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Microsoft 365 [雑感]

最近ニュースで日本のDXを一気に担うデジタル庁が、メールでTOとBCCを間違って送信してしまったとか、ITにあまり詳しくないという理由でデジタル庁監が退任だとか、縦の組織の壁をぶっ潰すという触れ込みが、実際は、思いっきり縦組織の運営そのもので、民間出身のデジタル庁職員が愛想つかしてみんな退職したとか、あまりに情けなくて、日本のデジタル化大丈夫なのだろうか、と思ってしまう。


自分もぜひデジタル庁で働いてみたいと思うが(笑)、たぶん大きな権力の前に力を発することができず埋もれてしまうだけだろう。


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日本のデジタル化が進むようになるには、高齢者も簡単に使えるオンラインの仕組みなんかが整備されていくことが将来の想像図だろうが、じつは個人ベースでは、Excel,Word,Powerpointなどのツールを使いこなせるようになるのも必須になっていくものと思われる。


企業に勤めている人ならMicrosoft(Office)365は、あまりに必須道具なので、これを使えないとまず仕事にならない。否が応でも覚えざるを得ないし、知らぬ間に個人のスキルとして身についているものであろう。


Microsoft365を使えるようになっておくことは、たぶん将来自分がどんな職業に転身しても絶対使うスキルだと思うので、絶対役に立つと思う。


いまの高齢者で、使用経験がない人にこれを教えようとすると、いろいろ大変な壁だと思うが、将来を担う若者は、ぜったい今のうちにMicrosoft365は使えるようになっておいた方がいい。


どんな仕事でもつぶしがきく、というものです。


Microsoft365は、いまやWindowsだけでなくMacにも装備されてますね。Win/Mac派のどちらでもスタンダードなアプリだと思うのだがどうなのだろう?


自分は、Windows一筋の人生で、会社生活35年間、ずっとWindowsだし、プライベートでもずっとWindowsだ。Macはその洗練されたGUIがもてはやされた1995年代あたりにプライベートで買って一時期使っていた。あとは最近、音楽配信再生用マシンとして使っている程度である。



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Excelは表計算、Wordは文章書き、Powerpointはプレゼン資料作成である。


契約書の世界は、Wordです。草稿案をまずWordでやりとりするのです。そして、その文中の中に訂正案をコメントとして挿入していきます。あるいは取り消し線とか。


そうやってお互いの落とし処まで合意するまでやりとりをして、最終版に署名サイン、押印をするのです。その原本を送ります。同時にその署名、押印済みの最終版のPDFを取っておきます。


これが契約書の世界です。


だから契約書に関係してくる人は、Wordが使えるようにならないといけません。あとスキャン用のPDF機能付きのプリンターも必要になります。(笑)


でも、原本郵送のために、収入印紙購入して貼ったり、郵便局に郵送作業に出かけるってあまりに時代遅れですよね。


やっぱりこれからの時代は電子契約の時代だと思います。


自分のコンサートの日程スケジュール、かかる費用・予算計算、交通費、出演料など後々の国への納税報告のためにデータを管理しておくなら絶対Excelだ。全体の費用のボリューム感とかを掴むうえでもさっと計算できるExcelは超便利だ。もちろん実際の紙の現物の領収書も保管しておくことはあたりまえだ。もちろん各々のスペースにコメントとして文字情報も入力することができる。


こういう管理のためにExcelというツールがある。


少なくとも、今後はWordとExcelの習得は絶対必須だと思います。これからの新しい若い世代の人たちは。。。


Powerpointはプレゼンですね。企業の中とか経営者などが主なユーザーですね。使えたほうがいいと思いますが、実務という面では、WordとExcelに敵う者はないです。とくに、Excelが一番実務的で最強ツールと言っていいです。


まず1番最初に覚えるべきツールです。こんな便利なものはないです。


Wordは文章書きなので、ある規定フォーマットなどの特定ジャンルになりますね。


Microsoft365は、いろいろなアプリツールの集合体のことを言う。


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昔は、Office365とか言っていた。Officeと呼んでいたときは、パッケージ版だった。いまMicrosoft365になってからは、オンラインのサブスクリプションでの支払いだそうだ。


●Word


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文章書きソフト。おもにA4のサイズに横書きで文章を書いていく。もちろんExcelやペイント機能などであらかじめ作っておいた図や写真を文中に挿入することもできる。でも自分は、ExcelやPowerpointに比べると、Wordがやや苦手。けっこう使いづらい感がある。GUIは基本は、Word/Excel/Powerpointともに共通なアイコンで統一化されていると思うが、どうもWordは使いづらい。


知財は、Wordの世界、Wordのカルチャーだったです。特許明細書を書いたり、中間処理の意見書、補正書はみんなWordで書いていました。もちろん特許マップやパテントマップなど用途によってはExcelやPowerpointも使いますが、圧倒的にWordを使っていた記憶が多い。


知財に在籍していた5年間は、日々特許明細書を読み込む作業と、ひたすらWordで文章書きをしていました。だから文章読解力と文章を書く力がこの期間に養われたと思います。徹底的に鍛えられました。いまの自分の文章を書く力は、この5年間に養なわれた、この時期に素地が作られたと言っても過言ではなかったです。



●Excel


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表計算ソフト。基本は数字を計算するソフトだけど、数字込みのいろいろなデータを管理する上でも本当に便利なソフト。自分は、Microsoft365の中でも、このExcelが1番好きです。一番自分に合っているし、こんな便利なソフトはないと思う。


表計算だけではなく、お絵かき、いろいろな情報管理など、データを整理しようと思ったら、こんな使い勝手のいい便利なツールは他を追随しないと思います。


技術者時代は、作業台で測定をしているではないですか。その測定データをExcelに書き込んで、それを表やグラフにする、そういう用途でエンジニア時代は使っていました。


でもいまの自分のExcelのスキルが養なわれたのは、いまの原価管理、原価計算の仕事をするようになってから。


知財から原価Gに異動になったときは圧倒されたです。もうグループのみんなExcelのエキスパート!びっくりしたです。自分はとうの昔のエンジニア時代に測定関係で使っていた程度なので、正直そんなにExcelは得意ではなかった。


原価業務というのは、ご存じのようにそれこそ5000モデル以上、何千機種というモデルをExcelで一気に管理する業務なので、Excelが使えないと仕事にならないのです。Excelはお茶の子さいさいで使えないといけないのです。


もうそこから原価メンバーにExcelの基本から応用までいろいろ教えてもらいました。原価の仕事をするようになってもう10年目。もう徹底的に叩き込まれたです。原価G異動時はExcelほぼ初心者だったのが、いまの自分のExcel力まで育成、到達できたのは本当にいまの原価メンバーのおかげです。


あとやっぱり環境ですね。思うんですが、やっぱり環境が一番。毎日やっていると、10年間、毎日Excelで5000モデル以上転がす作業をしていたら、そりゃパターン認識でアルファベットと数字だけの無機質なモデル名の羅列でもすぐに認識できるようになるし、Excelが得意になるのはあたりまえだと思います。


人間、なんでも慣れです。


Excelはいろいろ計算式や関数を使いますが、原価業務は特にVlookupを使うことが圧倒的です。もう毎日Vlookup使っていると言って過言ではないです。Vlookup使えないと原価業務できないです。


Excelも計算式や関数を使っているまでは、まだ序の口で、マクロを使うようになると結構大変ですね。自分も経理から、集計作業が非常に多いため、マクロを使いたいと言われ、対応せざるを得ず、マクロの勉強です。ネットで調べるだけでも十分だと思いますが、一応本も買っておきました。


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なぜか音楽の友、最新号も買ってあります。(笑)


まっマクロは、VBAでコード書くという大げさに考えるのではなく、いろいろなExcel上での操作手順をひとつのマクロとしてそのExcelシートに記憶させる、というレベルで考えるのがいいですね。


そんなに難しく考える必要ないです。操作手順をひとつにまとめてそのシートに暗記させているだけです。


知財時代のWord文化の世界から、いきなり原価のExcel文化の世界への移動はあまりに自分にとって衝撃が大きかったです。そしてこの2つの時代を経て、WordとExcelという2大必須ツールが自分のものとなったのです。


自分もWordとExcelは使えるようになるべきだ!と偉そうに吹いていますが、自分が会社の仕事で毎日使って習得しているからそんな偉そうなことが言えるんですね。(笑)やっぱり経験と慣れだと思います。


WordやExcelのツールの使い方を習得していくには、やはり毎日やる環境と、わからないときに詳しい人がすぐそばにいる、ということです。だからわからないときに、その人に聞いて、それを繰り返していくうちにどんどん自分も詳しくなっていくという感じでしょうか。


エラーメッセージとか出てきて、わからないとき。そのときにすぐそばに詳しい人がいない場合、ネットでそのエラーメッセージを検索することをお勧めします。これはエラーメッセージだけでなく、なんか使い方が分からない場合でも、すぐにネットで検索してみるのです。


そうすると大抵は、そのネットに解答がみつかります。詳しい人がそばにいない場合でも、大抵の場合はこれで解決できますので、慌てず、パニックにならずにやってみてください。



●Powerpoint


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通称パワポといわれるツールですね。これはプレゼン資料作成で、いわゆるお絵かきソフトです。実務ツールではないです。企業の中でプレゼンが必要になるのは、経営者や管理職ですね。自分もパワポは作れます。アニメーションを含め、それなりのものも作れます。


でもこれはいつも経営者、経営層のパワポのプレゼンを見るたびに思うのですが、やっぱり上のレベルの経営数字データのパワポ資料はすごい格好いいです。図なんか、どうやって作ってるんだろう、と思うようなすごい凝った資料で毎回圧倒されてしまいます。


自分は、パワポというのは経営層の人たちのツールだと思っているところがあります。上の層に行くほど、経営層になるほど、パワポのクオリティを望まれる、それがある意味の義務のようなところがあるんじゃないかな、と思ったりします。


出世したら、まず自分のパワポのスキルを上げないとダメだなと思ったりします。(笑)


でも中には、世の中にはこんな意見もありますね。どこの会社、どこの人だったか忘れましたが、パワポ作りに時間をかけている会社はすぐに潰れてしまう。(笑)見せかけ、人に見せるだけのことに、時間をかけているのは無駄、もっと実務的なことに時間をかけようみたいなことを言っていた人がいますね。


それが正しいかどうかはわかりませんが、やはりプレゼンって、相手を感動させる、その気にさせるという意味でも、美しくてカッコいい要領のいいパワポ資料じゃないとダメだと思うのです。


パワポ作成も能力だと思います。


あと、これは自分も気をつけていることですが、プレゼン資料を作るときは、簡潔な文章とまとめ、ですね。プレゼン資料は、議事録と同じで、読ませるものではなく、見るものですからパッと見たときに、すぐにわかって感動できないといけない。


長文の文字がずらっと書いてあるのが、一番よくないです。


プレゼン資料は、やはりその人によって個性がありますね。びしっ~っと文字の羅列でぎっちり書いてくる人と、簡潔な単語と図だけの人。ほんと人ぞれぞれです。その人の個性がそのまま出ます。


自分は、パワポというとこんなイメージです。あまり実務ツールではないという考えです。



●Outlook


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Macのほうでは一時期Eudoraというソフトもあって、自分はそのソフトを愛用していたときもありました。でもいまやOutlook一辺倒ですね。MacのほうでもOutlookがスタンダードではないでしょうか。Beckyとかもありましたね。(笑)


Outlookは、メールソフトとしてふつうにいいと思いますが、自分が重宝しているその使い方は、予定表カレンダーです。


自分のプライベートの予定は、かならず自分のプライベートPCのOutlookのカレンダーに書き込んでいるのです。そしてアラートを出すようにするのです。


そうすると、コンサートのチケット発売日とか、コンサートの日、旅行チケット予約日とか、全部このカレンダーに書き込んでおくのです。そうするとアラートでその前日に知らせてくれます。


そうしないと老人力で、忘れちゃうのです。気づいたらSold Outとかね。そういう日程管理、スケジュール管理として、このOutlookのカレンダーを使っています。いまの自分の生活は、このOutlookのカレンダーがないと成立しないです。


それだけ重要なポジションを占めています。



●Teams


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これは会社生活の働き方で、一大革命をもたらした画期的なツールといってもいいのではないでしょうか。コロナ禍のおかげで、日本の働き方改革が進んだおかげと言っていいと思います。


WEB会議ツールは、まさに画期的でした。もうこれなしでは、これからの会社活動は不可能といってもいい。


これのおかげで、もう出張(とくに海外出張)の必然性もなくなりました。やっぱりリアル対面のほうが説得力など違う面もあることは確かですが。


資料も共有画面でみんなと共有できるし、在宅勤務のまま会議に出席することも可能になりました。この共有画面で資料を共有したほうが、会議室で、プロジェクターに映し出された画面を見ているより、見やすいし、わかりやすのではないでしょうか。


世間一般ではZoomというのがスタンダードですが、Zoomはセキュリティ面で不安があるので、企業ではもっぱらMicrosoft Teamsのほうを使っています。


Teamsはすごい便利。Outlookのカレンダーと同期しているので、会議の予定を立てたら、そのままOutlookのカレンダーに反映されます。


WEB会議としての使い方ももちろんですが、チャットという気軽なやりとりにもとても重宝しています。メールとTeamsのチャットの使い分けは、ちょっとした些細なことはTeamsチャットで、改まってということであればメールで、という感じでしょうか。


なにか調査などあるグループ間で共同してやる場合は、メールよりTeamsのチャットで共有したほうが臨場感、一体感がでますね。


自分は、プライベートなPCでは、ZoomとかMicrosoft TeamsとかWEB会議モジュールは、いっさいインストールしていないです。あまり必要性を感じないので。会社の仕事のみで使っています。


でもいずれプライベートPCでも使えるようにしたいと思っています。



こんな感じでしょうか・・・。なんかこうやってあらためて特集していますが、そんなことしなくても、普段みんな普通に使っているツールですよね。(笑)


わざわざ説明してスミマセン。(笑)


もしあまり使ったことがない方がいらしゃったら、いまからでも遅くないです。いまからでも普段の日常生活で使うようにしてみましょう。


これは、もう普段のなにげないことに義務として無理やり使うしか方法がないです。たとえば、家計簿、毎日の体重管理、毎日の血糖値検査管理など、このようなものは毎日記録をつけるようにしてそのときにExcelを使うようにすればいいのです。


用も、使う必然性もないのに、使い方を学ぶということはありえないからです。


使う必要性があるから、無理してでも使い方を学ぶようになる、という論法です。


Word,Excel,Powerpointを使えるようになったら、どんな職業に転職してもそれなりつぶしが利くように思います。







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草燃える [ドラマ]

鎌倉殿の13人を毎週楽しみに観ていると、どうしても無性に、43年前の草燃えるが観たくなってくる。昔を懐かしむことばかりしていては、人間進歩がないと思うし、つねに前を向いて生きていきたいと思っているので、郷愁の念にかられるのはやめようと、ずっと我慢していたところがあった。


でも子ども時代のすり込みというのは恐ろしいもので、40年以上たったいまでも頼朝と言えば石坂浩二さんの顔がすぐに浮かび、政子といえば岩下志麻さんが脳裏から離れられない。


いま大河ドラマを見ていて、すごく楽しくて面白ければ面白いほど、どうしてもあの頃をもう一回どうだったっけという感じで観てみたくなってしまった。


ちょうどGWに突入したこともあって、1日たっぷり時間があったので、今日はひさしぶりに草燃えるの総集編のDVDを見てみました。


草燃えるは、1979年、自分が中学三年生のときに、放映された大河ドラマで、いままで見てきた大河ドラマでもっとも熱中して、一番好きだった大河ドラマです。


子供のときに、脳裏に埋め込まれた、すり込まれた、あの感動は忘れられないです。いままで日記でたくさん書いてきたけれど、草燃えるのおかげで鎌倉時代が好きになったし、源頼朝が大好きになったきっかけになったドラマでした。


ひさしぶりに観たけれど、いや~よかった~。いまとあの頃のドラマ作りは全然違うけど、当時の大河はシリアス、真面目路線だから、なんか観ていて、すごい吸い込まれるというかすごいシリアス。あの当時らしい感じだなぁと思いますね。


草燃えるの原作は永井路子さんですね。このドラマは、年間を通じての主役は北条政子ですね。


でもあの当時、女性主人公はまだ困難とみられたことから前半の主人公を源頼朝とするダブル主人公でのドラマ化。頼朝が中盤で死んだ後は、主役に北条政子が繰り上がるスタイル。ただ、前半も視点としては政子に重きが置かれ、実質的には政子が全体の主人公という趣が濃い感じでした。


NHK制作陣は永井路子さんと面会して承諾を取り付け、鎌倉時代を扱った他の作品も使ってよいと永井さんから提案されたそう。永井さんは、「時代劇を脚色した人でない人」「(原作同様)現代口調でやってもらいたい」という条件を付け、中島丈博さんが脚本に起用された。


永井路子さんの「北条政子」,「炎環」,「つわものの賦」などの著作をもとに、中島丈博さんのオリジナル脚本で、源氏三代と承久の乱までの東国武士団の興亡を描いたという感じですね。


永井路子さんといえば当時は鎌倉時代の歴史作家の権威のようなところがありましたね。この3つの代表作、ぜひ読んでみたいです。


草燃えるはあのオープニングの流鏑馬のシーンがすごく好きなんですよね。あれこそ鎌倉時代と思ってしまうわけです。普段から流鏑馬はすごいカッコいいと思っていますので。


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なぜ自分が草燃えるが好きだったかというと、石坂浩二さん演じる源頼朝がすごく好きだったからです。石坂さん演じる頼朝が好きで好きで堪らなかったから、草燃えるが好きになったというところがあった。何十年ぶりかで、ひさしぶりに拝見しましたが、やっぱり石坂浩二さんは人間的に器が大きいというか、やっぱり演技に深みがある。けっして虚勢ではない自然な存在感があって、やっぱりプロだなぁと改めて思ってしまう。本当にいい役者さんだなぁと思います。


