下北沢本多劇場 [演劇]
若者の街、サブカルの街、そして演劇の街、わが青春のまち、下北沢、いやもとい下北 (シモキタ)に再凱旋である。下北沢本多劇場で舞台を観劇するためである。
お昼頃、下北に着いたので、そのまま無添加薬膳スープカレーCOSMOSへ。20種類の野菜と豚角煮のスープカレーを頼んだつもりが、店員さんが勘違いして、20種類の野菜とチキンレッグのスープカレーがやってきた。
まぁよい。謝る店員さんに、いいよいいよ、チキンレッグも食べたかったから。
それでも気が済まない店員さん、ソフトドリンクを1杯無料でごちそうしてくれた。
ごっそうさん。
スープカレー、美味しかった~。
さて、観劇は18:00からだから、開場時間含めてもあと5時間くらいどこかで時間を潰さないといけない。下北は、あういう街柄だからお洒落な気の利いたカフェとか昔懐かしの昭和の純喫茶とか意外やないんだよね。
そこで思い出した下北の南口エリアにあるミスド。(ミスタードーナッツ)
ここは自分の記憶によると36年前からずっとあるような記憶があるのだけれど、中に入ったら、もう全然別世界。たぶん自分の勘違いかもしれないな。
とにかく、ここミスドの2Fでドリンクとドーナッツで、休憩、時間を潰すことにした。
暇を持て余すんだろうな・・・。
・・・そう思いきや・・・ところがどっこい。驚くような光景が待っていた。
つぎからつぎへとやってきてあっという間に2Fは満席。それもみんなファッショナブルな若者ばかり。女性はすごい美人が多いし、ファッショナブルでカッコいい~。男性も細身でダンディで、カジュアルな服装でカッコいんだよね~。男女のカップルが多いけど、女性友人同士、男性友人同士も多い。
とにかく若いエネルギー満載という感じで、フロア内はすごく活気づいている。
若い人、若者って本当にカッコいい。
そんなカップル同士、友人同士の話している姿がなんとも絵になっているんだよね~。
若者らしいカジュアルなんだけど、ファッショナブルでセンスがよくて・・・。
そしてキャピキャピモードで絶賛トーク中である。
この世界はもう完璧に自分にとって異次元の世界であった。(笑)普段いる世界とはまったく別の世界であった。ジェネレーション・ギャップを感じたことはもちろんである。
でも何度もいうけど若い人カッコいいよ~。
自分の歳になるとカッコいいというのは大人の高級なダンディ・・・こんな雰囲気な部類になってしまう。でも若者世代のカッコよさはカジュアルでフレンドリーでお洒落。そんな軽さがある。なんか自分が遠く昔に忘れかけていたもの・・・こんなカッコよさもあったな~ってな感じである。
う~む、カルチャーショックだったな~。
もうその若者たちのお喋りしている姿をただ眺めているだけで、もう最高だった。5時間もミスドに居た訳だが、満席のお客はつぎつぎチェンジしていく訳だが、それを眺めているだけで最高に楽しかった。
まさにフロアは全員若者である。下北というまちは、まず高齢者はいません。若者だけで構成されている街といっていい。
自分は、そんなファッショナブルでカッコイイ若者たちの中にカメレオンのように紛れ込んで、1人初老のおじさんがソフトドリンクとドーナッツを食べながら、その若者空間の中に保護色になって同化していたのである。(笑)
みんな誰も自分のことなんて気にしない。誰も自分のような高齢者がいることを不思議に思わない。
自分は新しいお楽しみスポットを見つけたかもしれない。
若者空間の中を楽しみたいのなら、下北の南口エリアのミスドの2Fである。
ここが最高の穴場である。ここに陣取っていれば、あなたは現代の若者の空気、若者空間の中に身を潜めて楽しむことができるのです。
大きな発見でした。(笑)
さて、前振りが長くなりました。
ようやく下北沢本多劇場。
下北沢の演劇専用の民営劇場である。
下北沢が演劇の街と呼ばれるのも、この本多劇場があることで、演劇のメッカになっていることが影響があると言われている。若い芸人さんたちは、みんなこの本多劇場で舞台を踏めることを夢に見るんだよね~。
本多劇場グループ代表の本多一夫により銭湯の跡地に、1982年11月3日に開場した。こけら落しを飾った作品は唐十郎作の『秘密の花園』。下北沢が「演劇の街」と呼ばれるのはこの本多劇場の存在が影響している。
思っていたほど、そんなに古くもない。1987年に自分は上京。そしてここから1994年までの7年間。下北に通い詰めた訳だが、本多劇場も1982年開場と言うことは当時としても新しかったんですね。
本多劇場は2Fにある。
そのビルの1Fと2Fには下北沢マルシェがあって、雑貨、古着などいかにも下北らしいそんな販売店がそこにひしめき合っていた。
レコード店もありました。漁っていく?(笑)
開場するとホワイエが現れる。まっ特段そんなに普通ですよね。
そしていよいよ下北沢本多劇場の劇場空間に入場。
客席は1フロア、客席数は386席。
客席は、かなりの急こう配で舞台の視認性はとてもいい。
役者さん、俳優さんの地声による舞台だから、そんなに広くはできない。これは確信持てなかったけど、PAは使わないんだろうな。ナレーターや効果音、音楽にはPAを使うことはあっても、役者さんのセリフにはPAは使わない。
ヘッドセット、ヘッドマイクは顔にはつけない。つけたら興ざめしちゃうから、やはり地声でやってほしいな、という想いが自分にはあった。
・・・役者さんはやはりちゃんと地声でやっていらっしゃいました。
そのためには、劇場空間としては、この386席というのが限界容積なのであろう。オペラ歌手じゃないんだから。(笑)
PAをやるためのSPは劇場内に設置はされているようでした。
舞台装置は非常にシンプル。そんなに制作費用もかけられないだろうから、ストーリーを展開していく上で最低限の機能のスペース、間取りがあればいいという感じで、非常にシンプルだった。表面が石造りのような塗装を想像させるイメージ。舞台転換はない。この舞台装置だけで全ストーリーを進めていく。
自分はこの座席からステージを観劇させていただきました。
さて、下北沢本多劇場でなにを観劇するか?
自分は公演カレンダーを見ながら熟慮して、これに決めた。
カモメよ、そこから銀座は見えるか?
やっぱりフライヤー、ポスターのイメージで選んでしまった。やっぱり他の作品と比べて、作品自体に若々しさ、若いイメージがあって、自分はこういう感じの雰囲気が好き。どうせ見るなら若い人のお芝居が見たいと思って、この作品にした。
主演の黒島結菜さんがすごい魅力的に感じた。いいな~、素敵だな~という感じ。
M&Oplaysプロデュースで、岩松了さん作・演出。
岩松了さんと主演の黒島結菜さん。
・カモメよ、そこから銀座は見えるか?
年の瀬の銀座を舞台に、肩を寄せ合って生きてきた兄妹が、かつて家庭を崩壊させた父の愛人と出会い、徐々に打ち解けてゆく”赦し”の物語である。
以下の写真は、主催者側から公開された写真である。
まず、自分が役者さんたち、俳優さんたちの舞台を初めて観劇して、めちゃめちゃ驚いたこと。それは発声、演技ともにものすごいメリハリ、切れがあること。俳優さんや役者さんたちにとって、映画、テレビのドラマで撮影するのとは、舞台は完全に別次元のお仕事なのだということがわかった。
まず驚いたのは発声。どの役者さんもすごいよく通る声で、かなり大きな声。芝居の場面としては、別に大きな声を出すところでもなければ、どちらかというと小声であるようなところも、はっきりくっきり明快でじつによく通る声で大声で話す。さすがプロだな~と驚いたとともに、これは映画、ドラマの撮影とは全然別物だな、と直感した。
そして演技そのものもすごいキレがあって、オーバーアクションといおうか、いわゆる舞台版という感じなんだよね。これはおそらく舞台という実空間で演技を披露する訳だから、ふつうの日常動作ではお客さんは気づきにくい訳で、386席という大空間のお客さん全員にはっきり認識してもらうためには、舞台上の役者さんは、ややオーバーアクション気味にメリハリの効いた演技表現が必要になるんでしょうね。
舞台の作品は、役者さんたちの休憩時間のない2時間なら2時間で、役者さんたちの動きだけで物語を展開して行かないといけない。そうするとセリフの物言いが明快で大きいこと、そしてオーバーアクション気味でもいいから演技もメリハリがあること。そして進行テンポもこれは舞台独特のリズム感の良さというか、小気味いい進行というか・・・。
そして休憩時間なく、役者さんの舞台上のセリフ、動きだけで物語を進行して行かないといけないこの緊迫感というか綱渡りのようなスリリングな感覚。
舞台はこれは演劇文化として、映画・ドラマとはまったく別物だな~、と自分はまずこの点だけで大きく感銘を受けた。
とにかく役者さんの声がすごい大きいのです。もちろんPAなんか使いません。386席に隅々にいき渡るほど、完璧なまでによく劇場内を通る声。驚きました。そしてキレのある演技。
普段の映画やドラマの演技って、もっと普通っぽい、いわゆる普通の空間で、人間が普通に会話している、そこをそのまま撮りますよね。これは演技についても同じ。ふつうな日常動作を撮るのみ。音声の場合は、それをアフレコなのかもしれませんし。
映画・ドラマというのは、発声、演技ともにあくまでふつうの日常なのです。でも舞台は全然違うんだな。発声、演技ともに完璧な舞台専用モードが役者さん、俳優さんには必要なんだ、ということがよく分かりました。舞台を専門にやっている役者さんとかもいますよね。そういうことなのかな、とも思いました。
映画・ドラマと舞台はまったくの別物であることがよく理解できました。
自分は、映画やドラマはもちろん大好きでその年に人気のあったドラマや映画は必ず見るようにしていますが、舞台だけは縁がなかったんですね。いままで1回しかなくて、それも友人からの招待で、渋谷の劇場でなんかアングラ劇団のアングラお芝居のような類で、ふ~ん、まっもういっかな?という感じの印象しかなかった。
だから舞台の観劇としては、今回の観劇が初挑戦といってもいいかもしれなかったです。
大きな勉強でした。
主演の黒島結菜さん目当てだったので、とてもよかったです。やはり声の発声が素晴らしく、じつによく通る声でいい声していました。心揺れうごく繊細な主人公を見事に演じていたと思います。ブラボーでした。
男性陣もみんな素晴らしかったですが、自分は舞台役者さんたちに疎いので、よく存じ上げていない不勉強者なのですが、男性陣もみんなよく声がよく通って、メリハリの効いた演技、アクション、これぞまさに舞台!という感じがよく伝わって来て名演だったと思います。
父の愛人役だった松雪泰子さん。松雪さんはもうテレビなどでたくさんご活躍されていて有名俳優さんなので、よく存じ上げていましたが、松雪さんも凄かったんだよな~。すごい存在感!!!やっぱり声の発声がぜんぜん完璧なまでに舞台モード。すばらしい声量と、明晰な声質でさすが!!と唸らざるを得なかったです。
とくに自分が参ってしまったのは、大人の女性としての色気なんですね。(笑)出演者はみんな若い役者さんたちばかりだから、その中で松雪さんの声は、愛人という役柄もあるのでしょうけど、妙に色っぽいというか、大人の女性だな~という妖艶さがあって自分はかなりヤラレました。ちょっとメロメロという感じになってしまいました(笑)
愛人。。。大人の女性・・・なんかすべてがピッタリ。さすが役作り、ベテランの境地だと思いました。やっぱりベテラン女優さん、存在感として際立っていたように感じました。
この日の舞台は、完売御礼でした。386席満員でした。驚きですね~。やっぱり舞台ファンというのもあるんですね。そういう層があるんですね。みんなすごい熱心なんですね。舞台ならではの醍醐味、楽しさというのがあるんですね。映画やドラマでは満たせないものなんですね。
脚本家の三谷幸喜さんがコラムで仰っていたことに、
舞台というのは、役者さん、俳優さんのそのままの素が全部観客に見えてしまう勝負の場所のように思います。映画やドラマですと、カメラというフィルタを通して視聴者に届き、その途中の経過でカット割り含め監督、編集者の意図で役者さんたちの演技、見え方に加工をすることもできます。でも舞台は自分そのものがそのままリアルタイムで観客に見えてしまう。そこでの芝居は、まさに役者さん、俳優さんのその人が全部現れてしまう勝負処なんだと思います。
だから役者、俳優としての下手さ加減もリアルで露呈してしまう。そういう意味で舞台は難しいし、勝負の場所なんだと思います。
これはまさに実感として、より一層理解できるようになりました。
しかし、役者さん、俳優さん、ホントにすごいですねぇ。
自分は、クラシック音楽、ジャズ、ロック、ポップスなど音楽が大好きな人生を送ってきたのですが、みんなやっぱりプロですよね。オレはみんなこれでご飯食べてきているんだ、というプロ意識満載ですよね。
人間、この世に生を受けて生きている以上、かならず、これでオレはメシを喰ってる、という才能がどの方にもありますよね。
そのことをまざまざと認識した舞台観劇でありました。
下北沢本多劇場、十二分に体験、楽しませていただきました。
舞台観劇、つぎにいよいよバースタインの最高傑作「ウエストサイドストーリー」のブロードウエイ・ミュージカル版を渋谷東急シアターオーブで観ます。映画では拝見しましたが、ミュージカルは初めて!ウエストサイドストーリーは、やはりミュージカルが原点!ミュージカルでこの名作を観ないといけませんね。
しかもミュージカルの本場のブロードウエイ・ミュージカル!
すごく楽しみにしています~。
終演後、さらにふたたび無添加薬膳カレーCOSMOSをもう一回再訪し、しつこくもう一回、20種類の野菜と豚角煮のスープカレーを注文したところ、今度はちゃんと豚角煮のほうのスープカレーが届きました。(笑)
1日に2回、COSMOSのスープカレーをいただくとは!(笑)
ここのスープカレー美味しいです。お勧めです!
