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なぜウルトラマンはゼットンに負けたのか? [特撮]

初代ウルトラマンが放映された1966~1967年、その第39話の最終回「さらばウルトラマン」で、ウルトラマンは、宇宙恐竜ゼットンに負けてしまう。


その後55年続くウルトラマンシリーズ史の中で、これほどショッキングなでぎごとはないのではないかと自分は思う。


1960年代というと、番組のヒーローは絶対的な強さを誇り、まさに勧善懲悪の世界。怪獣たちをコテンパンにやっつけて、正義はかならず勝つ!そういうシナリオが定着していた時代だ。


いまのように世の中捻くれて斜め横から世間を見るようなそんな斜に構えた姿勢がなかった時代。つねに正義、ヒーローは勝つ!


そういう時代だ。


そんな時代に、正義の味方ウルトラマンが負けてしまう。


そういう台本、シナリオを考えたというのは、当時としてはかなり勇気のいることだったのではないかと自分は想像する。


自分は、初代ウルトラマンはリアルタイムではなく、再放送でみた年代なのだが、それでも最終回ゼットンに負けてしまうシーンを見て、かつてないショックを受け、それを50数年経過したいまでもその衝撃を引きずって生きている。


あのゼットンのピピピピピという電子音、不気味でしたね~。


あの衝撃はいまでも忘れられないのだ。


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ひさしぶりにその最終回をもう一回見てみたいと思い、YouTubeで見てみた。


やっぱり55年経過したいま見ても、すごいショックである。YouTubeでひさしぶりに見ても、そのドキドキ、ざわざわ感は数日間続いた。


ウルトラマンの必殺技、スペシウム光線や八つ裂き光輪が片っ端からゼットンに破られてしまう。なにをやっても敵わない。もうウルトラマンの一方的な負けなのである。



残り時間もないとウルトラマンの全てをかけた攻撃、今まで多くの敵を撃ち破ってきた必殺のスペシウム光線!


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しかしゼットンは腕を胸の前に構え、あのスペシウム光線さえを簡単に吸収してしまう。


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怪獣に自分のスペシウム光線を吸収されるという衝撃の体験に驚きを隠せないウルトラマン!「私のスペシウム光線が吸収された!」と流石のウルトラマンでも一瞬の隙が生まれ、胸ががら空きになり、、、


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この瞬間を最初から狙っていたかのように吸収したスペシウム光線のエネルギーを波状光線にしてウルトラマンの胸のカラータイマーに放つゼットン!


既にウルトラマンの弱点は調査済みとばかりに。


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ゼットンの光線が最大の弱点のカラータイマーを直撃!被弾した瞬間にウルトラマンは短く「ヘアッ」と叫びます。光線のエネルギーがカラータイマーを通してウルトラマンの体内に吸い込まれる。


そんな既に力尽きたウルトラマンに止めを刺すかのように容赦なく、ゼットンは再びカラータイマーに波状光線を放つ。


再びゼットンの光線がウルトラマンの胸のカラータイマーを襲う!既に死んでしまっているウルトラマンは言葉を発する事もなく、光線を浴びるだけ。光線の最後がタイマーに入っていくとピカッと光る。それを合図に。。。


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カラータイマーだけではなく、目も点滅しているウルトラマン。やがて目からも光が失われました。


巨体はゆっくりと前のめりに倒れます。



地面に力尽きている銀色の巨人、ウルトラマン。

その亡骸をただ見つめるゼットン。

今までのウルトラマンの立場が逆転しています。


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自分は、まさにこの構図こそ、最大の屈辱というか、これほどショッキングな図はないのではないだろうか、と思うのである。ヒーロー絶対だったあの1960年代の子供たちにとって、このウルトラマンと怪獣の立場が逆転している、まさにこの構図こそショッキングなことはなかった。


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ウルトラマンはゼットンに手も足も出ずにやられてしまった。

無敵のウルトラマンが死んだ。




55年経過したいま見ても相当ショックである。いま見ても2,3日、ショックを引きずらざるを得なかった。


そんなときにももうひとつ興味深いYouTubeを見てしまった。


「なぜウルトラマンはゼットンに負けたのか?」


きっとオタク、マニア研究家による深い洞察なのだと思うのだが、なるほどそうだったのか、と感心してしまった。そしていままでは、単にその最終回をみて、自分がショックだったという事実だけであって、それ以上の深い考察はべつにしなかった、というかできなかった。


でもその真実には、こんな深い洞察があるのか、そうだったのか、という驚きを隠せなかった。


その真実とは・・・



カラータイマーはウルトラマンの心臓と接続されていて、エネルギーを司る重要な中枢機関であると同時に弱点もである。このカラータイマーを破壊されるとウルトラマンは死んでしまうという設定である。


ゼットンは、「ウルトラマンが戦う最後の怪獣」ということから、アルファベットの最後の文字である「Z」と、ひらがな最後の文字である「ん」を合成させて「ゼットン」とネーミングされたという逸話があることは有名である。


メフィラス星人が地球に向かう前日、侵略宇宙人たちが火星でウルトラマン打倒作戦会議を開いている。実際の映像には反映しなかったが、この会議で1番目がメフィラス星人、2番目がバルタン星人、3番目がジェロニモン、と波状攻撃をかけるつもりだったようである。


その会議でケムール人に似た謎の宇宙人が、「ゼットン・はやく育て」と呟いている。


このことから、ゼットンは対ウルトラマン用に調整された怪獣であることも明白になっていく。


最終回の台本によると、ゼットンは力、技、スピード、特殊能力のすべてがウルトラマンを上回る説明が書いてある。


そして最初からカラータイマーを破壊する目的でウルトラマンを組み伏せ、グシャ!と殴り潰してウルトラマンを即死させている。ウルトラマンを高らかに持ち上げて投げ捨てる描写まであるが、撮影時にはこれでは残酷すぎる、ということで変更された。


またドラマの描写としても決め手になったスペシウム光線を吸収され波状光線として打ち返されカラータイマーを破壊されたことや、ウルトラマンはまずゼットンをウルトラキャッチリング拘束するも火玉で攻撃され外されてしまったことがあったり、格闘戦でもカウンター攻撃などでやられてしまう結果になってしまっていた。


以上のことから、ゼットンは「対ウルトラマン専用」の怪獣として開発され、相当の分析をされていることから、ゼットンはすべての能力がウルトラマンを上回る宇宙恐竜で、ウルトラマンに全く勝ち目はなく、ゼットンの狙い通りカラータイマーを破壊されて敗北した。


これが負けた1番の理由である。


まさにヒーローの最終回が敗北なんて衝撃的ですべて手探りの手本なき時代に作ったとは思えないほどの完成されたストーリー展開であり、最終的にゼットンをヒーローではなく普通の人間たちが倒すっていう展開になるのがすごく素晴らしい!



・・・笑笑。


最初の台本にそんなことが書かれていたなんて、驚きとしかいいようがないです。もしその通りに映像化されていたら、大パニックになっていたでしょうね。


ウルトラQからスタートして55年。まさにいま明かされる真実という感じですね。自分にとっては・・・ですが。


そしてゾフィーとのやりとりで、ハヤタ隊員と分離して、ハヤタ隊員を地球に戻すことになったのは、まさにテレビの通りです。


この衝撃の最終回、もう1回観てみませんか?(笑)YouTubeで用意してあります。さらにはこの「なぜウルトラマンはゼットンに負けたのか?」を刻々と説明しているYouTubeも紹介しておきます。



















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いきなり閉店とはいわれてますが・・・(笑) [グルメ]

いきなり!ステーキは、2015年頃がひとつのブームのピークでしたね。予約不要の立ち食いスタイルが特徴。当時、「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」など立ち食いスタイルがひとつのブームでもありました。


いきなり!ステーキは、日本の外食産業企業ペッパーフードサービスが運営する。創業者は、一瀬邦夫さん。


2013年秋、セミナーで知り合った坂本孝が経営する俺のフレンチの「立ち食い業態」に関心を持ち、坂本に自らの構想を語ったところ、「自分(坂本)はステーキをやるつもりはないから、あなたが『俺のステーキ』をやってみたら?」と薦められたことを機に、構想を実践に移した。


2013年に銀座に1号店を開店。その後、急なチェーン展開、大量出店で2018年には366店舗。


直営店以外にフランチャイズ展開も行っており、2017年10月にはラーメンチェーン「幸楽苑」を展開する幸楽苑ホールディングスがいきなり!ステーキのフランチャイジーとして契約を結び、同年12月より出店を開始したことで大量出店に火がついた。


累計すると1000店舗まで拡大だったとか。。




2017年にはニューヨークに海外展開。1号店を出店。2018年には9店舗を構える。これは当時すごいニュースになっていたのをよく覚えていますよ。


アメリカでは、ステーキは特別な日にスーパーで買うか、高級店で食べるという習慣が根強く、手軽なステーキ店でしかも立ち食いというニッチな市場開拓に挑戦!というのが当時のキャッチフレーズでした。


かなりセンセーショナルなニュースになっていました。


でもやっぱり苦戦するんだな。2019年2月にはニューヨーク市内11店舗のうち7店舗の閉店を発表。最終的にはアメリカから撤退することになりました。


その後、国内でも飽和状態が続き、業績不振が続き、急激に次々閉店。


巷では、「いきなり!閉店」と揶揄されていたのをよく覚えています。(笑)


やっぱりあまりに急激に店舗数を拡大し過ぎて、従業員の教育不足とかいろいろな問題があったようだ。そのほかにもいろいろ評判のよくないニュースが続き、あれほど破竹の勢いだったいきなり!ステーキではあったが、どんどん事業規模を縮小。


2022年8月12日、業績不振により一瀬邦夫社長が引責辞任。後任には長男である一瀬健作が就任。


2022年9月時点で、41都道府県に220店舗まで縮小しているようだ。


いきなり!ステーキの原価率は、急成長を遂げた2015年時点の報道によると70%以上といわれており、サラダや飲み物などを含めた全体でも60%程度とされていたが、2020年には原価率は50%程度と称しているそうだ。


現在の値段設定は同業ステーキ店と比べて優れているわけではない。


人件費抑制のため、50代以上のコック経験者を短時間勤務の形で多く雇用しているところも特徴。ステーキ専門店のため、他の業態に比べ「オペレーションがシンプルで、覚えることが少なく作業がしやすい」点も高齢者に有利に働いているとか。


ブーム当時は、とにかくステーキというとすごい高級な食べ物で、ちゃんとしたレストランでテーブル席に座りながらゆっくり食べるものだというイメージだったのを、原価率を思いっきり上げて、利益少なくても、店舗数拡大で賄う薄利多売のような精神で、だから値段が安くて気軽に食べられる。しかも立ち食いのカジュアルさ。


そういうコンセプトがいきなり!ステーキのモットーだったんじゃないかな?それが目新しくてウケていた。自分にはそんな想い出があります。


そうだったんだけど、やはり原価率をふつうに利益が上がるくらいに戻し、人件費を抑えるなど経営面でいろいろ苦労はなされているのがよく伺えます。


自分も意外やいざステーキを食べたいと思ったときに、どこに食べに行けばいいのか?って意外と思いつかないんですよね。昔、おらが街にそういうステーキ専門レストランがあって、そこをよく重用していましたが、あえなく店をたたんでしまいました。


あとは、プロレスラー御用達のステーキリベラでしょうか。(笑)あそこのステーキはたしかに食べ応えがあると思うけど、あまり上質の肉とは思えず、そんなに美味しいステーキとは自分は思わないです。


自分の場合、ステーキはもちろん大好きだけれど、いざ食べたいと思ったときに、意外やどこに食べに行けばいいのか思いつかない、そんな食べ物でした。自分はステーキ専門店というのを意外とよく知らない。普段通わないので。


もちろんステーキ大好き!ではありますが。


そんないきなり!ステーキなのですが、じつはおらが街にもあるのです。でもなんかごちゃごちゃし過ぎですね。(笑)これもお店のカラーなのでしょうか・・・?


