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岩下志麻さんが語る「小池栄子さんの政子、素敵です」 [ドラマ]

鎌倉殿の13人が面白ければ面白いほど、昭和生まれのドラマファンは「草燃える」を想い出してしまうものなんです。人間ってそういうものです。これは仕方がない。


43年前と今ではまったくドラマの作り方が違うし、まったく別物というのが自分の印象。どちらがいいなんて絶対言えないです。自分は草燃えるで、源氏三代と北条氏の世を確かなものにした鎌倉草創期の物語が大好きになったし、この2つの作品は自分の人生の中で永遠に、そして深く心の中に刻まれ、生き続けるものと思います。


鎌倉殿の13人は、草燃えるを上書きすると思います。


長らく大河ドラマを見続けてきた自分にとって、今年は大きな運命の年になりそう。そんな中で、もう信じられないくらいうれしいニュースが飛び込んできた。


「小池栄子さんの政子、素敵です」“先輩”岩下志麻が語る「鎌倉殿の13人」〈週刊朝日〉



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もうこれは天にも昇るくらいうれしかった。こういうのが1番嬉しんだよね~~~。岩下志麻さんは、大女優だけあって、やはり人間的に器が1枚も2枚も大きいというか、さすが人間ができている。こういう応援のエールって本当にうれしいものです。


視聴者の自分がこれだけ嬉しいんだから、小池栄子さんや共演者の方々、三谷幸喜さんも本当にうれしいに違いない。大先輩にこう言われると、背中をポンと押してもらったような、太鼓判を押しもらったような自信がみなぎってくるものである。さあ、これからますます勢いがでてくるというものだ。そんな嬉しさがあるに絶対違いない。


鎌倉殿の13人と草燃えるは、絶対比較されてしまうのは仕方がないことだし、草燃えるに出演されていた俳優さん方々が、こういうエールを送ってくれることは、本当に素晴らしいことだと思います。


ぜひ、週刊朝日を読んでほしいです。


小池栄子さん、頑張ってほしいです。頼朝が死んでから、どんどん物語の中心人物になっていきます。承久の乱の大演説や、つぎつぎと自分の子供に先立たれていく悲劇。強く生きていかざるを得ない。楽しみです。


鎌倉殿の13人の番組冒頭の最初のクレジットで、なぜか北条政子ではなく、政子なのは、なんかまたある特別な意味があるのかな、といつも興味深く思っています。





「小池栄子さんの政子、素敵です」“先輩”岩下志麻が語る「鎌倉殿の13人」


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私が北条政子を演じさせていただいた大河ドラマ「草燃える」の放送が1979年だったから、あれからもう40年以上経つんですね。


今でも私に対する「北条政子」のイメージが強いようで、最近は特に「鎌倉殿の13人」が、同じ時代を描いているからかしら、よく「岩下さんの政子、見ていました」って、お声をかけられます。


たくさんの役を演じてきましたけど、政子は特別な思い入れのある役です。


映画や他のドラマは短期集中で2、3カ月で撮影するでしょう。でも大河ドラマは1年間、同じ人間を演じなければならない。その1年間は政子になって政子の人生を生きるというか、政子が自分の体に乗り移ったような状態になっていました。


最後のシーンを撮り終わった後、楽屋に戻ったら全身から力が抜けてしまって。しばらく虚脱状態で、動けなくなってしまったんです。それぐらい、政子が自分の中に生きていたんですね。


政子のイメージは「強い人」「嫉妬深い人」といったところかと思うんですが、とても愛情深い人だったんだと思います。頼朝に対しても、子供たちに対しても。だから「亀の前事件」(※政子が頼朝の愛妾の家を焼き討ちした)を起こしたりしてしまう(笑)。


ただそれも真面目で一本気だからなんですね、頼朝を心から信じていたからこそ、裏切りが許せなかった。強い愛情の裏返しなんです。


頼朝が亡くなった後も、尼将軍として頼朝のつくった鎌倉を守らなければって、毅然(きぜん)と対応します。


当時は乳母の存在が大きくて。頼家も実朝も乳母たちに育てられたので、子供たちをとても愛しているんだけど、気持ちが伝わらない。娘の大姫には先立たれてしまいますしね。


だから政子は母親として大変哀しい人生を送ったと思います。


「草燃える」は永井路子先生の原作で、日本の歴史上珍しく波瀾(はらん)万丈な生涯を送る女性を、いろいろな面から描かれた。


そのぶん演じるのは大変だとは思ったのですが、だからこそ演じてみたいとも思ったんですね。


そういえば私、政子を演じた後、なぜか鎌倉や伊豆に行くことが多かったんです。プライベートの旅行で。伊豆に行くと落ち着くというか、懐かしい気持ちがして。


■史実解釈が斬新 三谷さんの脚本


政子のお墓や鶴岡八幡宮がある鎌倉にももちろん行きましたけど、やっぱり(北条家のあった)伊豆が落ち着くんです。当時の女性は実家を大事にしていたからかしら、不思議ですね。


「草燃える」の頼朝は石坂浩二さん、義時は松平健さんでした。石坂さんはとにかく博識で鎌倉時代や政子についてなんでも知っていらして。


「政子はとても頭の良い女性なんです」って、逸話を話してくださって、とても演じやすくしていただきました。そして源氏の棟梁(とうりょう)としての品格というか風格もあって、頼朝にぴったりでした。


松平さんは時代劇がとてもよく似合う方だと思いました。最初は若々しい義時も、どんどん年を経て老獪(ろうかい)になっていきます。それに合わせて松平さんも髭(ひげ)を白くして声のトーンを落として、見事に老け役を演じていらっしゃいましたね。


今放送している「鎌倉殿の13人」も、毎週欠かさず見ています。


三谷幸喜さんの脚本は「政治の現実を捉えている」と感心して見ています。かつ現代的ですよね。北条家の面々が家族で言い合ったりするところや、くすっと笑わせてくれるところなど、さすがです。史実にあったシーンでも三谷さんなりの解釈で描かれている。そこが三谷さんならではで、おもしろいです。


「草燃える」になかったシーンも印象に残りました。義時がひたすら八重さんを思って、やっと結ばれたでしょう。ああ、よかったなーと思って(笑)。ああいった三谷さんが創作された部分も斬新です。


小池栄子さんの政子も、とても素敵。頼朝への愛がいっぱいで。嫉妬するところも小池さんが演じると、かわいくて応援したくなります。


私が演じた政子の映像も見ていただいたみたいですが、気にしないでほしいと思います。小池さんなりの政子をつくればいいんですから。これから尼将軍の演説シーンもあるし、子供たちに先立たれてしまう悲劇も待っているけれど、小池さんならきっと魅力的に演じられると思います。


これからも視聴者として、三谷さんのつくり出すお話と小池さんの政子を拝見することを、楽しみにしています。


(聞き手 本誌・工藤早春)


※週刊朝日  2022年5月27日号





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Windows11アップグレードやVPNのことなど。 [PC関連]

Windows10から11へのアップグレードは、前回失敗してしまったので、やや気が重かった。このまま何回も失敗してアップグレードできなかったら、Windows11のプリインストールのPCを買わないといけないのかな、とか。Windows10は2025年までだから、またPC購入代としてうん十万の出費はつらいな、と思っていた。


今日何気に、もう一回やってみようと思い、PCの内部の写真データなどを全部バックアップ。


そしていよいよWindows11へのアップグレードである。


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前回失敗したのは、インストール途中でフリーズしたらしく何時間経ってもメーターが動かなかったことにある。アップグレードは重いからね。すごい時間かかります。またフリーズしたらどうしよう?という感じで気が重かった。


ダウンロードはそんなに時間かからないけど、インストールが大変ですね。メーターがどんどん進んでくれればいいんだけれど、あるところで長らく止まるんですよね。またフリーズ?という感じで気が重くなって仕方がなかったけれど、なんとか切り抜けた。


100%になった瞬間。やったー!である。3時間かかった。(笑)


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100%インストール後も更新プログラムを構成しています、で5回くらい再起動を繰り返します。15分くらいかかる。


途中何度も長らくメーターが動かなかったりとか、またフリーズか、で何十分も経ってようやく動き出したら、そのたびに冷や汗を拭うなど、本当に心臓に悪い。OSアップグレードは、本当に時間かかるので心臓に悪いですね。


これでいまのPCで2025年以降も使い続けることができる。貧乏人にとって助かった。壊れなければですが。(笑)ノートPCの寿命って大体5年くらいなんですよね。


Windows11の所感は、まだよくわからない。Windows11は10とあまり変わってないところが欠点らしい。(笑)使ってみたら、いろいろ違いが分かってくるであろう。


画面の左下にあったタスクアイコンがいっさいなくなり、中央に移ったのは、正直面食らった。人間の慣れがあるので、使いづらい。OSアップグレードで一番戸惑うのは、UIの変更ですね。


よく使うアプリのスタートにピン止めもかなりわかりにくい。改悪ではないだろうか?あたりまえに使うコピー、ペーストもなんか変わっていてわかりずらい。面食らいました。


でも無事Windows11へアップグレードできて、いままであったモヤモヤの心配事がなくなり、すごいスッキリした気持ちです。


Windows10を使っていて感じたことは、しばらく使っていないで放置した時になるロック画面である。Microsoftが気を使ったせいなのか、毎回美しくて精神的にいい世界の絶景の風景画が映し出される。毎回違うのだ。そのたびに感心するのだが、このロック画面がすごい重いのだ。


PINコード入力画面が出るまですごい時間がかかる。せっかちな人は、すぐにカチャカチャreturn keyを押したりで返ってフリーズしてしまう。ずっと待ってないといけないのだ。何分も経過して、ようやくPINコード入力画面が出てくる。


いつまで経ってもPINコード入力画面が出ない場合もあるので、そういう場合は強制終了。


毎回このロック画面には、ストレスを感じる。Windowsって重いから、いやなんだよな、と思うも、会社のPCもそういう風景画のロック画面が出るけど、すぐにレスポンスするから、たぶん自分のプライベートPCの問題なのだろう。


写真データ量が膨大からなのかな?Windows11へアップグレードしたら、このロック画面の起動の速さの待ち時間の改善を期待しています。


さて、自分はMacでなくずっとWindows派なので、長らくWindowsPCの変遷を目の当たりにしてきた。


昨今やっぱり大きく変わったと思うのは、VPNの定着だろう。コロナ禍で、在宅勤務やリモートワーク、テレワークの必要性が出てきてから、急に陽の目をみた技術だ。VPNはインターネット技術で大躍進した技術と言っていいだろう。


いまや時代の寵児である。


VPNというのは、Virtual Private Networkの略で、セキュアな専用の仮想チャンネルを構築する技術のことだ。


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いままで会社のLANには、会社に行って、会社のパソコンでないと、社内の共有DBなど使えなかった。社内LANというのは、社内で構築された閉じたネットワークである。


でもVPNを使うと、在宅からでも、社内LANにアクセスできて、仮想的に社内にいるかのように、接続でき振舞える。


在宅にいながらオフィスにいるかのように仕事ができる。これは大きな技術革新だと思う。


でもずいぶん昔からありましたけどね。それこそ自分が前職時代の1990年頃からある技術で、自分も海外赴任のときは、VPNの権限をもらって使っていました。


でも当時はVPNは高級なツールでしたよね。普通の社員では使えないというか。ある特権階級とか、ある程度の官職についている人でないと使うことが許されなかった技術でした。自分の環境下の話ですが。。。


外出先で喫茶店に入りながら、ノートPCでVPN使って会社の仕事をするなんて、ブルジュアのやることでした。(笑)海外に出張する人は、出張前にIT部にVPN申請というのをやって、VPNを使えるようにしてから、出張したものです。出張先の海外のホテルで、夜にそのままインターネット経由で会社のLANに繋げて出張報告とかE-Mailとか会社の仕事をするためにVPNを使うのです。VPNを使うことは憧れの的でした。それだけVPNはブルジュアだったのです。


自分も憧れてましたもん。(笑)大体この時代、社員に1人にディスクトップ・パソコンの他にノートPCが配給されるなんて、夢のまた夢の時代です。


ところがいまの時代、社員に1人、ノートPCが配給され(まっ別に購入しなくてもリースでもいい訳です。)、もう強制的にVPN申請をしてVPNが使えるようになりました。そうやって在宅勤務ができる時代になったのです。


