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北海道大学 下巻 [大学]

●ポプラ並木


北大といえばやはりポプラ並木と連想される人も多いでしょう。ポプラ並木にも行ってみよう!と思いました。


風景画や絵葉書に描かれる北海道大学農学部の風景。ポプラ並木はそんな代表格。さきほど解説した銀杏並木と合わせてポプラ並木は北大の2大観光スポットです。


夏は力強い緑の木が並び、秋はさわやかな黄色い木が並ぶ。

この写真はそんな古き良き時代の写真です。


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もともとのポプラ並木の由来は、


北大の前身である札幌農学校の第2代校長・森源三の息子、森廣が1903年(明治36年)にアメリカから持ち帰った数本の並木である。これを南鷹次郎教授が農道のアカシア並木に続くように植えて育てた。1911年(明治44年)、新渡戸稲造に同行してアメリカにわたった南は、農場の風除けにするために多くのポプラを購入して持ち帰った。翌1912年(明治45年)、これを上田半二郎助手や林学科の学生たちが森のポプラに加えて植え、並木が出来上がった。


・・・ということらしいです。


それが景観とともに観光スポットになって行ったんですね。


・・・ところがです。。。


2004年の台風で約半数が倒木したそうで、また植樹してからもう相当時代が経過しているので、樹木が古くなりすぎて倒木する可能性が大きいということで、現在はこのポプラ並木、中を通れないように通行止めになっています。


そして現在、私が行ったときのポプラ並木はこんな感じです。


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なんか寂しいです。(笑)なんでこんなになっちゃったの?という感じです。もう絵葉書や風景画にあるような面影はほとんどないです。悲しい現実でした。(笑)



このポプラ並木のとなりには、花木園というのがあります。花き・造園学などの教育実習の目的で設けられているもので、北国に多く見られる花木が自然風に植えられているところだそうです。農学部付属の農場のようなところですね。


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ここの入り口に新渡戸稲造の胸像があります。


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新渡戸稲造って北大にとっては、とても重要な偉人なのでしょうが、なにを隠そう学生時代からいまの初期高齢に至るまで、この人が北大にどう関わったのかよくわかってないのです。


さっそくネットで調べてみました。



新渡戸 稲造(にとべ いなぞう)は、日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。札幌農学校に二期生として在学。国際連盟事務次長も務め、著書『武士道』は、流麗な英文で書かれ、長年読まれている。日本銀行券の五千円券の肖像としても知られる。


クラーク校長が米国に帰国したと同時に入れ替わりで、札幌農学校に入学したということらしいです。確かに素晴らしい経歴ですが、新渡戸 稲造が特に北海道大学、札幌農学校に対してどのような偉業を積んできたか、というよりは、札幌農学校の出身であり、その後いろいろ名声を得た、という関係なのかな、と理解しました。


新渡戸 稲造は、じつはいままでよく理解できなかった人なんですよね。いまでもちょっとグレーです。



ここで息抜き。


なんと!北大キャンパス内にセイコーマートが!!!(笑)


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おそるべき違和感と驚き。(笑)

いまの時代、大学内にコンビニができる時代なんですね。


コンビニ内はすごい劇混みで長蛇の列でした。たしかにちょっとしたドリンクだとか、お菓子類とか気軽に調達できるようになるんだから、学生のニーズは高いように思いますね。昔、自分らの時代は、やはり学生食堂の上にあった生協で調達するしかなかったですから。。。


●教養学部


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出た~~~という感じです。(笑)北大は、最初、理系であれば理Ⅰ、理Ⅱ、理Ⅲの区分けで入試を受けて入学する訳ですが、4年間のうち、最初の2年間は、教養学部で勉強します。いわゆる文系・理系・社会学そのほか諸々バランスよく教養を磨いていくという目的で勉強をします。(ちゃんと体育もありました。。笑笑。体育好きでした~。)そしてその成績次第で、自分の希望する学部へ移行できるのです。


自分は工学部の電子工学科に行きたかったので、教養学部時代はそれはそれはすごく勉強しました。当時は、電子工学科というと花形分野で、日の丸電機メーカー大全盛期の時代です。


電子工学科に入れさえすれば、あとはストレート式で電機メーカーに入社できる、というレールが敷かれていました。まさに世界の中で、ものづくりの日本として大全盛期の時代でバブル真っ盛りの時代です。日本の電機メーカーはそんな大学生をそのまま受け入れるというレールが敷かれていた時代でした。


ロスジェネ世代、氷河期時代の方からすると、本当に大変申し訳ないのですが、就職という点ではまったく心配のない競争率もなく、そのまま卒業したら形式だけの面接はするけど、そのまま教授の推薦で入社できる。。。そういう時代でした。


バブルの時代でした。


なので、電子工学科への移行は非常にレールが高く、教養学部時代の成績がかなり良くないと、トップ上位クラスでないと移行できなかったのです。花形分野なので。


だから教養学部時代は本当に勉強しました。大学受験ですごい勉強する訳ですが、大学入学後も最初の2年間は猛勉強なのです。教養学部時代は勉強していた記憶しかないです。でも大学受験の大変さから比較すると、やはりそこは精神的に気軽なんですね。楽しんで勉強していたような記憶があります。


