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アルブレヒト・マイヤー [クラシック演奏家]

これは常々思うことなのだけれど、自分がクラシックファンでありながら、急激に老いを感じるようになったのは、やはり世界中がコロナ禍のパンデミックになってからだ。日本のクラシック界はやはり外国人アーティスト、外来オケに頼るところが大きいビジネスで、それが軒並み来日できなくなったので、もう日本の若手の演奏家のまたとないチャンスとなった。


コロナ禍前までは、自分はリアルタイムの最前線のクラシックファンだと自負していたのだが、コロナ禍になって、まさに水を得たように若い演奏家たちがつぎつぎとデビューしていくのを体感して、急激に老いを感じるようになった。


若い指揮者、演奏家は、やはりこれからの新しい世代の日本のクラシック界を背負っていかないといけない。いままで多大なる業績を残してきた大ベテラン、いわゆる自分の世代のアーティストもどんどん高齢化していく訳で、このベテランたちが積み上げてきた歴史を新しい世代の指揮者、アーティストがどんどん次の世代へと引き継いでいかないといけないのだ。そうしないと明日の日本のクラシック界の未来はない。これはクラシック界に限らず、人間社会の自然の掟である。


もちろんそうなるように自分も若い人をどんどん応援していきたい。ところがもともと貧乏人なので、予算体力がついていけず、自分が身銭を切るならば、やはり自分の時代のアーティスト、自分がもっともクラシックに熱かった、入れ込んできた時代のアーティストのコンサートに費やしたい、と思うのが人情というものである。


人間の脳って、高齢化していくにつれて、吸収する情報の容量に限界を感じたり、吸収しようという意欲そのものが少なくなっていくように思う。新しいものをどんどん吸収していく、そういう積極性がなくなっていくのである。


いつのまにや、気づいたら、自分の青春時代に好きだったアーティストの音楽ばかりをふだん毎日聴いている・・・。高齢化する、ということはそういうことなのだ。


自分の仕事の技術関係についても全く同じ。自分がどんどん高齢化しているにも関わらず、世の中の技術の進化の流れって、そんな個人の事情なんてまったくお構いなしに、なにごともなかったのようにどんどん進んでいく。そんな個人の事情なんてまったくお構いなしにだ。その人が別にやらなくても、世界中の若い有望な技術者がやるだけなのだ。世間の技術の流れは高速スピード化でまったく容赦ないのである。それが未来永劫、永遠に続いていくだけなのだ。


それで、その技術の流れについていったり、合わせて行くのは、もう高齢化しているその人間の心の持ちよう次第なのである。自分を変えていくしかない。自分の心の持ちようしかないのである。それが脳の老化、劣化を防ぐ唯一の方法なのである。


自分側でそれを放棄した時点で、懐かしむだけの老化まっしぐらに行ってしまうのではないかと思うのである。急に老け込むというのはそういうことに起因するんじゃないかなと。


世間は、そんな一老人のことがどうなろうと関係なく、おかまいないしに進んでいきますから。もう自分が合わせて行くしか方法がないのである。いち個人の人生はもちろん有限なものなので、かならずこの壁、ギャップに遭遇するようになっている。どんな人間でもである。


自分は50歳代後半。まだまだ人生でもっとも輝いている働き盛りのときだと思うが、ヒタヒタと忍び寄る老化現象は、やはりどうしても日頃感じることが多い。


やっぱりそれは感情移入という点だ。若い頃というのは、やはり恋多き時代で、人に恋する、人に感情移入する、というのがとても多くあたりまえの事象であった。自分はとくに性格上、沈着冷静とは程遠い性格で(笑)、情感溢れる、つねに恋している、恋多き男である。


やっぱり熱い時代というのは、もう入れ込み具合が全然違う。心底恋してしまう。

そういう多感で繊細な心の持ち主なのだ。


自分が予算体力も十分にあって、クラシックを心底自分のモノにしたい、一生懸命勉強したいと思っていた時代に出会った、自分と一緒に育ってきたアーティストはやはり、自分の中に深く入り込んでいく。一生忘れられない存在になる。


いわゆる”自分の世代のアーティスト”である。


高齢化していくと、若いアーティストがこれからを背負っていくためには、一生懸命応援していきたいと思ってはいるものの、この感情移入という点で、いまひとつ深く突っ込んでいけない自分がある。


