは、エリーナ・ガランチャが初めてである。
バイロイト音楽祭、行きたい~~~。
またあの夢のような名誉な場所に行くことは、自分の人生にあるのだろうか・・・。(笑)2016年に奇跡的に行けたときのあのフェスティバルの雰囲気、バイロイトの街とか、もうはっきり鮮明に覚えている。ほんとうに素敵だったよ~。よく行けたよな。あの頃は自分はまさにイケイケだった。
バイロイト音楽祭って、ストリーミングやってないんでしたっけ?
やってますよね?ぜひガランチャ様の勇姿拝見してみたいです。
ワーグナーのオペラは、東京春祭で演奏会形式では毎年体験するけど、オペラ形式はほんとうにご無沙汰している。じつはパルジファルは、ワーグナー10大楽劇の中で、一番自分にとって疎遠で馴染みのない演目なんで、これを機会にぜひがっつりオペラを観てみたい。
エリーナ・ガランチャは、ラトビア出身である。
ラトビアってどこにあるか、知ってますか?
ここです。私は初めて地理関係を把握しました。
エリーナ・ガランチャは、ラトビアで音楽一家の中で育った。
プロとしてのキャリアをマイニンゲンのマイニンゲン州立劇場で始め、その後フランクフルト歌劇場に移った。2003年マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』のローラ役でウィーン国立歌劇場の初舞台を踏んだ。
そこからキャリアを積んできた訳だが、自分が存在を意識したのは、やはり彼女の当たり役の2010年のビゼーのカルメン。
これは衝撃だった。カルメンにガランチャあり!と一躍大人気になった。
2011年だったかな、ベルリンフィルのジルベスターコンサートで、ガランチャ登場で、素敵な白いドレスで、あのカルメンを歌ってくれたときは、もう痺れましたよ~。以来大ファンである。
オペラ歌手は、その声質や声量や得意としている演目から、ワーグナー歌手とかベルカント歌手とかジャンル分けされることが多いんだが、ガランチャは、特にそういうカテゴライズはされていないように思う。
それこそ、モーツァルトから始まって、シュトラウス、ロッシーニ、ベッリーニ、マスカーニとか守備範囲が幅広く歌ってきている。でもワーグナーはいままでに歌ったことはないようだ。
ワーグナー歌手というのは、とにかく戦艦のような巨大な声量を必要とするダイナミックな歌い方をすることが必要だが、去年の日本でガランチャ・リサイタルを生で体験した限りでは、まったく心配ないと思う。
とにかく日本リサイタルは凄かった。メッゾらしい安定感があって、ガランチャの声は本当に定位感がよく安定しているので、聴いていて気持ちがいいのである。
あの声量感、ダイナミックレンジ、そして抜群の定位の良さ。
自分が想像している以上に凄かった。
ガランチャの一番の魅力は、その完璧なまでの定位の良さ、音程の安定感だと思っているのだが、それ以上に驚いたのが、声量である。とくに強唱のときのあの声量は凄すぎる!!!
そして、もう最初の1曲目から、まさに絶好調、最高潮のボルテージ、テンションなのである。ふつう歌ものって、最初は喉が温まってなくて、初めは聴いていて本当に心配になるくらい悲惨で、徐々にボルテージが上がってきて、最後はもうMAXというのが通例なのだが、もうガランチャ様は最初からすごいエンジン全開なのである。
まさに巨艦のワーグナー歌手としても十分対応できると思うし、全然問題ないと思う。
サービス精神旺盛で、アンコールたくさんやってくれたし。(笑)
キャリアの途中としては、アンナ・ネトレプコとエリーナ・ガランチャというデュオで売り出していた時期もありましたね。懐かしいです。
2013年にザルツブルク音楽祭で、祝祭大劇場でムーティ・ウィーンフィルでヴェルディのレクイエムを聴いたんだが、そのときに独唱ソリストの中にガランチャがいたのでした。それが初めての生で接した体験でした。
以来、CDも必ず買って、いろいろずっと応援してきたオペラ歌手である。
バイロイト出演は本当に自分のことのように嬉しい!
ぜひ頑張ってほしいです。
バイロイト音楽祭も、ずっとコロナ禍で開催中止で、今年何年振りかに開催なのではないでしょうか?