そして願い叶って、無事電子工学科に移行できてから、自分は遊んだんだな。(笑)そこから大学の友達と大学生活をエンジョイしたというそんな感じです。北18条での東風荘で徹夜麻雀とか、ドライブとかお酒とかそして音楽、ロック。


昨今、世間では外国の大学と比較して、日本の大学は生易しすぎる。外国の大学は本当に勉強しないと卒業できない。卒業率がほんとうに低い。それだけ厳しい世界。だから外国の大学生は大学時代、ほんとうに勉強する。それに比べて、日本の大学は入るまではすごい勉強するけど、一度入ってしまえばもう単位をとったり、簡単に卒業できてしまう。そして結局大学時代よく勉強していないものだから、社会に出てもいまひとつ使えない、というか伸びない、というか・・・なんかそんなことを指摘されていると思います。


まぁぁ、確かにそうかもしれないけど。。。以下自粛。(笑)


教養学部時代、ブルース・スプリングスティーンがBORN IN THE USAで世界中で大ブレークしたときでした。同じ同級生の女の子は、そのスプリングスティーンのコンサートに行くためにアメリカのロサンゼルスかどこか忘れたけど、単独渡航で行ってきたという猛者話もあったな~。いまと違って当時の世相で、女の子1人で銃社会のUSA渡航というのは本当に勇気あるな~と当時感心しました。


いまどうしていることやら。


当時は米ソ冷戦の時代ですから、シルベスター・スタローンのロッキー4のような米国礼讃のようなのが受けた時代なんだよね~。洋楽ロックの世界では、MTVという新しいプロモビデオ全盛の時代になり、音楽産業の革命と言われました。夢中になりました。


それがいまやストリーミングの時代ですからね。時代、技術の流れはほんとうに速いもんです。


教養学部はそんな一生けんめい勉強していたことしか覚えていない。そして教養食堂、いまの北部食堂で、友人といまの海外ロックシーンについて熱く語り合ってたりするんですよね。もうこの教養学部の建物を一目見たら、もう走馬灯のようにそんな想い出が頭の中を駆け巡ります。



当時なくて、いま新しく建てられた棟もあります。時代を感じます。


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まさにこんな分野は最近できたものですね。やはり国立大学ですから国家予算のもと、国にとって最新の研究成果になるように大学の果たす役割は大きいですね。



フロンティア応用科学研究棟。


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こんな最新施設もできていました。いかにも最新研究っぽそうです。中にセブンイレブンが見えますね。(笑)いまの時代、大学内にコンビニって常識なんですね。



北海道大学情報教育館

放送大学北海道学習センター


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ここも自分の時代にはありませんでした。最新っぽいですよね。


そして、今回大学キャンパス内を歩いていて、一番驚いたのはこの建物です。


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なにをやっているところなのだろう。

もちろん自分の時代にはなかったです。


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こういうことをやっているところだそうです。医学関係ですね。


とにかく自分がいた頃から40年。そりゃ変わるよ。ほんとうに驚くことばかりでした。


40年ぶりに北大キャンパス構内を隅々まで歩いてみて、やはり緑が多くなったな、昔と比べて樹木が繁っている割合が多く緑が深くなっている感じに思います。



40年前はもっと建物が丸裸で見えていたと思うのですが、いまや樹木の葉っぱで、建物の全景がほとんど隠れてしまう感じで本当に緑が深くなったな、と思います。


南北を突っ切る大通りの両端もすごく緑が多くなって昔と雲泥の違い。


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自然を大切にした緑の中でのキャンパスライフ。これは北大ならでは、と思います。

東京都内の狭いキャンパスではまず無理なのことだと思います。


ここはすごく誉に感じますね。








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北海道大学 上巻 [大学]

わが母校、北大こと北海道大学をひさしぶりに訪れてきた。北大は広すぎる。日本一のキャンパスの広さだが、昔、大学生だった頃は、もう平気で札幌駅から徒歩でキャンパスの自分の学部まで歩いていた。帰りも徒歩である。


でも地下鉄(南北線)だと札幌→北12条→北18条と、もう地下鉄だけでも相当の距離走るのである。それだけ莫大な広さなのである。それを若い頃は毎日通学のため歩いていたんだよね。地下鉄で定期なんて親がぜったい許さなかった。


今回ひさしぶりに北大キャンパスを隅々まで歩いてみたんだが、もう死んでしまいました。(笑)ただでさえ、脳疾患で歩行障害があってたくさん歩けないのに、これだけ歩いてしまったもんだから、あの日以来3週間から1か月程経つわけだが、いまだに体の調子、絶不調が続いている。(笑)


最近の北大のニュースでうれしい報道を耳にした。


「北海道大学がTHEインパクトランキングで世界22位、4年連続国内1位に。」


英国の高等教育専門誌「THEインパクトランキング2023」の総合ランキングで、北海道大学が世界22位に入り、

国内の大学で4年連続してトップを占めた。


北海道大学によると、THEインパクトランキングは気候変動に対する取り組みやジェンダー平等、健康と福祉対策などを国際連合のSDGs(持続可能な開発目標)の枠組みで評価し、世界の大学を順位付けしている。2023年度は日本の91校を含む世界1,705校が参加し、日本の78校を含む世界1,591校が総合ランキングの対象になった。


・・・だそうである。北大はこんな分野でも力を入れているんだね。とてもうれしいニュースであった。


北大キャンパスを訪問するのは何年振りであろうか?

