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飯守泰次郎さん [クラシック指揮者]

飯守泰次郎さんがご逝去なされた。もうあまりに急すぎて驚いたと同時にいまだに実感がわかない。闘病中という訳でもなくて、前日の夕食は普通に召しあがっていつも通り就寝につかれたそうで、あまりに突然すぎる。急性心不全だそうだ。


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人間の生なんて、ほんとうにあっけない。

昨日までなんともなく平常だった方が、翌日突然他界されてしまう。

ほんとうにあっけなさすぎる。


なんともなくいつもどおり毎日投稿を続けて、あるとき突然ポックリ逝ってしまう。

たぶんオレの場合、そうだ。


でも、闘病によって、自分自身終生を覚悟したり、いろいろ苦しい思いをしたり、また親族に迷惑をかけるよりは、突然逝ってしまう方が、ある意味幸せな逝き方なのかもしれない。


自分は音楽業界にいるわけではないので、飯守さんと仕事上の付き合いがあった訳でもなく、いわゆる密な関係の想い出は語れないけど、いちファン、いち聴衆として、やはりお見送りの言葉を贈るべきだと思った。


いち聴衆としていろいろお世話になったし、やはりこのまま黙認して素通りはできない。


自分にとって、飯守さんは、やはりワーグナーである。日本クラシック音楽業界において、ワーグナーの看板を背負って、いわゆる代名詞的な存在と言ったら飯守泰次郎さんしかいない。1人でずっと背負ってきたと言っていい。


バイロイト音楽祭で研磨を磨かれ、ご自身もワーグナーを自分の終生のライフ、看板としていくことを覚悟しての指揮者人生だったに違いない。


自分は思うのだけれど、いまの時代、どんどん若い世代に引き継いでいく時期において、いまの新しい人は、非常に頭脳明晰で器用でなんでもスムーズにできてしまう。みんなうまいのだ。


でも、人間力、存在感、業界を背負っていくというオーラ、こういうものがなかなか難しいような気がする。クラシック界は、いまは昔と違って巨匠がいない時代。


圧倒的なカリスマで、業界で存在感を放って、グイグイ引っ張っていき、誰もが納得いくというのは、いまの時代では難しいのかもしれない。


ワーグナーといえば、日本では飯守泰次郎、というように。


こういう看板がいなくなると、その後はどうなってしまうのだろう?

いつもそういうことを思ってしまう。


代わりがいないのだ。


たとえば小澤征爾さんにもしものことがあったとしても、その代わりはいない。

もう一時代が終わった、というしかない。


同じ役割の人をもう一回育てていく、というのはこれからの新時代では、たぶん無理なんじゃないかな、と思うのだ。


これもひとつの時代の終焉というべきか。。




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(c)東京都交響楽団


飯守さんの指揮の実演は、何回もいろいろお世話になっているが、じつはいちばん感動して、大きなショックを受けたのは、意外や本命のコンサートというよりは、ミューザ川崎での東響の名曲コンサートでのワーグナーの名フレーズ集みたいな企画だった。自分はこの当時は、3年間、東響の名曲コンサートの年会員だったので、いわゆる名曲コンサートは、本命のコンサートより、もっとお気軽なのだ。どちらかというと、クラシックの初心者向けの企画で、ポピュラーな人気のある曲を取り上げて演奏する、という軽いコンセプトである。


ここで自分はあまり期待もせず、今日はどんな名曲が聴けるのだろう、とワクワクしながら、臨んだのが、ワーグナーの名曲、名フレーズ集だったのだ。


飯守泰次郎さんが指揮。


ワーグナーのいろいろな楽曲のあのモチーフを、連続的に繋げていき、1曲としてサービスする、というコンセプト。これが思わず、のけぞるほど、カッコよくてすごい興奮してしまった。


いやぁ、やっぱりワーグナーってカッコいいんだな~とあらためて惚れ直した次第。

特に神々の黄昏のモチーフが格好良すぎて、カッコう良すぎて。。


これをなにごともなくさらっと指揮して、東響から引き出してしまう飯守さんは、やっぱりすごいな~。ワーグナー指揮者だけあるな~と感服してしまったのだ。


このときのコンサートがあまりにカッコよくて、いまだに鮮明に脳裏に刻まれています。


ワーグナーって、自分的には、いかに陶酔できるか、酔えるか、というところにポイントがあって、ワーグナーのライトモチーフにはそういう魅力がいっぱい詰まっている。いつまでも頭の中にモチーフがループして鳴り続けているような、そんな魔力がある。