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ブーム絶頂期だった2015年頃にできて、自分は結構利用させていただいております。その後、いきなり!閉店の大量閉店が相次いだときも、ありゃ~あの店舗も閉店になるのかな~?今後はステーキを食べたいと思ったら、どこに食べに行けばいいのだろう?と心配したものです。


ブームだった頃も、そしていまもお客さんの入りはいいと思っていたので、経営的には採算性のいいお店だったのかもしれませんね。


よかったです。


自分は正直、本当に上質なホンマモンのステーキというのを食べたことがないかもしれないです。イギリスに住んでいたときに、よくステーキ食べてましたが、あそこの国のステーキは、本当に味付けなしのワイルドで草履のようなステーキでした。イギリス料理自体そうですが、お客さんがテーブルの調味料(塩やステーキソース)をかけて食べるものです。


自分は経験ないですが、本場アメリカのステーキというのもそんな感じがしますね。まさに草履のような肉厚でワイルドな肉の塊がでてきて、それに軽く塩、胡椒をまぶしているくらい。


もうステーキというのは、肉の質、これですべてが決まるのではないでしょうか・・・だから自分は、本場の上質のステーキというのを食べたことがないので、レベルがよくわからないのです。


自分は、いきなり!ステーキのステーキはすごく美味しいと思っています。自分のレベルではもう全然十分すぎるくらいです。


プロレスラー御用達のリベラより、全然美味しいと思います。全然肉が上質です。


いきなり!ステーキがおらが街にできるようになって、ステーキをどこに食べに行こうかで悩むことがなくなり、ステーキ食べたい!と思ったら、いつでも気軽に行けるので、すごく重宝しています。



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開店当時は、もちろん立ち食いでした。自分も立ち食いのスタイルで結構な回数食べた記憶があります。でもいまやこうやってちゃんと椅子があるんですね。


やはり食事をするとき、きちんと落ち着いて、ゆっくり時間をかけながら食べたいものですね。


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いきなり!ステーキの特徴に、客が好みの肉の量を指定して店員がその場で切り分け、これを焼き上げて提供する「オーダーカット」方式を採用しています。1g単位で価格が設定されており、ヒレステーキは200g以上、他のステーキは300g以上で注文します。


自分は体が大きく、大食漢なので、300gではとても物足りません。(笑)450gとか500gとか平気でいってしまいます。


自分はやはりヒレより脂身が多いサーロイン派かな?


ひさしぶりにステーキを食べにやって来たこの日は、サーロインの450gをオーダーしました。目の前で肉の塊をカットして、秤に乗せながら、これくらいでいいですか?と聞いてきます。


同時に焼き方を聞いてきます。レア、ミディアム、ウエルダム。。。店員さんがレアがお勧めです、というのでレアにしました。自分は普段はミディアム派かな?


そしてやってきました!サーロインの450g、レア。美味しそう~♪肉の他にライスや、野菜をセットにします。塩、胡椒でシンプルに食べるのもいいですが、お店特有のステーキソースもすごく美味しくいただけます。自分はいつもステーキソースにしています。


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ウマかった~。


ひさしぶりのステーキ。これはもう究極、至極のメニューでした。自分は、いきなり!ステーキのステーキは、自分のレベルには、もう充分すぎるくらい美味しいと思います。


もう最高ですね。肉最高~!


450gくらいになるとナイフできちんと細かくカットして食べないと、あまり切片が大きいと、喉に詰まってしまい大変なことになってしまいます。自分は一度そんな経験をしました。死ぬかと思いました。


以後気を付けながら、ちゃんと食べやすく、飲み込みやすいサイズにカットすることを怠りません。


それにしてもなんと!うまいことか!サーロインの脂身ののったジューシー具合。レアも美味しいですね。


ひさしぶりに肉食った~という感じです。


いつも良好な血糖コントロールを維持するため、質素な食生活をしていますが、たまにはこうやって羽目を外さないとダメですね。人間、気持ちがもたないと思います。


店員さんはやはり全員高齢の男性の方でした。ブームだった頃は、若い女性の店員さんが圧倒的でしたが、いまは完璧に高齢男性ですね。


すごく丁寧で行き届いたところまで心遣いされるので、恐縮しました。


お値段は大体4000円代。まっこんなもんかな。ステーキの量と質に見合った値段ではあると思います。


経営状況が厳しいいきなり!ステーキではありますが、おらが街の店舗は、これからもなくならないでほしいです。自分のステーキを食べる行きつけとして、今後も長らく営業し続けてほしいと思います。






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美食倶楽部 [グルメ]

いまグルメ系のことを書いているとすると、世界の朝ごはん、日頃自分が通ってみて美味しいと思っているお店、そしていま話題のお店、そして旅行先のグルメ、こんなところであろうか。


これだけでも十分だとは思うのだが、食いしん坊の自分は、もっと高尚なところを狙いたいという想いが日頃からふつふつを自分の中に浮かび上がっていた。


自分のようなB級グルメ専門の貧乏庶民なら、普段は、なかなか通えなさそうな高級料理、それは日本料理ではあれば、政治家が通うような赤坂の割烹、料亭のような類のお店、フレンチならトゥール・ジャルダン(パリと東京の両方、経験したことあります。。笑笑。いずれお話します。)のような高級フレンチ・レストラン。


こういうところを体験してみたいと思うようになった。もちろん貧乏人だから、頻繁には通えないけど、何か月に1回かはこういう贅沢をしてもいいのではないか、と思うのである。


食は人間の最大の楽しみである。


物欲にお金をかけるより、食や旅行にお金をかけたほうがいい、というのが歳をとってからの自分の偽らざる嗜好である。


さて、このような一流のグルメ日記になんというタイトルをつけようか。。。


かなり悩んだのだが、いろいろ考えた末、”美食倶楽部”と名付けることにした。


美食倶楽部といえば、北大路魯山人の会員制食堂。そして我が愛してやまなかった漫画「美味しんぼ」の海原雄山が主宰する会員制料亭のことである。海原雄山のは、魯山人の美食倶楽部がモデルであると言われている。


北大路魯山人


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画家でもあり、陶芸家でもあり、美食家でもあり、書家でもある北大路魯山人


北大路魯山人・・・この名を知らない人はあまりいないと思う。が、同時に、「では、魯山人とは何者だったのか?」と聞かれると、正確に答えられる人も、あまりいないのではないだろうか?


37歳のときに大きな転機が訪れ、友人の中村竹四郎と共同で古美術骨董を商う「大雅堂美術店」(前年までは大雅堂芸術店と称した)を開くと、店で扱う器にみずから調理した手料理を盛り付け、ふるまうようになったのある。


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これが会員制の「美食倶楽部」の始まりであった。


「金はいくらかかってもいい。美味いものを食わせてくれ」という政財界の大物が魯山人料理を礼賛し、会員は200名にも膨れ上がった。この出来事が、その後、会員制料亭開業の契機となっていったのである。



北大路魯山人による美食倶楽部の歴史は、さらに続く。大正12(1923)年、関東大震災で大雅堂美術店を失った2年後に会員制料亭「星岡茶寮」を立ち上げる。会員には、貴族院議長の徳川家達や男爵の藤田平太郎、侯爵の細川護立、電力王の松永安左エ門、作家の志賀直哉や画家の鏑木清方ら、各界の名士が名を連ねた。



美食倶楽部時代の最初は、選りすぐりの古陶磁に料理を盛っていたものの、会員数が激増したため、そのころから新しい器の製作に取り組むようになる。星岡茶寮では、ときに100人前を超える食器一切をそろえる必要に迫られ、とうとう魯山人は本腰を入れて星岡窯という窯を創設。加賀の須田菁華窯や京都の宮永東山窯といった有名な窯から職人を引き抜いて、理想の器の創作に没頭していった。


いろいろな顔をもつ北大路魯山人ではあるが、やはり自分にとっては、美食と陶芸、これをセットにして美の極致を極めた人というイメージが強い。


魯山人は、美を厳しく追求する姿勢からもわかるように、遠慮なく自分の信ずるところを口にし、ときに人を人として扱わない一面もあったといわれる。周囲から煙たがられたのは、ずばりと痛いところを突く眼識と、大きな風貌からにじみ出た威圧感によるところが少なくなかったのである。


北大路魯山人という人は、食に関して多くの逸話を残していることでも有名だ。昭和29年に欧米旅行に出かけた際にパリの「トゥール・ジャルダン」で出された鴨料理が気に入らず、焼き直しを命じてワサビ醤油で食べたというエピソードもそのひとつだし、岡本太郎らと伊豆へ泊りがけで出かけた時に鍋の席で団欒的な食べ方を嫌い、あまりの真剣勝負さにひんしゅくを買ったことも有名な話として残っている。


魯山人のことを数多く記している作家の山田和さんは、「魯山人の食通」の中で、鍋を食す時にワイワイやる雰囲気を持ち込まなかったのは「彼の育ち方と関係があるのかもしれない」と語っている。


美食の世界に、妥協を許さなかった魯山人はある意味、いまでいえば奇人変人の部類のカテゴライズされるであろう。魯山人に関する本は、ほんとにたくさん残されている。もし時間ができれば、片っ端から読破して魯山人の世界を理解してみたいと思う。


魯山人の逸話にこういうのもある。



北大路魯山人は言った。「納豆は、かき混ぜればかき混ぜるほど旨い」と。その回数を調べてみると、「納豆は424回かき混ぜるといいと言った」という説もあるそうだ。



北大路魯山人は納豆が好きだったようで、「魯山人味道」にも納豆に関する話が登場している。


その中には、


「...納豆を器に出して、それに何も加えないで、そのまま、二本の箸でよくねりまぜる。そうすると、納豆の糸が多くなる。蓮から出る糸のようなものがふえて来て、かたくて練りにくくなって来る。この糸を出せば出すほど納豆は美味くなるのであるから、不精をしないで、また手間を惜しまず、極力ねりかえすべきである。」(魯山人味道「納豆の拵え方」より)


自分はこれは間違いだと思う。(笑)というか自分の美意識にまずあわない。


テレビでもよく納豆を徹底的にかき混ぜる人を見かけることがあるが、自分はその画面がかなり嫌いである。なぜなら、かき混ぜればかき混ぜるほど納豆に糸が発生して絡みつき、ネバネバ状態になって、見ていてかなり気持ち悪いのである。なんかかなり汚い図で下品に感じてしまう。


なぜあんなにかき混ぜるのかな?と普段から不思議に思っていたのであるが、北大路魯山人がそう言っていたとはいまのいままで露にも知らなかった。


自分は納豆が大好きであるが、基本かき混ぜない。醤油をたらして、1回か2回、軽くかき回したらそれでお終いである。それで充分美味しいと思うし、なによりも見た目が綺麗でいい。


うちのオヤジは、さらに納豆をご飯の上にかけることを嫌った。朝ごはんのときに、そういうことをすると、よくオヤジに怒られた。


納豆をご飯の上にかけるんでない!


納豆というのは、ふつう白いご飯の上にかけるものだろう!


でもオヤジは、ご飯と納豆を別々に口に運んでいたのである。ご飯の上に納豆をかけると汚いというか下品に見えてしまうからなのだろう。でもその真意をオヤジに尋ねたことはなかった。


とまぁ、北大路魯山人に関しては、掘り出せばいくらでも面白いことが学べそうだ。また近いうちに。。。


参考引用文献:


フードジャーナリスト曽我和弘のショートエッセイ 食の現場から。魯山人のすき焼きが平成の世に蘇る。



会員制料亭を立ち上げた魯山人とは?人生や名言、本名など徹底解説(和樂web編集部)



魯山人風すき焼き(我流料理研究所)



魯山人風すき焼き・その2



美味しんぼ5巻 再現レシピ!「シャブスキー」こそが牛肉を美味しく食べる料理法だった!






