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渋谷の街で90年余り。「名曲喫茶ライオン」 [喫茶]

名曲喫茶といえば、自分の場合、新宿の「名曲喫茶らんぶる」であるが、ずっと以前から気になっていた名曲喫茶がある。それは渋谷にある「名曲喫茶ライオン」である。


ここは、もう新宿よりもっと歴史が古く、まさに名曲喫茶の走りになった由緒あるお店である。自分は昔からずっと行きたいと思っていたのだが、なかなかきっかけがなくて実現に至っていなかったのであるが、自分の青春時代の新宿の「名曲喫茶らんぶる」のことを書いたら、もうこうなったら、かねてから憧れていた渋谷の名曲喫茶ライオンも訪れてみようと思ったのである。


オーディオマニア、オーディオファンの方なら、この渋谷の名曲喫茶はよく知っていると思うし、行かれた方は多いのではないだろうか。


●渋谷の歴史の生き証人


およそ100年ほど前、東京の中でも「渋谷は田舎」だったことをご存知だろうか。華やかな中心地・ショッピングや観劇の中心といえば銀座や日比谷。


渋谷という街は何もない、ただの田舎だったのだという。


現在も残る道玄坂の「百軒店(ひゃっけんだな)」は、その田舎だった渋谷に、銀座や浅草のような場所を作ろうと1924年に西武によって開発されたエリアだ。


今も現役で営業している「名曲喫茶ライオン」は大正15年に恵比寿・並木橋で開業。まだ何もない渋谷の百軒店の誘致に答えて移転した、老舗中の老舗である。


現在の道玄坂は、夜の印象が強いゆえに、なかなか足を運ぶ機会は少ないかもしれない。思い切って重厚なドアを開けて見ると、その想像もしていなかった世界に度肝を抜かれることだろう。「タイムトリップ」とはまさにこのこと。


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現在は1・2階の営業だが、吹き抜けの店内にドーンと鎮座するど迫力の巨大スピーカー。全席が、スピーカーに向き合うように配置されている。背もたれに白いカバーがかかっている特徴的な椅子が整然と並んで、まるで列車やバスの座席のよう。



●クラシック音楽と向き合うゆっくりした時間


席に着くとリーフレットが手渡される。毎日15時と19時に「定時コンサート」が行われる。その内容はあらかじめ記載されている。プログラムを楽しみに来る客も多いのだとか。もちろんノーチャージ。


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クラシック音楽に詳しくなくても聞いたことのある音楽が流れる。敷居が高いような気もするが、コーヒー代の550円だけ払って、この大音量の迫力コンサートが楽しめるなんて素晴らしい。


2階の一番前のアリーナ席は、学生さんが陣取ること多いとか。ここでスピーカーと向き合えば、大迫力のコンサートだ。なんでも初代がパイオニアに特注で作らせたこだわりの3Dサウンドシステムだと言う。


●ライオンが歩いてきた歴史


三代目店主の石原圭子さんが説明してくれる。


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「これは戦前のライオンね。大正15年に恵比寿で開業して、昭和元年にこの場所に移転してきた。この写真は昭和18年頃ね。」


その写真が残っているのもすごいが、バックのお店が当時からモダンなことにも驚かされる。


「私はここにお嫁に来る前は、日本橋で育ったの。初めて渋谷に来た時は衝撃だったわね・・・。何もなくて。こんな何もない田舎にお嫁に来て、大丈夫かしら!?って。銀座や日比谷に歩いていける華やかな場所で育ったのに(笑)。今は、ビックリするくらい変わったわね。」


石原さんはその時から渋谷の歴史を見守ってきたのだ。


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「このあたりは空襲ですっかり焼け野原になってしまったの。それでもパパさん(初代の山寺弥之助さん(通称パパさん))はすぐにライオンを復興させた。この辺りでは一番早かったんじゃないかしら。この写真は復興した後のライオンね。よーく見ると、初代の建物より凝った彫りが入ったりしてるでしょ?」


●積み重ねた歴史はお店だけではない。


「ここに来るお客さんは、自分の定位置の席が決まっているのよ。自分は1階のここ、2階のここ、スピーカー前、とか人それぞれね。毎日絶対、そこ。音楽をじっと聴くのに適した、それぞれのお気に入りがあるのね。何十年も同じ席に座り続けているおじいちゃんも多いわよ」