やはりオーケストラには、ハードボイルドに演奏してほしいんですよね。オケをガンガン鳴らして、どんどん引っ張っていって、ここぞ、というときに昇天してしまう、そういう陶酔感をいかに引き出せるかがポイントだと思っている。ワーグナーは5時間とか長大なオペラだけど、だからこそ、だからこそ、初めからずっと演奏してきて、終焉を迎えるまでのドラマがすごく感動するのだと思う。5時間聴き続けてきたからこそ、よくぞここまでやってきた・・・そういう感覚があって、だからこそエンディングはもう涙がでるほど陶酔してしまう。ワーグナーってそうなんだと思う。


ドラマがあるのである。


ワーグナーの楽曲を指揮するときに、オーケストラからこういうエネルギーを引き出せる指揮者、というのは、簡単なことじゃないと思うんですよ。どんな指揮者でもできることではない。やっぱりワーグナーを本職でやってきているマエストロではないと、難しいのではないかと思います。


飯守泰次郎さんは、それができる日本で数少ない指揮者だと思っていました。




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(c)東京都交響楽団


いま振り返ってみるに、飯守さんはオペラ指揮者だったと思う。

オーケストラコンサートというよりは、もう圧倒的にオペラ。オペラ指揮者だったと思う。


2013年のときに新国立劇場でタンホイザーを上演したときに、自分は観に行ったのだが、そのときに指揮者が飯守さん。新国立劇場のオペラらしい、あまりメジャーな歌手を起用しないで、フレッシュな顔ぶれで、非常に質の高いタンホイザーを聴かせてくれた。自分鑑賞した新国オペラの中で3本の指に入る名演だったと思います。


2014/2015年シーズンから4年間、新国立劇場の芸術監督を就任されて、ワーグナー演目をいろいろたくさん上演してくれた。もう自分は、うれしくて、うれしくて。結構通っていた記憶がある。これも飯守さんが監督だから、こういうわがままも許されるんだな、とほくそ笑みながら。(笑)


雑誌のインタビューで、芸術監督の立場として、予算取り、採算をとる、歌手たちの日程を抑える・・・いろいろビジネス的な視点からインタビューをされていたのが、印象的で、我々ファンは、あくまで感動したい、陶酔したい、そこを目標にオペラを観に行くのだけど、主催者側は、やはりマネーの観点から考えていることが克明にわかって、ちょっとショックだった。


クラシック界はあまりそういう裏の世界は詳らかにせず、表の芸術的な感動をアピールするものですが、そういう裏の苦労、厳しい点をおおっぴらに語っているのは正直ショックでした。あまりそういう点ばかりを強調ばかりしていると、ファンにとって嫌味なってしまうので、なにげなくさらりと、しかもそれを語って嫌味にならないのは、飯守さんぐらいの大御所だから許される、ということはあったと思います。


思えば、飯守さんのワーグナー以外のオーケストラコンサートも、もっと聴いておくべきだった。ブルックナー、ブラームス、ベートーヴェンなどおもにドイツ音楽。これをもっと聴いておくべきだった。


ご逝去なさってから、悔やむというのは、遅すぎる。世の中ってそんなものだ。


仙台フィルを本拠地、仙台で聴きたいという目的のため、当時仙台フィルの音楽監督であった飯守さんの指揮がやっぱりいい、ということで、即決した。年末のベートーヴェンの第九であった。素晴らしい演奏で、一生の想い出で、自分に仙台の地に深く縁を作ってくれた。忘れられないご恩である。



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(c)仙台フィルと第九をうたう合唱団twitter



あまりに突然で、いまだに実感がわかなくて、ショックというより、どうする?という感じなのだが、これからジワジワと喪失感が滲み出てくるであろう。


素晴らしい感動とワーグナー愛、どうもありがとうございました。

安らかにお眠りください。













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カルロス・クライバーの魔弾の射手 [クラシック指揮者]

天才指揮者 カルロス・クライバー。


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非常に気難しい人で、あちこちのオーケストラでトラブルを起こしているとの噂が絶えなかった。また、キャンセルの話題にも事欠くことがなかった。


でも、コンサートに登場する度に会場は拍手の嵐に包まれた。


オペラだって、ほとんどが「ばらの騎士」と「こうもり」。「ばらの騎士」が、また、もの凄い演奏。本当に、当日コンサートに来てくれれば、人々を感動の渦に巻き込む人物であった。しかし、嫌な時は決して指揮をしない人物でもあった。


