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マシュ・ケ・ナダ [音楽雑感]

最近ハマりにハマっている曲で紹介したいのがこの曲。


マシュ・ケ・ナダ



これは1度聴いたら完璧に中毒。何回も繰り返して聴きたくなる、そんな中毒性のある。おもわずツボに入り込んだ感じで、たまらん!という感じです。


まさに昭和そのもののメロディ、平成を飛び越えて昭和はすごい古くなってしまったけど、この昭和でないと醸し出せない旋律というのがあるんですね。


メロディを聴いたら、これはとても令和、平成では無理だ。この時代には絶対生まれてこない旋律。昭和だからこそ、昭和の1960~1970年代だからこそ出せる格好良さ、そういうイカした雰囲気がある。


でもそういう旋律をいま聴くと、逆になんかとても新鮮ですごくカッコイイんだよね。


いまこの曲にもうハマりにハマっています。


マシュ・ケ・ナダはボサノヴァです。


「マシュ・ケ・ナダ」(Mas que nada) は、ブラジルのシンガーソングライター、ジョルジ・ベン作曲のボサノヴァの楽曲。


曲名の意味は、納得できない事に対して「ありえない!まさか!なんてこった!やなこった!勘弁してくれよ!」と不満を口にするポルトガル語の表現。


なんか妖気漂う怪しさがあって、これがじつにカッコいいんだな。

この旋律に自分はイチコロにやられました。


この独特の妖気漂う怪しいカッコよさというのは、昭和という時代だからこそが生み出したものというよりは、ブラジル音楽、ボサノヴァがもつ独特の音楽としての造形美なんだろうと思ってきました。自分はそれにやられたんだと思う。


ボサノヴァもちろん大好きだけど、普段そんなに毎日あまり聴かないからね。

自分にとって新鮮だったんだと思う。


ジョルジ・ベンの作品として、ブラジルにて1963年にコンチネンタル・レーベルからシングルとして発売された。その後、フィリップスから発売されたベンの初アルバム『Samba Esquema Novo 』(サンバ・エスケーマ・ノーヴォ、訳:サンバ新体制)に収録。ブラジル国内で2か月で10万枚を越すヒットとなる。



これです。


ジョルジ・ベン.jpg



これはいかにも古いブラジル音楽、伝統的なボサノバそのもの、そんな直球勝負な感じである。自分は、この曲がなんとも中毒性があって妖気漂う怪しいカッコよさと感じるのは、おそらく後世のカバー・バージョンを聴いてからだと思う。カバーというのは本当に素晴らしい。カバーのほうがオリジナル、原曲よりいい、というのはここにありますね。カバーがその曲のいろいろな可能性を拡げてくれる、そんな想いがします。




1966年に、セルジオ・メンデスのアルバム『Sergio Mendes & Brasil'66 』に収録された女性コーラス入りのカヴァーが大ヒットし、世界的に有名になる。このヒットでセルジオ・メンデスが世界中の様々なジャンルの音楽ファンに知られるところとなる。このバージョンは2015年にトヨタ自動車のコンパクトミニバン「シエンタ」のCMソングに使用された。


これです。


セルジオ・メンデスとブラジル'66.jpg



マシュ・ケ・ナダが世界的に大ヒットしたきっかけが、このセルジオ・メンデスによるカバーでした。リズムからアレンジからいかにもブラジルってな感じで、アップテンポのボサノバという感じである。女性コーラスがリードボーカルを取っていて、これがカッコいいんだな。ブラジル語でしょうか・・・。


格好良すぎる。

この格好良さは、1966年じゃないと出せないんだよね。令和や平成じゃ無理だと思う。


ハナ肇とクレージーキャッツの シングル、 アッと驚く為五郎は、セルジオ・メンデス&ブラジル'66による「マシュ・ケ・ナダ」の影響を受けたとされる。



小野リサとDJ TAROのマシュ・ケ・ナダ


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これがまたいいんだな。小野リサさんは、ブラジル生まれの日本人ボサノヴァ歌手。ブラジル音楽が好きな父がライブハウスを経営しようと1958年に渡伯。サンパウロで「クラブ一番」という店を営んでいた両親の下、ブラジルで生まれる。日系ブラジル人の幼稚園に通い、日本とブラジルの音楽両方に囲まれて育つ。


2013年、ブラジル音楽への献身と日本でのボサノヴァ普及の功績に対し、ブラジル政府からリオブランコ国家勲章の叙勲を受けている。


まさに日本のボサノヴァの第一人者、重鎮のような存在ですね。

一度コンサート行ってみたい、とずっと思っているんですね、昔から。


その小野リサさんのマシュ・ケ・ナダも素敵なんですな。スローテンポで、これぞ、まさにボサノヴァという感じで、リズムの切り方といい、歌い方といい、雰囲気といい、まさにボサノヴァそのものというアレンジである。でも新しい近代のサウンドという感じがします。ジョルジ・ベンのような原曲のコテコテのブラジル音楽、ボサノヴァというより、もっと今風に新しく洗練されたアレンジのボサノヴァです。結構ゆったり系のスローテンポです。ブラジル雰囲気たっぷりです。



由紀さおりのマシュ・ケ・ナダ


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この曲において、自分にとって、最大の衝撃だったのがこのカバー。自分はこの曲のカバーでこれが一番好きです。これが最高にカッコいいと思います。これはもうボサノヴァではないです。もう完全に日本の歌に変更されています。もちろん日本語で歌っているんですが、音楽のジャンルとしては何になるのであろうか。ちょっと思い出せないくらい中庸な立ち位置で、独特の存在感があります。


ものすごいアップテンポで疾走感があることが、この妖気漂う怪しさのメロディによく合っていてじつにカッコいいんだな。それに由紀さおりさんの美声がよくフィットしていてたまらん、という感じです。


これは、2011年に世界中で大ヒットしたピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』の中に入っています。