自分は昔をよく知っているから、VPNがこんなにあたりまえの技術になるなんて、想像もしていなかったです。時代の進化って恐ろしいな、と思います。


コロナ禍は世界の悪夢でしたが、働き方改革という点では、急激な進化をもたらした、と言っていいでしょう。


そんなVPNについて、ちょっと勉強してみましょう。


VPNとは、「Virtual Private Network」の略称で「仮想的な専用回線」のことを指します。VPNは、インターネット上に安全な経路を構築し、セキュア(保護された)なデータのやり取りを実現する技術です。


従来は、セキュアな通信をするために「物理的な専用線」を構築していました。しかしVPNの登場によって、セキュアな通信のために物理専用線を引く必要もなくなりました。VPNは物理専用線よりも低コストで、手軽に素早く構築できるセキュアな通信手段として導入できるようになったのです。


現在では、本社と支社といった拠点間接続はもちろん、パソコンやスマートフォンなどを介して社外からリモート接続するときも、VPN利用により安全なデータ通信を実現できます。


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VPNの種類


VPNには、大きく分けて2つの種類があります。「インターネットVPN」と「IP-VPN」です。VPNの基礎を理解するうえでは、この2つの違いを把握しておくことが大切です。




インターネットVPNとは


インターネットVPNとは、一般のインターネット回線に仮想的な通信トンネルを構築して通信をするものです。一般的なインターネット回線を利用しますが、トンネリングやカプセル化(後述)といった仕組みを利用して閉じたネットワーク経路を構築するので、セキュアな通信が可能です。


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IP-VPNとは


IP-VPNとは、通信事業者独自の閉域ネットワーク(外部干渉のない仮想ネットワーク)を利用するVPNのことです。


インターネットVPNでは、データが共用のインターネット回線を通るのに対し、IP-VPNは通信事業者と契約ユーザーだけが利用できるバックボーン回線を介して通信します。そのため、回線の帯域を他者に干渉されないことはもちろん、よりセキュアな通信が可能です。


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VPNの仕組み


インターネットVPNの仕組み


インターネットVPNを支える仕組みとして把握すべき技術は「トンネリング」「カプセル化」「暗号化」の3つです。



簡単な例としては、本社と支社の遠隔地をVPNでつなぐケースがイメージしやすいでしょう。この場合、本社と支社にIPsec(暗号化によってパケットの秘匿や改ざん検知を実現するプロトコル)などの機能を持つルーターを設置して「トンネリング」します。データをやり取りする際には、「暗号化」が可能な通信プロトコルで「カプセル化」して、トンネリング経路を使った通信を行います。


このような流れで3つの技術が使われるのです。



IP-VPNの仕組み


IP-VPNは、通信サービス提供事業者の閉域ネットワークで通信する際に「MPLS」という技術を利用します。MPLSは「Multi Protocol Label Switching」の略称で、宛先識別にIPアドレスではなく「ラベル」を使う通信の仕組みです。


インターネットVPNを含め、IPアドレスを使った通信の場合はルーティングが必要ですが、MPLSではラベルの転送経路で相手を判別し、ユーザーごとに分割された経路を通じてパケットのやり取りができます。




VPNの構築手順


【テレワークにVPNを導入する例】


・VPNの設計:遠隔地からのVPN接続に使用するプロトコルを決定する

・VPN機器の導入:社内ネットワークのルーターをVPNサーバー機能付きルーターに置き換える

・VPNの設定:VPNルーターに、VPN接続に必要な値を設定する

・パソコンやスマートフォンにVPN設定:ルーターに設定したVPN情報に沿って、テレワークで利用するパソコンやスマートフォンにVPN接続設定を施す

・遠隔地からパソコンやスマートフォンでVPN接続を行う



自分が前職時代に使っていたVPNは、パソコンは自分のプライベートなノートPCでも全然構わなかったです。でもいまや時代ですね。私用のノートPCは絶対NGです。


会社専用のIT部で管理している(資産管理番号のついた)セキュリティ的にしっかりしたノートPCを使います。今の時代社員1人1人に与えられます。そのノートPCにVPN接続のためのソフトをインストールして接続設定をするのです。


VPN接続を可能にするためには、その両者間でVPNのルータ機能があるのですね。社内のネットワークには、VPNサーバー機能付きルータというのを設置するんですね。



VPNに必要な装置(ルーター)

VPNの構築に欠かせないのが、VPNサーバー機能を持った装置のルーター機器です。



インターネットVPNを構築するためには、IPsec、L2TP/IPsec、PPTPをはじめとしたプロトコルをサポートしているVPNサーバー機能を持ったルーターが必要です。また、IP-VPNを構築するには、MPLSに対応したルーターが必要となります。


例えば、テレワークで遠隔地からVPN接続をする場合は、接続する側のパソコンやスマートフォンにも、VPNサーバーが持つプロトコルに合わせて接続設定ができる機能が必要です。PPTPの設定しかできないスマートフォンからIPsecのVPNには接続できないため、VPNを構築する際には双方のプロトコルをしっかりと確認して設計することが必要である。



コロナ禍になったときに、政府がそれ、企業のみなさん、テレワークを推進しましょう!って合言葉をかけても企業によって、テレワーク対応できる企業とそれができない企業との差が出てきましたが、こういうVPN設計ができるIT部の存在があるかどうかの違いだったんですね。


世の中、簡単にテレワークできると思っている人が多いかもしれませんが、きちんとVPN設計ができる技術、人材が必要だということです。



最近、巷ではこういうVPN設計のお手伝いをします、というサービスがどんどん増えています。自分は私用PCにVAIOを使っているのですが、VAIOが推進しているVPNソコワクというサービスもそんなVPN設計やテレワーク推進のお手伝いをするサービスだと思います。


VPNの接続は、自分のノートPCにインストールしてあるVPN接続アプリのアイコンをクリックして起動すれば、ワンタイムパスワードが送られてきて(いわゆる認証作業)、そのID入力で接続が可能になります。


いままで、うちの会社はSSLVPNというブラウザでVPN接続する方法をずっと採用していたのですが、最近ブラウザを使わずしてダイレクトで社内LANにつながるアプリに変更で、在宅勤務メインの自分はそのパフォーマンスの素晴らしさにただただ驚くばかりでした。


時代の進化というのは、ただただ驚きしかないです。







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謎だらけの寿福寺 [寺院・仏閣]

1200(正治2)年、源頼朝の妻・北条政子が頼朝の死後、頼朝の父である義朝の旧邸跡に明庵栄西を招いて創建した禅宗のお寺。開基が北条政子で、開山が明庵栄西である。まさに源氏のルーツといっていいお寺。


でもこのお寺、秘密のベールに包まれているのである。美しい参道で人気の寿福寺、でも本堂の前の門はいつも入れないようになっていて、本堂の前で参拝することは出来ない。美しい参道を楽しむのと、北条政子、源実朝のお墓参りを楽しむというのが心得である。


しかし年に2回、お正月とゴールデン・ウィークの時に本堂前まで行ける特別拝観が実施されるのだ。


自分はそれを楽しみに今年のGW休暇、行ってみたのだ。GWのいつなのかはわからない。寿福寺からの正式なリリースは期待できないのだ。なにせ、寿福寺は、SNSなどいっさいやっていないし、電話やFAXのお取次ぎもない。試しに電話をかけてみたのだが、鳴りっぱなしで全然とる気配がなかった。もう不愛想そのもので、世捨て人、世間との関りを持ちたくない感じである。


寿福寺のお正月の特別公開に行った様子をブログであげている方がいらして、そこには5月の第1週とある。


寿福寺の特別公開の様子、秘匿の仏殿の中の様子など、そのブログに丁寧にレポートされているので中がどうなのかはじつはもう知っている。


でもその写真をお借りして、説明するのはいやだ。やはり自分でじかに体験して、自分の眼でその空間を確認して、自分のカメラで写真を撮りたい。自分の写真でないと嫌なのだ。


自分の実体験とともにレポートするというプライドがある。


そこで、即実行である。会社がGW休暇に入った5月3日。


いや~~もうドキドキである。普段秘密のベールに包まれている寿福寺の全貌がいま解き明かされようとしている!これはかなり心臓バクバクで緊張しました。鎌倉駅で下車、小町通りを歩いて行ってずっと突き当たったところを左折。そこから住宅街をひたすら突き抜け、線路を渡ったら、そこは寿福寺である。


歩いて行ってお寺に近づくにつれて、その鼓動が激しくなっていくのがよくわかった。


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そして寿福寺に到着。


寿福寺の本堂前の門は、上記の写真の通り普段は柵が置かれ本堂前まで行って参拝することが出来ない。


あれれ???もうゴールデンウィークに入ってますが・・・(笑)なんでクローズドなのだろう?


自分はもうガックリである。この落胆、気落ちはかなり想像以上であった。


たぶん日にちが違うのだろうかな?もっと後日に公開されるのかな、と思い、明日出直すことにした。


そして翌日である。


またしても柵が置かれクローズ。う~む。なんなんだろう?


GWは訪問客、参拝客も多く、賑わっていたが、基本非公開なお寺なのでそんな混みようがない。みんな柵の前から覗くくらいである。


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もうこうやってがっしり柵でクローズドなのだ。


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ちなみに、柵の向こうの仏殿を、この位置から撮影してみる。あの仏殿の中に入りたいのだよな~~~。


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ちょっと横の道を行ってみると、寿福寺の梵鐘があった。


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そしてその先に、立ち入り禁止の厳かな雰囲気が漂うエリアがある。


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遠くを見ると、住居の建物のような感じである。おそらく寿福寺を管理しているお坊さんの住まれている住居なのではないか?でも人の気配がまったくしない、廃墟のような佇まいであった。


いつもせっかちなので、開門の朝9時に行っていた。ひょっとすると時間帯が違うのではないか、もっと遅いのではないか。


そうしてさらにその翌日、お昼過ぎに行ってみた。そうしたら、またしてもクローズド。


これで3日連続である。もうこうなったら意地でも通い続けるぞ!と決意し、会社のGW休暇の終わりまでずっと通い続けることにした。


5月3日から5月8日までの6日連続。

通い続けました。


全部閉まってました。(笑)


あれ~GW特別公開ではなかったの???


もう自分の落胆ぶりは半端ないです。ひょっとすると、5月3日より前の、5月1日、5月2日が公開日だったりして・・・。でも普通GW休暇の一週間はずっと公開し続けるものですよね?


もう謎だらけの寿福寺である。


今年のGWはなにかアクシデントがあって、公開できなかった事情があったのだろうか。いっさいナゾ男くんである。なにせ世間といっさい関りを持たないお寺なので。


自分の街から鎌倉までって電車代もバカにならないんですよね。1000円超えます。6日間通ったので、6000円以上は飛びました。貧乏人には辛いです。


GWはいっさい旅行などの予定は立てていなかったので、もうこの6日間、朝に鎌倉まで行って劇混みの小町通りを歩いて行って、寿福寺にフラれて、そのまままた小町通りを帰って鎌倉駅から自分の街に帰る。ただひたすらこれを繰り返していました。


虚しかったです。(笑)


GWの鎌倉、小町通りはすごい人混みです。天気もほとんど快晴だったのではないでしょうか。もう歩いているだけで徐行しながら歩かないと人とぶつかってしまいます。せっかちで、歩くのがメチャクチャ速い自分にとって相当ストレスだったです。イライラMAXです!


