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大江広元 [歴史]

キタ~~~という感じですね。頼朝の知恵袋、まさにブレーンの存在。大江広元、ついに登場という感じです。結構、自分的には待ってました~という感じです。


この大江広元が登場してから、頼朝の依存度が激増していきますね。まさに右腕、ブレーンという感じで、つねに頼朝の傍にいて、常に相談されつつ事を進めていく感じになります。京都、朝廷事情に精通していて、坂東武者には足りない部分を、一手にこの大江広元が引き受けて、鎌倉幕府の基盤を築いていきます。


公文所、政所として、その別当として主に朝廷との交渉にあたり、その他の分野にも実務家として広く関与していくのです。まさに政治のための実務家なのです。文人政治家という感じですかね。頼朝は重用します。鎌倉幕府の中ではかなり重要な人物なのです。キーパーソンなのです。


「成人してから後、涙を流したことがない」と、後年自ら述懐したという逸話があります。大江広元の情に流されない冷静な人物像が反映された逸話で、なかなかニヒルな役でもあります。


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鎌倉幕府の一番の特徴は、全国に守護・地頭を置いたことです。守護は警察で治安を守る役割で、地頭は税金を徴収する役割ですね。この守護・地頭を全国に置くことで、頼朝、鎌倉幕府の全国支配が現実的なものになりました。


この守護・地頭を各地に置くことを提案したのは、大江広元の案だったとか。


頼朝の死後、後家の北条政子や執権・北条義時と協調して幕政に参与しました。承久の乱のときも、大江広元はあくまで鎌倉方に立って主戦論を唱えた北条政子に協調、朝廷との一戦には慎重な御家人たちを鼓舞して幕府軍を勝利に導いた功労者の一人でした。


朝廷官軍を鎌倉で迎え撃つという論を退け、いやいやこちらから京都に登って朝廷官軍を撃破するべき、という強硬論も大江広元のアイデアで、結局その通りになって、幕府軍を勝利に導いたのです。



だから、今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、登場から最終回まで、主役の味方として君臨していく役柄になるはずです。


三谷脚本の妙もあって、ドラマの全体のトーンとしてコミカル調が微笑ましいですが、本当はこの時代のドラマは、まさに血と血で争うドロドロの抗争劇なのです。(笑)でもそんなに暗くならないように、三谷脚本がバランスを取っている感じですね。


いまみんな仲良くやっている御家人たちも、ドラマ後半になっていくにつれて、1人1人とどんどん粛清され滅ぼされていく感じでしょうか。寂しくなります。


そんな中で大江広元はその抗争に巻き込まれることなく、つねに権力側に居て、最終回まで安心して観ていられる存在なのです。


いままでは御家人たち同士で和気あいあいという感じでしたが、大江広元が登場したことで、ドラマに1本の芯が入ったような感じになると思います。


そんな大江広元、ついに登場!という感じで、いやいや存在感ありましたねぇ。切れ者という雰囲気ありました。さすが!という感じです。自分的にはついにキタ~~~という感じです。



自分は、1979年の「草燃える」のときに、はじめて、この大江広元という人物を知りました。当時は、岸田森さんが演じられていました。


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岸田森さんは、もう故人ですが、当時はとても渋い名脇役というか、いい役者さんでした。石坂浩二さん演じる頼朝に、傍につねに岸田森さん演じる大江広元が居て、つねに相談されている、というシーンがすごく印象的でした。石坂さんの頼朝と岸田さんの大江広元は最高に絵になったコンビでした。そのときに大江広元って知的な人でカッコいいな~と子供心に思ったものです。自分は岸田森さんの大江広元の大ファンだったのです。


だから今年の鎌倉殿の13人で大江広元の登場を待ち望んでいたのです。いやぁ~初回からじつに存在感あってよかったです。只者じゃない雰囲気が溢れていたし、他の御家人とちょっとカラーが違うし、インテリの雰囲気がありますね。今後、大泉洋・頼朝の傍にいて、つねに相談してアドバイスを受けている図が日常茶飯事の通常になっていきますね。


大江広元を演じるのは、栗原英雄さん。


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すごい2枚目で、いい男だし、かなり存在感あって、只者じゃないなと思いました。役者としてオーラありますね。デキル男を演じるにはもってこいという感じです。セリフ口調も威厳あります。


岸田森さんの広元は、どちらかというと優男のインテリという感じでしたが、栗原さんの広元は、もっともっと存在感があって、威厳あります。


栗原さんは劇団四季にいらっしゃったんですね(1984年入団)。そして2016年の真田丸でテレビ出演デビューだとか。大変申し訳ないのですが、自分は存じあげませんでした。申し訳ありません。年齢は自分とほぼ同世代(1歳下ですが、社会人歴は先輩ですね)。


劇団四季で数多くのミュージカルに出演され、2009年退団。退団後は舞台や映画を中心に活動を続け、2016年に大河ドラマ「真田丸」(真田信尹 役)でテレビドラマ初出演を果たしました。


ご自身の演劇論として、


芝居で大切なのは相手役の反応や出方であり、それを敏感に受けそして返していく演技こそが最上の演技である。


「感情は自分で作るのではなく相手役からもらうもの。自分がどうしたいかというのを相手にぶつけた時に、相手役の反応によって初めて感情は生まれる」


「自分は自分の色だけでは生きられない役者。カメラマンや演出家の言葉が必要」「自分を常にニュートラルな状態に置くことも重要」。


役をもらい役に入ると、普段の生活もその役の感じでしかいられなくなりがち・・・だそうです。


出演作の中に、「私糖尿病ですって(2015年)」というのもあって親近感がわきます。(笑)


先日の初登場のときの印象は、これはかなり切れ者で、頼朝にグサッとささる確信論を告げ、もう周りの御家人もうかうかしていられない、という怖い存在のような感じでしたね。


大江広元は、実際の史実においても、大河ドラマにおいても、とても重要なキーパーソンなので、ぜひ注目してあげてください。


期待しています。


2017年の自分の第1次鎌倉マイブームのとき、源義経所縁のお寺として満福寺を訪れました。頼朝と不仲になり、平家を滅亡させたあと、義経は鎌倉入りを頼朝に拒否されます。そこで、弁明のお手紙、いわゆる腰越状をこのお寺で弁慶にしたためさせるのです。この腰越状は、大江広元に送られたと言われています。


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当時撮ったこの写真、すごく懐かしいです。この腰越状、いま現代語訳もふくめ、この満福寺で200円で売られているそうです。ぜひふたたび訪れて、現代語訳を読んでみたいです。どんな釈明の内容なのか・・・




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人生まだこれから輝くに違いない [国内クラシックコンサート・レビュー]

今年も東京・春・音楽祭にやってきた。小澤征爾さんの「エフゲニー・オーネギン」をやっていた東京オペラの森の頃からだから、東京春祭の時代の歩みとともに自分もお付き合いしてきた自負がある。


この春の季節になると、東京文化会館にピンクの意匠が並び、そして上野駅の駅ナカのたいめいけんのオムハヤシを食べることで、春の訪れを肌に感じるのである。


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今年は川本嘉子さんのブラームス室内楽からスタートである。このシリーズが開催されたのは2014年からのスタートであろうか。今年で9年目である。自分は2015年から通い始めているので、まさに8年間の皆勤賞である。


本当にしみじみ感慨深いものがある。よく通ったなぁという。こういう想いは、短期間じゃ無理である。1年1年の地道な積み重ねがないと、成り立たない気持ちなのである。


最初の頃は、川本嘉子さんに近い小澤さんのメンバーで編成することが多かったが、年々年を重ねるごとに、バラエティに富んできて、新しい交流がどんどん生まれ新鮮で多彩なメンバーで彩られるようになってきた。


1年1年、よく記憶に刻み込まれて、昨日のごとくよく覚えている。


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9年間、同僚世代とは、一緒に競い歩むように、大先輩には、尊敬と敬う気持ちで接し、若い世代には大きく暖かく受け入れる。この9年間、様々な世代のゲストを受け入れつつ、このシリーズを育んできた川本嘉子さんは、いま、ひと回りもふた回りも器の大きい演奏家になられたのではないのだろうか。


9年間の歴史とともに、今日の公演を聴きながら、いままでの想い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡りながら、自分はまさにそんなことを考えていた。


今年は、”若い”世代である。いま新進気鋭の若者、これからの日本のクラシック音楽界を背負って立っていくであろう若い世代の音楽家に囲まれていた。


辻彩奈、川本嘉子、向山佳絵子、佐野央子、上野星矢、荒木奏美、三界秀美、皆神陽太、福川伸陽、阪田知樹。まさにフレッシュで、眩しかった。


若い世代は、観ていて、聴いていて、とても将来の見通しが明るい気持ちになる。フレッシュなブラームスである。


ブラームス・セレナード第1番とブラームス・ピアノ四重奏曲 第3番。どちらも素晴らしかった!


このブラームス室内楽は、主に弦楽器中心に構成されることが多くて、あってもピアノ。木管や金管の管楽器が構成に入るのはとても珍しい。自分は過去にあまり記憶にない。


ブラームス・セレナード第1番は、そんな管楽器がとても大活躍する素晴らしい曲だった。オーボエが、クラリネットが、ホルンが・・・これに様々な弦楽器が加わり、九重奏なのである。自分には未体験な音のパラダイムにとても幸せな気分になった。それでいて、あのブラームス特有の旋律を奏でる。こういう弦楽器、管楽器含んだある意味小編成のオーケストラともいえる新しいブラームス室内楽のスタイルだな、と感じた。聴いていて楽しかった。


後半のブラームス・ピアノ四重奏曲 第3番は、従来のスタイルを踏襲した伝統的なアプローチだと思った。自分が9年間聴いてきた伝統の演奏形式のスタイル。ブラームスのあの美しさ満載で、圧巻だった。


ブラームスの美しさは、わかる人にはわかってもらえるんですよ。自分も9年間通いつめて、このブラームス美学というのを、ここでずいぶんと勉強させてもらったと思う。


まさに終演後、ブラボーであった。


今年の東京・春・音楽祭のブラームス室内楽も素晴らしい感動で終えることができた。音楽の神様に感謝である。


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9年間、同僚世代とは、一緒に競い歩むように、大先輩には、尊敬と敬う気持ちで接し、若い世代には大きく暖かく受け入れる。いま若い世代の音楽家に囲まれて、先導して頑張っている川本さんを拝見していて、自分に期するところがあった。


それは自分も50歳代後半に差し掛かり、最近老け込み発言が多くなってきたが、今の年齢は、男にとって一番働き盛りで、油の乗っている時期なのではないか。仕事、プライベートと人生、自分なりに頑張ってきたと思う。後の世代に伝えること、そしてまだまだ老け込む年齢じゃないと思い直した。


世代的に近い(失礼)川本さんが頑張っている姿を見て、奮起したのだった。


自分はいまの年齢に自分の人生もそろそろ終わり。活躍はもう終わりであとは隠居老人の世界が待っているのかななんて漠然と考えていたことがあった。そこには未来を見通せないなんともいえない閉塞感が漂っていた。


自分なりに一緒懸命生きてきて、公私ともに、世界が大きく広がってきた。いまの年齢が一番世の中のことがわかってきて、いざとなれば実行に移すことも可能な年代。50歳代後半は、男にとってまだまだ華の時代なのだ。


次の世代に伝えること。少しでも自分の体験談がお役に立てれば、といつも思いながら書いているのだが、あまり役に立ってないか?(笑)


歳をとっていくと、人間ってどうしても自分の考えに固執していく傾向にあって、それだと、そのうち誰にも相手にされない頑固爺になってしまいます。(笑)


門戸を広げて大きく包み込む、受け入れることも肝要であると思う。


そんな寄る年波に陰鬱となっていた昨今であったが、男にとって、いまの年齢こそがまさに働き盛りで、輝いているときではないか、と一瞬でも思ったのだ。


具体的な実現の保証はまったくないけれど、気持ちだけでも一瞬でもそう思えたのは、とても有意義だったのではないか、と思う。


コンサートに行く前は、まったくそんなことはこれっぽっちも考えたことはなく、演奏中にまさか自分の年相応の振舞や心構えについていろいろ考えさせられることになろうとは思ってもいなかった。


まったくの想定外のできごとであった。


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(C)東京・春・音楽祭 Twitter


終演後の記念撮影。鈴木会長も入ったレアなショットとなった。ご覧のように今年は”若い”がアピールであった。




東京・春・音楽祭2022 ブラームス室内楽

2022年3月26日(日)15:00開演。

東京文化会館小ホール


ブラームス(B.オスグッド編):セレナード第1番 ニ長調 op.11(九重奏編)

ブラームス:ピアノ四重奏曲 第3番 ハ短調 op.60


ヴァイオリン:辻彩奈

ヴィオラ:川本嘉子

チェロ:向山佳絵子

コントラバス:佐野央子

フルート:上野星矢

オーボエ:荒木奏美

クラリネット:三界秀美

ファゴット:皆神陽太

ホルン:福川伸陽

ピアノ:阪田知樹








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ヤノフスキのローエングリンの聴きどころはどこなのか。 [クラシック雑感]

人それぞれだと思うが、自分の経験によると、クラシックのコンサートの予習はあまり根をつめて綿密にやらないほうがいいと思う。あまり杓子定規にやってしまうと、自分の中でひとつのリファレンスというか物差しを作ってしまい、本番当日に聴いたときに、その通りになっていないことに、不満を感じてしまい、その意外性を受け入れない傾向がある。


生演奏は、水ものなのだ。意外性があることが90%以上だ。だからこそ実演、生演奏は面白いのだ。


その意外性があるからこそ、驚きがあるし、新鮮に感じるのだ。同じ演目を過去に何回聴こうが、毎回違った解釈に出会うものなのだ。だからクラシックのコンサートは奥が深いといえる。


そんな想いもあって、最近は自分はコンサートに行くときの予習はほとんどしない。ぶっつけ本番で臨む方が多い。


ぶっつけ本番で、驚きとともに受容せざるを得ないその感動は、それだけ心底感動したのだ、というニュアンス、驚愕に満ち溢れていて、それだけ臨場感があって、本物の新鮮さが漂うものだと思っている。


もちろんアプローチは人それぞれなので、綿密に楽曲を解析して打ち込んで、本番に臨む手法もあると思う。やはり人間って、とても楽しみにしているコンサートほど、綿密に準備しておきたいという衝動は必ずありますね。


ぶっつけ本番の手法だと、実演を聴いて驚き、感動して、日記を書くときに調べると、思わず真実を知って、あ~これは事前に勉強しておいてから、聴けばその習得具合もずいぶん違っていたんだろうなと後悔することもある。


鑑賞方法に正しいという論法はない。


東京・春・音楽祭2022のN響・ワーグナー。今年はローエングリン。


自分はコロナ禍になった2020年から、オペラには1回も行っていない。2020~2021年は、コロナ禍で公演すら満足に開催されなかった。2021年後半から、いろいろ工夫しながら興行するようになってからも1度も新国立劇場に足を運んでいない。


東京・春・音楽祭のN響・ワーグナーも2019年の「さまよえるオランダ人」以来の3年ぶりだ。自分自身、演奏会形式とはいえ、オペラを鑑賞するのは、じつに3年ぶりである。


先の日記でも書いたが、やはりオペラは予習、準備したほうが、本番を有意義に過ごせる。終演後の充実感、実りが多いのだ。


なによりも自分の中で、きちんとけじめをつけて、しっかり予習して臨みたいという気持ちがこみ上げてくる。


マエストロのマレク・ヤノフスキも無事来日した。


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よかった!!!


ヤノフスキは、2020年予定だった「トリスタンとイゾルテ」、そして2021年予定だった「パルジファル」。いずれもコロナ禍の外国人来日制限の規制にあい、開催中止となった。そうすると、2017年のリング・チクルスの最終「神々の黄昏」以来、じつに5年ぶりの再会になる。ヤノフスキもそうだが、自分たちにとっても、3度目の正直のようやくの心願成就。いろいろ想うところが多い。


マレク・ヤノフスキこそ、お互いいつ最後になるかわからない一期一会となる相手であり、これからは1公演1公演が勝負である。悔いを残さないように、しっかり足を運びたいと思っている。


さっそくその翌日からN響と練習に入る。また音を出す前から、「諸君、音が大きすぎる!」という笑いを取っているのだろうか。(笑)


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(C)東京・春・音楽祭 Twitter


東京・春・音楽祭では、2018年にローエングリンの演目をやっている。ワーグナーの楽劇10大作品は、トリスタンとイゾルテを除いて、全部完遂済みで、これからは2巡目となる。うれしい。10作品上演が終わったらシリーズ終わるのかな、と心配していたが、何巡でも繰り返しは大歓迎である。そのたびに新しい感激、出会いが待っているはずだ。


2018年のローエングリンは、クラウス・フローリアン・フォークトがローエングリンのタイトルロールであった。まさに彼の18番である。過去にオペラ形式と演奏会形式で2回、フォークトのローエングリンを体験できた。


今回はローエングリンは、フォークトではないのだ。はたして、フォークトでないローエングリンは、acceptableなのか。


いまからすごい楽しみである。違ったタイプのローエングリンを受容できる新しいチャンスでもある。どんな感動が待ち受けているか、はたまたガッカリするのか(笑)。生演奏は、水ものである。


2018年のときは、ライプツィヒ歌劇場の総監督であるウルフ・シルマー氏が指揮であった。そんなに悪くないと思ったが、ただその前の4年間、ヤノフスキのN響へのドライブ力、推進力を体験してきただけに、やはり聴き劣りするところが多かった。N響の鳴りという点で及第点であった。


やっぱりヤノフスキでないとダメだという印象を持った。これは自分だけではなく、その聴衆の一般的な感想だったようだ。クラシック界にそんな声が溢れた。


だから今年は、そんな想いを一気に昇華してくれる絶好のチャンスなのだ。


ヤノフスキの造る音楽は、非常に引き締まった音造りをする人で、テンポもものすごい快速テンポで速い。速すぎる、という評価も多い。とにかく硬質なサウンド造りで、きびきびしていて、聴いていてとても気持ちよく快感なのである。自分のサウンド指向に合う指揮者である。


自分は、ご存じのように、ヤノフスキとの出会い、それイコール、ワーグナー溺愛の日々、と重なる運命の人で、自分のクラシック人生の中で避けて通ることのできない人である。


ヤノフスキの音楽に陶酔している1人である。


だから、今年2022年の東京春祭のヤノフスキのローエングリンは、積年の爆発する想いに溢れかえっているのだ。だからこそ、気合を入れて臨みたい。後悔しないように、万全の準備をして臨みたいという気持ちになった。


ヤノフスキのワーグナーといえば、PENTATONE録音だ。



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「ローエングリン」全曲 

ヤノフスキ&ベルリン放送響、

K.F.フォークト、ダッシュ、他(2011 ステレオ)(3SACD)





当時の手兵、ベルリン放送響とタッグを組んで、最前線のワーグナー歌手勢ぞろいという顔合わせでベルリンフィルハーモニーホールでツィクルスで演奏されたライブ録音である。


ワーグナー録音史上、燦然と輝く優秀録音である。


東京春祭のワーグナーシリーズのコンサート前は、いつもこれで予習である。


さっそく超久しぶりに聴いてみた。


クラウス・フローリアン・フォークトやアネッテ・ダッシュなど蒼々たる顔ぶれで聴いていて身震いするほど感動する。やっぱりワーグナーはいいなー。


それでは、今年2022年度の東京・春・音楽祭でのヤノフスキのローエングリンの聴きどころはどこなのか、自分なりに推敲してみることにする。



まず歌手陣を紹介していこう。


ローエングリン(テノール)役

ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)


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ミュンヘン出身のテノール歌手。ニューイングランド音楽院でウィリアム・コットンに学び、グラニット州立オペラの《ラ・ボエーム》ロドルフォでデビュー、その後《カルメン》ドン・ホセ、《カヴァレリア・ルスティカーナ》トゥリッドゥ、《海賊》コルラード、《道化師》カニオ等を、マサチューセッツ、ニューヨーク、フロリダ、ニューハンプシャー等で演じた。


キャリアから、純粋なワーグナー歌手でもなく、もっとイタリア・オペラ、ウィーンもの、ヴィリズモなど幅広い役が歌える歌手のようだ。キャリアとして申し分ない凄さである。ワーグナーであれば、トリスタンとイゾルテ、さまよえるオランダ人、ワルキューレなどを歌ってきている。


自分はおそらく聴いたことがない初めての体験の歌手である。どのような声質&声量、はたまた声色なのか、とても楽しみである。今回の公演が成功するかどうかは、このヴォルフシュタイナーにかかっていると言ってもいい。自分はローエングリンである、と名乗る、名乗りのアリアなど、ローエングリンの魅せ場のアリアは多い。


白鳥に乗った王子様というエレガントな雰囲気を出せるのか。演奏会形式であるから、声だけでそのオーラを醸し出せるのか。フォークトの立ちはだかる壁は高い。フォークトのローエングリンとは違った新しい魅力、発見があるのか、である。ぜひ期待したい。



エルザ(ソプラノ)役

ヨハンニ・フォン・オオストラム(ソプラノ)


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南アフリカ出身。R.シュトラウス、ワーグナー、ヤナーチェク、モーツァルトの主役として引く手あまたのソプラノ歌手である。バイエルン国立歌劇場の《ローエングリン》エルザでは、聴衆と批評家の心を掴んだ。また、エクス=アン=プロヴァンス、ブリュッセルのボザール、アン・デア・ウィーン劇場、パリのシャンゼリゼ劇場、ロンドンのバービカン・センターではウェーバー《魔弾の射手》アガーテに出演した他、グラーツ歌劇場でリヒャルト・シュトラウス《サロメ》タイトルロール、リモージュ歌劇場でコルンゴルト《死の都》マリエッタ、バイエルン国立歌劇場で《フィガロの結婚》アルマヴィーヴァ伯爵夫人を歌った。



紙面の関係上、とても紹介しきれないが、彼女のキャリアも素晴らしすぎる!


