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昭和アイドル博士 [クラシック雑感]

自分はテレビ(地上波、BS)は、独特の見方をしていて、音声は消してオーディオで音楽を流しながら、画面だけを見ているという見方をしている。


最近のテレビは、必ず字幕が付くので、その字幕を見るだけで十分話している内容を楽しめるのである。


テレビのない生活は意外や自分はダメかもしれない。テレビはくだらない、という最近の意見はよくわかるけど、私生活ではなにかとテレビ番組の映像があったほうがさみしくない。


聴いているのは、オーディオで音楽だけど、視覚で見ているのはテレビ番組というのが自分の生活スタイルである。


音声までテレビにしてしまうと、これまた苦痛なんですね。(笑)自分が毎週見ている番組だけ、映像も音声もテレビにします。


それ以外は、テレビは映像だけ、音声はオーディオで音楽という生活です。


そんな中で、偶然なのだが、テレビ朝日のサンドウィッチマンと芦田愛奈の博士ちゃんという番組を見た。この番組はなんか毎週見てしまうのだが(もちろん映像だけ)、なかなか面白い。


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あることに専門知識を持った子供たちが、その博識ぶりを披露して、いわゆる博士ちゃんなのだが、それをレギュラー陣のサンドウィッチマンと芦田愛奈さんが感心する、という番組。


子供なのに、本当にすごい詳しいのだ。その詳しいジャンルは、いろんな子たちそれぞれでいろいろで、子供ってやっぱり子供時代は夢中になることって様々なんだな、と思ってしまう。


すごい微笑ましい番組。けっこうこの番組見ていて楽しいです。


そんな中で、先週は昭和アイドル博士ちゃんを特集していた。


我々の昭和時代のアイドルを、いまの令和の子供たちが大好き、熱狂的に調べて博士のように熱く語るという企画。西城秀樹、野口五郎、郷ひろみの御三家、近藤真彦、田原俊彦、野村義男の新御三家、松田聖子、中森明菜など、我々昭和時代ならリアルタイムだったアイドルを、いまの幼い小さな令和の子供たちが大好きで、いろいろなグッズ、CDを集めて、博士のように熱く語っているのだ。


もともとはお母さんの影響が大きかったようだ。お母さんが好きだったアイドルをそのまま受け継いでいるみたいな。。。お母さんの持っていたカセットテープをそのまま譲り受けて聴いているみたいな。。


自分はその熱く語っている子供たちを見て、なんか無性に微笑ましいというか、可愛らしく感じた。昭和時代のアイドルのショーは、それこそド派手もいいようなすごい金のかかったステージで、いまの時代ではありえない凄さである。


その博士ちゃんは、そんな西城秀樹が大好き、なんでも知っているという。それがなんとも可愛いのである。


そう思う理由に、自分のリアルタイム時代の昭和のアイドルを好きでいてくれることに無性に同調意識というか好感を持つのではないかと考えた。


それで、その子たちにとって、そういう全然自分の知らない時代のアイドルやステージパフォーマンスっていまの時代には体験できないことで、自分にとってすごい神秘的に感じるのではないか。


自分の知らない時代は、そして過去の記録でしか体験できない世界は、いまよりもずっと神秘的に感じしてしまう。そういう一種の人間の性みたいなものがあるのではないか、と思うのである。


これは人間の一種の特徴なのではないか。


自分はクラシック音楽ですごくそのことを感じる。


クラシックの世界では、過去の巨匠、あのときの、あの日の名演奏、というようにとても過去の伝説の名巨匠、名演奏家、そしてその名演奏に敬意を払う世界である。


その時代のSP,LPなどの音源は、それこそプレミア価格の貴重品である。


これはこれでひとつの価値観の別世界といっていい。


自分も夢中になった時期があった。クラシックのコレクションでは、そういう時期のものを蒐集したくなるそういう夢中になる時期があるものなのだ。


自分の場合、もうすぐ予算の関係上、そういう蒐集はしなくなりましたが。(というかできなくなったし、気力が追いついていかなくなった。)


やっぱり自分の生まれる前、知る前の時期の名巨匠、名オーケストラ、名演奏は、すごく神秘的に感じるものなんですね。自分がリアルタイムに知らないからこそ、余計に神秘的に感じてしまう。


最近、そういう衝動に対して、自分はこのように言い聞かせるようにしている。


1940年代~1950年代のたとえばフルトヴェングラーにしても、トスカニーニにしても、あの時代にリアルタイムに生きていた人たちにとっては、それが至極あたりまえの事象であって、当時の感動はあったとしても、それはあくまであたりまえの事象に過ぎず、あれから何十年後に現代の我々が感じる神秘的な世界、価値観とはまったく別物だったのであろう。


そしていまのジョナサン・ノットなど普段あたりまえのように接している指揮者たちも、いまから50年後、100年後経過した場合は、やはりその将来に生まれる人たちにとっては、すごい神秘的に感じるのではないだろうか、ということである。


なんかそんな輪廻人生のような気がしてならない。


それこそ1930~1950年代のクラシック音楽に非常に興味をもつとき、自分はふっとそんな冷めたことを考えたりすることもある。あの当時にリアルタイムに生きていた人にとっては、それは普通のことだったんだろうな~という感じで。


でもクラシックのこういう時代ものの歴史の過去の名演奏音源の蒐集は、やはりなんともいえない魅力があるし、ある意味独特のブランディングと言っていいし、あの頃の時代の知識を知ることと、それはそれはすごく面白くて興奮する。


もちろん1930~1950年代などいまのように録音技術、映像技術など発達していなかったから、いくら当時の人とは言え、それを体験できた人と言うのは、あくまで実演に接した人だけということなのだろう。そういう意味で単純な比較はできないかもしれない。


なんなんでしょうね。この感覚。


本当にクラシックならではの一種独特のブランドではないかと思います。


自分は、サンドウィッチマンと芦田愛奈さんの博士ちゃんで、昭和アイドルの博士ちゃんたちが登場したときは、我々昭和時代をリアルタイムに生きてきた人間にとっては、至極あたりまえのアイドル歌手だったけれど、令和の子供たちにとっては、その歌手たちが、自分たちがリアルタイムに知らないからこそ、それが余計に神秘的に感じてしまうんだろうな、と思ったのでした。


無性にクラシックの世界のことを思い起こした瞬間でありました。





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ウルトラセブンは格好良い! [特撮]

今年はウルトラセブン55周年記念イヤーである。これはかねてからの自分の持論なのだが、そしてこれが正しいかどうかはわからず、あくまで自分が思っていること、自分の推測でしかないのだが、ウルトラセブンというのは、ウルトラマン・シリーズの中では、亜流というか、毛色が違う独自のキャラクターだと思うのである。


初代ウルトラマンが放映されたあと、その次のキャラクター造りとして、ウルトラマンとは違うオリジナリティのあるキャラクターをつぎに送り出したいという意思が制作者側にあったのではないだろうか。


要はウルトラマンと同じキャラではなく、マンネリにならないように、ウルトラマンとは全然違う新しいキャラクターを送り出したかった。


そしてウルトラセブンが終わったと同時に、次のキャラクター設定から、やっぱりオリジナルのウルトラマンに戻そう、それが帰ってきたウルトラマンである。


それ以降、ウルトラマン・シリーズというのは、それこそ昭和、平成、令和とずっと後編のシリーズが続いていって世の子供たちを楽しませているのだが、その25種類のウルトラマンの根底には、キャラクターは、初代ウルトラマンをルーツにして、以降は全部ウルトラマンを彷彿させるような原点をそこに持っていこうという思いがあったのではないか。


やっぱり原点はウルトラマンなのである。すべてはここから始まったのである。


そういう風に自分には思えていて、この25種類のウルトラマンの中で、ウルトラセブンだけあきらかにその系統とは趣を異にする独自のキャラクターなのではないか、と思うのである。


ウルトラセブンだけ、そのウルトラマンの歴史の中であきらかに毛色が違い、独特のキャラクターで、異彩のオーラを放っている独自性のあるキャラクターだと思うのである。


自分は、ウルトラマンは、帰ってきたウルトラマンから見るようになった。


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自分にとっての初めてのウルトラマンの体験は、帰ってきたウルトラマンである。そして、あとで再放送で初代ウルトラマンとウルトラセブンを観たのである。


ウルトラマンがゼットンに負けた初代ウルトラマンの最終回は、子供心に大変なショックだった。


そしてウルトラセブンは、ウルトラマンにはない、独特の格好良さがあって、そしてなんかドラマの雰囲気も独特の暗さみたいなものがあって、なんかカッコいいな~とずっと思っていたのである。


ウルトラセブンは格好いい!


自分がここで主張したいのはこれである。

ウルトラセブンはすべてにおいて格好良かった。


独自性、オリジナリティがあって、ウルトラ警備隊の戦闘機、車、基地、服装、そしてウルトラセブンすべてにおいて、他のウルトラマン・シリーズとは比べ物にならないほど、全然格好良かった。


もう断トツである。ダントツに格好いいのである。


子供の頃からずっとそう思っていて、55周年になる今年に、そのウルトラセブンがいかに格好良いかを、ここで思いっきり語りたいと思ったのである。


子供の頃からの自分の想いを、思いっきりここで吐露しようという狙いである。


昭和、平成、令和と続いていくウルトラマン・シリーズの中で、自分ががっちり夢中になって見ていたのは、初代ウルトラマン、ウルトラセブン、そして帰ってきたウルトラマン、この3シリーズだけである。その後のウルトラマンタロウとか、ウルトラマンレオ、ウルトラマンエースとかは確かに見ていたけど、なんかマンネリで面白くなく全然自分に対してこなかった。それ以降もう見なくなった。


だから自分にとって、ウルトラマン・シリーズといえば、初代ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、この3ヒーローなのである。


ウルトラセブンの格好良さを語る前に、まず初代ウルトラマン、帰ってきたウルトラマンから振り返ってみたい。


●初代ウルトラマン


1966年7月17日から1967年4月9日まで、TBS系列で毎週日曜19:00 - 19:30に全39話が放送された、TBS・円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマである。


ウルトラQからウルトラマンに移るこの時代。当時の子供たちには大変な衝撃であったろう。


テレビシリーズがスタートするや否や「ウルトラQ」を凌ぐ人気番組となり、本放送時の第1話の視聴率は34.4%、平均視聴率は36.8%、最高視聴率は42.8%だったそうである。


1960年代って本当に凄かった時代ですね。テレビが珍しかった文明開化の時代、誰もが熱中した昭和という感じがします。


初代ウルトラマンには、じつはそのマスクに変貌があるのである。


最初の頃の初代ウルトラマン


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目がつり上がっていて、顔がしわっしわ。どこか悪人面である。


顔がしわっしわなのが特徴で、顔もどこか悪人面のような。なんでこんなことになっているのかと言うと、ウルトラマンが口を開けるシーンが企画されていて、顔を動かせるようにしていたからとのこと。そのため軟質素材を使っているのだが、結局没になった、というわけである。


