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孤独のグルメ [グルメ]

2012年にテレビ東京の深夜枠でひっそり始まった「孤独のグルメ」。いまや押しも押されぬ大ベストセラーで、シーズン10まで来てしまった。自分は、もうこの始まった当初からずっと見ていて、もうすごく好きで大ファン。なんか激しさ、過激さをもとめるいまのエンタメ業界において、なんかホッとするというか、自分はやはりこういう番組のほうがいまのエンタメ番組より全然好きだな。


10年間ずっと見てきたので、自分もすごい感慨深い想い出があります。


輸入雑貨商を営む主人公・井之頭五郎(松重豊)が営業先で見つけた食事処にふらりと立ち寄り、空腹を満たす至福の時間を描くドラマである。


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どこにでもありそうな街の飲食店にふらりと入り、特別ではないふつうの料理を探す主人公の姿は、グルメサイトの星の数でおいしい店を探すのが当たり前の時代へのアンチテーゼでもあるのかもしれない。主人公がおいしそうに食べる様子に共感する人たちも続出し、長く愛されるドラマになっている。



原作は、作・久住昌之氏、画・谷口ジロー氏による同名漫画。1990年代に月刊漫画誌に連載された後、2008年から2015年まで「週刊 SPA!」で新作を掲載。単行本2巻を発刊し、世界各国で翻訳出版されている人気漫画だそうだ。


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自分はこの原作の漫画を読んだことはないけど、谷口さんの描画がいかにも「孤独のグルメ」のイメージにあってよい。いい味出してると思う。


谷口さんは亡くなられたんじゃないですかね?だからもう漫画の続編は見れないのだ。


原作の漫画はたった2巻しかなくて止まったままだけど、ドラマのほうでそのオリジナリティはどんどん受け継がれているのだ。


自分は「孤独のグルメ」のどこが好きかと言うと、やっぱりなにげない普通を撮っていること。ほのぼのとしていて、いまのエンタメのようなあざとさがないこと。いつ見ても安心できる現代版・水戸黄門のようなドラマであること。とりあげる食がふだんの我々の手に届くふつうの食事であること、ほんとうにどこにでもあるふつうの飲食店を扱うこと、そしてそれをいかにも美味しそうに食べること。これは自分が食べたいな~とついつい思ってしまうこと。いわゆる深夜枠の飯テロであること。そして自分の身の丈に届くのでいつかはその店に自分が行ってみたいと思うこと。


こんなところにあるのではないだろうか。


本当にそこら辺にある飲食店で、ふつうのグルメなんだよね。

それを淡々と1人で楽しそうに食べていく。

それをただ描写している。。。


こういうアプローチは現在の過激命のエンタメ業界にとって革命だったよね~。


松重豊さんも俳優人生で、まさかただ単に食事を黙々とするドラマでブレークするとは思ってもおらず、演技をすることでなんぼの勝負の俳優人生において、いかがなものなのか、という葛藤もあったと聞く。


このドラマは、まさに松重さんのあの演技だからこそ、成り立っている、松重さんの演技がそのまま「孤独のグルメ」のイメージに繋がっているといっていいほど当たり役だ。いまや井之頭五郎の役は松重さん以外には考えられらないだろう。


あのドラマのトーン、あの雰囲気を出せるのは、松重豊さんだからこそ、と言っていい。


そんな孤独のグルメでは絶対的な存在なのだが、ここにきて心配な噂もある。

それは松重さんが、孤独のグルメを降板したい、と希望を出していることだ。


自分は、役者人生において、ただ食べているだけで評価されるのは納得がいかない、そこを気になされているのか、と思っていたのだが、実際はもっと切実な理由があるようだ。


それは食べるというロケが年齢とともにかなりタフで厳しくなってきているとのこと。松重さんは、普段はすごく小食なそうだ。スタイルも細身でつねにスマートを維持している。


ロケの日は、もう朝から絶食で本番に臨む。そして、あのように美味しそうに完食する。もちろんこれは本人が全部食べている。他の人が食べるなどのやらせはいっさいない。


だから失敗は許されない。失敗をして、もう1食食べるとなるともうギブアップである。だから撮影スタッフ間でもロケ本番はすごい緊張が走るらしい。


ドラマのシーズンが始まると、毎日ロケがあり、そのたびに完食しないといけない。


松重さんもけっこういいお歳を召されてきたので、もう年齢的にそのロケの完食が厳しいと感じてきているのだそうだ。もともと小食であることに加え、もう年齢的に、ドラマのようにがっつりと完食することがかなり厳しい。


そう感じているのだそうだ。


それで悩みに悩んだ挙句、スタッフにそろそろ体力の限界を申し出ているそうだが、スタッフは、もう最初から「ダメダメ、このドラマは松重さんあってのドラマなんだから。」とまったく掛け合わないそうだ。


松重豊「孤独のグルメ降板説」の真相はどうもそんなところらしいのだ。


これはわかる~~~。こういう事情であれば、なかなか納得もいく。松重さんの後任役として、香取慎吾くんとか、いろいろ挙がっているけど、やはりあの孤独のグルメのあの独特のモノトーンの雰囲気は慎吾君じゃ無理だろ?(笑)


松重さんだからこそ、成り立っているドラマというのは誰もが思うことである。



孤独のグルメを見ていて、前半は井之頭五郎の仕事の話を小耳にはさんで、いよいよ後半にメインのお店探し。そしてお食事。


井之頭五郎が1人で黙々と食事をしているとき、自分は撮影として、どう撮っているのか、それをあとでどう編集しているのか興味をもって見ていた。


先日、シーズン10に入る前の特別スペシャル版でそこら辺の秘密を公開していた。

つまり食事のシーンのロケをそのまま公開取材みたいな感じである。


それを見ていて、自分は長年の謎が一気に解けた感じである。


まず自分が不思議に思ったことは、井之頭五郎が黙々と食べているとき、いわゆるこれはアフレコなんだが、松重さんの1人語りが続く。


その内容ってどうやって書いているのかな?

脚本家、作家さんが書いているのかな?

でもまるで食べている本人じゃないとわからないようなセリフばかり。

いかにもそれを食べているからこそ、わかるそんなセリフ。


ここが謎だったのだ。


でもその公開取材を見た瞬間、いっぺんにその謎が解けた。それは本番中に松重さんが食べている間に、思ったことをその都度ロケを中断して、スタッフが松重さんから聞き出しているのだ。食べ物の印象、うまさふくめ・・・。もちろん本番の脚本では、脚本家によるプロの面白さ、言い回しなどを加えた本番用セリフに書き換えていることはもちろんである。


でも、基本は、松重さんが食べているときに、その都度その感想をスタッフに伝えていた。。。これはかなり自分にとっては大きな発見であった。


それなら納得がいく。


あとは、ご飯を食べるときの咀嚼音というかな、かなりの効果音がドラマでは加えられているのだけれど、これはどうやっているのか。もちろん食べている動作と完璧なまでにその効果音はシンクロしているので、あとで人工的に加えたものではない。


あくまでロケで実際マイクで生収録していることは間違いない。それをあとで増幅して効果音として加えているのか・・・


この部分のナゾは、残念ながら公開取材ではあきらかにされず、自分の謎のままである。あの咀嚼音がなんともいいんだよね~~~。(笑)


流行り廃りの激しいエンターテインメントシーンにおいて、この「孤独のグルメ」が10年続く背景には、原作者でありドラマ制作にも携わる久住昌之氏の飲食店への思いと「お店も人も街もすべてが料理の味になる」という哲学があるのだ。


●テレビの料理の取り上げ方に違和感


久住氏が原作の映像化に際してこだわったのは、料理をしっかり映すことだ。モノローグで主人公がただ食べるだけの姿を映している背景には、従来の情報番組のグルメコーナーなど、テレビにおける料理の一面的な取り上げ方への久住氏の違和感がある。


「いままでのテレビの食べ物の取り上げ方を雑だと思っていました。トークやお笑いで引き伸ばして、料理は「おいしい」ってひと言だけ。一般視聴者に向けたおもしろい番組作りなのかもしれませんけど、そういうことを徹底的に排除して、食べるところをひたすら細かく丁寧に撮っていきました。結果、繰り返し観るに耐えるものになり、また観たいと思ってもらえた」


それと同時に、料理と同等かそれ以上の尺を割いて取り上げるのが、飲食店そのものと、そこで働く人たち。人間ドラマによって料理の背景が描かれることが、より立体的にその味を伝えることにつながる。


「料理とお店のイメージだけを伝えるグルメ番組とは違います。店主がどういう人でどんなお店なのか、そこに来るお客さんやお店の周囲の風景、街を丁寧に取り上げます。描きたいのは料理だけではなくて、お店も人もすべて。そのすべてが料理の味になっているから」(久住氏)


●グルメサイト評価至上主義へのアンチテーゼ


もう1つ、本ドラマの特徴的なところは、有名店や人気の名物メニューを取り上げるのではなく、知らない街の名もない飲食店で特別ではない普通のメニューのなかの料理をピックアップすること。


どこにでもある身近なお店にも、おいしい料理はいくらでもある。「孤独のグルメ」では、それを発見することの楽しみを提示している。それは、昨今のグルメサイトで3つ星以上の店を探すのが当たり前になっている時代へのアンチテーゼにも見える。


「アンチテーゼという考え方はしたことありません(笑)。でも、みんなが騒いでいるお店やテレビに出ていたお店に行くだけじゃなくて、いいお店はどこにでもあるから探してほしいという気持ちはあります。友だちが知らないおいしいお店や料理を見つけるのは幸せなことです。それが自分の住む街に前からあったお店だったり、そこが新たな行きつけのお店になったりするとうれしい。そういうお店を1つでも2つでも増やしてほしい。僕は近所の飲食店を応援していますから(笑)」(久住氏)



自分は思うんだが、10年間やり続けて、マンネリにならずにどんどん成長していっている。。ドラマを長く続けていくということは、かならずこのマンネリの壁にぶち当たる。


人気作である一方、同じような内容がずっと続けば視聴者に飽きられる。飽きられないようにするためのあの手この手のリニューアルが、ファンにとっては陳腐化に映るといった裏目に出ることも少なくない。


そんな秘訣のようなものがあるのか、気になるところだが、意外やそんなにマジメに考え抜いているというよりは、もっと自然体な構えのようだ。


「毎日ふつうに食事することを誰もマンネリとは思わないですよね。人の生活のなかの空腹と食事、という繰り返しを描いているんです。同じようなものを食べていても、毎日同じ気持ちではないですよね。気合いを入れてグルメを食べに行くのではなく、お腹が空いたからなにか食べようという誰にでもある普通の行動。それを丁寧に描こうとすれば、いくらでもドラマはあると思います」



やっぱり、この孤独のグルメが、自分にとって1番大きな共感と感じたことは、「孤食の楽しみ」。

これに尽きると思う。


「1人でおいしい飲食店を探して自分なりのおいしいメニューを見つける喜び」をひとつの食の楽しみ方として一般的にした功績は大きい、と思う。


自分は、この孤食が大好きな人間なので。(笑)

正直なところ、親しい仲間といっしょの食事も確かに楽しいけど、やっぱりそのときは楽しい会話、雰囲気作りに気を取られてしまって、正直食事の美味しさまで気が回らないことも多いですよね。


せっかくの御馳走なのに、それはすごくもったいない。

自分は子供の頃からそんな感覚があって、美味しいものは、大好物は1人で食べたい派、1人で楽しみたい派なのである。


親しい人たちとの会食は、これはまったく別次元の話といっていい。


だから、この孤独のグルメが登場した10年前、自分は、うぉぉおおお~これこそ自分のイメージ、自分自身をそのまま鏡に映し出しているようなそのまんまのドラマだな、と驚き、すごく共鳴したのである。


そしてドラマ自体に覆うなんというかモノトーンな淡白さに非凡なものを感じ、これはいい!複雑、驚きをもとめる現代にいたって、逆にこういうほうが全然新鮮で面白い!と思ったのである。


孤独のグルメ、松重さんの食の細りの問題もありますが、これからも末永く松重さんで続けてほしいと思います。


じつは孤独のグルメは、ずいぶん昔から自分の日記で取り上げようと思っていたのだが、自分の場合、やはり直で自分が体験するという記事を挟み込まないと、自分らしくないと考えているところがあって、孤独のグルメの場合、ドラマで紹介されたお店を、実際自分で訪問して、そのメニューを体験してみる。。。こういうシナリオかな、と考えていた。


コロナ禍になる前の2018年5月11日放映のシーズン7で放映された


第6話「千葉県浦安市の真っ黒な銀ダラの煮付定食」


である。


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これだ~~~!

自分が求めていたものはこれ!

まさに自分が心底食べたいと思ったもの。



「銀ダラの煮付けお刺身付けて」


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銀ダラは想像とはおお違いで「真っ黒な岩のような固まり」その見た目に驚かされる。さらに 一口食べると銀ダラと銀のごはんのラリーが止まらなくなるほどその味の奥深さに驚くことに「マグロ」と「イカ」のお刺身と定食についてくる小鉢。


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この真っ黒な銀ダラ。

これはウマいだろ~。

間違いなくウマいに決まっている。


白いご飯が進む、進む、というものである。



とにかく真っ黒なルックスの銀ダラの煮付けがインパクト大!の一品である。この黒さは継ぎ足しで使い続けているという醤油のせいなんだそうだ。


見た目とは裏腹に、ほどよい味付けで、ふわふわな仕上がりだそうだ。


五郎さんも「色もスゴイが、デカい!味は、、美味しい!たしかに銀だらだ。ただし俺の知っている銀だらとは全然違う!ふわふわだ!中は真っ白。巨大な岩山を採掘しているみたいだ。」と大絶賛であった。


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この銀ダラの煮汁をそのままご飯にかけたら、いや、五郎さんは煮汁のほうにご飯を混ぜ合わせて食べていました。


「ほ~らきちゃったよ~!完璧な旨さの黄金比だ、これは常識の先に現れた幸福だ!いやぁめちゃくちゃうまい。」


これはヤバいっすね。(笑)


これはぜひ食べてみたい~~~!!!


と思い、ずっと狙っていたのでした。この「真っ黒な銀ダラの煮付定食」を自分で実体験して、そしてはじめて「孤独のグルメ」のことを日記で書こうと思っていたのでした。


お店は千葉県浦安にある羅甸(これで”らてん”とよびます。)。


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よっしゃ!千葉の浦安まで遠征だ~!と行き込んでおったのですが、そのままコロナ禍に突入してしまい、テイクアウトのみとなってしまいました。


コロナ禍が通過して、無事平穏が戻ったら、またイートインも復活するのかなと思い、ずっとこの5年間待っていたのです。そして意を決して、昨日電話を入れてみました。


そうしたら、


もうテイクアウトのみにしたんです。うちは、みんな歳を取ってきたので、もうふつうの食堂スタイルはやらないことにしたんです。これからはテイクアウトのみです。



がーん!


これはショック過ぎる!。

テイクアウトだけでも行ってみる?

でも持ち帰って、白いご飯炊かなきゃ。。。


・・・諦めました。


残念ながら、「真っ黒な銀ダラの煮付定食」体験できませんでした。


無念のひと言。美味しかっただろうな・・・。


でも「孤独のグルメ」を愛する気持ちは変わらず。実体験できなかったけれど、その深い愛する想いはそのまま表明しようと思った次第なのです。








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デジタル法隆寺宝物館 [美術]

東京国立博物館に新たな展示室として「デジタル法隆寺宝物展」が開室された。先月2月18日に観に行っていたのだが、お腹の体調不良や北海道帰省など重なりなかなか日記にできなかったのだが、ようやくご紹介できる。


これは素晴らしいです。人間の心の持ちようとして、やはり美術・古典鑑賞というものは高貴で一気に自分を高みに持って行ってくれるような不思議な力がある。


とくに自分が惹かれたポイントは、保存上の理由で常時展示がかなわない貴重な作品をデジタルを活用した技術で復刻させようという試みである。


やはり歴史・美術作品の最大の問題点は、その保存であろう。美術館好きな方であればよくお分かりになると思うが、展示室というのはつねに照明は暗く、湿度もかなり厳密にコントロールされている。これはひとえに、何百年という時代が経過している作品を破損しないように細心の注意を払う必要があるからである。


時代が古い作品につれ、常時展示というのはまず無理である。何年間隔で展示する、そのときはもう大イベント、そういう配慮が必要なのである。


そういう美術界において、最近の流れとして、原画をデジタル技術で複製、復刻して常時展示を可能にする。そういう方向性にあることは間違いないようだ。


聖徳太子の発願で7世紀初頭に建立された法隆寺ゆかりの名宝を、先端技術を駆使したデジタルコンテンツや複製でくわしく鑑賞、体験する展示室が東京国立博物館に完成した。


新しい展示室は、東京国立博物館 法隆寺宝物館に設けられる「デジタル法隆寺宝物館」。


法隆寺宝物館は、同寺に伝来し、皇室に献納された宝物300件あまりを収蔵・展示することを目的として、昭和39年(1964)に開館(平成11年(1999)に建て替え)。


「デジタル法隆寺宝物館」では、保存上の理由で常時展示がかなわない貴重な作品を、デジタルを活用した最新技術で紹介する。


2023年1月31日(火)からは国宝「聖徳太子絵伝」をテーマに、臨場感あふれるグラフィックパネル(複製)と、大型8Kモニターで絵の詳細まで自在に鑑賞できるデジタルコンテンツを展示する。


自分は、この8Kで復刻というところに猛烈に反応。すごい素敵な試みで心揺さぶられた。まったくそんな情報を持っていなかったのだけれど、朝たまたまSNSで偶然にこのことを知り、もうすぐに即決。すぐに観に行こう!でその日に行ってきた。


法隆寺は、聖徳太子の発願により17世紀に建立された名刹である。その西院伽藍のうち、金堂・五重塔・中門・回廊などの建物は、現存する世界最古の木造建築物として知られている。明治11年(1878)、法隆寺に伝来した宝物300件あまりが皇室に献納された。


これらの宝物すべてを収蔵・展示することを目的として、昭和39年(1964)、東京国立博物館が開館し、平成11年(1999)の建て替えを経て今日に至る。


国宝「聖徳太子伝」は、かつて法隆寺の絵伝を飾っていた大画面の障子絵である。平安時代・延久元年(1069)、絵師・秦致貞によって描かれた。10面からなる横長の大画面に、聖徳太子の生涯にわたる50以上ものの事績が散りばめられている。数ある聖徳太子絵伝のなかでももっとも古く、初期やまと絵の代表作にあげられる。



この法隆寺宝物館には、その障子絵の原画があるのである。でも長い年月を経て、画面の痛みがひどく、肉眼で細部まで鑑賞することは難しいそうだ。


これが東京国立博物館にある聖徳大使絵伝の原画だそうである。保存上の理由により年間の展示日数が限られている。展示されるときは、このような感じなんですね。本物見てみたいです。


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これのデジタルコンテンツ<8Kで文化財 国宝「聖徳大子絵伝」>は、この本作品の高精細画像を、大型8Kモニターに映し出すアプリケーションだそうである。


デジタル法隆寺宝物館は、法隆寺宝物館の中2階にある。


東京・上野である。


上野の東京国立博物館の中の一角に法隆寺宝物館があって、その2階にコーナーという形で展示されているのである。


ここが法隆寺宝物館。

ガラス張りの近代的な建物で驚く。手前には水が張られていてとても素敵である。もちろん自分は初めて来る。


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中はすごく天井が高く、無駄なものはいっさいない。これこそ博物館の基本というような空間に思える。


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2階に上がると、ありました。デジタル法隆寺宝物館。

いわゆるコーナーという感じの展示ですね。


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館内はとても静謐な空間で、静かなクラシック音楽が流れておりました。この効果はまるで精神医療のようなセラピティがあって、このBGMが背後に流れながら、この美術鑑賞するときのこの精神的な穏やかさ、心地よさなどとても素晴らしいと感じました。


中に入るとまず圧倒されるのは、壁面としてコの字に10面の壁画が展示されていることだ。このコの字に展示されているというのは、法隆寺の絵伝にあった時と同じようにしている、という配慮なのだそうだ。


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自分は、これが聖徳太子絵伝の原画なのか、と思い、スタッフに聞いてみたら、これは複製画だそうだ。原画はとてもでないが、いまは展示できるような状態ではないという。


過去の展示の際には、国宝「聖徳太子絵伝」を紙に印刷した原寸大のパネルを掲示していたが、今回、美術印刷専門のサンエムカラーに依頼し、人工絹にカサネグラフィカと呼ばれる独自の特殊技術を用いた印刷を行ない、一級表具技能士の手による表装を施した、一層「リアル」な複製パネルに生まれ変わったものだそうだ。


つまり今回8Kのデジタルコンテンツのみならず、この複製パネルによるリアルな「聖徳大使絵伝」も観れるということなのである。


これは圧倒されますよ!なんせ、原寸大ですから。

正直言いますと、今回の70インチモニターでの8K静止画より、こちらの原寸大複製パネルのほうがずっと感動しました。(笑)自分の仕事柄、8Kうんぬんというのはあまり珍しくもなく、NHKの技術展示でもよく拝見しているので、インパクトとしてはもう断然こちらの複製パネルのほうが圧倒されました。これは素晴らしいです。


この聖徳太子絵伝というのは、いわゆる聖徳大使の生涯、事績、成し遂げてきた50以上の業績をこの10枚の絵画に全部絵巻のように描き連ねたということなんですね。


聖徳大使ってそもそもどんな人なの?