たぶん10年以上ぶりだと思う。


北海道の実家に帰省してもなかなか北大に行くということはないからね。


ひさしぶりに北大キャンパスを歩いてみて、昔のままだな・・・と思うところもあれば、昨今の脳科学、人工知能AIにかかわる研究、そして情報科学とあの時代にはなかった新しい分野を研究している棟が新設されていて、時代の流れを感じざるを得ないところもあった。


卒業して、もう40年経つわけだけど、あの頃と比べてより一層、緑、植樹によるキャンパス内の美しさに磨きがかかったようにも思う。ものすごく緑が多くなったと思う。


さらにはもっとぶっちゃけ驚いたのは、キャンパス内にセイコーマートができていることだ。(笑)ついにいまの時代には、大学キャンパス内にコンビニができる時代になったんだな、と驚きを隠せなかった。思わず笑っちゃったよ。(笑)


もちろんキャンパスで棟を見るたびに、あ~ここは工学部、ここは理学部、ここは文学部とか想像つくわけだが、やはり40年も経過しているので、キャンパス内での学部の移動は当然ある訳で、そこはまっあまり厳密に考えず、昔はここに~があったな~程度の感傷散策でいいように思う。


自分は、学生時代の頃からなんだが、大学に入るときはあまり北大正門からきちんと入った記憶がない。


大体は北12条の北大病院のところから入ることが多かった。


また2000~2003年の3年間は、毎月病気で北大病院に通っていたので、尚更北12条門から入ることが多い。


今回もご多分に漏れず、北12条門から入っていった。歩行障害のある身にとって、札幌駅から北12条まで歩くのも相当しんどかったです。普通に地下鉄使えばいいのにね。


●北大病院


北大の大学病院である。医学部はまた別棟である。ここに3年間通いましたよ。人生の中でも最悪の暗い時期でした。


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●銀杏並木


この北大病院の前を通っている通りが、もう観光スポットで有名な銀杏並木である。

北大キャンパスの自然の美しさを代表するような絶景である。


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でも素人の自分が撮るとイマイチなんだよね~。(笑)

銀杏並木はとくに秋の紅葉時期がいいですね。プロの写真での秋の紅葉時期の銀杏並木はこんな感じです。


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この銀杏並木を突っ切ったところに、キャンパス群があります。南北に突っ切る大きな通りがあり、その両側にキャンパスが並んでるのです。


南北に突っ切る大きな通りはこんな感じです。

本当に広大なキャンパス過ぎます。


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●工学部


銀杏並木を突っ切ったところに工学部があります。


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私が在籍していた学部です。工学部電子工学科に在籍していました。キャンパスは最新の新しい建物です。昔から変わってないです。懐かしのわがキャンパスです。いろいろ想い出いっぱいあります。


今回ひさしぶりに訪れて驚いたことは、工学部前に噴水があるのはよく知っていて、我々の世代からそうでした。でもいまや、こんな緑の中に包まれて、こんな木製のベンチ、腰掛もあったりするんですよね。これは素敵ですね。大学の景観づくりに計画性と自然に寄り添う気持ちがありますね。


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いまの東京の都市開発に見習わせたいものですね。(笑)



●理学部


工学部の隣は、ちょっと距離がありますが、理学部があります。


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理学部キャンパスは歴史のあるいかにも旧帝大という感じの建物で、昔はすごく憧れたものです。自分は北大キャンパスの中で1番好きなキャンパスは、この理学部でした。煉瓦色でいかにも歴史と伝統があってカッコいいのです。北大キャンパスの中で1番古い建物だし、一番歴史がある建物だと思います。


理学部というのは化学ですね。


でも今回ちょっとショッキングなことがありました。自分が通学していた頃は、このキャンパスは理学部キャンパスだったのですが、いまは総合博物館になっているのです。れれれ~?ここって理学部じゃなかったっけ?


