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ゴルフ [スポーツ]

人間誰しも苦手なものがあると思うが、自分はやはりゴルフかな~。(笑)もちろんゴルフは観るのは好きなんだけど、自分でやるとなると敷居が高い。


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ゴルフをほんとうに趣味のようにやられ、コースに出られる男性の方はほんとうに羨ましいと思うし、スゴイと思います。


いつも尊敬の眼差しです。


日本でコースに出るとか、会員になるとか高いんでしょ?

まず、そこで自分はもうアウト。


あと、ゴルフセットを買わないといけない。これも高いし。

貧乏な人なので、なかなか自分には無理でした。


お金がすごいかかりそうだし。

あとコースに出るにしても、キャディーさんつけて、1人では無理でしょ?

誰かほかの赤の他人の人たちといっしょに回ることになるんでしょ?

これもつらいな・・・。


男性なら、誰しもがたしなむべきゴルフ。

自分は苦手でした。いまも苦手・・・。


ゴルフを1回もやったことがないか、というとそうでもない。

コースに出たこともないか、というとそうでもない。


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ロンドンに仕事で住んでいたとき、お得意さんの方から接待を受けた。

当時、放送関係の仕事真っ盛りだったので、チューナーとかの高周波部品を購入する上でアルプス電気と非常に良好な関係にあり、我が社のヨーロッパ向けのビデオデッキに積む高周波部品(チューナー、VIF Block,音声多重などのベースバンドブロック)をそのアルプス電気から納入していた。だからお得意さん関係にあった。技術協力関係にもあった。


イギリスに拠点、生産工場があって、アルプス電気でもAlpsUKだった。


AlpsUKのOさん。


懐かしすぎる~。(笑)


AlpsUKのOさんから接待を受けて、イギリス、ロンドン郊外にあるAlpsUKの生産工場のラインを見学させていただいた。もう30年以上前のことだけど、記憶の中にうっすらその工場内の様子が浮かんでくる。


そして食事をいっしょにご一緒した後、Oさんが、ノンノンさん、ゴルフに行きましょう!と仰る。自分は誘われるままに、車に乗り込んで、ロンドン郊外のどこかのコースにOさんとあと1人と私とで合計3人でゴルフをしにコースに出たのだ。


Oさん仰るには、日本でコースに出たり、会員になったりするには、すごいお金がかかるし、ゴルフはお金持ち、経営者のスポーツと思われているところがあるかもしれませんが、イギリス、ロンドンでは本当に安いんですよ。何千円くらいでコース使えます、庶民のスポーツなんですよと仰る。


そして、クラブはそこで借りたと思うのだが、3人でコースに出て、ゴルフを楽しんだのである。

これが自分のゴルフのデビューである。(笑)


やっぱり気持ちよかったな~。いちめん緑の中を大自然をテクテク歩きながら、会話でもしながら、ゴルフを楽しむ。スコアはあまり追求しないように。(笑)初心者だったので。。。でもすごい気持ちが良くて、これがゴルフか~という感じで感動した記憶がある。


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ゴルフでラウンドを廻っている間、突然のスコールと言うか雷雨になって、急にどしゃぶりになって、いったん中断。どこに避難していたっけ。よく覚えていないけど、コース廻っている最中そんなこともあった。


なので、自分のゴルフ、コースデビューは、ロンドンなのである。


AlpsUKのOさん、いまもうどうなされているか?

年齢的には、すでにリタイアされているとは思いますが。


当時はアナログ放送のときで、そこからデジタル放送に切り替わるという、世界中の放送業界にとって革命期にあった時期でした。AlpsUKの高周波部品は、無事デジタル放送への切り替えはできたのでしょうか・・・


放送でのアナログとデジタルの違いは、なにからなにまで違います。変復調方式、誤り訂正、ベースバンド帯域での処理。。。全部違う。放送屋さんにとって事業として生き残っていけるかどうかの瀬戸際でした。


まっイギリスですからね。イギリスは、放送という面では、日本とすごく似ています。

イギリスは地上波の国なのです。あくまで当時ですが、国営BBCのような番組は、地上波で、娯楽番組は衛星のASTRAで観るというのがイギリス市民のテレビの見方でした。


