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ショパンコンクール [クラシック・コンクール]

ショパンコンクールは、クラシックのピアノコンクールとして世界最高峰のコンクールである。自分はずっとそのように思ってきた。


第一次世界大戦の終結を経てポーランドが一国家として独立してから9年後にあたる1927年に第1回大会を開催。現存する国際音楽ピアノコンクールの中では世界最古とされており、現在はポーランド国立ショパン研究所がコンクールを主催している。


音楽コンクールの最高峰と目されており、ロシアのチャイコフスキー国際コンクール、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールと共に「世界三大コンクール」と称されている。


ポーランド生まれの作曲家兼ピアニストで「ピアノの詩人」の異名でも知られるフレデリック・ショパンの解釈者を発掘することを開催理念として掲げており、コンクール自体はピアノ部門のみの開催で、かつ課題曲は全てショパン作品で占めている。


ショパンの命日である10月17日の前後3週間に開催されている。


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1.予備審査:書類提出(国際的に著名な教授かピアニストの推薦状と音楽歴), DVD提出
2.予備予選:現地演奏(開催期間前)
3.一次予選
4.二次予選
5.三次予選(準本選)
6.本選:ピアノ協奏曲


課題曲は、すべてショパンの作品となっている。
コンクール出場資格は16歳以上30歳以下の年齢制限がある。


より好ましい審査のために、毎回根本的な見直しが図られている。例えば、かつて24の前奏曲は抜粋演奏にならざるを得なかったが、これを全曲通奏できるように変わってきた。また第一次にノクターン、第二次にワルツ、第三次にマズルカを課すルールなどなど。


使用するピアノはどのメーカーのモデルも、まんべんなく使われていることが特徴である。


現行公式ピアノ​


・スタインウェイD-274 - スタインウェイブランドは1927年第1回から採用。
・ヤマハ CFX - ヤマハブランドは1985年第11回から採用。
・SHIGERU KAWAI SK-EX - カワイブランドは1985年第11回から採用。
・ファツィオリ F278 - ファツィオリブランドは2010年第16回から採用。


コンクールの会場となるワルシャワ国立フィルハーモニーホール


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本選でのピアノ協奏曲では、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団がオーケストラ伴奏分を担当する。


日本人でショパンコンクールに出場したピアニストは以下の通りである。


原智恵子(第3回:1937年)
田中希代子(第10位:第5回:1955)
中村紘子(第4位:第7回:1965)
内田光子(第2位:第8回:1970)
遠藤郁子(第8位:第8回:1970)
海老彰子(第5位:第10回:1980)
小山実稚恵(第4位:第11回:1985)

横山幸雄(第3位:第12回:1990)
高橋多佳子(第5位:第12回:1990)
宮谷理香(第5位:第13回:1995)
佐藤美香(第6位:第14回:2000)
関本昌平(第4位:第15回:2005)
山本貴志(第4位:第15回:2005)


コンクールは、あくまで世に出るための手段であり、その後ピアニスト人生として大成するかどうかは、保証されたものではなく、消えていく人も多いとの話を聞くが、こうしてみると、どなたも幸せなピアニスト人生を歩まれているように思う。


ミレニアムの年として世界中が沸き上がった2000年。シドニー五輪とともに、第14回ショパン国際ピアノコンクールがワルシャワで開催された。第1位の栄光を射止めたのは、18歳の中国人、リ・ユンディであった。


1927年に創設され、その後戦争などによる中断を経験したものの、5年に一度の開催を続けているショパンコンクールは、これまでポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマン、ブーニンなど世界で活躍している最高峰のピアニストたちを輩出してきた。まさしく、このコンクールでの勝利は、ピアニストにとっての「夢の栄冠」である。


ショパン・コンクールの歴史は、かつてテレビ番組などでその一部が紹介されたことはあったが、多くの映像は門外不出のままだった。それまでの貴重な映像や音源は歴史の渦の中に封印されたままだったのである。


社会体制が大きく変わり、ワルシャワの街には自由な空気が溢れたが、ショパン・コンクールの記録映像が、外気にさらされることはなかった。今回、まさに世紀の変わり目を迎え、ワルシャワ・ショパン協会、ポーランド国営放送局をはじめ、多くの関係者の献身的な協力により、文字通り発掘にふさわしい作業が実現した。