確かに一番伝統があるキャンパスだからついに、理学部移動で追い出されて、総合博物館という感じになってしまったということなのでしょう。それだけこのキャンパスは、まさに北大元年時代のシンボルなのです。


自分は学生時代、本当にこの建物に憧れましたもん。


ちょっとネットで調べてみました。


外壁が茶褐色のスクラッチタイルおよびテラコッタ張りのモダーン・ゴシック風の建物で、昭和4年(1929年)11月に完成して北大に昭和新時代の到来を告げる新鮮な景観を呈した。北大構内にある鉄筋コンクリートの本格的建築としては最も古い建物であり、当初、理学部設置計画に基づき建設された。翌昭和5年(1930年)4月には念願の理学部が開学し、平成17年4月で理学部創設七十五周年を迎えた。


・・・ほらね~?やっぱりここは理学部なのです。




1999年(平成11年)に、ここ理学部本館に総合博物館を設置したそうです。理学部本館(1930年造)約9千平方メートルのうち約3千平方メートルを展示に充て設置されたとのこと。


つまりもともと理学部本館だったところを、総合博物館という形で明け渡したということ。


総合博物館は、札幌農学校の開校以来140年に渡る研究成果として生み出された学術標本を良好な状態で集約・管理し、学内外に情報を発信することを目的としている。


・・・なのだそうです。この総合博物館の設置を国から認可が下りるまで30年間の交渉だったそうです。


確かに堂々と表面から拝見すると、総合博物館となっています。

1999年、つまりおよそ2000年の頃にそうなったんですね。それは知らなかったです。


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自分はこの事実を知らなかったので、あれ~、ここ理学部じゃなかったっけ?理学部どこに行っちゃったの?と焦りました。そして総合博物館になってしまうなんて・・・やっぱり伝統ある古いキャンパスだから、ついにそうなっちゃたのかな?とその当日は悲しみました。(笑)


現在理学部は、この建物の奥の方にあるようです。

たとえばその一部としてこんな感じ。


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北大キャンパスは、本当に文学部・社会学部・経済学部・医学部・薬学部と国立大学らしく総合的にいろいろな学部がありますが、それを全部はとてもじゃないですが、歩けないし紹介できないので、自分に関係しているところだけ紹介しますね。


●北大農学部


そしてまた大通りをずっと歩いて行って、端のほう(札幌駅側)にある北大農学部にやってきます。旧帝大、国立大学は、大学のシンボルとしては、かならず時計のある棟がありますね。たとえば東大で言えば安田講堂のように。それに相当する北大のシンボルがこの北大農学部棟です。これは意外やあまりメディアに取り上げられることが少なく知らない人も多いかもしれません。


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なかなかシンプルでスタンダードでカッコいいと思います。


北海道大学は、もうご存じのように、1876年(明治9年)に設立された札幌農学校を前身とする総合大学です。やっぱり北海道の地は農業が開祖なんですね。だから北大は、札幌農学校、農業の学び舎としてがスタートなのです。札幌農学校は、当時国内で唯一学士号を授与する高等教育機関だったのです。誉れ高き。。


札幌農学校初代の校長がウィリアム・スミス・クラーク博士。米国帰国にあたり札幌近くの島松(恵庭市)で馬上から叫んだという「Boys, be ambitious.」(少年よ、大志を抱け)は、現在でも北海道大学のモットーとして受け継がれているのです。


なんか、懐かしすぎる~。すっかり忘れておったわ。(笑)


北大キャンパス内には、クラーク博士の胸像があります。


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これを見て、あれ?クラーク像と言ったら立って、指をさしていなかったっけ?と思われる人もいるかもしれませんが、その像は大学内にはありません。それは同じ札幌の羊ヶ丘公園の中にあるクラーク像なのです。


これです。


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このポーズとともに、「Boys, be ambitious.」(少年よ、大志を抱け)とクラーク博士は言った、と理解している人が大半なのではないでしょうか?自分はこの羊ヶ丘公園のクラーク像には、まだ1回も行ったことがないです。


自分は最初に紹介した大学内にあるクラーク博士の胸像で想い出があります。北大受験の3月に、このクラーク胸像の前ですってころりんと転んでしまったのです。まさにこれから大学受験というときに、なんという不吉な予感。。


いまでは笑い話になりましたが、当時はすごい凍りついたです。


このクラーク胸像のあたりには、一面の芝生が広がります。まさにこの風景こそ北大キャンパスのいちばん素敵なところではないでしょうか?いちばん自慢できるところでもあります。


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いまは自然を壊すということもあって、許されているかどうかわかりませんが、自分が学生だった頃は大学の研究室メンバーでよくこのキャンパス内の芝生の上でジンギスカンパーティをやるのがお決まりの行事でした。


お天気のいい日に、こういう緑の芝生の上で食べるジンギスカンとビールは最高でした。北海道民にとってジンギスカンというのは、本当に身近で日常的な食べ物なのです。いまは芝生を破壊する恐れがあるという理由で禁止されているかもしれませんね。



●クラーク会館


南北を走る大通りの突っ切った端(札幌駅側)にクラーク会館があります。


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北海道大学創基80周年の記念に、学生生活・課外活動の拠点となる学生会館として創設されました。最大510名の講堂や集会室(6室)の他、 和室、茶室、展示場などがあったりします。


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自分が学生時代にはありませんでしたが、いま行くとこのクラーク会館にクラーク食堂というのがあるんですね。


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そしてここ!この場所!