だからイギリスの放送のデジタル化は、もう完璧に地上波のデジタル化、DVB-Tなのです。ヨーロッパ大陸のほうでは、ケーブルが主力の国も多い中、地上波が主力というのは、イギリスを代表として数少なかったです。DVB-Tではイギリスは先導を切って開発していました。


イギリスと日本がすごく似ているのは、イギリスは国営、政府のBBCが、BBC放送研究所を持っていて、国家予算で次世代の放送技術の研究をしている。日本は、国営、政府のNHKが、NHK放送研究所を持っていて、国家予算で次世代の放送技術の研究をしている。


そしてイギリスも日本も地上波が主力。島国で各エリアで電波塔を持っていて、そこで電波の伝言ゲームをやりながら、全国に地上波電波を伝搬していくやり方であること。


イギリスと日本、BBCとNHK、非常に兄弟なのです。放送と言う面では。でもデジタル放送の規格としては、日本はヨーロッパに頼らない日本独自の規格を作り上げました。あらゆる耐性について、日本規格のほうが優れていると思います。


ちょっと話が反れてしまいましたが、そんな時代を若い頃の自分は駆け抜けていました。


AlpsUKは無事この大事な革命期を乗り越えてるでしょうか。もういまや放送関係は、新しいビジネスと言うよりは安定期、普及期に入っているあたりまえのビジネスですね。順調に生きながらえていることを望んでいます。


当時は大変お世話になりました。


それが自分のゴルフのコースにでたデビューである。

そして後にも先にもゴルフのコースに出たことは、これ1回のみである。(笑)


日本に帰国して、ゴルフにまったく興味がなかったか、というとそうでもなくて、コースに出ないまでも、打ちっぱなしで楽しむというのは何回か楽しんでおりました。


いまのおらが街にも、ゴルフセンターというのがあって、そこに結構通い詰めていたことがある。クラブはもちろん借りる。


なにがそんなに楽しいか、というと、ちょっと自分がゴルフに目覚めたかな~と思うのは、ウッドでボールをスィングして打ったときに、そのボールが要は空中に糸を引いたかのようにまっすぐ伸びて飛んでいくこと。いわゆるバシっと打点が決まると、ス~と空中を一直線に飛んでいくこと。これが最高に気持ちよかった。すごい快感なのである。


自分はゴルフはぜんぜん素人なのだけれど、この快感さはよく理解できる。


ビシッ、バシッとウッドにボールがヒットした瞬間、糸を引くようにボールが宙を一直線に伸びていく。もうこれが最高に快感なのである。気持ちいい~~~てな感じである。


ゴルフセンターでのゴルフ打ちっぱなし。

これはちょっとハマった時期がありました。


おらが街にもあったし、あるときは近くのゴルフセンターまで電車で遠征したこともあった。


でもこれもあまり長くは続かなかったな。やっぱり日本でゴルフを楽しむ、どこかのコースに出る、コースの会員になるって、すごい高いんでしょ。


ゴルフ一式の道具、これも高いでしょ?


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ゴルフクラブの種類って何がある?


ウッド:飛距離を出す

アイアン:狙ったところへ打つ

ウェッジ:正確にカップへアプローチ

パター:カップに入れる


この4種類が基本ですかね?

一応知ってますよ。(笑)


でも実際コースに出て、打っていくときに、この4種類からその飛距離に応じて、どれを使って打っていくか判断しないとダメなんでしょ?キャディさんが教えてくれる?