鎌倉はとても素敵な街ですが、普段観光目的でもない限り、そんなに行かないですね。それをこの6日間、鎌倉に通い続けたこと、小町通りを毎日歩けたこと、町ぶらり旅でいろいろな発見があったこと。これも人生の中でいい想い出になると思います。


そうなると、来年のお正月でしょうか。自分はあきらめないです。正月の元旦、みなさんは伊勢神宮や川崎大師などに初詣するかもしれませんが、自分は寿福寺で初詣します。(笑)特別公開されたその秘密のベールに包まれた仏殿で初詣したいと思います。


初詣をこのお寺でする人は普通いませんよね。(笑)リアルタイム実況中継します。あけましておめでとうございます、のひと言で始まり、仏殿内を実況生中継です。波乱万丈な2023年になりそうです。


来年元旦というと、鎌倉殿の13人終わってますよね。ぜひ放映中の今年中に実現したかったのですが。。。


横須賀線ホームを降りて、鎌倉駅の改札に出るまでの通路口でいま話題のあれを見つけました。SNSで話題になっていましたが、自分も発見できました。


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6日間毎日通っていたので、毎回拝んでました。






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東京音楽大学オーケストラ・アカデミー [クラシック演奏家]

東京音楽大学オーケストラ・アカデミー。


君らはいったい何者なんだ?(笑)


別府アルゲリッチ音楽祭の主役はもちろんアルゲリッチ。それは当然決まっていることなのだけれど、最初大学オケなので、まっそれなりで仕方がないかな、という印象を持っていた。そんなオーケストラまでスーパースターを揃えたら、それこそ大変なことになっちゃうだろう?という感じで。アルゲリッチを楽しめればそれでいいや、という感じである。


ローマの謝肉祭やシューマンのピアノ協奏曲は、なかなか素晴らしく粗も見つからず、自分はいい印象。いいオーケストラだな。。。とホッとしたところもあった。


本領を発揮するのは、トリのブラームス交響曲第1番、通称ブラ1である。


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もうこりゃぶったまげた、というか、いやぁ大学オケとして軽く見ていて大変失礼いたしました、と平謝りである。


とにかくスゴイのである。こんな凄いブラ1を聴いたのは、いつ以来だろうか?安永徹さんが在籍していた頃のラトル&ベルリンフィルのサントリーホール公演のブラームス・ツィクルス以来であろうか。。。


それだけ衝撃であった。


ブラ1のあの冒頭の独特の出だしからして、ものすごい分厚い弦の音と半端じゃない定位感。精緻な精度を誇るアンサンブルと、もう超一流のオーケストラなみであった。このブラ1の冒頭のフレーズを聴いただけで、そのオケの実力がわかるというものだ。これは只者じゃないな、という予感がした。


そして第2楽章、第3楽章、そして最終楽章と聴き進めていくにつれて、あまりに完璧ですごい迫力なので、自分は感嘆の溜息をもらしてしまった。


特に最終楽章のコーダの部分のどんどん押し寄せてくる感覚など、もう逝ってしまう感じだった。


プロの在京楽団でもここまでのすごいブラ1は聴けないかもしれない。思わず、君らは何者?とパンフレットを確認した。


まさに恐れ入りました、という感じである。


金管楽器はまだまだ安定感がイマイチと思いましたが、弦楽器群のあの発音能力と色艶のある分厚いサウンド。只者じゃないです。大物のオーラたっぷりでした。


東京音楽大学オーケストラ・アカデミー。


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正確には、東京音楽大学付属オーケストラ・アカデミー。

 

東京音楽大学付属オーケストラ・アカデミーは、オーケストラ奏者として国内外の職業オーケストラで活躍することができる演奏力を教授し、高度な演奏能力を持つ音楽家を育成することを目的としている。

東京音楽大学の教授陣および国内外で活躍する演奏家・指導者により、オーケストラ実習・室内楽実習・個人レッスン・演奏会等のカリキュラムを実施することで、演奏能力の向上を目指す新たなオーケストラ奏者養成機関である。


2022年4月に開講する東京音楽大学(東京都目黒区 学長 野島稔)付属オーケストラ・アカデミー。


東京音楽大学付属オーケストラ・アカデミーは、音楽監督に尾高忠明氏を迎えて東京音楽大学が新たに開設するオーケストラ奏者の養成機関であり、毎週行われるオーケストラ実習に加えて、室内楽実習と個人レッスン指導も併せて行われる充実したカリキュラムが特徴。豊かな経験と高い専門性を有する本学の教授陣が直接指導に当たるため、プロの世界に通じる技術と芸術性の修得を可能にする。


第一期生のお披露目の場が、世界的なピアニスト、マルタ・アルゲリッチが総監督する「第22回別府アルゲリッチ音楽祭2022」に決定しました。注目度の高い大舞台での演奏経験は、今後の音楽人生において貴重なものになることは言うまでもありません。


代表教員よりメッセージ


【水野信行】


オーケストラに入りたいと本気で思っている人たちのためにつくったのが、この付属オーケストラ・アカデミーなんですね。第一期生のはじめての仕事が「別府アルゲリッチ音楽祭」に決まり、大舞台に見合うような演奏をしようと我われも意気込んでいます。ぜひ東京で一緒に学びましょう。


【四戸世紀】


オーケストラプレイヤーになるには、まず専攻楽器を自由に操れることは第一ですが、オーケストラではそれに加えてオーケストラで通用する、音、アンサンブル能力が大切になってきます。オーケストラ・アカデミーでの本番をたくさん経験して、プラスアルファを身につけましょう。


指導教員(敬称略)


(音楽監督)尾高 忠明

(ヴァイオリン)荒井 英治、大谷 康子、木野 雅之、山口 裕之、中村 静香、横山 俊朗

(ヴィオラ)店村 眞積、百武 由紀

(チェロ)苅田 雅治、山本 裕康

(コントラバス)星 秀樹

(フルート)工藤 重典、相澤 政宏

(オーボエ)古部 賢一、宮本 文昭

(クラリネット)四戸 世紀、松本 健司

(ファゴット)水谷 上総、宇賀神 広宣

(ホルン)福川 伸陽、水野 信行

(トランペット)長谷川 智之、辻本 憲一、高橋 敦

(トロンボーン)呉 信一、新田 幹男

(ティンパニ/パーカッション)菅原 淳、久保 昌一


その他 適宜東京音楽大学講師陣が指導します


カリキュラム

・オーケストラ実習 週1回/4時間

・室内楽実習 春学期3回/各90分、秋学期3回/各90分

・個人レッスン 春学期8~10回/各60分、秋学期8~10回/各60分

・演奏会 年間を通じて複数回実施

・個人レッスンは、上記記載の回数内で希望によりダブルレッスン(2名の教員からレッスンを受けること)が可能

・ヴァイオリン専攻生は、ヴィオラも担当することがあります



2022年4月ってできたばかりじゃないですか!(笑)しかも一番最初のお披露目が、自分が体験した、そしてびっくらたまげた「別府アルゲリッチ音楽祭2022」だったとは!!!(笑)


いやぁ~~~すごいよ~。(滝汗) プロ並みでした。ブラボー!!!


オーケストラ養成機関だから、大学生とは限らないんでしょうね。アマオケで活躍している人とか、プロのオーケストラ要員目指して、いろいろ人が応募しているんですね。


東京音楽大学オーケストラ・アカデミー。

とにかくすごいです。


あのブラ1を聴いただけで、その隠れた潜在能力の大きさは計り知れないものがあります。只者じゃない者の集まりであることは間違いないです。


まだデビューしたて。ちょっとこれから注目してあげてください!


自分はあの晩、心底ぶったまげました。新たな宝石のように輝くスター達を発掘した感覚になりました。





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別府アルゲリッチ音楽祭 [国内クラシックコンサート・レビュー]

クラシック音楽界のスーパースター、マルタ・アルゲリッチは日本に初めて降り立った日から51年、大分県別府との出会いから28年。日本で初めて自らの名前を冠した音楽祭は、「別府の奇跡」と世界を驚かせた。



なぜ東京ではなく別府なのか。


クラシックファン、アルゲリッチファンとしては、ずっと遠い別府で開かれるこの音楽祭に憧憬の念を抱きながら過ごしてきた。


この音楽祭が東京公演と称して、東京オペラシティで開催されるようになったのもそんなに遠い昔のことではないのではないだろうか。


自分は、いまから何年前だったか覚えていないけれど、その東京公演をやるというその記念の年にかけつけた覚えがある。東京オペラシティ。


アルゲリッチも自分もこれからは一期一会。アルゲリッチの公演にはできる限り足を運ぼうと決意している。


自分のクラシック鑑賞人生の中で、唯一悔いが残るのは、自分の日記できちんと”別府アルゲリッチ音楽祭”のことを語っていないことだ。


これはダメだろう。自分にとって絶対避けては通れないことなので、今年の音楽祭に通って華々しくぶち上げたいと考えていた。じつはそう思ったのは去年で、無念にもコロナ禍で中止。そして今年もチケットが取れず、奇跡的にギリギリのところで救済できてなんとか確保したという次第である。やっぱり波乱の運命だな、と思う。


別府アルゲリッチ音楽祭について、私の日記でぜひ語らせていただきたいのと、この音楽祭の末長い繁栄をお祈りするばかりです。


別府アルゲリッチ音楽祭の公式HP



このHPの記載から抜粋して紹介させていただきたいと思います。もちろん自分のために書きます。自分の勉強のため、この音楽祭の歴史を学ぶために書きます。



なぜ東京ではなく別府なのか。


アルゲリッチと別府のものがたりは1994年に始まる。


記者会見など滅多に応じないクラシック音楽界の頂点にあるピアニストアルゲリッチが、ジャーナリスト達の素朴な質問に答えた印象的なシーンがあった。



「日本であれば東京だと思いますが、なぜ別府なのですか?」

「それはキョウコがいるからです。」


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キョウコとは日本人ピアニスト伊藤京子さんのことである。アルゲリッチは1977年ミュンヘンで伊藤さんと出会った。二人の親交は続き、この別府へと奇跡をもたらすこととなったのである。


当時の別府市には別府コンベンションプラザの建設が進んでいた。別府のこの施設から世界発信を願っていた別府市中村太郎市長は、両親が別府へ移住した伊藤の噂を聞き、この役割を伊藤に託したのである。


伊藤さんは市長に尋ねました。「本気で世界へ発信を考えているのですか?」と。市長の国際的な催事を本気で考えていきたい、という返事を受けて伊藤は真に世界へ通用する人材が必要だと考えました。


偶然にもその時、伊藤さんはアルゲリッチと共に聴衆と一緒に演奏家が育っていけるような音楽会を企画していました。伊藤さんの知人であった馬場財団の支援を受けて「アルゲリッチ・チェンバーミュージック・フェスティバル」を東京はじめ地方公演を行いました。長年サロンコンサートをシリーズで続けていたNHK大分放送局の要望もあり、その公演の一つに大分市も入っていたのである。


この公演の時に中村市長が直接アルゲリッチに委嘱をすることになったのだが、これだけのスターピアニストであり多忙を極めており、芸術家の中の芸術家であるアルゲリッチがまさか受諾するわけがない、と考えていました。


しかし大半の予測を覆してアルゲリッチは快諾したのです。


「別府の奇跡」はこうして始まったのです。



「出会い」から生まれたアルゲリッチとの奇跡は、本格的な音楽祭を前に地元の人々にその意図を伝えることから始めました。


そのために、プレコンサートとして1995年から1997年までの3年間の時間を持ちました。


'95年の第1弾、世界を驚かせたアルゲリッチの10年ぶりのピアノリサイタル!


