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アルブレヒト・マイヤー [クラシック演奏家]

これは常々思うことなのだけれど、自分がクラシックファンでありながら、急激に老いを感じるようになったのは、やはり世界中がコロナ禍のパンデミックになってからだ。日本のクラシック界はやはり外国人アーティスト、外来オケに頼るところが大きいビジネスで、それが軒並み来日できなくなったので、もう日本の若手の演奏家のまたとないチャンスとなった。


コロナ禍前までは、自分はリアルタイムの最前線のクラシックファンだと自負していたのだが、コロナ禍になって、まさに水を得たように若い演奏家たちがつぎつぎとデビューしていくのを体感して、急激に老いを感じるようになった。


若い指揮者、演奏家は、やはりこれからの新しい世代の日本のクラシック界を背負っていかないといけない。いままで多大なる業績を残してきた大ベテラン、いわゆる自分の世代のアーティストもどんどん高齢化していく訳で、このベテランたちが積み上げてきた歴史を新しい世代の指揮者、アーティストがどんどん次の世代へと引き継いでいかないといけないのだ。そうしないと明日の日本のクラシック界の未来はない。これはクラシック界に限らず、人間社会の自然の掟である。


もちろんそうなるように自分も若い人をどんどん応援していきたい。ところがもともと貧乏人なので、予算体力がついていけず、自分が身銭を切るならば、やはり自分の時代のアーティスト、自分がもっともクラシックに熱かった、入れ込んできた時代のアーティストのコンサートに費やしたい、と思うのが人情というものである。


人間の脳って、高齢化していくにつれて、吸収する情報の容量に限界を感じたり、吸収しようという意欲そのものが少なくなっていくように思う。新しいものをどんどん吸収していく、そういう積極性がなくなっていくのである。


いつのまにや、気づいたら、自分の青春時代に好きだったアーティストの音楽ばかりをふだん毎日聴いている・・・。高齢化する、ということはそういうことなのだ。


自分の仕事の技術関係についても全く同じ。自分がどんどん高齢化しているにも関わらず、世の中の技術の進化の流れって、そんな個人の事情なんてまったくお構いなしに、なにごともなかったのようにどんどん進んでいく。そんな個人の事情なんてまったくお構いなしにだ。その人が別にやらなくても、世界中の若い有望な技術者がやるだけなのだ。世間の技術の流れは高速スピード化でまったく容赦ないのである。それが未来永劫、永遠に続いていくだけなのだ。


それで、その技術の流れについていったり、合わせて行くのは、もう高齢化しているその人間の心の持ちよう次第なのである。自分を変えていくしかない。自分の心の持ちようしかないのである。それが脳の老化、劣化を防ぐ唯一の方法なのである。


自分側でそれを放棄した時点で、懐かしむだけの老化まっしぐらに行ってしまうのではないかと思うのである。急に老け込むというのはそういうことに起因するんじゃないかなと。


世間は、そんな一老人のことがどうなろうと関係なく、おかまいないしに進んでいきますから。もう自分が合わせて行くしか方法がないのである。いち個人の人生はもちろん有限なものなので、かならずこの壁、ギャップに遭遇するようになっている。どんな人間でもである。


自分は50歳代後半。まだまだ人生でもっとも輝いている働き盛りのときだと思うが、ヒタヒタと忍び寄る老化現象は、やはりどうしても日頃感じることが多い。


やっぱりそれは感情移入という点だ。若い頃というのは、やはり恋多き時代で、人に恋する、人に感情移入する、というのがとても多くあたりまえの事象であった。自分はとくに性格上、沈着冷静とは程遠い性格で(笑)、情感溢れる、つねに恋している、恋多き男である。


やっぱり熱い時代というのは、もう入れ込み具合が全然違う。心底恋してしまう。

そういう多感で繊細な心の持ち主なのだ。


自分が予算体力も十分にあって、クラシックを心底自分のモノにしたい、一生懸命勉強したいと思っていた時代に出会った、自分と一緒に育ってきたアーティストはやはり、自分の中に深く入り込んでいく。一生忘れられない存在になる。


いわゆる”自分の世代のアーティスト”である。


高齢化していくと、若いアーティストがこれからを背負っていくためには、一生懸命応援していきたいと思ってはいるものの、この感情移入という点で、いまひとつ深く突っ込んでいけない自分がある。


若いアーティストは、新鮮で可愛らしいし、パッとその場が明るくなるようなオーラもあって天使のようだ。可愛いし、頑張ってほしいといつも思っているけど、これと自分個人の本気の感情移入というのは、これまた違うんだよね。


どんなに歳をとっていっても、ジェネレーションギャップを感じずに、自分の愛情を注いでいける、深い愛を捧げられる。。。これがまさに理想の姿なのだと思っている。これから歳を重ねていく上での自分の目指したい姿である。


この感情移入できない、自分を本気にさせられない。。これはまさに高齢化現象なのである。これはもう仕方がないのである。人間の気持ちの持ちようの老化というのは、そういうものなのである。


これはいまの自分だけに言っていることではない。いま若い人に至っても歳をとっていくと同じ現象になるのだ。その若い人たちが過ごした時代にもっとも自分が入れ込んでいたアーティスト、いわゆる自分の世代のアーティスト、そういうものが世代が変わったとはいえかならず存在するはずだ。時代がずれて経験するだけなのである。


そういう意味合いからも音楽評論家の先生方は、本当にすごい大変な仕事だと思っている。明日の日本のクラシック界を育てていくためには、若い演奏家をどんどん評価して、宣伝して、プッシュして行かないといけない。若い世代のアーティストを評論することで育てていかないといけない。


自分の世代のアーティストとなんら変わらないように、平等な扱いにてでである。


やはりそこはプロなのである。


我々のように気持ちが乗らないので、なんて甘っちょろいことは言えない。



常々、自分は高齢化するにつれて、人間って感情移入という動作が苦手になって、自分の時代のアーティストに固執してしまう生き物であること。そういう習性を持っていること。若いアーティストは本当に頑張ってほしいとは思うものの、どんどんデビューしてくる膨大な新人たちを自分の頭の中でうまく整理することができず、なかなか頭がついていけなく、予算体力の優先度からして、どうしても自分の世代のアーティストに回帰してしまう現象であること。


こんなことを沸々と考えるようになった。そういう老いを急激に感じるようになったのが、あのコロナ禍を経験してから、急激に若手主体の演奏会に切り替わるようになってからである。



じつに長い前ぶりであった。(笑)


いつかは語っておきたい、いまの自分に課せられている課題といおうか、ここはなんとかしなければな~と思っている箇所であった。


こういうことを考えたのは、今回この日記で取り上げるベルリンフィルの首席オーボエ奏者、アルブレヒト・マイヤー氏の新譜を聴いてレビューしたいからだ。アルブレヒト・マイヤー氏は、まさにもう自分の世代のど真ん中のアーティスト。深い愛情をたっぷり注ぎ込んでずっとその成長を見守ってきたアーティストである。


想うところも深く、いろいろ想い出もある。そんなときに、この自分の人生の課題を思いついて、つらつら~と書いてみたくなっただけだ。



ベルリンフィルの首席オーボエ奏者 アルブレヒト・マイヤー氏は、アバド・ラトル時代の(そして現在も進行形ではあります。)ベルリンフィルの顔ともいえる主力メンバーで自分がもっともクラシック音楽に熱かった頃、自分の情熱をすべて傾けていた時代だったので、この時代に旬だった奏者は、もう一生忘れることがない。(マイヤー氏は、もちろんいまも旬です。。笑笑)


結局、自分にとってベルリンフィルというのは世界No.1のオーケストラで、自分はカラヤンでその門を叩き、入門した。まさにクラシック勉強の時代で、アムスの同期友人から手ほどきを受けながら、膨大なカラヤンの音源、映像素材を片っ端から購入して、クラシック音楽を勉強していった。自分にとって、カラヤン・ベルリンフィルがクラシックへの誘い、入門であった。またカラヤン・ベルリンフィルはソニーとも非常に深い関係にあったので、いわばこれは自分が辿るべき正規ルートなのだという自負があったことも確かだ。