滅多にコンサートを行わず、生ける伝説などと呼ばれていた人。


常任指揮者や音楽監督などの要職には就こうとしなかった。名声が高まったのは60年代後半から。レパートリーが狭く、コンサートの数が少なく、キャンセル魔で、録音恐怖症で、インタビュー嫌いで、それでも、いったん指揮台に立てば華麗なタクトで観客も評論家も虜にしてしまう。彼こそ真の意味でのカリスマであった。


ちなみに、自分の活動スタイルについて、クライバーは独特のユーモアを交え、「腹が減った時だけ、指揮をやる」と語っていた。



カルロスはレパートリーを少なく限定し、リハーサルの時間を同時代のチェリビダッケに匹敵するほど多くとり、自分の意に沿わないとわかった仕事は次々とキャンセルするという仕事のスタイルを採り続けた。


キャンセルにより代替指揮者が立つリスクがあるにもかかわらず、常にチケットは売り切れた。



映像に残る彼のリハーサル風景は、楽員に対し彼の音楽解釈を比喩的な表現を用いて事細かく説明するものである。(この点に関して父エーリヒも同様だったという)


またリハーサルの前には必ず作曲家の自筆譜を調べ、他の演奏家による録音を入手して演奏解釈をチェックし、また父エーリヒが使用した総譜を研究するなど入念に準備を行った。


しかし細かいリハーサルに対し、本番は独特の流麗優美な指揮姿で、観客を、そしてオーケストラの楽員や同僚の音楽家までも魅了した。それらは幸い多くの映像に残されており、オペラ映像では舞台上で歌が続く最中にピットの指揮姿だけを1分以上映し続けるという、常識ではありえない編集が行われているものもある。


その指揮から溢れ出る音楽は、めくるめくスピード感、リズム感、色彩の鮮やかさ、詩情の美しさで群を抜いており、世間からしばしば「天才指揮者」と称せられた。


その指揮姿は流麗で蝶のように舞う、と言われた。



1980年代後半から指揮の回数が2,3年に数回のペースとなってゆく。(指揮したオーケストラは主にバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど)


カルロスがどこかのオーケストラを指揮するというだけで大ニュースになり、首尾良く演奏会のチケットを入手しても当日、本当に彼が指揮台に立つまでは確かに聴くことができるか保証の限りではなかったが、多くのファンが彼の演奏会を待ち望んでいた。



カルロスは、自分の理想をとことん追求する人なので、彼の基準線の中でどうしても引けない一線というのがあって、そこでオーケストラとの考え方やそりが合わない場合、それが開演直前でも容赦なくキャンセルしてしまう人だった。


彼が内心どのように考えているか、他人が慮ることはとても難しかったとのことだったので、彼がいつ突然急にやめた、キャンセルするということは、誰も予想することが出来なくて、関係者としては常に恐怖に怯えているような状態だった。それは関係者のみならず、コンサートに来る観客も、彼が本番当日に本当にステージやピットに現れるかどうか、そのときにならないとわからないという不安を常に持ちながらであったそうであるから、突然中止になった場合にどれだけの損害を被るのか配慮できない、そういう意味で、常識のない社会性が欠如した人間だったともいえる。厳しいことを言うが。


いまではそのようなことはとても考えられないが、それがカルロスなら仕方がないと許された当時の時代背景との差というのもあるだろう。


ウィーンフィルのニューイヤーコンサートは、1989年と1992年の2回登場したが、最初の1989年はウィーンフィルと意見が合わず、あやうくニューイヤーコンサートすらキャンセルすることになりそうだった、ということだったから驚くばかりである。


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自分はカルロス・クライバーを、世間一般の絶対的な評価「天才指揮者」として、なんでもかんでもやみくもに聖人化してしまうことを昔から、正直気に入らなかった。


世に存在するカルロス・クライバーの伝記本やドキュメンタリーは、みんなカルロスのことを聖人として扱う。


上記のような指揮者人生、じつに個性的な指揮者スタイル。


確かに稀にみるカリスマな存在であったことは間違いない。


でも、それを安易になんでも「天才」と聖人化してしまうのはどうなのか。本当にクライバーは天才なのか。


現場での結果(録音作品、コンサート回数)を出せていないのに、なにをもって天才と呼んでいるのか、自分には理解できなかった。


カルロス・クライバーは、音楽に対する向き合い方が 正対じゃない。どこか斜めなのだ。 カラヤン・バーンスタインや小澤征爾さんたちは、 もっとストレートに音楽に向き合っているように思う。