若いアーティストは、新鮮で可愛らしいし、パッとその場が明るくなるようなオーラもあって天使のようだ。可愛いし、頑張ってほしいといつも思っているけど、これと自分個人の本気の感情移入というのは、これまた違うんだよね。


どんなに歳をとっていっても、ジェネレーションギャップを感じずに、自分の愛情を注いでいける、深い愛を捧げられる。。。これがまさに理想の姿なのだと思っている。これから歳を重ねていく上での自分の目指したい姿である。


この感情移入できない、自分を本気にさせられない。。これはまさに高齢化現象なのである。これはもう仕方がないのである。人間の気持ちの持ちようの老化というのは、そういうものなのである。


これはいまの自分だけに言っていることではない。いま若い人に至っても歳をとっていくと同じ現象になるのだ。その若い人たちが過ごした時代にもっとも自分が入れ込んでいたアーティスト、いわゆる自分の世代のアーティスト、そういうものが世代が変わったとはいえかならず存在するはずだ。時代がずれて経験するだけなのである。


そういう意味合いからも音楽評論家の先生方は、本当にすごい大変な仕事だと思っている。明日の日本のクラシック界を育てていくためには、若い演奏家をどんどん評価して、宣伝して、プッシュして行かないといけない。若い世代のアーティストを評論することで育てていかないといけない。


自分の世代のアーティストとなんら変わらないように、平等な扱いにてでである。


やはりそこはプロなのである。


我々のように気持ちが乗らないので、なんて甘っちょろいことは言えない。



常々、自分は高齢化するにつれて、人間って感情移入という動作が苦手になって、自分の時代のアーティストに固執してしまう生き物であること。そういう習性を持っていること。若いアーティストは本当に頑張ってほしいとは思うものの、どんどんデビューしてくる膨大な新人たちを自分の頭の中でうまく整理することができず、なかなか頭がついていけなく、予算体力の優先度からして、どうしても自分の世代のアーティストに回帰してしまう現象であること。


こんなことを沸々と考えるようになった。そういう老いを急激に感じるようになったのが、あのコロナ禍を経験してから、急激に若手主体の演奏会に切り替わるようになってからである。



じつに長い前ぶりであった。(笑)


いつかは語っておきたい、いまの自分に課せられている課題といおうか、ここはなんとかしなければな~と思っている箇所であった。


こういうことを考えたのは、今回この日記で取り上げるベルリンフィルの首席オーボエ奏者、アルブレヒト・マイヤー氏の新譜を聴いてレビューしたいからだ。アルブレヒト・マイヤー氏は、まさにもう自分の世代のど真ん中のアーティスト。深い愛情をたっぷり注ぎ込んでずっとその成長を見守ってきたアーティストである。


想うところも深く、いろいろ想い出もある。そんなときに、この自分の人生の課題を思いついて、つらつら~と書いてみたくなっただけだ。



ベルリンフィルの首席オーボエ奏者 アルブレヒト・マイヤー氏は、アバド・ラトル時代の(そして現在も進行形ではあります。)ベルリンフィルの顔ともいえる主力メンバーで自分がもっともクラシック音楽に熱かった頃、自分の情熱をすべて傾けていた時代だったので、この時代に旬だった奏者は、もう一生忘れることがない。(マイヤー氏は、もちろんいまも旬です。。笑笑)


結局、自分にとってベルリンフィルというのは世界No.1のオーケストラで、自分はカラヤンでその門を叩き、入門した。まさにクラシック勉強の時代で、アムスの同期友人から手ほどきを受けながら、膨大なカラヤンの音源、映像素材を片っ端から購入して、クラシック音楽を勉強していった。自分にとって、カラヤン・ベルリンフィルがクラシックへの誘い、入門であった。またカラヤン・ベルリンフィルはソニーとも非常に深い関係にあったので、いわばこれは自分が辿るべき正規ルートなのだという自負があったことも確かだ。


