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金沢の勝負めし [グルメ]

第72期ALSOK杯王将戦が、いよいよ始まる。

藤井聡太王将 vs 羽生善治九段


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羽生九段は、王将戦挑戦者決定リーグでは、全勝優勝のぶっちぎりで挑戦権を獲得した。

永世七冠という将棋界の頂点に立った男。


「藤井さんとタイトル戦を戦うことはもうないと思っていた。」

「後悔の多い人生こそ充実している。」


もちろん自分は藤井聡太くんは、これからも応援していきたいと心から思っている。でも今回ばかりは、やはり羽生善治さんに頑張ってほしい。


自分は、羽生善治さんを応援している。


タイトル通算100勝目という大記録が待っているからだ。

この前人未踏の大記録、ぜひ勝ち取って有終の美を飾ってほしい。


それもいまや飛ぶ鳥を落とす勢いの藤井王将から、その大記録を達成してほしい。 


勝負の世界、将棋の世界は、かならず新旧の王者の対決というドラマが待ち受けている。一世一代の勝負のときがあるのである。



米長邦雄さんが、苦節して50歳という史上最年長記録で、じつに7回目の挑戦にて、それも宿敵の中原誠名人からストレートで名人位を奪取したその瞬間。


名人戦10連覇のかかった中原誠名人に、加藤一二三十段が挑戦して、大激戦の末、加藤十段がみごと名人位を奪取したこと。


こういう棋界史に燦然と輝く名勝負というのがあるのだ。


将棋の世界は、本当にそのときの実力が勝負の厳しい世界。自分が全盛期のときというのは、そんなに長い期間ではない厳しい世界だ。すぐに世代、顔触れが変わってしまう。


藤井くんは、これからの人。すごい若いし、まだまだ明るい将来がたくさん待っている。羽生さんは、やはり棋士生活も概ね完成形、あとはどう完結させるかを考える時期に来ている。


タイトル戦100勝の有終の美をぜひ、藤井くんからもぎ取ってほしいのだ。この大記録はおそらくこれからも破られることがないだろう、破るとしたら、藤井くんしかいない。



それこそ、厳しい勝負の世界で、美談として、そしてこれからも名勝負として語り継がれていくであろう、そういう要素が、この王将戦にはふんだんに含まれている、そういう雰囲気が漂っているのである。


世紀の第一戦になることは間違いない。


将棋界の中で、数々あるタイトルの中で、王将と言ったら、自分は大山康晴十五世名人だったな~。やはり将棋界の棋士は、自分に一番イメージが合うタイトルというのがあるように思う。


あくまで自分が将棋に夢中になった時代の棋士だけど、


中原誠さんは、やっぱり十段(いまの竜王)なんですよね。意外や名人ではないのです。

米長邦雄さんは、やはり棋聖です。

加藤一二三さんは、名人。自分にとって中原誠名人10連覇を阻止して名人位を奪取したあの頃の加藤さんが一番眩しいです。


そして王将と言ったら、やはり大山康晴さんなのです。自分にとっては。


矢倉、振り飛車、相掛かり棒銀、・・・将棋はもうずいぶんご無沙汰だけど、今回の王将戦、ひさしぶりに生ライブ中継を見てみようかな。


天才棋士たちが繰り広げる真剣勝負は、まさに息を飲む緊迫感、その鋭利な空気感は、うっかり剃刀のように自分の肌を切ってしまいそうなそんな怖さがある。


投了間際の心臓がキュ~ンと締め付けられるようなあのザワザワしたなんともいえない興奮。

まさに男と男との勝負である。


第72期ALSOK杯王将戦は、第1局は将棋のまち、掛川でおこなわれる。2023/1/8,1/9の2日間である。


そして第3局が、なんと!金沢でおこなわれるのだ。金沢東急ホテルで、2023/1/28,1/29の2日間でおこなわれる。1/28は私の誕生日である。記念すべき?その日に、金沢で藤井×羽生の名勝負が繰り広げられるのは、なんか運命を感じる。


金沢東急ホテルは、このようなホテルだそうです。素晴らしいですね~。


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両者ともぜひ頑張って悔いが残らないように燃え尽きてほしい。

じつは、この第3局の金沢対局、大変面白い企画が企てられているのだ。


それは金沢対局での”勝負めし”をあててみよう!という企画。(笑)


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勝負めし、というのは、タイトル戦のときは、2日制の対局なので、その棋士たちが食べるお昼ごはんのことをいいます。将棋ファンの中では、この勝負めしがひとつの話題になって楽しみだったりするのだ。


藤井くんが頼んだデザート、カワイイ~~~。もう将棋ファンは、自分が応援する棋士がどんなメニューのお昼ごはんを食べたというだけで、もう大ニュースなのである。自分もその場まで行って同じものを食べたりする。その気持ちよくわかるのである。それがファンというものなのである。


今回の王将戦では、その金沢対局のときの勝負めしを、藤井王将、羽生九段がどのようなものを頼むかあててみよう、という企画なのである。


これいいですね~。楽しいです~。


金沢は海の幸をはじめ、金沢おでん、金沢カレー、8番ラーメン、ハントンライスなど、まさに金沢のソウルフードともいえる独自の食文化がある。自分も今年体験できて感激した。


金沢は、加賀百万石の城下町で、古美術、工芸、金箔の美しい栄えた街で、しかも美食の街。とても風情があって素敵な街である。もう一回行ってみたいです。


そんな金沢対局の勝負めしは、この8品である。


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金沢香林坊ロータリークラブがプロデュースしている。

香林坊、懐かしすぎる~。(笑)


藤井王将、羽生九段がこの8品の中から何を選ぶのか?もう大ニュースになってしまうのである。しかし、どれもまさに美食という感じで、金沢の食の最上級の贅沢を極め尽くした感のある品ぞろえですね。


では、1品1品、紹介していこう。

金沢香林坊ロータリークラブさんのFBから拝借しています。




1.治部煮うどん・そば


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鴨南蛮風に仕上げた柔らかなトロミのつゆ。うどんと蕎麦は地元の生めんを使用。治部煮(じぶに)とは江戸時代からつづく加賀料理の代表的なもので、鴨肉、すだれ麩、季節の野菜などを甘めの味で煮たもの。わさびが薬味として用いられる。治部右衛門さんがつたえたから治部煮など名前の由来は諸説ある。




2.のどぐろ炙り焼き重


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日本海、石川といえば、、、新鮮な「のどぐろ」を珠洲の塩でさっと炙り焼きにしてのせました。のどぐろといえば、正式な名前は「アカムツ」。白身魚ながら旨味たっぷりの脂のノリがすごい。2014年テニス選手の錦織圭さんが「のどぐろ食べたい」発言をしてから人気に拍車がかかる。珠洲は能登半島の先っぽ「さいはてのまち」。日本海の豊かな海水をつかって文字通り手塩にかけて作った塩をふる。



3.ズワイ&香箱蟹丼


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金沢港に水揚げされた蟹をゆで、わさび醤油で蟹の持っている甘みを味わっていただきたい加能蟹は石川産ズワイガニ(オス)のブランド蟹。甲羅の大きさなど厳しい基準をクリアしたもののみ最高峰「輝」と称することが許される。昨年からブランド化したため、石川県民でお目にかかったことのある者は少なく、文字通り「幻のカニ」とも評される。香箱蟹はズワイガニのメス。オスに比べ身が小さく繊細な味わいで、「コウバコのほうが好き」というファンも多い。内子、外子、みそが美味。今では考えにくいが、昭和の時代には「おやつ」として食べていたという人生の先輩方の逸話も。




4.能登牛丼(のとうしどん)


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能登牛はシンプルに炙り焼きにして、地元の「いしる」醤油で作った甘めのたれをかける能登牛は、能登の美しい自然と潮風が吹く素朴な風土で丹誠込めて育てられている黒毛和牛。生産頭数がまだ少なく松坂牛の五分の一ともいわれるも、肉質はきめ細やかで上品な脂が特徴です。第9回和牛オリンピックでは脂肪の質に優れている「特別賞」を受賞した実績も。いしるとは能登で生産される魚醤のこと。秋田しょっつる、香川いかなごしょうゆと並び日本三大魚醤の一つともいわれる。クセがなく風味がよいのが特徴。



5.加賀野菜天丼


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野菜は白絞油でさっぱりと揚げ、天丼たれには地元の「いしる」醤油で作った甘辛の味わいで加賀野菜とは、昭和20年以前から今もなお主に金沢で栽培されている野菜。肉質が緻密で雪肌のように白い『加賀れんこん』、皮の薄く果肉がやわらかな『ヘタ紫なす』、「コッボコボ※」な『さつまいも』など15品目からなる。※コッボコボとは加賀野菜のサツマイモを表現するためだけの方言だとか。。




6.能登豚カツカレー(のとぶたカツカレー)


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能登のおいしい天然水で育った能登豚は、もちもちとした肉質と口の中でじわっと溶ける脂のバランスが最高。地元野菜のピクルスとともにご賞味ください。能登豚とは、文字通り石川県の中でも能登地方で生産されるブランド豚。もちもちとした肉質、αリノレン酸を多く含んだ脂が口の中でじわっと溶ける味わいが特徴。その能登豚と地元野菜と特性カレーソースのハーモニー(親和力)をご堪能ください。



7.元祖金澤焼きそば


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金沢の郷土料理である治部煮の材料で焼きそばにアレンジ、あっさりしていて食べやすい味付けで。焼き鯖の棒寿司とご一緒に。治部煮(じぶに)とは江戸時代からつづく加賀料理の代表的なもので、鴨肉、すだれ麩、季節の野菜などを甘めの味で煮たもの。煮るときにジブジブと音を立てるからから治部煮と呼ぶようになったなど名前の由来は諸説ある。焼き鯖棒寿司は、当地のソウルフードラーメン店の系列店より金澤焼きそばにとても合うという理由で提供されることに。特に金沢に由来が深い食材ではないのですが「なんでやろ」。



8.ニューバーグライス


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金沢港で水揚げされた新鮮な蟹の身と20年来レストランで作り続けている「ニューバーグソース」と相性抜群です。ニューバーグライスソースとは、海老・蟹類をバターでいためマデラ酒、コニャック、カイエンヌペッパーなどで調理師、生クリームを加え海老の肝やみそでつないだ濃厚なソースです。金沢東急ホテル伝統のソースを是非ご賞味ください。



どうですか!

すごいですね~~~。


自分が楽しんでいたのは、いわゆる金沢庶民が食するB級グルメだったのがよくわかります。もちろん最初からB級グルメ狙いだったことはそうなんですが。(笑)


金沢対局の勝負めしは、まさに金沢の食文化のエッセンス、いまの金沢の旬をふんだんに取り入れた美食の世界ですね。超一流の懐石料理といっていいと思います。


自分ならこれを選ぶな、というのは決めました。

でも対局に悪い影響を及ぼすのを恐れてここでは言いません。


藤井王将、羽生九段は、この8品から勝負めしとして、どの品を選ぶのか。


アンケートをおこなっています。


食べてもらいたい金沢の旬はどれだ?




第72期

ALSOK杯王将戦金沢対局


対局日:2023年1月28日(土)・29日(日) 対局場所:金沢東急ホテル

対局者:藤井聡太王将 VS 羽生善治九段


イチオシ「勝負めし!」投票



藤井王将および羽生九段が金沢対局で食べた勝負めしをあなたも食べてみませんか?用意された昼食メニューリストから二人に食べて欲しいイチオシ勝負めしに投票頂きます。2日間で藤井王将、羽生九段が実際に選んで食べたメニューに投票頂いた方から、抽選で各メニューにつきペアで10組20名様に対局場所(金沢)でご利用頂けるお食事券をプレゼントします。



イチオシ「勝負めし!」投票


投票期間

2022年12月27日(火)~2023年1月27日(金)


対局者が食べたメニューに投票頂いた方から抽選で各メニューにつきペアで10組20名様に同じメニューの食事券をプレゼント!


自分もぜひ投票しようと思ったけど、もし当たっちゃたら、金沢に行かないいけないので、本年度その予算計上していなくて(笑)。ご辞退ということでは申し訳ないかな、と思いやめときました。


ぜひ、金沢市民のみなさん、そして金沢にいける方は、投票されてはいかがでしょうか?お食事券はとくに期間限定ではなさそうですので、金沢に行けるときに楽しむことができそうですね。


金沢香林坊ロータリークラブは、第72期ALSOK杯王将戦 第3局金沢対局を応援しています。そして金沢勝負めしもプロデュース、応援しています。


この金沢対局の勝負めしの8品、正式に報道陣の前でお目見えして、関係者をお招きして試食していただいたりの催しがあったようですよ。


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藤井王将×羽生九段の王将戦、盛り上がってます!


金沢は今年は、大変な豪雪のようです。お足元にお気をつけてください。


なんかいまからドキドキして堪らんくなってきた。昔からスポーツとか、将棋とか、勝負ものは、その数日前からドキドキ感が大変です。


子供の頃のプロ野球の日本シリーズがそうですね。長いペナントレースを勝ち取ってきたセ・パ両リーグのチームが激突する日本シリーズは、一種独特の雰囲気がありました。まさに短期決戦というドラマなのです。(いまのCSという制度は間違ってます。CSが日本のプロ野球を面白くなくした元凶だと思ってます。)


自分の中ではそれに似たドキドキ感です。


おそらく藤井さんも羽生さんも、今年の年末年始は、ゆったりは過ごせないでしょうね。年明けてから1/8,1/9からスタートですから、緊張を持続させながらの大晦日、お正月なのではないでしょうか。


勝負師の人生は厳しいです。


将棋史に残る名勝負を期待しています。








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サントリー美術館 shop × cafe [美術]

サントリー美術館には、3Fのエントランスのところに、ショップとカフェが存在するのだ。両隣で仲良く併設されている。


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まずショップのほうからご紹介。

美術館のショップということからミュージアムショップ。


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美術館の展示されている所蔵品をモチーフにしたオリジナル商品に加え、生活に彩りをそえるセレクトアイテムを取り揃えています。


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香合、ハードカバーノート、色鍋島小皿とか、本当に美しくて可愛らしい商品ばかりで、このショップ、しかも美術館ならではのアイテム、美術、絵画、芸術ファンが喜びそうなオリジナル商品ばかりである。


飲食のものはなかったように思う。


また最新の展覧会図録。今回の場合は、京都・智積院の名宝(いわゆる長谷川等伯一門の障壁画写真集)が販売されていた。図録というのは写真集という意味ですね。美術の世界ではきっとそういうのでしょうね。



この最新の・・・でわかるように、その期間、その期間に展示されている所蔵品をこうやって写真集という形にして美術ファンの方のお手元に、ということなのでしょう。これは優しいというか、気持ちが行き届いているというか、展示を観て回ってきた美術ファンの方々は、まさに興奮している訳じゃないですか。その直後ですから、猛烈に欲しいという欲求がでますよね。一番ビジネスになるところだと思います。すごくわかるような気がする。


自分も今回、京都・智積院の名宝の図録は、本当に欲しかった。思わず買ってしまおうか、ずいぶん悩んだものである。


サントリー美術館の展示の基本というのは、


①展覧会(所蔵品の展示)

②展覧会図録

③動画案内


この3本柱がつねにセットになっているのだと思う。毎回の展示ごとに、この3本柱を用意するのだと思う。


①を観るためにはまず6Fにある③で学習してくださいね。そして①を観終わったら、その興奮冷めやらないところで、もっとも購買意欲が沸き上がっているときに、ミュージアムショップで②の展覧会図録を買いましょう。


これはビジネスの流れであり、とてもよく考えられていると思う。この図録以外にも、いろいろな美術関係の書籍が売られていた。


ミュージアムショップはECサイト、オンラインショップを持っているが、発送の難しさからか、主に書籍中心のようだ。



つぎにカフェ。


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自分はなにを隠そう、このカフェを1番楽しみにしていた。美術展覧会は行く前まではよく勉強していなかったので、ただ観るというだけかな、と思っていたのだが、実際6Fの動画案内で歴史が理解出来たら、猛烈に感動できるようになった。でも事前ではそんなことはわからないから、自分の1番の楽しみは、じつはこのカフェだったのだ。



カフェ 加賀麩不室屋。


不室屋は慶応元年創業の金沢の老舗。麩を現代的にアレンジした軽食や甘味が楽しめます。


やっぱり金沢なんですね~~~。なんか雰囲気あるところはあの金沢の古美術品、工芸の町という面影があるような素敵なセンスである。今回の展示の京都・智積院の名宝は、石川県七尾市出身の長谷川等伯一門が描いた障壁画の展示であるから、そんなところも金沢つながりなのかもしれませんね。


ひょっとすると、展示ごとにカフェがその展示に因んだお店が交代で営業するものなのかもしれません。


あるいは、加賀麩不室屋さんは永久にカフェを務めていらっしゃるのか。


店内はとてもコンパクトな空間で、美しい美術館らしい均整の取れた空間であった。店内はいかにも美術館を一回りして休憩している風のお客さんばかり。厨房が奥にあるが、フロアは若い女性2名で管理されている上品な店でメニューには所謂甘味が準備されている「カフェ」である。


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「加賀麩」って何と読むのか?いや、特に「麩」って何と読むのか?