このカバーにはかなりハマって、1日中リピートして聴いていたこともあります。

いまもかなりヘビロテで聴いています。



江部賢一のマシュ・ケ・ナダ


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江部賢一さんは、クラシック・ギターを鈴木巌に師事。ヤマハ・ネム音楽院でジャズ・ギター、理論、アレンジを学ぶ。さまざまなジャンルで音楽活動を行ない、ギターのアレンジ集も多数出版されている。


江部賢一さんのマシュ・ケ・ナダはこの得意のクラシック・ギターでアレンジしたインストルメンタル・バージョン。つま弾かれるクラシック・ギターの音色がじつに落ち着いた静謐な美しさで、この曲のもうひとつ別世界の違ったイメージを作り出していて、とてもいいと思います。




サパトスのマシュ・ケ・ナダ


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木村純 Jun Kimura(guiter) ブラジル系グループのギタリストとしてライブ、コンサート、レコーディング等をこなし、数多くのCMに音楽提供をして、2001年度放送広告審査会(ACC)の銅賞(資生堂)とACC賞(松下電器)をダブル受賞。ボサノバギタリストとしての参加アルバムは多数に及ぶ。


これはカッコいいですね。アップテンポでかなりカッコいいアレンジです。自分は由紀さおりさんに次いでカッコいいと思います。数多くのCMに携わっていらしてきているので、あの数分の短い時間にいかに視聴者の心、耳を瞬時に掴むか、というキャッチーなアレンジに長けているというか、そういうセンスを感じますね。


これはかなりカッコいいと思います。


そして最後に、


ザ・ピーナッツのマシュ・ケ・ナダ


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ザ・ピーナッツって知ってますか?(笑)

まさに我々の昭和の世代を代表する双子のデュオでした。


うりふたつの見分けがつかない双子をアイドル、歌手にして売り出そう、という戦略は誰が考えたものなのでしょうか?


当時の一世を風靡していました。自分も子供の頃、家のテレビで歌謡番組で、ザ・ピーナッツが歌っていたのをリアルタイムでよく見ていました。


いまでもはっきり覚えています。


怪獣映画での”モスラー~~~や”はよく覚えている。懐かしすぎる~。(笑)


そんなザ・ピーナッツですが、マシュ・ケ・ナダのカバーを歌っているのです。


これはSpotifyでは検索しても出てこないのですが、YouTubeに上がっています。聴いたら、オォォォオオオ~、まさにピーナッツの声だ~。もう50年以上も昔の子供の頃なのに、はっきり脳裏に焼き付けられているデュオ、伊藤エミ、伊藤ユミの双子の声。間違いない。涙が出てきました。


ザ・ピーナッツがカバーするマシュ・ケ・ナダは明るい張りのある歌い方で、ちょっと演歌みたいにこぶしが回ってますね。(笑)でもいかにもピーナッツの歌です。なかなか素晴らしいです。


ザ・ピーナッツは、オー・シャンゼリゼもカバーしてます。YouTubeに上がってます。





ブラジル音楽、ボサノヴァ、もちろん大好きだし、いい音楽だと思うけど、生身の人間である自分にはやはり容量がありますね。なかなかすべての音楽を全部消化しきれないです。


でも、このマシュ・ケ・ナダをきっかけに、ブラジル音楽、ボサノヴァにも興味がシフトして、いろいろ聴くようになればいいと思います。









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オー・シャンゼリゼ [音楽雑感]

パリのシャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées)は、パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われている。


パリといえば凱旋門、その凱旋門を西から東にまっすぐ直線で突っ走る大道路である。凱旋門のところは、シャルル・ド・ゴール広場、そして東のコンコルド広場、ここまでを大直線で結ぶ大道路である。

まさに世界でもっとも有名な通りであり、もっとも美しい通りである。華のパリといったら、まず真っ先にこのシャンゼリゼ通りのことを思い起こすのは間違いない。


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懐かしすぎる~~~。(笑)

もうここにどれだけの想い出があるか。。。


シャンゼリゼ通りをまっすぐコンコルド広場に向かって行って途中に右折したところにシャンゼリゼ劇場があります。響きがデッドな(笑)もともとはオペラハウスです。


そして、凱旋門のところからは、サル・プレイエルにも行けます。昔は、パリ管弦楽団のフランチャイズ・ホールでしたが、フィルハーモニー・ド・パリが出来てからは、とくにクラシックとは限定しないマルチユースな使い方をされているようです。ショパンが愛したプレイエル・ピアノの展示ルームがありました。

またぜひ行きたいです。


凱旋門からコンコルド広場までは、地図で見るとそんな距離はないような感じがしますが、実際歩いてみるとかなり歩きます。でも自分はよく歩いたんだな。(笑)いま、自分はシャンゼリゼ通りを歩いているんだ、という実感を味わいたいために、この一直線をよく歩いて楽しみました。途中セーヌ川とエッフェル塔も見えます。


コンコルド広場には、自分がパリに来たときに定宿にしていたホテル(ちなみに典型的なコンチネンタル・ブレックファーストでした。)があって、ここはそのままコンコルド広場で楽しめてそのままルーブル美術館やオルセー美術館も近いし、またパリ・オペラ座ガルニエにも行ける。

そして、そこからメトロで凱旋門まで一直線だし、またお天気のいい日は、シャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩いていくのです。


シャンゼリゼ通りには、もう高級ブティックが立ち並び、いかにもファッションの街フランスらしいお洒落な雰囲気を醸し出しています。


シャンゼリゼ通りには、昔フーケッツという老舗のカフェがありました。

パリの4大カフェのひとつです。


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まさに世界の俳優さんや著名人たちが愛した歴史と伝統のあるカフェでしたが、なんと!4年前の2019年にパリ市民の暴徒で放火されてしまいました。(笑)「黄色いベスト」デモでしたね。なんたる暴挙!開いた口がふさがらなかったです。


