SSブログ

小説の表現力 [文学・小説]

村上春樹さんの新作長編小説「街とその不確かな壁」をようやく読了した。
                                                  
                                                  
DSC08396.JPG
                                                  
いつもは新作発売とともに、すぐに読んでしまうのに、今回は3月に発売だったので、読了するのに半年かかった。大変申し訳なかったです。やはり仕事が忙しかったのが1番の理由ですね。在宅勤務なので、終業後、なかなか頭の切り替えができず、ライセンス監査などですごい忙しい時期だったので、どうしても本を読む気力がわかなかった。
                                                                                               
自分にとって、読書をする、本を読む、というのはすごいエネルギーが必要なことですから。
                                                                                                   
読了してみて、相変わらずの村上春樹ワールド全開でさすが、と思いました。すごい面白かったし、もう驚いて呆気にとられてしまった。読み進めていくにつれて、どんどん惹き込まれていく感じで、文章のリズム感も音楽のようにテンポが良く、その物語を読み進めていくのを助長する役割があると思う。
                                                 
                                                                                                   
村上小説は恋愛小説とか、推理小説とか、とくにジャンル分けできない範疇だと思うが、基本はミステリアス推理小説のような趣で、摩訶不思議な世界、現世界と異次元の世界との融合、そういう世界がお好きというか、十八番のような気がする。
 
                                                                                                   
村上小説はある時期、全作品を網羅する、ということで全作品読んだことがあったが、その根底にあるのは、やはりそういう展開、テイストの小説が圧倒的だった。
   
                                                                                                 
こういう言い方をすると大変失礼と言うか、全然悪気がなくて逆にものすごく褒めているつもりなのだが、物語を作るうえでのストーリーの発想力、アイデアというのが、ちょっとふつうの人の発想ではないというか、かなり異常な精神の持ち主じゃないか、かなりダークでブラックユーモアが好きな方じゃないかな、村上春樹さんというのは。そういう方じゃないかな、と想像してしまう。
   
                                                                                                  
よくこんなストーリー展開を思いつくな、かなり異常な精神の持ち主だな、ふつうの善良ないい人では絶対書けない、そういうブラックユーモアの持ち主だな、かなりグロイというか・・・そんな驚きが毎回ある。
  
                                                                                                   
やっぱり村上小説が人気がある、世界中で読まれている1番の理由は、そのストーリーの面白さだと思う。純文学系の真面目なわけでもなく、読みやすい日常な世界を扱う題材だが、そのストーリーがミステリアス推理小説のように奇々怪々で、普通の人の思考回路では思いつかないようなかなり異常な世界で、ドキドキしながら読み進めていく、・・・そういうワクワクドキドキのテイストが人気の理由、中毒患者になってしまう理由なんじゃないかな、と思う。
  
                                                                                                                                                      
                                                                                                 
そして文章のリズム感も、平易な言葉、文章を使っていて非常に読みやすいのだが、物語の流れとともに、イケていて、お洒落だけど、かなり佳境を迎えたり、ドラマティックになっていくにつれて、その韻を踏むなどいろいろ工夫をされているな、と感じる。ご本人が言っている文章のリズム感はまさに感じるところだ。
  
                                                                                                     
ミステリアスな展開が小説の魅力なのだが、その文章の表現や配置の仕方とか、そしてその独特のリズムも、そういうのもかなり読者が驚くように、工夫されていて、あの独特の村上春樹ワールドを紡ぎ出すのは、この文体にも原因があるんじゃないかな、と思うところだ。
 
                                                                                                 
「街とその不確かな壁」
 
                                                                                                  
ご本人が若い頃に書いた作品で、どうしても生煮えで中途半端で世に出してしまった作品で、どうしても書き直したかった、という理由がある作品のようだ。自分は以前の作品はもちろん読んでいないが、今回の作品は、本当に面白かったし、もう物語の佳境を迎えるにつれて、どんどんのめり込んでいく凄さで圧倒された作品であった。
  