でも自分はこの頃の悪人面のウルトラマンの顔がすごい好きである。



途中から初代ウルトラマン


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言わずと知れた初代ウルトラマン。


50年前とは思えないほどの洗練されたデザインは現在でもなんら変わりなく健在。まさにウルトラマンのルーツはここにあり!である。


ウルトラマンの必殺技はスペシウム光線である。十中八九、これで怪獣を仕留めます。ドラマの終盤、これですべてが終わる感じである。



初代ウルトラマンは、ハヤタ隊員が変身する。ベータカプセルで変身するのである。演じていたのは、早田進さんである。


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科学特捜隊。ウルトラマンを補佐するというか、地球側の対怪獣に対する防衛組織である。隊長はムラマツ(村松敏夫さん)である。ハヤタ隊員もそうであるが、要は役者さんの本名をそのままカタカナにしていただけなんですね。(笑)


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科学特捜隊の基地。初代ウルトラマンの科学特捜隊の基地は、地上にありました。(笑)科学特捜隊の戦闘機ジェットビートルの離着陸も、この地上基地のところの発射台からおこなうのである。


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ジェットビートル

科学特捜隊の汎用戦闘攻撃機ジェットビートルである。


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科学特捜隊専用車

日本支部で使用されている車輌。後のウルトラシリーズに登場する車両と異なり、特に武装や特殊機能はないが、通信機など高性能の探査機器は装備されている。


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●帰ってきたウルトラマン


1971年4月2日から1972年3月31日にTBS系で、毎週金曜19:00 - 19:30に全51話が放送された。


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これは自分のウルトラマンの原点でした。すべてはここから始まりました。体の赤のラインが二重線になっているのが、初代ウルトラマンとの違いです。


自分の当時は、「帰ってきたウルトラマン」でしたが、なんか調べてみると、後年このキャラクターは「ウルトラマンジャック」と改名されているみたいですね。これはあきらかに邪道ですね。その改名は、またあとでおじゃんになったようです。



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帰ってきたウルトラマンは、郷秀樹が変身していました。それまでのウルトラマン・シリーズのように変身のためのツールを使わず、郷秀樹がピンチになったら、自然とウルトラマンが降臨するという変身シーンでした。


郷秀樹は、レーサー志望の平凡な一市民として設定され、私生活面では彼の家族的な立場である坂田兄弟がレギュラーとして登場していたりしました。


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地球防衛組織はMATです。

このMATマーク、懐かしすぎる!(笑)



調べてみると・・・


MATとは Monster Attack Team すなわち「怪獣攻撃隊」であり、対怪獣戦や怪事件調査、侵略者からの防衛を主任務とする。国際平和機構の地球防衛庁に所属する特殊部隊で、本部はニューヨークに置かれ、世界各国に支部がある。


ほんまかいな。(笑)自分は日本だけだと思ってました。


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MATの基地は海底にありました。MAT日本支部は東京湾の海底にあったのです。


これは当時の子供時代の自分にとって衝撃でした。なんとカッコいいんだろう、と思い、子供の頃って子供向け雑誌があるじゃないですか。ちょっと雑誌の名前を憶えていないのですが(小学〇何年生だったかな?)、その雑誌で「これがMATの基地だ!」ということで特集記事が組まれていて、そうかー、MATの基地は海底にあるのかーと感動した覚えがあります。




マットアロー1号

MATの戦闘機です。さすが初代ウルトラマンのときと比較して洗練されてますね。当時子供の頃、カッコいいな~と思っていました。プラモデルが欲しいといつも思っていました。正確にはウルトラセブンの頃からですが、戦闘機は1号機、2号機、3号機と複数所有するようになります。


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マットアロー2号

ウルトラセブンのときもそうですが、やはり1号機が1番カッコいいんですね。2号機、3号機となると補助的な使用になります。


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マットジャイロ

3号機というのは、大体癒し的な存在になります。


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マットビークル

MATの車です。主人公の郷秀樹がカーレーサー志望でしたのでそれが理由かわからないですが、MATの車もカーレーサー仕様っぽいです。MAZDAの協力みたいです。


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●ウルトラセブン


そしていよいよ真打登場です。ウルトラセブンがいかに格好良いか、子供の頃からずっと思い続けてきたこの想いを一気に熱く語りたく、そのために比較するために、初代ウルトラマン、帰ってきたウルトラマンを先に持ってきたのでした。



ウルトラセブンは、1967年10月1日から1968年9月8日まで、TBS系で毎週日曜19:00 - 19:30に全49話が放送された。


自然現象の一部としての怪獣出現が主なテーマだった「ウルトラマン」に対し、ウルトラセブンでは明確な侵略の意図を持った知的生命体=宇宙人との対立が物語の中心となりました。


いまでは常識あたりまえになっているこの概念もウルトラセブンから導入されたアイデアだったのです。


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もうあきらからにウルトラマンの歴史のヒーロー像と比較して、亜流というか、毛色が全然違う。


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ウルトラセブンといえば、やっぱりこのアイスラッガーである。セブンの必殺技の中で堂々の人気1位ではないでしょうか。これで相手を切り刻みます。アイスラッガーを放った後、ツルツル坊主頭になるセブンが可愛かったりします。


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ウルトラセブンには胸のところにカラータイマーというのがないです。代わりに新しいアイデアとして出されたのが、この頭のこめかみのところにあるビームランプです。ここから光線をだす必殺技もあります。エメリウム光線、もしくはウルトラビームと呼ばれることもあります。初代ウルトラマンのスペシウム光線にあたる、最もベーシックな決め技の1つといえるでしょう。


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ワイドショットは、アイスラッガー、エメリウム光線に並ぶセブンの切り札ともいえる技です。主に、アイスラッガーやエメリウム光線が効かない相手に対して繰り出されます。


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ウルトラセブンに変身するのがモロボシ・ダンです。森次 晃嗣さんが演じらていました。変身ツールはウルトラアイです。これがカッコいい。森次さんは、同じ男として格好良い男優さんだな~と当時ずっと思っていました。あの時代の、あの当時の二枚目男優スターのイメージって、まさにあういう男優さんでしたね。その代表格のような存在でした。


いい男で、武芸にも秀でているまさに文武両立の模範のような鎌倉武士と言われている畠山重忠公も、草燃えるのときは、森次 晃嗣さんが演じられておられました。まさに適役だと思っていました。(鎌倉殿の13人では、中川大志さんが同じ理由で、まさに適役ということで、いま大人気です!)


ウルトラアイというのがカッコいいですよね。


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アンヌ隊員

ウルトラマン・シリーズでは、必ず紅一点という女性隊員の存在がいます。いまの時代と違って男社会の中で1人女性隊員がいることで華を添えるという感じです。大体主役の恋人というかパートナーという位置づけです。


モロボシ・ダンのパートナーだったのが、アンヌ隊員です。ひし美ゆり子(菱見百合子)さんが演じられていました。好きでした。(笑)子供心に憧れてましたね~。



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やっぱり主役とパートナーは、美男美女のカップルなんですね。モロボシ・ダンとアンヌは、それはそれは様になるカップルでした。



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ウルトラ警備隊


ウルトラセブンの地球防衛組織がウルトラ警備隊です。服装、ユニフォームがすごく格好いいです。隊長のキリヤマ(中山昭二さん)がなつかしいです。


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ウルトラ警備隊の基地

これはおそらく山中にあると思われます。ドラマの中では、きちんとここが基地という明示、紹介はなかったように記憶します。特に基地がここにある、というそういう情報公開はなかったように思います。でもウルトラ警備隊の戦闘機ウルトラホーク1号の発進のシーンは、このように何回も放映され、それは山が切り開いて、そこから発進する感じなのです。


これを子供時代に見た自分は、あ~基地は山中にあるんだな、と思ったのです。



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ウルトラホーク1号

ウルトラ警備隊の戦闘機の1号です。これはあまりにカッコいいではありませんか!今見ても、もう全然古臭くなく洗練されているそのデザイン。ウルトラセブンの格好良さの代名詞、象徴といってもいいアイテムだと思っています。


ウルトラホーク1号は飛行中に分解できたりします。今年はウルトラセブン55周年記念イヤーですので、このウルトラホーク1号のプラモデルが発売されていますね。


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ウルトラホーク2号

あまり登場機会はありませんでしたが、こういうロケットタイプもありました。



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ウルトラホーク3号

どのウルトラマン・シリーズでもそうですが、1号が1番カッコいいです。2号、3号は補助的な役割になります。でもウルトラホーク3号も補助的な役割のわりには、なかなかカッコよくていいなと思っていました。


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ウルトラホーク1号、2号、3号。

まさにウルトラセブンの格好良さを象徴するアイテムだと言っていいでしょう。


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ウルトラ警備隊の車:ポインター

ポインターという名前がカッコいいですね。当時の車を特別仕様とはいえ、このように改装するのはとても大変なことだったと思います。


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ウルトラセブンは、やっぱりウルトラマンと違って、なんかこう毛色が違っていて、すべてにおいて格好良いと思いました。デザイン性が優れているというか。これは自分がそう思うということです。


そしてドラマもストーリーが大人びていて、ちょっとこう暗いというか、独特のムードがあって、明るい感じのウルトラマンとはなんか違っていたような印象をずっと子供の頃から抱いていました。


これはこの日記を書こうと思って、いろいろ調べているときに、わかったことですが、ウルトラセヴンの第12話はいまは放送禁止コンテンツで、没になっているそうですね。



ウルトラセブンが放映された1960~70年代は、放送倫理がとても緩くて「差別用語」や「放送禁止用語」が当たり前に放送されてました。


しかし、ウルトラセブンには放送倫理の緩かった70年代から放送禁止=存在すらなかったものと言うエピソードが存在します。



ウルトラセブン第12話はソフト化すらされる事はありません。実際、放映リストには欠番と横に小さく書かれてるのみです。そして、付け加えるなら今後も解禁はされる事もないのがウルトラセブン第12話なのです。



ウルトラセブン第12話のタイトルは「遊星より愛をこめて」と言います。物語は、こんな感じです。




ある日突然、意識不明になり死亡する女性が続出する。

分析の結果、彼女達は白血球が欠乏する「原爆症」に似た症状で全員死亡していた。

そして、皆メーカーもわからない同じ時計をしていた。

同じ頃に、アンヌ隊員の親友:山辺早苗にも恋人の佐竹=スペル星人を通して

同じ時計が送られようとしていた。しかし、時計を先につけたのは早苗ではなかった。

時計をつけたのは早苗の弟だった。

弟はすぐ時計を外したが気を失う。

佐竹は、時計を持ち帰る。

結果、佐竹は子供の血液の純度が高い事を知る。

そして、矛先を女性から子供に変更しようと計画する。

しかし、その計画はウルトラ警備隊に見破られ

観念したスペル星人が姿を現す。

その後、佐竹は執拗に早苗の弟を

追い回してるところをウルトラ警備隊に発見される。

ウルトラ警備隊に追い詰められた、佐竹は

早苗の前でスペル星人に変身する。

そして、夕陽の中で

ウルトラセブンと対決する。




ウルトラセブン 第12話が欠番となった理由はこういう経緯があったためだそうです。



・妹が遊んでた怪獣じゃんけんカードを姉が発見

・スペル星人の「ひばく」という表現を姉が残酷に思い父に相談

・父が「小学2年生」の編集部に抗議の手紙を書く

・編集部からの返信はなかったが、この事件は新聞報道となる

・円谷プロは新聞報道を重く受け止める

・大問題に発展する前に円谷プロは謝罪

・円谷プロはウルトラセブン第12話を封印すると発表


スペル星人ってこんな感じの怪獣です。


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怪獣じゃんけんカードには、こんな文言が書かれていたそうです。