あれからこのフーケッツ、再興されたのでしょうか・・・

ネットで調べてみたら、無事修理完了で再開されているようですよ。それも事件のあった2019年度中にですね。全然知らなかったです。でもよかったです。


自分はシャンゼリゼ通りというと、どうしてもこのカフェ・フーケッツを思い出します。凱旋門から歩いてすぐのところにあって、なぜかパリに行く度に、このカフェの前を必ず通ることがすごいパリのイメージとして自分の脳裏に焼き付いています。パリのカフェは、店内よりテラス席がいいですね。お天気のいい晴れた日に、テラス席で楽しくゆったりしているパリ市民の姿は、まさにパリの風物詩といっていいです。”ブロンド美人はサングラスがよく似合う。”まさにそんな風景が広がっています。


自分もこのカフェ・フーケッツに入ったことありますよ。以前日記でも紹介しましたが、すごいメニューのお値段がお高いので、ゆで卵を頼んだ記憶があります。(笑)でもちゃんとゆで卵立てに1個だけちょこんと乗っかっているサーブのされ方です。


そんな想い出いっぱいのパリ・シャンゼリゼ通り。

このシャンゼリゼ通りのことを歌った有名な曲があります。


オー・シャンゼリゼ


もうこの曲、日本でも大ブームになって、そのメロディを聴いたら、あ~あの曲!と、誰でも知っている有名な曲ではないでしょうか?もちろん世界中で大ヒットして、ほんとうにたくさんの歌手によってカバーされてきたスタンダードな名曲となりました。


ある日、なんか、無性にオー・シャンゼリゼが聴きたくなって、Spotifyで聴いてみたら、例によっていろんなカバーバージョンが選曲できるので、いろいろ聴いてみると、もう大感動!あまりに素敵すぎ。しかしいい曲だな~。名曲ですね。


いろいろなカバーが、これまたそれぞれの個性、アレンジがあってとてもグーなのです。みんなイケているのです。以来、ここず~っと自分の中ではオーシャンゼリゼ、かなりマイブームです。



「オー・シャンゼリゼ」(フランス語: Les Champs-Élysées)は、パリのシャンゼリゼ通りをモチーフとした歌曲。フランスの歌手ジョー・ダッサンの楽曲として1969年に発表されました。


邦題の「オー・シャンゼリゼ」はフランス語で「シャンゼリゼ通りには」、「シャンゼリゼ通りで」を意味する歌詞「aux Champs-Élysées」に由来していて、発音は”オ・シャンゼリゼ”となるそうです。


オー・シャンゼリゼの原曲は英語で書かれた楽曲「ウォータールー・ロード(Waterloo Road)」であり、イギリスのサイケデリックバンド・ジェイソン・クレストの4枚目のシングル曲として1968年に発表された。ジェイソン・クレストのプロデューサーであったフリッツ・フライヤー(2007年死去)が彼らの作曲能力に限界を感じて、ザ・フォー・ペニーズ(英語版)のマイク・ウィルシュ(Mike Wilsh)とThe Jugular Vein のマイク・ディーガン(Mike Deighan)が作った曲の権利をビートルズのアップルレコードから買い戻して提供したものである。


この楽曲に、フランスの作詞家ピエール・ドラノエがフランス語の詞をつけたのが『オー・シャンゼリゼ』である。原曲はロンドンの「ウォータールー通り」を舞台としていたが、フランス語訳の際にパリのシャンゼリゼ通りに差し換えられた。これは、ウォータールー(ベルギーのワーテルローの英語読み)はフランスがイギリスに敗れたワーテルローの戦いの戦場と同名であり、フランスではそのままでは発売できないためである。


自分はこの事実を知ってびっくり!ウォータールー、Waterloo!

オー・シャンゼリゼの原曲がウォータールー・ロード、Waterloo Roadだったとは!


ウォータールー、Waterlooは、もう自分にとっては人生で忘れることのできないイギリス、ロンドンの街である。


懐かしい郷愁漂うわが青春の街、ベージングストーク、Basingstokeから毎週末、土日になると、マイカーでモーターウエイM3を1時間くらい突っ走り、そのままロンドンに出るところがウォータールー、Waterlooなのであった。そこからピカデリーサーカスにいったん出て、自分のロンドン遊びが始まるのである。遊び終わると、またピカデリーサーカスからウォータールー経由でわが街に帰っていく。それをずっと繰り返していた。


ウォータールー、Waterlooには、ロンドン・フェスティバル・ホールがありますね。2016年にときにロンドン再訪したときに行ってきました。

懐かしかったです、ウォータールー、Waterloo。


そんなオー・シャンゼリゼの原曲となった「ウォータールー・ロード(Waterloo Road)」。


これですね。


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さっそく聴いてみました。

イギリスのサイケデリックバンドなので、あの当時のあの雰囲気ありありです。サイケデリックそのもの。


サイケディリックってわかりますか?


あの頃のロック・ミュージックはドラッグとは縁の切れない世界でした。

LSDなどの幻覚剤によってもたらされる心理的感覚や様々な幻覚、極彩色のグルグルと渦巻くイメージ、そんな世界がサイケディリックです。この感覚は当時のロックを世代的に体感した人でないとなかなかイメージ湧きにくいかも。あのなんともいえない退廃的な雰囲気、ムードというか。。


でもいざ聴いてみると、オー・シャンゼリゼなのです。(笑)まさにひとフレーズも違うことなく完璧にオー・シャンゼリゼなのです。で、肝心のサビの部分が、ウォータールー・ロード(Waterloo Road)として歌っているのです。


だから後世に伝えるに至って、編曲なんかいっさいしていないという感じです。

原曲はそのままオー・シャンゼリゼそのものでした。


でも曲の雰囲気は、サイケディリックなのです。(笑)

しかもサイケデリックな野郎たちが歌ってます。(笑)


お洒落なパリのシャンゼリゼ通りの歌曲「オー・シャンゼリゼ」が、じつはイギリスのサイケデリックバンドの曲が原曲だったとは!


しかも似ても似つかないその両者。

面白過ぎる!