オペラ歌手に限らず、クラシックの演奏家のキャリア・経歴記載は、いままでどの指揮者、オーケストラ、そしてオペラ公演を演じてきたのか、それをそのまま列記すること、つまりその経験数が多いほど、大きな勲章を意味している。だから省略・略記できないのだ。羅列しか方法がない。その羅列が長いほど、そしてその競演相手がビッグネームであるほど勲章なのだ。だからキャリア・経歴記載は、とても読みずらいけど、これは仕方がない。


彼女のキャリアを読んでみると、もうクラクラするくらい凄い。名前や顔写真から、自分は体験したことがないような記憶なのだが、ひょっとしたら知らずに体験しているかも?


とにかく引く手あまたの大人気者である。


これまでに、サー・サイモン・ラトル、アラン・ギルバート、アイヴァー・ボルトン、ヤニック・ネゼ=セガン、アダム・フィッシャー、アントネッロ・マナコルダ、オクサーナ・リーニフ、ベルトラン・ド・ビリー、ロランス・エキルベイ等の指揮者や、ハリー・クプファー、バリー・コスキー、トビアス・クラッツァー、ヴェラ・ネミロヴァ等の演出家と共演してきた。


《ばらの騎士》元帥夫人は彼女の代表的な役柄となり、サイモン・ラトル指揮でアムステルダムのオランダ国立オペラ、アラン・ギルバート指揮でスウェーデン王立歌劇場に出演した他、ベルリン・コーミッシェ・オーパー、モスクワのボリショイ劇場でも演じている。



もう目眩が・・・(笑)


どんな声、歌い方をするのか、とても楽しみである。エルザはローエングリンではもちろんヒロイン。エルザの夢で、白鳥に乗った王子様が助けに来てくれる、その願いから物語は始まる。エルザのアリアも魅力的だ。




テルラムント(バス・バリトン)役

エギルス・シリンス(バス・バリトン)


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今後の出演予定は、ベルリン国立歌劇場でバラク、ハンブルク州立歌劇場でアムフォルタス、ラトビア国立歌劇場で新演出の《さまよえるオランダ人》オランダ人、ビルバオ・オペラ(ABAO)の《フィデリオ》、バイロイト音楽祭ツアーの《ワルキューレ》ヴォータン、アヒム・フライヤーによる新演出『ニーベルングの指環』ヴォータンとさすらい人、ナポリのサン・カルロ劇場と東京の新国立劇場で《ワルキューレ》ヴォータン、ウィーン国立歌劇場でテルラムント、バイロイト音楽祭に再登場して《ローエングリン》、《パルジファル》等となっている。


キャリアとしては、ワーグナー歌手というか、ワーグナー演目を中心に活動されている歌手である。この方は、2018年のローエングリンのときもこのテルラムントの同役で出演されている。


自分はそのときの印象として、このように日記に書いていた。


フォークト、アンガーについで、素晴らしかった歌手。今年は本当に男性陣歌手が素晴らしかった!安定した声量、豊かな低音域に、その発声能力にとても感動した。テルラムントという、この演目では、要所を締める大切な役柄を見事に演じ切っていた。


やはりこのときのテルラムントの評判が良かったんですね。再登板となりました。





オルトルート(メゾ・ソプラノ)役

エレーナ・ツィトコーワ(メゾ・ソプラノ)


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ベルリン・ドイツ・オペラでプロ・デビューし、バイロイト音楽祭に出演。クラウディオ・アバドに招かれ、演奏会形式の《パルジファル》、シューマン《ゲーテのファウストからの情景》、ベルリン・フィルハーモニーでの彼のお別れコンサートに出演。同劇場には、ニコラウス・アーノンクール指揮のヘンデル《イェフタ》で、再び出演した。



自分はこのエレーナ・ツィトコーワのポートレート肖像写真を見て、あれ?どこかで見たことがある、遠い昔だけど絶対体験したことがある!どこのオペラだったっけ?


ベルリンフィルで招聘されているソリスト歌手関係?


随分と悩んだが、いまひとつ思い出せない。でも絶対観たことがある。自分の記憶の深いところに刻まれているのである。プロフィールを深く読んでいくにつれて、やっとわかった。


小澤征爾さんの当時のサイトウ・キネン・フェステエィバル松本である。(現在のセイジ・オザワ松本フェスティバル)あのバルトーク・イヤーのバルトークのオペラ「青ひげ公の城」でユディット役で主演していた歌手である。2011年のフェスティバルである。


やっとすっきりした。


スカラ座には、バルトーク《青ひげ公の城》ユディットでデビューし、大成功を収めた。同役は、ロンドンのバービカン・ホールでもヴァレリー・ゲルギエフ指揮のロンドン交響楽団で演じた(CDに収録)。マリインスキー劇場で演じた《青ひげ公の城》ユディットに対しては、ロシアの最優秀女性歌手として「ゴールデン・マスク」賞が贈られた。同役は、小澤征爾指揮のサイトウ・キネン・フェスティバルでも招かれて歌った(こちらもCDに収録)。



これがいまから11年前の2011年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本での「青ひげ公の城」のときのカーテンコールである。


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自分が撮影した写真です。彼女がエレーナ・ツィトコーワです。小澤さんはこのときは、癌療養で欠場で代わりに、ピエール・ヴァレー氏が代役を務めたのでした。


まさか、11年ぶりに東京春祭で再会できるとは思いもよりませんでした。嬉しいです。2018年のときは、ペトラ・ラングが演じ、まさに悪の強い個性的なオルトルートを歌い上げ、主役のエルザを完全に食ってしまうほど大活躍でした。


カーテンコールでのブラボーが凄かったのを覚えています。


今回のローエングリンでも、このエレーナ・ツィトコーワが歌うオルトルートに注目である。今回も主役を食うほどの大活躍かもしれません。


ざっと歌手を調べてみるだけでも、こんなに魅力的。本当に本番が楽しみで仕方がない。


いつも疑問に思うのだが、東京春祭の歌手陣の選択は誰がやっているのだろうか。東京春祭実行委員会がやっているのであろうか。出演交渉はそうかもしれないが、歌手として誰を選ぶのかは誰がやっているのか、いつもそこを疑問に思っています。


たとえば今回ならワーグナー歌手ならヤノフスキが専門であるから、ヤノフスキの推薦であるとか・・・。歌手のグレードに応じて、ギャラも高額になってしまうから、安価で高水準の公演を、がモットーの東京春祭にとって、その歌手としての国際的なグレード、出演料、そして実力、この3つをいつもいい塩梅でバランスを取って選ばれているのは本当に感服するのである。


ローエングリンは、約3時間30分の楽劇。ワーグナーのオペラは4時間、5時間なんて当たり前だから、それと比較したらワーグナーにしたら比較的短い部類のオペラだろう。でも本番当日の実演では各幕間ごとに30分は休憩を取るから、休憩だけで1時間半。合計5時間はかかる。夕方5時にスタートして終演が夜の10時。家に着くのが夜中の0時。もうクタクタである。(笑)


ワーグナー公演の場合は、これは毎度のこと、日常茶飯事である。



ローエングリンは、音楽としては全体的にそんなに明るい~暗いの起伏が少なく、非常に明るいテンポのいい小気味いい格好良さがある。誰でも親しみやすい旋律に溢れていて、取っ付きやすいオペラなのではないかと思う。


ワーグナーの作品の中では、ロマンティック・オペラと呼ばれる最後の作品である。


とにかく前奏曲をはじめ、アリアなど聴かせどころがたくさんあるオペラである。第1幕、第3幕の各前奏曲や、「婚礼の合唱」(結婚行進曲)など、独立して演奏される曲も人気の高いものが多い。


そしてワーグナーの作品では、どの作品もそうであるが、このローエングリンも合唱が大活躍する。特にこの作品で自分が大好きなアリアが、第2幕で演奏されるエルザの大聖堂への行列である。


ここは本当に美しい!この箇所になると、もう号泣で涙がドバーとなってしまう。合唱が美しすぎるのだ!本番では東京オペラシンガーズが大活躍するはずだ。東京オペラシンガーズの凄さは、もういままで何度も言及していていまさら説明する必要はないだろう。


このエルザの大聖堂への行列は、フランツ・リストがピアノ用に編曲した事でも有名ですね。


とにかく自分が一番楽しみにしているアリアである。号泣用にハンカチ、鼻水グスグスのためにティッシュを用意することを忘れずに、だ。


第3幕の前奏曲は超カッコいいですね。このオペラで一番カッコいい箇所です。ヤノフスキが振ると、メチャメチャ、テンポが速くて、ものすごいカッコいい感じがする。


この箇所は2018年の時は、なんかモタモタ感があってイマイチだったんだよね~。


結婚行進曲は、結婚式の音楽として、とても有名ですね。とても美しい旋律の曲です。ローエングリンのオペラを知らない人でもこの結婚式にかかるテーマソングは誰でも知っていると思います。でもローエングリンは、主人公のローエングリンとエルザは結局結ばれなくてハッピーエンドではないので、同じ結婚式テーマソングでもメンデルスゾーンのほうの結婚行進曲のほうを使うことが多いですね。


このローエングリンのハイライトとなるのが、ローエングリンが素性を明かす場面、グラール語りである。ここが一番のハイライトで、頭の頂点が突き抜けるような爽快感がある。


物語が一気に頂点に達するところである。


2018年のフォークトのこの部分の語りは本当に凄かった。自分がローエングリンである!と断言したときの、フォークトの啖呵を切ったような力感、迫力のある語りはいまでも忘れられないです。すごい勢いのある吐き捨てるような圧力だった。


今回のローエングリン役のヴォルフシュタイナーがどこまでやってくれるか、である。期待しています。


そしてヤノフスキに期待したいのは、N響を思う存分ドライブして、どんどん率先して鳴らしてほしいことだ。


ワーグナーの音楽の魅力というのは、そのオーケストラの重厚な響きと美しさにあるといっていい。同じ時代に活躍したヴェルディもその晩年においては独自のオーケストレーションを確立したが、ヴェルディのオペラにおいては、なによりも歌の旋律が物語を牽引していく。一方でワーグナーの場合は、オーケストラの和音進行が物語をすすめる上でのエンジンのような役割を果たす。


とにかくワーグナー音楽の場合は、このオーケストラの音をぐいぐい鳴らして、重厚なサウンドを鳴らし切るところがポイントだ。このオーケストラの音のハーモニー、音場という両面において、なんかこううねるような美しさがないとあのワーグナーの妖艶な魅力が発揮できないと思うのだ。


分厚いサウンドが必要なのだ。


2018年のローエングリンのときは、歌手は素晴らしかったけれど、オーケストラの鳴りがイマイチだった。このオーケストラの分厚いサウンド、うねるような美しさ、この鳴りがワーグナー音楽には絶対不可欠なのである。


N響からこの美しさを引き出せるのは、やはりヤノフスキしかいない。



2018年、2019年の落胆がそのことを証明している。


だから、今回そこを期待しているのだ。オーケストラに対する絶対的な推進力だ。楽しみにしている。


でも、生演奏は水もの。感動もあれば、ガッカリもあるということだ。(笑)


覚悟はしておこう。






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村上春樹ライブラリー [雑感]

話題の村上春樹ライブラリーに行ってきた。1度は顔を出しておきたいと思っていたので、晴れた日にやってきた。


村上春樹ライブラリーは、正式名称は、「早稲田大学国際文学館」。早稲田大学キャンパス構内にある。早稲田大学出身の作家・村上春樹さんから寄託、寄贈された小説、エッセイなどの執筆関係資料や、海外で翻訳された膨大な著作、数万枚のレコードコレクションなどを保管、公開している。また村上さんの書斎やオーディオルームなどをここに実現して、作家・村上春樹の世界を再現しようという試みだ。


「物語を拓こう、心を語ろう」というコンセプトのもと、村上春樹文学の研究とともに、国際文学、翻訳文学の研究拠点として交流・発信をしていく施設と位置づけている。


村上さんが、早大に相談を持ち込んで、実現へと進んだプロジェクトで、建築家・隈研吾さんによる設計。ユニクロなどを展開するファーストリテイリング会長兼社長の柳井正さんから建築費用約12億円の全額が寄付された。



坪内博士記念演劇博物館に隣接する旧4号館を大規模改修して誕生した。学生時代、演劇博物館に足繁く通っていたという村上さんが、自らこの場所を選んだそうである。


自分が最初にこのニュースを聞いたとき、まず忌憚のない感想を述べさせていただくと、これは村上さんの終活なのかな、と感じた。(笑)自宅にある数万枚におよぶレコードコレクションや、いままでの執筆関係資料などもし万が一の亡くなられたあとに、このままこれらがうやむやに処分せざるをえなくなり、消えてしまってはもったいない。どこかで世の中の村上春樹文学ファンのためになるところに寄贈したいと思われたのではないだろうか。そこで母校の早稲田大学に白羽の矢を立てられた。


自分はそのように思った。自分だったらそう思うからだ。


でもそれがきちんと実現できてしまうこと、そしてその建設費用に12億の全額寄付が実現できてしまうこと。これはもう凄いとしかいいようがない。


世界中に読者を持つ村上春樹さんは、本当にみんなから愛されているんだな。ご自身が書くことが本当に大好きで自分の好きなことを追求された人生を歩まれ、そしてその結果として、みんなから愛されている。


才能とは言え、こんな幸せな人生、恵まれた人はいないんではないか、と思う。


もう80歳になる村上春樹さんだが、これからも健康で長生きされ、少しでも我々に夢を与え続けてほしいと思う。


村上春樹ライブラリーは、早稲田大学キャンパス構内にある。


大隈講堂。


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大隈重信像


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ここまでの写真は、結構ネットで簡単に見つかるのだけれど、次のようなアングルの写真はなかなか見つからない。大隈重信像を背後から撮影して、そこに大隈講堂を重ねるという構図だ。以前に早稲田大学の日記を書いたとき、この構図をネットでずいぶん探したのだけどなかったんだよね~。もうこれは自分が現場にいって、自分が撮影するしかないと思いました。ようやく実現成就です。まさに自分の撮った写真です。お宝です。


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村上さんが学生時代に足繁く通ったという坪内博士記念演劇博物館。村上春樹ライブラリーはこのすぐそばに建っている。


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ここが村上春樹ライブラリー(早稲田大学国際文学館)。


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入館は、予約制だ。ネットで決済して来館日を予約する。時間割制である。受付で受け付けて、そのまま進む。


村上春樹ライブラリーは、この建物のフロアー3Fを占有している。B1F,1F,2Fである。


休日の日曜日に行ったのだが、かなりの盛況ぶりだった。客層は圧倒的に若い。おそらく早大生とも思われる。中には年配層の方もいらっしゃった、


これだけの盛況ぶりなのであれば、またコロナ対策ということもあって、予約制、時間割制というのも納得のいくところである。


受け付けは地上の1Fである。そこにすぐオーディオルームがあるのだ。1番の魅せどころの階段のところは、この1FからB1Fに下るところにある。


まずはオーディオルーム。自分は一番ここが訪れてみたかったところだ。


オーディオルーム


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スピーカーはソナスファーベルとJBL。なぜ、このブランドなのかは、わからない。


スピーカーケーブルは床を這わせては見苦しいので、床下配線です。(笑)


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送出系の機器が見当たらない。部屋内にBGMが流れていて、このSPから流れいているので送出系はどこかに隠してあるのだろう。


いま、このBGMがかけられています。


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ありました。送出系は、受付のテーブルの下に隠されています。マランツのSACD&ネットプレイヤーとアキュフェーズのプリメインですかね。


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別に隠す必要はないと思うんですけどね。(笑)オーディオマニアからすると、送出系もきちんとSPの傍にあって、ビシッと見せつけてシステムを誇示するのがいいと思うのですが、そういういかにもオーディオマニア的な展示は好まれないようです。


あくまで自然なリラックスした音楽を聴く場所としての装いで、ということでしょうか。オーディオルームの監修は、ステレオサウンドの小野寺弘滋氏だそうです。小野寺氏は、公私に渡って、村上さんのオーディオに関する相談相手なのだそうです。


村上さんのレコードコレクションが展示されています。


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そしてここが村上春樹ライブラリーを象徴する看板スポット。村上春樹さんの小説には、現在から違った異次元の世界へとくぐり抜ける事象をよく書かれていることが多く、そのようなトンネルをイメージした意匠デザインにした、と建築家・隈研吾さんは仰られています。


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よく見てほしいのですが、階段のところが、向かって左側と右側とちょっと違います。ふつうに昇り降りする階段は左のほうを使います。右側は、その場所で本棚から本をとって、その場所で座り込んで腰をかける場所として使います。


だから左と右とで、階段の造りが違うので、脚を踏み外してケガをしないように、という注意が必要です。これは入館前にさんざん係員スタッフの方に注意されたことです。創造性豊かな意匠表現ではありますが、危険な造りでもあるんですね。


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こうやって本棚から本を取って、階段のその場で座り込んで読んだりします。


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階段の左右両端は、こんなに本で一杯です。村上さんの著書以外もたくさんあります。要は村上さんにとって人生で大切に読んできた本もたくさん紹介されているんですね。


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1Q84で出てくるリトルピープルもこんな感じでお出迎えしてくれます。なんか可愛いいたずらみたいで微笑ましいですね。


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階段を降りたところはB1Fになるのだが、ここにも本棚スペースや、その本を取って読むスペースが展開されています。


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ここはちょっとビクッときました。(笑)五味康祐さんのオーディオ巡礼や、菅野沖彦さんの新・レコード演奏家論がありますね。


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村上さんは無類の音楽好きで、ジャンルも隔たりなく、いろんなジャンルの音楽を聴かれますが、やっぱりメインはジャズがお好きなんだと思います。


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建築家・隈研吾さんに関する書籍コーナーです。パネルには”トンネルとしての建築”という寄稿をされて、今回のこの村上春樹ライブラリーについてのデザイン意匠設計に至った境地を説明されています。