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いまは北大生協が運営しているクラークサービスセンターというのがあります。ルームガイドでは、学生たちに下宿とか住むところとかを紹介するような案内サービスです。


この場所には思い出があります。


自分が学生時代、このクラーク会館のこの場所には本屋さんがあったのです。自分は、当時、もちろんいまでもそうですが、猫が大好きで、ここの本屋で猫の写真集を眺めるのが当時の大の楽しみだったのです。


でも友達に知られると恥ずかしいから絶対言いません。1人のときに、こっそりこの本屋に来て、猫の写真集を立ち読みして心を癒されるのです。


ところがそこを友達に見つかったことがあります。


「なんだよ~おまえ。猫の写真集なんて見ているのかよ~。(笑)」と思いっきり笑われ、バカにされました。


そのとき自分はもう顔から火が出るくらい真っ赤になって恥ずかしい想いをしました。

当時の若いもんは容赦ないですね。


クラーク会館のこの端にあるこの場所にはそんな想い出が詰まってます。毎日とまではいかないまでも、かなりの頻度でこのクラーク会館の本屋で猫の写真集を眺めておりました。貧乏学生だから買うまでいかないし。。。


クラーク会館というと、自分にとって猫の写真集なのです。(笑)


●北大生協


クラーク会館の隣の奥のほうには、北大生協があります。


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1Fは生鮮品など日常生活品が売ってます。2Fは本屋さんになっています。


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ここもいろいろ想い出があります。


当時は、この生協の2Fには、家電売り場がありました。そこにVictorのカセットデッキのDD-V7だったり、TRIO(のちにKENWOOD)のチューナの名機KT-1010が売られていました。


昔日記にしたと思いますが、学生時代はこの2つの名機にずいぶん憧れました。学生だったからお金がなくて買えないのだけど、すごくカッコよくて欲しい~。当時の男の子にとって、カセットデッキやチューナー、アナログプレーヤーなどのステレオ製品は究極の憧れだったのです。当時はまだCDではなく、アナログLPの時代ですから、アナログレコードを買ってカセットテープにダビング、そしてFMチューナでラジオ番組で流れる音楽をカセットテープにエアチェック。そういう時代だったのです。この北大生協の2Fには、そんなステレオ製品がいろいろ販売展示されていて、喉から手が出るほど欲しいけど買えない~。でもほっすい~。てな感じでいつもこの展示コーナーの前でそのカッコイイフォルムを長時間眺め続けていたものです。


この北大生協にはこんな想い出が強いです。いまは書店になってました。





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北大学生食堂 [大学]

3月のときにも北海道帰省をしましたが、このときは3月でまだ路面では雪が積もっていて、足元が悪く、行きたいと思っていたスポットをなかなか廻れなかったという反省点がありました。


今回は6月。もうすっかり北海道は初夏というい感じで爽やか。


前回雪道の為諦めて、どうしても行ってみたいと思っていたところが、北大の学生食堂。


北大の学生食堂は、まさに自分の大学生時代の青春の場所。

もう40年以上も前のことだけど、40年後に訪れてみて、どんなセンチメンタルな気持ちになるか、ぜひ再訪してみたいと思っていた。


北大キャンパスには大学生協(北海道大学生活協同組合)が営業する食堂が8店舗あるのだ。なにせ広大なキャンパスなので、8つくらいないと全員の胃袋をさばききれないという事情がある。


肝は、食堂はすべて大学生協が運営しているというところだ。


札幌キャンパスにはクラーク食堂、農学部食堂、理学部横の中央食堂(1階と2階)、医学部食堂、工学部食堂、北部食堂(北18条にある旧教養食堂)、レストランポプラ(北21条創成研究機構内)、そして函館キャ ンパスの水産食堂である。


その中で、自分が今回どうしても訪問してみたいと思っていたのが、中央食堂と北部食堂の2つの食堂である。北大は、自分の場合、教養学部時代と工学部時代に分かれるため、食堂は2つの食堂にお世話になった。


教養学部時代は、北部食堂。当時は教養食堂と言っていた。近年には建て直したのだ。そして工学部時代が、中央食堂。この中央食堂は、自分が学生時代だったときから変わっていない40年前から存在する学生食堂だ。


自分は、この中央食堂を狙っていた。中央食堂は、大学生協が運営しており、学生以外の人でも自由に利用できる。


中央食堂


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懐かしすぎる~。(笑)

建物の外観は全然変わってないや。

まさに北大の中でも、一番古い昔から存在する学生食堂なのではないか。


じつは中央食堂は、大学卒業後、社会人になってからでも、2000年頃、北大病院に通っていたときの頃、病院仲間と1回行ったことがある。そのときは、中は自分が学生時代にお世話になっていたときから全く変わっておらず、あまりの懐かしさに涙した。



中央食堂に入ったところ。


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右側には、パン屋さんがある。

これは新しいですね。自分の時代には当然なかったです。


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そしていよいよ中央食堂に入ってみる。


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唖然とした。


もうガラ変である。自分が学生時代に通っていた頃、また2000年代に行ったときの面影はこれっぽっちもなかった。


やっぱり一番影響が大きかったのが2020年のコロナの影響ではないだろうか。テーブルには、パーテーションで仕切られ、感染症対策が施されていて、コロナ対策が敷かれていた。