ネットには、


アイアンは、プレーの中核を担う重要なクラブで、初心者の方はまずアイアンでスイングの基本を身につけていくことが重要とされています。アイアンの用途は、80~200ヤードの距離で狙ったところへ打つことです。フェアウェイやラフ、バンカーなど様々なシチュエーションで使用されます。ウッドよりも短く、コントロールしやすいクラブです。


うわぁあああ~。出た~~~。(笑)まさにこの判断必要なんでしょ。難しいな~。



コースのホールは全部で18Rですかね。


ゴルフのスコア、パー、ボギー、バーディーも知ってますよ。バカにすんな。(笑)


自分はゴルフというスポーツを知らない訳ではないのです。子供の頃からテレビのスポーツ番組でゴルフをずっと見てきたから、ゴルフについてはふつうに知っている。


プロ野球と並んで、ゴルフは自分の子供の頃から花形スポーツでした。

それをテレビでずっと見ていたから、ゴルフのルールについてはふつうに詳しいです。


子供の頃は、男子ゴルフといえば、青木功、ジャンボ尾崎こと尾崎将司、中嶋 常幸、ジャック・ニクラス、タイガー・ウッズ。女子ゴルフでしたら、岡本綾子、樋口 久子でしたね~。自分のリアルタイム世代のゴルフ名プレーヤー達です。


やっぱりあの時代、僕らの時代は、やはりゴルフは男子のスポーツでメディアでの注目も圧倒的に男子。岡本綾子さんにしろ、樋口 久子さんにしろ、女子ゴルフは草創期という扱いでしたね。いまの女子ゴルフ全盛の礎を築いた偉大なる先人達です。


ゴルフ番組をずっとプレーを見ていたりすることはしないけど、スポーツ番組ではよく注目して見てますよ。プロ野球選手ってほんとうにゴルフが好きですよね~。シーズンオフになると、みんな毎日ゴルフ三昧の人多いんじゃないでしょうか?


最近のゴルフ界で、一番最高に興奮したのは、2021年の松山英樹のマスターズ優勝。あの名誉あるグリーンジャケットに日本人が袖を通せる時代がやってくるなんて。自分の時代には考えられなかったです。


いまのゴルフ界は、男子より女子ゴルフのほうが面白いんじゃないでしょうか?(笑)

自分は女子ゴルフのほうが好きです。


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自分のような素人にとっては、意外にもパワー的に、女子ゴルフのほうが参考になったりする。

そして昔と違って、いまは女子ゴルファーはみんな美人過ぎる。(笑)


2019年全英メジャーで誰もが驚いた優勝の渋野日向子さん。 笑顔が素敵なスマイリング・シンデレラ。Facebookのコミュニティサイトに結構参加してたりしますよ。(笑)


頑張ってほしいです。


まっそれなりに人並みにゴルフについては知識はあるものの、じっさいゴルフを楽しむとなると日本では敷居が高いゴルフ。


企業のトップ、経営者になっていくと、自分の会社のビジネスだけではなく、異業種の世界の方々との交流が必要になってくるのではないだろうか?そこは深くではなく、いわゆる交流するためのマナーみたいな感じで、たとえばゴルフ、お酒、会食、芸術・・・この4つのアイテムは普段から身に着けておいたほうがいいようなアイテムのように思う。


企業トップ、経営層は付き合いが広くないといけないのだ。


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自分が思うには、会食っていちばん現実的で、頻度が高い手段なのではないか、と思う。



企業の組織の中でも、自分の人生を生きてきて、この分野なら誰にも負けない、自分はこれで生きてきた、そういうテレトリーがかならず誰にでもあると思うが、経営者、トップになると、異業種の方々との付き合いの必要性がでてきて、そのような自分の世界とは違う方々(それも頂点を極め尽くした方々)と共通の話題でコミュニケーションをしていくには、自分の中にそれだけ抽斗(ひきだし)を多く持たないといけない、ということである。そういう機会が多くなるということを意味する。


この中でも会食はかなり重要と思われ、苦手とは言ってはいられないような気がする。まさかオンラインで済ますという訳にもいかなく、トップ同士の会食は、仕事の内容と言うより、そのお互いの人間性を知ることが重要なことなのでは、ないかと思う。やっぱりこの人なら、ぜひ力を貸してあげよう、というに相手に思わせることが重要なことではないか。


自分は長年、会社員をやってきたが、出世する人というのは仕事ができる人、というより人間力のある人のような感じがするんだよね。そういうトップ同士の会食ではお互いの人間力を確認しあい、お互いの印象が良ければ、商談が決まると、あとはスムーズに事が進むみたいな。。。