我々の世代ですと、子供の頃の1万円札が聖徳大使でしたね。


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聖徳太子は、飛鳥時代の皇族・政治家。


叔母の推古天皇の下、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど中国大陸を当時統治していた隋から進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。このほか仏教を厚く信仰して興隆に努め、後世には聖徳太子自体が日本の仏教で尊崇の対象となった。


・・・だそうです。小野妹子を遣唐使として唐に派遣したのも聖徳太子でした。


よく俗的な話では、いっぺんに10人以上の話を聞きとれた、とか、空を飛んだとか、いろいろ逸話あります。そんな逸話もちゃんとこの絵伝に描かれているのです。


こちらが、8Kのデジタルコンテンツバージョンです。

こちらが今回のメインの展示物になります。


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70インチのシャープのモニターです。

さすが8Kといえばシャープというところですね。どうしてもそこに目が行ってしまいます。


8Kの画質そのものは、思ったほど高精細、高画質という印象もなく、これはいつもの理論ですね。8Kの撮像素子のカメラで撮影した画像の8K再生画質はそれはすごいと思います。でも、もともとの原画の解像度に限界があるものを8Kで復元してもなかなかそんなに現代の画質並みという訳にはいきません。アップコンバージョン技術としてどこまで、というのもありますが、でも飛鳥時代の絵画です。


でもやはり国宝、文化財をデジタルコンテンツとしてアーカイブするなら、もう現時点での最高画質の8Kでアーカイブするのは当然のことですし、有意義なことだと思います。そんなうがった見方をしないで、純粋な鑑賞眼という目で見るならば、じつに原画のクオリティをそのまま再現できる最高の画質であることは間違いないです。


こういうデジタルコンテンツというスタイルであれば、常時展示は可能ですし、しかも原画同等、原画以上の画質クオリティ。これこそが、将来の美術展示の在り方、そしてそれに一石を投じた作品だと確信しました。


素晴らしいの一言です。



このようにモニターの下のほうには、ボタンを押す操作画面があり、これを操作することで、たとえば聖徳太子の事績が実際の絵画のどの部分に相当するのかを示してくれるようなナビゲーションがされるのです。


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これはものすごく重宝しました。

これが自分が一番感動した部分です。


つまり複製パネルはたしかに原寸大で感動しますけど、どこになにが描かれているのか、見ただけではよくわからないんですね。それで、いったんこちらの8Kデジタルコンテンツのほうで、操作パネルで事績と絵画の位置関係を確かめるという作業をやります。


操作画面の下の方に、聖徳太子の人生における事績があって、それで自分が興味のある事績のボタンを押すと黄色の矢印と枠が出てきて、この絵画のこの部分だよ、ということをモニターに映し出してくれるのです。


それから原寸大の複製パネルのほうで実際観てみる、ということをやるんですね。


そうすると、ものすごく理解できたような気がするし、この10枚から成る聖徳大子絵伝の聖徳太子の歴史と事績がよく理解できるのです。



ちょっとこの操作パネルで位置関係を確認してから、実際の複製パネルで確認した部分の写真をご披露しますね。

ちなみに、デジタル法隆寺宝物館は写真撮影は大丈夫です。



●こちらが10人以上の人の話をいっぺんに理解できた。驚異の記憶力の絵画です。


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●こちらが空中浮遊の逸話の絵画です。


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●こちらが十七条憲法制定の絵画です。


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これは素晴らしい試みだと思いました。まさにデジタル時代の美術鑑賞というスタイルですよね。デジタルにすると、いろいろな付加機能、操作の利便性が出てきます。そのデジタルドメインの中でコンテンツそのもの以外にいろいろなサービスがみんな同じ土俵上で実現可能になります。


絵画そのものをデジタル化するということは、保存の問題を解決して、単に常時展示を可能にするというだけではなく、このような同じドメイン上でいろいろな付加機能サービスが可能になるという可能性が広がることだと思います。


美術館賞は、その昔から保存されている展示物を鑑賞することに意義があるんだというご意見も出てきそうですが、もうそんなことに拘っている時代ではないですね。


お城の世界でも、タブレット端末をかざすと、VRでその当時の天守閣が浮かび上がってくるというのもあたりまえになってきますね。幻の安土城の天主なんかもそうです。


そういうデジタルの力を借りれば、本来かかるべきであろう費用もかなり抑えられるというメリットもありますね。歴史、美術は、本来の物に真の価値を見出すというほかにデジタルの力でもっと幅広い楽しみ方ができる、そういう時代になってきているのでしょう。



コーナーの外側も素敵な空間が広がっています。


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伎楽面〈呉女〉(飛鳥時代・7世紀)の複製です。



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デジタル法隆寺宝物館のパンフレット。多言語対応です。日本語、英語、中国語、韓国語ですね。


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デジタル法隆寺宝物館はいわゆる2階にコーナーというスタイルで展示されていますが、1階や3階には本来の法隆寺宝物館としての展示もたくさんあります。それもぜひお勧めです。素晴らしいです。


自分が心底驚いたのは、この3階からの入り口から入っていく暗室の世界。


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この阿弥陀如来像の陳列を観たときです。これは圧倒されます。もうびっくりしました。これ1体ごとに全部違うのです。まさに仏教芸術、仏教美術の極致といっていいのではないでしょうか。


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デジタル法隆寺宝物館、聖徳太子絵伝 ~7月30日(日)までやってます。

8月1日(火)~2024年1月28日(日)は、同じ8Kデジタルコンテンツ展示は展示対象が変わります。

「法隆寺金堂壁画 写真ガラス原板デジタルビューア」


ぜひお出かけください。







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北海道いろいろ [雑感]

今回3月に帰省しようと思ったのは、飛行機のチケットというのは、夏休みのお盆休みとか年末年始のときは、飛行機代はものすごく高く跳ね上がる。もう航空業界ではそういうビジネスなのである。平月のおそらく2~3倍は軽く。きっと驚きますよ。で、そのシーズンを外したい、ということと、あと札幌コンサートホールKitaraで札響を聴きたい、という長年も夢があったので、その札響のコンサートカレンダーの都合との相談であった。


それで3月上旬に決めた。

航空券を予約したあとに気づいたのだが、3月の北海道、札幌ってまだ雪ガンガンに残っているよな。あちゃ~いろいろ出歩く計画を立てていたのだけど、こりゃ足元悪すぎて、こんなに計画こなせないや、ということで、かなり頓挫した計画も多い。


札幌中の島で、すみれを堪能したあと、地下鉄南北線の中の島の駅に向かっている途中での景色である。


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まさに冬の北海道。3月はだいぶ雪解けが進んでいて地面が出てきてはいるものの、まだまだ雪道、凍結地面で危険だと感じた。


自分がこのときつくづく思ったこと。それは、冬の雪はもうこりごりだ、ということである。


新千歳空港の日記で書いた通り、北海道は、本当に観光的に素敵なところだと思う。とくに夏。そして冬。いや紅葉の秋や桜の春も。。。


大自然の美しい景色と美味しい食事。すべてにスケール感が大きくて、こんな素敵な観光スポットはないだろう。

北海道出身の自分は、やはりその有難みをよくわかっていない、灯台下暗しなんだとつくづく思う。


そのことをわかっているとはいいながら、幼少時代から北海道の中でも豪雪地帯で育ってきた自分からすると、もう雪はコリゴリなのである。


いまは雪の除去車が排雪してくれるのがあたりまえになっていると思うが、当時は、朝起きたら、もう玄関の扉の真ん中ら辺まで雪が積もっている。まず玄関が開かない。そこから汗びっしょりになって雪かきをする。雪かきは毎日、子供の仕事である。


そして学校までの登校路でもたっぷり積もっている雪の中を、長靴姿でざっくざっくと漕ぎながら歩いていく。当然長靴の中に雪が入り込んできて、足は靴下ごとビショビショに濡れる。もう気持ち悪さMAXである。


天気の悪い日は、吹雪である。もうニット帽ふくめ完全防備だけど、それでも顔なんかは表に出ているからその吹雪、雪にさらされて寒いし痛い。


自分は豪雪地帯に住んでいたから、雪はもうこりごりという感じなのである。たしかに家の中は北海道は、発達した暖房設備のため、すごい暖かい。


東京は冬になると家の中はめちゃくちゃ寒い。でも外に出ると雪がいっさいないのである。ふつうの春、夏、秋と同じなのである。これが自分にとってどんなにありがたくて天国に感じることか!


冬は、もう雪の降るところには住みたくない、というのが自分の逸らざる心情である。


自分は、すみれの帰りの地下鉄の中の島駅に向かっている最中のこの冬景色を見た瞬間、うわぁぁぁ~これぞ。。またこの世界?もうやっぱり冬に雪の降るところはツライなと思い出してしまった。


もちろん雪を経験したことがない方にとって、雪はとてもロマンティック、北海道は、スキー、温泉、そしてクリスマスととても素敵な観光スポットに映ることは間違いない。


それは至極正しいと思うし、とても素敵だと思います。けっしてそのように夢を見る方にちゃちゃを入れいてるつもりではないので誤解のないように。もちろん、そういうシチュエーションはとても素敵だと思います。


自分の場合、単なる子供の頃のトラウマだけなのかもしれません。


北海道の冬季の道路はとても危険である。路面が凍結しているからである。よくすってん転んで、骨折したり大怪我したりすることもあるので、注意が必要です。


とくに危険なのは路面が凍結しているのにも関わらず、その上にパウダー状粉雪が積もっているので、一見見ただけでは、凍っているとはわからず、普通に歩いてしまいすってんころりんとやってしまうことです。


雪国、北海道の冬季の路面の歩き方は一種独特のスキルが必要です。これは道外の方が、冬に北海道に来たときに、その冬道での歩き方というのをよくご存じないので、ついついすってんころりんとやってしまう、ということはよくあることです。


雪国の冬季の道、特に凍結路面を歩くときは、いわゆるノウハウが必要なのです。これは北海道民や雪国の方は、自然と身につけているワザなのですが、雪国と関係ない人はふつうに歩いてしまうので、すってんころりんやってしまいます。


雪道、凍結路面を歩くときは、ゆっくり、ヨーソロー状態で歩くことです。つまり靴の裏をべったりと路面にかみしめるように、1歩1歩確実に踏み込むように貼り付けるように歩くのです。ふつうの雪のないふつうの道路での歩き方ではまずダメです。


1歩1歩かみしめるように歩くこと。1歩1歩、大丈夫だよな?滑らないよな?ツルンと来ないよな?というようにかみしめながら歩くのです。


1歩1歩こういう意識を持ちながら歩かないと、ふつうに東京と同じように歩くときに無意識に歩いているとスッテンコロリンとやってしまいます。


このヨーソローの歩き方は、なかなかわかってもらえないかもしれませんが、雪道を歩くようになると自然と身に着ける感覚、技になります。


でも道内者や我々道内出身者を以てしても、ちゃんとヨーソロー状態で注意して歩いていても、やっぱりふいにツルっとやってしまい転んでしまうことも多いのです。もうこれは予想もせずに、ふいに襲ってきます。


冬道、凍結路面を歩くということは、本当に大変なことなのです。


自分がやはり冬に雪が降るのがイヤだなと思ったのは、この雪道、凍結路面を歩かなきゃいけないということでした。あ~~~またこれをやらないといけないのか。3月の北海道は、雪解けで地面が出てきているとはいえ、まだまだ雪道状態、路面凍結状態で危険でした。


東京では、冬になっても、まったくそんな心配もせず、ふつうに歩ける。もうなんかそんな想いが過ぎりました。


豪雪地帯で幼少時代を育った人のネガティブなトラウマと思ってください。(笑)冬の北海道は、やはり素敵でロマンティックなところも間違いありません。もうどんどんそんなロマンティックな冬の北海道を楽しんでください。大いに応援しています。


さてひさしぶりに北海道で数日間過ごすととても新鮮に感じることがある。それが地方のローカルニュース、ローカル番組である。


日本の地上波放送は、いわゆる全国共通番組と地方ローカル番組とを交互にチェンジしながら放送を1日繋いでいる。これはどこの地方でも同じである。


ひさしぶりに北海道で滞在して、北海道のテレビを見ていると、この北海道の地方ローカル番組を見かけることも多い。なんかこういう番組をみるとほのぼのとしますね。なんか自分の子供の頃を思い出すというか懐かしいというか。。。


そんな中で懐かしいな~と思ったのが、”なまはげ”。

なまはげって知ってますか?(笑)


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なまはげは、秋田県の男鹿半島周辺で行われてきた年中行事で仮面をつけ藁の衣装をまとった神の使い(来訪神)を指す。こんな怖い仮面をつけて、藁をまとって、いろいろ家を訪問して回るんですね。


そしてこどもたちに、「いい子にしているか~。ちゃんとお父さん、お母さんの言うことを聞くんだぞ~。」もう赤ん坊、こどもたちは、怖いからギャンギャン泣き叫びます。


鬼の面、ケラやミノのような用具、ハバキをまとって、なまはげに扮した村人が家々を訪れ「泣ぐ子(ゴ)は居ねがー」「悪い子(ゴ)は居ねがー」と奇声を発しながら練り歩き、家に入って怠け者や子供、初嫁を探して暴れる。


家人は正装をして丁重にこれを出迎え、主人が今年1年の家族のしでかした日常の悪事を釈明するなどした後に酒などをふるまって、送り帰すとされている。


なまはげ、というのはそういう行事のことをいいます。

秋田県男鹿半島がその所縁の地だそうです。


自分がなにげなく眺めていたテレビで、このなまはげを歌志内という町で、”歌志内のなまはげ祭り”ということで毎年やっているのだそうです。当然ですが、全然知らなかったです。


歌志内はこれも炭鉱で栄えた町です。


歌志内市で毎年2月第1日曜日に行われる「歌志内なまはげ祭り」で、秋田県男鹿半島の行事として知られる「なまはげ」に、独自のアレンジを加えて開催しているのだそう。


旧炭鉱町の歌志内市で東北出身者が多かったので、地域活性化を図るために始まったと伝えられているそうだ。


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祭りでは、全身に蓑(みの)をまとい、大きな鬼面をかぶった男たちがなまはげに扮し練り歩く姿は迫力満点。また会場では、甘酒やおしるこの無料サービスや餅まきなども行われている。


特設会場でのイベントのほか、市内の企業や家庭を訪問し「商売繁盛」「家内安全」を祈願します。


なまはげと言ったら秋田でしょう、と思うものだが、まさか歌志内でそんななまはげ祭りが毎年行われているなんてまったく知らなかったです。歌志内のなまはげ祭りは、特別会場を作って、そこで行われるんですね。その模様がテレビで特集されていて、それを自分は見ていたのです。


この「なまはげ祭り」の日にちが近づいてくると、子供たちはソワソワし始めます。お祭り会場で親たちが「なまはげ」に今年の子供たちがどう過ごしたかを報告するからです。大概の子供の親は子供が悪い事をしたことを「なまはげ」に報告するので、子供は家を出る段階から行きたくないと駄々をこねるほどです。


要は、年に一度のお仕置き?なんですね。(笑)


お祭り当日、会場では子供たちはわりと余裕で楽しく雪遊びをしたり、大人は無料の甘酒やお汁粉を堪能して「なまはげ」を待ちます。


日も落ちだんだん暗くなってくると、いよいよ「なまはげ」の登場です。「なまはげ」は片手にたいまつを持ち、「泣く子はいねぇが―」、「いじめっ子はいねーか」、「親の言うこと聞かねぇ悪ガキは山さ連れてくぞ」と叫びながら山から下ってきますが、太鼓が鳴り照明が当たりとても神秘的な感じがします。ちなみに、この段階で子供は号泣です。


そして一度特設会場に鬼たちは整列し「なまはげダンス」なるものを披露した後、子供たちの元へ向かいます。子供たちは「ちゃんという事聞いていた」と泣きながら訴えますが、親は「いう事聞いてなかった」となまはげに告げ口をすると、「言うこと聞きます、ごめんなさい」と号泣。最後になまはげに抱っこしてもらい無病息災などを願います。会場では泣く子や逃げ回る子で、さらににぎやかになります。



・・・こんな感じです。(笑)


なんか微笑ましくて、微笑ましくて。こういう伝統祭りがおこなわれる、こういうニュースがいかにも地方ニュースらしい、北海道らしくて、自分はほのぼのした気分になりました。


なまはげに感動することも普段はないでしょう。

なんか滞在期間、自分の印象に妙に残っている番組でした。



もうひとつ北海道滞在期間で、テレビでたくさん報道されていたのが、北海道日本ハムファイターズの新本拠地の”エスコンフィールド北海道”です。


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この新球場のマスコミへのお披露目ということで、3月5日だったかな?いっせいに報道陣に新球場をオープン、初お披露目するという日があったのです。もうこの日は、北海道のテレビ報道は、この新球場のことで1日中報道している大フィーバーでした。


これは北海道にいるから、北海道のテレビだから味わえる感覚なんだな、と思いました。


思えばプロ野球の球団を地方へのフランチャイズ化していくという戦略はいま考えると大成功という結果になったと言っていいですね。福岡のソフトバンク(当時はダイエー)、仙台の楽天、そして北海道の日本ハム。


自分が子供の頃に、地方が球団を持つなんてまったく想定外でした。ビジネスにはならないという感じで論外でした。でもいまこうやって地方にきちんと根付いて栄えているというのは、本当に驚きで隔世の感があります。

球界のビジネス経営陣に先見の目があったということですね。


北海道は、自分の子供の頃からプロ野球は巨人ファンだったです。9割以上、間違いなくオール巨人ファンです。自分も巨人ファンでした。いわゆる札幌円山球場の時代ですね。(懐かしすぎる。。笑笑)


それがいまやどうなんでしょうね。もう完璧に日本ハム一色ですよ。テレビの報道姿勢や取り上げ具合、そしてそれに因んだ番組と、もう完璧に日本ハム一色。もう北海道は完璧に日本ハムに染まったといってもいいと思います。


それくらいメディアの日本ハムの取り上げ方が全然違います。こんなに毎日テレビ番組のどれかに日本ハムが出てくるなんて、やっぱりいまの北海道だな~と思うのです。



この北海道日本ハムファイターズの新本拠地”エスコンフィールド北海道”。報道番組でかなり詳細に紹介されていて、それこそ隅々という感じ。たぶん東京のニュースでは、そのごく一部の切り抜きカットシーンしか紹介されないと思いますが、北海道にいるからこそ、こんなに詳しく細部に至るまで紹介されているんだな、と感じました。


自分が、エスコンフィールド北海道で知っていたニュースは、ファールゾーン(ホームベースの後ろから横にかけてのエリアですね)の広さが野球の既定のルール違反であるということ。(笑)


ありゃ、やっちゃったな~という感じで、どうするんだろう?と思いますが、今季は仕方がなくこのまま行きますが、来季以降見直すという感じですかね。


ちょっと、このエスコンフィールド北海道、すごいですよ。


この日記では、その編集作業があまりに大変なので、その紹介はしませんが、たぶん日本の球場の中でももっともゴージャスですごい球場と言っていいと思います。


北海道ってそんな経済的豊かさがあるのか、どこがスポンサーなんだ?もう驚きとしかいいようがないです。


左右非対称な球場で、1塁側日本ハム側の応援側の観客席数のほうが多いようになっています。そしてドームのような屋内と、昔のような野外の球場スタイルと併用できるシステムになっています。


しかも天然芝ですよ!

昔の球場は天然芝でしたが、ドーム球場になってから人工芝全盛になりましたね。人工芝は選手生命を短くするという悪評もありました。やはり天然芝がいいみたいな論調もありました。この新球場では天然芝、復活なのです。


そして世界最大級の大型ビジョン。


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北海道・全国の銘店が集う横丁エリアや、球場内で醸造するクラフトビールというのもあります。あと温泉サウナ、高級ホテル、ミュージアム、キッズエリア・・・


北海道がこの新球場を新設するにあたって、目指したものとは、単なる新しい球場という括りではなく、いろいろなテーマパークも全部盛り込んだ、いわゆる”北海道ボールパーク(HOKKAIDO BALLPARK VILLAGE)”というコンセプトなんだということが理解できます。球場はその一環の役割でしかない。


だから膨大な敷地が必要で、札幌市内では無理なので、郊外の北広島なんだろうと推測します。



高級ホテルも併合施設になっていて、その中にダルビッシュ&大谷の11(ルームナンバー?)の特別ホテル部屋があります。部屋の中には、ダルビッシュと大谷の肖像画と直筆サインが飾られていて。その部屋から球場の試合を観戦することもできます。


そして食事やドリンクを楽しみながら、野球を観戦できるような特別エリア(センターの後方?)とか。それもカジュアルなものではなく、高級レストランも併設みたいな感じで、ディナーを楽しみながら野球観戦できるみたいな。。


そして両チームのダグアウトの造りや、ブルペンの構造。。。


もうとにかく報道番組、特集でつぎつぎと紹介される特徴、スポットにこりゃすげえや?これは間違いなく日本一の球場、と思ってしまいましたから。


とくにお客様目線、飲食関係によるサービスが充実して、かなりお金かかっているように思えて、こりゃゴージャスだな・・・と舌を巻きました。


単なる野球球場というジャンルにとどまらない、総合レジャー施設、テーマパークともいっていい規模の施設のように思います。


この新球場”エスコンフィールド北海道”は、札幌からやや南下の北広島というところにあります。札幌から新千歳空港にいく途中の駅ですね。


はたして足、いわゆるふつうにお客さんがアクセスするとして、どれくらいの利便性があるんでしょうかね?北広島駅からかなり歩くのでしょうか?車じゃないとダメなのでしょうか?このアクセス問題が結構重要な気がしてきました。


ところで日本ハムファイターズは、なぜこの新球場を新しい本拠地とする決意をしたのでしょう?

札幌ドームじゃダメなのでしょうか?


札幌ドームだってもう全然新しい球場じゃないですか?

そこを振ってまでも新球場に移転するメリットってなんなのでしょう?


そして日本ハムファイターズに去られてしまった、札幌ドームはその後どうなってしまうのか?

経営的に大丈夫なのか、黒字を確保して行けるのか?


まっもう北海道ボールパークという総合テーマパークというプラン、発想が前提にあったので、そこの球場は当然、日本ハムファイターズがフランチャイズとするというレールなんでしょうね。だから札幌ドームからの移籍はもう既定路線だったということになります。


自分はいろいろリスキーでたくさんの問題を抱えているように思います。札幌ドームは札幌市内なのに対し、北広島は、札幌じゃないですからね。はるか離れています。自分はこのアクセスの問題がいちばんどうなのかな、と思います。


車でのアクセスを前提としているのでしょうか?


これは自分が滞在していた期間の3月上旬では、北海道ではかなり話題になって報道されていましたよ。


この日本ハムファイターズの新本拠地”エスコンフィールド北海道”、開幕は3月下旬ですかね。今年の日本ハムはどうかな?


