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映画「エルヴィス」 [映画・ドキュメンタリー]

世界で最も売れたソロアーティスト、エルヴィス・プレスリー。エルヴィスがいたからこそ、ビートルズやクィーンがうまれた。


まさにロックの元祖、キング・オブ・ロックンロールである。


そんな伝説の男。


じつは自分はあまりよく知らないのである。(笑)いやもちろんエルヴィス・プレスリーのことはよく知っているし、曲もよく知っているのだが、なぜか幼少の頃から自分のものになった、という感覚がなかった。


これはたぶんエルヴィスの動く動画、コンサートを観たことがないからだろう。なにがそんなに凄いのか、そのステージパフォーマンスを観たことがないからなんかビートルズのように夢中になれなかったということもあるのだろう。


自分はビートルズ世代である。それもリアルタイム世代ではなく解散後の1977年あたりにリバイバル・ブームになった第2次ブームである。


だからエルヴィスは、やっぱり自分より前の世代になってしまう。


今回のこの映画で字幕監修などで大きく関与されている湯川れいこさん曰く、海外のアーティストが日本に情報が入ってくるようになったのは、ビートルズの1964年あたりでした。それまでエルヴィス・プレスリーの時代は日本にはまったくその情報が入ってこなかったのです。


そんなエルヴィス・プレスリーの生涯を描いた映画「エルヴィス」を観てきた。


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これは衝撃であった。かなりショックです。


あれからおよそ70年後の2022年のいま、自分が観ても相当ショックなのに、1950年代の当時の人が、このエルヴィスのパフォーマンスを観たら相当ショックだったんだろうな、ということがよくわかる。


いままでのこの世にはまったくなかった新しいもの。


1950年代というと、表現は悪いけど、呑気なカントリーや片意地張らないお気楽なポール・アンカやニール・セダカのようなポップス音楽が大勢を制していた時代。そんな時代に登場したエルヴィスのロックンロールは、あまりに新しく刺激的で、異端児で、案の定、世の中から弾圧を受けてしまう。


いつの世でも新しいってそういうことだ。


映画「エルヴィス」を観るにあたって、音のいい映画館で観たいと思っていた。いつもは渋谷のTOHO CINEMAで観るのだが、今回はそこでの放映権がなかった。どこにしようか、悩んだが、久しぶりに立川まで行って立川シネマシティの極上音響上映で観ようと決心した。


ひさしぶりの立川シネマシティのシネマ2。


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記憶を紐解いてみると、いまから6年前の2016年に初めて体験しているんだね。いま改めて体験してみると、やはり巷での評判通り、サウンド、音響は素晴らしいと思う。


渋谷のTOHO CINEMAがすごいデッドで、音が濁っているように感じてしまうくらい。立川シネマシティは、響きがすごく豊富で音が澄んでいる、そしてなによりも重低音が身体中にズシン、ズシンと振動して入ってくる。まるでロックコンサート会場にいるみたいだ。うわぁ、これは渋谷とは問題にならないくらい音響いいな、と直感で思いましたから。


立川シネマシティって、本当にボロイというか、見かけは田舎の汚い映画館という感じなんですけどね。でもひとたび上映すると、その音に驚くという感じです。


立川駅の北口改札のところに美味しいうどん屋さんがあって、そこのカレーうどんが絶品に美味しかったので、そこ狙いで今後も立川に行ってみようと思います。


立川遠いですけどね。いまの自分の会社の1次面接をおこなった場所が立川でした。そのときが立川初体験。



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映画「エルヴィス」の中で、主役のエルヴィスがつぶやく言葉。


「ロックの原点は、やはりゴスペル(黒人霊歌)とR&B(リズム・アンド・ブルース)なんだよ。」


これはすごい重い言葉。エルビスが新しかったのは、この黒人音楽の要素を取り入れたから。黒人音楽というのは、白人では絶対出せないあの躍動感あるリズム感に、色気のある独特の音楽。