なんかそんな世界のような気がする。


自分は会食苦手な人なんだよね~。(笑)基本孤食の人なので。

とくにお酒が入るとダメかな。立食パーティも苦手だ。クラシックのヨーロッパの夏の音楽祭ではよく参加していますが。(笑)お酒弱いので。自分が酔えないし、気持ちよくなれない。頭がガンガンする。


その中にはゴルフもあるのだ。接待ゴルフ。これは企業トップになればなるほど重要で、頻度が高くなるであろう。商談はそのゴルフプレイ中で決まったりするのだろう、きっと。


困ったな~である。このようにゴルフについては、もうまったくダメな人なので、お誘いを受けてもつきあえない。大事な商談のチャンスをここでミスミス逃す可能性もある。


どうすればいいのか?


あえて希望があるとしたら、芸術の分野である。やはり企業トップ、経営者ともなると、自分のビジネス分野だけ詳しいというのは人間としてのバランス的によろしくない。人間全体としての教養という点でそれだけ豊かな教養を身に着けることを期待される。全体的にバランスがとれた人間像を期待されるのである。そういう点で、芸術分野に詳しい経営者というのはアドバンテージが大きい。また信頼度も高い。


かつてのソニーの大賀典雄さんがそうだ。自身はオペラ歌手出身の音楽家であり、後年は指揮者としてベルリンフィルも指揮した。そして自分のコンサートホール、軽井沢大賀ホールも自分の退職金を全部注ぎ込んで建立した。クラシック音楽に対して並々ならぬ深い見識を兼ね備えていたからこそ、企業トップ、経営者として尊敬、信頼を勝ち取られてきた。技術系の電機メーカーであるからこそ、このクラシック音楽に造詣が深いということが、高貴でクリーンなバランスの取れた企業イメージ樹立に大いなる助けになっていたに違いない。


クラシック音楽、芸術分野の知識は、やはりトップ人材には不可欠なアイテムに違いない。クラシックはそういうツールとして使われるに違いない。


芸術分野に詳しい企業トップ、経営者は、そういう教養バランスのある豊かな人間性が醸し出されるので、それが原因で、その企業全体のイメージアップ、高貴なクリーンさにもつながっていたりしていますね。


ここだけだな。(笑)なんとなく自分がホッとするのは。なんとか救われた気分です。。


とにかく偉い人は大変なのである。


自分の会社のビジネスだけを考えていてはダメで、いろんな異業種な人とお付き合いして、それを自分のビジネスへの栄養になるのようにドライブしていかないといけないし、その企業の象徴アイコンなのでイメージ像的にもいろいろ大変で、めちゃめちゃご苦労様なのである。



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クライマックスシリーズ (CS)は必要なのか。 [スポーツ]

日本のプロ野球のクライマックスシリーズ(CS)について、これ必要なの?と思っている野球ファンは多いのではないろうか。自分もかねてより、CSについては、どうなのかな?と思っているところがあった。


それは米大リーグのプレーオフの模倣から入っているということは薄々わかっているが、MLBと日本のプロ野球(NPB)とではチーム数など根本的に違う。


それを無理やり日本のプロ野球界にあてはめても、そこは無理があっておかしんじゃないか、と思っていたのだ。


でも自分は子供の頃から大の野球ファンで、高校野球はじめプロ野球もずっと熱心に観てきたファンだが、あるところからもういまはほとんど観なくなった。巨人でいう松井とか、MLBでのイチローとかの時代が夢中になっていた最後だったかな。


だからそんなに関心もなくなってきた。CSがどうだとか、どうでもいいという感じである。


でも正月暇なので(笑)、ちょっと日本のプロ野球のCSについての是非について語ってみたくなった。その一番の動機がじつは大リーグMLBのプレーオフてそもそもどんな仕組みなの?ということを明らかにしたかったからだ。自分もじつは大まかには知っているのだが、意外やきちんとわかっていない部分でもある。それが今回の日記を書こうと思った一番の動機かな。


昔、自分の子供の頃は、セ・リーグは1シーズン制、パ・リーグは前期・後期リーグと分かれていたのだ。パは前期優勝と後期優勝とで最後に決定戦をおこなう。その勝者が日本シリーズに出場できるのだ。