さて、その北大路魯山人の会員制食堂であった”美食倶楽部”をモデルにしたのが、あの漫画”美味しんぼ”の海原雄山が主宰する会員制料亭の美食倶楽部だ。


美味しんぼ。


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雁屋哲(原作)、花咲アキラ(作画)による日本の料理・グルメ漫画である。「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)にて1983年20号より連載された。


まさに一世を風靡しましたね。

アニメまでになった。


自分も完璧に嵌り、のめり込みました。スピリッツだけでなく、もちろん単行本もシリーズで揃えていました。あんなに面白いと思ったことはなかったし、もともと食いしん坊の食が大好きだったので、最高の漫画だと思っていた。



「東西新聞」文化部記者の山岡士郎と栗田ゆう子を主人公とし、「究極のメニュー」作りを通して様々な人々が抱える悩みを、食を通じて解決させるストーリーである。


それまでの料理漫画には見られなかったリアリティあふれる描写が好評を博し、テレビアニメ、テレビドラマ、映画など様々なメディア展開が行われ、グルメ漫画や日本のグルメブームの活性化に寄与したのである。


山岡士郎の父親が美食家で美食倶楽部を主宰している海原雄山である。


この海原雄山がこれまた昔の大御所そのものの感じで、昔の見識家にありがちな偉そうで頑固で気難しいキャラクターである。父子は母親の死をめぐる確執から絶縁しており、偶然顔を合わせる度に意地を張り合い、料理対決するのである。


海原雄山は、気難しい頑固おやじなんだけれど、言うことはごもっともという感じでさすがは美食家と言わんばかり。海原雄山の言うセリフで、ずいぶん料理の勉強をさせてもらったという感じである。


山岡士郎&栗田ゆう子が、「究極のメニュー」を作っていくのに対し、海原雄山は対抗して「至高のメニュー」作りを宣言する。


いつも山岡士郎は、雄山に負けちゃうというか、やられてしまうんだけど、かならず1回は雄山をドキッとさせるような反撃をするのが大半である。


自分は、美味しんぼを読んでいて思ったのは、これは原作者の雁屋哲さんが、かなり綿密に勉強されているというか、かなり取材で実体験しないと書けない内容だな、と思ったことだ。それだけ登場する料理の知識がかなり専門的で説得力がある。単なる料理漫画で終わらなかったのは、その食に対する専門性の描写ではないか、と思う。


残念ながら東日本大震災のあった2011年に福島第一原発に関する描写で炎上し、その炎上が原因ではないとはいえ、2014年5月から長期休載をしているとのこと。


2014年に最新刊111巻を発売してから8年間休載を続けています。

「ビッグコミックスピリッツ」での連載も中断したままです。


とのことだそうだ。


原作者の雁屋哲曰く「自分の一存では連載再開を決められない」との事。作者が再開したくても簡単には再開出来ない状態に陥っているみたいである。


そろそろまたあの世界が懐かしく思ってきました。またぜひ復活してほしいです。またスピリッツ買うかも?



北大路魯山人と美味しんぼ。それは美食倶楽部というだけでなく、いろいろな面でこの漫画にとって影響力があった関係なのです。こんな本も出ています。


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美食倶楽部というタイトルの日記をこれから連載していこうと決心した、それがきっかけで美味しんぼのことを思い出してしまった。いい機会だったのかもしれません。


美食倶楽部の日記の第1弾をどうしようか、と思ったときに、自分はかねてよりすき焼きを取り上げたくて、それもそんじょそこらにあるすき焼きではなく、一流のお店の特上牛を使ったすき焼きが食べてみたいと思っていたのである。


そのお店はもうすでに決まっていて、自分が過去に2回ほどお世話になったお店である。そこにひさしぶりに行ってみたいと思ったのである。そのときの体験記を美食倶楽部の日記の第1弾としたいと考えたのである。


そのときにすき焼きに関して、自分は美味しんぼでとても忘れられないストーリーがある。それは美味しんぼ第5巻に収録されている「牛なべの味」である。


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これはものすごくショッキングでよく覚えています。


それは海原雄山がすき焼きについてケチョンケチョンにけなすところから始まるのだ。


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ぬうう、このくどくて鈍重な味はどうだ。

スキヤキなんて食べに来るんではなかったわ。


海原雄山は、なぜスキヤキがダメなのか、とんとんと説明する。

牛肉をまずく食べる料理法は、スキヤキだけじゃない、このシャブシャブもだ。


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そして言い放つひと言。


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スキヤキを食わせるからには、せめて魯山人風のスキヤキくらい食わせてみろ。


魯山人風スキヤキ???


ここから自分の探求心が芽生えるようになる。いま手元に美味しんぼ第5巻がないので、確証はないが、ここから雄山による魯山人風スキヤキの解説が始まるのだ。


当時この話を読んでいたときに、自分は魯山人風スキヤキに一気に興味を持ってかれた。どんなものなのか、食べてみたい!


海原雄山は北大路魯山人を尊敬しているからかもしれないが、その雄山がいまどきのスキヤキをケチョンケチョンにけなした後、褒め上げた魯山人風スキヤキとはどんなものなのか。今風のスキヤキとなにが違うのか。


当時の自分は随分悩んだものだった。


いまはネットの時代。さっそくネットで魯山人風スキヤキを調べてみた。


北大路魯山人によると「まずは肉だけを煮て食べ、次にザクだけ、というように交互に食べるとよい」という。また、「酒呑みのためのすき焼きには砂糖は入れない」のだそうである。



魯山人風すき焼き


稀代の美食家、北大路魯山人が考案したというすき焼きがある。

要は、味の出る肉は肉だけ、先に食べ、

出汁を吸ってうまくなる野菜やその他の具は、

肉を一通り食べきってから、鍋で煮て、それはそれで食べてしまう。

そのあとに、また、肉だけを食べる。

材料の性質をみて、独創的に創作的にするのが鍋料理だそうだ。


写真がないとイメージが湧きにくいだろうから、写真を探してきた。


魯山人のすき焼きを平成の世に蘇えさせる、というコンセプトのブログだ。



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魯山人のすき焼きは、我々がよく食べているそれとは作り方も食べ方も異なっている。まず、砂糖を使わない甘みがほとんどないすき焼きだと考えてほしい。戦後はたまに卵を使ったこともあるそうだが、ほとんどは大根おろしで食べていたそうだ。そして煮込むというより具材を焼く印象が強い。


魯山人は「牛肉と焼き豆腐、葱などを次々と足して煮込む甘くどいごち鍋とは違う」と言っているように一般的に行う作り方・食べ方をかなり嫌っていたように見受けられる。



要は肉と野菜をいっしょに煮込まず、焼いては食べの繰り返しなのだ。戦前はみりんも用いず、醤油と酒のみで調理していたようで、甘みは全くない。戦後になると、少し嗜好が変化したのか、みりんでほんのり甘みを持たせている。それでも極少と記しているからほぼ醤油と酒の調味だと考えていいだろう。魯山人はある文章に「砂糖の乱用が各々の持つこところの異なった味を破壊し、本質を滅茶苦茶にしている如き、それである。




「砂糖さえ入れればうまいとする今の料理は、極端に味覚の低下を示している」と書いている。一般のすき焼きを“甘くどいごちゃ煮”と言っていることからしても砂糖を用いる気は一切なかったと思われる。


魯山人曰く、すき焼きとは「まず食べたいだけの肉を焼き、それを絶妙のタイミングで食べ終えてから、食べたい分だけの野菜を入れ、少量のだしを注ぎ、味付けして煮る」ものらしい。決してグツグツ煮てはいけないようだ。肉は火が通りすぎないように半熟の表面が桃色をしているままに食べること。葱はけちらないで必ず一皮剥く。



要は魯山人風すき焼きとは、肉と野菜を交互に焼いて食べるものなんだな。いまのすき焼きは煮るみたいな感じだけど、あくまで焼くのである。そして肉と野菜を一緒にしない。かならず交互にやる。肉は大根おろしで食べる。


そして砂糖はいっさい使わない。


自分は思うのである。美味しんぼの第5巻の牛なべの味で、海原雄山がいまのスキヤキをケチョンケチョンに貶している理由が、まさに北大路魯山人がすき焼きに対して抱いている理想像、現代のすき焼きがダメであることの論理と合致するのである。


おそらく雁屋哲さんは、この魯山人のすき焼き論を参考にしていたに違いない。(笑)



美味しんぼ第5巻牛なべの味はもちろんそれだけでは終わらない。魯山人風スキヤキを現代の世の中でそのまま再現することは難しいが、それに代わる作品を紹介するのだ。


それがこのひとこまだ。


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シャブスキーと名付けたこの食べ方。


シャブスキーとは、すき焼きの牛肉をしゃぶしゃぶのようにさっと湯を通して梅タレで食べるすき焼きある。もともとは、北大路魯山人が考案した「魯山人式すき焼き」を応用したものから生まれた。



海原雄山、もうべた褒めである。


自分は長年のシリーズの中で、この第5巻の牛なべの味がすごく好きである。いまでもはっきり覚えているのである。


自分はいまのすき焼きがとても好きなので、海原雄山にケチョンケチョンに貶されたときは、もちろん大ショックでした。そしてお話に出てくる魯山人風すき焼き。それにすごく興味を持ってしまった。


あれから、おそらく40年経ったいまの2022年に、ようやくネットの力を借りて、魯山人風すき焼きがどのようなものなのか写真付きでイメージすることができ、理解することができました。


苦節40年、長かったです。


新しい連載シリーズ、”美食倶楽部”の第1弾として考えているのが、すき焼きです。魯山人風すき焼きを体験できれば文句ないでしょうが、なかなかそういうお店はないみたいです。


すき焼きといえば、自分は昔から贔屓にしているお店があります。

それが人形町にある今半というお店です。


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今半はすき焼きだけでなく、しゃぶしゃぶや鉄板焼きなどの一流店です。人形町が本店ですが、いろいろ支店も展開しています。昔、2回ほど、この人形町の今半ですき焼きを食べたことがあって、それは自分はすき焼きといえば実家の母親が作るすき焼きぐらいしかイメージが湧かなくて、一流店で食べるすき焼きってどんなものなんだろう、と思い、トライしたお店でした。


もうこれは素晴らしかったです。牛肉がA5とか超ランクごとに分けて提供されていて、高ければ高いほど最高級の牛肉を堪能できます。これが本場のすき焼きか~と感心しました。


お値段もバカ高かったです。だからあまり牛肉の枚数は頼めなかったです。(笑)まずは体験するという目的だけであって。。


あの特上牛肉によるすき焼き、腹いっぱい食ってみたいです。両親が東京に遊びに来たときは、この人形町の今半に連れて行ってやろうとずっと思っていたのでした。残念ながらそれは叶わぬことになってしまいましたが。


そんな人形町今半のすき焼きを食べてみたい、と思い、美食倶楽部の連載を始めることにしました。今半のすき焼きは、北大路魯山人や海原雄山が嫌う今風のすき焼きなのかもしれませんが、そこまでこだわる必要ありませんね。


自分は、今風、現代風のすき焼きも最高に美味しいと思っています。









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怪獣酒場 [特撮]

ヒーローたちに時に健闘し、時にこてんぱんにされるウルトラ怪獣たちが、夜な夜な憂さを晴らし、気力を養って、明日への新たな悪巧みをするところ。


今まで世を忍んで営業してきたが、一部の時間帯を地球人にむけて開放しています。ウルトラ怪獣たちが主役の居酒屋「怪獣酒場」。怪獣たちが贈る「永遠の少年たち」のオアシスです。


怪獣酒場


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う~む。ずいぶん昔、おそらく2014年頃かな、川崎に怪獣酒場がオープンすることを知って、こりゃぜひ行ってみたいと思っていたのだが、忙しさにかまけてすっかりその存在を忘れてしまっていた。そこに来て、今年のウルトラセブン55周年フィーバーで、片っ端から特撮もの、怪獣ものをフォローしていたら、自分のTLがそれに溢れかえってしまい(笑)、そこに怪獣酒場もついに登場して、あっそうだった~~~と思い出し、ぜひ行ってみたいと思ったのだ。


楽しすぎる!!!