そして自分がリアルタイム世代として生きてきた同世代観を抱けるのは、アバド・ラトルの時代だったな~と思う。とくに自分が現地ベルリンまで聴きに行って、リアルタイムど真ん中として生きてきたのは、ラトルの時代だったと思う。自分にとって、ベルリンフィルの芸術監督といえばサー・サイモン・ラトルである。この時代が自分にとって、ベルリンフィルというオーケストラを自分のモノにできた、と感じた達成感みたいなものがあって、ラトルの退任と同時にオレのひとつの時代はお終わったな~と感じたことも確かだった。


アバドもラトルもマーラーを普及させていくための近代解釈論者としてのマーラー指揮者のような使徒を意識していたところがあって、こういう姿勢も自分のマーラー音楽傾倒に対して大きな影響を及ぼしたと思っている。


ペトレンコはぜひ頑張ってほしい。就任早々コロナパンデミックという大変な境遇ではあったが、徐々に巻き返してほしい。まだまだこれからである。やっぱりベルリンフィルの団員が選んだのはペトレンコで正解だったと思う。他の候補者を今思えば、とても長く勤まるとは思わず、ベルリンフィルの伝統を紡いでいくには無理があるかな、という印象はある。


あまりメディア戦略が苦手な寡黙なペトレンコではあるが、DCHで何度かその指揮振りを拝見したが、非常に柔らかい滑らかな自然調のスタイルでこれは、団員たちは演奏しやすいよな~と直感で感じたものだった。美しい指揮だと思う。そして徹底的にリハーサルするというか、計算に計算を重ねて緻密に音楽を作り上げていってから本番に向かうというようなスタイルと聞いている。基本はオペラ指揮者だとは思うが、非常に計算高い完成度の高い演奏パフォーマンスになると自分は予想する。まじめなペトレンコらしくていいと思います。ベルリンフィルの最高の技術をしてそれが実現できるのだと思います。オーケストラとの相性はいいと思ってます。



今年の秋のペトレンコ&BPOの来日公演は、でもちょっと高額チケットで無理だった~。(笑)

いまの自分にはもう無理かな~。ペトレンコぜひ頑張ってほしいけど、自分のベルリンフィルにかける意気込みは、ラトルの時代で終わったかな~ともやはり思います。


アルブレヒト・マイヤー氏は、そんなアバド時代の1992年にベルリンフィルに入団である。まさに1990年代組ということで、自分の記憶では、長年統治したカラヤン時代の団員たちがみんな定年退職でベルリンフィルを大量に退団していったそんな時代が1990年代だった。だからベルリンフィルにとって、1990年代と言えば、オーケストラの顔ぶれがガラ変したある意味世代交代の時期だったのだ。


そのときに大量に入団した1990年代組のひとりが、アルブレヒト・マイヤーだった。アバド&ベルリンフィルは、カラヤンの影響を排すべく、いろいろな試みをおこなった。それこそ団員たちのマエストロの呼び方から・・・怖かったカリスマのカラヤンと違ってとてもファミリーで親しみやすい雰囲気を作ろうとしたのがアバドだった。まず意識革命から、というところか。


自分は昔は、NHKのベルリンフィル定期演奏会という番組で、そして昨今はインターネットのDCHで、ずっとアルブレヒト・マイヤー氏を観てきた訳だが、同じ首席オーボエ奏者のジョナサン・ケリーとはいつも隣り合わせのそのツーショットが本当に絵になって、カッコいいな~と憧れたものだった。


自分にとって、ベルリンフィルのアルブレヒト・マイヤーといえば、同時にジョナサン・ケリーのことをかならず思い出す。この2人はかならず隣り合わせのlツーショットなのだ。あるいはフルートのエマニュエル・パユとのツーショット。


ジョナサン・ケリーもエマニュエル・パユも花の1990年代入団組。こうしてみると、長らく若き新しい世代のベルリンフィルを支えてきたメンバーは、もうみんなこの1990年代入団組なのだ。


ジョナサン・ケリー


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自分が盛んにンベルリンフィルを観ていた時代のジョナサン・ケリーはこんな風貌であった。ところが、ずいぶんしばらくご無沙汰して、つい最近のジョナサン・ケリーの近影を拝見すると、老けたな~(笑)という感じでショックだった。昔の面影がまったくなかった。頭髪もなくて丸坊主スタイルだし。男は高齢化すると、やはりビジュアル的に難しいですよね。(笑)