いずれ、この新球場で日本ハム戦を観戦したいものです。



らーめん五丈原を堪能して、市電ですすきの下車。夜から札幌コンサートホールKitaraで札響を聴く予定になっていたのだが、間に時間が結構空いていた。


この冬の寒いとき、なかなか大変である。やはりどこかで喫茶店、カフェなんかで時間つぶしかな、と思って歩いていた。地下鉄南北線のすすきの駅の地下ストリート街を歩く。懐かしいな。ちっとも変わっていない。


ここで宮腰屋珈琲を発見。


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宮越屋珈琲は、有限会社宮越商事と株式会社ミヤコシヤサンズが北海道を中心に展開するコーヒー専門店チェーンである。東京でも支店あります。北海道、とくに札幌の地下鉄駅街を歩いているとかなりの頻度で見かける喫茶店である。カフェというよりは喫茶店である。支店によってはちょっとしたオーディオシステムを鎮座させているところもあるらしい。(笑)新千歳空港の3Fのレストランエリアでも見かけました。


ここがいいな、と思ったが、現金が少なくクレジットカードが使えるか確認したらダメとのこと。今回に限らないが、札幌はなかなかクレジットカードが使えるところが、どこでも使えるというほどの利便性がなかったような気がする。現金を使いたくなかった自分は、その都度カードが使えるか確認したのだが、使えないところが多かった。


そしてさらに彷徨って歩いていたら、よさげなところを発見。

ここは喫茶店ではなくカフェである。(笑)


なんかお店の表構えもすごく小洒落れていて、素敵である。雰囲気がとても素敵。ここはカードが使えるということで、ここで即決。新千歳空港4Fのオアシスパークにもこのカフェありました。


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このPRONTOというカフェを営んでいるのは、株式会社プロントコーポレーション (PRONTO Corporation) は、東京都港区港南に本社を置き、PRONTO(プロント)等の喫茶店チェーン、酒場チェーンを運営する企業だそうである。



サントリーとUCC上島珈琲が共同出資し、1988年(昭和63年)2月1日に「株式会社ブレス」として設立。第1号直営店は東京・銀座に出店。その後は移転を経て、1995年2月1日に現在の社名に変更した。


昼はカフェ、夜は酒場業態となる「PRONTO(プロント)」を展開するほか、2000年(平成12年)からは完全なカフェ業態である「CAFE SOLARE」の出店を開始。2021年(令和3年)に再ブランディングを行い、現在のデザインである「太陽と月のダンス」と二面性をキーワードした新ロゴマークにモデルチェンジ。海外では、上海、シンガポール、台湾に展開を開始している。


ほぼ全店舗で、フリーWi-Fiやコンセントが使用できるサービスも提供されている。



このPRONTOというカフェ。昼はカフェ、夜は酒場業態なんですね。確かに雰囲気がとても素敵なのは、そういう要素があるんだと思いました。


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とにかくこの日は雪がしんしんと降っていて寒くて寒くて、体が芯から冷え切っていたので、ホットのロイヤルミルクティーとドーナッツを調達。体が温まりました。


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とてもいいお店だと思いました。


今回は、オヤジ、オフクロ、実家とメインのタスクがあったが、それと同時に北海道ラーメンを食べ尽くす旅、そして札響コンサートといろいろあったが、やはり3月の雪がまだ残っている足元の悪さ。いろいろ実現できなかった計画もあった。


北大学生食堂で学生たちといっしょにランチをする。北大散策、ラーメンでは実家近くに味の時計台とか昇龍のラーメン屋さん(この2軒は閉店になっていました。)、そしてジンギスカンのだるま。残念でした。


次回北海道に帰省できるのは、いつになるであろうか。

残ったタスクを片付けたいのである。


じつはぜひ行ってみたいところに旭川の旭山動物園があるんですよね。

ここはすごい魅力を感じます。


北海道に住んでいながら、旭川というところは意外と行った経験がなく、中学のときの修学旅行のときくらいしか記憶がない。ぜひこのミッション成功させたいと思っているのです。


そのときは、ぜひ旭川の醤油ラーメンを十分に堪能してきたいと思っています。






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やきとり三船 [グルメ]

おらが町のソウルフード。ソウルフードというのは”その地域に特有の料理。その地域で親しまれている郷土料理”という意味だが、まさに、この”やきとり三船”ほど、そう呼ばれるのに相応しい食べ物はないだろう。


おそらく日本中の誰も知らない。本当におらが町のみ有名な、おらが町のソウルフード。そんなお店である。


もう今回はラーメン特集に次いで、ローカル色全開だ~。(笑)


北海道というのは戦後、そもそも未開の地だったわけだが、そこに道外の人(北海道弁で内地の人といいます。)が北海道に移り住んできたその由来は炭鉱である。


戦後の北海道の町は、炭鉱が大変なビジネスで、未開の地、北海道はその石炭が眠っている宝の山であったのだ。その石炭を掘ることでビジネスになっていく。まさにいまのアラブ連邦のような石油みたいなものだから、炭鉱は大変な自然資源だったわけだ。


北海道のあちこちの町が炭鉱の町として栄え、そこでたくさんの人が働いた。道外、内地の人が北海道に移り住むというのは、この炭鉱で働くということと同義語であった。


戦後北海道が栄えていく、そのきっかけだったのが炭鉱ビジネスだったわけだ。


何を隠そう、うちのオヤジも実家は九州・佐賀県であるが、長男のオヤジのみ、北海道に移住してきたのも炭鉱で働くためである。でも肺結核を患い、退職。その後、高校教員としての道を歩み、定年まで全うした。


自分がこどもの頃(と言っても生まれたときからこの町にいるのではなく、いまの実家に引っ越ししてきたのは高校生のとき。)、美唄という町は炭鉱で栄えた町であった。


今回、ご紹介するおらが町の岩見沢やきとり三船は、そんな”美唄焼き鳥”三船がそもそものルーツなのではないか、ということのようだ。


北海道三大焼き鳥といえば


「美唄焼き鳥」

「室蘭焼き鳥」

「函館 ハセガワストアーの焼き鳥弁当」



「室蘭焼き鳥」は豚肉を使用。

「美唄焼き鳥」は鶏の正肉を使い、モツ、モモ、ムネ、レバー、ハツ、皮などが一緒に刺されている。


 なぜに岩見沢に「美唄焼き鳥」があるんだろうか?



「美唄焼き鳥の歴史」


・戦後間もない頃【三船 福太郎氏】が美唄市我路地区にて「三船」開業。

・1965年頃から1970年にかけて炭坑閉山。

・我路地区の三船を譲り、美唄中心部に移転。

・1965年岩見沢に「やきとり 三船」開業。

・1968年に三船の弟子が美唄市に「たつみ」を開業。

・1970年頃、親族により美唄市に「福よし」開業。


ちなみに

・士別にある「鳥源」は岩見沢三船で修行し

・士別で開業札幌と旭川に鳥源がある。

・士別店のご主人 亡くなったけど店名を変えて

・士別で焼き鳥営業している。


 

美唄市は炭鉱で栄えていた時代があり炭鉱は東美唄、南美唄、茶志内など最盛期の人口は9万人であったが現在は2万1千人と四分の一まで人口が減少。


三船開業の地である「我路地区」は「三菱鉱業美唄鉄道線」も運行していた時代があり、近隣には旅館、飲食店、映画館もあってこの地区だけで3万人ほど住んでいた。


また美唄駅から鉄道も引かれ

美唄駅→東明駅→盤の沢駅→我路駅→美唄炭山駅→常盤台駅

と10.6kmを鉄道で結ばれていた。


子供達もかなり多く住んでおり沼東幼稚園、沼東小学校、沼東中学校、旭幼稚園、旭小学校常盤幼稚園、常盤小学校、常盤中学校などの学校もあった。



そんな岩見沢にある”やきとり三船”。


もう古くから存在する。1965年創業だから自分が生まれたときからである。もちろん自分たち家族が引っ越してきてからもずっとそこにあった。


やきとり三船は、今では創業50年以上岩見沢市のソウルフードでもある。


岩見沢駅前というか、バスターミナルの向かいにある。大変失礼ではあるが、もう震災で臨時で作ったプレハブ、掘っ立て小屋のようなお店である。(笑)いわゆる首都圏のような屋号があって、暖簾、提灯があって、雰囲気のあるいかにも日本の居酒屋ってなそんな感じとはほど遠い。


掘っ建てプレハブ小屋を至急にやきとり屋さんにこしらえました。。。そんな風情である。でもこれがまさに思い出一杯。まさにやきとり三船なんだよね~。


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このやきとり三船。本当に溢れんばかりの想い出でいっぱいである。


ちょっといわゆるいまの居酒屋さんにあるやきとり、タン、ハツ、レバー、・・・など我々がふつうに味わっているいわゆる我々がふつうにイメージする”やきとり”とはちょっと違うのだ。


焼き鳥メニューはモツ串と精肉の二種のみ…お客さんの大半はモツ串注文する。


開店15時には来店客に混じって、持ち帰り注文客が続々訪れる…50本~100本注文が普通。とにかくすごい本数なのだ。みんなおうちで楽しまれるということなんですね。


このやきとり三船はイートインももちろんだけど、ここのお店はテイクアウトがすごい多い。ある意味、テイクアウトの比重のほうが大きいと思うくらい。テイクアウトがこのお店の稼ぎの大半を担っているのではないかと思われる。


店内の電話はひっきりなしに鳴りっぱなしで、それも携帯電話ではなく、固定電話の子機みたいなものを使う。そして注文を受けるのだ。それもかなりの本数。”もつ70本、明日の17時、○○様。”そして出来上がったところを見計らって、お客さんがお店に取りに来る。

 

これがある意味、このやきとり三船のビジネスの主幹といっていい。これで稼ぎを出している。もちろんイートインも混んでいるので、ここでも楽しめる。


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もうこういう感じで、お店の電話がひっきりなしにかかってくるのだ。大抵女性の給仕さんがとる。そして注文を受ける。モツ50本、モツ100本ですね。。今日の17時頃にはできると思います。。。という感じである。とにかく注文を受ける本数がハンパではない。(笑)東京の焼き鳥屋さんで、お持ち帰りでこんなに大量の焼き鳥をテイクアウトで注文するという光景はまずありえないのではないだろうか。この現象は、まさに北海道の地方、岩見沢市の独特の食文化を象徴しているように思う。みんな家族一家団欒で、うちの中で三船のやきとりを食べるんですね。そういう光景が目に浮かぶようです。


自分にとって、三船のやきとりといえば、この大量に注文が入ってお持ち帰りするテイクアウトのビジネスのほうに強烈な印象が残っている。


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電話はいまどきのスマホではない。あくまで固定電話の子機を使うのだ。昔からずっと子機を使うことで通している。女性の給仕さんが子機で注文を受けている姿はある意味、このお店の名物シーンではないだろうか。モツ40本、モツ80本と大量に注文を受けると、それが大体何時頃に焼き上がるかを男の串焼き担当に確認して、何時頃に出来上がります、と返答する。それで注文完了である。そしてその注文本数だけ、焼き上がったら、こうやってまとめてビニールでグルグル、そして新聞紙でグルグル巻きにして、その上にマジックで〇〇様と書いてテイクアウト用商品の出来上がりだ。そしてその時間帯になったら、お客さんがそれを取りに来るという感じである。


このやきとり三船のモツは強烈な匂いが漂う。すごい匂いです。もちろん美味しい匂い。家の中でこのお持ち帰りの三船のやきとりを食べていると家の中が、このモツの匂いで充満してすごいことになります。かなり強烈なやきとりだと思います。


昔、子供の頃、オヤジは自分の家族のために、このやきとり三船のやきとりをよく買ってきてくれたものだった。それを家で家族で食べるみたいな。。。


あるとき、さきに電話で注文した後に、車でオヤジと自分でそれを取りに行く訳だが、オヤジが突然、「このお店に、お父さんの教え子が働いているんだよな。恥ずかしいからお前が取りに行ってこい。」と言われたこともある。(笑)


そうやって三船で受取り、それを家で家族全員で食べる。そういう楽しみ方が多かった。その後、オヤジと自分でサシでこの三船で一杯やりながら三船のやきとりを楽しんだことも多かった。


そして自分が大病で休職していた2000~2003年の3年間、北海道の実家で休職していた訳だが、このときも北大病院に定期健診に出かけるとき、札幌澄川の純連で味噌ラーメンを食べた後、岩見沢に帰ってきたら、さらにここのやきとり三船でモツ20本を楽しむ。


そんなサイクルを送っていた。この頃はすごい大食漢であった。(笑)


まさにおらが町にある代表的なやきとり屋さんで、子供の頃から慣れ親しんできたまさにおらが町のソウルフードなのである。


今では、美唄焼鳥を食べられる店は札幌市内にもいろいろ店舗が有る中で、このおらが町にある”やきとり三船”はその伝統を受け継ぐまさにソウルフードと言っていいのである。


今回の帰省のときに、まだやっているのかな、とネットで調べたところ、岩見沢やきとり三船閉店、という記事を見て、あちゃ~と思い、ついにここも閉店か~まぁ確かに自分が高校生時代から40年以上も経っているからな。しかもお店の創業としては1965年から。閉店になっても仕方がないか、と思ったが、いざ行ってみると、なんとなんの変哲もなくいつも通り、通常通りに午後15時から開店しているのである。


うれしかったね~。


ということで、じつに超ひさしぶりに体験してきました。やきとり三船。


この店内まったく自分の記憶では子供の頃だからもう40年以上変わらず。まったくこのまま。


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魚拓なんかも飾ってある。


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やっぱりやきとり三船といえば、この風景なんですよ。お店の一番端で炭火でやきとりをガンガン焼いていくんです。もうこれは男の仕事。


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電話での注文をとる。給仕さんは女性の役割だけど、この串を焼くのは、まさに男の仕事。頭にねじり鉢巻きを巻いて、冬でも半袖で炭火でガンガンに熱い中を串を裏返ししながら焼いていく。これだけ膨大な串を焼いていく訳だからその煙がモクモクと上に上がっていく。それを店外のダクトから外に放出していく。


よく外から、やきとり三船のお店を見ていると、大きなダクトがあってそこからモクモクと煙が放出されているのがよくわかるのだ。その煙が見えると、あ~お店始まっているな、という合図なのだ。


ちなみに、三船のやきとりは、タレで焼くという文化はありませんから。(笑)オール塩で焼きます。


やきとり三船のやきとりは、塩とコショウのみです。


やきとり三船のモツ、いわゆるモツ串は、ふつうに我々が想像する焼き鳥、タン、ハツ、レバー、・・・とはまったく違う別物だと思っていい。見た目も食感もである。なにからなにまで、あのふつうの焼き鳥とは全然違います。


やきとり三船のモツ串のルーツは、美唄焼き鳥にある。

ここでちょっとその美唄焼き鳥について解説を試みる。


美唄焼き鳥とは?


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モツも皮も、鶏を丸ごと一串に


かつて炭鉱で栄えた美唄(びばい)市には、地元の人たちが愛してやまないソウルフードがいくつもある。その一つが「美唄やきとり」で、炭鉱マンのスタミナ源として愛されてきた。一番の特徴は、一串に数種類のモツ、鶏皮、モモ肉が入っている「モツ串」にある。この独自スタイルは、1953年に美唄市の「三船」という店で誕生し、市内いくつもの店に受け継がれている。


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美唄のやきとりは、一串にレバーやハツ、砂肝、キンカンなどのモツと、鶏皮、モモ肉が、全部刺さっていることが最大の特徴、一羽の鶏をさばいたら、すべてムダなくおいしく食べよう、と考案されたもの。さまざまな食感と旨味が口に広がり、なんとも奥深い味わいである。串に刺す順番は、一番下が皮、次が北海道らしく玉ネギ、次がモツ、再び玉ネギ、最後がモモ肉。玉ネギは美唄の名産品で、焼くと甘味が増して鶏肉との相性抜群。メニューには精肉(ムネ肉)だけの串もあるが、お客さんが注文するのは圧倒的に「モツ串」である。


とにかくたくさん食べるのが美唄流


やきとりを注文するとき、美唄では10本単位で大量に注文するのが普通。一人10本、20本食べるのは当たり前。味付けはシンプルに塩こしょうのみ。


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三船のやきとりは、モツ串と精肉の2種類のみだが、自分はモツ串のほうが好きだし、注文するのもモツが圧倒的だ。この日、モツ40本注文。10本ずつ上がってくる。


これがやきとり三船のモツ串。


モツ10本


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モツ20本になるとこんなに凄い!


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串の中に黄色いボール状のものが見えるであろう。これがキンカンと呼ばれるものである。キンカンというのは見ての通りで、卵の黄身の元になるものである。キンカンはトロッと黄身が液体状にとろけだしてくるところもあるようだが、ここ三船では、ガンガンに焼いてしまうので、もう完全な固形状態の黄身である。


こういうキンカンが串に刺さっているというのは、いわゆる美唄焼き鳥、やきとり三船のひとつの特徴なのではないかと思う。自分はいままで焼き鳥にキンカンが刺さっているというのはあまり見たことがなく、このやきとり三船のモツ串が初めてであった。逆にこの串に刺さっているキンカンを見ると、あ~~~いまやきとり三船のモツ串食ってんだな~としみじみ思うのである。


やきとり三船のモツ串は、食べてみてもやはりふつうの焼き鳥(特に塩味)とも全然違う。独特の食感で、基本はすごいサッパリ系。香りがつ~んと鼻に抜けてくるような香りの豊潤さがあって、よく買ってきて家の中で食べてると、その香りが家の中で充満する感じになる。


油でジューシーで、サッパリ系で香りが豊潤。我々が普段食している焼き鳥とは似ても似つかないまったくの別物。かなり個性的な味付けだと思う。中毒性があります。しばらくするとまた食べたくなるそんな感じ。


すごく美味しいと思います。


このやきとり三船に来たら、モツ串だけを食べるのではなく、かならず締めとしてかけそばを注文することをお勧めします。ここのそばはかなり美味しいです。


自分は、そばは、やはり駅のホームにある立ち食いそばほど美味しいものはないと思っていますが、あのホームで漂うあのなんともいえないそばのつゆ、だしの香りの味、まさに朝夕出退勤するサラリーマン殺しですよね。(笑)


三船のかけそばは、その立ち食いそばを超えます。ここのそばのなにが美味しいかと言うとそのダシ、つゆです。これはいままで食べたことがないくらい香ばしいというか脂っぽいというか、かなり香ばしくて、この味は自分の長い人生の中でこの味はどこに行っても味わえることができないです。唯一ここでしか味わえないダシ、つゆの味だと思います。


なんともすごく脂っぽくて香ばしい醤油味なんですよね。

ここのかけそばは、日本中探しても、このおらが町のこのやきとり三船でしか味わえないと思います。


もちろん自分は締めとして、かけそばをオーダー。

美味しかった~~~。


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ネットで、やきとり三船閉店の記事を見たときは、ついに来るべき時が来たか~と思いましたが、今回帰省したとき、べつになにごともなかったように営業を続けられていたのには心底ホッとしました。


また末永く続けられることを期待しています。







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北海道ラーメンを愛す 後編 [グルメ]

●けやき


2006年という年は自分の人生にとって、ある意味ひとつの区切り、節目のような年であった。前職を退職して、就職浪人していた年であった。いま仕事を持って会社で働いている人、1日って長いと思うかもしれないけど、いざそういう環境から解放されて、仕事がなくなると、もう1日、1年ってあっという間に時間が経ちますよ。もうものすごい時間の経つ速さが早いものです。


なにもしてないと、あっという間に1年経ちます。もう冬なの?という感じです。


2006年はそんな自分にとってあっという間に月日が経っていくすごい早い時間の過ごし方、感じ方だった年だったように思う。


この年はのだめカンタービレがTV放映された年でした。そして結婚できない男も。この2つのテレビ番組はもう本当に夢中になりました。大好きなドラマでした。クラシックが大好きだった自分はこういうドラマが心底好きだったな・・・


そんな2006年、自分のラーメン界でも激震が走る。それは新横浜ラーメン博物館に入っていた”すみれ”が卒業するというのだ。このニュースは、自分は青天の霹靂だった。そんなことがあっていいのか!!!


1994年のラー博開館以来、ずっとラー博を支えてきた”すみれ”。”すみれ”といえばラー博というくらい代名詞だった。そのすみれが卒業するという。


自分はちょっとショックを隠せなかった。自分の住んでいる街から新横浜まではすぐ電車で近くなので、あ~~~またすみれの味噌ラーメンが食べたくなったな~と思えば、すぐにほいっと新横浜まで出かければいいだけなのだ。


1994年の開館から2006年まで、すみれも、もちろん順風漫歩でもなく、いろいろ変遷があった。純連と書いて、すみれと呼ばせていた、そのあとに、純連の創業者の母、村中明子さんが”駅”という暖簾でラー博に店を出すという。これは一大イベントであった。純連の村中教愛さんやすみれの村中伸宣さんの母、まさに純連のルーツである。駅の暖簾や丼には、ちゃんと、”純連”と”すみれ”が仲良く印字されているのである。


これは純すみ系ラーメンファンにとっては大変な出来事なのである。店舗は地下の中階のフロア。自分はもちろん、この駅を堪能しに、ラー博に何回も通いました。


そして駅も短期間営業と言うことですぐに終了し、その後釜としてふたたび、すみれがその後に入店した。そのすみれが卒業するという。


え~~~もうこれから首都圏ですみれの味噌ラーメンが食べれなくなるの~?

どうする???


という感じである。いつも身近にいたすみれであるが、なくなってしまって初めて気づくその存在の大きさ。


当時、無職になった2006年、自分は1年間、失業保険を毎月給付を受けるわけだが、それには条件があって、ちゃんと毎月求職活動をおこなってます、という証明が必要なのだ。なにもせずにただぶらんぶらんしていただけでは失業保険というのはもらえないのだ。


その求職活動の証明をもらうその手続きのために、自分はハローワークに月1回は行かないといけなかった。自分の居住区から港北区のハローワークである。それは新横浜にあった。


だから月1回は、かならず新横浜に行かないといけなかったのだ。新横浜に行くんだったら、ついでにラー博でしょう、というノリである。


でもすみれが卒業してしまったラー博にはあまり興味がないな~と思っていた。でもなんとなくハローワークに手続きに行った帰りに、ラー博に寄ってみたのだ。


そうすると、すみれの入っていたテナントの後に、”けやき”という札幌味噌ラーメン専門店が入店していたのだ。まさにすみれの後任である。


これが自分の”けやき”との初めての出会いである。忘れもしない2006年のことである。


”けやきの味噌ラーメン”の試しに食べてみた。


これがじつに美味しい!純連、すみれを体験したときの衝撃ほど大きくなかったが、これはこれでじつに個性のある味噌味でこれは美味しいな~と思ってしまった。


純連、すみれとはまったく別次元。全然違った魅力の味噌味である。この味噌の味を言葉で表現するのはなかなか難しいのであるが、味噌とちょっとこう辛いというかその調合具合というか、かなり個性的な味噌スープの味で間違いなくクセになる、中毒性のある味なのである。


これはかなり美味しいと思った。

自分に合うと直感した。


麺は中太縮れ麺でよくこの味噌スープと絡んでウマい。具もとてもシンプルできざみネギが入っていて、肉もチャーシューではなく、そぼろ状のひき肉である。このきざみネギが味噌スープと絶妙な絡み合いでウマい。自分はいつもネギ増量にすることが多い。


このけやきの味噌ラーメンはいっぺんに自分を虜にした。


なんか、しばらくするとまた食べたくなるというか、そんな中毒性がある。


こうやって、自分は2006年の1年間、毎月1回は、かならずラー博でけやきの味噌ラーメンを食べていたのである。少なくとも年間12杯である。


こうしてみると、純連のときの休職で病院通いのときに通っていたこと、そしてけやきで求職活動で新横浜に通っていたときと自分の人生で窮地に立たされているときに、その運命の1杯と出会っているのである。


けやきとはそれ以来の長い付き合いである。

けやきの本店はすすきのにある。


自分はすぐに、新千歳空港の北海道ラーメン道場に一店舗として存在することを突き止め、それ以来、北海道に帰省したときは、かならず空港でけやきの味噌ラーメンを1杯食することが自分のひとつのタスクとなった。


2006年以来だから、もう17年の付き合いである。17年間、けやきの味噌ラーメンファンとしてずっと愛してきたのである。


新千歳空港の北海道ラーメン道場のけやき。


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そしてこれがけやきの味噌ラーメン。


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2006年にけやきの存在を知ったとき、すぐにネットで調べた。


1999年11月のオープン以来、行列の絶えないみそラーメン専門店。開業以来すすきの本店はカウンターのみ十席、一杯一杯中華鍋で心を込めて創り上げるため、お客様をお待たせする心苦しさはあるが、 それでも常にラーメンをすする客たちでにぎわう。店主のテーマは「五感に訴える一品料理としてのラーメン」である。



店主は一杯のラーメンに、様々な要素を盛り込んだ。「札幌はラーメンの発祥の地。だからこそ、自分が納得できる味を作りたかった。」ラーメン店がひしめき合うススキノで、「けやき」の名はすでに全国区。ある常連客の一人が言った。「一杯、1杯魂を込めて作られたラーメン、これこそ味噌ラーメンの王道だな」と。



本店はすすきの。カウンター十席のみである。


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まさに自分にとって聖地。行ってみたいのである。今回帰省したとき、ぜひこの聖地のすすきの本店に行こうと考えていた。カウンター十席のみなので、しかも人気店。かなり長蛇の列らしい。


残念ながら、3月の北海道は雪が残っていて、あまりに足元が悪く、今回は諦めた。


1999年デビューというのは、意外や若いお店なんだな、と思いました。


スープ


巨大なずんどう鍋(なべ)で取るスープは豚のゲンコツや背脂、放し飼いで育てた新潟産の鶏、数種類の野菜やシイタケなどが原料。 濁りのないスープを取るため約十時間をかけ、じっくりとうまみを抽出するが、「日によって骨の状態が違うので仕上げに再度、必要な部位の骨を足して、一定の味を保っています」という徹底ぶり。




一週間寝かせて成熟させた、中太の縮れ麺でスープが程よく絡まる。プリプリとした食感がやみつきになる。




中央にこんもりと盛られた具は白髪ネギやキャベツの青み、ニンジンの赤、キクラゲの黒など、彩りも鮮やか。


みそだれ


大豆みそや麦みそなど三種類のみそに野菜の甘みをプラス。まろやかさ、ツヤの良さ、深いコク、キレのよさ・・。


チャーシュー


厳選豚肩ロース肉を自家製スープでじっくり煮込み、さらに秘伝自家製醤油だれで煮込むと柔らかジューシーに・・・ 厚切りで味わっていただきます。



ちなみに、お肉はデフォルトはそぼろ状のひき肉ですが、チャーシューメンを注文すると、このチャーシューがかなり厚切りで、かなりボリューミーでジューシーで最高です。


味噌チャーシューメンというのが最高の選択かも?