その後に、フランス在住アメリカ人の人気歌手ジョー・ダッサンがアレンジして、1969年に自らのアルバムに加えて発表しました。シングルカット版はベルギーのワロン地域のチャートで最高4位となったほか、多くのヨーロッパの国でチャート入りした。


ジョー・ダッサンの日本でのシングル初版は「シャンゼリゼー」のタイトルだったが、すぐにタイトルを「オー・シャンゼリゼ」としジャケットも変更して再発売している。


これですね。


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これが、いわゆる「オー・シャンゼリゼ」としての最初のリリースになったのでした。「オー・シャンゼリゼ」は、フランスの歌手ジョー・ダッサンの楽曲として1969年に発表されたのが始まりだったのです。


男性のぶっとい声で、武骨な感じで歌い上げる感じでお洒落な雰囲気とは全然違う世界ですが、フランス語なんで、なんとなく雰囲気はそれなりに出るもんなんですね。これがオリジナルか~そんな印象でした。



日本では、1971年に発売されたダニエル・ビダルのレコードがヒットしました。


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ダニエル・ビダル(1952年6月27日 - )は、モロッコ生まれのフランスの女性歌手。1970年代前半に日本で活躍したことで知られる。ダニエル・ビダルが歌う「オー・シャンゼリゼ」は、日本語ともうひとつのフランス語のチャンポンで歌います。


これは、まさに「オー・シャンゼリゼ」ですね。「オー・シャンゼリゼ」のオリジナルのイメージはこの曲が原型と言ってもいいのではないでしょうか。


ボンジュール~アンニュイなパリのイメージ、当時の1970年代のあの雰囲気の伴奏。ハイカラという言葉が似合うようなあの時代の精一杯のオシャレ感覚。


1970年代だな~という感じのオー・シャンゼリゼです。



そして越路吹雪さんの「オー・シャンゼリゼ」です。


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これも日本で、この曲を有名にしたひとつのきっかけになりましたね。越路吹雪さんのあの独特のカラーで見事に自分の曲としてアレンジされてます。もちろんオール日本語で歌ってます。訳詞は岩谷時子さんがやられています。


南沙織さんも「オー・シャンゼリゼ」をカバーしています。


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南沙織さん知ってますか?(笑)

我々の世代、昭和の代表的なアイドルでした。


南沙織さんが歌う「オー・シャンゼリゼ」は、溌溂とした若々しいアレンジですね。越路吹雪さんが、昭和初期のシャンソンっぽいだったのに対して、一気に昭和アイドル時代のど真ん中の勢いのあるアレンジになりました。




またレイモン・ルフェーブルがイージーリスニングにし、世界的にヒットしました。小中学校の音楽の時間に取り上げられたり、たびたびCMにも使われたりもしました。


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レイモン・ルフェーヴルはフランスの編曲家、指揮者、作曲家、ピアニスト、フルート奏者などいろいろな顔を持つ多才な人でしたが、イージーリスニング界の第一人者として有名。特に日本では、キングレコードを発売元としていた時期に、ポール・モーリアの「ラブ・サウンドの王様」に対して、「ラブ・サウンドのシャルマン」がキャッチフレーズとして使用されたことで有名になりました。


そんなイージー・リスニング界の第一人者が編曲する「オー・シャンゼリゼ」。これが世界的にヒットしました。とても優雅で、でもちょっとした躍動感もあって、パリの気だるい色気というよりは、もっと明るい元気な感じのアレンジでした。正統派という感じですね。



オー・シャンゼリゼは、もともとはイギリスの曲であるが、シャンソン及びフレンチポップスであるかのイメージが根強くあり、特に日本でフランスの歌として大ヒットしたため、長年シャンソン若しくはフレンチポップスとして扱われてきたのである。


もうちょっといろんなカバーを楽しんでみます。

Spotifyはとても便利です。




クレモンティーヌの「オー・シャンゼリゼ」


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クレモンティーヌ(1963年 - )は、フランスの歌手。1988年にシングル「アプソリュマン・ジャズ」をリリースしてデビュー。歌手として多くの音源をリリースするほか、NHK Eテレ『テレビでフランス語』の毎月最終週に放送されている「Divertissement」に出演するなどしている。


このクレモンティーヌの歌う「オー・シャンゼリゼ」が自分は一番のこの曲のイメージにぴったりだと思います。もちろんフランス語で歌っていて、優しくソフトなシルキーっぽい肌感というか、ちょっとパリのアンニュイで気だるい色気、妖艶さを感じさせる歌い方なのです。もちろん彼女の声質もパリらしい。


自分は「オー・シャンゼリゼ」のカバーをいろいろ聴いた中ではこれがベストだな。



由紀さおりの「オー・シャンゼリゼ」



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由紀さおりさん知ってますか?(笑)

我々昭和世代ではあまりに有名な方でした。自分は圧倒的に歌手としてしてのイメージなのですが、実際の活動としては、歌手、タレント、女優、ナレーターなど多岐に至る幅広い芸風でございました。シンガー・ソング・コメディアンを自称しているそうです。(笑)


由紀さおりさんは、演歌ではないんですよね。

もっと近代的でいろいろなバリエーションの歌を歌える才能があって、特に声質がいいですね。なんかジャズとかシャンソンとかの洋風の歌を日本語で歌う日本風アレンジのようなそんな立ち位置のような気がします。


いわゆる美声といわれる声質で、しっかりと線が太い声なのですが、定位がしっかりしていて、透き通った透明感のある美しさがあって、さらに湿度感があるしっとりとしたじつにいい声をしていると思います。美声なんですね。大人の女性の歌という感じです。歌手としては、すごいうまい歌手だと思ってます。


これは自分は知らなかったですが、2011年にピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』が各国で高く評価されました。


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ロンドンとアメリカのステージに、プロモーションも兼ねて立った。2011年に世界50ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、2011年11月2日付のiTunesジャズ・チャート及びカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位獲得という快挙を達成。さらにギリシャのIFPI総合アルバム・チャートで最高6位、シンガポールのHMVインターナショナル・チャートでは最高18位となった。この報道の影響もあって、特に2011年暮れから2012年に掛けて、由紀さおりのテレビ番組への出演が増加していた。