そして自分がリアルタイム世代として生きてきた同世代観を抱けるのは、アバド・ラトルの時代だったな~と思う。とくに自分が現地ベルリンまで聴きに行って、リアルタイムど真ん中として生きてきたのは、ラトルの時代だったと思う。自分にとって、ベルリンフィルの芸術監督といえばサー・サイモン・ラトルである。この時代が自分にとって、ベルリンフィルというオーケストラを自分のモノにできた、と感じた達成感みたいなものがあって、ラトルの退任と同時にオレのひとつの時代はお終わったな~と感じたことも確かだった。


アバドもラトルもマーラーを普及させていくための近代解釈論者としてのマーラー指揮者のような使徒を意識していたところがあって、こういう姿勢も自分のマーラー音楽傾倒に対して大きな影響を及ぼしたと思っている。


ペトレンコはぜひ頑張ってほしい。就任早々コロナパンデミックという大変な境遇ではあったが、徐々に巻き返してほしい。まだまだこれからである。やっぱりベルリンフィルの団員が選んだのはペトレンコで正解だったと思う。他の候補者を今思えば、とても長く勤まるとは思わず、ベルリンフィルの伝統を紡いでいくには無理があるかな、という印象はある。


あまりメディア戦略が苦手な寡黙なペトレンコではあるが、DCHで何度かその指揮振りを拝見したが、非常に柔らかい滑らかな自然調のスタイルでこれは、団員たちは演奏しやすいよな~と直感で感じたものだった。美しい指揮だと思う。そして徹底的にリハーサルするというか、計算に計算を重ねて緻密に音楽を作り上げていってから本番に向かうというようなスタイルと聞いている。基本はオペラ指揮者だとは思うが、非常に計算高い完成度の高い演奏パフォーマンスになると自分は予想する。まじめなペトレンコらしくていいと思います。ベルリンフィルの最高の技術をしてそれが実現できるのだと思います。オーケストラとの相性はいいと思ってます。



今年の秋のペトレンコ&BPOの来日公演は、でもちょっと高額チケットで無理だった~。(笑)

いまの自分にはもう無理かな~。ペトレンコぜひ頑張ってほしいけど、自分のベルリンフィルにかける意気込みは、ラトルの時代で終わったかな~ともやはり思います。


アルブレヒト・マイヤー氏は、そんなアバド時代の1992年にベルリンフィルに入団である。まさに1990年代組ということで、自分の記憶では、長年統治したカラヤン時代の団員たちがみんな定年退職でベルリンフィルを大量に退団していったそんな時代が1990年代だった。だからベルリンフィルにとって、1990年代と言えば、オーケストラの顔ぶれがガラ変したある意味世代交代の時期だったのだ。


そのときに大量に入団した1990年代組のひとりが、アルブレヒト・マイヤーだった。アバド&ベルリンフィルは、カラヤンの影響を排すべく、いろいろな試みをおこなった。それこそ団員たちのマエストロの呼び方から・・・怖かったカリスマのカラヤンと違ってとてもファミリーで親しみやすい雰囲気を作ろうとしたのがアバドだった。まず意識革命から、というところか。


自分は昔は、NHKのベルリンフィル定期演奏会という番組で、そして昨今はインターネットのDCHで、ずっとアルブレヒト・マイヤー氏を観てきた訳だが、同じ首席オーボエ奏者のジョナサン・ケリーとはいつも隣り合わせのそのツーショットが本当に絵になって、カッコいいな~と憧れたものだった。


自分にとって、ベルリンフィルのアルブレヒト・マイヤーといえば、同時にジョナサン・ケリーのことをかならず思い出す。この2人はかならず隣り合わせのlツーショットなのだ。あるいはフルートのエマニュエル・パユとのツーショット。


ジョナサン・ケリーもエマニュエル・パユも花の1990年代入団組。こうしてみると、長らく若き新しい世代のベルリンフィルを支えてきたメンバーは、もうみんなこの1990年代入団組なのだ。


ジョナサン・ケリー


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自分が盛んにンベルリンフィルを観ていた時代のジョナサン・ケリーはこんな風貌であった。ところが、ずいぶんしばらくご無沙汰して、つい最近のジョナサン・ケリーの近影を拝見すると、老けたな~(笑)という感じでショックだった。昔の面影がまったくなかった。頭髪もなくて丸坊主スタイルだし。男は高齢化すると、やはりビジュアル的に難しいですよね。(笑)


その点、マイヤー氏は、今に至っても、そんなに劣化は見られず、上手に歳を重ねているな~と思います。


これはかねてより自分の持論で、もちろん異論のある人もいると思うのだが、オーケストラの中心、肝となるのはじつは木管楽器だと昔から思っている。オーケストラの中段のど真ん中に配置されている木管群。そしてオーボエ奏者たち。


よくクラシック・コンサートの演奏会のビデオやライブ中継を見ると、そのカメラワークで、途中でパンで木管奏者、オーボエ奏者を抜く瞬間があってこれが妙にカッコいいのだ。いや~オーボエ奏者、木管奏者って華があるな~。カッコいいな~といつも思うのは、この瞬間である。


たしかにオーケストラでは、弦楽器奏者がそのサウンドの大半を担っていることから、弦楽器奏者が中心という考え方が妥当かもしれないが、自分的には、じつは木管楽器、オーボエ奏者がオケの花形ポジションであるように思うし、その嫋やかな音色は、オーケストラ・サウンドの肝となっているように感じる。


自分のずっと昔から抱いている持論である。この持論は、ずいぶん昔から、このブログを始めた2013年頃からず~っと言い続けていることで、日記にも何回も書いてきたことだ。


”木管奏者、オーボエ奏者はカッコいいのである。”


この持論は間違いないと思っている。


自分の中でそのイメージを初めて確立させてくれたのが、ベルリンフィルのアルブレヒト・マイヤーとジョナサン・ケリー、そしてエマニュエル・パユとのツーショットだったのだ。


イケメン3人によるこのツーショットは、本当にサマになっていて、木管、オーボエ、フルートはカッコいい。演奏中にカメラに抜かれるその瞬間がカッコいい、と最初に思ったのがこの3人であった。


すべてがそこが原点になって、いまの自分の想い込みがある。(笑)



今日の日記の主役はアルブレヒト・マイヤー。


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1965年、ドイツのエアランゲンに生まれ、幼少の頃からオーボエを始める。バンベルク交響楽団首席奏者であったゲアハルト・ショイヤーに師事した後、国立パリ音楽院でモーリス・ブルグに師事する。クラウディオ・アバドの提唱により設立されたECユース・オーケストラに参加するなど、早くからその才能の片鱗を示す。


2年間の兵役を経てハノーファー音楽大学に入学、インゴ・ゴリツキに師事。1990年、バンベルク交響楽団首席オーボエ奏者に就任。1992年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席オーボエ奏者に就任する。


現在の活動


ベルリン・フィル首席奏者としての活動のほか、グスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラやザビーネ・マイヤー管楽アンサンブル、ベルリン・バロック・ゾリステンのメンバーとしても活躍し、アバドの指揮でモーツァルトのオーボエ協奏曲をドイツ・グラモフォンに録音している。



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天下のベルリンフィルのオーボエ奏者の首席をずっと背負ってきた巨人。まさにオーボエ奏者の憧れのような人である。自分もオーボエ奏者といえば、まずマイヤー氏を思い出す。


音色で聴かせる、技巧で聴かせるというのもあるんだけれど、音楽がとても大きくて、演奏に説得力があるという意味において、現代の巨人とでも言うべき奏者だと思う。


その演奏は表情の豊かさと息の長さと強靭さを併せ持ったフレーズ感覚を聴かせつつ、「それしかない」って思わされる演奏をしてくれる。彼がオケで吹いている姿を見るだけで、聴衆の一人としてものすごく安心させられる。(ここが一番大事。ベルリンフィルでマイヤー氏がいつもあのポジションで吹いているのを見るとなんともいえなく安心するし、今日の演奏はこれで大丈夫だと思いますね。)


そんな存在なのである。。。彼は。


ちなみに同じくベルリン・フィルの首席である私の推しのジョナサン・ケリーも素晴らしいです。ここで集中して取り上げたい気持ちはあったんだけれど、「スター奏者」っていう意味で言えば、長くベルリン・フィルに在籍してその地位を不動のものとしたマイヤーの方が認知度も高いと思います。いやでもケリーもめっちゃいいですよ!