男の顔は50歳代から [クラシック雑感]
自分は、男性指揮者や男性アーティストは、女性の場合とは、やはりちょっと違うのではないか、といつも思うところがある。男性には厳しいと言われるかもしれないが、やはり同じ同性の男として求めるもの、期待するものはそれだけ大きいということでもある。
最近の例を挙げるとしよう。
フィンランドの指揮者、1996年生まれの若干27歳の若さで彗星のようにクラシック音楽界で現れたクラウス・マケラ。
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の次期首席指揮者にも就任予定。世界中で引く手あまたで熱い熱視線を浴びており、日本での初演でも圧倒的な名演だったそうで、その評判も狂信的だ。
自分は、まだ一度も実演に接していないので、なんとも評価のしようがない訳だが、またYouTubeでも拝見してみようとは思っているもののいまひとつ乗り気がしないのも確かだ。
というのも、クラシック界のいわゆる世界の巨匠といわれるお馴染みの指揮者たちは、もう高齢化が進み、また長年に渡る君臨で、新しい次世代のスター、新しい顔の登場、世代交代を必要としていることはあきらかな状況だ。
そこにマケラの登場は、願ってもいないタイミングだったのだろう。そして非凡なその音楽的センスなどがそれに拍車をかけているのだろう。これを業界が放っておくはずがない。
彼の造る音楽を実際聴いていないのだから、あれこれ言う資格はないと思うが、自分にはどうしても時期尚早と思うところが多い。
指揮者という仕事は、まさに年輪が必要な仕事。長年に渡る体験、経験、そして勉強が必要な仕事だと思うからだ。あるときは挫折を味わい、苦渋をなめながら、苦労をしてこないといけないだろう。
そんなトントン拍子に進むわけがない。
仮に進んだとして、それはある程度歳とったときに、つまり成功しか知らない人、エリートの道しか味わったことがない人ほど、人間としてつまらない人はいないのではないか、と思う。
指揮者こそ、そんな勉強、たくさんのオーケストラとの実演、体験、世界中を駆け回って、学んでいき、そして男として50歳代の頃になったときこそ、男として、指揮者として1番いい顔になっているはずで、指揮者として頂点、最高のときなのじゃないか、と思う。
指揮者って息の長い、人生かけての一大仕事なのだ。
べつにこれは指揮者だけの話じゃない。
男の人生、そのものについても同じことが言えて、50歳代になると、人生の仕組み、社会の仕組み、会社の仕組みなんかが見えてきて、そして自分がいままでやってきたことも含め、人生の年輪が熟してきて、人間として一番いい顔をしているのは50歳だと思うのだ。
男は50歳代の顔が一番いい。
男は50歳代の顔が一番カッコいい。
自分は小澤征爾さんの指揮者人生の中で一番好きだった頃は、食道がんが発覚して記者会見をしていたあの頃。
あの頃の小澤さんの顔が一番好きだ。
30年余りのボストン時代は、小澤さんにとっては、まさに成長期。そして日本人として初のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、そしてベルリンフィル、ウィーンフィルなどヨーロッパを客演指揮として駆け巡り、・・・このときの小澤さんが一番好きだ。
そしてこのときの小澤さんの顔が一番好きだ。
まさに長年、世界中の指揮者としての道を極め尽くして、その頂点に達していたとき、男の顔として最高だと思うのだ。これぞ、男のいちばんいい顔だと思うのである。
この頃から松本の当時の呼び方のサイトウ・キネン・フェスティバル松本の小澤人気もちょっと狂信的で、神がかるというか異常な人気状態に変わっていった。
小澤さんがサイトウキネンで振るのをなんとか実演に接したいとずいぶん苦労した。
このときの小澤さんの顔こそ、何十年と指揮者として修羅場をくぐってきて、指揮者とはどういうものなのか、そういうものを体験、勉強してきて、その年輪が自然と顔の表現に現れたものなのだろう。そして、たぶんその時点も指揮者の勉強はつねにオンゴーイングなのだろう。
指揮者って、たぶんつねに勉強なのだろうけど、本当に指揮者としてわかってくるのは、そういう経験を重ね、真価を発揮するのは50歳代からなのではないのか、と思うのである。
そしてそのときこそ、指揮者、男として一番いい顔なのだろうと思う。
それだけ指揮者という仕事はいつも勉強、経験が血となり肉となっていくものだと思うからである。指揮者は経験がものをいう仕事なのである。20歳代、30歳代でそれを求めるのは無理だし、どんなに頑張ってみせてもそれは表層的なものでしかないように思う。
でもクラシック業界としてはけっして間違っていないし、正しいある意味お決まりのスタンダードな戦略なのであろう。自分は昔は若かったので、そのことをよくわかっていないところもあったが(いまでもであるが。。笑笑)、きわめて妥当で正しい戦略だということもよく理解できる。
指揮者、アーティストを育てていくということは、これは!という光るものを持っている人は、やはり若い時代からメディアで注目してあげていっしょに育てていってあげる。それはお互いにとってプラスの相互作用をもたらすし、業界としては至極当然の常識なのである。
山田和樹氏がセンセーショナルにデビューしたとき、自分は同じような印象を持った。指揮者には経験が必要。まだまだ若すぎる。。。みたいなことを言っていた記憶がある。
でも将来有望な人、指揮者は、ほんとうに若いときから、メディアとしては、いっしょになって育てていってあげよう、それがメディアの役割なのだ。自分にはそのことがよく理解できていなかった。
山田和樹氏は、あれからずっと活躍を見てきて、自分がすごく感心しているのは、日本人の作曲家を積極的に取り上げていること。いろいろ勉強、経験の年を重ねつつ、最近、メディアで拝見する山田氏の顔は男としてほんとうにとてもいい顔になってきていると思う。
やはり男の顔は、年輪とともにいい顔になっていくのである。
クラウス・マケラのことを熱狂的に狂信するのはべつにいいと思うが、自分は彼が指揮者のこと、指揮のことを本当に分かってくるのは、これから20年後、30年後なのだろう、と思っている。いま現在指揮のことをほんとうに分かっているというよりは、自分が持ち合わせているずば抜けた音楽的本能でさばききっている。指揮者としては、まだまだ勉強不足で未経験で知らないことも多い。
男として経験、年輪を踏まえ、いちばんいい顔になるのは50歳代になってからだと思うのである。
これからの人なのだ。
そして世界中のメディアとして、彼をいっしょに次世代のスターとして育てていこうとしていることもよくわかった。
彼がその最高にいい顔をしているとき、そのときは、すでに自分はこの世にいないことは確かである。(笑)
今年の芸術の秋 [クラシック雑感]
今年は、東京・春・音楽祭、ラ・フォル・ジュルネ、ディアナ・ダムラウ、ヒラリー・ハーン、水谷×大陸と例年にはないハイペースでコンサートに行って、もうすでに予算的に毎年の年度予算に到達。(笑)
やっぱりハイペースだった。今年はもう無理です。。。という感じなのだが、今年に限ってもうちょっと頑張ってみることにした。
まだ夏にも入っていないけど、早くも今年の芸術の秋の抱負を語ってみたい。
●小山実稚恵 以心伝心2023
小山実稚恵さんの最愛のピアノ協奏曲と、運命のパートナーの指揮者とともにお届けするサントリーホールでの5年間のシリーズ。
去年はその開幕として、大野和士と東京都交響楽団で、まさにライフワークのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番を聴いた。上皇后美智子様ご臨席という思ってもいなかったサプライズがあって、会場はちょっと異様な興奮と緊張感に包まれた。
あれは震えたね~。あんな緊張感、ドキドキの中でラフ3を聴き、正直なところを告白すると、早く無事になにごともなかったかのように終わってくれないか。ミスタッチなく名演として終わってくれないか。そればかりを願っていた。長かった、本当に長く感じた。。。
場内の興奮は極限に達し大変な喝采、聴衆全員スタンディングオーベーションだった。もちろん美智子様もお立ちになられ拍手を贈る。もう場内全員、一種異様な雰囲気と興奮状態である。
小山実稚恵さん、最高にカッコよかったな~。ピアニスト冥利につきる、というか最高に幸せな瞬間だったと思う。
自分は小山さんのラフ3で、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番を勉強してきた人なので、それをこのような最高のシチュエーションで聴けてクラシック人生の中で一生の記憶に残る忘れられない名演になったと思う。
自分は、この以心伝心シリーズ。5年間コンプリートすると宣言した。
今年2年目も行くのである。
小山実稚恵 以心伝心2023
今回は小林研一郎と日本フィルハーモニー交響楽団と共演する。
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番とベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
自分はベートーヴェンのコンチェルトというと、実は4番が一番好きなのであるけど、3番なんですね。(笑)メインディッシュはやっぱり5番「皇帝」だと思います。いい曲ですよね~。
自分はじつは日本フィルの公演に行くことが普段あまりなく、この日はとても楽しみにしています。
自分は小山実稚恵さんのチケットをぴあで取るとき、いつも思うことが、小山さんって本当に年間すごい公演量をこなす人なんだな、と思うことです。もうリサイタル、コンチェルト、室内楽に至るまで、年間のかなり遠い先まで、もうびっしりと埋まっていて、チケット販売が羅列しているのである。全国津々浦々、駆け回ってコンサートをやっていらっしゃる。ご自身のSNSでもその公演の様子(終演で舞台袖に下がってくるときの写真)を毎日のようにアップされている。
自分は数年前と違って、いまや年間に行くコンサートは数少なくなってしまったけど、いろいろなアーティストのチケットをぴあで取るけど、それに比較すると小山実稚恵さんのチケットを取るとき、毎回驚くんですよね。うわっこんなにコンサートが控えているのか!という感じで。
もう大ベテランの域に達するピアニストであるが、いまだに全国いろいろな所から需要があるということ、そしてオーガナイザーの人たちからしても小山実稚恵さんのコンサートであれば、確実に集客できる。外れることがない。安定した収入源という絶大の信頼があるからなんでしょうね。
まさに日本のピアニストを代表する大スター中の大スター。至宝と言ってよい。
長いキャリアのもと、築き上げてきた信用、ブランドなのだと実感する。
ベテランになってもいまだ勢い衰えず。大躍進中である。
●阪田知樹 ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会
今年はラフマニノフの生誕150周年の記念イヤーなのであるが、驚くべきチャレンジングで、大変な演奏会が9月にお目見えする。
それが阪田知樹氏のラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会である。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番、第2番、第3番、第4番、そしてパガニーニ主題による狂詩曲。
これを1日で演奏しきるマラソン演奏会である。
まさにピアニスト冥利に尽きるというか、体力的、精神的にもかなり極限中の極限であろう。よく決断した、と思う。
自分の世代でいうと、ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会、1日で5曲を全部弾くというと、もう完璧に清水和音さんなんだよね。
清水和音さんの代名詞でもあった。
いまから12年前の2011年8月6日にサントリーホールで、その清水和音 ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会を実演に接したのだった。高関健さんと東京交響楽団だった。
最前列で聴いていて、ピアノがこんな位置に見える席。
こんな位置なので、ピアノの胴鳴りがよく聴こえました。(笑)
このときのコンサートレビュー日記はきちんと書きました。
あれから12年。
伝説は継承する。・・・である。
神話、伝説、偉業は偉大なる先人から若い世代へと受け継がれ、後世へと語り継がれていくのである。
阪田知樹氏といういま若手ピアニストとして脂の乗り切ったもっとも輝いている若者が、この偉業に挑む。阪田知樹氏はご覧のように大変イケメンのかっこいい美男なピアニストで、そして音楽、音源にも深い知識を兼ね備えた知性派ピアニストとしても有名で、そこがまた本人の大きな魅力になっていて、本人の個性を一種独特で輝かせている部分でもあると思っている。
もう去年から今年にかけて、大変な公演量をこなし、いわゆる若いときに突っ走る全盛期とでもいうか、需要と供給がマッチした、ピアニストとしていま最高に旬な時期にある人なんではないか。
自分はじつは阪田氏の実演は接したことがまだ1度もないのだ。若手ピアニストの中でも、自分の感性に合うというか、グッとくるピアニストで、ぜひ実演に接してみたい、とかねてよりずっと思っていて、ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会というまさにこんな大偉業で、初の実演に接するなんて、これ以上のない晴れ舞台であろうと思うのである。
どんなピアニストなのか、とても楽しみにしている。
もちろんこの大演奏会のトリは、3番である。
阪田知樹氏のラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番はどんな感じなのだろうか。。。持ち前の若さ溢れる3番を期待しているし、とても楽しみしている。
「伝説は受け継がれていく。」
自分は、今回の阪田知樹氏のラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲演奏会を迎えるにあたり、ひとつの自分からプレゼントを考えてみた。
12年前に、自分にとって初めてこの大偉業を体験した清水和音さんの公演のレビュー。mixiには掲載したのだけど、その頃はまだノンノンのブログをやっていなかったので、ブログ掲載はしていなかった。mixiだけの公開。ずっとそのままになっていた。
でも今回の阪田氏の大偉業を迎えるにあたって、この12年前の清水和音さんの大偉業のレビューをノンノンのブログにデビューさせようと思っているのである。1語1句編集なし、改訂なしのあの当時のあのままの写真と原稿で。ブログに再掲載である。
そして引き続き、阪田知樹氏の大偉業のコンサートレビューを、「伝説は受け継がれていく。」というタイトルで、清水和音さんレビューと隣り合わせで、連続投稿しようと思っているのである。
これが自分なりの花道のつけ方である。
●内田光子&マーラーチェンバーオーケストラ2023
ベルリンフィル(BPO)、ウィーンフィル(VPO)、コンセルトヘボウ(RCO)。。。無理です。(笑)
彼らは若いときに十分堪能しました。もう年寄りになると、あの値段はキツイな~。
でもプロモーターさんはけっして間違っていないです。
彼らの高額の出演料を守りつつ、渡航費、宿泊費、交通費などの必要経費をオーケストラ団員全員分算出し、そこにさらに本公演の利益分をアドオンして捻出する。そうするとどうしてもこのチケット金額にならざるを得ないのだ。これは必然にそうなってしまう。
外来オーケストラを海外から招聘する、ということはそういうことなのだ。
それでも尚、外来オーケストラは、日本ではドル箱ビジネスでお客を間違いなく集客できる。
日本人はそんな高いチケットでも、彼ら見たさに、彼らを堪能したいがために、その高額チケットを買ってくれる日本人は大変クラシック音楽を愛好する国民なのである。
ちゃんとビジネスが成り立つのである。
クラシック音楽はやはり西洋音楽だな、と思うとともに外来オーケストラがもつブランド力の強さを心底実感する。もちろん日本のオーケストラも現在では実力的に全然遜色ないくらい進歩していると思うのだけど、日本のオーケストラでもう全然満足と思うのだけど、やっぱりブランド力なんですよ。
クラシック音楽界は、外国人アーティスト、海外オーケストラのブランド力が非常に強く、とくに日本の場合、彼らへの依存度が高く、コロナ前では圧倒的なシェアを誇っていた。コロナ禍になり外国人が来日できなくなる中、日本人のみというときもあったが、ようやくコロナも収まり、日本入国に縛りがなくなってきて、またこの海外勢に依存という風潮が戻ってきた。今年2023年は、BPO,VPO,RCO以外にも軒並みビッグな海外オーケストラが来日する。
でもいいじゃないですか?自分なんかは、なんか普通に戻った感じがするし、やっぱり海外アーティスト、海外オーケストラが来日すると、パッと華やかになるというか業界の雰囲気が高揚しますよね。悔しいかな。ブロンドヘア、体格の良さ、ルックスなど派手な見栄え、肉食派ともいえる体育会系の演奏力や歌手なら声量などのパワー。スケールがやっぱり大きいと思う。
自分にとって、今年の最大のコンサートとなる立ち位置が内田光子&マーラーチェンバーオーケストラ。
ひさしぶりに外来オーケストラに大金を費やした。
今年のメインイベントとしてこのときに気持ち的に最頂点に達したいと思う。ひさしぶりにどうしてもミューザ川崎に行きたかった。もちろん奮発してS席にしました。
ミューザ川崎は本当に近代的な空間デザインで最強の音響を誇る最高のコンサートホール。いいホールですよね~。もう最高に大好きなホールである。ミューザは久々だったので、どうしても、という想いが強かった。楽しみ~。
今回の内田光子&マーラーチェンバーオーケストラ2023では、サントリーホール、ミューザ川崎、札幌コンサートホールKitara、愛知芸術劇場コンサートホールなど全国を廻るツアーのようですよ。いいですね~~~。
内田光子&マーラーチェンバーオーケストラの来日は、もともと2020年に企画されていた。そのときも自分はサントリーホールの公演のチケットを買っていた。でもコロナ禍で残念ながら中止。今回仕切り直しという感じである。
マーラーチェンバーオーケストラ、マーラー室内管弦楽団は、1997年にクラウディオ・アバドとグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団のOBにより設立された。世界各地でコンサートやオペラ公演を行う傍ら、ルツェルン音楽祭ではルツェルン祝祭管弦楽団の中心メンバーとなっている。
アバドのオケです。クラシック界において、近代マーラー解釈者としてマーラーを普及させることで名を馳せてきて大きな業績を残してきたアバド。
いまでこそ、マーラーは普通に世界中どこのオケでも演奏されるメジャーな演目になりましたけど、ベルリンフィルとか世界のビッグネームのオケが大舞台でマーラーを堂々と演奏することで、クラシック界においてマーラーに対するアレルギーをなくし堂々とスタンダードナンバーの立ち位置を勝ち得た、そういう評価を与えたのが、アバドであり、ラトルだったと思います。
もちろんクラシック界でマーラーを商業的に大成功させたのはレナード・バーンスタインであることは間違いない。アバドやラトルは、そんなバーンスタインの後の世代のマーラー使徒だったように思う。マーラー指揮者などの呼び方も誕生し、アバドやラトルは率先してそう呼ばれた。
自分の時代は、マーラーといえば、やっぱりアバドとラトルなんだよね~。
彼らの音源、実演でマーラーを学んできた。
マーラーチェンバーオーケストラは、そんなアバドのオケである。
いまはダニエル・ハーディングが音楽監督だったっけ?
そんなマーラーチェンバーオーケストラは、内田光子さんと大変深い関係にあり、お互い強力な絆で結ばれてきた間柄である。指揮者を置かず、中央にピアノを設置し、内田光子さんが引き振りという形でオケをリードする。
自分は、内田光子&マーラーチェンバーという組み合わせでは、実演としては今回初めて体験するのである。どんなケミストリーが起こるのか、大変興味深く期待している。
またマーラーチェンバーの首席オーボエ奏者を吉井瑞穂さんが務めている。
吉井瑞穂さんは、アバドにその才能を見出され、ベルリンフィル、ルツェルン祝祭管弦楽団、そしてマーラーチェンバーと、アバドとともに、ヨーロッパで輝かしい活躍をしてきたオーボエ奏者である。いまは日本に活動の場を移しているが、マーラーチェンバーの首席であることで、ヨーロッパでの活動も両立している、そんな立ち位置だ。
ひさびさに吉井さんのあの嫋やかなオーボエの音色を聴けるのもとても楽しみである。
演目は、内田光子さんと共演するときはモーツァルトのピアノ協奏曲ですね。
モーツァルトのコンチェルトは、内田光子さんの最高に得意とする十八番でありますので、このコンビでどんな名演が奏でられるのか本当に楽しみです。
この公演が、本年度の自分の海外オーケストラにおける最大のエンターティメント・ショーになります。
けっしてBPO,VPO,RCOに負けていないと思います。(笑)
いま確定しているのは、この3公演のみです。もちろん他にも曽根麻矢子さんのチェンバロ・バッハ無伴奏リサイタルや茂木大輔さんののだめコンサートは予定に入れています。チケットが発売次第、ゲットしたいと思います。
他にもこれは!と思うものは、これからも追加でどんどんゲットしていきたいです。
あと、これはクラシックではありませんが、「演劇の街」下北沢でお芝居、舞台を観劇してきたいと思っています。
下北沢本多劇場です。
この演劇の街 下北沢を代表する下北沢本多劇場をどうしても体験したくて。
いろいろ悩んだ結果、これを観ることにしました。
●カモメよ、そこから銀座は見えるか?