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以後、小澤征爾、ギドン・クレーメルなどアルゲリッチの推薦する世界のトップ・アーティスト、アジアの演奏家たちによるコンサートを毎年ビーコンプラザで開催。回を追うごとに、地元の人々の間にも少しずつ理解が深まり、ボランティア活動に協力する人たちも増えてきました。



そして満を持して1998年11月アルゲリッチの世界初の音楽祭が開始されました。


音楽祭の正式名称「Argerich's Meeting Point(R) in Beppu」~アルゲリッチの出会いの場~にはアルゲリッチと伊藤京子さんの“人が出会うことで多くのことが変わり、未来が開ける、幸せな出会いを多くの人々へ“という深い思いが込められています。


音楽が社会にできることを心に刻み、この名称に込められた思いと共に音楽祭はスタートしたのです。[日本語名通称:別府アルゲリッチ音楽祭]



・・・そうだったのか~~~。


この音楽祭はアルゲリッチと伊藤京子さんの関係で持っているということはよく理解していた。でもここまでも大きな音楽祭に育っていくには、スポンサー、大分県、そして財団など大きな力が必要で、並々ならぬ努力のたまものだったということがうかがえる。


1995年のアルゲリッチのソロ・リサイタルって、じつはすごいことなんですよ!クラシックファンであれば、よくご存じだと思いますが、アルゲリッチはコンサートでは決してソロをやらない、1人では演奏をしない人なのです。必ず気の合った室内楽メンバーと小編成、あるいはオーケストラとのコンチェルトでやります。


だからソロ・コンサートをやるということは、それだけ別府、伊藤京子さんへの信頼が厚い証だったと言えると思います。


2007年3月より財団法人アルゲリッチ芸術振興財団(総裁:マルタ・アルゲリッチ、理事長:大分県知事)がこの音楽祭の企画・運営を行っているとのことである。


会場は、大分県別府市のビーコンプラザ、iichiko 総合文化センターなどでおこなわれるが、特筆なのは、2015年春にオープンになった世界で唯一の”しいきアルゲリッチハウス”である。


ふたたび起きた別府の奇跡と言われている。


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素晴らしい音楽の時を与えてくれるアルゲリッチへ、アルゲリッチ芸術振興財団の名誉理事 椎木正和氏から尊敬と親愛の証しとしてこのハウスが贈られることになったのです。アルゲリッチ専用のピアノ「マルティータ」とともに永く音楽を届けて欲しいという願いも込められ、素晴らしい音響を持つ「サロン」から、これからも歴史に残るアルゲリッチの名演を皆さまへお届けします。


このようにアルゲリッチの名を冠したサロン、ホールはもちろん世界唯一であろう。きっと音響も素晴らしいに違いない。


このしいきアルゲリッチハウスのレジデンス・アーティストとして竹澤恭子さん、川本嘉子さん、小菅優さんが選ばれ活躍している。


大分県別府市にとって、アルゲリッチは、まさに街起こし的な大切な至宝であり、これからも大切な関係を続けていきたいという真摯な気持ちがよく伝わってくる。


そんなアルゲリッチに対する熱い想いで驚いたのが去年2021年に制定された”マルタ・アルゲリッチの日”の制定である。これには自分は心底驚いてしまった。(笑)もうここまで大切に思われたら、同じ人間としてこれ以上の幸せな気持ちはないだろう、と思うのである。


大分県では、アルゲリッチ芸術振興財団総裁 マルタ・アルゲリッチの大分県をはじめ日本、そして世界各国での歴史的な功績を称え、2021年6月5日アルゲリッチ総裁の80歳の誕生日を祝し、6月5日を「マルタ・アルゲリッチの日」として制定しました。


私たちアルゲリッチ芸術振興財団は、大分県とともに、地方から世界に向けた音楽祭を通じて、芸術の役割や寛容と共生の精神を世界に発信していきたいと考えています。そして、誰もが安心できる安寧な社会の実現に向けて努力するとともに、この精神を未来に伝えてまいります。



アルゲリッチと大分のつながりは、公式HPのぜひこのページを読んでほしいと思います。



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自分は圧倒されてしまいました。ここまで深くは知らなかったので、大分県とアルゲリッチの歩んできた28年、お互いがとても大切なパートナー関係だということがよく理解できました。この日記を書くまでまったく知らなかったです。これを機会に大分県とアルゲリッチの深い絆についてみなさんの知ることとなれば幸いと思います。


自分はこのことを知って思うのだが、自分の場合、ある意味28年経過してできた成果物、結果を紹介しているに過ぎない訳じゃないですか?ある意味トンビに油揚げ的な感じで、出来上がったものを紹介しているに過ぎない。


でも、いままで紹介してきたことを、なにもないところから始めて28年かけて、ここまで育て上げてきた、いわゆる主催者側のご苦労の賜物と考えると、本当に頭が下がる思いでもある。


別府アルゲリッチ音楽祭でもうひとつ重要なのが、ピノキオコンサート、ピノキオ基金である。



マルタ・アルゲリッチと伊藤京子が「育む」のコンセプトのもと、「子どものための無料コンサート」を1998年第1回音楽祭から実施。2007年3月、財団法人設立を機に、子どもたちを良質なコンサートへ招待する「おたまじゃくし基金」(2000年設立)と「子どものための無料コンサート」を統合し、新しく「ピノキオコンサート」と名付け、大人と子どものためのコンサートとした。


2015年第17回別府アルゲリッチ音楽祭にて、ピノキオコンサートの活動にご賛同いただいたArgerich's Friendsを中心とした音楽家や日本生命保険相互会社のご協力を得て、同年5月18日に「日本生命presents ピノキオコンサート支援チャリティin東京」を開催し、コンサートの収益金を全てピノキオ基金に充当しました。


この基金を活用し、しいきアルゲリッチハウスや県外でのピノキオコンサートを開催し、さらなるピノキオコンサートの充実を目指します。



遠い別府で開催されていたアルゲリッチの音楽祭。東京でも開催されるようになって自分も縁が出てきた音楽祭。数年前に九州にオーディオオフ遠征をおこなったときに、東京への帰路で別府から飛行機を使うため、別府空港に寄ったときのこと。空港内にアルゲリッチ音楽祭の看板が立っており、あ~、いまそのシーズンなんだな~と感慨深げに思ったのも懐かしい想い出である。いつか本拠地の別府でこの音楽祭を体験してみたい夢は捨てきれていない。


そしてコロナ禍を経て、満を持して3年ぶりに開催された別府アルゲリッチ音楽祭2022。東京オペラシティにやってきました。


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もう超満員御礼です!


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自分が最近アルゲリッチの実演に接したのは、2016年のロンドンでのBBC Promsのときと、いつか忘れたけれど、同じ東京オペラシティでの別府アルゲリッチ音楽祭であった。


シューマンのピアノ協奏曲。


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シューマンはやはりアルゲリッチの雰囲気にとても合う曲だと思う。とてもシューマンらしい明るい長調な曲で自分は大好きである。アルゲリッチのピアノ奏法はある意味、もう自分の体の中に染みついているので、どんなにお歳を召されていてもその雰囲気はまったく変わらず、アルゲリッチらしいな~と思ってしまった。強打鍵で、なんかこうちょっと雑といおうか(笑)、いい意味で愛嬌のある即興性というか、アルゲリッチらしいのである。愛せる人だな~と心から思ってしまう。


シューマンのピアノ協奏曲は、ピアノコンチェルトの中でも優秀な佳曲である。自分にとってはマレイ・ペライア、ハイティンク&コンセルトヘボウ、そして内田光子、ラトル&ベルリンフィルなど、2010年あたりにこの曲に徹底的に嵌って、この曲を追求し尽くした経験がある。アルゲリッチの演奏は、そんな名演奏とは、ちょっとひと味もふた味も違ったような気がする。かなり違う。スピードやダイナミクスの緩急がけっこうあって、アルゲリッチ・オリジナルカラーという感じであった。


アルゲリッチの雰囲気、カラーに染まっているとてもオリジナリティのある演奏で、ちょっと自分はいままで聴いたことのない、耳慣れた演奏とはずいぶん違うな~と感じた。第1楽章のカデンツァはこの曲のカデンツァとしては自分はあまり聴いたことのないカデンツァであった。


でも終わってみれば、大好きなシューマンのピアノ協奏曲であることには間違いなかった。それを再確認できた、という感じである。


でも思うのである。自分が生まれる前から世界の第1線で活躍してきた大ピアニスト。演奏云々という次元で語ること自体が間違っていると思うのである。もういまではそういう次元で語ってはいけないピアニストなのだと思う。


アルゲリッチ&マイスキーの室内楽コンビも聴けたし、もう自分のクラシック人生で微塵の後悔もないです。


やっぱりアルゲリッチは、愛すべき人。マイスキーもそうだと思うけど、アルゲリッチ80歳越えているはずですよね。すごいもうバリバリに元気そう。(笑)50歳後半で老い発言している自分が恥ずかしくなりました。彼女を見ていて、自分は、いま人生の最高潮のところにいるんだ、まだまだ、という元気をもらったという思いです。


素晴らしかったです。



別府アルゲリッチ音楽祭2022 東京公演

日本生命 presents ピノキオ支援コンサート オーケストラ・コンサート


マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

チョン・ミン(指揮)

ミッシャ・マイスキー(チェロ)

ウィリアム・チキート(コンサートマスター)


東京音楽大学オーケストラ・アカデミー


序曲「ローマの謝肉祭」(H.ベルリオーズ)

ピアノ協奏曲 イ短調 op.54 (R.シューマン

幻想曲集 op.73(R.シューマン


~アンコール

ショパン:序奏と華麗なポロネーズ op.3

ショパン:チェロ・ソナタ ト短調 op.65から第3楽章ラルゴ


交響曲第1番 ハ短調 op.68(J.ブラームス)


~アンコール

ブラームス:交響曲第1番から第4楽章





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Googleレンズ [技術]

Googleレンズの存在を知ったのはつい最近だ。会社の健康診断を受ける場所情報を、QRコードを読みこませることでアドレスを表示させてください、と言われ、うちの会社やるな~~~と思ったのでした。(笑)


QRコードは、スマホで映すと、その通信URLが表示され、そこのHPにつながる、ということは、よく知っていたし誰もが知っている常識であろう。QRコードとはそういうものだ。


でも自分はただスマホに映せば、そうなると思っていたのだが、そうじゃないんですね。Googleレンズというアプリを入れないとダメなのだ。


Googleレンズというアプリを通して、そういう画像を映したら、URLに辿り着くという感じだということがわかった。無事、健康診断の場所がわかったのでした。


それ以降、街中のQRコード、もしくは本に掲載されているQRコードを見たら、Googleレンズで映せばオンライン情報がわかるんだな、と思いました。


やっと自分も世の中についていけると思いました。


でも最近、そのGoogleレンズって、単にQRコードだけじゃなくて、いろいろな便利な機能があることがわかった。


それはGoogleレンズを通して、さらに「Google翻訳」というアプリだ。Android/iOS両方に対応していると思うが、このアプリを入れると、Googleレンズで映した外国語を自動で翻訳してくれるのだ。


これは海外旅行に行ったときは、めちゃ便利じゃないかい?


たとえば、外国語で書かれた看板とか、Googleレンズ~Google翻訳のフィルタを通すと、日本語に変換してくれる。


外国語の文章を写したとき。文章認識から日本語にそのまま訳せる。看板に書かれた知らない言語を簡単に訳せるというのは心強い。また、旅先のスーパーで洗濯洗剤と柔軟剤とかも区別できる。


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ドイツ語で書かれた看板。一切意味が分からなかったが、Googleレンズでかざして「降雪時は注意」の意だと理解できた。



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チューリッヒ空港のコーヒーマシンにて。「Zucker」は砂糖の意らしい。


画像の文字情報を翻訳してくれるのだ。


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これは自分も海外旅行にたくさん行くから、この便利さはすごい重宝すると実感する。英語圏だったらいいけど、それ以外の第二外国語圏だとすごい役に立ちそう。


道路標識とか、看板とか。あと、自分が使えると思うのは、たぶんレストランやカフェのメニューなんかも重宝しそう。昔、パリなどのフランス語圏は、魚料理はPoisson、肉料理はViandeと覚えたものでした。ドイツ語圏は、魚料理はFisch,肉料理はFleischとか。


自分のような古い世代の先人は苦労しました。(笑)メニューをあてずっぽうに頼んだら、とんでもないものがやってきた、という失敗は山ほど経験あります。それが日常茶飯事でした。外国のレストランでメニューがわかるほど便利と思うことはないだろう。


Googleレンズ~Google翻訳は、スマホをかざすだけだから、便利だ。


外国語で書かれているちょっとしたチラシやパンフレットなんかも翻訳できるのだろう。


Googleレンズのネックは通信がつながっていないと使えないことだが、大手キャリアでは海外ローミングがお手頃な価格で使えるようになっている上、プリペイドSIMやレンタルWi-Fiといった手段もあるため、現代ではあまり問題にならないだろう。


Google翻訳のアプリを入れれば、そのような翻訳もできるが、Googleレンズとの組み合わせで、それ以外のもっとバリエーション豊かな使い方もできるようだ。


AIによる画像認識を応用し、「カメラをかざすと写っているものの情報を表示する」機能なんかそうだ。


よく道端に咲いている花の名前を紹介しているSNS投稿をよく見るのだが、どうやって知っているんだろう?と思っていたのだけれど、たぶんこのGoogleレンズによるものだったんですね。みなさんさすがです。


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旅先で食べて美味しかったお菓子の通販が無いか調べたりもできそう。


「Google レンズ」はもちろん花だけじゃない。対象を問わない。花を写せばその学名を示し、観光名所を写せばそのいわれを紹介し、服を写せば似ている服をオンライン通販で探してくる。それが対象を認識する精度はGoogleレンズの場合、他のサービスよりも群を抜いて高いのだそうだ。