自分はいち聴者としてしか接していないが、いっしょにリハーサルをした奏者のこのようなコメントをネットで拝見して、なかなか興味深かった。


●マイヤーのリハーサル


終わり方にとにかくこだわる人でした。リハーサルのほとんどは「終わり」についやしました。この徹底ぶりは初日からGPまですごかった。


最後3~4小節を何度か、いろんなパターンで試しました。例えば、最後の音に入る前で時間をたっぷりとる。または、もうちょっと前で、クライマックスを迎えておいて、流れるように終わる。強弱も色々試してみる。


それをいくつものパターンで試したら、もうちょっと戻ってコーダ(終結部)から最後までを、これを何度か。


先ほどの3~4小節の終わり部分に、うまく辻褄が合うように。最後たっぷり時間をとるなら、どこかで勢いをつけておく。とか、最後流れるように終わるなら、その少し前のクライマックスをどこで、どんな風にやっておくか。それを終結部全体でやったときに、変な流れにならないか。


何回かは、しっくりこないことがありました。 いわゆる変な流れ。 マイヤー氏でさえ首かしげて、「ごめん、もっかい、僕のために」と言って。もう一度違うパターンで試しました。


そんな風に入念なリハーサルはとにかく最後のみ。


最終的に、こうします。とは、決めませんでした。


いくつものパターンで、オーケストラがついて来てくれるのを見て、「何をやっても大丈夫ですね。本番楽しみですね」みたいな感じでGPも終わりました。


本番は、びっくりするくらい「自然」に、まるで何もやってないかの様に、終わってらっしゃいました。


 


大事なのは終わり方


特にバロック時代のゆっくりの楽章の終わり方って、難しいなと、自分の中でコンプレックスをこの時までもってました。終わり方って難しい。でも、この世界的に有名なマイヤーさんでさえ、これだけの時間を費やす部分なのだから、自分にとって難しいのは、当たり前だな。と。ちょっと安心しました。と、同時に彼のリハーサルの仕方から、意外と論理的に、数学的に解決できる問題なんだなと。  わたしの問題点はつじつまがあってなかったことだった。


終わり方というのが、いかに重要か。この時得た、大きな学びでした。


ちなみに、終わり 以外はほとんど「練習」しませんでしたが、始まり方も10パーセントくらいの時間はつかい、何回かリハーサル・打ち合わせをしました。それ以外の中間部分は、毎回一度ふらっと通しただけでした。


 


音楽は静寂からはじまり、静寂に終わる。それは人生のようだ。とバレンボイム(指揮者、ピアニスト)が本で言ってました。人生の始まりは、少し重要で、その後の間の人生はなるようになる。終わりだけは、こだわり 華麗に去りたい。


マイヤーの音楽はそんな感じでしょうか。


・・・・・・


これはなかなか興味深いですね。マイヤー氏の音楽、オーボエパートとしての作り上げ方が垣間見えるような感じで大変興味深かったです。



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アルブレヒト・マイヤーといえば、自分にとって大きな革命をもたらしてくれたのが、オーボエ奏者のソロ作品集である。2010年~2015年あたりだろうか。オーケストラの首席オーボエ奏者が、オーケストラ活動とは別で、ソロアーティストとしてオーボエ・ソロの作品集を出すというのが異常にブームだったときがあった。


普通であれば弦楽・管楽器などで演奏するバッハの作品、モーツァルトの作品を、いわゆるオーボエだけで奏でてることで音楽として楽しもうというコンセプトで、世の中のオーボエ奏者はこぞってこのバッハアルバム、モーツァルトアルバムを出していた。


普段はオーケストラの首席オーボエ奏者を担いながら、別の顔で、オーボエ・ソロ作品集をだすという扱いに、これは同じオーボエ奏者でも本当に限られたスターだけが甘受できる待遇なのだ、と自分は当時思っていた。


まさにオーボエ奏者であれば、誰しもが憧れる感じで、これがまた自分にとってオーボエ奏者がカッコいいと思ってしまうきっかけだったんだな。(笑)


自分にとって、それを最初に経験したのが、ベルリンフィル首席オーボエ奏者のアルブレヒト・マイヤーのバッハアルバムであった。のちにモーツェルトアルバムを出して、自分は迷わず買いました。大切なコレクションです。


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左がモーツァルトアルバム、右がバッハアルバムです。

バッハアルバムはいま廃盤になっているんですかね?販売されていませんよね。



このマイヤー氏のバッハアルバムは、自分にとってあまりに衝撃すぎるくらいインパクトが強かった。もともとはアムスの同期友人から紹介されて知って買ったものなのだが、これがカッコいい。オーボエでバッハの有名な曲を軽やかに吹いていく。イタリア協奏曲、オルガン・コラール、フルート・ソナタ、マタイ受難曲、カンタータ・・・あのバッハの有名な曲を片っ端から全部オーボエで吹いてしまう。


すごく洗練されていてお洒落だな~と思いました。

オーボエ1本だけでこんな世界が実現できるのか!


オーボエのソロ作品というのを初めて体験したのが、このアルブレヒト・マイヤーのバッハアルバムだったのだ。ベルリンフィルの首席でありながら、ソロでこんなことも披露する、というそのポジショニングがすごくイケていてセンスがあるように感じてしまいました。


このマイヤー氏のバッハアルバム、2004年頃かな?当時、iPodに入れて、通勤時間に必ず毎日聴き込んでいましたよ。懐かしい~~~。このバッハアルバム、いまや廃盤なのは、ちょっと残念過ぎますね。


それからである。世の中のオーケストラのオーボエ奏者がこぞってオーボエ・ソロ作品集を出すようになったのは・・・バッハのオーボエ作品というジャンルは、オーボエ奏者にとって、ひとつの定番なのかな、と常々感じていた。ホリガー、ウトキン、ボイド、マイヤーなど 名だたる名手が同じような選曲のアルバムを作っていた。


ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団の首席オーボエ奏者であるアルクセイ・オグリンチュク氏のオーボエ・ソロ作品とか。BIS録音でしたね。最高に録音が素晴らしく、オーボエ・ソロ作品集としては最高傑作だとも思っています。



アルブレヒト・マイヤーは、そんなオーボエ・ソロ作品を最初に自分に教えてくれたオーボエ奏者だったのです。


そんないろいろ深い想い出のあるマイヤー氏なのであるが、ご存じのょうに最近ベルリンフィル関係すっかりご無沙汰で、メンバーの活動もさっぱりご無沙汰。最近の樫本大進氏が、ひょっとして体どこか悪いのではないの?と思うくらい激痩せしていたのを写真を見て驚いたくらいですから。(笑)


それで、ひさしぶりにアルブレヒト・マイヤー氏のオーボエソロ作品としてどんなものがいままでリリースされていたのか確認してみたら、かなりリリースしているんですね。驚きました。まったく知らなかったです。(笑)


DG STAGE+でそのアルバムを全部聴けるみたいですよ。


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モーツァルト、ヴァッスクス、ベーテリス、R.シュトラウス、・・・などなど。