M&Oplaysプロデュースで、岩松了さん作・演出。黒島結菜さんらが出演します。
自分は映画・ドラマはふつうに観ますが、じつはお芝居、舞台というのをほとんど経験したことがないのです。記憶を辿っても渋谷の劇場で観た1回しか覚えていない。
舞台というのは、役者さん、俳優さんのそのままの素が全部観客に見えてしまう勝負の場所のように思います。映画やドラマですと、カメラというフィルタを通して視聴者に届き、その途中の経過でカット割り含め監督、編集者の意図で役者さんたちの演技、見え方に加工をすることもできます。でも舞台は自分そのものがそのままリアルタイムで観客に見えてしまう。そこでの芝居は、まさに役者さん、俳優さんのその人が全部現れてしまう勝負処なんだと思います。だから役者、俳優としての下手さ加減もリアルで露呈してしまう。そういう意味で舞台は難しいし、勝負の場所なんだと思います。
これは何を隠そう、三谷幸喜さんのコラムから拝借したものです。(笑)
自分はそんな舞台を体験してみたく、ぜひ「演劇の街」下北沢の下北沢本多劇場でそれを体験したいと思っているのです。
2020年以降のコロナ禍、そして脳疾患で在宅勤務中心のワークスタイルになりましたが、ふつうに会社のオフィスに通っていたときと比べてなにが1番違うかと言いますと、在宅勤務はほんとうに精神的、体力的にも楽で、会社を休まなくなったこと。
1時間半の満員電車による通勤往復がなくなっただけでも本当に肉体的、精神的にも快適になりました。
在宅勤務ができるかどうかは業種によって違うと思いますが、会議などもWeb会議スタイルになり、PCで資料を共有して見れますし、日本中、世界中どことでも会議をすることが可能になりましたね。会議室でプロジェクターに投影していた時代は、見づらかったですよね。(笑)PC画面に共有はすごく見やすいです。Web会議の普及で、もう国内、海外の出張はあまり必要ないように思います。(でもPC画面を通してでなく、どうしてもリアル対面のほうが、信頼を得やすい、気持ちがグッとくるなどの違いはやはりあります。)
コロナ禍は不幸な出来事でしたが、反面、在宅勤務やWeb会議など働き方改革も一気に加速して進み、世界中ガラ変したと実感します。
反面在宅勤務のデメリットもあります。
自分が一番感じるところは、就業時間と夜のプライベートな時間の切り替えができなくなったことです。通勤で会社が終わったときは、なにせ自分は5時半から男、定時で帰ります男だったので、定時のチャイムと共に、速攻で帰宅する訳ですが、1時間半の電車の中での通勤時間の中で頭が仕事モードからクールダウンしていくんですね。そして家に帰ったら、自分の趣味の世界のお楽しみモードに切り替わり、楽しさ全開。家の中では、自分の世界で楽しんで生きて来れました。
でも在宅勤務になると、そのオンオフの切り替えができないんですね。
就業時間以降でも、頭の中はヘビーな仕事モードがずっと余韻で残っていて、楽しい自分のお楽しみ時間に切り替えできない。結局その日はそのまま過ごすという日が多くなったような気がします。
頭が切り替わるのは、週末のお休みの日になってからですね。
歳のせいなのか分かりませんが、ここ最近、平日は頭の切り替えができなくなりました。クールダウンの時間が昔と比べて長く必要になったんですね。
いろいろ日記で書くことがたくさん溜まっていて、それをなかなか書く気が起こらないのは不幸なことです。先日急用で北海道に緊急帰省したのですが、グルメを始め、そのときの体験記もいろいろ溜まっています。写真がそのまま録りっぱなしの放置状態。
マリクレール フェスティバルもそう。写真撮りっぱなしの放置状態。日記にするには、もうちょっと時間が必要です。
でもイベントは次から次へとやって来て、こなしていくので、日記だけが溜まっていくという感じでしょうか?
在宅勤務の思わぬ罠に嵌って意外な点で苦労しています。(笑)
Englishman in Leipzig [クラシック雑感]
今年の6月、コロナ禍もあって何年ぶりになるのかな?
ライプツィヒ バッハ音楽祭
ライプツィヒ バッハフェスティバル
Bachfest Leipzig
バッハの故郷はいろいろあるけれど、聖トーマス教会でトーマスカントールを長年に渡り務めたドイツ・ライプツィヒで行われるバッハ音楽祭。
間違いなくバッハ音楽祭の中では最高権威の音楽祭である。
コロナ禍で、2020年から開催中止になって、その間、ネット配信での音楽祭という試みはあったにせよ、本当にリアルで音楽祭が開催されるのは、4年ぶりということになるのだろうか?
もういま音楽業界の方々、全員現地に飛ばれて、4年ぶりのリアル音楽祭を堪能されていて、いまもう旬です。(笑)音楽祭も、ここに来てようやく閉幕を迎えようとしている訳ですが、今年の聖トーマス教会でのラスト公演(ロ短調ミサ)は、鈴木雅明&BCJなのだそうです。
すごいですね~。ここ数年のBCJの立ち位置はどんどん上昇していていま最高潮なのではないでしょうか?自分も2014年に、このライプツィヒ バッハ音楽祭行きましたけど、そのときは、ケヴァントハウス大ホールで鈴木雅明&BCJ聴きましたよ。
あれから10年。やはり地道な活動の積み重ねが、そのアーティストの立ち位置を上へ上へと変えるものですね。
さて、そんな4年ぶりのリアル音楽祭となったライプツィヒ・バッハ音楽祭2023。
なんと!!!スティングがギタリストのDominic Millerとともに聖トーマス教会に現れて、この音楽祭のトーマス少年合唱団のコンサートを楽しまれたようだ。そしてひとこと。”バッハは偉大だ!”
Englishman in NewYork ならぬ、Englishman in Leipzigである。
Bachfest LeipzigのFacebookが伝えていた。
聖トーマス教会に眠るバッハのお墓の前で。
コンサートが終わった後に、このバッハのお墓をじかに自分の手で撫でながら、”バッハ、我々はともにファミリーだ!”と思わず呟いたとか。
そうだったのか~。まさに驚きである。でもスティングファンであれば、べつにそんなに驚くことでもない。
スティングは、ロック・ミュージシャンとなる前からバッハには特別の敬意を持っており、それはいままで当人たちの言葉で、いろいろ語り継がれている。
ポリスのギタリストのアンディ・サマーズが自叙伝で言うには、
「スティングと僕が音楽を一緒に始めたころ。共通の接点となったのがクラシックギターだった。彼はクラシックギターのファンで、僕はいくつかの曲を弾けた。だからバッハやヴィラ=ロボスを弾いてくれないかと彼が言ってきたのだ。ロックの世界でこういう音楽が好きな奴はめずらしいので、僕は嬉しかった。ジャンルが違っても音楽を好きな奴をみつけるのは喜ばしい。こうやって僕らの曲の方向性も定まっていった。」
スティングは2009年にDGから、J.S.Bachの無伴奏チェロ組曲第6番の「サラバンド」 “You Only Cross My Mind In Winter” をアルバム「ウィンターズ・ナイト」に入れている。
この「ウィンターズナイト」というアルバムでは、クラシックの原曲が3曲も入っている。それもベートーヴェン、ショパン、ラフマニノフといった耳あたりのいい曲ではなく、ヘンリー・パーセルの歌劇「アーサー王」から「コールドソング」を、シューベルトの歌曲集「冬の旅」から あろうことか「辻音楽師」(Huedy-Gurdy Man)を、さらに J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲第6番から「サラバンド」(You Only Cross My Mind In Winter)をセレクトするという、スティングの選曲センスったら やはり普通じゃないないよね、という感じである。
スティングのアルバムがDGから出ること自体驚きだが、初回は、2006年のイングランドのジョン・ダウランドの歌曲集を出したことに発すると記憶する。これは日記にも書いたし、松本市音楽文化ホールで、川本嘉子&吉野直子デュオ・リサイタルで演奏もされ拝聴した。
スティングはもともとクラシックに造詣が深いアーティストなのだ。
スティングの音楽的ルーツが イギリス北部の出身と判るようなアプローチをすることも多く、もはやポップスでもロックでもなく、クラシック的要素もトラディショナル・フォーク的な要素も ジャズをも兼ね備えた、何か新しい音楽を創造したい、という考えにどんどん変わっていった、というように認識している。
まっいろいろ研究熱心でいろいろ考え抜くタイプの彼らしいと言えば彼らしいよね。
マンネリ、単調というのは彼が一番嫌うところではないかな。
音楽は最初の8小節を聴いて、驚きがなかったら、それでお終い。つまらい音楽である。。と言い切る人だからね。
そのためにはクラシックをはじめ、いろいろな音楽の要素を勉強し、自分の音楽に取り入れてきた。そういう音楽人生じゃなかったのかな?スティングのソロ時代というのは。
でもファンって単純だから、自分みたいな単細胞は、じつはやはりロックをやっていたポリスの時代が一番好きだったりする。(笑)
ファンなんて、そんなもんだ。
だからスティングはクラシック音楽に対して素養もあるし、また敬意も表している。とくにバッハについてはかなりの親交を表明していたインタビューも読んだことがある。
だから今回のライプツィヒ音楽祭参加のニュースはなんら驚かないし、すごく自然の流れだと思っている。
でもやっぱり嬉しいね。
ライプツィヒ・バッハ音楽祭、自分は2014年に行ったのですが、いまでも鮮明に覚えています。聖トーマス教会、聖ニコライ教会、ケヴァントハウス大ホール・小ホール、ドレスデン・ゼンパーオパー(ザクセン州立歌劇場)廻りましたよ~。
本場のカンタータ礼拝を体験して、モテットというのも体験しました。
これはやはり現地の宗教というか信仰という色合いが強いような気がしました。
やはり地元民の生活と密着しているんですよ。礼拝とか、毎週末のお祈りとか。
そういうお祈り、礼拝の中にカンタータという音楽が流れる。
だからバッハのカンタータというと特別なクラシック音楽なのではなく、ライプツィヒ市民にとっては、毎日、毎週末、教会でお祈り、礼拝する中で自然と耳にする音楽なのであって、別にそんな特別なものじゃなく日常的なものである。
だからバッハのカンタータを聴くなら、やはり現地の教会の礼拝で聴くべきである。
・・・・・・
なんかこんな感じではなかったでしょうか?(笑)
あれから10年も経過しているのに、まったく記憶が衰えることなく、完璧に覚えていますね。(笑)
それだけ自分にとって、新鮮だったのでしょう。
いまはヨーロッパはシュパーゲルの季節。
食べたいです~。
自分が2014年にライプツィヒ・バッハ音楽祭を訪れたとき、自分が撮影した写真を、懐かしいあの頃よ、もう一度!で再掲載しますね。今後もう一回この音楽祭に行くことはあるのでしょうか・・・。(笑)
●バッハフェスティバル No.54 @聖トーマス教会
●バッハフェスティバル No.46 @聖ニコライ教会
ARK HiLLS CAFE [カフェ]
サントリーホールのカラヤン広場のスペイン坂入り口のところにとても魅かれるカフェが昔からあった。サントリーホールのコンサートに行くたびにいつかは入ってみようとずっと思って早5年。(笑)
ちょっとカフェに入るだけなのに、なんでこんなに時間がかかったのか。。。外観がすごく洗練されていてお洒落で店内も外から見た感じでは、とても雰囲気良さそうなカフェで、自分の感性にピッタリだった。
いかにも赤坂の一等地の雰囲気に合う感じで、ずっと気になっていたカフェで、その都度つぶやきでいつか入ってみよう、と何回呟いたことか。(笑)
先日ようやく実現できた。
ARK HiLLS CAFE(アークヒルズカフェ)である。
閉店が夜の9時なので、終演後じゃ無理なんだよね。
だから開演前でないといけない。それがなかなか入れなかった理由かもしれない。終演後はお腹もすいているから、ホールのすぐそばで腹ごしらえというのもできたであろうしね。
ARK HiLLS CAFEは自分が想像していた以上に素敵なカフェであった。
古材を使った質感ある内装・家具と広々した空間で、ちょっとクラシックな雰囲気がする空間で、これだけのスペース感、空間があると気持ち的にゆとりが出てくる。そして木材のブラウン系の色調が人間の五感に優しいというかホッとする感じで、それがインテリア的にも全体の調和としてマッチしていて雰囲気があってとても素敵である。
やっぱりいいカフェだった~。
こんなソファで寛げるところもあるんですよね。
これは会計カウンターです。おしゃれ~。
赤坂というお洒落で高級志向のエリアらしい装いである。
5年ぶりにようやく夢が実現できたことだし、これで雰囲気良かったです~、コーヒー、モーニング美味しかったです~、じゃそれで終わってしまうだろう。(笑)
もうちょっといろいろ調べてみてこのカフェのことをいろいろ知ってみたい。
このARK HiLLS CAFEというのは、Culture Of Living 文化のある豊かな暮らし、「文化」+「日常」をコンセプトとして掲げている。「アークヒルズカフェは、地域の皆様の日常生活に身近で、コミュニティの中心になるようなお店をめざしています。」
・アークヒルズカフェは、単に飲食を提供するだけではなく、地域の皆様の日常生活に身近で、毎日の暮らしをちょっと楽しく、豊かにするようなカフェ、地域の皆様にとって「自分らしい時間が過ごせる場所:Third Place」として活用していただきたいと考えています。
・私たちは、カフェスタッフと地域の皆様との会話・コミュニケーションを非常に大切に考えています。また、周辺の企業や大使館の方などと積極的に交流・連携し、カフェをメディアとして活用していただくことで、カフェを中心として様々な情報が集まり、発信されていくような、「コミュニティをつなぐ結節点:HUB(ハブ)」を目指しています。
・ヒルズマルシェだけでなく、アークヒルズでのイベントや様々な地域活動にカフェが積極的に参加することで、地域コミュニティの想像や活性化などに寄与することを大切に考えています。
・・・ということだそうである。
これは一個人経営のカフェというよりは、もうちょっとコンセプチャルな企業体のような臭覚がするので、もう少し掘り下げて調べてみると、事業主体は、株式会社ダブリューズカンパニーという企業で、こんなことを目指している会社のようだ。
事業協力は、森ビルである。
株式会社ダブリューズカンパニー
①街にとって欠かせない「CAFE」の創造。Cafe
私たちの店づくりは、立地特性や、そこに住む人のライフスタイルを見極め、その街に合ったカフェのコンセプトを導き出すことから始まります。その街の人が求めるサービスやお食事を日々提供することにより、街にとって欠かせないカフェを創造することができます。そんなカフェをサードプレイスとして利用するために地域の人が集まってくるようになると、カフェはそれぞれの人の活動の拠点として機能しはじめるようになります。コミュニティのハブとしてのカフェになるのです。
②地域の為に、社会のためにカフェができること。Local Support
コミュニティのハブとしてカフェが機能しはじめると、ローカルサポートが本格化します。その街に息づく文化と特性を活かし、マルシェやワークショップの開催、地域行事への参加などを行います。地域の方々との関わりあいから賑わいを創出し、地域活性化のサポートへ繋げます。
③働き、学び、遊ぶ。カフェが自ら発信するライフスタイルの形。Event
カフェが中心になって様々なライフスタイルに関わる活動を積極的に行い、その情報を発信します。音楽や映画、自転車やクルマ、アウトドアやスポーツなどのイベントをカフェが発信して行います。人々の生活に彩りを与え、街の魅力を一層引き立てることになります。
なんか、スゴくね?(笑)
この3つの考え方・コンセプトをもとに活動している会社のようで、カフェを単純にドリンク、お菓子類を提供する休憩所なんていう古臭い考え方をしていたら怒られるような、本当に理想のカフェとはなんなのか、そのことを志向性のある一流の方々によって考えられて経営されている会社なんでしょうね。
じゃないとカフェを①、②、③の3本柱で考えていくというようなコンセプチャルな考え方はなかなかできないような気がする。
こんなド素人なことを言っては怒られるかもしれないけど、カフェでここまで深く考えるか!と驚いてしまう。
特に①と②は実際肌身に感じて、彼らがやりたいことということはそうなんだろうな、と実感してしまう。
①の立地条件やそこに住む人たちのライフスタイルに合うカフェを作っていく。
これはまさに赤坂の一等地で、アークヒルズのカラヤン広場に合うスタイルのカフェということで、このような素敵な内装空間のカフェを設計したんでしょうね。彼らはまずそこからどんなカフェを作りたいのか考える。そういう会社なんですよ。カフェに命かけてる。
こういう①の考え方で、この株式会社ダブリューズカンパニーが設計したカフェは、この赤坂のARK HiLLS CAFEの他に、
TREX CHIGASAKI OCEAN CAFE (神奈川県茅ケ崎)
TREX KAWASAKI RIVER CAFE (神奈川県川崎)
KAITEKI CAFE (東京都千代田区大手町)
の3店舗あるみたいで、HPに掲載されている写真を見ると、どの店舗も内装はやはり高級志向で素敵な空間だ。やっぱり都内の高級一等地向けのカフェなのでしょうか?(笑)
②で自分が実感するのは、マルシェである。
マルシェというのは、よく使われる言葉でよく聞く言葉だと思うのだが、意外やその正しい意味を知っている人は少ないかもしれない。自分もいままでそのまま素通りで来ていた。
ところが先日、かねての日記の通り自由が丘南口のマリ・クレール通りで毎年5月下旬に開催されるフェスで、マリクレールフェスティバルというお祭りがあって、毎年病院の帰りにそこに偶然通りかかり、あ~また今年もやっているな~という感じだったのだが、今年はちょっと最初から日記にするべく気合を入れてこのフェスに行ってみよう!と気合が入っていた。
そのときに自分が遭遇したサプライズは、毎年マリクレール フェスティバルというのは、あくまで自由が丘南口のマリ・クレール通り、九品仏川縁道のお祭り、そこでのみ開催される、つまり自由が丘南口商店街が主催する自由が丘南口のためのお祭りなのに対し、今年は、なんと!自由が丘北口にも大きく店舗が増設されて、自由が丘南口だけでなく、北口も含めた”自由が丘マルシェ”JIYUGAOKA Marche”として自由が丘全体としてのお祭り、フェスティバルとなっていたのだ。
自分は最初じっさい自由が丘に行ったときはそのことをよく理解できていなかったのであるが、後日自由が丘南口商店街に問い合わせて聞いたところ、そういうことだった。いままではずっと南口だけのお祭りで、こうやって自由が丘マルシェとして自由が丘全体のお祭りとなったのは、長い歴史の中で今年が初めてだそうである。
なんという歴史の転換期に遭遇できたのか!