自分が子供時代のときも、当時の洋楽ロックシーンの歌手たちは、みんなこのR&Bに影響を受けていた人が大半だった。やっぱりロックは黒人音楽がルーツなのである。


自分も子供時代、自分が憧れていたロック歌手はみんなR&Bに影響を受けていた人ばかりだったから、自分でもR&Bってどんな音楽なんだろうということで聴いてみたかった。レコードを買いたかった。


でも当時はネットとかなかった時代で、子供でお小遣いも少なかったから、買えなかったんですよね。で、結局R&Bというのがどんな音楽なのか、ずっと知らないまま、でも知識ではよく知っている頭でっかちなロック少年としてずっと育ってきたのである。


それだけ当時のロックシーンの中で、R&Bの影響は大きかった。


幼少時代から、エルヴィスは、その黒人音楽に夢中になり、自分から進んで、黒人居住地の中に入っていって、黒人たちといっしょに黒人音楽に浸りながら踊る姿が映画では描写されている。


エルヴィスは幼少時代から黒人音楽にゾッコンだったのである。


あの黒人独特のリズム感に体をくねらせるダンス。あの独特のリズム感、態様が、後のエルヴィスの腰振りダンスとなってお披露目になるのである。


人種差別が平然とおこなわれていた時代。黒人だけのそういうスタイルの音楽を、黒人の社会だけで楽しんでいればそれで終わってしまっていたのかもしれないけど、それを白人であるエルヴィスが注目しマネて、白人の社会でお披露目することで、世の中に知らしめることになり、市民は驚き、大パニックになって、そしてあれは黒人音楽の模倣、よりによって黒人音楽なんてけしからんと弾圧の対象になっていく。


エルヴィスの腰振りダンスは、もう本当に凄いです。いま自分が観ても、すごい興奮するのに、1950年代の人が見たら、そりゃ驚いて大パニックになるよな、という感じです。いいか、腰は振るな、と弾圧。カメラでもエルヴィスの下半身は映さないようにしていた。


カントリーやポップスなどのお気楽な音楽が蔓延していたその時代にです。これは衝撃だったろうな、と思います。



この頃のエルヴィスの描写が一番勢いがあって格好良かったように思います。


結局、弾圧でエルヴィスは軍隊に入隊させられ、ドイツに赴任。その後映画スターを目指すも、いまひとつ。


この映画「エルヴィス」の素晴らしいと思ったところは、エルヴィスをここまでの大スターに躍進させたマネージャー、トム・パーカー大佐のことをとても詳しく描写しているところである。


これはある意味、いい意味でもあるし、後年、この大佐が、エルヴィスにとって人生の暗部となる点、双方においてである。


自分はこの大佐の存在を知らなかったです。エルヴィス・ファンであれば、すごく有名なマネージャーでよく知っている常識なんでしょうね。


人生の暗部を描くその内容は、このギョーカイ、よくあるあるなことだと思いましたが、かなり怖かったです。エルヴィスにこんな暗部があったなんて・・・。


ネタバレになるので、言いませんが、ぜひ映画館でご覧になってください。


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このトム・パーカー大佐を、なんと!トム・ハンクスが演じているんだよね。トム・ハンクスは、主人公、ヒーロー、2枚目スターを演じることが多いけど、まさかこんな悪役(?)を演じるなんて思いもよらなかったです。巨体の特殊メークで、すごい存在感。


主役エルヴィスに続く第2の主役です。じつにいい仕事しているな、トム・ハンクスにとって役者として新境地開拓だな、と思いました。このトム・パーカー大佐、かなり重要な役柄ですので、映画ではぜひ注目してあげてください。


あの有名なラスベガスのホテルショーなんかも詳しく描写されていて、素晴らしいです。


映画の尺としては3時間。正直観ていても、かなりボリュームがあって長いなと思ったことは確かですが、全然その長さを感じさせない、ロックショーらしいリズム感、テンポ感がいい、鳴っている音楽が心地いい、ロックファンならすごい興奮するような映画になっていると思います。



エルヴィス・プレスリーを演じているのが、オースティン・バトラーである。


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これが凄すぎる!!!