みんなが音楽を楽しみにここに来る。持ち込みも可能だが、この店にはレコードからカセットまで、圧巻の音源が揃っている。おしゃべりをしに来る店でなく、じっくり音楽を楽しみに来る喫茶店なのだ。


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音楽や文学にゆかりのあるお客さんが多いらしく、贈呈された絵画や書物は店の財産になっている。お客さんも含めた歴史の積み重ねが、この店のあちらこちらに見られるのも楽しい。


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もちろん現在でも日々営業しているライオンだが、スタッフさんたちが日々使う中にも、昔ながらのものが垣間見える。ライオンが紡いできた歴史に敬意を表し、大事に使ってきているのがよくわかる。


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こちらは厨房内にある、2階まで商品を乗せて運ぶ、エレベーター。もちろん自動ではなく、横にある紐を引っ張って押し上げるタイプ。スタッフさんによると、たまに重すぎたりして途中で落としてしまうのだとか(笑)


「パパさんが頑丈にやってくれたから、戦後だともう70年近く経っているのに内装や設備の劣化はあまりないのよ。将来は私の次男が継ぐので4代目も決まっているの。まだまだこの先何年も、何十年も続いていってほしいわね」


おしゃべりして、インスタ映えする商品の写真を撮るカフェの楽しみ方が流行っているが、たまには一人で歴史の重みを感じながら音楽を聴いてゆっくりする。そんな時間の過ごし方も「粋」なんだと、550円のコーヒー片手にいかがだろう。



情報引用元:


Harumari TOKYO:東京・渋谷 渋谷の街で90年余り。「名曲喫茶ライオン」は令和の時代にも輝き続ける





渋谷の道玄坂を上がっていったところにある。正確には、道玄坂を上がっていき、右折して「百軒店」の枝道を入っていく。ここのエリアはやっぱり自分はあまり好きじゃないというか苦手かも?


結構お色気関係、多いんだよね。(笑)あとごちゃごちゃし過ぎて汚いというか。。いかにも渋谷といえば、そうなんだけれど。。。



そうするとあっけなく発見。

緑の看板が大きく目立ち、すぐに発見。


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創業1926年。まさに渋谷の街で90年余り。渋谷の歴史の生き証人だ。名曲喫茶の名店中の名店である。なかなか入りづらい雰囲気は確かにある。


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1階の様子。


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上の写真は、やはりインタビュー用に撮影したプロの写真で、さすがに美しく撮れているけれど、素人の自分が撮って、実際の肉眼で似た感じは、極めてこんな感じである。あと、プロの写真はおそらく2階の写真ですね。2階の方がそのようなプロモーション用に向いているんだと思います。


自分は、最初この1階を見たとき、想像以上に狭くて暗く薄汚いところだな~という印象であった。


自分は、この1階の1番前に通された。


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これが「名曲喫茶ライオン」の自慢のステレオ・システム。


ふつうのレコード喫茶と違って、このステレオ・システムがど~んと鎮座していて、店内を一種独特な雰囲気にしていると思う。


店内の中央に据えられた大きな3Dスピーカーから聞こえる壮大なクラシックは臨場感に溢れ、音楽の素晴らしさを体感できると言われている。


ちょっと見、市販のものとはとても思えず、自作のスピーカーのように思えるのは、見たと同時に感覚的にわかった。送り出しの機器はよくわからなかった。


全館(各階)ステレオ音響完備(帝都随一を誇る)。真のHiFi、立体音響、3Dサウンドとの触れ込みである。初代(山寺弥之助さん(通称パパさん))がパイオニアに特注で作らせたこだわりの3Dサウンドシステムだと言う。


音響の専門家に音の波形を見ながら調律をしてもらった特別仕様だそうである。


何事にも専心し徹底的にこだわる弥之助氏の性分は、「帝都随一を誇る」とうたった音響装置の製作でも本領を発揮する。当時のこだわりが、雑誌「サライ」(小学館発行/1995年第4号)に記されている。


二代目・宗夫氏が生前に語った、戦後の店舗再建の際にオーダーメードしたスピーカーに関する説明だ。


実際のオーケストラは、基本的にステージでは向かって左側に高音楽器、右側に低音楽器が並ぶ。ステレオ録音ならこの配列をそのまま再現できるが、モノラル録音では不可能だ。そこで、モノラルの音でもステレオに近い音を再現するために、スピーカーを左右非対称にし、低音と中高音を3つに分けた4チャンネルスピーカーを設計したという。開発には、某大手家電・音響メーカーの研究所に勤めていたエンジニアが協力した。