自分が石坂頼朝が好きだったと思うようになったのは、じつは頼朝が死んでからなんですよね。番組は、頼朝がいた時代は明るいんだけれど、頼朝が死んでから、急に太陽がなくなったような感じで、急激に暗くて陰鬱な感じに変わって、御家人同士の血と血で争う抗争劇、仁義なき戦いが始まるんですよね。


だからどうしてもあの頃はよかった、という感じに回想して思うわけです。頼朝の時代はよかった。頼朝がスーパーヒーローのように思えちゃうのです。


ひさしぶりにDVD見て、あらためて石坂浩二さんの役者としての素晴らしさに感銘しました。


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この大河ドラマを見て以来、自分にとって、岩下志麻さんイコール北条政子のイメージはずっとすり込まれています。岩下志麻さんは極道の妻たちなど、いろいろなドラマ、映画で活躍なされていますけれど、自分にとって、ちょっと北条政子のイメージから抜け出すことが難しいですね。どんな役を見ても、全部北条政子に見えてしまいます。(笑)それくらいインパクト強かったです。


北条政子というと、強くて恐ろしい悪女のように思われることが大半ですが、このドラマではけっしてそのような偏ったイメージでなく、女性として母親としての気持ちを前に出すような感じで描かれていますね。原作の永井路子さんが女性なので、北条政子を主人公として書かれているので、そのような女性観点での捉え方なのでしょうね。


北条政子は尼将軍として恐れられていたという史実一辺倒のイメージではなく、そのような極悪なところは全部北条義時が背負って、義時に引っ張られるようにひのき舞台に担ぎ出されているという描かれ方をしていますね。


すっかり忘れていましたが、ひさしぶりに観たらそんな感じでした。北条政子は、やはり頼朝が死んでからが、大きな見せ場になりますね。


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子供の頃に見ていたとき、一番ショックだったのは、この小四郎、北条義時の変貌ぶりです。幼い子供心には、その変貌ぶりにはショックで立ち直れなかったです。あまりに別人で。。。


若いときは、とても好青年に描かれているのに、頼朝の死後以降、承久の乱までで武士の世を確立するまで、まさに次第に変貌を遂げ、政敵と見なした御家人を様々な計略をめぐらして容赦なく排除・殺害していく冷徹な権力者として、若き日とは全くの別人格となっていく・・・です。


草燃えるでは、主人公の北条政子はそんなにダークなイメージでは描かれていないんですね。そういう冷徹なところは全部義時が背負っていくように描かれているのです。政子はそれに引っ張れているに過ぎないという感じで。


松平健さんがじつに素晴らしいです。晩年の義時の演技のときは、老いを表現するために自分でもちょっと声をつぶし気味に工夫したとか。


松平健さんは当時は暴れん坊将軍が大人気でしたが、自分はこの北条義時のほうが断然よかったです。


鎌倉殿の13人で一番自分が楽しみにしていて、どうなるのかワクワクしていることは、小栗旬氏演じる北条義時がどのようにこの変貌ぶりを演じるのか、です。


いまはすごく純真で優しいいい人柄を演じていますが、後年、いよいよ真の意味で、ドラマの本当の主役になっていくとき、どのようにこの変貌を演じていくのか。


はたまた、いやいや根底にいい人をちゃんと残しつつ、視聴者にショックを与えないように、終始良心的な主人公で徹底するのか。三谷さんの筆次第ですかね。三谷さんは、あまり史実に引っ張られず、ギリギリ限界なところで創作チャレンジする脚本家なので、どうなるかわかりませんね。


小栗旬氏の冷徹な義時も見てみたい気はしますが。(笑)


ここはこのドラマの一番キーになることでもあるので、期待しています。三谷さんが言っていた通り、鎌倉殿の13人は、頼朝が死んでからが勝負ですね。ここからが物語の始まりなのかもしれませんね。


今年の鎌倉殿の13人で、まさかこの鎌倉草創期の歴史、それも源氏、東国武士団のほうからみたドラマを、こうして43年ぶりに見れるとは思ってもいなかったです。


もう感謝するしかいないです。


同じ時代を扱うとはいえ、草燃えると鎌倉殿の13人ではまったく別物のドラマだと思ってます。あの頃を遥かに超えて、いままでの自分のすり込みを上書きしてくれる、そんな大きな期待で楽しみにしています。


石坂浩二さんや岩下志麻さんも、きっと今年の鎌倉殿の13人はご覧になっていると思うんですよね。(松平健さんは平清盛役で出演されています。)自分達が演じてきた代表ドラマですから絶対観ているはずです。


とうぜん楽しんで観ていらっしゃると思うのですが、ぜひ感想を聞いてみたいものです。(笑)






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イギリスではカツカレーが大ブーム [グルメ]

2020年頃から世界ニュースで有名で、いまさらのニュースかもしれないけれど、自分の日記でもきちんと取り上げておきますね。


イギリスではカツカレーが大ブームなのだそうだ。(笑)周回遅れのニュースでスミマセン。


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イギリス人はカツカレーに夢中!なのである。

イギリスでは空前のカツカレーブームなのである。

イギリスで日本の「カツカレー」が“国民食”になっている驚きの理由がある。


第一の波は、1992年にロンドンで創業したカジュアル店「Wagamama」の急速なチェーン展開だ。ポップですっきりとしたデザイン、おしゃれなストリートフード風のメニューが若い層に俄然アピールし、瞬く間に人気者に。


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続いて1990年代後半に誕生したのが回転寿司の「YO! Sushi」。回転寿司をイギリスに初導入して全国展開したことで「ポップで近未来的な日本食」のイメージが広まることになった。



Wagamama以前の日本食と言えば、伝統色の強い独立店が、駐在員や日本文化好きをターゲットにしていた程度である。日本の文化を知らないイギリス全土のマス層に、日本食の輪郭が届き始めたのは、実質的に上記2ブランドの貢献が大きい。



自分はWagamamaの存在は知りませんでした。1992年創業ということだから、自分がロンドンに住んでいたときは、すでにお店はあったはずなのですが、全然記憶にないです。当時はインターネットとかなかった時代だから、全然情報がキャッチできなかったですね。


でもWagamamaはお洒落なモダンなお店なんですね。


自分が住んでいた1990年代は、日本料理店は少なかったです。ロンドンの近郊にはなくて、日本料理が食べたかったなら、わざわざロンドンに行くしかなかったです。以前にも日記で書いたと思いますが、自分は普段の食生活は、もっぱら中華料理でした。中華はどこの国に行っても必ずあって、日本人の味覚にもよく合う。中華は偉大だと思っていました、当時。


ロンドンには自分の行きつけの日本料理屋さんがあって、確か鉄板焼きさんだったと思いますが、よく通い詰めてたです。週末の土日になったら、必ず車でM3のHighwayを車で飛ばして、ロンドンに行ってたものです。





そして第三の波は、2010年代にやってきた。それまで在英日本人たちを嘆かせていた「ロンドンのラーメン不足」がようやく解消されるときがきたのである。


先鞭をつけたのは2012年創業の「昇龍」。同時期にいくつかの本格ラーメン専門店がぽんぽんと勢いよく誕生し、その後も「一風堂」や「金田屋」などが後続。


Wagamamaのラーメンもどきを受け入れることのできなかった在英日本人たちが、諸手をあげて歓迎した動きでもあった。さすがにラーメンの真髄は日本人しかわからないと見えて、これらのラーメン・ブランドのほとんどは日本人が立ち上げたものだ。



Wagamamaはいろいろな日本料理をサーブするみたいですが、ラーメンはまずいみたいですね。(笑)英国在住の日本人には、とても受け入れられない代物なんだそうです。食えたものじゃないみたいです。


ネットで、Wagamamaのラーメンって検索すると、とにかくマズイ、マズイの連発の投稿しか見たらないです。


これがまずいという噂のWagamamaのラーメン。


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自分も海外に住んでいたときや、海外に旅行に行ったときに、日本人を唸らせるようなうまいラーメンに出会ったことないです。なぜ、外国人にとって、あういうもどきのラーメンしか作れないのか、と思いますね。


ベルギーのブリュッセルの「やまと」は美味しかったと思いますが、自分もロンドンで通ったラーメンで美味しいと思ったことはまず記憶にないです。


あういう繊細な味を出すには、不器用な外国人は苦手なんでしょうね。


2014年にライプツィヒにバッハー・ツアーに行ったときでした。聖トーマス教会の近くに日本のラーメン屋さんがあって入ったのですが、とにかくまずかったです。(笑)食えたものじゃなかったです。


そのときの写真を紹介しますね。(2014年撮影です。)


UMAII(うまい)というお店の名前でした。8年前の当時で7.5Eurで950円ですね。結構高かったですね。


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店内は、結構お洒落なんですよね。


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店員さんも日本人で久しぶりに日本語喋りました。味噌ラーメンを頼んだのでした。


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そうしたら出てきたものは麺がうどんでした…("⌒∇⌒") こちらの人はこれをラーメンと思っているとは!お味?まぁ異国の地で日本食が食べれるだけ、有り難く思え!というレベルですね。・・・と散々な投稿をしておりました。


ここは留学生にとても有名な"まずいい"というお店なんだそうです(笑)。


ドイツ・ライプツィヒでバッハの世界に埋没していた自分は、唯一この超まずいラーメンの想い出は記憶から拭い去ることができないです。


そのとき、外国人には、まだまだ日本料理の繊細さは無理なんだな、と思いました。




このラーメン・ブーム以前から、日本食は寿司などのイメージから健康志向の意識の高い人々に人気だった。一方で、ガツンと胃に収まるカツカレーは、特に学生や若い男性を中心に不動の大衆食となっていった。


ちなみに豚肉を食べられないイスラム教徒が多いこと、また鶏肉が大好きなカリブ系移民が多いことから、イギリスではポークよりもチキンが好まれ、カツカレーと言えばチキン・カツカレーを指すのが一般的だ。


カツカレー人気に火付け役がいるとすれば、それは現在のところ英国全土に135店舗を展開する1992年創業のWagamamaをおいてほかにない。


英国内では1日に1万食のWagamamaチキン・カツカレーが食べられており、押しも押されもせぬナンバーワン・メニューである。同店チキン・カツカレーへの愛が熱く語られているオンライン・コミュニティも多数存在する。



つまりイギリス人のカツカレー巡礼は青年時代にWagamamaから始まり、ここでファンになった客層が他店へと味の冒険を広げていく、そんな流れがあると見ていいだろう。言い換えれば、Wagamamaが30年かけてカツカレー文化を育んできたということだ。


また、2017年にロンドンで創業している「Tanakatsu」は、目下最注目のカツ専門店。日本人ならではの揚げ物の巧みを再現している。


さらに続く2018年には、ついに「CoCo壱番屋」がロンドン上陸。カツカレー・ファンたちを喜ばせた。


チキン・カツカレーは、すでにイギリスで確固とした市民権を得ている。国民食と化していると言ってもいいだろう。それはスーパーマーケット各社が自社レトルト商品やカツカレー・ソースを開発し、チキン・カツカレー味のスナック菓子を登場させていることからもわかる。


Wagamamaの公式サイトに載っているカツカレーです。


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イギリス人は、歯ごたえのある食べ物を好む傾向があるため、チキンナゲットやフィッシュ&チップスのフィッシュなど、さくさくのパン粉や衣をつけた肉や魚が大好き!カツがカレーライスの上にのっている、ということがイギリス人の食欲をそそっているのだそうです。ちなみに、イギリスでカツカレーといった場合は、ほぼ100%チキンカツ。イスラム教など宗教上の理由で豚肉を避ける人が多いのが理由です。


「カツカレー」という日本語が通じるほど、イギリスではカツカレーが大人気!もはやブームを通り越して、寿司、てんぷらのような日本食を代表するものとして定着してきているのだそうです。



英国でのカツカレーはカツが入っているか否かではなく、日本式カレーのことをカツカレーと呼び、インドカレーやタイカレーと区別され使用されているそう。


日本式カレー=カツカレーという認識なんですね。(笑)


とにかく驚きとしか言いようがないですね。まさかこんなメニューがイギリスで大流行しているとは思ってもいませんでした。


確かに普通のカレーと違って、カツカレーはなんか食ったぞーという腹いっぱい感、満腹感がありますね。イギリス人には、これが受けているんだそうです。


あの「CoCo壱番屋」もすでにロンドン上陸なんですね。カレーの本場インドにも、日本式カレーのチャレンジということで、「CoCo壱番屋」さんはインド進出しています。


「これまで食べたことのない、クセのある味。でも予想以上に美味しかったよ」


世界第二位の人口を誇り、急速な発展を遂げているインド。その首都にあたるニューデリー郊外の街・グルガオンに店を構える「カレーハウスCoCo壱番屋」で食事を終えた現地のインド人は口々にこう話しているという。


頑張ってほしいです。



近日中に金沢に旅行する予定です。オーケストラ・アンサンブル金沢を現地金沢で聴く予定です。そのオーケストラを聴くなら、まずそのフランチャイズで聴け!がマナーというか基本流儀です。

 

自分のクラシック鑑賞人生の中で、金沢はどうしても抑えておかないといけない。必須感、義務感にかられての行動です。


そして金沢観光を楽しむ予定です。

楽しみなのは、金沢グルメです。


金沢の美味しいものというと、海の幸とか、海鮮丼、お寿司とか押す方がたくさんいらっしゃいますが、もちろんそうなのかもしれませんが、北海道育ちの自分にとって海鮮系ってそそられないんですよね。


行くなら、ぜひB級金沢グルメを目指したいです。そのB級金沢グルメの中に、金沢カレーというのがあります。


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一時期から「金沢カレー」というジャンルが全国的に知られるようになりました。その特徴は「黒に近い深い茶色のカレーで粘度がある」「ステンレス製の皿に盛り付けられる」「先割れスプーンかフォークで食べる」「カツカレーの場合、千切りキャベツも添えられる」などなど。



いずれにしても古き良き昭和の趣きを現代に継承するスタイルで、地元以外の人間であってもその魅力に取り憑かれる人は多いそう。


なんか金沢カレーというだけで熱く語れそうで、それだけで1本の日記が書けそうです。ぜひ金沢に行く前に、一度特集したいと思っています。


イギリスでカツカレーが大ブームと、金沢カレーは、なまじっか無関係ではないと思います。必然の赤い糸で結ばれているんだと思います。


情報引用元:


イギリスで「カツカレー」が大ブーム!人気の秘密と、日本では絶対に入っている“あの具材”が入っていないワケ



カツカレーブームが英国で拡大 在英邦人がSNSで拡散も



イギリスで日本の「カツカレー」が“国民食”になっている驚きの理由






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三田詣 [グルメ]

ひさしぶりに"総帥"山田拓美さんの三田本店の二郎が食べたくなった。ラーメン二郎の自分の想いを日記にしたときに、これは三田詣をしないとなぁ、という気持ちに駆られたのだ。


いまでも思うのだけれど、ラーメン二郎が本当にうまい、こんなうまいラーメンがあるのか、と心底思ったのは、奥さんと2人でやっていた慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代。


あの"総帥"山田拓美さんが作っていた二郎ラーメンほど美味しいものはなかった。


あの頃が1番美味しいと感じたのだった。あれを超える二郎ラーメンは、どこの支店でも体験することはできなかった。


同じ山田さんがいまでも作っている三田本店の二郎ラーメンは、大変申し訳ないのだけれど、そしてとても言いずらいことなのだけれど、あの頃の味ではないような気がする。あの時代を体験したく、何度もいまの三田本店に通ったが、そのたびに、あれ~こんなんじゃなかったけれどな~~~と思うのが正直なところだ。申し訳ないです。


これが自分の三田本店の正直な感想というところだった。やっぱりジロリアンにとって、三田本店というのは"総帥"のいる聖地なのである。おいそれとして、批評することこともできないし、どうしても自分の意図するところの味ではないと思ったなら、あえてそれに言及するのではなく、距離を置いておくことだ。


なにも言わない。そう思っていたのである。


そう思って最後の三田本店に行ったのは、もう何年前だろうか。ひょっとすると10年くらい行ってないかもしれない。


先日、ラーメン二郎の日記を書いたとき、これはひさしぶりに三田本店に行かないといけないなぁと直感で感じたのである。


またもう一回三田本店に行って確認してみたいことがあった。


それは、普段自分が思っていることで、三田本店の二郎ラーメンについてもあてはまることではないかなと思っていたことがあるからだ。


それは、ものごとは、すべてにおいて、時代とともに進化する、ということである。これは絶対間違いない。


もうありとあらゆるジャンルにおいて、ものごとというのは、必ず進化している。昔のほうがよかった、ということなどないのだ。


絶対、昔とは比較にならないほど、進化している、現代という時代は。


それは大河ドラマなどのドラマ作りにだって言えるだろう。43年前のドラマを今見ても、きっと古臭いと感じるし、セピア色の画面に見えてしまう。もう時代を感じてしまう。でも43年前当時は、それが時代の最前線として放映されていたのだ。


昔は、勧善懲悪、主役と悪い役など、はっきりと分かりやすいキャラ設定だった。でも今見ると、ものすごい古臭く感じるだろう。そしてそんな設定では、現代人にとってはあまりに単調で見るに耐えられないだろう。


やはり現代人のスピード感あふれる感覚にあった非常に複雑なキャラ設定など、その巧妙さは1枚も2枚も進化せざるを得ない。


ドラマ作りは確実に進化しているのだ。


クラシック音楽だって、そうだと思っている。オーケストラの演奏能力、各ソリストの演奏技術は、昔と比較にならないほど、研究され進化してきているのだ。そして、その演奏を記録する映像・オーディオ機器装置の進化。もう昔のスペックの規格では見るに耐えれないほど現在の技術の進歩は凄い。またオーケストラなどのライブ映像を撮るカメラワークもずいぶん研究されてきて、進化してきた。昔は、カラヤンの造った映像のように、まるで作り物の人形が演奏しているかのような一糸乱れぬ演奏姿が美しくてよし、とされた時代であったが、いまはもっとライブっぽい、じかに実演を体験しているかのような映像に変わってきた。まさに時代とともに進化してきているのである。


スポーツだってそうだろう。手短なところでいえば、野球。プロ野球。自分は、昔、大学生のときは、よくプロ野球を見ていたが、いまはまったく見なくなった。体力的にもう無理なのだ。