どこかそのような印象をずっと持っていた。


まず最初に誤解のないように言っておきたいことだが、自分はカルロス・クライバーの大ファンである。でなければ、こんなに書籍、映像素材、音源を全部揃えている、ということはしないだろう。ひとたび、指揮台に立ったとき、その流麗で流れるような美しさ、蝶が舞うようなその美しい指揮振りで、世界をいっきに高みに持って行ってくれるその凄みもよく知っていた。


でも、これらを全部何回も鑑賞した経験をもち、ファンならだれもが知っている通り一辺倒のカルロスについての情報について知っているからこそ、自分には、気難し屋で、キャンセル魔で、演奏・指揮回数やレパートリーも少ない彼が、天才指揮者、カリスマと呼ばれて聖人化されていることに、どうも合点がいかなかった。


もっと彼の本質を暴いてみたい。巷のクライバーに対する評価、ものさしを一旦全部取り去り、無の状態で、自分でもう一回クライバーの音源、映像作品、書籍をすべてを徹底的に研究し、自分オリジナルの見解としてみたい。


そしてカルロスをけっして聖人化しない、ということをモットーとし、そういう固定概念にとらわれず、もっと彼のその本当の真なる実力を分析したい、と思ったのだ。



カルロス・クライバーの演奏が LPとして日本に入ってきた最初は ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」(DG)であろう。


じつは、このクライバーのウェーバーの魔弾の射手は、自分はあまりよく知らなかった。今回のこの日記を書くうえで、自分の持ち合わせに不足している作品として、これがあり、改めて購入ということで、聴いてみたのだが、これがじつに優秀録音で驚いてしまった。


それ以来すっかり自分の虜となってしまった作品なのだが、これは後で詳細に記述したいと思う。


LPレコードで カルロス・クライバーが私たちに強い印象を与えたのは 次にリリースされたベートーヴェンの「運命」交響曲だ。 LP一枚で 「運命」一曲のみという破格の短時間収録LPだった。 「運命・未完成」というカップリングが、ベストセラーになったほどだから 「運命」は LP片面に入る曲というイメージが強かった。 そこに あえて1曲のみでレギュラー盤で出してきた。


1974年録音の「運命」は、非常に個性的で面白い演奏だった。 その面白さは、ウィーン・フィルの伝統的な演奏方法による「運命」をベースに 非伝統的な思いつきともいえるようなアイデアを ちりばめたところにあると思う。


基本的には ウィーン・フィルの伝統の行き方をベースにして クライバー・スパイスをふりかけたといった印象だ。 


オーケストラもクライバーの思いつきを面白がって 乗って演奏しているようで 結果的に 新鮮な魅力を持つ「運命」となり、鬼才クライバーというイメージを 日本の音楽ファンに植えつけた。 


ただ 上述のような彼の個性的なアイデアは、ある種感覚的なもので 楽譜を読み込んだり分析して 論理的に得られたものではない。 そのようにカルロス・クライバーの場合は、大きな曲を構成するベーシックな方法論が脆弱なのではないかと思われる。 


そのことが 彼のレパートリーの狭さや限界に関係している。 


1970年代のカルロスの場合は、名門オーケストラの持ち味を活かして それに自分なりの個性・風味を付加することで満足し、演奏を楽しんでいたように思われるが1980年ごろからカルロス自身が それでは満足できなくなり もっと自分の色がすみずみまで浸透した、悪く言えばどぎつい表現を求める方向に 変っていったのではないだろうか。   



一方カルロス・クライバーの演奏が 当時の音楽ファン、耳の幼い音楽ファンを惹きつけたのには、別の要素もある。 


曲のどこかにポイントを定めて エネルギーをそこに向かって蓄積し、高め、 一気に「爆発する」。 


そうしたわかりやすさがある。 


ピアニストでいえば、アルゲリッチの1970年代の演奏様式に似たものを感じる。 1970年代は、一般的には「爆発しない」タイプの演奏様式が 特にレコード録音では、主流だったと思う。


ある種脱力系というか起伏がなだらかで精緻な演奏がモダンだとされた。



当時のスター演奏家を眺めてみても もはやバーンスタインも ベートーヴェンやブラームスといったクラシック交響曲では、 爆発しないし、ベームは オーケストラの持ち味によりかかった晩年のスタイルになっているし カラヤンは、爆発というよりも響きの豊潤さを重視した、流麗で古典的な演奏スタイルだ。 それに続くアバドや小澤征爾さんといった中堅もある種優等生的精密な演奏スタイルだった。 