70年以上の歴史を往き来する映像の中に展開する若きピアニストたちのドラマは、同時に歴史・政治・民族などの壮大なテーマを背景にもっている。「ワルシャワの覇者」は、ピアニスト、ピアノ学習者に限らず、まさしく新世紀を迎えたすべての人々へ向けての20世紀の証言である。


それが学研(学習研究所)音楽出版事業部から2000年に発売された「ショパン国際コンクール「ワルシャワの覇者」」である。


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全32巻のDVDビデオ。解説書とポーランド直輸入書籍もついているまさにショパンコンクールの大記録である。1927~1995年までの大会の記録が網羅されている。


まさにワルシャワ・ショパン協会、ポーランド国営放送局などに保存されていたショパンコンクールに関する貴重な映像、音源などがはじめて外気にさらされた、というか世に出たものである。


過去の大会が均等に情報があるかというと、そうでもないようである。


第10回大会は、全部で12巻あり、全体の1/3を占めているのである。一次予選、二次予選、三次予選、本選、インタビュー、イーヴォ・ボゴレリチ特集と至れり尽くせりなのである。


なぜこの第10回大会だけフルに情報がアーカイブされていたのかは、わからない。


この第10回大会は、「ボゴレリチ事件」のあった年である。


第10回の1980年のショパン国際ピアノコンクール。


ポゴレリチは順当に勝ち進むのだが、その一方で審査員の評価はずっと分かれていた。楽譜に忠実な演奏とは一線を画するような非常に個性的な演奏である一方、テクニック的には非常に安定していたため、審査員からすると評価がとても難しかったのである。


そして本選出場をかけた第3次予選。ポゴレリチはファイナルを目前に落選してしまう。そして、この結果にいち早く声をあげたのが、世界最高のピアニストであるマルタ・アルゲリッチ。


「だって、彼は天才なのよ!」という言葉を残し、アルゲリッチはなんと審査員を自ら降板する事態に。パウル・パドゥラ=スコダを含む何人かの審査員はアルゲリッチの意見に賛同し、審査会議は紛糾したものの、結果は変わらず。


ちなみにアルゲリッチはそれ以降、20年後の2000年大会まで審査員の席まで戻ってくることはなかった。


この騒動は大きな話題を呼ぶこととなり、審査員達も静観するわけにはいかなくなった。結果、審査員長のコルド、ポゴレリチを交えた記者会見が行われることに。そして、ポゴレリチは前代未聞の「審査員特別賞」を授与される。このような一連の騒動が「ポゴレリチ事件」として伝説として残っているのだ。


この事件以降、アルゲリッチはポゴレリチのことを相当気にかけていたようで、頻繁に自らのコンサートに招くなどしている。友達はとことん大事にするアルゲリッチらしいですね。


優勝の栄冠こそ掴むことはできなかったが、この騒動がきっかけとなりポゴレリチはクラシック音楽界で引っ張りだこに。グラモフォンとも契約し、録音にも乗り出したのである。


これがピアノ界の巷で言うところの「ボゴレリチ事件」である。


この「ボゴレリチ事件」があった第10回が全部で12巻以上とフルに情報がアーカイブされていたのである。その真相はナゾである。


自分は、このワルシャワの覇者のDVD全巻を以前購入したことがある。
それは1965年のアルゲリッチの優勝の回を見たかったためである。


あの有名な水玉模様のドレスを着て、特に本選のショパン ピアノ協奏曲第1番を演奏する姿を見たかったので、奮発して買ったのである。


このワルシャワの覇者全巻は、新品で16万。当時の自分は新品で買ったのである。そして何を思ったのか、そのアルゲリッチの登場回を見たら、あとは用済みという感じで結局また売却してしまったのである。


あとですごく後悔した。


この1965年のコンクールのときに水玉模様のドレスを着たアルゲリッチの演奏姿は、結構YouTubeに載っていたりするが、それはポロネーズやマズルカなどの演奏で、本選のピアノ協奏曲第1番はまず世には出ないとてもレアな映像なのである。