でも必ず、深夜のニュースになると、スポーツコーナーを目にすることから、自分がふっと思うことがある。それは最近の選手のパワーはすごいな、と思うことだ。ボールを遠くに飛ばす瞬発力、バットとボールがあたったときの瞬発力、遠心力がすごくて、まるでピンポンのようにボールをスタンドに飛ばしてしまう。


体のサイズも昔と比べて、一回りも二回りも大きくなっているし、とにかく体の基本が違うし、パワーが違うな、と思うことだ。


野球人気は、自分が大学生の時代だった1980年代は、野球は国民的スポーツで、ゴールデンタイムに地上波で放映されていて、つねに高視聴率だった。でもその当時と比較しても、選手の体、パワーなど全然違う、進化していると感じざるを得ない。


いままではあくまでたとえの例にしかすぎないけれど、たぶんすべての事象について、あてはまるだろう。ものごと、すべてのものは、確実に進化している、ということだ。


じゃあそれでオシマイかというと、そんなに単純なものでもないんだな。(笑)人間には、なんでも進歩、進化といういわゆる絶対的なものさし基準だけでは測れないものがあるのだ。


自分もある程度の年輪を重ねるようになってから、わかってきた感覚だが、やはり人間というのは、自分の青春時代、自分が人生で一番輝いていたときの頃が忘れらないものなんだな。


これはドラマにしろ、クラシックにしろ、スポーツにしろ、すべてにおいてである。いまと比較すると、それは技術的にも古臭いものなのかもしれないけれど、自分にとっては、やはりその当時、自分が子供のときに体験したことだから、特別なメモリアルなのである。


そして、それがすごく感傷的な想い出として、いつまでも自分の中に残るものなのである。これは正しい、正しくない、進化している、とかの基準ではないから、本当に曖昧で自分単位の想いである。


これは各個人で様々であろう。それを否定することはできないと思うのである。



世の中は、本当に着実に進化していくものだけれど、人間の想いだけは、いつまでもあのときを惜しむ、という積年の想いに追いやられることが多いんじゃないかな、と思うのである。


それは人間の人生が有限で終わりがあるからでもある。


人生の勝者というのは、そういう個人単位の自分なりの想いをいかにたくさん経験するか、ということなのではないだろうか。。。


過去のものは、その当時としては、最前線として登場したものであるから、時代が経って古臭くなったとしても、我々は、それには敬意を表すべきなのだろう。


クラシックの世界は、特にそういう側面が極端に残っている世界だと思う。


新しい世代の演奏家による新しい演奏会中心の展開も素晴らしいが、クラシックの世界では、過去の名巨匠、名演奏家による〇年〇月〇日のあのときの名演奏、名音盤という世界がある。その世界に特別な敬意を払い、いまも研究を尽くされている音楽研究家の先生方もたくさんいらっしゃる。


クラシックのそういう世界というのは、これまた一種の魅力なんだな。リアルタイムで体験できた想い出よりも、自分が体験できなかった時代の昔の音源、映像をすごく神秘的に感じしてしまうものなのだ。


その世界は、やはりその世界として尊重されるべきで、我々も敬意を表すべきだと思うのである。


ものさしが別基準なんだよな。


・・・そんなことを想っていたのである。(笑)書けば、すごく長くなってしまうのだが、そんなことを最近つらつらと考えていたのだ。


そうすると、"総帥"山田拓美さんがつくるラーメン二郎についてもそこに関係してくるかな、と思っていて、それを確かめたいと思っていたのだ。


ラーメン二郎、三田本店は、JR山手線の田町駅で下車する。しばらく来ていないから、駅前は歩道橋などきちんと整備されていて、ずいぶん印象が違うような気がする。



そして、ここ!慶應仲通り商店街を通っていく。


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懐かしいなぁ・・・全然変わってないや。変わってないということは反面、進化がないということだから、錆びれていく感じがしますね。


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そして、その商店街を抜け出た後に遭遇する交差点。


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ここである。この交差点のあの場所に"総帥"山田拓美さんのラーメン二郎があったのだ。自分にとって、ラーメン二郎と言えば、この交差点隅にあった時代のことを言う。


なんと!いまや二郎があったところは、パン屋さんが出来ていた。


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そしてあの当時と違って、ややスペースを確保して、ちょっとしたエリアを作っていた。ずいぶん変わったんだな~という感じである。


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この交差点隅にあった頃のラーメン二郎の写真をずいぶん探したのだけれど、1枚も見つからなかった。当時はデジカメとかなくて、フィルムカメラの時代だし、ネットSNSとかもなくて、写真を撮影して投稿するという文化もなかったからね。それが1枚も写真が残っていない原因なのであろう。



ちょっと残念だな~と思っていたのだが、偶然にも、YouTubeで当時のこの交差点隅にあった時代のラーメン二郎の動画を発見してしまった。


そこから切り取ってくると、


これが交差点隅にあった時代のラーメン二郎。


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そしてこれが店内です。


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ここです、ここです。まさにここです。懐かしすぎる~。(笑)この時代は、お店は山田さんと奥さんの2人でやっていたんですよね。そして今みたいに、支店とかもなかった時代。ここのお店だけでやっていたのだ、ラーメン二郎と言うのは。


ここの山田さんが作る二郎ラーメンほど美味しいものはないと思っていたのである。それは三田本店をはじめ、いまどこの支店を探しても、あの頃のうまさの二郎ラーメンには出会えないのである。


そんな想いを抱えながら、恐る恐る三田本店へ。10年ぶりくらいか?じつにひさしぶりの三田本店。


11時20分に接続して、11時53分に着丼できました。


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久し振りに会った山田さん。元気そうだったが、ちょっとしんみりすることもあった。もう今や、ラーメン作りは全部、若い衆に任せ、山田さんは見ているだけの監督業だったことだ。前回行ったときは、まだバリバリと山田さんが前線でラーメン作ってたから、なんかすごい寂しい感じがした。やはりもう高齢で、手とかも無理なんだろうな。番組ではテーピングして、もういまやこれしないとできないというようなことを言っていたから。


三田本店の二郎ラーメンはどうだったのか・・・


美味しかった。ふつうに二郎ラーメンでした。(あっさり)(笑)


自分が最近考えていたことは、人間って輝かしいあの頃を懐かしむ郷愁の念にかられやすい性格だから、おそらくあの頃の味を想い出の中であまりに美化しすぎていて、敷居の高いレベルに自分が勝手に押し上げていたところがあったのではないか、と思ったのだ。


じつは二郎ラーメンは別に全然変わってなかったとか。

あの当時のままの味を続けていた。

そんなオチを考えていた。


三田本店の二郎ラーメンは、ふつうに美味しくて、ふつうに二郎ラーメンだったので、ホッとしてそういう結論に達したのである。


また普段長々と考えていて、そういうオチではないかと思い、それを確かめにひさしぶりに三田本店に行ったというのが真相である。










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WSS (ウエスト・サイド・ストーリー) [映画]

話題のスティーヴン・スピルバーグ監督のWSS(ウエスト・サイド・ストーリー)を観た。本当はリアルタイムで映画館で観たかったのだが、仕事が大変な時期だったので、気持ちにそんな余裕がなく、Disney+で観た。つくづくDisney+に入会していてよかったと思う。


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ブロードウェイで伝説と言われるほどの成功を収めたミュージカルの現代のリバイバル版。


「トゥナイト」「アメリカ」「マリア」「サムウェア」など不朽のミュージカル・ナンバーを作曲したのが、レナード・バーンスタインである。


作曲家バーンスタインの名を不動のものにしたこのミュージカルの名作は、ニューヨークのウェスト・サイドを舞台に、対立する非行少年グループ間の男女の悲恋を描いた現代版「ロミオとジュリエット」といえる作品で、胸を打つ甘美なメロディや野性的なリズムによる音楽が魅力である。


ミュージカル、舞台や映画も本当に秀逸であるが、自分はウエスト・サイド・ストーリーといったら、やっぱりどうしてもバーンスタインなのである。


カラヤンの時代にその対極するライバルとして、クラシック界に双璧としてそびえ立ったバーンスタインであったが、作曲家として、このブロードウェイ・ミュージカルの作曲に、カラヤンとは違う、カラヤンが成し得なかった自分の大きな才能として自負していた仕事、業績だったのではないか、と確信している。


これが正しいかどうかはわからないけれど、カラヤン派であった自分は、このバーンスタインの作曲家としての才能に大きな尊敬の念を抱いていたのである。そんな才能がいっきに華開いたのが、このウエスト・サイド・ストーリーだったのだ。


自分が熱中して聴いていたのは、この盤である。


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「ウェスト・サイド・ストーリー」 

レナード・バーンスタイン&オーケストラ、

キリ・テ・カナワ、ホセ・カレーラス、他(1984ステレオ)





作曲者バーンスタイン自らがタクトを執り、キリ・テ・カナワやホセ・カレーラスなど超一流のオペラ歌手を起用したこの録音は、バーンスタインの意志が隅々にまで貫かれた名盤として広く知られている。


自分は、この盤でウエスト・サイド・ストーリーの名曲をよく勉強していた。



ウエスト・サイド・ストーリーは、もうあまりに有名で自分が子供の頃からずっと身近にあったミュージカル、舞台や映画だったと思う。子供の頃から耳にしたことがある、聴いたことのある、そんな名曲たちに溢れている。



もともとはミュージカルとしてスタートしたのだけれど、商標としては、当時は「ウエスト・サイド物語」でしたね。「ウエスト・サイド・ストーリー」は今回のスピルバーグ監督のリバイバル版の商標です。


日本でも劇団四季や宝塚を始め、多くのミュージカルや舞台で上演されてきた。もう王道の演目である。バーンスタインの祝〇〇周年というメモリアルイヤーになると必ず上演されるキラーコンテンツなのではないだろうか。



「ウエスト・サイド物語」は、アーサー・ローレンツ脚本、レナード・バーンスタイン音楽、スティーヴン・ソンドハイム歌詞のブロードウェイ・ミュージカル。原案ジェローム・ロビンズ。1957年初演である。


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シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」に着想し、当時のニューヨークの社会的背景を織り込みつつ、ポーランド系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人との2つの異なる少年非行グループの抗争の犠牲となる若い男女の2日間の恋と死までを描く。


「ウエスト・サイド・ストーリー」自体がアメリカ文化の一部といえるほどの歴史的作品であった。


世界中のミュージカルや舞台で上演され続けてきたスタンダード中のスタンダードである。


ミュージカル版が1957年に初演され、1961年に映画化。今回およそ60年の時を経て、スピルバーグという現代映画界の巨匠によって再映画化がなされた。


60年前の作品をいまなぜ?


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黄金期のアメリカの光と影を切り取った傑作。


物語の舞台は、1950年代後半のニューヨークはマンハッタン西部。「ウエスト・サイド・ストーリー」は、ヨーロッパ系とプエルトリコ系の移民の若者たちの対立、主人公であるマリアとトニーの恋などストリートの人間模様を描いた作品だ。



この物語がシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」を下敷きにしていることはとよく知られるが、原作を手がけた4人の作家は、新聞の見出しでラテン系の若者による暴力事件を目にしたことからもインスピレーションを得て、作品を仕立て上げたのだという。


1950年代のアメリカは経済的にも、文化的にもひとつの黄金期を迎える一方で、50年代半ばから60年代にかけて公民権運動が巻き起こり、人種差別の撤廃に向けて揺れ動く激動の時代だったのだ。


自分は、平和ないまの時代に住んでいて、けっしてあの時代に戻りたいとは思わないけれど、あの当時、世の中がそういう世相だった、ということを十分に感じとれる映画だと思うのである。


1961年度版映画では、白人俳優が褐色のメイクを施して出演している。現在の視点で見ればあきらかに人種差別的表現にあたる。


またいまこうして見ると、暴力的表現、差別発言など、物語そのものとは別のところで、この当時の社会の複雑さを内在化している側面もある。


自分はひさしぶりにこの映画を観た正直の感想は、ちょっと暴力的で正しい道徳観、倫理感で取り締まられているいまの時代には、ちょっとキツイな、観ていてしんどい、と思ったことも確かだった。


あの当時は、これがあたりまえの世界観だった。


そんな60年前の世界観を、ハリウッド映画界の巨匠スピルバーグが、なぜ再映画化したのだろう?


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「The Guardian」のインタビューでは、スピルバーグにとって本作はオリジナル版であるミュージカルの再構築作品であると強調し、「このミュージカルは、わたしの人生とともにあった」と思い入れを語っている。


「ウエスト・サイド・ストーリー」を自らの手で映画化することは、スピルバーグの長年の夢だったのだ。


「ウエスト・サイド・ストーリー」を自ら手がけることは、スピルバーグにとって悲願であると同時に、非常に複雑な作品背景をもつことから大きな挑戦であったことは間違いない。



スピルバーグによって60年ぶりに復活した「ウエスト・サイド・ストーリー」は、まず画質が素晴らしかった。自分が記憶にあるこの映画の映像は、どちらかというとセピア色のフィルムの世界のような画質だったのだが、蘇ったスピルバーグ版は、じつに最新映像技術によるVividな鮮明な画像だった。


セットなのかな?かなり投資費用をかけたゴージャスな当時の街風景を再現し、ダイナミックな輝度情報、色再現性などまばゆいばかりな感じであった。


非常にダイナミックでスピード感ある映像表現で、まさに今風、現代版といっても過言ではなかった。


あの名画がこんな風に蘇るなんて!という感じで嬉しかったです。


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俳優さんたちもとても魅力的ないい俳優さんばかり。主人公であるマリアとトニーは、とても輝いているいい俳優さんでした。トニーが夜にマリアの部屋にかけよるこのシーンなんて、まさに「ロミオとジュリエット」そのもの!


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そして「ウエスト・サイド・ストーリー」といえば、このストリートでのダンスだ。圧倒的!画像の色使いがVividなので、すごいインパクトがある。この華麗なダンスのストリート・ショーはもう圧倒されますよ。この映画の一番の魅せどころであろう。これが現代風ダイナミック映像表現でいまに蘇るのだから堪らないのだ。


このストリートでのダンスをみると、自分は古き良き時代のアメリカをイメージするし、このシーンを観るたびに、これこそ「ウエスト・サイド・ストーリー」だ!と思ってしまうほど、この映画といえば、まさにここ、ドンピシャなのである。



オリジナル版であるミュージカルの再構築。そう語っているこのスピルバーグ版。


いろいろ拘っているところがあるそうだ。たとえば楽曲の順番。この作品は幾重にもいろいろ上映されてきていることもあって、曲順が改訂されて違うところもあるそうなのだが、本映画ではまったくオリジナル版と同じ順番だそうである。


スピルバーグ版では、多数のスペイン語のセリフを導入したり(それらは英字幕なしで上映されている!!!)、すべてのプエルトリコ人パートにラテン系の出演者を配置したり、キャストとスタッフがプエルトリコの文化や歴史を学ぶための人員を雇うなど、制作上においてもさまざまな配慮を施したのだそうだ。


このスピルバーグ版は2021年度に米本土で上映され、その年のゴールデングローブ賞、アカデミー賞を総なめにしたらしい。


楽曲演奏が、グスタボ・ドゥダメルで、ロサンゼルス・フィルである。


超話題作なので、ぜひ観てほしいです。自分の世代は、きっと懐かしむだろうけど、若い新しい世代の人たちにもぜひ観てほしいと思います。


Disney+の配信でも見れるし、Blu-rayなどのパッケージにもなってますよ。


自分は、この「ウエスト・サイド・ストーリー」をミュージカルや舞台で観たことがないんですよね。やっぱりコアなファンの声によると、映画よりも絶対、舞台、ミュージカルのほうがいいんだそうです。


ダンスの臨場感、などじかに生にその躍動感が伝わってくる感じで、全然迫力が違うんだそう。


劇団四季、宝塚。ぜひ今度挑戦してみたいです。日本語上演なのかな?