今年夏、ぜひ盛況となることを心からお祈りしています。
藤村実穂子さん [オペラ歌手]
藤村実穂子さんは、世界中で活躍し、欧米における「現在最高峰のメゾの一人」と称されている。真の意味で「世界のフジムラ」といっていい。
それまでの日本人オペラ歌手は、有名歌劇場で歌った経験がある、あるいは日本人の役である「蝶々夫人」(ソプラノ)で欧州歌劇場を一時回って歌ったことがあったということを日本で売りにして、欧米よりも日本国内で有名になった。
藤村さんの場合は大きく違い、その活動のほとんどを欧米で、しかも不断に行っていることである。海外に居住する日本人音楽家は数々いるが、欧米で「最高のメゾソプラノの一人」と呼ばれ、フリーでここまで引っ張りだこで活躍し、また日本人の容姿であるのに欧米人として、一流の欧米歌手達と一緒に舞台に立って演技をし、「女神」「スター」「これ以上の適役歌手はいない」と各誌で絶賛される日本人歌手はこれまでいなかった。
「日本人だから」という理由で自動的に「蝶々夫人」として起用されるのではなく、声楽技術、演技力といった実力で歌劇場や指揮者に気に入られたという、いわば本場で認められた初の日本人歌手といえる。
まさにここなのだと思う。
ここが「藤村実穂子」という歌手の偉大さを表現している、欧米での評価の高さを端的に言い現わしている「的を得た表現」なのだと自分は思う。
自分が藤村さんの存在を意識し始めたのは、2002年、バイロイト音楽祭の「ニーベルングの指環」において、日本人として初めてフリッカ役を演じてから、その年から9年連続で、同音楽祭に連続出場したとき。
この偉大な業績はさすがに自分のところまで届いた。
日本人歌手としてバイロイト音楽祭に出演することさえ大変なことなのに、それも9年連続!
ワーグナー歌手には目のない自分にとって、しかも日本人歌手。
もの凄い興味をそそられた。
一度ぜひ実演に接してみたいなぁとそのとき思ったのである。
2011年か2012年頃だったと思う。
それからの大活躍のプロフィールは、本当にすごい。
世界一流の歌劇場、そして世界一流のオーケストラ、指揮者との競演を重ね、目が眩むような大スターのキャリアの道を歩まれている。世界各国で引く手あまたである。
ここでは全部書ききれないので、下記のプロフィールのリンクを参照いただきたい。
藤村実穂子プロフィール
ご本人はメゾ・ソプラノという声域についてこのようにインタビューで述べられている。
「私は野球でいうとピッチャーよりもキャッチャー。サッカーで言えばフォワードよりゴールキーパーのような、目立たず支える役に惹かれます。メゾの役は精神的に屈折した役が多くて、こう行くであろうあらすじをコロッと
変えてしまったり、邪魔したり、嫉妬したり、一筋縄ではいかないのが面白い。だからやりがいがあるのです。憎まれるくらいで済めばよいのですが、オペラが終わって「あいつだけは許せない」と思っていただければ「しめしめ」ということです。(笑)」
また藤村さんは、歌うためにすべてを尽くせるよう非常にストイックな日常生活をお送りとのこと。生きることということは歌と直結していると言ってよいようだ。
「神様は私に声をプレゼントし、同時に私への宿題と言う意味も与えてくれました。私にはこの贈り物に応える義務があります。私にとってこのお礼という行為は、イコール生きるということなんです。そして私にとって生きるということは、求めるということです。私生活とか楽しみとか、そういうものは全て犠牲にして当然です。私にとって一番幸せな時間とは、私の演奏会に来てくださる見ず知らずの方たちと、作曲家あるいは作詞家の見た世界を共有する時間です。これ以上価値ある瞬間は考え難いです。」
自分はいままで藤村さんの実演は、記憶によれば3回体験していると思う。
いずれも自分が大きく感銘を受けたところは、恐れ多いような完璧な表現力。まさに魂がこもっている、気が入っている、その渾身のど迫力に度肝を抜かれるというか。
なんというのかな、聴衆者に息をさせることすら許さない極度の緊張感をこちらに強いてくるというのか、まさに凛とした、辺りを払う威厳とともにピンとした空気が張り詰める、そういった藤村さんのまさに真剣勝負そのものが、聴衆に強烈に伝わってくるのだ。