そして最新のアルバムということで、またしてもバッハアルバムをリリースしたみたいです。2023年8月4日リリースですから、まさにホヤホヤです。



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Bach Generations~バッハ一族3世代の音楽 アルブレヒト・マイヤー、ベルリン・バロック・ゾリステン、ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ




ヨハン・セバスティアン・バッハ[1685-1750]とその一族による作品のオーボエ編曲集。世界最高のアンサンブルのひとつ、ベルリン・バロック・ゾリステンと共演しています。


演奏されているのは、ヨハン・セバスティアン・バッハの大叔父であるヨハン・クリストフ[1642-1703]で始まり、2人の息子カール・フィリップ・エマヌエル[1714-1788]とヨハン・クリストフ・フリードリヒ[1732-1795]で終わるバッハ一族の3世代の作品。このコンピレーションはバッハ家への音楽による招待状と言えるかもしれません。


これまたチャレンジングなコンセプトですね~。


DG STAGE+で新譜群はストリーミングで聴けちゃいますが、敬意を表して、この新譜はCDとして購入しました。


最初の出音の暖かいオーボエの音色。あ~なんとも懐かしいこの郷愁を感じるような音色。

オーボエの音色ってほんとうに心から癒されますね。すごい暖かいです。


リード作り、ふくめ、いちばん演奏するのが難しい楽器でもあるオーボエ。


今回入っているバッハの曲は、バッハ一族三世代にいたる親族の曲を集めたものということですが、どれもいままで聴いたことのあるようないかにもバッハという感じのメロディで、全然違和感なかったです。


とくにいちばん冒頭に入っているチェンバロ協奏曲第4番イ長調 BWV.1055。

これはもうお馴染み。マイヤー氏の最初のバッハアルバムでも入っていましたし、他のオーボエ奏者のバッハアルバムではかならず入ってくるキラーコンテンツです。勢いのある陽気な作品で、おそらくケーテン時代の作品と言われている。私たちにとってはコレギウム・ムジクムのために、1730年代後期にライプツィヒでバッハが編曲したチェンバロと弦楽版のみで知られていますが、ソロとトゥッティの生き生きとしたかけあいは原曲がむしろもっと早い時期のものであることを示唆しており、おそらく1721年頃ケーテンで書かれたものと思われているようです。オリジナルのソロ楽器はオーボエだったのではないかという声も多くあるそう。


ほんとうにバッハの息遣いが感じられる、いかにもバッハらしいアルバムでした。

やっぱりバッハとオーボエは相性がいいと思います。


この録音の前にマイヤー氏は、ライプツィヒの聖トーマス教会を表敬訪問していて、教会前のバッハの像やバッハのお墓を目の前に、バッハの偉大さへの敬意、そしてこの録音にかける意気込みを語っていました。


録音もすごく良くなっている。やはり録音技術も日々日進月歩で進歩していますね。

自分の頭の中には、あのマイヤー氏の最初のバッハアルバムのイメージ、録音のテイストがいつまでも残像として残っているので、それと比較すると最初の出音で、うぉっこれは音がいい!という感じで、驚きました。


まず情報量が断然違う感じで、オーボエの基音に対し、もっと柔らかい細やかな音色の響きや余韻など、いわゆる倍音成分が豊かにそこに重畳されている感じで、かなり情報量多いな、という感じです。音場もずっと豊か。柔らかい音触で情報量が多いのです。もう聴けば明らかです。


これはもう言葉で説明するもんじゃありません。聴けばわかるはずです。聴けば一聴して、もう昔と全然違う感じで、音いい!と思いますから。


いかにも新しい最新録音技術という感じです。


同じバッハアルバムでも、廃盤になってしまった最初のマイヤー氏のバッハアルバムより、今回のほうが数段レベルの高いバッハアルバムとなったと言っても過言ではないでしょう。




マイヤー氏と共演しているベルリン・バロック・ゾリステン。


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最高のオーケストラから最高のメンバーが集まった、夢のバロック・アンサンブル。バロック音楽の権威としても知られる元ベルリン・フィル第1コンサートマスター、クスマウルが率いる超豪華メンバー。オリジナル楽器全盛の風潮に一石を投じ、モダン楽器ならではの音色とダイナミックな表現で、バロック音楽に新鮮な息吹を与えている。その演奏はバロックに食傷気味の聴衆をアッと言わせ、日本でも大反響を呼んでいる。95年に、17・18世紀音楽の最高レベルの演奏を聴かせるという目的で結成。意図して現代楽器を使用し、バロックと現代の「合成」をアピールしている。


ブックレットの写真を見ると、町田琴和さんも参加されていますね。

町田さんも、ベルリン・バロック・ゾリステンには古くから参加されているベテランですよね。




2023年1月28日~2月1日、ベルリン、シーメンスヴィラで録音収録されたもので、プロデューサー、編集、ミキシング、マスタリングは、クリストフ・フランケさんだ。録音エンジニアは、セバスティアン・ナットケンパー氏。じつにいい仕事をしている。レーベルはDGから出ているけど、録音スタッフは、ベルリンフィル・メディアのメンバーということであろうか。


じつにいい仕事をしている、と思いました。

グッジョブ!です。



アルブレヒト・マイヤーは、自分とほとんど同い歳ですね。(1歳、マイヤー氏のほうが下)ベルリンフィル・メンバーとしての任期もいよいよ大詰め。最後の集大成を決めないといけない時期にも来ているのであろう。


でも、これからもますますソロ・アーティストとしてずっと活躍していくような明るい将来が待っているような気がします。それだけのじゅうぶんなキャリアを積んできた訳ですから。


まさに自分の世代、ど真ん中のアーティスト。自分の想い入れも深く、ずっと自分の中に深く入り込んでいるアーティスト。


一生忘れられないオーボエ名手であることだけは間違いないと思います。











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三舩優子×堀越彰 OBSESSION [クラシック演奏家]

2022/12/25の茂木大輔さんののだめカンタービレ・クリスマスコンサートは、本当に新鮮な出会いと驚きの連続だった。ちょっとショックだったといっていい。のだめコンサートだから、やはりのだめに拘わる選曲だろうから、自分としては馴染み深いもので、ゆったり楽しめるだろうぐらいにしか思っていなかった。


でもいざふたを開けてみたら、のだめとはちょっと離れてしまうけど、茂木さんぜひお勧めということでいろいろ新しい出会いがたくさんあった。


この路線はすごくいいと思います。のだめの選曲も大切ながら、これからもずっと続けていくには、やはり聴衆を飽きさせない新鮮な音楽的出会いがあったほうがいいと思います。


茂木さんのセンスに合うものは、どんどん取り入れていった方がいいと思います。もちろんのだめはのだめとしてやって、のだめとは一線画して、新鮮な曲もどんどん取り入れていく。


去年ののだめクリスマスコンサートは、自分にとってはかなりショックだったです。(笑)茂木さん、勉強されてるな~。若いお宝発掘の未来の音楽家を日頃YouTubeなんかで研究しているんだな、と思いました。そしてこれはいい!と思ったアーティストは、どんどん自分ののだめコンサートに参加させていく。とてもいいと思います。


その中で自分が一番衝撃を受けたのは、三舩優子×堀越彰 OBSESSIONのデュオであった。


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ピアノとドラムスだけのユニット。史上最小にて最大のオーケストラ。


確かにジャズの世界では、ジャズピアノトリオといって、ピアノとベース、ドラムスというトリオのサウンドがある。自分はジャズの中でも女性ボーカルと並んで、このジャズピアノトリオが大好きである。ビルエバンスWaltz For Debbyのように酒場、煙草の煙が漂う、グラスの鳴る音、人の話し声・・・そんなリアルな酒場の暗騒音がある中で鳴るピアノ、ベース、ドラムスのサウンドは最高に格好良い。


でもこのOBSESSIONのサウンドは、さらにベースを抜いて、ピアノとドラムスだけなのである。このユニットでのだめコンサートで最初に聴いたのが、ボロディンのダッタン人の踊りであった。


これは鳥肌が立ちましたよ。

ひさしぶりの感覚。


なんとカッコいいんだろう!!