ちなみに、ウエスト・サイド・ストーリーと書いてその頭文字でWSSとよく略されるが、自分にとってWSSとこれば、これはウエスト・サイド・ストーリーではなく、WideScreenSignalling(ワイド・スクリーン・シグナリング)のことを指します。(笑)


自分の前職時代に、自分の在籍していたGPで仕事としてやっていた業務で、アナログ時代の映像信号でV-Blanking(垂直同期区間)のところに、16:9のワイド画像信号であるよ、というIDを重畳させることをいいます。当時のTVのスクリーンは4:3だった時代なので、上下に黒色のレターボックスという帯がでるのですが、その映像信号のV-BlankingのWSSのID信号をTV側でデコードして、16:9の画像だと認識したら、それをスパン、ズームするとか、なんかそんな感じだったような・・・スミマセン。記憶がもう曖昧で定かでありません。


いまのデジタルな時代、16:9/4:3のスクリーンのアスペクト比の判別IDなんて、データのパケットの中に入れれば、それで済むことなのかもしれないけれど、当時、波形がアナログの時代、V-BlankingにIDを重畳する、というそういう考え方だったんですね。懐かしいです。


でも自分にとってWSSというと、完璧にこの16:9IDのことをいうのでした。だからクラシックのSNS投稿でWSSと書かれていると、自分は猛烈に、16:9IDのことを意識して思い出してしまい、あとから、あっそうか・・・ウエスト・サイド・ストーリーのことだったんだな、と思い直すのです。







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双六 [歴史]

鎌倉殿の13人で出てくる双六(すごろく)。この時代の貴族や御家人たちの遊び、ゲームだったんですね。


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自分はドラマで出てくるその双六をみて、なんか妙に現代のあれに似ているな、と思いました。


そう!バックギャモン。


なんか、あまりにそっくりなんで、どうしても反応せざるを得ない。駒の並べ方といい、盤のマス目状の閾といい、なんかあまりに似ている。自分はドラマで最初に見た瞬間、これは絶対バックギャモンだと確信しました。



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自分は高校生のときに担任の先生に、コントラクト・ブリッジとバックギャモンを教えてもらったのでした。独身の数学の先生だったが、社宅に住んでいて、よく生徒達を自宅に呼んで勉強を教えてもらっていたのでした。そのとき、余興として、ゲームとかやっていて、そのときにコントラクト・ブリッジとバックギャモンという高尚なゲームを習ったのです。さすが、先生、大人だな~、と感心したことを昨日のように覚えています。


大人のゲーム、社交的なゲームとして、名高いコントラクト・ブリッジとバックギャモン。日本のみならず、世界的に協会が存在しますね。まさに大人のゲームです。


高校生のとき、自分でもバックギャモンのボードゲームを買って持ってました。家庭内で妹とよくやってました。


これは自分が思うことですが、このゲームは1人でもやろうと思えばできますね。1人遊びができるゲームだと思います。


大河ドラマで、鎌倉初期の時代の双六が、あまりにバックギャモンとそっくりなので、思いっきり反応してしまい、すかさず、バックギャモンについて調べてみました。



バックギャモンは基本的に2人で遊ぶボードゲームの一種で、盤上に配置された双方15個の駒をどちらが先に全てゴールさせることができるかを競う。世界最古のボードゲームとされるテーブルズの一種である。日本には飛鳥時代に伝来し、雙六・盤双六の名で流行したが、賭博の一種であるとして朝廷に禁止されている。


・・・とあります。飛鳥時代といえば聖徳太子の時代ですね???だから鎌倉時代よりはるか昔の時代からあったゲームだったのです。


自分は確信しました。この頃に双六と言っていたのは、バックギャモンのことに違いないということを。


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バックギャモンは、こうやって、最初に駒を配置して、サイコロの出た目に応じて駒を動かしながら、ぐるっと左回りに旋回して、自分の陣地に早く全部駒を寄せたら勝ちです。駒がひとつしか置いてない場合は、そこに相手からヒットされる可能性があります。そうするとハンディが出来てしまうのです。


高校生の時に買ったバックギャモンは、もうとうに紛失してしまいましたが、大人になって、社会人になってからバックギャモンをあらためて買ったのでした。もう20年以上前かな?部屋の中で誇りをかぶってました。


20年以上ぶりに開封するバックギャモン。開けたら、まだ買ったばかりの新品未開封でした。(笑)


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ひさしぶりにバックギャモンやってみたい~~~と思いました。コントラクト・ブリッジもひさしぶりにやってみたいです。コントラクト・ブリッジは麻雀と同じで、4人必要ですね。頭を使う非常に高尚なゲームで、大人の社交場の遊びとしてとても有名です。日本、世界レベルで、コントラクト・ブリッジ協会という組織が存在します。まさに世界共通レベルの娯楽のたしなみなのです。


コントラクト・ブリッジやバックギャモンって、もう日本でも世界でも大会がありますね。毎年日本や世界の都市を巡りながら、その大会が開催されているのではないでしょうか。世界中の腕自慢達が集まります。


外国人のみなさんと一緒の同じ時を過ごすには、こういうゲームを通じてが案外いいのかもしれませんね。



ところで、先日の鎌倉殿の13人。かねてより神回と噂されていた通り、衝撃的な展開でしたね。


佐藤浩市さん演じる”上総介広常”の無念の死に広がった衝撃。。。


自分はプライベートはもちろん、仕事でも辛いことがあっても、1日寝たら、翌日はケロッとするタイプですが、今回はさすがに翌日にも残りましたからね。(笑)


こんな展開になるとは、まったく思っておらず。ドラマ冒頭のクレジットで、善児(梶原善さん)があったとき、あっ今日もなんか悲劇が起こるとは予想しましたが。。


あまりの衝撃で相当ダメージ大きかったです。


鎌倉草創期って史実では本当に血みどろの抗争劇なんですが、そういう雰囲気を感じさせないように、どちらかというと、喜劇風なテンポで進んでいて、その合間に悲劇をちょこっと入れ込むみたいな感じでバランスとっていたと思うのですが、今回は、あまりに重い、というか。。。


自分が思うには、ここまで沈み込ませたら、次回からの展開に影響を及ぼすのではないか、またなにごともなかったように、あのテンポ、雰囲気で進めることってできるのかな、と心配しました。


それだけ衝撃でした、です。


頼朝がいる御所にて誅殺された後、そこにいた多くの御家人らが頼朝に一斉に忠誠を誓ったシーンは、物語の一つの分岐点と言えるものでしたが、自分はかなり拒否反応。


”頼朝嫌い”、”全部大泉のせい”  Twitterのトレンド、ネットで騒然となりました。(笑)


年寄りの傾向として、あの頃は・・・という論法だけは避けたいと思っていますが、やっぱり思い出しちゃうんですよね。


いまから43年前の1979年の草燃えるのときの”上総介広常”は、小松方正さんが演じられていて、あのようなキャラだから、”上総介殿”って、もう悪人キャラだったんですよね。


「頼朝に対して無礼だった」


「他の御家人に対しても横暴・横柄であった」


てな感じで、誅殺されても仕方がないような感じだった。


でもそれって時代が違うんだと思いました。あの頃は、巨人、大鵬、卵焼き、という感じで、主役はつねにヒーローのように扱われて、それに反する者はいつもダークヒーローに描かれていた。


ドラマ作りの時代の違いなんだと思いました。


佐藤浩市さんの”上総介広常”があまりに人間味溢れた素晴らしい人物として演じられていたし、あと御家人謀反はフィクションなので、あういう風に伏線を引いて落とし処を作るとは驚いたし、その後の手紙の件とか、尚更その悲劇のギャップが。。。いずれ誅殺されることはわかっていても、ここでか!という感じでしょうか。


三谷脚本の真骨頂という感じですね。あらためて感心したし、さすがにすごいと思いました。


小松方正さんが、「武衛(ブエイ)、武衛(ブエイ)」と頼朝のことを呼んでいたのを思い出しました。でも上総介が双六をやっている最中に梶原景時に殺害されるところはまったく覚えていないです。ひさしぶりに総集編DVDを見てみたいです。


青木 崇高さん演じる木曽義仲も、自分の昔のイメージと全然違って、義を通す真っ当な人物像に描かれていて、すごい新鮮味があります。そう描かれるからこそ、その後に待ち受けている悲劇の衝撃度合いが増大するという感じでしょうか。


史実通り、昔のイメージのままの継承ではあまりに面白くないし、フィクション含め、よりエンターティメントに展開するという感じなのでしょう。


頼朝のイメージも従来のドラマのように歴史上の英雄という面だけでなく、もっと冷酷な嫌な部分をどんどん出していくんでしょうね。


大物俳優ではできない、大泉洋氏だからこそできる頼朝になるのではないのでしょうか。


今回の惨劇で、自分はいよいよこのドラマの真髄が始まるな、と予感しました。これはまだ序の口です。


本当に始まるのは頼朝が死んでから。頼朝が生きている時代はプロローグに過ぎない。総集編は、頼朝存命時代は全部カットする可能性もある。



「鎌倉殿の13人」が本当に始まるのは頼朝が死んでからなんですよ。「強い権力を持った人が突然死んだあと、残された人たちがどうしていくのか。」それが今回の最大のテーマ。


三谷幸喜さんはこう言ってはばからない。


43年前では、純朴で好学の青年だった北条義時(松平健)は、頼朝死後の幕府内で繰り広げられた政争の荒波を乗り越えていくうちに次第に変貌を遂げ、政敵と見なした御家人を様々な計略をめぐらして容赦なく排除・殺害していく冷徹な権力者として、若き日とは全くの別人格となっていく様が描かれた。


子供時代の自分はその変わりようにあまりにショックで立ち直れなかったです。


鎌倉殿の13人では、北条義時がどのように描かれていくことになるのか、どのような変貌があるのか、あるいは根底にいい人を残しておく感じなのか。楽しみで仕方がないです。



「史実無視とか荒唐無稽とか言われまくり。」とか言われているけど、大河ドラマはまず”ドラマ”であるべき。エンターティメントとして満足できるものをつくりたい。


この言葉に大きく期待したいです。


今年の大河ドラマは、間違いなく43年前の自分の記憶を上書きして、間違いなくそれを超えると確信しています。







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PENTATONEの新譜:バセット・クラリネットで奏でる協奏曲 [ディスク・レビュー]

PENTATONEの次世代スター、ベルギー期待のクラリネット奏者、アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェ。


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自分はすごい期待しているんだな~。スターのオーラ、華があります。デビューして、さあというときに、ちょうどコロナ禍にぶつかってしまって可哀そうだったけれど、来日してほしいと願っている奏者の1人です。


ベルギーのアーティストで、ベルギーをこよなく愛する自分にとって、きっと運命の糸で結ばれて出会ったアーティストなんだろうと思っています。


いくらオーディオや音源で聴いていて、そのアーティストがどういう演奏家なのか、どんなに妄想下の中でいろいろ議論していても、そのアーティストの真髄を理解するのはなかなか難しいというのが自分の持論。


1度でいいから、たった1回でいいから、生演奏に接してみればすべてわかると思うのである。何千回、何万回のオーディオでの聴き込みよりも、1回の実演を見れば、そのアーティストがどんな演奏家なのか、のすべてが瞬時でわかる。実演、体験に勝るものはなし。


逆に1回経験してしまえば、あとはオーディオで聴いていても、そのサウンドに対して、迷い葛藤のない素直にそのまま受け入れることが可能だと思うのである。アーティストの素性がわかっているので、あ~あういう感じなんだな~と、懐を広くして迎え入れることができる。


これが自分のいろいろな経験から到達した持論である。


オーディオでの議論は、これまた別次元の話だと思うのである。


アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェは、そんな想いをさせてくれる、いま1番、実演に接してみたいアーティストだ。


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ザビーネ・マイヤー、ヴェンツェル・フックス、アレッサンドロ・カルボナーレ、パスカル・モラゲスといった錚々たるクラリネット奏者に師事してきたヴァウヴェは2012年、最難関のコンクールとして知られるミュンヘン国際音楽コンクールで優勝した逸材。


2017年夏のプロムスのデビュー後、2018年にはロイヤル・アルバート・ホールやカドガン・ホールにてトーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団との共演でモーツァルトのクラリネット協奏曲を披露するなど、ヨーロッパ中心に活躍の場を拡げている。


PENTATONEと契約してのデビューアルバム「ベルエポック」は衝撃であった。パリがもっとも輝いていた時代、ベルエポックを彷彿させるじつに華やかで優しい感じの聴きやすいアルバムだった。


それに続く待望の第二弾のアルバムである。




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「フロー~モーツァルト:クラリネット協奏曲、ヘンデリクス:経典」

アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェ、アンドルー・マンゼ&北ドイツ放送フィル





アルバム・タイトルの「フロー(Flow)」はヴァウヴェが愛する「ヨガ」からインスピレーションを得て構想されたものなのだそうだ。


彼女がいまもっぱらヨガに嵌っていることはよく知っていた。


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ヨガはいいですね。健康だけでなく、精神、心の健康にすごくいいです。自分はヨガとはちょっと違うけど、体幹運動、体幹トレーニングやってます。体幹運動は、体のバランス感覚がよくなります。お金かからないし、ちょっとした感じですぐにどこででもできるので、ぜひお勧めです。


モーツァルトのクラリネット協奏曲は、もう彼女の18番のオハコで、2018年にBBCスコティッシュ交響楽団と披露して有名になって、いわゆる彼女の代名詞的な曲となっただけに、それがちゃんと録音という形で出た、ということはとても意義あることだと思う。


この最愛の協奏曲に対して、彼女のもうひとつの拘りがあった。これはあとで述べよう。


さらに今回のアルバムのもうひとつの聴きどころは、もうひとつの協奏曲。ヘンデリクスに委嘱したクラリネット協奏曲「経典(SUTRA)」の世界初録音だろうと思う。


アントワープを拠点に活動を続けるベルギーの作曲家ヘンデリクス。


電子楽器(エレクトロニクス)を多用することでも知られ、「Antarctica」レーベルからリリースされているソプラノ独唱、5パートの女声合唱、アンサンブル、エレクトロニクスのための作品「Revelations(天啓)」などでも知られている。作風はインスピレーションを与えるヒーリング・ミュージックのようで、管弦楽に寄り添う形でエレクトロニクスが加わっているのが特徴である。


今回のアルバムで、自分を惹きつけた要素、1番の売りと思うのは、全曲バセット・クラリネットを用いて演奏していることだ。


バセット・クラリネットとは?


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バセットホルン、バセットクラリネット、クラリネット




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ベルを上向きにしたモダン式バセットクラリネット



バセット・クラリネットは、クラリネットの低音域を記音ハ(C3)もしくはさらにその半音下まで拡張した楽器である。これをもちいることで、モーツァルトがクラリネット協奏曲K.622や五重奏曲K.581に記譜したと考えられている最低音まで演奏できる。


この楽器はA管クラリネットよりも4つの低音(Es、D、Des、C)までの音域を出せるのが特徴なのである。モーツァルトはバセット・ホルンの名手だったシュタードラーが同じ音域を出せるバセット・クラリネットを演奏したことでこの作品を彼のために書いたのだそうだ。



初演当時の楽器は現存していないが、モーツァルトの協奏曲の初演者であるシュタートラーが演奏した18世紀末に開催されたコンサートのプログラムが1992年に発見され、そこに楽器の挿絵があったことから、奇妙な形のベルを伴った姿がほぼ当時のまま再現された。ただし現代のバセットクラリネットの形状は通常のクラリネットの下管を長くし、キーが増設されたものである。


2006年の生誕250年には、モーツァルトの協奏曲の形式と演奏時間だけを模した現代音楽の作曲コンクールがオーストリア、ザルツカンマーグートの「モーツァルト・フェスティバル」で開かれたそうだ。


その後、モーツァルトの協奏曲を演奏する際には多くの奏者がバセットクラリネットを用いるようになり、この曲を演奏するためには欠くべからざるものになっている。



通常のクラリネットよりも低音域が少し伸びていて、モーツァルト記譜当時の音が再現できる、ということなんですね。


思ったのは、低音域が伸びているのはわかったけれど、これは実際奏者にとって、吹いている感覚、演奏する上での難しさなど、現代楽器と比べてどうなのか、ということ演奏面の立場から知ってみたいですね。


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モーツァルトのクラリネット協奏曲。彼女の代名詞的な曲、アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェを代表する18番のオハコのこの協奏曲を、このモーツァルト当時のバセット・クラリネットを使って演奏する。


この曲を演奏するためには欠くべからざるものになっているバセット・クラリネットを使うことは、ある意味、彼女の大きな拘りとこの曲、モーツァルトへの大きなオマージュなんだろうと思う。


ここがこのアルバムのメイン・ディッシュと言っていいのかもしれない。



実際聴いてみたのだが、普段クラリネットだけを特別に意識して聴いたことがないため、通常のクラリネットとの音色の違いを認識することは難しかった。


楽器がそうだとという先入観で聴いてみると、低域の深みや沈み込みなど、よりリアルで、低域がしっかりしてくると全体の音像の描かれ方も、より音の隈取がくっきりするような感覚は確かにする。低域の強化は、中高域に確実に影響を及ぼします。


微妙なところであろう。意識して聴くことが重要だ。


彼女のモーツァルトのクラリネット協奏曲はやはり絶品である。今回のアルバムではNDRがバックを務めているところも贅沢である。


さすがのコンビネーションで、絶品のコンチェルトを聴かせてくれた。


自分がこのアルバムでもっと評価したいのは、ペアリングされているヘンデリクスのクラリネット協奏曲「経典(SUTRA)」の世界初録音だ。


モーツァルトの明るい長調的な旋律から、一気にこれは現代音楽か、と間違えるほど、前衛的でアバンギャルドな旋律が流れてきて驚いてしまう。あまりにモーツァルトと対極的である。そしてなんとも曲の雰囲気がヨガの影響を大きく受けているという印象を受けるのである。


ヨガってもともとインド、東洋発祥のものですね。


もう聴いていると、静的で瞑想的なのだ。そしてあのインド音楽のような独特のコード進行が自分を瞑想の世界へと誘ってくれる。


これはあきらかにヨガの影響が大きいな~というのが一番の印象である。ヘンデリクス自身もインスピレーションを与えるヒーリング・ミュージックのような作風だそうなので、ある意味ヨガとぴったりと合うのだろう。そういうところも含めて、ヴァウヴェがヘンデリクスに委嘱したのだろうと推測する。



サウンド的にもモーツァルトより、とても刺激的でいい音だと思う。いつも思うことだけど、どうして現代音楽っていつも鋭利でいい音に聴こえるのだろう。


いま彼女が一番熱中しているヨガの世界を、このアルバムのコンセプトに込めたかったというのが、アルバムタイトルの「フロー」と、このヘンデリクスのクラリネット協奏曲「経典(SUTRA)」に現れているのだと思う。


そういう意味で、モーツァルト、バセットクラリネット、そしてヨガと彼女の渾身の想いが詰まったアルバムだと言えるであろう。


素晴らしかった。


残念ながら、今回はSACDマルチではなくCDなので、2chステレオで聴いているのだが、録音のできのよさは、それでも充分なくらい自分には伝わってくる。特にクラリネットの傑出した音色。見事であった。2chステレオでもいい録音はビシッと自分に必ず響いてくるものだ。


聴いた瞬間、驚きというのがある。



自分がとても感動し、我が意を得たり、と思ったことに、今年の年初に公表されたスティングのインタビューがある。


スティングは、AC/DCについて「僕はAC/DCには敬服する。彼らのやっていることは素晴らしいと思うし、一緒に演奏している姿やサウンドも素晴らしい」と言ったあと、「AC/DCのレコードは何が出るかいつもわかっている。高品質だけど、何が出てくるかわかっているので、僕には向いていないんだ」と話している。


さらにスティングは自分の音楽の好みについて、こう語った。


「僕にとって、すべての音楽の本質は驚きなんだ。ある音楽を聴いたとき、最初の8小節で驚きがなければ聴くのをやめ、スイッチを切ってしまう。


僕には驚きが必要なんだ。ドミニク(ミラー、スティングのギタリスト)と僕にはJ.S.バッハという先生がいるんだけど、バッハを8小節演奏すると、毎回驚きがある。そして次の8小節、また次の8小節...。この作曲は本当に驚きの連続なんだ。