我ながら大感動である。今年のマリクレール フェスティバルは、例年と違いちょっと気合を入れようと思っていたら、想像以上のサプライズが待っていた。
南口の南口商店会の「マリクレールフェスティバル」の規模を拡大する形で、自由が丘ひかり街、旭会、自由が丘広小路会・しらかば通り会を加えた計5商店街がエリアごとに自由が丘の街の魅力を発信していく。自由が丘南口商店街はもちろんのこと、北口についても自由が丘商店街振興組合とか、いろいろなところがジョイントしてやっていたお祭りだったのだ。
今年から将来に向けて、自由が丘マルシェ、自由が丘全体のお祭りとして開催されていくことになり、南口のマリクレール フェスティバルはその中に含まれることになる。南口だけのマリクレール フェスティバルだったのが、今後は自由が丘全体の自由が丘マルシェ(JIYUGAOKA Marche)として生まれ変わるのだ。
そして驚きは、この自由が丘マルシェ、秋にも開催される予定だそうだ。
このときに、自分は初めて、マルシェ(Marche)という言葉を意識した。
記念すべき自由が丘の北口と南口が協力団結して、自由が丘全体のフェスとした”自由が丘マルシェ(JIYUGAOKA Marche)。
マルシェってなに?・・・である。
調べてみると、
マルシェとは、「市場」を指すフランス語。 フランスでは、市民が食材や雑貨などの日常の買い物をする場所として定着している。 日本ではイベント的に開催されていることが多く、規模もフランスのマルシェよりは小さめであることが多い。 売られている商品が食材や雑貨が多い点は、フランスのマルシェと共通している。
・・・とのことであった。
そっかー。わかったぞー。フランスなどで食材、雑貨を調達するちょっとした出店というかそんな感じですね。
フランスにはよくありますね。見かけますね。
でも日本だとイベントという感じですね。
だからテントで臨時に出店して、いろいろな雑貨、食材を出すイベント。そのことを日本ではマルシェと呼んでいるのです。
だから、まさに自由が丘マルシェなのです。
ようやくこの歳になってマルシェの意味がわかった~。(笑)
自由が丘マルシェ、南口のマリクレール フェスティバルの模様は、また別途日記で紹介しますので楽しみにしていてください。
さて、そこで本題に戻ろう。(長い前振りでした。。笑笑)
アークヒルズのカラヤン広場ではマルシェを毎週土曜日に開催しているのである。
いわゆるヒルズマルシェである。
サントリーホールに行ったことのある人であれば、かならず遭遇したことがあると思うのだが、あのカラヤン広場で、いろいろテントが張られ、臨時でいろいろな食材や雑貨など販売するイベントが開催されていることはよくご存じだと思う。
自分も数えきれないくらい遭遇してきた。
あれがヒルズマルシェである。
ヒルズマルシェとは、毎月土曜日に東京都港区にある「アークヒルズアーク・カラヤン広場」において開催される地元でも有名なイベントである。会場はまるでヨーロッパの市場のような雰囲気につつまれており、訪れた人たちで賑わいを見せている。
このイベントはでは採れたての新鮮な野菜や果物をはじめワインや雑貨など色々な物が販売されたりする。最寄りの「六本木一丁目駅」からのアクセスもよく、地元の人たちはもちろん都内外からの観光客で賑わう人気のイベントなのだ。
おーーー、知ってる、知ってる、である。(笑)
それがこのエリアにカフェを作ろうとした株式会社ダブリューズカンパニーの狙いなのではないかと思うのである。
このカラヤン広場で開催されるヒルズマルシェの存在を知り、ここにカフェを作ろう!
そして②の地域の為に、社会のためにカフェができること。Local Support。コミュニティのハブとしてカフェが機能しはじめると、ローカルサポートが本格化します。その街に息づく文化と特性を活かし、マルシェやワークショップの開催、地域行事への参加などを行います。地域の方々との関わりあいから賑わいを創出し、地域活性化のサポートへ繋げます。
・・・ということなんだろうなぁと思い直しました。
そのためにARK HiLLS CAFEはこの地、このエリアにあるのである。
う~む・・・おそるべく株式会社ダブリューズカンパニーの狙い。彼らは只者ではないかもしれない。本当に彼らが掲げる3つのコンセプトに伴い、カフェを設計していき、ビジネスを運営しているのだ。
理想のカフェとは?
それを追求しているのである。
ARK HiLLS CAFEはお洒落な素敵なカフェ・・・だけでは済まない恐ろしい実態が見えてきました。(笑)
実際、ARK HiLLS CAFEは、このヒルズマルシェに出店されているようです。有言実行!!!
そして最後の③であるが、イベントという括りでは、いろいろ広いと思うのだが、まずは身近なところで、このARK HiLLS CAFEでは店舗貸し切りでライブや演奏会などが開催されているようです。
これもカフェとイベントを結び付ける③のコンセプトの一環なのでしょうね。
素晴らしいことです。
もちろんライブだけでなく、結婚式祝賀会とかの会場としての利用も可能だとか。マルチユースなんですね。
ちょっと気になるカフェだったARK HiLLS CAFEですが、おそるべく実態が見えてきたところで、最後に肝心のお料理に行きましょうね。
自分が行ったときは、時間帯もあってモーニングの時間だったので、モーニングにしました。
とてもボリューミーで、美味しいモーニングでした。コーヒーも美味しかったです。ARK HiLLS CAFEでは軽食だけでなく、結構本格的なディナーなんかも楽しめるようです。
フレンチですかね?
ちょっとFacebookからそのお料理のお写真を拝借して紹介しますね。
どれもすごく手の込んだ一流の料理のような感じです。美味しそうです。
お値段なのですが、やはりちょっとお高めかな~という感じ。
これは仕方がないですかね。
でも、ARK HiLLS CAFE。
とても素敵なカフェであることがよくわかりました。
今後は、サントリーホールのコンサートがある日は、早めに乗り込んで、このカフェで時間つぶしをしましょうかね。
ちなみに、このARK HiLLS CAFEを初めて体験しに行った日は土曜日でしたので、カラヤン広場はヒルズマルシェですごい賑わっていました。
あ~やってる、やってる~という感じです。
ARK HiLLS CAFE
JASRAC GDSDX [技術]
Just FYIということで。
以前、”DX時代のコンサートホール”という日記でいろいろシステマティックに考えたこともあって、そのときに権利処理機関の部分は一番大事で、いかに権利者、クリエイターに利益をきちんと分配してあげることが、これからの配信時代にmandatory taskだということを思ったのだけど、JASRACはお役所なのでサーバー機能を立ち上げ、運営することなどできるはずなし(笑)、ということで、困ったものだな~という話にもなった。
でもJASRACはJASRACで、やはり彼らのもっとも得意な分野、一番大事な分野で、いろいろな戦略を考えているようだ。
JASRAC NEWSで知りました。
日本のデジタル配信コンテンツ(動画や音声)って、世界の配信の標準プラットフォーム(YouTube,Apple,Spotify,TikTokなど)で、ほんとうに日本だけでなく海外でも再生されているわけだけど、それをどうやって権利処理しているのか疑問だったのだが、日本にはJASRACという権利団体がいるように、世界各国にそういう権利団体がいるようなんですね。(でも、それはふつうに考えればあたりまえのことですよね。。笑笑)
例えば、JASRACが管理している楽曲が海外で利用された場合、各国の各地の管理団体が配信事業者から使用料の支払いを受けJASRACに使用料を送金、JASRACが国内のクリエイター・権利者へ使用料を分配しているのだそうだ。
いわゆる二段構えですね。
外国からJASRACへの使用料送金額は、2022年度実績で18.9億円となり、コロナ前の2019年度比で約3倍となったそう。いかに海外で日本コンテンツがネット上で再生されるようになったか、ということが昨今急激に伸びているか、ということです。
音楽サブスクリプションや動画配信サービスでは膨大な楽曲を利用するので、その使用料分配するにあたって、その楽曲の特定をすることが1番大事な課題になるそうだ。
配信分野では、JASRACのISRCコードとメタデータの活用で、JASRACにおける楽曲特定率は音楽サブスクリプションにおいて95.3%(2022年度)にまでなっているとか。
ところが、問題点として、
楽曲特定に関する課題のうち、特に自国の楽曲が海外で利用される場合、現地には音源情報(ISRC)に関連付けられる楽曲情報がないことが多く、また、タイトルが現地語表記に変換されることで、独自の文字体系を持つアジア地域での利用においてメタデータによる特定が困難。
これが問題で、これをなんとかクリアできないか。そしてこの分野でワールドワイドなPF(Platform)を作れないか?
それで、今回JASRACが立ち上げたビジネスというのが、GDSDX。
GDSDXは、各配信事業者(DSP=Digital Contents Service Provider)からJASRACなどの著作権管理団体に報告される情報のうち、
①各配信事業者が配信するコンテンツ(楽曲や動画)ごとに作成しているユニークコード(「配信楽曲ID」)
②音源情報(ISRC)をキーとして、各著作権管理団体の管理楽曲の情報
を関連付けたデータベースのことをいうらしい。
JASRACにとっては、日本の楽曲が海外で使用されているのをきちんと特定したい訳で、そのためのコンテンツ管理をきちんとやりたい、ということなんでしょうね。コンテンツIDを世界共通の配信コンテンツIDにする、その配信コンテンツIDとISRCコードをきちんと紐づけしたい。
要は、海外での使用になると、日本のコンテンツの場合、海外には音源情報(ISRC)に関連付けられる楽曲情報がきちんと存在しないことが多いので、それを打破すべく、あらかじめGDSDXのほうで、その紐づけをやっておくから、国内のみならず海外でも配信サービスをやる場合、このGDSDXのDBから配信コンテンツID,ISRCコードとの紐づけ、メタデータなどを入手してね、ということなのかな、と理解しました。
これは、いかにもJASRACらしい、というか、まさにJASRACがやらないといけないことだと思うので、これはさすがに適任だと思いました。
お役所機関ってバカにして申し訳なかったです。(笑)
この図を見てもわかるように、CISACというアジア太平洋委員会に所属するアジアの国々は、
FILSCAP フィリピン
KOMCA 韓国
WAMI インドネシア
MUST 台湾
JASRAC 日本
というように各国に日本のJASRACのような権利団体があるんですね。
GDSDXというのは、どこの国の配信プラットフォームでも、世界共通の配信コンテンツIDを使い、日本のISRCコードとの紐づけができる。それは日本のコンテンツだけではなく、アジア全体のCISACデータベースとも紐づけるようにする。
日本のコンテンツのメタデータはアジア各国では、その国での配信運用では、その国の言語で書かれていることも多く、それとISRCコードがきちんと紐づけできるように。
そのようにコンテンツ管理を世界中で一元化した上でアジアの各国の権利団体が、GDSDXからそのデータをダウンロードして、その権利団体経由で各世界の配信プラットフォームで使ってもらう。。。
そのように自分はこのブロック図から読めるんですよね。
だから自分が、DX時代のコンサートホールで、第三者機関(クリアリングハウス)としていたものは、、もちろん各国にそれぞれあるのだけれど、そこで使われるコンテンツ管理は、一元管理でアジア共通、世界共通にすることで、国を跨いだ権利管理がめちゃめちゃ統一性がでてきて収益管理がしやすくなる、ということなのかなぁと思ってます。
それをお助けするのがJASRACが開発したGDSDXというシステムなんだと思います。いままでの配信システム、考え方にアドオンする感じですね。
確かにクリアリングハウスは世界中にあって、配信事業者が管理するコンテンツIDもバラバラ。これをどうやって日本のコンテンツについて日本のクリエーターに権利分配すればいいのか、は一番の課題で考えるのも大変だったからそれまでとしましたけど、すごい前進の素晴らしい統一規格、統一システム案のように思います。
ただ、”DX時代のコンサートホール”で言及していた第三者機関(クリアリングハウス)と、このJASRACをはじめとする各国の権利団体は、必ずしもイコールではないですね。顧客管理部、コンテンツ管理部、課金処理部、メタデータ管理部、暗号鍵管理部、個人嗜好解析管理部。この配信サービスに直接紐づいているこの部分は、直接はJASRACのような権利団体がやっている訳ではないですね。
ここはやはり各国の各配信事業者が自前で持っている部分ですね。各配信サービスに紐づいている内容なので。ここまではJASRACのような権利団体が管理しきれない部分だと思うので、あくまで権利団体が管理できるのは、その配信サービスで上げた収益をどのように、各権利者に正当に利益分配するか、というところ。
配信コンテンツそのものは管理しないように想像します。
あくまで配信コンテンツIDとメタデータ、著作権管理コードとの紐づけ。
ここだけを管理する。
各配信事業者が持っている第三者機関(クリアリングハウス)は、その事業であげた収益は計算するけど、それを各権利者に利益分配するのはJASRACのような権利団体の仕事、というところでしょうか。
ここですね。
配信コンテンツIDとメタデータ、ISRCコード、CISACのISWCコードと、いわゆるコンテンツ・マネジメントの部分はきちんとJASRACのような権利団体がちゃんと管理下に置いておきたい。マネジメントしておきたい。世界の配信サービスで使われるにしろ、共通のルール化にしておきたい。
そういう意味なのだと自分は理解しました。
JASRACやるな~という感じです。
コンテンツ管理というJASRACが一番得意な分野で、そのいままで痒かったところを解決しようということなのだと思います。
配信コンテンツIDとか、メタデータとか、ISRCコードとかは、やはり各国の事業ベースでやるもんでなく、もっと大元の機関が一元管理するべきものですよね。
そういう点ではJASRACが適任なのかもしれない。
各地でタイトルが現地表記に変換されるなどしても、GDSDXを通じて的確に楽曲を特定できるようになる。さらに、CISAC内で共有しているISWC(International Standard Musical Work Code/国際標準音楽作品コード)や作品届(権利者から著作権管理団体に届けられる資料)のデータとも関連付けが行われる。。。
具体的なイメージとしては、こんな感じだそうですよ。
鬼滅の刃をアジア各国で配信するとなった場合、配信コンテンツIDは共通で、メタデータは各々の国の言語で、でもISRCコードやISWCコードはちゃんと紐づいている。こうすることで、どこの国の配信プラットフォームで配信されても、きちんと日本のクリエーターに権利分配される仕組みですね。
要はいかに楽曲の特定をするか。
ここです。
やりましたね~~~。
JASRACさすがです!!!
本当に現実問題うまくいくかどうかは別問題ですが。(笑)
このJASRACが管理するのは、楽曲だけでしょうか?ストリーミングは、音楽配信だけでなく動画配信もありますね。映像と音声の両方のコンテンツにこのような運用が欲しいですね。
でも楽曲は、昔からISRCコードという著作権管理コードが日本にはあってそれを紐づけることで特定に利用している訳ですが、動画の場合はどうなんでしょうね。でもいままでパッケージメディアで映画作品という映像の著作物が長年に渡って発売されてきている訳ですから同じことですよね。さらには動画配信という分野でも、現に今でもAmazon Prime VideoとかNetfilxなど映像の著作物の配信は真っ盛りですから、映像コンテンツ専用の著作権管理コードありますね、きっと。
あるいは、ISRCコードって動画でも使えるの?