常連客だったそうだ。


その後、このオーディオ・システムは、米国の音響専門誌「AUDIO」の1958年12月号で全ページにわたって写真入りで大きく紹介され、世界的な名声を得た。


まさにクラシック再生に特化した拘りの特注の自作スピーカーだったのである。正直なところ、上の改造の意味がわかりにくいが(なぜそのようにするのか。)要はポイントはモノラル音源を再生することが極めて多いので、それの対応のために苦肉のために考案した策、特注ものなのだろう。



これは驚いた。


そしてすごい楽しみである。


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レコード5,000枚、CD500枚以上を所蔵しているという。欧州の伝統的なコンサートホールのような重厚な佇まいで一世紀近くクラシックファンを魅了してきた名曲喫茶の草分けである。



創業者の山寺弥之介氏は、会津若松の造り酒屋の御曹司だった。大正末期に母親と共に上京し、1926年に恵比寿(並木橋)で喫茶店「ライオン」を開業した。半年後に渋谷への移転を決めたが、砂利道の不衛生な駅前を避け、標高15mの小高い坂の上に店舗を構えた。開店当初は流行歌ばかり聞かせていたが、常連客が持ち寄ったクラシック・レコードの楽曲に触発され、当時の都内にはまだなかったという「名曲喫茶」に鞍替えした。


「創業者は、感覚の鋭い方。趣味人でモダンボーイでした」


「パパさん」と呼ばれた創業者の印象を語るのは三代目店主の石原圭子さん(86歳)。夫で二代目の石原宗夫氏(故人)は、創業者の義弟にあたる。2007年に77歳で永眠した宗夫氏の後を継いだ。


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自分は、コーヒー(ブラック)をオーダー。そうするとリーフレットとともにサーブされた。


ライオンでは、毎日午後3時と7時に「定時コンサート」を開催している。レコード会社の担当者が新譜を持参して紹介した頃の名残だそうだ。テーブルにコーヒーなど注文の品とともに、作曲者・曲目・演奏者の月間プログラムを記載したリーフレットが配られる。演奏が終了すると、スタッフがその都度、楽曲をアナウンスする。これもライオンならではしきたりだ。


コーヒーは一杯550円。パパさんの従兄弟がロンドンの「ライオンベーカリー」で修業して覚えた直伝の抽出法「湯煎式」で淹れている。豆は、現在は浅草の石川コーヒーから仕入れているが、三代目・圭子さんがアメ横まで買い出しに行き、店に戻ってミルで挽いた時期もあったという。圭子さんは現在も、この「湯煎式」でコーヒーを淹れるのを毎朝の日課としている。


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リーフレットには、7月のプログラムがday by dayでびっしり書かれている。この日、17日(土)は、ブラームスの交響曲第2番であった。



さて、どんな感じで進められるのか、大人しく郷に入れば郷に従えで、様子を伺っていた。


まず、おしゃべり禁止。寝るのはOKである。

ちょっと周りを見渡してみれば、みんな読書をしている人が多かった。

本を読みながら、店のシステムで音楽を聴いているという感じである。

あるいはスマホをいじっているかな。


また座席がいっせいにスピーカー側に向いていて、また隣の他人と話すことはほとんど不可能な距離感なのである。みんな、し~んと静まり返って、再生されているクラシック音楽を聴いているのである。


進行は、若いお兄ちゃん。


1曲終わるごとに、「いまの曲はリクエストで、〇〇〇の〇〇、●●●の演奏によるものでした。」というアナウンスをする。


それをずっと繰り返すのである。


アナウンスするときに、システムをオーディオからPAマイクに切り替えるのだが、その途端にブ~ンというハム音が鳴るのがご愛敬であった。(笑)あれはなんとかならないものか???


リクエストはもちろんお客からだが、どうやってやっているのか、わからない。

リクエスト用のメモ用紙、筆記用具もなかったし。

スマホなどのオンラインでやっているのかな?


あと、リクエストを受けてから、この膨大なラックからどうやってアクセスしているのかもナゾ。PC管理しているほど進んでいるようにも思えず、結構人間によるアナログ・マニュアルのような気がするのであるが・・・。


土曜日の14:00頃に行ったのだが、結構繁盛していて1階に関して言えば、ほぼ満員御礼の盛況ぶりである。


さて、肝心の音、サウンドはどうであったのか?この拘りに拘った特注設計による3Dサウンド、立体音響とはどのようなものであるのか?