支店は、昔はラー博以外にも東京進出とか、札幌の円山に支店があった。自分は札幌円山支店は、北海道の友人と食べに行きました。そのときの円山支店と店内の写真です。もういまは存在しないです。


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いまはもうほとんど撤退していて、すすきの本店と新千歳空港のみのようである。



いまひそかに楽しみにしているのは、現在ラー博でおこなわれている”あの銘店をもう一度”の企画。過去にラー博に出店したお店を、1か月間の期間限定で再出店してもらうというプロジェクト。


自分はこれに、”けやき”が再登場するのがすごく楽しみなのである。もし再登場になったら、1か月間ラー博フリーパス券買って通いますよ~~~。


いままで北海道に帰らないと、新千歳空港でないと食べれなかった”けやきの味噌ラーメン”それがすぐ近場で食べれるんですから。


こんな楽しみなことはないのである。



●らーめん五丈原


今回のラーメン特集の肝は、あまり全国的に有名でないこと。北海道に来ないと味わえない。北海道民こそ知る。北海道ラーメンを愛す。。である。


その代表格ともいえるのが、このらーめん五丈原だと自分は思う。


らーめん五丈原は、本当に北海道では古くから有名なラーメン店で、こんな有名なお店はないと思うくらい北海道、札幌では認知度は高い。


自分も北海道に住んでいるときは知らなかった。

あまりラーメンに対して特別な食べ物という認識はなかったので。


でも東京に住むようになってから、北海道札幌ラーメンに”らーめん五丈原あり”という評判を聞くにあたって、どうしても我慢できなくなり、過去に北海道に帰省するたびに何回も足を運ばせてもらった。通算5回以上は通わせていただいているのではないかと思う。


全国的にあまり有名でないけれど、北海道ではめちゃくちゃ有名ということでは、今回のお題目では、まさしくらーめん五丈原のためにある企画と言っても過言ではない。



「らーめん五丈原 本店」札幌すすきのの激戦区で28年以上愛されている名店である。



1994年に札幌市に創業。数年に1度は新メニューを開発し、独自に進化を遂げている老舗ラーメン店。以前、北海道新聞情報研究所が行ったアンケート調査、「北海道でひいきにしているラーメン店」では“さっぽろ純連”と同じ第4位にもなったんだそうだ。


1990~2000年代にかけて札幌に登場した「第二世代」と呼ばれるラーメン店達がいる。「らーめん五丈原」はその代表的な一軒なのである。


1994年の創業当時、「朝4時に行列のできる店」などと(全国版のテレビ番組でも)紹介され、“元祖 深夜行列の店” としてその名を全国に轟かせたことでも有名である。


1994年創業ということは、やはり自分が北海道に住んでいるときは知らず、東京に来てから有名になったお店で間違いなかったですね。



札幌ラーメン界に白濁したトンコツスープ広めた店の1つである。 五丈原のラーメンと言えば”とんしお(トン塩)”が有名なのである。いわば五丈原の代名詞的な存在である。


「とんしお」が創業以来の看板メニューだが、こだわりの豚骨スープは茹でこぼしを数回繰り返し、あくを徹底的に排除。この手間が味の違いを生み出しているのだそうだ。


札幌というとどうしても味噌、そして濃厚というのが札幌市民の舌の感覚。味の濃いラーメンに慣れた札幌市民には、トン塩だとやや物足りないという人も多いのである。そういう点ではやはり五丈原でも味噌の売れ行きもいいとか。味噌の香りとほのかな甘さがトンコツスープと絶妙に合い、意外にさっぱりと食べられる。


札幌市民に飽きられたくないという店主の思いもあって毎年新メニューを考えるが、最近はTiwtterなんかを覗いていると、二郎系ということで、”ますらお”という新メニューを考案したようだ。これも美味しそうだった~。


じつは、このらーめん五丈原の一番の人気メニューは、意外やラーメンではなく、チャーシューおにぎり、というサイドメニューなのだ。これがもう一番人気。五丈原に来たら、かならずラーメンとともにこのチャーシューおにぎりを注文するのが常な作法なのだ。お持ち帰りする人も多い、味もボリュームも大満足の一品である。


今回ひさしぶりに五丈原に参上しようと思っていた。

交通アクセスを確認すると市電に乗るという。


市電ってなんだ?(笑)


札幌は通常市内の交通の便は、地下鉄(南北線、東西線)である。

市電ってなんだったっけ???


札幌駅員さんに確認するといったん大通りまで出て、そこから内回り、外回りと巡回線の電車が出ているという。それを聞いて、五丈原しばらくご無沙汰していたので、もうだいぶ昔のことだったが、なんとなく思い出してきた。確かにそんな電車が札幌市内に走っていた。市電というくらいだから、札幌市が運営しているのだろう。


市電ってこんな感じの乗り物です。


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これで東本願寺前で下車します。


ここが”らーめん五丈原”


この赤がトレードマーク。住宅街の外れと言う感じ。

この日は雪がしんしんと降っていて、もう寒かった~~~。


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らーめん五丈原の近くには、えびそば一幻とか、ラーメン信玄とか人気店があって、いまやラーメン激戦区だそうだ。昔は五丈原独り勝ちという場所だったが、いまや強力なライバルと戦っている毎日である。


店内はすごくシンプル。ふつうのラーメン屋さんです。


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自分は、やはり五丈原に来たなら、やはり看板メニューの”とんしおラーメン”を頼まないといけないと思いました。そして一番人気のチャーシューおにぎりも、お腹が空いていたので2個注文しました。


らーめん五丈原のとんしおラーメン


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チャーシューおにぎり


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じつにひさしぶりの五丈原のとんしお。


白濁した見た目からは意外なほどのあっさり感で、口当たりもまろやか。しかしその中に深いコクが隠れている。意外やさっぱりした感じで美味しかった。麺もストレート麺でしこしこ美味しかった。


札幌で白濁系はどこまで浸透できるか。やはり札幌市民は強烈なパンチのある味を希望しますので、昨今はなかなか難しいところもあるんでしょうね。そんな苦労も、毎年1品はかならず新メニューを考えるという努力にも表れているのでしょう。


でも本当に美味しかったです。


チャーシューおにぎりは本当に美味しいです。

これが一番人気なのはよくわかる。


おにぎりのご飯が醤油っぽい濃い味付けで染みていて、それにチャーシューが細切れに混ざり込んでいてこれがじつにウマい。香ばしいというか食が進むというか。。。これは人気出るはずだわ。サイドメニューとしては抜群の出来栄えではないですかね。


このチャーシューおにぎり、1個あたりかなりサイズが大きいです。ふつうはラーメン1杯にチャーシューおにぎり1個というのがスタンダードと思われます。


自分は2個というのはちょっとやり過ぎました。(笑)


らーめん五丈原。北海道でないと味わえない名店中の名店。

ぜひ、とんしおラーメンとチャーシューおにぎりの組み合わせでどうぞ!


●らい久


”北海道ラーメンを愛す”の特集。これがオーラスです。行きたいラーメン店はいろいろあったのだけれど、最後はおらが町のラーメン店にしました。


ここはまず全国的にもまったく無名でしょう。(笑)まったく誰も知らないと思います。


おらが町では高校時代、春日食堂という高校の下校のときに友人と毎日食べていた味噌ラーメン屋さんがありました。そこが現在の味噌ラーメン好きの自分の原点を作った、育ててくれたお店でした。


でも残念なことに人知れず閉業。


もうおらが町に未練のあるラーメン屋さんはないかな、と思い起こしましたが、1軒ありました。


それが「らい久」。


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自分が高校時代、春日食堂ほどではないけど、結構通っていたお店で、まだ現役でやってました。当時からすごい人気のあったラーメン店でした。おらが町で行列ができるラーメン店で有名でした。


じつに40年以上ぶりに行ってみた訳だが、あの頃ともう店構えも店内もガラ変。すごく儲かっているんだな、と思いました。昔はもっと貧祖なお店でした。でも相変わらず劇混みの人気ぶり。


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このお店、もうおらが町だけで有名で、もう札幌まで広げちゃうともうまったく無名と同じくらいローカルなお店。


この「らい久」を自分の日記で紹介する日が40年ぶりにやってこようとは思ってもみませんでした。(笑)たぶん全国の誰も知らない超お得なラーメン屋さん情報だと思います。(笑)


1961年に創業した「らい久本店」。同じくおらが町の緑が丘にも暖簾分けしたお店があり、無愛想が売りの店主が経営されている。ここ本店は、いい意味でごく普通の接客。


おらが町市民ならみんな一度は来たことがあるであろう「らい久」。おらが町のソウルフードとして愛され、常連客も多いです。


「安くて、ボリューム満点」が売りのラーメン店「らい久」。昔ながらの札幌ラーメンが堪能できるお店です。



自分の記憶だと、ここは昔からバターラーメンなんだよね。らい久特製のバターラーメンが看板メニューなのです。バターだけだとちょっと物足りないから、自分は味噌バターラーメンにしました。


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40年ぶりに食べる味。昔がどうだったか、もうすっかり忘れたよ。でももう全然にふつう。すごくスタンダードな庶民的なラーメンでした。


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このローカル色豊かな特集を締めくくるには最高の締めだと思います。


驚いたのは、このらい久の壁にあるメディアで取り上げられた記事や写真、芸能人のサインなどが並んでいること。よくローカル番組で取り上げているらしくかなり有名のようで驚きました。


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その中で、政治家の加藤紘一さんのサイン、写真も発見!


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加藤紘一さん知ってますか?

自分の世代になりますが、YKKという政治同盟ご存じですか?

もう世代的に知らない人も多いだろうな・・・。



YKKは、自由民主党所属の衆議院議員であった山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎による盟友関係のことです。僕らの世代ではリアルタイムでした。


1991年、自民党で実権を握っていた竹下派(経世会)に対抗する勢力として、加藤が同期のグループをつくろうと山崎と小泉に呼びかけたのが始まり。


この3人は1972年初当選の同期組であり、1期生の頃、国会での議席が隣り合っていたため、仲が良かったと同時に宿命のライバル(山崎の師は中曽根康弘、加藤の師は大平正芳、小泉の師は福田赳夫)でもあった。


当時、森首相時代ですね。もう内閣支持率8%という超絶不人気の当時の森首相に野党が森内閣不信任決議案を提出したのに対し、加藤さん、山崎さんが相乗りする形で反乱するという政事変でした。


加藤紘一さんは、当時もっとも総理に近い男と言われ、かなり有望視されていたので、この乱はかなり驚きで世間で話題でしたです。いろいろご意見あると思いますが、自分は新しい時代の日本の首相は、やはり見栄えが良くてスピーチも雄弁で映える人じゃないとダメだという認識を子供の頃から持っていました。


子供時代からずっと日本の首相って海外の党首と比較すると、見栄えが悪くて活舌も悪くてなに喋っているかさっぱりわからない。。。そういう首相が多かったです。自分は子供心にそういう日本人首相がイヤだったですね。


やはり日本の政治は政党政治なので、自分の党内での基盤が弱ければ、いくら外にカッコいいパフォーマンスをしても、すぐに足元をすくわれるというか。。だから党内の基盤調整実力とその外へのパフォーマンスの両方の塩梅、バランスをうまく取りながら・・・という感じなんだろうとは素人ながらに予想するのですけど、それにしても日本の首相は活舌が悪く格好悪すぎると悲観していました。


その中で、もっとも総理に近い男と言われた加藤紘一さんは見栄えもよく頭脳明晰で物言いもわかりやすく、自分はいいな~と秘かに心を寄せていた政治家でもありました。この人が首相になればいいなーという感じで。党内基盤の問題は別として。


でもこの加藤の乱であっさり失脚。未来永劫その目もなくなりました。

この加藤の乱。自分の記憶の中であまりに鮮明で忘れられないです。


あれだけ国民に不人気だった森内閣。でもいざというときは与党結束。これこそがまさに政治力学。そんな世間が考えるほど単純じゃないんだなと思い知りました。


加藤さん、もう亡くなられましたが、まさかおらが町の誰も知らないラーメン屋さん「らい久」に来店されていたとは夢にも思っていなかったです。驚きました。


加藤さんが色紙に書いてあった言葉、”疾風知勁草”。


「疾風に勁草を知る」。

困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかることのたとえ。


自分はこの心境はよく理解できる。人間というのは、勢いのあるとき、若いとき、乗っているときは周りすべてが味方してうまく回るものだけれど、困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかる。


人生なんてそういうものさ。これは歳を重ねていき、いくたびの人生の試練を何度も乗り越えていかないと悟れない境地だと思う。まさに加藤さんの人生そのものだったのだろう。この色紙、来店の日はいつなのだろう。写真の容姿からすると、もう晩年のとき。いつぞやの波瀾万丈を乗り越えてしたためた境地なのだろう。


そしてやはり古くからのそういう自民党体質に嫌気がさしていた国民に、その後は、盟友の小泉さんがフィーバーで一気に軌道に乗り、大成功したのはご存じの通りです。


”北海道ラーメンを愛す”の日記の締めが政治の話で終わるとは思ってもみない展開でございました。(笑)






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北海道ラーメンを愛す 前編 [グルメ]

大学まで北海道に住んでいたのだけれど、当時からラーメンをそんなに意識して食べていたかというとまったくそんなことはないと思う。1986年まで住んでいた訳だけど、どうなのだろう?全国的にラーメンブームというのが起こったのは、自分が東京に住むようになってからのような気がする。
                                                   
いわゆるテレ東のTVチャンピオンで「ラーメン王」が火付け役になって、スープ3滴で店名をあてられる。。。そういうラーメンについて並々ならぬ博識ぶりと、その舌を持ち、全国の有名ラーメンを我がものとする。
                                                   
それがいわゆるラーメンブームの牽引役だったような気がする。それ以来、年間何百杯食べ尽くす、全国の美味しいラーメン店を行脚してほとんど制覇する。ラーメン評論家などの有名人も次々に登場。
                                                   
決定的だったのは、1994年の新横浜のラーメン博物館の開館だろう。全国の有名なラーメンが、東京で食べることができるようになった。これで一気に火を吹いた。全国各地のいわゆるご当地ラーメンというものに陽があたり、一大ブームになった。
                                                   
自分も全国的にラーメンブームだと思ったのは、1995年以降の記憶しかないのだ。それ以前、ましてや北海道に住んでいたときは、そんなにラーメンというもの自体に狂信的に熱中した記憶はまったくなかった。あくまでふつうの食べ物のひとつに過ぎなかった。
                                                   
北海道住んでいたときの小中学生のとき、母親がいつも出前で取ってくれた醤油ラーメン、高校時代に同級生の友達と毎日下校するときに必ず寄って味噌ラーメンを食べるのが毎日の日課だった春日食堂、そして大学のとき友人が下宿していた近くにあった北14条だったか、北18条だったかのラーメン店。すっかり店名を忘れてしまったが、ここは朝方の4時までやっていて重宝したものだ。北18条の東風荘で徹マンしたあと、よく食べに行ったものだ。
                                                   
高校時代の春日食堂は、社会人になった後でも、2000~2003年、大病で北海道の実家で静養していたときにもよく通っていたのだ。あれから何年経っているんだ?まだやっているんだ?懐かしい~。
                                                   
そのラーメン屋のオヤジ、親指がないんだよね。むかしその筋の人だったのかもしれない。(笑)親指がないのに、出来上がった並々で熱々のラーメン丼をその指、手で持ってきてくれるのが妙に印象に残っているのだ。春日食堂の味噌ラーメンは最高に美味しかった。味噌ラーメンとはこうあるべき、という基本のような味噌ラーメンだった。高校時代とまったく変わらなかった。
                                                   
残念ながら春日食堂は人知れずその後閉業してしまった。
                                                   
北海道に住んでいたときなんて、ラーメンに関してはこんなものである。自分は全然全国のラーメンには詳しくないし、ただラーメンが好きなだけで、自分のお気に入りのラーメンを何回も繰り返して楽しむというそういう狭範囲のラーメンマニアである。
                                                   
自分がいま日本はラーメンブームである、と認識するようになったのは、間違いなく1995年以降。新横浜ラーメン博物館開館以降だと思う。
                                                   
純連やすみれを知ったのもラー博のおかげである。そこから、いろいろなラーメンを楽しんできた。それはいままでの日記でいろいろご紹介してきたのでお馴染みなラーメンたちである。
                                                   
今回は、ひさしぶりに北海道に帰省するということで、北海道でなければ味わえないラーメン店に行きたいと思っていた。いまや有名ラーメン店は全国区で東京で食べられる時代。でもそんないまの時代でも東京では食べられない北海道ラーメンを食べ尽くしてこようと思ったのである。いずれも自分のラーメン人生になじみの深いラーメンたちである。
                                                   
5泊6日の旅程だったけど、なんと!6日ラーメンを食べていた。ラーメン以外の食事はしなかったです。全部ラーメン。
                                                   
北海道ラーメンとは?
                                                   
「札幌」「函館」「旭川」のラーメンを総称して「北海道三大ラーメン」、もしくはそれに「釧路」を加えた「四大ラーメン」と呼ばれる。これは昔から有名なフレーズで、札幌の味噌、函館の塩、そして旭川の醤油である。自分はやはり味噌と醤油派かな?
                                                   
塩ラーメンというのはさっぱりしていて美味しいと思うけど、せっかくラーメン店に来たのに塩ラーメンを頼むのは勿体ないというか、そんな感じなのである。自分にとっては。
                                                   
関東周辺で見られる「北海道ラーメン」と称する店には「ラードを使った熱々スープ」「味濃いめのタレ」「固くてやや太めの熟成縮れ麺」という特徴があるという評論家の指摘がある。自分はなるほど言い得ている。ずばり特徴を掴んでいるなと、さすがと感心した。
                                                   
                                                   
では、自分がぜひお勧めする”ノンノン推薦北海道ラーメン”をご紹介しよう!
                                                   
●純連(さっぽろ純連)
                                                   
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もうこれはいわずもがな、いままで何度も日記で熱く語ってきた自分のラーメン人生の頂点に立つラーメンである。いまさら同じことを説明することはしないが、やはり北海道ラーメンを語るうえでは、ここをトップに持ってこないと自分の気が済まないのである。純連の味噌ラーメンは、自分のラーメン人生の中で最高位に位置するキング・オブ・ラーメンである。
                                                   
ここの味噌ラーメンは本当に美味しい。スープの表面を熱々のラードで覆い、熱さを逃さないように熱々にして、そしてなんとも濃厚な味噌の味、まさにパンチが効いている味。味噌味で一番大事なポイントは、このパンチが効いているという味感覚である。生姜風味が下味で隠され、それが妙に濃厚な味噌とよく合う。
                                                   
とにかく一度食べたら忘れられない、またすぐ食べたくなる中毒性のある味。こんな濃厚な味噌味、そんなかなりクセになる味噌ラーメンなのである。
                                                   
自分はじつは純連は、1995年に新横浜ラーメン博物館ですみれ(当時の暖簾には純連と書いて、すみれと呼ばせる呼び方でした。)を経験してこれはウマい!とすごい衝撃を受けて、同期のアムスの友人に教えてあげたところ、友人は札幌に行ったときに地元の人にどこがいいと聞いたら、純連(じゅんれん)と言われたので行ったらすごく美味しかった、という話を聞いた。
                                                   
自分はアムスの友人をラー博に連れていき、当時の純連(すみれ)を食べさせたところ、いや違うな~。もっとスープが黄色いんだよ。そして、純連を、”すみれ”とは呼ばないんだよ。地元の人はみんな”じゅんれん”と呼んでいた。
                                                   
自分は一気に謎のループに陥ってしまった。そして札幌まで出かけてその真意を突き止めた。純連(じゅんれん)は、兄の村中教愛さんがやっていて、純連(すみれ)は、弟の村中伸宜さんがやっているお店なんです。兄弟でやっているんです。
                                                   
こうやって、自分は純連の歴史を学ぶことになったのである。母の村中明子さんから始まり、村中教愛さん、村中伸宜さんのサクセスストーリーを学んでいったのである。
                                                   
純連とすみれの味噌ラーメンはすごい似ているけど、やっぱりちょっと違うんだよね。
純連のほうが、スープの色が黄色・橙色が強烈で、すみれのほうが、マイルドな茶色。
純連のほうが、生姜風味が強くパンチも強烈。すみれは比較的マイルドだけど味噌味としてかなり濃厚。
純連は、使用する麵として森住製麺なのに対し、すみれは西山製麺。
                                                   
自分はどっちが好きという禁断の質問はいけないことだと思うけど、純連派だった。でもすみれも純連にはないウマさがあって、もういまやどっちがウマいということは断言しないことにした。もうどちかかに優劣をつけることは不可能だし、そういう行為自体が愚の骨頂だと思うからである。
                                                   
純連は本当に想い出がある。存在を知ったのは、1995年。だから自分が東京に住んでからだけど、徹底して純連の味噌ラーメンを食べる機会があった。それが2000~2003年の自分の大病による3年間の休職である。この間、北海道の実家で静養することになった。
                                                   
毎月1回北大病院に定期健診に行くのだけど、診察が終わった後、この純連で味噌ラーメンを食べるのが休職中の唯一の楽しみだったのだ。月に1回、必ず澄川の純連まで出向いて純連の味噌ラーメンを食べた。・・・ということは3年間で36杯食べたのだ。このとき、自分は純連の味噌ラーメンを完全に自分のモノにできた、と確信した。
                                                   
おそらくあのまま東京に住んでいたら、たまに帰省するときくらいしか食べれなかったであろう。あのときのあの黄金の味は、あれからもう20年以上経った先日食べてもまったくブレていなくて変わっていない不変の味だった。これぞ、本物!本物とはこうあるべきだ!というお手本のような1杯であった。そしてその味は未来永劫不変で引き継がれていくのである。
                                                   
あの20年前からすると、同じ澄川にあるけど、いまや建て直しで店舗もすっかりリニューアル。でも店舗内はまったくあの頃の20年前とまったく変わっていなくて同じ店内の配置なんだよね。
                                                   
純連が自分のラーメン人生の中で、キング・オブ・ラーメンの最高位にあるのは、美味しいだけではない。そういう自分の人生の挫折、苦しい時期にいっしょに立ち会ってくれた1杯だったからである。
                                                   
澄川の純連は、むかしは厨房が丸見えだった。でもいまや厨房はあまり見えないようにしている。いまのすみれもまったくそうなのであるが、これは自分はこう予想している。純連やすみれの味噌ラーメンは、このスープをフライパンで作っていく過程に1番のノウハウがあって、そこが丸見えだと同業者からマネされてしまうと危惧したからではないかと思うのである。
                                                   
純連やすみれは、じつは味噌ラーメンばかり注目、話題に上がるけど、じつは醤油ラーメンもめちゃめちゃウマいです。ものすごい香ばしい醤油味で、これはちょっと他の店ではこの味は出せませんね。
                                                   