このワルシャワの覇者のDVDの内容は、その年のコンクールの模様をダイジェストでまとめたような形式で編集されており、全演奏が掲載される訳ではない。


ショパンコンクールの歴史についての解説、その大会の模様のダイジェスト、インタビュー、演奏の一部、表彰式、優勝者の発表のときの模様などがダイジェストでコンパクトにまとまっているのだ。


あとは、特別編としてスタジオでピアニストに全曲演奏させて、それをフルにスタジオ録画したものも挿入されている。それはその大会に出場するピアニストが、その登場のときのドレスでそのままスタジオで撮られているものである。


既述の水玉模様のドレスを着たアルゲリッチが、スタジオでポロネーズを演奏した映像が収録されたのも、その特別収録の撮影である。


ショパンコンクールではいろいろな課題曲が演奏されるが、その中でもオオトリのメインは、ショパンピアノ協奏曲第1番。


この曲はもちろん大好きで大好きで堪らない。

この曲の録音で名盤と言われるものは、過去にいろいろある。


じっくり創り込まれた感のある人工的なセッション録音。そしてまさに臨場感を味わえるようなライブ録音。セッション録音やライブ録音でも、このショパンピアノ協奏曲は、本当にいい名盤がたくさんある。 その中で、自分がどうしても忘れられない、この曲だったら、この1枚というのがあるのだ。


それがアルゲリッチが優勝した時の1965年のショパンコンクールでのショパンピアノ協奏曲第1番。


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もうすでに廃盤になっていて、中古市場にしか出回らないディスクになってしまったが、自分はこの曲だったら、この演奏がどうしても忘れられない。ある意味、この曲の自分のバイブル的な存在にもなっている。


この曲は、最初にオケの前奏がかなり長い時間あるのだが、このときのコンクールでは、そういうのをかなり端折って略して演奏している。 そしてもうバリバリの当時のライブ録音。観客席の咳き込みなど、リアルにそのままダイレクト録音だ。いまのように編集の時に咳き込みをカットなどという小賢しいことはやらない。


このコンクール盤は、当時雨天の雷だったようで、外で雷が鳴っているのが、何回も演奏中に音として録音されているのだ。


そういう当時のコンクール・ヴァージョン的に編集されたショパンピアノ協奏曲第1番で、現代の完成度の高い作品と比べると聴き劣りするかもしれないが、自分の中では、この曲で、この盤を超えるものはないと思っている。


とにかくいま聴いても、身震いがするほど、新鮮で衝撃的だ。若い頃に、この録音を聴いて、当時のショパンコンクールでアルゲリッチが優勝したときってどんな感じだったんだろうな~ということを夢想していたことを思い出す。


その映像がもし残っているならぜひ観てみたいと恋焦がれていた。 だって、1965年の大会に優勝ってことは、もうほとんど自分が産まれた年に優勝してこの世界にデビューしている、ということ。


大変な尊敬の念を抱いていた。


当時、クラシックのジャンルで、ピアノといえば、アルゲリッチから入っていった人だったので、当時猛烈に彼女の録音を買いまくっていくうちに、彼女の原点はこの1965コンクールの演奏にある、ということに行き着いたのだった。


1965年の優勝のときの映像、もちろんこのショパンピアノ協奏曲第1番を弾いている演奏姿を観てみたい、とずっと恋焦がれていた。


なぜ、アルゲリッチのショパンコンクール1965の演奏なのか?


アルゲリッチは、その後、後年にこのショパンのピアノ協奏曲第1番を何回も再録している。 でもそこには、自分がコンクールライブ盤で感じたような緊張感、鋭さというのを感じなかった。 どこか、創り込まれている安心な世界での表現で、ビビッとくるほど緊張や感動をしなかった。


追い込まれた極度の緊張感の中でしか起こり得なかった奇跡、そんなミステリーがこのライブ録音にはある。 コンクール独特の緊張感、まさに伝説の名演奏。


この曲のこれに勝る名演奏はない。


アルゲリッチ本人も、このショパンコンクール録音が気に入っていたという話もある。


このライブ録音。「ピアノ協奏曲第1番」「スケルツォ第3番」「3つのマズルカ 作品59」で演奏はワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団。24歳という若きアルゲリッチの自由奔放で情熱的な演奏が素晴らしい。