これは「ふ」なんですね。そうあのお吸い物なんかに入っているあのスポンジ風の柔らかいふにゃふにゃした「おふ」です。


ですから、カフェに入るところの暖簾に「ふ」という言葉が書かれているんですね。


加賀麩は金沢を代表する食なんです。


加賀麩は藩政期から保存食として愛用され、その後時代の変化とともにさまざまな趣向が施されて金沢を代表する食文化のひとつとして発展してきた。


金沢は京都と並んで生麩・飾り麩の産地として知られる。生麩は元々中国から京都に伝来したが、金沢は古くから寺の多い土地柄で精進料理の食材として盛んに用いられた。現在も、治部煮に代表される伝統的な加賀料理に用いられるほか、菓子など幅広い用途で広く愛用されている。


麩の原料であるグルテンは、植物性タンパク質成分であり、低脂肪・高タンパク、消化吸収力が高いなど特徴があるため、健康志向の食品としても注目を集めている。


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加賀麩 不室屋は、慶応元年(一八六五年) に不室六右衛門が金沢・尾張町で麩づくりを始めてから百五十余年、開業当時の製法・味・技を伝承しながら一貫して加賀の麩をつくり続けております。


一方で、伝統をいかしながら、時代の変化のなかで新しい麩を創作することにも力を尽くしてまいりました。特に近年では、カフェなどの運営を通じて麩料理、および、それを食する環境や文化の提案にも力を入れております。


伝承する麩、そこから新たに創り出す麩。それぞれを大切にすることが不室屋の仕事です。厳選した食材を使った、職人の手に成る麩の数々を今後も金沢という地に根ざしながら、より多くの皆様にお届けしたいと考えております。


代表取締役社長

不室 康昭


・・・でございます。



●創業の地 金沢から 食文化を次世代へ


加賀百万石の城下町、金沢で生まれた加賀麩は、「すだれ麩」などで知られています。不室屋は、江戸時代末期に製麩業を始めて以降、金沢の地で開業当時の味と製法を受け継ぎながら、伝統の麩をつくり続けています。


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創業の店・尾張町店では、正月や上巳(じょうし)の節句、七夕、月見、冬至など、四季折々の商家の伝統的な年中行事を現在も大切に行い、店頭の飾り付けなど、行事を通じて、長い年月を重ね豊かに膨らんだ文化を伝える取り組みを行っています。


一方で、ライフスタイルが多様化し、食生活が変化するなかで、より多くのお客様に加賀麩に親しんでいただくきっかけ作りについても考えるようになりました。


金沢には歴史的な建造物が多く存在する一方で、金沢駅周辺は北陸新幹線の開業に合わせ大きく変わりました。伝統と変化が共生するなかで、郷土料理に端をなす加賀麩も新たな可能性に満ちています。


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近年では、新たな商品づくりに加え、親子で麩を使ったスイーツづくりを体験する地元のイベントに参加するなど、次世代の食育にも積極的に取り組んでいます。このほか、麩を用いた新しい料理レシピの公開、カフェの運営など、麩料理およびそれを食する環境や文化の提案にも挑戦しています。



加賀麩不室屋は、江戸時代の慶応元年(1865年)から百五十余年つづく老舗中老舗、名店なんですね。



情報引用元:


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サントリー美術館のカフェは、そんな加賀麩不室屋がプロデュースしているカフェなのである。




自分は、加賀麩とりどり膳をオーダー。

おそらくこのカフェの一番人気である。

もうめちゃめちゃインスタ映えする膳である。

美しすぎます。


自分はサントリー美術館に来るのに、なにを一番楽しみにしていたかというと、何を隠そう、この加賀麩とりどり膳なのである。


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加賀麩というのは、本当にいろいろな商品の型というのがあり、それをとりどりに楽しもうというお膳である。この美しさ。刺身(風)、田楽、ちまき、フライ、炒め物、煮物(治部煮)、味噌汁全てに麩が使われている。全て作り置きかと邪推したが、口に入れて分かったのは、フライ等温かくあるべきものは、しっかりと熱い。


正直驚いたのが、どれも美味しいこと。


そして小皿が良い。出された瞬間に料理越しに見える絵柄が素敵。食べ終えた皿を改めて眺めると、ある種の調和を感じるのだ。この様な料理にはセンスと言うか美的要素も重要。間違いなく美味しさの一つとなっていると感じる。



料理の一品として麩を口にする事はあるかもしれないが、東京で麩を堪能しようと思うと、思いつく店は少ないはず。サントリー美術館に入らなくても、出向いて食べる価値のある「加賀麩とりどり膳」なのである。


ご飯はなんか栗ご飯みたいな炊き込み系で、お味噌仕立てのお吸い物には、もちろん麩や雑煮なんかが入っていて、美味しかった。



もうひとつどうしても食べたかったのが、


展覧会限定スイーツ くるま麩のフレンチトースト<バナナ&レーズン>

※販売期間:2023年2月5日(日)まで


である。まさにいまの展覧会に因んだスイーツなので、期間を過ぎたらもう食することはできない。


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フランスパンにも似ている車麩をフレンチトーストにしました。ドーナツのような見た目も楽しく、ふわりつるりとした新食感です。丸ごとのバナナとレーズンの蜜煮を添えて豊潤に仕上げました。サクッと軽いおやつ麩やさっぱりとした甘さの豆乳アイス、ホイップクリームと共にお召し上がりください。メープルシロップ添え。


これもインスタ映えする美しさですね~~~。

まさに見た目の通りの味がします。


車麩をフレンチトーストに。ドーナッツ型にしているものである。それに丸ごとのバナナとレーズンの蜜煮を添えて豊潤に。豆乳アイスやホイップクリームも添えている。


このメープルシロップがいいですね。本当によく合います。もう甘味党には堪らない味だと思います。


本当に見た目の通り、期待を裏切らないストレートな味がします。

美味しかった!


期間限定なので、ぜひいま食べましょう。


サントリー美術館 shop × cafe

見た目の客層は、やはり美術館で鑑賞した帰りに休憩という風情が多かったように思うけど、美術鑑賞をしないで、このショップ、カフェだけを体験するのもじゅうぶんありだと思う。


それだけ、単体として十分に独立採算がとれるような魅力があると思います。







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サントリー美術館 [美術]

東京・六本木にあるサントリー美術館は、かねてよりぜひ訪問してみたいとずっと思っていたのだが、ご存じのようにがさつな性格ゆえ、美術とは縁遠く、なかなか足を運べないでいた。


ところが、京都 東山総本山、智積院の障壁画が寺外展示されるということを、サントリー美術館のFBのページで認識し、そのあまりに精華な障壁画の数々に打ちのめされてしまい、これは絶対行かなきゃダメだ、インターネットのHPのデジタル画ではなく、自分の眼でしっかり観ておかないと絶対後悔する、と思った。


なぜか自分のセンスにピンと来たのだ。サントリー美術館にもぜひ足を運んでみたいと昔からずっと思っていたので、いい機会だと思った。


サントリー美術館は、六本木の東京ミッドタウンにある、日本の古美術が中心の私立美術館。運営は公益財団法人サントリー芸術財団がおこなっている。


1961年、サントリー社長・佐治敬三が「生活の中の美」を基本テーマとして千代田区丸の内のパレスビル内にサントリー美術館を開館した。その後、1975年に港区赤坂のサントリービルに移転した。2005年1月にサントリー東京支社がお台場に移転することに合わせて一時的に休館し、2007年3月30日に防衛庁跡地を再開発して建築された「東京ミッドタウン」に入居する新「サントリー美術館」として再オープンした。


2019年11月に一時的に休館し、改修工事を施し、2020年7月にリニューアルオープンした。


リニューアルのデザイン監修は、本館が入居する東京ミッドタウンガーデンサイトと本館の設計を手掛けた隈研吾が行った。本館と森美術館と国立新美術館と合わせて3館で「六本木アート・トライアングル」を構成している。


森美術館と国立新美術館は北海道の友人を東京でのおもてなしの企画のときに連れて行ってあげて体験していたので、自分としては、この「六本木アート・トライアングル」の中では、あとはサントリー美術館だけだったのだ。


だからこれはぜひ行かなきゃダメだとずっと思っていた。


美術館の規模としては、森美術館や国立新美術館と比較すると、やや小ぶりという感じで、コンパクトな印象を受けた。


一般的に主な収蔵品が日本の古美術である美術館は戦前の実業家のコレクションを母体としたものが多いが、サントリー美術館は収蔵品が戦後から1つのテーマをもって集められた点が特徴的である。


さっそく、六本木にゴーである。六本木に行くなんて何年振りだ?

自分とは縁遠い街である。


都営大江戸線で、六本木駅に下車してから直結で繋がっている。


もうそこから別世界である。自分とは遠い距離の世界である。眩しいくらい輝いていて都会的だった。


六本木の東京ミッドタウン、ガレリア、ザ・リッツ・カールトン東京、ガーデンテラス・・・。さすが赤坂・六本木。東京の一等地である。


もう自分はその非日常感に舞い上がってしまった。住みたいとまでは思わないが、職場がこんなところにあって毎日通勤できれば貴族だな~なんて思ったりもした。


サントリー美術館は、この東京ミッドタウン、ガレリアの中の3Fにあるのだ。


東京ミッドタウン、ガレリア。


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サントリー美術館。


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インターネットでチケットを買うこともできるし、ここの窓口で直接買うこともできる。素敵な建物ですね~惚れ惚れ。。


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あら~、鎌倉殿の13人の大江広元役の栗原英雄さん。

京都 東山総本山、智積院の障壁画展の音声ガイドのゲストナビゲーターを務めていらっしゃるということで、歴史の荒波を越えて今日まで大切に守り伝えられた智積院の名宝について、解説なさっているようです。


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さすがです!

ドラマご苦労様でした。 



サントリー美術館の展示は、4Fに上がって、そこから3Fに下がって一連の展示を観るという進行である。自分はその通り順路で進んだのだが、あとで気づいたのだが、6Fに今回の智積院展の内容を説明してくれる動画がエンドレス再生されている部屋があるのだ。普段はイベントホールとして使われている部屋のようである。それを観れば、今回の智積院展の説明、意味が一発でわかるのである。非常に短い動画で10分もないと思う。


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美術にあまり詳しくない人にとって、こういう動画説明は本当に助かる。自分は智積院の障壁画に衝撃を受けたけれど、その歴史を事前にきちんと勉強しようとまでは思っていなかった。こういう動画案内は美術鑑賞、絵画鑑賞にとって最高だと思う。


この動画を見てから、展示を観ると、もう全然感動度合いが違うのである。だから自分は後でそのことに気づいたので、先に1回さらっと観て回ったが、6Fにこの部屋の存在に気づき、この動画を拝見し、その歴史を理解したらもう大興奮!そうだったのか~!という感じでもう一回2回観て回った。


サントリー美術館の智積院展をこれから観る方は、ぜひ先に4Fではなく、6Fまで上がって、この部屋で動画案内を視聴して歴史を理解してから展示を廻ることをぜひお勧めします。そっちのほうが断然感動します。


では、自分流に、この京都・智積院障壁画展の歴史について解説してみたいと思う。


情報引用元:


京都・智積院の名宝~サントリー美術館



特集 京都の初期障壁画 1「長谷川等伯の障壁画」

公益財団法人 京都市文化観光資源保護財団

成安造形大学教授 小嵜 善通



東山随一の名勝庭園と長谷川派の傑作

京都宝物館探訪記




京都 東山総本山・智積院のルーツは、真言宗の宗祖である弘法大師空海にある。平安時代9世紀初めに紀伊国(現在の和歌山県)で真言密教の根本道場となる高野山を開創した。


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●桃山絵画の精華 長谷川派の障壁画


豊臣秀吉は天正19年(1591)に3歳で夭折した息子・鶴松(棄丸)の菩提寺として、京都・東山の地に祥雲禅寺を建立する。祥雲禅寺の建築は鶴松の三回忌となる文禄2年(1593)には竣工したと考えられており、長谷川等伯一門が描いた金碧障壁画群も同時期には完成していたと推定されている。


長谷川等伯。この人、画家がこの障壁画展示の主役である。ここに展示されている障壁画は、この長谷川等伯、およびその子孫久蔵によるものなのである。


長谷川等伯とは?

(石川県七尾市の等伯野外像)


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長谷川等伯は、能登(石川県)の七尾というところに生まれ、30歳を過ぎてから京都に出てきた、いわゆる「成り上がり」の絵師であった。当時京都の画壇は、狩野永徳率いる狩野派の独壇場。御所や名のある寺院、そしてそれまで豊臣秀吉が建てさせた聚楽第や大坂城なども、狩野派が一手に引き受けていた。


等伯はそこにまさに真っ向勝負を挑んだのである。


狩野永徳。もうこれは障壁画としては最高峰の人でしたね。


もう若いとはいえない年だった長谷川等伯であったが、千利休をはじめとした文化人の理解や後ろ盾を得て、大徳寺や南禅寺、妙心寺といった名刹の仕事を少しずつ手がけ、名を上げていく。これに狩野派も危機感を募らせ、実際に長の永徳自らが等伯に仕事を与えまい、と妨害工作をしかけたこともあったそうだ。


ほどなくその狩野永徳が急死。それと同じ時期に、秀吉の長男の鶴松がたった3歳で亡くなり、その菩提寺として智積院の前身である祥雲寺が建立されることになる。そこで、気鋭の画家として注目されていた等伯に白羽の矢が立てられたのであった。


天下人、豊臣秀吉からの依頼に等伯は一門全員、全身全霊をもって望み、この一連の障壁画を描き上げた。秀吉の期待に見事応えた長谷川等伯とその一門の名は天下に知れ渡り、結果狩野派と並ぶ地位と名声を得ることとなるのである。


農民から成り上がり、天下人へ上り詰めた豊臣秀吉と、田舎から上京しに名だたる絵師となった長谷川等伯。どこか境遇の似たこの二人。その間には奇妙な縁のようなものもあったのかもしれません。


その当時の祥雲寺、いまの智積院で、長谷川等伯一門が描いた障壁画が、この『楓図』『桜図』をはじめとした金碧障壁画である。


『楓図』は長谷川等伯、そして『桜図』はその長男である久蔵の作品である。この『楓図』『桜図』を描いたとき、齢50を過ぎていた等伯に対し、久蔵はまだ24歳という若さ。事実上、これが画壇へのデビュー作であった。


『楓図』


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『桜図』


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桃山時代の最高傑作ともよばれるこの障壁画。

『楓図』は長谷川等伯の最高傑作とも言われている。



6Fの動画案内では京都の智積院の部屋の中の一部として、この障壁画が埋め込まれている図、つまり部屋全体が映し出されていて、おそらく京都・智積院の部屋の現場で撮影した写真・動画なのだろう。


自分はそれと同じ図が欲しかった。いわゆる障壁画はあくまで部屋の一部なんだよ、という図が欲しかった。でもネットで探したのだが、見つからなかった。あくまで障壁画そのものの単体の図しかなかったのだ。


自分は部屋付の全体の図が欲しいです。(笑)


長谷川等伯などの長谷川派一門の金碧障壁画は国宝に指定されている。智積院の宝物館は、この金碧障壁画が国宝に指定されたことを受けて造られたもので、言わば「障壁画のための宝物館」なのである。


もう京都に行きたいです~。サントリー美術館による寺外展示じゃ満足できないです。本物の京都の智積院に行ってみたいです。姫路城ツアーの際は、ぜひ京都にもう一回再訪したいと思っていて、東願寺とか三十三間堂とか、まだ未踏の地を足を踏み入れてみたいのである。その企画に、この京都・智積院で長谷川等伯の金碧障壁画を観るという新たなミッションを加えることにしたい。


もう大興奮である。


でも普段はこの文化財非公開なのかな?(笑)いつも公開しているわけではないですよね。保管の意味からして。何年かに1回特別公開という形なのでしょうね。



この障壁画自体も、実は描かれた当時とはサイズがかなり変わっているのだそう。現在はちょうど襖絵ほどの大きさになっているが、本来はより高さも幅もずっと大きく、まさに天井までの壁一面を覆うほどであったという。というのも、智積院は過去4度も火災の憂き目にあっており、その度に僧侶達は「せめてこの絵だけは!」と必死でこれらを壁から剥がし、持ち出して避難させていた。そのために人の手が届く高さと幅で切り取った大きさになってしまったのだそうである。


もし、本来の大きさでこの絵を見ることが出来たなら…



久蔵はなんと『桜図』を描き上げてわずか2年後に亡くなるのである。『桜図』はデビュー作であると同時に、彼の遺作となってしまったのである。


等伯は、息子に自分のすべてを教え込み、託していたのだが、自分より先に26歳という若さで亡くなってしまうとはもう悲しみにくれて立ち直れなかったようである。動画案内では、この部分が一番じ~んと感動しました。


長谷川等伯の他の作品も紹介。


『松に秋草図』


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もちろん国宝である。


智積院に残されている長谷川一門の金碧障壁画は、『楓図』『桜図』のほか、『松に秋草図』『松に黄蜀葵(とろろあおい)図』(いずれも国宝)、そして『松に梅図』『雪松図』『松に立葵図』などがある。



智積院には、その後、堂本印象1891(明治24)-1975(昭和50)という画家がその襖絵を献上している。

それが「婦女喫茶図」。


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和服を着た夫人と洋服を着た夫人がお茶をしているという図である。長谷川等伯一門による精華な障壁画と打って変わって、淡いほのぼのとした画風である。



堂本印象は、古典を扱った日本画がメインだったが、戦後、ガラッと変貌して海外の生活を取材した洋画となり、 さらには、抽象日本画ともいうべくユニークな画風を確立した。京都の智積院の襖絵に描かれた抽象画は、これまた、他に例を見ないだろう。


堂本印象の絵画作品だけを扱った所蔵美術館というのもあるのだそうだ。


この「婦女喫茶図」。智積院の宸殿襖絵なのだが、これまで宸殿が公開されたことがあまりないそうだ。2019年に特別公開されたそうですよ。


こちらの図が、実際の智積院の部屋の襖に描かれている構図である。自分はこういう写真がリアル感満載で好きです。


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現在、サントリー美術館で展示されている京都・智積院展というのは、まさにこの智積院にある国宝、長谷川等伯一門による金壁障壁画を、寺の外に移動させて、東京でお披露目しようというコンセプトなのである。


そしてこの堂本印象の「婦女喫茶図」も京都から移動してお目見えである。


以上の内容を、自分は6Fの動画案内で10分間くらい勉強させてもらったのだ。これを知っているのと、知らないのとでは、実際展示を観て回るときの感動度合いが全然違うのだ。


もうまずぜひ6Fヘゴー・・・である。


では、歴史の知識習得が終わったところで、実際のサントリー美術館の展示を観ていくことにしよう。


残念ながら、サントリー美術館は館内撮影禁止である。(笑)まっ美術館はふつうみんなそうですよね。


撮影可能なところは自分のカメラで撮影した写真。撮影禁止エリアは、サントリー美術館のFBページからお借りしています。サントリー美術館の写真は、きちんとWatermark(電子透かし)が画像に入っています。


まず展示の4Fに行くとこんな感じです。


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「婦女喫茶図」が見えますよね。動画案内観てからだと、もう大感動です。


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長谷川等伯の楓図です。等伯の最高傑作です。もう圧巻です。自分は息が止まってしまい呼吸困難になりました。


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そして息子久蔵の桜図です。画壇にデビューと同時に遺作となってしまいました。


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もちろん京都・智積院展では障壁画だけではありません。いろいろな名宝が展示されていました。息を飲みました。



密教法具

智積院内の修法で用いられてきた密教法具一式は、緻密で華やかな装飾にもご注目ください。


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釈迦如来坐像

鎌倉時代の優品、《釈迦如来坐像》は第3展示室入口でご覧いただけます!