その点、マイヤー氏は、今に至っても、そんなに劣化は見られず、上手に歳を重ねているな~と思います。


これはかねてより自分の持論で、もちろん異論のある人もいると思うのだが、オーケストラの中心、肝となるのはじつは木管楽器だと昔から思っている。オーケストラの中段のど真ん中に配置されている木管群。そしてオーボエ奏者たち。


よくクラシック・コンサートの演奏会のビデオやライブ中継を見ると、そのカメラワークで、途中でパンで木管奏者、オーボエ奏者を抜く瞬間があってこれが妙にカッコいいのだ。いや~オーボエ奏者、木管奏者って華があるな~。カッコいいな~といつも思うのは、この瞬間である。


たしかにオーケストラでは、弦楽器奏者がそのサウンドの大半を担っていることから、弦楽器奏者が中心という考え方が妥当かもしれないが、自分的には、じつは木管楽器、オーボエ奏者がオケの花形ポジションであるように思うし、その嫋やかな音色は、オーケストラ・サウンドの肝となっているように感じる。


自分のずっと昔から抱いている持論である。この持論は、ずいぶん昔から、このブログを始めた2013年頃からず~っと言い続けていることで、日記にも何回も書いてきたことだ。


”木管奏者、オーボエ奏者はカッコいいのである。”


この持論は間違いないと思っている。


自分の中でそのイメージを初めて確立させてくれたのが、ベルリンフィルのアルブレヒト・マイヤーとジョナサン・ケリー、そしてエマニュエル・パユとのツーショットだったのだ。


イケメン3人によるこのツーショットは、本当にサマになっていて、木管、オーボエ、フルートはカッコいい。演奏中にカメラに抜かれるその瞬間がカッコいい、と最初に思ったのがこの3人であった。


すべてがそこが原点になって、いまの自分の想い込みがある。(笑)



今日の日記の主役はアルブレヒト・マイヤー。


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1965年、ドイツのエアランゲンに生まれ、幼少の頃からオーボエを始める。バンベルク交響楽団首席奏者であったゲアハルト・ショイヤーに師事した後、国立パリ音楽院でモーリス・ブルグに師事する。クラウディオ・アバドの提唱により設立されたECユース・オーケストラに参加するなど、早くからその才能の片鱗を示す。


2年間の兵役を経てハノーファー音楽大学に入学、インゴ・ゴリツキに師事。1990年、バンベルク交響楽団首席オーボエ奏者に就任。1992年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席オーボエ奏者に就任する。


現在の活動


ベルリン・フィル首席奏者としての活動のほか、グスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラやザビーネ・マイヤー管楽アンサンブル、ベルリン・バロック・ゾリステンのメンバーとしても活躍し、アバドの指揮でモーツァルトのオーボエ協奏曲をドイツ・グラモフォンに録音している。



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天下のベルリンフィルのオーボエ奏者の首席をずっと背負ってきた巨人。まさにオーボエ奏者の憧れのような人である。自分もオーボエ奏者といえば、まずマイヤー氏を思い出す。


音色で聴かせる、技巧で聴かせるというのもあるんだけれど、音楽がとても大きくて、演奏に説得力があるという意味において、現代の巨人とでも言うべき奏者だと思う。


その演奏は表情の豊かさと息の長さと強靭さを併せ持ったフレーズ感覚を聴かせつつ、「それしかない」って思わされる演奏をしてくれる。彼がオケで吹いている姿を見るだけで、聴衆の一人としてものすごく安心させられる。(ここが一番大事。ベルリンフィルでマイヤー氏がいつもあのポジションで吹いているのを見るとなんともいえなく安心するし、今日の演奏はこれで大丈夫だと思いますね。)


そんな存在なのである。。。彼は。


ちなみに同じくベルリン・フィルの首席である私の推しのジョナサン・ケリーも素晴らしいです。ここで集中して取り上げたい気持ちはあったんだけれど、「スター奏者」っていう意味で言えば、長くベルリン・フィルに在籍してその地位を不動のものとしたマイヤーの方が認知度も高いと思います。いやでもケリーもめっちゃいいですよ!