僕にとっては理論的なことではなく、ただの本能的なものなんだけどね...。



自分は、まさに音楽ってそう!と思っていたので、このスティングのインタビューには本当に嬉しさを隠せなかった。AC/DCのファンには申し訳ないけど。


録音についても同じことが言えると思っている。聴いていて驚きがないと、感銘しないものである。それはコンサートホールの音響と同じで、一発目の最初の出音で全部わかってしまう。


いい録音って一番最初の出音で、そういう驚きが必ずあるものなのである。


クレジットを見てみたが、PENTATONEのアルバムだが、ポリヒムニアという印字がなかった。プロデューサー&エンジニアリングは、リタ・ハーメイヤーとダニエル・ケンパーであった。


う~ん、世代交代。。新しい人材をどんどん活用して育てていくという感じなのかな。時代を感じました。


ひょっとしたら、ポリヒムニアではなく、NDR側のエンジニアなのかもしれない。


NDRハノーファー、放送局スタジオ大ホールでの録音でした。


でもこれをマルチチャンネルで聴いてみると、さらなる全然すごいいいサウンドなのかもしれない。きっと自分のステレオ再生がプアなだけで、2chステレオももっときっといい録音に違いない。


PENTATOINEの最近のアルバムは、すっかりCDしか出さなくなったけれど、SACDマルチチャンネル復活を望みたいです。







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パターン認識 [雑感]

自分は、最近、仕事やプライベートの両側面において、”パターン認識”というキーワードを意識するようになった。AIや人間脳の処理において、結構この”パターン認識”というワードは旬な言葉で世間を飛び交っているので、なんとなく耳に入ってくるのだが、自分はその意味を真に理解はしていなかった。


でも自分が普段、仕事やプライベートで接するある瞬間のとき、これって人間のパターン認識なんじゃないかな、と漠然と思うときがある。もう毎回そう思うので、これは、きちんとパターン認識について勉強して、日記にきちんと書くことで、日頃の疑問を払拭したい、という狙いである。


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”パターン認識”というのは、画像・音声などの雑多な情報を含むデータの中から、一定の規則や意味を持つ対象を選別して取り出す処理のことをいう。


パターン認識には、音声データから人間の声を認識して取り出して命令として解釈する音声認識、画像データの中から文字を認識してテキストデータに変換するOCRとか、有名である。


さらに、画像認識であれば、画像データから、オブジェクト(文字/顔など)や、対象物の特徴(形状、寸法、数、明暗、色など)を抽出/分析/識別して認識検出することをいう。


パターン認識は、音声認識、文字認識、画像認識、顔認識、バイオメトリクスなど、いろいろな分野で活躍している。


いま昨今ではAIの勢いが凄くて、人間の脳を超えてしまうとか、AIが人間の仕事を奪ってしまうとか、盛んに言われていることだけれど、じつは、この人間が普通に兼ね備えている”パターン認識”という能力が、このコンピュータやAIにとって、すごく苦手な処理なのだそうだ。(笑)



コンピュータは数値計算などには非常な威力を発揮するが、人間が五感を通して容易に実現するパターン認識をまねることがむずかしいと言われている。人間のパターン認識の能力はきわめて優れているが、コンピュータにとってはもっとも苦手な処理の一つなのだそうである。


でも、いまや「パターン認識なくしてAIの進化なし」と言われるほど、我々の身近なところまでに忍び寄っているのだ。我々が普段何気なく使っている便利機能。そこにはパターン認識を備えたAI機能によるものだったりする。



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人間というのは生まれた瞬間からすべてを知っているわけではない。親から言葉などを学び、そして学校で勉強することによって知識が蓄えられる。それはコンピュータも同じ。人間に覚えてほしいことを教えるように、コンピュータに覚えてほしいことを教えるのである。それが機械学習である。


機械学習というのは、元々は機械に数字や記号を覚えさせることがきっかけで始まりであった。でも情報というのはときには数式や記号では表せないこともある。人間の顔や建造物などはまさに論理的に処理できないもの。そこで活躍するのがパターン認識である。


パターン認識と機械学習を組み合わせることで、論理的には処理できない人間の顔などの物体も学習させることができた。これにより論理的な処理のほかに、パターン認識による処理も可能となり、結果的に機械学習の幅が大きく広がった。


そしてそれによりAIも進化したのである。



機械学習はもちろん、コンピュータを動かすにはアルゴリズムというものが必要になる。コンピュータはもちろん、Webサイト内のプログラムも全て、アルゴリズムを元に動いている。コンピューターのプログラム・ソフトを書いたことのある人ならわかると思うが、コンピューターの処理できるソフトってフローチャートで、YESかNOでどんどん進んでいく。


アルゴリズムと言っても、その種類は様々ある。基本的に一つのプログラムには必ず一つのアルゴリズムが設定されている。機械学習においても、記号や数字などを覚えるためのアルゴリズムが作られたからこそ実現したのである。


パターン認識も同じ。人間の顔や歴史的建造物などの画像や音声を機械に覚えさせるためのアルゴリズムができたからこそ、機械学習でパターン認識を取り入れることができたのである。AIやパターン認識、そしてそれらの元となる機械学習が進歩するには、アルゴリズムは非常に重要な存在なのである。


ここまで、AIによるパターン認識ができるようになるまで、そのための機械学習とアルゴリズムが必要なことがわかった。要は、AI独自の機械学習とそれを動かすためのソフトウエア作りという感じなのかな。


パターン認識と機械学習の組み合わせが誕生したとしても、その実現をするにはアルゴリズムが欠かせない。いくら機械学習にパターン認識を取り入れたとしても、そのためのアルゴリズムがなければ機能させることは難しいということなのだろう。



こうしたパターン認識と機械学習、それぞれ異なる技術や方法の融合と、それらを結びつけたアルゴリズムの関係があったからこそ、現在のAIがあるのである。



自分もかねてより、ずっとAIのプログラミングをしてみたいと考えていて、AIの構造を使って、このようなことができるようになった、というそういうソフトウエア、成果物を作ってみたい、と憧れるのである。


自分はもともとハードウエア・エンジニアではありますが。。。(笑)


でも自分の体内に宿る、心の奥深くに潜む、技術者魂がうずくというか、興味津々なのである。


そしてこれは昔からそうなのであるが、巷ではAI,AIと簡単に言うけど、そのAIの仕組みってどんなものなの?具体的にどのような仕組みで、それでなぜそんな奇跡的なことが実現できるようになるのか、自分の体験でもって実感してみたい、という欲望があるのだ。


ただ、表面的な部分での文章、文字で書かれたAIのことを読んでも、自分の欲求を満たされることがない。そういう悲しい性なのだ。



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パターン認識を取り入れたAIとしてもっとも有名なのは、顔認識技術なのではないだろうか。


防犯カメラに映った犯人であろう顔をAIに学習させて、犯人を捜す顔認識技術。


またスマホの写真撮影でもAIによるパターン認識は使われている。


あらかじめパターン認識で顔を記憶させておき、カメラで情報を見つけ出すようにすることで、万が一顔を認識したときは自動でフォーカスを調整してくれて、より鮮明な写真を撮影してくれる。


自動ブレーキなどの安全運転技術でも使われている。現在では多くの自動車に導入されている安全装備。バックミラーの近くに取り付けられたセンサーやカメラを駆使して前方の車を確認し、危険を察知したら自動でブレーキをかける。


今やほとんどの車に標準装備されている。その自動ブレーキも進化したAIだからこそできるのである。


パターン認識の技術によって前方の車との距離と自車の速度を計算し、このままの速度だとぶつかってしまうが、今ここでブレーキをかければ、この車のブレーキであればぶつからずに済むと判断し、自動ブレーキをかける。こうした安全のための技術は、AIがあるからこそできることである。



う~む・・・AIによるパターン認識、恐るべしである。昔はパターン認識はコンピュータのもっとも苦手とする領域であったにも関わらず、もういまや克服して、我々の日常生活の進化に役立っているのである。


では、話を一番最初に戻して、自分が普段の仕事やプライベートのどういうときにパターン認識ということを感じるのか。


まずプライベート。


自分は日記を書くときは、写真を多用する。特に外の取材の時は、1回の外出で大体400~500枚くらいの写真を撮ってくる。それをPCに取り込むわけだ。


日記を書くまでのその写真の整理が1番大変なのだ。カメラで写真を撮るときは、やはりボケて失敗する場合もあるから、大抵の場合、1枚のフレームにつき、何枚も連写して複数枚撮影しておく。だからトータルで400~500枚もいってしまう。


いろいろな写真、これだけの膨大な写真ライブラリーの中から、日記でどれを使うのか、どれがいいショットなのかを選定する。そして、それをmixiのアルバムとブログ(SS-Blog)に取り込む作業をすることになる。


これはもう本当に苦痛な作業だ。(笑)


そのときに、PCのアルバムから、mixiとブログの両方に取り込むとき、その膨大な写真データの中から、間違いなくこの写真を選ぶという選択眼が備わっていないといけない。


mixiとブログとで違った写真では困る訳だ。同じ写真を取り込まないといけない。そうすると、自分は日記で使うために、この写真を選んだんだという、その写真の図柄を自分の中で認識できるようになるのだ。最初から大体1時間くらい経過すると、もう頭の中に、1枚たりとも間違いなく、インプットされる。


普通の人は、日記に使う写真って、1枚か2枚だろう。だからそんなに大変じゃないかもしれないが、自分はいつも膨大な写真を使うので、どの図柄を使うか、全部頭に認識、インプットされるのである。大体1時間経過すれば、完璧にその図柄がインプットされる。PCのライブラリーの中に、どんなに膨大な枚数の写真があっても、その中から間違いなく、これとこれ・・・というように完璧に選択できる。


自分は、長年こういう作業をやっていて、これって人間のひとつのパターン認識じゃないのかな~と思い始めた訳だ。頭にそういう写真データが認識されるのである。これはひとつの才能かな~と思ったりすることもあった。


プロのカメラマンもそうなんじゃないかな、と思う。


自分は、長年日記を書いていく上で、他人とは違う膨大な写真を使うという性格、傾向があるので、他人よりそういうパターン認識能力が発達しているのではないか、と秘かに思っていたりするのだ。



つぎに仕事。


自分はライセンス管理業務なので、日頃の仕事のツールはExcelである。自分の事業部が世界中のマーケットに販売するモデルを全部、そのExcelで管理し、ライセンス管理をおこなっている。もうそのモデル数は、5000モデル以上はゆうにある。


他のメーカーって、こんなモデル数扱っているのか知らないけれど、うちの会社は、もういろんな派生モデル含めて、それこそ膨大な種類のモデル数をリリースしている。


そのExcelには1台1台、もちろんその各々でモデル名が違う、そのモデル名のリストが5000モデル以上並んでいるのである。自分はそれを1台1台全部認識できるのである。(笑)


ちなみにモデル名は、アルファベットと数字で形成された無機質な文字列である。


自分がいままで見たことがない新モデルが入ってくると、もうすぐにそこに違和感のオーラが発せられているのを感じ、このモデルは見たことがない、と一発でわかるのである。


もうこの業務、10年間続けているベテランである。毎日5000モデル以上のモデル名をExcel上で転がしながら(スクロール)を毎日やっているのである。


だから、自分はその無機質な文字列であるにもかかわらず、自分にはきちんと確実に1台1台認識できるのである。慣れていない人や、ふつうの人が、この5000モデル以上のモデル名の羅列を見ても、チンプンカンプンなのでは、と思う。


ある意味、モデル名を見て仕事をしている人たちなんて、会社の中でもそんな業種はないのではないか、と思う。自分たちの原価メンバーと営業ぐらいなものだろう。


これもある意味パターン認識なのだではないのだろうか、と思うのだ。ある種の才能なのだと自分は思う。10年間ずっと毎日、Excelで5000モデル以上のモデル名を眺めてきたある意味、一種の職業病なのではないか、と思う。


よく思うのだ。この才能って、これから自分がもし他の世界に行くようなことがあった場合、役に立つ才能なのかなって。(笑)


期しくもそういう環境下にあって備わったパターン認識力だけれど、この才能って、なんか他の世界で役に立つのかな、とよく毎日思っているのである。


自分は、この写真データの整理と、自分の業務上でのモデル名の羅列で、パターン認識ということを日頃強く意識するようになり、これは一度きちんと調べて、真の意味を理解したいと思っていたのである。







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腰越状の現代語訳 [歴史]

鎌倉殿の13人では、源義経を本当にブラックというかサイコパスに描いていて、ちょっと自分のいままでの義経像を根本的に覆すような衝撃を受けている。


逆に木曽義仲はすごく義に厚い真っ当な人物に描かれていて、義経=ヒーロー、義仲=悪役という従来のイメージが全く反対なのには恐れ入りました。


木曽義仲は、平家打倒に一躍名を馳せるものの、京で狼藉を働く、粗野で野蛮な悪党というイメージだったので、あれだけ、義に厚い正義の味方のように演じてしまうと、京の狼藉などの史実をどのように描写するのか、逆に楽しみになってきます。


巴御前の1本眉毛もカッコいいですね。(笑)


そんな源義経所縁の地、満福寺を訪れてきた。最初に訪れたのは、いまから5年前の2017年のとき、第1次鎌倉マイブームでアジサイを特集していたときだった。江ノ電とアジサイということで、この満福寺は絶好のシャッターチャンスの場所なのである。


まず、藤沢駅に行ってみた。江ノ電は鎌倉~藤沢間を走る電車である。一度でいいから、この鎌倉~藤沢間を最初から最後まで江ノ電に揺られて乗ってみたかったのである。


初めての体験。ここが江ノ電、藤沢駅。


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義経所縁のお寺、満福寺は、この江ノ電の腰越駅にあるのだ。


腰越駅。


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江ノ電らしい小さな駅。


江ノ電って、本当に街の中の密集した中を、ギリギリで走っているという感じなんですよね。


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江ノ電のあるところには、必ず江ノ電を撮るカメラマン、鉄ちゃんの姿があります。


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満福寺は、この腰越駅から歩いてすぐのところにある。


ありました!


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ここが、源義経所縁のお寺、満福寺。鎌倉殿の13人の”源義経ゆかりの地”という旗がなびいています。


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なぜ、この満福寺が源義経ゆかりの地なのか、というと、平家滅亡に追いやった武勲をあげた義経であるけれど、朝廷からの官位を頼朝の許可なく、勝手に受けたことなどで、頼朝の怒りを買い、頼朝との不仲の溝ができてしまい、義経は、鎌倉入りしようとしたところ許可が下りず、この腰越の満福寺で留まざるを得なかったのだ。


そのときに頼朝に許しを得ようと思い、頼朝に対し、自分の心情を綴ったお手紙を書いたのだ。義経が手紙の内容を言うのを、武蔵坊弁慶が手紙に書き綴ったとされる。


このお手紙のことを”腰越状”という。


満福寺には、その腰越状をしたためる銅像もあった。


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手紙は大江広元に送られて、頼朝へ取り次いでもらったものの、結局義経は鎌倉入りを許されず京都へ引き返すこととなった。


この満福寺には、その腰越状の実物の展示や、腰越状の現代語訳が200円で売られていること、そして義経所縁のお寺ということで義経に纏わるいろいろ記念な展示があって、義経ファンには堪らないお寺なのだ。


2017年に行ったときは、単に銅像を見ただけで、あとは江ノ電とアジサイを撮っただけであったので、今回はお寺の中も参拝して、ご本尊様や、たっぷり義経所縁の展示を拝見してこようと思ったのである。


義経は、なぜ頼朝と不仲になっていき、悲劇の道を歩むことになったのか。


天才的な軍事戦略家であった義経は、きっと明るい未来が待っているに違いない、と前途洋々だったに違いない。頼朝と不仲になった理由として一番有名なのは、義経が、頼朝の許可なく朝廷、後白河法皇から官位をもらってしまったことである。


それがなぜそんなにいけないことなのか。


源頼朝という人は、鎌倉で坂東武者、東国武士団を束ねていく上で、自分と彼らとの間の関係を強固な結びつきとするために、絶対的な規則のようなものを作り上げたのだ。源氏は各地にたくさんいるのに、なぜ、頼朝のところに軍勢がみんな集まって巨大勢力になっていったのか、なぜ東国武士団は、みな頼朝に従おうとしたのか。


そのからくりは、頼朝は、彼らの所領を保証したからである。坂東武者にとって一番大切なことは、自分たちが代々受け継いできている所領、土地を守っていくこと。この所領は、お前のものだ、というようにお墨付きで、保証してあげる。


京の朝廷へは、頼朝を通じて、御家人たちの各々の所領を保証するという算段をとった。御家人たちは、頼朝を通じて朝廷から、自分たちの所領を、お前のものだときちんと保証してもらったのである。


頼朝はここに目を付けた。坂東武者にとって一番大事なのは自分たちの所領であることを知っていて、この仕組みを作り上げた。御家人は、自分の所領を、頼朝、朝廷に保証してもらうかわりに、奉公を捧げる。鎌倉殿、いざ鎌倉!というように鎌倉殿に忠誠を尽くす。このギブ・アンド・テイクの関係を作り上げた。


鎌倉以降、江戸時代に至るまでの武家政権で、この土地を保証、その代わりにご奉公という関係性は受け継がれていくことになる。この関係を最初に作ったのが頼朝なのである。


だから、この御家人と頼朝との関係性の規則を破るのは、あまりにご法度なのである。


義経が、頼朝の許可なく官位(検非違使)をもらってしまうということは、そんな頼朝を勝手にスルーして、朝廷とやりとりをしてしまうことを意味していて、これは頼朝にとって、自分の権力の基盤のルールを根底から覆すことを意味していて、とても許せる行為ではないのである。


頼朝は、西田敏行さんの後白河法皇に、頼朝だけではなく義経をもうまく自分の力になるように天秤をかけるやり方に、”あなたは大天狗だ”と手紙を書いている。



史実でも義経は、軍事的なセンスには長けているかもしれないけれど、そのような政治的なセンスに疎い人で、空気が読めない人だったようなので、そのようなかけひきなどまったく知らぬ存ぜぬという感じで、自分はなにか悪いことをしたのか?という感じだったに違いない。