これは驚きました。

まったく知らなかったです。


このあとの日記でもご紹介しますが、このアルバムに入っている「マシュ・ケ・ナダ」がもう最高で、自分の中でベストワンの「マシュ・ケ・ナダ」と確信しています。さっそくこのアルバム、Spotifyで自分のお気に入りに登録しています。


夜明けのスキャット、喝采、ブルーライトヨコハマ・・・、懐かしすぎる~。(笑)


この由紀さおりさんが歌う「オー・シャンゼリゼ」もこれまたいいんだな~。この透明感のある美声でしっとりした雰囲気で歌う「オー・シャンゼリゼ」もなんとも素敵です。もちろん日本語です。これもなかなか捨てがたいベストワンに押したい感じです。



オー・シャンゼリゼ、まさにフランスと日本の両方の架け橋となる素敵な歌曲でした。まさかその原曲が、イギリスのサイケデリックバンドにあったとは思ってもみませんでしたが。(笑)


この曲を聴いていると、本当に昭和のよき時代、あの頃の時代の言葉でいえばハイカラというような、そんなあの当時の精一杯のオシャレ感覚を醸し出しているそんな曲ですね。


いまでも毎日ヘビロテで聴いている曲です。









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続・カバーはいい! [音楽雑感]

スマホ・ストリーミングで、ザッピング、楽曲検索、ちょい聴き、そしてお気に入りに登録、これを大きく利用しているのが、このカバー探しである。


相変わらず毎日、カバー探しに精を出しています。自分はオリジナルよりカバー、カバーにはいろいろなアレンジが存在して、その曲のいろいろな可能性を無限大に拡げる、カバーにはそんな魅力があると思っています。カバーもただ探せばいいという訳ではなく、それを実際聴いてみて、自分の好みのアレンジなのかを、ちょい聴きしないといけません。


自分の好みのアレンジだけをお気に入りに登録していく訳です。


そのためには、高音質なハンディタイプのストリーミング音楽再生機器が欲しいな~といつも思っているのです。


前回の日記で、名曲中の名曲:What a Wonderful World(この素晴らしき世界)のカバーを紹介しました。ほんとにこの曲のカバーはごまんとあって、もっともっと掘り下げてみたくなりました。


前回の日記で紹介できなかったこの曲のカバーで、すごい魅力的な曲をまた紹介していきたいと思います。




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ケイコ・リーのWhat A Wonderful World


自分がカバーの素晴らしさを訴えたとき、まず頭に過ぎったのが、ケイコ・リーさんやakikoさんのようなジャズ・シンガーたちであった。


ジャズの世界もカバーの世界なのである。



「ジャズ」は奴隷だった人たちがアフリカの音楽を変化させたことが始まりとされている。世界的ジャズミュージシャンとして知られるようになるルイ・アームストロングが生まれたのもルイジアナ州である。


そう!ルイ・アームストロングこそ、この名曲、What a Wonderful Worldのオリジネーターなのである。もともとルイジアナ州は奴隷制度の中心だったことがある。


我々のような音楽ファンにとって注目すべきは、やはりルイジアナ州のニューオリンズは、ジャズ発祥の地ということだ。


せっかくなのだから、そのジャズのルーツとなった歴史をここで紹介してみたいと思う。




・ジャズの発祥の地は、なぜニューオリンズだったのか?


無職だからありあわせの楽器を弾くことにした。


ジャズ発祥の地は、アメリカ南部の港町ルイジアナ州・ニューオーリンズ。


南部の黒人奴隷たちは南北戦争を経て、1863年に自由を手に入れた。しかし自由になったのはいいのだが、食べていくためには自分で稼がなければならない。


当時のニューオーリンズは、アメリカ政府公認の娼館がある唯一の歓楽都市であった。奴隷解放によって仕事を求めた黒人たちは、ダンスホールや酒場などのBGMとして歌ったり、楽器演奏をして生活することにした。これが「ジャズ」の始まりである。


・無職なのに、高価な楽器はどこで調達したのか?


その理由は簡単。南北戦争後ということもあり、南軍の軍楽隊のものがニューオーリンズにあふれ、二束三文で売られていたから。


ジャズの楽器が、ピアノやドラム、トランペットやサックスなのも、元はと言えば軍隊のマーチングなどに使われていた楽器を流用していたからである。



・ジャズのアドリブ(即興)の源流は?



当時、音楽の教育をしっかり受けている黒人は、ほとんどいない。そのため大多数の黒人は、楽譜を読むことができなかった。当時人気のあったトランペット奏者でさえ、そうだったといわれている。


そこで、初期のジャズメンたちは酒場などの営業が終わった早朝に、作曲家やピアニストの演奏を耳コピして曲を覚えていったのだ。


何回も演奏しているうちに、うろ覚えの部分がそれぞれのパートのフレーズで補完され、どんどん違う音楽になっていく。


演奏者のアドリブ次第で同じ曲でも様々なアレンジがされるため、このジャズの自由さの源流は、初期の演奏者たちが譜面を読めなかったことに由来しているのかもしれない。


またニューオーリンズは、様々な人種が何世代もつながることで、多様な文化を形成していた。それは音楽にも作用し、子供の頃から耳に馴染んでいたアフリカの宗教音楽を始め、スペインのハバネラ、フランスの民謡、時にはクラシックまで多種多様な音楽を取り込み、独自のリズムを作りだしていったのだ。


・ニューオーリンズ・ジャズがアメリカ全土へ



華々しく栄えたニューオーリンズの発展にも陰りが見えてくる。きっかけは、歓楽街ストーリーヴィルの閉鎖である。1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、軍規の乱れを気にした海軍長官によって、強制的に閉鎖されていった。


これにより職を失ったジャズミュージシャンたちは、新たな活躍の場を求めて北上していくことになる。ここから、ニューオーリンズのジャズがアメリカ全土に広がっていくこととなったのである。