AIによる画像認識、オンラインで情報を引っ張ってくる、そして翻訳。Googleレンズってなんて便利なんだろう!!!自分は最近ようやくその存在を知って、その利便性を知りました。時代に乗り遅れていてスミマセン。(笑)


かざして情報表示系アプリは、目新しさはあるものの、そもそも正しく認識させるまでが大変で、あまり実用的ではなかったというのが現状だったそうだ。その認識精度がある一定域を超えると、高い価値を生まれてくるのだろう。


Googleレンズはその最有力候補だ。Googleレンズというのは、AIを応用した検索機能だそうで、AIの進化で、他のサービスを寄せ付けない精度を誇っているようだ。


自分のスマホにもさっそくGoogleレンズとGoogle翻訳をインストールしました。汚いスマホでスミマセン。(笑)問題は、今これから海外に行くことがあるかどうかだ。


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食べた分を運動消費はありえない [健康]

今日は、1か月の中でもっともブルーな儀式である血糖値検査。とくに変化なく、ちょっと下がったくらいだったので、ホッとした。毎月このブルーな儀式を終えた後の昼食が本当にうまいこと、うまいこと。(笑)これからあと1か月はまた悠著に暮らせるというものだ。


と同時に、また次の1か月間、気を引き締めて、来月の検査に向けて食生活、運動頑張ろうと思う日でもある。


自分は最近SNSなどで見かける内容で、う~む、自分の体験上、そうじゃないのではないか、と思うことがある。


それは、「いっぱい食べちゃったから、その分運動しよう!であれば大丈夫だよね。」というものである。


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自分はこれは違うのではないか、と思う。


確かに道理的にはそのように感じるかもしれないけれど、そんなうまくいかないのでは、と思う。そう言い切れるのは、自分の経験に基づいている。


自分は血糖値非正常コントロール状態(糖尿病という言葉が嫌いです。)になってから20年間、ずっと血糖コントロールのために奮闘してきたが、食べた分だけ運動消費すればいい、というようにはものごとは簡単にはいかない。


自分が何度もそれで失敗してきているからである。


自分も食べすぎちゃったときは、たくさんウォーキングなど、いろいろ激しい運動をして解消しようと思ったが、まず間違いなく、その月の血糖値は上がっていた。


食べ過ぎたと自分で感じた月は、どんなに運動をしていても間違いなく血糖値は上がってしまっているのだ。


こんなこともあった。


食べ過ぎたときは、血糖値の薬(血糖降下薬)をいつもより多めに服用したら、解消されていいのではないか、と思ってそうしたこともあるが、まず効かなかった。


自分が食べ過ぎたと思った月は、どんなに小賢しいことをやっても間違いなく血糖値は上がってしまうのである。


そういう経験を数多く体験してきて、自分が会得したのは、血糖値コントロール、体重ダイエットに一番いいのは、食生活をコントロールすること、規則正しい食生活をすること。


これに尽きるということである。


運動も確かに大事だけれど、運動をして消費するカロリーって、大変な割には、あまり効果がないんですよね。1番効果があるのは、食生活の改善です。


これが文句なしに一番効果がある。


体重ダイエットも血糖値コントロールも結局は、インとアウトの関係です。インが多すぎて、アウトで賄えないため、症状が起こります。


でも運動によるアウトというのは、なかなか大変なんですよね。とにかく食のコントロールが1番効果があります。血糖値が下がってくる、体重が減ってくる、ダイエットできる一番の近道で確実な方法が食の制御です。


でも人間、食べることは生きていく上でとても楽しみなことです。美味しいものを食べることは、この世の極楽といっていいでしょう。それだけ食の世界には誘惑がいっぱい詰まっています。


毎日、ダイエット食、健康食ばかり食べていたんじゃ、人間どんどんストレスが溜まっていき、精神的に病んでしまいます。


自分が20年間の経験から学んだことは、食生活を月の平均で考えるようにする、ということです。美味しいもの、大好きなものを食べたいときは思いっきりたくさん食べたほうがいいです。


生き返った~~~!となるでしょう。精神的にもいいです。


問題はその前後です。たくさん食べた後は、食事量をセーブします。毎日で考えるのではなく、月平均で食事による摂取量を平均化するように考えて摂取します。


血糖コントロールでいい結果がでた月の食事量を感覚的に覚えておいて、毎日健康食を取る場合と、たまには御馳走をたくさん食べて、その代わりそれ以外の日はセーブして、結局月平均で考えると毎日健康食を食べていた摂取量と同じである。。。このように考えると随分気持ち的に助かります。


人生にゆとりがでてきます。


血糖値検査には、空腹時血糖とHbA1Cという項目があります。空腹時血糖というのは、その時点での血糖値です。HbA1Cというのは、1か月もしくは3か月の血糖値の平均の値です。


もちろんHbA1Cのほうが断然重要です。空腹時血糖はあまり意味ないです。通常は、HbA1Cで判断します。食べ過ぎて血糖値が上がっている日もあれば、節制して低い日もある。それでその平均、いつもどれくらいの血糖値で過ごしてきたのかを表すデータがHbA1Cなのです。


だから食生活も結局月平均で接種する量がトータルのボリュームとして閾値ができて、決まってこれば、ある日は御馳走を食べて腹いっぱい天国の幸せ気分で血糖値爆上がりでも、その他の日をきちんと制御しておけば、月平均として大丈夫なんじゃないか、ということです。


自分がこの20年間に学んだ闘病スキルみたいなものです。人間にとって快楽である食生活をどのように楽しんでいくか、というひとつの解決策です。


この食生活を月平均で考えるというやり方の具体的な指標は、”腹感覚”です。普段の節制した健康食を接種しているときの、腹回りの感覚を覚えておきます。


とてもスリムな感じがします。


腹いっぱいのご馳走を食べると、もう腹回りの感覚が極端に違和感を感じます。もう体の切れが悪くなり、ぶよぶよ感覚です。


そうしたら、食生活制御を開始して、元の感覚に戻るまでセーブ続けます。もちろんご馳走を食べていないときでも、この腹感覚に違和感を感じるときがあります。


もうそうなったら、危険信号です。すぐにセーブします。


自分は、結構この腹感覚を非常に頼りにしています。血糖値の検査結果は、この腹感覚の通りの値がでます。まず裏切られたことがなく、信頼できる指標値だと思っています。


このように腹感覚を頼りにして、月平均のものさしで、食生活を考えるようになると、このような病気でも食べるという人間の本来の楽しみを奪われることなく、楽しく生きていけます。


もちろん運動もしたほうがいいです。でも食生活のコントロールだけで、充分な効果が得られます。体重にしろ、血糖値にしろ。食生活が一番効き目があります。


自分がダメだと思うのは、健康ビジネスなんかのサプリ錠なんかをやることですね。あういう口車に乗ってはいけませんね。ダイエットに早道というのはないです。


地道な積み重ねのみが報われます。


午後9時以降に突然襲われる空腹感覚、甘いものを食べたい誘惑、なんか濃いドリンクを飲みたい衝動。。。


この誘惑にいかに勝つか。もしくはその代用品を見つけるか、ですね。代用品を見つけるというのは、とても大切なことで、カロリーがないけれど、腹いっぱいになる感覚のようなものですね。豆乳とかヨーグルト、炭酸水とかありますね。


豆乳はいいと思いますが、美味しくないですね。(笑)牛乳のほうを飲んでしまいます。牛乳はやはり脂肪分やカロリーが高いかもしれません。






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属地主義と域外適用 [ライセンス・知財]

なかなか興味をひく面白いニュースを拝読した。結構突っ込みどころがいっぱいで、専門的に突っ込むと相当のスペースを必要のように思える。
                                                   
ドワンゴが、対FC2特許権侵害訴訟で敗訴
                                                   
こういう解釈ができると、今後のネット社会と、なんかいままで信じてきたものとの間にずれが生じてきて、これは結構考えどころじゃないかなとも思ったりする。
                                                   
株式会社ドワンゴが、ニコニコ動画におけるコメントの動画へのオーバーラップ表示に関する特許権に基づき動画配信業者FC2を提訴し、敗訴したというニュースだ。
                                                   
今回の判決では、FC2のシステムはドワンゴの特許発明の技術的範囲には属しているが、クレームの構成要件一部が日本国外で実施されているため、特許権侵害は成立しないという判決だそうだ。
                                                   
今回の特許ではシステム・クレームのみが権利化されており、ドワンゴは、FC2がコメントファイルと動画ファイルを米国内のサーバから日本国内のユーザー端末に送信することで当該システムを「生産」しているという理論構成で、侵害を主張したのだが、裁判所は、「上記の”生産”に当たるためには、特許発明の構成要件の全てを満たす物が、日本国内において新たに作り出されることが必要であると解すべきである」とし、一部の処理が米国内のサーバで実行されていることを理由として、特許権侵害を認めなかった。
                                                   
・・・ということだそうである。
                                                   
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特許で一番大事なところは、クレーム、請求項です。このクレームに、自分がこの出願で一番主張したいことを書きます。もちろんクレームは、本文に書いてある範囲内で書くことになります。本文に書いていないことをクレームで主張することはできないのです。いい特許、いいクレームを主張することは、その本文を書くところから頑張らないといけないのです。
                                                   
クレームには、システム・クレーム、方法クレーム、装置クレームという種類があり、どういうところを権利化したいのか、システム全体を権利化したいのか、方法を権利化したいのか、装置を権利化したいのか、というように権利化したい対象に応じて、クレームが変わります。
                                                   
実際は、クレームの一番最後を締める言葉が、システム、方法、装置となるだけの違いなのですが。また1件の特許で、これら全部のクレーム形態を全部含めるというのが通常です。
                                                   
相手に権利行使(ライセンスオファー)するときは、あるいは権利行使された場合は、当該特許のこのクレームが勝負になります。このクレームで判断します。
                                                   
相手から権利行使され、貴社の商品は、弊社のこの特許リストを侵害しているので、お金払ってちょうだい、という申し入れを受けたときに、本当にそうなのかどうかを検討します。
                                                   
そのとき、侵害しているか否かは、その特許のクレームで判断します。ちなみに、ここで言っている特許というのは、登録査定の特許です。特許として認められている、相手に権利行使できる特許です。ただ公開されているだけの公開公報ではそのような権利はありません。
                                                   
どうやって、その特許のクレームを使って侵害しているかを判断するか、というのは、まずその特許のクレームを構成要件ごとに分解します。構成要件A,B,C,D・・・というように細かくその構成要件ごとに分解するのです。
                                                   
そしてその構成要件ごとに自社の製品は合致するかどうかを確認していきます。たったひとつでも合致しない構成要件があれば、侵害しない。全部合致してしまった場合は、侵害する、です。
                                                   
このような検討表をクレーム・チャートといいます。
                                                   
パテントクリアランス、特許侵害調査は、このように特許ごとにクレームチャートを作って判断していきます。
                                                   
上記のドワンゴ特許訴訟の問題では、
                                                   
・そのクレームの構成要件のすべてを満たすものが、日本国内において新たに作りだされることが必要。
                                                   
・クレームの構成要件一部が日本国外で実施されているため、特許権侵害は成立しないという判決。
                                                   
という判決で、FC2のサーバーは米国内なので、侵害せずという判断なのか、と理解しました。
                                                   
はたして、そうなのか?
                                                   
う~むと思ってしまいました。このインターネット全盛の時代、国境を条件に厳密に判断していくのは、段々無理があるのではないか、と思うからです。相手の特許の権利から逃れるには、サーバーを海外に置いてしまえばいい、ということになってしまいますからね。
                                                   
特許の世界では、属地主義といって、特許権の効力はその国の中で閉じる、という暗黙の常識があります。日本の特許庁へ出願した特許は、日本国内のみに権利行使できます。海外には権利行使できないのです。
                                                   
海外に権利行使したい場合は、外国出願をします。まず国を特定しない中間位置のPCT出願をします。記述言語は英語です。そこから審査を経て、権利行使したい国に移行します。記述言語はその移行先の言語です。各国に移行してはじめて、その国で自分の特許が権利行使できるようになります。
                                                   
これは自分が現役時代に漠然と思ったことですが、外国出願ってなんでこんな二段構えなのかな、と思ったことがあって、それはいきなり各国に出願するのでは、その言語が大変なのでは、と想像しました。
                                                   