もう最高です!


クィーンの映画のときのフレディ・マーキュリーより全然いいと思います。(笑)よくこんな役者さん見つけてきたな~と思います。



「エルヴィス」を映画化するあたり、当然ながらバズ・ラーマン監督をはじめとする製作陣は、エルヴィス・プレスリーを演じるのにふさわしい、完璧な役者を見つける必要があった。そこで声質や仕草に加え、エルヴィスの繊細な内面も表現できる俳優を徹底的に探した。では、一体どのようにして監督はオースティン・バトラーという宝を見つけたのか?


すべてはオーディションとは無関係の動画を、オースティンが送ってきたところから始まった。「オースティンが涙を流しながら「アンチェインド・メロディ」を歌う録画テープを送ってきたんだ。その後すぐに知り合いでもなかったデンゼル・ワシントンから、売りこみの電話がかかってきた」と監督は「エンターテイメント・ウィーリー」で明かしている。


ブロードウェイの舞台「氷人来る」でオースティン・バトラーと共演したデンゼルは、「この若者と舞台で共演したが、彼のような仕事ぶりは見たことがない」とオースティンを電話でベタ褒め。このデンゼルの言葉に後押しされて、バズ・ラーマンはオースティンと会い、現在に至るというわけだ。


・・・これが事の真相だそうです。


このエルヴィスの役を勝ち取ってからというものの、本物のエルヴィスになり切って、どんな細かいステージ動作、アクションに至るまで徹底的にエルヴィスを研究しつくしたそう。


驚くべきことに、若かりし頃の粗削りなロック&パンク的サウンドをかき鳴らす1960年以前のエルヴィスの歌唱シーンは、すべてオースティン・バトラー本人が歌っているのだ。


しかし、エルヴィスの声は年月とともに大きく変化しており、そこをはっきりと見せなければならなかったため、1960年以降のシーンは「時折オースティンとエルヴィスの声をミックスさせている。だが、後半の力強く象徴的な歌唱シーンは、エルヴィス自身の声でなくてはならなかった」とバズ・ラーマン監督は語っている。


でもあの歌唱と腰振りダンス、あまりに完璧でした。


この映画があまりにリアルで、観客にグッとくる印象があるのは、すべてこのエルヴィスを演じたオースティン・バトラー本人によるところが大きいと思う。自分のようなエルヴィスを知らない世代に、本物と間違うかのようなリアル感、実体験をさせてくれたといって過言ではない。



エルヴィスの人生に大きな影響を与えたように、元妻プリシラ・プレスリーは本作にも欠かせない存在となった。「エルヴィス」製作が発表された当初プリシラは、この企画に対し「とても神経質になっている」と公言し、オースティン・バトラーがはたしてエルヴィスの代わりになるのか、疑心暗鬼な態度をとっていたそうだ。


しかしオースティンに元夫の物まねを求めていなかったプリシラは、今作の製作に協力。エルヴィスが愛したメンフィスの家「グレイスランド」でオースティンと向き合っただけでなく、バズ・ラーマン監督やトム・ハンクスと何度も会話を重ねる中で、エルヴィスやトム・パーカー大佐がいかなる人物だったかという、キャストや製作陣にとっては貴重な生きた情報を提供し、映画に奥行きを与えたのだそうだ。



映画の中では、実際大観衆の中でエルヴィスがコンサートをする様子も何度も映し出され、しかもロックコンサートである。女性ファンの絶叫、お互い体をくっつけあい、ひしめいている感じ、もうぎゅうぎゅうである。