これはなかなか難しい。


なるべく日記を盛り上げたいので、前向きに表現して持ち上げたいのだが、なかなかどこをどう褒めればいいのかなかなか厳しい。


最初の出音を聴いて、まずそのナローレンジな音に閉口。

まさしくヴィンテージの音である。

そして音が歪んでいる。歪みまくっている。

音場ゼロ、音の拡がりもない。

定位もあまりいい感じでない。まず定位していない、と思う。定位感がない。


なによりも基本となる情報量が徹底的に足りないサウンドである。


これを3Dサウンド、立体音響と言っては・・・。(笑)

聴いているのがかなり苦痛な音であった。


たぶんモノラル音源なんだろうな?という予想はすぐにできた。

音源自体がすごい古いのだろう・・・ということも。


何曲か続けて再生するも、そんなに印象の違いもなく、う~ん、これはがっかりだなぁ~という感じでちょっと失望していた。


店内のリクエストやコレクションされている音源が、圧倒的にモノラルが多いからスピーカーを特注させて、モノラルでもステレオのように音の拡がりが出るように改造設計したものなのではないのか?


そんな恩恵がまったく感じられなかった。


そのときに、自分はちょっとネジを巻き替えた。


つまり古い音源を聴く用の耳、脳に意識を変えることである。ふだんのモダン音源と古い音源を聴く場合、同じものさしで聴いていてはダメなのである。自分は普段は圧倒的にモダン音源の方が多いので、その感覚で比較してはダメなのだと思った。


意識しながら、当時の時代背景の演奏形態、録音品質を考慮し、その上でその当時の価値観、画期的だったことを振り返り、モノラル音源を聴いていかないとその良さはわからないのではないか、と思ったのである。


そう思い直してから、その苦痛な感じはずいぶん和らいで、前向きな印象、聴き方に変わっていったような気がする。


客層は年配の高齢層か、というとそうでもなく、かなり若い人も多いので、みんなそのような過去の音源、きっとここにしかないモノラル音源、そういう貴重なレコードを聴きに来ている場合も多いのだろうと推察した。


こういう名曲喫茶、レコード喫茶っておそらくその店内の独特の雰囲気を楽しむ、ということもあるだろうけれど、もういまや市販されていない、ここにしかない貴重なモノラル音源ってあって、それを聴きに来ているんでしょうね。


そのときである。


バッハのヴァイオリン・コンチェルトがリクエストでかかったときである。


ホッとするサウンド。いつものサウンド。モダンな響きで今風のサウンドが聴こえてきて、お~いいじゃない、いいじゃない、やればできるじゃない!・・・である。


やっぱりいままでのは古い時代の演奏、音源だったんだね。

現代のサウンドでもなかなかの再生力であった。


でも自分はオーディオに関しては、首都圏を始め、全国のいろいろな猛者のサウンドを聴いてきているから、手厳しいです。


まだまだ。とても絶賛できるサウンドではなかった。特注の立体音響、3Dサウンドとはとてもアピールできるレベルではない。そこまではまだまだ到達していないと思う。


見かけとくらべて、まだまだ音が見掛け倒しのようには感じた。


でもそんなことを力説する自分の方が、きっとずっとオーディオに関して、いや人間として青いというか、まだまだ子供というか、軟や奴なんだと思う。


オーディオマニア、オーディオファンにありがちなタイプなのだと思う。わかっていないのは自分のほうなんだと思う。



なによりも創業1926年、まさになにもなかった野原の渋谷を90年余り見続けてきて、渋谷の生き証人でもある「名曲喫茶ライオン」。その当時から引き継がれてきた伝統は、そのような比較をするべくものではなく、もっと絶対値評価として、その貴重な資産を尊重するべきものなのである。


その歴史的な存在価値を、そのまま受け入れ、それを堪能する、それが失礼にあたらない本当の遺産と対峙する姿なのだろう。


そう思い直して、15:00からの定時コンサートの「ブラームス 交響曲第2番」を聴き込んで、店を後にした。


かねてよりずっと訪問したいと思っていた渋谷の「名曲喫茶ライオン」。念願がかなって嬉しかったです。


自分のオーディオライフの中でも貴重な足跡となることは間違いない。





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名曲喫茶らんぶる [喫茶]