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B1Fにはカフェラウンジがある。学生が主体で運営されるカフェだ。


このカフェは、時間に関わらず、自由に外から出入りできて休憩できるそうで、外からはこんな感じのカフェである。このカフェには店名がついていて、橙子猫(オレンジキャッツ)というらしい。猫好きな村上さんらしい名前である。


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カフェ店内。


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ホッとするような趣味のいい絵画も展示されています。


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このグランドピアノは、村上春樹さんが経営するジャズ喫茶「ピーターラビット」ではライブ演奏が行われていたのだが、当時、店で使用されたいたグランドピアノだそうです。すみません、ピアノメーカーを確認するのを失念してしまいました。


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これは舞台「海辺のカフカ」で使われた舞台美術装置です。


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長編小説「海辺のカフカ」(2002年、新潮社刊)は蜷川幸雄(1935-2016)の演出で舞台化され、(脚本フランク・ギャラティ、制作ホリプロ、初演2012年)、国内にとどまらず、ロンドン・ニューヨーク・シンガポール・ソウル・パリなど海外5都市で公演され、世界の演劇界で高い評価を受けた。土星を思わせるネオンサインの舞台装置は、印象的なシーンで登場します。



この水槽も、舞台「海辺のカフカ」に登場する舞台装置です。


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舞台「海辺のカフカ」の冒頭、この水槽の中に入った主人公佐伯/少女が印象的な音楽とともにステージに登場する。佐伯役には、2012年の初演は田中裕子(さいたま芸術劇場)、2014年~2015年には宮沢りえ(ロンドン・NY・シンガポール・ソウルなど国内外での公演)、2019年には寺島しのぶ(パリと東京)が演じました。



このカフェ橙子猫(オレンジキャッツ)は、学生主体で運営されている。自分は抹茶ティーとドーナッツをオーダーしたのだが、やはり学生らしい、なんというのかな、手慣れていない、手際が悪いというか、バタバタした感じで、すごい出来上がるまで時間がかかる。プロのお店では考えられないくらい。(笑)


でもなんか可愛いというか、一生懸命やっている感が伝わってきて、すごい微笑ましかった。別に急いでいる訳でもなく、ぐっと相手に合わせて待っていた。


美味しかったです。


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B1Fには村上さんの書斎がある。中には入れなく、ガラス張りの外から眺める感じだ。


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村上さんが普段執筆されている書斎は、以前雑誌の写真掲載で拝見したことがあるが、確かにこんな感じであった。


部屋を縦使いにして、その端に長い机を置いて、そこにMACを置いて執筆している。プリンターもある。


そしてその前に、おそらく出版社の方との面談場所に使うソファとテーブルが置いてある。壁にはレコードコレクション。


実際の本物の書斎には、オーディオ機器もそこに鎮座されていたような気がする。




1Fのオーディオルームを出たところに、こんな座るスペースがあります。この中で本を読んだりするのでしょうか。。。実際自分も座ってみたのですが、なんか閉じた自分の世界だけに籠れるような感覚に陥ります。


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村上春樹著作年表。


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この階段で2Fに上がります。もちろんエレベーターもあります。


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2Fにはギャラリーラウンジといって、ここでは、デビューした1979年から2021年までの村上春樹作品の表紙を展示。村上さん本人から寄贈された本で、多くが初版本。日本で刊行された村上さんの著作はもちろん、世界各国のさまざまな言語で翻訳された作品もそろっています。


ここから本をとって、このテーブルのところで読めるようになっているんですかね。


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端末で探したい本なんかも検索できるのでしょうか。


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これこそ、まさに村上春樹ワールドといっていいですね。まさにそんな雰囲気が漂っています。


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本をとって読んだ場合、その読み終わった後の本をここに返しておくんですね。本の陳列は、やはり順番がきちんと決まっていて、お客さんが勝手に違うところに無造作に返すのはダメなんだと思います。


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スタジオもありました。村上さんは現在Tokyo FMで、「村上RADIO」のラジオ番組をやっていらっしゃいますが、そのスタジオ現場風景なのでしょうか。ガラス張りで中には入れないで、外から眺める仕組みです。


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ここはラボとなっていましたが、なにをやるところなんでしょうかね。


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ここは展示室。いまちょうど端境期にあって、新しい展示に向けて準備中で、閉鎖中でちょっと殺風景ではありました。


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以上が、村上春樹ライブラリーの見学レポです。ぜひ一度足を運ばれることをお勧めします。


自分がこの空間に居合わせて、その空気を感じたことに、やはり本の世界だな、と思ったことです。本当に本が好きな人の堪らない空間なのではないか、と思いました。それは村上文学のファンであればなおさらのことだと思います。


どんなに電子版の世界が進行して行っても、紙の本というカルチャーが消えることはないと確信のようなものを自分は感じました。


そんな本好きには堪らない、本の香りがする空間をぜひ体験されてみてください。



最後にこの村上春樹ライブラリーをオープンするに先立って村上さんの記者会見の内容をご紹介してお終いにします。



 「この4号館というのはね、僕が学生だった頃は、学生に占拠されてました、しばらくの間。1969年、いまから52年前ですか。占拠された4号館の地下ホールで、山下洋輔さんがフリージャズのライブをやったんです。そのときにピアノを大隈講堂からみんなで勝手に持ち出して運んできまして、そのときピアノを担いだひとりが作家の中上健次さんだったということです。中上さんは早稲田の学生じゃなかったんですけど、外から手伝いに来ていたみたいですね。


 僕の友だちの何人かはその催しに加わったんですけど、僕は残念ながらそのライブには行けなかったんです。でもそのコンサートのドキュンタリー番組をつくっていた田原総一朗さんの話によると、民生とか革マルとか黒ヘルとか中核とかそういう仲の良くないセクト同士がみんなひとつの場所に集まって、ヘルメットをかぶって喧嘩もせずに、呉越同舟で山下さんの演奏に聞き入っていた話です。


 そういう建物が、今回再占拠されるといったら問題があってよくないんですけど、まるごと使わせていただけることになったのは、とてもありがたいことで、非常に興味深いめぐり合わせだと思うんです。


 柳井正さんも、たまたまですが僕と同じ年に早稲田に入学されたので、こういうのも何かの縁だという気がします。山下洋輔さんにもいつかまた、同じ場所でがんがんピアノを弾いていただきたいなと思います。



その当時、僕らは「大学解体」というスローガンを掲げて闘っていたんですけど、暴力的に解体しようとしても、それはもちろんうまくいかなくって、こちらが解体されちゃったんですけど。


 でもね、僕らが心に描いていたのは、先生が教えて生徒が承るという一方通行的な体制を打破して、もっと開かれた自由な大学をつくっていこうというような僕らの思いだったんです。それは理想としては決して間違っていないと思うんですよね。ただやり方が間違っていただけで。



 僕としてはこの早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリーが、早稲田大学の新しい文化の発信基地みたいになってくれるといいなと思っています。先生がものを教えて、学生がそれを受け取るっていうだけじゃなく、もちろんそれは大事なことではあるんですけど、それとは別に、同時に、学生たちが自分たちのアイデアを自由に出しあって、それを具体的に立ち上げていけるための場所に、この施設がなるといいなと思ってます。つまり、大学のなかにおけるすごく自由で、独特でフレッシュなスポットになればいいと考えてます。


 早稲田大学というのは都会の真ん中にあって、比較的出入り自由な場所なんです。それは、大学と外の世界が混じり合うのに非常に適した環境だと僕は思います。そういう地の利を生かして、大学と外の世界がうまく、よい形で大学を軸にして混じり合えば、いいなと思っています。


 でもそのためには学生のみなさん、それから大学のスタッフ、一般市民のみなさんの協力がどうしても必要になってきます。どうかよろしくお願いいたします」




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オペラを音楽として捉える [オペラ]

東京・春・音楽祭の「ローエングリン」は、自分にとっては2019年の「さまよえるオランダ人」以来の3年ぶりのオペラ演奏会形式になると思う。


いろいろ準備を始めているのだが、いろいろ思うところがある。


オペラは、やはり普通のオーケストラ・コンサートと比較してとてもエネルギーがいるし、予習も大変。クラシックにあまり馴染のない人にとっては、オペラは非常に敷居が高いものと思われているのでは、ないかと思う。


普通のオーケストラ・コンサートと比較しても、とっつきにくく難しいものだと思われているのではと思う。


オペラを鑑賞したいのだけれど、どうやって予習をしていけばいいのか。


自分は、全然オペラの専門家でもないし、自分のクラシック鑑賞人生の中でも、やっぱりオペラよりオーケストラ・コンサートのほうが比重が高い。


自分もオペラを鑑賞するときは、必ず海外に行くときは、オペラを観るようにしている。絶対オペラは入れる。その国のオペラハウスを体験したいからである。


そして国内、新国立劇場のときは、自分の気になる演目の時は通うようにしている。


自分の場合は、オペラ形式(舞台をともなう形式)よりも演奏会形式(オペラの演目をやるのだけれど、舞台を伴わず、歌手の歌と、オーケストラの演奏だけをともなう形式)のほうが比重が大きいので、ふだんのオペラ鑑賞の準備をする場合、この演奏会形式のときの準備の仕方を取り入れているのに特徴がある。


そんな、オペラを観ようとしている人にとって、どうやって予習をしていけばいいのか、初めての人に自分の体験談が役に立てば、と思い日記にすることにした。


全然スタンダードではないかもしれないけど、また邪道な変わったやり方なのかもしれないけど、お役に立てればと思う。


本筋はオペラ専門の音楽評論家の先生方に丁寧に誘われるのがいいと思うし、そんな手ほどき本もたくさん市販されていると思います。


自分はそういう誰かの手本を学んだことはなく、いっさい我流のやり方で、自分一人で、自分に合った方法、を身をもって体験してきて、こうすれば実際オペラ鑑賞するときに、十分事足りる、という経験に基づいている。


だからこれも人ぞれぞれで、自分で開拓していくのが一番いいのかもしれない。



オペラのもっとも大事なところは、あらすじ、その物語の登場人物と、どういう物語なのかを学ぶことである。この演目のストーリーを知らないとまったく楽しめないと思う。


まずあらすじ、どういう登場人物がいて、その登場人物同士がどのようなやりとりをすることで、どういう物語が成り立っているのかを把握することである。


これは専門の対訳の本が売っているけれど、もうネットにいくらでもある。ウィキペディアでも詳しく掲載されているし、オペラ対訳プロジェクトのような、オペラの対訳を専門にやっている方々のあらすじもある。


オペラの登場人物の名前って、ドイツ語だったり、すごく覚えずらくて、そこでくじけちゃう人がいるかもしれないけど、そこはがんばれ!まず、ちゃんとそのドイツ語の登場人物を覚えないことには、始まらないのだ。


オペラの場合は、例外もあるけれど、大体勧善懲悪の世界である。善人の主人公とそのヒロイン、そしてそれを邪魔する悪役。大体そのような構図である。


だから非常に覚えやすいのである。


あらすじを予習するときは、あまり詳しく記載されているものは、あまりお勧めできない。はじめて理解するときは、難しすぎて頭に入らないからである。(笑)


オペラ導入に失敗する人は、まず大抵ここで失敗する。


あらすじは、非常に簡潔に、やさしく書かれているものを選ぶことが肝要である。オペラに入り込めるかどうかは、その物語に対して自分なりの征服感ができるかどうかにかかっているからである。とにかくやさしい簡潔なあらすじで、その物語の全体のアウトラインを掴むこと。


これが1番大事な導入の導火線である。


そして自分なりにストーリーのアウトラインを掴めたら、つぎにちょっと詳しく書かれているあらすじのほうを勉強してみる。そうすると頭への入り方が全然違うのである。


ウィキペディアはあまりお勧めできない。詳しすぎるからである。最初からこれを読んだら、頭に入らなくてくじけちゃうからだ。


あらすじは、オペラ対訳プロジェクトのものが、すごく簡潔で短くてわかりやすいと思う。


そうやって、あらすじを簡単なものから複雑なものへと複数読破して、大体どういう登場人物がいて、どのような物語なのかがわかるのである。


そうしたら、その演目の映像ビデオを購入しよう。映像ソフトにはきちんと日本語字幕が入っているものを選ぼう。自分はよくチョンボで日本語字幕が対応していないソフトを買ってしまい、英語で見てたりします。(笑)


実際そのオペラを家で見てみるのである。


もうこれは本番と言っていい。あらすじには、簡単に書いてあるけれど、実際のオペラは2~4時間の長編ものだから間に入る歌手のセリフなど、いろいろな自分の知らない内容が出てくる。困惑するかもだけど、でも全体のあらすじを知っているから、全部見終わった後に、ちゃんとつじつまが合ってどういう物語なのか、が腹落ちするのである。


オペラというのは総合芸術だと言われている。オペラには、鑑賞すべきポイントがたくさんあるのだ。


その物語のこと、歌手の容姿、そして歌声、音楽、そして舞台芸術。これらが全部総合して組み合わさって構成されているのがオペラであり、まさしく総合芸術なのだ。


オペラの世界では、”演出”という言い方をするのだが、その舞台装置(舞台にセッティングされている装置)や歌手の衣装などの時代考証、そして実際のその演じられている演目の態様。


オペラではこの演出の仕方次第で同じ演目でも全然違う作品になってしまう。この演出の仕方自体で、素晴らしい作品にもなりえるし、駄作ということで悪名高いことになってしまうこともあるからだ。


オペラにとって、この演出こそ一番のキーポイントなのかもしれない。その監督、演出家のその作品に対する意図する解釈、こういう想いを反映させたいなど、その監督の考え方が作品に故意に反映されるからだ。


オペラ演出はある意味、学問である。いろいろな表現方法、芸術的な表現方法など、無数に考えられることができ、非常に複雑怪奇である。


その作曲家が作曲した当時の時代考証で、原作にオリジナルな古典的な手法で演出される場合もあるし(衣装もその当時の時代考証で)、読み替え版といって現代の時代考証で、いまの現代ドラマのごとく、まったく原作とは違った解釈で読み替えたりする場合もある。


もうそれは演出家次第である。


もう表現方法は無数にあると言っていい。


自分は古典的演出のほうが好きです。オペラは原作に忠実で、やはりその当時の背景で演じられるのを観るのが好きです。2016年にバイロイト音楽祭に行ったときの、ワーグナー「神々の黄昏」は、原作とは程遠い、現代読み替え版でさっぱり理解できませんでしたから。(笑)


舞台装置は作るのにお金がかかる。だからそうそうそのオペラの演目をやるたびに作れるものでもない。一度どこかで作ったら、それを世界中のオペラハウスで使いまわすのである。


演出も含め、その舞台装置ともども、そのビジネスユニットのことをプロダクションと言っている。


つぎに大事なのは、やはり歌手の歌だと思う。声楽というのは、まったくドラマティックだ。声がもたらす感動というのは、オーケストラで得られる興奮とはまったく別次元のさらにその上をいく興奮度のすごいアドレナリンを発するものだ。


自分がよく経験するのは、クラシックのコンサートに行くとき、オーケストラだけの器楽のコンサートと、歌手が入る声楽入りのコンサートでは、もうその興奮度が遥かに声楽のほうがすごい興奮するのだ。


あのボルテージの上げ方、最高潮に達した時のあの興奮クライマックス。人間の声と言うのは、本当に神的に奇跡なのだ。


この歌手の歌、声を楽しむというのがオペラのもうひとつの醍醐味だ。オペラ界には、本当にたくさんの歌手がいて、みんな独特の特徴的な声をしている。


声質に声量。


この2つのパラメータが基本にあって、そこに声色や艶、音域などのその歌手独特のクオリティが加わる。歌手は声音域に応じて、男性ならテノール、バリトン、バス、女性ならソプラノ、メゾソプラノ、アルトとに区分される。


オペラに行くときは、この歌手が出るから行くとか、その出演歌手に左右される場合も多い。


歌手の声を楽しむというのも、オペラのとても大切な要素なのである。自分は、とくにこの歌手の声を非常に重要視していて、オペラ鑑賞したときに一番自分にグサッと刺さってきて、あとでじ~んといつまでも自分の記憶に残像として残るのが、この歌手の声である。


自分にとってオペラ鑑賞で一番大事なポイントだと言っていい。


ある演目のオペラを勉強したいときに、まず映像ビデオを買って、どんな演目なのか勉強してみる。これが本当にありきたりの手法だけど、王道だ。


舞台芸術はやはり見てなんぼである。これを何回か見れば、もうオペラの予習としては十分である。


自分の経験から、何本もビデオを買うことはないので、1本選ぶなら、やはり古典的解釈の演出を選びたい。


映像ソフトでは堪能できない生舞台の鑑賞の醍醐味としては、やはりピットに入っているオーケストラの演奏の出来具合も重要だ。映像ソフトとではあまり気にならないけど、生舞台の演奏では、このオーケストラの演奏もその舞台が感動するかどうかの大きな要因になる。


というか、観ていて、聴いていて、気になって仕方がないのである。(笑)素晴らしいオーケストレーションだと、それだけその舞台が映えるものである。


鑑賞日記には、必ずこのオーケストラの演奏の出来が書かざるを得ない。


ここまでは普通一般の人のオペラへの接し方だと思う。


自分は、これだけではなく、その音楽というのを非常に重要視する。


オペラは総合芸術、舞台芸術だと言われるが、自分にとっては音楽が非常に重要なのである。やはりどの作曲家のオペラを観るかによるが、音楽のイケていないオペラはダメだと思うのである。


ふつうの役者さんたちが演じる舞台と、オペラが違うのは、オペラは音楽を伴っていて、歌手の声、そしてオーケストラの音で成り立っている舞台なのである。


だから自分は、オペラの予習をするときは、単にそのオペラを学ぶだけではなく、その音楽を完全掌握しておきたいという願いが強い。


自分はある演目のオペラの予習をするときは、映像ビデオだけではなく、必ずその演目のCDを買うのだ。あらすじを勉強して、映像ビデオでどんなオペラがわかったら、あとはひたすらCDでそのオペラ音楽を聴いているのだ。


あらすじ、映像ビデオはある意味、予習の初期段階の話。中期から後期、すなわち本番の鑑賞日までは、ひたすらCDで音楽を聴いている時間のほうが圧倒的に長い。


オペラを音楽として捉える。長い音楽の絵巻物語として捉える。こういうスタンスが、オペラへの接し方にとって大切なことなのではないのかな、と自分は思うのである。


オペラを音楽として捉えた場合、長丁場の音楽絵巻物語は、本当に聴いていてドラマティックだ。もちろん歌手のセリフを音として聴いているので、何を言っているのかわからないけれど、全然いいのである。


音楽として、その作品を最初から最後まで何回も聴き込んで自分の頭に叩き込む。


そうするとひとつの達観した境地に達することができる。


それはCDとして音楽として、そのオペラに接していると、何を喋っているかわからないけれど、その音楽を聴いているだけで、いま第1幕のどこら辺、第3幕のどこら辺というのが自然とわかってくるものなのである。


映像を見てなくても、全然わかる。


音楽を聴いてオペラを理解する。


これが自分のオペラの接し方の肝である。この接し方をものすごく大切にしている。


自分がオペラの舞台芸術も好きだけれど、やはりオペラ音楽が好きということもあって、たどり着いた境地である。


そうすると舞台を実際鑑賞する上でメリットも出てくる。自分は視力が悪いので、字幕掲示板がよく見えないことが大半だ。字幕掲示板は大抵の場合、ステージの左右両端に設置されている場合が多いので、舞台を見ながら、その都度、左右を振り返るというのがかなりしんどいと思うことがたびたびである。


だから最近の自分は字幕掲示板を見ないほうが多い。舞台に集中しているほうがなんかそのオペラを楽しめるような気がするのだ。字幕を見なくても、その舞台のシーン、歌手の歌、そして演技、そして音楽だけで、いま何幕のどこのシーンなのか、ということが大体わかるからである。