そこにあらわれた「爆発する」カルロス・クライバーの沸騰するような温度の高い演奏が 若い音楽ファンの欲求不満を解消してくれたのだ。 


おそらく日本の音楽ファンにとって カルロス・クライバーの人気が決定的になったのは、 LP最末期のORFEOレーベルのベートーベン 交響曲第4番だったであろう。 この第1楽章の序奏の最後で お約束のように爆発し 奔流のようにアレグロ主部に突入する勢いは凄まじい。 前述したように 1970年代のDG録音「運命」や「第7番」に比べると 表現が ずっとどぎつくなっている。 


曲全体を俯瞰してみると かなり異形な演奏だと思うが ある部分を取り上げると とても個性的で魅力がある。 この第1楽章の序奏の最後の部分などは その後しばらく他のどんな演奏を聴いても物足りなく思ったほどだ。 


そうした異形さ、言葉を変えればロマンティックな表現は フルトヴェングラーに通じるものがあるのも確かだろう。  


自分個人的には クライバーの正規盤全録音で DGのウィーン・フィルとのベートーヴェン交響曲第7番が演奏・録音ともに 最も好きだ。 曲の魅力、オーケストラの魅力、カルロス・クライバーの魅力がとても良い塩梅にブレンドされていると思う。


このある一点に向かって爆発する、というクライバーの曲をドライブする手法は、その曲中だけの話には収まらないと思う。


自分が思うに、カルロスは常任指揮者のように常にコンスタントに指揮、演奏会をおこなっていく定型パターンを好まず、これはある意味気まぐれな彼の性格によるところなのかもしれないが、インターバルを保つことを基本に、そのある一点に向かって全体の気を盛り上げていって、そしてエネルギーを集中させていき、その本番で爆発するといった演出方法を彼自身が内面的に意識していたのではないか、と思うことだ。


よく言われることは、アーティストは、自分のコンサート日程を告知したら、あとはそれでお終い。本番でお会いしましょう、というだけではなく、その本番までにいろいろなプロモーションをすることでお客さんのそのモチベーション、気を高めていく、そしてその本番で一気に頂点に達する、そういうプロセスを計算することも、じつはアーティスト本人の大事な責任なんだよ、ということを吉田秀和さんだったかな、黒田恭一さんだったか、言っていた記憶がある。



カルロスは、その当時から彼自身の中でそのような自己演出を自分の内面で意識していたところがあるのではないか。自分にはそう思えてならない。


だからキャンセル魔で気難しく、自分の理想通りにいかなければ、容赦なくキャンセルする、滅多にコンサートを行わず、生ける伝説などと呼ばれていることを自らが意識していて、そんなインターバルがある中で、カルロスが指揮をする、ということだけで大変な話題になり、そのコンサートにファンの意識が一気に集中していき、気が高まっていき、その当日に一気に爆発する、という。。。 


カルロス・クライバーは曲の演奏の仕方だけではなく、自分のコンサートへの気の持っていきかた自体にもそのような「ある一点への爆発」、というような手法をとっているのではないか、と推測してみたくもなる。


でも、自分がカルロス・クライバーについて、解析を試みれば、試みるほど、そして世間と違って辛口で論じようと思えば思うほど、自分にはなんか後味の悪さというようなものを感じてしまう。


恣意的に彼のイメージを貶めるのは、それははたしてなんのメリットがあるのか。カルロス・クライバーに対して、まさに心底その魅力に取りつかれてきた往年の大ファンの方々に対して、そんな美しい想い出を単に茶々を入れて、ぶち壊しているだけではないのか。


クライバー自身、すでに故人でもあり、その故人のイメージは、やはり世界中の大勢のクライバー・ファンの美しい記憶の中のままで永遠に生き続けていくべきなのであろうと思う。


カルロス・クライバーを実演で体験したことのない自分が、そんな資格はないと思い直したのだ。


カルロス・クライバーは、やはりもともと指揮者として、やみくもに頑張っていこうという気持ちもさらさらなく、本当に「腹が減ったとき、冷蔵庫が空になったときだけ、指揮をする。」という淡白なものだったのであろう。


そしてコンサートも滅多にやらなくなり、クライバーが振るというだけで、それだけで大変な話題となり、本当にギリギリ直前までどうなるかわからないという波乱含み。


そして運よくそのコンサートを振ってくれるときは、まさにその流麗な美しい指揮振りで、オーケストラや観衆を一気に世界の頂点の高みまで必ず連れて行ってくれる人。


このこと自体のことで、彼のことをカリスマ、天才指揮者として呼んで全然いいのであろう。クライバーがカリスマで神秘的だったのも、そこがファンにとって魅力的で、すべてここに集約されるということだったのであろう。