それぞれの敷居には、”黙食”の注意を促すシールが貼られている。


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まっいい。まずは進んで学生ランチを食べてみることにしよう。


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昔は、メニューはガラスケースの中にサンプルを置くというスタイルであったが、いまやこのように壁に写真を貼ると言うコストダウン方式。でもやっぱり学食だよな~。学食ならではの価格設定が嬉しいですね。麺類、丼もの、カレー、単品物もある。カレーライスなんかは200円台である。



配膳の場所。学生たちに紛れ込んで、自分も並びました。(笑)

レジは現金のみかな。2つのレジでさばいていました。


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自分が頼んだのは、北大学生食堂名物の牛トロ丼。1番人気のメニューだ。


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牛トロ丼は、生食用の牛肉をミンチにして凍らせた「牛とろフレーク」を、温かいほっかほかのご飯の上でとろけさせる丼のこと。東京ドームで開催された「第12回 全国ご当地どんぶり選手権」グランプリを受賞している。


北大食堂の看板メニューどころか、大人気の北海道のご当地グルメでもあるのだ。

自分が学生時代にはなかったなー。


今回中央食堂に行くなら、ぜひこの牛トロ丼を食べてみたいと思っていたのだ。


ご飯の量は普通盛りにしました。甘めのたれがすでにかかっているので、そのままいただける。ねぎ、のりがトッピングされています。甘い。ちょっとこう甘い感じ。甘い牛肉のフレークご飯を食べているような感じである。


牛肉をミンチにして凍らせた「牛トロフレーク」だが、まっネギトロのもうちょっと牛肉っぽい感じで、とにかく甘い感じ。甘いのは上にかかっている甘めのたれのせいかのかな?


トロの甘さが引き立ちごはんに絡む。ネギトロと比べて水分が少ないので、旨さがギュッと詰まっている印象。でもさすがは一押しメニュー、おいしいと思いました。


北大学生食堂の看板メニュー、牛トロ丼、ここに制覇しました。


しかし、あの中央食堂。確かに建物の外観はまったく変わってないとはいえ、中はガラ変。そりゃ自分が大学生時代からもう40年も経っているんだから、それは衛生面からしてもリニューアルしますよね。


昔、この中央食堂は、工学部電子工学科時代の同じ同級生友人数人といっしょに昼ご飯は、かならずこの中央食堂で食べていたのでした。みんなでテーブルに固まってご飯を食べる。こういうスタイルは、やはり学生時代の仲良しこよしの時代だから可能なんじゃないかな?もちろん学生時代はそんなこと計算的に考える訳なく、ただ自然に友人といっしょに食べているだけなんだけど。。。


大人になって、歳を重ねていくにつれて、だんだんこういう仲間といっしょにご飯をたべて雑談する、という機会はだんだん減っていくような気がします。


高齢になっていくにつれ、孤食がだんだん当たり前になってきます。


自分も学生時代は仲のいい同級生とこの中央食堂でいっしょにランチして、食後にそのままそのテーブルでみんなで雑談。当時の洋楽ロックの話題で熱く盛り上がりました。


当時は、ポリス、U2、ジャム、スタイル・カウンシル・・・などなど、やっぱりオレらはブリティッシュ・ロック派だったから。自分は本当にロンドンに憧れていました。ロンドンこそ、ロックの発信源、震源地だと思っていた。尖った思想、過激なパンクファッション、すべてにおいてロンドン格好良かったです。


その後、仕事でロンドンに住めることになったときは、大喜びでした。


もう友人とこの中央食堂のテーブルで食後、本当に当時のロックシーンについて熱く語り合ったものです。


パーテションには、”黙食”というシールが張られていますが、いまの学生も誰も黙食なんてやってません。みんなテーブルに仲のいい友達同士で、楽しくお喋りしながらご飯食べてます。


これが学生時代、学生食堂の本来の姿なのではないでしょうか?


確かに食堂はガラ変で全然面影ありませんでしたけど、大学の学生食堂の雰囲気は思い出しました。40年前の自分がランチしていたときを十分に思い出して、感傷に浸れました。それだけでも大成功だったのでは、と思います。


中央食堂は、2Fにも食堂があります。

1Fと2Fではメニューが違うとか。2Fはスープカレーが看板メニューなんだそうです。それも北大限定オリジナルメニュー「スープカレー」なんだそうですよ。


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2Fには生協の購買部があります。

この日は閉まっていましたが、昔学生時代だった頃は、ここでよくたむろっていたな~。


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さて、もうひとつ教養学部時代の食堂、北部食堂にも行ってみます。

北部食堂は最近建て直され、リニューアルされたんですね。


40年前の自分の時代は教養食堂って言ってました。北部食堂は、もちろん初めての体験でしたので、場所がわかりません。なんとなく教養学部の近くなんだろうな~と思い、近くで学生の人に聞きました。


そうすると・・・北部食堂は、もう大変な行列でした。


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そしてここが北部食堂です。

さすがに立て直しただけあって、新しい感じがする食堂ですね。


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北部食堂、中に入ると、まず垂れ幕があって、希望のメニューごとにここ並べ、という感じで行列をコントロールさせます。入って右側がそのメニューに並ぶ行列スペースですね。奥には配膳コーナー、レジがあるんだと思います。