だって、韓国のハングル語でびっしり書かれた特許公報を読む気になりますか?(笑)
中国語の漢字体でびっしり書かれた特許公報を読む気になりますか?(笑)
                                                   
欧州各国の言語で書かれた特許公報についてもしかりです。
                                                   
その前段階として、英語で書かれて、内容を把握するための中間ポジションのPCT出願が必要なんだと思いました。
                                                   
特許の世界で花形なのは、やはり米国です。米国は訴訟社会なので、なんでも裁判で訴えてしまいます。だから知財訴訟とかも、世界と比較にならないほど米国では盛んで、米国訴訟でのそういう判例はある意味、いいお手本なのです。でもそういう背景にあっても、尚、彼らが主役なのは、やはり特許公報が英語で書かれているからではないかと自分は理解しているのです。
                                                   
英語で書かれているから、誰でも理解できるのです。米国特許USPは、世界共通の特許公報なのだと思うのです。自分は、欧州知財に興味があるのですが、現実問題、各国に移行された後のその国の言語で書かれた特許公報となるとなかなか障壁が高いのではないか、と思っています。
                                                                                                       
そういう訳で、知財の世界では米国が花形なのだろう、と理解しています。
                                                   
話が横道にそれてしまいましたが、そうすると、こういう出願した国のみで権利行使できる、という属地主義の原理はインターネットの国境を意識しないシームレスなビジネスは、だんだん時代に合わなくなってきているのではないか、と思ってしまいます。
                                                   
それが今回のドワンゴの判例を読んで自分がピンと思ったこと。
                                                   
じゃあ外国出願すれば済むことじゃないか、というかもしれませんが、言うのは簡単。外国出願って結構大変なんですよね。ものすごくお金がかかるし、世界全国になんて無理。有力国に絞って移行します。じゃないと費用とか管理とか大変です。
                                                   
こういう特許の権利行使の域外適用って、今後のインターネット全盛の時代は、とても重要になってくるのではないかと勘ですが思います。
                                                   
相手の特許から逃れるんだったら、サーバーを海外に置けばいい・・・てな論法ですからね。
                                                   
知財の世界は巨大なシステムで歴史があるので、大樹木でフットワークが重いんですよね。だからこういう網の目をくぐってくるようなカウンターには、弱いのです。パテントトロールもそうですね。相手は、そういう巨大なシステムをよく理解していて、それをうまくかいくぐってくる感じで攻めてくるので、なかなかそういう攻撃に弱いのです。
                                                   
フットワークが重いのです。
                                                   
なんか、今回のドワンゴの域外適用の判例を読んだとき、やはり新しい時代が着々と近寄ってきて、なんか時代に合わなくなってきている・・・そんな感じがしました。あくまで自分の勘ですが。。。
                                                   
この判決は、突っ込めば相当深い議論になると思うのですが、まずは自分が感覚的に思ったことをつらつらと書いてみました。
                                                   
                                                                                                     

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音の共感覚・色聴 [クラシック雑感]

共感覚とは、「ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意的に起こる」現象である。


「共感覚」は、いくぶん風変りだが素敵な感覚を備えた人々が、日常的に知覚している「現実」をそのまま表した言葉でもある。


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音を聴くと色が見えるという「色聴」や、文字を見ると、そこにないはずの色が見える「色字」が代表的で、「痛みを感じると色が見える」とか、「何かを味わうと手に形を感じる」などなど。


何らかの共感覚を持つ人の割合は、近年は「23人にひとり」という報告もあるのだそうだ。


たとえば、


「色字」と「色聴」


「ひらがなやアルファベット、数字、それから画数が少なければ漢字にも色を感じます。たとえば「あ」は赤で、「い」は白、「う」は白に近いグレーという具合に、それぞれの文字に色を感じるんです。数字だと、1は白、2はオレンジ、3は水色……と、やはり数によって違う色を感じます。」



「色聴」では、おもに楽曲の調(キー)に色を感じるという。


「ハ長調なら白ですし、ニ長調はオレンジ、ホ長調は緑です。これが短調になると、総じて色は暗くなる。ハ短調は濃いグレーで、ニ短調は枯れ葉みたいな茶色、ホ短調も緑ですが、ホ長調に比べるとずっと暗い色になります。」


23人に1人が、共感覚の持ち主というのは驚きとしかいいようがないが、共通していることは、その才能が自分にとってはあたりまえで、他の人も普通にそのような感覚があって別に不思議なことではないと思っていることだ。


他人から共感覚のことを聞かされて、初めてその才能に気づき驚く感じである。


共感覚という現象があまり広く世に知られていないことで、無理解という意味で嫌な思いをしたりして、共感覚者が口を閉ざしてしまうきっかけにもなる。


自分は共感覚者ではないと思うが、そのような才能を持ち合わせている人は、普段の生活、感覚はどのようなものなのか、興味はある。


特に自分がすごく興味が惹かれるのが、音の共感覚「色聴」である。


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自分は色聴はすごい素敵な感覚なのではないか、と普段から思っている。


芸術家、音楽家にそのような才能が備わっていたなら、これまた随分違った音楽人生になっていたであろうし、創作面においてもプラス面でいい影響を与えるものではないかと思ってしまう。少なくともマイナスには絶対ならないのではないだろうか。


自分は色聴ではないと思うが、フランスのドビュッシーやラヴェルの音楽を聴くと、淡いピンクや青のパステルカラーのイメージを思い浮かべてしまうし、必ず脳の純白のパレットに水墨画で淡く描かれているそんな色彩イメージが頭に浮かんでくる。でも、これは自分だけではないですよね。普通クラシック音楽ファンであれば、みんなそんなイメージを浮かべると思います。


ドビュッシーやラヴェルの音楽はそのような効力があるのです。


自分がはじめて、色聴という言葉を知ったのは、じつはつい最近。もう5年以上前だったであろうか。。


ヴァイオリニストの竹澤恭子さんのインタビューで、仲良しのピアニストの児玉桃さんは、色聴の才能があるのではないかと話していたインタビューを読んでからだった。児玉桃さんとのデュオ・コンサートのときか、なんのインタビューだったか、よく覚えていないのだが、桃さんは、音を聴いて、それを色で知覚する、描写するそういう才能を持っている、と仰っていた。


そうだったのか・・(^^;;。ところで色聴ってなに?とそのときに調べて、その意味がわかってその才能に当時随分驚いたものだった。


確かに、児玉桃さんはフランスの現代音楽を中心に、そのピアノで表現する世界は、音を色で描写するような芸術的で繊細な世界で、ある種感覚的な感性の持ち主のように思う。


もし、ご本人がそうでない場合は、スミマセン。(笑)たぶん竹澤さんは、桃さんにはそのようなセンスがある、という意味での発言だったのかもしれません。


そのインタビューで自分には、色聴という才能に大きく興味を抱いてきた。



共感覚を持つ人は、



・誰もが持っている感覚で、それが意識の領域にのぼる人は少ない説。

・幼少の頃は誰もが持っている感覚で、五感が発達する過程で失われていくといった説。


と言った様々な説があるみたいです。


この不思議な現象は最新の脳科学である程度解明され、芸術家や詩人、小説家には、それ以外の人より共感覚を持つ人が7倍も多いそうだ。


共感覚の中でも音が色のイメージと紐付けられる「色聴」。


色聴は共感覚の中でも一番発生確率が高いと報告されている。


音を聴くと色が見えるという色聴。その色の見え方も一音一音見える場合もあれば、音楽の音色を聴くと様々な色が見え方がする場合もある。それは曲によって見える色も全然変わってきて、一色というよりも複数の色でグラデーションを描くかのように見える場合であったりする。


色から色への移り変わりも、曲のテンポやシーンによって全然変わってくる。またアップテンポの曲だから赤、バラード調だから青というような単一な見え方をする場合もある。ケースバイケースである。


本当にその人が持っている才能によりけりなのだと思います。その色、描写のされ方というのは・・・。


芸術家、音楽家に多いと言われる色聴。


さらに大きな括りとして、共感覚の持ち主で著名な方でいうならば、レオナルド・ダ・ヴィンチや、モーツァルト、宮沢賢治(詩人・童話作家)、エドヴァルド・ムンク(画家)、スティービーワンダー(音楽家)等も共感覚の持ち主だったそうです。。



世の中には、色聴者判定テストというものもあるそうです。12音×長調と短調=24種類の調を3回ずつランダムに聞かせられる、つまり72回も似たようなフレーズを聴くようなテストだそうだが、このような感じでテスト結果によって自分が色聴なのか、どの程度なのかもわかるようなテストがあるんですね。


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世界の朝食を食べさせてくれるお店 ブルガリアの朝ごはん [グルメ]

世界の朝ごはんシリーズ。しばらくご無沙汰でありました。去年の7月のスイスの朝ごはん以来だから、およそ1年近くのブランクがあったことになる。


申し訳ない。


原因は、スイスの朝ごはんの7月の翌月の8月に入院してしまい、2か月間病院生活だったのと、社会復帰した10月からは、特にリハビリ生活一筋で、一刻も早く以前の生活を取り戻すことで精一杯であったというのが正直なところ。


あと、オミクロンのコロナ感染状況が怖くてあまり外出できなかった。コンサート以外は、あまり出歩かなかった。


それと、朝ごはんもエジプトとか、クロアチアとか、どうやって語ればいいのか、語れないだろう。(笑)基本は自分の経験に基づいた話ができればいいな(主にヨーロッパ)と常日頃思っているのだが、エジプトとかクロアチアとか、どうやっても語れないだろう。ないものは捻りだせない。


そんな事情もあった。


でも自分が間違っていた。世界平等である。平等に世界の朝ごはんを紹介していかないとダメだろう、と思い直しました。


今回からまた元のペースに戻そうと思います。


今日1年ぶりにブルガリアの朝ごはんで再スタートを切ることができました。


「朝ごはんを通して世界を知る」をコンセプトに、2ヶ月ごとに国を変えながら世界各地の朝ごはんと文化を紹介するカフェレストラン「WORLD BREAKFAST ALLDAY」。


2017年2月のイギリスの朝ごはんでスタートしたこの連載。5年間やってきたんですね。今日で28か国の世界の朝ごはんを制覇したことになります。


偉業に早道はありませんね。地道な1日1日の積み重ねが大切です。


期せずしてやり残したこの1年間のブランクの間にあった世界の朝ごはんを、ここでまとめて紹介しておきますね。体験したかった。。。



・スウェーデンの朝ごはん (2021年8,9月)


これは体験したかった!自分の溢れんばかりの北欧愛を語る絶好のチャンスでした。まさにこの期間、病院のベッドにいました。


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・エジプトの朝ごはん(2021年10,11月)


退院後の復帰第一戦。病み上がりだったのと、エジプトは語れないだろう(笑)ということでやめました。でも美味しそうなので、後悔しています。


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・ポーランドの朝ごはん(2021年12月,2022年1月)


ポーランドの朝ごはんは2018年2月に体験しています。基本は特別なことがない限り、2回目の特集はやりません。前回よりもっと詳細にやりたいという場合のみ、2回目をおこないます。


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・クロアチアの朝ごはん(2022年2,3月)


クロアチアも正直なにを語ればいいのか、困りました。2か月ごとに国を変えていきますが、入院からすでに4か国目の中止。ちょっとやばいな~、これはまたもとの軌道に戻さないといけないな~と思ったときでした。でもすごい美味しそうです。後悔しています。


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2か月ごとに国を変えていき、その国の朝ごはんを紹介していきますが、常に定番として店に常駐しているレギュラーメニューというのもあります。



・イギリスの朝ごはん


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・アメリカの朝ごはん


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・台湾の朝ごはん


自分は、28か国の世界の朝ごはんの中で1番美味しい、食べ応えがあって日本人の味覚にあうと思ったのはこの台湾の朝ごはんです。これは本当に美味しいです。ぜひお勧めです。レギュラーメニュー化はうれしいです。


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台湾の朝ごはんは、朝から外で食べるのが一般的な台湾で人気の朝ごはんメニュー3品が1プレートになっています。 ①豆乳のスープ「鹹豆漿(シェンドウジャン)」。 ②台湾版の玉子焼き「蛋餅(ダンピン)」。 ③餅米でにぎった具だくさんおにぎり「飯団(ファントワン)」の3品。


これは最高に美味しいです。


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さて、今回1年ぶりに復帰しようと思った理由がもうひとつあります。それはいままで外苑前店、吉祥寺店と2店舗だったのですが、今年の3月から新しく銀座店がオープンになったからです。


これはぜひ行かないと!