スペル星人=ひばくせい人、目から怪しい光を出す。


要は原爆、被爆をモチーフにしたところに問題があった訳ですね。スペル星人の写真を見ても、頭の部分とか被爆っぽいイメージが伺うことでき、これが問題ということで、報道で騒がれ、円谷プロが封印した、という事実のようです。


自分は、今回このことを初めて知りました。



ウルトラセブンは、クラシックとも関係があります。


最終回でモロボシ・ダンがアンヌ隊員に対して、自分がウルトラセブンであることを告白して最後の闘いに臨むシーンがあります。そのバックに流れているのが、シューマンのピアノ協奏曲なのです。


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最後の戦いに挑むモロボシ・ダンが、相思相愛のアンヌ隊員に自らがウルトラセブンであることを告げる印象的なシーンに流れるのが、ディヌ・リパッティのピアノ、カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団による、シューマンのピアノ協奏曲であることは、セブンファンなら周知のとおりだ。33歳で夭逝した天才リパッティ、そして鬼気迫るこの演奏は、それでなくても名演でありこれまでも幾度となく再発売されてきた名録音なのである。


自分はこのシーンよく覚えていますよ。子供の頃、すごいメモリアルで印象に残っています。


このシーンはYouTubeに上がってますよ。


シューマンのピアノ協奏曲ってあんな感じの曲調ですから、あの別れのシーンに合うのかなとも思いますが、あの曲のあの部分が使われていたんですね。納得できました。たしかにあの部分であればよく合うような気がします。この曲のあの部分を切り抜くというアイデアを出したスタッフは当時としては凄いセンスだと思いました。


子供の頃はそんなことは当然知りませんでしたね。



今年2022年に、ウルトラセブン55周年記念イヤーとなる今年、いろいろな企画が上がっているみたいですよ。


「ウルトラセブン」55周年記念!玩具では実現不可能とされていた電子回路入り「ウルトラアイ」が遂に登場



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これはすごいですね。欲しいです。ウルトラアイは子供の頃から憧れていました。今の最新の技術ならではの企画ですね。



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というのもあります。


第2弾企画では、アイスラッガーをこういう肩叩きに使えるような(笑)商品も出ているみたいです。楽しいですね。


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まだ第2弾までで、第3弾、第4弾はこれから発表のようです。


ウルトラセブン愛、ウルトラセブンがいかに格好良いか、ずっと熱く語ってきましたが、いかがでしたでしょうか。自分的にはかなり満足しています。すごいスッキリした気分です。


なんかいままでのモヤモヤが全部吹っ飛んだ気持ちです。


今年1年、ウルトラセブンを大いに盛り上げていこう!


そういう決意ができたような気がします。








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空港が好き [航空関連]

前回大好評だった(?)世界各国の空港の写真を紹介しましたが、その後コロナ禍で、投稿者が外国の空港に行くこともほとんどなくなり、いまやそのサイトは、国内の飛行機の機体を写すのみの投稿ばかりという過疎った状態になっているようです。(笑)


しかたがないけど、悲しすぎる。。。


でも自分は、やはり空港がとても好きです。

一種独特の高揚する気持ちになりますね。

ここに来ると、非日常感がいっぱいです。


特に海外旅行のときのあのハイテンション、さぁこれから旅の始まりだ!というなんともワクワクな気持ち。


カートを転がしながら歩いている旅人たち、航空会社のCAやグランドスタッフたちも通りすがる。最高の絵柄ですね。


自分は、昔から空港が大好きです。


自分は実家が北海道なので、帰省には必ず飛行機を使うので、飛行機に乗ること自体、すごく普通のことでした。上京して以来35年以上、ずっと空港、飛行機にはお世話になってきました。


そして海外への旅行とか、空港はすごく身近な存在でした。ヨーロッパにいるときとか、出張や旅行とかで、いろいろな国の空港に行きました。


自分の大切な想い出。


でもコロナ禍になった2020年から、まだ1回も飛行機に乗っていない。実家への帰省も訳あっておこなっていない。来年夏に帰るつもりです。(オヤジの墓参り)


空港は、自分にとって、そんなワクワクなスポットなのだが、コロナ禍になってから一変しましたね。海外からの入国に際してのPCR検査などの検疫で、長蛇の列とか、もうくぐり抜けるまで何時間も待っていないといけないとか、ホテルでの待期期間。一時期のひどさからだいぶ緩和されているみたいですが、なんか気が萎えますね。


国内は行きたいけど、そこまでして海外にはまだ行きたくないという感じです。


そんな負のイメージが先行している昨今の空港ですが、そんなの関係なしで、空港の素晴らしさを語ってみようという主旨です。


空港好きな自分の昨今のうっぷんを晴らす狙いがあります。


海外へは行けないので、国内の空港、羽田空港についてその素晴らしさを紹介していきたいです。


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羽田空港は、成田空港ができる前からの日本の玄関だった歴史ある空港ですが、成田ができた後でも、羽田空港に国際便ができるようになってから人気が再爆発しましたね。


それ以来、羽田空港の正式名称は、「東京国際空港」になりました。


自分も海外は、なるべく羽田を使います。成田遠すぎます。でも海外の航空会社によっては成田を使うので、頻度はケースバイケースです。



羽田空港は世界空港の中で総合評価が2番目にランクされていることを知っていますか?



世界中の航空旅客に対するアンケート。評価項目はアクセス、旅客ターミナルビル、出入国管理、保安検査、チェックイン施設、サイン、搭乗コール、フライト情報システム、空港スタッフ、エアラインラウンジ、洗面所とシャワー設備等々、40を超える項目による総合評価だそう。


ちなみに第1位は例年、シンガポールのチャンギー国際空港だそうです。



羽田空港、総合評価では2位だけど、部門別の評価では、ベスト国内線空港、ベスト清潔空港、ベスト移動サポート空港という評価を受けています。


世界で最も清潔な空港という評価は、これはすごいわかる!羽田空港旅客ターミナルビル会社のビル運営に対して与えられた素晴らしい評価だと思います。特にトイレの清潔さは際立っていますね。


自分は結構海外の空港のトイレと比べると、羽田や成田のトイレはすごい清潔感を感じます。やっぱり日本は清潔だな~と誇りに思います。




羽田空港は第1ターミナルから第3ターミナルまで3つのエリアに分かれており、第1ターミナルは「JAL系」の航空会社が発着するのに対し、第2ターミナルは「ANA系」の航空会社が発着します。そして、第3ターミナルが国際線です。


第3ターミナル国際線、本当にお世話になりました。


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普段、飛行機に乗るためだけに空港に行くなら、チケットカウンター、荷物預け、出発ロビーの待合ベンチで時間待ち、たまにレストラン街で食事・・・そんな感じでしょう。



飛行機に乗るために使うことはあっても、空港自体を目的として訪問することは少ないのではないでしょうか。しかし羽田空港には、さまざまなおすすめスポットがあるんです。


羽田空港って、そんな飛行機に乗らなくても楽しめるスポットがたくさんあります。


じつは羽田空港ってもう全然、デートスポットになるくらいロマンティックなスポットが多いです。自分も調べてみてびっくり驚きました。


ふつうに飛行機で移動するだけなら、とても時間が取れないけれど、彼女とデートのためだけに羽田空港に行くのも全然ありです。そんなスポットがたくさんあります。



この日記を書くために、自分自身が羽田まで行って、自分で取材して自分のカメラで撮ろうと思いましたがやっぱりやめときました。(笑)




●「We are Tokyo」でSNS映え写真を撮ろう


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日本の首都であり、世界から注目される玄関口「東京」。その東京で唯一の国際空港が「羽田第3ターミナル」。そんな第3ターミナルには、この「We are Tokyo」が置かれています。国際線スタッフたちの誇りを象徴するメッセージとして生まれたこのオブジェは、今やSNS映えスポットとしても人気。多くの人がここで写真を撮り合っているんだそう。


これはぜひ記念に撮りたいわ~。




●都内有数の絶景スポット「羽田空港国際線ターミナル 展望デッキ」


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羽田空港の各ターミナルには滑走路を見渡せる展望デッキがあります。ここでは飛行機の離発着を眺められるほか、夕方には真っ赤に染まる街並みと飛行機を、夜にはビルと飛行機のライトが輝く夜景を一望できます。


夜間はデートスポットとしても人気が高いんですよ。


滑走路を見渡せる展望デッキって、ふつうじゃまず行かないでしょう?これはもう全然ロマンティックですね。



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第1ターミナルからは天気が良い日には富士山を見ることができるとか。



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第2ターミナルからは東京湾やスカイツリーを見ることができます。また、夜間の第2ターミナル南側展望デッキは「星屑のステージ」と呼ばれていて、幻想的なライトアップが楽しめます。


レストランもあるため、夜景を眺めながら食事をするのもおすすめです。


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第3ターミナルは、国際線がメインのターミナルなので、海外のエアラインを観賞することができます。また、24時間空いているので、遅い時間や朝早くからでも飛行機を見ることも可能。




●江戸時代にタイムスリップ!?「江戸小路」


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第3ターミナル内には、江戸の街並みを再現した「江戸小路」と呼ばれるショッピング街があります。ここでは人気スイーツや伝統工芸などのお土産もが購入できます。


ここには「江戸黒」と呼ばれた黒漆喰壁で建築された建物や、お茶席のような場所があり、日本の文化と伝統を感じられるので、外国人観光客からも高い人気があります。



ここは全然知らなかったです。ぜひ行ってみたいです。




●パイロット気分を味わえるフライトシュミレーター


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羽田空港国際線旅客ターミナルには、自分がパイロットになった気分を味わえる本格的なフライトシュミレーターがあります。


ここにあるフライトシュミレータがどのくらい本格的なものはわかりませんが、自分はじつはパイロット養成機関学校のフライトシュミレータを体験したことがあります。


これはもう本格的なフライトシュミレータで、右隣に本職のパイロット教官が一緒にいてくれて、教えてもらいながら、操縦するのです。


これは本当に怖かった~~~。


あの操縦席から見える風景って、本当に高所恐怖症というか、自分がいま乗っている機体の巨大観と、自分が舵をとらないと機体が思うように航路を安定させることができない、そんな感じであの恐怖感はハンパないです。


本物のパイロットってこんな中で操縦をしているんだな、と本当に尊敬の眼差しでした。終わった後、自分はヘロヘロでした。





●日本でここだけにしかないプラネタリウムカフェ


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羽田空港国際線旅客ターミナル5階には、日本でここにしかないプラネタリウムカフェ「PLANETARIUM Starry Cafe」があります。ロマンティックな星空を見ながらカフェタイムを楽しめるということで、子供から大人まで大人気となっています。




羽田空港は、ふつうにトランスポートも便利で清潔で素敵な空港ですが、こんな飛行機と関係ないスポットもあったんですね。やっぱり王道は展望デッキですかね?