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英一蝶

智積院には歴代の能化(住職)や在俗の有力者を通じてさまざまな名品が集いました。京都所司代・牧野英成が寄進した本作は、英一蝶(はなぶさいっちょう)が学んだ江戸狩野派の様式による貴重な作品です。本作品の展示は12/26までです!いま観なきゃ。


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重要文化財 童子経曼荼羅図

鬼神から童子を守る乾闥婆が中央に描かれた、鎌倉時代の優品。鮮やかな色彩が残る貴重な本作。展示は12/26まで!鎌倉に拘る自分はどうしてもこれが観たくてフライングして今日行ってきたのです。


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十六羅漢図屛風

長谷川等伯最晩年の作。ユーモラスな羅漢の表情にご注目!


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ここが通常非公開の茶室「玄鳥庵」です。

残念ながら非公開でした。


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じつは1日違いの昨日。特別公開で、お抹茶と季節の和菓子が楽しめる呈茶席を開催したそうです。茶室の中はこんな感じなのだそうです。意外と広いんですね。


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サントリー美術館は館内撮影禁止なのですが、唯一撮影が許されている撮影スポットがあるのです。6階ホール入口にはほぼ原寸の《楓図》の巨大パネルが!こちらは自由に撮影可能なのです。


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この写真は自分のカメラで撮ったものです。(笑)まさに長谷川等伯の最高傑作の《楓図》。それを撮影可能のスポットにするなんて心意気が憎いですね。もう圧巻でした。



こんな感じでした。

どうでしたか?


3Fのショップには、展覧会図録が売っています。おそらくこの一連の金壁障壁画の写真集だと思います。これはぜひ欲しかったな~。いろいろカフェでたくさん食べたかったので、お金がないので見送りましたが、ぜひ欲しかったです。一生の記念になります。もちろんこのショップはECサイトもあるので、オンライン経由で買えますね。だからいつでも買えると思いましたので、見送りました。


智積院展の展覧会図録


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サントリー美術館 京都・智積院の名宝。

2022.11.30~2023.1.22までです。


ぜひ行かなきゃ。

事前予約不要です!








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鎌倉殿 心からの慰労と謝意、御礼申し上げます。 [ドラマ]

第61回大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、第1回放送2022年1月9日、そして本日2022年12月18日、無事最終回を見届けました。


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まさに驚きの最終回、北条義時がどのように最期を迎えるか、というところが焦点だったわけですが、正直リアルタイムの視聴時のとき、よく意味が理解できなかったんですよね。(笑)


終わって10分後くらいに、す~っと霧が晴れたように突然その意味がわかってきた。

毒を盛られ、医者からもらっている、それを治癒する薬を、政子にとってください、とお願いした後、政子がその薬を意図的に床にこぼして、


「小四郎、あなたはいままでよくやってきました。あとは泰時が新しい世の中を作ってくれます。ご苦労様。」。


治癒薬を渡さないことで、義時にあの世に引導を渡したのは政子であった。


そういうことなのでしょうか?(笑)

たぶんそういうことですよね。(^^;;


こりゃ確かにスゴイ終わり方だ。でもリアルタイムに観ていて、一発でそのことに気づいた視聴者ってどれくらいいるだろう?自分は、まったく気づかず、どこが凄いのか最初わからなかったです。


でもよく考えられた想像外のすごい終わり方ですね。これは確かに凄いや。さすがです、素晴らしいです。


期待に胸膨らまして臨んだ「鎌倉殿の13人」。とうとう終わってしまいました。おそらく猛烈な喪失感、鎌倉殿ロスに陥ると思います。


寂しくなるなぁ。。。


本当に三谷さん、はじめ役者さん、スタッフ全員にご苦労様、感謝の意を表明したいと思います。


この1年間、こんなに盛り上がった大河ドラマってなかったんじゃないでしょうか。Twitterではいつもトレンド世界一、SNSでももうすごい盛り上がり方。メディア全体、世間全体的に、もうすごい熱い熱量とパッションが凄かった。とにかくいままでの61年間の大河の歴史でこんな盛り上がった大河は自分は経験したことがなかったです。


早鎌、本鎌、録鎌、再鎌。自分は48回を通して、自分は全部本鎌。それも夜8時になったら、ちゃんとテレビの前で正座して心構えしながらリアルタイムで観ていました。


終わってからその日の夜中0時になるまで、かなりダメージというか、打ちのめされている感じで使い物にならなかった。よく朝起きて残っていることもある。それだけ衝撃だった。そんなことはいままでの大河史の中では自分にはなかったです。




43年前に草燃えるをみて、衝撃を受けた自分。いままで鎌倉草創期ドラマと言うと、歌舞伎の世界でもそうですが、平家物語、源義経、武蔵坊弁慶、源平合戦、そこに源頼朝が加わるというそういう描き方が圧倒的でしたから。


草燃えるはその視点を変えて、源頼朝と東国武士団の旗揚げ、頼家、実朝、そして承久の乱での北条執権政治の確立。これは当時の中学生だった自分にとっては相当衝撃だったです。なんとカッコいいんだろう。男らしいんだろう。


いっぺんにこの視点からみた鎌倉草創期の物語の虜になってしまったです。あれから、43年間、まさかこの時代の物語をこうやってもう一度観れるとは夢にも思っていなかった訳で、もう自分にとっては夢のような1年間だったです。


本当に懐かしいな~というのと、ワクワクドキドキの毎回。やっぱり自分はこの鎌倉草創期、頼朝&東国武士団からの視線で描くこの時代が好きだなぁと再確認しました。


三谷幸喜さんの脚本は冴えに冴えて素晴らしかった。三谷さんは昔からよく存じ上げていますが、こんなに素晴らしい脚本を書かれる方というのは今回初めて気づきました。大変申し訳ございませんでした。


コメディのセンス、全般的に暖かい雰囲気が漂う人間的にホッとするようなドラマ。鎌倉草創期の時代って血で血を争う抗争劇じゃないですか。それが暗く陰鬱な雰囲気にならずに、つねにどこか喜劇的でアットホームなホッとするような明るい雰囲気がベース、根底にあったのは、三谷脚本の妙なのだと思います。


役者さんたちも素晴らしかったです。

どうして三谷脚本だと、あんなに役者さんたちが輝くのか、本当に不思議ですね。もうみんな個性的で光っている感じで、その役柄がすごい輝いている。活き活きとしている。


三谷脚本のドラマは、採用される役者さんがかならず固定ローテーションで決まっていて、なぜなのだろう?とずっと思っていましたが、やはりあのコメディのセンス、可笑しさ、ちょっとした演技の笑いの間の取り方だとか、それを演じられる役者さんは、おのずと決まってくるんでしょうね。他の役者さん、誰もがあのホンワカ、可笑しい雰囲気を演じられる訳じゃないんだと思います。


だから三谷さんが自分のドラマに適した役者さんということで、もう指定する感じで固定で決まってくるのだと思います。そのことがいま理解できました。


三谷脚本で俳優さんたちが、なぜあんなに輝くのは、やはり三谷さんが”あて書き”といって、その役の役者さんが演じることを想定したうえで書いていくからなのでしょう。本人も仰っていますね。その役者さんへのラブレターなんだって。


主役の小栗旬氏。もうご苦労様としかいいようがないです。あっぱれな北条義時でありました。青年時代の好感度抜群から、晩年のダーク闇落ち、もうイメージ通りです。(笑)若いのに気を遣う方で、座長として1年間、スタッフにも気を遣いながら現場をまとめてきたのは、本当に素晴らしい、ご苦労様としかいいようがないです。


紙面の関係上できませんが、もう役者さんたち1人1人ご苦労様の労を労いたい気持ち一杯です。


43年前のときの草燃えるで、誰がどの役をやったか、というのは、43年経過した今でもはっきり覚えています。


鎌倉殿の13人は、自分の記憶の中にあった草燃えるのイメージを完璧に塗り替えたといっていい。鎌倉殿で、登場した役者さんたちが、どの役をやったかというのは、1人1人これからも永遠にずっと覚えていると思います。忘れること絶対できないです。


自分に縁があった役者さんたちということで、これからもずっとその活躍を応援していきたいと思います。これからもいい作品に恵まれて、素晴らしい役者人生が待ち受けていることを心からお祈りしています。


申し訳ないと思っていたのは、演技論、というか素晴らしい演技、役者論みたいなことを日記で感想を述べられなかったことだと思います。


これはやはり自分の役者の演技に関する知識不足。感想を述べられるほどの実力が備わっていない。これは申し訳ないな、といつも思っていました。そういうことを論じられればいいのにな、と常に考えていた。


自分は映画やドラマはもちろん大好きだけど、自分の人生の軸になっていたのは、音楽なんですね。音楽を人生の軸にして生きてきたところがあるので、音楽には自信があって語れるんだけど、映画やドラマはいまひとつ自信がないんですね。映画、ドラマもちろん大好きですよ。


でも自分の人生の中でも、映画に夢中になった時期もありました。大学生のときです。この頃、いわゆるハリウッド、ブロードウエイ映画に夢中だったです。


ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープが自分の時代の大スター、名優でした。


ゴッドファーザー、スティング、明日に向かって撃て、タクシー・ドライバー、ワンス・ア・ポン・ア・タイム・アメリカ、スタンドバイミー、恋に落ちて、愛と悲しみの果て、あと一連のヒッチコック映画は夢中になりました。


ここら辺は自分の十八番でした。懐かしい青春時代の想い出ですね。


社会人になって仕事が生活の基本になっていくと、だんだん映画に夢中というようにはできない体力になってしまった。音楽と違って、映画やドラマって、精神の集中度合いが数倍大変じゃないですか?すごい重労働です。やはり仕事がきつい毎日なので、だんだん映画がヘビーになっていって遠ざかってしまった。


やっぱり音楽のほうが、自分の生活軸に合う感じなんですよね。


自分の人生で後悔していることが、舞台やミュージカルに疎遠であることです。あまり経験がない。生のステージによる生の演技の世界をあまり経験したことがない。


これはぜひ体験したいとは思っています。


そういう訳で、なかなか演技論について熱く語ったり、論じたりできなかったことが今回申し訳ないな、と思ったことです。


ただこれだけは間違いなく言えることは、人間誰しも生きていくために、ご飯を食べていくために、それぞれの才能で生きていく訳だけれども、役者さんの演技という才能、これは一般人では到底まねできない持って生まれた大変な才能なんだな、ということがよく分かったということです。それが今回のドラマでよく認識できた。みんなプロ。これで飯食っていってるというプロ意識、オーラが凄かった。半面、オレの才能ってなんなのかな、と思い返すことが多かったような気がする。


鎌倉殿の13人は、三谷脚本ばかり注目されていますが、じつは脚本、ト書きに書かれていることがそのまま映像化される訳ではなく、それだけでは映像化は無理で、その実際我々が見ているドラマの映像に仕上げているのが、演出家であり、スタッフである、ということ。これも今回初めて知りました。


これはじつはめちゃめちゃ大事なことなのではないでしょうか。自分は脚本は見たことがもちろんないですが、自分がじっさい観ているドラマの映像は、ぜんぶ脚本からイメージを膨らませて、あのように現実画像にしているのです。脚本の文字の情報をあのようなドラマの描写、映像にしているのはこれまたまったく別次元で大事な仕事だと思います。


これはNHKのスタッフによるところです。三谷さんもこの演出、映像化へのご苦労に感謝の意を示しておられましたね。自分の脚本では、ただ文章でこうやって数行書いているだけなのだけど、実際出来上がったドラマの映像を見ているとすごい完成度で驚いたとか。


これは深遠なるドラマ制作の世界ですね。


脚本家、役者さんたちだけでなく、ドラマ制作陣、語り、スタッフ、そして時代考証などの先生方、いろいろなみなさんの協力によるチーム・鎌倉殿の勝利ということなんでしょうね。


鎌倉殿は、いままでの大河と違って、なんかいままでのしきたり、常識をぶち破ってやるぞ、というような斬新さ、勢いがありましたね。すごく斬新な試みが多かったです。それはオープニングのタイトルからして、すべてです。オープニングに毎回ナレーションを入れるのも斬新でした。


すべてにおいて斬新で、勢いがあって格好良かったです。


自分の鎌倉殿の感想は、やはり”カッコいい”のひと言だな。これに尽きる。カッコよかったです。


2022年1月9日から、2022年12月18日までの48回のうち、もっとも印象的だった場面を上げろ、というと、う~ん、難しいですが、自分はこのシーンを挙げたいですね。


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承久の乱で朝敵となってしまったときに、北条政子の演説で御家人が奮い立つこの場面。


集まった御家人を前に、最初こそ大江広元の原稿を読むが「(頼朝の恩は)山よりも高く、海よりも…」と言ったところで、原稿を閉じ、自らの言葉で御家人達に語りかける。


上皇側は幕府が義時の首を差し出すと考えているとも訴え「馬鹿にするな」「そんな卑怯者はこの坂東に一人もいない!」などと呼びかけ、御家人達は雄たけびを上げ、聞いていた義時は涙を流す。


「あなた方は本当にそれでよいのですか?」「(義時は)一度たりとも私利私欲に走ったことはありません」「ここで上皇様に従って、未来永劫西のいいなりになるか。戦って坂東武者の世を作るか、ならば答えは決まっています」


「いまこそ、三代続にわたる源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです」

「頼朝様の恩に今こそこたえるのです。」




この鎌倉草創期のドラマで、歌舞伎には絶対出てこないシーンで非常に貴重な場面が承久の乱であり、政子の演説なんですよ。これで北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。まさにこれから600年間、徳川家康の江戸幕府の時代に至るまでの武家社会の礎を築いたのが、この瞬間だったのです。


だから自分的には、鎌倉殿の最大の頂点はここだと思っていましたから。当初から。


ずっと1年間、「北条政子のあの演説どうするんだろう」と思いながら見続けてきたから、やっぱり感慨深いものがありました。痺れました。カッコよすぎて泣きました。1年間ずっと待っていて本当によかったと思いました。



政子演説は、史実とは違う解釈で三谷流解釈を加えていたのが新鮮でよかったですね。これは48話全般に言えることですが。三谷さんは吾妻鏡をベースに書いているようでしたが、かならずしも史実に沿った書き方はしていませんね。不明なところは、かならずオリジナルな創造を加えていましたね。かなり創作なところも多かったような気がします。


史実に忠実な歴史ファンからするとデタラメばかり、けしからんという人もいるかもしれませんが、自分は全然そんなことないと思います。歴史ドラマである前に、エンターティメントであり、楽しめるドラマでないといけない。そういう点でそういう楽しめる工夫があって、ドラマ的にはより肉付けがよくて豊かなドラマになったと思います。


この1年間、つねに自分の側に居てくれた感じ、自分に寄り添ってくれた感じがして、いつも自分の心はポカポカ暖かったような感じでした。幸せな1年でありました。


まさにあれから43年後に、またこの時代の貴重な歴史ドラマがもう一回観れるなんて、夢にも思わなかった自分。この御恩は一生忘れないですし、脚本家、役者さん、すべてのスタッフに厚く心より御礼申し上げたいと思います。


どうもありがとうございました。



最終回の今日、日本の各地でグランドフィナーレとして、役者さんたちが同行してトークイベントが開かれファンのみなさんと一緒に最終回をスクリーンで観ようという企画があったようです。


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●鎌倉会場

小栗旬  (北条義時 役)

小池栄子 (北条政子 役)

坂口健太郎(北条泰時 役)

宮澤エマ (実衣 役)

菊地凛子 (のえ役)


山本耕史 (三浦義村 役)

宮沢りえ (りく 役)


司会

西本たける(北条朝時役)

石井美江(NHKキャスター)


●札幌会場

金子 大地(源頼家 役)、山本 千尋(トウ 役)


●名古屋会場

ゲスト出演なし


●京都会場

栗原英雄(大江広元 役)


●大分会場

ゲスト出演なし


自分は、今日の鎌倉会場での配信を拝見しました。面白かったです。


後日、NHKの総合テレビでも再放送あるみたいです。

ぜひご覧になってください。



本放送:【総合】12月27日22:55~23:24

再放送:【総合】12月29日9:25~9:54






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Road to サントリーホール [航空関連]

12.10(土)にANAの高松-羽田線就航60周年を祝して、ANA Team HND Orchestraが高松空港で演奏されたそうです。SNSのコミュニティの投稿でその模様が上がっていたので大変興味深く拝見しました。


今年ANA創立70周年ということで、それぞれのメンバーがいままでの初代から現在の10代目に至るまでの制服を着ての大サービスだったようです。


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いいですね~~~。

素晴らしいです!