                                                                                               
ふだんあまりつけないあとがきで説明されていたことに、もうひとつ自分を刺激した記述があった。
 
                                                                                                 
「ホルヘ・ルイス・ボルヘスが言ったように、一人の作家が一生のうちに真摯に語ることができる物語は、基本的に数が限られている。我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ。」
    
                                                                                                 
これはなかなかグサッとくる内容で、自分の場合、いままで日記というスタイルでいろいろなジャンルの内容を語って来たけれど、そのベースにあったのは、自分の人生で学んできたこと、だった。もう10年以上語り続けてきた訳だが、自分の人生については、もうすでに全部吐き出した、というか、もう全部語ってきた、という気持ちがあり、もうこれ以上の抽斗(ひきだし)はないよ!という感じである。これからは新しく吸収していくものも含め、手を変え品を変え、やっていくことになるのであろう。
  
                                                                                                  
自分は、あとがきのこの部分はかなりドキッとしていい表現だな~と思いました。
                                                  
  
                                                                                                   
自分はふだん小説を読む、ということは、あまりなく、あっても村上春樹さんの発売された新刊の小説を読むくらいなのだが、もっといろいろな小説家の小説を読んでみたい、という気はすごくある。やはり老後の隠居してからかな、とは思うのだが。。
 
                                                                                                   
村上春樹さんの小説を読むときに、いつも思うことは、こういう文章を自分も書けるか?ということである。自分は全然素人領域で、物書きとは全然言えないのだけれど、少なくとも文章を書くという行為は、日常茶飯事でやっている訳で、そうすると、こういう小説を読むと、同じ文章を書く人間として、同じことができるか、ということをどうしても自分に問うというか、考えてしまうものなのだ。
  
                                                                                                 
自分の文章は、あくまで日記というか、自分のその日その日、そのテーマそのテーマによる自分の想いをつづったものだが、それと小説はやはり違う。自分に小説は書けるのか?村上小説を読んでいるときにいつも思うことは、自分もこういう風に書けるかな、とか、自分が普段書いている文章の類との違いをどうしても意識してしまうのだ。
    
                                                                                                  
やはり自分で文章を書くようになると、他人の書いている文章について読むとき、自分にもこういう文章を書けるか、ということは少なからず意識すると思う。
  
                                                                                                   
まず、小説を読んでいく上でいちばん自分との文章との違いを感じることは、背景描写の記述である。いわゆる主人公たちが存在するその場面場面の空間や背景の描写。小説ではこれをじつも細やかに文章という形で表現していく。自分の場合だと、写真を一発載せておけば、それで読者はそれを観て瞬時に理解できてしまうことも、小説では、絵や写真というのはご法度で文章だけで勝負していく世界なので、その空間、場面のその環境の描写をぜんぶ言葉、文章で表現していくことだ。
   
                                                                                                
ここが自分の文章と小説とのいちばんの違いを感じるところかな。小説は、ほんとうに主人公の動作や食べるもの、食べる行為、その部屋の特徴・・・もうありとあらゆるその場面描写を全部言葉で表現していく。
 
                                                                                                  
全部言葉で表現していく、ということは、読者にとっては、想像の世界が豊かになる、ということである。全部文章で場面描写をしているので、その場面がどんな感じなのかは、その読者の想像次第、頭の空想次第で十人十色だと思うのである。それがまた小説の醍醐味じゃないかな、と思うことだ。小説は読者が空想することに面白味、醍醐味があるのだ。写真でパッと載せてしまったら、それでアウトなのである。
                                                                                                   
そのとき思うのは、たとえば村上春樹さんの小説でいえば、主人公が朝起きて、台所で、かんたんな朝食をつくる描写、それを食べる描写、あるいは人と会ったときのその人の外観、印象、あるいはある見知らぬ土地に行ったときのその土地の外観、印象・・・もうありとあらゆる場面描写をぜんぶ言葉で綴ることだ。
  