ほかにも羽田空港と合わせて観光におすすめの人気スポットには、城南島四丁目バス停から徒歩3分のところにある城南島海浜公園や洗足池公園、平和島駅から徒歩約15分の平和の森公園なんかも素敵かも?




情報引用元:


飛行機だけじゃない!羽田空港おすすめスポット5選




【羽田空港の楽しみ方】飛行機に乗らなくても行く価値アリ!空港へ遊びに行こう




自分は、ANA派かJAL派か、と言われれば、もう完璧なまでにANA派です。北海道への帰省は、必ずANAを使います。


なんとなくANAが好きなんですよね。


空港ラウンジって利用したことありますか?


じつは自分は、空港で空港ラウンジを使うのがすごく夢なのです。


空港ラウンジって誰もが使えるわけではないのです。ある限られた特権階級のブルジュアの人だけが使えるところなのです。


空港ラウンジご利用基準というのがあるのです。(笑)


ちなみにANAラウンジの場合、



1 ANAマイレージクラブのプレミアムメンバーか「スーパーフライヤーズカード」を所有する。

2 グレードの高い搭乗クラスを選ぶ

3 「ANA SUITE LOUNGE」ご利用券を入手する

4 クレジットカードの「ANAカードプレミアム」を作る

5 スターアライアンスのゴールドメンバーになる

6 ANAミリオンマイラーの資格を取得する

7 利用料金を支払って利用する


が、ご利用基準になります。なんか目がクラクラしてきました。貧乏庶民の自分は、間違いなく7ですね。3,100円払うと利用できるみたいです。


昔、ドイツでミュンヘンだったか、フランクフルトだったか覚えていないのですが、空港ラウンジを体験したことがあります。もちろんそんなステータスなんてないですから、利用料払ってのことだと思います。


そのANAラウンジ、どんな感じかちょっと紹介してみますね。ブルジュア~~~。


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今度羽田空港に行ったときは、ぜひANAラウンジ体験したいと思います。


じつは、最近なのですが、JALの空港ラウンジでとても気になることがあるのです。


それは羽田空港や成田空港のJALラウンジで提供されているJAL特製オリジナルビーフカレーです。


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JALが羽田空港ならびに成田国際空港の国際線サクララウンジ・JALファーストクラスラウンジで提供する特製ビーフカレー。いわゆるJALの国際線ラウンジのみの提供である。海外出張のときに、この空港カレーをやたらとSNSに写真アップするのをご覧になることも多いだろう。海外出張できる人だけが楽しめる味なのだ。


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こ~れは美味しそうすぎる!

これは絶対うまいよ!


プロの写真はとても上手なので、実際の実物はどうなのかも興味ありますが、この黒カレーでお肉ゴロゴロ、いかにもコクのありそうなカレー。これはウマいだろうな~。


実際のところ、とにかくうまい。ラウンジのオマケとか飾りではなくて、本当にうまい。そこらのカレー屋に行くくらいなら航空チケットを買ってパスポートを持って食べに行きたくなるくらい、よくできている、のだそうだ。それくらいうまいらしい。わかるよ、それ。



まさにカレー屋も真似できない“カレー”作りは、JALの本業とは違ったところで魅力全開である。レシピはもちろん秘密。お米は、山形県産の「はえぬき」という「特A」ランクのお米を使用している。


あのカレーを食べないと海外出張が始まらない! という方も多いのはよくわかる話だ。



このJALラウンジのJAL特製オリジナルビーフカレー、ずいぶん昔から有名なんですかね。自分は最近知ったのです。


自分が知ったのは、このJAL国際ラウンジでしか食べられないJAL特製オリジナルビーフカレーがご家庭でも楽しめるようになりました、という広告で初めて、この空港カレーの存在を知ったのです。


これがJALカレーの宅配版だそうです。買ってみようかしら?


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このカレーを食べたいがために海外旅行するときの飛行機にJALを使って、JALラウンジを体験しますかね?JAL国際線ラウンジで食べてみたいのだが、海外旅行しないといけないというのは、敷居が高すぎるし、なんかどっかのレストランで体験できるといいですね。


空港ラウンジでしか体験できないなんて、JALさんビジネスうますぎると思います。



以前の日記では、海外のいろいろな空港を紹介しましたが、今回は、自分が海外旅行のときに、よく使った空港を想い出に語ってみたいです。主にヨーロッパです。



●ロンドン・ヒースロー空港


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ヒースローってこんなに綺麗でしたっけ?(笑)最近ロンドンに行ったのは2016年ですが、やっぱり大陸からヒースローに到着するとホッとするんですよね。掲示板がすべて英語だから。(笑)自分が住んでいたときから、ヒースローっていまもそんなに変わってなかったです。


ヒースローは、ターミナル間の交通の便、アクセスがやたら不便で、トランジェント、乗り継ぎとかすごく困ります。そのインターバルに相当時間を見積もっていないと、乗り継ぎに間に合わないです。最低でも1時間半は取っておかないとダメですね。入国審査、途中のセキュリティ・チェックとか、やたらと時間かかって、つぎの乗り継ぎまで大変な思いをします。自分はヨーロッパ旅行でも、かなりの頻度でLHR(ロンドン・ヒースロー)経由を使ったことがあるので、これはひとつの経験値でした。


ターミナル間がすごく離れていて、地下鉄とかバスとかで移動します。そしてやたらと連絡通路長く歩きます。とにかく大変だったような思いしかない。


昔、出張で大陸に行くときに、ターミナルを間違えてしまい、離陸までに間に合うかどうか、という試練を汗びっしょりになりながら移動した記憶あります。(ギリギリ間に合いました。)


空港の駐車場も広くて、自分がどこに車を留めておいたのかわからなくなります。昔、会社のスーツケースをこの駐車場に置いたまま、車で自宅まで帰って、スーツケースがないことに気づき、また空港に戻ったら、ちゃんと置いてあったという武勇伝もあります。


ヒースローもいいけど、ガトウィックの空港もよく使いましたね。




●パリ・シャルル・ド・ゴール空港


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自分はこの空港がかなり苦手でした。(笑)なぜそうなるのか、分析したいんだけど、この空港は、必ず迷子になるというか、方向がわからなくなってしまうんですよね。乗り継ぎにこの空港使うと危ないですね。方向感覚を失いやすい、迷子になりやすい、そういう空港構造をしていると思います。ゲートもかなりの数あって、電子掲示板で自分の乗る飛行機のゲートを確認し、そのゲートまで辿り着くのがもうひと苦労なのです。(笑)ゲートを探しているうちに、ヨーロッパではあるあるの、ゲートが突然変わってたりとかで、いつもとんでもハップンです。


でもさすがフランス人らしいモダンでお洒落な空港デザインでそういう点では自分はとても好きな空港でした。空港バスで凱旋門まで行って、そこからメトロでホテル最寄り駅までか、あるいは最初からタクシーでホテルまで、とかですね。




●アムステルダム・スキポール空港


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ここはもう自分の故郷といっていい郷愁の匂いがする空港です。空港のデザインって、やはりその国の国民性がよく表れていますね。ヒースローはロンドンらしいし、シャルル・ド・ゴールはパリらしいし、そしてこのスキポールは本当にオランダ!!!という感じです。あの空港内、特にオランダ語で書かれているあの黄色の掲示板を見ると、そう感じます。


住んでいたとき、アムスに同期の友人がいたので、オランダはよく遊びに行ってました。でもいつも自分が悩むのが、荷物引き取りのベルトコンベアーの場所までたどり着くのが苦労するんですよね。なんか自分が乗ってきた飛行機の荷物が流れるベルトに辿り着くのに、いつも迷ってしまう。


必ず、空港スタッフに聞いていたような記憶しかないです。スキポールというとそんな記憶が何回も鮮明に残っています。この空港に美味しい日本のラーメン屋さんがあった記憶あります。




●ウィーン国際空港


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ここは、ザルツブルクへの乗り継ぎとしてよく使っていた空港ですね。日本からVienna航空の直通便でウィーンまで来て、そこから電車でザルツブルクですね。Vienna航空はオーストリアらしい赤が貴重なお洒落な航空会社です。ウィーンの空港もそんな赤が基調のお洒落な雰囲気が漂う空港でした。いかにも音楽の都、お洒落なウィーンらしいカラーが溢れています。ウィーンに音楽旅行できる日はもう来ないのでしょうか・・・あまりに悲しすぎます。




そのほかにも、もう新空港が出来てしまい、閉鎖されてしまいましたが、ベルリンのテーゲル空港は想い出一杯あります。世界の大都市ベルリンであるにも関わらず、それに似合わないいかにも地方都市の地方空港という感じで、あの空港の狭さ、掲示板のローカルさ加減など微笑ましかったです。


自分がベルリンフィルを聴きに、何回も行ったときも、そのたびに新空港ができる、できると言われながら、なかなか開通しなかったベルリンの新空港。自分はベルリンと言えば、やはりテーゲル空港です。


ベルリンの新空港体験してみたいです。あまりに広すぎてまた迷子になりそうです。


あとは、ベルギーのザーベンタム空港とか、いろいろありますね。


このパスポートは、自分がヨーロッパに住んでいたときに、いろいろなすべての国に行ったときのパスポート。いろいろな国の空港での検印が押されていて、自分の想い出で絶対捨てられないです。


なんでパスポート、赤(10年)じゃなくて青(5年)だったのか、覚えていないです。


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最近の飛行機は、このような翼の端が上に向かって曲がっていますよね。昔はそうでなく、つい最近から、みんな飛行機はこうなりましたね。たぶんこう折り曲げることで、空中での浮力と安定性を増すためなのだと思います。


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はぁぁぁ・・・(溜息)、いまはコロナでとても海外に行きたいとは思わないけど、また自由にいろいろ旅行できる日が来るといいですね。


空港のことを書いたら、すこし気分が明るくなりました。最近、仕事が大変なので。(笑)毎日、頭がプライベート時間への切り替えがうまくできないでいました。


楽しかったです。



私たちもみなさまのご利用、ご搭乗を心からお待ちしております。


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47歳スーザン・ボイル、「夢はプロの歌手になること」 [ミュージカル]

スーザン・ボイルといえば”天使の声”として一世を風靡した。2009年頃。


オーディションを受けたときに、舞台に現れた彼女の垢抜けない外見、そのあまりに冴えない中年女性の容姿、審査員の質問につっかえながら答える姿はいかにも素人くさく、将来の夢を聞かれて「ミュージカル女優のエレイン・ペイジのようなプロ歌手になりたい」と答えたときには、観客席から失笑もあがった。


しかし、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌「夢やぶれて(I Dreamed A Dream)」の最初のワンフレーズを歌う彼女の歌声が会場に響くと審査員は目を丸くし、観客は一瞬息を呑んでから総立ちになり、彼女に割れるような喝采を送った。