もちろん悩みもあって、せっかく字幕翻訳家の精魂込めた翻訳の内容をきちんと自分も鑑賞したい気持ちが山々なのであるが、やはり字幕掲示板の位置と視力の関係上、なかなか自分のオペラ鑑賞のウィークポイントでもある。


そういうこともあって、オペラを予習するときは、まずあらすじ、どういう物語なのか、登場人物のお互いの関係をちゃんと自分の中で把握しておくことが大事なのである。


そしてなによりも音楽。


これがあるから自分のウィークポイントも克服できるのである。


”オペラを音楽として捉える。”


これはそのオペラのアリアなどをきちんと自分なりに勉強しておくべきである。オペラのアリアというのは、そのオペラの歌の魅せどころの場所のことである。


オペラのアリアは、ネットの解説で、アリアごとに、きちんとした題目付きで解説されている。第何幕で歌われるのかも、書いてある。


でも音楽CDを聴いていると、どこ部分がその有名なアリアなのか、分からない場合が多い。


しかし、そういう場合は、いまネットで、そのアリアごとにYouTubeで紹介されていたりするのだ。


たとえば、”ローエングリン アリア”と検索すると、ローエングリンで歌われるアリアごとにYouTubeで紹介されていたりする。オペラ対訳プロジェクトがやっているようだ。


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実際、その聴きたいアリアを選んで再生すると、


オペラアリア-2.jpg



このようにドイツ語と、その対訳が表示されながら、その背景でそのアリアの音楽、歌が流れるようになっている。音楽、歌は著作権の関係から昔の音源を使っている場合が多いようだ。


これをアリアごとに聴いていって勉強して行けばいい。大抵のオペラのアリアは、このようなYouTubeになって挙がっている。


そうやって、その演目のアリアを覚えていくのである。アリアを完全に覚えれば、オペラの音楽CDを聴いていても、全然理解度が違ってくる。もう全然最高です。


”オペラを音楽として捉える”


これは自分がオペラを鑑賞するときに、一番心掛けている、肝に命じていることだと言っていいかもしれない。オペラ形式の舞台ではなく、演奏会形式のコンサートのときは、こういう予習方法がとても役に立つのである。


そんな理屈めいたことではなくて、もっとぶっちゃけで言うと、自分はオペラの音楽CDを聴いているほうが好きなのである。昔から自分に合っていると思うのである。


そしてこれも自分の経験からなのだが、あるオペラを初めて勉強しようと思ったときに、その最初に勉強した映像素材がその後の自分のその作品のリファレンスになる、ということ。


これは理屈では説明できないのだけれど、不思議といままでがそうなのだ。その後、その最初の作品を凌駕する素晴らしい作品に出会えたとしても、その一番最初に学んだ映像素材を超えることができないものなのだ。


ずっと自分の中でリファレンスとしてあり続ける。


だから忠告したいのは、最初の映像素材を選ぶときは、慎重に!ということである。


自分がオペラを初めて体験したのは、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」


勉強用、予習用として一番最初に購入したのは、これ。


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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

 ブルゴス&ベルリン・ドイツ・オペラ(日本語字幕付)






もうその後、オペラ形式、演奏会形式を含め、何回観たかわからないくらい、この演目は数えきれないくらい鑑賞してきたが、自分の中で「ニュルンベルクのマイスタージンガー」といえば、もうこのベルリン・ドイツ・オペラの作品なのである。マイスタージンガーを観るときは、必ずこの映像素材を観ないと自分の心が落ち着かないのである。


自分にとって、ザックスはヴォルフガング・ブレンデルだし、ヴァルターはイェスタ・ヴィンベルイ、エヴァはエファ・ヨハンソンなのである。


もう永遠にそうなのである。


不思議なものである。









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鎌倉五山 寿福寺と浄智寺 [寺院・仏閣]

鎌倉五山のランク付けでは、寿福寺は第三位なのだけれど、それだけでは評価できないとても大切な所縁の伝説を持っているお寺である。


寿福寺は、源氏のルーツの地に立つお寺なのである。


平安時代に検非違使の平直方が鎌倉に居を構えて以来、この地は桓武平氏の東国における拠点であった。その後、源頼義が直方の娘婿となり、嫡男の源義朝が生まれると屋敷を源氏に譲った。鎌倉と源氏の縁の始まりである。


1051年前九年の役として知られる戦いで奥州に向かう源頼義が源氏山で勝利を祈願した。鎌倉幕府を創建した源頼朝の父、源義朝。源氏の頭領であり関東に大きな基盤を築いた義朝の館が、かってこの場所にあったといわれている。


頼朝が鎌倉に拠点を置いたのも父である義朝の地盤がこの鎌倉にあったためであり、その点においてもこの寿福寺の地は源氏と鎌倉幕府にとてもゆかりの深い土地といえるのだ。


寿福寺は、源義朝の邸宅あとに開山として栄西が招かれ、建立されたと伝えれられている。開基は北条政子。


お寺を初めて建てるときは、必ず開基と開山という2人の役割がいる。開基というのは、いわゆる資本主、スポンサーのことであり、そのお寺を建てるのにお金を出した人である。大抵の場合は、その当時の時の権力者がなる場合が多い。


それに対して開山というのは、そのお寺の教え、悟りを開いた人である。大抵の場合は、僧、お坊さんがなる場合が多い。


寿福寺は、開基が北条政子、そして開山が明庵栄西。



1200(正治2)年、源頼朝の妻・北条政子が頼朝の死後、頼朝の父である義朝の旧邸跡に明庵栄西を招いて創建した寺で13世紀後半になって禅宗の寺院となった。


本尊は釈迦如来坐像。その脇には大きな仁王の像がある。鎌倉五山の第三位。


三代将軍実朝もしばしば訪れ、最盛期には十数か所の塔頭を擁する大寺であったという。


まさに源氏のルーツの地に立つ寿福寺。


鎌倉五山の中で、もっとも重要なお寺であることがわかった。これはもう鎌倉五山の順位など関係ない。


ただ、このお寺は、すごいミステリアスなのだ。基本的に非公開なのである。一般公開されていない。そして電話・FAXの受付もいっさいしていないのだ。


超ミステリアス!


秘密のベールに包まれた禅寺なのである。


ただし、正月やGWには、特別公開するようで、自分はぜひ近々のGWの照準を合わせて、再び寿福寺を訪問してみたいと思っている。


秘密のベールに包まれた寿福寺の仏殿、境内をぜひ拝みたいと思っている。たくさん写真を撮ってきて、日記にしたいと思っているので、お楽しみに!


寿福寺は基本は非公開なので、中の境内は拝見できないのだが、でも見れる観光スポットはちゃんとあるのだ。そこはつねに公開なのである。


事前にネットで調べたところ、これはぜひ行く価値がある。それだけこのスポットには魅力がある!ここを観るだけでも価値がある、と即決で判断した。



これは行かない訳にはいかない。


さっそく寿福寺に行く。鎌倉駅から小町通りをずっと歩いていって、ずっと端まで行って、左折する。住宅街の中をひたすら歩いて行って、線路を超えたら、もうそこは寿福寺である。


総門。


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源実朝を偲ぶ石碑が立てられていた。1992年に建てられた石碑のようだ。寿福寺は、政子だけではなく、源実朝や源頼家とも所縁の深いお寺なのである。


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そして、寿福寺といえばこの参道。この参道の敷石は鎌倉随一の美しい意匠と言われている。


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寿福寺の一番の魅力はここでしょう。でも自分が写真を撮ると下手なんだなぁ。(笑)


事前にネットで調べたプロの写真はこんな感じです。


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鎌倉随一の美しい意匠。自分はこのプロの写真をみて、これはぜひ行ってみて、自分の目でじかに見てみたいと思ったのだ。


そうしてもうひとつのスポットを見に、このお寺の裏山のほうに向かう。


こんな怪しげな裏山への山道。ここで合っているのかちょっと不安になる。


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そうすると、また門が現れる。


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ここに看板を発見する。


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おぉぉ~ここで間違いない!


確信を持った自分は、さらに裏山のほうに向かう。


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そうすると、階段を昇ったところは、そこには一面に墓地が開けていた。


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そして自分が目指したところ。それがここである。


北条政子、源実朝のお墓。


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寿福寺の裏山には、北条政子と源実朝が眠る墓があるのだ。


墓地、最奥に源氏山をくり抜くようにやぐらがある。ここに北条政子、そして源実朝のものと言われる五輪塔を安置したやぐらがある。実朝の塔があるやぐらは「唐草やぐら」と呼ばれ唐草模様の彩色がかすかに残った珍しいものだそうだ。


ここが北条政子のお墓(やぐら)。


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そしてこちらが源実朝のお墓(やぐら)。


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現場で見たところ、どちらが政子、実朝の墓なのか、よくわからなかった。確信が持てなかった。ただ政子のほうは、看板に書いてあったので、たぶん間違いないと思う。



こちら側のアングルからも、政子、実朝のお墓を撮る。


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寿福寺のもっとも所縁のあるポイントとして、この政子、実朝のお墓がある、というのはあまりに強烈なメッセージだし、ここはぜひ訪れないといけないだろう、と思ったのだ。


自分は嬉しかった。まさかここで、政子や実朝のお墓参りができるなんて思ってもいなかったから。鎌倉五山のことを調べていくうちに、順位付けの順番で、今度は寿福寺の番ということで調べたらこんなミステリーが待っていたのだから。


自分は高まる鼓動を抑えることができなかった。


寿福寺の観光スポットは、美しい参道と、この政子、実朝のお墓参りである。そしてなによりも源氏のルーツに立つ禅寺である。非公開の秘密のベールに包まれたお寺であるけれど、鎌倉五山の中でもっとも重要な立ち位置にあると言えるのではないだろうか。


寿福寺の裏山からそのまま源氏山公園に行くこともできる。そこには有名な源頼朝像があるのだ。


ぜひ行ってみようと思ったのだが、うまくたどり着けなかった。


源氏山公園の源頼朝像は、また機会を改めて、別ルートで行きたいと思っている。鎌倉駅から結構歩くので、歩行に支障がある自分にはかなりハードルが高い。どうしようか困っているところだ。



日を改めて、今度は浄智寺。


浄智寺は、鎌倉五山第四位の禅寺である。


浄智寺が創建された十三世紀の後半の鎌倉は、北条氏がきわめて盛大で禅宗がもっとも栄えた時期である。


1281年(弘安4年)執権として有名な北条時頼の三男、宗政が29歳で亡くなる。浄智寺は宗政夫人が幼少の師時を開基にして、宗政の菩提を弔うために創建されたお寺である。


開山が3名連なるのが、鎌倉では他に例をみないが、当時は渡来僧が多かった禅宗の雰囲気が垣間見れる。史料が乏しく真相は不明だが、3人の中で唯一の日本人である「南洲宏海」が、すでになくなっている「兀庵普寧(ごったんふねい)」に開山の名誉を遺贈し、実際には「大休正念(だいきゅうしょうねん)」を据えたのではないかと推測されているそうだ。


浄智寺は、北鎌倉駅から歩く。北鎌倉駅の建長寺や円覚寺などがある方面とは、反対方面にある。



浄智寺惣門(高麗門)


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「寶所在近」の文字が掲げられた美しき惣門。池の前には苔むした石の反橋がかけられた、美しき惣門。その脇に鎌倉十井のひとつ「甘露ノ井」がある。



浄智寺の鐘楼門


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鎌倉では珍しい唐様の鐘楼門。


杉林に囲まれた参道は鬱蒼としていて、その先に鎌倉では珍しい唐様の鐘楼門がある。手前の鎌倉石の階段も美しく、すり減った鎌倉石が歴史を刻む古刹の佇まいをみせてくれる。2007年に再建された鐘楼門は「山居幽勝」の額が掲げられ、花頭窓のある上層には1649年(慶安2年)の梵鐘が吊るされている。



曇華殿と木像三世仏坐像


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曇華殿(どんげでん)と呼ばれる仏殿。本尊は珍しく室町期作の木像三世仏坐像で県指定重要文化財である。


浄智寺本尊。木像三世仏坐像


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向かって左から阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来で、過去・現在・ 未来の時を代表している。鎌倉地方に多い衣の裾を台座に長くたらした様式が見どころ。鎌倉仏の特徴をよく表しているといわれている。



巨木。コウヤマキ


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鎌倉市指定文化財のマキ仏殿脇のコウヤマキは鎌倉第一の巨木。鐘楼前のビャクシンとともに鎌倉市指定文化財になっている。


浄智寺は趣があって、美しい。


そのほかにも、拝観した順路で紹介していきたい。ネットで調べてみたが、以下の写真がなんなのかよく判明しなかった。当日行き当たりばったりで写真を撮るので、あとで後日調べて照合するという超めんどくさいことをしないといけないのだが、これらの説明があるものはなかった。


浄智寺といえば、大体、上に挙げた浄智寺惣門(高麗門)、鐘楼門、曇華殿と木像三世仏坐像、そして巨木。コウヤマキがメインのスポットなのでこれ以上の細かい説明は、ネットでいろいろ探したけどなかったようだ。これだけ網羅しておけば十分ということか。


行く前に見どころを全部把握しておくことは、かなり難しいため、ひとつ後悔したところがあった。境内奥の、洞穴の中に立っている布袋さまは、「鎌倉・江の島七福神めぐり」の布袋和尚(ほていおしょう)。お腹をさするとご利益があるとされ、皆が触っていくので、お腹のあたりが、黒くなっている。


今回この布袋和尚を拝見できなかったのは、なにより後悔である。次回行くときは、かならずお腹をさすってこよう。


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説明なしで写真を並べるだけでも、その通りに歩いて拝観している雰囲気が味わっていただけるものと思う。鎌倉五山第四位、浄智寺、素晴らしい禅寺でした。




鎌倉幕府と所縁のある鎌倉五山の禅寺巡り。残りは、浄妙寺である。


浄妙寺は境内に英国ガーデンテラスのある鎌倉のお寺で、これまた魅力的なのだ。石釜ガーデンテラスというレストランがあり、境内で食事ができるという驚きの異空間。またパンやコーヒーをいただけるテラスや、抹茶をいただける喜泉庵があり、知る人ぞお寺グルメのユニークなお寺なのだそうだ。


とても楽しみにしています。




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単語帳 [ライセンス・知財]

技術契約の場合、大半が外国企業とのやり取りになるので、契約書は英語が基本です。自分が扱う契約書の90%以上は英語じゃないでしょうか。
                                                  
読むたびに毎度思うことだが、契約書の英語って難しいんだよね。(笑)Legal、いわゆる法律、法務関係の専門用語の乱発なので、とても日常英会話、日常英語とはかけ離れている。こんな単語、普段の英語で使わないだろ!というような単語が多いです。
                                                  
契約書の中身については基本は、法務部門が精査するので、契約リスクの洗い出しについてはお任せすることが多いが、やはり自分も目を通しておかないといけない。
                                                   
そうすると自分が関与するLicense Fee関連、Penalty関連、単価テーブル、Payment/Reporting、報告・支払関連、訴訟時の責任分担などは必ず目を通します。
                                                   
ここは意外とどこのライセンサーでも同じ表現なので、平易な文で、しかも自分がもうベテランで読み慣れていることもあって、スイスイなのだが、契約書全部、きちんと完全読解しようと思うと、なかなか大変なもんです。
                                                   
契約書は日本語でも難しくて分かりずらいのに、英語だともっと大変ですね。(笑)契約書を読むたびに思うことですが、ものすごく責任を感じますよね。ここに書いてあることによって、今後の自分たちの行動にどう影響を及ぼしてくるか、その契約リスクを読み取って慎重に解析しないといけない。
                                                   
とてもシリアスになります。契約書を読むたびに毎回そう思います。契約書は非常にセキュリティ度の高い秘匿書類でもありますね。
                                                   
これはある意味、契約の当事者かどうかでその読み込み度が違うんですね。契約リスクをどう読み取るかは、やはり契約の当事者じゃないと実感が湧きにくいものなのです。
                                                   
自分はあくまで契約を管理する側の第三者であって、当事者ではないので、その契約書の内容のシリアス度について真剣になりにくいところがあるかもしれない。。。と最近自分はおもふ。
                                                   
他人が結んだ契約を、自分が管理する上で目を通す際は、相手の立場や事情が理解できていないと、なかなか把握は難しいかも。どうしても契約書の記載の上っ面のリスク回避程度なのでは、と思います。
                                                   
自分の場合、技術契約の使用許諾契約という契約ジャンルで、しかもLicense Fee,Payment/Reporting関連のみ目が真剣になる。
                                                   
でも契約書がカバーする範囲は、なかなか広いです。
                                                   
契約って、本当に世の中にありとあらゆる種類の契約があって、業務委託契約だとか、秘密保持契約(NDA)だとか、購買取引契約だったりとか、土地売買契約、マンション賃貸関係とか、もう世の中に無数にありますね。
                                                   
自分と相手との取り決めのルールを書面として残すのが契約書です。
                                                   
やはり契約書の文書は、一種独特の難しさとシリアスさがあって、しかも契約の当事者でないとなかなか取っ付きにくい、理解しずらいという性格の文書ですね。
                                                   
日本語の契約書は、甲乙表現ですね。読んでいくうちにどっちが甲だったっけ?どっちが乙だったけ?ってなりますね。(笑)英語の契約書であれば、序文にあたるWITNESSETHとかWHEREAS条項だったりしますね。
                                                   
契約書の文体は一種独特の文化です。
                                                   
いままでこのスタンスで接してきましたが、でもこのままでいいのかな、とふっと昨日思い、契約書に使われる難しい英単語を、自分の知識ライブラリーとして覚えていこうと思うことにしました。
                                                   
やはりその道のプロとして、と自分を啓蒙したい場合は、きちんとそこまで考えないと、ですかね。
                                                   
そこで、大学受験以来、使ったことのなかった単語帳を買ってみました。(笑)
                                                   
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これで自分にとって新しい専門用語の英単語を覚えていこうと思います。
                                                   
でも契約書を実際作っているのは、弁護士とかプロだから、その弁護士によって使う専門用語が違っていたりすると思うんですよね。だからその契約の契約書単位で、同じ意味なのに、違う英単語が使われていたり、とか面倒だな、とは思います。
 
                                                   
                                                                                                     

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東京ラブストーリー [ドラマ]

鎌倉殿の13人で静御前を演じられる石橋静河さんのプロフィールを拝見させていただいているときに発見した東京ラブストーリー。


あまりに懐かしすぎる!(笑)


東京ラブストーリーは、まさに自分の青春そのものでした。忘れたくても忘れられない青春のそのものでした。ドラマが放映されたのが1991年でしたね。


自分は1987年に東京に上京したので、1991年と言えば上京してホームシックにかかっていたまさにそのときだったと思う。そんな青春時代の甘酸っぱい想い出がいっぱい。あのときを想い出すだけで、ちょっと照れくさくて、青臭い自分を思い出します。


当時週刊ビッグコミックスピリッツというのが大人気で、月曜に発売されたのでした。月曜の朝に出勤のときにホームの売店で、そのスピリッツを買うのがもう習慣だったのです。


柴門ふみさんの「東京ラブストーリー」は、そのビッグコミックスピリッツに連載されてた漫画であった。もちろんドラマが始まるずっと前です。だから1988年頃ですね。


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これは最高に面白かった。柴門ふみさんの筆タッチは、とてもサッパリしたタッチで見やすかった。天真爛漫な赤名リカ、愛媛から上京したばかりでリカに振り回される永尾完治、完治と同郷のプレイボーイの医師の卵の三上健一、そして幼稚園の保育士さんの関口さとみ、三上くんと同じ医師の卵の同級生の長崎尚子。