この投稿の中で、結構ドキッとするというか、ホントに~~~!?というようなびっくりした情報を発見しました。


この投稿者の方と、ハネオケの創始者でもあるベースのキャプテンとお話させていただく中で出てきた話だそうで、キャプテンのハネオケ愛に胸が熱くなったので、同じようにハネオケを愛する皆様にぜひ共有させていただきたいということでした。(キャプテンには御快諾をいただいているそうです。)



「俺の夢は、いつかサントリーホールで、歴代のメンバーを集めて、いつも応援してくれているファンの皆さんの前で演奏することなんだ。昔から“いつか葉加瀬太郎さんと一緒にやりたい”って言っていて、そんなこと叶うわけないとバカにされても言い続けたら夢が叶った。だから、サントリーホールの夢もいつか叶うと信じてる。そのためには皆さんの力が必要なので、これからもぜひ応援してください。合言葉はRoad to サントリーホール!!」


これ最高じゃないですか!!!

もう自分はうれしくてうれしくて、最高のアイデアだと思いました。


ぜひ実現させましょうよ!!


さすがハネオケの創始者、ベース、キャプテンです。


自分はANA Team HND Orchestraの存在を知ったのは、つい最近ですが、まさかハネオケがサントリーホールに登場することになろうとは、自分の長いサントリーホール通い人生の中でも予想だにしなかったです。(笑)

夢にも思わなかったです。


あまりに面白過ぎる!(笑)

そして楽しすぎます!


最高です。


ぜひ実現させたいと思います。


このコミュニティの投稿を拝見して、自分もぜひ、この”Road to サントリーホール”プロジェクトを応援していきたい、自分なりに力になれることがあれば協力したいと思い、この日記でなるべく多くの人に知ってほしいということでぜひ日記で取り上げることにしました。


あくまで自分ベースですが、こんなことが課題として挙がってくるのではないか、というようなことを勝手に想像してみました。想像は無料です。勝手に盛り上がってしまいスミマセン。(笑)



●ANA Team HND Orchestraがサントリーホールでコンサートをやるにはどのようなことが課題としてあるか?


(1)ANA本社に、そのプロジェクトの実現を要望し、申請する。

これは当然必要ですね。勝手にはできません。ANAの許可が必要になります。でもANAは明るいノリノリの社風の企業ですので、反対する理由はまったくないように思います。逆によし、それぜひドンドンやったれ!という感じではないしょうか。。。


そのときに事業計画書とか事業明細書とか提出する必要があるのではないでしょうか?コンサートのコンセプトであるとか、コンサートにどんな効果があるか。あと費用面ですね。これ重要ですね。かかる費用としてどれくらい支出が見込まれ、そしてもし収益があるなら、結局、収支として黒字が見込めるのかとか・・・。


ハネオケの空港ライブは、基本ボランティアではないか、といつも思っています。準備の費用の支出はあっても、ファンのため、コンサートは無料なので、収益はないのではないか。ANAのプロジェクトの一環でのボランティア・イベントなのだと思っています。


とにかくこの特別なコンサートに関する企画書を提出する必要があるのではないでしょうか。


(2)コンサート


やっぱりせっかくサントリーホールで演奏するならば、いつも空港でやる空港ライブと違って、なにか祝祭的な特別な意味を持つコンサートにする必要があるのではないでしょうか。


ベース、キャプテンが仰っていた歴代メンバー全員集合で、11周年ファン感謝イベント的なコンサートにするとか。。。自分もよく認識できていないんですが、ハネオケはもう11年の歴史がある訳ですから、メンバーはその時代、その時代でその都度変遷していくわけですので、現在のメンバー含め、歴代のメンバー全員集合。そしてみんなでファンの方に感謝を伝える。。。


いいじゃないですか~。


せっかくだから葉加瀬太郎さんにも参加してもらいましょうよ!

葉加瀬さんも断る理由もなし。喜んで参加してくれると思います。



(3)演奏曲


これはある意味、メンバーにとって大変になりますね。なにせサントリーホールでの特別コンサートです。いつもの空港ライブでの30分くらいで終わらすわけにはいきません。


最低でも1時間、いややはり2時間は必要でしょう。いつもやっているレギュラー・レパートリーだけでは持ち駒が少なすぎます。新しいレパートリーをどんどん増やしていかないといけません。


もちろん演奏だけではなく、ちょっとしたコーナーを挟んで時間をつぶすという手もあります。各メンバーのインタビューとか、お話とか素顔紹介。そういうのも挟んでいく。


だってメンバーはみんな社員なのですから、普段平日は自分の仕事を持っている訳です。練習する時間など、なかなかお互いスケジュールが合わず、大変なのではないか、と思います。


いままでの歴代メンバーを全員参加させるということになるとますます大変ですね。これは結構大事な問題ような気がします。


(3)PAなしで、楽器の生サウンドで。


空港ライブでは、やはり野外だし、周囲の環境音などありますから、原則PAが必須ですが、サントリーホールで演奏するならPAは必要ないですね。生サウンドでいいですね。楽器は、ヴァイオリン、サックス(アルト、テナー)、フルート、ピアノ、ベース、ドラムス、トランペット・・・こんな感じでしょうか。


ベースはPA必要かもですが、それ以外はあえて、PAである必要はないですよね。クラシック音楽専用のコンサートホールですので、楽器の生演奏でいいと思います。ステージ上で奏でられた音は、ホール内で反射され、直接音、反射音がミックスされた楽器の生の音で聴衆に届き、楽しめます。


コンサートホール自体が楽器になります。


ピアノは、いつもの電子ピアノではなく、せっかくサントリーホールなのですから、クラシック仕様でホール常備のグランドピアノがいいのではないでしょうか。


いつもハネオケのメンバーは、楽器にマイクを装着して演奏しますが、それもいっさい不要になりますね。


(4)集客


自分がこれは大丈夫かな~とやや不安になったのが、集客です。空港ライブですと、そのステージの周りにお客さんが集まってくるという感じですので、それでいつも熱心なファンがたくさん集まってきて大変な黒だかりになります。


でも今度はコンサートホールです。

やはり規模が違います。


サントリーホールは、2006席です。


2006席を満員にするには、やはりそれなりの広告宣伝、集客戦略が必要になるように思います。ちゃんとそういうプロモートをした方がいいと思います。もちろんANAがプロモートします。


せっかくのファン感謝デー・コンサートですので、ホール内は超満員にしたいものです。


航空マニア、航空ファンはきっと熱心で若いファン層が多いので、なにもしなくてもきっと満員御礼になるとは思いますが、やはり広告宣伝費はかけたほうがいいです。きちんとプロモートしたほうがいいです。


広告費はどこまでかけるかによりますが、サントリーホールの前にあるここに貼るフライヤーはぜひ制作してほしいです。これがないのはあまりに寂しすぎます。


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あと各メディア、WEB系や雑誌媒体にかける広告費ですね。通常は音楽雑誌に、その公演の広告を載せるのが通常ですが、今回は、航空雑誌になりますかね?(笑)航空雑誌に、ANA Team HND Orchestraの11周年ファン感謝デーコンサートのお知らせを載せるのがよいのではないでしょうか。もちろん音楽雑誌も受け入れてくれるところは大歓迎です。新聞メディアにハネオケの特集記事が掲載され、この祝祭コンサートの広告掲載も効果大なんですねけどねぇ・・・


結構、広告費だけでもいい出費になりますかね?(笑)


やっぱりこうやって広告、宣伝していってANAや航空業界がそのイベントに対してどんどん気運を盛り上げていくような流れにしないと、集客ってなかなか難しいと思います。


でも航空マニア、航空ファン層は、とても若くて熱心だし、すごい熱いので、全国からこのコンサートを目指してやってくるファンの方も多いかもしれませんね。そんな心配なんてどこそとやら、という感じで、あっという間に満員御礼になるかも?


クラシックでは、高年齢層が圧倒的な客層で、今後の先行きがかなり心配されている業界なのですが、航空業界の場合は、きっと年配の方はもちろんのこと、若いファン層も多いので元気が違うのではないか、と思います。


もちろんサクラじゃないですが、一般客以外に関係者もどんどん招待します。もうたくさんいると思います。普段の空港ライブでANA Team HND Orchsetraと親交の深い各地方の空港関係者、もう自分では予想がつかない航空業界の人脈と言いますか・・・。


一般客の入りがあともう一息のところまで来た場合は、あとは関係者招待で残りの客席を埋めます。


言いたい放題の無責任発言でスミマセン。(笑)


(5)収益


やはりコンサートは有料にするべきです。見込み集客数、広告費、出演料、そのほか経費もろもろを換算してチケット価格設定することになると思いますが、あまり高価にすべきではないと思います。クラシックの外来オケではないのですから。(笑)良心的な値段設定で。あまり高いと売れないです。満員にできないです。


さらにANA本体からの融資もあると助かります。ANAにとっても社のイメージアップ、広告塔になるわけですので、メリットあると思います。


チケット販売による収益が前提にないと成り立たないプロジェクトだと思います。


ぴあ、イープラスやあるいは電子チケットteketなどのチケット販売業者のお世話になる必要がありますね。


(6)サントリーホールのホール貸し料金やコンサートスケジュール


サントリーホールがこの申し出を断るということはあるでしょうか?クラシック音楽専用のコンサートホールですが、べつにクラシックに限らなくてもコンサートを開くことに問題はなさそうです。大いに喜んでくれるものだと信じています。


ホールをひと晩借りるには、ホール貸し料金がかかりますね。これも大きな必要経費になります。あと、コンサートのスケジュールをどこに入れ込むか、というカレンダーの問題。


普段は、ホールは、シーズン内はクラシックのコンサートで日々埋まっていますので、空いている日に入れるとしたら、相当先に予定を抑えて空きに入れておく必要があるのではないでしょうか。



(6)プロモーター


いままで説明してきたことは、ある意味、所属事務所に属しているアーティスト、演奏家がコンサートホールで演奏するためのコンサートを開くということを、プロモーターに委託してやるビジネスですね。


かかる諸経費の計算、チケット販売、収益の管理、広告・宣伝。。。これはまさにプロモーターといわれる方々の領域です。


もうこれはANAからプロモーターの方に依頼してしまい、丸投げするのがいいのかもしれません。


(7)クラウドファンディング


かかる諸経費を捻出するには、やはりクラウドファンディングがいいでしょう。もともとこのコンサートは、ファンのためにやるコンサートですから、ファンの熱望によるもの。その費用もファンから調達するのがいいと思います。


きっとすぐに集まると思います。自分もぜひ投資させていただきたく思っています。

そのためにもこのプロジェクトでかかる諸経費の総額を見積もっておく必要があります。



(8)収録


このファン感謝デー特別コンサートは、ぜひ収録してほしいと思います。

それもプロの機材で。高画質・高音質で。

もちろんそれに伴う必要経費かかりますが。



せっかくの一世一代のサントリーホールでのコンサートです。

これは絶対ライブ収録として後世に記録として残しましょう。


ANA Team HND Orchestraの一番の魅力は意識的に作られたプロモの領域の世界よりもあのざっくばらんに楽しんでいる空港ライブのときだと思いますので、ぜひあの調子で普段通り楽しんでほしいと思います。


YouTubeでももちろん流しますが、もっと高画質・高音質の素材としてユーザーに届けられないか、考えたいところです。パッケージメディアとして販売してくれるといいなーと思います。もちろんBlue-ray HD/HiRes(96/24あるいは48/24)のフォーマットで。



スミマセン・・・ベース、キャプテンがふっと漏らした夢なのかもしれませんが、頼まれてもいないのに、勝手にシュミレーションしてしまいました。(笑)


しかもペーパー上での無責任な発言でスミマセン。(笑)こうやって書いてみても、インとアウトを考えると、やはりアウトの規模感、ボリューム感が大きいなと思いますが、出費はなるべくクラウドファウンディングでカバーできるといいですね。そこにインを重ねる感じでしょうか。。そのためにはかかる経費の費用を事前に精度よく分析することが重要だと思います。


やはり実現してほしいです。


これが実現出来たら、なかなか自分の一生の想い出になるな、と思います。

もちろん実現までにはハードルあるかもしれませんが、夢はあきらめないで、いつかは実現すると思っていましょう。


いやかならず実現しますね。

そんな気がします。








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屏風絵を探せ!安土城再建への道 [城]

自分はお城が大好きなんだけど、専門的に詳しいかというとそうでもなく、なんちゃって城マニアに分類されると思うのだが、いつか日本の名城を訪ねつつ日本各地を行脚したい、という夢は持っている。(城郭考古学者 千田嘉博先生の”日本最強不滅の城ライブ”のノンノン版を実践したいのである。(笑))


もう何回も日記で紹介していると思うが、自分にとって1番のお城は、やはり織田信長の安土城である。お城好きの自分の原点のようなお城である。


すべてにおいて革新的な発想の持ち主だった信長による戦うためのお城というよりは魅せるためのお城という意味合いが多かったお城である。


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子供の頃にNHK大河ドラマでCGで再現された安土城の天主を見たのがきっかけで、そのなんとも奇異な意匠に衝撃を受けた。ふつうの伝統的な日本のお城の天守らしくないのだ。いっぺんにその姿に魅かれてしまった。


自分は、もう子供のころから本当に日本史が大好きで(日本史の授業が大好きで大好きで、その時代の人の暮らしを頭の中で想像するのがなによりも楽しかった。)、お城にも心惹かれていたのだが、いわゆる日本の名城と言われるお城の外観と比較して、安土城は、あまりに個性的で、非常に奇異な印象なのだ。


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どこか唐風というか南蛮風というか異国情緒なエキゾティックな感じがして、それが和様と混ざったようなまさに独創的。格好いいのである。


やっぱり信長らしいお城だと思ってしまう。


安土城が、日本の他の名城の外観と比較して、あまりにその外観が奇異と感じるのは、ずばり5階の朱色(赤)の八角形の円堂の外観のところなのだと自分は確信している。


城全体の外観のバランスを観たとき、この赤い八角円堂の部分が、思いっきりインパクトが強くて、我々への印象度を強くしているのである。


安土城は本当に格好いいです。


信長以降、名城がいろいろ建築されていくが、安土城はいろいろな面において、その先駆けとなったお城なのである。〇〇の元祖、オリジナルは安土城だった、という要素はすごく多いのである。そういう意味でも安土城は城のパイオニア的存在だったのだ。


でもこの安土城の天主の姿は、あくまで想像図でしかないのだ。1885年から2005年に至る120年間の間、7人の学者によって、その復元案というのが示された。


天主の復元案として、1994年、内藤昌による復元案が有名である。自分も子供の頃から内藤案で安土城をずっとイメージしてきた。


そこでやはり歴史のミステリーである。信長時代の本当の安土城天主はほんとうにこのようなデザインだったのか?それは自分のみならず、歴史ファンだったら、誰もがそのミステリーを知りたいと思っている。


安土城は1576年築城、1582年に焼失。

わずか6年程度で失われてしまったのである。


安土城は築城から消失までの期間が6年くらいしかないから資料が全然ないのだ。


つまり安土城天主の姿を記録した書類がどこにもなく、その本物の天主を見た人はだれもいないのである。



織田信長に仕えた旧臣、太田牛一という人がいて、彼が信長の幼少期から本能寺までを纏めた編纂した「信長公記」は織田信長の人生を記した公式資料としていまも絶対的な評価、立ち位置にいる。


安土城の中の構造は、その信長公記の中に結構詳しく書いてあるのだ。


どこそこの部屋は何畳あって、その隣の部屋にはこういう飾りがついているとか、いろいろ書かれている。でも残念ながら、外から見た構造についてはいっさい書かれていなく、外観がわからない。


安土城の全体の見た目の資料がほとんどない、と言っていい。安土城天主の内部が、吹き抜け構造であることは、そのような設計図資料が現存していることをなんかの番組で観た記憶があるのだが、外観がどうだったか、という資料はまったくないのだ。


だから安土城天主が本当はどんな意匠だったのかは、誰も知らないし、誰も見たことがないのである。歴史のミステリーなのである。


安土城天主でわかっていること。


内部構造:信長公記などから検討可能。

外部構造:外観を表す資料がない。


である。


当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることはできる。

ところが信長時代の安土城天主の姿の証拠となる資料が現存する可能性があるのだ。

それが「安土山図屏風」である。下の図は模写図である。


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信長が権力を誇示するために狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風が、あるイエスズ会員の司祭に贈られ、彼が日本を離れるときに同行した天正遣欧使節によりヨーロッパに送られてローマ教皇庁に保管されているという記録があるのだ。


それが安土城の姿を知る決め手の一つと考えられ、現在に至るまで捜索が行われているが、未だに発見されていないのだ。


当時のその真の姿はいまや誰も知らない。


安土山図屏風は、宣教師の記録から、安土城と城下町を忠実に描いているとみられる。日本に来たイエズス会巡察使に信長が贈った後、天正遣欧使節に託されてローマ教皇グレゴリオ13世に献上された。バチカン宮殿(バチカン)に1592年まで存在していた記録があるが、その後約400年以上、行方不明になっている。


つまり、この屏風絵にこそ、信長時代の本物の安土城天主が描かれているのである。


「屏風絵を探せ!」


これは信長ファン、安土城ファンならずとも、歴史ファンだったら、誰もが熱望する信長時代の本物の安土城の姿である。


本当に数々の復元案で描かれてきたような姿なのか。

もし、全然違っていたらどうしよう?(笑)


自分は最近よくこういう夢を見るのだ。

ニュースでセンセーショナルに報道されているのである。


「信長が狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風が、ヨーロッパの〇〇の国で見つかりました!」

「これは歴史的に大変な衝撃です。信長時代の本物の安土城はこんな姿だったのです!」


その屏風絵に描かれている安土城天主を見た瞬間、自分は衝撃を受けているのである。


復元案と全然違うじゃんか!

すごい地味じゃんか!(笑)


こんなオチなのである。(笑)


屏風探索は滋賀県が1980~87年に、旧安土町も2004~07年に探索し、バチカンやイタリアに研究者を派遣したが、重要な手がかりは発見できなかった。


自分は、人生を終えるまでの間に、この屏風絵が見つかってほしいと心から懇願しているのである。信長時代の本物の安土城天主の姿が、じつはどうだったのか、知りたいのである。


安土城を再建する、というファンたちの熱い要望がいまも寄せられている。



安土城の再建が進まない理由。それが「資料が少ない安土城」に要因がある。


安土城はなんで中々再建されないのか?