会場はスタンディングオベーションとなり、審査員は3人全員が「Yes(合格)」の札を出し、最高の賛辞を贈った。


この番組の模様がYouTubeなどの動画配信サイトに転載されると、9日間で1億回を超える視聴回数を記録し、全世界から注目され、さらにはNHKなど日本メディアにも報じられた。その週のうちにアメリカ・CNNの人気番組「ラリー・キング・ライブ」にも出演し、CDデビューの話も進められた。


中年女性のシンデレラストーリーへの興奮は国境を越え、時代の社会現象のレベルに達した。


この神話は本当である。いまのSNS,Twitter用語でいうならバズるという感じだろうか。当時このオーディションの動画を初めて見たとき、自分はすごい興奮と言うか、涙が出てきてじ~んと感動し、鼓動が収まらなかった。


あきらかにスーザン・ボイルに対して最初からゲテモノ扱いしていた審査員、観客に対して、言葉は悪いけど、ざまぁみろ、見返してやったというような爽快感があった。この動画がバズったのも、この逆転劇があまりに驚きで、その落差が激しくてそれを味わうのが驚きで快感だったのだろう。


それからというもののスーザン・ボイルはシンデレラストーリーまっしぐらである。このオーディション動画とともに、そのシンデレラストーリーに世界中にスーザン旋風が起きた。


その年の2009年に、日本にも招聘され、NHKの紅白歌合戦にも特別ゲスト出演を果たしたのではないだろうか。(これは自分は覚えていないんですよね。)



そのオーディション動画はあとで貼りますので、ぜひ見てほしいです。衝撃で感動しますよ。


そのオーディションを受けたときのスーザン・ボイルの容姿がこれ。


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女性の容姿をとやかく言うのは、いろいろ問題ありと思うが、それにしてもお世辞にも垢ぬけない、冴えない外見で、審査員、観客は完全にバカにしていた。


このオーディションというのは、「ブリテンズ・ゴット・タレント」という番組で、イギリスのテレビ局ITVで放送されている公開オーディション番組。


アメリカNBCのアメリカズ・ゴット・タレントを逆輸入した番組。優勝者にはロイヤル・バラエティー・パフォーマンスの出演権利と賞金25万ポンドが授与される。審査員が3人いて、審査結果として1人ずつコメントとYES/NOを答えていく。最高の栄誉が3人のYES。


そんな番組にでる出場者たちは、きっともっと若くてフォトジニックな若者が多いのだろう。



スコットランド中部のウェスト・ロージアンに位置するブラックバーンで生まれ育ち、教会のボランティアをしながら愛猫と穏やかな日常を過ごしていたスーザンが、イギリスの国民的オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」に出場したのは2009年4月のこと。


髪はボサボサで化粧っ気もなし。中年太りしている47歳の彼女は「プロの歌手になりたい」と意気込みを語るが、審査員は「その夢がかなっていないのはなぜなんだろうね」とゲテモノ扱い。


観客席からは失笑が上がった。


しかし彼女が歌い始めると、声量豊かで表現力のある美しい歌声に誰もが魅了され、会場は総立ちで拍手喝采に。YouTubeを通して世界中の人たちが外見と歌声のギャップに驚愕。


社会現象となった。


番組で準優勝したスーザンは、09年11月にデビュー・アルバムをリリース。15カ国でナンバーワンとなり大みそかには来日して、「第60回紅白歌合戦」に紅組特別応援歌手として出演。代表曲の「夢やぶれて(I Dreamed a Dream)」を披露した。10年11月にリリースされたセカンド・アルバムは、初登場全英・全米両チャートナンバーワンに輝き、世界中にスーザン旋風を巻き起こした。


まさにシンデレラストーリーである。


あの冴えない47歳の中年女性がデビューして、こうなってしまうのである。


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「エレイン・ペイジのような歌手になりたい。」


そうスーザンが答えたときは、審査員、観客とも失笑である。


エレイン・ペイジは、イギリスのミュージカル女優、歌手。メゾソプラノ。 「エビータ」や、「キャッツ」のグリザベラ、「サンセット大通り」のノーマ・デズモンドなど数々の主役で知られる。


後年、エレイン・ペイジとスーザン・ボイルは共演で歌っています。夢が叶ったのです。youtubeにも上がってます。



正式にデビューしてから、スーザン・ボイルは7枚のCDリリースをしているようだ。ちょっとスマホ・ストリーミングで聴いてみた。




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I Dreamed a Dream (夢破れて)


スーザン・ボイルといえばこの曲。自分を世に送り出してくれた曲。このデビューアルバム。これは素晴らしいです。レ・ミゼラブルの「I Dreamed a Dream」は、もうこのミュージカルの中で最高に好きな曲。レ・ミゼラブルを観劇すると、もう涙がドバーと出てしまいますが、特にこの曲を聴くと、そのあまりに美しさに涙腺がゆるゆるになってしまいます。スーザンの出世作。最高だと思います。



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Autum Leaves


ジャズ・スタンダードにもこの曲ありますが、なかなかいいアレンジで珠玉の曲が集まっていて素晴らしいアルバムだと思います。



まさにどん底から夢のような世界を掴んだスーザン・ボイルなのだが、現在はどうなのか。いろいろあり、必ずしもその幸せ絶頂のときをキープしているとは言えなさそうだ。


これは自分の考え方なのだが、不幸にも不遇な生活を余儀なくされていた人にとって、いきなり突然のように大成功が舞い込んできたときに、それを自分の器、キャラが十分吸収できるかどうかなのである。そのまま大成功を続ける人は、貪欲でその大成功をそのまま自分の血肉としてどんどん身に着けていくだけの獰猛さがある。


でも大半の人は、自分の器がその大成功を消化できずに消化不良となり、病んでしまう。人の幸せというのは、自分の器、限界、キャラというのを自分がよく知っているうえで、その範囲内、自分でコントロールできる範囲内での小幸福を長く続けていくというやり方のほうが、じつは自分にとって1番幸せなのではないのか、ということである。


これは自分の最近の悟った真実である。


大成功は必ずしも人を幸せにしない。自分の器とよく相談する、ということである。


スーザン・ボイルの場合、前者であった。突然の大成功に自分の器がついていけなかった。ここでは詳しくは書かないが、かねてからの持病など、いろいろな問題が起こって、現在は静かに暮らしていらっしゃるようだ。


でもオーデション前よりは断然幸せであることは間違いなく、そのまま穏やかに暮らしていけるといいな、と思っています。


それでは、スーザン・ボイルを一気にスターに追い上げた運命のオーディションの動画、紹介します。



現在求職中

大勢の観客の前で歌いたかった。

ここで革命を起こすわ

47歳

3人の審査員、あきれ顔、観客から失笑。

プロの歌手になりたい。

なぜいままで叶わなかった?

機会がなかった。だけどここで変えたい。

誰みたいになりたい。

エレイン・ペイジ

今夜は何を。

レ・ミゼラブルからI dreamed a dreamを

観客から失笑

審査員は余裕の顔、どんな感じ。

歌いだした第1声でもう観客は大歓声。審査員の顔つきが驚きで激変。

歌い込むにつれて、もう大歓声。審査員もスタンディングで拍手。

歌い終わる寸前で、スタンディングオーベーションで大拍手と大歓声。

3人の審査員もオール・スタンディングで拍手。

疑いなく今までで最も大きな衝撃

番組の3年間で

君はそこでにやけながら「エレイン・ペイジになりたい」

みんなが失笑した

もう誰も笑わない

今のは衝撃

歌も素晴らしかった

驚いた

動揺を隠せない

君はどう?

驚いた

なぜならみんな呆れてた

ここにいる皆が鼻で笑っていて

そこに大きな鐘を鳴らした

私は言いたい

ここで聴けたことは間違いなく栄誉

桁外れだった

あの声

驚いた






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続・カバーはいい! [音楽雑感]

スマホ・ストリーミングで、ザッピング、楽曲検索、ちょい聴き、そしてお気に入りに登録、これを大きく利用しているのが、このカバー探しである。


相変わらず毎日、カバー探しに精を出しています。自分はオリジナルよりカバー、カバーにはいろいろなアレンジが存在して、その曲のいろいろな可能性を無限大に拡げる、カバーにはそんな魅力があると思っています。カバーもただ探せばいいという訳ではなく、それを実際聴いてみて、自分の好みのアレンジなのかを、ちょい聴きしないといけません。


自分の好みのアレンジだけをお気に入りに登録していく訳です。


そのためには、高音質なハンディタイプのストリーミング音楽再生機器が欲しいな~といつも思っているのです。


前回の日記で、名曲中の名曲:What a Wonderful World(この素晴らしき世界)のカバーを紹介しました。ほんとにこの曲のカバーはごまんとあって、もっともっと掘り下げてみたくなりました。


前回の日記で紹介できなかったこの曲のカバーで、すごい魅力的な曲をまた紹介していきたいと思います。




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ケイコ・リーのWhat A Wonderful World


自分がカバーの素晴らしさを訴えたとき、まず頭に過ぎったのが、ケイコ・リーさんやakikoさんのようなジャズ・シンガーたちであった。


ジャズの世界もカバーの世界なのである。



「ジャズ」は奴隷だった人たちがアフリカの音楽を変化させたことが始まりとされている。世界的ジャズミュージシャンとして知られるようになるルイ・アームストロングが生まれたのもルイジアナ州である。


そう!ルイ・アームストロングこそ、この名曲、What a Wonderful Worldのオリジネーターなのである。もともとルイジアナ州は奴隷制度の中心だったことがある。


我々のような音楽ファンにとって注目すべきは、やはりルイジアナ州のニューオリンズは、ジャズ発祥の地ということだ。


せっかくなのだから、そのジャズのルーツとなった歴史をここで紹介してみたいと思う。




・ジャズの発祥の地は、なぜニューオリンズだったのか?


無職だからありあわせの楽器を弾くことにした。


ジャズ発祥の地は、アメリカ南部の港町ルイジアナ州・ニューオーリンズ。


南部の黒人奴隷たちは南北戦争を経て、1863年に自由を手に入れた。しかし自由になったのはいいのだが、食べていくためには自分で稼がなければならない。


当時のニューオーリンズは、アメリカ政府公認の娼館がある唯一の歓楽都市であった。奴隷解放によって仕事を求めた黒人たちは、ダンスホールや酒場などのBGMとして歌ったり、楽器演奏をして生活することにした。これが「ジャズ」の始まりである。


・無職なのに、高価な楽器はどこで調達したのか?


その理由は簡単。南北戦争後ということもあり、南軍の軍楽隊のものがニューオーリンズにあふれ、二束三文で売られていたから。


ジャズの楽器が、ピアノやドラム、トランペットやサックスなのも、元はと言えば軍隊のマーチングなどに使われていた楽器を流用していたからである。



・ジャズのアドリブ(即興)の源流は?