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自分は中央食堂ですでにお昼ごはんを食べてしまったので、ここ北部食堂ではただ、中がどんな感じなのかを確認するためだけに入りました。


そして左側にご飯を食べるテーブルスペースがあります。奥のほうにも、その部屋スペースがあるようで、これはたしかにすごい広いですね。




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北部食堂は、1,100席と学生食堂として日本一の座席数を誇るのだそうです。



昔は教養食堂と呼ばれていたが、2000年代に入って北部食堂と名称が変わりました。本格的な営業が始まったのは昭和40年代だそうです。徐々に 床面積、座席数とも拡大し、2010年頃には大規模なリフォームを施し、座席数が日本一の学生食堂となったのです。


一日の利用者は平均で3,300人、新学期には 約4,500人が訪れます。また、時間帯別では、昼食時(12:00~13:00)に約1,000人の学生さんたちで賑わいます。



教養学部時代って一番学生の数が多いところだからね。自分らの時代の教養食堂って呼ばれていたときもすごく大きかったけど、北部食堂が、日本一大きい大学学生食堂である、というのは至極自然なことのように思いました。


1987年に北大を卒業して以来、2000年代に1回中央食堂は訪れたものの、改めて自分の原点を確かめたいと言う意味で、今回どうしても北大学生食堂、中央食堂と北部食堂(旧教養食堂)を訪れたいと思ったのでした。


祈願成就いたしました。

また食べに来ます。










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大学の学生食堂 [大学]

東京藝術大学の大浦食堂が50年の歴史を閉じて、2021年2月3日を最後に閉店した。閉店のニュースが流れたときに、音楽家の方々はいっせいにSNSでその事実を嘆いていたツィートがTLに溢れかえっていたので、わかるな~その気持ち、と思ってはいた。


自分は大浦食堂の存在はまったく知らなかったけれど、そういう大学に存在する伝統を慮る気持ちよくわかります。いっしょに育ってきた、という感覚でしょう。


わかります。


そんなときに、NHKのサラメシという番組で、その大浦食堂の最後の日の取材の模様が放映される、とのニュースをキャッチして、さっそく見たのでした。


もちろん録画もしておきました。

いやぁ~感動でした。


東京藝術大学 大浦食堂


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藝大の中には、おそらく複数の学食(学生食堂)があると思うんだけれど、この大浦食堂は、美術学部にある食堂なんですかね?


いまはコロナ禍なので、本学学生、本学教職員以外の方の利用はできないそうで、取材もできなかったのですが、NHKは最後まで諦めず、美術学部のデザイン科の教授にお願いしてその最後の日の模様を撮影してもらうという手を考えたようだった。


感染対策のため、客席を半分以下に減らし、入店制限している中、運命の2021年2月3日に撮影は敢行された。


安くて美味しいものを種類豊富に。

これが開店当初からのお店のポリシー。


この大浦食堂のシェフが、北澤悦雄さん。(72歳)

藝大の中で一番長い。どの教授よりも長いそうだ。


カウンター越しに学生にこまめに声をかけて、学生の成長を見守ってきた。


去年の春からのコロナ禍で、講義はリモートになり、客足は落ち、悩んだ末、ここが潮時ということで閉店を決めた。芸術家とその卵たちを、その胃袋から支え、未来を励まし見守り続けてきた日々も今日を以て幕を下ろす。


この大浦食堂の名物が、”豆腐のバター焼き丼(通称バタ丼)”
この食堂のオリジナルメニューである。


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これです!


閉店のニュースが流れたときに、SNSのTLに溢れかえっていた写真は、このバタ丼の写真でした。(笑)


そんなに有名だったんですね。
全然知りませんでした。


この大浦食堂の後に、この4月から企業が運営する新しい食堂がここにオープンするそうで、北澤さんは、このバタ丼のメニューを引き継いでもらうんだそうです。


それはよかった!
伝統は途切れなかったんですね。


ボクもぜひ食べに行きたいです。
必ず食べに行きます。


東京藝術大学の楽長である澤和樹さんは、自らプロのヴァイオリニストでもあり、この最後の日に大浦食堂に現れて、バタ丼を食べていらっしゃいました。


そして、自ら作曲した、妄想曲”不滅のバタ丼”を、演奏して北澤さんに献呈されておりました。(笑)


そして感謝状も贈呈。


大浦食堂も永遠にあるってみんな思っていたから、それがもうなくなるとか、当たり前じゃないっていう・・・なんとも複雑な気持ち。


50年間、長い間お疲れ様でした。
そのとき番組のBGMはベートーヴェンの第九の第四楽章が鳴っていました。



大学の学生食堂、学食は、まさに人生において、絶対忘れられない思春期の大事な想い出の場所ではないだろうか?