これらの主人公によって繰り広げられる漫画である。


これは夢中になったねぇ。読んでいて面白いと思った。


当時月曜の朝に駅の売店でスピリッツを買ったら、それを会社に持って行って朝の時間やお昼休み時間に読むのである。


そう!当時、品川にあったビル。日本フィリップスの横にあった東洋水産ビル、通称みんなTSビルと呼んでいたビルである。そこの3F,4F,5Fにうちの会社が入っていた。前職の会社はいろんなところにオフィスを持っていたんだよね。


自分のオフィスはそこの5Fである。


懐かしすぎるよ~。TSビル5F。(笑)社会の厳しさ、社会というのがどういうところなのか、よくわからない青春真っ只中のうぶな自分。ホームシックでいつも自信がなかった自分。そんな学生気分が抜け出せなかった社会人成り立ての自分が過ごしたオフィスである。いまでも鮮明に頭の中にそのオフィスのシーンが蘇る。


そこで自分の机で、朝の時間や昼休み時間にスピリッツを読むのである。その中で東京ラブストーリーを読んでいたのだ。自分は、柴門ふみさんの東京ラブストーリーの大ファンであった。


それから3年後の1991年。東京ラブストーリーがフジテレビでドラマ化されることになった。漫画の時代から面白いと思っていた自分は、これは絶対大ヒットすると確信していたが、もうその予測を遥かに超える大変な社会現象となった。


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赤名リカに鈴木保奈美、永尾完治に織田裕二、関口さとみに有森也実、三上健一に江口洋介、長崎尚子に千堂あきほ。まさにフジテレビの月曜日夜9時からの、いわゆる月9のドラマ枠が超人気枠というか特別な意味をもつ枠になったきっかけをつくったドラマだったと思う。


月曜の夜9時になると、街から人がいなくなる、という現象が起きたほどの社会現象であった。もう大人気というどころか、本当に社会現象である。


このドラマで、一気に着目されたのが、フジテレビの大多亮プロデューサーである。同じ年に同じ大多亮プロデューサーによる武田鉄矢、浅野温子主演の101回目のプロポーズも超大ヒットの社会現象となった。


大多亮氏は一気に時代の寵児となった。月9のトレンディードラマを定着させた大功労者である。


東京ラブストーリーや101回目のプロポーズのドラマ手法に共通していたのが、主題歌の卓越した使い方であった。キャッチーなメロディの主題歌を、ドラマをこういうイメージで造りたいのだけれど、とその当初から歌手と相談しながら力を入れて作り、それをドラマのそれぞれシーンでその主題歌を挿入していくやり方である。


これはドラマがすごい乗るというか、すごい感動的な効果を視聴者に与えるいい手法となった。この手法も、この東京ラブストーリーや101回目のプロポースからだったと思う。


東京ラブストーリーは小田和正の「ラブストーリーは突然に」、101回目のプロポーズはCHAGE&ASKAの「SAY YES」である。


じつにひさしぶりに、小田和正の「ラブストーリーは突然に」を聴いてみた。


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懐かしすぎるよ~。一気にのあの時代にワープしてしまう。あの冒頭のチャカチャーンというギターフレーズを聴いた瞬間、ドラマのシーンが蘇ってきます。


東京ラブストーリーは最終回が視聴率32%、101回目のプロポーズは最終回が視聴率36%という驚異的な視聴率をあげ大成功に終わった。


このドラマをきっかけに鈴木保奈美、織田裕二は大スターへの道を歩むことになる。大多亮氏、鈴木保奈美はマンション密会をフライデーされていましたね。いきなり大スターとなってしまった鈴木保奈美さんの心の不安の相談役に大多氏がなっていたようです。


自分の記憶だけで、これだけスラスラ書けてしまうのは、それだけ当時、このドラマは大変なブームで絶対忘れられない心の奥に深く刻まれているからなのです。

 

そんな東京ラブストーリーがなんと現代リバイバル版としてリイシューされているなんてまったく知りませんでした。フジテレビで放送されていたそうです。周回遅れの今頃気づいて申し訳ありません。


東京ラブストーリー2021


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自分はびっくり。


新旧ドラマの配役の比較ではこんな感じになります。


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Amazon Prime Videoで見れるので、全11話を2~3週間かけて見てみました。


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まず驚くのは、プロデューサーや監督、それぞれの役者さん達がよく原作を勉強されているということです。本当にびっくりしました。赤名リカ、永尾完治、関口さとみ、三上健一、長崎尚子のあのイメージのあのイメージ通りなのである。時代は変われど、きちんと役のイメージを壊さずに、そのまま継承されていて、自分はじつに素晴らしいな~と驚きました。そうそう、そういう感じだったな~と自分もだんだん思い出してきました。


それがすごい嬉しかった。


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石橋静河さんは、まさにあの天真爛漫な赤名リカにぴったり。まさにそう!まさにそう!あのカンチ!カーンチ!と呼ぶ声がすごくサマになっている。ぴったりで嬉しくなります。長身ですごくスタイルがよくて、脚がすごく長いんだよね。驚きました。さすがにバレエダンスは上手な感じがしますね。


永尾完治役の伊藤健太郎氏もすごくいいです。ある意味、織田裕二より原作のキャラクターに近いかな、と思いました。原作はもっと優柔不断でリカに振り回される感じのキャラなので、それに近いと思います。織田裕二は原作のキャラより格好良すぎだと思います。(笑)


プレイボーイの三上健一役の清原翔氏や、保育士の関口さとみ役の石井杏奈さんもまさのその原作のイメージ通り。いやぁじつに素晴らしいな~と感動。よく勉強されているな~という感じである。自分がそのまま1991年にワープする感じですから。


もちろん主題歌や音楽の挿入や、時代考証なんかも現代風にリニューアルされていて、今風なんですよね。とても新鮮です。


思うのは、いまの役者さんたち、現代の若者はさっぱり、しょうゆ顔かな、と思うことです。スラリとスタイルがよくて、とてもさっぱりしたルックス。やはり今風なんですよね。


1991年の時代とはやはり違いますね。あの頃のほうがもっと濃い、ソース顔という感じがします。


1991年当時は携帯、スマホとかなかった時代だから、自宅の部屋で固定電話。ドラマではその固定電話で、電話しながら、というのが当時はとても流行と言うか、洒落た演出と言われたものです。いまはもうスマホですからね。


東京ラブストーリーはやはり最終回がね、ハッピーエンドではないからね。1991年当時は、最終回終わったあと、もうフジテレビに抗議の電話が大変だったです。


やはり最終回はじ~んと涙ぐむ感じでしんみりしました。


あと、1991年、当時20歳代後半だった自分が観ていたときと、比べて、いまこういう若者の恋愛ドラマを見るときの感覚の違いというのかな、恋愛ドラマはやはりどうしても気持ちのすれ違いを描くことが多いので、若いときはドキドキしながら観ていたものだったけれど、50歳代になってこういうドラマを見ると、やっぱりちょっとヘビーというか、重いというかやはり歳なのかな、すれ違いになるととても気持ちがつらかったです。


やっぱり歳なんですね。(笑)


東京ラブストーリー2021すごく面白かったです。

Amazon Prime Videoで見れますので、ぜひお勧めします。


まさに黄金の名作「東京ラブストーリー」は、さらにミュージカルでも2022年に上演されるみたいです。永遠に語り継がれていきますね。





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SS-Blogへの要望 [雑感]

かねてより、ブログを使う上でずっと悩みの種であった画像ファイルの容量問題。自分のブログ、ノンノンのブログは、SS-Blogを使っている。ソニーのSo-netブログの時代から使っていたもので、プロバイダがSo-netなので、そのままブログもSo-netブログで、という流れであった。しかも無料だし。


So-netブログは、そのうちソニーで面倒見てられないという感じで(あまり儲けるビジネスじゃないかもですね。)、SS-Bogに移管された。


自分が悩んでいるのは、このブログは写真データの画像ファイルが5MB以上のものはアップロードできない仕様なのだ。


いちいち圧縮しないといけない。


ご存じのように、自分の日記は写真を大量に使用するので、それを1枚1枚圧縮して再アップロードするというのは超めんどくさいし、大変な時間と工数を費やすのだ。


もう苦痛な作業といっていい。


デジカメが旧世代のものだった時代は、そんな不具合はなかった。4K/8Kの時代になって、高解像度化していくと、それにあわせて、画像ファイルの容量が増えていくので、このSS-Blogのアップロードできる閾値に引っ掛かってしまうのだ。


デジカメを高性能、高解像度にしてから、こういう悩みが出てきた。


画像データと言うのは、CCDの撮像素子の部分が、高繊細、高解像度になるにつれて、その生成される画像ファイルの容量は大きくなっていくものなのだ。


昨今はデジカメやスマホなど撮像素子が高解像度化していき、4K/8Kとかあたりまえの世界になってきている。ユーザーは写真を高解像度で楽しむ、そういう世界になりつつある。そういう高解像度カメラで撮影した画像ファイルは、もう大変大きなファイル容量になるのだ。


でもその写真データをデジカメやスマホで撮るのはいいとして、それをユーザーはどこで使うのか?写真として現像するのもあるかもだが、大抵はネット上で表示させる用途だろう。


それはSNSだったり、ブログであったり・・・。


そうすると、SNSやブログで、アップロードできる画像ファイル容量は、時代の進化、高解像度化とともに、進化、容量アップしていかないといけない。


Facebook,Twitter,InstagramなどのインターナショナルなSNSは、この将来の高解像度化の時代の対応はきちんとできているのであろうか。


ユーザーがせっかく4Kのスマホで撮った綺麗な写真を、これらのSNSに投稿しようと思ったら、容量が限界でアップロードできません、というエラーメッセージが出たりしないだろうか。


自分は、スマホは、初期の頃からずっとXperiaを使っている。最近ソニーから出てきたXperia-PROが超カッコいい!


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クリエイター用途に使えるプロフェッショナルなスマホで、ずっとXperiaを使ってきた自分からするとすごいそそられる。機種変しようかな~と思ったりするが、その都度思いとどまるのは、はたしてこのプロ仕様の高解像度、大容量の写真データを、mixiのつぶやきで投稿できるか、だ。


容量サイズオーバーで投稿できません、というエラーメッセージが出てしまったら、買ってしまってからじゃ、もう目も当てられないであろう。自分の場合、スマホで撮影した写真は、100%の確率でmixiのつぶやきに投稿するためのものだからだ。


それが怖くて踏み切れない。


これは別にXperiaだけじゃない。自分はデジカメも日記作成ツールとしては商売道具なので、何台も持っている。Cybershotなのだが、もう何種類も何台も持っていて、使い分けしている。


カメラもバリバリに最新の新しいものがすごく欲しくなるのだが、そのたびに、思いとどまるのは、解像度が高ければ、それだけ画像容量が大きくなり、それを実際使うときに、使えるかだ。


ギョーカイでは、こういう撮像側の進化については、すごく大々的に取り上げてアピールするけど、その結果の成果物の写真データが十分活用されるインフラについて言及はあまりなされていないような気がする。


高解像度、大容量の写真が楽しめるのは、その写真データが活用されるインフラが整い、整備されてはじめて成就するものなのでは、と思うからだ。


デジカメ、スマホで撮影した写真の活躍する場は、たくさんあるけど、メインの市場はネット上での表示なのではないだろうか。


そのためには、Facebook,Twitter,Instagram,mixiのSNSは、もちろんブログもアップロードできる画像ファイル容量の閾値を従来に比べて大きくしないといけない。


現状、整備されていなく、アップロードできない場合、どうするかというと画像圧縮だ。これは、MBオーダーサイズをKBサイズにグレードダウンするんだったら、なんのための4Kの高解像度で撮っているのかわからないだろう。高解像度カメラも宝の持ち腐れである。成果物の写真データの活躍する場所がないからだ。


これは画像に限らず、音声もそうだが、圧縮(とくに損失系)するという作業は、情報を間引くことなのだから(それは人間の目や耳で検知しにくい冗長成分を間引くにしろである。)クオリティが下がることを意味する。


基本は圧縮しないで、そのままのデータを活用したい。でもそれじゃ容量デカすぎてハンドルできないから、圧縮せざるを得ない事情なのである。


だから、カメラ関係、スマホ関係で、高解像度のニュースが出るたびに、自分はそそられるものの、待てよ、落ち着け、落ち着け・・・てな感じで思いとどまる。


自分が、これで一番つらい思いをしているのは、ブログの写真投稿である。SS-Blogのアップロードできる画像ファイル容量の閾値は5MBなのである。


デジカメが旧世代のときは、問題なかったが、時代の進化とともに、その閾値が合わなくなってきている。自分は、いま4KのCybershotを使っているんだが、mixiでは10MBの限界値なので、あまり考えずに、そのままポンポンと写真をmixiのフォルダに放り込んでいくことができるのだが、SS-Blogの場合、いちいち1枚ずつ圧縮して、それをアップロードするという手間がかかるので、ひとつの日記に使う写真をアップロードするだけでも大変な時間と工数がかかるのだ。


それも大体傾向があって、室内を撮影した場合は、5MBを超えないが、外出で外を撮影した場合、つまり太陽光のある写真の場合は、必ず5MBを超えてしまい、アップロードできないので、そういう場合は、1枚1枚圧縮しているのである。


アップロードするときは、あ~これはたぶんダメだろうな、と思い、やってみるとエラー表示。それで大体どういう写真だと容量が5MBを超えるか傾向がわかってきた。(笑)


外の写真、つまり太陽光のある写真は100%の確率でNG、そして色情報(クロマ)のカラフルな写真もNG。その写真を見たら、これは行ける、行けないという判断がつくようになった。(笑)


外の写真の場合は、もういちいちエラー表示を見る前に、最初から全部圧縮してしまう。


でも、これってあまりにロートルというか時代遅れではないだろうか?


ユーザーにこういうストレスを味合わせたらダメだろう。エンドユーザーには、そんなことをいちいち考えるまでもない、もっとストレスのない環境を提供しないとダメだろう。SS-Blogの閾値が、もう昔の状態のままで時代にそぐわなくなってきているのだ。


SS-Blogの問い合わせにいままで2回ほど、閾値を上げてくれ、という要望を出しているんだが、ノーレスポンス、シカトである。


おそらくSS-Blogって技術力がないのだろう。いまある技術に対してそのサポートはできるけれど、新しいなにかを開発するというほどのマンパワー、技術力がないのだと想像する。


基本、ソニーが開発したSo-netブログをそのまま受け継いでサポートしているにすぎないから。


変更作業としてソフト開発するならたぶん外注発注だろう。そうする開発投資がかかる。そんな金もないのだろう。


あ~~~、オレはSS-Blogを使っている限り、これからも写真を1枚1枚圧縮するという気の遠くなる作業を続けないといけないのか。


大体、日記の内容が、外の写真の場合は、もう撮影しているときから、超ブルーなのだ。こりゃまた圧縮作業、アップロードが大変だ、という感じで。


このストレスからはやく解放されたい。

今日、SS-Blogに3回目の訴状を提出しておいた。(笑)

今度はシカトするなよ!という添え状付きで。


事情もあって、いまさらSS-Blogを他のブログに変えてしまう勇気もなく、この技術力のないSS-Blogとこれからも付き合っていかないといけない。






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いつ最後になるかわからない覚悟 [クラシック雑感]

自分も50歳代後半。もう初老に差し掛かる。あと何年生きられるかわからない。あるとき予想もしなかった病魔に襲われることだってあるかもしれない。こればかりは予測がつかないことだ。


そんな中で、クラシックのアーティストとの出会いも、これからは一期一会の覚悟だ。若い世代のアーティストの演奏会は、まだ時間の余裕があると思うが、ある程度の年齢のアーティストの場合、いつこれが最後になるかわからないのだ。もうお互いにである。(笑)


どっちが先に逝くかわからないけれど、訃報を聞いてから、あのときあの演奏会に行っておけばよかった、まさかあのときが最後になるとは思わなかった。。。そんな悔いを残したくないのである。


失礼な、縁起でもないことを言うが、正直なところを申し上げたまでである。


だから自分の鑑賞人生の中で悔いが残らないように、なるべく演奏会に足を運ぶ、これをモットーとしている。自分が近年心掛けていることである。


マルタ・アルゲリッチもそんな演奏家の一人だ。


今日は別府アルゲリッチ音楽祭のチケット発売日なのだ。朝10時からチケット発売開始。


まっ予想はしていたことだが、まったくビジーで繋がらず。まっ当然だよな。


じつは今日は病院通院日で血糖値検査日だったのだ。10時半から。帰ってきてからでも大丈夫であろう。高い座席しか残っていないだろうけど。


去年だって、公演日の一週間前でもチケット買えたから、SS席のプレミア・チケットだったけれど。よし病院から帰ってからにしよう。


月に1回の超ブルーな儀式。血糖値結果が出るまでが、本当にブルーだ。大体この検査日の1週間前くらいあたりから気分はブルーになり始めるのである。前日なんて、超鬱である。(笑)今月は食べ過ぎたかな~?なに食べたっけ?上がっていないよな、大丈夫だよな?と繰り返し記憶を振り返る。


また先生に怒られるのかな、とか、不安なのである。


結果、先月と変わらず。悪くなっていない。

よかった~~~。


月1回の超ブルーな儀式を無事に済ませ、もうルンルンである。またこれから1か月は楽しく過ごせる。



嬉しくて、かねてより気になっていた病院近くのラーメン屋に行ってみた。結構な行列なので、かなり待った。このとき、自分の頭の中に、アルゲリッチ音楽祭のことは飛んでいた。ラーメンはいまいち期待していたほど、美味しくなかったな。


そうやって帰路につく。家に着いたら、さっそくチケット買わなきゃな、と再び戦闘モードに切り替える。12:30頃である。


チケットサイトを覗いてみると・・・


全席 Sold Out !



真っ青である。(笑)

やっちまったーという感じである。


しかしスゴイなー。

すごい人気ぶりだ。


ちなみに、自分が言及しているのは、別府アルゲリッチ音楽祭の東京公演のことを言っています。


考えてみると、別府アルゲリッチ音楽祭は、ここ2年間コロナ禍で中止にならざるを得なかった。そして去年その中止が発表がなされたと同時に大分県別府市から発表された”マルタ・アルゲリッチの日”の制定の発表。


クラシックファンのアルゲリッチへの熱い想いが溜まりにたまって爆発寸前だったのだ。それがチケット発売と同時に、瞬時ソールドアウトという現象だったのだろう。


自分はそのマーケット分析がすごく甘かった。甘く見ていた。ものすごく後悔した。


あのとき、病院に行く時間を遅らせてでも、サイトに繋がるのを待って、チケット購入が確定してから、病院に行くべきであった。


やっちまったーという感じで後味悪く過ごす。血糖値結果が無難だった喜びも吹っ飛んでしまった。


アルゲリッチとは今後は一期一会ということであることと、あと自分の日記で”別府アルゲリッチ音楽祭”のことを熱く語らないといけないという責任感も背負っていた。


自分の鑑賞人生の中でも、この音楽祭のことを自分の日記で語っていないのは、どう考えても、あり得ない。自分のクラシック人生の中で、どうしても避けて通ることができないものなのである。


参ったな~。また来年度まで待たないといけないかな?でも来年きちんとチケットが取れるという補償もなし。別にコンサートに行けなくても、語るだけならできる。


自分は、現に、別府アルゲリッチ音楽祭は初体験ではないのだ。過去に東京公演を体験している。だから熱く語る資格はある。でもやっぱり本年中に語らないとタイミング的にダメだろう。物事には”そのとき”というものがあるのだ。


あるいは、東京公演は完売だけれど、本拠地大分のホールはまだ余裕がある。こうなりゃいっそのこと、大分まで行っちゃう?(笑)


そういう折衷案も模索していた。


そうやってまんじりとせず、やるせない敗北感を感じながら過ごしていたら、別府アルゲリッチ音楽祭のSNSサイトから完売ですけど、東京オペラシティのチケットセンターには残っているかもしれませんよ~、というアドバイスが。。


自分はびっくりして急いでコール。


「はい、チケットあります。」


おぉぉぉおおおお~~~!