新宿という街は、前職時代の自分が若かりしき頃、青春時代の想い出がいっぱい詰まっている街である。会社寮が小田急線の新百合ヶ丘にあったので、1本でそのまま新宿にでるので、どうしてもそこが遊び場になる。


東京に出てきたばかりだから、とにかく都会が物珍しくて、その街並みを散策するだけで楽しくて楽しくて堪らなかった。土日の休みになると、必ず新宿に出ていたような気がする。


本当にただ歩いているだけなのだ。新宿東口がメインだったかな。紀伊国屋書店、伊勢丹、高島屋、丸井、世界堂、名前忘れたけれどよく通っていた交差点の角にあった鰻屋さん、天ぷら屋の新宿つな八、そのときまだ全盛だったタモリさんの「笑っていいとも」のスタジオALTA、中村屋カリー、ヨドバシカメラ、喫茶ルノアール・・・この通りはときどき歩行者天国になる。


そしてあの当時、結構のめり込んでいたのが、サウナや立派なお風呂の施設があって、そこには休憩エリアもあって食事もとることができて、その休憩エリアのソファを倒して、そのままそこで一晩夜を明かすことも可能だったお店があったのだ。週末で明日から土日の休みというウィークエンドのときは気分がいいからそのまま寮に帰るのも面白くないから、そういうところでひと風呂浴びてそこで一夜を過ごすのが気分転換になった。よく朝起きてそのお店から寮に帰るのがすごいすがすがしかったな。



当時、新宿にはそういうお店がたくさんあった。ロッカーもきちんとあって、かなり立派な施設です。あういう健康的なお店、いまあるのだろうか?あういうお店のことをなんというのだろう。あの当時の新宿といったら、結構その思い出がある。


とにかく新宿の街並みは、東京の中で自分が一番脳裏に深く刻み込まれている街である。


あの街の景観、風景が懐かしすぎる。

あの頃はなんか新宿がすごい楽しかったな。


新宿西口の高層ビル街もすごい想い出である。昔の彼女との愛のロマンスのデートの定番の場所だったのだ。(笑)


もっとロマンティックなところがあるだろう、と仰るかもしれないが、なぜか新宿の高層ビルエリアだった。あの何本もそびえ立っている高層ビルのエリアって、なんか自分たちがすごい都会の中にいるという錯覚に陥ることができたんですよね。


もちろん夜である。あの新宿西口の高層ビル街は、夜になると、かなりロマンティックですよ。冷たい都会的な感覚で。。。そこにときたまベンチがあって、そこで2人で座って甘い愛の言葉を囁きあったものです。(笑)


新宿は自分のそんな若い頃の甘酸っぱい想い出がいっぱい詰まっている街で、忘れようにも忘れられない脳の深くに刻み込まれている街なのである。


先日、新宿西口の小田急百貨店が閉店というニュースを知って、言葉を失った。コロナ禍ということもあるだろうが、あの新宿西口の顔のような存在だった小田急デパートがなくなるなんて・・・。自分が東京に来たときからずっとありましたね。


不思議で東横線ユーザーになってから、まったく新宿に行くことがなくなってしまった。転職してから新しい人生の再スタートということもあって新宿とも疎遠になった。


そんな中で、たまたまSNSの投稿で新宿の「名曲喫茶らんぶる」の投稿を目にすることがあって、自分は思わずのけぞってしまい椅子から転げ落ちそうになった。(笑)


びっくりしました。

あまりに懐かしすぎる!


そんな新宿時代の自分の一番の想い出の場所である。休みの日に新宿をただぶらぶら歩いて、どこかの食べ物屋さんで食事して、ただそれだけをやっているだけなのだけれど、そんな疲れたときにかならず利用していたのが「名曲喫茶らんぶる」なのである。


ここは普通の喫茶ではなく、すごい昭和のレトロ感満載で、ものすごい趣があるのだ。自分は好きだったな~。


もう何回利用したか覚えていないほど、星の数ほど通った。新宿に行ったときに自分が必ず寄っていたマイ・スィート・スポットのようなところだった。


廃業、閉店にならずにまだやっていたんだ!


そのSNS投稿を見たとき、これは行くしかない!!!

まさに自分の青春時代の思い出の場所。


自分の日記でこの「名曲喫茶らんぶる」のことを熱く語らないと絶対ダメであろう!意を決して行ってきた。新宿東口エリアにあるのである。


「名曲喫茶らんぶる」


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懐かしすぎる!!!