ネットでオープン時の記事をググってみると、当時は1年間の期間限定でのオープンだったようだ。でもいまだに続いているということは、大人気ということだったんですね。(笑)


昔は、川崎にしかなかったのだが、最近は新橋蒸溜所というところもできたんだな。驚きました。


新橋蒸溜所は、地下の洞窟に造られた怪獣たちの秘密の蒸溜所を、そのまま酒場としているかのような店内。中央には怪獣たちが日々汗水流して蒸溜酒を作っていると思われる大きな「ポットスチル」と 呼ばれる蒸溜釜が設置されているそうだ。


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怪獣たちの利用時間の様子 ※地球人向け営業時間中に怪獣は登場しません。(笑)これは楽しすぎる!!!


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怪獣酒場に行くなら、まずオリジナルの川崎に行きたいな、と思っていたので、新橋蒸溜所はまた今度ね。


怪獣酒場はすごい。


怪獣襲来というイベントがあって、そのイベントのときは、おそらくその怪獣が店内に現れるに違いない。怪獣襲来のイベントのときは、完全予約制だ。



イベント“怪獣襲来!”10/16(日)エレキング登場。

イベント“怪獣襲来!”10/9(日)カミーラ登場。

イベント“怪獣襲来!”10/2(日)改造パンドン登場。


・・・てな感じだ。


川崎の怪獣酒場は、JR川崎駅東口からすぐのところにある。仲見世通りの中を入っていたところのビルのB1Fにある。



あった!ここが怪獣酒場だ。


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自分の昔の記憶では、この店前に店長のバルタン星人がお出迎えしてくれているはずなのだが、今回それを楽しみにしていたのだがいなかった。残念。


自分がイメージしていたのは、こんな感じです。(笑)


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16:00開店なのだが、30分くらい前になるともうこんなに怪獣マニアたちで長蛇の列が出来てしまいます。


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店員さんが、検温にくるのだが、そのときにすでに「ウルトラマンは体温が高いので・・・」とかしれっと言い出す。(笑)なんか笑っちゃう雰囲気だ。


そしていよいよ店内に突入。


おぉぉおおお~怪獣酒場。


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手に消毒スプレー、そしてベルを鳴らして店員さんをよぶところ。お訊ね怪獣。


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ジャミラの真実の口。これは口に手を入れるあれですね。それがジャミラなのがいいです。でもいまコロナなので封鎖されていました。


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店員さん、またしても流暢な口ぶりでしれっと言う。


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当店「怪獣酒場」では、


●地球防衛隊員・・・

●ヒーローに変身できる能力のある方・・・


のご入店は固くおことわりします。


あまりに流暢にしれっと言うのでおかしくて、おかしくて。(笑)



ここが川崎の怪獣酒場の店内である。


ここは、怪獣エリアといわれるところで、印象的な怪獣達をテーマにしたボックス席と、怪獣のフィギュアをじっくりと眺められるカウンター席


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怪獣のフィギュアがいっぱい飾ってあってなんか楽しい。


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宇宙人エリア

『ウルトラQ』~『ウルトラマンレオ』までに登場した宇宙人や円盤で装飾されたエリア。


光の国/地球 戦力研究室


怪獣達がウルトラ戦士の技や能力、また変身アイテムや地球防衛隊のメカニック等を研究しているエリア。


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初代ウルトラマンの科学特捜隊、帰ってきたウルトラマンのMATの戦闘機など。そしてウルトラセブンのウルトラホーク1,2,3号などウルトラ警備隊関係のパネルも見れる。


やっぱりウルトラ特撮は、初代ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、この3シリーズに限りますね。


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作戦計画室


宇宙人達が過去の地球侵略作戦を振り返りながらリベンジを企てている、密談に適した2人掛けの個室エリア。


すごい密室と言う感じがしますよ。


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怪獣さんたちも秘かに密談してます。


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怪獣無法地帯


怪獣が大集合したグラフィック等が目を引く、大人数向けの小上がり座敷のエリア。


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やっぱり川崎は初代怪獣酒場の発祥地なので、本格的ですね。


店頭では「怪獣酒場」オリジナルグッズをはじめ、「ウルトラマン」シリーズの商品を販売しています。いろいろなグッズがあります。


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ここがレジですが、お勘定はふつう各お客さんのテーブルでやります。


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店内には色紙サインがいっぱい飾られていました。”友里アンヌ”アンヌ隊員のサインも見つけました!各世代のウルトラマンはみんな来店しているみたいですね~。それはそうですよね。聖地みたいなところですから。自分達がこてんぱんにやっつけた怪獣たちの酒場、オアシスなんですから。


でも地球防衛隊員、ヒーローに変身できる能力のある方は、入店お断りのはずなんですが。(笑)


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自分は、印象的な怪獣達をテーマにしたボックス席に通されました。そのボックス席に応じて、いろいろな怪獣がテーマになっているのですが、自分はなんと!ゼットンのボックス席に通されました。やったー!初代ウルトラマンの最終回、ウルトラマンがゼットンに負けるシーンは子供心にとてもショックでした。


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店員さんを呼ぶコールボタンが、カラータイマーになっているんですね~。


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メニューを開いて料理、ドリンクを見てみたら、もう目が眩みました。


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怪獣料理、怪獣ドリンク・・・もうなんかよくわからないです。(笑)でもなんかすごい楽しいです。



自分は、まず怪獣ドリンクとして、変身怪人ビット星人の「小悪魔スカッシュ」を頼みました。ノンアルの梅酒とカシスシロップ、レモンスカッシュがミックスしたドリンクですね。


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すごい美しいカクテルみたいな感じでした。すごく甘くて美味しい~。


そして怪獣料理として、バルタン星人のおもてなしをいただきました。


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バルタン星人の「ハサミ」に、同じくハサミを持つカニのピラフを盛り付け。蟹肉や蟹味噌をふんだんに使った贅沢な味。


これはすごく美味しいですよ。ちょっとケチャップ的な味付けのピラフですが、蟹の贅沢な味とブレンドされていて、とても美味しい。これは美味しいと思ったな~。



つづいて怪獣料理2品目。スカイドンの炎のチーズダッカルビ


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これもなかなか美味しい。チーズダッカルビなんですが、怪獣酒場が作るとこれにちょっとカレー風味がついて、火を吹く辛さとチーズのハーモニーという感じで、すごく美味しいです。チーズがのびるのびるという感じで香ばしいんですね。お肉もゴロゴロ感あってこれは食べ応えあり美味しかったです。



怪獣料理3品目。大阪城の悔恨~自虐のローストビーフ


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ゴモラの無念を忘れるな!切られた尻尾はローストビーフとなって蘇ります。ふつうにローストビーフで美味しかった。これにかけるソースがすごく甘くて美味しかったですね。ローストビーフをさらに旨く感じさせたのは、このソースのおかげですね。



怪獣ドリンク、怪獣料理を1品頼むと、こうやって怪獣カードをくれるのです。4品頼みましたので、4枚ももらいました。


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ちなみに、本日の10/17から、毎年恒例の名物メニューも登場だそうです。


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お待たせしました!

今シーズンもやります!


季節限定メニュー”メフィラスの円盤もつ鍋”


川崎にて例年ご提供している怪獣酒場の名物メニューが今シーズンも登場!

メフィラス星人のおすすめ!円盤もつ鍋で寒い冬を乗り切りましょう!


・・・だそうです。


これはいいわ~。2日違いだったんですね。惜しかった。もつ鍋大好きだし。シン・ウルトラマンでも大絶賛だったメフィラスの円盤もつ鍋というのがあるんですね。毎年恒例の名物メニューだったんですね。


これは食べたいわ~。



怪獣酒場の怪獣ドリンク、怪獣料理はかなり美味しいです。ちょっとお値段お高めですが、でも味は保証します。かなり美味しい。


そして、なによりも楽しいですね。


怪獣ドリンクは、いろいろなアルコールもあって、吉田類さんの酒場放浪記で、ぜひこの怪獣酒場を取材してほしいな~と思いますね。(笑)


これだけ怪獣料理も美味しいんだから、これはミューザ川崎のコンサートがある日は、終演後にこの怪獣酒場で夕ご飯というのもいい案かもしれませんね。


でもすごく混みますよ。熱心な怪獣マニアのファンたちですごい人気なのです。予約したほうがいいですね。でもこの川崎のほうは予約は2名からなんですよね。新橋のほうは1人からでも予約できます。女性のお客さんも多かったですよ。


怪獣酒場。。。なんか遊び心満載で楽しすぎます。またぜひ来たいです。


怪獣酒場の運営は、ベネリック株式会社と株式会社イーケーシーの共同企画で、円谷プロダクション監修のもと、特撮ヒーロー「ウルトラマン」シリーズの「怪獣」をテーマにした居酒屋「怪獣酒場」を運営しているそうです。



この日はすごくお腹を空かして行ったので、空腹過ぎて、開店の16時まで待てず、向かいのタイ料理屋さんで2品ほど食べました。ここのタイ料理もなかなか高級味で本格的で美味しいです。店員さんがみんなタイ人みたいな感じでかなり本格的なタイ料理で美味しいです。


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怪獣酒場の向かいにあります。今度はじっくり時間かけて、こちらのタイ料理を味わいたいですね。





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人生最高のとき [雑感]

解散したバンドが、再結成して懐メロ・ツアーのようなことを行うことがよくある。それを非難する人もいるようだけど、自分はそれを認めたい。何十年もの人生の中で、ほとんどの人は光り輝くのはほんの数年だろう。それを縁(よすが)に生きたとしても、他人にどうこう言われる筋合いはない。
                                                   
ロッキンオン松村雄策氏の名言である。松村氏、病気(癌の闘病生活の末)で亡くなられたんだよね。
                                                   
自分にとって大変ショックでした。渋谷陽一氏とともに、創刊時からロッキンオンを支えてきて、渋松対談は名物コーナーで毎月楽しみだった。
                                                   
自分がロックに目覚めた1977年あたりから、お世話になってきたロッキンオン。世の中には、当時のロック雑誌は、いわゆるスターの写真とインタビュー中心のどちらかというとミーハー路線の雑誌が多かった中で、ロッキンオンは硬派な男の読み物だと思っていた。
                                                   
あの頃の自分は尖っていたから、そういう想いを受け止めてくれるというか、自分の想いを十分昇華できる雑誌だったのだ。
                                                                                                                                                
だから松村雄策氏のご逝去は、同世代の同じ想いを抱いていた同士が亡くなったような寂しさがあります。お悔やみのひと言をいうのが遅れて申し訳なかったですが、ここにて謹んでお悔やみ申し上げたいと思います。
                                                                                                                                                
ビートルズ、ドアーズ、ジャックスが好きな永遠のロック少年でした。
                                                                                                                                                
その松村氏の名言にはいろいろあるが、冒頭のくだりは、名言中の名言だと思う。自分がいちばん同感する、感銘をうけた言葉である。
                                                                                                                                                
人生何十年も生きてこないとわからない、まさにいまの自分だったらよくわかるみたいな、そういう含みのある言葉だと思う。
                                                                                                                                                
自分もそうであるが、つねに人生新しい展開があると期待しながら生きているが、ふっと人生晩年振り返るとオレの人生、あのときが一番晴れ舞台だったなぁと思える瞬間というのがある。
                                                                                                                                                 
人生最高のとき、である。
                                                                                                                                               
                                                                                                                                                
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でもリアルタイムにそのときを走っているときは、自分はそれに気がつかないものである。無我夢中だから。晩年に振り返ってみてようやく気付くのである。
                                                                                                                                                
老婆心の戯言と思われるかもしれないが、若い人には、じつは、いまのこの瞬間が自分が人生最高のときなんだ、と思いながら、きっと後年そう思えるに違いないと確信しながら、いまのこの瞬間を精一杯悔いのないように生きてほしい。
                                                                                                                                                 
人間、現状に満足なんてなかなかしないもんだけど、まだまだできるみたいな感じはあるだろうけど、いまのその瞬間を大切に思いながら頑張って突っ走ってほしい。
                                                                                                                                                 
自分のような歳をとってある程度晩年になってくると、人生への構え方というか、過ごし方が若いときと比べてあきらかに違ってくる。生き方を変えていかないといけない。若いときと同じように、というわけにはいかなくなる。それを実感する毎日である。
                                                                                                                                                 