①再建するには情報が不十分(設計図が不明)

②発掘調査が進んでいない(まだ進捗2割程度)

③莫大な再建費用がかかる(数百億円誰が払う。)


①は1番ネックになっている。


設計図があったりとか、長い間建っているならば、それを描いた絵の資料が残っているかもしれないけど、安土城は築城から消失までの期間が6年くらいしかないから資料が全然ない。


安土城再建に関しては、いままでは文化庁は資料が少ないと再建を許してくれなかったのだが、2020年にはちょっと基準が緩くなったのである。


設計図がなくてよくわからない部分があっても史跡の魅力を高めるために整備をしてもいい=復元的整備、再建してもいい、ということになった、のである。


これは大きな譲歩というか、かなり革新的なことだと思うのだ。


文化財復元に関する新ニュース

文化庁が2020年4月に新しい基準を公表。


そうなると、安土山図屏風が、この安土城の外観の資料としてはかなり有力な手掛かりとなってくる。もしかしたら、それが現存しているかもしれない。


その屏風絵を見つけられるかどうか、それが安土城再建のひとつのポイントになってくるのである。


これが見つからないうちに再建してしまい、あとで屏風絵が見つかったときに、あっここ間違っていたなということが判明してしまう。(笑)そうなのだ。一度城を復元してしまうと、新たな史料が出てきた時に変更が難しくなるのである。


もうここまで資料があれば、もういいでしょう、というところまで調べ尽くさないといけないのである。

つまりいまや安土城「屏風絵」の存在が、安土城再建の大きな鍵を握っているのである。

滋賀県が県民に安土城を復元したいですか?というアンケートをおこなった。令和2年7月でのアンケートである。


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建物復元してほしい24.2%

積極的におこなわなくてもいい 29.6%


滋賀県の人はいまのところ積極的な整備をおこなわない、という人が多い。


(賛成派)

安土城は山のてっぺんにあるので、天主ができればそこに行くまでの街道にいろいろなカフェやお土産屋さんもできてお城好きの人がいっぱいやってきて観光地として栄える可能性がある。


(反対派)

いまの生活環境を変えたくない。人がいっぱい来てほしくない。


まっ賛成派、反対派と拮抗している状態であるが、もし屏風絵が見つかれば全然話が違ってくる。

そしてなんと!このたび三度、滋賀県も本格調査開始なのである。


屏風絵発見プロジェクト始動!

屏風が見つかれば、世論も変わる。


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滋賀県の三日月大造知事が安土城が書かれている屏風の情報を、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、英語、これに訳してネットで情報募集することをプロジェクトとしてやるそうなのだ。


今回、県が探索に再び乗り出すのは、築城450年となる2026年にCG(コンピューターグラフィックス)などを用いたデジタルデータ上での復元を行うため。屏風以外の新資料を探す目的も兼ねている。


滋賀県は、屏風探索を世界に発信するため、ホームページを10月26日に開設。屏風が移動した可能性が高い国々の言語であるイタリア語、ドイツ語など6か国語で情報提供を呼び掛けている。三日月知事も東京都内のローマ教皇庁、イタリアなどの大使館を今年度内に訪問し、探索への協力を要請するという。


2006年には豊臣秀吉時代の大坂城を描いた「豊臣期大坂図屏風」がオーストリアの古城で見つかった事例もある。県文化財保護課は「安土城は日本を代表する城郭だが実像が未解明。インターネット時代だからこそできる形で探索する。屏風に限らず、城に関する新資料の発見につながれば」と期待している。


ちなみに、こちらがその2006年、オーストリアのグラーツのエッゲンベルク城で所蔵されていた秀吉時代の大阪城と城下を描いた貴重な屏風絵である。


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2006年、エッゲンベルク城は所蔵していた17世紀初頭の大阪城と城下を描いた大阪図屏風が再発見されたことから、2009年10月大阪城と友好城郭提携を締結した。


屏風絵はおそらく慶長12年(1607年)から慶長19年(1614年)の間に描かれたものと推定されている。豪奢な大阪城だけではなく、町屋や神社仏閣、500人もの武士や町人が色鮮やかに描かれていて、平和な城下の生活が活き活きと伝わってくる。この時代の大阪の情景を留めた絵は、現在ほとんど残っていないので大変貴重な屏風である。


この屏風絵は、秀吉の没後に制作され、生前は日本最大の権力者であり、死後は神として祀られた天下人秀吉の権力と栄華を特に賛美したものといえるのだそうだ。


当時、この秀吉時代の大坂城の屏風絵が発見されたときは大センセーショナルだったのだ。秀吉時代の大坂城の姿の証拠、エビデンスとして。


この屏風の秀吉の大坂城の天守を見てみると、自分が理解していた真っ黒なお城で派手な金の装飾を纏った華やかな天守というよりは意外に地味ですね。(笑)なんか、ふつうのお城の天守みたい。(笑)


信長の安土城の屏風絵がもし見つかったとしても、これくらいの小感動かもしれませんね。(笑)


滋賀県は、安土城の再建をけっしてあきらめていない。いまの時代にあった形で実現しようとしている。


2026年は安土城築城450周年を迎えるため、滋賀県は近江八幡市で取り組む「幻の安土城復元プロジェクト」について、拡張現実(AR)や仮想現実(VR)を使った城の見える化を実現させたい意向なのである。


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安土城の証拠となる現存する資料が少ないため、正直なところ安土城再建の道のりはかなり厳しい。でもAR(拡張現実)やVR(仮想現実)を使ってデジタル再現させようというプロジェクトであれば、再建による費用とかの問題もないし、あとは再現するための資料集めということになる。


こちらのほうが、実物の再建より、ずっと今風で現実性が高いのではないか、と自分も思う。ナイスアイデアだと思います。


見える化はARを使う場合、タブレット端末をかざすと現存する石垣の上に天主や屋敷などの建築物の立体画像が画面に浮かび上がる方式などが検討されている。VRならCG(コンピューターグラフィックス)で描いた天主などの映像を好きな角度から眺められるようなものになる見通しだ。


実際の建築物による復元の選択肢は残す方向だが、難しいとの見方が強い。特別史跡の安土城跡には史実に基づいた再現が求められ、そのための史料は現時点では十分とはいえない。


自分は、安土城再建を夢見る会に入会しているのだが、そのTwitter上で、「安土城をVRで再現する」という動画コンテンツを視聴した経験がある。


安土城天主だけではないのだ。その動画コンテンツを再生すると、本丸、二の丸、三の丸、大手門など、いわゆる安土城全部に関わる構造がCGで描かれ、道案内のように城内を進んでいく、というコンテンツである。


かなり興奮してドキドキしながら観たものである。

これは面白いアイデアだな、と思った。


滋賀県の「安土城デジタル復元案」も、そういう類の試みなのだと思う。今風でじつにいいアイデアだと思う。こちらも、もちろん天主だけではない。いわゆる安土山全般にエリアをひろげてAR/VRで再現するというものである。


鍵になるのは、その再現するための形をどんな歴史的資料を根拠として、そのデザインをするか、ということではないだろうか。


この滋賀県のニュープロジェクト、ぜひ応援したい。2026年にぜひ体験したいのだけれど、どうすればいいのだろう?


実際、滋賀県安土山まで出かけて、そこの風景をスマホやタブレット端末でかざすと、あるいはVRゴーグルをかけて眺めると、そこに安土城が再現するということなのだろうか・・・


ということは、滋賀県まで出かけないといけないということなのですかね?


でもやっぱりCGよりも現物がいい、という人もいるだろう。

安土城再建がなかなか厳しい道である理由にその費用面の問題もある。


安土城再建への道。


①建てたらいくらかかるのか?

城建築には木造と鉄筋とがある。


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お城の世界では、木造のほうが価値が高いのだそうだ。


安土城の鉄筋はすでに存在するのだ。テーマパークとしての安土城が現存する。安土城の鉄筋で300億かかったそうである。


でもやはり文化的なほうに価値を置きたい。

やはり木造である。


(自分はこの点、ちょっと認識が違っていたようだ。鉄筋のほうが建築強度的に全然いいと思っていた。木造だと長い経年とともに老朽化してしまい建築的に危険度が増すのでよくないと思っていたのだ。でもお城の場合は、文化財的には木造のほうが評価が高いんですね。しかも耐久年数も木造のほうが圧倒的に長い。ずいぶん誤解していました。)


でも逆に、木造は耐火構造にしないといけない。

300億より膨大に高くなることは間違いなしだ。


名古屋城も現在は鉄筋であるが、木造建築に復元したいという動きがある。名古屋城木造復元費用は、竹中工務店で見積もると504億だそうである。名古屋城再建費用の各部分でかかる費用を安土城に当てはめていくという方式で安土城再建の費用を見積もってみる。


ずばり安土城再建、木造で730億かかる。


安土城が再建できたとして、その後採算が取れるのか?その730億を回収するにはどれくらいの期間が必要になるのか。


収入・支出で分けて考えてみる。

安土城を再建したとして、考えられる収入と支出はつぎのようなものがある。


収入


天主入場料

税収増(経済波及効果に伴う)


支出


地代

維持管理費

行政コスト


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これらの収入・支出のペースで行くならば、建設費の回収期間 結論、約162年かかる。


あくまで試算であるが、ひいき目に見るならば、


信長にはブランド力がある。グッズ販売もきっと好調。

いまの安土城跡は単なる更地だけど、どんどん経済波及効果がでてきて栄えるに違いない。


そんな感じでしょうか・・・


いずれにせよ、現物の安土城再建には、やはり屏風絵の存在が必要なのである。本物の安土城とはどんな姿なのかを知った上でないと、なかなか再建に向けての動きは加速しないのではないでしょうか。いくら文化庁の文化財復元の基準が緩和されたとしても、です。


そういう面でも、やはり「安土城デジタル復元化プロジェクト」は、現実的な案だと思います。


安土城再建を希望する人は、ぜひYouTubeで「安土城再建への夢Channel」をフォローしてあげてください。結構旬でリアルな情報が得られますよ。自分も今回の日記の情報は、ずいぶんこのアカウントから勉強させていただきました。


安土城再建ももちろんだけど、江戸城再建も忘れないでね。自分はまだあきらめていません。江戸城寛永度天守をぜひいまの皇居の天守台の上に建てましょう!


東京の新しい観光地、経済効果抜群の効果があると思います!


ノンノンの日本最強不滅の城ライブ!来年は必ず姫路城に行くぞ!!!(すでに姫路、新大阪、京都の旅程でガイドブックと予習で旅日程も作成済みなのだ。もちろんグルメも。あとは費用調達の問題だけなのです。)










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美食倶楽部 人形町今半のすき焼き [グルメ]

人形町という町はとても素敵な風情の景観である。江戸時代からの昔風の面影を残しながらも、可愛らしいというか、なんか面白い町である。なんか、きゅっとこう丸い感じでカワイイのである。食べ物屋さんが非常に多くて、食の誘惑がとても多い。なんかかわいいよな~。


自分がいままで歩んできた人生で巡り遭ってきた町とはちょっと違う、いままでに体験したことのないような新鮮な街並みであった。


今度来たときは、休日の昼間にでも街歩きをしたいなーと思った。新しい日記のジャンルに、”街歩き”というコーナーをまた新たに作りましょうか?(笑)


吉田類さんの酒場放浪記や、倉本康子さん等のおんな酒場放浪記でいつも本番の酒場体験の前にその酒場がある街をちょっとふらっと散策するコーナーである。


本当に緩いコーナーでほのぼのとして好きである。新しかったり、カッコいい必要は全くない。ちょっと寂れていて、昭和の昔が垣間見えるようなそんな緩さがいいのだ。


なんといっても街歩きはお金がかかりませんね。出費をしなくてもほのぼのと楽しい。


”街歩き”という日記ジャンルはぜひ今後新設したいと思います。


予約していた時間よりかなり前に到着してしまったので、ちょっとそのあたりをぶらぶらと散策してみた。


人形町。


そんな印象を抱いた。


人形町は自分にとって昔からかなりなじみが深い町で、あの親子丼の元祖「玉ひで」でかなり頻繁に通っていた町である。


でも通っていたというほど偉そうではなく、東京メトロの人形町で下車して、そのまま玉ひでに直行するというだけであるから、人形町に詳しいとはとても言えない。


でも玉ひででもいつも開店前よりずいぶん先に到着するので、その周辺をぶらぶら、そして喫茶店、それも純喫茶といわれるような昭和色全開の喫茶店でよく時間をつぶしていたもんだ。


そのときから人形町は古くて下町風情があっていい町だな~とは思っていた。


よし!決めた。人形町の街歩き日記をぜひやってみよう。


人形町今半は、東京メトロの人形町今半のA2出口からすぐそばにある。


じつにひさしぶり!いったい何年ぶりだ?

かなりご無沙汰しておりました。


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この場所は明治~昭和の名席浪曲寄席「喜扇亭」の跡地だそうである。下町風情が残る人形町の街並みの一画に歴史と共に佇んできた。建物に風格がありますね。


人形町今半は、1階は鉄板焼ステーキ、2階はすき焼・しゃぶしゃぶをはじめとした日本料理を提供、というようにフロアによって分担分けしている。


今半さんはけっこう手広く商売をやっていて、単なるすき焼き・しゃぶしゃぶ、鉄板焼きの飲食店だけではないのだ。


よく覗いてみると、どうやらすき焼きやしゃぶしゃぶのお肉を販売している。精肉屋さんとしても商いをなさっているんですね。


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どれも高級の黒毛和牛A5ランクの最高級のお肉です。サシがびっしり入っていて、見ているだけでも美味しそう。食べるとなんともいえない甘さなんだろうな・・・。お値段的には、1枚スライスあたり大体1500円から2000円くらいでした。



今半さんは、なんと惣菜屋さんもやっているんですね。本当に手広いです。今半さんは宅配や通信販売もやっています。抜かりはないです。


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そしてここが今半の飲食店です。おひさしぶりです。ご無沙汰しておりました。


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変わっていない表玄関。


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やっぱり仲居さんが素敵です(惚れ惚れ)。日本人女性の和服姿というのはなんと素敵なんでしょう。日本人に生まれてよかったとつくづく思います。


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思うのは、代々伝わる老舗中の老舗、名店中の名店。やっぱり接客業のなんたるかをびっしり仕込まれているんだろうなと思います。和服姿の仲居さんは、非常に立居姿、振舞など上品で優しく美しく、受け答えなど超一流だと思いました。


反面、新人として入ったときは、相当厳しく訓練されるんだろうな。名門だからこそ、そういうお店の顔になる役割には、相当厳しく教育、訓練されているんだ、と自分は思いました。笑顔の奥に、厳しい訓練をかいくぐってきた苦労がある。そんな想いがしました。


これは別に今半の仲居さんだけでないです。接客業のなんたるか、一流のお店、そういう職業ほど、その教育が厳しいんだと思います。


人によって向き、不向きって絶対あると思います。人間の種類からすると、自分なんかもっともそういう接客業に向いていない人種なので、とてもじゃないけど自分には無理だな~といつもそのたびに思っています。


そんな厳しい訓練に耐えられないで、いつもへたってしまう人種です。



今半の玄関口は変わっていませんでした。


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すき焼きの割り下とか販売もしているようです。


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人形町今半は明治28年創業。もう何年になりますかね。軽く127年ではないでしょうか。自分が思うのは、これだけ歴史があると、建物はどんどん老朽化していく一方でメンテナンスとか大変なんだろうな、すごい出費になるんだろうな、と推測します。


ものすごい歴史のある建物ですが、中はもうピッカピッカに掃除で磨き上げられていて、清潔感溢れる和の空間でした。


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仲居さんともお話しましたが、自分が昔通っていたときに比べて、ずいぶん客間の様子が変わっています。自分の記憶にあるのは、大広間で畳敷きのところに囲炉裏があって、そこに足を入れて座るスタイルでした。そしてその囲炉裏の上にテーブルがあるのです。


でも畳を全部敷き替えたときに、この囲炉裏スタイルはやめたそうです。囲炉裏ってすごい大変らしいです。仲居さんにとっても。自分はもう歳なので、正座ができないし、座敷に座るより、テーブル、椅子のほうが楽でいいです。


今半は外国人のお客さんも多いので、外人さんにとってもテーブル、椅子のほうが評判いいとか。。。


仲居さんにとっても同じで、囲炉裏スタイルの場合、中腰でサービス提供するのは、本当に腰にきて大変だったようです。


現在の今半は大手術ということで、どの和室も全部、テーブルと椅子というスタイルに様変わりしました。これが自分が通っていたときと今の大きな違いだと思います。


予約をしていったほうがいいと思います。自分も予約をしましたが、大部屋は満員で、個室なら用意できる、とのことで、別途チャージがかかるけど、個室にしました。


竹の間を用意していただきました。今半でこんな素敵な和空間の個室で特別おもてなし待遇なんて、なんて素敵なんでしょう!


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ただ、この竹の間、薄い襖を通して隣の部屋とつながっているので、隣の部屋のお客さんの会話が丸聞こえなんですよね。(笑)法務省~とかなんとか、かなり上級国民的な雰囲気ありありの会話で、お~さすが今半、ふだんご利用なさるお客さんのグレードはやはり高いんだな、と感心しました。



マスクはこの中におしまいください。これはいいですね~。優しい心遣いが感じられます。


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メニューはもう行く前にWEBで調べていて、なにを頼もうか決めていました。


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その前にお飲み物はいかがですか?

下戸なのでお酒はやめたほうがいいと思い、ほんの軽い気持ちでウーロン茶でいいです。ウーロン茶ですと、ここにございます。


なんと!1800円もするウーロン茶である。ウーロン茶に1800円も出すのか、と思ったが、引くに引けず頼むことにしました。


メニューは、自分はコースを頼むことにしました。すき焼き、しゃぶしゃぶのコースには、月、星、宴というコースがあります。それぞれのコースで肉が特上と極上を選べるのです。


自分は豪勢に楽しみたい、でも予算も心配。。ということで、真ん中ら辺のコース星にしました。お肉は120g。1スライス40gを3枚です。せっかく来たのだから3枚では物足らないと思い、追加で特上のお肉を2枚追加オーダーで合計5枚のお肉です。


コースですからメインのすき焼き以外にも、前菜・小吸物・お造り4点盛・焚合などがあります。

まず前菜から。


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美しすぎます!