コロナ禍のときに撮影されたそうだから、もちろん撮影中止になった期間もあったそうで、本当によくこんな映画がこの時期に作れたな、と驚くばかりです。


自分は、この映画を観て、ようやくエルヴィス・プレスリーを自分のものにできた、という感覚になれたと思います。


エルヴィス・プレスリーの伝記を知る映画は過去にもあったようですが、本作は文句なしのこれさえあればエルヴィス・プレスリーのすべてがわかる1本だと確信します。











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東京2020オリンピック SIDE:A SIDE:B [映画・ドキュメンタリー]

すべてが異例だったオリンピック。

あの夏、私たちは何を経験したのか。


アスリート側の視点で描くSIDE:A

アスリートを支えた側の視点で描くSIDE:B


東京2020オリンピックの公式記録映画である。


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自分は、SIDE:Aは初日公開の6/3、SIDE:Bは2日目の6/25に渋谷の映画館に観に行った。客入りは、SIDE:Aで3人、SIDE:Bで9人だった。


たしかに寂しいものがあって、映画でも無観客であった。(笑)


興行的に大失敗で、あまりに客が入らなく、五輪だけでなく、「映画も無観客上映」と揶揄されていたりする。そして映画評も片っ端から酷評ばかりである。



それでも忌憚なく自分の意見、感想を言わせてもらうならば、自分的には近来に稀にみる大傑作の公式記録映画であった、という大絶賛である。


日本って同調圧力の国。記録的大コケになると、褒めている記事はほとんどない。なぜ大コケなのかを理論付けている評論ばかり。そしてたたみ掛けるようにこれでもかというくらい酷評を続ける。


自分が評論家に向いていないと思うのは、感動したストーリー、事象に対してそれなりの1本の芯・考察を通すことだ。今回の論評をひと通り読んでみると、なんでこんなにひねくれて物事を考えるかな~、深読みし過ぎじゃないの?もっと素直に受け止められないのかな~と思ってしまう。


興行的に大コケという結論がまず先にあるから、映画の内容論評も悪い方向、悪い方向に持っていこうというような論法操作があるように感じる。もしこれが反対ならたぶん論評もその逆方向だろう。


たぶん自分の性格からして、もっと単純で、単細胞なので評論家稼業には向いていないことは間違いない。


その中でなぜ興行的にうまく行かなかった理由として、なんとなく自分が考えるのは、やっぱり東京2020って大変だったじゃないですか。いままで誰もどの国も経験したことのないような試練。


まずはなにがあってもコロナ禍、これがなによりも1番痛い。そして公式エンブレムの盗作疑惑や新国立競技場の建築費高騰、さらに大会組織委員会の会長・森喜朗氏の女性差別問題、開会式の音楽担当・小山田圭吾氏がハラスメントで辞任・・・これでもか、とあまりに試練が多すぎた。


開会式の1週間前でも開催反対80%だったくらい。やっぱり国民の中で、国民全体でオリンピックに対しての負の感情、もうたくさん、勘弁というイメージが根強く残っているんじゃないかな。


そんな経緯がある。それを国民はみんなよく知っている。だから今さらお金を払って楽しい気分でそうだった五輪の映画を観に行こうという感じにはならなかったのじゃないのかな。


そして公式記録映画だから、政府の五輪美化の映画だと思われたんじゃないかな。


べつに変な誇張などなく五輪美化でもない、事実をありのままに伝えている。


自分は大変感動したし、素晴らしい映画だと思う。興行成績とか巷の論評なんてまったくあてにならないと思う。


同調圧力なんかに負けないで欲しい。そんなものに影響を受けて損をするのは自分である。見た人がどう感じるかどうかだと思うのである。


自分は同調圧力には負けない。自分はこの映画大絶賛である。


特にSIDE:Bが素晴らしい!SIDE:Bはたぶんもう1回映画館に観に行くと思う。


1964年の東京五輪のときは、オリンピック開催は、戦争敗戦後の高度経済成長期の象徴だった。そんな祝祭性もあって、国民全体として、その公式記録映画は大ヒットした。


でも今回の東京五輪は、その当時とは状況、様相がまるっきり違う。国民感情、そういった映画としての祝祭性という色合いは出せないけど、きちんと後世に記録を残すという公式記録映画としては最高作品で、後世に残る優れた素晴らしい作品なのではないかと思う。