そのことになんら不満はないし、それ以上のこともなく、それがすべてなのだと思う。


であるので、カルロス・クライバーの真実の日記は企画中止とさせてもらうことにした。


自分はカルロス・クライバーの数少ないレパートリーを聴いてきた中で、やはりベートーヴェンの交響曲第4番,第7番が一番お気に入りで聴いてきたのであるが、最近とみに思うは、クライバーってやはりオペラの人なんだろうなと思うことだ。


クライバーといえば、ばらの騎士、そしてこうもり、ラ・トラヴィアータ(椿姫)。これにトリスタンとイゾルデが入ることもあるだろう。


彼のオペラ録音を聴くと、軒並みなんともいえないようなドラマ性、劇場型の展開に、こちらの心を煽られるというか、翻弄されてしまう。


そして軒並み優秀録音ばかりだ。自分にとって「ばらの騎士」、そして「こうもり」、「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」は、このオペラの予習をするときは、必ずクライバーのディスクがリファレンスになる。


それだけ自分にとって絶対的なポジションのディスクである。


今回あらためてカルロス・クライバーのことを考えてみようと思い、彼の場合レパートリーが少ないので、音源自体も極端に少なく、彼の音源を全部揃えることはさほど難しいことではなかった。


その中で自分が持ち合わせていなかった音源に、ウェーバーの魔弾の射手がある。




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「魔弾の射手」全曲 カルロス・クライバー&シュターツカペレ・ドレスデン、

シュライヤー、テオ・アダム、他(1973 ステレオ)(2CD+ブルーレイ・オーディオ)




カルロス・クライバーの記念すべきドイツ・グラモフォンデビュー・アルバムである。シュターツカペレ・ドレスデンとの作品である。



自分はこのオペラ、実演でも映像素材でもじっさい観たことがないのだが、クライバーのこの音源を聴いて、一発で虜になってしまったのである。


まず驚いたのは、その録音のよさ。


当時のステレオ録音の最高峰ともいえる素晴らしさで、情報量の多さ、音の厚み、倍音豊かな弦合奏の潤い感ある響き、エッジの効いた鋭利感、そして合唱(ライプツィヒ放送合唱団)のスケール感の大きい美しさ、エンジニアリング的にも、非常に洗練された音声処理をされていて、なにをとっても申し分なかった。


聴いていてすごく気持ちが良かった。

いい録音だなぁ~と感心してしまった。


そしてなによりもエンジニアリングだけでは解決できないホール空間、ホールの響きの素性が抜群に素晴らしいと感じた。じつに抜け感が良くて、濃厚で芳醇な響きで、立体感もあって、クラシック録音はやはりホール空間がすべてだな、と確信した次第である。


クレジットを見ると、ドレスデンの聖ルカ教会であった。

どうりで。。。である。


優秀録音の録音場所として、屈指を誇る超有名な教会である。あらためて、聖ルカ教会の音響の良さに脱帽した、という感じである。


また、魔弾の射手のわかりやすい明解な主題の旋律。非常に初心者向けでわかりやすい、とてもいい音楽だ。


いったんこの主題を耳にしてしまうと、ワーグナーの毒性と同じ、頭の中を永遠にループし続けるようなそんな中毒性がある。


不思議なことに、賞味2時間くらいのオペラであるが、1度聴き終わると、もう1回聴きたくなる、それを2~3回繰り返すという中毒性があるのだ。


1回聴いただけでは、ものたりない、というか、必ず通しで3回は繰り返して聴いている。そんな中毒性がある。


カルロス・クライバーのオペラと言えば、いまや自分にとっては、ばらの騎士、こうもり、ラ・トラヴィアータ(椿姫)よりも、このウェーバーの魔弾の射手である、と言っても過言でないほどの惚れこみようだ。


カルロス・クライバーの真実の日記を書くことをやめて、このクライバーのウェーバーの魔弾の射手の録音の絶賛日記を書くことに路線変更しようということである。


これを自分の落とし処としたいのである。



独唱ソリストも、素晴らしい陣営なのだが、自分はやはりエディット・マティスが堪らない。


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自分が偏愛するマティスは、1960~1990年代に活躍したソプラノで、ドイツ圏のソプラノとしてはトップクラスの美貌、それもどちらかといえば愛嬌のあるルックスが大きな魅力。「とにかくキュートで可愛い!」というのが当時のマティスの大きなインパクト。