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ピアノとドラムスでどのように曲を構成・進行していくのか。基本の主旋律はピアノが担当する。ドラムスは要所要所にリズムパートや効果音を盛り込んでいってサウンドを豊かにしていく、という絡み方。


単にピアノ1台だけで、主旋律を描いていくだけならふつうありだと思うが、これに要所要所にドラムスを挟んでいくというのは、かなり音楽としてのスケール感が大きくなるし、ドラマティックになり、音楽としての表現力がすごく豊かになると思う。


そしてちょっとアバンギャルドでカッコいい。かなりカッコいいです。自分の感性のセンスにピッタリ。これはカッコいいなと思いました。


ピアノとドラムスのユニットって誰のアイデアだったのだろうか。クラシックの世界では、ピアノとヴァイオリン、ピアノとヴィオラ、ピアノとフルートという室内楽はごくあたりまえのように存在する。


でもピアノとドラムスという組み合わせはあまりないのではないだろうか。ドラムスが入ると、ちょっとジャズ的なアプローチと思うかもしれないけど、あくまでクラシックの範疇なのである。ピアノとドラムスでクラシックを奏でるのである。こんなサウンド、音楽があるなんて最高にびっくりである。


自分の感性に合うと感じた一番の理由は、空間、隙間に語らせる妙である。ピアノとドラムスだけで音楽を紡いでいく、というのは、ある意味スカスカで、空間、隙間をうまく利用しながら語っていくという音楽進行なのである。


自分はこれが最高にカッコいいと思うのである。


手前みそで、全然ジャンルの違う音楽を取り上げて申し訳ないのだが、ブリティッシュロックの世界でスティング率いるポリスという3人編成のバンドがいた。


自分は最高にファンだったのだが、彼らのなにが格好良かったかというと、ギター、ベース、ドラムスというロックバンドとして考えられる最小の楽器編成で、それでいながら、彼らのサウンドは、空間、隙間をうまく利用するサウンドで非常に立体感、膨らみのあるサウンドで、かなり他のバンドとは毛色が違うユニークなサウンドだったことだ。


それが最高にカッコよかったのである。


みんな、ギター×数本、ベース、ドラムス、ボーカルとなるべく音をたくさん鳴らして音をどんどん重ねようとする。でもそれってまったくの逆効果なんですよね。音を重ねに重ねて厚いサウンドにすればするほど、べったり系というかのっぺりとした平坦なサウンドになってしまうのです。


あまり弾きすぎないこと、音をたくさん鳴らさないこと、音に音を重ねないこと。うまく空間、隙間を利用すること、空間、隙間にものを語らせるようにしたほうが、音楽やサウンドって聴いている側ではすごい膨らむというか、立体的で、ふくよかで、空間感のすぐれた音楽になるのです。


ホール空間にいっぱいに広がる音楽、3次元的に立体的に広がる音楽というのは、あまり楽器の音を重ねないサウンド、空間、隙間をうまく利用する、空間、隙間にうまく語らせる音楽なのです。


自分は、OBSESSIONの音楽、サウンドを聴いたときに、まず思い浮かんだことはロックバンド・ポリスのサウンドの作り方で、まったく同じ理論があてはまるな、と思ったのである。



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ピアノ主旋律で、要所要所にドラムスの効果音、リズムセッション的なサウンドは、ホール空間にふわっと広がっていくような立体感や3次元的な空間感があって、空間、隙間にうまく語らせる妙があって、アバンギャルドでかなりカッコいいのである。


クラシックのオーケストラサウンドとまったく逆のアプローチである。オーケストラは、まさにたくさんの弦楽器、管楽器、打楽器の集合体で音に音を重ねて壮大なスケール感を作り出す手法。OBSESSIONのサウンドは、まったくその真逆を行くやり方。スカスカのサウンドで、ホールいっぱいのスケール感を出す手法なのである。


かなりカッコいいのである。

自分は、ボロディンのダッタン人のあの異国情緒あふれるなんとも切ないメロディを、このユニット、楽器の組み合わせで聴いたときは最高に痺れてしまった。なんと美しんだろう!そしてなんとカッコいいんだろう!


ダッタン人の踊りは、自分の大好きな曲なのだけれど、いつも聴いているのはオーケストラバージョンなんですよね。それをピアノとドラムスだけのユニットで聴くバージョンは最高に美しくてカッコいいと思いました。


”史上最小にて最大のオーケストラ”というのは最高に言い得ているキャッチコピーだと思います。


あと、茂木さんが仰っていたのは、ドラムスはいわゆるジャズ的な即興的な入り方ではなく、どのタイミングでどのような手数が入ってくるかをきちんと計算し尽くされたドラムセッションであること。


これは確かにそうですね。ドラムスというとどうしてもジャズのセッションのような即興的な入り方を想定する人が多いと思いますが、OBSESSIONは非常に計算され尽くした入り方である、ということですね。


いやぁ~最高にいけているカッコいいデュオだと思います。

2017年に結成なんですね。全然まったく知らなかったです。もっと宣伝してください。(笑)少なくともFacebook Pageは作ったほうがいいと思います。


それではメンバーの三舩優子さん、堀越彰さんの紹介をしていきますね。


三舩優子(ピアノ)


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幼少時代をアメリカ・ニューヨークで過ごす。ジェローム・ローエンタール、井口秋子、奥村洋子、安川加寿子に師事。桐朋学園大学在学中、第57回日本音楽コンクール第1位。同大学首席卒業後、文化庁派遣研修員としてジュリアード音楽院に留学、マーティン・キャニンに師事。91年にロス・アンジェルスにおいてアメリカデビューを果たし、LATimesにて絶賛、クラシックラジオ局WQXRにて全米放送、高評を得る。同年フリーナ・アワーバック国際ピアノコンクール、ジュリアードソリストオーディションで優勝。


帰国後は、リサイタルはもとより国内外の主要オーケストラとも共演を重ねる。海外公演も多数。これまでにCDも多くリリース、いずれもレコード藝術特選盤となる。ラジオパーソナリティー、NHK-BS2「週刊ブックレビュー」の司会を各6年間に亘り務めるなど、メディアなど多方面で活躍。マスタークラスやアウトリーチの教育活動にも力を入れる。


古典から現代音楽に至る幅広いレパートリーにも定評があり、華のあるダイナミックな演奏で聴衆を魅了しつづける、日本を代表するピアニストのひとりである。


京都市立芸術大学准教授。

HP:yukomifune.com





堀越 彰(ドラム)


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海老沢一博氏、村上“ポンタ”秀一氏に師事。’90年、「山下洋輔ニュートリオ」でデビュー。国内を始め、ヨーロッパツアー、南米ツアー、ベルギーの野外コンサート、日本全国縦断88ヶ所サバイバルツアー等に参加 。’94年新たに「山下洋輔デュオプラス」として活動を開始し、10年に及びレギュラーユニットとして活動。日舞家の父の影響から、ジャズのみならず邦楽、民俗音楽とのセッションなど、幅広いジャンルにおいて国内外で活動。伊藤多喜雄、チェンミン等とも共演し、イベント構成・演出も手がけ、楽曲提供も行なう。


「The WILL」「東方異聞」「SOLO-ist 」などを主催した後、’12年尺八奏者小濱明人と「LOTUS POSITION」結成。’15年、山下洋輔も加わり、国際交流基金主催でチェコ・スロヴァキア四都市ツアーを成功させ、アルバム「LOTUS POSITION with山下洋輔」リリース。 デヴィッド・ルヴォー演出舞台「ETERNAL CHIKAMATSU」「黒蜥蜴」「道」に音楽メンバーとして連続参加。


シルク・ド・ソレイユで活躍したパフォーマー、フィリップ・エマールらと組む「INSTINCT」でも活動。都内に2カ所のドラムスクールのほか、日本工学院でもクラスをもつ。 