1号店である外苑前店は、元祖のお店ですが、すごい狭いんですよね。このコロナ禍の時代、とても怖くて行けないです。昔、原宿店というのがあって、ここがすごく綺麗で広くてとても自分のお気に入りでした。でもあえなく閉店。つぎに吉祥寺店が開店です。吉祥寺は、やはり遠い。わざわざ吉祥寺まで出向くのが、かなり億劫で鬱でした。


正直なところ、都心で新たな店舗をずっと期待していたところがあります。そんな待っているところに銀座店のオープンの話。銀座といえば、都心も都心。大都会じゃないですか。銀座に行くとなれば、気持ちもルンルンです。


そういうこともあって、銀座店にも行かないといけない。1年ぶりに世界の朝ごはん復活!ということで、今日行ってきた、という訳です。


銀座店の場所はマロニエ通りと昭和通りが交差する東銀座エリア。銀座の中心部から程近く、お買い物などのついでに立ち寄っていただくのにも便利なロケーション。外苑前店、吉祥寺店同様に、旅先のカフェやレストランを訪れたような、異国情緒漂う雰囲気の店内で、東京にいながら海外を旅しているような気分を楽しめます。 


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いままでは吉祥寺店に行っていたので、そこと比べるとかなり小スペース。12人くらいの座席しかなく、かなり狭いなと思いました。やっぱり都会も都会。大都心の銀座です。物件を探すのも大変だし、家賃もバカ高いんでしょうね。経営やりくり難しくてたたんでしまうなどの原宿店の二の前にならないで欲しいです。末永くやってほしいです。


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すごい狭いけど、自分は、これからはずっとここの銀座店に通おうと思っていますので。店内の綺麗さや雰囲気は、すごくいいです。自分は吉祥寺店より全然好きです。スタッフは5人でしたね。



店内には、ブルガリアのラジオ放送が流れておりました。さすがいまの時代、インターネットラジオの時代ですね。国境など関係なく、世界中のラジオが聴けます。


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この銀座店の隣には、函館ラーメン屋さんがあって、思わず吸い込まれそうになりました。(笑)正直、世界の朝ごはんはまったく食べ応えがなく、ぜんぜん腹いっぱいにならないので、どうしてもラーメン1杯でも、という感じになってしまいます。函館ラーメンは塩ラーメンですね。


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東銀座、銀座東〇丁目というところはどういうところなのか。


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大都会なのでしょうが、正直あまりそそられる風景じゃありませんね。(笑)なんかありふれた風景、ビル街という感じで、なんかあまり特別な感じはしません。


でも地価はすごい高いところなのだと思います。


さて、長くなりました。ようやく本編です。


今回はブルガリアの朝ごはんです。


ブルガリアの地理的感覚はこちらになります。


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この地図でブルガリアの場所をイメージできますか。トルコ、黒海、ルーマニアなどと隣接している国ですが、自分はいまいちピンと来づらかったです。


オーストリアやギリシャ、イタリアの国を発見して、ようやくなんとなく地理感覚、そのブルガリアのある位置がイメージできました。


ブルガリアは経験ないです。行ったことないです。自分の場合、販社(販売会社)のある国、クラシックに関係する国が主な活動範囲ですので、ブルガリアはどちらにも属さないので、いままで縁がなかったという感じでしょうか。


ぜひ熱く語りたかったのですが、なにをどう語ればいいのか、イメージが湧きません。もちろんブルガリア=ヨーグルトですね。ヨーグルトは健康にいいし、腹持ちがいいので、とても愛食しています。


ブルガリア共和国

Republic of Blugaria


ブルガリアはバルカン半島に位置する東欧の国。肥沃な土地と気候に恵まれた、ヨーロッパ有数の農業国で、野菜、乳製品、パン、肉料理を中心とした多様な食文化を持っています。ヨーロッパとアジアを繋ぐ文化のクロスロードといえるブルガリアの料理は、ひき肉や乳製品を使うものが多いなど、トルコやギリシャなどの周辺国の影響が色濃く残っています。



東西の影響を受けた食文化。


ブルガリアはヨーロッパとアジアを繋ぐ、文化のクロスロード。ひき肉や乳製品と使う料理が多いなど、ブルガリア料理にはトルコやギリシャなどの周辺国の影響が色濃く残っています。


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ヨーロッパ最古の都市のひとつである首都ソフィア。西ヨーロッパと中近東、アドリア海と地中海を結ぶ交通の要所であったため、古くから多様な民族と文化が行き交い、独自の文化が花開きました。


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バルカン山脈の南に横たわる東西140キロほどの細長い渓谷は「バラの谷」と呼ばれ、そこで栽培されるダマスクローズを使用した最高品質のローズオイルはブルガリアの名産品として知られます。



協力

クツァロヴァ・エレナ、ブルガリア共和国大使館

アントニオ・アンゲロフ



ブルガリアは、物価はおよそ日本の半分ほどで、特に野菜や果物など食料が安い。自炊すればかなりコストを抑えて生活できるそうです。


しかも驚いたことに、ブルガリアはインターネットのスピードが早いそう。公共の場所やカフェなどでフリーWiFiを使える場合も多い。ノマドワーカーはもちろんですが、今やインターネットは旅の必需品。WiFi環境が整っていることもブルガリアのおすすめポイント。


(ノマドというのは、IT機器を駆使してオフィスだけでなく様々な場所で仕事をする新しいワークスタイルのことです。このような働き方をノマドワーキング、こうした働き方をする人をノマドワーカーと呼びます。ノマド(nomad)は、英語で「遊牧民」の意味。)


ブルガリアの治安ですが、残念ながらあまり良くありません。首都であるソフィアは強盗事件が多発するような危険な場所ではありませんが、ホテルなどでスタッフが客の荷物を盗難するといった事態もあるようです。


 

物価は安く、日本の半分ほどです。ブルガリア人の平均年収は約53万円ほどですので、日本人からすればレストランでの食事や食べ物、交通費といったものはかなり安く感じられるでしょう。


衛生面に関してですが、衛生管理が徹底していない飲食店も多いので、生水や氷、生ものなどは口にしないよう気をつけたほうがいいとか。


ではここからブルガリア料理の食文化についてご紹介です。

The following photographs and sentenses should belong to the copyright of World Breakfast Allday.


・バニツァ


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ブルガリアの国民食ともいえるバニツァは、うずまき状にしたフィロ生地にシレネチーズを巻き込んだパイ料理。ホウレン草やハムが入ったもの、甘い味付けのものなど、様々な種類のバニツァが親しまれています。



・シレネ


ブルガリア料理には欠かせないのが塩漬けした白チーズ。旨味とコク、さわやかな酸味、そしてしっかりとした塩気があり、そのまま食べるのはもちろん調味料としても様々な料理に使用されます。朝ごはんではシレネと一緒に生野菜を食べる習慣があります。



・バクラヴァ


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クルミやピスタチオなど数種類のナッツを挟んだ薄いフィロ生地を重ねて焼き上げた、中東・地中海地域の伝統的なペストリー。バターとシロップの濃厚な味わいが楽しめます。



・キセロ・ムリャコ


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ブルガリアではヨーグルトのことをキセロ・ムリャコと呼びます。(ブルガリア語で酸っぱい乳の意味)その呼び名の通り、ブルガリアのヨーグルトは酸味が強いのが特徴です。日本には1970年の大阪万国博覧会のブルガリア館で初めて紹介されました。


・メキツィ


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朝食やおやつに食べられている揚げパン。生地にはヨーグルトが混ぜ込まれているのが特徴です。粉砂糖やハチミツやジャムと一緒に食べます。


・ピレシカスパ


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鶏肉と野菜を煮込んだ定番のスープ。細かく刻んだパスタも入っています。レモンの酸味がアクセントに。



・アイリャン


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バニツァのお供には欠かせないが、塩味のきいたヨーグルトドリンク。後味がさっぱりしているので、肉をよく使うブルガリアの料理にもよく合います。



・ムルサルスキーチャイ


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ムルサルスキーチャイは国の保護のもと特別区域でしか栽培されていない貴重なハーブ。お湯をいれたグラスに枝葉をそのまま入れて混ぜて飲みます。




・ロゾヴォスラッドコ


古くから健康食としてブルガリアの人々に親しまれてきたバラのジャム。香水や香油の原料となる香り高いダマスクローズの花びらがジャムの中にそのまま入っています。



・ハーブ・スパイス


ニンニクのような香りのサマルダラなど、日本ではあまり馴染みのないハーブもブルガリア料理には多く使用されます。様々なハーブ、スパイスと塩をミックスしたシャレナソルはブルガリアの食卓には欠かせない万能調味料です。



これがブルガリアの朝ごはんのワンプレート。


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ブルガリアの朝ごはんは、ブルガリア料理には欠かせない塩漬けの白チーズ「シレネ」とほうれん草をフィロ生地で巻き込んで焼いた「バニツァ」、ヨーグルトを練り込んだ揚げパン「メキツィ」、「シレネ」と生野菜とサラミにローズジャム入りのヨーグルトを合わせたワンプレート。



左下にあるバニツァがメインの主食ですね。パイ料理ですね。ほうれん草がかなり主張していて、美味しいです。生地がもうホカホカですごく美味でございました。その右隣にある揚げパンのメキツィ。これもホクホクで香ばしくて美味しい。もうこれは完全なオヤツですね。


ヨーグルト(キセロ・ムリャリコ)はふつうにヨーグルトですね。酸味が強いと仰いますが、そんなに強く意識はしなかったです。


白チーズ(シレネ)はこれはまさにヨーロッパのチーズですね。日本でこういうチーズはなかなか食べれないですね。日本で言っているチーズとヨーロッパの白チーズは全く別物ですね。


ブルガリアの朝ごはん、これは自分の印象では、朝ごはんというよりは、もうおやつでした。(笑)日本ではおやつのジャンルではないでしょうか・・・


でもそういうおやつ感覚でありながら、すごい香ばしくて美味しい、日本人の味覚にも共通する美味しさだと思いました。これはすごく美味しいと思います。



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ブルガリアの駐日大使が吉祥寺店にご来店下さったそうです。4月と5月に特集しているブルガリアの朝ごはんのメニューはブルガリア大使館にご協力して頂いています。


ブルガリア大使館ではWORLD BREAKFAST ALLDAYのブルガリアの朝ごはんを食べた感想をハッシュタグ「#ブルガリアの朝ごはん」をつけてTweetしていただく企画を公式Twitterアカウントで実施中だそうです!