思わず自分は涙がつぅぅ~と頬を流れる。


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約200席の大きなフロア。高い天井から吊るされたシャンデリアに、赤いベルベットの椅子、大きな窓に見せかけたミラー…昭和レトロ感ただよう店内に、純喫茶ラバーなら胸が高鳴る。


この空間は、戦後、海外への憧れをもとに作られたんだとか。落ち着いたライティングのなか、日光が入らないせいか時間を忘れてゆったりとした時間を過ごすことができる。


名曲喫茶の名残を感じるノスタルジックな世界観である。


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名曲喫茶らんぶるは、東京都新宿区新宿三丁目にある喫茶店。店内でクラシック音楽を聴かせる名曲喫茶である。


喫煙可能な一階、全席禁煙の地下一階と地下二階という3つのフロアで構成されており、地下部分は吹き抜けとなっている。元々は音楽をじっくりと聴かせる営業形態であったが、現在ではコーヒーや軽食を提供し、BGMとして有線のクラシック音楽を流している。


3000枚を超えるレコードを保管しているがそれらをかけることはなく、客からのリクエストも受け付けていない。過去には昼と夜に「コンサートタイム」が開催されており、レコード係が選んだ曲やその月の新譜から構成される一ヶ月分のメニューに基づき、解説とともに音楽がかけられていたが、2006年の時点ではもう開催されていない。


旅行好きの創業者の趣味により、客船のような内装となっている。内装の豪華さから、映画・ドラマ等の撮影場所としての打診を数多く受けているが、「映像撮影で店を貸し切りにしてしまうと、久し振りに店を訪れた客を迎えられない」という理由で写真撮影以外は断っている。



とにかく新宿に「名曲喫茶らんぶる」あり!と言われるほど、超有名な喫茶店である。もういまはこういう喫茶店はありませんね。


正確には、こういう昔ながらのスタイルの喫茶店は、「純喫茶」といいますね。


行ってみると、喫煙可能だった一階は、もう使用不可になっていた。


自分はジャズ喫茶とか、レコード喫茶の昔ながらのスタイルがあまりに自分の性分に合わないな、と思うことがしばしばあった。あの煙草の煙もくもくで、お静かに!というあの雰囲気。みんな小難しそうな顔をしながら、静まり返って、じっと店内でかかっている音楽を聴いている、そして小難しいうんちく、能書きを論じ合う。


リクエストする曲はマニアックな曲が多い。ミーハーな曲をかけようものなら、大ヒンシュクを浴びてしまうようなプロフェッショナルな雰囲気。


音楽通でないとなかなか馴染みにくい、当時の硬派な音楽ファンの通い詰めたレコード喫茶。そういう雰囲気はさすが、とは思ったものの、なかなか自分の性格には合わないかなと感じていたところがあった。


第一他人がリクエストしている間、その他人の曲をずっと聴いていないといけなかった。あっこれいい曲だな、と参考になることも多かったけれど、やっぱり自分の好きな曲を好きなだけ聴いていたいフリーな空間が良かった。


ジャズ喫茶やレコード喫茶はオーディオマニア、オーディオファンにとっても神聖な場所であるから、このことはあまり大きく詳らかにはしなかったけれど、自分にとってそんな距離感であった。


でもあの雰囲気を憧れていたことももちろんあります。



自分が通い始めたとき、「名曲喫茶らんぶる」は、客からのリクエストも受け付けていたところは見たことがないし、そういうオーディオ機器のシステムも店内で見たこともなかった。


過去には昼と夜に「コンサートタイム」が開催されていて、レコード係が選んだ曲やその月の新譜から構成される一ヶ月分のメニューに基づき、解説とともに音楽がかけられていた。。。とかも自分が通っていたときは、すでになかったような気がする。



とにかく有線でクラシック音楽がBGMとしてかかっているだけなのである。それもとても控えめな音量で。だから連れ合いと来たときは、そのBGMがお互いの話の邪魔になるということはまずなかった。


話ができる喫茶店としても重宝していた。


あのアムスの友人ともここでよく談話したこともありましたよ。2000年頃だったかな?「2000年問題」についてお互い熱く語った覚えがあります。


2000年問題って覚えていますか?あるいは知っていますか?