自分はいち聴者としてしか接していないが、いっしょにリハーサルをした奏者のこのようなコメントをネットで拝見して、なかなか興味深かった。


●マイヤーのリハーサル


終わり方にとにかくこだわる人でした。リハーサルのほとんどは「終わり」についやしました。この徹底ぶりは初日からGPまですごかった。


最後3~4小節を何度か、いろんなパターンで試しました。例えば、最後の音に入る前で時間をたっぷりとる。または、もうちょっと前で、クライマックスを迎えておいて、流れるように終わる。強弱も色々試してみる。


それをいくつものパターンで試したら、もうちょっと戻ってコーダ(終結部)から最後までを、これを何度か。


先ほどの3~4小節の終わり部分に、うまく辻褄が合うように。最後たっぷり時間をとるなら、どこかで勢いをつけておく。とか、最後流れるように終わるなら、その少し前のクライマックスをどこで、どんな風にやっておくか。それを終結部全体でやったときに、変な流れにならないか。


何回かは、しっくりこないことがありました。 いわゆる変な流れ。 マイヤー氏でさえ首かしげて、「ごめん、もっかい、僕のために」と言って。もう一度違うパターンで試しました。


そんな風に入念なリハーサルはとにかく最後のみ。


最終的に、こうします。とは、決めませんでした。


いくつものパターンで、オーケストラがついて来てくれるのを見て、「何をやっても大丈夫ですね。本番楽しみですね」みたいな感じでGPも終わりました。


本番は、びっくりするくらい「自然」に、まるで何もやってないかの様に、終わってらっしゃいました。


 


大事なのは終わり方


特にバロック時代のゆっくりの楽章の終わり方って、難しいなと、自分の中でコンプレックスをこの時までもってました。終わり方って難しい。でも、この世界的に有名なマイヤーさんでさえ、これだけの時間を費やす部分なのだから、自分にとって難しいのは、当たり前だな。と。ちょっと安心しました。と、同時に彼のリハーサルの仕方から、意外と論理的に、数学的に解決できる問題なんだなと。  わたしの問題点はつじつまがあってなかったことだった。


終わり方というのが、いかに重要か。この時得た、大きな学びでした。


ちなみに、終わり 以外はほとんど「練習」しませんでしたが、始まり方も10パーセントくらいの時間はつかい、何回かリハーサル・打ち合わせをしました。それ以外の中間部分は、毎回一度ふらっと通しただけでした。


 


音楽は静寂からはじまり、静寂に終わる。それは人生のようだ。とバレンボイム(指揮者、ピアニスト)が本で言ってました。人生の始まりは、少し重要で、その後の間の人生はなるようになる。終わりだけは、こだわり 華麗に去りたい。


マイヤーの音楽はそんな感じでしょうか。


・・・・・・


これはなかなか興味深いですね。マイヤー氏の音楽、オーボエパートとしての作り上げ方が垣間見えるような感じで大変興味深かったです。



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アルブレヒト・マイヤーといえば、自分にとって大きな革命をもたらしてくれたのが、オーボエ奏者のソロ作品集である。2010年~2015年あたりだろうか。オーケストラの首席オーボエ奏者が、オーケストラ活動とは別で、ソロアーティストとしてオーボエ・ソロの作品集を出すというのが異常にブームだったときがあった。


普通であれば弦楽・管楽器などで演奏するバッハの作品、モーツァルトの作品を、いわゆるオーボエだけで奏でてることで音楽として楽しもうというコンセプトで、世の中のオーボエ奏者はこぞってこのバッハアルバム、モーツァルトアルバムを出していた。


普段はオーケストラの首席オーボエ奏者を担いながら、別の顔で、オーボエ・ソロ作品集をだすという扱いに、これは同じオーボエ奏者でも本当に限られたスターだけが甘受できる待遇なのだ、と自分は当時思っていた。


まさにオーボエ奏者であれば、誰しもが憧れる感じで、これがまた自分にとってオーボエ奏者がカッコいいと思ってしまうきっかけだったんだな。(笑)


自分にとって、それを最初に経験したのが、ベルリンフィル首席オーボエ奏者のアルブレヒト・マイヤーのバッハアルバムであった。のちにモーツェルトアルバムを出して、自分は迷わず買いました。大切なコレクションです。


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左がモーツァルトアルバム、右がバッハアルバムです。

バッハアルバムはいま廃盤になっているんですかね?販売されていませんよね。



このマイヤー氏のバッハアルバムは、自分にとってあまりに衝撃すぎるくらいインパクトが強かった。もともとはアムスの同期友人から紹介されて知って買ったものなのだが、これがカッコいい。オーボエでバッハの有名な曲を軽やかに吹いていく。イタリア協奏曲、オルガン・コラール、フルート・ソナタ、マタイ受難曲、カンタータ・・・あのバッハの有名な曲を片っ端から全部オーボエで吹いてしまう。


すごく洗練されていてお洒落だな~と思いました。

オーボエ1本だけでこんな世界が実現できるのか!


