京響の想い出 [クラシック演奏会]
京都タワーのお風呂が閉店してしまうのは、かなりショックであった。いつでも行けると思っていたので。たぶん6月末までにもう一回行くことは不可能であろう。
そして今シーズンが広上淳一さんにとって、京都市交響楽団のシェフとしての最後のシーズンとなる。2008年に就任以来13年間の広上体制であった。
広上さんが常任指揮者に就任してからの京都市交響楽団は驚異的な能力の向上を遂げたとして、京都市交響楽団とともに「第46回(2014年度)サントリー音楽賞」を受賞している。
自分は本当にいい時期に巡り合えてよかったと思う。
クラシックのオーケストラを聴くのに、海外は別として、国内で首都圏を出て遠征しようとまで思ったのは、小澤征爾さんのサイトウキネンぐらいしかなかった。
そんな中で、2016年の夏と秋に京都市交響楽団を聴きに京都まで遠征するとは、その寸前までまさか夢にも思っていなかったのである。
夏にアラベラ・美歩・シュタインバッハー、そして秋に児玉桃さんをソリストとして迎えるという。京響公演は登録していなかったのに、なぜか”ぴあ”から自分のメールボックスにそのお知らせが入っていた。
これはオレを呼んでいるだろう?(笑)
京響、京都に誘われている。
これは絶対行かなきゃダメだろう。
きっと自分に対して出会いをプレゼントしてくれているに違いない。
この好意を無為にしたら絶対ダメだろう。
もう即決である。
京都行きを決めた。
京都に行くなんて何年ぶりだ?高校の修学旅行のときと、就職で上京して行って以来だから、十何年ぶり、二十年ぶりくらいである。完全なお上りさんである。
いまの疲弊感あふれる日々と違って、この2016年というのはまさに自分が絶頂期にあったとき。もうやりたい放題で遅い到来の青春期を謳歌していた。
この年は、バイロイト音楽祭、グラインドボーン音楽祭、そしてベルギーフラワーカーペット(日本の花鳥風月)。オーディオオフも地方遠征して、広島遠征までして、ひでたろうさんにいろいろアレンジしてもらって、4人のオーディオファイルのお宅のゴージャスなサウンドを体験できた。
ひでたろうさんのALTEC A5サウンド、パラゴンとか、オリジナルノーチラスとか、38cmウーハー8発とかなかなか普通では体験できないサウンドを聴けた。
金持ってたよ!このときは。(笑)
いまはもう無理だ。いまはどんどんやせ細っていくばかり・・・
いまはこんなに活発的に活動できない。足腰はもちろん精神的にも、もうこんなにタフじゃない。歳とったんだなぁ・・。
そんな広上&京響ラストシーズンを迎え、ノンノン流にご苦労様という意味も含め、すでにリリースした日記と違う観点、そして本番では没になったお蔵入りの写真を披露して、楽しかったあの頃の想い出に浸ろう。
そして、さらにはもっと前向きに、自分が広上&京響を聴く最後の公演であるミューザ川崎でのサマーフェスタミューザを大いに盛り上げましょう!という趣旨の日記である。
十年、二十年ぶりの京都は、自分にとっては新鮮だった。金閣寺、銀閣寺とか清水寺とか祇園、ベテラン旅行ファンからすると馬鹿にされるかもしれないけれど、自分にとってまずそこを抑えるのが大事であった。
やっぱり自分が大切なのである。
人の言うことはあまり聞かない性格なので。(笑)
店の中や街を歩いていて、”おおきに~”という言葉が、かなり自分にとって新鮮だった。自分の日常の周りにはない柔らかいニュアンスで、なんか外国に来たみたいだった。
秋の京都の紅葉ツアーは悲惨でしたなぁ。
噂には聞いていましたが、じかに自分が体験すると、まさに人間おしくら饅頭。
でもそんな想いをしてまでも、やっぱり紅葉の京都は美しかった。
和の極致の美ですね。
日本人独特の感性の美ですね。
日本人だけではなく、外国人にも大人気なのはよくわかります。
そしていよいよ本番の京響のコンサート体験。
生まれて初めて京都コンサートホールに入った瞬間。
あれ?オルガン右に寄ってる?(笑)
ここに自分は京都人独特の洒落というか、洒脱さを感じたのである。
どういう理由で真ん中にないのかわからないけれど、これは面白過ぎる!
独特の洒落の感性だよなぁと思ったのである。
音響的にアシメントリック(非対称)はよくないとか、そんな小賢しいことなんてクソくらえなのである。
人生これくらいの洒落っ気がないとダメである。
そしていま思い出して世界の七不思議と思うのは、じつはいままで体験してきた京響のコンサートの座席は、必ず最前列か、3列目である、という事実である。
いま思い出して神様のいたずら、なのか、びっくりなのである。
2016年 アラベラ・美歩・シュタインバッハー 最前列(1日目),3列目(2日目)
2016年 児玉桃 最前列(1日目),3列目(2日目)
2017年 広上淳一(京都コンサートホール)最前列
2017年 広上淳一(サントリーホール)最前列
しかも夏のアラベラさんと秋の児玉桃さんのときの2日間の座席は、まったく同じ座席位置だったのである。だから撮影したカーテンコールのアングルもまったく両者とも同じポジションからのアングル、構図なのである。
京都へ誘ってくれた、前方かぶりつき信仰のための自分へのプレゼントだったのであろうか?