いつもこの世界の朝ごはんの日記で記載している、まさにその国の人でないとわからないような食文化の情報は、WORLD BREAKFAST ALLDAYの毎回テーブルに置かれているリーフレットに書かれている情報になります。


これらの情報は、その国の大使館の協力、情報提供によるものなのです。世界各国の大使館と交流しながら、その国の朝ごはんを紹介していく。。。これはとてもワールドワイドな交流で自分はとても素敵なことだと思いますし、自分も将来そういう交流が持てるといいな、といつも憧れています。



 




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鎌倉の行列のできるカフェ [グルメ]

radikoはとても便利だと思う。2010年スタートだから、いまから12年前にスタートしたサービスなんですね。こんな便利なものがあるとは、つい最近までまったく知らず。radiko使うようになってから、ライフスタイルまったく変わりました。激変と言っていい。


スマホで聴きます。ソファやベッドに寝転がりながら、好きなときに好きな場所でラジオを聴く。ラジオがずいぶん身近になりました。


いままで時間に縛られるというイメージでなかなか縁がなかったラジオ番組が自由に聴けるようになったのは大きいです。


ピストンさんのグルーブラインや、村上春樹さんの村上RADIOとか、よく聴いています。あと、スマホだとサッサッっとザッピングしながら、ちょい聴きで、番組を渡り歩くことも可能ですね。いろいろなラジオ番組を知ることができるようになりました。


そんなたくさん聴いているラジオ番組の中で、秀島史香さんのSHONAN By The Seaも聴いています。リアルタイムだと日曜の早朝なので、いままで縁がなかったですが、radikoを使うようになってから、聴けるようになりました。


その番組の中で、一度行ってみたいと思うようになったカフェが、鎌倉の老舗カフェ、カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ。マスターの堀内隆志さんと秀島さんの軽快なやりとりで、堀内マスターがとても優しいいい人オーラがいっぱいなので、いつか一度、そのカフェに行ってみたいと思っていたのでした。


GWに決行したいと思っていましたが、まず自分はかねてより決行してみたいと思っていた寿福寺の特別公開を狙ってやってきました。


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以前、日記で紹介したように、鎌倉の寿福寺は、北条政子による開基のお寺で、まさに源氏のルーツと言っていい禅寺。北条政子や源実朝のお墓もあります。(正確には供養塔)


でもこのお寺、原則非公開なのです。境内や仏殿には入れないのです。電話やFAXの問い合わせも不可能。


だから寿福寺に来るなら、鎌倉随一の美しい意匠といわれている参道の敷石を観るのと、裏山の墓地の北条政子と源実朝のお墓参りをするしかないのです。


まさに秘密のベールにつつまれたお寺なのです。


でも年に2回特別公開をする日があります。それが正月とGWの年2回。


それでGWにやってきたという訳です。


寿福寺は、SNSもやってないし、電話、FAXの取次もNGですから、GWのいつ公開なのかわかりません。ネットでいろいろググってみましたが、まったく見つからず。敢えて、5月の第1週という情報をキャッチしました。


それで、今日5/3に行ってみたのです。


残念ながら、公開されていませんでした。もうがっかり。いつ公開するのか、まったくわからないので、5月の第1週ということなら、今週いっぱいずっと通い続けるしかないのかな、と思ってます。


あまりに不愛想すぎるよ、寿福寺。(笑)


気を取り直して、カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュに行ってみようと思います。


GWの鎌倉小町通りはすごい人、人、人。もうコロナはどこ吹く風ですね。観光面では、もうコロナ前にだいぶ戻ってきましたかね。


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カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュは、小町通りから1本入った道通りにあります。


ありました。開店30分前。


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ところが・・・


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開店間際になると、みるみるうちに行列ができてきて、すごい行列です。


もうびっくりしました。自分の場合、ラーメン屋で行列というのは、よく経験しますが、カフェで行列ができるというのは、もう驚くしかないです。みんな若い客層ですね。おしゃれな鎌倉らしい感じの若いお客さん達です。きっと堀内マスター人気なのでしょうね。


カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュについて、自分も勉強をかねて、調べて紹介してみますね。


鎌倉で昔から愛され続ける超有名コーヒー専門店が「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ(café vivement dimanche )」。オーナーがこだわり抜いたコーヒー豆を丁寧に自家焙煎して、注文を受けてから挽いて淹れてくれる最高のコーヒー。コーヒー好きなら絶対行くべきカフェだそう。


難しい店名ですが、フランソワ・トリュフォー監督の1983年のフランスの長編映画「Vivement dimanche!(日曜日が待ち遠しい!)」から取られたものだそうです。


オーナーの堀内隆志さんは、数々のメディアに登場し、コーヒーマニアはもちろん音楽好きからも一目置かれるる“カフェ界のカリスマ”。コーヒーや音楽に関する著書も多数発表しています。カリスマが用意したコーヒーの種類はとても豊富。好みを伝えればおススメの豆や飲み方を提案してくれます。


今年で開店28周年。素敵な店内でした。


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自分は、コーヒーはそんなにこだわらない人なので、自分から豆を調達して、自分で淹れるというところまでいかないですが、美味しいコーヒーは、やはり一口、口にいれるとその違いがわかります。


松本で、珈琲美学アベのコーヒーはすごく美味しいと思いました。いろいろな種類のコーヒーを飲み比べてみましたが、特に幻のコーヒーと言われるゲイシャ・コーヒーを飲んだときは感動でした。


コーヒーの違いは、口に含んだときの香りや舌の味覚に伝わる気品が違いますね。コーヒーを楽しむなら、砂糖やミルクは入れてはいけないと思います。


どのコーヒーを頼むか迷っていたところ、スタッフが通常のコーヒーメニューの他に、こちらがマスター直々の自家焙煎のコーヒーになります、と紹介してくれましたので、そちらにしました。


コスタリカ ドンマヨ ゲイシャ アナエロビコ ナチュラル。公式オンラインショップでは、2300円もする高級コーヒーでございました。


ワッフルも頼みました。


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いやぁ~素晴らしい芳醇で素敵な香り、味わいのある1杯でした。ちょっとフルーティーな甘い感じが確かにしますね。


コーヒーにあまり詳しくない自分でも、そのテイストの違いはすごくよくわかりました。


ワッフルも美味しかったです。


一度来てみたい、と思っていたカフェですので、達成感、満足感たっぷりで充実した感じよかったです。


お勘定のときに、堀内マスターから話しかけていただき、ちょっといろいろお話できました。うれしかったです。ラジオ聴いてます。すごい行列でびっくりしました。いやいつもこんなに混んでない・・・とかとか。思ってた通り、優しそうで、いい人オーラいっぱいの素敵な方で感動しました。



いい想い出になりました。



dimanche web shop (公式オンラインショップ)







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祇園精舎の鐘の声 [雑感]

祇園精舎の鐘の声


諸行無常の響きあり


沙羅双樹の花の色


盛者必衰の理をあらわす


おごれる人も久しからず


ただ春の世の夢のごとし


たけき者も遂には滅びぬ


偏に風の前の塵に同じ


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「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」


誰しもが聞いたことのあるこの有名なフレーズ。平家物語である。琵琶法師が琵琶をつま弾きながら、こう語り継いできた。


平安時代末期における源氏と平氏の争いを描いた物語。作者は不明。平家物語は琵琶法師の「語り」を 媒体として伝承されてきた。



平家物語、まさに日本人の心に響く名言。


まさに盛者必衰、おごれる人も久しからず、である。


「栄耀栄華を極めたものも長くは続かず、春の夜に見る夢のようなはかないものであり、勢いがある者もやがては滅びてしまうのは、風にたやすく吹き飛ばされる塵のようなものだ。」


・・・という意味である。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」

 

「諸行無常」も「盛者必衰」も仏教の言葉で、「諸行無常」とはこの世のすべてのことは常がなく、続かないこと、「盛者必衰」はどんな者も必ず衰えることを言う。

 

これは仏教の価値観・無常観を表す言葉である。

 

沙羅双樹とはお釈迦さまが亡くなるとき、沙羅の樹が臥床の四方に二本あったことから、仏のさとりをひらかれた最高の偉人といわれるお釈迦さまでも亡くなるときがくるという「盛者必衰」を表している。

 

祇園精舎とは「精舎」とは寺のことであるから今日の言葉で言えば「祇園寺」で、お釈迦様がご説法をなされた寺のこと。

 

この「祇園精舎」の北西の一角に無常堂(無常院)があり、祇園精舎で終末期を迎えた僧たちが、最後のひとときを過ごす場所、今日でいうとホスピスのようなところであった。

 

臨終を迎えると、建物の四隅に配されていた鐘が鳴ったといわれる。


ネットで調べたら、このような記載であった。


自分も、この「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」はあまりに有名で耳にしたことが多いのでそれになりに知識にあったのであるが、最近、Twitterでかなりバズった話で自分が驚いた話を紹介しよう。


「祇園精舎ってどこ?」平家物語にまつわる観光客からの素朴な質問…



観光客に京都で「祇園精舎ってここから何分くらいかかりますか?」と聞かれたとき、なんと答えるべきだろうか?


学生時代に古典の授業で「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」から始まる「平家物語」の冒頭を暗記した覚えがあるだろうか。その答えをつぶやいた、



「祇園精舎ってここから何分くらいかかりますか?」

「多分半日以上かかります」

「えっ?祇園精舎って、この辺にないんですか」

「インドですね」

「えっ?平家物語の祇園精舎ですよ?」

「インドですね」


そう、祇園精舎はインドだったのだ。


【祇園精舎】


インド北部のネパールと国境を接する地域に栄えた古代インドのコーサラ国にあった寺院で、現在は遺跡が残る。ちなみに本当に鐘があるのかどうか確認したところ、30年以上前、祇園精舎に鐘がないことを残念に思った日本人の有志達が祇園精舎に鐘を贈っていた。現在もその鐘は静かに佇んでいるそうだ。


ツイッターでは、


「え、京都にないんですか」

「京都に住んでた時でさえ「このへんにあったんやろな」って認識だった…」

「祇園にあるお寺だと思われてるのか」


など数多くの反響があり、なかには、「江戸時代の日本人は、カンボジアのアンコールワットのことを祇園精舎と勘違いし、多数の日本人が、祇園精舎と錯覚したままアンコールワットを訪れたそうです」と、さらなるプチネタを投稿する人も。これらの反響から、祇園精舎は京都にあると思い込んでいる人が結構な割合でいることが浮き彫りになった。


・・・だそうである。


観光客が祇園精舎=祇園をイメージして、地元人に聞くことはよくあることなのだろうか?


「知らんかったわ…てっきり祇園社(八坂神社)あたりのどっかのことだと思いこんでた」「祇園さんならあるけど神社」みたいな反応がありましたね。実際に聞いてきた観光客は祇園や八坂神社(祇園さん)に行きたかったのかも。



まさに驚きである。(笑)自分も祇園精舎は、てっきり京都の祇園のことだと思っていました。祇園で神社みたいなところだと、やはり八坂神社ですね。


はっきりイメージしたわけではないけど、なんとなく祇園精舎って、あのあたりという漠然のイメージがありました。


このバズったTwitterをみたとき、にわかに信じられなかった自分は、ネットで、祇園精舎を調べてみました。そうするとWikkipediaに書いてありました。


祇園精舎


祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、Jetavana-vihāra)、正式名:祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ、梵語: jetavane ’nāthapiṇḍadasya-ārāme)は、インドのコーサラ国首都シュラーヴァスティー(舎衛城)、現ウッタル・プラデーシュ州シュラーヴァスティー県にあった精舎(vihāra)である。釈迦が説法を行った場所であり、天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の1つである。


祇園精舎は、釈迦の大口支援者であったスダッタ(アナータピンディカ)によって、釈迦に寄贈された。そのためアナータピンディカ園とも呼ばれた。


現在では、一帯は歴史公園に指定されている。公園内には釈迦が説法を行った場所とされる香堂(ガンダクティ Gandhakuti、釈迦が寝食を行っていたとされる場所)やストゥーパなどが残されている。また園内には、仏教において二番目に尊いとされる菩提樹、「阿難菩提樹」がある。北インドの仏教徒にとって、祇園精舎は聖地の1つとして重要な位置を占めているが、その中でもガンダクティが最も重要とされる。


写真付きである。(笑)

ここが現在の祇園精舎である。


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祇園精舎はインドにあったのである!


「平家物語」の冒頭に詠われているところから、特に日本ではよく知られているこの祇園精舎。


実際の祇園精舎には鐘は無かったが、1981年に日本の「日本国祇園精舎の鐘の会」が梵鐘と鐘楼を寄贈した。なお、梵鐘は中国起源で日本に伝わったもので、元来インドには無かったものである。


祇園精舎といえば、徳川家伝来「祇園精舎図」もある。


江戸幕府三代将軍・徳川家光は、長崎のオランダ語の通訳・島野兼了に仏教の聖地「祇園精舎」の視察を命じている。その頃、カンボジアのプノンペンの日本人町の人達は、アンコール・ワットが祇園精舎であると誤認していた為、その誤った情報が日本にも伝えられ、大勢の日本人が祇園精舎の参詣としてアンコール・ワットへ出かけていた。


島野兼了もその誤った情報により、そこが天竺(インド)の「祇園精舎」であると思い込んだままアンコール・ワットを視察し、一枚の「見取図」を作成した。


祇園精舎については、日本人はそそっかしいというか、誤解の歴史だったんですね。さらには、本物の祇園精舎に鐘がないことを残念に思い、そのまま鐘を贈ってしまうとは。(笑)


日本人っておかしいですね。いままで信じていたことが真実でないことを素直に受け入れられないんですね。

まっ自分も含めてですが・・・


まさにこれはトリビアといっていいですね。


この歳になって初めて知る真実に驚きました。




 

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