当時、音楽の教育をしっかり受けている黒人は、ほとんどいない。そのため大多数の黒人は、楽譜を読むことができなかった。当時人気のあったトランペット奏者でさえ、そうだったといわれている。


そこで、初期のジャズメンたちは酒場などの営業が終わった早朝に、作曲家やピアニストの演奏を耳コピして曲を覚えていったのだ。


何回も演奏しているうちに、うろ覚えの部分がそれぞれのパートのフレーズで補完され、どんどん違う音楽になっていく。


演奏者のアドリブ次第で同じ曲でも様々なアレンジがされるため、このジャズの自由さの源流は、初期の演奏者たちが譜面を読めなかったことに由来しているのかもしれない。


またニューオーリンズは、様々な人種が何世代もつながることで、多様な文化を形成していた。それは音楽にも作用し、子供の頃から耳に馴染んでいたアフリカの宗教音楽を始め、スペインのハバネラ、フランスの民謡、時にはクラシックまで多種多様な音楽を取り込み、独自のリズムを作りだしていったのだ。


・ニューオーリンズ・ジャズがアメリカ全土へ



華々しく栄えたニューオーリンズの発展にも陰りが見えてくる。きっかけは、歓楽街ストーリーヴィルの閉鎖である。1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、軍規の乱れを気にした海軍長官によって、強制的に閉鎖されていった。


これにより職を失ったジャズミュージシャンたちは、新たな活躍の場を求めて北上していくことになる。ここから、ニューオーリンズのジャズがアメリカ全土に広がっていくこととなったのである。



だからこういうジャズ史の中で、そのジャズ音楽のありようとして、1920年代から始まり、1950年代に至るまで、そしてその後年というように、ジャズにはスタンダードナンバーというのが存在し、それ中心に動いていく。


ジャズ・スタンダードとは、ジャズ・ミュージシャンのレパートリーの重要な部分を占める楽曲であり、ジャズ・ミュージシャンに広く知られ、演奏され、録音され、聴衆に広く知られたものである。


決定的なジャズ・スタンダードの一覧と言ったものは存在せず、スタンダード・ナンバーは時代と共に変化する。


ジャズこそが、その当時のスタンダード・ナンバーというのを手を変え品を変え、アレンジを変えていき自由即興的なアドリブを加えていきカバーを楽しんでいく、そういう原点の世界のような気がするのだ。


ジャズとはそういう世界なのである。


スタンダードナンバーは、もちろんジャズのオリジナル曲だけではない。後年になってからは、ポップスやロックの人気ヒット曲、あるいはクラシックに至るまで、そのターゲットは幅広い。スタンダード・ナンバーにはありとあらゆる可能性の曲があって、それを独自のアレンジで、自分のカラーにしていくのがジャズの世界なのである。


自分は、そのことをケイコ・リーさんやakikoさんのアルバムや、ジャズ・ライブレストランでの実際のライブで学んだのだ。2004年~おそらく2013年頃まで。まさに彼女たちのライブに湯水のようにお金を注ぎ込んだ。


そして得られた自分の血肉であり、大事な経験値なのだ。


だからカバーはいい!という日記を書いたとき、まず思い浮かべたのが、彼女たちであった。


その、ケイコ・リーさんがWhat A Wonderful Worldをカバーしているのは至極当然だな、と思った。そして自分はこれが納めているSACDアルバムを持っていると思う。


聴いたことあるアレンジだし、聴いていて懐かしい感じがしたからである。絶対持ってますね。じっくり静かに歌い上げるスローなアレンジでした。これもケイコ・リーの歌い方の魅力です。




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中島美嘉のWhat A Wonderful World



中島美嘉さんはあまり普段聴いたことがないですが、独特の声質と歌い方ですね。これはカリスマありますね。息継ぎのブレスとか、吐き出すような発声方法など、独特のカラーでオリジナリティとカリスマあると思います。人気があるのがよくわかるような気がします。中島美嘉さんのWhat a Wonderful Worldは、まさに中島美嘉の世界という感じがします。素晴らしいです。



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スーザン・ボイルのWhat a Wonderful World



スーザン・ボイルは有名ですね。その天使のような歌声で一斉を風靡しました。


世に知られるのにすごい逸話があり、その中年女性のシンデレラストーリーは世界中を驚かせました。



スーザンは2009年4月11日に放送されたイギリスの素人オーディション番組、「ブリテンズ・ゴット・タレント」第3シーズンの初回に出場した。


舞台に現れた彼女の垢抜けない外見や、審査員の質問につっかえながら答える姿はいかにも素人くさく、将来の夢を聞かれて「ミュージカル女優のエレイン・ペイジのようなプロ歌手になりたい」と答えたときには、観客席から失笑もあがった。


しかし、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌「夢やぶれて(I Dreamed A Dream)」の最初のワンフレーズを歌う彼女の歌声が会場に響くと審査員は目を丸くし、観客は一瞬息を呑んでから総立ちになり、彼女に割れるような喝采を送った。


会場はスタンディングオベーションとなり、審査員は3人全員が「Yes(合格)」の札を出し、最高の賛辞を贈った。


この番組の模様がYouTubeなどの動画配信サイトに転載されると、9日間で1億回を超える視聴回数を記録し、全世界から注目され、さらにはNHKなど日本メディアにも報じられた。その週のうちにアメリカ・CNNの人気番組「ラリー・キング・ライブ」にも出演し、CDデビューの話も進められた。


中年女性のシンデレラストーリーへの興奮は国境を越え、時代の社会現象のレベルに達した。


この騒動はよく覚えていますね。一見見栄えが悪い中年女性(失礼)なのに、ひとたび発声すると天使の歌声。そのギャップに驚きとしかいいようがなかったです。


スーザン・ボイルの歌うWhat a Wonderful Worldは、彼女の透明感があって声量のある素晴らしい歌唱でしたが、かなりエコーをかけているというか、美しさを出すための録音技師の施しがあるように感じました。


そこまでしなくても彼女の素声でも全然十分なのに、という感じです。



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槇原敬之のWHAT A WONDERFUL WORLD


マッキーのWhat a Wonderful Worldは、まさにマッキーらしいカバーでした。ちょっとタメがあってスローテンポでマッキーのあの率直でストレートな歌い方がよく似合うアレンジです。カバーというのは、いかに自分のスタイルに持っていくか、ということなのだと思います。それを強く感じた曲でした。



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渡辺美里のWHAT A WONDERFUL WORLD



渡辺美里さんもよく聴いていましたな~。自分は1990年代は、部屋にソニーのミニコンポを買ってCD→MDにダビングできるコンポで、この渡辺美里、広瀬香美とかよく聴いていました。1990年代は自分にとってJ-POPSの全盛時代でした。当時のイメージはまったく変わっておらず、渡辺美里のWhat a Wonderful Worldでした。あのバリバリで元気がでる歌い方です。



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東京スカパラダイスオーケストラのWhat A Wonderful World



自分は東京スカパラダイスオーケストラは名前はよく存じ上げていましたが、実際聴いたことがなかったです。いわゆるスカバンドとして、自分に縁遠いとしてあまり聴こうともしていなかったところがあるかもしれません。


ところがちょい聴きしてみると、なんでしょう!このノリ。(笑)まさにスカバンドで、ファンキーで独特のリズム感。もういっぺんに虜になりました。こういうWhat a Wonderful Worldがあるのか!という驚きです。ふつうこの曲というのは、静かに綺麗に歌い上げて、そのメローな美しさを堪能する曲調アレンジが多いと思うのですが、こういうスカ・リズムというか、独特のカッティングリズムで刻まれていくWhat a Wonderful Worldは最高に素敵だと思いました。今回発見したカバーの中では、自分の1番のお気に入りになりました。




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KONISHIKIのWHAT A WONDERFUL WORLD


KONOSHIKIも出していました。(笑)いやぁ、これはこれでなかなか素晴らしいですよ。もう完全なハワイアンです。ウクレレの伴奏で。うまいとは言えないかもしれないけど、素朴で実直なKONISHIKI・WORLDが広がっていて素晴らしい作品だと思いました。



以上が2回に渡って特集してきたWhat a Wonderful Worldのカバーの特集でした。


番外編として、この曲のカバーを探していると、Spotify Radioの機能で楽曲の特徴が似ている曲をラジオのように流してリコメンドしてくる曲の中で素敵な曲があったので3曲ほどあったので、お勧めしておきます。



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矢野沙織のSing Sing Sing


「シング・シング・シング」(原題:Sing, Sing, Sing (With a Swing))は1936年に発表された曲。ジャズ歌手、トランペット奏者のルイ・プリマが作曲した曲。この曲はスウィング・ジャズの代表曲の一つとして知られており、ビッグバンドやスウィング演奏家の間でよく演奏されている。


この曲は絶対誰もが聴いたことがあると思いますよ。それだけ超有名な曲です。まさにスウィングする感じで、もうノリノリです。


これを矢野沙織が歌う。自分は存じ上げませんでしたが、矢野 沙織さんは、東京都大田区出身のジャズミュージシャン。アルトサクソフォーン奏者。


Sing Sing Singで歌う英語がメチャメチャカッコいいです。このアレンジのカバー、ぜひ聴いてみてほしいです。自分は一気に虜になりました。



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畠山美由紀の涙が欲しいのに



What a Wonderful Worldからの類似楽曲解析で、なんでこの曲が選ばれてくるのかわかりませんが、これが素晴らしいいい曲なんですね~。



畠山 美由紀さんは、宮城県気仙沼市出身のシンガーソングライターである。もちろん自分は知りませんでした。


1991年(平成3年)、高校卒業を機に上京。10人編成バンドDouble Famousや男女ユニットPort of Notesでボーカルを担当。並行して2001年(平成13年)9月にソロ・デビューした。また同年、「リアスさんりく気仙沼大使」を委嘱された。2016年(平成28年)には「みやぎ絆大使」も委嘱された。


いま業界でどれくらいの知名度なのでしょうか。まだ埋もれているダイヤモンド原石なのかもしれませんね。


「涙が欲しいのに」は2003年の曲。いい曲だと思うし、いい歌手だと思います。ストリーミングでは、こういう未知数の歌手と出会うことが容易くなりますね。ストリーミングは宝物発見のためのツールと言っていいですね。




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Cloudberry JamのNothing to Declare



この曲はカッコいい曲ですね。1聴しただけで、いっぺんにカッコいいな~と思い一目ぼれしました。Cloudberry Jamはスウェーデン・リンシェーピング出身のポップ・バンドだそうです。かなりカッコいい曲です。ストリーミングはこういうたまたまの出会いでこんな素敵な曲に出会えますね。



カバーはその曲の無限大の可能性を拡げるし、いろいろなアレンジでその魅力を再発見するそんなチャンスにもなると思います。これからも一生懸命カバーを探していこうと思っています。


そのためには、スマホのストリーミングがツールになりますが、スマホではなく内蔵スピーカーありの高音質再生できる携帯型音楽再生装置を熱望したいところです。












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もっと高音質なハンディ型ストリーミング再生を [オーディオ]

最近、音楽をオーディオのメイン・システムで聴かなくなった。オーディオ・システムのスィッチを入れることがほとんどなくなったのだ。いまやスマホでストリーミングで全部事足りる。もちろんクラシックを聴くときは、システムで聴くが、最近クラシックをオーディオでじっくり聴くということも少なくなった。新譜がでたときと、コンサート前の予習のときくらい。
                                                    