絶対忘れられないですね。いまでも鮮明に頭の中に刻み込まれています。あの場面シーンが、ちゃんと鮮明に動画像として浮かび上がってきます。


我が母校、北海道大学の学生食堂も、ここに紹介しておきましょう。(笑)


北大の学食は、全部で6つあるそうだが、自分がお世話になった食堂は、その中の2つ。


北部食堂

中央食堂


である。


北部食堂も中央食堂も、北大生協の食堂である。


北大は、入学した最初の2年間は教養学部で勉強して、その成績如何で、残りの2年間に自分の進学する学部に移行する。


自分は教養学部のあとに、工学部電子工学科に移籍した。


教養学部の横にあったのが、北部食堂で、最初の2年間はこの食堂で若い腹ペコの空腹を満たし、そして工学部に移ってからは、その横にあった中央食堂にお世話になった。


北部食堂


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座席数1100と、日本の大学の学食としては、最大級だとか。

この写真を見て、自分はどうもピンと来ないんですよね。


なんか違うというか。たぶんリニューアルされて、建て直されたんじゃないかな、と思いますね。外観も中の食堂の風景も。


正直なところ、教養学部の2年間の食堂の記憶はあまり鮮明じゃないです。
とにかくものすごく広かったのは覚えている。

なにせ、38年前ですので。(笑)


自分の中に、鮮明に記憶にあるのが、どちらかというと後半生の工学部の中央食堂。


中央食堂


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中央食堂は、工学部の隣にある。

まさにこの建物!


あの当時とまったく変わっていないです。
まさにこの建物そのまんまです。

食堂の中のイメージもまったく変わっていないです。


嬉しいです。


思うに、工学部に移ってからの方が友人関係も濃厚で、遊びまくって青春時代真っ盛りだったからだと思います。教養学部時代は、自分の希望する学部に移行したいので、一生懸命勉強ばかりしていた記憶がある。そして希望通りの学部に移ってからは、やったー!で後は卒業までに思いっきり友達と遊んで青春時代を謳歌したのである。


自分の大学キャンパスライフと言ったら、この工学部時代なのである。


ドライブ旅行、音楽、麻雀、酒、ラーメン、アルバイト・・・


なんかあの頃の学生仲間と熱く同じ時間を過ごした時は絶対忘れられないです。友人と、ブリティッシュ・ロック談義、ポリスだ、U2だとか、今度はライブの新譜がでる!とか熱く語り合っていたのも、この中央食堂の中であった。


だから中央食堂のことは絶対忘れられないです。


あの頃の大勢の仲間と一緒にランチをとっている図は、いまでも鮮明に記憶に蘇ります。


あいつら、いまはどうしてるのやら・・・


だから中央食堂は、そんな自分のセンチメンタルな青春の想い出の場所なのである。だから自分は、東京藝術大学の大浦食堂のことを、みんな懐かしがって郷愁の念いっぱいの気持ちを寄せ、閉店のニュースが流れたとき、いっせいにみんな悲しんだ、その気持ちはよくわかるのである。


北大・中央食堂が閉店になったら、自分も大いに嘆き悲しむことは間違いない。(笑)


2000年~2003年に病気で会社を休職していた期間、北海道の実家で休養していたとき、懐かしさのあまり、北大の中央食堂に行ってみたことがあった。


あまりの懐かしさに泣いてしまった。
いや~ここだよな~という感じである。


自分の計画の中で、札幌コンサートホールKitaraで札響を聴きたいという夢があってオルガンコンサートでKitaraを体験したことはあってもオーケストラ経験はなかったので素晴らしい音響という噂を、ぜひ大編成のオーケストラで体験したかったのである。


それも札響で。。という拘り。


いつも帰省するのは、夏休みか年末年始なので、オーケストラお休み期間なんですよね。(笑)


札幌文化芸術劇場hitaruもぜひ体験したいし。
とにかくシーズン・インのときに帰省できるタイミングを狙っていたのである。


そのときに一緒に北大・中央食堂をレポして日記にして、青春時代を振り返るという計画を秘かに心に秘めていたのである。まさか藝大・大浦食堂のことで、それが実現するとは思ってもいませんでした。ネットでの写真を使ってではありますが。。。(笑)


中央食堂は、ドラマのロケでも使われたりして、有名だそうですよ。


中央食堂、いや北大の学食全般だと思うのだが、名物は、この「牛とろ丼」。


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北大学食名物として学生にも観光客にも人気がある「牛とろ丼」。


これは、生ハムと同じ「非加熱食肉製品」を利用した「牛とろフレーク」を使った丼のこと。 十勝平野の中で自由気ままに育ったボーンフリーファームを使ったコダワリの牛丼。 生の牛肉を食べることができなくなった現在、ユッケが好物という人には天国モノの丼です。


・・・だそうである。


申し訳ないのだが、38年前の自分の記憶の中には、まったく存在しないです。(笑)
そんなのあったけな?という感じです。

あったかもしれないけれど、記憶にないです。


近いうち、中央食堂にぜひ突撃したいと思っているので、そのときはぜひチャレンジしてみましょう。


大学の学生食堂こそ、まさに青春の場。想い出がいっぱい詰まっている忘れらない場所だと思うのである。









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