人生最高のときは、ふつうは若いとき、もしくは30~50歳のときに訪れるのではないだろうか?中には、人生、大器晩成型という人もいますね。
                                                                                                                                                
残念なことに、いまがじつはその人生最高のとき、とわかることはまずないですね。あくまで晩年になってからわかるものなのです。
                                                                                                                                                
そのためには、精一杯いまを生きるということを続けるしか方法がないのではないか、と思います。
                                                                                                                                                
オレは、前職時代は仕事中心の生活で仕事が好きだったこともあって、すごい波乱万丈な人生だったけど、病気で人生挫折し退職せざるを得ず、いまの会社に入ったけれど、逆に仕事が安定し、心に余裕が出来てきて、仕事一辺倒ではない、趣味に生きる人生の楽しみ方というのを知ることができた。
                                                                                                                                                 
心の幸せ感ということでは、晩年のほうが幸せかな。でも前職時代はつねに最前線を突っ走っているような感覚があったから、あのときはあのときで幸せだった。
                                                                                                                                                 
                                                                                                                                                 
何十年もの人生の中で、ほとんどの人は光り輝くのはほんの数年。
                                                                                                                                                
じっさいはそうなのかもしれないけど、もっと現実的な言い方をするならば、若いときと人間晩年になってくるときとでは、生き方や心の構え方が違ってくるということです。
                                                                                                                                                 
人間歳をとらないとわからないことはいっぱいあります。歳の年輪をある程度重ねていかないと、悟れないことは山ほどあります。
                                                                                                                                                 
いくら若いときに背伸びしてそれを知ろうと思っても、またそれを意識した発言をしようと思っても、これが無理なんですね~。年輪、経験にもとづいた発言の重み、響き方はやはり違うと思います。
                                                                                                                                                 
人生ずっといろいろ危機を何回も乗り越えてこないと達観できない境地というのも必ずあります。人生苦労しないとダメです。苦労を知らないまま成功した人は、そのまま晩年になってもつまらない、いい大人にはなれないでしょう。
                                                                                                                                                 
                                                                                                                                                 
もっと年金制度が充実していて、晩年になったら悠々自適な生活になるかと子供の頃は思っていましたが、いまや人生100年時代、いったいオレはいつまで頑張ればいいのか、そんな想いの毎日です。(笑)
                                                                                                                                                 
いったいいつまで働けばいいのか、いつまで頑張ればいいのか、北欧諸国のように晩年になって人生ご苦労様という感じで手厚く迎えてくれないのか。う~む。いまの日本のままではまったく期待できなさそうな・・・
                                                                                                                                                 
いつまで経っても安らぎは来ませんね。
                                                                                                                                                
                                                                                                                                                
                                                                                                                                                

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販売研修と神戸カレー [雑感]

技術系・電機メーカーで働いていると、新人の1番最初の頃に販売研修というカリキュラムがある。家電製品を開発・製造する会社であるから、当然、それを一般客に売るために販売店で売るのが一番エンドユーザーに近いところでの販売である。


そこで、自分の会社の商品がどのように売れるのか、その傾向と自社の製品に対するお客さんの要望、ニーズ、直接の声を聞いてくるというのがミッションである。


いまの会社では自分はカービジネスに従事しているので、オートバックスとかカーディーラーとかがその販売店になるが、カービジネスの世界はなかなか面白いですよ。


カーオーディオやカーナビ、ドライブレコーダなどは、必ず市販(アフター)・用品・純正という3種類にカテゴライズされます。カーの世界は、車載製品をお客さんに売るそのステップで、この3種類に分けられるのです。


市販(アフター)というのは、ふつうに一般のお店で商品の棚に、製品を並べて買ってもらうこと。お客さんは、ふつうのお店で車載製品を買って、自分の車への取り付けは、自分でやるのである。


用品というのは、OEMですね。車を販売する専門店、カーディーラーに自社の車載製品を置いてもらい(そのための契約を勝ち取るのが大変。)、お客さんが車を買ったと同時に、カーオーディオ、カーナビもどうですか?と聞いて、うん、つける、と言ったら、ディーラーさんが車に取り付けてくれるのである。そのディーラーに置いてもらうため、その対象のカー製品として選んでもらうために、ビジネス商談が行われるのである。(複数のメーカーが選ばれることが通例で、その候補に選ばれることが、ビジネスを勝ち取るということである。)この用品は、カーディーラーの時点で選択するのでディーラーオプションと言われます。


純正もOEMですが、これは、車が工場で製造される段階で、すでに車載機器を取り付けてしまうことを言います。だからその車に対して、純正品の扱いなのです。


ふつうにお店で(オートバックスみたいなところ)商品の棚に並べて、一般客に買ってもらうのは、昔は、市販と呼んでいましたが、いまはアフターマーケットというのが正しい呼称ですね。


その由来は自分は正しく理解はしていませんが、OEMの用品・純正は、ディーラー・オプションや工場での取り付けになるので、いわゆる前段ステップでの車への取り付けになりますが、市販は、そのステップからすると一番後段のステップなので、アフターのマーケットというのかな、と自分で理解していたりします。


自分は私生活では、まったく車をやりませんが、仕事でカービジネスに長年従事していると、いろいろカーの世界がわかってきて、日々勉強になります。なかなか楽しいです。


いまの会社では、自分は中途入社ということもあり、販売研修をやった記憶がないんですね。カー製品は、市販製品ならオートバックスのようなところだし、ディーラーオプションや純正だったら、そんな研修はないですしね。もしやるとしたら、市販の場合のみですね。


でも前職時代は、みっちり販売研修をやった記憶があるのです。これは鮮明に覚えています。いろいろ苦い想い出や、楽しい想い出など、本当にいろいろ・・・。


東京へ上京してすぐのときだから、なかなか精神的にもいっぱいいっぱいでありました。そして生まれて初めて大阪というところに行った最初の経験でもありました。


自分の大阪の想い出というと、この販売研修のときの1か月間が1番濃厚な想い出として頭に刻み込まれています。


自分が配属されたのは、大坂の販売店としては最高峰の上新電機。


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上新電機株式会社は、大阪市浪速区に本社を置く家電量販店を展開する企業。大阪発進の企業ではあるが、いまや全国都道府県にその量販店を展開している。


でも当時の自分は、上新電機といったら、大阪専門だと思っていました。


大阪心斎橋のホテルに1か月間宿泊していました。洗濯とかもできる新しいいいホテルであった。


心斎橋というところは、ビル街・オフィス街な風景のところですね。だからあまり飲食店街などなかったように思います。夜ご飯とか苦労していたような記憶が。


上新電機での販売研修。いやぁなかなか精神的にタフな環境でした。販売研修というのは、要はお店に売り子さんとして立っていて、お客さんが悩んでいるようだったら、さりげなく近寄り、やさしく親切に説明してあげ、そして狙うは自社製品を買ってもらうようにどんどん誘導してあげる役割のことをいいます。(笑)


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この役割のことをヘルパーさんといいます。日本語の正式名称は販売販促員かな。お店の店員さんがぜんぶそういうことをお客さんにやってあげれば済むことなのかもしれませんが、それじゃ大変過ぎるということで、実際は各メーカーさんから販売応援ということで、人を出してもらい、そこでヘルパーさんとして、店頭での販売を促進してもらっているのが実情です。


だからある意味、ヒマと言えばヒマ。ずっと店頭に立っているだけなので、お客さんからヘルプがないと終日ずっと立ったままで終わることもある。まぁたいていの場合、お客さんから話しかけられることはほとんどなく自分から話しかけることが大半です。


いやヒマと思うかどうかは、心がけ次第ですね。


あまり押しつけがましい話しかけはよくありませんね。自分がお客だった場合も、店員さんにあれこれ話しかけられ、誘導されるようだと気分悪いですよね。自分がお客だったら・・・と考えるのが重要です。


だからある意味センスが必要です。人柄、話し方も影響していきますね。接客業のなんたるかを勉強する必要があります。


もちろん本格的なプロのヘルパーさんであれば、そういう訓練はされています。でも自分たちのように普段は家電メーカーの社員が、急遽ヘルパーさんとして駆り出される、というのも実際は多いことなのです。



あと、ヘルパーをやってみて苦労するのは、家電製品の知識を完璧に知っていないといけないということですね。お客さんからどんなことを聞かれるかはわからないことですし、商品のことだったら、なんでも知っていないと対応できない。家電メーカーに勤めているから、自社製品の機能は完璧に知っているか、というと意外やそうでもありません。(笑)みんなもっと上流で専門的に分かれたところで仕事をしているから、そのような商品の最終形のところまで完璧に知っているということはほとんどないのではないでしょうか。これはふつうまず無理なことですね。


これはプレッシャーだったなー。


上新電機では、もちろん自分は家庭用ビデオデッキの販売エリアのヘルパーとしての役割になります。新人だったから、とにかく不安で不安で怖かった。


上新電機では、青色の上着チョッキをユニフォームとして着ることが義務付けられましたので、それを着て毎日店頭に立っていました。


初めての大阪だから大阪人や関西弁がすごく怖く感じました。(笑)いまでもよく覚えているけど、上新電機の店員さんみんな怖かったな~。朝一でみんな集まって朝礼するわけですが、なんか怖くていつもビビっていました。

なんかいつも自分はビビっていました。


「ノンノンさんが来てくれたということで、ベーターマックスを棚に置くことにしました。頑張って売ってください。」


とかプレッシャーをかけられる始末。(笑)そのときはすでに世の中、ベーター敗色濃厚の時期でしたから、まさに針にむしろという感じですね。


ヘルパーさんは、全員家電メーカーから配属された臨時販促員かというとそうでもありません。専門のプロのヘルパーさんもいるのです。この方々をプロヘルといいます。


自分のエリアにもプロヘルさんが1人いました。どこのメーカーだったか覚えていませんが。プロヘルさんは、結局自社製品に誘導して自社の売り上げを上げることがノルマですから、やっぱり怖いのです。その売上額に応じて、自分の給料が決まる歩合制なのかもしれません。自分の生活がかかっています。


その売り場には、そのプロヘルさんの縄張りというかそういう意識があるんですね。


だから、その場を荒らすというか、つねにプロヘルさんの目が光っている中で販促するわけですから、もうビビりまくりながら、やっていた訳です。


もちろん話しかけられなかったです。


自分と同じような立場で、三洋電機から派遣されていたヘルパーさんがいて、その方と仲良くなりました。いろいろ親切に教えてくれました。


1日が長かった。ヒマと言えばヒマなんだけど、とにかく生きた心地がしなかった。自分にとって販売研修は、かなりキツイ体験でした。


その後、今度は、中堅社員研修かなんかで、ふたたび販売研修をやりましたが、そのときは秋葉原でしたので、もうホームですね。大阪のときとくらべて、全然ストレスなかったし、プロヘルさんもいなかったので、すごいストレスフリーで楽しかったです。やっぱり毎日暇でしたね。


大阪時代は、土日は休みだったと思いますが、そのときは羽を伸ばしました。人生初めての大阪散策です。


いまでもはっきり覚えているのは通天閣のあるところに行きました。


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大阪というと関西うどんやたこやき、などのステレオ・タイプでしか認識のなかった自分ですが、その関西うどん、たこやきをこの通りで食べたことを覚えています。これが大阪のうどんか~。やっぱりダシが透明なんだな~でも独特の味が利いていて美味しいな、と思いました。


道頓堀とか、大坂城には行かなかったと思います。(というか行けなかった。)


とにかく大阪の繁華街をぶらぶら、ひたすら歩いて大阪の街の雰囲気を味わいました。これが大阪なんだな~という感じです。


神戸に遠出したこともあります。神戸ポートタワーまで行きました。


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みなと神戸のランドマーク、神戸ポートタワー。神戸港のシンボルですね。中に入り、上って最上階まで行き、展望台から神戸港を眺めました。美しかった。


この神戸ポートタワーのある神戸港の景色は、本当に美しいですよ。とてもいい観光スポットだと思います。


神戸というと遠い昔に想い出があります。小学生のときに、オヤジが家族サービスとして九州佐賀県(オヤジの実家がある。)までの日本各地の旅行に連れて行ってくれました。東京、京都、はもちろん。その中で神戸にも寄ったんですが、神戸は異国情緒溢れるとても素敵な街でした。異人館などあってタクシーで回った記憶があります。