ここまでが、自分が普通に知っている一番有名な原因だ。


ここからさらに歴史マニアの層になっていくと、はたしてこの腰越状の真実はいかなるものなのか。吾妻鏡にある腰越状の描写は捏造に違いないとか、いろいろあって、自分もどれが真実なのか、わからない状況だ。


歴史マニア層で議論されている頼朝と義経の不仲の原因として、単に朝廷から勝手に官位を授かったことだけではない、という説もある。


一ノ谷合戦後に義経が無断で検非違使に任官したことが頼朝の怒りを招いたわけではなく、また壇ノ浦合戦後に義経が鎌倉に向かったときにすでに両者の関係が完全に破綻していたわけでもなく、義経が京に戻った後、平氏討滅の恩賞として頼朝から伊予守に推挙されたにも関わらず、検非違使にも留任して鎌倉への帰還を拒んだ時点で両者の仲は決定的に破綻したとしている。



頼朝が平氏追討の恩賞として当時受領の最高峰だった伊予守を与えたのも、通常は検非違使と同時兼任できないことから暗に京から離れ鎌倉に帰還せよとの意思を伝えたものだったのだ。でも結果的に検非違使と受領を同時に兼任できたのは、後白河法皇によるもので、義経を鎌倉から独立した独自の武力として活用しようとしたことに起因している。


義経が検非違使を兼任し、京に留まり続け頼朝による鎌倉召還を拒んだことで両者の仲は決定的に破綻したものではないか、という理論だ。


自分は、この説にはかなり説得力があって、自分のいままでの考え方から、この説にずいぶんぐらついているのが現状である。これが理由なら、そりゃ、義経も悪いし、頼朝が怒るのも無理ないよね、と思ってしまう。


まさにたぬきじじいの腹黒い後白河法皇らしいし、西田敏行さんが演じればこれは最高にそんな屈折した関係などもうまく演じてくれる感じがしますね。頼朝が手紙で、後白河法皇に、”大天狗”と送ったのはわかるような気がします。


語りだすと止まらないので、このくらいにしておく。この頼朝と義経の不仲の原因は、鎌倉殿の13人ではどのように描かれるのか、いまから本当に楽しみです。


さて、その腰越状の現代語訳は、ここで売っている。200円を出すと簡単に入手できる。


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ついでに、前回はできなかった満福寺の中を拝観させてもらうことにした。


玄関入ったところに、いきなり腰越状。(笑)


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これは、鎌倉時代の現物ではなく、江戸時代に創作されたものなんですね。


満福寺の中はとてもお洒落で可愛らしくて、義経ファンには堪らないお寺だと思います。


こちらは客殿のほうに行きます。客殿は全部で3部屋あります。


こんな客殿が広がります。


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義経が着ていた鎧なのでしょうか・・・


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部屋の上のほうには、こんな絵が飾られています。


源平八島大合戦


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勧進帳、安宅の関


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いずれも義経大活躍ですね。勧進帳は歌舞伎にもなっていて有名ですね。でも勧進帳は今回の大河ドラマでやるかな?タッキーが主役した大河、”義経”では勧進帳やりました。


ここが満福寺の大本尊さまです。すごいですね。


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満福寺は襖絵がすごいのです。義経の生涯を描いた襖絵。義経と弁慶の都落ちで奥州に向かう旅すがら。義経の鎧姿。まさに義経カラー一色です!


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義経の最後、弁慶が仁王立ちで全身に矢を受けます。


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そして静御前です!大河ドラマ楽しみですね~~~。


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なぜかピアノというよりは、クラビアという呼び方が相応しいバロック的な楽器が置いてあります。


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天井もすごい模様です。


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お寺なので、位牌を安置しているお部屋もあって、そこの天井も芸術的なのです。


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源義経公慰霊碑


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弁慶の手玉石


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義経公手洗の井戸


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腰越状を書くために、硯に水をくみ上げるとき、弁慶がこの井戸から水をすくった、という伝説があります。


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弁慶の腰掛石


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まさに、源義経一色の楽しいお寺です。義経ファンには堪らないと思います。


帰りに、江ノ電とアジサイを撮るショットで有名なフレームです。


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家に帰ってから、腰越状の現代語訳を読んでみます。義経が兄弟の情に訴えて、お許しを得ようという感情が伝わってきます。


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腰越状


源義経おそれながら申し上げます気持ちは、鎌倉殿のお代官の一人に選ばれ、天皇の命令のお使いとなって、父の恥をすすぎました。そこできっとごほうびをいただけるものと思っていましたのに、はからずも、あらぬつげ口によって大きな手柄もほめてはいただけなくなりました。


私、義経は、手柄こそはたてましたが、ほかに何もわるいことを少しもしてませんのに、おしかりを受け、残念で涙に血がにじむほど、口惜しさに泣いています。あらぬつげ口に対し、私のいいぶんすらもおきき下さらないで、鎌倉にも入れず、したがって、日頃の私の気持ちもおつたえできず、数日をこの腰越でむだにすごしております。


あれ以来、ながく頼朝公のいつくしみ深いお顔にもおあいできず、兄弟としての意味もないのと同じようです。なぜ、かようなふしあわせなめぐりあいとなったのでしょう。


亡くなられた父のみたまが、再びこの世にでてきてくださらないかぎり、どなたにも私の胸のうちの悲しみを申し上げることもできず、またあわれんでもいただけないでしょう。


あの木瀬川の宿で申し上げました通り、私は、生みおとされると間もなく父は亡くなり、母にだかれて、大和国(現在の奈良県)宇田の郡龍門の牧というところにつれてゆかれ、一日片時も安全な楽しい日はなかったのです。


その当時、京都も動乱がつづき、身の危険もあったので、いろいろな所へかくれたり、遠い国へ行ったり、そしていやしい人たちまでにも仕えて、何とかこれまで生き延びてきました。


忽ち、頼朝公の旗揚げというめでたいおうわさに、とびたつ思いで急いでかけつけましたところ、宿敵平家を征伐せとのご命令をいただき、まずその手始めに義仲を倒し、つぎに平家を攻めました。


ありとあらゆる困難に堪えて、平家を亡ぼし、亡き父のみたまをおやすめする以外に、何一つ野望をもったことはありませんでした。


その上軍人として最上の高官である五位ノ尉に任命されましたのは、自分だけではなく、源家の名誉でもありましょう。


義経は野心などすこしもございません、それにもかかわらず。このようなきついお怒りをうけては、この義経の気持ちを、どのようにお伝えしたなら、わかっていただけるのでしょうか。


神仏の加護におすがりするほかないように思いましたので、たびたび神仏に誓って偽りを申しませんと、文書にさしあげましたが、お許しがありません。せめて、あなたのおなさけによって義経の心のうちを、頼朝殿にしらせていただきたいと思います。


うたがいがはれて許されるならば、ご恩は一生忘れません。


元暦二年五月



源義経


進上因幡前司殿



情に訴えるお手紙。つねにつげ口のせいにしていて、自分はなんらやましいところはないと言っています。朝廷から官位を受けたことも源氏の名誉としていて、まったく悪びれたところがありません。義経は、やはり純粋でうぶで、政治的なかけひき、やりとりには疎い人だったのかもしれません。


そういうところが日本史上長らく言い伝えられてきた悲劇のヒーロー、判官贔屓たる所以なのかもしれませんね。







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甘美でせつない響きの悶え感 [クラシック雑感]

ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲、通称パガニーニ・ラプソディの第18変奏曲はなぜあんなに甘美でせつないメロディなのか。


映画音楽のようだと言われ続けてきたラフマニノフの音楽を代表するような美しくてせつない響きのある種の悶え感。


この第18変奏は、映画音楽やCMなどにも多く使用され、世界中で人気を博してきた。


この甘美でせつない響きの悶え感を楽理的に解説してみたい。分析して、なぜ、そのように甘美でせつなく響くのか、を理論的に理解してみたい。ラフマニノフはどのような仕掛けをこの第18変奏に施したのか。


いや、この際だから、第18変奏だけではなく、パガニーニの主題による狂詩曲、この曲全体について解析をしてみたい。


自分は、10年以上も前から、この曲についての自分の定番の理解の仕方を所有しているのだ。この曲は、このように解析されるのだ、このような構成の曲なのだ、という定番の理解を持ち合わせている。


コンサートで聴いたとき、単にいい曲だな、で終わらず、この定型の理解が頭を過るのだ。


クラシックの名曲、全部にこのような解析を施すのは大変なことなので、滅多にやらないけれど、この曲、ラフマニノフ パガニーニの狂詩曲だけは、ひとつの定番のように丸暗記してでもその構成を理解している。


それをこの日記では紹介しよう。


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パガニーニの主題による狂詩曲、ラフマニノフ晩年の傑作である。


ラフマニノフはロシアの大地を思わせるダイナミックな曲調と、憂愁を湛えた旋律で知られる後期ロマン派の作曲家である。そんな彼が天才ヴァイオリニスト パガニーニの24の奇想曲の中の主題をもとに変奏したのがこの曲である。


中でも第18変奏の甘美なメロディは、ハリウッド映画や数々のCMに起用され、アメリカやヨーロッパ諸国で大変な人気を得た。祖国ロシアを離れ、亡命を余儀なくされたラフマニノフが長いスランプを乗り越えて書き上げたこのメロディ。


そこにはどんな想いが込められているのか。


パガニーニの主題の狂詩曲はひとつの主題を手を変え品を変え、バリエーション豊かに変奏していく。通常変奏曲というのは、最初に主題が登場して、そのあと、そのバリエーションが次々と登場するという感じなのだが、この曲は音楽史上稀にみる主題が変奏のあとに登場するというかなり変わった変奏曲なのである。


パガニーニの主題による狂詩曲。


この曲は、その名の通りパガニーニの24の奇想曲の中の第24番の主題をもとにつくった変奏曲である。


シンプル、かつインパクトのあるこの旋律は、リストやブラームスの多くの作曲家に変奏されてきた。中でもラフマニノフはあえて主題から始めないというひときわ変わった変奏を試みた。


そこにはどんな意図があったのか。



ラフマニノフの変奏法自体にはどんな特徴があるのか。


ふつうの変奏曲の手法は、ある主題に対していろいろな味付け、調味料を加えていって変奏していくというやり方である。それに対してラフマニノフは主題を分解していった。


パガニーニの第24番目の主題を、ラフマニノフは、


主題の骨格を成す音、ラ・ミ・ラ・ミ

リズムとしてタン・タ・タ

メロディとしてラ・ド・シ・ラ


この3つに分解したのであった。


第1変奏は、ラとミの2つの音を骨格に作られている。

第4変奏は、ラ・ド・シ・ラの音型を様々に形に変えて奏でる。

第12変奏は、タン・タ・タのリズムを部分的につかった変奏である。


ラフマニノフはこの曲に変奏曲ではなく、あえて狂詩曲、ラプソディと名付けた。それだけラフマニノフはいままでの作曲家の作曲技法とは異なった意欲的な作曲を目指したのである。それは過去の偉大な作曲家を超える自由でアグレッシブな変奏曲を書き上げたというラフマニノフの自信の表れだったのである。


ラフマニノフはパガニーニの主題だけを使っている訳ではない。


第7変奏。これは一聴すると、これ変奏なのか、と思ってしまうほど、全然主題と似ていない旋律なのだが、これは”ディエス・イレ”といってラフマニノフが生涯拘り続けたグレコリオ聖歌の旋律なのである。


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ラフマニノフが生まれたのは1873年。由緒ある地方貴族の出身である。母に習い4歳からピアノを習い始めたラフマニノフ。祖母に連れていかれた大聖堂で聴いた聖歌の響きは、その後、彼にとって忘れられないものとなった。


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聖歌はラフマニノフの音楽にどんな影響を与えているのか。ラフマニノフは幼いころから教会の音楽の中で育ち、その中で鐘や聖歌の響きを自分の中で音楽として本能的に感じてきた人である。そして聖歌に裏打ちされたようなロシアの響きを自分の作品に強く深く託した人でもあった。


ディエス・イレというのは「怒りの日」という意味の旋律である。この聖歌の一部である旋律にラフマニノフは深い愛着を持ち、自作の曲に何度も引用してきたのであった。


24歳のときに作曲した交響曲第1番では、冒頭からディエス・イレが奏でられるのである。その後、ラフマニノフは人生の大きな壁にぶつかりながらも、それを克服し、作曲家、名ピアニストとして確固たる地位を築いていった。しかし1917年ロシア革命勃発。貴族の出身であったラフマニノフはロシアで音楽活動はできないと祖国を後にする。そして亡命後17年を経て書き上げたパガニーニの主題による狂詩曲。この曲に引用されたディエス・イレには特別な想いがある。


ラフマニノフは、この作品を書いて何年後かに、音楽とはなにか、と問いに対して、それはロシアの夕暮れどきのようなものである、と答えている。夕暮れ時にロシアの教会の鐘が響いていく。それが音楽だ。心に音楽は響く。


教会がほぼ弾圧されつつあるロシアには、もうそうした響きはもうない。失われたロシア、ロシア革命で失われてしまったロシアへの心からの哀惜の念であり、怒りなのである。


ディエス・イレは亡命という悲劇の運命を辿ったラフマニノフの人生の根底に流れ続けてきた旋律。そこには革命によって失われた教会の響きへの深い想いが込めらているのかもしれない。


ラフマニノフは主題、主題の変奏だけでなく、自分の中にある拘りのある旋律を取り入れたのである。それが第7変奏である。


そして第18変奏である。


本当にロマンティックで甘美な旋律。


聴いた限りでは、あのラ・ド・シ・ラがどこにも入っていない。変奏とはまったく無関係と思える。これは鏡像形といわれるもので、主題のラ・ド・シ・ラをまるで鏡で映したようにそのメロディを反転させることで、この第18変奏の甘美なメロディを生み出したのである。


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パガニーニの主題を反転させた鏡像形から生まれたこの美しいメロディ。この旋律がこんなにもせつなく響くのは、ラフマニノフはいくつもの巧妙な仕掛けをしているからだった。


これは和音に秘密がある。普通の和音と違い、せつない和音の違いをもたらしているのが、倚音(いおん)という音。本来の和音より1個上の音から始める音のことを倚音とよぶ。この倚音を生み出す不協和音がせつなさをもたらすのである。


倚音というのは本来の和音ではないので、本当の音に行きたいという心理が働くのである。それが悶え感に繋がっている。


”倚音がもたらす悶え感”


さらにはリズムにも秘密がある。


左手には3つのリズム、右手にはリズムが4つのリズム。左右の手でリズムのずれが生じる。このずれの中に心理的な彩というものが生まれる。


ラフマニノフの第18変奏は、このようにあらゆる手法をつかって、いつまでも感情が満たされないという状態を作り続けていて、そこにせつなさが生まれ、ロマンティックな感情が掻き立てられることになっているのである。


新たな音楽表現が模索された20世紀初頭。その中でラフマニノフは最後のロマン派と言われ、あくまでロマン主義的音楽に拘り続けたのである。



晩年、長いスランプを乗り越えて書き上げたパガニーニの主題による狂詩曲。そこには音楽に生きるために離れた故郷ロシアへの変わらぬ愛と最後まで作曲家として生きたいというラフマニノフ自身の願いが込められていたのかもしれない。


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10年以上も前から、この曲の構成をこのように理解してきた。ラフマニノフのパガニーニ・ラプソディはどのような構成なのか、なぜ第18変奏はあんなに甘美でせつなく響くのか。すべてこの解析理論のもとに、頭にインプットしてきた。こういう曲なのだ、という自分の理解である。


自分のこの曲に対するリファレンス、ものさしである。


クラシックミステリー名曲探偵アマデウスFile 66 ラフマニノフ パガニーニの主題の狂詩曲の番組で放映されていた内容である。(笑)


第18変奏のところの解析は、野本由紀夫先生の解説でした。


名曲探偵アマデウスは、本当にたくさんの名曲を取り上げ、解析をしてくれたけれど、自分の中でベスト1で印象にずっと残っているのが、このラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲だった。


文句なしNo.1。


以後忘れられず、ずっとこの解析理論を自分のリファレンスにしている。


ふつうの変奏曲と違って、変奏の後に主題が登場すること、ラフマニノフの変奏技法が主題を3つの音素に分解することであったこと、単に主題を変奏するだけではなく、自分の心深く根付いている旋律、ディエス・イレ(怒りの日)を引用していること。そして第18変奏のメロディが主題の鏡像形から生まれたこと、甘美でせつない響きにするために数々の仕掛けを施していたこと。


自分は、ラフマニノフ パガニーニの主題の狂詩曲を聴くときは、かならずこの内容が頭をかすめる。そうやって聴くと、ひと味もふた味も違った楽しみ方ができるからである。


名曲探偵アマデウスでは、演奏素材として、ユジャワンの独奏、デュトワ&N響のサントリーホールでの公演が使われていた。


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ユジャワンはいろいろ思うところがあって、いまのセクシードレス路線は、あまり自分の好みではないのだけれど、この映像素材の頃のデビューしたばかりのときが、自分はユジャワンが1番いいときだったのでは、と思っている。


衣装も普通で、ちょっと粗削りなところもあって、中国から出てきたばかりのうぶで素朴という感じがあっていい。自分は、ユジャワンはこの頃が1番いい。


最後に、名曲探偵アマデウスFile66のYouTubeを貼っておきます。ぜひご覧になって、パガニーニの主題による狂詩曲の魅力、構造について理解してみてください。


この曲の聴き方が全然変わってきますよ。









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クラシックミステリー名曲探偵アマデウス [クラシック雑感]

ぜひ続編をやってほしい番組に、「クラシックミステリー名曲探偵アマデウス」がある。2008年~2012年にNHK総合、BS-NHKで放映されていた番組である。45分の放送枠でした。


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この番組、本当に大好きだったな~~~、大ファンでした。


NHKだからこそ、できた番組だと思っている。


NHKは、国営放送であるから、どうしても予算、人事権ふくめ、政府の影響を受けざるを得ないところがあって、その報道姿勢に政府の御用機関と揶揄されることも多いのだが、でもその政治経済、社会面でのドキュメンタリー制作、文化面の高度な教養番組、全世界へ張り巡らされた報道ネットワーク網による迅速で正確な報道、など放送局として他の追随を許さない圧倒的なレベルの高さがある。予算、基礎体力が民放とは基本的に違う、という感じですね。