だからこういうジャズ史の中で、そのジャズ音楽のありようとして、1920年代から始まり、1950年代に至るまで、そしてその後年というように、ジャズにはスタンダードナンバーというのが存在し、それ中心に動いていく。


ジャズ・スタンダードとは、ジャズ・ミュージシャンのレパートリーの重要な部分を占める楽曲であり、ジャズ・ミュージシャンに広く知られ、演奏され、録音され、聴衆に広く知られたものである。


決定的なジャズ・スタンダードの一覧と言ったものは存在せず、スタンダード・ナンバーは時代と共に変化する。


ジャズこそが、その当時のスタンダード・ナンバーというのを手を変え品を変え、アレンジを変えていき自由即興的なアドリブを加えていきカバーを楽しんでいく、そういう原点の世界のような気がするのだ。


ジャズとはそういう世界なのである。


スタンダードナンバーは、もちろんジャズのオリジナル曲だけではない。後年になってからは、ポップスやロックの人気ヒット曲、あるいはクラシックに至るまで、そのターゲットは幅広い。スタンダード・ナンバーにはありとあらゆる可能性の曲があって、それを独自のアレンジで、自分のカラーにしていくのがジャズの世界なのである。


自分は、そのことをケイコ・リーさんやakikoさんのアルバムや、ジャズ・ライブレストランでの実際のライブで学んだのだ。2004年~おそらく2013年頃まで。まさに彼女たちのライブに湯水のようにお金を注ぎ込んだ。


そして得られた自分の血肉であり、大事な経験値なのだ。


だからカバーはいい!という日記を書いたとき、まず思い浮かべたのが、彼女たちであった。


その、ケイコ・リーさんがWhat A Wonderful Worldをカバーしているのは至極当然だな、と思った。そして自分はこれが納めているSACDアルバムを持っていると思う。


聴いたことあるアレンジだし、聴いていて懐かしい感じがしたからである。絶対持ってますね。じっくり静かに歌い上げるスローなアレンジでした。これもケイコ・リーの歌い方の魅力です。




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中島美嘉のWhat A Wonderful World



中島美嘉さんはあまり普段聴いたことがないですが、独特の声質と歌い方ですね。これはカリスマありますね。息継ぎのブレスとか、吐き出すような発声方法など、独特のカラーでオリジナリティとカリスマあると思います。人気があるのがよくわかるような気がします。中島美嘉さんのWhat a Wonderful Worldは、まさに中島美嘉の世界という感じがします。素晴らしいです。



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スーザン・ボイルのWhat a Wonderful World



スーザン・ボイルは有名ですね。その天使のような歌声で一斉を風靡しました。


世に知られるのにすごい逸話があり、その中年女性のシンデレラストーリーは世界中を驚かせました。



スーザンは2009年4月11日に放送されたイギリスの素人オーディション番組、「ブリテンズ・ゴット・タレント」第3シーズンの初回に出場した。


舞台に現れた彼女の垢抜けない外見や、審査員の質問につっかえながら答える姿はいかにも素人くさく、将来の夢を聞かれて「ミュージカル女優のエレイン・ペイジのようなプロ歌手になりたい」と答えたときには、観客席から失笑もあがった。


しかし、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌「夢やぶれて(I Dreamed A Dream)」の最初のワンフレーズを歌う彼女の歌声が会場に響くと審査員は目を丸くし、観客は一瞬息を呑んでから総立ちになり、彼女に割れるような喝采を送った。


会場はスタンディングオベーションとなり、審査員は3人全員が「Yes(合格)」の札を出し、最高の賛辞を贈った。


この番組の模様がYouTubeなどの動画配信サイトに転載されると、9日間で1億回を超える視聴回数を記録し、全世界から注目され、さらにはNHKなど日本メディアにも報じられた。その週のうちにアメリカ・CNNの人気番組「ラリー・キング・ライブ」にも出演し、CDデビューの話も進められた。


中年女性のシンデレラストーリーへの興奮は国境を越え、時代の社会現象のレベルに達した。


この騒動はよく覚えていますね。一見見栄えが悪い中年女性(失礼)なのに、ひとたび発声すると天使の歌声。そのギャップに驚きとしかいいようがなかったです。


スーザン・ボイルの歌うWhat a Wonderful Worldは、彼女の透明感があって声量のある素晴らしい歌唱でしたが、かなりエコーをかけているというか、美しさを出すための録音技師の施しがあるように感じました。


そこまでしなくても彼女の素声でも全然十分なのに、という感じです。



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槇原敬之のWHAT A WONDERFUL WORLD


マッキーのWhat a Wonderful Worldは、まさにマッキーらしいカバーでした。ちょっとタメがあってスローテンポでマッキーのあの率直でストレートな歌い方がよく似合うアレンジです。カバーというのは、いかに自分のスタイルに持っていくか、ということなのだと思います。それを強く感じた曲でした。



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渡辺美里のWHAT A WONDERFUL WORLD



渡辺美里さんもよく聴いていましたな~。自分は1990年代は、部屋にソニーのミニコンポを買ってCD→MDにダビングできるコンポで、この渡辺美里、広瀬香美とかよく聴いていました。1990年代は自分にとってJ-POPSの全盛時代でした。当時のイメージはまったく変わっておらず、渡辺美里のWhat a Wonderful Worldでした。あのバリバリで元気がでる歌い方です。



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東京スカパラダイスオーケストラのWhat A Wonderful World



自分は東京スカパラダイスオーケストラは名前はよく存じ上げていましたが、実際聴いたことがなかったです。いわゆるスカバンドとして、自分に縁遠いとしてあまり聴こうともしていなかったところがあるかもしれません。


ところがちょい聴きしてみると、なんでしょう!このノリ。(笑)まさにスカバンドで、ファンキーで独特のリズム感。もういっぺんに虜になりました。こういうWhat a Wonderful Worldがあるのか!という驚きです。ふつうこの曲というのは、静かに綺麗に歌い上げて、そのメローな美しさを堪能する曲調アレンジが多いと思うのですが、こういうスカ・リズムというか、独特のカッティングリズムで刻まれていくWhat a Wonderful Worldは最高に素敵だと思いました。今回発見したカバーの中では、自分の1番のお気に入りになりました。