こんなに美しい和料理の前菜を拝見したのは、遠い昔、2018年のときの北鎌倉の幻董庵いらいじゃないでしょうか。右のグラスに入っているのが超高級ウーロン茶です。


台湾のウーロン茶のようです。

青茶=凍頂烏龍茶という現地名です。


Fall In Love Deluxと書いてあります。まさにその通りだと思いました。とても素敵なネーミングです。自分は一口口に含むだけで、もうその芳醇な香りに驚いてしまいました。まるでワインみたいです。もうそのひとくちで恋に落ちてしまいました。


烏龍茶も突き詰めるとここまで達することができるのか!


台湾を代表する青茶(=烏龍茶)。「凍頂茶」。味は緑茶に近いが、水色(すいしょく)は稲穂のように黄金色、独特の爽やかな鼻腔を抜ける清々しい花の香り、濃くのあるまろやかなフルボディーの渋みは懐かしい味わいを誘い、後から心地よい余韻が喉の奥から返ってきます。魚料理と相性が良く、白ワインのように愉しめます。


まさにそのとおりでございます。透きとおった黄金色の見た目が美しく高貴な雰囲気を漂わせています。そしてその芳醇な香りは、もう完全に白ワインの世界で、こんな上品な烏龍茶が世の中にあるのか、と驚きを隠せなかったです。


なんでも商談の場でよく頼まれる飲み物だそうで、商談の場合、ビジネスですから酔ってしまうと困るので、ノンアルコールが望まれるとか。そのときに、このワインのような烏龍茶がよく利用されるのだそうです。


ANAのファーストクラスのドリンクにも採用されたのだそうです。


すき焼きを堪能しに来ましたが、まさに最初のドリンクでこんなノックダウンの衝撃を受けるとはまったくの想定外でした。


いい想い出になりました。


そして前菜やお造りの美しいこと。日本人に生まれてよかったという感じです。綺麗に盛られているのを取り崩して食べるのが、なんかもったいない気がしました。


コースのお料理がでてきたところで、若い仲居さんから交代になりました。いま思い出してみれば、おそらく女将さんだったのではないか、と想像します。


お店のことをいろいろ説明してくださったり、すき焼き、お肉のことについていろいろ詳しく教えてくださったり、いろいろ世間話が弾んでたいそう楽しかったです。


過分なまでにご対応いただき、誠に感謝いたします。

過日そのことに気づき、いま大変恐縮している次第です。

どうもありがとうございました。


これからは本番のすき焼きを焼いていくことになりますから、やはり腕の立つことが必要になりますので、女将さんなら最高でしょう。


今半のすき焼きは、テーブルで食べる訳ですが、すき焼き鍋の位置と食べる人の位置関係はこんな感じです。


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食べる人からちょっと距離を置いて離れたところに鍋を置いて、お肉を焼きます。


今半のすき焼き鍋は本当にこぶりというか小さいですね。


そして溶き卵のある皿にお肉や野菜を盛り付けるのも女将さんがやってくれます。そして、はい、どうぞ、召し上がれ、という感じでお皿ごといただけるのです。


お肉や野菜を焼き、煮る、そして溶き卵のお皿に盛り付けるのは女将さんの仕事です。私は、そのお皿を受け取って、ただ食べるだけです。その繰り返しです。


まさに至れり尽くせり。王様になった気分です。


女将さんの溶き卵をお皿の中で溶く作業がすごいプロフェッショナルで驚きました。その手慣れた作業もさることながら、入念に長い時間をかけて丁寧に溶いていきます。あれは素人ではぜったいできない芸当ですね。


さぁ、いよいよメインの今日のお肉です。

黒毛和牛、山形産のA5ランクの特上のお肉、5枚です。

見てください!


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アップ!サシ~~~~~。


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女将さん仰るには、今半で扱うお肉は、どれも黒毛和牛A5ランクで雌牛(メス)、しかもお産を経験していない牛にこだわっているとのことでした。


お産をしてしまう、子供を産んでしまうと、やはり肉質が固くなったり、味が劣化したりでよくないんだそうです。


女将さんが鍋で今半流のすき焼きの焼き方を見せていただきます。もう目の前で実演してくださるのです。ショータイムという感じです。


すき焼きの焼き方には、関西風と関東風という流儀があります。

関東風というのは、割り下を使うことをいい、いわゆる”煮る”です。関西風というのが、調味料を直接入れていくやり方で、いわゆる”焼く”です。


今半では、薄く割り下を敷いた鍋に具を入れて、「焼くように炊く」。食べ頃を見逃さないよう、訓練を積んだ仲居さんが炊き上げるのです。


今半は関西風と関東風のいいとこどりの独自流なのです。「焼く、炊く、煮る」の真ん中の”炊く”なんですよ、うちは。そう女将さんが仰る。


こんな感じです。

女将さんから写真タイムにどうぞって。(笑)


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人形町今半のすき焼き。

いま食します。


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・・・・・・・(沈黙)


もう言葉にならないです。とにかく甘いです。そして柔らかい。口の中に入れただけでとろけてしまいそう・・・本当に香ばしい美味しさで、こんなに美味しい牛肉を食べたことはないです。


超一流の牛肉というのは、こんな味がするのか。。まさにそんな感じです。


もう女将さんにむかって、美味しい~美味しい~甘い~柔らかい~を繰り返していました。食べたあと、しばらく放心状態でずっと余韻に浸っている感じです。本当に幸せ~という感じですね。


音楽と食べ物は、人間を幸せにしますね。


もちろんごはんもいっしょにお供します。お味噌汁も備わります。溶き卵にまぶされた極上の牛肉で、ごはんをかっ込むあの悦楽はなにものにも代えられないでしょう。


これが人形町今半のすき焼きか~。ずっと余韻に浸っていました。もうだいぶ前にも経験していましたが、いまこうやって食すると、もう過去の記憶なんてそのまますっかり塗り替えられますね。もう新しく美味しいです。


女将さんから提案がありました。最後は、鍋に残ったお肉、野菜を煮た煮汁とで、その上に卵を溶き、ご飯を雑炊のようにからめていただく。


これを「ふわたまごはん」というらしいです。


もちろんぜひ、と自分。


今日は特別に、お肉を1枚残しておいて、その”お肉入りふわたまごはん”という特別メニューを召し上がってくださいね。お肉を入れるのは内緒ですよ。(笑)いつもはやらないです。


これが”お肉入りふわたまごはん”


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上に山椒をまぶすのだが、これが絶品。この山椒のピリリとくるアクセントのある味がもう絶妙にウマい。そして煮汁と溶き卵で雑炊のようにからめたごはん。もうすごいしょっぱい塩分びっちり利いたウマさ。激ウマですね。そのしょっぱさに、あの山椒のピリリがめちゃめちゃ利くのですよ。


これは最高の一品でございました。

最高のシメでしたね。


このふわたまごはん、なにせ、あまりにウマいもんだから、もう自分は一口でペロリ。そのあまりの早食いに女将さん、驚き、爆笑してました。(笑)”早すぎる~~(笑)”って。


ふつうみんなゆっくり味わって食べますよね~。(笑)

自分はペロリとひと口ですから。


女将さん、笑いが止まらず、大笑いしていました。


すみません、育ちが悪く、食べ物は飲み物のような人なので・・・。


怒涛のお肉攻撃にシメのふわたまごはん。


もう食後ず~っと余韻に浸っていました。


最後はデザートです。パパイア。清々しい口直しでございました。


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これだけの贅沢をして、3枚の福沢諭吉さんといったところでしょうか。ふだん貧祖な食生活をしている自分にとって、一瞬でなにかも吹っ飛ぶ気分転換になりました。本当に一瞬です。


やはりたまにこういう贅沢をしないと人間ダメですね。


女将さん、また来年年明けたらいらっしゃってください。(笑)


下町風情漂ういなせな人形町に、超一流のすき焼き、人形町今半あり、ですね。


記念すべき、美食倶楽部 第1弾となりました。


美食倶楽部、この企画を今後も継続的に続けていくには、やはりタニマチ、というかスポンサーが必要だな、とも思いました、です。(笑)



人形町今半










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美食倶楽部 人形町今半のすき焼き 序章 [グルメ]

北大路魯山人の流れをくむ由緒正しき日本古来の美食を、陶器などの芸術とともに楽しむ美食倶楽部。ついに始動である。


記念すべき第1回は、人形町今半のすき焼きを紹介したい。


書いていくうちに大変な力作になってしまい、しかたがないので序章(端書~はしがき)と本編の2部構成とすることにした。


序章(端書)編は、人形町今半の歴史、すき焼きの歴史、人形町今半のすき焼きとは?といういわば基礎のお勉強である。


そして後半の本編は、実際お店に訪問して今半のすき焼きを体験する、という体験談である。


明治28年牛鍋屋として創業した今半は東京にお住まいの方なら誰でもご存知と言っていいほど知名度の高いすき焼きやしゃぶしゃぶの専門店である。


今半は、個人的にいろいろ想い出があって、高級なすき焼きってどんなものなのだろう?その究極のすき焼きというのを自分がはじめて体験したお店でもある。過去に2回ほど通わせていただいた。


自分はすき焼きといったら、実家で母親が作ってくるお手製のすき焼きしか知らなかった。誰もが食べたことのある庶民のすき焼きである。


今半のすき焼きを食べたいと思ったきっかけは、第一に雁屋哲さんの美味しんぼ第5巻の牛鍋の味を読んだときである。そこに出てくる魯山人風すき焼き。


衝撃であった。


そしてつぎにテレビのコマーシャルや料理雑誌の写真に出てくる、高級すき焼きの美しくいかにも美味しそうな写真。もちろんプロの写真だから、映えるように撮っていると思うのだが、ふだん自分の実家で食べている母親がつくるすき焼きとはあまりに違う。雲泥の差といっていいほど、美味しそうである。


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まさに芸術品である。


その特選牛肉の大きくて薄い肉、おそらく最高級のA5の牛肉、これを割り下にくぐらせ、焼いて、そうしていかにも香ばしそうにぐつぐつ鍋で野菜などの具とともに煮あがっているお姿、堪りませんね。その煮て焼き上がったお肉を、溶き卵でまぶして食べる。


高級なすき焼きってどれくらい美味しいのだろう?


なんかもうその写真やテレビの動画を見るだけでよだれものなのである。母親のすき焼きとはもう別世界なのである。


一度でいいから高級すき焼きというものを食べてみたい、と願うようになった。そして当時ネットで調べたと思うのだが、すき焼きといえば人形町の今半であることを発見した。


そうして通ったということである。


それはそれは美味しかった。


両親が東京に遊びに上京してきたときは、この今半に連れてってやろうとずっと思っていた。でもそれもかなわない夢となってしまった。親不孝者である。



ここで人形町今半の紹介、そしてそもそもすき焼きってどのような歴史を辿ってきたのか、そして牛肉のこと、いろいろ紹介できれば、と思う。


情報引用元:


人形町今半公式HP



有限会社矢野畜産 A5は味の評価ではない。牛肉の等級 (ランク)の決まり方。



和牛と国産牛の違いは何?和牛の種類とその定義





明治という激動の時代の中、現在の墨田区本所吾妻橋に一軒の牛鍋屋が誕生しました。明治28(1895)年のことです。最初の屋号は「今半」だったとも「今用」だったとも言われていますが、岡山から上京してきた髙岡常太郎が始めた商いです。



●人形町今半の誕生


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大正12年関東大震災の復興が進み、昭和3(1928)年、今半からのれん分けをし、「今半本店」「今半(現在の浅草今半)」に分かれて次々と営業を再開させました。この時、「今半」は2代目の髙岡耕治が屋号を継ぐこととなりました。


時代は下って昭和27(1952)年12月8日、浪曲師広沢虎造の定席であった日本橋人形町の寄席「喜扇亭」跡に「今半」の日本橋支店が開店しました。


昭和29(1954)年9月には今半日本橋支店の店長に「今半」の次男・陞(のぼる)が就任。その2年後の昭和31(1956)年3月に「有限会社今半」として独立、髙岡陞が初代社長に就任しました。


昭和34(1959)年、高度経済成長期に重役弁当として会席弁当を配達していましたが「出来立ての温かいすき焼の出前は出来ないだろうか。」と陞は考え、どじょう鍋に使われていた土鍋からヒントを得て、保温性の高い土鍋を樫の木で作った重箱に入れ、ご飯もすき焼も温かいままお届けするようになり大人気商品となりました。


その後、アイディアマンの陞は、関西で牛肉を湯で煮る料理が有ると聞き研究し、人形町の銅細工屋でオリジナルの火鍋子鍋を作りしゃぶしゃぶを開始。牛肉のたたき、ポンズすき焼、フランス寿司等を開発。既存概念にとらわれない新たな挑戦が続きました。


●人形町今半の歩み


その後、昭和42年、人形町今半は日本橋髙島屋店内に精肉売場を、昭和44年に新有楽町ビルに飲食店初の支店を、昭和49年には池袋東武に惣菜売場・精肉売場・佃煮売場を次々に開店、店舗を徐々に増やしていきます。現在では飲食店20店舗、精肉惣菜店18店舗、仕出しを担当するケータリング部門のキッチンを東京と名古屋の3か所で開業、精肉グロッサーリの通信販売、量販店等で販売している、


割下や各種タレなどを担当している営業部門を加え、飲食店・精肉惣菜店・ケータリング・営業部門と全4部門にまで枝葉を広げてまいりました。



今半の始まりというのは、すき焼きを弁当でお届けする重役弁当としての会席弁当が始まりだったんですね。そしてそこから関西のしゃぶしゃぶに目を付けて、しゃぶしゃぶにも取り入れる。


こうしてみると、すき焼きという形で正式に取り入れているのではないことがわかりました。


そうして、いよいよすき焼きの歴史です。すき焼きはどのように誕生して、どのような歴史を辿ってきたのか。




●すき焼きの誕生


さらに江戸時代末期になると、関西地方で「魚(うお)すき」という料理が現れます。これは浅めの鍋で魚介類などを醤油タレで調理したもので、最初は魚の煮付けに近い形のものであったとされています。


語源としては薄切りにした食材を指す「剥き身(すきみ)」、風流で洒落たものを指す「数寄」などが考えられます。また、農作業中の料理として鋤(すき)を鍋代わりに味噌や醤油で肉を調理する「鋤焼き」という調理方法が存在したことも文献に残っています。


これらが合わさり、牛の剥き身(すきみ)を味醂や醤油で調理した「すき焼き」が関西で誕生しました。


すき焼きは関西がルーツなんですね!



●関西のすき焼き


京都は牛すき焼きの発祥の地であり、日本一の牛肉文化を持つとも言われています。京都から始まった「関西風」すき焼きは、牛脂をなじませた鉄鍋で牛肉を焼き、砂糖や醤油などで調理することで肉の脂味を強く感じられる手法です。肉と野菜を交互に調理することで常に変化する鍋の状態を昆布出汁、水などで調整し、最後まで仕上げる面白さがあります。


牛肉のすき焼きは、京都が発祥の地でした!