であれば、音楽配信も動画配信も、このGDSDX使えますね。
クラシック音楽のライブストリーミングもこの仕組みに乗れるようになるといいですね。
演奏会のライブストリーミング自体が、いわゆる楽曲と同じコンテンツという扱いになるところからスタートしますね。たとえば、あるオーケストラ楽団のライブストリーミングは、その楽団が権利者、コンテンツプロバイダ。そしてそれには世界共通の配信コンテンツIDが付与され、ISRCコードのような著作権管理コードと紐づけられる。(それはGDSDXの中のDBの中にある。)そして世界各国の表記にあったメタデータ。
これをGDSDXのほうで用意してやって、アジア、世界の各国の権利団体がそこからダウンロードして、その配信コンテンツID、メタデータ、著作権管理コードとの紐づけを入手して、世界の各々の配信サービスで利用する。
そうすることで、あとでJASRACは権利処理、各権利者の権利分配しやすいようになるということですね。
大発明だと思います。
自分は、このニュースでなにが一番感動したかと言うと、コンテンツIDを世界共通にするというところです。本当に何気ないことなんだけど、これは大きいと思うな~。またコンテンツIDを世界共通にすることの難しさ。コンテンツIDは、絶対各配信事業者ごとに異なるのが常で、これを横軸、串刺しで全部どこの配信サービスでも共通のコンテンツIDを使うようになる、ということは、これはすごい画期的なことなんですよ。
すごい地味なことなんだけど、一番大事なところ。
長年この世界を見てきた人間にとって、ここのポイントはすごく感銘せざるを得ませんでした。
世界中のどんなたくさんの配信プラットフォームを流れていても、じつはそのコンテンツに割り振られているコンテンツIDは、世界でユニークに決まっている、というのが理想なのです。でもそれを実際、実現することはすごい難しいことなのです。
最近、生成AIは、大きな潮流となっていますが、”生成AIと著作権”、世界各国の動きなど、いつも毎日ウォッチしています。生成AIは知的財産権としては大変大きな節目ですので、重要です。生成AIの登場で、日本のドル箱ビジネスであるアニメとかのクリエーターが軒並み失業してしまいます。ここのところのガイドライン制定はとても急務だと思っています。
技術の流れは本当に速くて、つねに世界の動向、日本の動向をチェックしておくことは、技術の世界に携わる人間にとって最低限のマナーですね。
でも本当に毎日速くて大変です。(笑)
JASRACのGDSDXの情報元はこちらです。
JASRAC NEWS
東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経 そのに [寺院・仏閣]
この坐禅・精進料理・写経のイベントをご指導していただけるのが、禅僧の宇野全智(うのぜんち)さん。
曹洞宗総合研究センターの常任研究員として、坐禅会や講演会、写経会などを通してわかりやすく禅の教えを伝えている。本当に全国つつがなく、いろいろなところに出向いては、いろいろ貴重な法話などをして、坐禅、精進料理、写経の教えをいろいろ布教なされているようです。今日はここと思ったら、明日は地方のあそこなど全国を忙しく回われていてすごい忙しいと言っておられました。
当然自分は会場一番乗りですので、宇野ご住職とサシでお話できました。横浜に住んでいる。東横線でやって来た。朝4時半起きで大変だった。その中に坐禅は組まれたことはありますか?というご質問がありましたので、え~北鎌倉の建長寺で体験したことがあります。
そうすると教えてくれました。
坐禅にも流派があるんですよね。
いわゆる北鎌倉の建長寺は臨済宗なので、臨済宗の坐禅というのは、ふつうにこのような感じでの坐禅になります。道場に対して、ご住職と対面しながら坐禅を組むといいますか・・・
それに対して、ここ曹洞宗の坐禅というのは、みんな壁に向かって坐るんですね。これが曹洞宗の坐禅なのだそうです。
この臨済宗と曹洞宗の坐禅の違いについて宇野ご住職は教えてくれました。
北鎌倉の建長寺ということは臨済宗での坐禅ですね・・・という感じです。
そこまでお話していたら、どんどん参加者がやって来たので、サシでの会話はそれでお終いでした。
宇野ご住職は、見た目もハンサムなイケメンさんで、やはり法話がお上手というか、話が非常に活舌がよくて、発音もしっかりしていて、声がよく通る。この仕事で全国を駆け巡っているだけあって、やはり慣れているというか、まさにこのイベントは天職のような感じさえお見受けしました。
法話というのは、ご住職さんが、我々に対してお話していただける非常に人生にためになるお話、教えのことをいいます。ご住職さんの法話を聞けるだけで、お金を払っているんだ、という有難みが感じられますね。それだけ心に刺さりますし、勇気をもらうことも多いです。
写真タイムはかなりフリーで自由でした。お写真を撮る方は、カメラを同伴されてくださいね、と仰っていただける。写真タイムということで、その都度時間を取ってもらえましたし、かなり自由でした。ほかのお客さんのお顔が映らなければなんでもOKです。
これが会場となった、「東京グランドホテル」内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」です。正確にはここにはもともと曹洞宗の本部があった訳で、そのときから修行道場があったわけですが、東京グランドホテルとなってからもこの修行道場はそのまま残されて、ここで坐禅、精進料理、写経などのイベントをやる訳ですね。それがここ「微笑庵」なのです。
そんなに極端に大広間という訳ではなく大体横長の20畳くらいのスペースでしょうか?2部屋が連なっており、両部屋とも畳敷で、1部屋は坐禅に使い、もう1部屋は、テーブルがロの字で置いてあり、そこで精進料理をいただいたり、写経をしたりする部屋になっています。
この修行道場の旗頭といっていい掛け軸もあります。
日本の美意識の感覚って、やはりこの庭、庭園の造りにありますね。ここに日本人としてのわびさびの美しさを感じますね。
この修行道場「微笑庵」は、ホテルの5階にあるのですが、5階といったら高いところにある訳でその制約条件の中でこのような格式の高い庭を実現できるのはすごいと思いますね。
さて、参加メンバーは10名程度の満員御礼です。男性もいましたが、女性が多かったかな?このシリーズ大変人気だそうで、毎回満員で、結構待たないといけないようですよ。
最初に坐禅です。
これも最初に宇野ご住職とサシでお話出来たときに知ったのですが、坐禅を組むときのお尻の下に敷くいわゆる坐禅用の座布団、いわゆる坐蒲(ざふ)。
これも臨済宗と曹洞宗では違います。
臨済宗では、長方形の座布団で、それをふたつに折り曲げて、お尻の下に敷く。これが臨済宗流派です。でも曹洞宗は違うんですよね。写真を取り損ねましたが、曹洞宗の坐蒲(ざふ)は小さくて丸いのです。
宇野ご住職は法話も兼ねて、坐禅の組み方や、心構えなどをじつに流暢に説明してくれます。
北鎌倉の建長寺の坐禅会では、無料で一般の市民が自由に坐禅ができるように、というざっくばらんなものだったので、そんなに丁寧には教えてくれませんでしたが、こちら曹洞宗の坐禅のほうでは、有料でお金をいただいている、ということもあり、坐禅の基本からじつに丁寧に教えてくれました。
坐禅の基本は、お尻ごとドテって坐るんじゃなくて、お尻の座骨の部分で座り、姿勢をよくして座骨ひとつで体を支えていく感じで、そこが決まればその上に背骨が乗っかり、その上に頭が乗っかる。。。どんどん座骨の上に上乗せしていく感じなんだ、と教えてくれました。
そして坐禅の真髄は、”調う(ととのう)”。
この一語がすべてを表すキーワードのような気がします。
呼吸をゆったり長めにとって、身体、気持ちを整う。
自分は北鎌倉の建長寺の坐禅会のときに、坐禅って難しいな~と思ったのは、坐禅を組んでいる間、それは30分、1時間なのかもしれませんが、心を”無”にすることの難しさです。それだけの時間、なにも考えずに”無”になることって意外や難しんですよね。
かならず邪念が入ります。
いろいろなことが頭の中を過ります。思い出したりします。かならずなにかを考えちゃんですよね。
宇野ご住職の教えでは、あまり”無”になることを意識せずに、外から入ってくるものはそのままそれを受け入れて、それを外に受け流す、ありのまま、ということでしたでしょうか・・・。耳から入ってくる音は、それは~の音なんだな~とそのまま受け流す。それが大事なことだと仰っていました。
今回の坐禅は、時間的にはたった5分くらいの時間だったんですが、なんかすごい時間が経ったような気がしました。建長寺のとき、30分とか1時間とか、よくできたな、と思います。(笑)
今回の坐禅では、警策(きょうさく)はありませんでした。希望者のみ、会が終わった後に独自でやっていただけたようです。
警策(きょうさく)というのは、この弛んだところをお坊さんにバシッと喝を入れてもらうことをいいます。坐禅というとふつうかならずつきもの、というかこれを思い出しますよね。
坐禅が終わりますと、隣の部屋に移って、精進料理です。
これがじつは一番楽しみでした。坐禅、写経は経験あるのですが、精進料理は初めての体験です。
なんでも食べることは楽しみですね。(笑)
今回いただく精進料理は、朝粥です。
修行道場では本来、朝粥・胡麻塩・漬物だけだそうですが、今回は季節の食材を使った精進おかず3品が付きます。
こんな感じでした。お盆が漆塗りのすごい高級なものを使っているような気がします。
ここでまた宇野ご住職のいろいろな教えがあります。まず食器の説明。食器はちょっと一般家庭の食器と違っていて、蓋からなにから重ね合わせして1つにして収まる省スペースな造りになっています。
そしてお寺での精進料理の食べ方の作法ですね。お箸のおき方であるとか、朝粥のお替りの仕方の作法であるとか。。。いろいろです。お粥はしゃもじで食べます。3品はお箸で食べます。
食べ終わったら、そのまま食器をそこに残していく、ではダメなんですね。それじゃお寺じゃないです。(笑)俗世間になってしまいます。
お寺では、食べ終わった後、自分で自分の食器を洗わないといけません。それは台所で洗うという意味ではありません。その自分の座席で洗わないといけないのです。食べ終わった後、お給仕さんがお湯を持ってきてくれて、食べ終わった後の茶碗にお湯を注いでくれます。それを食器洗う専用のブラシがあって、それで丁寧にお湯を使いながら食器を拭って洗うのです。そうして、それを全部のお皿でやって、重ね合わせてひとつにまとめて、元に戻す。
これがお寺の作法です。自分で食べたものは、自分で洗い、自分の座席でそれをやるということです。
今回は、その食器を洗う専用のブラシは使えなかったので、お漬物のたくわんで注がれたお湯でお茶碗を拭うという作業をしました。
今回の精進料理を食べるにあたって、とても大切な教えを教えていただきました。
それが
「五観の偈」(ごかんのげ)
です。
「五観の偈」を学び、朝粥をいただくのです。
この次にある写経でも結局この「五観の偈」(ごかんのげ)を筆ペンでなぞりました。
修行生活では、食事を作ること、そして頂くことをとても大切な修行と考えます。そして「五観の偈」(ごかんのげ)には、食事をいただく側の心構えが簡潔に説かれているのです。
禅の修行では、食事の前にこの「五観の偈」を唱えますが、短いお唱えごとですので、ぜひ普段の食事の前にもお唱えするようにしましょう、とのことです。
簡単に言うと、「五観の偈」(ごかんのげ)というのは、いまこうやって食事をとれるのは、どれだけの人たちがこの目の前にあるお膳に関わってきたかその有難みに感謝しつつ、ありがたくいただきましょうというような内容です。
「五観の偈」(ごかんのげ)
・ひとつには。功の多少を計り、彼の来所処を量る。
(この食事がここに車で、いかに多くの人々の手間や苦労があったのかに、深く思いを巡らせます。)
・ふたつには己が徳行の。全欠を忖って供に応ず。
(この食事をいただくに値するほどの正しいふるまいや、世のための人のために役立つような行いをしているかどうか、自分自身の行いを振り返ります。)
・みつには心を防ぎ過を離るることは、貧等を宗とす。
(心の過ちを止めるために、貧りの欲などを見極め、修行の心をもっていただきます。)
・よつには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。
(私の健康と生命を支えるための「良い薬」として、この食事を受け止めます。)
・いつつには、成道の為の故に、今此の食を受く。
(人間として正しく生きるためには、今この食事をいただきます。)
精進料理の感想ですが、まっこれこそお寺の精進料理です。
美味しいですが、物足りないです~。(笑)
腹いっぱい食べたいです~。(笑)
そんな欲にまみれた人は、きっとこの悟りはいつまで経っても解脱の境地になりませんね。朝早く4時半に起きて、腹ペコでかけつけた訳ですから、お腹ペコペコだったわけですが、当然朝粥で満足できる訳もなく、東京グランドホテルですから、朝のモーニングなどのブッフェスタイルがないかな、有料でもいいから、そこでお腹を満たせようと思いました。
でもアメリカン・ブレックファーストのようなそんなブッフェスタイルはなさそうな感じのホテルなので諦めました。空腹のまま、家にびしょ濡れになりながら戻ったです。(笑)
最後は写経です。
この朝食のときに教えをいただいた「五観の偈」(ごかんのげ)について、改めて写経という形で筆ペンでなぞりました。写経は心を集中するいい鍛錬になりますね。
気持ちが落ち着いて集中していないと、あ~~~もういいっ!!という感じになってしまいます。(笑)
この写経で書いた「五観の偈」(ごかんのげ)は、そのまま家に持ち帰って、どこかに飾っておくのがいいとのこと。自分もCDラックの上にそのまま置いて飾ってあります。
こんな感じでございました。
朝7時からあっという間の2時間。
朝の頭がすっきりしているこの貴重な時間帯に、こういうことで時間を過ごすのはすごく心の健康にいいと思います。
いわゆる朝修行というものですね。
宇野ご住職は、坐禅、精進料理、写経、どの会についてもかならず参加者1人1人の感想を伺って、それにたいして丁寧なお答えをする、という真摯な態度で臨まれていたのが印象的でした。
大変お世話になりました。
大変いい時間を過ごせたと思います。
東京のど真ん中で、こういう経験は、なかなかできないでしょう!
素晴らしい催しだったと思います。
東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経 そのいち [寺院・仏閣]
普段味わえない特別な体験を掲載するメディア・予約サイトに「Otonami(旧:Wabunka)」というのがある。自分はFacebookでその存在を知ったのであるが、日本のよさ・らしさを感動体験として発信していて、日本の魅力を感動体験として届けるというのがその主目的。もっと端的に言うと、和の美しさ、日本ならではの感動体験のイベントが日本全国でいろいろ主催されている訳だが、それを紹介するポータルサイトのような存在で、そこからそのイベントに予約できる予約サイトでもある。(決済機能付き。)
せっかく魅力ある和の文化、日本ならではの感動体験のイベントを、みんなに知ってほしい、そしてそのイベントに参加してほしいという広告型ビジネスの予約サイトのことである。
Otonami(おとなみ)
これはかなり素晴らしいと思う。
FBで上がってくる紹介される写真は、本当に日本の美しさを極めたという超一流の写真ばかりで、ほんとうに芸術品のようなこれぞプロという写真ばかり。日本人に生まれてきてよかった~ということを実感する写真ばかりである。
和大好き、日本大好き、ついでに和食が大好きの自分にとっては、大変いいポータルサイト・予約サイトを知ることができたと思っている。
これからもいろいろ利用させていただきたい、と思っているのだが、その中で自分のアンテナにビビッとくるイベントがあった。
それが、
「東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経」
というイベントである。
東京・芝公園という東京のど真ん中にある東京グランドホテルの一室で、朝7:00~9:00という早朝タイムでこれらを実体験しよう、という試みである。
坐禅や写経については、2022年2月~3月にかけてマイブームになって、日記でも取り上げて自分なりに勉強した。そして坐禅や写経の実体験としては、北鎌倉の建長寺で体験することができた。懐かしい想い出である。
鎌倉や北鎌倉。あの年、2022年は、もう1年中、「鎌倉殿の13人」の大フィーバーで、自分はもちろんのこと、全国中鎌倉フィーバーなところがあって、鎌倉が非常に熱いスポットでもあった。そんなブームにあやかって、自分は鎌倉五山の巡礼やそのほか鎌倉殿、北条氏に纏わるお寺を巡礼したのであった。懐かしいです~。あの頃の熱い気持ちにまた戻りたいな。
だから北鎌倉の建長寺という雰囲気的には、いかにも坐禅、写経が似合う場所でもあったのだ。ところが今回は、東京のど真ん中の東京グランドホテルの一室で、それらをやりませんか?それも早朝、頭がすっきりしているところで。
しかも精進料理。ご住職の法話つき。
これは自分をかなり惹きつけた。1回のイベントに参加できるメンバーが満員で10名ほどであるので、月に2回、3回と定期的にやっているイベントのようだ。
自分はさっそくotonamiの予約サイトで予約をした。
そして先日体験してきた、というわけだ。
「東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経」
芝公園「曹洞宗宗務庁」僧侶に教わる朝の禅体験で心と身体をととのえる −坐禅・朝食・写経−(Otonami限定)
東京・芝公園内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」にて、禅体験を通して心と身体を調えます。禅僧の手ほどきのもと坐禅を組み、朝粥を主役とした精進料理の朝食を作法に則っていただきます。さらに、心静かに写経を行い、禅の考え方への理解を深めます。朝の清々しい空気の中、時間を有意義に過ごしてみてはいかがでしょうか。