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KONISHIKIのWHAT A WONDERFUL WORLD


KONOSHIKIも出していました。(笑)いやぁ、これはこれでなかなか素晴らしいですよ。もう完全なハワイアンです。ウクレレの伴奏で。うまいとは言えないかもしれないけど、素朴で実直なKONISHIKI・WORLDが広がっていて素晴らしい作品だと思いました。



以上が2回に渡って特集してきたWhat a Wonderful Worldのカバーの特集でした。


番外編として、この曲のカバーを探していると、Spotify Radioの機能で楽曲の特徴が似ている曲をラジオのように流してリコメンドしてくる曲の中で素敵な曲があったので3曲ほどあったので、お勧めしておきます。



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矢野沙織のSing Sing Sing


「シング・シング・シング」(原題:Sing, Sing, Sing (With a Swing))は1936年に発表された曲。ジャズ歌手、トランペット奏者のルイ・プリマが作曲した曲。この曲はスウィング・ジャズの代表曲の一つとして知られており、ビッグバンドやスウィング演奏家の間でよく演奏されている。


この曲は絶対誰もが聴いたことがあると思いますよ。それだけ超有名な曲です。まさにスウィングする感じで、もうノリノリです。


これを矢野沙織が歌う。自分は存じ上げませんでしたが、矢野 沙織さんは、東京都大田区出身のジャズミュージシャン。アルトサクソフォーン奏者。


Sing Sing Singで歌う英語がメチャメチャカッコいいです。このアレンジのカバー、ぜひ聴いてみてほしいです。自分は一気に虜になりました。



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畠山美由紀の涙が欲しいのに



What a Wonderful Worldからの類似楽曲解析で、なんでこの曲が選ばれてくるのかわかりませんが、これが素晴らしいいい曲なんですね~。



畠山 美由紀さんは、宮城県気仙沼市出身のシンガーソングライターである。もちろん自分は知りませんでした。


1991年(平成3年)、高校卒業を機に上京。10人編成バンドDouble Famousや男女ユニットPort of Notesでボーカルを担当。並行して2001年(平成13年)9月にソロ・デビューした。また同年、「リアスさんりく気仙沼大使」を委嘱された。2016年(平成28年)には「みやぎ絆大使」も委嘱された。


いま業界でどれくらいの知名度なのでしょうか。まだ埋もれているダイヤモンド原石なのかもしれませんね。


「涙が欲しいのに」は2003年の曲。いい曲だと思うし、いい歌手だと思います。ストリーミングでは、こういう未知数の歌手と出会うことが容易くなりますね。ストリーミングは宝物発見のためのツールと言っていいですね。




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Cloudberry JamのNothing to Declare



この曲はカッコいい曲ですね。1聴しただけで、いっぺんにカッコいいな~と思い一目ぼれしました。Cloudberry Jamはスウェーデン・リンシェーピング出身のポップ・バンドだそうです。かなりカッコいい曲です。ストリーミングはこういうたまたまの出会いでこんな素敵な曲に出会えますね。



カバーはその曲の無限大の可能性を拡げるし、いろいろなアレンジでその魅力を再発見するそんなチャンスにもなると思います。これからも一生懸命カバーを探していこうと思っています。


そのためには、スマホのストリーミングがツールになりますが、スマホではなく内蔵スピーカーありの高音質再生できる携帯型音楽再生装置を熱望したいところです。












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What a Wonderful World [音楽雑感]

邦題「この素晴らしき世界」。What a Wonderful World。おそらく誰もが耳にしたことがある名曲中の名曲。テレビのコマーシャルでよく使われている。しわがれ声の黒人の男性が渋く歌う。じつにいい曲ですなぁ。後世に言い伝えられる名曲というのは、まさにこういう曲のことをいいますね。


そして世のじつに多くの歌手がカバーを歌っている。いまの世には本当にたくさんのアレンジのカバー曲が出ているのだ。


不滅の名曲とはまさにこういう曲のことをいう。


What a Wonderful World(この素晴らしき世界)は、1967年のルイ・アームストロングの楽曲。作詞・作曲はジョージ・ダグラス(音楽プロデューサーのボブ・シールのペンネーム)とジョージ・デヴィッド・ワイス。


この曲のオリジナルが、ルイ・アームストロングが歌うバージョン。


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しわがれ声の黒人の男性が歌う・・・まさにルイ・アームストロングが歌っているのです。


シールはベトナム戦争を嘆き、平和な世界を夢見て、この曲を書いたという。アメリカ合衆国では中ヒット止まりだったが、全英チャートで1位となった。1968年には、同名のアルバムもリリースされた。


その後、1987年のアメリカ映画「グッドモーニング, ベトナム」で、戦時中の南ベトナムの牧歌的田園風景とその中で起きるテロや空爆等戦場の現実を映す印象的なシークエンスにBGMとして起用され、全米32位というリバイバル・ヒットとなった。また、1995年の映画「12モンキーズ」でも、エンディングテーマとして用いられている。


日本ではホンダ・シビック(3代目)や東海東京証券、東京海上日動火災保険、ソニー、ソフトバンクモバイルなどのテレビコマーシャルに起用されたことがある。また、映画「スウィングガールズ」のワンシーンやBS-TBS制作の「湯のまち放浪記」のエンディングテーマでも流れた。


2021年9月5日に行われた2020年東京パラリンピックの閉会式では聖火納火時のフィナーレとして使用された。


テレビのコマーシャルでは、この曲は本当に耳にしますよね。自分は、ルイ・アームストロングのオリジナル・バージョンでなんかウィスキーのCMがなんか記憶に強く残っているんだけど、記憶違いだったかな・・・。