もちろんこの頃はチケットを購入するときは、座席指定とかできなかった時代だったので、S席を選択したら、乱数発生器のごとく座席位置がGenerateされるのであろう。
なぜ京響のコンサートを聴くときは、最前列になるのだろう?(笑)
いまになって思う世界七不思議である。
2016/9/24と9/25の夏のアラベラさんのときのカーテンコール
こちらが本採用の写真。
こちらが没になってお蔵入りした写真。
アラベラさんと読響のコンサートのチケット今日とりました。
コロナ禍ですっかりご無沙汰であったがじつに2年ぶりに麗しの君に会える!!!
ミューザ川崎とサントリーホール。
自分はアラベラさん鑑賞歴は自慢できるほど体験しているが、アラベラさんがミューザに降臨するのは初めてではないか?
少なくとも自分はミューザで体験した記憶がない。あの抜群のアコースティック、音響の素晴らしさ、そして超近代的なお洒落な空間デザインのミューザ川崎。これとアラベラさんとの図はきっとマッチして合うだろう。楽しみである。
演奏曲は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
なぜなのだろう?(笑)
なぜ日本のプロモーターや主催者側の方たちは、勝負処になると必ずと言っていいほどこの曲を持ってくるのはなぜなのだろう?
確かにじつにいい曲だよ。
自分はもちろん大好きである。
でも自分的には、ブリテンのコンチェルトとか、シベリウスとか、なかなか演奏の機会のないレアな曲を聴きたいもの。
自慢じゃないが、アラベラさんのメンコンを聴くのは、今回をカウントすると7回目になるのである!
1人のヴァイオリニストで、同じ曲を7回も聴くというのは、ある意味大記録ではないだろうか?(笑)
しかもアラベラさんのメンコンはNHKで放映された2015年のときのヘンゲルブロック&NDRとの映像素材をもう擦り切れるぐらい繰り返して観ているので、もう彼女がどのフレーズでどのように体を移動させ、どのタイミングでどういうボウイングするか、もう完璧に頭に入っているのである。
ヴァイオリニストにとって弾くときはその曲によって個人の個性がどうしても出るから、何回体験しても同じタイミングで、同じ所作というように壊れたコンピューターを見ているかのように、自分の頭の中に叩き込まれてるのである。
たぶん今回のコンサートも同じ体験であろう。
でもいいんだ。リアルで拝見&拝聴できるだけでも全然違う。
リフレッシュすることは間違いない。ドレスも楽しみである。
願わくば感染拡大などで延期や中止にならないように祈りたいものである。
そして、2016/11/26と11/27の秋の児玉桃さんのカーテンコール。
2日間ともアラベラさんのときの座席とまったく同じだったのである。だからアングルもまったく同じである。
こちらが本採用の写真。
こちらが没になったお蔵入りの写真。
このときは、ちょっと失敗というか、ズームしすぎて近すぎました。アラベラさんのときと違って、このときは児玉桃さんと、オンド・マルトノの原田節さん、そして指揮者の高関健さんを全部ひとつのフレームに入れたい、と最初から狙っていたのだ。
だからアラベラさんのときより難易度が全然高かかった。
うまく3人が入ってくれないので、自分は超アセッてしまった。
結局別々なアングルとなってしまいました。
児玉桃さんのときは、ちょっとカーテンコール写真の完成度からすると、自分はちょっと失敗というか不満。もっと綺麗に撮ってあげたかったです。
この日のコンサートは、自分のクラシック鑑賞歴の中でも非常に貴重な体験であった。
自分の財産ですね。
それはオンド・マルトノという楽器の鳴る音を生で聴けたこと。
日本人奏者でオンド・マルトノと言ったら、もう原田節さんが権威中の権威なのである。
オンド・マルトノというのは、いわゆるシンセサイザーの原型ともいえる古楽器で、上の写真のように、鍵盤そのものの以外にスピーカーが何個も立てられている。20世紀前半に誕生・発展した電子楽器でピュオ~ンというグリッサンドのかかったいかにも電子音的なサウンドが印象的なのである。
非現実的な宇宙サウンドと言ってもいいのではないだろうか。
自分はその音を聴いてちょっと大感動してしまった。
児玉桃さんのピアノ、そして原田節さんのオンド・マルトノ、そして高関健さんの指揮、そして京響でメシアンの「トゥランガリラ交響曲」。
まさに80分の大曲で、交響曲という名前だけれども、ピアノはずっと弾きっぱなし。ある意味、すべての楽器を従え、ピアノがぐんぐん引っ張っていっているような”ピアノ協奏曲”で、まさに全身全霊の熱演に、観ているほうが魂を何回も吸い取られそうな感じになった。