高級な醤油ラーメンという感じです。自分は醤油ラーメンでもこんなに美味しいお店はないと思います。でも悲しいかな、純連やすみれって滅多に本場のお店に行けないじゃないですか?そんなチャンスがない。たまにしか行けない。そうなると、どうしても味噌を頼むしかないんですよね。そうならざるを得ない。北大病院に通っていたときは、味噌も食べたい。でも醤油も食べたい。。。1回の来店で2度楽しみたい。で、味噌ラーメン食べた後、追加で醤油ラーメン頼んだりしていました。(笑)あの頃はそれを許してくれた。いまは1杯食べたら、また行列の最後尾に並び直おさいないといけませんね。
                                                   
純連やすみれに入って、味噌以外を頼むのは、なんかもったいない気がしますが、ぜひ醤油も食べてみてください。抜群のウマさです。推薦します。
                                                   
そういうことからすると、純連やすみれに入店して、塩ラーメンを頼むというのは、自分にとってはもうまったくの未知の世界。(笑)純連やすみれの塩ラーメンっていままで食べたことがないです。なかなかもったいなくて頼めないです。
                                                   
純連は、昔、高田馬場に進出してくれました。もう毎週食べに行ってたです。また東京進出してほしいです。地方に支店を出すのは、スープの味が変わって難しいのかもしれませんが。。。
                                                   
                                                   
●すみれ
                                                   
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いまの純連やすみれ、いわゆる純すみ系ラーメンを全国区にしたのは、間違いなくすみれの村中伸宜さんのおかげ。家族全員の反対を押し切って、すみれを新横浜ラーメン博物館に出店して、全国デビューさせた。それですみれの大ヒットで、この濃厚な味噌ラーメンの存在が全国区になった。
                                                   
自分はヨーロッパから帰ってきたのが1996年だから、よく覚えている。まさに衝撃であった。こんなウマい味噌ラーメンがあるなんて!なんて濃厚なんだ!自分はいっぺんに惹きつけられてしまった。そしてその1996年だけでも相当ラー博に通ったんではないかな?すみれ目当てで。
                                                   
当時のすみれは、ラー博の中で地下の広場の一番片隅の場所に店を出していた。その場所いまでもよく覚えている。とにかくこんな美味しい味噌ラーメンを食べたことがないというぐらい衝撃だったから、いろんな友達に言い触れ回ったり、推薦したりした。いままでの味噌ラーメンという概念を根本から覆すくらい自分にとって衝撃だった。当時はSNSとかなかったからね。勿体ないことをしました。
                                                   
村中伸宜さんは、すごいビジネスマンというか積極的な人だと思いますね。すみれを一地方のご当地ラーメンでは終わらせない。いろいろ弟子入りを多く取り入れ、どんどん自分のお店をデビューさせていく。やっぱり料理人にとって、お店で修行しているときは、将来に夢は自分のお店を持つことではないですか。料理人はみんなそう。
                                                   
すみれは、そういう点ですごく積極的。もうどんどん弟子に秘訣を伝授して、どんどん自分のお店をデビューさせる。そういうお店の暖簾やどんぶりには、ちゃんと”すみれ”と印字することで、お墨付きというか、みんなの信頼を得られるような配慮もしてあげる。
                                                   
やっぱりラーメンファンにとって、そういう”すみれ”のブランドのロゴが入っているだけで、完全に信用するものなんですよ。大体味が想像できちゃう、というか。それで安心するものなんです。
                                                   
単に、すみれを有名にするだけではなく、そういうところまで配慮していてすごい積極的なのは、自分はほんとうに人間の器としてかなり大きいのではないか、と思うのです。
                                                   
料理人、職人というのはなかなかそうできないですよ。やはりノウハウ、自分だけの秘訣。そういうものが商売道具になる訳ですから。だから自分は、すみれ、村中伸宜さんというと、すごいビジネスマン、積極的というイメージが大きいんですよね。
                                                   
もういま東京だけでなく、いろいろな地方で、”すみれ”ブランド、”すみれ”お墨付きの純すみ系のお店、もうたくさん出店していますよ。そのたびに自分はいつもそのように思っています。
                                                   
やっぱり純連(じゅんれん)とは違うんですよね。すみれのほうが、かなり社交的で積極的でビジネスマンだと思います。
                                                   
すみれは全国区だから、お金持ちなので、よく店舗をリニューアルします。(笑)自分は、札幌の中の島の本拠地にすみれを何回も訪れましたが、お店の建て替えなど3回経験していますね。1996年にラー博ですみれを知ったとき、アムスの友人から純連(じゅんれん)の話を聞いたとき、すぐに札幌に飛んで純連(じゅんれん)を探したのですが、なぜか純連(すみれ)のほうに着いてしまいました。(笑)
                                                   
当時のすみれは、かなり古い掘っ建て小屋のようなお店で、1996年頃だと思います、暖簾は純連ですみれと読ませる。そして味噌ラーメンを食べたら、ラー博のとまったく同じなので、あ~~~ここは純連(じゅんれん)ではなく、純連(すみれ)だったんだな、と認識しました。(笑)
                                                   
自分はカウンターだったので、そのとき厨房にいた村中伸宜さんに話しかけました。「新横浜ラーメン博物館でも出店されていますか?」「はい。」ただ、そのやりとりだけでしたが、いま思えば記念の直接会話でした。
                                                   
その後、木造のかなり綺麗な広い敷地での立派な店舗にリニューアルしました。もうこの頃になると、ひらがなで”すみれ”になります。
                                                   
このときは北海道の友人といっしょに食べに行きました。すみれって、地下鉄の中の島駅から結構歩くんですよね。冬に行ったので、雪道、凍結路面の中、大変だったような記憶があります。木造の綺麗なお店で、味噌ラーメン美味しかったです。
                                                   
そして現在の上の写真の店舗です。もういまや押しも押されぬ大ラーメン店と言っていい表構えです。すみれが本拠地にしている札幌の中の島というところは、創業者の母、村中明子さんが純連を始めた由緒ある土地なので、そこでその歴史をずっとこれからも受け継いでいこうという意思の表れだと思います。
                                                   
中の島駅からかなり遠いです。(笑)冬はかなり歩くの大変です。
                                                   
ひさしぶりの本場のすみれの味噌ラーメン。いやぁぁぁ・・・さすがとしかいいようがない。うまかったな・・・。本当にウマい。濃厚って感じで、これこそ本場の味、昔と変わらない不変の味という感じですね。
                                                   
すみれ横浜店にも見習わせたいです。(笑)首都圏で唯一すみれの味が楽しめる”すみれ横浜店”。すごい商売繁盛でいつ行っても長蛇の列で並びます。創業時はう~ん、美味しいけど本場の味、自分が知っている1996年当時のラー博のすみれとは、ちょっとやっぱりなんかが違うな~と思いましたが。、先日行ったら、もうかなり進化していて驚きました。
                                                   
スープがかなり本場の味に近くなってきて、そうそうこんな感じ、というふうになってきましたよ。うれしかったです。
                                                   
やはり古くからのファンというのは、本当にウルサくて面倒な人と思うかもしれませんが、言っていること、文句を言っていることは正しい、本当のことが多いです。
                                                   
ラーメンのスープというのは本当に命というか難しいんでしょうね。時間が経過するにつれて、どんどん発酵するというか、こなれてきていい味になってきたという感じです。
                                                   
すみれ横浜店、あともうちょっとという感じです。
                                                   
やっぱりダメだな。
                                                   
自分は、純連、すみれのことを語らせると、もう止まらなくなってしまい、また字数制限で、1つの日記では終わりそうにないので分けることとします。

                                                   

                                                   






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新千歳空港(CTS) 後編 [航空関連]

それでは3Fのグルメワールドに行きます。3Fのグルメワールドは、まさにレストラン街、カフェなど飲食店が集まったフロアになります。自分のテレトリーとしてはこちらのほうが得意分野になります。


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3Fのグルメワールドで自分が一番贔屓にしているのは、北海道ラーメン道場です。新千歳空港に行ったなら、主に帰京のときですが、かならずここに寄って「けやき」の味噌ラーメンを食べるのが自分の普段の日課と言っていいです。


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北海道内で有名なラーメン店10店舗をこのテナントに集めているという感じです。新横浜のラーメン博物館の空港版という感じでしょうか。


このように縦にずらっとお店がオープンスタイルという感じで並んでいます。


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この北海道ラーメン道場で間違いなく一番人気なのは、「えびそば一幻」さんですね。毎日大変な人気でいつも長蛇の行列です。


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えびの頭から出るあの独特のしょっぱみある濃厚な出がらしと、味噌スープというのがすごく合うんですよね。それでやみつきの味になるようです。「えびそば一幻」さんは東京にもお店があるので、東京でも食べれますよ。自分も2013年頃にこの新千歳空港の北海道ラーメン道場で、この「えびそば一幻」さんのラーメン食べたことあります。


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そして、ここがこの北海道ラーメン道場の中でも自分のもっとも愛すべきラーメンである「けやき」です。すすきのにわずかカウンター5席くらいの小さな味噌ラーメン専門店ですが、ここの味噌ラーメンは絶品です。2007年に新横浜のラーメン博物館に出店して、その存在を知りました。あのときは衝撃でした。新千歳空港にも支店を出しているのです。すすきのの本店にはまだ行ったことがないです。今回の帰省でぜひすすきの本店に行く計画を立てていたのですが、無理でした。


けやきの味噌ラーメンは、詳しいレポートは、また後日の日記で紹介したいと思います。


北海道ラーメン道場の横には、松尾ジンギスカンのお店もあります。


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ここもまさに自分の常連、十八番の場所です。このお店も行きつけでした。まだ営業していたとは、感無量です。


北海道では、家庭の食卓で羊の肉をジンギスカンという形で食します。東京でいうところの焼肉とまったく同じ感覚で羊の肉をふつうに食べます。自分も子供の頃、家庭ではふつうによくジンギスカンを食べていました。母がよくやってくれました。本当にふつうにあたりまえの食事でした。


また大学時代、ビール園とかで友達みんなとジンギスカンを食べに行ったり、また大学の研究室では、ちょっとしたことでもすぐにキャンパスの芝生で教授や助手、研究室の学生みんなでジンギスカン・パーティをやるなんて日常茶飯事のことでした。


それだけ北海道民にとって、ジンギスカンというのはごくあたりまえに根付いた食文化だったのです。


ジンギスカン鍋という専用の鍋があって、そこにラードを擦りながら鍋に脂を敷きます。そしてもやし、野菜を周囲に取り囲むように配置して、真ん中で羊の肉を焼きます。


こんな感じです。


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この写真は、2013年に北海道の友人とサッポロビール園でジンギスカンを食したときに撮影した写真です。ジンギスカンってこうやって食べます。味付けジンギスカンのように肉にタレがついていると焼いていると肉汁が出てきてそれが周りのもやし、野菜のほうに流れていって相俟ってさらに美味しくなります。


でも北海道民の間では、サッポロビール園のジンギスカンは美味しくないという評判です。(笑)自分もあまり上質な肉という感じではなかったな・・・と感じます。東京でのおもてなしの北海道友人とは、よくこのサッポロビール園にでかけてジンギスカンを食べたものです。


いまは彼はどうしているのか・・・。


札幌・大通りにある羊羊亭もよく行った記憶がありますが、ここもいまひとつだったな・・・。意外や外食でジンギスカンを食べるとなると、ここはウマい!というのは自分はあまりお宝情報がないんですね。


やっぱり札幌でジンギスカンといえば、「だるま」なのでしょうか・・・。やっぱり北海道生活の中で一番ジンギスカンが美味しいと思ったのは、子供時代に母親が作る家庭での松尾のジンギスカンだったのです。これがなにより一番うまかった。外食であのウマさ、あのレベルは出せなかった。



羊の肉は、子羊のラムと大人の羊のマトンとあります。羊の肉はよく臭みがあると言われますが、ラムは臭みはあまりないですね。マトンのほうが臭みがあります。


でもジンギスカンを食べ慣れてくると、やはりマトンのほうが美味しいと思いますね、自分は。。自分は幼少の頃からふつうにジンギスカンを食べていたので、羊の肉を臭いと思ったことは一度もないですし、すごく美味しいと思っていました。みんな羊の肉は臭い、受付けない人はダメじゃないかとか言われますが、自分にはよく理解できませんでした。一時期東京でもジンギスカンブームというのが起きましたね。1998年頃でしょうか・・・。あっという間に消え去っていきましたが。


ジンギスカンは、タレ付きの肉を焼く場合(味付けジンギスカンといいます。)と、焼いてからジンギスカンのタレにつけて食べる食べ方と2種類ありますね。ジンギスカンのタレは、焼肉のたれとはまたちょっと違う甘い独特の味です。


ジンギスカンは、滝川の「松尾ジンギスカン」と長沼の「長沼ジンギスカン」が2大ジンギスカンではないでしょうか。滝川市は、懐かしいです。中学3年のときに、よく高校受験用の冬季講習セミナーを受けに通っていた町です。


この新千歳空港の松尾ジンギスカンのお店は本当によく利用していました。懐かしくなり、思わずジンギスカンについて熱く語ってしまいました。


じつは今回の帰省で、札幌でジンギスカンといえば、「だるま」とよばれるように、だるまを初体験しようと思っていたのです。なんと!北海道出身でありながら、だるまの成吉思汗を食べたことがないのです。


でも残念ながら、今回は無理でした。またの次回に。。。



ここの海鮮料理の「きたみなと」さんは、空港に迎えに来てくれたオヤジ、あるいは帰京するときに見送りに来てくれたオヤジとよくいっしょに入って食べたお店だと思います。


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海鮮丼やイクラ丼を食べた記憶があります。北海道といえば海鮮系、どんぶりに山盛りの一杯の海の幸、そしてイクラ。本当に贅沢ですけど、そして美味しいですけど、あっという間、こんなものなのかな・・・と思いましたね。よく。そしてお値段は高かったような記憶があります。



この3Fのグルメワールドには、”市電通り食堂街”という特別な雰囲気を醸し出しているエリアがあります。


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2011年にリニューアルオープンした新千歳空港の中に突如、昔ながらの街並が現れる。そこが「市電通り食堂街」。北海道のさまざまな海の幸や山の幸が楽しめるグルメテーマパーク。「千歳飛行場」行を掲げた路面電車のレプリカが中央に鎮座していて、石畳風の通路、レトロな提灯、屋台など、昭和の街並が再現されているのです。


なんか、新横浜のラーメン博物館を想い出しますね。(笑)千歳空港時代の、いわゆるいまの”千歳飛行場”行の路面電車というのがいいですね。


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ここにぜひお勧めの素晴らしいお店があります。

それがスープカリー専門店 laviです。


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スープカレー発祥の地、札幌。

その本場のスープカレーを新千歳空港の中で味わえます。

ここはぜひ体験するべきです。私の一押しの場所です。



南国に咲く綺麗な花の色にちなんだ色使いの店内が特徴的なlavi。この新千歳空港店は、安倍元総理が3度も足を運んだことで有名なのだそうです。これは自分は知らなかったです。



スープカレーとカレーライスは違います。どこが違うんだ?と思うかもしれませんが、カレーライスはごはんにふつうにカレーがかかっていてそのカレーの中に具材が少々と言う感じ。


でもスープカレーはまず具材が、野菜などもうふんだんでゴロゴロという感じで入っています。とにかく具沢山。そしてスープがトロミ系ではなくサラッとしたスープ系なんですよね。ライスは別盛ですが、カレーライスとスープカレーはぜんぜん別物です。スープカレーは薬膳料理みたいな感じですね。


スープカリーlaviのスープカレー。


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laviのスープカレーはもう具材からかなりメニューで細かく選択してカスタマイズできるようになっているそうで、オーダーするとき大変だそうです。


laviは現在、札幌に、ル・トロワ店、琴似店、平岸店、大谷地店、そしてこの新千歳空港店と5店舗あるようですが、自分は北26条あたりにある本店のスープカリーlavilavi本店に行って体験したことがあります。2013年頃ですね・・・。


自分が行ったlavilavi本店は、現在の公式HPでは、いわゆるこの系列の店舗にカウントされていないんですよね。店名もlaviではなくlavilavi本店ですし。


スープカレーのお店lavi。その原点でもあり出発点となったlavilavi本店は、なんか系列的に別カウントのようです。ちょっと不思議です。小民家を改装した隠れ家的なお店でした。


2013年に訪れたときに自分が撮影したlavilavi本店と、そのときに食したスープカレーの写真です。店内はすごい暗かったです。


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ふつう札幌のスープカレーは本当にさらっとした液体状なんですが、lavilavi本店のはちょっとトロミがあって、ふつうのカレーに近かったような記憶があります。


この2013年頃って、いわゆるスープカレーブームということで、その本拠地の札幌のスープカレーが注目されて大ブームになったときなのですが、そのときあまりにサラサラの液体状で、これどうなのかな~と疑問を抱いていたのですが、このlavilavi本店のはトロミがあって、いわゆるふつうのカレーに近かったので自分が称賛した、ということだったと思います。(この店、その当時tackさんから教えてもらった店でした。)


スープカリーlavi 新千歳空港店ですが、残念ながら、すでに朝に、けやきの味噌ラーメンを食べてしまい、この日お腹がもう一杯で無理でした。またの機会にしたいと思います。


自分は、スープカリーlaviのこの新千歳空港店は、まだ1回も経験がないです。


今回の帰省での北海道での宿泊は、なんと、恐れを知らない3年間誰も住んでいなかった放置されっぱなしだった実家に宿泊したわけですが(笑)、そのときにテレビで東京の下北沢の美味しいスープカレーを特集していて、あぁぁ~これはいいな~これは絶対美味しい、これこそまさに正真正銘のスープカレーと思ったので、今度チャンレジしてみますね。まさにスープカレーってこういうものをいいます、という感じです。4月の暖かい春になったら敢行したいと思います。


下北沢も本当に懐かしい街。


自分が上京して就職したとき、小田急の新百合ヶ丘に会社寮があったので、山手線に乗るまでの井の頭線での乗り換えが下北沢で、よくここで下車して日用品の買い物をしたりとか夕飯、この下北沢の餃子の王将にはほんとうによく通った。忘れらられないです。下北沢は自分の青春の街です。若い頃は金がないから、餃子の王将は美味しいし、安くて最高でした。自分の毎日のメイン食事でした。下北沢は青春の街。いろんな甘酸っぱい若い頃の想い出が詰まってます。先日久しぶりに下北沢行ってみましたが、あの頃の町影はほとんど面影残っておらず街としてガラ変でした。


新百合ヶ丘の会社寮。6畳の狭い個室に4台のED-βデッキとVHSデッキ、LDデッキ合わせて、8台くらい揃えていたビデオ事業部人生まっしぐらの頃でした。


自分がいま目標としているのは、下北沢本多劇場で役者さんによる舞台を観たいことです。下北沢の名所中の名所、本多劇場をまだ体験したことがないのです。これを、これまたあまり経験のない俳優さんによる生舞台で初体験したいのです。これも計画中です。


かなり脱線しました。。


3Fのグルメワールドのフロアーにはところどころにひと休憩できるようなスペースがあります。お腹いっぱいで、いろいろ見て回っているとどうしてもひと休みしたくなりますね。そういうときにとてもいいと思います。


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グルメワールドのお店はほんとうにたくさんありますので、とても全部は紹介できませんが、自分がふだん行きつけているお馴染みのお店、お勧めのお店を中心に紹介してきました。



つぎに4Fに行きます。

自分は長い新千歳空港歴の中でも4Fに行くのは初めてです。オアシスパークといいます。4Fにそんなエリアがあるなんて思ってもみなかったです。


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エスカレータで昇っていった先には一面広いスペースが広がっていました。


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なんと映画館があります。空港で映画が見れるんですね。まったく知らなかったです。


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そしてなんと!温泉まであるのです。新千歳空港温泉。自分は思わず入っちゃおうかな、と思いましたが、寸前でやめました。これは素晴らしいです。


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じつは、この新千歳空港にはエアポートホテルという直結している宿泊ホテルがあります。そこの最上階の部屋ですと、窓から滑走路が見えるようになっていて飛行機の大好きな人には堪らないような風景だとか。新千歳空港は、1日、2日そこにいるだけで、そこに全部北海道が詰まっているので、このエアポートホテルに1泊して、そのまま空港に繰り出す、そしてグルメ、空港内散策などで楽しむなどの楽しみ方ができるんですね。終わったらまた直結のホテルに帰るという感じで。


そしてこのホテルに宿泊するお客さんは、この温泉が無料で入浴できるのだとか。本当に驚きました。


4Fにこんなパラダイスの空間があるとは!!!


あと航空関係のグッズ屋さんもありました。


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あとこのような展示スペース会場がありました。これはシーズンに寄っていろいろ催しものが様変わりするのでしょうけど、いまは冬のシーズンに合ったアニメ関係の展示でした。(SNOWMIKU SKY/TOWN)


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でも空港ですからもちろん電子掲示板は欠かせないです。


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最後に空港の一番のミッションの搭乗手続き、手荷物カウンターです。空港ですから、横にずらっと長いです。JRからの連絡通路から最初に出るところがJALのカウンターになります。右側がJALで左側がANAです。LCCはずっと一番端にあります。


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新千歳空港(CTS)。本当に1987年以来36年間、長い付き合いですけど、本当にこのような最新の姿になったのはつい最近のこと。長い割には、自分の頭の中にうかぶイメージはつい最近の新しい建築物、テーマパークのイメージしかなかったです。まさにこの姿こそが完成された北の大地、北海道の玄関口、新千歳空港なのでしょう。


いまやお土産、グルメ、オアシスパークと、空港にいるだけで、北海道が楽しめる、空港にぜんぶ北海道が詰まっている、そういっても過言ではない素晴らしい空港になったと思います。


これからもお世話になります。

末永いご発展をお祈りしています。







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新千歳空港(CTS) 前編 [航空関連]

新千歳空港は、JRと直結しています。

新千歳空港駅というところからそのまま直結して空港内に入ります。


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新千歳空港ターミナルビルというのは、地下含めて5階の建物です。地下1階に地上4階という感じです。


1Fが到着ロビーです。

2Fが出発ロビーです。


JRで降りて、そのまま空港に直結して出発ロビーに出るとまず2Fに出る訳です。2Fはお土産屋さんやショッピングモールなどお買い物専門のお店が並んでいます。そして3Fがグルメワールドです。レストランや食べ物関係が全部ここに詰まっています。4Fがオアシス・パークというところ。ここは自分も行ったことがなく初めての体験でした。あとで解説します。


2Fの出発ロビーに行く途中に通路脇にいろいろなショッピングモールが並んでいます。ここも魅力的な北海道のお土産が買えるところですね。


まずANA FESTA。ANAの専門ショップですね。


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ここでぜひ買っておかないといけない北海道お土産ベスト1のものがあるそうです。はい。YouTube情報でスミマセン。(笑)


それがこのSNOWSとよばれるお菓子です。


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こちらはSNOWSビスケットというようなスタイルで中にチョコレートが挟んである感じですごく美味しいです。


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そうしてこちらが、SNOWSのチョコボール。


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自分はさっそくこのSNOWS、ビスケットとチョコボール両方買いました。家でチョコボールのほうを食べてみるとこんな感じ。パウダー状のチョコがまぶしてあり、中はアイスクリームというかクリーム状の感じですね。保冷必要です。買って7時間以内に食べるですかね。かなり美味しかったです。



いろいろなお土産屋さんが並びます。北海道本舗、北海道物産、・・・展示のお土産品にどんどん目移りします。こうしてみると白い恋人とか、六花亭とか、まさに北海道のおみやげ定番並びますね・・・大ベストセラーです。


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ここのカルビー(Calbee+)はポテトなどを揚げたてを食べられるということで人気なのだとか。このときはやっていませんでしたが、こうやってじかに揚げるところも見学できるようです。


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そしてここ美瑛選果!