                                                                                                 
これはふつうの一般人、素人には大変な重労働でまずやらない行為だと思う。
またふだん文章を書くうえでまず必要のない行為でもある。
小説を書くという作業だから発生する作業でもある。
 
                                                                                                
自分は小説を読むときにかならず遭遇するのがこの点である。
 
                                                                                               
自分たちの文章は、その肝、要点だけを書いている文章なのである。
背景描写を書く必要がない。
   
                                                                                               
小説は動画や静止画がご法度な世界、言葉だけで勝負していく世界。読者の想像力でいろいろな面白味を発する世界。そういう意味合いにおいても、こういう場面描写の記述を見ていると、うわぁあああ~これは自分の文章にはない世界だな~。小説だからこそ存在する世界だな~と感じてしまう。小説を読むたびに自分が思うことである。
    
                                                                                               
はたして、なにげないこの行為や場面描写、こんなに丁寧に言葉で表現していくことを自分ならできるか、と思ってしまう。面倒くさいな~と感じることもあるが、逆に文章だけで場面描写するのは、相手の想像を掻き立てるという意味合いからもかなりチャレンジングで書き手からすると、興奮する世界でもあるように思う。
   
                                                                                              
もうひとつは、小説としての物語の展開のさせ方だ。
どうやって物語のストーリーを進めていくか。
 
                                                                                                     
村上春樹さんの小説の場合、ある自分の基準というか常套手段があるように感じる。
それは村上作品を全部読破した自分だから分かりえることだと思うのだが、村上さんはかならずあるテクニックを使っている。あるテクニックを使ってストーリー展開をさせている。
 
                                                                                                        
これは村上小説の新刊が出るたびに、それを読み始めるときにいつも感じることなのだが、読み始めの時は、なかなかペースに乗らないというか、読むんだけどストーリー、小説が頭に入ってこない。どうしてものめり込めない。最初の部分はどうしてものめり込めないのだ。
   
                                                                                               
これは物語がまだ最初で登場人物の素性とか、いろいろ初めてのことが多く、頭に慣れないということもあると思うのだが、村上小説の場合は、もうひとつ大きな要因がある。
   
                                                                                                      
それは登場人物の会話を使うテクニックである。
  
                                                                                                    
村上春樹さんの小説の優れたところに、この登場人物の会話をうまく使うというテクニックがあるように思う。会話ってカギ括弧で括られた生の人間が発する言葉である。
  
                                                                                                        
だからすごく短文、短フレーズで読みやすい。なにより登場人物の会話はリズムがある。リズムがある文章は、読みやすいし、読者側の頭の中に入ってきやすいのである。読んでいる側も、すぐにその内容が頭に入りやすい。
  
                                                                                                       
村上さんはこの会話を使うのがじつにウマいのだ。
  
                                                                                                                                                           
会話にうまくストーリーの骨子を絡ませながら進めると、もうサクサク読めて、今回の物語の描写、ストーリー展開があっという間に頭の中に入って来て、すべて全体像が把握できるようになるのである。
   
                                                                                                      
自分は、村上小説の新刊を読むとき、いつも最初の読み始めの時、本の大体1/4から1/3まではどうしてもいまいちのめり込みが悪く、ペースも乗らない。
  
                                                                                                   
ところが真ん中あたりから、急にペースが上がって来て、それ以降はどんどんのめり込んで最後までスパートだ。そのときが大抵、登場人物の会話が中心になっていることが多いことに気づいたのだ。
  
                                                                                                 
この会話が多くなってくると、もうどんどんサクサク進んでいき、おぁぁおおお~ようやく乗ってきたという感じになるのである。小説の始めというのは、どうしても会話ではなく、まず作者の説明調の文章が多いことが特徴だ。
   