その中で、自分の強烈な想い出にあるのが、神戸で食べたカレーです。これが子供心に飛びぬけるほど美味しかった。


子供の頃からカレーは大好物でしたが、神戸で食べたカレーはすごく美味しかったです。別にそんなたいそう立派なレストランで食べたものではなく、そこら辺の大衆食堂で食べたカレーなのですが、とにかくウマかった。その後、九州に行くまでの間、オヤジやおフクロに神戸のカレーは美味しかったをすごく連発していました。


オヤジたちは笑っていました。


あれ以来、神戸には行っていないのですが、ぜひまた神戸にも行ってみたいです。神戸は観光都市としてもすごく見どころたくさんあるところですが、その中で、自分は神戸のカレーというのを改めて食べてみたいです。ネットで調べてみましたが、神戸のカレーということで特段に特別なカレーとか、神戸カレー文化というのはないようですが、神戸でカレーを食べることが、子供の頃の想い出に立ち寄るということで大切なことなのです。


最後に、神戸といえば自分はもうひとつ人生の中で達成したい夢があります。それは阪神甲子園球場で阪神×巨人戦を生で観戦したいことです。(神戸というよりは兵庫県西宮市ですが。)


自分は甲子園に行ったことがまだ一度もないのです。北海道生まれ&育ちですので、子供の頃から巨人ファンですが、甲子園に行った暁には、ぜひ1塁側スタンドの阪神ファン応援席で観戦して、阪神側目線で六甲おろしを虎ファンといっしょに歌ってみたいです。


1985年の阪神日本一をリアルタイムで体験し、あのときに大阪だけでなく日本中の虎ファンが熱狂したあの年。甲子園球場で、巨人槇原が、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発を食らったあの瞬間、リアルタイムでTV観戦していた自分。


阪神のホームである甲子園球場は、ぜひリアルで体験しておきたいのです。


自分は、高校野球も子供の頃からすごく熱中して観ていたファンでしたので、甲子園には特別な想い出があります。人生の中でどうしても1回でいいから、甲子園体験してみたいのです。


阪神×巨人のチケットを取るのは大変なプラチナなんだろうな・・・。








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赤坂アークヒルズのお茶漬け膳 [グルメ]

サントリーホールの向かいにある赤坂アークヒルズのカフェ・レストラン街。ここには、昔、自分のお気に入りのお茶漬け専門店があった。


いつもサントリーホールでコンサートがあるときは、その前にこのお茶漬け屋さんで夕食としてお茶漬けを食べるのが常だったのだ。


お茶漬けだけを提供するお茶漬け専門店というのが、なんともすごい洒落ているし、コンサート前にあまりたくさん食べてしまうと、公演中に眠くなるので、さらっと軽いものがいい。


そういう点からもお茶漬けというのは最高であった。


なによりも自分はお茶漬けが大好きだし。


サントリーホールのコンサート前は、さらっとお茶漬けをかっ込む。これがいわば自分のゲン担ぎのようなところがあった。


お茶漬け屋さんというとふつうは、純和風、日本料理店のような店内装を想像すると思うが、このお店は全然洋風だった。店内は薄暗く、黒の内装で、照明が暗く、ちょっとした洒落た洋風のバーみたいな感じで、バーテンさんがカクテルを振っている・・・そんなイメージの店内。それでいながらお茶漬け専門店というのがなんともアンバランスで、自分は気に入っていたのだ。


お茶漬けもなかなか高級で美味しかった。ご飯はおひつごと提供され、それにお茶碗、そしてだし汁のポット、それに明太子、梅干し、昆布などお気に入りのお茶漬けのタネ(具)が小皿で提供される。そんなちょっとした高級和風料理店のような上品さである。


だし汁だったか、ご飯のおひつはお替りは自由だった。


それが2015年の小山実稚恵さんデビュー30周年コンサート、大野和士&東京都交響楽団とのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番がサントリーホールで開催されたときに、自分はこのいつものごとくお茶漬け屋さんでお茶漬けをかっ込んで、公演に臨んだのだ。


でもいまから7年前のこの2015年のコンサート以来、このお店は人知れず閉店してしまった。結局この日が最後となってしまったのだ。


これはかなりショックであった。次回行ったときに違う店がテナントに入っているのはショックとしかいいようがなかった。


それ以来失意の日々なのだが、折に触れて、このアークヒルズの中のお茶漬け屋さんのことを日記で言及してきたわけだが、ネットでググってみると、そのお店の写真を発見することができ、さらにそのお店の名前もわかってしまった。


大興奮である!


そしてさらに驚いたことに、このお店、じつはチェーン店のように複数いろいろな街にお店があり、たまたまサントリーホール前のアークヒルズ店が閉店になったというだけの話だったことがわかった。


だから他の店に行けば、昔のようにそのお茶漬けが食べられることもわかったのだ。


サントリーホールでのコンサートでは、公演前にこのお茶漬けを食べることがひとつのゲン担ぎでもあったので、懐かしいし、大切な想い出でもある。


そこでこの赤坂アークヒルズのお茶漬け専門店のことを、あらためて日記にしてみようと思ったのである。


サントリーホールの向かいにある六本木赤坂アークヒルズの中にあったお茶漬け専門店は、「お茶漬け膳 八十八楽(こめらく)赤坂アークヒルズ店」というお店のことのようであった。


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これがそのお店の写真である。うぉぉぉおおお~~~懐かしい!まさにこのお店である。


場所は、ちょうどいまの天ぷらめしの金子半之助のお店のあるところにあったのだ。


お茶漬け専門店であるにもかかわらず、店内は、黒色の内装で、そこに少ない照明をつけた感じのまるで洋風バーのように薄暗く、ちょっとおしゃれな感じであった。ここでカクテルでも・・・と言っても全然不思議ではなかった。


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いつもお客さんでいっぱいで繁盛していたような記憶がある。


自分が頼んでいたものは、正式メニューでは”お茶漬け膳”という名前のようであった。


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いやお茶漬け膳というのは、単にふつうのお茶漬けのことだけではない。本当にいろいろな具を提供されていて、それをだし汁でお茶漬けのようにして食べるというのが、もともとのこのお店のコンセプトのようなのだ。その具にはいろんなバリエーションがあるのだ。お魚の身をほぐしたものであり、マグロのづけであったり・・・。


鯛とハマチの漁師飯丼のようなものもあって、まずは専用のタレをかけて普通の丼として楽しみ、別容器にご飯を移して専用出汁でお茶漬けができる、一度で二度美味しいスタイル。


こういうスタイルでも楽しめるのだ。このお店のコンセプトとしては、じつはこういう楽しみ方のほうがじつはメインなのではないか。


自分は、ふつうに明太子、梅干し、昆布という総菜でのお茶漬けという1番基本中の基本、シンプルなものを頼んでいたので、そういういろんなバリエーションを楽しむということが、その当時わかっていなかっただけなのかもしれない。


お店としては、じつはそっちのほうが売りだったのだろう。


こんな感じでサーブされます。このようにだし汁のポットがついています。


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お茶漬けの出汁はカツオかトンコツが選べ、具材も9種類から選べる。御飯と出汁はお替わり可能。期間限定のメニューもあり飽きることなく楽しめる。


自分は、毎回本当にシンプルな、ごはんのおひつ、だし汁のポット、そして小皿に明太子、梅干し、昆布というシンプルもシンプル。お茶漬けの基本形を頼んでいた。


ちょっと自分が食べていたイメージとは違うけど、こんな感じでしょうか。。。


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おかずには唐揚げを選べるし、お魚もあります。二つの小鉢(お茶漬けのタネ)を選べる。うめ、さけ、わさび、明太子などなど、たくさんある。


ワサビはテーブルの調味料としても置いてある。あられとノリもテーブルに置いてあって、毎回サクサクを楽しめます。



「八十八楽」と書いて「こめらく」と読む。漢字の「米」を分解したら「八十八」だから!そんな小ネタをかましてくるお店です。


いいお店だったなー。


このお茶漬け膳 八十八楽(こめらく)は、じつはいまもいろいろなお店があり営業中である。日比谷店であるとか、霜が関店、汐留店。


だからまたあのお茶漬けを楽しもうと思えば楽しめる。近いうち訪れてみたいです。


ながらく、サントリーホール前のアークヒルズ内でのお茶漬け屋さんということで漠然な記憶の中で自分の中にしまい込んでいた想い出であるがこのようにクリアな形で思い出せてとてもよかったと思います。


精神的にもとても健康になったと思います。








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以心伝心 [クラシック演奏家]

ピアニストの小山実稚恵さんが、自分のホームでもあるサントリーホールで、今年から2025年に至るまで全4回、ピアノ協奏曲(コンチェルト)の演奏会を開催する。


この新シリーズのタイトルは「Concerto<以心伝心>」。


2025年のデビュー40周年を寿ぐ気宇壮大な企画である。


2026年には小山さんの「ホーム」のひとつサントリーホール開館40周年も映し出す。


うわぁ、またサントリーホール40周年記念ガラコンサート、正装コンサートがありますね。こりゃまた大変だ。


小山さんが仰るには、「以心伝心。この4文字に想いを込めました。ご一緒する4人の指揮者との以心伝心、そしてオーケストラ、お客様、ホールとの以心伝心です。今コンサート数は年間60回ほどですが、5~6割がコンチェルトです。コンチェルトを通じて音楽を学んだのです。」


小山実稚恵さんのコンサートは、ひさしくご無沙汰していたのだが、どうしても自分を惹きつけるものがあって、ぜひこの公演に行くことを即決で決めた。


それはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏してくれるからだ。


大野和士さん、東京都交響楽団との演奏である。


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小山実稚恵さんと大野和士さんとは東京藝術大学の同級生で、「学生時代からの親友。心の奥でつながっている人」だという。大野和士さんとはデビュー25周年、30周年もご一緒した。


はっきり覚えていますよ。デビュー30周年の2015年のときに、自分はこの小山実稚恵、大野和士&都響の競演でラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番をサントリーホールで実演で聴いたのでした。いまでもあの感動は昨日のことのように覚えています。


あの日は、サントリーホールの向かいにあるアークヒルズのレストラン街の中にお気に入りのお茶漬け専門店というお店があって、開演前にそこで腹ごしらえをしたのです。


このお茶漬け屋さんは、大層自分のお気に入りで、サントリーホールでコンサートがあるときは、必ず開演前にここで夕食としてお茶漬けを食べるのが自分のゲン担ぎみたいなものだったのです。


でも、この小山さんのデビュー30周年コンサートのときを最後に閉店してしまったんですよね。すごい悲しい思いをしました。


どうでもいいつまらないことですが、小山さんのデビュー30周年のときは、それがどうもカップリングで自分の記憶の中に絡みついている状態でして。(笑)


もうこの話は、何回もしてきたことなので、もう充分ご存じだと思うが、自分にとってラフマニノフのピアノ協奏曲第3番という曲は、ピアノコンチェルトの中で最も大好きな曲で、自分はこの曲に心底心を奪われてきたし、この曲の実演を求めて、いろいろコンサートに足を運んだとても思い入れ深い曲なのである。


ラフマニノフといえば、ピアノ協奏曲第2番のほうが出世作で、世間一般では有名なのかもしれないが、自分は圧倒的に3番のほうが好きである。


この曲が好きで好きで、好きすぎて、かなり嵌った時期があった。もう大昔のことですが。


3番は、ピアニストにとって課せられる技術的、音楽的要求が著しく高いことで有名な作品で、演奏するのが極めて難しく、自分の時代では3番をコンサートで演奏するピアニストがあまりいなかった。だから聴衆にとっても3番の実演を体験するのがなかなか難しかった時代だったのだ。


小山実稚恵さんは、自分にとって、その3番を弾いてくれる数少ないピアニストの1人だった。ラフマニノフの3番を日本で最初にコンサートで実演をしたのは小山実稚恵さんなのだ。(指揮は小泉和裕さん)


小山さんは「ラフマニノフの3番はもう好きすぎて、高校の頃から毎晩寝る前に聴いていました。いろいろな景色、場面が浮かんでくるコンチェルトです。ロシアン・ロマンはもちろん、ニューヨークの摩天楼からエキゾチックな夜の景色を見下ろすかのような感じもあります。回想、ノスタルジックな場面もいいですね」。


あとは清水和音さん。及川浩治さんくらいかな。。覚えているのは。あとは、ほとんどが外国人ピアニスト。だから日本で3番の実演を体験しようと思ったら、当時は小山実稚恵さんのコンサートに行くしかなかった。数えてはいないけど、生涯で軽く10回以上は体験していると思います。


いまは、もう若いピアニストは、いとも簡単に3番を弾いちゃいますよね。(笑)なんか時代だな~とは思います。


これも何回も言ってきていることだけど、ラフマニノフの3番ってなぜかCDでは、あまり自分の気に入った音源を見つけられなくて、なぜかオーディオではあまり感動しないんですよね。でも実際のコンサートや映像素材だとものすごく興奮するし、感動する。


この謎の解明はいまでも自分にはわからなくて、3番ってピアニストの演奏している姿、運指やオーケストラとのコンビネーション、こういう総合的なものが音とともに全部視覚として入り込んできて初めて大感動するものなのではないのかな、と思っていたりもする。


第3楽章のコーダの最終章、テンポを上げて一気に盛り上がり、その頂点に達したところで派手な軍楽調の終止に全曲を閉じる。この賑やかで一気にシャットダウンするラフマニノフ終止。それまでのちょっとスラブ調でロマンティックな旋律に溢れ、ドラマティックでもある長い長い音楽絵巻を一気にここにて終結するべく、もうこの瞬間!