「クラシックミステリー名曲探偵アマデウス」は、そんなNHKだからこそできた番組だったと言えるのではないか。


番組の舞台は、大都会の片隅にある不思議な探偵事務所。クラシック音楽にまつわる悩みに答え、世に名高い名曲の謎を解き明かす。


毎回訪れる依頼人の悩みを解決する。解決の鍵はクラシック音楽の名曲に隠されており、曲の構成や背景などを紐解いてゆくことで番組が進行する。ドラマの途中に演奏家や音楽学者による解説が入り、番組の終盤には演奏の抜粋が流れ、復習ができるようになっている。


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出演者は、天出 臼夫(あまで うすお)の筧利夫、響 カノンの黒川芽以、ディープ内藤の高橋ひとみである。


天出 臼夫(筧利夫)は、探偵事務所「アマデウス」所長。元天才指揮者であり、指揮者としてその将来を嘱望されていたが、ある事件をきっかけに指揮者から名曲探偵へと転身した。


響 カノン(黒川芽以)は、探偵事務所「アマデウス」助手。クラシック音楽には疎いが、音感だけは抜群。


助手の響カノン、黒川芽以さんが好きだったな~。天然なところがよかったです。(笑)


筧利夫が指をパチンと鳴らすと、その曲の演奏の映像が流れるという仕掛けでしたね。(笑)


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このような屋根裏部屋のような一室で、事件解決をやっていくのだが、この空間がなによりも大好きだった。なんか黄昏雰囲気があって超好み。なんか売れない探偵家業なんだろうな、という感じがあるし、好きなクラシックのことで生きていけるなら、売れなくてもギリギリ食べていけるだけで幸せみたいな小確幸が漂っている。


この番組がすごいと思うところは、そのクラシックの名曲について、本当に深いところ、楽譜に隠された真実みたいな楽理的にじつに深いところにスポットを当てているところだ。


クラシックファンは、ある曲を自分のものにしようと勉強するとき、音源を聴いて、本やネットでその情報を調べて学習していくであろう。でもそれだけじゃ得られないもっと専門的で、深層的な専門知識を、番組では解説者の解説とともに紹介していくのだ。


自分は、毎回この解説者の解説を聞いて、うわぁ~これはさすがに一般人じゃわからないよな~。こういう専門的な真実を教えてくれるのは本当にありがたい、と毎回思ったものだ。


でもそれは変に難しくなく、初心者でもとっつきやすいように、すごくわかりやすく教えてくれる。


解説者は、野本由紀夫、平野昭、室田尚子、安田和信、千住明、仲道郁代、小山実稚恵、野平一郎、千住真理子、鈴木雅明といったメンバーである。(敬称略)


懐かしいよ~。特に野本由紀夫先生がフル稼働でしたね。よく覚えています。


そして、この番組は、ある事件が起こって、その事件解決のために、この探偵事務所を訪れて、それが不思議とクラシックの名曲の秘密にその解決の鍵が隠されている。そういう脚本を作るのも結構緻密な作業で、その巧妙な物語構成に毎回驚いたものである。構成作家のレベルの高さに舌を巻いたものである。


この番組の制作スタッフは、本当にクラシック専門で練られたチームだったんだな、と思いました。


絶妙な物語構成に、名曲の専門的な知識。非常に教養の高い、でも初心者でも入り込みやすい、とても教養の高い番組だと思ったものである。さすが、NHKだよな~。NHKだからこそ作れる番組だよな、とその当時よく思っていたのである。ゴローさんがご生存のときで、よくゴローさんにそのことを言っていたっけ?


自分は、この番組でずいぶんあたりまえと思っていたクラシックの名曲について、何度勉強させられたことか!!!


自分はこの番組が本当に好きでした。


パッケージソフトになっていないか、Amazon Prime Videoのような動画配信サービスになってないか、確認したのだけれどないんだよね。なんともったいない。


単行本で、野本由紀夫先生著の本があるだけ。おそらくその名曲に隠された秘密を活字で書いてあるのでしょう。


でも自分は、あの動画で観たいですよね。解説と実際の演奏とともに。あの番組が見たいです。


あの一連の番組ライブラリーは、YouTubeにあがっているみたいです。ここ最近、YouTubeでこの番組を見て楽しんでいます。なんかいろいろな曲について見て勉強するのが楽しいです。



できれば、続編をぜひ望みたいです。いままで、取り上げてきた名曲だけで、もうネタ切れなのでしょうか。(笑)続編をするだけの体力がないのでしょうか・・・。



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江戸時代に最新家電!?「家電侍」 [ドラマ]

江戸時代の文化に興味があって、ちょっと勉強してみようと思っていたのだが、面白いドラマがスタートした。


「家電侍」


無料放送のBS松竹東急(260ch)で土曜日23時から30分ドラマだ。


江戸時代の長屋に暮らす貧乏浪人(滝藤賢一)の元に、ひょんなことから現代の最新家電が届くようになり、それが原因で、様々な事件が巻き起こる時代劇コメディ。


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これは面白そうだ。



ドラマのあらすじは、


貧乏長屋で妻と息子と暮らす兼梨四十郎(滝藤賢一)が、ふと訪れた神社でタブレット端末を発見する。


すると、わけもわからぬまま現代の最新家電が届くようになり、長屋での暮らしは激変。四十郎は、家電の登場によって初めて、妻の偉大さに気付き、次第に心に変化が訪れることに。そして、物語の終盤では、四十郎の身にとんでもない事態が……!?



さっそく第1回を見てみたのだが、面白いです。


江戸時代に士官先を失い収入なしの貧乏侍 兼梨(金なし)四十郎(滝藤賢一)。なにせ収入がないものだから、妻や子供に貧乏な暮らしをさせてすまないと日頃思っている。


毎日神社にお参り祈願していたら、ある日突然、その神社にタブレット端末が届く。音声認識の家電アドバイザー”カージー”と恐る恐るやりとりをして、まず妻を楽させてあげたい。


江戸時代のご飯炊きというのは、釜戸で炊くわけだが、それこそ奥さんは、まき割り、井戸で水を汲んでくる、釜戸にまきを入れて、石打で火をつける、ご飯を美味しく炊くには、火の加減が大事でそれこそ、釜戸の前で風を送りながら常に火の調整をしないといけない。江戸時代の女性は、一瞬たりとも釜戸の前を離れることができなかった。ご飯を炊くのは朝だけ。朝に1日分のご飯を炊く。昼、夜はその朝炊いたご飯を少しづつ分けて食べる。だから冷や飯なのだ。


そんな妻を楽にさせてあげたい、という思いをカージーにお願いする。


カージーは、それじゃということで、電気炊飯器をプレゼントする。(梱包されている箱はアマゾンではなく、ニャマゾンである。。笑笑)家電は電気がないと動かないので、この江戸時代にどうするのかな、と思っていたら、ポータブル電源を使って、自転車を漕いで、自家発電の充電。(笑)


ポータブル電源ってうちの会社でも売ってますが、こういうときに使うんですね。野外キャンプとかコンセントのないところでの電源供給ですね。


そうして、ついにちゃんとご飯が炊けるようになった。もちろん保温ができるので、昼も夜も暖かいご飯が食べられる。家族そろって幸せいっぱいの表情。


参考までに補足情報。


●江戸時代の食事事情


幕末頃は、まず朝に1日分のご飯を炊き、炊き立てのご飯に味噌汁だけ。 昼食は冷や飯に魚か野菜を添える程度で、夕食は「夜おかゆ」か「お茶漬け」が一般的で、茶漬けに漬物(沢庵大根1本15文)である。 つまり、昼食が一汁一菜(冷や飯に味噌汁、おかず一品と漬物)と最も豪華な食事であった。



次回はロボット掃除機である。(笑)きっと、これからも神社に行って、タブレット端末に向かって、音声認識の家電アドバイザー”カージー”と問答をしながら願い事が叶って、どんどん最新家電が届くようになるんですね。そしてきっと幸せな人生が待っているんですね。


江戸時代の文化が好きな、家電メーカーに勤める自分にとっては最高のドラマです。(笑)


最新家電を初めて見た江戸時代の人々が何を思うのか? そして、家電を通して気付かされる家族への思いやりの気持ち。「土曜ドラマ「家電侍」が、コロナに脅かされる人々に、笑いとちょっぴりの涙をお届けします。



原案 濱谷晃一プロデューサー コメント


8年前、テレビで「家電芸人」を見ていて、ふと思いつきました。江戸時代にもしも最新家電が届いたら……、撮影現場で盟友の滝藤さんに話したら「絶対やりたい!」と盛り上がり、8年越しにBS松竹東急さんで実現です! 異色SF時代劇ですが、テーマは男子厨房に入らずの時代にお互いを助け合う夫婦愛。ぜひ、ご覧下さい!


西古屋竜太監督 コメント


300年前の江戸時代に存在しない“現代の最新家電”を目の当たりにした滝藤さん演じる貧乏侍・四十郎のリアクション芸。想像の斜め上を行く多彩かつインパクト抜群のお芝居は必見です。


本番中、音を出してはいけないのですが、人間ってこんな顔ができるんだ……何度も声を出して笑ってしまいました。


BS松竹東急 制作局 村崎冬季プロデューサー コメント


数々の名作時代劇を作り続けてきた松竹の名を冠するBS松竹東急が開局と同時に家電SF時代劇を放送する。これだけでも、何だか新しい時代の幕開けを予感してしまいます。松竹と東急がタッグを組んで今までにない、新たなエンターテインメントを生み出すBS松竹東急のコンセプトを体現したような「家電侍」を観て頂き、私達の攻めの姿勢をぜひ、感じて頂きたいと思います。




まず、自分はBS260chというチャンネルを知らなかったです。そんな遠いチャンネルがあるとは!BS松竹東急。WOWOWと違ってスクランブルはかかってないです。無料放送です。だからふつうに録画できます。



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主演は滝藤賢一さんと妻・静江役の前田亜季さんだ。


滝藤さんは、「ドラマの内容を初めて聞いた時は、正気か?と。僕は無名塾に10年いて、仲代達矢さんの弟子だぞと(笑)。それが、家電が江戸時代にやって来るって…。僕がそれをやるのか?と。でも、この作品の主演は誰にもやらせたくないと思いました。」と驚きとともに、複雑な胸の内を明かしたそうだ。



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出演は、そのほかにも、水石亜飛夢氏。江戸時代に出現したタブレット端末に内蔵された家電アドバイザー“カージー”の声はMEGUMIさんが担当しているのだそうだ。


これ、なかなか面白いよ~~~。30分枠だから、ショートコメディみたいな感じです。全13話です。


ぜひフォローしてあげてみてください。第1回見ましたが、かなり笑えるし、面白いです!




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発散型と締め型 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ヤノフスキのローエングリンは凄かった。完璧なまでに叩きのめされ、圧倒されたといってよかった。正直なところ、ここまで凄いとは思っていなかった。


まさに体育会系、肉食系真っ只中のハードボイルドなワーグナーであった。自分がここ数年くすぶっていたストレスを一気にぶっ飛ばしてくれたような爽快感だ。


棒ひとつ、タクトひとつでこんなに変わるものなのか。同じN響なのに、まるで別人のような、見違えるように、オーケストレーションが素晴しくなり、その鳴りの良さ、ワーグナー音楽には必須の分厚いうねるような弦の厚み、まったく見違えるようなサウンドだった。


クラシックの世界では、オーケストラは、指揮者によって、その奏でる音楽は全然違ってくるということはよく言われていることで、誰もが知っていることだ。


これは常識なこと、とそのまま流していたところがあって、深く考察したことはあまりなかった。やはり実際のオーケストラの奏者でないと、その指揮者による音楽作りの違い、指揮者の良し悪しって体感できないものなのじゃないかな、と思っていたからだ。


聴衆の立場で、あ~だ、こ~だと能書きを垂れていても、底の浅い論法にしかならないと自分は思っていたのだ。


でも、ここまで違うところを見せつけられたら、はて?なにが違ったのだろう、そのからくり、要因などを自分なりに考えてみたくなった。


自分が置かれている立場で、自分なりに考えるのは自由である。正しい、正しくない、とかも関係ない。


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自分は、長い間、企業人なので、会社にいると、ひとつ達観した思いが頭に浮かんでくる。それは、会社にいる人間の脳の構造は、「発散型」の人と、「締め型」の人とのふたつのタイプに分かれるということだ。


発散型は、つねに新しいことにチャレンジし、思いっきり考えて、考え抜いてチャレンジしていくタイプの人。技術者、エンジニアに多い。逆に締め型というのは、全体のフレームを捉える力、大局観、構成力の備わった人である。管理職に多い。


これは別に個人がそれを意識しているのではなく、その置かれた立場で必要になるだけの話である。全体のことを考えるのは、なかなか大変なことだ。あまりそのようなことに捉われずに、のびのび自由に発想する。過去の慣わしなどに捉われず、自由に考えるだけ、考える。そうすると新しい発見や可能性も見えてくる。若いということはそういうことだ。


「発散型」の思考の特徴は、ストレスがない、ということである。なにかの足かせや制限がなく、枠を意識せず、自由にのびのび考えるので、ストレスがない。ある意味気持ちよさみたいなものがある。


それに対して、「締め型」というのは、つねにそれがもたらす結果の是否についてジャッジしないといけない立場で、採算が取れているのか、取れていないのか、対費用効果などをつねに考察していかないといけない。いくら自由にのびのび考えていても、結果が伴わってなかったら、会社は倒産してしまうからだ。結果ありきである。よってつねにその結果を検証するステップを入れる。これは管理職はもとより、一番の頂点は会社の経営者でもある。


脳の使い方として、なにか、こうぎゅっと締めるという感じで、発散型のまったく逆である。脳をぎゅっと締める感じだと、これは正直気持ち良くない。ストレスを感じるものである。


なんかこうぎゅっと締まった感覚を持つのは、やはり大局観をもってものごとを見ていかないといけないこと、ものごとを構成していく構成力の才能が必要だから感じる感覚なのだと思うのである。


会社にいる人間は、大別して、この「発散型」と「締め型」の2タイプに大別できるのではないか、と自分は思うのだ。


自分はこの歳になって、絶対このふたつのタイプに大別されるよなぁ~と思うようになり、このふたつのタイプがいるからこそ、会社って廻っているんじゃないかな、とも思うようになった。


たとえば締め型のタイプしかいない場合、脳の使い方がつねに締め型の人は、新しい発想をどんどんチャレンジしていくということが苦手のような気がする。新しい可能性が開くことが少ないように思ってしまう。会社に締め型の人しかいなくなっても、それはまたそれで困るものなのである。


自分はどうか、というと、若いとき、前職時代の技術者時代は、完璧な発散型であったが、いまの会社になって管理業務になったおかげで、いまは締め型のタイプなのではないかな、と思います。


最近、自分が思うことは、会社人間として、発散型と締め型の両方の才能がある人、フレキシブルに両方使えるような人間になるのが1番理想だな~と思うことである。


でも人間ってそんな器用なものではなく、発散型と締め型の両方を使い分けるというのは、かなり無理な話ではないか、と思うのである。本能的に無理。その人の性格によって、必ずどちらか一方だと思います。


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なぜ、ヤノフスキが振るとN響は見違えるようなサウンドになったのか。


それは、ヤノフスキ自身が偉大なる締め型の脳の使い方をする人で、その大局観、構成力に長けた人だからである。自分がどういう音楽を作りたいのか、それがワーグナーのオペラであるならば、それぞれの楽劇について、どういう音楽像を持っているか、そういう明快なビジョンを自分の中に持っている人だからではないかと思うのだ。


棒に迷いがないのである。


ローエングリンであれば、どういう音楽像にしていきたいか、という明確なイメージが自分の中にあって、本番当日までにそこに焦点が合うように、N響を持っていくのだと思う。


N響の団員メンバーは、いわゆる発散型の思考の人たちである。自分のベストを尽くして考えに考え抜いてベストな演奏をする。


それをヤノフスキが大きなフレーム枠で見ていて、大局観と構成力でひとつの大きな作品に仕上げていく。そういう自分のイメージしている音楽像に合うように矯正していく、そういう締め型の脳の使い方の優れている人なのだろう、と思うのである。


ある意味、指揮者ってみんなそのような才能が必要なわけで、とりたてて、目新しいことでもないけれど、オーケストラから素晴らしいサウンド、音楽を誘える、誘えないの差は、その締め型の脳の使い方に差があるのではないか、と新しい説を唱えてみたい。(笑)


指揮者による差ってなんなのか、素晴らしい指揮者ほど、自分の中にその楽曲に対する明確なビジョン、音楽像、イメージ像をきちんと持っていて、棒に迷いがないのだ。


どういう音楽を奏でたいのか、どういうサウンドを出したいのか、明確なビジョンが自分の中にあるから、楽団員に対しても、説得力があって、どうどうと説明できるのだ。それは楽譜をどこまで深く読み込み、自分の解釈とするか、にも起因しますね。


楽団員たちも、そういう姿勢を見せられたら、そしてそれが揺るぎのない堂々とした態度で、そして実際の音としても正解の世界であるならば、大きな信頼感を寄せ、この人についていこうと思うはずだ。


指揮者とオーケストラの間の絶大なる信頼感ってそこなんじゃないかな、と思ったりする。あくまで聴衆の立場で言ってますが。(笑)


ヤノフスキの造る音楽は、非常に引き締まった音造りをする人で、テンポもものすごい快速テンポで速い。速すぎる、という評価も多いくらいだ。とにかく硬質なサウンド造りで、きびきびしていて、聴いていてとても気持ちよく快感なのである。


2014年~2017年に至る東京・春・音楽祭でのワーグナー・リング4部作での共演。そして度重なるN響定期公演での共演で、ヤノフスキとN響の間には、もう絶大なる信頼関係が築かれているのだと想像する。