そこからチケット確定するまで、もうドキドキしながら電話オペレーターと対応。早く終わらないかな、と思ってた。(笑)


そして確定。


もう天に昇るような気持である。

音楽の神様は自分を見捨てなかった!

音楽の神様はいつも自分を守ってくれている。


思えば、自分の日記で、”別府アルゲリッチ音楽祭”という日記を書くために、去年は、チケットを確保していたのに、無残にもコロナで中止となってしまった。そして来年こそは、と期待をかけて去年は鞘に納めたのだ。


そのリベンジも今年、まさかの、いったん挫折しながらも、なんとか叶えられそうである。


願わくばコロナ状況改善されていて、無事開催されることを望みたいです。


別府アルゲリッチ音楽祭2022の東京公演のプログラムです。

シューマンのピアノ協奏曲なんて、最高なんじゃないかい?

最高に好きなコンチェルトです。


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【出演(予定)】マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、チョン・ミン(指揮)、 ミッシャ・マイスキー(チェロ)、ウィリアム・チキート(ヴァイオリン)、東京音楽大学オーケストラ・アカデミー


プログラム(予定)


H. ベルリオーズ/ 序曲「ローマの謝肉祭」

R. シューマン/ ピアノ協奏曲 イ短調 op.54

R.シューマン/幻想曲集 op.73

アルゲリッチ & マイスキー デュオ

J. ブラームス/ 交響曲 第1番 ハ短調 op.68

* ミッシャ・マイスキーの協奏曲演奏はございません






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烏帽子 [歴史]

鎌倉時代、平安時代の男性は、必ず烏帽子をかぶる。これが織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代になると烏帽子をかぶらなくなる。もうじかにチョンマゲでもろだしである。自分はビジュアル的に烏帽子をかぶっていたほうが、カッコいいな、と昔から思っていました。


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白拍子も女性が男装しますので、烏帽子をかぶります。


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烏帽子はそもそも貴族の文化ですね。源頼朝の鎌倉時代の武士もその貴族文化から脱することができず、烏帽子をかぶる文化でありました。


自分はいつもこの時代のこの烏帽子をかぶった貴族や武士の歴史ドラマを見るたびに思うのは、それぞれの役者さんの頭のサイズに合わせて、ぴったしカンカンのサイズだということです。


そしてきちんとビシッと頭に固定されている。あれ、どうやって固定しているのかな?昔の貴族や武士はどのように頭に烏帽子を固定させていたのかな?


そして寝るときとか、烏帽子を脱ぐことってあるのかな?という疑問を常日頃から持っていたのです。


そこで、ちょっと自分的にこの烏帽子について、少し調べてみよう、詳しく知ってみたいと思うようになりました。



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烏帽子は、公家や侍(仕える下級貴族)たちの日常のかぶり物として徐々に庶民にも広まっていき、武士たちも着用するようになりました。


小結(こゆい)という烏帽子の内側の紐(ひも)を髻(もとどり)の根元に結びつけて固定します。


→ここです。ここです。これが烏帽子と頭を固定させるテクニックです。髻(もとどり)については、あとで説明しますね。



平安時代には羅(うすもの)つまり薄い布でできていたため軽く小結だけでも十分に固定できました。特に侍(下級貴族)たちは折烏帽子にしてかぶっていたため侍烏帽子とも称されていました。武士(武装農民)たちも侍(下級貴族)に習い折烏帽子を用いていったと思われます。


そもそも長髪は大陸の影響を大きく受ける貴族の特徴であり、武士(武装農民)は元々は農作業や狩猟、領地争いにおける戦争で邪魔になるため古代から短髪だったという説もありますが、平安時代ころには武士(武装農民)たちもしだいに長髪になっていたと思われます。


●髻(もとどり)は髷(まげ)とは違う


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飛鳥時代以降大陸から伝わり、髻は冠や烏帽子また兜などをかぶるために頭頂部で髪(肩を越すぐらいまで伸びた髪)をまとめて結って立てている部分で、このような貴族の髪型を烏帽子髪もしくは烏帽子下と言いました。


武士(武装農民)たちも髻をして烏帽子をかぶるようになりましたが、室町時代以降には月代(さかやき)を剃って頭頂部で曲げて結うようになり髷(まげ)と言われるようになり、烏帽子そのものをかぶらなくなりました。


→髻(もとどり)というのは図のように、長髪を上のように束ねることを言うんですね。確かに江戸時代の髷(まげ)とは違いますね。


そして烏帽子の内側の紐(ひも)と、この髻(もとどり)の根元を結び付けて固定させていたんですね。


でも、これは大昔の髻(もとどり)の髪形にしていた貴族や、武士だからそのように固定できましたけど、大河ドラマでの現代の役者さんたちは、普通の短髪の髪形なんですから、どうやって烏帽子を頭に固定させているんでしょうね?(笑)ビシッと固定されていて、ちょっとやそっと動いても、ズレませんよね。


●髪型は人に見せられない


髪型は実際に文献や図面資料に見られることはほとんどありません。冠や烏帽子を人前で外すことはいわば人前で下着(パンツ)を脱ぐぐらい恥だったからです。ただし自宅や親しい人との寛いだ場では冠や烏帽子を外すこともあったとされます。


とはいえ前述したように恥を感じるのは貴族にとっての風習であり、貴族に習って着けていた武士(武装農民)らは室町時代以降はしだいに日常的にかぶらなくなっていきます。織田信長などをテーマにした戦国時代のドラマや映画などでは烏帽子姿の武士が少ないイメージで、しだいに月代をしている武士たちも見られるようになります。


→烏帽子を人前で脱ぐこと、髪型を人前でさらすことは、下着、パンツを脱ぐくらい恥ずかしいことだったんですね。(笑)鎌倉殿の13人で、大泉頼朝と小栗義時が、露天風呂に入るシーンのときに2人とも烏帽子をかぶっていたので、お風呂入るのに、それってありなのかな?と不思議に思いましたが、全然史実に沿った正しい時代考証だったという訳です。


烏帽子はもちろん寝るときも外さないです。烏帽子をかぶったまま寝るみたいです。



●「てっぺん」の語源は髻と烏帽子を出すための兜の孔


平安時代までは兜をかぶるときに髻と烏帽子を兜の天辺の孔から出して固定しました。


冠や烏帽子だけでなく、兜も頭頂部で結わなければかぶることができないので、必然的にかなり高い位置で結っているのが分かると思いますが、天辺の孔が語源となり最も高いところを「てっぺん」と言うようになったとされています。


鎌倉時代以降は兜の天辺の孔から髻と烏帽子を出さなくなり(戦いのなかで掴まれてしまったり孔を弓矢で狙われるため)、髻を結わずに烏帽子をかぶるようになります。また室町時代から戦国時代にかけてしだいに烏帽子そのものがかぶられなくなっていきます。



→つねに烏帽子をかぶることが慣わしとはいえ、戦の兜をかぶるときは、どうやっていたんだろう?というのは、やはり疑問ですね。上記のように、まっだんだん烏帽子をかぶらなくなっていった、というのが歴史の史実なんですね。


情報引用元:

平安時代の烏帽子についてのあれこれ



でも昔の人にとって、烏帽子を脱ぐということは、パンツを脱ぐことと同じくらい恥ずかしいことだった、というのは驚きました。だからお風呂に入るときも寝るときも烏帽子をつけたままだったようです。


自分の長年の疑問がひとつ解けたような気がします。




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大河ドラマ館 [歴史]

大河ドラマ館というのは、毎年開催されるものなんですね。その年の大河ドラマのゆかりの地にちなんだ場所を選んで開催されます。もちろん一か所ということもなく、ゆかりの地にちなんで複数場所で開催されることもあるようです。


自分はいままで大河ドラマ館は行ったことがないです。今年初めて行ってみようと思いました。


鎌倉殿の13人は、鎌倉幕府の草創期から武家政権の確固たる地位を築いた承久の乱までが描かれますので、今年は鶴岡八幡宮の境内にある鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムで開催されます。


最初の頃の北条家が伊豆にあったときの物語にあわせて、伊豆の国大河ドラマ館が先にオープンしていました。それに続き、ドラマもいよいよ鎌倉入りということで、鎌倉にもオープンということです。


この日は、快晴。鶴岡八幡宮はとても人の出が多かったです。


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ここが舞殿ですね。静御前が頼朝、政子の前で、静の舞を演じた場所です。頼朝・政子の前で静御前が舞を奉仕したときは、鶴岡八幡宮若宮の回廊に舞台を設置して舞がおこなわれたそうですが、大火で燃えてしまい、後年その跡地に、この舞殿が建てられたのだそうです。


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鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムはここです。鶴岡八幡宮に入って、少し歩いたところ、舞殿まではいかなく、その横から入る感じです。境内の横のほうに鎮座しています。


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ル・コルビュジエに師事した建築家・坂倉準三が設計し、2016年3月に惜しまれながら閉館した「旧神奈川県立近代美術館 鎌倉」。この建物を再利用した文化施設が、この「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」なのです。


このときの改修は丹青研究所が改修設計を担当。基本方針は1951年の建設から15年後、新館が建設された1966年当時の姿に戻すことだったといいます。


とても近代的で美しい建物です。


大河ドラマ館閲覧は、コロナで混雑防止のためチケットが時間割制になっています。当日券を窓口で買ってもいいし、あらかじめネットで購入して、QRコードをプリントアウト、あるいはスマホ端末で掲示して、係員が同じくスマホでスキャンするという感じです。


自分は、12:00~12:30のチケットを購入したので、先に着いてしまい、時間調整のためミュージアムに併設されているカフェでお茶をしました。


とても素敵なカフェです。


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後ろに展示されているこの大銀杏の樹木は鶴岡八幡宮の石段の左にあり、2010年3月の早春の嵐で倒木になってしまったもの。長らく鶴岡八幡宮を見守ってきたかつての姿を偲び展示しているそうです。


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いよいよメイン・エントランスに向かいます。


ここが当日券売り場。


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メイン・エントランスはここから入ります。初日の開場日では、ここでテープカットされていましたね。


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鎌倉殿の13人の世界のはじまりです。出迎えてくれました。


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脚本家の三谷幸喜さん。このドラマの成功は三谷脚本にかかっていますね。いまの時代、現代にあうドラマのテンポ感の良さ。そして1話1話に、必ず芯となる史実のテーマを盛り込んで、劇場型の盛り上がりの展開となるように1話完結型を志しているように思います。捨ての回というのがないですね。平坦な進め方はしないです。必ず1話1話にドラマを作っています。


また前振り、タネの仕込みなど非常に巧妙で、毎回面白くてさすがだな、と思います。激多忙でしょうが、体調に気を付けて1年間頑張ってほしいです。



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音楽のエバン・コールと語りの長澤まさみさん。主題歌かっこいいです。ぜひサントラ買いたいと思います。長澤さんの語りは、物語中もいいですが、じつは冒頭のテーマ曲の巻末に、その回の状況背景を語るシーンがいいですね。毎回違いますね。ここだけでも毎回出演ということになりますね。



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小栗旬・北条義時。期待しています!1年間の長丁場だけど、コロナにはじゅうぶん気をつけて 頑張ってほしい!オレの心深くに43年間居続ける松平健・北条義時をみごと上書き、塗り替えてほしい! ぜったいできる!と思う。北条義時はドラマ前半では好青年なのだけれど、後半になっていくにつれて、政子との連携プレーでどちらかというと冷徹な男に変貌していってしまう。いや言い換えればそうならざるを得ない状況に追い込まれていく感じなのだが。最後、承久の乱で、武家政権を盤石な確固たる地位として築いたのは間違いなく北条義時。自分はこのドラマの場合は、承久の乱が最大の魅せ場、一番頂点の瞬間だと確信しています。


松平健・北条義時がそうだった。好青年から悪役へ、そこら辺の変わり身を三谷さんがどう描いて、小栗旬氏がどう演じていくのか、本当に楽しみです。これは自分の勘なのですが、三谷脚本では悪役も好かれ役のように描かれるので、もっと明るい感じ、正義の味方のような感じなのかな、と予想しています。


北条義時と言えば、小栗旬と自分の頭に埋め込まれ、これからの時代は、そのイメージがずっと続くのは、もう時間の問題でしょう。それだけ期待しています。



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大泉洋・源頼朝。最初キャスト発表の時。え~~~、本当に大丈夫?大泉氏の普段のキャラを知っているので、とても心配だった。歴史上の人物で、自分にとってもっとも重要な源頼朝。頼朝のイメージを壊さないようにしてほしいな~と心配していたが、まったくの取り越し苦労だったようだ。もう上出来。いい感じである。


存在感、貫禄も出てきた。いつものキャラだけではなく、こんな役も無事にこなしてしまうほど大泉氏は非常に器用な役者さんなんだな、と改めて見直してしまいました。もう9回まで進んだが、源頼朝=大泉洋というイメージが定着してきた。逆を言うと、いままで演じられてきたイメージとは正反対の、逆にいままでの頼朝像にはない、情けないところ、弱いところも十分描き出されていて、これは大泉氏しかできない、という幅広さもある。ぜひ自分を見返してほしいと思います。



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小池栄子・北条政子。北条政子は生涯に渡って、尼将軍、気性が激しい、悪女というイメージで捉われることが多くいままでの大河ドラマでもそうだった。だけれど、三谷脚本では、そういう従来のイメージを変えるんではないか、という期待をしている。なんか小池さんのいままでの演じ方を見ているとそんな気がする。その当時の政子の置かれた立場をよ~く配慮した上での人間味あふれる政子を演じてくれるのでは、と。小池さんにはそんな政子がぴったりですね。


頼朝の時代は、あくまで妻としての立場だけれど、頼朝の死後、政子は一気に主役に上がっていく。政権の表舞台に現れてくる。小池政子は一気に主役になります。そしてもちろんこのドラマの最大のイヴェント、承久の乱ではあの政子の天下の名演説。これをどのように小池さんが演じるのか。小池さんにとって最大の魅せ場であることは間違いないでしょう。期待しています。



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菅田将暉・源義経。この人は、まさに衝撃の登場でしたね~。(笑)まさにサイコパスの世界。これで三谷さんの本ドラマでの義経の描き方がわかりましたね。野性味あふれて、戦の天才、サイコパス、でも純真そのもの。間違いなく政治的な振舞、考え方が超苦手。この1番最後の理由から、頼朝と決別していきますね。源義経といえば、やはりどうしても判官びいきで美化、悲劇のヒーローのように描かれていくことが多いですから、そういう路線とは距離を置いたあきらかに違う義経像が見れますね。


菅田さんはまさにはまり役ですね。もう笑っちゃうほどぴったしカンカンのはまり役です。いい配役キャストだったな~と感心します。義経は、やはり華がある存在なので、源平合戦、そしてその後の悲劇に至るまで目が離せません。自分は、義経はものすごく楽しみにしている1人です。



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北条時政・坂東 彌十郎。この方は自分にとって最大のヒット。じつに素晴らしい役者さんだと思いました。じつにいい味出しているなと。ドラマのオアシス的存在ですね。癒し・和みをもたらしてくれますね。ドラマの最大の注目人ではないでしょうか。ネットでは時政パパの愛称で、みんなから愛され好かれている。


草燃えるでは、北条時政は金田龍之介さんが演じられていたのですが、あれこそが北条時政という感じで、自分の中には永遠に刷り込まれていたので、その時政のイメージを一新しましたね。愛すべき、憎めない、でもやるときはやる、頼りになる時政パパという新しいイメージ像を作り上げてくれました。


ドラマ後半に、時政は、義時から追放されることになるのですが、どんな感じになるのか、楽しみです。坂東 彌十郎さんは、趣味でスイスの山歩きが大好きで、いままで33回スイスに足を運んだ趣味人でもある。応援していきたいですね。



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大倉御所。源頼朝は鎌倉の大倉に御所を開いたと言われています。いわゆる大倉御所。鎌倉での政治の要となったところです。この大倉御所のジオラマも展示されていました。ジオラマは写真撮影禁止です。撮影禁止といわれているものを撮ってはいけません。(笑)自分は、展示の中で、これが1番興味深かったです。


へー頼朝の鎌倉幕府って、こんな建物、部屋造りだったんだな~と驚きました。頼朝の居室、政子の寝室などすごい興味深いです。どんな歴史資料をもとに造られているのか、興味がありますね。いわゆる根拠です。


同時に思ったことが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国時代は、戦からの防御として、濠のある天守閣のあるお城を築くじゃないですか。敵がちょっとやそっとでは攻めてこれないように。


でもこの鎌倉時代の大倉御所は、そんな対敵侵入、対敵攻撃のような仕掛けがないんですね。豪華だけど、丸腰のような屋敷でした。やっぱり時代が違うんだな~と思いました。


まっ鎌倉の土地の構造自体、三方を山に囲まれて、片方は海、敵から攻撃を受けにくい要塞のような土地ではありましたが。。。



サイネージで登場人物を紹介します。


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ドラマで使用される舞台衣装が展示されています。


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体感コーナーといって、手でスワイプするだけで、いろいろな説明が現れるそんな仕掛けがあるような展示物でした。さすがNHKですね。


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ここは、お客さんが男性なら烏帽子をつけて、記念撮影できる、そんな記念ショットのできる場所でした。あなたも鎌倉幕府の御家人という感じでしょうか。


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大スクリーンで、お客さんが足元に描かれている丸枠に入ってもらって13人揃ったら、同時に手を上げたら、なんかこの大スクリーン上で面白いことが起こるんですね。スミマセン、自分はこれをそのまま素通りしてみただけなので、そして13人まだ揃っていなかったので、何が起こるのか、よくわかりません。これは行ってからのお楽しみですね。


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4Kシアター。ドラマが4Kでスクリーンに放映されていました。常に満員の人気コーナーでした。大迫力で高精細でしたね~。自分も家に4K TVが欲しくなりました。


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展示空間はこんな感じです。


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以仁王や後白河法皇の院宣です。


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頼朝が使っていた数珠、そして政子の化粧道具です。


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時代考証・坂井孝一先生が紐解く”鎌倉時代の知られざる本質”本ドラマの坂井孝一先生は、時代考証。大河ドラマにとって、史実とどう摺り寄せていくか、時代考証はとても大事、要ですね。三谷さんが脚本を書いたら、それをまず時代考証の先生方に添削してもらうんだそうです。そして修正を盛り込んだ形で、再度三谷さんが書き直して、本番の脚本となるそうです。



人物相関図も大きくパネル化されていました。


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大河ドラマゆかりの地をマップ化したものも大きくパネル化されていました。これはいいですね!パンフレットみたいな携帯用として欲しかったです。自分は今年は、大河ドラマにゆかりのある土地をいろいろ行脚したいと思っているので。


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1Fには、お土産コーナーがありました。鎌倉、鎌倉殿の13人に因んだいろいろなお土産が所狭しと並んでいました。


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義時の野望というおみやげもありました。(笑)


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初めての大河ドラマ館。楽しかったです。これでますます大河ドラマを楽しく見れそうです。来年の1月まで、開催されているようですので、ぜひ足を運ばれてはいかがでしょうか。素晴らしく感動すると思います。





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北鎌倉 建長寺にて坐禅会・写経会 [雑感]

かねてより禅寺で開かれる坐禅会に参加してみたく北鎌倉建長寺を訪れた。


坐禅会は、坐禅について素人の人でも大歓迎。一般人ならば誰でも参加できるそんなお気軽に坐禅を体験できる催しだ。北鎌倉では円覚寺も坐禅会で有名なのだが、円覚寺なら北鎌倉駅を降りてすぐそばなのでいいかな、とも思ったが、建長寺のすぐそばにある点心庵さんのけんちん汁をもう一回食べてみたくて建長寺にしたのだった。


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建長寺は、梶原景時ゆかりの地ということで、鎌倉殿の13人の旗が立っていた。なぜ梶原景時ゆかりの地なのか調べてみた。