コロナ禍真っ只中の大変だった舞台裏、いかに大変だったか、裏方みんないかに苦労していたのか、そんな我々国民が知らなかったような状況も、いっさい包み隠さず、すべて詳らか、描写している。自分はこの舞台裏のSIDE:Bを観て、もうとても感動してしまった。


アスリート側の視点で描くSIDE:Aは、圧倒的に外国のアスリートの方々を取り上げているのが素晴らしいと思った。大会中は日本のメディアはもう情けないくらいの内弁慶で日本の選手しか取り上げず、海外の選手は皆無。メディア、報道のスタンスとしていかがなものか、という問題提起もあったくらいである。


公式記録映画だから、政府、東京都から許可をもらえるのだろう。普通の取材ではとても入り込めないような内部の会議の貴重な映像もたくさん御開帳だ。そこではまさに未曾有の試練続きの緊迫度の連続が伝わってくる。


ドキュメンタリーとしては最高に美味しいのではないか。


普通のジャーナリストが入れないような競技場のトラックの中での撮影も許されているので、とにかく音の臨場感が半端なく生々しい。素晴らしい音だと感じた。



これはまさに立派な公式記録映画として最高の役割を果たしていると思うのである。


この映画ドキュメンタリーは、日本というより欧米を意識していることは間違いないと思う。ドキュメンタリーの手法が極めて欧米的である。


1番そう思うのが、特にSIDE:Bでの各人のインタビューを細切れに編集して繋ぎ合わせる手法だ。これは完全な欧米スタイル。


昔、2010年頃クラシックのドキュメンタリーでこういうインタビューを短く繋ぎ合わせる手法が盛んに試みられ、頻繁に観た。自分にとってカルロス・クライバーのドキュメンタリーが初めての体験である。ゴローさんから教えてもらった。これって欧米スタイルのドキュメンタリーの作り方なんだよねって。


そしてもうひとつがナレーションをいっさい入れないことだ。ひたすら当事者のインタビューと映像だけで物語を繋いでいく。ナレーションがないと、なんかこう重み、シリアスが増してドキュメンタリーとしての真実性が深まるような気がする。まさに「静」の物語である。欧米のドキュメンタリーではこういうナレーションがないのが普通である。


作品の作り方が非常に社会派的なアプローチで欧米スタイル。これはひとえに河瀨直美監督のカラー、目指していたところなのだろう。


ということで、世間の酷評、バッシングにはいっさい無関心で、自分はこの映画はもう全然大傑作だと思ったのである。




SIDE:Bを渋谷の映画館で観終わった後、かねてより行きたいと思っていた新国立競技場に直接行ってみたいと思ったのである。まさに映画のこの興奮のるつぼの状態でいままさに観るのが1番だろう。


東京2020の主戦場、舞台だからである。


お恥ずかしながら、五輪大会中は結局自分は足を運べなかった。あれから1年、ようやってこうやって訪れることができる。


自分が行きたかったのは、このアングル。


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五輪のモニュメントが置かれているこのショットである。このモニュメントは、大会中はひとつの観光客の記念撮影の場所でいつも劇混みであった。


都営大江戸線で国立競技場で下車。すぐそばに立っている。


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もう圧倒された。あたりまえだけど、本当に大きい。1周しようと思ったが、もうメチャメチャ大変であった。しかもこの日は記録的な灼熱の夏日であった。



開会式の聖火台も展示されていた。


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こんなモニュメントの銅像もある。


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でも大きい競技場を1周しながら、あの五輪のマークのモニュメントがいつまで経っても現れないのである。おかしいな~~~と思いながら。ついにInformation Staffに聞いてみた。


そうしたら、そのモニュメントは、この競技場ではなく、道路を挟んであの黒いビルの下にあると言われてしまった。


そうだったのか!!!