東京・芝公園の「東京グランドホテル」内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」にて、禅体験を通して心と身体をととのえるOtonami限定プラン。禅僧の手ほどきのもと坐禅を組み、朝粥を主役とした精進料理の朝食を作法に則っていただきます。さらに、心静かに写経を行い、禅の考え方への理解を深めます。ひとたび日常を離れてゆったりとした時間を持つことで、新たな一日を気持ちよく始めましょう。
・朝の清々しい空気の中、禅僧の朝修行に基づき坐禅・朝食・写経を体験できます。
・日常から離れ、自分と向き合う静かな時間を持つことで、心と身体をととのえます。
・禅の世界を体験してみたい方や朝の時間を有意義に過ごしたい方におすすめです。
これはすごい魅力的です~。もう自分はすぐに飛びついてしまいました。参加料も5,500円なのでそれなりにお手頃です。
さっそく行ってきた訳だが、その当日は東京に台風が接近している中で、かなり雨が振っていてコンディションは最低であった。靴の中もベシャベシャで、服もずぶぬれ。
なによりも朝7時からスタートする。東京のど真ん中の芝公園。そうなると横浜の自分の家からだと、朝4時半起きで、朝5時台の電車に乗らないと間に合わない訳で、台風で全身ベシャベシャの気落ち悪さに加え、朝早起きの体調コンディションの悪さで、かなり体調が悪かった。
もっといいコンディションで迎えられればよかったのにな~と思ったものである。
そんな中で会場の東京グランドホテルについた。
あとでご住職さんとお話ができたので、いろいろ情報を教えてくれたのだが、もともと、この東京グランドホテルというところは曹洞宗の本部のあったところだそうだ。曹洞宗の本家本元の本部。だからそこには曹洞宗の修行道場などもたくさんあったわけである。その曹洞宗本部がビジネスとして収入を得る算段としてホテル業を担うことになり、東京グランドホテルとしてオープンした、というのがいきさつのようだった。
確かに東京グランドホテル。東京のど真ん中のホテルにしては、いかにゴージャスな高級ホテルなんだろう?と構えて期待していたところもあるのだが、予想外に質素で(失敬)、かなりふつうのサラリーマンが出張でつかうビジネスホテル・クラスと言っていいランクだと自分は感じた。
約800年前の鎌倉時代に道元禅師が中国から日本に伝え、瑩山禅師が全国に広めた曹洞宗。その事務局である「曹洞宗宗務庁」は、「東京グランドホテル」内に修行道場「微笑庵」を設け、曹洞宗の教えや修行について一般の人に向けてわかりやすく伝えるべく坐禅会や写経会などを積極的に開催している。
これが今回のイベントなのだ。
では具体的にどんなことをやるのか。紹介していこう。
情報引用元:otonamiサイト
朝一番、禅僧の作法に習う修行体験
東京・芝公園にある曹洞宗の事務局「曹洞宗宗務庁」が本体験の会場です。周辺は古くからのオフィス街ですが、朝一番は人が少なく静か。清々しい空気が1日の始まりを後押ししてくれそうです。
「禅の教えをわかりやすく伝えたい」との想いから、曹洞宗宗務庁では坐禅会をはじめとする様々な活動を行っています。禅とは、物事の真実の姿やあり方を見極め、これに正しく対応していく心のはたらきを調えること。教えの根幹は坐禅にあり、坐ることで身体を安定させ、心を調えることで身・息・心の調和をはかります。
禅の世界へ誘うのは、禅僧の宇野全智(うのぜんち)氏。曹洞宗総合研究センターの常任研究員として、坐禅会や講演会、写経会などを通してわかりやすく禅の教えを伝えています。まとう空気は穏やかで清々しく、その素敵な笑顔に思わず引き込まれます。
法話と坐禅を通して日常から離れる体験を
はじめに宇野氏による法話を拝聴します。禅の教えを初心者にもわかりやすく伝える宇野氏のお話は、身近な話題、暦や年中行事など、日によってトピックはさまざま。日頃意識していなかった自分を取り巻く豊かな世界、気づきと学びのあるお話は目から鱗です。
続いて禅の基本となる坐禅を体験。坐禅の作法や心構えについて教わり、いよいよ実践。丸く厚みのある坐禅用の坐蒲(ざふ)に坐って姿勢を整えます。お腹から息を長く吐くことを意識し、ゆっくりと呼吸を整えます。「坐禅をする時は、露天風呂に入った時のような、リラックスしてのんびりしているイメージを持ってください」と宇野氏。はじめてだと少し緊張してしまうかもしれませんが、力まずに取り組んでみましょう。
坐禅の時間は数分間の短い時間ですが、ゆっくりと心がほどけていくのを感じられるでしょう。日常生活では得られないゆったりとした時の流れの中で、思わぬ気づきがあるでしょう。坐禅が終わった後は、感じたことを共有したり、気になったことやわからないことを尋ねてみたり、宇野氏との会話を楽しみます。慌ただしく過ぎてしまいがちな朝の時間。体験での学びをきっかけに毎日数分でも坐禅を取り入れれば、また違った一日となるかもしれません。
「五観の偈」を学び、朝粥をいただく
曹洞宗では、食事をすることも大切な修行のひとつ。800年前、道元禅師は食事をいただく作法と意義を示した『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』を著しました。禅僧のテーブルマナー指南書といえるこの書には「五観の偈(ごかんのげ)」という5つの心得が記され、今も修行道場では僧たちが毎食前に唱えています。
修行道場では本来、朝粥・胡麻塩・漬物だけですが、本プランでは季節の食材を使った精進おかず3品が付きます。春夏秋冬、日本の大地の恵みに感謝をしながらいただきましょう。坐禅の後の食事は感覚が研ぎ澄まされ、お米の甘みや食材の旨みが心と身体に染み込みます。
食事は禅僧の作法に則っていただきます。食後には、お粥が入っていた茶碗にお湯を注ぎ、一つ残しておいたたくあんで糊を取って飲み干します。食材の命そのもののありがたさと尊さをしっかり受け止め、「ごちそうさま」と唱えましょう。
書く修行「写経」を通して心と身体をととのえる
最後は写経体験です。漢文で書かれた「五観の偈」をお手本に、間違えないよう一字一字集中して書き写します。紙とペンで文字を書くことが非日常になっている方も多いかもしれません。写経を終えると、心地よい疲労感と達成感に包まれます。
写経して出来上がったものは、思い出として持ち帰ることができます。本体験で得た気づきを日常に活かし、教えを実践するためのお守りともなってくれることでしょう。目まぐるしい日々の中で折に触れて見返し、穏やかな心を取り戻すきっかけにしてみてください。
道端に咲く一輪の花に足を止める体験を
「日常生活は忙しく、速さや効率が求められます。まるで飛行機で移動しているようなものですが、飛行機に乗っている時、道端に咲く一輪の花には気づけません。坐禅は、その一輪の花に気づき、足を止め、その美しさを感じる体験なのです」。宇野氏は坐禅をする意味について、そう語ります。朝の静謐な空気の中で、禅に親しむひととき。坐禅と朝食、写経を通して、一人ひとりの心に咲く一輪の花を見つけてみてはいかがでしょうか。
これがすべてです。
長くなりますので、二部構成にしますね。
つづく
ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]
ヒラリー・ハーンほど日本に馴染みのある親和性の高いヴァイオリニストはいないであろう。本当に何年あたりからだろうか。ちょっと思い出せないくらい日本を第二の故郷のようにかならず日本でリサイタルを開いてくれる。自分も思い出せないくらいの回数、足を運んでいる贔屓にしているヴァイオリニストである。
ハーンのどこがいいのか、というと自分はやはりとてもスタンダードな弾き手である、というところなのかなぁと思う。これはアラベラさんにも言えることなのだけれど、自分のヴァイオリニストの好みというのは、やはりその弾きっぷりがとてもスタンダード。録音のCDの作風にしてもスタンダード、教科書のような折り目正しいスタンダードなアレンジが好きなのだ。
よくヴァイオリンの曲でこの曲を新しく勉強したいな~、自分のモノにしたい。そう思ったときに、このヴァイオリニストのCDを買っておけばまず間違いない。そういうスタンダードなアレンジが好きなのだ。
ピアノもそうなのだけれど、ヴァイオリンも本当にその奏者によって、同じ曲でもまったく別曲としか思えないくらいすごくバラエティ豊かに様変わりする。
これは指揮者にも言えますね。指揮者が同じオーケストラを指揮しても、その指揮者によって、同じ曲でもまったく別次元としか思えないくらい様変わりする。
これはなぜなのか?
これはひとえにその奏者、指揮者の楽譜の読み込み方、解釈の仕方なんだと思っている。楽譜には、たしかに作曲者の指示のマークは書き込まれていることはあっても、基本はそのままずら~っと音符が左から右に並んでいるに過ぎず、それをどのようなフレーズ単位、段落感で息継ぎをして、どのようなアーキテキュレーション(強弱のアクセント)の付け方をするか、どのような曲の骨格、アレンジにするかは、もうまさにその譜面を読み込んでいる奏者、指揮者によって自由な解釈ができるのだと理解している。
その楽譜から、結局、聴衆に届ける音楽として、どのような曲として作り上げるかは、その譜面を解釈する奏者であり、指揮者の頭の中にあるのである。
ヴァイオリンほど、このフレージングやアーキテキュレーションで奏者の違いを肌に感じることはない。それだけ奏者によって十人十色のように表現される楽器はないと思う。
とくにフレージングは影響は大きいと感じていて、びょ~んとレガートのように長く強調したりとか、このフレージングのつけ方、解釈の仕方は本当にヴァイオリニストにとって十人十色である。
昔、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでスプリング・ソナタというベートーヴェン・ソナタでは1,2位を争うほどの人気曲があった。自分はこの曲が大好きで大好きで、何回聴いても聴き飽きなかった。毎日ヘビロテで聴いていた。
ソニーのシングルSACDで出ていた樫本大進&イタマール・ゴランの演奏がとても好きだった。そこに共通しているのは、フレージングが極めてスタンダードである、ということである。
この曲が好きすぎたので、もっといろいろなアーティストの演奏も買い集めてみた。たくさんのコレクションをしてみたかった。ところがこれが本当に十人十色で、全然1人1人別ものなんだな。フレージングの解釈やアーキテキュレーションの解釈が全然個性豊かで、もう全然別物。
ヴァイオリン界ではもう大御所といっていい大ヴァイオリニストがいる。誰もが知っている大奏者である。この人のスプリング・ソナタであれば、きっと間違いないだろう!大感動するだろう!と期待したものの、いざCDが手元に届いて聴いてみたところ、かなり強烈な個性剥き出しのフレージングの解釈で、なんか聴いていて悪酔いしてしまうような感覚に陥ったこともあった。とてもスプリング・ソナタとは思えない独自のこの人の解釈といっていいものだった。
もちろん名前は言えないが、外国のめちゃめちゃ著名なヴァイオリニストである。(笑)
そんな経験が山ほどあり数えきれない。もちろん録音物のCDだけではない。実際のライブの生演奏でも、自分が理解している、イメージしている曲とは到底思えないくらい違う曲想だったりしたこともある。
やっぱりフレージングかな~・・・。楽譜の読み込み方としてはフレージングとアーキテキュレーションはつねにペアのものだと思うだけど、とくにフレージングの違いは致命傷と言うか、フレージングのほうが徹底的にその人のその曲の演奏の形に影響を与えるような気がする。
これはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番についてもいえる。もう日記で何回も言及してきた曲だが、この曲のCDで自分がこれは!と思ったCDは本当に少ない。もともとこの曲を弾けるピアニストも少ないのだけれど、これが自分の好みに合う、自分のイメージにピタっとくる演奏はほとんど皆無なのだ。
本当にピアニストにとって、ほんとうに十人十色の演奏、表現の仕方で、この曲こそがピアノでいうところのフレージングの解釈の違いというか、そんな演奏表現の違いが出てしまう曲のように思うのだ。
クラシックの世界では、作曲者の意図通りに表現すること。ジャズの即興のような個人のアレンジは入れてはいけない。そういう基本的な鉄則はある。
でもベートーヴェンにしろ、モーツァルトにしろあの頃に使っていた古楽器では出る音域もある程度限られていて、その範囲内での表現だったのが、いまのモダン楽器の音域の広さ、ダイナミックな音を出すことも可能。もうあの当時とは全然違う。
そういう楽器を以てして、あの時代のベートーヴェン、モーツァルトなどの曲を演奏しても、譜面通りという訳には行かなく、いまのモダン楽器だからこそ、ここまでの音域が出せるからこそ、こういう表現もいまでは可能になった。だからこそ、このような表現をそのベートーヴェン、モーツァルトの曲に施しても、いわゆる装飾してもベートーヴェンやモーツァルトはけっして怒らないだろう。逆にそれはいいことだ!ということで許してくれるだろう。逆にそうあるべきである。
そういうことなんであろう。
いまの現代楽器、モダン楽器だからこそ可能な、その個人特有の感性によるフレージングやアーキテキュレーションのつけ方によるその曲の膨らませ方、表現の自由さ。そういうのがいまのヴァイオリン、ピアノ、そしてオーケストラと全部クラシックの世界には暗黙の了解として存在するのではないか、と思うのである。
ヒラリー・ハーンが自分にとって、非常にお気に入りのヴァイオリニストで居続けたのは、やはりそのフレージングの解釈が非常に素直で変な息継ぎをしないし、強弱アクセントのつけ方も極めてスタンダードで素直。
いろいろなヴァイオリニストがいる中で、ハーンのCDを買っておけば間違いないだろう。ガッカリすることはないだろう。そういう極めてスタンダードな立ち位置のヴァイオリニストだったのだ。昔から。
彼女のCDには外れがなかった。大体期待通りの教科書のようなスタンダードな解釈をするヴァイオリニストなので、自分としては絶対の信頼を寄せているところがあった。
それは演奏会場に足を運んでも同じ印象であった。
自分がいつ頃からヒラリー・ハーンというヴァイオリニストに注目し始めたかは、やはり彼女がメジャーデビューしてその時代と共に追っかけてきたような気がする。いわゆるハーンは自分らの世代のスターで、その成長を見届けて一緒に時代を過ごしてきた演奏家というイメージでふっと気がつけば自分のそばにいつも居る感じ。それが当たり前すぎて特別視するような感じではなかった。
それだけ自分にとってリアルタイム世代のヴァイオリニストである。
17歳でソニーからバッハの無伴奏でデビューしたときから、いままで聴いてきたハーンの印象は、演奏家固有のクセがなく、とてもスタンードな弾き方、フレーズの捉え方をする奏者で、バッハ、メンデルスゾーン、モーツァルト、チャイコフスキー、ブラームスなどヴァイオリン弾きにとって必須の曲はほとんど録音済みなのだが、ハーンのCDを買っておけば間違いはない、という感じだった。
2000年のサントリーホールでベルリンフィルとマリス・マンソンスとのショスターコヴィチのコンチェルトは圧巻だった。実演で拝見することは叶わなかったが、後年DVDになって買って自分の宝物になっている。
ただ、女性ヴァイオリニストとして、あくまで異性の女性としてのアーティストとして捉えたときに、初期の頃はいまひとつ熱中できないところもあった。デビューのときから若い時代にあったアルバムジャケットやイメージフォトの写真から想像する、どこかクールで温かみを感じないアンドロイドの人形や、ばね仕掛けのお人形さんみたいな印象がそうさせていたのではないか、と分析する。
やや女性ヴァイオリニストとしての妖艶さというか、女性ならではの色気というか、自分にとってどうも大人の女性として異性を感じさせない中性的な印象があったことも確かである。
でも、それも最初の頃の話。いまではすっかり女性らしい柔和さ、優しさが滲み出るようになり、大人の魅力的な女性にすっかり様変わりした。自分は女性アーティストの場合、若いカッコいい勢いのあるときの美人も素敵だと思うが、じつはある程度年輪を重ねた経年になってからの女性アーティストのほうがいいと思う。好みである。人生がわかってきて、それなりの熟知を経て、顔に年輪が現れる。
いわゆる人間としていい顔になる、という意味である。
これはとくに女性より男性のほうが顕著ですね。男性はどうしても若いとまだまだ青い、として思われな傾向にあるが、人生いろいろ経験して、年輪が現れてくると、40歳、50歳代の男の顔はほんとうにいい顔になると思う。50歳代の男はいい顔だと思います。
ハーンのCDで自分を一気に虜にした、というかその評価を本物にしたのはシベリウスのヴァイオリン協奏曲をリリースしたときであった。いまでもシベリウスのコンチェルトとしては、ハーンの録音は、自分の中でも不動のリファレンスの1枚である。
ただでさえ、難曲中の難曲といわれるシベリウス。この寒色系で厳冬な雰囲気をここまで完璧に表現しているのは驚きとしかいいようがなく、この曲で、自分のハーンの印象が一気に株上がりした。
ハーンは、DG所属だが、アルバムリリースも非常にコンスタント。ムラがない。ヴァイオリンの曲としては有名なところは、ほとんど網羅してきており、現代音楽の録音も積極的だ。前回のリリースでは、なんと!ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲を録音してくれた。なかなか演奏されないレアな曲で新しい録音が欲しいな~とずっと思っていたので、自分にとって大変なご褒美だった。
そして先日リリースした新譜では、なんとイザイの無伴奏ソナタ全曲(6曲)である。
イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 全曲 ヒラリー・ハーン
もうスゴイとしかいいようがない。なんという積極的なアプローチ。彼女の長年に渡る名曲という名曲は、かならず全部自分の録音としてしまうこの積極的なスタンス。やはりDGとのチーム連携がうまく行っているんだろうな~。やぱり信頼できるスタッフと長年に渡る賜物なんだろう。これからも末永く続きますように。
ハーンは元気だ!