梶原景時は鎌倉時代初期の武将。打倒平家を掲げ挙兵した源頼朝が大敗を喫した「石橋山の戦い」で、平家側でありながら、洞窟の中で潜んでいた頼朝を見逃して命を救った縁から、鎌倉幕府では御家人として重用された。


彼の讒言(ざんげん)によって源義経をはじめ多くの御家人が失脚したが、頼朝の死後は後ろ盾を失い、66人もの御家人から弾劾を受けて鎌倉から追放される。


頼朝の死からわずか1年後の1200(正治2)年、駿河国で合戦となり討ち死にした(梶原景時の変)。


建長寺の創建は梶原景時の死から53年後。第5代執権北条時頼の時代、1253(建長5)年である。


言い伝えによると創建から間もない頃(翌年ともいわれる)の7月15日、三門(山門)での施餓鬼会が終わった直後、一騎の武者が駆け付けたという。


施餓鬼会とは日本では奈良時代から行われている仏教行事で、多くはお盆の時期に行われる。餓鬼道に堕ちた衆生に浄水や食べ物を供えて追善供養するというもの。


施餓鬼会が終わっている事を知ると武者は残念そうに立ち去ったが、それを見た大覚禅師(蘭渓道隆)が武者を呼び戻しもう一度施餓鬼会を執り行った。


武者は大変喜び、自分が梶原景時の亡霊である事を告げると姿を消した。以来建長寺では毎年7月15日、一度も欠かす事なく梶原景時のために施餓鬼会を行っているという。


かつては午前に通常の施餓鬼会、午後に梶原景時のための施餓鬼会と分けて行っていたようだが、今は通常の施餓鬼会と続けて行うそうで「三門梶原施餓鬼会」と呼ばれている。


・・・なのだそうである。


鎌倉殿の13人では、中村獅童さんが演じられ、さすが歌舞伎役者ともいえる陰影、深みのある梶原景時を演じられている。これからが楽しみです。


そんな建長寺に、坐禅会に参加しようと思ったのだが、拝観料を納める窓口のところで、坐禅会は予約制であることを知って愕然となる。(笑)


写経ならできます。


まさか写経をやることになるとは思ってもいなかったが、ものは試しなれ、写経もぜひ体験しようということになった。


坐禅会も、写経会も建長寺の中の方丈というところでおこなわれる。建長寺の場合は、とくに方丈のことを龍王殿という。


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方丈は、どこの禅寺でも必ず存在する建物・部屋なのだが、方丈というのは、本来住持が居住する場所のことをいう。現在は建長寺の場合は、方丈は法要・坐禅・研修の場所として使われている。この建物も、総門と同じく京都・般舟 三昧院より昭和15年に移築された。建物は、享保17年(1732年)の建立で、元は皇室のお位牌を安置するためのものだったそうだ。



写経の場合、方丈に入ったすぐ目の前に、知客寮というお部屋があって、そこが写経室になっていた。


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自分は、写経は、もっと和室的というか、お寺的というか、修行僧のように正座して墨、文鎮で黙々とやるイメージを持っていたので、まず、椅子とテーブルというのが、少し驚いた。と同時に、いまや正座ができない自分にとっては、助かった~という感じである。思っていたほどお寺的ではないけれど、和風のとても綺麗な部屋だと思いました。


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写経はとくに時間が決まっている訳でもなく、朝10時以降、閉門になるまでは自由に自分で部屋に入って自分で自由にやるという感じである。


自分が行ったときは、誰もいなく自分1人であった。



ここに筆、文鎮、和紙などの道具一式が揃っている。写経が終わった後、その清書をここに置いていってもいいし、自分で持ち帰ってもいい。


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写経の仕方をよく読む。


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さっそく写経を始める。なぞるのは「般若心経」。


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般若心経とは。お釈迦様の悟りの境地である「空」の教えを説いたお経で、煩悩・執着といった欲から離れ正しく生きるお経である。写経する事で、大いなる「空」の教えである「こだわらない」「とらわれない」「かたよらない」という功徳が得られる。般若心経は600巻におよぶ大般若波羅蜜多経を262字に凝縮したお経である。


写経というのは、和紙には、薄字で、この262字の般若心経のお経が下地で書いてあって、それを自分でなぞっていく作業のことをいう。


筆はぺんてる筆ペンでした。文鎮も必要です。


自分にとって、写経はちょっと大変なのではないか、と思っていた。なんか考えるだけでも、あ~~~もういいっ!という感じで発狂してしまうのではないか、と感じていたのだ。(笑)


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写経はなかなか難しいです。最初のうちは、緊張感もあってきちんとなぞることができたけれど、段々半ばあたりから終盤にかけて精神力の持続が難しくて、うまくなぞれなくなってくるのだ。


書道って子供の頃以来であまりにひさしぶり。なぞるとはいえ、なんか自分は書道うまいな、という感覚になる。自分は子供の頃から字がうまいです。子供の頃は書道はかなり上手でした。賞をもらったことも何回もあります。書道のお稽古ごとに通っていました。ペン字もうまいです。でもパソコンになってからは、字を直筆で書くことはほとんどなくなりましたね。


そんな子供の頃の書道をやっている感覚が蘇ってきました。なぞっているので、できあがった書体はもちろん手本のようにうまい。だから自分はすごい上手な書道の書体を残しているような感覚に陥ります。



ぺんてる筆ペンのインクがなくなり、新しいぺんてる筆ペンにして、最後まで一気に行きましたが、中盤から後半にかけては、もうヨレヨレでなぞっていても上手になぞれなくなり、字も汚くなってしまいます。やはり写経は精神集中が必要ですね。


結局完成はこんな感じでした。


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でも思ったほど発狂せずに、大丈夫でした。ジャンパーを脱いでセーター1枚でやっていたので、段々寒くなり終わるころは、もう寒気でガクガクでした。


最後に写経志納金ということで、ここに千円を納めます。それで終了です。


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写経って難しいとは思うけど、思っていたほど大変ではないです。誰でも容易く入れるものだと思います。


文字を書いている間は精神が集中しているため、怒りや妬みなどの邪念が払われ、心が安定します。心に乱れがあると文字にも表れるので、自分の心の状態に気づくことができる。ストレスから解放され、リラックスできると思います。


お金もかからないし、とてもいいのではないでしょうか。


さて坐禅会のほうは、あらためてネット予約をして2週間後に再挑戦。


建長寺とこれば、すぐ目の前にある点心庵さんで、伝承 建長汁(けんちん汁)をいただきます。現代のけんちん汁の発祥ですね。点心庵さんはその建長寺代々に伝わるけんちん汁の歴史を守っているお店です。


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もともとは自由が丘での定期通院の帰りに寄ったのですが、定期坐禅会の開始時間が15:30から。間にかなり時間が空きます。建長寺をふたたびいろいろ見て回った後、どうしても時間を持て余します。快晴でしたが、外はすごい風が強く寒かったです。


どこで時間をつぶそうか、朝からどうするかな~と悩んではいたものの、とにかく行ってみて考えようということで来てしまったわけです。


そこで、待っているのはとてもいい場所を見つけました。


建長寺の中にひとやすみの休憩所があるのです。拝観受付のすぐ隣です。助かりました。


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ほんとうに何気ないひとやすみ場ですが、外で寒い思いをするよりは全然ましです。


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このテレビには、建長寺の開基・開山のこと、そして創業以来の歴史がエンドレス再生という形で再生されていました。自分は建長寺のことをよく勉強できたような気がします。


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建長寺が発祥の地、建長寺に代々伝わるけんちん汁。建長寺で僧が調理しているんですね。大鍋でダイナミックです。


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建長寺グッズも売っています。


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ここで時間をつぶし、時間になりましたので、方丈に向かいます。


ここが方丈。龍王殿です。法要・坐禅・研修の場所として使われています。坐禅会はここでおこなわれます。


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ここにいったん入ったら、もうこれです!


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参加メンバーは、ざっと俯瞰してみたところ、かなり若い女性が多いような気がしました。やっぱり禅の世界、坐禅の世界は女性に人気なのですね。合計20人くらいの参加者でした。コロナということでディスタンスを稼いで、こんな距離でみんなポジショニングをします。どこに座るかは、お坊さんが指示してくれます。あなたはこちらに座ってください、という感じで。1人1人にです。


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座布団は、特徴があります。これは建長寺の坐禅の座布団が他のお寺と違うのかもしれませんが、建長寺の坐禅用の座布団は、長いのです。


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それには理由があります。


お坊さんが教えてくれました。この長い座布団をまず半分に折って、その上の部分をさらに半分に折るのです。そしてその高い山の部分に座るのです。


そうするとお尻の部分が高くなるので、坐禅で足を組むときに、足を組みやすいというか身体的に楽な感じになるのです。


まさに坐禅専用の座布団という感じですね。これは建長寺だけなのかもしれませんが。。。


さて、いよいよ坐禅の始まりです。


お坊さんが前で、説明をしてくれます。まず坐禅、初めての体験の人?と聞いて、初心者向けに坐禅とはこういう風にやるんですよ、という説明をご自分で実技をしながら説明してくれます。足の組み方(ふつうのあぐらとはちょっと違うんですね。)、両手での輪の作り方、姿勢の保ち方、呼吸法などなど。


目は閉じちゃダメです。寝てしまうから。そしてこれが自分は一番難しいと感じたのですが、坐禅をしている間は、心を無にすること。無我の境地、なにも考えないこと。


建長寺の坐禅は、2回やります。それぞれの回のことを、木へんに柱と書いて、”しゅ”とよぶそうです。(すみません、ここは記憶が曖昧です。)1回目のことを1しゅ。(漢字変換できない)2回目のことを2しゅ。


坐禅を始めるときは、まずお坊さんがお経を叶えた後に、火の用心のかちんという木槌を打って、あとち~んという鐘を鳴らします。


そうしたら、各々坐禅開始です。


警策(きょうさく)(お坊さんが棒みたいなものでバシッバシッとやるやつです。)はやります。ただ、プロフェショナルな坐禅ではなく初心者向けなので、お坊さんからやることはありません。


希望者のみやります。警策を受けたい人は、お坊さんが目の前を歩いたとき、合掌をして一礼します。そうしたらお坊さんと改めて、合掌しながらお互い一礼します。


そのあと、前かがみになります。するとお坊さんは警策で、右、左の背中をバシッバシッとやってくれるのです。


自分はせっかく坐禅を体験しに来たんだから、警策を受けないなどもったいない。ぜひ喜んで自ら志願して体験しようと思いました。


これは痛かった~~~。(笑)かなり来ます。打たれた瞬間、身が引き締まりますね。片方につき、バシッバシッと2回づつ。合計4回です。


1回目の坐禅で1回、2回目の坐禅で1回。合計2回バシッバシッとやってもらいました。


やっぱり坐禅と言えば警策なんですね。みんなかなり志望者がいました。1回の坐禅につき、10人以上はバシッバシッとやってもらっていたんじゃないでしょうか。


1回の坐禅は、大体10分~20分くらい。坐禅が始まると、周りの空気が一瞬にして無になりますね。完璧な無音の世界です。ひたすら静寂な無な世界が広がります。


自分は心を無にすること、なにも考えないという境地がすごく難しかったです。目は開けたまま、前の前にある仏殿を見ながら、ひたすらなにかいろいろ思いが錯綜していたような気がします。そのたびにいかん、いかん、無にならなきゃと思い直していた感じです。


方丈、龍王殿はご覧のように、外の空気がそのまま部屋の中にダイレクトに流れ込んでくるので、寒かった~です。やはり坐禅を組む、警策を受ける上では、ジャンパーを着たままでは失礼にあたると思い、ジャンパーを脱いでセーター1枚だったので、もう凍える感じで寒かったです。


2回の坐禅は寒さ、と無の境地になる難しさとの闘いだったような気がします。


じつは最近、歳を取ってきたせいか、昔みたいに心強くあることがなくて、どうもクヨクヨとしてしまうことが多くなりました。


若いときは、ガムシャラに前へ進んでいくという感じだったのに、歳を取ってくると、いろいろ悩むんですね。


でも坐禅を組むと、そんなクヨクヨした気持ちが一掃されて、終わった後はすごく清々しくなります。


これは坐禅の効果だと思います。精神の健康にとてもいいですね。


これは習慣化してもいいかな、と思いました。坐禅は精神の健康を保つにはとてもいいものだと思いました。


建長寺の定期坐禅会は、参加無料です。建長寺は、北鎌倉駅からかなり歩きますが、歩行リハビリにはいいし、定期的に通ってみますかね。


各禅寺で行われている坐禅会は、中にはオンライン坐禅会というのもあるらしいです。オンラインで参加しても、あの無の空間、無の境地を味わえるんですかね。


禅の世界、坐禅の世界は、なかなか素晴らしいものだと思いました。





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鳩サブレー豊島屋 [雑感]

古都鎌倉といえば、神社仏閣など歴史のある街並み、可愛いお店に海に山など、魅力がたくさん詰まった街。


そしてその魅力の一端を担っているといって過言ではないお菓子といえば豊島屋の銘菓「鳩サブレー」。


鳩をモチーフにしたバターが香る芳醇なサブレーを食べると幸せになれるとも言われている。



豊島屋の鳩サブレーは、鎌倉、いや神奈川県を代表する銘菓である。もう誰しもが知っている銘菓ではないだろうか。名前が示す通り鳩を模した形が特徴。主に鎌倉の鶴岡八幡宮の土産として有名で、現在では神奈川県を代表する銘菓となっている。


鎌倉市には、6つの神奈川県指定銘菓というのがあるのだそうだ。指定順だと(株)恵比寿屋の「大仏観音煎餅」、豊島屋の「鳩サブレー」、力持屋の「源氏山」、(資)セデリカの「たいこばし」、(株)鎌倉紅谷の「あじさい」、(有)三日月堂花仙の「相州伝鎌倉どらやき」。


どれも個性的な美味しいお菓子ばかり。力持屋と鎌倉紅谷は、2017年時の自分の第一次鎌倉マイブームのときに体験しました。素晴らしい菓寮、銘菓屋さんだと思いました。



そして、今回は豊島屋の「鳩サブレー」。


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いまから5年前の2017年の映画「DESTINEY 鎌倉ものがたり」でも映画の中で、貧乏神さんが、これはうまいのぉ~なんという菓子じゃ?と聞いたら、高畑充希さんが、それは鳩サブレーよ、鎌倉の名物なの。というやりとりがいまだに忘れられない。


じつはお恥ずかしい話なのだが、自分は鳩サブレーをきちんと食した記憶がないのだ。鎌倉といえば鳩サブレーというくらいとても有名なお菓子なのだけれど、5年前の自分の第一次鎌倉マイブームでも鳩サブレーを体験していなかった。


どうしても鳩サブレーは自分の中で抑えておきたいと思うようになった。これはもうぜひ体験しないとダメだろう。


でも見かけ上、大体どんな味がするのか想像つきます。(笑)


今年1年は、鎌倉を盛り上げることに使命を感じているので、ぜひこの鳩サブレーを初めて食べてみたいと思うのと、日記で取り上げてみたい。豊島屋は本当に東京、神奈川含め大変な店舗数を展開しているビッグ・ビジネスなのだけれど、どうせ体験するのであれば、その大元締めの鎌倉の本店を訪問したいと思っていて、本店を紹介するとともに、鳩サブレーを初体験することで、鳩サブレーの日記にしたいと思っていたのだ。


まず、豊島屋、そして鳩サブレーについて。


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鳩サブレーは、豊島屋の初代店主である久保田久次郎が来店した外国人からもらったビスケットが原点である。フレッシュバターをふんだんに使用した製品だが、開発当初は、バターが使われていることが分からず、それを探りあてるまで大変苦労をしたという。ビスケットとの違いを出し、日本人に馴染みやすい味にするため、スパイスは使用していない。


鳩の形となったのは、久次郎が鶴岡八幡宮を崇敬しており、本宮の掲額の「八」が鳩の向き合わせであることと、宮鳩が多数いるところから着想を得たためと言われている。なお、開発当初は鳩の尻びれは2本であったが、尻尾が太く見えるという理由で3本になった。



豊島屋さんの公式HPに、この鳩サブレーの誕生のいきさつについて、説明があるので、こちらも引用させていただきますね。


「鳩のつぶやき」だそうです。(笑)



●始まりは1枚のいただきもの


それは店を始めて間もない明治30年頃のことでした。ある日、店に訪れた異人さんから、見たことのない大きな楕円形のお菓子をいただきました。それを口にした初代店主は、「なんておいしいお菓子なのだろう」といたく感動し、「これからの日本の子ども達に喜ばれるのはこれだ!」と確信しました。でも、人まねは嫌いだった初代は自分で新しい時代のお菓子を創ろうと思い、その日から試行錯誤の日々が始まりました。



●納得のいく「ワリ」


味のポイントがバターだと気づいた初代。しかし、当時はバターなどといったハイカラなものが、簡単に手に入る時代ではありませんでした。横浜の異人館に足を運び、なんとか調達した貴重なバターを使って、試作に明け暮れる毎日でした。原材料の配合比、いわゆるレシピのことを「ワリ」と言いますが、試行錯誤の末、ようやく納得のいく「ワリ」が完成しました。



●「鳩サブレー誕生」


ちょうどこの頃に、欧州航路から帰国した友人の船長が店にやって来たので、試作を食べてもらうと、「おや?これは私がかの国で食べたサブレーというお菓子に似ているぞ」と言われ、初めて「サブレー」なる言葉を知りました。どこか「三郎(サブロー)」と語呂が似ていて、親しみを感じたようでした。鶴岡八幡宮を崇敬していた初代は、かねてから八幡様にちなんだお菓子を創りたいと考えていました。本殿の掲額の「八」の字が鳩の抱き合わせで、境内の鳩が子ども達に親しまれていたことから、このお菓子を鳩の形にし「鳩サブレー」と名付けました。「鳩サブレー」の誕生です。



●認められるまでの長い道のり


ところが、バターがまだ庶民の舌には縁遠かった時代。食べ慣れない味にお客様はつかず、ほとんど売れませんでした。それでも、これからの時代はこの味が好まれるようになると確固たる信念を持っていた初代は、地道においしさを追求します。その甲斐あって、大正に入り、秋場隆一氏、竹内薫兵氏の二人の小児医博士から「離乳期の幼児食に最適」と推薦していただき、御用邸からもご用命をいただけるようなり、完成から10年以上経ち、ようやく皆様のお口に入るようになりました。



●鳩サブレーはもっともっとおいしくなる


しかしその後、時代の波に翻弄され、関東大震災で店が全壊し、再建を図って再び活気を取り戻したものの、やがて戦争が始まり、長い間、お菓子が作れない時代が続きました。苦難の時代を乗り越え、戦後の高度成長期と共に、鎌倉も観光地としてにぎわいを取り戻します。


誕生から120年以上たち、おかげさまで「鳩サブレー」は多くの方に愛されるお菓子となり、鎌倉といえば「鳩サブレー」と言われるようになりました。しかし、手前どもはこれを「完成品」とは思っていません。初代が生み出した「ワリ」は守り、より美味しい「鳩サブレー」を作り続けること、それこそが豊島屋の、そして菓子屋のあるべき姿だと思っております。




そうだったんですね~~~。勉強になりました。


さっそく、鎌倉にある豊島屋本店を訪問します。鶴岡八幡宮のある大きな通り、若宮大路沿いにあります。白い建物で清潔感溢れていますね。


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中はとても広いスペースでびっくりしました。かなりゆとりのある空間で、自分が直感で思ったことは、すごい清潔感溢れる空間である、ということ。これだけ広くて、そして商品含めて、ものを凝縮させないで、間隔を広くとって商品陳列すると、とっさに頭に浮かぶイメージは清潔感なんですよね。それが真っ先に頭に浮かびます。