ちなみに、コンクールでの彼女の使用ピアノはスタインウェイでもベーゼンドルファーでもなく、ベヒシュタインだったというのが驚きである。


ポーランドの人々が「ともかくマズルカだけはポーランドを知らなくては弾けない」と言い切りがちなこの曲を、ショパンコンクールの準備をするまでマズルカが何かも知らなかったというこのアルゼンチン出身のピアニストが、そんなうんちくを蹴散らすかのような見事な演奏を披露しているのだ。


そんなアルゲリッチへのショパンコンクール1965についての想いをずっと抱いてきて、その映像が収録されているこのワルシャワの覇者DVD大全集を購入したのである。


結局売却してしまったことを随分後悔した。そして、やはりそれを買い戻すことにした。


いま中古市場では5万円くらい。その中でアマゾン中古で3万円で売られているのを見つけ、即座に購入した。安いのは理由があって、 解説書とポーランド直輸入書籍が欠品だったのである。


でもこうやってついに買い戻した。


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さっそくアルゲリッチが登場した1965年の第7回大会を探す。


これだ!
コンクールの歴史 第6回(1960)/第7回(1965)/第8回(1970)


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第6回はポリーニ、第7回はアルゲリッチ、そして第8回は内田光子さん。
自分はこのDVD1巻だけあれば十分な感じである。


さっそく、自分はアルゲリッチの本選でのショパン ピアノ協奏曲第1番の演奏部分を探した。もちろんあったが、それは最後のエンディングの部分のみであった。自分はちょっと思い違い、というか記憶違いをしていたようだ。全3楽章のフル収録ではなかった。


でも自分はそれでも満足で感動した。


これが夢にまでみたアルゲリッチのショパンコンクール1965でのショパン ピアノ協奏曲第1番の演奏の映像である。


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そしてこの第7回(1965)の優勝者発表の瞬間、アルゲリッチの姿である。
記者団にもみくちゃにされている。


自分はじ~んと感動・・・。
まぎれもない1965年の第7回の優勝者発表のときのアルゲリッチの姿である。
自分のお宝となることは間違いない。


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貴重なお宝映像はまだまだ続く。
ポリーニが優勝した1960年の第6回のときの様子だ。


アルトゥール・ルービンシュタインが、第6回開催記念コンサートと称して演奏を披露している映像も。


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自分は、ルービンシュタインが動く動画像として、演奏している姿を拝見するのは初めてかも?


そして1960年第6回のポリーニが優勝したとき。
これがその当時のポリーニである。


演奏姿は、入賞者演奏会と言われるもので、コンクールで受賞が決まった人の記念演奏ではあるが、それでも1960年当時のポリーニの演奏姿を見れるのは大変貴重である。


ルービンシュタイン曰く、「ポリーニは、ここの審査員の誰よりもうまい」と言わしめたそのポリーニのピアノは、やはりコンピュータのように正確無比な精緻さを誇っていた。ポリーニは、この優勝後、突然10年間のブランクに入ってしまう。


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そして1970年の第8回の内田光子さんのコンクール時の演奏も収録されているのである。日本人としてはいまだ破られることのない第2位の年。これがその当時のコンクール時の内田光子さんである。大変貴重な画像である。


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内田光子さんは、さらにスタジオで特別にフルバージョンで収録をしており、このコンクール時の白いドレスでエチュードをフルで演奏している映像も収録されているのだ。


とにかく、ショパンコンクールの記録としては、未曾有な大変貴重な映像が収録されているこの「ワルシャワの覇者」DVD大全集。


前回は、この第6回/第7回/第8回の1巻を見ただけで、あとはお払い箱というか、さっさと売却してしまったけれど、もうそういうことは絶対しない。


自分の宝物として未来永劫残しておこう。

そうして暇を見つけては1巻ずつ見ていこう。


そして自分の感動したことや、新しい発見があったら、その都度日記にしていこう。
これからはショパンコンクールの日記が増えていくことになる。(笑)


おもちゃを与えられた大人とも言うべき、自分の日記ネタとして今後の大変貴重な映像資料となることであろう。









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