こういういわゆる”気”をこちらにこれだけ感じさせる歌手って、はたしてどれくらいいるだろうか?世界の藤村として名を馳せるだけのことはある、世界が認める力は、やはりとても奥が深く、藤村さんを、まさしく求道者のような存在に仕立て上げているだけのことはあると感じるものだった。
とにかく聴いていて迫力があるんですよね。
音程の良さ、定位感の良さ、そして声量と文句なし。
そして実演で聴いているときのこの気というか迫力。
これがその3回の生体験のときに、ひしひしと自分が感じたこと。
藤村実穂子さんを初めて体験したのは、忘れもしない2013年のルツエルン音楽祭のとき。自分が初めてルツエルン音楽祭を体験し、しかもその音楽祭初日のオープニング・コンサートのときだったのである。
ルツエルン音楽祭にとって初日のオープニング・コンサートってやはり特別な意味を持つ大切なコンサートなんですよね。クラウディオ・アバドがまだご生存のときで、アバド&ルツエルン祝祭管弦楽団によるオープニング・コンサートでした。それに藤村さんが出演されていたのです。
アバドにルツエルン、そして藤村実穂子。
もうこれ以上ない最高のシチュエーション。
自分は本当に幸せ者だなぁと思いました。
音楽の神様はたしかに自分に味方している。
そのときの昔の写真をいろいろ探していたら、あまりに懐かしく、美しくてちょっと感動。。。いまのご時世の、どこにも行けない疲弊感のある荒んだ精神を癒してくれるので、ちょっとあのときにフラッシュバックという感じで想い出を巡ってみますね。
自分にとって、藤村実穂子さんといえば、この2013年のルツエルン音楽祭という記憶に直結していて、五月雨のように記憶に蘇ってくるのです。
ルツエルンはスイスの湖畔に面した本当に小さな街で、”風光明媚”という言葉はまさにこのことをいうんだな、と思います。本当に小さな街で半日もあれば観光ポイントは全部廻れてしまう。あのときはあっという間に廻れてしまったので時間を持て余して、これからどうしようかなーという感じだったのを覚えています。
ルツエルンは本当に風光明媚。ルツェルンという街は、ルツェルン湖から注がれているロイス川が街を横断するように流れており、その上下に旧市街、新市街と展開している。まずはゼー橋からロイス川沿いの景観を撮る。
見えているのがカペル橋。(水の塔)
なんか建物もおとぎ話に出てくるみたいで美しい。
コルンマルクトへ出て、市庁舎に出る。 この市庁舎の1Fはビアホールになっていて、休憩時に使わせてもらった。ビールの他にソーセージも頼んだ。この日はすごい暑かったので、体中汗びしょでこのときのビールがいかにうまかったことか!
いまでも忘れられないです!
ビアレストランを出ると、ロイス川に沿ってカフェが並ぶ光景が圧巻。さすがはヨーロッパと思ってしまう。
ルツェルンの風景の特徴としては、湖に浮いている白鳥達の存在も抜きには語れない。
あとワーグナーファンである自分にとって、ルツエルンといえば、リヒャルト・ワーグナー博物館を訪問できたことも忘れることができない大切な想い出。
ワーグナーがリストの娘コジマと暮らした家である。ここで息子ジークフリードの誕生を祝い、コジマの誕生日にオーケストラを自宅に招いて初演したのが「ジークフリード牧歌」である。あとあのマイスタージンガーもこの家で生まれている。
ちょっと失敗だったのが、この息子のために「ジークフリート牧歌」を少人数で演奏させた階段のところの写真を撮ってくるのを忘れてしまったことだ。また今度。
そして、この建物がKKL(Kulter-und Kongresszentrum Luzern)。和称だとルツェルン文化・会議センター。駅のすぐそばにあって、ルツエルン湖畔にそびえ立つ感じでスタイリッシュな近代的な建物で超カッコいい。KKLは、いわゆる複合総合施設で、美術館、会議室、そしてコンサートホールなどが中に入っている。
ここのコンサートホールで、ルツエルン音楽祭が開催されるのだ。
空間デザインがモダンで、音響も素晴らしい、じつにいいホールでした。