別に心変わりしたわけでもなく、クラシック愛は続いているのだが、最近はJ-POPSをストリーミングで聴いているほうが圧倒的に多い。長年ずっとクラシックを聴いてきたので、ちょっと気分転換しています。
                                                  
MacBookProのノートPCを立ち上げてストリーミングをやるのはもう死語といっていい。高級DACも欲しいとは思わなくなった。
                                                  
ストリーミングの命は、その楽曲検索の操作性にあると思う。ちゃちゃとザッピングしていって、どんどん好きな曲を、見知らぬ曲の大海の中から探し出していく、そういう手軽さが今後のストリーミング機器のmandatoryな機能だと思うのだ。
                                                   
そうするとスマホでストリーミングをやるのが1番適していて、1番音楽を楽しむのに便利だということを痛感する。ソファやベッドで寝転がりながら、スマホでちゃちゃと検索していき、音楽を楽しむ。
                                                   
これを1度覚えたら、もうやめられません。
                                                   
ノートPCのPCオーディオ・システムだと、わざわざそのノートPCのところに体を持って行って、そこで楽曲検索しないといけないだろう。それはもうあり得ないと思うのである。
                                                   
ストリーミングの利用で大きなウエイトを占めるのがザッピング、楽曲検索、ちょい聴き、そしてお気に入りに登録、ここだと思うからである。
                                                   
ただ、スマホは音が悪い。(笑)
                                                   
スマホのあの音質なんとかならんものか、と、あのシャリシャリでヒス音いっぱいのあの音を聴くたびに思う。スマホは便利なんだけど、もともとは音楽を聴くためのものじゃないから仕方がないといえば仕方がない。
                                                   
操作性便利で、ストリーミングを高音質で楽しめないものか?
                                                   
自分はかねてより存在を知っていたソニーのストリーミング・ウォークマンを買おうと決心した。ストリーミング専用のウォークマンである。ウォークマンであれば、音質は、スマホより全然いいだろう。音楽再生専用に作られているから、再生回路にきちんとお金をかけている。
                                                   
SpotifyやAmazon Music HDにも対応しているから、もう全然十分であろう。
                                                   
さっそくネットで物色してみた。
                                                   
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たしかにいいのだが、自分用途として特殊な事情があって、ダメだということがわかった。
                                                   
それは内蔵スピーカーがついていないことだ。いわゆるイヤホンやヘッドホンで聴くことが前提なのだ。
                                                   
                                                   
自分は密閉型のインナータイプのオーディオは耳を悪くするので、今後はいっさいやらないことにしている。長年通勤で電車の中で大音量でiPodで音楽を聴いてきたから、耳が難聴気味で耳鳴りでおかしくなり、慌ててやめた。
                                                   
自分が欲しいのはハンディ・タイプのストリーミング音楽再生機器で、イヤホンやヘッドホンでも聴けるけど、それなしでもスマホのように音楽を聴けるシステムが欲しい。もちろん音楽専用機器なのだから、スマホで音楽を聴いているより、全然音がいい。そんなのを望んでいる。
                                                   
外で使うときや、ご家庭のある方は、家族に迷惑をかけないようにイヤホンやヘッドホンが必要だと思うが、自分のように外でイヤホンで使うことをせず、家の中で1人で音を出して聴くような、そんな音楽携帯機器が欲しいのだ。高音質再生で。
                                                   
音楽を鳴らすという点ではスピーカーの設計回路のゴージャスさというのはとても大事である。ここに力を入れるほどいい音で聴ける。
                                                   
それをハンディタイプの内蔵スピーカーで我慢させようとすると、やはり音質的に犠牲になるのではないか。現在のストリーミング・ウォークマンで、内蔵スピーカーを対応させていないのは、せっかくイヤホンやヘッドホンで360RAまでも実現させて、最高音質を実現しているのに、それをそんなにお金のかけられない内蔵スピーカーを搭載してまで、音質をそれよりも劣化させることに我慢ならんのだろう。360RAはイヤホン、ヘッドホンで実現できる世界だ。これを普通の内蔵スピーカーで実現するのは無理なんだろう。そこまでして内蔵スピーカーをつけることに魅力を感じないのだと思う。
                                                   
それはメーカーとして当然の考え方だ。
                                                   
でもイヤホンやヘッドホンで耳を傷めることがイヤで使えないユーザーもいるので、そういう人用としてぜひ内蔵スピーカー、それに高音質再生に特化したストリーミング・ウォークマンを実現してほしい。
                                                   
内蔵スピーカー設計にいかに工夫を及ぼすか、そこがキーである。
                                                   
これがいまの自分の切なる願いである。
                                                   
あとは、PCオーディオのメインのシステムであるMacBookPro+USB-DACを立ち上げて、メインのオーディオ・システムも立ち上げて、スマホをあくまでリモコンのように扱えるような仕組み。ザッピングなどの選曲は、好きなくつろいだ場所でやり、全部スマホでやる。そしてそのコマンドをワイヤレスでそのメイン・システムのほうに転送できて、実際音を鳴らすのはメイン・システムのほうのいい音で聴く。
                                                   
こんな感じをイメージしている。
                                                   
でもこれはわざわざPCオーディオや、メインのオーディオ・システムのスィッチを全部オンにしないといけないので、面倒である。ハンディな高音質再生の携帯音楽再生機器のほうが、全然使いやすいように思うのである。
                                                   
もういまやスマホのような携帯機器でストリーミングの検索、そして再生というのが大きな潮流のような気がする。自分が実際体験してみて、もう圧倒的な利便性を感じるからである。
                                                   
もういまさらノートPC+USB-DAC+メイン・システムには戻れない。もうそれは古い骨董品のような時代遅れなシステムのような感じがしてしまうくらいである。
                                                   
                                                   
                                                   

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イッセイミヤケの制服 [雑感]

オリビア・ニュートンジョンのご逝去は、やはりショックだった。自分の世代だと中学生のときですね。湖面から顔を出している「水のなかの妖精」のレコードは、自分も中学生時代の少ないお小遣いで買いましたとも。とても大切に何回も何回も繰り返して聴いていたな。宝物でした。


ジョリーンでしたかね。当時の一世を風靡していました。


その後の「フィジカル」とかジョン・トラボルタとの映画「グリース」のときになったら、もはや自分は卒業していたんですけどね。(笑)


いま自分のSNSのTLは、オリビアの動画が洪水のように流れている。オリビアは本当にしばらくご無沙汰していたんだけど、ひさしぶりに近影を見て、驚いた。


すごく綺麗なんだよね。


スタイルも変化がなく、品があって美人のていが変わっていなかった。本当にいい歳の取り方をしていたんだな、と驚きました。


人間歳を重ねていくなら、こういう歳の取り方をしたいものだと思いました。


自分の時代のスターの象徴でした。

謹んでご冥福をお祈りをしたいと思います。


それと同時に、デザイナーのイッセイミヤケ(三宅一生)氏の残念なご逝去のニュースがあった。


ファッション、お洒落な人生とは、まったく縁のなかった自分の人生にイッセイミヤケ氏は、1点だけ接点がある。


そうか・・・イッセイミヤケ氏も亡くなったか。いろいろ思うところもあり、自分の社会人人生をスタートさせた頃を思い出した。


1987年の頃のソニーの制服。


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この頃にソニーのこの制服に見覚えがある人は、ほとんどいないだろう。技術メーカーなどは、おそらくいまやどこでも私服OKだと思うのだが、自分が上京して東京で生活をスタートさせた1987年、ソニーには社内で着用を義務付ける制服があったのだ。


この制服が、イッセイミヤケ・デザインだったのだ。


全体の色合いは、ベージュ。そして縁が赤いラインの縁取りがされているのだ。袖のところは着脱可能な仕組みになっていて、ふつうは袖をとって、いわゆるベスト、チョッキという感じで着ている人が大半だった。自分もベストとして使っていた。


ポッケが大きく、自分はそこに放送に関する業務をしていたので、世界の放送方式、周波数プランが記載されたポケット帳をいつも忍ばせていた。チューナ開発担当者のマナーであった。


自分はそのときは、社服、制服にとりたて拒否反応があった訳ではなかったが、このソニーの制服にはそんなに拒否反応がなかった。さすがイッセイミヤケのデザインだな、と思っていたところもあった。


大学を卒業したばかりの23歳の若造にとっても、いまから35年前であっても、”イッセイミヤケ”といったら、世界のブランドだったのだ。


入社した1987年から、おそらく3年くらい経ったころだろうか。社内での制服は禁止になって、私服でよいことになった。そのときにこの制服を会社に返したのかどうか覚えていないのだが、もちろんいまは手元には残っていない。


世の中の企業は、それこそいろいろなドレスコードがあるに違いない。外様と接する機会の多い営業関連などスーツであるところも多いだろう。


オフィスで着用する服装には、必ずどこの企業でもドレスコードが決まっているのだ。必ず、その企業の精神、考え方にあったドレスコードが規定されている。


技術メーカー、電機メーカーのような技術者中心の企業の社員のドレスコードは、もういまや私服があたりまえではないだろうか?技術者はお洒落が苦手なのと(笑)、作業をやったりするときに動きやすい日常の普段着が一番楽でいい。服装にあまり気を使わないで、楽な日常の普段着だと、頭の回転にもすごくいい。服装をきちんとしていると頭が緊縮する感じでのびのびできないのだ。技術者には普段着が仕事の効率という点でいちばん能率的なのだ。


米国のITベンチャー企業などは、もうジーンズにポロシャツをジーンズの外に出すというカジュアルな感じがあたりまえだろう。


自分のいまの会社も転職当時は、制服があったんですよね。べつに強制ではなく着たい人が着る、という感じ。自分はこの制服がすごく嫌でたまらなかった。(笑)冴えないんだよね。


その後統合後に、制服も禁止で私服でOKになった。


自分には、やはり制服には拒絶反応があると思う。精神的な拒絶反応。フロア内で、誰もが画一された同じファッションで統一化されている。これは自由主義の世界の精神に反する。精神的に苦痛である。そんな印象がある。


製造業の場合、工場の場合は、衛生関連、安全面などもろもろの理由でおそらく制服着用の義務があると思う。もちろんそれはそれで仕方がない。そうあるべきだと思う。


自分は企業人の人生35年間、この社の制服を着ていた時代を除いて、すべて私服であった。オール会社生活を全部私服で通せたのは、本当に幸せとしかいいようがない。ラッキーだったと思う。


いま考えれば、もしスーツを毎日着ていかないといけない職場だったら、それこそ大変だったろうな、と思ってしまう。



私服と言ってもなんでも自由という訳ではない。私服の中でも、さらにその企業の社風にふさわしいドレスコードが決まっているのだ。


いまの会社だと、やはりシャツはきちんと襟がついたものを着ること。カラーシャツはあまり派手なのはダメかな。襟のない丸首のTシャツとかダメである。そしてシャツは必ずズボンの中に入れること。