ここは新千歳空港内でもっとも有名なお土産屋さんスポットでしょう。新千歳空港 国内線ターミナルビル 2階の、“どさんこ産直市場” の一角にお店を構えています。


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ここの豆パン、コーンパンを買うために朝早朝からずっと並んで買うのです。自分は9時半ごろ空港に着いたのですが、もうそのときでこんな行列。


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美瑛は北海道上川郡にある町。「日本で最も美しい村連合」加盟しています。北海道を代表する観光地の一つで、特に「青い池」や「四季彩の丘」の風景は、北海道を代表する風景として知名度が高いそう。自分はもちろん行ったことがないです。


「美瑛選果」というのは、食を中心としたそんな美瑛ブランドが集まる場所という意味合いがあり、いわゆる食を中心とした美瑛ブランド売り出していこうというショップのことですね。北海道・丘のまち美瑛町の価値を伝えます。オンラインストアでお取寄せも可能です。InstagramなどのSNSもやってます。


この「美瑛選果」新千歳空港店に名物「豆パン」と「コーンパン」があるのです。

「美瑛選果 新千歳空港店」限定!幻の「びえいのまめぱん・コーンぱん」


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いわゆる新千歳空港限定、ここでしか入手できないという美瑛選果ということで、もう幻なんだそうです。まずふつうに行ってもまず手に入らない。豆パンなんかは自分が行ったときは、朝8時で完売になっていました。そしてコーンパンも写真のような長蛇の列。自分は並ぼうか迷ったが、なんか大変そうなのでやめときました。


この限定の幻の「まめぱん・コーンパン」を買おうと思ったなら、朝6時とか早朝から空港に行って長蛇の列に並ぶしか方法はないと思われます。そうなるともう空港に泊まるしかない。新千歳空港にはホテルがあるので、そこに泊まって朝早朝に6時くらいからこの美瑛選果に並んで買うしか手に入らない代物なのです。


厨房の中で職人さんがじかに小麦粉を練りながらパンを作って焼き上げるまで全部手作業。そこに美瑛名産の豆やコーンを具材として入れ込んでいく。


新千歳空港おみやげとしては、本当に知る人ぞ知るという別格の貴重なしろものなのである。自分はこのことをYouTubeで知りました。(笑)



こちらが豆パン。


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「びえいのまめぱん」は 名前のとおり、美瑛町産の豆をたっぷりとつかった まめぱん。パンの表面を覆いつくすだけじゃあ あき足らず、パンの中にも豆がたっぷり! どこを食べても 豆・豆、豆!な、豆好き必見のまめぱん。


使われているのは 美瑛町産の 5種類の豆。

小豆、黒豆、手亡、金時豆、青えんどう



こちらがコーンパン。


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「びえいのコーンぱん」ですが、こちらも名前のとおり 美瑛町産のスイートコーンをたっぷりとつかったコーンぱん。最大の特徴は “水・砂糖” を一切使っていないこと!スイートコーンの水分と甘さで焼きあげた、とっても贅沢なコーンぱんです。


中にはこのようにコーンがびっしり!

これを食べるために朝6時から並ぶのは、自分には無理だな。(笑)



つぎにKINOTOYA(きのとや)。

ここは北海道札幌の洋菓子販売「きのとや」の新千歳空港店である。


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ミルククッキー「札幌農学校」もあります。札幌農学校というのは北海道大学、北大のことです。「きのとや」さんは、北海道大学と提携してミルククッキー「札幌農学校」を販売し、売上の一部を北大に寄付しているのだそうです。


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ここにも名物があります。それが新千歳空港限定の極上牛乳ソフトクリーム。


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この限定というのにみんな弱いですね。(笑)空港でしか味わえない、きのとやが提供するソフトクリームである。なんでも新千歳空港内には、ソフトクリームっていわゆる定番メニューで、いろいろなお店でソフトクリームを販売していて、それを集めて毎年、新千歳空港ソフトアイスクリーム総選挙というものを開催しているそうだ。


「きのとや」の牛乳ソフト・アイスクリームはもう3連覇など毎年優勝を飾る常連さんなのだそうです。これもYouTubeで知りました。(笑)


さっそく自分も食べてみました。


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これはかなり濃厚ですね~。相当濃いというか、かなりミルキーで濃厚な味です。それで時間が経っても溶けないというか、ほどよい固さを保ちながらいつまでも食感を楽しめる感じです。これは確かに美味しいソフトクリームです。こんな美味しいソフトクリームはいままで食べたことがないです。記念になりました。



KINOMOTO(きのとや)は、新千歳空港内では2か所あります。こちらがもう一か所のきのとやさんです、こちらのほうが大きいので本店でしょうか。


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近くにWorldWind Barという世界中のワインが楽しめるようなそんなバーもありました。


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つぎにスターバックス。


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スターバックスはもちろん世界中どこにでもありますが、ここ新千歳空港店限定のメニューがあるそうです。みんなこの”限定”という言葉に弱いですね。(笑)


世界中のスターバックスの中で、この新千歳空港だけしか味わえないメニューが、このホワイトチョコレート&エスプレッソというものです。自分はフラぺティーノにしました。


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クリームとチョコのミックス具合がたまらない美味しい味わいだと思いました。YouTubeの動画で紹介するときは、この”ここ限定””ここでしか味わえない”と宣伝するのがコツなんですね。(笑)そういうメニューを探してきて紹介するのが魅惑を伝えるひとつのコツなんでしょう。なんかよくわかったような気がします。



こういう素敵な休憩場所があり、ここでいただきました。


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その向かいには、新千歳空港3階にあるロイズ チョコレートワールドがあります。ここはチョコレートメーカー・ロイズがお届けするチョコレートのワンダーランド。見て、学んで、食べて、チョコレートをいっぱいに楽しめるようになっています。


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チョコ専門ですが、このようにチョコを絡めたパンもあります。


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このグテというのがお勧めとか・・・。


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もうここまで来ると、男の自分には無理というか、そろそろ限界という感じです。(笑)



北海道牛乳カステラ


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こうやってウィンドウ越しにカステラを作る作業が見学できるようになっています。


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なんか盛りだくさん過ぎて、とても1つの日記で収まらなくなりました。

mixiの日記字数制限は10,000文字なのです。


つづく。





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新千歳空港の想い出 [航空関連]

1987年の上京より36年間、夏のお盆休み、そして年末年始と必ず年には最低でも2回、あるいはいろいろな用事で2回以上北海道に行くことがあり、HND<--->CTSは本当にホットライン。単純計算でも72回以上はこの区間をフライトしている計算になる。
                                                   
もう想い出といっても思い浮かびませんね。あまりにあたりまえすぎて。。。羽田空港(HND)もいろいろお世話になりましたが、新千歳空港(CTS)もいわばベース、自分のベース空港のような存在。
                                                   
HND空港は先日いろいろ日記で紹介できたと思うので、CTS空港はぜひ次回かならず!と思っていたのでした。今回ひさしぶりに北海道に帰省するにあたって、新千歳空港を日記で紹介したいな、と計画しておりました。
                                                   
千歳空港ではなく、なぜ新千歳空港なのか。
                                                  
自分が子供の頃、千歳に母の妹のおばさんが住んでいたこともあって、千歳はとても身近に感じていた街でした。で、そのときに空港は千歳にあったのです。だから千歳空港だったのです。
                                                   
自分の子供の頃はずっと千歳空港。
それが新千歳空港になったのは、1988年の頃。
                                                   
千歳空港は軍用機の空港であると同時に民間機の空港でもある民共用空港だったんですね。1951年の民間航空再開後、自衛隊機と民間機が共用で使用してきました。
                                                   
しかし、1978年に千歳空港と東京国際空港(羽田空港)間の旅客数が世界最多となるなど旅客数・貨物量が増加。大阪や名古屋、福岡など全国の大都市や、道内各地を結ぶ路線が就航するなど、北海道のハブ空港として機能するようになりました。
                                                   
一方で、ソ連機の領空侵犯に対する自衛隊機のスクランブル出動は年間200回にも及び、その間、民間機は地上や周辺空域で待機を余儀なくされ、長い場合は30分にもわたることもあった。そのため、航空機の安全確保と航空需要の拡大に対応するため、新たに新千歳空港が建設されることとなり、1975年(昭和50年)11月20日に着工。
                                                   
1988年(昭和63年)7月20日に、民間専用の空港として開港した。
                                                   
いまは、旧千歳空港だったところは、軍専用の空港と言うことで、空港ではなく、”千歳飛行場”と呼ばれるようですね。そして民間専用の空港が、”新千歳空港”という訳です。
                                                   
だから自分の子供の頃の記憶では、ずっと千歳空港だったんだけれど、1988年以降は、もうずっと新千歳空港なんですね。上京したのが1987年なので、この最初の年は千歳空港で東京に来たと思います。でも翌年の1988年から今に至るまで新千歳空港。そんな歴史があります。
                                                   
新千歳空港は、航空業界のスリーレターコードではCTS。また通称チケット上の表記や電子掲示板での表示などでは、”札幌”と表記されることが多いですね。(札幌には別途、丘珠空港という空港もあります。自分は使用したことがありませんが。でも札幌といえば通常は新千歳空港のことをいいます。)
                                                   
新千歳空港に到着したら、そのままJRで札幌まで出ます。大体1時間くらいです。そこからさらに乗り換えて、おらが町まで1時間列車で行きます。エアポートとかスカイライナーの特急、急行に乗ると、そのまま新千歳空港から札幌経由でおらが町まで一直線で行くし、通常旭川までの行き先が多いですね。このエアポート、スカイライナーを使うと帰省には便利です。
                                                   
3年ぶりに新千歳空港の到着ロビーに降り立ちますと、いつも使っているJRへの乗り継ぎする通路のエスカレータを探すのにひと苦労しました。(笑)たかだが3年のブランクなのに。。です。
                                                                                 
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就職で上京して以来、羽田空港(HND)<--->新千歳空港(CTS)を行き来することを毎年続けた訳ですが、そこには今は亡きオヤジとの想い出もいっぱい詰まっていました。
                                                   
べつに新千歳空港からおらが町まで、列車で帰れる訳ですが、オヤジはわざわざ新千歳空港まで車で迎えに来てくれるんですよね。そして空港からおらが町、自分の家まで車は、ボクが運転する訳です。オヤジがわざわざ自分に運転を譲ってくれるのです。東京では普段なかなか車を運転することもないですが、唯一この新千歳空港とおらが町、実家までの間は、自分の最愛に楽しみにしているドライブタイムだったのです。ナビなんてついてないけど、北海道の道路は広いし、車の数も少ない。山の中の田舎道を走る感じで、まさに快適でした。車の運転っていいなーといつも快感でした。
                                                   
その車中でオヤジといろいろ話をするのが楽しかったです。東京での生活はどうだとか。。最近の状況とか。母親の状況とか。。。いろいろなよもやま話です。
                                                   
帰省の新千歳空港--->おらが町と、帰京のおらが町--->新千歳空港とこの往路は、つねにオヤジの車で、自分が運転してCTS空港までドライブしたものです。
                                                   
こういうのが、もう何年続いただろうか・・・。かなりの年数やってました。
だからいまも新千歳空港の到着ロビーを出ると、そこにオヤジが立って待っているような感覚があるんですよね。ちょっとこうセンチメンタルになる、というかグッとくるというか。この新千歳空港の到着ロビーはかなり自分的に涙がでる場所です。新千歳空港は、そんな自分の父親との結構しんみりとくるような想い出の場所でもありました。
                                                   
                                                                                                                                                         
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新千歳空港は、この36年間、ずいぶん変わったんではないかな。
自分の記憶の中では、上の写真のような現在の新千歳空港のこの風景は、つい最近のことだと思います。本当に最近。ネットで調べてみると2010年に入ってからですね。
                                                   
空港、滑走路としては千歳空港とは別に新千歳空港ということで別れたんだけれど、開港時は1963年に開設された千歳空港の空港ターミナルビルを使用していていて、それに代わる施設として1992年7月1日に供用を開始しました。
                                                   
いわゆる新千歳空港ターミナルビルというのは、この1992年以降新設されていって、2010年以降に現在のスタイルに落ち着いたという感じではないかな。
                                                   
自分の長年の記憶の中でも、新千歳空港がこんなに新しい施設になったという記憶は本当につい最近のことですから。昔はどうだったか、ってもうまったく覚えていませんね。
                                                   
新千歳空港の建設にあたっては
                                                   
「21世紀に向けて北方圏や北海道を代表する建築であること」
「動線が長大なため明快であること」
「自然光を考慮した大空間や吹き抜けで空間的余裕・安らぎが得られること」
「北海道らしさの特徴付けや演出が得られること」といったデザインの指針が示され、
                                                   
上空から見るとアメリカ合衆国テキサス州のダラス・フォートワース国際空港を模した半円周型をしており、円弧を滑走路側に向けた構造とした。。。だそうです。
                                                   
                                                                                   
2011年7月15日に第1期施設がオープンし、2012年3月16日に全面オープンした。事業費は約200億円で、増築面積は約2万9,330平方メートル。出発ロビーや商業施設などが拡大し、温浴施設や映画館などが新設された。
                                                   
就航便数の拡大や旅客数の拡大に伴い、混雑の解消と機能の向上を目指して2015年3月16日から施設整備工事に着手。約200億円をかけて、約4万7,000平方メートルを整備し、2018年8月に再整備を完了。LCCや全日空団体用カウンターを1階から2階への移設のほか、出発ロビー出発口の拡充・再配置、手荷物検査にインライン方式を導入した。
                                                   
いまの新千歳空港(CTS)は、ほんとうについ最近整備された最新鋭施設といっていいと思います。それも2012年~2018年のつい最近のこと。自分の記憶の中でも、CTS空港がこんなに新しいという記憶があるのは、つい最近のこととしか思い出せなくて、古い時代のことはまったく思い出せないです。
                                                   
ふだん、自分がHND<--->CTSを利用するときなど、本当に味っけなくて、CTS空港に降り立ったあとは、そのままJRに乗り継ぐし、東京に帰るときは、出発ロビーでチェックインする前に、3Fのグルメワールドでたくさんのレストラン街があるので、そこでいろいろご飯を食べることが唯一の楽しみでした。
                                                   
新千歳空港での楽しみは、もうグルメです!
                                                   
今回、そんな新千歳空港(CTS)の魅力をどう日記で伝えるか。普段ふつうに飛行機で行き帰りするだけにしか使っていない空港。自分もCTS空港は超ベテランだけど、意外や空港内の仕組みなどまったく知らないド素人だと思います。
                                                   
そこで明日帰京というその前夜にYouTubeでいろいろ調べてみたのです。新千歳空港の魅力、グルメをいろいろ紹介するYouTube、ほんとうにたくさんありますね~~~。(笑)もう無数にあります。
                                                   
それを拝見してみると、もう自分も驚き。新千歳空港ってこんなにすごい魅力がいっぱい詰まったところなの?
こんなにスポットがたくさんあるところなの?
グルメ的にこんなに売りの商品があるところなの?
                                                   
もう驚きとしか言いようがなかったです。
灯台下暗しというのは、こういうことを言うのでしょうね。
                                                   
北海道って自分は、やはり生まれ育ったところで、大学までいたところなので、意外やその有難みというのをよく実感できていないところがあるかもしれないと思います。
                                                   
北海道の自然の大地、食べ物が美味しい。。。すべてにおいて北海道ってやはり魅力全開なのだと思います。道内出身者は意外やそういう魅力に鈍感なんですよね。
                                                   
自分は、北海道というとずっと豪雪地帯で育ってきたので、あの雪のつらさがもう勘弁という感じで、もう冬は雪の降る所に住むのはいやだ、と思うくらい拒絶反応が染みついているのですが、やはり道外の人にとって、北海道の雪、雪はロマンティック、スキー、大自然、クリスマス、温泉、これまた魅力に映る訳で、素敵に感じるのでしょうね。
                                                   
北海道の湿度の少ない爽やかな夏、地平線に向かって一直線に消えていく道路、大草原、自然、ビール、ジンギスカン、ラーメン、スープカレー、豊かな海鮮系・・・すべてにおいて北海道って魅力的なのですよね。
                                                   
自分はそういう有難みによく感謝せずに生きてきたのかもしれません。灯台下暗しというのは、こういうことを言いますね。
                                                   
YouTubeを見て驚いたことは、新千歳空港には、この北海道の魅力がぜんぶここに詰まっているのです。新千歳空港をいろいろ見て回るだけで、もうそれだけで遊べるのです。新千歳空港で1泊して、空港内を1日、2日かけていろいろ見て回る。もうこれだけで十分すぎる観光といえると思います。
                                                   
もう自分も驚きました。
新千歳空港ってこんなにいろいろなスポットがあるのか。
                                                   
自分も前夜にYouTubeで勉強したにわか知識者ですが、それにもとづいて当日はその通りにいろいろ見て回ろうと思いました。そして紹介していこうと思いました。
                                                   
お楽しみに。

                                                   

                                                                                                      

                                                   


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ANA Lounge [航空関連]

空港ラウンジというのはふだんあまり使わない人なので、どのような空間なのか、とても興味がありました。昔ヨーロッパに住んでいたとき、出張でミュンヘンの空港で、有料という形式ですがラウンジを利用したことがあってそれははっきり覚えているのですが、それ以来国内含めて空港ラウンジを利用した記憶がないのです。


自分としては、空港ラウンジというと、いわゆるゴールド会員、修行などでマイレージ積算でステータス的に特権階級クラスの利用者だけが利用できる特別なサロン空間。。そんなイメージがありました。


ひさびさの飛行機を使う旅行ですから、ぜひ空港ラウンジを体験してみたいと思うようになりました。今回キャリアにANAを使うので、ANAラウンジを体験出来たら、と思って計画に入れていました。


ANAラウンジは、ANA Suite LoungeとANA Loungeの2つがあって、Suite Loungeのほうは、これはもうマイレージなどで特権階級のお客様向けですので、自分には無理だなと思っていました。ANA Loungeのほうは、基本はマイレージ積算のお客様対象なのですが、有料での利用というオプションもあって、3,000円(ただしその日の搭乗券があって、現金支払いのみ)を支払えば利用できるというオプションがあることを知りました。


この有料オプションという枠で利用しようと思いました。ただし、事前に予約が必要になります。ラウンジを利用したいと思い、実際行ってみたけれど予約がなくて入れなかったという事故に遭わないようにご注意ください。


今回行きと帰りでせっかくですからHND空港とCTS空港のANAラウンジを体験しようと思いました。その模様を日記でお知らせできればと思います。


●羽田空港(HND)のANA Lounge


空港ラウンジというのは、保安検査場を通過した後にあるものです。セキュリティチェックを終えて、通常の搭乗ゲートで待っているよりは、より快適な空間をご提供するというような意味合いがあるのでしょうか?そのような感じの空間になります。


HND空港の場合ですと、保安検査場を通過したすぐ隣にありました。


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かなり高級そうな感じで、ブルジュアな雰囲気が漂っていましたので、入る前にすごく緊張した覚えがあります。ゲートを通ると清楚なシンプルな空間が広がっています。エスカレータでこの3Fに上がります。


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受付で、予約している氏名とモバイル搭乗券などを提示します。保安検査場を通ったときに印刷される紙チケットの提示も要求されましたので、あ~やっぱりこの紙、ポイってやったらダメなんだな、と思いました。


その場で現金で3,000円を支払います。

そしてAMCのスマホにマイレージとしてチャージ加算もしてくれます。


これでANA Lounge利用可能になります。


HND空港のANA Loungeはかなり広い空間で横にず~っと長い空間でした。いろいろなタイプの空間があって複合型のサロン、ラウンジ空間と言っていいと思います。


ベーシックなコンセプトとして、ゆったりと過ごすデラックス・ゴージャス型から、いわゆるパソコンを持ち込んでそこで仕事をするというようなワークスタイル・カジュアル型のような2つのタイプの複合型だと思います。


こちらが、ゆったり過ごすタイプのデラックス・ゴージャス型。


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自分はこの空間がすごく高級感があって好きでした。


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こちらがワークスタイル・カジュアル型。


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コロナ対策ということで、隣と敷居がきちんとされています。

もちろん室内はWiFi完備ですし、このように電源コンセントも供給されます。


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モバイル搭乗券の場合、スマホはキーデバイスになりますので、バッテリー切れが一番怖い現象になります。自分もしっかりここでスマホ充電します。


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自分は空港ラウンジというのは、そもそも富裕層やマイレージ特権階級の方々がゴージャスな雰囲気で過ごす空間と勝手にイメージしていたところがあるのですが、こうやって実際の空間を拝見すると、もちろんそれもありますが、意外や出張などでパソコンで仕事をしているためにラウンジを使っている。。。そういう用途のほうが大きいのではないかと思いました。


ただ単にゴージャスに過ごすだけでしたら、ふつうの搭乗ゲートの椅子のところで待っていても全然構わないと思いますが、こうやって実際パソコンで仕事をする、そのためのWiFi完備、電源コンセント完備というメリットを考えるならば、もうこれはラウンジの利用しか選択肢はないように思うからです。


空港ラウンジってビジネスマンにとってはある意味仕事という点で必須の空間だったということだったんですね。自分はかなり誤解していました。


コロナのせいかどうかわかりませんが、ラウンジでの食事の提供はありません。ドリンクのみの提供になります。Suite Loungeのほうでは、おにぎりのような軽食を提供していることもあるようですが、通常のラウンジではドリンクのみになります。


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自分はANA Loungeで、JALの国際線サクララウンジでのJALオリジナルビーフカレーに対抗したANAチキンカレーをぜひ食してみたいと思っていたので大変残念でした。


オレンジジュースをいただきました。大変美味しかったです。


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つい調子に乗ってしまい、ビール(アサヒスーパードライも逝ってしまいました。)すぐに真っ赤になって頭ガンガンになりました。


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空港ラウンジの特等席はやはりこの窓際の席だと思います。ここはいつも超人気スポットです。航空ファンにとって、大好きな機体を眺めながら、ドリンクを飲みながらゆったり過ごせる最高のシチュエーションなんだと思います。第2ターミナルのANA Loungeですので、ANAの機材のみが見えるシチュエーションですね。


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翼の王国のような機内誌の紙媒体のものはここに展示されていました。


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またなぜかよくわかりませんが、コピー複合機もありました。ビジネスマンがパソコンで仕事をするためにラウンジを利用している場合、やはり仕事関係でコピーなどをやる場合も想定してのことでしょうかね。納得がいきます。隣にある青いマシンは、予約・空席情報の確認マシンやANA Payなどの支払い関係の専用マシンのようでした。


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もちろん空港ラウンジですから、電子掲示モニターの存在も必須です。


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喫煙者用の専用ルームも端のようですがありました。


羽田空港(HND)のANA LoungeはBGMとしてクラシックのピアノが流れており、静寂で静謐な空間であることを要求されているかのような高級感と上品さが佇んでいました。ガヤガヤ雑談する人はまったくいません。お喋りも基本はあまり推奨されていないのではないでしょうか。


素晴らしい空間でございました。

自分は体験できて大変満足でした。



●新千歳空港(CTS)のANA Lounge


羽田空港のラウンジが体験できたなら、ぜひ帰り道ということで、新千歳空港(CTS)のANA Loungeも体験してみたいということで、じつは最初から予約を入れておりました。