ずばりマティスの声質、歌い方は、声に硬質な芯があって、明暗をはっきりさせた、まさに「楷書風」の歌い方なのだ。


そして、とても品格がある。声の響き方に、孤高の気品の高さが漂う感じ。


そして、なによりも明るい響きがある。

彼女の声はリリック・ソプラノなのだ。


そして思うことは、非常に古風な歌い方だということ。現代のオペラ歌手の歌い方で、このような歌い方をする人はいない。昔の時代の歌手の雰囲気がある。


最初マティスが参加しているとは知らないで聴いていたが、声を聴いた瞬間、マティスだ!と思い、その凛とした歌い方に、改めて惚れ直してしまった。


彼女が歌っているところだけでも、もうとても幸せな気分である。


とにかく、お恥ずかしいことについ最近知った、カルロス・クライバーのデビューアルバム。ウェーバーの「魔弾の射手」全曲。


これがじつに素晴らしい録音で、自分の超お気に入りの音源となっていることを、ここに高らかに宣言して、ずっと自分の懸案・課題だったカルロス・クライバーの日記をここに終えたいと思う。




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水戸芸術館に通っていたとき [クラシック指揮者]

児玉桃さんの新譜を聴いて思い出したいいことというのは、自分が小澤征爾さん& 水戸室内管弦楽団がベートーヴェン交響曲全曲演奏会を水戸芸術館でやっていたときに ほとんど皆勤賞で水戸に通っていたのだが、そのライブ録音がDECCAからCDになってリリースされてることを思いついたことだった。


その音源がリリースされた当初は、実演を体験したから、もうお腹いっぱいということもあって、そして予算体力的なものものあって敢えて買わなかったのだけれど、やっぱり全部買おう!そしてもう一回全部聴き込んでそのときの演奏会を思い出そうという思いつきであった。


全集BOXになっているのかな、と思い、いま調べてみると、3番、6番を除いて、全部ばら売りとなっていた。


もちろん全曲制覇、全集は作る予定であったとは思うのだが、小澤さんの健康問題もあってそのままの状態になっているのであろう。


ばら売りを全部購入した。
あらためて聴き込んでみたい、そして想い出に浸りたいと思う。


この中で自分が体験していないのは、アルゲリッチとのベートーヴェンピアノ協奏曲第1番と、第九のときである。それ以外の1番、2番、4番、5番、7番、8番は全部聴いていると思う。


自分にとって小澤さんの指揮実体験は、小澤さんが食道癌を患って、そこからカムバックするまでが大変な高い障壁だったような記憶がある。(これはファンのみなさんがそうだったことでしょう。)


復帰されてから、小澤さんの指揮を拝見したのは、自分の記憶にあるのは、


・サイトウキネンでの「こどもと魔法」(まつもと市民芸術館)
・サイトウキネンでのオーケストラコンサート(キッセイ文化ホール)
・小澤国際室内楽アカデミー奥志賀2014(東京オペラシティ)
・新日本フィルとの特別コンサート(すみだトリフォニー)
・水戸室内管弦楽団特別コンサート&宮田大(天覧コンサート)(サントリーホール)
・水戸室内管弦楽団定期公演(ミューザ川崎)
・水戸室内管弦楽団ベートーヴェン交響曲全曲演奏会(水戸芸術館)


だから自分の記憶に間違いがなければ、のべ12公演の指揮姿を拝見していることになる。復帰してからこの回数だから、いま考えるとこれは本当に凄いことなのではないか、と思う。自分でも驚いてしまう。


本当に自分は幸せ者だと思います。

自分のクラシック鑑賞人生にとって、これは一生の宝物になるでしょう。


ベートーヴェン・ツィクルスがあるので、回数的には圧倒的に水戸室で聴いていることになる。2013年~2017年ですかね。


毎年年初の聴き初めは、水戸芸術館で小澤&水戸室で年をあける、というのが自分のコンサート生活のサイクルでありましたから。


サイトウキネンは年に1回の夏の音楽祭だから、もともとチャンスが少ない。それに比べ、おそらく推測であるが、小澤さんが指揮をしたいと思ったときに、もっとも身近に都合がついたのが水戸室だったということではないだろうか? だからそれだけ小澤さんが水戸室を振る機会が多かったという事実だけなのかもしれない。


ちょうどこの頃に潮田益子さんがお亡くなりになられたこともあり、水戸芸術館で水戸室で小澤さん指揮で、G線上のアリアも拝聴した。G線上のアリアは小澤さんの追悼・黙祷の儀のときに必ず演奏する曲だ。照明を薄暗くして、黙祷した。もちろん演奏終了後、拍手なし。


2013年のサイトウキネンに復帰したときも、初日にG線上のアリアが演奏された。東日本大震災のための黙祷であった。自分はこの年の「こどもの魔法」のときは初日ではなかったので、体験できなかったですね。