Canopusエンドーサー。

HP: akirahorikoshi.com



三舩優子さんは自分はよく存じ上げているピアニストでした。ミューザ川崎のホール設計をなされた建築家の小林洋子さんの自由が丘の建築事務所で小林さん主宰のサロンコンサートで川本嘉子×三舩優子のデュオでのヴィオラ・リサイタルの実演に接したことがあります。ブラームスの室内楽でした。あの東京・春・音楽祭でのブラームス室内楽の走りとなったコンサートだったと思います。もう何年前でしょうか。たぶん2013年か、2014年だったと思います。


三舩さんは全然変わってませんね。あれから10年も経っているのに、容姿、スタイルまったく変わらずお美しくて素晴らしいです。先日の小山実稚恵さんのときもそう思いましたが、やはり演奏家の方の日頃のプロとしての容姿スタイルの維持の努力は素晴らしいと思います。



堀越彰さんは、茂木さんの息子さんがおもちゃのドラム・セットを買ったときに、そのセッティングや叩き初めで茂木さん宅を訪れた間柄だそうです。茂木さんとの親交も深いジャズの山下洋輔さんのトリオでも活躍なされたベテランのドラマーですね。やっぱり男としてビジュアルがハンサムでカッコいいです。


OBSESSIONは、美男、美女のデュオなんです。


こののだめクリスマス・コンサートで自分は大ショックを受けて、さっそく家に帰ったら、ストリーミングで確認してみました。OBSESSIONとしては2枚のアルバムを出しているようです。



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『OBSESSION』三舩優子(ピアノ)、堀越 彰(ドラム)




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『OBSESSION II』三舩優子(ピアノ)、堀越 彰(ドラム)





いまSpotifyでヘビロテで毎日聴いています。(CDでも買いました。いまお取り寄せ中で時間がかかるようです。)のだめコンサートが12/25でしたから、今日まで10日連続して1日中OBSESSION聴いているのです。まっご存じ自分の性格ですから、嵌りだすともう徹底的に聴き込まないと気が済まない性格ですので、当然の結果です。


やはりピアノとドラムスというシンプルなサウンドが、非常にBGMとしては最高なんですね。ヘビーじゃなくて、ちょっと室内楽的でリラックスできるというか。。。


やっぱりボロディンのダッタン人の踊りが一番最高にいいです。美しいし心揺さぶられます。この曲は自分は大好きなので。でもいまダッタン人の踊りという曲名じゃないんですね。いまの時代での新しい曲名(”ボロヴェッツ人の踊り”)を聞きましたが、なんかまったくダメですね。(笑)心に全然響いてこないです。改名にはなんか理由があるのでしょうか。


ボロディンのダッタン人の踊り、3つのジムノペティ、ラプソディ・イン・ブルー、ラフマニノフの前奏曲”鐘”からパガニーニ・ラプソディの第18変奏、シベリウス フィンランディア、そしてバッハのカンタータ、コラール主よ、人の望みの喜びよ。。。


決してマニアックな選曲というアプローチではなく、若いクラシックファンにも受け入れやすい名曲ぞろいで素晴らしいと思います。


とくにラフマニノフの前奏曲”鐘”からパガニーニ・ラプソディの第18変奏の流れが感動しました。パガニーニ・ラプソディの第18変奏は誰しもが愛する甘美でせつないメロディ。でもこの第18変奏がより引き立つのは、その前の厳しい冬を思い起こすような第17変奏があるからなんですよね。だから第18変奏が、春の訪れのように際立つ。


その第17変奏の代替えとして、同じラフマニノフの有名な鐘を持ってくるのがさすがなのです。鐘~第18変奏もこれまたよく合うというか絶妙なつなぎ方なんですね。驚きました。自分の好きなところです。(すみません、いま聴いたら第17変奏入ってますね。。笑笑)


ピアノとドラムという異色のデュオ。

でもいざ聴いてみると、その予想だにしないカッコいいサウンドに驚くと思います。

ぜひ聴いてみてください。









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以心伝心 [クラシック演奏家]

ピアニストの小山実稚恵さんが、自分のホームでもあるサントリーホールで、今年から2025年に至るまで全4回、ピアノ協奏曲(コンチェルト)の演奏会を開催する。


この新シリーズのタイトルは「Concerto<以心伝心>」。


2025年のデビュー40周年を寿ぐ気宇壮大な企画である。


2026年には小山さんの「ホーム」のひとつサントリーホール開館40周年も映し出す。


うわぁ、またサントリーホール40周年記念ガラコンサート、正装コンサートがありますね。こりゃまた大変だ。


小山さんが仰るには、「以心伝心。この4文字に想いを込めました。ご一緒する4人の指揮者との以心伝心、そしてオーケストラ、お客様、ホールとの以心伝心です。今コンサート数は年間60回ほどですが、5~6割がコンチェルトです。コンチェルトを通じて音楽を学んだのです。」


小山実稚恵さんのコンサートは、ひさしくご無沙汰していたのだが、どうしても自分を惹きつけるものがあって、ぜひこの公演に行くことを即決で決めた。


それはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏してくれるからだ。


大野和士さん、東京都交響楽団との演奏である。


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小山実稚恵さんと大野和士さんとは東京藝術大学の同級生で、「学生時代からの親友。心の奥でつながっている人」だという。大野和士さんとはデビュー25周年、30周年もご一緒した。


はっきり覚えていますよ。デビュー30周年の2015年のときに、自分はこの小山実稚恵、大野和士&都響の競演でラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番をサントリーホールで実演で聴いたのでした。いまでもあの感動は昨日のことのように覚えています。


あの日は、サントリーホールの向かいにあるアークヒルズのレストラン街の中にお気に入りのお茶漬け専門店というお店があって、開演前にそこで腹ごしらえをしたのです。


このお茶漬け屋さんは、大層自分のお気に入りで、サントリーホールでコンサートがあるときは、必ず開演前にここで夕食としてお茶漬けを食べるのが自分のゲン担ぎみたいなものだったのです。


でも、この小山さんのデビュー30周年コンサートのときを最後に閉店してしまったんですよね。すごい悲しい思いをしました。


どうでもいいつまらないことですが、小山さんのデビュー30周年のときは、それがどうもカップリングで自分の記憶の中に絡みついている状態でして。(笑)


もうこの話は、何回もしてきたことなので、もう充分ご存じだと思うが、自分にとってラフマニノフのピアノ協奏曲第3番という曲は、ピアノコンチェルトの中で最も大好きな曲で、自分はこの曲に心底心を奪われてきたし、この曲の実演を求めて、いろいろコンサートに足を運んだとても思い入れ深い曲なのである。


ラフマニノフといえば、ピアノ協奏曲第2番のほうが出世作で、世間一般では有名なのかもしれないが、自分は圧倒的に3番のほうが好きである。


この曲が好きで好きで、好きすぎて、かなり嵌った時期があった。もう大昔のことですが。


3番は、ピアニストにとって課せられる技術的、音楽的要求が著しく高いことで有名な作品で、演奏するのが極めて難しく、自分の時代では3番をコンサートで演奏するピアニストがあまりいなかった。だから聴衆にとっても3番の実演を体験するのがなかなか難しかった時代だったのだ。


小山実稚恵さんは、自分にとって、その3番を弾いてくれる数少ないピアニストの1人だった。ラフマニノフの3番を日本で最初にコンサートで実演をしたのは小山実稚恵さんなのだ。(指揮は小泉和裕さん)


小山さんは「ラフマニノフの3番はもう好きすぎて、高校の頃から毎晩寝る前に聴いていました。いろいろな景色、場面が浮かんでくるコンチェルトです。ロシアン・ロマンはもちろん、ニューヨークの摩天楼からエキゾチックな夜の景色を見下ろすかのような感じもあります。回想、ノスタルジックな場面もいいですね」。