体全体に稲妻が走ります。


ここの感動を味わいたいから最初から聴き続けている、また何回もコンサートに足を運ぶみたいな。いわば中毒みたいなものです。3番はかなり中毒性あります。


とにかくCDなどの音源じゃなぜかダメなんです。実際の生コンサート、映像素材でないとこの感動はなぜか伝わらないのです。なぜ視覚を通してでないと感動しないのか、それは自分にとって永遠の謎なのです。


その解明を探し続け、もう何十年も経つ。


そんなラフマニノフの3番。ほんとうに久しく聴いていない。コンサートはもちろんのこと、オーディオでも全然。そんなところに、この小山実稚恵さんの以心伝心のコンサートの情報が入ってきたので、ぜひ見参しようと思った次第である。


ラフ3を聴くなら、自分の原点である小山さんのピアノで聴きたいというのもトリガーだったと思います。


そしてさらに決意し、ここに宣言したい。


この小山実稚恵さんの以心伝心シリーズ、2025年までの全4回とも皆勤賞で参加しようと思うのである。


ピアノ協奏曲というのは、やはり華がありますね。これはコンチェルト全般に言えることですが、ソリストという華があって、さらにオーケストラというダイナミックな演出を楽しめる。ソリストの独奏に、オーケストラの演奏が丁々発止、物語のように絡み合い、掛け合っていく。なによりもコンサート、音楽としてのスケール感が大きい。リサイタル、オーケストラ・コンサートよりも華があって、その満足感を遥かに凌駕する圧倒的な感動、満足感を味わえるものだと思います。


これはヴァイオリンでも同じですね。


10月29日、とても楽しみにしています。この日メンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番も楽しめますよ。そして来年はベートーヴェンの3番と5番だそうです。



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この日は後半から上皇后美智子様のご臨席ということで、一種異様な興奮状態の中での小山実稚恵さんのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番となりました。


いやぁ~いつも凄いけど、この日は特に神がかっていました。美智子様もお立ちになって拍手。それにつられて聴衆全員スタンディングオーベーションで大喝采となりました。


思わずじ~んと来てしまい涙ぐんでしまいました。


一期一会の演奏でした。

一生の想い出になると思います。


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(c)Suntory Hall Facebook Page





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新宿で金沢カレー [グルメ]

今年の7月の金沢遠征ではじめて体験した金沢カレー。
                                                   
金沢カレーの定義は、
                                                   
・ルーは黒色濃厚でドロッとしている。
・ステンレスの皿に盛られている。
・フォークまたは先割れスプーンで食べる。
・付け合わせとしてキャベツの千切りが載っている。
・ルーの上にロースカツを載せ、ソースがかかっている。
                                                   
これが金沢カレー。
                                                   
確かに我々がいままで食してきたフツーのカレーとはずいぶん趣が違い、一種独特のスタイルを持ったカレーですね。
                                                   
自分は本場金沢でこのことを体験できたのです。
                                                   
金沢カレーといえば、カレーのチャンピオン(チャンカレ)とゴーゴーカレーに、そのルーツがあるようです。
                                                   
自分が金沢で体験したのは、チャンピオンカレーのほうです。
                                                   
チャンピオンカレーとゴーゴーカレーは金沢カレーの二大巨頭といっていいと思います。
                                                  
●ゴーゴーカレー
                                                   
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東京でもおなじみの「ゴーゴーカレー」は、話題のB級グルメ「金沢カレーブームの火付け役」として一躍有名になったお店です。
                                                   
「ゴリラ」のトレードマークは海外にも進出しており、アメリカのニューヨークをはじめ、アメリカに6店舗(既に7店舗目の開店も決定)、ブラジルのサンパウロに1店舗あります。ゆくゆくは「555店舗目指している」とのことで、世界進出への夢とパワーを感じます。
                                                   
店内にも大きなゴリラがあります。「ゴリラ」は子供に人気のある動物ですし、インパクトもあるので、覚えやすさと親しみやすさで「ゴリラ」を選んだそう。
                                                   
ゴーゴーカレーの「55」という数字は、知っている人は知っていると思いますが、元巨人、元ヤンキースの「松井秀喜選手」の背番号でした。松井秀喜さんは、石川県小松市出身で、同郷なんですよね。実は社長が大の松井選手のファンだったそうで、松井選手の活躍に触発されて起業したことが「ゴーゴーカレー」店舗名ネーミングのきっかけになっているそう。
                                                   
カレーのチャンピオンとゴーゴーカレーの場合、東京で圧倒的に店舗を拡大しているのがゴーゴーカレーのほうです。
                                                   
新宿で1号店を開店してから瞬く間に数を展開。
                                                   
当時はまだ「金沢カレー」を知る人が東京にはほとんどいなかった状況だけに、「知名度を上げるには、汗をかくしかなかった」。
                                                   
でもいまや東京で金沢カレーを体験しようと思ったら、ゴーゴーカレーに行くのが一番手っ取り早いです。カレーのチャンピオンのほうは、やはり金沢ルーツと言うことで、東京での展開はほんの数店舗位。
                                                   
ゴーゴーカレーの本店は、金沢市田上の「山側環状線」沿いにあります。金沢大学のキャンパスが割と近く、学生も多く利用するようなお店です。
                                                   
●カレーのチャンピオン
                                                   
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金沢工業大学近くに本店がある「カレーのチャンピオン」は、「金沢カレーの元祖」として有名です。「チャンカレ」という愛称で地元でも親しまれています。
                                                   
その歴史は、1950年代に作られたレシピから始まり、チャンピオンカレーの前身である「洋食のタナカ」(1961年、金沢にて創業)の時代から50年以上受け継いでいる味で、昔から同じ製法をとっています。
                                                   
「金沢カレー」と呼ばれるようになったカレーのスタイルは、「カレーのチャンピオン」の人気メニュー「Lカツカレー」から始まったと言っても過言ではないと言われています。お客さんの7~8割の方が「Lカツカレー」を注文するそうです。
                                                   
自分が金沢で体験したのも、近江市場のカレーのチャンピオンでLカツカレーでした。
                                                   
『チャンピオン』という名前には「カレー業界のチャンピオンになりたい」という思いが込められているほか、語感・響きが小気味よかったことと、創業者田中のゲンを担ぐ癖により名付けられたそうです。
                                                   
                                                   
情報引用元:
                                                   
・ゴーゴーカレー、なぜ東京発 原点は松井秀喜の本塁打。
                                                   
・金沢カレーの二大巨頭「ゴーゴーカレー」と「チャンカレ」を徹底比較
                                                   
・創業昭和36年 元祖金沢カレー チャンピオンカレー公式HP
                                                   
                                                   
この二大巨頭のカレーのチャンピオンとゴーゴーカレーですが、自分の理解は、金沢カレーの元祖は、カレーのチャンピオン、東京展開など店舗数で圧倒する、いわば金沢カレーブームの火付け役なのがゴーゴーカレーと理解しました。
                                                   
東京で金沢カレーを体験するなら、もう圧倒的にゴーゴーカレーしかないのです。
                                                   
                                                   
さて、ウルトラセブン55周年 4K特別上演を見に、新宿のTOHOシネマに行く途中のことでした。TOHOシネマズ新宿は、歌舞伎町を突っ切って歩いて行ったところにあるので、その歌舞伎町のゴチャゴチャした街並みの中に潜んでいたのです。
                                                   
ゴーゴーカレー新宿店
                                                   
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ゴーゴーカレーの東京進出は、新宿が1番初とのことなので、おそらくここがゴーゴーカレー新宿店なのだと思います。歩いていて偶然見つけたときは、そんなことなんかぜんぜん知りません。
                                                   
あとでこの日記を書くために調べて初めてわかったことです。
                                                   
「おっこんなところに金沢カレーがある!よっしゃ。これは映画を見終わったら1杯食べていこう。」と思いました。
                                                   
店内は、地下に下って行って超劇狭い空間でした。まさに男の空間。男の世界。女人禁制という雰囲気です。(笑)
                                                   
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かなり人気でしたね。店内はつねに満員で、次から次へとお客さんが来店する感じ。場所が新宿歌舞伎町ということと、東京進出1号店で金沢カレーファンであれば、聖地というか箔のあるお店なのでしょう。
                                                   
調理人さんはみんな若い男性ですが、驚いたのはその調理の手際のよさ。金沢カレーに使うカツは、絶対作り置きはしません。オーダーを受けたら、その場で揚げるのです。
                                                   
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そして揚がった後のカツを包丁で切っていくその手際の良さはもうびっくりしますよ。すごいスピードでさっとさっとカツをカットしていく。見ていて惚れ惚れとしたくらいです。それを次から次へとオーダーが入るのに合わせて、数枚まとめてカツカットの高速、連続カッティングの凄技を見せてくれるのです。
                                                   
ゴーゴーカレーの調理は、オーダーを受けたら数皿単位でまとめて一気に作り上げていきます。店内がこんな狭い感じなので、自分の座席から調理場が至近距離で丸見えなので、その凄技に圧倒されっぱなしだったです。
                                                   
自分は中のサイズのゴーゴーカレーを注文しました。人生2回目の金沢カレーを新宿で体験。
                                                   
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なんか金沢カレーって2度目にして、もうなんとなくわかってきたような気がしました。金沢カレーってこんな味で、こんなスタイルなんだな、という・・・。
                                                   
どろっとした濃厚なカレーは、まさにこんな味だったな~という納得感。そして使っているカツはそんなに上等の肉は使っていないと思うけど、なかなかボリューム感があって食べ応えがある。
                                                   
そして付け合わせのキャベツを楽しむ。
                                                   
金沢カレーはなんといっても、その様式を楽しむものだと思います。ステンレスの銀皿、そしてフォークと。。。
                                                   
もう完璧に金沢カレーってわかりました。自分のモノになりました。
                                                   
まったく予期せず、偶然に見つけたとはいえ、ここ東京1号店のゴーゴーカレー新宿店で体験できてよかったです。
                                                   
でも店内は、まったくもって男の世界。女性は入りにくいだろうな~とかは思いました。(笑)

                                                   

                                                    


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ウルトラセブン55周年 4K特別上演 [特撮]

今年は、ウルトラセブン放送55周年記念ということで、当時の5話を取り上げて4Kで放映するというとてもうれしいイベントがあり、10/1解禁ということでさっそく映画館に見参してきた。初日の10/1の1番最初の回である。気合が入っていた。