交響曲といっても全10楽章からなる変則の構成で、1楽章づついろいろなバリエーションの表現が要求される。静謐な美しい調べから狂喜乱舞の和音・・・いろいろな表情を見事演じ切っていた。
カッコイイ~~~痺れた~~~。
オンド・マルトノ凄かった~~~。
このトゥーランガリラ交響曲は、なかなか実演に接する機会が難しい曲で、日本での初演は、1962年、小澤征爾さん指揮&NHK交響楽団によるものだそうだ。
所縁ある曲を聴けていい想い出になりました。
自分の貴重な財産になりました。
児玉桃さんには、ぜひサントリーホールの大ホールでピアノ・リサイタルをやってほしいです。サントリーの大ホールじゃないとダメなのです。その理由はまた後日でも。。。
そして京響を聴くなら、やはり広上淳一さんが振るという図を体験しないと絶対ダメだろう、ということで翌年2017年冬の京都に出向いた。
なんと、このときも最前列なのである。なぜなのだろう・・・
マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」。
合唱を含む総勢411人が壮大な音楽絵巻を繰り広げた。
上の写真でもP席に陣取った大人数の合唱隊が見えるでしょう。
もうちょっと真ん中らへんの座席で見たかった。(笑)
マーラーの8番自体、なかなか実演のチャンスありませんね。こういう機会に恵まれているのも、やはり自分には音楽の神様がついているのだと思います。
とにかく広上さんのダンス・ダンス・ダンスのタコ踊りも観れたことだし、大盛り上がりだった。
オーケストラは、やはりそのフランチャイズで鑑賞する、というのがひとつのたしなみでもある。京都コンサートホールで広上さんが振る京響を聴くことができた、という点で、ある意味この日が、自分の京響鑑賞のひとつの頂点であったと思う。
そんな広上淳一&京都市交響楽団であるが、2014年にサントリー音楽賞を受賞している。その受賞記念コンサートが2017年9月にサントリーホールで開催された。
この日も最前列なのである。(笑)
いやぁ~このときはラフマニノフの交響曲第2番だったのだけれど、これは凄かったねぇ。自分の一期一会の公演と言ってもよかった。その年の年末、”一期一会”というタイトルの日記で、このときの公演をノミネートした。
広上さん&京響にとってラフマニノフの2番というのは、もうもっとも得意中の得意というか18番だそうで、その名声にまったくいつわりのないじつに素晴らしい公演だった。
いままで聴いてきたラフ2でもっとも感動したかもしれない。
甘美でロマンティックな旋律に彩られた、恋人とビロードのような甘い愛をささやき合うような・・・ラフ2にありがちなそんな甘ったるいものではなかった。
波打つような波動で一気に押し寄せてくる京響のぶ厚い弦の音色、そしてラフマニノフのあの行き場のないようなメランコリックな旋律、そんなお互いがじつに情緒的に絡み合って、すごいエネルギー感で聴衆に襲い掛かってくる。
すごい感動だった。ある意味衝撃であった。
終演後のブラボーが凄かった。スタンディングオーベーションの嵐だった。
これは本当に感動した公演でした。
本当に意味で一期一会だと思いました。
以上、いままでの京響鑑賞歴、全6公演。どれも印象に深く残るいい想い出ばかりでした。
最後に京響のオーケストラの印象。
最初に出会ったときの一番の印象は、とにかく弦がものすごく分厚い音色で、それも一糸乱れぬオーケストレーションという感じで、ここに自分は一番感動しました。とにかく弦の発音能力というか、これだけの厚い弦の音を聴かせてくれるオーケストラはなかなか首都圏にもいないのではないか、と自分は確信します。
オーケストラとしての全体の印象も在京楽団に負けないどころか、その上を行っていると思うくらい演奏水準が高い。
地元での人気も凄く、京都地元ではチケット即完売で、チケットがなかなかとれないオーケストラで有名なのだそうである。
本当に素晴らしいオーケストラである。
広上さん退任後の次のシェフは誰なのであろうか?
はたして、いままで記載してきたような熱い想いを今後も寄せることが可能であることを望みたいです。
そして自分にとっては、広上&京響体験の最後のお別れであるサマーフェスタミューザでめいいっぱい名残を惜しんで来ようと思うのである。
ちなみにこの日は最前列ではないです。(笑)
広上&京響のCDも持っています。
2010年頃にリリースされたCDで、京都コンサートホールでの収録です。
この頃、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲に嵌っていた時期で、いろいろな演奏家のCDを集めていたのですが、この頃河村尚子さんに惹かれていたこともあって、その河村さんが弾いているパガニーニ狂詩曲を聴きたくて、このCDを買ったのでした。