あとは清水和音さん。及川浩治さんくらいかな。。覚えているのは。あとは、ほとんどが外国人ピアニスト。だから日本で3番の実演を体験しようと思ったら、当時は小山実稚恵さんのコンサートに行くしかなかった。数えてはいないけど、生涯で軽く10回以上は体験していると思います。


いまは、もう若いピアニストは、いとも簡単に3番を弾いちゃいますよね。(笑)なんか時代だな~とは思います。


これも何回も言ってきていることだけど、ラフマニノフの3番ってなぜかCDでは、あまり自分の気に入った音源を見つけられなくて、なぜかオーディオではあまり感動しないんですよね。でも実際のコンサートや映像素材だとものすごく興奮するし、感動する。


この謎の解明はいまでも自分にはわからなくて、3番ってピアニストの演奏している姿、運指やオーケストラとのコンビネーション、こういう総合的なものが音とともに全部視覚として入り込んできて初めて大感動するものなのではないのかな、と思っていたりもする。


第3楽章のコーダの最終章、テンポを上げて一気に盛り上がり、その頂点に達したところで派手な軍楽調の終止に全曲を閉じる。この賑やかで一気にシャットダウンするラフマニノフ終止。それまでのちょっとスラブ調でロマンティックな旋律に溢れ、ドラマティックでもある長い長い音楽絵巻を一気にここにて終結するべく、もうこの瞬間!


体全体に稲妻が走ります。


ここの感動を味わいたいから最初から聴き続けている、また何回もコンサートに足を運ぶみたいな。いわば中毒みたいなものです。3番はかなり中毒性あります。


とにかくCDなどの音源じゃなぜかダメなんです。実際の生コンサート、映像素材でないとこの感動はなぜか伝わらないのです。なぜ視覚を通してでないと感動しないのか、それは自分にとって永遠の謎なのです。


その解明を探し続け、もう何十年も経つ。


そんなラフマニノフの3番。ほんとうに久しく聴いていない。コンサートはもちろんのこと、オーディオでも全然。そんなところに、この小山実稚恵さんの以心伝心のコンサートの情報が入ってきたので、ぜひ見参しようと思った次第である。


ラフ3を聴くなら、自分の原点である小山さんのピアノで聴きたいというのもトリガーだったと思います。


そしてさらに決意し、ここに宣言したい。


この小山実稚恵さんの以心伝心シリーズ、2025年までの全4回とも皆勤賞で参加しようと思うのである。


ピアノ協奏曲というのは、やはり華がありますね。これはコンチェルト全般に言えることですが、ソリストという華があって、さらにオーケストラというダイナミックな演出を楽しめる。ソリストの独奏に、オーケストラの演奏が丁々発止、物語のように絡み合い、掛け合っていく。なによりもコンサート、音楽としてのスケール感が大きい。リサイタル、オーケストラ・コンサートよりも華があって、その満足感を遥かに凌駕する圧倒的な感動、満足感を味わえるものだと思います。


これはヴァイオリンでも同じですね。


10月29日、とても楽しみにしています。この日メンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番も楽しめますよ。そして来年はベートーヴェンの3番と5番だそうです。



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この日は後半から上皇后美智子様のご臨席ということで、一種異様な興奮状態の中での小山実稚恵さんのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番となりました。


いやぁ~いつも凄いけど、この日は特に神がかっていました。美智子様もお立ちになって拍手。それにつられて聴衆全員スタンディングオーベーションで大喝采となりました。


思わずじ~んと来てしまい涙ぐんでしまいました。


一期一会の演奏でした。

一生の想い出になると思います。


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(c)Suntory Hall Facebook Page





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東京音楽大学オーケストラ・アカデミー [クラシック演奏家]

東京音楽大学オーケストラ・アカデミー。


君らはいったい何者なんだ?(笑)


別府アルゲリッチ音楽祭の主役はもちろんアルゲリッチ。それは当然決まっていることなのだけれど、最初大学オケなので、まっそれなりで仕方がないかな、という印象を持っていた。そんなオーケストラまでスーパースターを揃えたら、それこそ大変なことになっちゃうだろう?という感じで。アルゲリッチを楽しめればそれでいいや、という感じである。


ローマの謝肉祭やシューマンのピアノ協奏曲は、なかなか素晴らしく粗も見つからず、自分はいい印象。いいオーケストラだな。。。とホッとしたところもあった。


本領を発揮するのは、トリのブラームス交響曲第1番、通称ブラ1である。


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もうこりゃぶったまげた、というか、いやぁ大学オケとして軽く見ていて大変失礼いたしました、と平謝りである。


とにかくスゴイのである。こんな凄いブラ1を聴いたのは、いつ以来だろうか?安永徹さんが在籍していた頃のラトル&ベルリンフィルのサントリーホール公演のブラームス・ツィクルス以来であろうか。。。


それだけ衝撃であった。


ブラ1のあの冒頭の独特の出だしからして、ものすごい分厚い弦の音と半端じゃない定位感。精緻な精度を誇るアンサンブルと、もう超一流のオーケストラなみであった。このブラ1の冒頭のフレーズを聴いただけで、そのオケの実力がわかるというものだ。これは只者じゃないな、という予感がした。


そして第2楽章、第3楽章、そして最終楽章と聴き進めていくにつれて、あまりに完璧ですごい迫力なので、自分は感嘆の溜息をもらしてしまった。


特に最終楽章のコーダの部分のどんどん押し寄せてくる感覚など、もう逝ってしまう感じだった。


プロの在京楽団でもここまでのすごいブラ1は聴けないかもしれない。思わず、君らは何者?とパンフレットを確認した。


まさに恐れ入りました、という感じである。


金管楽器はまだまだ安定感がイマイチと思いましたが、弦楽器群のあの発音能力と色艶のある分厚いサウンド。只者じゃないです。大物のオーラたっぷりでした。


東京音楽大学オーケストラ・アカデミー。


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正確には、東京音楽大学付属オーケストラ・アカデミー。

 

東京音楽大学付属オーケストラ・アカデミーは、オーケストラ奏者として国内外の職業オーケストラで活躍することができる演奏力を教授し、高度な演奏能力を持つ音楽家を育成することを目的としている。

東京音楽大学の教授陣および国内外で活躍する演奏家・指導者により、オーケストラ実習・室内楽実習・個人レッスン・演奏会等のカリキュラムを実施することで、演奏能力の向上を目指す新たなオーケストラ奏者養成機関である。


2022年4月に開講する東京音楽大学(東京都目黒区 学長 野島稔)付属オーケストラ・アカデミー。


東京音楽大学付属オーケストラ・アカデミーは、音楽監督に尾高忠明氏を迎えて東京音楽大学が新たに開設するオーケストラ奏者の養成機関であり、毎週行われるオーケストラ実習に加えて、室内楽実習と個人レッスン指導も併せて行われる充実したカリキュラムが特徴。豊かな経験と高い専門性を有する本学の教授陣が直接指導に当たるため、プロの世界に通じる技術と芸術性の修得を可能にする。


第一期生のお披露目の場が、世界的なピアニスト、マルタ・アルゲリッチが総監督する「第22回別府アルゲリッチ音楽祭2022」に決定しました。注目度の高い大舞台での演奏経験は、今後の音楽人生において貴重なものになることは言うまでもありません。


代表教員よりメッセージ


【水野信行】


オーケストラに入りたいと本気で思っている人たちのためにつくったのが、この付属オーケストラ・アカデミーなんですね。第一期生のはじめての仕事が「別府アルゲリッチ音楽祭」に決まり、大舞台に見合うような演奏をしようと我われも意気込んでいます。ぜひ東京で一緒に学びましょう。


【四戸世紀】


オーケストラプレイヤーになるには、まず専攻楽器を自由に操れることは第一ですが、オーケストラではそれに加えてオーケストラで通用する、音、アンサンブル能力が大切になってきます。オーケストラ・アカデミーでの本番をたくさん経験して、プラスアルファを身につけましょう。