あの五輪のモニュメントは、この新国立競技場の敷地エリア内にあるのではないのか?テレビや写真では敷地内にあるように見えたのだが。。。


ひょっとしたら、東京五輪が終わって、新国立競技場は五輪とは関係なくなるので、モニュメントだけが移動になったか?


言われた通り、道路を挟んで隣のビルに行ってみた。そうしたらあった!


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こんな感じで鎮座していました。


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そして、これがお決まりの新国立競技場をバックに五輪モニュメントの撮影するアングルである。大会期間中は、このモニュメントはいつも大混雑で記念撮影する人でいっぱいであった。


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いまは、あの頃の喧騒なんてまるでなかったように、もの静かに佇んでいる。自分は1句詠みたい気分になった。


「夏草や兵どもが夢の跡」


かつてこの地で世界中の戦士たちが戦いを繰り広げていたのである。いまはまるでなにごともなかったように噓のように静かに佇んでいる。じ~んと来てしまい自分は言葉にならなかった。そう詠まざるを得ない気分だったのだ。


ここまで来たらどうしても寄りたいスポットがあった。それはこの新国立競技場そばにあるラーメン屋さんのホープ軒である。


正確にはホープ軒 千駄ヶ谷店である。


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あの開会式の夜、開会式が終わったのは午前0時ころ。そうしたらもう夜中である。みんなお腹ペコペコである。


そのときにここらで開いている食べ物屋さんといったら、ここのホープ軒のラーメン屋さんくらいしかなかったのである。そして開会式を観たさに、新国立競技場の周りにかけつけていた市民が、いっせいにこのホープ軒に詰めかけたのである。


当時はソーシャル・ディスタンスといって、客間のスペースとかうるさかった時代。そんなときにこんなにひとつのお店にギュウギュウに詰めかけたら、そりゃ問題だろう!ということで超話題になった。



まさに開会式の夜。劇混みになり有名になったホープ軒である。


そのホープ軒でラーメンを食べたくなった。ホープ軒、千駄ヶ谷店は新国立競技場のすぐ傍にあった。

そう!そう!ここである。


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向かいは、こんな感じで、目の前に新国立競技場がそびえ立っている。


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1階は立ち食いエリア、2階はふつうに座って食べれるような場所になっていた。ここで、自分はチャーシューメンを選んだ。


これが開会式の夜、一躍有名になったホープ軒のラーメン。


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とんこつの臭みがちょっと気になる感じだが、そこそこに美味しかったと思う。あの頃、みんなコロナ禍の真っ最中にギュウギュウになりながら、このホープ軒のラーメンをほうばっていたんだな、と思い、感慨深く思いました。


東京2020オリンピック。

我々に様々な想い出を残し疾風のようにかけぬけていった。


すべてが異例ずくめだったオリンピック。あの夏、私たちはなにを経験したのか。


あの年の閉会式の3日前。


自分は脳梗塞で救急車で搬送され入院。大変な闘病生活の2か月間を過ごしました。まさに歩くことはまったくできず、車いすから立ち上がることすらできなかった毎日。まったく歩けなかった。一生自分は車いす生活。自分の人生もこれで終わったな。この事実を自分の中でどうやって受け入れるか・・・悲しみと失意のどん底にいた。


せめて最寄駅からコンサートホールまではなんとか自分の自力で歩いて行けるようになりたい。コンサート通いはなんとかぜひ復活させたい。


そんな夢をいだきながら、リハビリのスタッフと毎日きついリハビリに励んでいた2か月だったのだ。



あの年の夏は一生忘れられないです。







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