オーボエのソロ作品というのを初めて体験したのが、このアルブレヒト・マイヤーのバッハアルバムだったのだ。ベルリンフィルの首席でありながら、ソロでこんなことも披露する、というそのポジショニングがすごくイケていてセンスがあるように感じてしまいました。


このマイヤー氏のバッハアルバム、2004年頃かな?当時、iPodに入れて、通勤時間に必ず毎日聴き込んでいましたよ。懐かしい~~~。このバッハアルバム、いまや廃盤なのは、ちょっと残念過ぎますね。


それからである。世の中のオーケストラのオーボエ奏者がこぞってオーボエ・ソロ作品集を出すようになったのは・・・バッハのオーボエ作品というジャンルは、オーボエ奏者にとって、ひとつの定番なのかな、と常々感じていた。ホリガー、ウトキン、ボイド、マイヤーなど 名だたる名手が同じような選曲のアルバムを作っていた。


ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団の首席オーボエ奏者であるアルクセイ・オグリンチュク氏のオーボエ・ソロ作品とか。BIS録音でしたね。最高に録音が素晴らしく、オーボエ・ソロ作品集としては最高傑作だとも思っています。



アルブレヒト・マイヤーは、そんなオーボエ・ソロ作品を最初に自分に教えてくれたオーボエ奏者だったのです。


そんないろいろ深い想い出のあるマイヤー氏なのであるが、ご存じのょうに最近ベルリンフィル関係すっかりご無沙汰で、メンバーの活動もさっぱりご無沙汰。最近の樫本大進氏が、ひょっとして体どこか悪いのではないの?と思うくらい激痩せしていたのを写真を見て驚いたくらいですから。(笑)


それで、ひさしぶりにアルブレヒト・マイヤー氏のオーボエソロ作品としてどんなものがいままでリリースされていたのか確認してみたら、かなりリリースしているんですね。驚きました。まったく知らなかったです。(笑)


DG STAGE+でそのアルバムを全部聴けるみたいですよ。


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モーツァルト、ヴァッスクス、ベーテリス、R.シュトラウス、・・・などなど。


そして最新のアルバムということで、またしてもバッハアルバムをリリースしたみたいです。2023年8月4日リリースですから、まさにホヤホヤです。



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Bach Generations~バッハ一族3世代の音楽 アルブレヒト・マイヤー、ベルリン・バロック・ゾリステン、ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ




ヨハン・セバスティアン・バッハ[1685-1750]とその一族による作品のオーボエ編曲集。世界最高のアンサンブルのひとつ、ベルリン・バロック・ゾリステンと共演しています。


演奏されているのは、ヨハン・セバスティアン・バッハの大叔父であるヨハン・クリストフ[1642-1703]で始まり、2人の息子カール・フィリップ・エマヌエル[1714-1788]とヨハン・クリストフ・フリードリヒ[1732-1795]で終わるバッハ一族の3世代の作品。このコンピレーションはバッハ家への音楽による招待状と言えるかもしれません。


これまたチャレンジングなコンセプトですね~。


DG STAGE+で新譜群はストリーミングで聴けちゃいますが、敬意を表して、この新譜はCDとして購入しました。


最初の出音の暖かいオーボエの音色。あ~なんとも懐かしいこの郷愁を感じるような音色。

オーボエの音色ってほんとうに心から癒されますね。すごい暖かいです。


リード作り、ふくめ、いちばん演奏するのが難しい楽器でもあるオーボエ。


今回入っているバッハの曲は、バッハ一族三世代にいたる親族の曲を集めたものということですが、どれもいままで聴いたことのあるようないかにもバッハという感じのメロディで、全然違和感なかったです。