指導教員(敬称略)


(音楽監督)尾高 忠明

(ヴァイオリン)荒井 英治、大谷 康子、木野 雅之、山口 裕之、中村 静香、横山 俊朗

(ヴィオラ)店村 眞積、百武 由紀

(チェロ)苅田 雅治、山本 裕康

(コントラバス)星 秀樹

(フルート)工藤 重典、相澤 政宏

(オーボエ)古部 賢一、宮本 文昭

(クラリネット)四戸 世紀、松本 健司

(ファゴット)水谷 上総、宇賀神 広宣

(ホルン)福川 伸陽、水野 信行

(トランペット)長谷川 智之、辻本 憲一、高橋 敦

(トロンボーン)呉 信一、新田 幹男

(ティンパニ/パーカッション)菅原 淳、久保 昌一


その他 適宜東京音楽大学講師陣が指導します


カリキュラム

・オーケストラ実習 週1回/4時間

・室内楽実習 春学期3回/各90分、秋学期3回/各90分

・個人レッスン 春学期8~10回/各60分、秋学期8~10回/各60分

・演奏会 年間を通じて複数回実施

・個人レッスンは、上記記載の回数内で希望によりダブルレッスン(2名の教員からレッスンを受けること)が可能

・ヴァイオリン専攻生は、ヴィオラも担当することがあります



2022年4月ってできたばかりじゃないですか!(笑)しかも一番最初のお披露目が、自分が体験した、そしてびっくらたまげた「別府アルゲリッチ音楽祭2022」だったとは!!!(笑)


いやぁ~~~すごいよ~。(滝汗) プロ並みでした。ブラボー!!!


オーケストラ養成機関だから、大学生とは限らないんでしょうね。アマオケで活躍している人とか、プロのオーケストラ要員目指して、いろいろ人が応募しているんですね。


東京音楽大学オーケストラ・アカデミー。

とにかくすごいです。


あのブラ1を聴いただけで、その隠れた潜在能力の大きさは計り知れないものがあります。只者じゃない者の集まりであることは間違いないです。


まだデビューしたて。ちょっとこれから注目してあげてください!


自分はあの晩、心底ぶったまげました。新たな宝石のように輝くスター達を発掘した感覚になりました。





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violincase [クラシック演奏家]

コロナ水際対策の外国人入国規制の煽りを受けて、結局残念ながらヴァイオリン・リサイタルが中止になってしまったヒラリー・ハーン。


去年から延期になっていたリサイタルだから、ぜひリベンジで期待していたんだけど。。。


ハーン、本当に久しく実演に接していない。記憶を遡ると、バッハの無伴奏ソナタのアルバムを出したときの東京オペラシティでのリサイタル以来。あのときのハーンは本当に神がかっていた。すごかったです。


ぜひまた彼女の雄姿を目にしたい。彼女の切れ味は本当にすごいです。


ところでハーンといえば、クラシック界では、もう誰もが知っている、ずいぶん昔から有名なことなのだけれど、彼女のインスタ(Instagram)がすごいのだ。


インスタID(ユーザーネーム)は、violincase。


ぜひフォローすることをお勧めします。


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彼女の部屋、ホール、もういろんな場所で、ひたすら黙々とヴァイオリンを弾いている姿の動画をアップしているのだ。


彼女の場合、静止画、写真の投稿はまずない。ひたすら動画である。


それがすごいカッコいい。プロフェッショナルと思ってしまうし、同業者のヴァイオリニストにとっては、随分参考になるのではと思います。


なんかカッコいいんだよねぇ。すごい求道的で、プロだなぁと思ってしまう。


黙々と弾いているのだ。


本当にいろんな場所でひたすらボーイングしている姿なんだが、それが投稿のたびに、同じ場所ということがまずない。自分の部屋でもいろんなアングルを変えて、毎回違った背景で投稿する工夫がある。


で、ひたすら黙々と弾きまくっている、毎回ボーイングしているんだよねぇ。


とにかく勉強になるし、カッコいいです。


インスタにビジュアルな食べ物の写真ばかり投稿しているあなた!(笑)ハーンを見習ったほうがいいですよ!


ハーンのこの動画投稿をみて、いつも感動しているのが、ちゃんと、その投稿動画に”Hilary Hahn"とWartermark(電子透かし)を入れていることだ。


これは素晴らしい!


Watermarkって知ってますか?


電子透かし情報のことです。写真や静止画、そして動画に、これは自分のものですよ、という自分の名前などの著作権情報を透かし情報として埋め込む技術のことをいいます。


日本のお金(紙幣)にも透かしって入ってますね。紙幣を蛍光灯にあてて見てみると日本銀行の透かしが入っていることがわかります。これが偽札ではなく、本物の紙幣であることの証明になります。


デジタルコンテンツの場合、ネットで流布したときに、この電子透かしが入っていると、ネット上のどこに流布されても、これは著作権者のものですよ、ということが証明されるのです。


ネットワーク時代、デジタルコンテンツ時代の著作権情報を保護するキーテクノロジーとして、暗号と電子透かし(Watermark)は2大必須技術なのです。


昔、音声に著作権情報をWarermarkとして埋め込む仕事に関与していたことがあって、音に著作権者の名前などのデジタルデータを埋め込むなんて、なんと無茶な!と当時思ったことがあります。


画像に透かしを入れるならわかるけど、音に透かしを入れるなんて、なんか、感覚的に無理だろう、元の楽曲に影響を与えてしまうだろう!聴いていてブチっとかでわかっちゃうだろう!と思ったものです。


音声信号を時間軸から周波数軸にFFT変換した際に、その1本1本のスペクトラムには6dB octのマスキング領域というエリアがあって、そこはそのスペクトラムの音が大きいために、その音に邪魔されて、人間の耳には聞こえない領域なんですね。そのマスキング領域に、デジタルデータ(著作権情報)をQPSK変調して搬送キャリアを立ててあげる・・・そんな手法だったと思います。


ロッシー(損失系)な音声圧縮をかけちゃうと、そのせっかく立てたキャリアが削り落ちてしまうこともあって、ロッシー系の圧縮している音声には、削り落ちないところに挿入する必要がある、なんて感じだったかな。それも楽曲ごとに違うから大変。当時、この技術の先進国であった米国の企業の米国特許で、この音声のWatermarkの技術を片っ端から徹底的に調べました。だからよく覚えている。もう25年以上前のことですが。(笑)


いまのストリーミング時代で、いまやロッシーな圧縮を使っている技術なんてもうないですよね。もはやハイレゾ高音質な時代は、ロスレスの時代です。


いまのストリーミングで流れているデジタル音声信号にも、きっと暗号と電子透かし(Watermark)は入っていると思います。インターネット上で裸のコンテンツはあり得ないですね。


静止画や写真に自分の名前の電子透かしを入れて、著作権保護なされている方は最近増えていますね。お恥ずかしながら、自分は昔仕事で関与していながら、現在はその透かしの入れ方の経験がないのです。(笑)


いずれ習得しないとな、と思います。


自分のカメラで撮影した写真に、自分の名前の透かしが入っているとブログやSNSなどにアップしても安心度が全然違いますね。


静止画や写真に透かしが入っているのはよく見かけますが、投稿動画に透かしが入っているのはあまり見かけないですね。


YouTubeなどで、アーティストの演奏投稿動画で、電子透かし情報が埋め込まれているのを見たことはあまりないです。


静止画に埋め込むよりも、動画に埋め込むほうが、技術的に難しいからです。


アーティストの方は、ぜひ電子透かし情報(Watermark)を埋め込む技術を習得して、投稿するための自分が演奏するコンテンツを著作権保護することをお勧めします。


自分がヒラリー・ハーンのインスタ動画を見たときに、一番感動したことは、この電子透かし(Watermark)がきちんと入っているところでした。




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