若者文化のシャツをズボンの外に出すラフなスタイルも禁止である。私服とはいえ、それなりに企業人にふさわしいスタイルを要請される。


そして在宅勤務の時代。そのドレスコードもさらに緩和というか、ないものに等しくなり、出社するときに気を付けるという頻度になった。


もちろん自分にもスーツで通っていた時代もあるのだ。ロンドンのオフィスに勤務していたとき、もちろん技術系企業であるにも関わらず、エンジニアであるにも関わらず、そこのドレスコードはビシッとスーツなのだ。


オフィスでPC端末を操作しているときは、ジャケットは脱いで、純白のYシャツにネクタイ。その風景の中で仕事をしていたとき、いや~~これはやっぱりイギリス紳士の国なんだな、というような妙な腹落ち感があったものなのだ。イギリス人は、やはり誇り高きというか、Gentlemanであれ!というような英国人特有のキザさがあって、それが妙に様になっているのだ。ここはイギリスのオフィスなんだな、ということで自分はとても納得感があった。


そりゃ大変でしたよ。毎日スーツ、Yシャツにネクタイ。スペアを用意したりお金もかかりました。


そんな想い出もあった。


やっぱり私服が楽です。


自分は、スーツのようなフォーマルな制服が嫌いか、というと全然そんなこともない。


女性の紺のジャケット姿(別に紺でなくてもいいですが。)など、すごく素敵だと思います。昔からの自分の感覚なんだけど、女性のジャケット姿はとても自分には知的で格好良く映ってしまいます。男性のスーツ姿やジャケット姿はあまりに普通過ぎて全然感じないのだけど、女性のジャケット姿はかなりそそられます。女性からすると、紺のジャケットなどリクルート・スーツとしてオシャレ感覚もまったくない問題外の服装なのかもしれませんが、自分は正反対。全然惹かれます。


ここ最近、自分は秘かに思っていることなんですが、自分はひょっとして制服フェチなのかもしれない、と考え込んでいるところです。


コンサートホールのレセプショニストや、航空会社のCAなど、その凛々しい制服姿に、自分はかなりきてしまいます。相当ゾクっとさせられます。首にスカーフというのが最高に素敵です。


ある意味、この制服ファッションは、女性の特権だと思っています。その職種の女性の特権だと思います。しかも女性であれば誰でも似合うという訳でなく、スタイル含め限られた人の特権なんだと感じます。


男性の制服姿は普通っぽすぎてなんにも感じないのですが。(笑)


そういうこともあって、制服が似合う企業というのも世の中にはたくさんあり、自分はそれはそれで尊敬の念を抱いています。



ソニーの制服から始まったこの話。


結局、イッセイミヤケ(三宅一生)氏のご冥福をお祈りしたいということが主旨なのでした。世界中に多大な影響をおよぼし、ファッション界にひとつの時代を築いたと思います。


安らかにお眠りください。


R.I.P.






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What a Wonderful World [音楽雑感]

邦題「この素晴らしき世界」。What a Wonderful World。おそらく誰もが耳にしたことがある名曲中の名曲。テレビのコマーシャルでよく使われている。しわがれ声の黒人の男性が渋く歌う。じつにいい曲ですなぁ。後世に言い伝えられる名曲というのは、まさにこういう曲のことをいいますね。


そして世のじつに多くの歌手がカバーを歌っている。いまの世には本当にたくさんのアレンジのカバー曲が出ているのだ。


不滅の名曲とはまさにこういう曲のことをいう。


What a Wonderful World(この素晴らしき世界)は、1967年のルイ・アームストロングの楽曲。作詞・作曲はジョージ・ダグラス(音楽プロデューサーのボブ・シールのペンネーム)とジョージ・デヴィッド・ワイス。


この曲のオリジナルが、ルイ・アームストロングが歌うバージョン。


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しわがれ声の黒人の男性が歌う・・・まさにルイ・アームストロングが歌っているのです。


シールはベトナム戦争を嘆き、平和な世界を夢見て、この曲を書いたという。アメリカ合衆国では中ヒット止まりだったが、全英チャートで1位となった。1968年には、同名のアルバムもリリースされた。


その後、1987年のアメリカ映画「グッドモーニング, ベトナム」で、戦時中の南ベトナムの牧歌的田園風景とその中で起きるテロや空爆等戦場の現実を映す印象的なシークエンスにBGMとして起用され、全米32位というリバイバル・ヒットとなった。また、1995年の映画「12モンキーズ」でも、エンディングテーマとして用いられている。


日本ではホンダ・シビック(3代目)や東海東京証券、東京海上日動火災保険、ソニー、ソフトバンクモバイルなどのテレビコマーシャルに起用されたことがある。また、映画「スウィングガールズ」のワンシーンやBS-TBS制作の「湯のまち放浪記」のエンディングテーマでも流れた。


2021年9月5日に行われた2020年東京パラリンピックの閉会式では聖火納火時のフィナーレとして使用された。


テレビのコマーシャルでは、この曲は本当に耳にしますよね。自分は、ルイ・アームストロングのオリジナル・バージョンでなんかウィスキーのCMがなんか記憶に強く残っているんだけど、記憶違いだったかな・・・。


本当にじつにいい曲だな~と思うんだけど、商業的な成功にはそんなに恵まれていたとはいえなかった。


後世に語り継がれていく名曲というのは、多くの歌手によってカバーされるということも意味している。


この曲をカバーした歌手は、海外アーティストで17人、国内アーティストで21人。ここではその歌手リストはあげないけど、本当に蒼々たるメンバーがカバーしている。



以前にも書いたけれど、そしてこれはある意味、音楽好きの自分の昔からのひとつの拘り、発見した規則みたいなものがあって、カバー曲は、オリジナルを遥かに超える!というもの。もちろんオリジナルも魅力的なのだけど、カバーは本当にいろいろなアレンジがあって、その曲の魅力を大きく広げているのはカバーなんじゃないかな、と思うことだ。


カバーは本当に素敵だ。


自分は素敵な曲をカバーで聴くのがなによりも大好きなのだ。

カバーを探して聴くのが趣味と言っていい。


昔はカバーを探すのはとても大変だったけれど、ストリーミングの時代になって、めちゃめちゃ簡単になった。自分は、ストリーミングはしっかり音楽を聴くため、というよりは、スマホでちゃちゃと検索して、カバーを探すために使っているといってもいい。


What a Wonderful World (この素晴らしき世界)をスマホのSpotifyでカバーを検索すると、もうごまんと出てくるのだけれど、その中で、これは素晴らしい、じつにいいアレンジと思うのが、このリストである。


いま、このリストでスマホのSpotifyでWhat a Wonderful Worldを聴くのが、なによりの日課で毎日の楽しみなのだ。


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レニー・オルステッド What a Wonderful World


レニー・オルステッド(1989年6月18日生)は、アメリカの女優、歌手。幼少期から女優として活躍し、CBSのシットコム「スティル・スタンディング」やドラマ「The Secret Life of the American Teenager」のマディソン・クーパースタイン役でよく知られているそうだ。さらに、彼女は主にジャズ音楽の4つのスタジオアルバムを録音している。


知らない歌手だが、この人が歌うWhat a Wonderful Worldが最高に素晴らしい。この曲は、オリジナルはしわがれた黒人男性の声が象徴的なんだけど、この曲を女性ボーカルが歌うとこれがじつに素晴らしんだな。自分は女性ボーカルのほうが好きかもしれない。この曲に女性ボーカルはすごく合うと思う。


このレニー・オルステッドが歌うWhat a Wonderful Worldは、ちょっとけだるい感じで、ちょっとこぶしがまわる感じでジャジーでセクシーなのです。この曲のまた違った世界を見ることができるのだ。


これは大発見だったなー。このリストの中で五輪真弓さんのと並ぶ自分が1番好きなカバーです。



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ケイティ・メルア What a Wonerful World


この歌手も自分の知らない歌手。


ケイティ・メルア(1984年9月16日生まれ)は、グルジア出身のイギリスのシンガーソングライター。


2004年デビューアルバム「コール・オフ・ザ・サーチ」を発表。その洗練美と透明感を標榜する歌声で人気が爆発し、全英アルバム・チャートで6週No.1に輝く。 その後、エリザベス2世女王列席の英国恒例チャリティ・イベント「Royal Variety Performance」に出演、女王から最大級の賛辞の言葉を受けた。続く2ndアルバムは欧州各国でゴールド、プラチナ・ディスクに認定。2006年英国人女性アーティストとして最多セールスを記録し、全世界での累計セールスは750万枚を超える。


すごい歌手なんですね。こちらは一転ちょっとスローテンポで、色艶のある雰囲気のある歌い方。こういうスローテンポも女性ボーカルだとカッコいいんだよね。もう最高です。



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ロッド・スチュアート What a Wonderful World


ロッド・スチュアート知ってますか?(笑)もう我々の世代を代表するロック・スターの代表格でした。格好良くて、セクシーで、あのハスキーボイスが溜まりませんでした。


ロッド・スチュアートのハスキーボイスが歌うWhat a Woderful World。これまた最高なんだな~。やっぱりハスキーボイスってこの曲を映えさせるというか、じつに素晴らしい。格好良すぎるよ、この曲。



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平井堅 What a Woderful World


平井堅さんもこの曲のカバーを出していました。平井堅さんのアレンジは他とかなり違います。なんかこれこそ平井堅さんの曲という感じです。あのチクタクの曲と間違うような感じです。これはこれでまたすごい魅力的なんですよね。この名曲も平井堅さんの手にかかれば、あっという間に平井さんの曲になってしまうから不思議です。



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五輪真弓 What a Wonderful World



五輪真弓さんのWhat a Wonderful World。これは最高に素晴らしいです。このリストの中で自分が1番好きなカバーだと思います。五輪さんの声は肝の座った感じで、大人の迫力があるのですが、これがこの曲を歌うとこれがまた最高なんですね。大人の女性のWhat a Wonderful Worldという感じです。大人の女性の妖艶さというかそういうけだるい感じの魅力がありますね。それがこの曲とよく合うのです。カバーのアレンジというのは本当に無数の可能性があります。



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MISIA  What a Wonderful World



平井堅さんも五輪真弓さんもそうでしたが、やっぱりカバーのアレンジって、ご自身の歌手としてのスタイルに合わせて、自分のカラーにすることが大事なんだと思いますね。MISIAがこの曲を歌うと、もう完全なあのMISIAの世界なのです。歌手のみなさんのフレキシビリティ、柔軟性には驚きとしかいいようがないです。素敵なMISIAヴァージョンでした。



やっぱりオリジナルよりカバー。

カバーのいろいろなアレンジで、その曲のいろいろな可能性を拡げていく。

カバーには無限の可能性を感じます。


What a Wonderful World。


まさに名曲という腰の据わり方をしていて、その堂々とした旋律の運び。人の心に染み入るキャッチーなメロディを持っていますね、名曲と言うのは。


ぜひこの曲、まだ知らないという方は、ぜひ聴かれてみてください。

いっきに虜になること間違いないです。

そしてなによりも絶対聴いたことあるはずだと思います。(笑)






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