この関西風の調理方法でちょっとピンと来ませんか?「肉と野菜を交互に調理することで・・・」これって魯山人風すき焼きのことですよね。すき焼きの元祖である関西風は、じつは魯山人風すき焼きにも関連があるのかもしれません。魯山人はちょっと変わった人だったので(笑)、魯山人風すき焼きも彼独特の調理法だと思うのですが、関西風はそこにルーツを持っているのかもしれません。関西風は、砂糖を使うとありますから、砂糖を嫌っていた魯山人のすき焼きともやや違う感じです。



●肉食の奨励


一方同時代の関東では、慶応3(1867)年に「牛鍋」屋が東京で開業。同年、今里町(現在の白金台)に政府公認の食肉処理場が誕生しました。


次いで明治5(1872)年1月24日、明治天皇が牛肉を宮中で食したことを公表、肉食解禁を宣言しました。この背景には、列強諸国との晩餐会に牛肉を使用したいという外交的事情と、富国強兵政策のために国民に上質なタンパク質を摂取させる必要があるという政治的事情がありました。



●牛鍋の流行と今半


これを境に関東では続々と牛鍋屋が開業、最盛期には都下に550軒以上の牛鍋屋がしのぎを削っていました。この軒数と人口の比率を現在の東京都で換算すると実に8900軒以上、コンビニより多く街で見かける、と言えばその繁盛ぶりが想像できるでしょうか。


そんな時代のなか今半は誕生、最初は小さな牛鍋屋からスタートします。


当時の東京で流通していた牛肉は未発達な処理技術のせいで臭味が強く、それを使う牛鍋は味噌や醤油で強い味付けと匂い消しをしたものが大多数だったようです。


しかし政府公認の食肉処理場を皮切りにより高度な処理技術と衛生管理が発達、安全で上質な牛肉を供給できるようになりました。


●牛鍋から「関東風のすき焼き」へ


基本的に江戸前料理は関西の料理を簡略化して無駄をはじいたものが多く、それを江戸のお点前料理、江戸前と言われていました。牛肉の質の向上と共に、関西から剥き身を使ったすき焼きが伝わり、「関東風」のすき焼きが完成していきます。


関西風では鍋で調味料を合わせ味を調えますが、気が短い江戸っ子はそれが面倒で、最初にたれを作れば簡単じゃないかとのことですき焼きの割り下が完成していきます。江戸っ子は、柔らかくって、ふわふわっとして、甘いものが好きでしたから、割り下の砂糖と醤油だけではものたりなくて、みりんが入り今の割り下となったと言われております。


この「割り下」を使うかどうかが関東風と関西風の分かれ目になるといえます。「関東風」のすき焼きは、割り下を使うため汁気も比較的多い傾向にあり、鍋の味が一定になりやすいため、大人数で鍋を囲んで思い思いに箸をのばすことのできる大らかさがあります。


今半は牛鍋の質を磨き上げていくなかで、関西のすき焼きの技法と関東の割下を融合させ、「今半のすき焼」を完成させていきます。


すき焼きの作り方はまだまだあります。


鍋に野菜を敷き詰め、野菜の上に牛肉を広げ、その上から割り下をかけて食材の蒸気で肉を調理する山形県米沢市の置賜風と言われる手法。キッチンで調理したものを皿に盛り付けて出す沖縄の手法。


地域や家庭ごとに多種多様な調理方法が存在するのがすき焼きです。使う材料も様々で、北海道・帯広周辺では豚肉、関東や九州では鶏や軍鶏を使うこともあります。




へ~、そうだったんですね。そもそもすき焼きという言葉は最初からある名前ではなく、最初は牛鍋。そこからすき焼きとなっていった。すき焼きは関西が発祥の地。(京都)それですき焼きには、お好み焼きと同じで関西風と関東風と2種類存在するのです。


関西風は鍋の中で調味料を合わせ味を調えるけど、気が短い江戸っ子は、最初からたれを作ってしまえばいい、これが関東風なんですね。これがいまでいう割り下なんですね。


この割り下を使うかどうかで、関東風と関西風の分かれ目になるんだそうです。


今半のすき焼きは、この関西のすき焼き技法と関東の割り下を融合させた「今半のすき焼き」という独特のスタイルなんだそうです。



すき焼きの歴史がわかったところで、今度はそのすき焼きの主役である牛肉についてちょっと勉強してみましょう。黒毛和牛だとか、A5,A4,B5とかの用語聞いたことあるじゃないですか。この日頃の疑問をクリアにしておきたいです。


日本国内で流通している牛肉は、「輸入牛」と「国産牛」、そして「和牛」に分けられます。



輸入牛は、外国で加工し、輸入した肉を指します。国産牛は基本的に、日本で飼育・加工された牛を指します。しかし、外国で飼育した牛を輸入し、日本で飼育した後に加工した場合も国産牛として表示することが可能です。


和牛は、日本の在来種をもとに作られた食肉専用の牛を指します。品種を指して和牛と呼ぶため、必ずしも国産牛であるとは限りません。


「和牛」と呼ばれる品種は、「黒毛和種」「褐毛和種」「日本短角種」「無角和種」の4種類のみです。この他の品種の牛は「和牛」と表示することはできません。 4種類いる和牛ですが、全体のおよそ90%を占めるのは黒毛和種、いわゆる「黒毛和牛」です。


日本三大和牛の神戸牛・松阪牛・近江牛・米沢牛も黒毛和牛なんですよ!黒毛和牛というのは牛の種類、そしてそれぞれに産地があるということなんですね。


今半で扱う牛肉も黒毛和牛です。


牛肉はやっぱり黒毛和牛だよね~という人も多いですよね。


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黒毛和牛とは「黒毛和種」という品種の牛のこと。黒毛和種は国内和牛飼育量の90%をしめる品種で、全国に約160万頭ほどいます。まさに日本を代表する和牛ですね。


そんな黒毛和牛は名前のとおり黒毛を携えており、黒い見た目をしていますが、少し褐色がかってもいます。



黒毛和牛の肉質は肉牛のなかでも最高ランクです。肉質の最大の特徴は、なんといっても霜降り(サシ)のきめ細かさでしょう。霜降りとは赤身の間に交雑している脂肪のこと。黒毛和牛は霜降りがキレイに入っており、非常に美しい見た目をしています。

 

また、黒毛和牛は霜降り具合だけでなく、美味しさや柔らかさなどの品質面も優れています。口に入れた瞬間にとろけるような食感と、上品な脂肪の甘みはやみつきになる美味しさです。


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さらに、牛肉のランクとして、A5,A4とかいうナンバリングも聞いたことありますね。これもクリアにしておきましょうね。


牛肉にはA5、A4、B5といった等級(ランク)があります。一般的にはA5牛肉が最もおいしいお肉だといわれます。ですが、この牛肉の等級、実はお肉の「味」は評価していません。そのため最高ランクといわれるA5の牛肉でも、必ずしもおいしいお肉とは言えないのです。


では、なぜA5の牛肉はおいしいと、一般的には言われるのか。

なぜA5の牛肉は値段が高いのか。

そもそもA5とA4の、A5とB5の牛肉の違いはなにか。


●牛肉の等級の全体像


牛肉の等級は、A5、A4、B5のように「アルファベット+数字」の形で表記されます。日本食肉格付協会が農林水産省から承認を受けた牛枝肉取引規格に基づいて、等級を決定しています。


アルファベットの部分は歩留(ぶどまり)等級といい、これは「その牛からどのくらい商品となる牛肉が取れるのか」を評価したランクです。いわば生産性の評価ですね。AからCの3段階があり、Aが最高ランクです。


一方、数字の部分は肉質等級といい、これは「牛肉の色沢」「牛肉の締まりときめ」「脂肪の色沢と質」「脂肪交雑(脂肪の入り具合)」の4つを総合的に評価したランクです。1から5の5段階があり、5が最高ランクです。



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つまり、A5とは「商品となる牛肉がたくさん取れて、脂肪の色沢と質、牛肉の色沢や締まり、きめが良く、脂肪が多く細かい」という意味です。


●歩留(ぶどまり)等級について


A5,A4,B5などのAやBのアルファベットの部分。これは歩留等級のことです。歩留等級は「牛からどれだけ商品となる牛肉が取れるか」を評価したものです。


より具体的には、牛から頭・皮・足・内臓を取り除いた枝肉(えだにく)と呼ばれるお肉から、第6~第7肋骨間のロースやバラ面積を見て、商品となる部分肉(ぶぶんにく)がどれだけ取れるかを表しています。



●肉質等級


そして、A5,A4,B5の5,4の数字の部分。これが肉質等級のことです。


肉質等級は名前のとおり「牛肉の質」を評価したランクです。具体的には、次の項目を評価します。


脂肪交雑

脂肪の色沢と質

牛肉の締まりときめ

牛肉の色沢


それぞれの項目は、1から5の5段階でランク付けされます。いずれも5が最高ランクです。


ただ、肉質等級を見るときの注意点として


基本的に見た目の評価である。

牛肉の味に関する評価項目はない。


ということなんですね。決して食べて美味しいという意味でジャッジしていないんです。だって食べたらそれでなくなってしまうから、食べる前にその見た目で判断するということなんだと思います。


そして食べてみたら、やっぱりそういう見た目のジャッジがそのまま美味しいよ~~~ということなんではないでしょうか。その見た目のジャッジと実際の味との関係性が経験上蓄積されているということなのではないでしょうか。


A5,A4,B5というナンバリングは、あくまで美味しいという評価ではなく、その牛肉がその1頭の牛の各部位からどれくらい採れるかということと、そしてその肉の見た目の評価である、ということだということです。けっして美味しさのパラメータではないのです。


でも実際食べてみたらこのランクは美味しかったなど、その経験値がたくさん蓄積されてきた。そこに各ナンバリングの評価値と美味しさの関係性が長年にわたって構築されてきた、ということなのではないでしょうか。


なんとなくわかってきましたね。


では、なぜ「最高ランクのA5和牛が一番おいしい」と言われるのでしょう。それは、霜降り肉を好む方が多いからです。市場が霜降り肉を求めているから、A5=最高ランク=おいしいとなるわけですね。


人形町今半のすき焼きで使用される牛肉は、みんなすべて黒毛和牛のA5ランクのものです。どのメニューを選んでもそうです。牛肉の産地としては、神戸牛、松坂牛、近江牛、米沢牛とかどれかにこだわって絞っているということはなく、黒毛和牛でA5ランクであれば、満遍なくいろいろな産地から仕入れている、ということだそうです。


今半では、その黒毛和牛A5ランクのものの中でもさらに特上と極上にランク分けしているのです。これは今半さん独自の選眼なのだと思います。


極上になればなるほど、より甘みが増して柔らかく最高なんだそうです。ちなみに、今半で扱う黒毛和牛A5ランクのお肉ですが、コースで頼むと3枚ついてきます。総量が120gと決まっていて、1枚が40gを3枚になります。


それにさらに追加オーダーとして肉を追加する場合、特上の場合は、1枚2,500円、極上の場合は、1枚3,600円です。


吉野家の牛丼何杯食べれるんだ?(笑)

軽く10杯はいけそうですね。


自分は、特上のお肉、1枚2,500円を2枚追加して、コース3枚のお肉と合わせて合計5枚の黒毛和牛A5ランクのお肉を楽しむことにしました。


人形町今半のすき焼きのおいしさは黒毛和牛の味だけではなく「割り下」の味にもその秘密があります。



割り下とは砂糖・しょうゆ・みりん・酒など複数の調味料を混ぜ合わせ、煮立たせて作った煮汁のことです。


人形町今半では創業以来から変わらぬ割り下の味の黄金比率があるそうです。その黄金比率とは、「醤油4:みりん3:砂糖2:水1」 です。(企業秘密を公開してもそれでもかなわない王者の余裕といったところでしょうか。。。)


全ての調味料を鍋に入れ、さらにプラスαで昆布出汁を入れてひと煮たちさせるだけの覚えやすくて作りやすい割り下なのです。


これこそが、まさに人形町今半による究極のすき焼きなのです。


人形町今半は、都内にもかなりの店舗を展開しています。本店の人形町本店から日本橋高島屋S.C.店、銀座店、上野広小路店、有楽町店、横浜高島屋店、・・・そして名古屋や福岡にも展開するなどじつに17店舗展開しているようです。


すき焼きはもちろんですが、しゃぶしゃぶ、鉄板焼きなども看板メニューです。


人形町今半に行くには、自分の靴を新調しないといけないと思いましたが、かなり億劫で面倒なのでやめました。(笑)仲居さんに見られたとしても一瞬の恥だからいいかな、と。


自分が訪れるのは、もちろん本店の人形町今半です。自分にとって、人形町今半といえば、この人形町本店のことをいいます。


では、後半は、いよいよ何年ぶりかに人形町今半を訪問して究極、至極のすき焼きを体験してきます。

まさに超一流の世界でした。


お楽しみに。







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私事ですが... [航空関連]

10月6日夜、名古屋上空を飛ぶスカイマーク国内便で、機長のアナウンスが始まりました。目的地までの飛行ルートなどを一通り説明し、「私事ですが」と断って話し始めたのは、14年前の少年との出会いでした。「どうしたらパイロットになれますか」という会社宛てのお便りに返事を書いたこと、手紙やメールのやり取りが長く続き、その後航空大学校に進んだこと。その彼が夢をかなえ、今この便に乗客として搭乗している、と。


「これからは同じ職業の仲間です」。アナウンスを終えるころ、祝福とエールの拍手が機内に響きました。


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157便を思い出してほしい


「機長とパイロットを夢見る少年」という間柄は14年後、大空を舞台にした先輩と後輩に。浅井機長に聞きました。


〇ツイートした乗客の方も感銘を受けていました


「航空大学校を卒業してエアラインパイロットへのスタートラインに立てたことへのお祝いと、「後輩と先輩」の間柄になれた喜びを、お客さまと共有したいと機内アナウンスをさせていただきました。しかしながら、一日のお仕事終わりの後にご搭乗いただいたお客さまもいらしたと思います。お疲れの中、個人的なお話で貴重なお時間を頂戴してしまったことには、申し訳なく思っています」


〇拍手が起きたそうです


「スタートラインには立ちましたが、これから待ち受けている厳しい訓練期間中、自信をなくしたり、落ち込んだりすることが必ずあると思います。そんな時にこそ今回の157便でたくさんのお客さまからいただいた拍手を思い出し、一日も早く副操縦士として大空を羽ばたいてほしいと思っています」


小学生から届いた手紙


〇きっかけは


「彼は鹿児島在住で、小学6年生の時、将来なりたい職業の会社3社に手紙を出したそうです。当時、総務の部署から依頼があり、彼へのお返事を書かせていただきました。私が引き受けたのはたまたまでした」


〇そこから14年間のやり取りに


「実は手紙の末尾に私個人のメールアドレスを記しました。最初は手紙のやり取りでしたが、彼が高校進学以降はメールでのやり取りになりました。彼からの最初の返信時に『メールアドレスがなければ今はなかったと思います』とありました。」


機長からのメールに勇気


2人の間ではその後、折にふれメールがやり取りが続きました。文面から人としての成長とパイロットへの強い気持ちが伝わってきました。浅井さんは「夢を叶えてあげたい、その一助となりたい」と強く思うようになったといいます。


〇夢への挑戦は順調だったのでしょうか


「挫けそうな時は励ますメールを送ったこともありました。迷った時、航空大学受験の直前、さまざまな場面では私からのメールを読み返してくれたそうです。パイロットへの道を諦めていたかも知れない時期もあったと後から知り、本当に感無量です」


〇夢が次第に目標に


「普段のフライトで、時折「元気かな?今頃何してるかな?訓練は順調かな?」と思う時がありました。そんな時に限って、必ずといっていいほど彼からメールが来たことを覚えています。そして彼から「無事に航空大学を卒業しエアラインに内定が決まりました」とのメールが届きました」


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メールの文面から鹿児島までの帰省で、仙台から神戸にSKY157便で移動することが分かりました。浅井さんは居ても立っても居られなくなり、会社に157便の乗務を申し出て、かなえられました。


「もちろん彼には内緒ですし、プチサプライズのつもりでした。だからこそ純粋に、たくさんのお客さまと彼の門出をお祝いしたいという気持ちが一番でした」と浅井さん。「君が目指すべき場所、それは今私がいるコックピットです。早くここまでやって来い!待ってますよ!」というメッセージを伝えたかったといいます。


浅井さんは神戸到着後、彼とがっちり握手しました。顔を見るのも声を聞くのも初めてなのに、これまで思いがこみ上げ不思議な気持ちとともに涙が止まらなかったそうです。「神様だけがこの物語を知っていたのかも知れません。これからは先輩後輩として大空を舞台に仲良くさせてもらいます」と話しています。



機長の浅井さん(左)とパイロットの夢をかなえた男性


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ニュース引用元:まいどなニュース・竹内 章




うぉぉぉおおお~~~。めちゃめちゃ泣けました!なんて素晴らしい話なんだ!こんな話、ちょっとやそっと偶然にしてはあまりにできすぎというか、神様が与えてくれた感動ストーリーですね。


自分はこの殺伐とした世の中に、こんなに美しい話があるんだ、と驚きました。


パイロットの夢をかなえた男性、ぜひこれからも頑張ってほしいです。


パイロットっていかにすごい職業なのか、自分もパイロット・シュミレータで体験したことがあります。そんじょそこらにあるおもちゃ用、ゲーム用のパイロット・シュミレータじゃないですよ。本物のパイロットもよく練習に来るという本格的な航空学校用のシュミレータです。千葉県のほうにあったと思います。


北海道の友人をおもてなししたときに、連れて行ってあげました。友人は怖がって近づきませんでしたが、自分は体験したのです。


自分は左の機長席に、右隣の副操縦席に本物の教官が座って指導しながら操縦するのです。コックピットは、あの本物のごちゃごちゃ感です。


とにかく怖かった。なんというのかな~。あの巨大なサイズの乗り物の中での自分の位置感、自分の収まり感が、自分なりにコントロールできないのです。空間を捉える感覚的に、under controlできないのです。


すごい恐怖に感じますよ。ちびりましたよ。


そして自分の操縦桿の動かし次第で、その巨大な機体が横に傾いたり、左に傾いたり、右に傾いたり。。。


シュミレータの画面は、空港への着陸です。本物サイズのリアルなCGで構成された東京の街並みや東京羽田空港の滑走路が見えてくるのです。


教官が「さぁ、あれが東京タワー、あちらが東京スカイツリーが見えてきましたよ。」。自分が普段、飛行機の客席に乗って窓側から見下ろしているあの米粒のような街並みの風景が、今度は自分が機長席に座りながら、そこから見ている状態なのです。


そして自分の操縦桿の動かし次第で、その巨大な機体が大きく揺れる。もうびびりまくりですよ。


高度を下げて、滑走路がどんどん近いづいてきます。

教官、「よ~し、そのまま、そのまま、ゆっくり、ゆっくり。」


なんとか無事ランディング成功しました。もうちびりまくり、失禁してしまいました。(笑)


教官に上手でしたね。って褒められました。


そのとき、そのコックピット内で、自分は機長席、教官は副操縦席に座っているところを記念撮影しました。記念の一枚ということで、そういうサービスがあるのです。自分のデジカメのSDカードの中に眠っていると思います。


自分はあの体験で、こりゃ本物のパイロットがいかに大変な職業なのか、あのバランス感覚、あの巨体の中での自分の位置感、収まり感をきちんとコントロールできるってすごい能力なんだな、と思いました。


自分には絶対無理だと思いました。

自分にはパイロットは無理です。


そんな体験をしているので、パイロットがいかに凄いか、を自分の身をもって体験しているので、少年の頃から夢をかなえた男性は、本当にすごいことだな、と思いました。


パイロットは、男性ならみんな憧れる職業ですが、それは外見の格好良さのみの夢の次元で憧れるのであって、現実はすごく厳しいと思います。


自分の子供の頃の夢って教えましょうか?オヤジに「お前、大人になったら何になりたいんだ?」と聞かれたとき、自分は「学校の先生」と答えてオヤジをたいそうガッカリさせました。(笑)


オヤジは学校の先生だったので、「なんだよ!お前、ガッカリさせるな~。もっと夢のあること言えよ。」と怒られました。てっきり、プロ野球の選手(自分の子供の頃は圧倒的な人気職業でした。)だとか、パイロットとか夢のある職業を言うんだと思っていたらしいです。


自分は小学校の作文文集にも、将来の夢ということで、「学校の先生」と書いています。

理由は、「頭がよいから。」。。笑笑。


夢のない子供でした。







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航空ファンはなにに興味を持つのか。 [航空関連]