ヤノフスキがどのような音作りをしたいのか、N響のメンバーはもうよくわかっているのである。そんなお互いあ・うんの呼吸で、マエストロが指揮台に立てば、もう必然とそのようなサウンドにN響自身がそうなってしまうのではないだろうか。


今回のローエングリンは、83歳のマエストロ・ヤノフスキのワーグナー観を十分見せつけられたような満足感があり、まさに体育会系、肉食系真っ只中の重厚なワーグナーであった。


もうこうなれば、今後の将来の東京・春・音楽祭のワーグナーシリーズのマエストロは、ずっとヤノフスキにしてほしい、と思ったりもするが、それはやはりバランスというのも考慮が必要で無理なんだろうな。


そう思わせるくらい素晴らしい公演であった。


最後に歌手陣について簡単に感想を述べさせてもらいたい。


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今年は歌手陣もすごく充実していた。もうびっくりである。水準、レベルがかなり高かったと思う。特に自分的に素晴らしいと絶賛だったのが、エルザ役のヨハンニ・フォン・オオストラム。


確かにプロフィールではすごい経歴なので、すごい歌手なのだろうとは思ったが、ここまで素晴らしいとは夢にも思わなかった。まず容姿がとても素敵で、声もじつに素晴らしい。エルザというお姫様の役にピッタリなのである。清楚な感じがして、自分はひさしぶりに体験するドキドキ感。こんなにときめいた歌手はひさしぶりである。


声も、じつにいい声をしていて、声量もあるし、声の質感も明るい柔らかい美声である。絶唱でも絶対にクリップしない喉の広さがある。


かなり素晴らしいソプラノ歌手ではないだろうか。自分はひとめぼれで、ゾッコンという感じになってしまった。


まったく知らない歌手なので、本当に想定外で驚いてしまった。自分はずっとエルザばかり注視していたかもしれない。(笑)


ちょっともう一度どういう歌手なのか、そして出演作のオペラ映像作品などをサーベイしてみて、いろいろ観てハマってみたい歌手である。


ブラボーである。



ローエングリン役のヴィンセント・ヴォルフシュタイナーも素晴らしかった。白鳥の王子様というには、ちょっと体格的に貫禄ありすぎるが(笑)、声はその体格にあったパンチのある圧のあるじつにいい声で、声量も素晴らしく、フォークトとはまた違った魅力があって、素晴らしいローエングリンだったと思う。


オルトルートは、本来であれば、ロシア人歌手のエレーナ・ツィトコーワであったが、おそらく昨今のロシア~ウクライナ紛争で来日が叶わなくなってしまった。11年前のサイトウ・キネン・フェスティバル松本の青ひげ公の城でユディットを演じていた歌手で、11年ぶりの再会でとても楽しみにしていたのだけれど、本当に残念でした。


ところがどっこいである。ピンチヒッターのアンナ・マリア・キウリが、これまた素晴らしい歌手であった。まさに声量のお化けともいえるくらいの素晴らしい声で、オルトルートのあのドロドロした悪のイメージをものの見事に演じていた。第2幕のオルトルートの大活躍するアリアでは、まさに圧倒されました。ブラボーである。


ワーグナー歌手というのは、本当に層が厚いなと思いました。主催者側としては、もしものときに、サブは常に考えておくべきであるが、本当に素晴らしくてよかった。


テルラムントのエギルス・シリンスと、ハインリヒ王のタレク・ナズミの2人もじつに安定した低音の魅力。ある意味一番安定していた歌手だったかも。やはり男声の低音はいい!


大槻孝志さんらのブラバントの貴族、斉藤園子さんらの小姓も素晴らしい。しっかりと目、耳に焼き付けておりました。ブラボーです。


最後に東京オペラシンガーズ。もうこれは最高でしたね。もう毎回のことですが。彼らはなんでこんなに素晴らしいのだろう。合唱のあの人間の声の和声の美しさ、声の厚みの美しさは、筆舌に尽くしがたい美しさでした。第2幕のエルザの大聖堂への行列は、え~ちゃんと泣きました。(笑)ハンカチとティッシュは大活躍しましたよ。



とにかく、ヤノフスキ&N響のぐいぐいと推進力あるオーケストレーション、歌手、合唱とまさに大スペクトラルの異次元の空間であった。ここ数年間の中では最高のできだと思いました。


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東京・春・音楽祭2022 

東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.13

《ローエングリン》(演奏会形式/字幕付)

東京春祭 ワーグナー・シリーズ


2022年3月30日 (水) 17:00開演(16:00開場)

東京文化会館 大ホール


出演


指揮:マレク・ヤノフスキ

ローエングリン(テノール):ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー

エルザ(ソプラノ):ヨハンニ・フォン・オオストラム※1

テルラムント(バス・バリトン):エギルス・シリンス

オルトルート(メゾ・ソプラノ):アンナ・マリア・キウリ※2

ハインリヒ王(バス):タレク・ナズミ

王の伝令(バリトン):リヴュー・ホレンダー

ブラバントの貴族:大槻孝志、髙梨英次郎、後藤春馬、狩野賢一

小姓:斉藤園子、藤井玲南、郷家暁子、小林紗季子

管弦楽:NHK交響楽団

合唱:東京オペラシンガーズ

合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩

音楽コーチ:トーマス・ラウスマン

字幕:広瀬大介





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ラーメン二郎という奇跡~総帥・山田拓美の”遺言” [グルメ]

取材拒否を貫く「ラーメン二郎」山田拓美氏の実像に迫るドキュメンタリーがフジテレビで放映された。これはぜひ録画しておかないとと思い、録画してあったのを本日ようやく拝見した。


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ラーメン二郎は、やはりどうしても自分でも語っておかないといけない。二郎の世界は、やはり女人禁制の世界だと思う。男性の世界ですね。


女性が二郎に入るのは勇気が必要ですね。自分は二郎の店内で女性を見かけたことはまずないです。



味も見た目も強烈なインパクトを放つラーメン。そのパワフルな一杯は、


「二郎はラーメンではない。二郎という食べ物である」


「三回食べると抜け出せなくなる」


など、独特な格言めいた言葉と共に、「ジロリアン」と呼ばれる数多くの中毒者を輩出。


自分もれっきとした”ジロリアン”である。


一種独特のラーメンで、一度食べると病みつきになるというか、かなり中毒性がある。反面、受け付けない人にはまったくダメであろう。単なる”豚のエサ”なのかもしれない。芸術的なお洒落なラーメンとは、まったく正反対の極致にあるようなラーメンである。


自分のラーメン人生の中でも、この二郎はかなりいろいろな店に通いました。


いまでこそ、体力的にあまり食べれなくなり、店にも行かなくなりましたが、若いときは相当通ったです。


そんなラーメン二郎の創業者、山田拓美さんの最初で最後のドキュメンタリーである。我々ジロリアンは、山田さんのことを、"総帥"と呼んでいるのだ。


そんな総帥は、2019年2月に慶應義塾大学から特選塾員に選任されたことを記念して、その人柄と功績を形に残すことを目的として、特別に番組が制作されることとなった。


そのドキュメンタリーで、長らく重い口を閉ざしていた秘密のベールを一気に脱いだという訳だ。


自分は二郎に相当通ってきているが、意外と知らなかったラーメン二郎の創業以来の歴史。


創業は1968年(昭和43年)で、東京都目黒区の都立大学駅近くに当初「ラーメン次郎」の名前で開店した。これは開店前年の1967年1月にエースコックから発売されて人気となっていたインスタントラーメン、「ラーメン太郎」を捩ったものとされている。


店主の山田は和食料理人で、ラーメンについては全く知識がなかった。最初は「ラーメンぐらい何とかなるか」とたかをくくってラーメン店を出店したが、開店当初から半年間は1日あたりの売上が昼前から深夜まで営業しても20杯以下と低迷していた。


様子を見かねた近所の中華料理店店主が自分の中華料理店で修業するようにすすめ、山田はその勧めに応じて3か月間の修行をした。また、近隣にあった雪印乳業の社員子弟学生寮に住んでいた北海道出身の客から受けた助言を参考にし、独自の味を作り出した。提供するラーメンのボリュームと味付け、山田の人柄が学生に受けたことから店は繁盛した。


1970年代には慶應義塾大学三田キャンパスのある東南の角に当たる交差点脇での営業を開始。 ここは慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇であり、最寄りの鉄道駅(田町駅や三田駅)と三田キャンパス正門との導線上にあった。ここへの移転の際、ペンキ屋が新店舗の看板の「次郎」とすべきところを間違えて「二郎」と書いてしまったことから、以降はそのまま「ラーメン二郎」表記で通している。



1990年代に三田通りの拡幅計画が実施される見通しとなり、これによって二郎も影響を受けることが判明したため、山田は店を閉めることを考えた。


三田通りの店舗は1996年(平成8年)2月末に閉店した。同年6月から桜田通り沿い(慶應義塾大学正門近く)に移転し、営業を再開したのが現在の三田本店である。


・・・大体こんな感じである。


自分がラーメン二郎を知ったきっかけは、アムスの同期の友人のおかげである。慶應大学三田キャンパスに近くに店を開いたラーメン二郎は、瞬く間に慶大生のソウルフードの立ち位置を勝ち取り、慶大生に愛され、そこから歴史が始まったと言っても過言ではなかった。


アムスの友人は慶大出身なのだ。だからきっと大学時代によく通っていたのだろう。慶大生ならば、もう誰もが知っている有名店だったのだ。


そのアムスの友人に初めて連れて行ってもらった。ラーメン二郎が、慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代だ。


友人もそうだと思うが、自分にとってラーメン二郎と言えば、もうこの慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代の店舗のことを言うのだ。


ネットで一生懸命写真を探したのだけれど、まったく1枚も見つからなかった。


あえて、見つかったのは、この1枚だ。


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そうだ!これだ!いまと違うのは、この頃は山田さんと奥さんとの2人で全部やっていたのだ。奥さんは皿洗いと、お客さんとのお金のやりとり担当だ。小銭が、いつもバラで置いてあった。調理は、山田さん1人だ。


これが自分の一番思い出に残っている二郎の真の姿である。


いまは、もはや全国に42店舗を構える大チェーン店になっていて、三田本店でも山田さんだけでなく、黒いTシャツを着た若い青年達が手伝っている感じである。


友人から、二郎での注文の仕方を教えてもらう。ジロリアンなら誰でも知っていると思うが、二郎の注文の仕方は、かなり特徴的で初めてのお客さんには敷居が高いのだ。


最初、山田さんが”大?小?”とサイズを聞いて、最後のトッピングを聞くときに、”はい?”という感じで1人1人に聞いてくるので、そうすると”大ダブル野菜ましまし、からめにんにく”とか呪文を唱えるのだ。(笑)


大はサイズ。もちろん反対は小である。ダブルとはチャーシュー大盛2倍、ましましとは増量という意味である。からめは辛み味の醤油タレつきである。にんにくは、ニンニクである。


この呪文が初めての人にとっては敷居が高い。


当時はこういうやりとりだった。


いまはもう自販機になっていて、大体の注文は自販機で買うときに決まるのだが、ただ、トッピングを聞く伝統は残っていて、そのときに”ニンニクいれますか?”と聞いてくる。そうすると呪文を唱えるのだ。


この”ニンニク入れますか?”という問答は、自分の時代にはなかった。昔は、山田さんが”はい?”と聞いてくるだけだった。


友人に連れられて初めて食べた二郎のラーメンは衝撃であった。もう最初の出会いでハマってしまった。こんなうまい個性のあるラーメンは食べたことがないと衝撃であった。こんな旨いラーメンがあるとは!ってな感じである。


なんともいえないくどみのあるワイルドな味。いままで食べたことのない未知の味だった。


一番最初の出会いでひとめ惚れしてしまった。かなり中毒性のある味だった。


それ以来、自分はラーメン二郎の大ファンになった。


この奥さんと2人でやっていた時代、慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代こそが自分にとってのラーメン二郎の原点であった。


それ以来この店に足繁く通うことになる。


1996年に閉店になると聞いたときはショックであった。でもすぐに同じ慶応大学三田キャンパス前に移転になったと聞いたときはホッとした。これがいまのラーメン二郎三田本店である。


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いまのように、全国各地、いろいろな場所に支店ができる、つまり自分のお店で若い人を育てながら、暖簾分けしていくということをいつのときから始めたのかは、自分は認識していないのだが、あっという間にどんどん支店が出来ていったという感じだった。自分の記憶では、奥さんと2人でやっていたときの後からのような感じがする。


その中でも、"総帥"山田拓美さんのいる三田本店は、ジロリアンの間ではラーメン二郎の聖地といっていい場所であった。


そこから自分は、三田に限定せずにいろいろな支店を渡り歩くようになる。


いま全国には、42店舗のラーメン二郎の支店があるのだそうだ。


これは自分が思うことなのだけれど、山田さんが育てて、暖簾分けしていったにも関わらず、ラーメン二郎は支店によってかなり味が違うというか個性が違うような気がする。


二郎の支店の個性とは、ずばり核心を突く言い方をするならば、それはスープの味だと思う。麺やトッピングはそんなにバラツキを感じない。大きな違いを感じるのはスープである。


自分はいろいろ店を食べ歩いたのだけれど、自分の好みにあう支店ってじつはなかなか少ないのだ。


自分は高田馬場店の味が好きだった。自分の好みだけれど、二郎のスープはしょっぱいのが好きである。高田馬場は猛烈にしょっぱかった。


高田馬場店は、かなり通いました。残念ながら、高田馬場店はその後閉店。


そこから自分は、自分の好みの二郎の支店をなかなか見つけることができなかった。スープがどうも合わないというか違うのだ。


目黒店、新宿歌舞伎町店、品川店、横浜関内店・・・もう数えきれないくらいいろいろな支店を渡り歩いたのだけれど、自分が通い詰めたいと思うスープの味の二郎の支店はなかなか見つからなかった。


いまでも思うのだけれど、ラーメン二郎が本当にうまい、こんなうまいラーメンがあるのか、と心底思ったのは、奥さんと2人でやっていた慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代。あの"総帥"山田拓美さんが作っていた二郎ラーメンほど美味しいものはなかった。


あの頃が1番美味しいと感じたのだった。あれを超える二郎ラーメンは、どこの支店でも体験することはできなかった。


同じ山田さんがいまでも作っている三田本店の二郎ラーメンは、大変申し訳ないのだけれど、そしてとても言いずらいことなのだけれど、あの頃の味ではないような気がする。あの時代を体験したく、何度もいまの三田本店に通ったが、そのたびに、あれ~こんなんじゃなかったけれどな~~~と思うのが正直なところだ。申し訳ないです。


話を少し元に戻して、本題のドキュメンタリーのほうに戻そう。


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そんな伝説の"総帥"山田拓美さんのドキュメンタリーは、ジロリアンの自分にとって、とても興味深かった。ラーメン二郎の創業以来の歴史、二郎をここまで育て上げてきた苦労話、山田さんにとって二郎とは?”二郎系”という言葉に違和感があるとか、そして山田さんの人生観、ラーメン観など思う存分インタビューで引き出してくれる。


あの山田さんがスーツ姿でインタビューを受けているのである。(笑)もちろんいつものあの黄色のシャツ姿で店内でのインタビューもある。


やっぱり感じるのは、成功した人だけが持ちうる言葉の重みというか、けっして難しい言葉を使っている訳ではないのに、言葉に経験と実感の重みを感じることだ。


奥さん、山田康子さんのインタビューもある。奥さんから見た山田拓美さんとは、いままでの二郎の道のりなどなど。最初、奥さんは、二郎ラーメンって食べれなかったそうだ。(笑)お客さんはよくこんなラーメン食べれるものだな、と思っていたのだそうだ。(笑)元来、サッパリ系の正統派の志那そばが好きなのだとか。


そりゃ二郎ラーメンは正反対の位置づけだ。


もちろん山田夫妻だけでなく、目黒支店の店長とか、他の支店の店長とか、お弟子さんとかのインタビューもあって、そういう人たちから見た山田拓美さんとは?という感じで、その人間性を詳らかにする。


自分にとって、新鮮に感じたのは、支店を出すまでの道のり、お弟子さんを育てていって、暖簾分けして、店をオープンするまでも紹介されている。


支店を出すのは、二郎なりの山田さんなりの鉄則があるようで、どこの土地に店舗を出すとか、人任せにせずに、山田さんが自分の脚で確かめて、いろいろ算段していることがわかった。


でも言っていた。いままで1軒たりとも、潰れたお店はなかったと。。。


おそらくは、最初で最後であろう伝説のカリスマの"総帥"山田拓美さんの真のドキュメンタリーが拝めてとてもよかった。この録画を大切にBD-Rに焼いて、永久保存版にしておこう。


さて、自分の好みにあった二郎の支店探しの旅。数年前にようやくたどり着けたような気がする。


それは意外や意外、自分の家の近く、通勤路の途中にあった。(笑)ここ数年は、ずっとここに通っている。


ここの支店の二郎ラーメンのスープは、すごくしょっぱくて自分好みなのだ。高田馬場店の味にすごく近い。


ここ最近、二郎は全然行っていないのだけれど、ひさしぶりに行ってみた。


そうすると・・・


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最後尾を曲がったところでも、さらに列は続いているのだ。


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凄すぎる!!!


ちょうどお昼時だったということもあるけれど、それにしても凄すぎる!ここのお店は人気店で並ぶことで有名で、いつ行っても長蛇の列で待たされる。


ラーメン二郎の世界、ジロリアンの間では、行列の最後尾に並び始めることを”接続”という。(笑)そして無事カウンターでラーメンにありつけることを”着丼”という。(笑)


〇時〇分、接続。。。〇時〇分、着丼。


こうやってSNSでは報告するのだ。これがジロリアンの世界である。


久しく行っていなかったのであるが、ひさしぶりに行ったら、お店が入っているビルがメンテナンス中であった。


店内には、二郎の社訓が飾られている。まさに肝に命じよう。


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ひさしぶりの二郎ラーメン。小・野菜からめにんにく。


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もういまや大は食べれない。大は普通のラーメンの量の1.5倍はある。いまの年齢では、小しか無理である。


ひさしぶりに食したが、やはりうまかった。


ラーメン二郎よ、永遠なれ!である。



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