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この10/1は、もうSNS上では大変なウルトラセブン・フィーバーが巻き起こり、この4K上映に関する投稿で自分のTLは溢れかえった。


過去のウルトラシリーズでは、ウルトラセブンが1番格好いいと子供の頃から思ってきたセブンファンの自分にとっては堪らない1日となった。


映画館はTOHOシネマで放映された。自分は映画はいつも渋谷のTOHOシネマで観るのだが、今回は渋谷は入っておらず、代わりに新宿のTOHOシネマで放映されるようだったので、新宿だったら自分は場所はよく知っているので、じゃあ新宿にしよう!と即決した。


でもあとでニュースで知ったところ、TOHOシネマズ池袋では初日の1番最初の回のはじめに、モロボシ・ダンの森次晃嗣さんとか豪華で、多彩なゲスト陣が登壇されていたんですね。


大失敗しました。よく確認しておけばよかった。初日の初回は、かならず登壇はあると思っていましたが、よく確認していませんでした。


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この55周年の歴史を改めてどう感じているかを問われた森次晃嗣さんは「今日が55年なんて実感がなかったです。これだけ長い期間を経て、皆さんにこのようにお会いできるとは思っていませんでした」と感慨深く振り返る。


さらに撮影当時の思い出を聞かれると、早朝から電車で移動して撮影スタジオに向かっていたことや、休日にも各地のイベントに参加するため自分でウルトラマンスーツを持参して全国を行脚したことについて触れながら「若かったからできた」と述懐。


その一方で「撮影は過酷だったけれど、その分こんなに長く愛される作品もない。今でも街を歩くと「ダンだ! ダンだ!」と言ってもらえる」と作品への思いを吐露した。



「今日は55周年ですが、60周年記念まで元気でいたいなと思います。セブンがある限り元気でいたいと思います。55周年、ありがとうございます!」とイベントを締めくくったそう。


クッソ~。大失敗だった。池袋に行けばよかったです。


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10月1日(土)から10月13日(木)にかけて全国16劇場にて実施される「『ウルトラセブン』55周年記念 4K特別上映」は、全49話から厳選された5つのエピソードを上映する企画。第7話「宇宙囚人303」と第26話「超兵器R1号」、第37話「盗まれたウルトラ・アイ」と第48話・第49話「史上最大の侵略(前後編)」が、迫力の4K映像で巨大スクリーンに上映。「ウルトラセブン」が4Kで劇場上映されるのは今回が初めてとなる。


自分は、TOHOシネマズ新宿も渋谷と並んでよく行っている映画館で、歌舞伎町の中を突っ切って歩いて行ったところにある。


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渋谷よりも全然新しく、IMAX,Dolby Atmosなど最新のスクリーンフォーマット、最新音声フォーマットを装備した最新鋭の映画館なので、自分は豪華仕様で観たい場合は、必ず新宿まで見参する。いい映画館ですよね。



まず今回の上映、4Kということだが、どんな印象だったかというと、最近の新しい画質のようなVividな解像感、先鋭感な画質というより、やはりもともとがフィルムの画像なので、のっぺりとしたフィルムらしい画質で、それを4Kにしたからと言って、特段そんなに凄いという印象はなかったが、でももともとのオリジナル画質の傷の修復であるとか、滑らかさ、よりきめ細やかさなどフィルムらしさの中でも解像度の改善がよくわかり完成度も高く丁寧な出来に仕上がっていると思いました。



やはりSDからHD/4Kなどの画素数のアップコンバートは、じかのHD/4Kの画像素子のカメラで撮影したものと同等にはなりませんが、現代の視聴者の鑑賞レベルに見合った品質にアップグレードされた素晴らしい作品だと思いました。


ウルトラセブンをまさか4Kで観れる日がやってくるとは思ってもいませんでした。音声はどうだったのかな?リマスタリングされていたのかな?



過去の古い映画、ドラマのリマスタリングは今後のとても重要な作業ですね。映像にしろ、音声にしろ。これは今後のとても大事な仕事になると思います。過去の名作映画、名ドラマのアーカイブのことを考えると、です。たくさんやるべき昔の名作映画、名ドラマがあるのではないでしょうか・・・。


ひさしぶりに観たウルトラセブンはやはり格好良かったなぁ。最高でした。ウルトラ警備隊の戦闘機、ウルトラホーク1号、2号、3号フル活躍で出動という感じだし、水陸両用車のポインターも出番が多く格好良かった。


ただ、ストーリーの選択もあると思うが、そんなにセブンと怪獣との闘いは濃密ではなかったような・・・。必殺技もアイスラッガーがメインだったのではないでしょうか。


でもウルトラマンとくらべ、ウルトラセブンになると脚本、ストーリー制作が大人びていて、単なる怪獣との闘い、特撮では終わらない渋め、マニアック路線らしさがあって、相変わらずカッコいいな~と思いました


子供の頃にセブンを見たとき、なんかやや暗い感じがしてカッコいいと思ったのは、このストーリーがとても凝っているからではないか、と思っていました。


なんかとてもうれしかった気分。


ちょっと自分が後悔しているのは、第37話「盗まれたウルトラ・アイ」。自分がすごく楽しみにしていた話なのであるが、前夜よく眠れなくて寝不足気味で迎えたので、ちょうどこのストーリーのときに眠気が襲ってきてしまい、必死に目を開けて見ていましたが、もっといいコンディションで観たかったです。


最終回の第48話・第49話「史上最大の侵略(前後編)」がやはり壮大で素晴らしいですね。宇宙人によって、ロンドン、パリ、ニューヨークとどんどん爆破されていき、つぎは東京か。ダンはアンヌに自分がセブンであることを告白。シューマンのピアノ協奏曲が流れる。・・・


ダンのアンヌへの告白のシーンは長らくセブンファンにとって語り継がれている名シーンですが、この回はやはり絶対外せませんね。見ごたえあると思います。


素晴らしかったです。セブンファンには堪らないプレゼントになりました。ありがとうございました。



映画を観た後、ネットでのウルトラセブン4K上映のニュースを片っ端から探して読んでいたのですが、こんなニュースを見つけました。


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『ウルトラセブン』放送開始から55年 視聴者をときめかせたアンヌ隊員の魅力とは?




これはなかなか的を得たいいことを書いているなと思いました。ウルトラ警備隊で紅一点であったアンヌ隊員。いまだに自分含めたセブンファンにとってアイドル的な存在。アンヌ隊員は、永遠の特撮ヒロインだと言っていいと思います。


円谷プロの前作『ウルトラマン』のヒロインだったフジ・アキコ隊員役の桜井浩子さんが中性的な雰囲気だったのに対し、アンヌ隊員に選ばれたひし美ゆり子(当時の表記は菱見百合子)さんは、親しみ易さに加え、セクシーさも感じさせました。


つねに比べられる2人でしたが、アンヌ隊員はキュートでセクシーでしたね。


この記事でアンヌ隊員のひし美ゆり子さんがご著書を書かれているのを知り、さっそく買って読んでみました。



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セブン セブン セブン(小学館文庫): アンヌ再び… 文庫 – 2001/3/6


これはひし美ゆり子さんのエッセイ集。ウルトラセブンの撮影秘話、出演者の人柄の本音と思い出。もうアンヌ隊員が本音でズバズバ斬り込んでいく告白型のエッセイ集ですね。


エッセイですから、文章にご本人の人柄が出ますね。ひし美ゆり子さんは、もうすごいおおらかで開けっぴろげ。自分なんかより全然男らしいというか豪傑な感じですね。もう酒豪で、俳優の原田大二郎さんや村野武範さんや松田優作さんとかと飲み歩いていたなどを代表に、武勇伝の数々など、驚きました。自分が長い間抱いてたアンヌ隊員のイメージとは、かなりかけ離れているような。(笑)


自分の女優としてのひし美ゆり子のこと、ウルトラセブンの各話での思い出話、出演者の人柄と想い出。撮影の裏話、もうズバズバ本音で告白していきます。


自分はかなり衝撃を受けました。でも最高に面白かった。


ダンとアンヌは実際でも恋人の雰囲気だったのか・・・全然まったくそんな感じなし。(笑)森次さんは歌がうまくて、女性の目をじっと見つめながら歌うので、かなり自分がもてることを意識している人だな、と思ったとか。(笑)でもお互いウルトラセブンで、50年以上パートナーとして仕事をしてきたかけがえのない仲間でもある。


アンヌは紅一点と思われて現場では大事にされていたと思われるかもしれないけど、実際そのように思ったことはなかった。ひし美さんと呼ばれたこともないし、いつもアンヌ!こら!ってな感じ。



水陸両用車「ポインター」5万円で購入した中古のクライスラーを改造したもの。改造費のほうがはるかに高かった。


また俳優の京本政樹さんとの交流も面白かった。


京本政樹さんは大のウルトラマニアで、ウルトラマンの科学特捜隊の制服や、ウルトラセブンのウルトラ警備隊の制服などの歴代コレクションを完璧に集めているそうだ。そしてアンヌ隊員の制服もコレクションしている。凄すぎる。(笑)


それでアンヌ隊員のシューズを作りたいと思ったそうで、そのためにひし美ゆり子さんにコンタクトをしたそうだ。その後、なんかのイベントで京本政樹さんとひし美ゆり子さんとの対談で、ひし美さんは京本さんのたっての願いでウルトラ警備隊の制服を着て撮影することに。。でもアンヌ隊員の制服はすでに萎んでいて着れなかったそうで、代わりにキリヤマ隊長の制服を着て撮影に臨んだそう。しかも上半身だけで。(笑)


撮影が終わった後、制服をクリーニングして京本さんに返却しようと思ったら、もちろんそんなことをせずに着た後の制服をそのままお返しください。(笑)慌ててクリーニング屋さんに引きとりに戻ったとか。。


その気持ちわかるわ。(笑)ファン、マニアというのはそんなものです。



後年ですが、NHKは「私が愛したウルトラセブン」というアンヌ主人公の番組を制作していたんですね。田村英里子さん扮するアンヌ隊員が主人公。「ウルトラセブン」の制作秘話をドラマ化した作品でした。今さらながら、ファンの方々の「ウルトラセブン」に寄せる愛着の深さに驚くばかり。


このときは、ロケか発表記者会見かで、ひし美ゆり子さんもかけつけ、新旧アンヌ隊員が揃ったとか。ひし美さんは、田村さんにいろいろお声かけしたそうです。



自分は全然知らなかったです。アンヌ隊員目線からの物語。ぜひ見てみたいです。でもひし美ゆり子さんの告白では、じっさいになかったエピソードも散りばめられていて、ストーリーを美化されているところもあったとか。ファンをガッカリさせてはなんですが。


このアンヌ隊員による告白本は、かなり面白いです。あれから55年、ずっと自分の中で勝手に作くりあげてきたイメージで観てきたウルトラセブン、モロボシ・ダン、そしてアンヌ隊員。そしてウルトラ警備隊のみなさんたち。


じつは現場ではこんな感じだったという告白本です。結構撮影現場のその雰囲気がよくわかり、頭の中で描けるようなわかりやすさでした。


そして自分のイメージは完全に塗り替えられました。でも真実を知ってよかったと思っています。ますますセブンファンになりました。


このエッセイ集、2001年に初版なんですね。全然まったく知らなかったです。21年も知らないで過ごしてきたとは!相変わらず世の中の流れに疎いですね。(笑)


そのほかにも、



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アンヌ今昔物語: ウルトラセブンよ永遠に・・・ 単行本 – 2017/7/3


をいま取り寄せ中です。これも読むのが楽しみです。



つい最近、NHKが「全ウルトラマン大投票」を実施したのを知っていますか?いままで登場してきたウルトラマン・シリーズで、全国で人気投票(ネット投票)をやったのです。


ウルトラセブンは第2位でした。


(初代)ウルトラマンは5位、1位は1996年のウルトラマンティガだそうです。(全然知らない。)


自分はこの結果に誇りを持っているし、やはり新旧交えてのウルトラマンシリーズの中でもウルトラセブンは世代を問わず人気があって深く愛されているんだな、と思い、とても嬉しかったです。


自分が子供の頃に戻った感じになりました。






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