もういま航空関連、絶賛マイブーム中である。(笑)つぎからつぎへと溢れ出る知的欲求。飛行機はほんとうに縁があって自分の人生にとってなくてはならない交通機関で、長年に渡ってずっと身近に接してきた乗り物なんだが、こうしてみると飛行機のことをよく知らなかった。


なぜか突然降ってわいたように、航空業界、飛行機のことを取り上げたい衝動に駆られ、その溢れ出る知的欲求を処理するのが大変である。


航空マニア、航空ファンの方々の”好き”という気持ちを理解してみたい。みんなはなにが好きなのか、なにに興味があるのか。


それは人さまざまであろう。飛行機の機体に興味を持つ人、そしてその機体の離着陸を一眼レフの超高解像度のカメラで撮影したい人。航空界、空港で接する航空英語の略語に興味を持つ人・・・。


そんな航空マニア、航空ファンが何に興味を持っているのか分類してみたい。


1.搭乗


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搭乗が好きな人が一番人口が多いような気がする。飛行機が好き=飛行機に乗るのが好きというのは自然なことである。


しかしおそらくお金をかけ始めると一番きりがないタイプのマニアでもある。初対面の人には「旅行好き」と言ってごまかす場合がほとんどである。(笑)


●修行


飛行機の世界に「修行」という言葉がある。寺や山にこもって修行することでは、もちろんない。簡単に言うと、一定期間にひたすら飛行機に乗って「搭乗実績」を作り、上級会員と呼ばれる高いランクを目指す行動を指す。


誰もが一度はやってみたいと思うのが「修行」だそうである。しかしお金がものすごくかかる・・・ 


彼らは無駄に羽田-那覇を往復したり、シンガポールに0泊で行ったりして楽しみます。(笑)


そんな修行もストイックさでさらに細分することができる。


①毎年ダイヤモンドを維持するマニア

②毎年JGCプレミアを維持するマニア

③JGC,SFCを取得するだけのマニア


SFCとは「Super Flyers Card(スーパーフライヤーズカード)」の略称。所有しているだけでANAの上級会員(ANAプレミアムメンバー)と同等の扱いを受けることができるとってもステキなカード。


JGCとはJALグローバルクラブ。JALグローバルクラブは、JALグループ便をいつもご利用いただいているお客さまへ格別なサービスをお届けする会員組織。ご入会には、各種条件があります。


こりゃ、自分には無理だわ。(笑)


●初便


初便はその名の通り、新機材や新路線の初便に乗ることに快感を覚えるマニアです。修行マニアでもある場合が多い。


●最終便


初便の同類が最終便です。最終便と初便はセットであることが多い。こちらは哀愁を伴っていますね。印象としては若者というより引退する機体や航空会社に愛着を持ったおじさん世代の人口が多いそうである。


●ビジネス・ファーストクラス


ビジネス・ファーストクラスはとにかくいいクラスに搭乗しようとするマニアである。お金持ちじゃないとできないのでみんなに羨ましがられます。このタイプのマニアはなりたくてなれるものではない。


2.空港


空港と聞いてもピンとこない人が多いと思うが、簡単に言えば空港の施設や雰囲気が好きなマニアである。空港は特に用事もなく空港へ行きます。だいたいは撮影や無線、機体を兼任している場合が多いです。


これは自分がまさに間違いなくそうかもしれない。(笑)


空港はさらに分類される。


●音響


音響中とは、空港の様々な音を楽しむタイプのお金のかからないマニアである。様々な音とは具体的には、ボーディングコールなど空港内の環境音やエンジンの逆噴射の音、チャイムなどがあります。


そういった音は、YouTubeに挙げられていることが多いです。例えば「羽田空港 環境音」などと検索してみるといい。1時間以上ただ空港内の音を収録し続けたものがアップロードされています。(笑)


空港内のアナウンス、ボーディングコールに魅かれるのはなんか気持ちがわかるような気がする。空港ってただでさえ、非日常感たっぷりなのに、あの空港内アナウンスで一気に興奮するというか、非日常感MAXになりますよね。ここは自分はその気持ちがよくわかるような気がします。


マニアはこれを聴きながらPCで作業をすることも多いとか???


●ラウンジ


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修行を兼任している場合がほとんどである。様々な国のラウンジ(特に香港)に行くためにたくさん海外旅行をするマニア。半日前からチェックインしてラウンジを楽しむマニア。(これはオレだ。。笑笑)より良いラウンジに入るために毎年ダイヤモンド修行をするマニア。


などがいる。


う~む。自分はこれに入る可能性がきわめて大きい。(笑)


3.路線


「〇〇線に乗りたいから△△へ行く」ということを言うタイプのマニア。


4.撮影


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撮影は分かりやすいですよね。鉄道で言う「撮り鉄」と同じです。空港(展望デッキ)に行くと撮影マニアが沢山います。彼らはすごく高そうな望遠レンズを持っています。


自分は、これが航空マニアとして一番身近に感じ、親近感を感じます。撮り鉄さんと比較して、相手が飛行機なので危険な行為に及ぶことはないと思います。


5.収集


彼らはあまり目立たない存在だと思います。どういったところで活動しているのでしょう?彼らは主に年に数回行われる航空ジャンク市に行っています。ここでは飛行機や空港に関する様々なものが売っています。


6.無線


航空無線(エアバンド)を傍受するタイプのマニアである。様々な趣味の中で一番変態認定されやすいタイプなので周りの人にはあまり言わないほうがいい。(笑)


航空無線が聞けると飛行機の運航状況などが瞬時に分かるようになる。


7.機体


機体に興味を持つマニア。撮影マニアと兼任している場合が多い。


8.マイル


彼らは様々な方法でマイルを貯め、特典航空券をゲットすることを生きがいとしているマニアです。これは結構頭を使うので難しいです。


クレジットカードなどに精通している場合も多いんだそう。


9.軍用機


民間機ではなく軍用機に興味をもつマニア。ミリオタである。



10.航空英語の略語


これは空港コード、都市コードなどのスリーレターコード、航空用語の略語全般に興味を持つマニア。




う~む。どうでしょう?


病的だとか思ったりしちゃいけない。だって好きなんだから。これはしょうがない。好きはぜんぜん罪じゃないし、好きに勝るものはないです。本人が好きであることに、誰も責めることはできないです。好きは誰にも迷惑かけないです。その人の中だけで完結します。その人の中に広大な宇宙を築き上げて、自分の中だけで完結します。


オレも似たような人種です。(笑)


幸せな気分になれるコツは、自分の周りを自分の好きで固めることです。これは間違いなく幸せになれます。


航空ファン関係のSNSのコミュニティもいろいろ細分化されていて、プレミアクラスになると、やっぱり修行を楽しまれる方が多いし、機内食専門のコミュニティもある。そしてやはり一番庶民的でお金のかからない善良なイメージは撮影マニアですね。これが一番ほのぼのとしますね。


修行はほんとうにお金持ちの道楽という感じですが、コミュニティには実際いっぱいいるんですよ。ANAマイレージカードがプレミアム、ダイアモンドになりました!とアピールする人いっぱいいます。


しかし、旅行でマイレージがたまるならまだしも、ただ往復するだけとか、0泊で搭乗するだけで稼ぐというのは強者すぎですね。(笑)


自分も、そこまで熱狂してみたいけど、お金かかりすぎる、無理。(^^;; あくまで旅行を通じて、飛行機の機体、空港、空港ラウンジを体験する、そんな慎ましやかな航空ファンがせいぜい自分の限界かな、と思います。貧乏人だから・・・。







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エアバスとボーイングの違い [航空関連]

航空マニア、航空ファンとして1番肝になるところ、知っておかないといけないのは、飛行機の機体、型式のことである。


航空ファンはいろいろなことに興味を持つが、やはり機体の型式を知ることが1番基本線なのではないか、と思うのである。


これを知らずして、航空マニア、航空ファンとは言えないと思うのである。


自分もコミュニティで写真と機体の型番の書き込みを見かけるが、この機体と型番の関係がどうも自分の頭にロックしない。


またかねてよりエアバスとボーイングの違いについて、ずっと知りたいと思っていたところがあって、これを機会に勉強したいと思う。


まず、自分が常日頃、空港のアナウンスで遭遇する「機材」という言葉。空港などでは、運航する「機材」の変更や「機材」の到着の遅れなどが案内されることがある。


機材とはなんだ?機体となにが違うのか?


「機材」と「機体」はどのように使い分けられているのか、ANAに聞きました。


―「機材」と「機体」はどのように使い分けているのでしょうか?


「機体」は飛行機そのものを指す大きな概念として使っています。「機材」は、それよりも意味合いが狭まります。


―「機体」はどのような用例がありますでしょうか?


たとえば飛行機には1機1機、「機体番号(識別記号)」が付与されていますが、このように飛行機そのものの個体を指すような場合にも使います。「機体のメンテナンス」とはいいますが、「機材のメンテナンス」とはいいません。


―「機材」はどのような用例がありますでしょうか?


営業、運航するための「資材」を指す言葉です。「シート数が250席以上の機材」「シカゴ線に就航する機材」などという場合に使います。「ボーイング787で運航」など、飛行機の種類を説明する場合には「機種」を使うこともあります。



ANAによると、厳密な決まりは特にないものの、何を指すのか、何を説明したいのかを意識し、文脈に応じてそれぞれの言葉を使い分けているのだそうだ。


う~む、アマチュアの自分には難しいが、なんとか理解できました。


●ボーイングとエアバス


世界中を飛んでいる旅客機を大きく分けると、ボーイング社製とエアバス社製に分けることができる。


ボーイングは、言わずと知れたアメリカの超巨大航空機メーカーである。一方のエアバスは、ボーイングの旅客機独占に危機感を抱いた、ヨーロッパの主要国が立ち上げたメーカー。フランス、ドイツ、イギリス、スペインの国際共同会社である。



エアバスは、フランスのアエロスパシアルと西ドイツ(当時)のDASAが共同出資して1970年12月に設立された会社で、フランスのトゥールーズ(TLS)やドイツのハンブルク(HAM)に製造拠点がある。

 

対するボーイングは、アメリカで1916年に創業された。

 

それから数々の合併を重ねて、現在に至る。

 

日本においては、双日が販売代理店となっているようである。


飛行機のことはアマチュアな我々にとってボーイングは昔から馴染みがありますが、エアバスというのはあまりよく知らないのではないのでしょうか。エアバスは比較的新しい機材なんですね。

 

エアバスとボーイングは飛行機の設計思想から異なる。

 

エアバスは徹頭徹尾コンピュータに任せるようになっているが、ボーイングは離着陸は操縦士が行うもの、という思想のもとマニュアルで操縦する余地が残っているのだそうだ。(パイロット談)




歴史がわかったところで、両社の代表的な機材を見てみる。

 

エアバスはA380というように頭文字がAで始まり、ボーイングはB747のように頭文字がBで始まる。

 

エアバスといえば、A380機材が有名である。


現在は運用している航空会社は非常に限られているが、2階建でそれぞれのウィングに2つエンジンがついている、とても大きな機材である。

 

ボーイングは、B747機材が有名である。

 

20年以上の歴史があり、こちらも運用している会社が非常に少ないが2階建でそれぞれのウィングに2つエンジンがついている、とても大きな機材である。


面構え的にはこんな比較である。


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確かにエアバスとボーイングでは面構えのデザインが違いますね。エアバスは丸い感じ、ボーイングは三角形という感じ。操縦席の窓のついている高さ位置も違いますね。


A380もB747もエアバス、ボーイングの中では最大級クラスの大きさなのだろうけど、こうして比較してみるとエアバスのほうが大きいんですね。そして太いんですね。


2階座席について、A380は頭からお尻まで座席があるのに対し、B747は機体の途中までしか座席がない。ウィングレットの形も異なる。B747-8という機材には、ウィングレットがない。


2階建ての機体って、ボーイングでいえば、昔でいうところの「ジャンボ」ですよね。でもいまジャンボってありますか???


自分は、2階建ての飛行機というのはほとんど経験がないような気がする。記憶にないのだ。欧州行フライトのような長距離は、大きな機材を使うと思うのだが、それでも2階建てではなくほとんどが1階建てだったような気がする。


A380, B747以外の機材についてはエンジンも2つで2階席はない。(A340除く)

 

ではどこで見分けるのがいいかというと、やはりその機材の「顔」である。つまり、操縦席の窓の形や鼻のデザインである。(先述のとおり)

 

また、ウィングレットで見分けることもできる。B767機材のウィングレットはL字型になっているので分かりやすい。


ウィングレットというのは、昨今の航空各社の旅客機を見てみると、主翼の先端が垂直方向に立っているものが多く見られる。そう!あの翼端の立った部分が「ウィングレット」である。


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自分も北海道に帰省するとき、数年前から飛行機の主翼の先端がL字型にみんな立っているので、あれはなんなんだろう?とずっと不思議に思っていた。きっと浮力や安定性のためにそうしているんだろう、と思っていた。


じつは、この「ウィングレット」の意味、主翼の先端を立てただけで、燃費が5%も改善するというのだ。


もう驚きである。


なぜ、ウィングレットで燃費が5%改善するのかは、詳細はこちらを読んで欲しい。


飛行機の主翼、端が立っているのはなぜ? 重くなるのに燃費改善のカラクリとは。




つまり欧州のエアバス、そして米州のボーイングというように飛行機の機材を開発・製造する2大メーカーがいる。まずこれが大前提である。そのうえで、日系、外資系の各航空会社は、この2社から機材を購入するのである。(日本においては、双日が販売代理店)


そしてその輸入された機材には塗装がなく、それぞれの航空会社のデザインを各航空会社ごとに塗装するのではないか。ANAがマリーンブルーの塗装をすれば、エアバス、ボーイングの機材もANAの飛行機になるし、JALが鶴丸の塗装をすれば、エアバス、ボーイングの機材もJALの飛行機になる。また外資系の飛行機についてもしかりである。


また機体の表面の塗装だけではない。機内の座席シート、機内配色デザインなども各会社の独自性のデザインで特徴化できるところなのだろう。


逆を言えば、ひとつの航空会社には、きっと偏りがなく、エアバスやボーイングがそれぞれ平等に搬入されているに違いない。


自分の飛行機体験の大半はボーイングだということがわかりました。でも数年間、北海道帰省にLCC=JetStar(JALのコードシェア便)を使っていた時期があって、それはエアバスのようです。


そしてその飛行機が退役するときは、米国カリフォルニア州のロサンゼルス市内から北へ車を走らせて約2時間、荒涼としたモハビ砂漠の中にポツンとあるモハビ空港の「飛行機の墓場」。


そこでその一生を終えるのであろう。飛行機の人生というのが産まれた揺りかごから墓場までがよく理解できた。



そして機材の製造会社と、航空会社の関係性もまたよく理解できた。


ちなみに、エアバスもボーイングもいろいろなクラスの機材があるのだが、それぞれにおいて、そのRunway (飛行機が離着陸時に加速または減速のために地上滑走する「滑走路」)の距離の比較をした図である。大変興味深い。


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こちらが、エアバスとボーイングのコックピットの違いである。


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最後にエアバス、ボーイングのそれぞれの機材、機体について紹介していこう。航空マニア、航空ファンの方々が、離着陸写真とともにコメントしているのは、この機体・機材ナンバーだと思います。


・・・すみません。下記情報は参照しているページが古い情報なので、いまとは若干違うところもあるかもしれません。


●超巨大旅客機部門 


ボーイング B747


1度は目にしたことのある機体ではないでしょうか。機体前方にコブがあり、その部分は2階建てになっている、通称「ジャンボ」。残念ながら、昨年度、日本の航空会社会社からは全て退役してしまいました。


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エアバス A380


総2階建ての世界最大の旅客機。残念ながら、こちらの機体も日本の航空会社は導入しておりません。スカイマークが導入予定でしたが、キャンセルとなった事件は最近のことです。


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~この情報は古いですね。ANAはハワイ・ホノルル線でFLYING HONUというA380を導入していますね。これです!ユーモアありますね。(笑)可愛いですね。


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●大型機部門 


ボーイング B777


通称「トリプルセブン」です。ANAやJALの長距離路線のメイン機で、羽田や成田に行けばたくさん見ることができます。


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最近のボーイング777では、ANAの映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」の公開を記念して、こんな塗装機材「C-3PO ANA JET」(ボーイング 777-200型機)がありますね。


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みんなコミュニティで”たくあん”と呼んでいて、その意味がわかんなかったんですが、オレンジ色の機体が、あのお漬物の”たくあん”という意味ですね?(笑)



エアバス A340


日本の航空会社は導入しておらず、また日本への飛来も少ない機体。エンジン4つの細いエレガントな容姿から、航空マニアはA340が好きが多いのです。


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●中型機部門


ボーイング B767


ANA、JALともに、国内線や国際線で多く飛んでいます。比較的古い機体が多いため、口の悪いマニアからは、ボロロクなどと言われてしまうことも。


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エアバス A330


日本では、スカイマークだけが運航させています。エアバスらしいエレガントな機体で、性能のバランスも良いため世界的にも人気の機体です。


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●小型機部門  


ボーイング B737


ANA、JALとも所有し、スカイマークやソラシドエアのメイン機材。マイナーチェンジを繰り返しつつ、世界的にも多く飛んでおり、日本の空港でもよく見ることができます。


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エアバス A320


エアバスのヒット機材。大手キャリアだけでなく、ローコストキャリア(LCC)にも多く導入されています。日本では、ANA、スターフライヤー、ジェットスター、ピーチ、バニラ等が運航中です。


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エアバスとボーイングの違い、理解できました。日本の航空会社で使われている機体、機材も理解できて、ようやく自分も航空マニア、航空ファンの仲間入りができそうな予感がしてきました。



参考引用文献


1.飛行機は「機材」「機体」? どちらも飛行機そのものを指す言葉 使い分けは?



2.エアバスとボーイングの違い



3. ライバル旅客機、ボーイングvsエアバス!機体の違いと飛行機の種類一覧






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