だから自分にとって水戸室を指揮する小澤さんが、1番想い出が身近で濃厚なのである。


水戸に一生懸命通っていたときに、ちょっと残念だと思ったのは、予算がなかったので必ず日帰り旅だったことであろうか。そうすると水戸の街を楽しむという余裕がなかったことですね。松本に行けば、松本グルメ、松本城などの観光など結構それなりに楽しんだものですが、水戸はまったくその記憶なし。


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水戸芸術館は、水戸駅からバスで行く。そして終演後は、シャトルバスが用意されていて、それで駅まで送迎してくれる。だから水戸に着いたら、そのままコンサートを楽しんで終わったら、そのまま帰るという感じでまったく余裕がないのだ。


もっと余裕を持つには、やはり一泊しないとダメですね。
水戸は日帰りで通えちゃうので。

水戸市を楽しむとなるとなんなんでしょう?


水戸芸術館へのコンサートは、小澤さん以外でも行きましたよ。大野和士氏&水戸室、準・メルクル氏&小菅優さん&水戸室、ホリガー氏&水戸室、庄司紗矢香さんの新ダヴィッド同盟とか。


今日は想い出日記なので、そうすると自分は相当回数水戸室の公演を聴いていることになるんですね。こうやって思い出してみて自分でもちょっと驚きです。


水戸室は、弦がとても厚く、アンサンブル能力が極めて高い、少数精鋭の素晴らしい室内楽オーケストラでした。期待を裏切られたことはなかったです。指揮者なしで演奏することにも常であり慣れており、ポリシーのもと、曲ごとに奏者の座席替えがあることでも有名でしたね。


室内楽オーケストラなのに、ベートーヴェンの交響曲のような大編成曲でも全然申し分なしの大迫力でした。


なかなか大変だとは思っていますが、これを機会に吉田秀和さん全集でも読み始めてみますか?(笑)


いまだから告白できますが、12回も小澤さん演奏会を体験出来て、正規でチケットを購入できたのはほとんどなかったのではないでしょうか?小澤チケットはオンセールとともに瞬殺で終わりますので、まず入手不可能です。やはり必要悪という手段も必要でした。


必要悪がなければ、自分は12回も体験できなかったと思います。でも水戸室公演は不思議と正規で取れたことも多かったような記憶があります。法改正により、もう必要悪も難しくなりましたから、もう小澤チケットは難しいかもしれませんね。


2000~2010年の間の小澤さんは、自分にとってはウィーン国立歌劇場の音楽監督という記憶しかない。世界のオザワを誉に想ったし、NHKで有働由美子アナウンサーとの100年インタビューだったかな?とても面白く拝見しました。きちんと録画してあります。


この期間のベルリンフィル、ウィーンフィルなどへの客演などたくさん、もちろんゴローさんのBlu-rayの悲愴もいい想い出である。ザルツブルク音楽祭やニューイヤーコンサートなどこの頃の華やかしいご活躍は、自分は実演ではなく、テレビ放送、映像メディアや音源を通しての小澤体験であった。実演ではなかった。


小澤さんのボストン時代は残念ながら自分の記憶にはないのであるが、ボストン・シンフォニー・ホールは生涯どうしても行ってみたいホールのひとつです。


自分が唯一悔いが残るのが、小澤音楽塾で小澤さんが指揮する姿を拝見できなかったこと。これはとても悔しいです。でも東京文化会館大ホールで小澤音楽塾生による演奏で、蝶々夫人のセミオペラステージを鑑賞したことがありました。そのときは小澤さんは観客席で観ていました。


このときはゴローさんとオーディオ仲間でいっしょに観劇したなー。あのときの蝶々夫人はじつに素晴らしくて、終演後にゴローさんとオーディオ仲間と夜遅くまで興奮冷めやらず、夜遅くまで熱く語り尽くしていたような記憶があります。


もう次から次へと記憶が五月雨式のように蘇る・・・


小澤さんは、このコロナ禍、元気でお過ごしになられているのであろうか・・・?
ご高齢のこともあり、今の時期は外出はやめたほうがいいですね。

もうカラヤンの歳を超えていらっしゃるのであろうか?


また指揮する姿を観たいと思うことももちろんであるが、無理せずできる限り長生きしてほしいと思います。 生きているだけで有難くわれわれの精神の支えとなると思います。


まずは、小澤征爾&水戸室内管弦楽団のベートーヴェン・ツィクルスのCDをじっくり聴き込むことにしましょう。




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