さて、ようやく本題。(笑)
東京オペラシティにヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルに行ってきた。
コロナ禍で延期になっていたコンサートであったが、やっと実現である。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの9番「クロイッツエル」と10番である。
相棒のピアノは、アンドレアス・ヘフリガー。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタで1番人気があるのは、やはり第5番「春」(スプリング・ソナタ」であり、第9番「クイッツエル」であろう。そんなクロイッツエルを冒頭に持ってきた。
ピアノのアンドレアス・ヘフリガーは、どちらかというと爆演型。強打腱の嵐で、ハーンのヴァイオリンとの音量バランスにちょっと不安を感じたが、心配もそれほどでもなく、なんなくこなしていた。
前回のハーンのバッハ無伴奏のリサイタルでは神がかっていた瞬間もあったが、今回はそこまでの驚きもなく、そつなくレベルの高い演奏を繰り広げていた。クロイッツエルはやはり名曲ですね。第3楽章のツボに入ったときのこれでもか、これでもか、というリピートはかなり来るものがありました。10番はとても平和で素敵な曲だけれど、自分はやはりクロイッツエルいいな~、やはり名曲として人気のある曲だな~と感心しました。
ハーンは、黄金と黒のドレス、といういままで観たことがないくらい素敵な大人の女性に変貌していた。たぶん長年自分が観てきた彼女のリサイタルでは一番大人の女性で素敵だった。
ハーンの演奏は、やはり安定した音程に、ボーイングの弓裁き。じつに安心して観ていられるいつもハーンの演奏だな、と安心しきって観ていました。
今回、ちょっとサプライスというか驚きだったのはアンコール。ハーンのパルティータ無伴奏、そしてピアノのアンドレアス・ヘフリガーの「イゾルデの愛と死」を彼の爆演で。(笑)
最後の3曲目が、佐藤聰明氏の微風。
佐藤聰明氏というのは日本の現代音楽作曲家だそうで、自分は存じ上げていなかった。初めて聴く曲だが、これが実に神秘的な調べで、驚いてしまった。これはかなり素晴らしかったですね~。
感動の一夜を締めくくる驚きのエンディングでした。
ヒラリー・ハーン ヴァイオリンリサイタル 2023
2023年6月5日(月) 19:00~
東京オペラシティコンサートホール
・ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第9番イ長調 op.47「クロイツェル」
・ヴァイオリンソナタ第10番ト長調 op.96
アンコール
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004より サラバンド(ハーン ソロ)
・ワーグナー=リスト:「トリスタンとイゾルデ」より イゾルデの愛の死(ヘフリガー ソロ)
・佐藤聰明:微風(ハーン&ヘフリガー)
下北沢のスープカレー [グルメ]
スープカレーというのは、カレーライスとは全然違う食べ物である。自分は、2012年頃に、スープカレーがマイブームになり、札幌に帰省したときに、いろいろスープカレーの人気店を食べ歩いてみた。いま巷で話題になっているスープカレーってどんな食べ物なのか、それを体験するためである。
そうすると、スープがサラサラの液体状で、具が大きくてゴロゴロという感じで、なんか薬膳料理みたいな感じだな、というのが自分の最初の印象であった。
もっとトロミがあって、ライスと一緒に食べることが前提のカレーライスとは全然違うな、という印象である。それでなんかスープサラサラで、具がゴロゴロなので、これでご飯をいっしょに食べて美味しいか?という感じだった。
自分はその当時、いまだにカレーライスのイメージの枠から脱することができなかったんですね。スープカレーってそんなに美味しいかな?というのが率直なところの感想であった。
でもそれから考えを改めた。あういうスタイルだからこそ、カレーライスとはぜんぜん別物なんであって、あれが売りなんだ!と思うようになった。
スープカレーとカレーライスはまったくの別物。
そう考えると、あのスープサラサラ、具がゴロゴロの一品もオリジナリティ、独創性があっていいな、と思うようになった。
スープカレーは、スパイスの香り・刺激・辛みのきいたスープと、大振りの具が特徴である。2000年代に札幌市でブームとなり、その後全国に広まった。
札幌市には現在でもスープカレーを提供する店が200店以上存在する。各店は個性を競い合っており、多様なバリエーションがある。北海道の函館、旭川、帯広、富良野はもちろん、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡など日本各地に札幌由来の店が出店しており、香港、シンガポール、バンコクなど海外にも進出している。
札幌スープカレー
1971年に札幌市に開店した喫茶店『アジャンタ』が1975年ごろに発売した「薬膳カリィ」が原型と言われている。
サラサラとした粘り気のないスープ状のカレーである。これに似た自分の店の料理を「スープカレー」と命名し、評判になったのは1993年に札幌市白石に開店した「マジックスパイス」である。
同店は2003年に神奈川県の「横濱カレーミュージアム」に出店して大評判になり、札幌発のスープカレーが全国に知られるきっかけになった。その後、札幌発のスープカレー店が各都市に進出し、大手牛丼チェーンやファミリーレストラン、コンビニエンスストアでもスープカレーが販売された。
特徴
スパイスの効いた旨みのあるスープと、大ぶりの具。
煮込み料理と違って、スープと具は別々に調理する。メインの具はもともとチキンレッグが基本だったが、現在ではほかに豚角煮・ラムチョップ・魚介類などを選択できる店が増えている。これに茹でたり素揚げしたジャガイモ、ニンジン、ナス、ピーマン、オクラ、カボチャ、ゴボウ、ヤングコーン、ブロッコリー、レンコンなどの野菜が組み合わされる。
「トマト系スープカレー」では、フォン・ド・ボー(仔牛のダシ)を使ったり、炒めたバジルとその香味オイルをたっぷり浮かべることが多い。
スープカレーが札幌発祥でどんな料理なのか、わかっていただけた、と思う。
スープカレーの元祖は、喫茶店「アジャンダ」の薬膳カリィが原型なのはわかった。でもそれと似たようなものを「スープカレー」と命名したのは、札幌白石の「マジックスパイス」である。
喫茶店「アジャンダ」の薬膳カリィが原型であることに敬意を表することはもちろんのことだが、同時に、スープカレーという料理、いやある意味料理名といっていいかもしれない、それを世間一般に成立させたのは、札幌白石の「マジックスパイス」だと言えるのではないか。
このスープカレーの源流店ともいえるべき、喫茶店「アジャンダ」の薬膳カリィと、札幌白石の「マジックスパイス」のスープカレーについて、もう少し説明を試みよう。
スープカレーの元祖は、今から半世紀ほど前に、札幌市中央区南22条西7丁目(現在この一帯は再開発が行われ「アクロスプラザ南22条」というショッピングセンターになっている)で営業していた「喫茶店アジャンタ」にまでさかのぼる。
当時、喫茶店アジャンタを経営していたご夫婦が、インドのカリー(薬効のある香辛料)と中国の漢方薬をブレンドした薬膳スープにライスを添えたメニューを客に提供していたところ、常連客のひとりに「ダシ用の鶏ガラや野菜も捨てずにスープと一緒に出してくれ」とお願いされ、これがキッカケで現在のスープカリーの原型となる「薬膳カリィ」が誕生した。
それから30年後、白石区の「マジックスパイス」が、アジャンタの薬膳カリィをベースに独自のアレンジを加え「スープカリー」と命名して世間に認知されるようになる。
アジャンタのご夫婦は喫茶店を「アジャンタ総本家(ご主人)」と「アジャンタ・インドカリ店(奥様)」に暖簾を分け、互いに”元祖スープカリー”を名乗りつつ、別々の道を歩み今日にいたる(現在、総本家はお弟子さんが事業を承継しているらしい)...。。。のだそうだ。
アジャンタ薬膳カリィ店
スープカレー店の多くの店主が「大きな影響を受けた店」として名前を挙げている店である。店主の辰尻宗男(1934年~2009年)は薬売りの行商で知られる富山県の生まれで、幼少期に札幌に移り住んだ。両親は薬局を営んでいた。1971年に喫茶店を開店。家に伝わっていた漢方の養生食とインド料理を融合した「薬膳カリィ」を考案し、一日20食限定で出したところ、口コミで評判となった。はじめは具無しのスープとライスだったが、1975年に「もったいないから出汁に使った鶏肉も出して」という客のリクエストによりチキンレッグを入れ、つづいて大振りのニンジンとピーマンも加えるようになった。
これがのちのスープカレーの原型となった。
スープカレーの元祖は、1971年に札幌の喫茶店「アジャンタ」が出した「薬膳カリィ」だったのだ。その「喫茶店アジャンタ」はいまは存在しないが、その「喫茶店アジャンタ」の流れをくむお店が札幌に2つあるのだ。それが「喫茶店アジャンタ」から暖簾分けしたご主人のほうの「アジャンタ総本家」と奥さんのほうの「アジャンタインドカリ店」である。
「アジャンタ総本家」の店の場所は、地下鉄の元町駅より徒歩5分。
旅行者でもアクセスしやすい位置にある。
これがアジャンタ総本家のスープカレー。
まさに元祖の流れを汲む正統派のスープカレーである。
一方インドカリ店のほうは”下町の大衆食堂”といった風情の質素なお店。一見すると喫茶店風の外観にも見える。
こちらがインドカリ店のほうのスープカレーである。
アジャンタが世にはじめて「薬膳カリィ」を送り出してから半世紀が過ぎ、いまや札幌市内には200店を超えるスープカリー専門店が軒をつらねている。メニューのバリエーションもインドネシア風、スリランカ風、和風などすっかり多彩になった。
まさにスープカリーの百花繚乱時代ともいえる昨今ではあるが、そんな中にあってもやはりスープカリーの創造主たるアジャンタは別格の存在のようだ。
スープカレーの源流を探る旅と題して、今度食べに行きたいです。
さて、この「喫茶店アジャンタ」が考案した「薬膳カリィ」は、「スープカレー」という名前ではなかった。こういうものを「スープカレー」と命名して世に普及させたのが、札幌白石の「マジックスパイス」である。
いわゆるスープカレーという料理名を初めて使った店、「スープカレー」の名付け親なのである。
札幌白石マジックスパイス
本店を札幌市の白石区に置き、東京・名古屋・大阪にも店舗展開する人気店。創業は1993年(平成5年)、インドネシア料理の「ソトアヤム」(鶏スープ)を食べた創業者が日本でもその味を提供すべく独自のアレンジを加え作り上げた料理を「スープカレー」と名付けたとされている。
その後「横濱カレーミュージアム」に出店して評判を呼び、スープカレーの名を広く知らしめることとなった。マジックスパイスでは現在スープカレーの「元祖」を堂々と掲げて営業展開を行っているそうだ。
これがマジックスパイスのスープカレー
店内もすごいことになっている。(笑)
これはぜひ今度、北海道に帰省したとき、「札幌スープカレーの源流を体験する!」と題して大々的に取材をしたいものだ。
そんな札幌発のスープカレーなのだが、今春に北海道の実家に帰省しているときに、実家のテレビをなにげなく見ていたところ、番組で下北沢のスープカレーの美味しいお店を紹介する、という番組をやっていた。
下北沢は、自分の青春の街。その番組のゲストも下北沢が大好きで、長年に渡って下北沢に住まれている、ということで、自分の興味が一気に湧き、吸い込まれるように番組を見入った。その番組では、そんな下北沢の街歩きとともに、そのゲストの行きつけのスープカレーのお店を紹介する、というものだった。
そのスープカレーは、ほんとうに美味しそうで、しかも下北沢。これはぜひ帰京したら、そのお店に寄ってみて食べてみよう、と思ったのだ。
それを先日実行してきた。
●無添加薬膳スープカレー COSMOS
餃子の王将 下北沢店のすぐ斜め向かいにある。
下北沢といえばスープカレー激戦区。
その中でも、よくお勧めに出てくるCOSMOSは何といっても薬膳スープカレーで人気。芸能人の方がよく訪れたり、テレビでも取り上げられている有名店なんだそうだ。それでテレビ番組でも取り上げられていたんですね。
無添加食材を使用した身体に優しい薬膳スープカレーのお店である。スープカレーってやっぱり薬膳料理ですよね?(笑)
そういう意味でも薬膳スープカレーというのはすごく合点がいくし、しかも無添加食材を利用している、というところが売りである。
店内はすごく小さなスペースで、全体が黒い色で統一されていて、ちょっと怪しげな雰囲気でもある。テーブルとカウンター席がある。なんか南国の雰囲気ありありの異国情緒溢れる店内のムードでした。
客層は、100%みんな若者。女性が圧倒的に多かったかな?さすが下北沢です!
とにかく人気店なので、すぐに満員になるし、長蛇の行列ができるほどの人気店である。自分はお昼の12時の開店と同時に1番乗りで入ったので、大丈夫だったが、あっという間に店内満員になり、外には行列ができていた。
メニューはこんな感じ。
これはすごい!体に良さそう~!まさに大きな具がゴロゴロという感じでバリエーション豊かである。とにかく具がバリエーション豊かで自由に組み合わせることができ、辛さも調節できる。
自分は番組で食べていた”20種類の野菜と豚角煮のスープカレー”を中辛で、ライス大盛で注文した。
ライスは、日本のお米ではない。長細いお米で、これ日本米ではないですよね?どこのお米ですか?と聞いたら、ジャマイカ米ともち米をミックスさせてます、とのこと。
それにしても、この20種類の野菜の豊富なこと!そしてこの豚角煮、うまそ~~~。すごいヘルシーだと思いました。
このメニューの最大の美味しさは豚角煮にあると思いました。ホロッと口に中でとろけるようなうまさとそのジューシーで甘い豚角煮。これがスープカレー全体がうまい!と思わせるすべての、いやおそらく80%以上の効果はこの豚角煮にあったんじゃないか、と思うほどでした。
そして20種類の野菜のふんだんなこと。ヘルシ~。
カレーの味はちょっと思い出せないな。そんなに特別という感じでもなく、野菜と豚角煮で全部マスキングされるような感じでほとんどカレースープというものを意識しなかった。
ライスが予想していたよりうまくなかったかな。(笑)
なんか、パサパサしていて、無味、味がしないんだよね。
まっスープカレーといっしょに口にかっ込むという感じでしょうか。
あっという間に完食。
大変美味しゅうございました。
●SOUP CURRY ポニピリカ
化学調味料を使わないスープカレー専門店。厳選されたオーガニックスパイスを使用化学調味料ゼロのスープカレー。
ビルの2Fにあるので、ちょっと閉口したのは、急こう配で細い階段に立ち止まりながら、行列で待たないといけないこと。これは脳梗塞で歩行障害、足に障害のある自分にとって、かなりキツかった。階段で立止まっているのは怖くて怖くて・・・。
店内は、リラックスした若者向けのカジュアルな雰囲気でした。
自分はこのお店でも番組で推していた”皮がパリッとしたチキンと野菜カレー”をオーダー。スープ味はエビ味にしました。
これはさきほどのCOSMOSと比較すると、比較的おとなしいスタンダードなスープカレーだと思いました。チキンがやはりポイントですね。そして意外やこのスープカレーの味を90%以上制していたのが、オーダーしたときにお願いした”エビ味”であること。このエビの味が強烈だった~。かなりこのスープカレーの味をこのエビの味が支配していました。
美味しかったです。
番組で推薦されていた下北沢で有名なスープカレー店。2店ともとても美味しいと思いました。下北沢は、スープカレーの激戦区だそうですが、その中でも1位、2位を推す有名店だそうです。
自分の推しは、やはり、無添加薬膳スープカレー COSMOSのほうかな~?
ここは推しです。美味しいです。また来たいと思います。
サブカルのまち 下北沢 [街歩き]
自分が東京に上京してきた1987年、小田急の新百合ヶ丘に会社寮があったので、そこを住まいとして、会社のオフィスのある山手線内の品川、大崎、五反田のほうに通っていた。
そうすると小田急→井の頭→山の手という路線の乗り換えである。この小田急線から井の頭線への乗り換え駅が下北沢だった。
会社寮に住んでいられる資格は7年間なので、7年間この通勤経路で会社に通っていたのだ。新百合ヶ丘というところは、当時はベッドタウンというか新興土地だったので、住居以外ほとんどなにもなく、ちょっとした買い物をするのにもなにもなくて不便で困ったものだった。(いまはいろいろできていて、かなり便利になっているみたい。)
そういう点から、乗り換えをするところの下北沢は、いわゆる自分の食事処であったり、ちょっとした日用品を買ったりする便利な街だったのだ。
毎日の通勤でかならず、下北沢で下車して、下北沢の街をぶらぶらする。これが自分の上京したてのマイスポットというか忘れようにも忘れられない街である。
下北沢は、若者の街、古着、雑貨などサブカルの聖地として有名だ。サブカルというのはサブカルチャーのことで、日本語にすると「下位文化」あるいは「副次文化」となる。
社会において、その文化の主流ではなく、独自の性質を持つ独立した文化のことを指す。具体的には、日本の漫画やアニメ、アイドルなどに関連する文化、いわゆるオタク文化がサブカルチャーの代表例である。
日本には地域によって独自の文化がある街が多くあり、中でも東京にはアニメや漫画、音楽や劇団など、サブカルチャーが盛んな街が点在している。
代表的なのは秋葉原。アニメ・漫画・ゲーム・アイドルなどのオタク文化の聖地である。秋葉原と並ぶサブカルチャーの聖地として有名な街に、中野がある。アイドルやアニメグッズを取り扱う店が集中しているエリアがあり、サブカルチャーの街として人気の街である。
また、池袋にある「乙女ロード」もサブカルチャーの街として知られている。アニメグッズや同人誌を取り扱っている店が集中していることがオタク文化の聖地といわれる理由である。
そして我が下北沢は、演劇や古着の街として知られ、ここもサブカルチャーの街として人気があるのだ。
街を歩く人たちのファッションも話題になり、古着屋、インテリアショップや骨董品店が多いことでも有名な下北沢。劇場や画廊、ライブハウス、そして居心地のよいカフェや居酒屋など、「下北」という愛称で親しまれているこの街は、ほかにはない、個性的なものを求める人にとってはたまらない場所なのだ。
1970年頃から、下北沢は東京のサブカルチャーを育んできた。ここで発表される作品のほとんどは、メジャーデビュー前のアーティストによるものだそう。
そのためか、若者に人気のある街でありながらどこか懐かしい一面を持ち、さまざまな方面での創作活動を支える街としてのイメージができあがった。
そうなのである。
下北沢のことをふつう「下北沢」とフルネームでは呼ばない。
みんな通称、「下北」「シモキタ」と呼ぶ。
自分も下北(シモキタ)と呼んでいた。
下北は一種独特な街の景観だった。
とにかく古着、雑貨、飲食店街が、通りの両側にびっしりと密集していて、いわゆるごちゃっとしている景観で、いかにも若者の街、サブカルの街という感じである。
上京したての頃の自分の東京での溜まり場、遊び場といえば、新宿、渋谷、そして下北沢だった。共通するのは人が多く、ごちゃっとしている景観であること。
北海道の田舎から出てきたばかりの自分はこの3つの街に、”東京”というイメージを投影していて、それを肌身に感じていたところがあった。
東京=新宿・渋谷・下北沢だったのだ。
でも歳をとってくると、もう完全に変わってきますね。いまはもう新宿とか全然ダメ。人が多すぎるし、街の景観がごちゃごちゃし過ぎて、精神的にも視界的にも疲れすぎてもう受け付けない。不思議なもんです。あれだけ新宿で遊びまくっていた若い頃、新宿西口の夜の高層ビル街では彼女とデートを楽しみ、新宿の街は隅から隅までよく知り尽くしていた。
いまはもうまったく受け付けない。いまはやはり赤坂のようなクラシック音楽の似合う静かで高級なところがいいです。歳を取るとともに、嗜好が変わりますね。
自分にとって、下北は、そんな若い青春時代の代表する想い出の街であった。
歳をとってくると、若い頃自分が住んでいた街、慣れ親しんでいた街にひさしぶりに訪れたくなる。人間ってそういう生き物なのである。
認知症というのは、最近のことから忘れるのである。昔のことはずっとよく覚えているのである。だから人間って生き物は、若い時代の頃を懐かしみ、その場所に再訪してみたくなる・・・そういう生き物なのである。
下北沢、いや下北(シモキタ)を再訪してみた。
もう下北沢駅からして大きく改築されていて、もうガラ変であった。これは都心の路線増設の常識であるが、新しく増設しようとするなら、もうひたすら地下を深く掘っていくしかないのだ。小田急線は、昔と違っていまはもう完全に地下深いところにあった。
井の頭線のみ昔のままの地上の路線が残っている感じであった。
とにかく駅がガラ変。驚きである。
こんなスターバックスやレストラン街などが集中しているエリアも駅内に増設されていた。
ネットで古い時代の下北沢駅の写真を探してみた。自分の1987年時代の写真である。
こんな感じだったなー。これが自分のイメージにすごく近い。
駅の階段を下りてきて、この改札口を出たところに、ドトールやファミリーマートがあったような気がするのだ。だからこの写真で間違いないと思う。
自分はこのファミリーマートで毎日のご飯、弁当、あるいは日用品なんかを買っていた。この小田急下北沢駅口のコンビニで毎日の日常品の用を足していたのだ。
自分が当時下北沢の街を毎日歩いていたのは、下北沢南口商店街である。ここは健在であった。
この通りの両側にびっしりとお店がひしめいているのだ。でもあの当時どんなお店があったなんて、全然覚えていない。もう36年も経つのだ。
下北沢南口商店街の通りを歩いてみる。。。
下北ってこんな街である。
いまの時代、ケバブもあったりします。(笑)
このなんというかごちゃっとしている景観は、昔と変わらないのだけれど、おそらく36年前に見ていたお店といまのお店とでは全然違うと思うんだよね。たぶん総入れ替えに近いくらい、テナントとして入っているお店は36年前と比較しても全然違うと思う。いまはチェーン店が多いですよね。
下北沢が長年「サブカルチャーのまち」「若者のまち」として愛されてきた背景には、個性派個人店が多く存在していたことがある。
この個人経営のお店こそがサブカルのまち「下北沢」を代表する街を形成していたところがあると思うのだ。
しかし、まちの人気にともない、店舗の賃料が上昇。潰れた個人店の跡には、高い賃料が弊害となり小さな個人店は入ることができず、大手チェーン店ができる……という流れが生まれ、下北沢の特色を生む個性派個人店がオープンする「余白」がなくなりつつあるのだという。
これがいまの下北沢の状況なんでしょうねぇ・・・。こうやっていまの南口商店街の通りを歩いてみても、みんなチェーン店かな~という印象は否めない。
南口商店街をずっと歩いていくと、ちょうど正式な交差点ではないけど、ラフな分かれ道のところに遭遇するのだが、ここにあるこのミスタードーナッツ。
これはなんか、36年前からずっとここにあるような気がする。なんか自分の記憶にあるのだ。確かにここにミスドあったな~、という感じである。
そうして、今回36年ぶりに下北沢を再訪してみようと思った1番の理由は、餃子の王将 下北沢店である。前回、下北の街を再訪して、あの頃の餃子の王将を探してみたんだけど、たしかにここにあったんだけどな~というところになにもなかった。あちゃ~もう36年前だからなくなっちゃんだな、と思いました。
ところが、そのエリアは下北沢北口だったことが後日判明。(笑)
餃子の王将は、南口エリアにあるのでした。
なにせ、下北沢駅はすごく新しくなってガラ変しているので、どっちが北口でどっちが南口だったのかよくわからなくなっていたのです。自分の青春時代は、みんな南口エリア、南口商店街での話です。
それをいまの自分は、北口エリアを歩いていて、あの頃とはずいぶん違うな~。変わっちゃったな~。餃子の王将もなくなっちゃって・・・なんて瞑想していたのです。とんだ勘違いでした。(笑)
下北沢の南口商店街をずっと歩いていくと、ありました!