ルツエルン音楽祭の初日、オープニングコンサートというのは、特別なセレモニーなのです。KKLに入るなり、こんなレッドカーペット。紳士・淑女たちが大勢います。やっぱり外国人の方は体格が大きいせいか圧倒されますね。日本人、アジア人である自分がみすぼらしくなります。まず最初にマスコミ関係者だけ、集まってくださいという呼び声がかかって、その方たちだけで集合写真を撮るのです。それが終わったら我々一般人も入っていいという感じです。やはり初日、オープニングらしいですね。
オープニング初日限定だと思うが、このレッドカーペットの奥に入ると、照明をいっさい落としたこんなカンファレンス・パーティというかそんな催しものがあります。たぶん初日限定ですね。ワインを配膳しているボーイに聞いてみると、「コンサートが始まる前のプリ・パーティみたいなものだ。」と言っていました。大きなスクリーンがあって、そのスクリーンになにかを映し出していたり、なんか美術的なオブジェが置いてあり、そこに紳士・淑女がワイン片手に談笑している空間なのです。
圧倒されますねぇ・・・。(笑)
自分の眼の前をワイングラスを片手に「ダンケ・シェ~ン」と言いながら横切っていくご婦人。あのゆったりした雰囲気は、まず我々のようなセカセカしたアジア人では絶対出せない雰囲気ですね。まず絶対無理です。体内のリズム感が根本的に全然違いますね。
このとき自分と同じ1人だった男性から話しかけられ、英語がドイツ語訛りだったので、ドイツ人だと思いますが、そのドイツ人とずっと話していたのでした。
そして幕間のインターミッションでのブレイク。
まさにこれこそ、「ザ・ヨーロッパの夏の音楽祭」という図ではないでしょうか?同じ正装の図でも、日本のサントリーホールでの正装コンサートの和の雰囲気とはやはり違いますね。やっぱりヨーロッパ人は体格が大きいという感じがします。
そして終演後なのだけれど、なぜかドリンクをどうぞ!とスタッフ一同笑顔で迎えてくれました。
さらばKKL!と終演後に後にします。
この初日のオープニング・コンサートは、自分は最前列のこんな座席でした。もっと真ん中ら辺で聴きたかった。(笑)
オープニング・コンサートはやはり特別で、いきなりコンサートが始まるのではなく、ルツエルン市長の登壇がありスピーチ。そしてダニエル・バレンボイムも登壇してスピーチ。そういうオープニング・セレモニーがあるのです。
それが終わってからようやくオープニングコンサート。
2013/08/16 ルツェルン音楽祭オープニングコンサート:ルツェルン祝祭管弦楽団演奏会
会場:KKL ルツェルンコンサートホール
指揮:クラウディオ・アバド
メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
ブラームス/悲劇的序曲op.81
シェーンベルク/『グレの歌』より間奏曲と「森鳩の歌」
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調『英雄』作品55
一生忘られないメモリアルなコンサートとなりました。このときが、藤村実穂子さんを初めて生で鑑賞した記念すべき日でありました。同時にルツエルン音楽祭、アバド&ルツエルン祝祭管を初めてリアルで体験できた日。
残念ながら自分の座席からのカーテンコールの写真には角度的にアバドが映っていないのが残念でした。このときの藤村さん初体験のときの印象は、自分はずいぶんこの音楽祭の祝祭的な雰囲気に飲まれてしまっていて、舞い上がっていてよく冷静に分析できなかったんですね。あっという間に終わってしまった、という感じです。
アバド&ルツエルン祝祭管は自分にとっては、やはり2000年代に入ってからの、この音楽祭、KKLで連続収録したマーラーツィクルスが一生涯忘れられない想い出で、このBlu-rayは当時のマーラー映像全集ものとしては画期的なものでした。バーンスタインのマーラー映像全集が業界初としたら、このアバドのマーラー映像全集は近代的マーラー解釈の自分のリファレンスとなりました。それだけ画期的だったのです。
そのアバド&ルツエルン祝祭管を、そのKKLでルツエルン音楽祭で生でリアルで拝見しなければいけない、というのは自分のクラシック人生にとって、やはりどうしても避けて通ることのできないmandatory taskだったのです。
このときの公演の模様は、Blu-rayで発売されています。
ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、
ブラームス:悲劇的序曲、他 藤村実穂子、アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団(2013)
いまこうやって8年ぶりに拝見してみると、新たな発見がありますね。
サビーネ・マイヤーはもちろんのこと、吉井瑞穂さんも乗られていましたね。
お馴染みのルツエルンのメンバーもたくさん見えます。
当時の私の最前列からはよく見えなかったのです。(笑)
なんか藤村実穂子さんの日記なのか、ルツエルン音楽祭の日記なのか、わからなくなってきましたが(笑)それだけ、藤村実穂子=ルツエルン音楽祭2013オープニングコンサートのイメージで自分の記憶の中に刻み込まれているのです。
残念ながらアバドはこの年にご逝去。この年の秋にルツエルン祝祭管と来日予定でもあって、オーディオ仲間といっしょに行く予定でもありました。大変な高額チケットでS席6万円もする、さすが大物という感じでした。
亡くなられる寸前に、ルツエルンの本場で拝見できたことは、本当によかったと思います。
そのほかとしては、岐阜のサラマンカホールを体験したときも、藤村実穂子さんのリサイタルでした。
このときはシューベルト、ワーグナー、ブラームス、そしてマーラーといったドイツ音楽作曲者によるドイツ歌曲をうたう、というコンサートでありました。
このときのほうが、藤村さんの本来の凄みをしっかり自分のものにできた気がします。
リアル生体験3回のうち、残り1回はミューザ川崎での東響名曲全集での恒例のクリスマスでの第九のときに独唱ソリストとして参加されたときに拝聴させていただいたと思います。
藤村さんのディスコグラフィーとしては、やはり想い出に残っているのは、このティーレマン&ウィーンフィルによるベートーヴェン交響曲全集ボックス。
残念ながらこれは、いまは廃盤になってしまっているようなのだが、当時2013年に発売されたもので、ウィーンフィルがウィーン楽友協会でベートーヴェン交響曲全曲演奏会をやる、という当時としては大変な大イヴェントだったのです。それを全曲映像収録した大変貴重な映像素材。
藤村さんはこれの第九の独唱ソリストとして参加されています。
2002年にバイロイト音楽祭でフリッカ役で登場して以来、9年連続で同音楽祭に出場という大評判を聞きつけて一度は藤村さんの歌っているところを拝見してみたいな、とずっと思っていたときに、初めてそのお姿を拝見したのが、この映像素材ボックスの第九だったのです。
これが自分の初藤村体験です。
衝撃でした。
この日記を機会に、
2021.8.22 (日)
サントリーホール サマーフェスティバル2021 ザ・プロデューサー・シリーズ
アンサンブル・アンテルコンタンポランがひらく
~パリ発~「新しい」音楽の先駆者たちの世界~東洋-西洋のスパーク
に参加されるようなので、さっそくチケットを取りました。
楽しみにしています。
藤村さんのCDは大変失礼ながらいままで持っていなかったんですね。
さっそく5枚購入しました。
ディスコグラフィーを拝見して驚いたことは、音源ならば全部SACD、そして映像素材ならば全部Blu-rayなのです。もちろんレーベルの意向もあると思いますが、これは驚いたと同時にこういう高画質・高音質指向の方向性に我得たり!というようなとてもうれしい気持ちになりました。
さっそく、ドイツ歌曲集4枚とオペラ・アリア集の合計5枚を購入しました。
ドイツ歌曲集は、オフマイク録音で、非常にホールの響きが多い特徴ある録音でしたが、藤村さんのすばらしい声とともにじつに味わい深いいい録音でした。
オペラ・アリア集のほうはやはり燃えますね。(笑)オーケストラのコンサートと違って、人の声のコンサートというのは、本当にぐっと心の底から燃え上がってくる情熱というか、その感動の具合がとびぬけて素晴らしい。人の声の魅力って本当に素晴らしいです。
これはどの歌手のCDでも同じことですが、オペラ・アリア集は聴くと必ず燃え上がって感動します。ワーグナーのアリア、ビゼーのカルメン・・・素晴らしいのひと言でした。