CTS空港も、保安検査場、セキュリティチェックを通過した後にあります。ただ、搭乗7番ゲートの付近にあるのですが、その入り口が目立たないというか、一見わからなくてそのまま素通りしてしまうこと間違いないです。Suite Loungeのお客様は、そのままセキュリティチェックからラウンジに直結されている通路もあるみたいですが、自分にはよくわかりませんでした。


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CTS空港でのラウンジ利用の受付もHND空港のときとまったく同じです。


CTS空港のANA Loungeは、HND空港のラウンジと比べると、やや小振りで庶民的な装いでした。やはり横に細長い空間でした。ここもゆったりすごすゴージャス空間と、ビジネスマンの仕事用のワークスタイル・カジュアル空間とに分かれます。


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ここもドリンクのみの提供となります。


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ここもやはり窓際が特等席になりますね。


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この日はなんと!ANA Green Jetも滑走路にいて、お目見えすることができました。まさか遭遇できるとは思ってもおらず大変うれしかったです。いつの日かぜひ乗ってみたいものです。


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以上、空港ラウンジとしてANA Loungeを体験してみました。

自分が想像以上だったのは、やはりビジネスマンの出張時の仕事場として使われているケースが結構多いのではないかという事実を理解したことでした。


でもとても上品で高級感あふれる空間で、やはり特別な空間であることは間違いないようです。

体験できてよかったと思います。







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ANA復活プロジェクト [航空関連]

北海道に帰省するのは3年ぶり。コロナ禍もあり、飛行機に乗ることもままならなかった3年間。ひさしぶりにANAに復活することに決めた。理由はいままで書いてきた通りである。やはり空の旅というのは心の豊かさというか、そういうゆとりがあるべきと思い直したのだ。


1987年に上京して以来、HND,<--> CTSのホットラインはつねにANAにお世話になっていた。自分はANAファンである。


近年は、AirDoやLCCのような格安航空チケットがもてはやされるようになり、その波に乗ったこともあったが、やはりANAに戻すことにした。


そんなひさしぶりの飛行機による帰省。そしてANAへの復活。そんな旅程をしっかり日記にして書き留めておきたいと、旅行前からずっとそのように計画していたのだった。


遊びに来たことは何回かあったけれど、今回は正真正銘の旅行のための羽田空港第2ターミナル。


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自分が昔利用していた時代と違って、その搭乗スタイルに大きな技術革新が見られるようになった。1番大きいのは、ANAが最先端にアナウンスしたモバイル搭乗券というか、スマホでのチェックインである。それまでは、古くはカウンターでの人によるチェックインは昔からあるものの、最近はほとんどが空港に設置されている自動チェックインマシンで、予約時に通知される予約番号や確認番号を入力して、本人確認として生年月日を入力すれば、そのまま航空券が発券される。。そんな発行手続きが圧倒的だったと思う。


自分もここ数年、ずっとそれである。これはいわゆるスタンダードな搭乗手続きとも言えた。でもANAは、今期からこの自動チェックインマシンを徐々にであるが全国の空港から全部撤去していく方針なのだそうだ。


これには心底驚いてしまった。スマホの操作にあまり縁のないご高齢の方々にはかなり厳しい状況に追い込まれそうだ。容赦ない感じである。


自分もスマホチェックインは、いままでまったく経験がなかったのでやはり不安である。


スマホチェックインをするには、ANA便を利用することが前提になるが、スマホにANAアプリをインストールしておく必要がある。


そしてAMC(ANAマイレージクラブ)にもである。ANAの航空券予約はAMC経由でネットでおこなう。そうするとAMCにその記録が残るし、予約番号も通知される。ANAアプリやAMCのメール通知先はかならずスマホのメールアドレスにすることである。


そして搭乗時間のちょうど24時間前になると、かならずスマホにオンラインチェックインのお知らせが届くようになっているのだ。そこには確認番号も通知されている。


そのメールにあるURLをクリックして、そのまま指示に従ってどんどん進んでいけば、1クリック、2クリックで、あっという間にオンラインチェックイン終了である。


そうするとANAアプリ上、AMC上でモバイル搭乗券というスタイルで、いわゆるスマホ上で2次元バーコード表示が現れて、それをゲートのところにかざすだけでそのまま通過して終わり。飛行機に搭乗するだけである。


もちろんその前に保安検査場で荷物のチェックがあるので、そのときも従来であれば航空券をバーコードリーダーにかざしていたが、いまやモバイル搭乗券のバーコードをかざせばそれでOKである。


ただ、自分は行きも帰りもなぜかモバイル搭乗券をゲートにかざしても1回では通らずエラーになり、2回目以降で通ったのであった。原因は謎です。


ちなみに保安検査場を通過するときに紙チケットが印刷されてくるが、これは旅行が終わるまでちゃんと保管しておくことをお勧めします。セキュリティチェックさえ通過すればあとは用なしという感じでポイっと捨ててしまわないように。あとで提示を要求されることもありますから。


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もうこれは簡単!そして便利!スマホに通知が来て、1クリック、2クリックでそのままモバイル搭乗券生成なんだから、こんな楽ちんなものはないと思う。チェックインした時点で、マイレージもAMCに加算されていく。


しかもモバイル搭乗券、ANAアプリ上には、搭乗ゲートナンバーや機内への搭乗グループナンバーも記載されている。搭乗ゲートナンバーはかなり重宝する。


我々のような古い世代の飛行機利用者は、ゲートナンバーは、空港の電子掲示板、あるいはモニターで確認するものというすり込みがあるものだが、スマホアプリにしてしまえば、スマホ上でゲートナンバーが確認できるので急なゲート変更でもまず慌てることはない。手元のスマホを見るだけなんだから。


自分は海外の空港、ヨーロッパの空港でこの急なゲート変更には散々悩まされてきた経験の持ち主なので、手元のスマホでゲートが確認できる、という有難みは痛いほど痛感する。


これは素晴らしいと思う。


もうひとつ自分が今回便利だな~と思ったのは、搭乗グループという情報である。ボーディングのときに、ご高齢、お子さん持ち、身体障害者・・・などなどのいわゆる優先搭乗で、さらには機内の混雑を防ぐためにふつうは機体の最後尾の座席から搭乗させるのかな?いわゆるそういう搭乗順番というのが決まっている。


自分はもちろんそれはわかっているのだが、いつになったら自分が搭乗できるのかよくわからないところがあって、大抵は、つぎは〇〇列以降のお客さんどうぞ、とか、そして最後に残りのお客様全員の搭乗を開始します、というアナウンスがされたら搭乗するようにしていた。それが安全だからである。


でもスマホのモバイル搭乗券にはグループナンバーという情報が記載されていて、そのグループナンバーというのがいわゆる搭乗優先の順番のことなのである。


グループ1の方はご搭乗ください。・・・グループ10の方はご搭乗ください。・・・というようにその座席番号に応じた形で搭乗の順番をグループ分けしていて、そのグループがアナウンスで呼ばれらたら、自分が登場していいんだな、と分かるのである。


紙の航空券チケットのときもひょっとするとそういうグループ番号ってあったのかもしれませんね。自分が気づいていなかっただけかもしれません。


今回、自分はモバイル搭乗券にすることで、その搭乗グループの番号という情報の存在を知って、これは便利になったな~と思った次第である。


スマホアプリでのスマホチェックインにしてしまえば、かなりの利便性を感じる。これは電子掲示板を廃止して、自動チェックインマシンも全部撤去しようというANAのもくろみもあながち無理筋でもなく将来を見据えてのことだという理解が得られるような気がする。


あくまで自分は、ということであるが、それだけもうめちゃめちゃ簡単。便利である。最初はなんと!無謀なことを・・・と思ったものだが、いざ自分が体験してみれば、じつに納得いくというか合理的と思うものである。


ANAはスマホアプリにそのほかANA MallのようなEC機能とかANA Payのような支払い、MaaSとかあやゆる機能を持たせてスマホ1台あればぜんぶなんでもできてしまう・・・そういうソリューションに進んでいくんでしょうね。


こういうソリューションに進んでいるのは目下ANAだけなのであろうか・・・。CTS空港で、空港アナウンスを聴いていたら、AirDOもモバイル搭乗券のようなアナウンスをしていたように聴こえたので、あ~これはもうどこのエアラインでも進んでいる方向なんだな、と思いました。


きっとJALもそうに違いない。


こういうスマホソリューションはANAのキャリアだけでなく、海外のキャリア、海外の空港でも同じように使えれば、もういままでのような航空利用するときの手順などの概念がガラ変するような気がしますね。


羽田空港第2ターミナルの電子掲示板はたしかに撤去されていました。


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羽田空港第2ターミナルに来たら、かならずこの東京食品館によって母親のためにお土産として”ひよ子”というお菓子を買うのが常なのでした。


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HND--->CTSの行きもCTS--->HNDの帰りも機材はB787、愛称ドリームライナーで航空ファンにとってはとてもうれしかった。行き(上写真)はスクリーンがついていなかったが、帰り(下写真)はスクリーンがついていた。昔は、座席の前のほうの下の部分に翼の王国とか機内雑誌が挟んであって、フライト中に機内で読んでくださいね、という心配りがあったものだが、もういまはそんな紙媒体の雑誌はない。


行き。B787  HND--->CTS


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帰り。B787  CTS--->HND


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いまはANAの場合であるが、もう完全にスマホでe-styleで電子雑誌媒体という形でスマホ、iPadなどのタブレットで読めるようになっている。


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ひさしぶりにFSC(フルサービスキャリア)の機体の中はすごく快適であった。やはりLCCの機体と違って内部にスペース的にゆとりがあってゆったりできる。変に体を窮屈にちぢめることもない。スペースがゆったりなのもいいし、機体が大きいので視界的にも精神的にもすごくいい。


やっぱりこれからはFSCで行こうと自分は決意を新たにした。

とにかくうれしくて、うれしくてはしゃいでしまった。


なるべく臨場感ある機内写真を撮りたいと思い、CAさんが図に入るような写真を撮っていたのだが注意されてしまった。CAは一般市民なので、肖像権から撮影は禁止とのこと。これはまったく意識になかったというか気づかなかった。ふつうにアーティストのような感覚だったので、言われてみれば正しい。まったく予想もしていなかったので、すごく驚いたし動揺してしまいました。以後注意ですね。


ANAの機内には、葉加瀬太郎さんのAnother Skyが流れておりました。搭乗して離陸前のちょうど座席に座って揃ったときと、あとは着陸で降りるときですね。記念にちゃんと聴けて良かったです。


残念ながら機内食はありませんでした。行きも帰りも14時代のフライトですから、とうぜんかもしれませんね。ドリンクのサービスはありました。LCC時代にはなかったので、じつにひさしぶりの感覚がしました。


もうひとつ楽しみにしていたことに機内WiFiというのがどれくらい使えるものなのか、確認してみたことでした。ANAの場合、ANA WiFi Serviceというのがあります。


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JALが2013年頃に機内WiFiサービスを始めて、フライト中に機内でもインターネットが使えるというのはかなり大きな利便性を感じるものだと感動しましたが、機内WiFiってどれくらいのものなのだろう?という関心はありました。


自分のスマホで確認した程度ですが、スマホの場合、まずキャリアの電波は”通信はありません”になりますね。で、WiFiネットワークを検知するとスマホ側で自動で、○○WiFiネットワーク有効という形で自動で表示されるものなのですが、なぜかそういうアクティブにはなりませんでしたね~。


WiFiがオン、アクティブになっているようにも見受けられなかったし、サイトをクリックしてもつながらりませんでした。ここはよくわからなかったです。自分の設定方法になんか問題があるのかもしれません。ふつうは、なにもしなくてもWiFiネットワークがあれば自動検知するんですけどね・・・不思議です。


HND <---> CTSのフライト、片道で1時間半ですが、ひさしぶりのFSC,ANAでのフライト。大変快適でした。これからはやはり空の旅はFSCを使おうと決意を新たにしました。またANAさんにお世話になりたいと思いますし、またJALのほうにもぜひ挑戦してみたいと思っています。


3年ぶりのCTS空港。まさに自分のベース、ベース空港なのに、3年間ブランクがあるだけで、JRへの乗り継ぎ、どこから降りていくのかかなり迷ってしまいました。(笑)


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札幌コンサートホールKitaraで札響を聴く。 [国内クラシックコンサート・レビュー]

北の大地、札幌コンサートホールKitaraは、じつに素晴らしいコンサートホールであった。音響はもちろんのこと、ホールの内装空間の雄大さ、清潔感すべてにおいて自分が経験したことのないレベルで極上のホールであった。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraは、過去にも2回ほど体験しているのだが、大ホールでパイプオルガン、小ホールでピアノのコンクール。やはり自分の中には、大ホールで大編成のオーケストラを存分に味わってみたい、自慢の大ホールの音響を存分に堪能してみたい、そういう願望があった。
                                                   
大ホールの音響は、やはり大編成のオーケストラを存分にホール内で鳴らしてこそ、そのときどう感じるか、そこにかかっているように常日頃から思っている。
                                                   
オーケストラも札響、札幌交響楽団をこのホールで聴いてみたい。
                                                   
”札幌コンサートホールKitaraで札響を聴く。”
                                                    
まさに究極の選択。
これを自分の近々に成就したい夢のトップに掲げていた。
                                                   
父親、母親、実家の件で帰省する必要があり、そのときKitaraで札響が聴ける日に照準を合わせて日程を組んだ。いつも帰省するときは、夏休み、年末年始に札響のコンサートカレンダーを確認するのだけれど、札響は、夏休み、年末年始はお休みなんですよね。
                                                   
だからいままで何年もチャンスがありながら、タイミングが合わなかった。3月の北海道、札幌はまだ雪が残っていて、歩行するのはかなり大変だったけれど、やはり行ってよかったと思っている。
                                                   
一時期、お腹の調子が最悪で、雪でコンディションが悪い中、歩行するのがなんとも気が重くて、今回はKitaraは延期してまたの機会にしようかな、とも思ったが、やはり行ってよかったと心から思っている。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraは、札幌中島公園の中に建っている。
                                                   
中島公園は、札幌市中央区にある公園で、「日本の都市公園100選」、「日本の歴史公園100選」にも選定されている大きな公園で、札幌の歓楽街である、すすきのに隣接しているが、水と緑豊かな公園になっている。
                                                   
国指定の重要文化財である豊平館や八窓庵、人形劇の専門劇場である札幌市こども人形劇場こぐま座、音楽の専用ホールである札幌コンサートホールKitara、札幌市天文台などがある。
                                                   
築山林泉回遊式庭園などの日本庭園もあり、とにかく広くて自然豊かな大変美しい公園である。夏などは散策するにはとてもいいスポットだと思う。
                                                   
とにかく膨大に広い。札幌の地下鉄南北線の中島公園で下車して、Kitaraまでは、地上出口からそのまますぐにわかるように1本道になっている。足元の悪い3月であったので、雪道の中を歩いていく訳だが、地下鉄中島公園駅からKitaraまではかなり歩いた感覚であった。
                                                   
札幌コンサートホールKitara
                                                   
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北海道内初の音楽専用ホール。
札幌市が所有し、同市の外郭団体である公益財団法人札幌市芸術文化財団が指定管理者として運営管理を行っている。
                                                   
札幌交響楽団が活動拠点にしているほか、「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」(PMF)などの拠点にもなっていることでも有名。その音響は、まさに世界水準のコンサートホールとして有名で、1998年にバーミンガム市交響楽団を伴って演奏に訪れた指揮者サイモン・ラトルは「近代的なコンサートホールとしては世界一」と評したことは有名である。
                                                   
以来、札幌コンサートホールKitaraがミューザ川崎と並んで、日本のコンサートホールがいかに世界トップ水準レベルなのかは、サイモン・ラトル、マリス・ヤンソンス、ヴァレリー・ゲルギエフといった巨匠たちが来日で当ホールで公演するたびにその感想を伝えたことで、有名になっていった。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraの音響設計は永田音響設計の豊田泰久さんである。
                                                   
自分はいまから10年前の2013年に大ホールでパイプオルガンしか聴いたことがなく、大編成のオーケストラをこの大ホールで聴いてみたい、そして世界の巨匠たちが大絶賛するこの大ホールの音響というものを思う存分堪能してみたい、とずっと心に願っていたのだ。
                                                   
いま、その瞬間が訪れようとしている。
                                                   
これから徐々に紹介していきたいと思うが、ひと言でいうならば、札幌コンサートホールKitaraは、とても雄大でまさに北海道をイメージするような広大な広さのホールであった、ということである。
                                                   
コンサートホール自体は、これは音響設計のこともあり、あまり広くはできないし、狭くもできない。音響設計的に適切な容積というのがあるのだ。なのでホールとしては、べつに首都圏のコンサートホールの大ホールと同程度レベルの容積、広さでじつにスタンダードである。客席2008席で、残響時間:空席時2.2秒(満席時:2.0秒)。
                                                   
これはホールの容積としては決まっているスタンダードな値、容積である。あまり広くしても、また狭くしても、途端に音響が破綻してしまう。適切なホール容積というのがある。だから首都圏のコンサートホールとまったく同じ規模感、容積感である。
                                                   
自分がびっくりしたのは、そのホワイエ空間の広大さである。ホワイエは別に音響と関係ないので、もう自由に広く設計できる。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraのホワイエ空間は、首都圏のコンサートホールのホワイエ空間の優に3~4倍はあるのではないだろうか?首都圏のコンサートホールは、まさに土地価格が高いので、ビルの中にそのホール空間がある場合が多く、狭い空間を有効活用しているような印象である。というかそうせざるを得ないのである。
                                                   
でも札幌コンサートホールKitaraは、まさにめちゃめちゃ広い自然の公園、札幌中島公園の中にポツンとそびえ立つ建物である。そのような敷地的制限がまったくないのだ。
                                                   
だからホワイエ空間にしろ、その造りすべてにおいて余裕があって、すごい広大なのである。自分は過去2回訪れたのだけれど、そのことをあまり考えなかったのだけれど、今回訪問して、その広すぎるホワイエ空間を歩いてみて、そういうことなのではないのかな、と思ったのだ。
                                                   
まさに贅沢な造り、デザインで、スペース的にゆとりのある設計。そのゆとりが、その場にいる者にとって、心の安心感というかのびのび感というかとにかくストレスがない。広々としていてスカッとする。
                                                   
まさに北海道のコンサートホールだよな~と思ってしまう。広大なイメージの北海道ととてもイメージが合います。
                                                   
開場前、並んでいるとレセプショニストの女性スタッフが集まってくるわけだが、その人数に驚いてしまった。開場前の円陣を組んでのブリーフ・ミーティングや開場扉前に集まってくるその人数。軽く15人は超えているのではないだろうか?
                                                   
首都圏のホールでは、開場扉に集まるとしたら、せいぜい3~5人くらいだと思うのだが、Kitaraは軽く10~15人はいたような気がする。これはおそらく広大なホワイエ空間含め、施設内がかなり広大なので、これに見合う人数を用意しないといけないのだろう、と自分は考えた。
                                                   
これがじつに広大な札幌コンサートホールKitaraのホワイエ空間。ご覧あれ。
                                                   
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ここはクローク。
                                                   
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ここがCD売り場になります。
                                                   
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ドリンクバーも1階と2階でゆうに3か所はあったように思います。
                                                   
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そして、いよいよホール内潜入。
                                                   
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毎度のことながらこの瞬間はほんとうに息を吞んでしまうというか、全身に雷が落ちたかのようにピリッときてしまう。
                                                   
本当に美しいホール。
本当にいいホールだな~とため息がでました。
                                                   
アリーナ型のワインヤード。
Kitaraの音響設計では、曲線の反射壁を客席に設置しており、まさにワインヤードの音響設計という標準的で教科書どおりの設計空間である。
                                                   
北海道産の柔らかい木材を使用していて、そのブラウンの色彩が視覚的も非常に暖かくてじつに美しいと思う。ホールの下層の壁面では、縦に入ったスリットなど反射音の拡散のためと思われる凹凸が見受けられた。
                                                   
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ただ、反射音の万遍な方向への拡散はとても音響的に大事なことであるけれど、やりすぎるとホール空間のデザインにもスマートさがなくなってそこはトレードオフのようなところもあると思っているので、その点、Kitaraはそんなにゴテゴテにやっている訳でなく、空間デザインと調和を取りながらうまくその塩梅を調整している。そんな空間に思えた。基本そんなに拡散のためのスリットというか凹凸はないような感じでツルンツルンの反射壁のように思えた。
                                                   
ホール空間上部の周辺のモコモコした反響板のスタイルは、かなりユーモラスで可愛らしいイメージがあり、北海道らしさがあるように思える。
                                                   
                                                   
前回訪れたときは、ステージ上空の音響反射板の存在に気付かず、このホールは、まさかそれがないのかな、と驚いたが、今回よく見たら、ちゃんとありました。そりゃそうですよね。(笑)ない訳ないですよね。なんか天井と保護色になっていてまったく目立たず気づかないのもよくわかるような気がしました。でもステージの真上にあるのではなく、ややステージから客席に入った上あたりにあるところが、他のホールと違うところだな~と思いました。
                                                   
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自分は、この札幌コンサートホールKitaraのホール空間を見た瞬間、どうしても東京赤坂のサントリーホールの空間を思い出してしまいます。パッと目に入ってくるその瞬間のイメージ、それはホール形状、最背面からみたワインヤードのそのスタイル、そして色調感覚的にあまりにサントリーホールにそっくりなのです。
                                                   
自分がはじめてKitaraのホールに入った2013年のときにもまったく同じ印象でした。この2つのホール、本当によく似ていると思います。
                                                   
今回Kitaraの天井の造りもしげしげと確認したのですが、もうまったくサントリーホールと同じです。最前面のステージあたりからどんどん上に上がっていくスタイルで、真ん中あたりで頂点に達し、そこから最後尾に向けてまた下がっていくスタイルです。いわゆる三角形の起伏で、これはまさにサントリーホールだよな~と思いました。天井のデザインもまったく同じです。
                                                   
それイコール、ベルリンフィルのベルリンフィルハーモニーホールの天井とまったく同じと言っていいことになります。サントリーホールは、ベルリンフィルハーモニーホールの天井を参考にして、自分のホール天井を設計しましたが、札幌コンサートホールKitaraの天井もまさにサントリーホール、ベルリンフィルハーモニーホールの天井とまったく同じなのです。
                                                    
札幌コンサートホールKitaraは、サントリーホールの進化型のコンサートホールと言っていいと思います。
                                                   
コンサートホールは年代が経過するにつれて、その建築設計スキル、音響設計など技術進歩でどんどん進化していくものです。新しいコンサートホールほどそのような進化が目覚ましいものです。
                                                   
そんな印象を受けました。
                                                   
では一番肝心の音響面の印象。
                                                   
自分の座席はここでした。
                                                   
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これは名だたる世界の巨匠が絶賛するのも納得する素晴らしい音響でありました。札幌交響楽団という大編成の鳴りをじかんにこの空間で堪能したわけですが、もうなにをはいわんやですね。
                                                   
自分を1番深く感動さしめたことは、音が飽和しない、サチらないそのゆとりのある空間、容積感ということです。いわゆるダイナミンクレンジですね。
                                                   
ミューザ川崎もそうですが、音響のいいホールというのは、ステージ上のオーケストラという発音体に対して空間的な余裕があるのです。その空間自体がそのオケの発音を丸っとそのままつつみ込んで全体を潰さない、そのまま丸っと再現できるようなそんな空間的余裕を感じることです。
                                                   