西暦(グレゴリオ暦)2000年になるとコンピュータが誤作動する可能性があるとされた年問題である。懐かしいですね。結局誤動作起こりませんでしたね。(笑)


やっぱりこの店内の内装空間で、小音量の静かなクラシック音楽というのが、とてもセンスがよくて、自分は大層気に入っていたのだ。


とにかくこの地下から吹き抜け構造で、このなんともクラシックでレトロな昭和感満載の雰囲気。旅行好きの創業者の趣味により、客船のような内装とのことだが、じつにいいセンスしているなーと当時から思っていて、自分のお気に入りの喫茶店だったのである。



結局この喫茶店に出入りしていたのは上京した1987から2004年くらいまでであろうか。自分がこの喫茶店で鮮明に覚えているのは、あの当時インターネットやWi-Fiが普及していなかった頃だったからいまのようにカフェでノートPCで仕事をする、ということが不可能な時代だったんですよね。


で、どうしていたか、というともう紙、ペーパー。仕事の資料を印刷して、紙として持ち歩いていて、その紙資料を喫茶店なんかで読んで勉強していたのだ。自分は休みの日なんかに、たくさん仕事の資料を紙として印刷して持ち歩いていて、それを喫茶店の中で読んで一生懸命勉強していた。


この「名曲喫茶らんぶる」で鮮明に覚えているのは、当時の草創期のインターネット音楽配信と、デジタル放送とインターネットの融合。もうこれは当時の業界の熱いテーマでした。


この喫茶店でずいぶんこのテーマを紙資料で勉強していたなぁ・・・とくにインターネット音楽配信は、もう凄かったです。あのシステム図を一生懸命この喫茶店で勉強していた。いまでも鮮明に覚えています。


とにかくこの「名曲喫茶らんぶる」は懐かしすぎる!自分の青春時代のひとこまを飾る空間です。


BGMのクラシック音楽も大編成のオーケストラものというよりは、小編成の室内楽が多かったような気がします。本当に小音量で控えめで、お客さんの話のじゃまにならないような配慮がなされていた。


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ベートーヴェンの肖像画パネルもかけられている。1950年創業という長い歴史をもつ「らんぶる」。元が名曲喫茶ということで、店内のいたるところに著名な音楽家たちの肖像画が飾られている。


店内に流れるクラシックのメロディーに身を委ねていると、クラシカルな空間も相まって、とっても優雅な気持ちになってくるのだ。



昔は、ここでなにをオーダーして食べていたかなぁ~。

残念ながらよく覚えていないんだよね。


ケーキセットはよく頼んでいたのは覚えている。


いまでもありました。ちゃんとこのようにショーケースの中にケーキがディスプレイされているのです。


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お勘定するところ。レトロなアイテムもある。レジの横には、今では珍しいダイアル式公衆電話がある。昔からあるんだよね。


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あと、スパゲティーとか簡単な洋食メニューもあったような・・・


とにかくなんか頼んでみる。


行く前にネットで調べたら、いまの看板メニューは、「卵とツナのサンドセット」だとか。モーニングにはもちろん、おやつやランチにもぴったり。ビッグサイズのロールパンサンド2個にサラダとコーヒーが付く。


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こんなメニューは全然知らないなー。ウエイターさんに聞いたら7年前に出来たメニューだそうだ。そりゃどうりで知らない。


でもとても美味しかった。とくに驚いたのは、ロールパンがホッカホッカですごい柔らかいことだ。これは美味しいと思った。


新時代の看板メニューですね。


あと、あの頃の想い出として、やはりケーキセットを頼んでみた。今度は紅茶で。


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これも美味しかったです。


とにかく新宿の「名曲喫茶らんぶる」は、自分が忘れようにも忘れることのできない、新宿といえばこの喫茶店というくらい想い出深い場所なのである。


何十年ぶりかに行って懐かしかったです。というか、新宿に来たこと自体、かなり懐かしいのでは?


昔は、この喫茶店のすぐ隣にディスクユニオンがあって、ここでよくCDやレコードを漁っていたものでした。ここも自分のマイ・テレトリーでした。


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そうしたら、ちゃんとありましたが、もう閉店になっていました。ディスクユニオンは、いまは紀伊国屋書店の上階のほうに移転してしまいましたね。


本当にひさしぶりの新宿。東横線ユーザーになってから、新宿にはまず来なくなりました。


いま話題沸騰の新宿東口の3D巨大ネコ見てきました。本当に飛び出して見える~。(笑)


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