とくにいちばん冒頭に入っているチェンバロ協奏曲第4番イ長調 BWV.1055。

これはもうお馴染み。マイヤー氏の最初のバッハアルバムでも入っていましたし、他のオーボエ奏者のバッハアルバムではかならず入ってくるキラーコンテンツです。勢いのある陽気な作品で、おそらくケーテン時代の作品と言われている。私たちにとってはコレギウム・ムジクムのために、1730年代後期にライプツィヒでバッハが編曲したチェンバロと弦楽版のみで知られていますが、ソロとトゥッティの生き生きとしたかけあいは原曲がむしろもっと早い時期のものであることを示唆しており、おそらく1721年頃ケーテンで書かれたものと思われているようです。オリジナルのソロ楽器はオーボエだったのではないかという声も多くあるそう。


ほんとうにバッハの息遣いが感じられる、いかにもバッハらしいアルバムでした。

やっぱりバッハとオーボエは相性がいいと思います。


この録音の前にマイヤー氏は、ライプツィヒの聖トーマス教会を表敬訪問していて、教会前のバッハの像やバッハのお墓を目の前に、バッハの偉大さへの敬意、そしてこの録音にかける意気込みを語っていました。


録音もすごく良くなっている。やはり録音技術も日々日進月歩で進歩していますね。

自分の頭の中には、あのマイヤー氏の最初のバッハアルバムのイメージ、録音のテイストがいつまでも残像として残っているので、それと比較すると最初の出音で、うぉっこれは音がいい!という感じで、驚きました。


まず情報量が断然違う感じで、オーボエの基音に対し、もっと柔らかい細やかな音色の響きや余韻など、いわゆる倍音成分が豊かにそこに重畳されている感じで、かなり情報量多いな、という感じです。音場もずっと豊か。柔らかい音触で情報量が多いのです。もう聴けば明らかです。


これはもう言葉で説明するもんじゃありません。聴けばわかるはずです。聴けば一聴して、もう昔と全然違う感じで、音いい!と思いますから。


いかにも新しい最新録音技術という感じです。


同じバッハアルバムでも、廃盤になってしまった最初のマイヤー氏のバッハアルバムより、今回のほうが数段レベルの高いバッハアルバムとなったと言っても過言ではないでしょう。




マイヤー氏と共演しているベルリン・バロック・ゾリステン。


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最高のオーケストラから最高のメンバーが集まった、夢のバロック・アンサンブル。バロック音楽の権威としても知られる元ベルリン・フィル第1コンサートマスター、クスマウルが率いる超豪華メンバー。オリジナル楽器全盛の風潮に一石を投じ、モダン楽器ならではの音色とダイナミックな表現で、バロック音楽に新鮮な息吹を与えている。その演奏はバロックに食傷気味の聴衆をアッと言わせ、日本でも大反響を呼んでいる。95年に、17・18世紀音楽の最高レベルの演奏を聴かせるという目的で結成。意図して現代楽器を使用し、バロックと現代の「合成」をアピールしている。


ブックレットの写真を見ると、町田琴和さんも参加されていますね。

町田さんも、ベルリン・バロック・ゾリステンには古くから参加されているベテランですよね。




2023年1月28日~2月1日、ベルリン、シーメンスヴィラで録音収録されたもので、プロデューサー、編集、ミキシング、マスタリングは、クリストフ・フランケさんだ。録音エンジニアは、セバスティアン・ナットケンパー氏。じつにいい仕事をしている。レーベルはDGから出ているけど、録音スタッフは、ベルリンフィル・メディアのメンバーということであろうか。


じつにいい仕事をしている、と思いました。

グッジョブ!です。



アルブレヒト・マイヤーは、自分とほとんど同い歳ですね。(1歳、マイヤー氏のほうが下)ベルリンフィル・メンバーとしての任期もいよいよ大詰め。最後の集大成を決めないといけない時期にも来ているのであろう。


でも、これからもますますソロ・アーティストとしてずっと活躍していくような明るい将来が待っているような気がします。それだけのじゅうぶんなキャリアを積んできた訳ですから。


まさに自分の世代、ど真ん中のアーティスト。自分の想い入れも深く、ずっと自分の中に深く入り込んでいるアーティスト。


一生忘れられないオーボエ名手であることだけは間違いないと思います。











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