                                                                                                        
この説明する文章、文体と言うのは、読者側にとって、なかなかのめり込みにくい性質の文章だと思うんですよね。
   
                                                                                                   
でも小説を最初から最後まで、会話体でやれるかというと、それもダメなんですよね。やはり会話一本でもどうしても一本調子になってしまい、どうしても小説全体の構造として成り立たない。小説のリズム感としていまひとつである。やはり説明口調、解説調、場面描写での表現があって、そして会話がある。これの交互でバランスがとれてくる。
  
                                                                                                                  
村上春樹さんはこの会話をうまくストーリー展開に使うのがかなりお上手なのである。
自分が全小説を読破して気づいた真実である。
  
                                                                                                                      
たぶん80%~100%の確率でまず間違いない。
  
                                                                                                             
長編小説のような長いストーリーで、どうやってストーリー展開をしていくか。。。いろいろなテクニックがあると思うが、村上春樹さんの場合は登場人物の会話を上手に使うというところにミソがあるように自分は確信している。
  
                                                                                                                  
                                                  
ドラマの脚本の場合、放送回が決まっているので、あとで足りなくなったりとか困ったりしないように、かならず事前に全体のプロット(全体の筋書きの骨組みを決めること)を作るのが通常だ。
   
                                                                                                            
小説家にしても、自分が書く小説について、事前に全体の構造をプロットしてあらすじの骨組みをきちんと決める人もいる。
 
                                                                                                          
でも村上さんの場合は、プロットはいっさいやらないらしい。
タイトルと登場人物、どういう内容のものを書くか、を最初に決めたら、あとはどんどん原稿を書き進めていく。長編小説などの場合のストーリー展開のドライブは全部どんどん書き進めながら、自分の頭の記憶容量を頼りにドライブしていく感じなんでしょうね。
 
                                                                                                                                 
とにかくひと通り、全部書き終えてしまう。それでもう一回読み直してみたときに、気にいらないところが出てきたら、もう一回その部分だけを全部文章としてガリガリと書き直してしまうのだそうだ。全部やり直し、書き直し。そういうのを何回も繰り返して完成形に近づけていく・・・そういうスタイルなのだそうだ。
  
                                                                                                                     
事前にプロットしてしまうと、そういう一筆書きのような新鮮さ、活き活きさがなくなってしまう気がしてしまうのかもしれませんね。自分で書きながら、ワクワクドキドキしながら書き進めていく、そういうスリルがなくなってしまうのでしょう、あらかじめプロットしてしまうと。
 
                                                                                                          
プロットしちゃうと、なんか枠、フレームにあてはめて書くような感覚になって、のびのびできませんね。そういう縛りをいっさいなくして、更地、白紙のキャンバスの上にのびのびとストーリーを紡いでいく、そういう感覚を大事にしているのかもしれません。
 
                                                                                                                    
自分に小説が書けるのか?
   
                                                                                                                     
大きなテーマではあると思うが、
 
                                                                                                                        
①場面描写、空間描写を丁寧に言葉でちゃんと表現できるか?
②ストーリーの展開方法を、会話をうまく利用できるか?
③プロットをせずにのびのび書けるか?
  
                                                                                                                   
こんなところがキーになるのかな、と自分は感じる。
     
                                                                                                        
自分が村上春樹小説を読んできて、学んできた「小説を書くとは?」に対するテクニックである。もちろんいちばん重要なのは、いかに面白いストーリーを作るか?というところにあるのは間違いないのだが。。。
   
                                                                                                                       
自分は、小説というジャンルではあまりに視野が狭すぎると思う。
文学の世界、小説の世界をあまりに知らなすぎる。
いままで読んできた小説の数もぜんぜん足りなすぎる。
                                                  
もっともっといろいろな小説家の小説を読むべきだと思っている。
いろんなスタイルを勉強するべきだと思う。
                                                  
自分に課せられた課題である。
                                                      
                                                 
                                                       
                                                  
                                                  
                                                 

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。