ですからオーケストラの響きも余韻が長く、非常に美しい響きとして再現されます。
                                                   
ホールの響きは、天井も高く、そんな空間的余裕を感じるので、ステージからの実音に対して反射音もやや分離して遅れて聴こえてくる感覚があってそう聴こえることが余計に3次元的で立体的に聴こえてくる要因にもなっていて、空間の広さ、余裕を感じさせていい響きだな~と思わせる原因になっていると思いました。
                                                   
このホールとしての空間的余裕という点では、開演前のステージで団員の数人が先に登場して楽器の音を鳴らしてリハーサルしていますよね。オーボエ奏者が鳴らすそのオーボエの音を聴いて、自分は鳥肌が立ちましたから。
                                                   
そのオーボエの音がすっ~~と上空に上がって消え去っていくその長さに自分は鳥肌が立ちました。これはいい音響だな~という感じで。しかもすごい広い空間の感覚。。。
                                                   
大体そこのホールの響きの良し悪しは、この開演前のステージでの団員が鳴らしている楽器の音を聴くとすぐに判断つきますね。
                                                   
一席当たりの空間もかなりゆとりのある空間で、首都圏のホールとは全然快適さが違う感じです。
                                                   
音質も非常に前から後ろまでクリアな音。実測周波数特性は他のホールと違ってどフラットだそうですから、納得のいくところです。そして全体的に木目調の内装空間でもあることから、やや暖色系の柔らかい音質のように感じました。
                                                   
”札幌コンサートホールKitaraの音響は、まさに明晰でクリアな音で、3次元的、立体的に聴こえるぐらいの空間としての余裕があって非常にダイナミックレンジの大きな音響空間であった。”
                                                   
と結論付けることができると思います。
                                                   
まさに日本のみならず、世界を代表する屈指の音響を誇る名ホールだと自分は確信しました。大編成のオーケストラが鳴る空間でないとこのことはわかりませんね。
                                                   
                                                   
そして最後に札響、札幌交響楽団の演奏です。
                                                   
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自分が聴いた演奏会は、札響の第651回の定期演奏会でした。この日のプログラムは、今年ラフマニノフ生誕150周年記念ということで、それに因んだ内容となりました。
                                                   
自分はお恥ずかしながら札響を生で聴くのは、今回が初めてだと思います。いろいろ過去に想いを巡らしてみましたが、記憶にないのです。
                                                   
札響ってどんなオーケストラなのか、どのような演奏をするのか。とても楽しみにしていました。
                                                   
札幌コンサートホールKitaraでオーケストラを聴くなら、まず1番最初に札響で聴きたい。それが筋というか正道のように思いました。それ以外のオケの選択肢はまったく自分にはなかったです。
                                                   
自分のために札幌交響楽団のことを簡単に説明しておきます。(札響公式HPより抜粋)
                                                   
                                                   
札幌交響楽団は1961年に発足し、2021年に創立60周年を迎えました。北海道唯一のプロ・オーケストラとして「札響」の愛称で親しまれ、透明感のあるサウンドとパワフルな表現力は雄大な北海道にふさわしい魅力を放つオーケストラとして常に人気を集めています。
                                                   
2018年春から札響を率いるのはスイスの名指揮者マティアス・バーメルト。また、通算22年にわたり指揮者を務めてきた尾高忠明名誉音楽監督、広上淳一友情指揮者のほか、正指揮者に川瀬賢太郎とともに、オーケストラのさらなる充実と発展を目指します。2022年4月現在の団員数は、コンサートマスターを含めて74名。年間の公演回数は道内外で120回をこえます。海外においても2011年創立50年のヨーロッパツアーに続き、2015年には台湾4大都市での5公演を成功させました。札響は、常に多くの道民・市民に愛されるオーケストラを目指し、北海道から世界に発信する活動を展開しています。
                                                   
レコーディングにも積極的で、尾高と札響は、シベリウス、グリーグ、ドヴォルジャーク、エルガー、邦人作品等のCDをリリース。ベートーヴェンの交響曲全集のCD化に続き2013年から3年にわたって取り組んだシベリウス交響曲全曲演奏のCDは、2021年秋に全集として再発売される。
                                                   
エリシュカは来日を重ねる毎に全国的な人気が上昇し、札響とのチェコ音楽のCDは音楽雑誌で推薦盤に選ばれるなど高く評価された。2021年、日本での最終公演を収めたBru-rayが冬にリリースされることとなり、再び話題を集めている。2015年から18年3月まで首席指揮者を務めたマックス・ポンマーとは、メンデルスゾーン「讃歌」、バッハ「管弦楽組曲」等がCDとなり、そのユニークな活動は注目を集めた。マティアス・バーメルトとは創立60周年を記念して自主制作したCD「The Waltz」を2022年3月に発売した。
                                                     
現在の首席指揮者マティアス・バーメルトは2018年4月に就任。21年9月、札響60周年記念の演奏会に、コロナ禍のもと1年半ぶりの来日を果たし、喝采を浴びた。(2022年4月現在)
                                                   
                                                      
尾高忠明さんと非常に所縁の深い楽団なんですね。今回聴けたのも尾高忠明さんでしたから、本当に最善の選択でよかったと思います。尾高さんとは、札響に限らず、東京でも節目節目のコンサートでお世話になっていることが最近かなり多く、不思議な縁を感じます。
                                                          
演奏会全体を通して感じた札響の印象は、非常に素晴らしい演奏能力をもったオーケストラであること。もうびっくりしました。この日終始かなり圧倒されっぱなしで、この3月4日の演奏会は一生涯自分にとって忘れることのできないコンサートといっていい。
                                                            
この宝物のようなコンサートホールを持ちながら、これだけの実力を兼ね備えた演奏能力の楽団がオフィシャルとしているのですから、もうすごいことだと思います。北海道民はほんとうに幸せ者だと思います。クラシックという点では恵まれた環境にいると思います。
                                                              
観客動員も7~8割埋まっている感じで上々で、客層も首都圏と比べるとかなり若い印象を受けました。
                                                         
弦楽器、管楽器、打楽器すべてにおいてそつがなくてバランスよく秀逸で、全体的な優等生的なパフォーマンス、演奏をするオーケストラだと思います。とくにどこの楽団でもそうですが、心配な金管楽器の安定感なども平均点以上でそつがない。あまり目立った欠点がなくべつにあら捜しをしているわけではありませんが、すべてにおいて合格点以上のバランスの良さ。弦楽器のあの分厚い重厚なハーモニーは素晴らしかったな~。そしてあの嫋やかなオーボエなどの木管楽器も。
                                                          
とにかくすべてにおいて、そつがなく合格点以上なのです。褒めてばかりでもなんですから、それなりに指摘ポイントもあるといいと思うのですが、この日の演奏しか知らない訳ですが、本当に素晴らしかったというしかない。
                                                               
いいオーケストラだと思いました。
尾高さんとの信頼関係、連携も素晴らしく素晴らしい演奏会でした。
                                                          
もうひとつ大きく感心したことは、プログラムの内容が非常によく考えられていて、あまり商業的に感じないこと。エルガーの序曲「南国にて」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、そしてラフマニノフ交響的舞曲。
                                                          
マニアックというほど極端ではないですが、商業路線とはかなり毛色が違う聴きごたえのあるプログラムで、自分はかなり興奮したし、いいプログラムだなぁと感心しました。
                                                        
とくにプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲を実演で聴くなんて、いったいいつ以来でしょうか?ちょっと記憶にないです。
                                                   
首都圏では、なかなかお目にかからない演目ですよね。ヴァイオリン好きの自分もかなりのコンチェルトの演奏会に接していますが、プロコフィエフはなかなか経験が少ないです。本当にヴァイオリンが好きな人は、こういう演目が本当に好きなのになぁと思ってしまいます。
                                                         
メンデルスゾーンも確かに素晴らしい曲ですが、プロコフィエフのあの渋い玄人好みのあの旋律を聴くと興奮が止まらないと思いますよ。プロコフイェフがわからないと本当のヴァイオリン好きとは言えない、そう断言してもいいと思います。自分はそれだけプロコフィエフは好きですし、いいと思ってます。
                                                        
この日のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストを見事に演じたのが、金川真弓さん。
                                                              
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1994年ドイツ生まれ。4歳から日本でヴァイオリンを始める。その後ニューヨークを経て、12歳でロサンゼルスに移る。現在はハンス・アイスラー音楽大学ベルリンで、元ベルリン・フィル コンサートマスターのコリア ブラッハー教授に師事している。
                                                         
2016年プリンセス・アストリッドコンクール(ノルウェー)および2013年ヤッシャ・ハイフェッツ国際コンクール(リトアニア)第1位。オーケストラとは、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲)、フィンランド放送交響楽団(ベルク ヴァイオリン協奏曲)、リトアニア国立交響楽団(ブルッフ ヴァイオリン協奏曲)などと共演している。2012年アメリカの“パフォーマンス・トゥデイ”アーティストに選ばれ、演奏とインタビューがナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)を通じて全米に放送された。
                                                        
これまでに、日本で名倉淑子、ジュリアード音楽院プレカレッジで川崎雅夫、ロサンゼルスのコルバーン・スクールにてロバート リプセットの各氏に師事。使用楽器は、ドイツ演奏家財団のドイツ国家楽器基金から貸与されたペトラス・グァルネリウス(マントヴァ、17世紀後半製作)。(2017年1月現在)
                                                               
                                                                          
                                                                                   
自分は大変申し訳なかったですが、この日の演奏会まで存じ上げませんでしたが、初めて実演に接して、クセがなく非常にスタンダードで育ちのいい気品のある演奏をするヴァイオリニストだと思いました。この難曲のプロコフイエフをものともせず完全に自分のスタイル下においた演奏で、かなり圧倒されました。プロコフィエフのヴァイオリンはふだんなかなかお目にかかれないので、自分のメモリーの中で曲とともに強烈な印象として刻み込まれた感じです。
                                                  
いいヴァイオリニストだな。。。と驚きを隠せなかったです。なんかこうやって自分の知らない間にどんどん若い演奏家が育ってきて陽の目をみてどんどんデビューしていく。日本のクラシック業界の未来も明るいと思いました。
                                                                      
一生忘れらない演奏になりました。
ブラボーでした。
                                                     
そしてラフマニノフの交響的舞曲。通称シンフォニックダンス。
ラフマニノフ生誕150周年の今年に因んで選ばれた曲ですが、素晴らしかったですねぇ。もうこの日の演奏の中でもっともボルテージMAXとなった曲です。
                                                             
この曲、もう大好きです。自分の大好物です。なんともラフマニノフらしい異国情緒溢れるメロディに、そしてなによりもカッコいいですよね。最高にイケている曲だと思います。
                                                                
第1楽章で炸裂するグランカッサとともにオケ自体がドスンドスンと落とし込む箇所、オーディオ再生的にもかなり興奮して美味しい箇所でしてこの部分は何回聴いてもすごい快感、興奮するものです。生演奏でじかにこの箇所を聴いたのは何年振りでしょう?
                                                                     
数年前にポリヒムニアのRCO Liveでヤンソンス&RCOでこのシンフォニックダンスのSACDが出て、自分の愛聴盤でした。この第1楽章のドスンドスンの箇所を何回も繰り返して聴いていました。
                                                              
尾高&札響が披露するラフマニノフの交響的舞曲は、まさに抜群のオーケストレーションとアンサンブル能力を自分にこれでもか、これでもか、と魅せつけるような迫力があり、自分はもう正直ノックダウン寸前という感じで相当興奮していました。
                                                                        
この曲が大好きということもあるし、それ以上に初めて聴く札響のパフォーマンスの素晴らしさにひたすら驚くしかなかったです。
                                                                           
失神寸前だったと言っていいです。
                                                                            
なかなか首都圏でもこれだけの出色のコンサートに出会えることは少ないと思います。そしてなによりも終演後しみじみ思ったのは、プログラムが商業的に感じなく、かなり聴きごたえがあって渋くていいプログラムだったなぁと感心したことです。
                                                                             
こういうクオリティの高い公演を聴けるというのは、北海道のクラシックファンにとって大変恵まれたことなのではないかと思った次第です。
                                                                               
一生の記憶に残るいい演奏会でした。
                                                                        
                                                                    
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(c)札幌交響楽団 Facebook
                                                                
                                                                  
                                                                       
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2023/3/4 (土) 17:00~
札幌交響楽団 第651回定期演奏会~ラフマニノフ生誕150年記念~
札幌コンサートホールKitara
                                                      
指揮:尾高忠明
ヴァイオリン:金川真弓
管弦楽:札幌交響楽団
                                                           
前半
                                                                         
エルガー 序曲「南国にて」
プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番
                                                               
(休憩)
                                                         
後半
                                                        
ラフマニノフ 交響的舞曲








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知的財産ライセンス許諾 [ライセンス・知財]

いま我が社はライセンス監査を受けている真っ最中である。自分も毎日大変です。技術の権利を保有している団体、企業のことをライセンサーといいます。ライセンサーからその技術の使用許諾を得て、その代わりにその対価(ロイヤリティ)を払う側をライセンシーといいます。


ライセンス監査というのは、監査期間というのを設けて、その期間の支払い状況をチェックするのです。ちゃんとロイヤリティを払っているかどうかを精査することをいいます。きちんと払っていない場合は、その分の未払金+利息+追徴金を支払わないといけません。


もううちは過去の監査のたびに膨大な金額を払ってきたので(笑)、もう監査がやってくる、となるといつもビビってしまい、大変な一大事なのです。


実際の監査は、ライセンサーがやるのではないのです。監査を専門にやる監査法人という監査のプロがいるのです。ライセンサーはそこに依頼して(費用を払って)、いわゆる監査の代理人としてライセンシーと相対する訳です。



我々が監査で相手にするのはこの監査法人です。通称”監査人”といいます。


監査のプロですから、もう膨大な営業売上データを解析する、膨大な販売モデル名を瞬時に把握する、そういう才能に長けたプロの集団です。


監査人にはいろいろピンキリいるんですね。かなりラフでずぼらな監査人もいれば、かなり性格の悪い、見るところが細かくて、いかに我々からふんだくってやろうか、という意欲満々の監査人から、もうすごいバラエティに富んでます。


我々からいえば、今回あたった監査人の良し悪しによって、その監査が天国で快適か、地獄の相を呈するか分かれるのです。


監査のときは、もう大変です。会社の組織全般総動員で取り組む必要があります。監査人から、これらの提出データを提出してください、という要求があります。もう監査期間中の売上データ、それも単体だけでなく連結も含めて、とか。そのほか膨大な資料を提出します。


監査人って、ほんとうにすごいな、と思うのは、この膨大なデータ資料をぜんぶつぶさに解析するんですね。すごい能力です。


監査は、時間的工数だけでなく、費用的にもいろいろ大変です。いわゆる監査費用です。


どの技術契約もそうですが、監査で何パーセント以上の間違いがあった場合は、監査費用はライセンシーが負担するというような条項が契約書に記載されていることが多いです。


そうなるともう膨大な監査費用を請求されるのです。監査結果による未払金+利息+追徴金のほかに、この監査費用となるともう目も当てられない大変な出費です。


監査費用は、時給、日給になっていて、監査が長引けば長引くほどどんどん費用がかさんでいくのです。


監査結果がけじまって、監査人は監査報告書というのを作成して、ライセンサーに報告します。それでその報告結果に応じて、費用のやりとり、支払い関係をライセンシーと交渉するという感じでしょうか。


もうライセンス管理を仕事をする者にとって監査ほど恐怖なものはないですね。


いま音声圧縮技術AACの権利保有者であるVia Licensingによる監査を受けています。


自分も含めて、オーディオファンはAACをバカにする人多いじゃないですか。そりゃわかりますよ。音声のデータを間引いて圧縮するなんて音が悪くなる。。AACなんて普及レベルのコーデックということでバカにする人が大半だと思います。とくにオーディオ業界に従事している方々には。


でもですよ。いまのAACがいかに世界中で普及して、もうあたりまえの技術として、もうどんな商品にでも使われているかご存じですか?


USBメモリー、PC、デジタル放送の音声、Bluetoothの音声、欧州のデジタルラジオ、iPod/iPadの音声、カー製品などの車載機器・・・もうこれだけでは済まないくらい、もうあらゆるところに使われているのです。


技術を開発する権利側にとって、もっともその技術を活用できるやり方というのが、技術ライセンス許諾というやり方です。技術の使用を許諾する代わりにロイヤリティを払え、というお金儲けのビジネスです。


うちの会社だけで、このAACを使うことで、年間何十億以上払ってますから。そうしたら日本中の企業、世界中の企業でみんなAACを使っているんだから、Via Licensingは年間だけでも、いったいいくらの金を儲けているんだ?と思いますよね。


彼は本当に大金持ちなのです。


やれ、DSDだ、ハイレゾだ、とか高音質を謳っても、根本お金がなくて技術を維持していくのがだんだんジリ貧になっていく。。。そして消滅。


悔しいかな、金が稼げているというのが正義なのかもしれません。


AACなんて、AACなんて問題外、AACは音が悪い、なんて言ってたって、実際問題、世界中でありとあらゆるところで普及して、ライセンス契約でこれだけ膨大な富を得ているんですから、結局最終的な勝者は誰なの?という感じです。


こういうやり方こそが、知的財産の正しい活用なのではないでしょうか?


特許には自社権利の保護、新技術の出願などいろいろやり方がありますが、究極はやっぱりお金を稼げる特許になることが最終目的なのではないでしょうか?


個人レベルの特許でライセンスオファーしても、相手が簡単に応じる訳もなく、実際放置されるのがオチでしょう。(笑)


金を稼げる特許というのは規格必須特許である場合が大半です。


規格必須特許というのは、画像であればMPEGであるとか、音声であればAACであるとか、世界のスタンダード規格として普及している技術の特許です。


これらの特許は世界中の技術メーカーが特許を出していますので、それらの特許を管理する団体がいるのです。それがパテントプールという団体です。


たとえばMPEG画像圧縮にしたって、もう世界中、日本中の最先端の有名企業が特許を出願していますね。パテントプールというのは、その特許群を管理している団体です。


この規格必須特許のライセンス契約、使用許諾契約でロイヤリティを世界中の企業から徴収しているのは、このパテントプールの役割になります。


そして世界中から得たその膨大な収益をどうしているか、というと、そのパテントプールに所属している、つまりその技術の特許を出願しているメーカー達に分配するのです。お金を配るのです。


でも全員に等分で分配する訳ではありません。


出願特許の出願数の多い順に比例配分で分配されるのです。つまり特許出願で、より貢献している企業には、それだけの配分で収益金が分配されるのです。


だからパテントプールに所属している企業は、なるべく出願数を稼ぎたいがために、分割出願をどんどんやるのです。クレーム、請求項をいろいろ違うポイントから解釈して、ひとつの出願をどんどん分割していくのです。だから似たような特許がどんどん増えます。(笑)


これこそが、パテントプールに所属する企業の特許戦略です。分割出願をどんどんして、比例配分を多くする。


自分が知財にいたときはこのような感じだったのですが、いまは違うかもしれませんね。


パテントプールは、画像圧縮のMPEGであればMPEG LA、音声圧縮AACであれば、Via Licensing、日本のデジタル放送であればULDAGE(アルダージ)とかです。DVDのときは、DVD 3C/6C,Philips/Thomson 4C/3Cとかありましたね。


特許は、やはり発明というイメージがすごく大きくて、発明をすることで、特許出願しました、というポイントだけですげーとみんなから思われる。これが世間の特許に対するイメージですよね。


「特許出願する」


このことに最大な敬意を払う。


でも登録査定、特許査定になった特許は維持していくのが大変なのです。特許庁に毎年、年金を払っていかないといけないのです。支払いが滞ると特許査定取り消しになります。登録査定、特許査定の件数を自慢する、このテーマをこれだけ出願している!それで評価する傾向がありますね。


でも裏を返せば、それを今後維持していくのは膨大な金喰い虫である、ということですね。ただ、自社権利の保護だけじゃ無理ですね。死蔵特許ではだめですね。


やはりその特許を活用していかないとダメだと思います。

他社からお金を稼げる特許にならないとダメだと思います。


知的財産権のもっとも効果的な活用法はライセンス許諾契約だと自分は思います。そうなるような特許を出願できるといいと思います。個人レベルの特許ではなかなか難しく、やはり規格必須特許になりますね。こういうことができる特許と言うのは。。。


AACは音が悪いなんて、バカにするけど、これだけ金儲けしているんだから、最終的な勝者はじつは彼らなのではないでしょうか?(笑)


さて、いま自分がとりかかっている、その憎っくき相手、Via Licensingとはどんな団体なのか?ちょっと紹介してみます。



Via Licensing


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知的財産ソリューション企業


2002年の設立以来、Via Licensing はジョイント特許ライセンスソリューションによるイノベーションを可能にするための基準を設定してきました。Via チームは、何十年にもわたるイノベーションの歴史と業界のベストプラクティスを活用して、市場向けの創造的な新しい知的財産ライセンス許諾アプローチを継続的に開発しています。


Via Licensing の柔軟なソリューションは、従来のパテントプールモデルに基づいて構築されており、今日の複雑な IP市場に対応するプライベートな多極 IPライセンス許諾ソリューションを提供します。こうした公平、合理的で、高い透明性のある提供は次のような利点を含みます。


・新しい規格および技術の採用の加速

・グローバル エコシステム全体のコラボレーションの前進

・技術開発企業の継続的な収益化チャンスの育成

・ホールドアップとホールドアウトのリスクの軽減

・地域的 IP ライセンス許諾問題への対応


Via Licensing は、イノベーションおよび技術のライセンス許諾で 50 年を超える経験を持つ Dolby Laboratories, Inc. の独立管理子会社です。


なんと!Dolbyの子会社だったんですね!

自分は2016年にもDolby監査で散々な目に会いましたよ。


Via Licensing監査も今回で2回目。


こいつらには散々な目に会っています。(笑)


この人たちか・・・(^^;;


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タイトルなし.jpg


経験豊富、高い透明性、信頼できる存在。


Via Licensing の連携ソリューションは、グローバルエコシステムを通して広範な業界の参加を促進します。1,000 を超えるライセンサーとライセンシーが Via Licensing の安定した知的財産ソリューションを頼りにしています。


Via Licensing は、メーカーが今日の製品の構築における基盤技術の実装に必要な知的財産の利用を合理化し、リスクと取引コストを削減できるようにします。また Via は、発明者がイノベーションにおける収益率を最大化し、開発した新しい規格や技術の適用を速めるように貢献します。


Via Licensing では現在、オーディオ、ワイヤレス、および他の産業で、影響力のある幅広い技術を網羅する 10 のライセンス許諾プログラムを提供しています。また当社は、IP リスク管理に関連する特許を取得して集約することにより Via のワイヤレスパテントプールが提供する価値の増大に取り組むパテントバンクを完全所有子会社として管理しています。



1,000を超えるライセンサーとライセンシーが、Via Licensingの知的財産IPを使っている???


我が社だけで年間10億以上としても、10億×1,000=10兆円!!!

なんと彼らは、自分のIPライセンスで、年間10兆円稼いでいるんですよ。


これこそが本当の勝者というものではないでしょうか?(笑)



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Via LicensingのIPライセンスの扱う分野は、


●オーディオ

Advanced Audio Coding (AAC)

MPEG-H 3D Audio

MPEG-4 SLS

MPEG Surround


●WIRELESS

WCDMA


●パテントバンク


●その他

OCAP tru2way

AGORA-C


●LEGACY PROGRAMS

LTE

4G Multi-Generational

DRM (レガシー)



あと何か月かかるだろうか・・・。いまのVia Licensing監査。。

この共同ライセンス許諾のリーダー、恐るべき相手であることがよくわかりました。






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