餃子の王将 下北沢店。
ここです!まさにここ!
36年前とまったくこれぽっちも変わっておらず。あの当時のまんま。
この餃子の王将 下北沢店こそ、我が人生で、はじめて焼き餃子というものを食べた場所。もちろん人生で餃子の王将というお店に入ったのもここが初めてである。当時の北海道にはなかったです。
上京したての頃は、本当にお金がなくて貧乏だったので、毎日ここで餃子定食を食べていたのでした。オフクロは家庭ではどちらかというと水餃子のほうをよく作ってくれたので、焼き餃子というのを子供のころあまり食べた事がなかった。この餃子の王将 下北沢店で初めて食べて、焼き餃子ってこんなに美味しいものなのか!と目にウロコであった。ほんとうに夢中になった。毎日食べてました。
自分は、下北沢というと、ここ餃子の王将で焼き餃子定食を食べていた記憶しかないです。
このドアがいまどき全自動ではなくて、こういうマニュアルな手動の開きドアになっているのもあの当時のままなんでしょう。
店内もまったく、これっぽっちも変わっていませんでした。
自分の記憶、イメージ通りの店内です。
懐かしすぎる~。(笑)
自分のいつも座っていた場所は、ここのカウンターだったんですよね。
ここが自分の定番の場所でした。
餃子の王将 下北沢店は、お昼時ということもあったのでしょうが、大変混雑していて商売繁盛のようでした。お客さんはみんな若い人が多いですが、この人たちもこれから36年後に、ふたたび下北沢を再訪したときに、懐かしくて、この餃子の王将 下北沢店に再訪して懐かしむのかな~と思いました。自分がそうであるように・・・
餃子の王将は永遠ですね。永遠に受け継がれていくメニューですね。
スタンダードに餃子定食を注文しました。(にんにく激増し餃子ではない。ふつうのです)
まっ、とくに下北沢店特有の味というわけでもなく、餃子の王将はどこでも同じ味ですね。おらが街のお店と同じ味でした。
でも自分が青春時代の若い頃に毎日通っていた餃子の王将 下北沢店を再訪できてうれしかったです。まったくあの当時のあのまんま。涙が出てきました。。
あれから36年間、同じ姿でいてくれた餃子の王将 下北沢店。
自分にとって餃子の王将の原点の場所でした。
これからもずっとここにいて、下北の街を見守っていって欲しいです。
これで自分の下北を再訪する一番の目的が達成されました。
満足です。
あと、そのほかにもいろいろ懐かしい下北の街をぶらぶら。
下北沢本多劇場
下北沢の「本多劇場」は、1982年に開場した東京を代表する劇場。俳優として所属していた会社が倒産し、俳優業を続けられなくなってしまった本多一夫氏によって創られた。
「演劇の道を志す若者に、活動の機会を提供したい」という思いから、約10個の小劇場を設立しており、日本の現代演劇界に大きく貢献しているそうだ。
本多劇場の1Fには本や雑貨を扱っているヴィレッジヴァンガードが入っている。ここには本やCDから小物類や豪華な日用品に至るまでさまざまなグッズがあるそう。店内は迷路のようになっており、まるで宝探しのようにおみやげ探しを楽しめるそうだ。
本多劇場は、まさに下北沢を代表する名地ですね。下北に本多劇場あり!というように名高かったと思います。
この本多劇場、近いうちに役者さんたちによるお芝居を楽しみたいと思っています。近々に実行します。
自分は、映画やドラマは観るけど、お芝居、舞台というのは縁遠いんですよね。なかなか経験がない。いままでの人生のうちで友人に誘われた1回しかないのではないだろうか?(渋谷の劇場だったかな?)
舞台は、役者さん、俳優さんたちにとって、勝負というか、人間としてそのままありのままが観客に見えてしまい、ある意味勝負処なのではないかなと思ったりします。映画やドラマだとカメラというフィルタを通しての自分の表現。でもお芝居、舞台は、そういうフィルタがないので、そのまま自分という人間が全部丸写しで観客のみなさんに見えてしまうので、俳優としては勝負!!!という感じなのではないかな、と想像していたりしています。
そんな俳優さんの真剣勝負をこの本多劇場で体験してみたいです。
サブカルのまち 下北沢。
さすが若者のまちです。ひさしぶりに歩いてみて、99.9%完璧に若い人しか歩いていません。すれ違う人、みんな若い人ばかりです。年配の方はほとんど見かけなかったような気がします。
そこはいまも昔も変わりませんね。
でもそういう表面的な景観は変わらないような感じはしますが、その”サブカルのまち”として名を馳せてきたその意味合いが大分違ってきているのではないかな、という印象は受けました。
水谷×大陸 [国内クラシックコンサート・レビュー]
まったくの想定外だった。もうびっくりして驚いてしまった。心から拍手とブラボーを贈りたいと思う。最高のデュオである。
もともとそんなに期待していなかった、というと大変失礼なのだが、今年の東京・春・音楽祭 川本嘉子さんのブラームス室内楽を10年ぶりの天下の大ポカですっぽかしてしまい、水谷晃くんがせっかく東京春祭初出場という晴れ舞台に申し訳ないことをした、というその罪滅ぼしで、水谷くんの出演するコンサートに足を運んだ、という理由だったのだ。
水谷×大陸 MIZUTANI×TAIRIK
同級生だそうである。音楽家、ミュージシャン同士のデュオだから、きっとお互い慣れないMC付の進行でポツポツと語りながらの進行なんだろうな、とは思ったのだが、もうこれがプロの漫才師、コメディアンを遥かに凌駕する凄さなのである。(笑)
いまの若い人ってほんとうに凄いな~。
若いイケメン2人ということで、聴衆は95%以上女性客である。男性客なんて自分含めて、ほんとうにごく少数。若い女性も多いのだけど、意外や年配の女性客も多く、クラシック音楽ファンであること、自分の孫を応援するような感覚なんだろうな、と推測した。
このホール内の聴衆の心を一気に鷲掴みにして、笑いツボの抑え方、そして会話のテンポの良さ、そして単なる漫談に終わらない音楽的素養の高さ。。。もうスゴイのである。笑っちゃうほど凄いのである。もうびっくりしてハハハという感じで、拍手するしかなかった。
まっお互い同級生ということもあると思うのだが、あ・うんの絶妙の掛け合いで、とにかくテンポがよくて、プロ・コメディアン顔負けのレベルで、もうこれはいまの地上波テレビのお笑い芸人を観ているより、もう全然レベルが高いと思う。
なによりも会話のレベルが高いですよね。
クラシック音楽ファンのための会話、水谷×大陸のファンのための会話であるから、余計に音楽的素養が高いと思うし、そこに2人のデュオという最高の演奏を挟みながら進行していく訳だから、レベルが高いに決まっている。最高のエンターティメント・ショーと言っていいと思う。テレビの大道芸人の漫才を観ているより、全然いいと思いました。
水谷晃くんは、大谷康子さんの後任として東京交響楽団のコンサートマスターとして2013年かな、入団した頃からよく知っている。もう鳴り物入りのスターという感じで、輝かしい活躍で存在感のあるコンマスであった。それが今年の3月でその東響のコンマスを辞めるという。
このニュースには自分ももうびっくりで、なんでなんだろう?なにかあったのかな?その理由が知りたかった。今回のMCで、東響のコンマスに就任してあっという間に10年間が過ぎてしまった。もうあまりに速過ぎる時の進み方。このまま行くと、あっという間に自分の人生終わってしまう。。そういう危惧があって、もっと自分をきちんと見つめ直して自分の人生を歩んでいきたい・・・発展ある前向きな退団。そういう理由なのだそうである。
水谷くんは、奥さんや子供もいるのに、経済的な理由もなんのその、安定な収入も捨てて、やっぱり芸術家、音楽家の心意気なんだろうな、と思った。
自分なんて、どうやって生きていくか、自分にどんな才能があるか、などを探りながら必死で生きてきた人間で、それで企業人として36年間ぶら下がって生きていた訳だが、そんな人生に比べると、本当にチャレンジングで音楽家らしい人生だと思う。ぜひ頑張ってほしい。この後も、幸運、大成功、ユニークな人生が待ち受けていることをお祈りしています。
水谷くんはクラシック音楽界の中では、お城好き、城マニアであることで、とても有名で、コンサートで地方に行ったときはその合間を見て、いろいろなお城を見て回っている。
自分のように単にお城が好き、というなんちゃって城マニアと違って、歴史にも詳しく、本格的なお城大好きファンである。そんなところも自分は気に入っていた。
でも水谷くんはいったい何歳なんだ???
1986年生まれ、ということだから、今年37歳。
1986年!!!自分が上京した頃か~!
でも37歳であの流暢な喋り、MCはすごくないかい?
ほんとうにスラスラと滑らかな喋りで、人間的にもすごく完成されたできた人のように感じる。
もう隔世の感があります。
自分が37歳のときと言ったら、もう生意気そのもので、世間知らずでかなり失礼な人間(いまもそうですが。。笑笑)で、あんなに流暢には喋れませんでしたよ。
自分は喋りは苦手なほうでいまも下手なのですが、37歳の若さしてあのスピーチ、コミュ力には本当に驚くしかないです。なんか見た目も本当にいい人でナイスガイ。奥さんもすごい美人で、本当に幸せな人生を送っているのだと思います。
さて、TAIRIKさんのほうは、今回自分にとっては初めてのご対面、体験でした。
インスト・ユニット「TSUKEMEN」のリーダーだそうで、ライブではヴァイオリンとヴィオラの両方持ち替えて弾きます。
デビューから現在までに、40万人以上の観客を動員。
リリースしたCDはクラシック・チャート1位を次々に獲得。
2015年ウィーン楽友教会「黄金の間大ホール」で行われたコンサートは驚異のキャンセル待ち200席を記録。近年では、古沢厳氏と「品川カルテット」、東京交響楽団コンサートマスターの水谷晃氏と「MIZUTANI×TAIRIK」を結成。コンサートや作曲活動の他「徹子の部屋」「題名のない音楽会」等数多くのTV番組にも出演。2021年4月より、NHK今日の料理「栗原はるみキッチン日和」にアシスタントとしてレギュラー出演。
水谷くんとは桐朋音楽大学のときの同級生。あるいはもっと前から???
人間って歳を重ねていくほど、年寄りになって行くほど友達、親友というのはできなくなっていきます。みんなお互い家庭を持っていくし、家庭の事情もあり、そんな友人同士の付き合いというのもなくなります。
また腹を割って、本音で喋る、冗談を言い合う、そういう親友というのも、やっぱり同期の仲間だけなんですよね。歳をとるほど、そういう親友というのはまずできなくなります。そういう生き物なのです。
そういう点で会社に入社時の同期、あるいは学生時代の同期というのは、人間の人生にとって貴重な宝だと思います。
そこからすると、この同期のユニット「MIZUTANI×TAIRIK」は、最高のデュオだと思うし、この類まれな絶妙な掛け合いのMCもお互い同期だったからこそ、お互い心が知れている間同士だからこそ、実現可能だった凄技なのだと思います。
MIZUTANI×TAIRIKってクラシック音楽界では有名なの?(笑)
まだ結成したてでそんなに月日が経っていないようだし、コンサートも年に1回ペースのようだから、これからもっと認知度が上がって、日本中いろいろなところで演奏会ができるようになるといいですね。
今回自分が行ったコンサートはこちら。
「2023 MIZUTANI×TAIRIK AGAIN」
北とぴあ さくらホールというところで開催されました。
自分は初めて行ったホール。多目的ホールですね。結構な収容人数で2000人以上は確実の規模の大きさ。当日は満員御礼でした。さすがの人気です。
音響効果面でNHKの技術協力を得たハイグレードな大ホールだそうで、本格的なオーケストラ演奏やオペラ、歌舞伎、能、狂言、演劇、バレエなど、広くご利用できるのだそう。
初めて行くので、南北線で、JR王子駅なのですが、なにを間違ったか路線を間違えてしまい、全然違う方面に行ってしまいました。慌てて戻り、着いたときは1時間前と、いつもだいぶ前に会場入りしないと気が済まない自分にとっては大遅刻でした。
パネルも手書きがいいですね。(笑)
まだ資金がない、というか、知名度もこれから。。。という感じが微笑ましいです。主催は、東京第一友の会で、協賛は公益財団法人 全国友の会振興財団だそうです。
コンサートは、1曲ごとにMCを挟みながらの進行で、それはそれは盛り上がりました。最高のショーでした。
水谷くんは、ヴァイオリンですが、TAIRIKさんは、ヴァイオリンとヴィオラの両方を持ち替えながら弾いていきます。イケメン2人の弾く姿はさすがにカッコいいというかサマになっていましたし、演奏も抜群のアンサンブルで最高だったと思います。最高に絵になる2人ではないでしょうか?
選曲もドヴォルザーク、フォーレ、モーツァルト、スメタナ、シューベルト、プッチーニ、プロコフィエフ、サラサーテと、プロコフィエフを除けば、非常に若い人、クラシックをあまり知らなくても親しみやすい優しい選曲だったと思います。
楽しいMCにこれらの親しみやすい作曲家の演奏。
ほんとうに最高のショーなのではないか、と思いました。
まったく想定外で、ほんとうに心底驚いてしまった演奏会でありました。
次回は10月に愛知だそうですよ!MIZUTANI×TAIRIKのコンサートを年に2回というのは初体験なんだそうです。愛知県のみなさん、ぜひ足を運ばれてみてください。
驚きますよ。(笑)
やはり同じ同性の男性アーティストのコンサートは、やはりちょっと違う効果を自分にもたらしますね。若いイケメン2人ですと、同じ男性として自分もいつも歳寄りぶっていないで、若々しくこれからも頑張っていこう!という気持ちに勇気づけられました。
2023 MIZUTANI×TAIRIK AGAIN
2023年5月27日 14:00~
北とぴあ さくらホール
ドヴォルザーク わが母の教え給いし歌
フォーレ シチリアーノ
モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラの為のDUO kv.424 第3楽章
スメタナ モルダウ
シューベルト 魔王
伝承歌 ロンドンデリー
プッチーニ 誰も寝てはならぬ
プロコフィエフ 2台のヴァイオリンのためのソナタ 1.2楽章
サラサーテ ツィゴイネルワイゼン