本当にじつにいい曲だな~と思うんだけど、商業的な成功にはそんなに恵まれていたとはいえなかった。


後世に語り継がれていく名曲というのは、多くの歌手によってカバーされるということも意味している。


この曲をカバーした歌手は、海外アーティストで17人、国内アーティストで21人。ここではその歌手リストはあげないけど、本当に蒼々たるメンバーがカバーしている。



以前にも書いたけれど、そしてこれはある意味、音楽好きの自分の昔からのひとつの拘り、発見した規則みたいなものがあって、カバー曲は、オリジナルを遥かに超える!というもの。もちろんオリジナルも魅力的なのだけど、カバーは本当にいろいろなアレンジがあって、その曲の魅力を大きく広げているのはカバーなんじゃないかな、と思うことだ。


カバーは本当に素敵だ。


自分は素敵な曲をカバーで聴くのがなによりも大好きなのだ。

カバーを探して聴くのが趣味と言っていい。


昔はカバーを探すのはとても大変だったけれど、ストリーミングの時代になって、めちゃめちゃ簡単になった。自分は、ストリーミングはしっかり音楽を聴くため、というよりは、スマホでちゃちゃと検索して、カバーを探すために使っているといってもいい。


What a Wonderful World (この素晴らしき世界)をスマホのSpotifyでカバーを検索すると、もうごまんと出てくるのだけれど、その中で、これは素晴らしい、じつにいいアレンジと思うのが、このリストである。


いま、このリストでスマホのSpotifyでWhat a Wonderful Worldを聴くのが、なによりの日課で毎日の楽しみなのだ。


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レニー・オルステッド What a Wonderful World


レニー・オルステッド(1989年6月18日生)は、アメリカの女優、歌手。幼少期から女優として活躍し、CBSのシットコム「スティル・スタンディング」やドラマ「The Secret Life of the American Teenager」のマディソン・クーパースタイン役でよく知られているそうだ。さらに、彼女は主にジャズ音楽の4つのスタジオアルバムを録音している。


知らない歌手だが、この人が歌うWhat a Wonderful Worldが最高に素晴らしい。この曲は、オリジナルはしわがれた黒人男性の声が象徴的なんだけど、この曲を女性ボーカルが歌うとこれがじつに素晴らしんだな。自分は女性ボーカルのほうが好きかもしれない。この曲に女性ボーカルはすごく合うと思う。


このレニー・オルステッドが歌うWhat a Wonderful Worldは、ちょっとけだるい感じで、ちょっとこぶしがまわる感じでジャジーでセクシーなのです。この曲のまた違った世界を見ることができるのだ。


これは大発見だったなー。このリストの中で五輪真弓さんのと並ぶ自分が1番好きなカバーです。



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ケイティ・メルア What a Wonerful World


この歌手も自分の知らない歌手。


ケイティ・メルア(1984年9月16日生まれ)は、グルジア出身のイギリスのシンガーソングライター。


2004年デビューアルバム「コール・オフ・ザ・サーチ」を発表。その洗練美と透明感を標榜する歌声で人気が爆発し、全英アルバム・チャートで6週No.1に輝く。 その後、エリザベス2世女王列席の英国恒例チャリティ・イベント「Royal Variety Performance」に出演、女王から最大級の賛辞の言葉を受けた。続く2ndアルバムは欧州各国でゴールド、プラチナ・ディスクに認定。2006年英国人女性アーティストとして最多セールスを記録し、全世界での累計セールスは750万枚を超える。


すごい歌手なんですね。こちらは一転ちょっとスローテンポで、色艶のある雰囲気のある歌い方。こういうスローテンポも女性ボーカルだとカッコいいんだよね。もう最高です。



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ロッド・スチュアート What a Wonderful World


ロッド・スチュアート知ってますか?(笑)もう我々の世代を代表するロック・スターの代表格でした。格好良くて、セクシーで、あのハスキーボイスが溜まりませんでした。


ロッド・スチュアートのハスキーボイスが歌うWhat a Woderful World。これまた最高なんだな~。やっぱりハスキーボイスってこの曲を映えさせるというか、じつに素晴らしい。格好良すぎるよ、この曲。



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平井堅 What a Woderful World


平井堅さんもこの曲のカバーを出していました。平井堅さんのアレンジは他とかなり違います。なんかこれこそ平井堅さんの曲という感じです。あのチクタクの曲と間違うような感じです。これはこれでまたすごい魅力的なんですよね。この名曲も平井堅さんの手にかかれば、あっという間に平井さんの曲になってしまうから不思議です。



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五輪真弓 What a Wonderful World



五輪真弓さんのWhat a Wonderful World。これは最高に素晴らしいです。このリストの中で自分が1番好きなカバーだと思います。五輪さんの声は肝の座った感じで、大人の迫力があるのですが、これがこの曲を歌うとこれがまた最高なんですね。大人の女性のWhat a Wonderful Worldという感じです。大人の女性の妖艶さというかそういうけだるい感じの魅力がありますね。それがこの曲とよく合うのです。カバーのアレンジというのは本当に無数の可能性があります。



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MISIA  What a Wonderful World



平井堅さんも五輪真弓さんもそうでしたが、やっぱりカバーのアレンジって、ご自身の歌手としてのスタイルに合わせて、自分のカラーにすることが大事なんだと思いますね。MISIAがこの曲を歌うと、もう完全なあのMISIAの世界なのです。歌手のみなさんのフレキシビリティ、柔軟性には驚きとしかいいようがないです。素敵なMISIAヴァージョンでした。



やっぱりオリジナルよりカバー。

カバーのいろいろなアレンジで、その曲のいろいろな可能性を拡げていく。

カバーには無限の可能性を感じます。


What a Wonderful World。


まさに名曲という腰の据わり方をしていて、その堂々とした旋律の運び。人の心に染み入るキャッチーなメロディを持っていますね、名曲と言うのは。


ぜひこの曲、まだ知らないという方は、ぜひ聴かれてみてください。

いっきに虜になること間違いないです。

そしてなによりも絶対聴いたことあるはずだと思います。(笑)






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