そしてとてもお客さんが入っていて賑わっていました。コロナ禍なのに、これだけのお客さんが来てくれるのは、うれしいですね。


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豊島屋といえば鳩サブレーですが、それだけじゃないんです。本当にいろいろな和菓子・スウィーツを販売されています。とても上品な佇まいで美しいですね。高級和菓子という感じです。そして美味しそうです。その品ぞろいに驚いてしまいます。


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ちなみに、鳩サブレーだけじゃない!鎌倉・豊島屋プロデュースのスイーツ&パン店3選(神奈川県)として、こんなお店もあるんだそうです。本業だけでないプロデュース業にも精を出されているんですね~。


和カフェ「豊島屋菓寮 八十小路」、パティスリー「豊島屋洋菓子舗 置石」、ベーカリー「鎌倉駅前 扉店」



またいろいろな関連の商品グッズも販売されてますね。これを鳩グッズというらしいです。(笑)エコバッグ、文房具や雑貨などの鳩グッズ、常時20種類くらい常備されているとか。可愛いらしいです。


鳩サブレーは、神奈川の豊島屋の販売店、そして東京都内のデパートなどで販売されていますが、ここ鎌倉の豊島屋本店にしか売っていない鳩グッズもあったりするそうです。


たとえば、消しゴムでも”鳩サブローの過去の消し方”という商品だったり・・・、なかなかユーモアありますね。(笑)


さらにそのパッケージの表面には、”消えない過去もございますので。。。”と書いてあったり。(笑)


いいなー、いいなー、こういうちょっと山椒にピリリと辛いブラックなところがあったほうが面白いですね。


他にも、鳩が電車を引っ張っていたり、電車の窓から鳩カップルがのぞきこんでいたり・・・とにかく遊び心が満載。この鎌倉の豊島屋本店にしかない鳩グッズなのだそうです。


豊島屋の鳩グッズが人気の理由は、パッと見では気づきにくいユーモアに富んだセンスなんですね。実はこの鳩グッズ、すべて4代目の社長が考案しているそうです。


大河ドラマとの連携で、”北条義時と鎌倉がわかる”本もありました。


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本当に素敵な空間だと思いました。


行ったときには、気づかなかったのですが、2Fも無料で開放されている展示室があるそうで、「鳩巣(きゅうそう)」というらしいです。


鎌倉ゆかりの画家や一般の方々から寄せられた鳩の絵が飾られているほか、豊島屋の歴史、そして鳩への愛が溢れるあまり先代の社長が集めたという世界の鳩グッズが展示されているそうです。


これは仕方がないのでお写真をお借りします。ここが2F無料展示室「鳩巣(きゅうそう)」。


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鳩は平和のシンボルですから、鳩を愛する人に悪い人はいませんね。きっと幸せになれるんだと思います。


正直なところ、このような細かいところは最初に言ってくれよ~という感じで、一発目に行っても気づかないですよね。2回目に行くときに、注目したいと思います。


そして看板お菓子の鳩サブレーを買うことにしました。(6枚入り)


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バター風味が香ばしくて、やはり昔ながらのお菓子という感じですね。ちょっと香ばしいそして大きなサイズのビスケット・クッキーという感じでしょうか。でもビスケットやクッキーとは、そのバター風味の香ばしさや柔らかい食感など、さらにその上をいくというかコクがある感じで、やや違う感じはします。


なんか子供時代の懐かしい味がします。美味しいです。そんなに固くなくて、ボロボロっとほぐれてくる感じでかなり柔らかい感じです。老化現象で歯が弱く、固いものを食べるには自信のない自分にも十分いける柔らかさでした。


優しい甘さとサクサクした食感。愛らしい鳩の形に何度見ても幸せな気分になります。


これが鳩サブレーですか・・・。鎌倉銘菓・鳩サブレー、ここにしかと体験しました。


ちなみに、そんな鳩サブレーを製造・販売する「豊島屋」の公式サイトに隠された、可愛すぎる「いたずら」が話題になっているのだとか。。 


その「いたずら」とは、サイトに掲載されたTwitterのアイコン画像。よく見ると、アイコンの白い鳥が鳩サブレー型になっているんです。


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普通のTwitterのアイコンはこうです。


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「何やらおかしい...」豊島屋のサイトの粋な「いたずら」に気づいた人が、SNSでその写真をシェアしたところ、次々に拡散されて話題を呼んでいるんだとか。


ちなみに、この「鳩サブレー型Twitterアイコン」のボタンを押すと、豊島屋の公式サイトのURLがTwitterでシェアできるようになっているのだそうです。


豊島屋のサイトにある鳩サブレー型のTwitterマークに関して、「Twitterのロゴのガイドライン違反に当たるのではないか」といった指摘がSNS上で上がったりすることもあったそう。


ハフポスト日本版がTwitter Japanの広報に確認したところ、「ガイドライン違反には当たりません」と回答があったそうです。担当者は「笑顔があふれる素敵なアイデアだと思います」と話しています。


そうですよね~。こういう愛らしい「いたずら」まで否定しちゃうと本当に堅苦しい世の中になってしまいますね。


鳩サブレー豊島屋は、Facebookのほうは公式ページがあるのでフォローさせてもらいましたが、Twitterのほうにはないみたい。あの鳩サブレー型のTwitterボタンは、あくまで豊島屋の公式サイトのURLがTwitterでシェアできる、ということなんでしょうね。


豊島屋の公式サイトには、この他にも可愛らしいおしゃれな仕掛けがあるそうです。


トップページにいる、大きな鳩の赤い目をクリックすると、鳩サブレー関連グッズのページにとびます。この他にも、右下の鳩をクリックすると「弊社の社長、実は辛い物好きでございます」などの小ネタを教えてくれたり、「割れた鳩サブレー。それはハートブレイク」とつぶやいたりと楽しませてくれます。


こういう可愛い「いたずら」は、豊島屋さんのイメージにぴったりですね。企業ブランドのイメージ造りに見事に成功している例だと思いました。



鎌倉の味 鳩サブレー豊島屋




さて鎌倉五山の禅寺を体験するにあたって、北鎌倉を訪問したときのこと。北鎌倉駅の目の前にも、鳩サブレー豊島屋さんありました。


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それにしても、毎回北鎌倉に来るたびに想うことだけれど、JR北鎌倉駅の駅舎ってなんてこう趣がある、雰囲気があるというか情緒あふれる佇まいなんだろう、と思います。昔の原宿の木造駅舎のような雰囲気があります。このままでいてほしいです。原宿駅のように最新駅舎に改築しないでほしいと思います。


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静の舞 [歴史]

静御前は、京の白拍子。

白拍子は、今様などを歌いながら男装で舞う女性のこと。


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母は磯禅師。



伝説によると・・・


1182年(寿永元年)、後白河法皇は、神泉苑に白拍子100人を呼んで「雨乞いの舞」を舞わせます。99人までが舞っても雨は降りませんでしたが、100人目の静が舞うと3日間雨が降り続いたのだといいます。


その後、「住吉での雨乞い」の際に源義経に気に入られて妾となったのだと伝えられています。



静は、兄の源頼朝と不仲となった義経が都を落ちるときも行動を共にしていました。「吾妻鏡」よると、1185年(文治元年)11月、都を落ちた義経一行は大物浜から九州への船出を試みますが、船が難破して海を渡ることができず、家人はバラバラとなり、その夜は四天王寺に宿泊。


義経は2日ほどここで待つように告げて行方をくらましますが、やがて迎えの馬がよこされ、3日かかって吉野山へ。


吉野山で、義経は静と分かれることを決意し、義経は金銀の財宝一式を静に持たせ、護衛の男たちをつけて静を京に送り返そうとしました。ところが、途中でその護衛の男たちは、静から金銀財宝を奪い取り、逃げていってしまったのです。


静は1人で深い雪の山の中を彷徨うこととなってしまいました。


11月17日、蔵王堂(金峯山寺)に辿り着いたところを捕えられたのだといいます。 



12月8日、蔵王堂の執行(長)から、当時京都に滞在していた北条時政に身柄が引き渡された静は、翌1186年(文治2年)3月1日、母・磯禅師とともに鎌倉に送られてきました。


頼朝は、鎌倉に来た静に舞わせようとしますが、静はそれを断り続けます。


この事は以前から命じていたところ、病気のためと称して断ったり、わが身の不遇はあれこれ言うことはできないといえども、義経の妾として晴れの場に出るのはすこぶる恥辱であると言って渋り続けていたのですが、政子が「天下の舞の名手がたまたまこの地に来て、近々帰るのに、その芸を見ないのは残念なこと」としきりに頼朝に勧め、「八幡大菩薩に供えるのだから」と言って静を説得。別離からまだ日も浅く、気が塞いでいるので舞う気にならないとその場になっても固辞するのを、再三の命によって舞うことになったそうです。


そうして、4月8日、八幡大菩薩に献舞するということで説得され、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露することとなります。


静は、義経を慕う今様(いまよう・歌謡)にあわせて舞います。


工藤祐経が鼓を畠山重忠が銅拍子を担当しました。


吉野山 峰の白雪 ふみわけて

入りにし人の 跡ぞ恋しき


(吉野山の白雪を踏み分けて山深くお入りになってしまった義経様が恋しい )


しづやしづ しづのをだまき くり返し

昔を今に なすよしもがな


(静、静と繰り返し私の名を呼んだあの人の輝かしかった頃にもう一度戻りたい)


~梁の塵を動かすほどの見事な舞~


「吾妻鏡」には、「まことにこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし。上下みな興感を催す」と記されています。


参列した者のほとんどが「静の舞」に心を動かされたということなのかもしれません。


頼朝は、静が義経を慕う歌をうたったことから激怒しますが、妻の北条政子は「私が御前だったとしてもあのように舞ったでしょう」と言ってとりなしたのだと伝えられています。


「吾妻鏡」と「北条九代記」によると・・・

1186年(文治2年)4月8日、鶴岡八幡宮で舞った静御前。


若宮の回廊に舞台が設置され、工藤祐経が鼓を、畠山重忠が銅拍子を担当。


静は、白雪曲(はくせっきょく・古琴曲)に舞うかのごとく白い袖をひるがえし、歌声は黄竹子(こうちくし・呉声歌曲)を歌いあげるかのように美しく、その声は空いっぱいに響き渡り、梁の塵を動かすほどの見事さで、見ていた者は上下の別なく感動。



しかし、静が歌ったのは義経を慕う歌。


吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

(吉野山の峰の白雪を踏み分けて、山深くお入りになってしまった義経様の跡が恋しい)


しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

(糸を繰り返し巻いてできる苧環(おだまき)のように、時をも繰り返して、華やかであった昔と悲しい今を変えることができればよいのに)



頼朝は、


「八幡宮の御宝前で芸を披露するなら、鎌倉幕府の永遠の栄華を祝うべきであるのに、はばかることもなく義経を恋い慕って、離別の悲しさを歌うとは、とんでもない」


として激怒しますが・・・


政子は頼朝にこう言います。


「かつて流人として伊豆にいらっしゃったとき、あなたと私は結ばれましたが、「平家全盛の時だけに、平家に知られたら大変なことになる」と恐れた父の時政は、私をひそかに家の中に引き込めました。


それでも私はあなたを想い、暗い雨の夜に灯もともさず、激しい雨に打たれながら、あなたの所へ逃げていったのです。


石橋山の戦いの折には、一人で走湯権現に逃れ、あなたの行方を知りたい一心で、夜となく昼となく肝をつぶし、毎日生きた心地もしませんでした。


今の静の胸中は、かつての私の胸中と比べて「そうだろう」と思わせるものです。


静の貞節さを思うと、まことに趣深く感じられます」


この政子の話に頼朝は怒りを解いたのだとか・・・


そして、卯花重(うのはながさね)の衣を脱いで、御簾の外に出すと、静はこれを頂戴してうちかぶり退場したのだといいます。



・・・・


これが静御前においてもっとも有名な静の舞のシーンです。


情報引用元:

静の舞~鎌倉と静御前~



このシーンは、「鎌倉殿の13人」でどのように描かれるのか、ホント楽しみですね~。自分が史実で知らなかったのは、頼朝の長女、大姫も、静に南御堂にて舞を納めてもらっていたんですね。


大姫は、自分が愛してやまない悲劇のヒロインなのです。感情移入してしまいます。大姫も「鎌倉殿の13人」でどのように描かれるのか楽しみです。


また、


5月14日には、工藤祐経・梶原景茂・千葉常秀・八田知重・藤原邦道が静御前の宿舎に行って宴会を催しました。


静御前の母の磯禅師が芸を見せてくれたのだといいます。ところが、飲みすぎた梶原景茂が静御前を口説くという不始末を起こします。


静御前は涙を流しながら・・・


「義経様は頼朝様のご兄弟。私はその妾です。御家人の身分で普通の男女のように思っているのでしょうか?義経様が浪人の身になっていなければ、貴方のような者と対面することもなかったはず。ましてや言い寄るなんてもってのほか!」


と抗議したのだといいます。


これも初めて知る史実でした。


そして静の悲劇。義経の子を身籠っていて、女の子であればそのまま返却、もし男の子であれば殺める、ということで、結局男の子。


安達清常に由比ヶ浜に捨てるよう命じられる。これに先立ち安達清常が使いとして赤子を受け取ろうとした。静はまったくこれを出さず、(赤子を)衣にまとい抱き臥し、叫喚数刻に及ぶが、清常は厳しく催促する。


磯禅師が恐縮し、赤子を取り上げて使いに渡した。この事は、政子が頼朝に嘆願し宥めたが叶わなかった。


そして由比ガ浜の海岸に破棄されたんですね。


9月16日 静と母・磯禅師ともに京に帰洛。憐れんだ政子と大姫が多く重宝を賜う。


大姫優しんですね~。政子も歴史では尼将軍として恐れられることが多いですが、普通の女性、母親としての心優しい気持ちが溢れていますね。静の舞に頼朝が激怒した折にも、なだめるなど、政子はつねに静の味方だったのです。


結局、静は、この京に戻ってからは、その後の消息の情報は、どこの史料にも記載されていなくて、不明なのです。


日本史の中に燦然と輝く判官びいきの源義経と静御前のロマンスと悲劇。この鶴岡八幡宮で、頼朝・政子の前で踊る「静の舞」こそ、最大の魅せ場なのです。



この静の舞は、実際生の舞踊として鑑賞することが可能です。


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静の舞は、毎年鶴岡八幡宮で開催される「鎌倉まつり」で奉仕されることになっていて、美しくも悲しい、静御前の物語をしのび、鶴岡八幡宮舞殿で古式ゆかしく再現します。



例年であると4月の第二日曜日であることが多いようです。でも本年度2022年度は、まだ正確な日程は決まっておらず、鎌倉市の正式なアナウンスを待ってからにした方がよいと思います。




静の舞は、鶴岡八幡宮の舞殿でおこなわれます。頼朝・政子の前で静御前が舞を奉仕したときは、鶴岡八幡宮若宮の回廊に舞台を設置して舞がおこなわれたそうですが、大火で燃えてしまい、後年その跡地に、この舞殿が建てられたとか。


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今年は、大河ドラマの関係もあって、ぜひ実際行ってみて、生で鑑賞してみたいんですよね。


コロナ禍の去年は、オンラインでの配信もあったようです。静の舞とはどのようなものなのか、観てみたい自分は、さっそく拝見してみました。


静の舞は16分くらいです。

雅ですね~~~。素晴らしいです。


演者:花柳流 花柳 静美々

先導:鎌倉芸能連盟 会長 中村省司


唄:和歌山 富朗

三味線:東音 大宮悟

    東音 穂積 大志

小鼓:福原 鶴十郎

大鼓:福原 貴三郎

笛:福原 百貴

後見:花柳 花人



当時は、唄は静本人が歌っていたんでしょうね。そして工藤祐経が鼓を、畠山重忠が銅拍子を担当。そうでないと静の意思によるあの義経を想う歌は出てきませんね。


この鎌倉まつりでは、唄と踊りの演者は役割・担当を別に分けています。


静が義経のことを想い慕った、


吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき


しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな


のフレーズは、16分ある舞のうちの冒頭の6分くらいのところに現れます。残りの10分は、また別の唄なんです。たぶん残りの唄は後年の創作なんでしょうね。


歴史の史料、史実としては、この有名なフレーズしか残されていない訳ですから。


花柳流による見事な舞でしたが、じつに雅で優雅な美しい舞でした。これは生で観てみたいです。


大河ドラマとの連携もあるかもしれませんね。この鎌倉まつりの静の舞は、4月の第二日曜日とのことですから、そのタイミングに合わせて、三谷脚本のほうも進められて、そのときの同日にドラマのほうもそのシーンなのかもしれません。



さて昨日、「鎌倉殿の13人」の第6次キャスト発表がありました。もう6回目ですが、静御前は誰なのだろう、ということで当初から注目していたのですが、なかなか発表されずおそらく発表する側もサプライズキャストということで、タメがあるのかな、と思っていたりもしました。


やはり最も華がある注目のキャストだけに、発表するにもじらす作戦、インパクトを強くするような演出があったのかも?


戦前では5人くらい、いろいろな女優さんの候補が挙がっていて、SNSや紙面を賑わしていた。自分もその中の1人だと思っていました。


ところが発表されたのは、


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であった。びっくり。まったくの予想外だった。自分も知らない女優さんでした。お父さんが石橋凌氏、お母さんは原田美枝子さんのサラブレッドです。


静御前の場合、単に綺麗な女優さん、というだけではダメなんですよね。静の舞、日本舞踊がきちんと踊れないといけない。美人であることと踊れること、この両方のセンスが必要なのです。


あと年齢の問題もある。菅田将暉・義経と同じか、歳下でないと。。

この3つをクリアしないといけない。



石橋静河さんのプロフィールを調べてみました。


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4歳よりクラシックバレエを始め、15歳でボストン、カルガリーのバレエスクールに留学後、2013年に帰国し、コンテンポラリーダンサーとして活動する。


これらの体験からバレエ志望であり、両親の仕事を見て簡単な世界ではないと女優を夢見てはいなかったが、アメリカ・カナダへのバレエ留学中に演劇の面白さに衝撃を受ける。コンテンポラリーダンサーとして活動しつつ「もっといろんな人、いろんな面白いことに出会いたい」と考えていた時に「芝居をやってみては」と事務所から声をかけられて、2015年始めより女優としての活動を開始する。


特技は英会話とダンス、趣味はギター。


すごいじゃないですか!!!

ダンス、踊りがもっとも得意。これは確かに静御前にはうってつけというかはまり役ですね。静御前の役をやるうえでの3つの条件をすべてクリアしていますね。


よくピンポイントで探し当ててきました。三谷さんドラマの場合、三谷ドラマの常連、仲がいい俳優さんが選ばれる場合が多いので、三谷さんの知り合いだったのでしょうか?


これは素晴らしい女優さん、見事な選択眼ですね。


出演作も俯瞰してみると、本当にまだデビュー、活動したての女優さんのようで、2019年~2022年度の現在に至る期間に、映画、ドラマ、舞台で活躍しているようです。


まだ活躍しだした短期間なのだけれど、結構作品数が多く、露出度も多いみたいです。露出度は多いのかもしれないけど、自分は全然知らなかったです。(笑)すみません。。。


自分的には、配信ドラマで、東京ラブストーリーの赤名リカ役をやっているのが、かなりアンテナにビビッと反応してしまいました。


このドラマは、まさに自分の世代のドラマでしたから。月刊スピリッツに掲載されていた漫画のときから読んでいて、それがフジの月9でドラマ化されたときも見てましたよ~。たしか1991年でしたね。


鈴木保奈美、織田裕二、一世風靡しました。ひとつの時代でした。


いやぁ~本当に楽しみですね~。


自分は源頼朝、東国武士団の男らしい世界が大好きですが、義経・静御前はとても華があるので、今回の大河ドラマの中でも大きな魅せどころになりますね。


源義経を虜にした都随一の白拍子、静御前。


菅田義経がサイコパスな描き方をされているのには驚きましたが、その義経との物語、本当に楽しみです。







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