パ・リーグは人気に困っていたから、いかに興味を持ってもらうことに必死だったのだ。セ・リーグは巨人を中心に人気があったので、そんな小賢しいことをせずに1シーズン制を貫いていた。


その後、パ・リーグも1シーズン制に。そして2004年頃かな。パ・リーグが最初にクライマックスシリーズ(CS)を導入。そしてセ・リーグも2007年からCSを導入。


そして現在に至るという訳だ。


クライマックスシリーズ(CS)というのはどういうことをいうのかおさらいしよう。セ・リーグ、パ・リーグとも長いペナントレース143試合を戦う。


そこからそのペナントレースの結果に応じて、さらに各リーグの上位3チームでトーナメント試合をおこなう。ペナントレースを優勝したチームがそのまま日本シリーズに出場できないのである。(笑)


これがクライマックスシリーズ(CS)である。


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セ・パ・リーグそれぞれ、トーナメントをやる。2位、3位とで戦い、勝者と1位と戦う。5戦で先に3勝したほうが勝ちである。1位はアドバンテージとして1勝を与えられる。いずれもペナントレースの成績がよいほうがホームグラウンドでのゲームである。


だから下剋上があるのだ。


2010年、千葉ロッテがCSを勝ち上がり、日本シリーズで中日を破って日本一に輝いたときは「史上最大の下剋上」と呼ばれ、大いに沸いた。リーグ3位のチームが日本シリーズを制したのは、このときのロッテが初めてだった。


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一方で、シーズン143試合の長丁場を制したチームが必ずしも日本シリーズに出場できないことに、当初から疑問を呈する声もあったのだ。その声がひときわ高まったのは、2017年。首位・広島に14.5ゲーム差をつけられての3位だった横浜DeNAが、日本シリーズに進出したためだ。今季もセの3位・巨人が勝率5割を切る成績でCSに進んだことから、再び「CS不要論」が沸き起こっている。


なんのための長いペナントレースなのか?

なんのためにいままで戦ってきたのか?


長い長い143試合も戦ってきて優勝して、この短期決戦に負けたら、それでいままでの苦労がいっさい水の泡である。


これって観ているほうでうれしい、と思う?

思いっきりしらけるんじゃないだろうか?


下剋上したチームも、じつはそんなにおおっぴらに喜べないのではないかと思うのだ。

どこか後ろめたいというような気持ち。

本物のチャンピンではないというような世間の冷たい視線。


自分は、このCSが、ペナントレースの価値を下げていると思う。


自分が、CSがダメだと思うのは、もうひとつ理由がある。それは短期決戦に対するエネルギーの瞬発力が分散されてしまうことだ。ある天王山の短期決戦に対して、一気にエネルギーを集中して、そこに向かってどんどんエネルギー、気運を盛り上げていってそこの頂点で爆発する。それが日本シリーズなのである。


ところが間にCSが入ってしまうために、そのエネルギーが分散されてしまうのだ。CSが余計なのである。間にCSが入ってしまうため、日本シリーズに対するエネルギーの爆発がゆるいものになってしまい盛り上がらないのだ。CSと日本シリーズが同じくらいな感じである。


自分は、クライマックスシリーズ(CS)の導入が、日本のプロ野球をダメにしたと思っている。


長いペナントレースを勝ち抜いてきたセ・リーグの王者とパ・リーグの王者とまさに日本一の決定戦をおこなう。そこに一種独特の緊張感、胃がキリキリするくらい。。セ・リーグとパ・リーグは昔からライバル意識があって、人気のセ、実力のパとか言われ、お互いライバル意識があって、この日本シリーズに向かって一気にエネルギーの興奮を持っていってそこで一気に爆発する。。そういうライバルがお互いのプライドをかけて戦う。そういう短期決戦への気運の高まりがあったものである。


だから名ドラマも生まれた。自分は子供の頃からプロ野球の日本シリーズには、もう数えきれないくらいの信じられないドラマを経験してきた。


いまはCSの導入のおかげで、その日本シリーズの気運の盛り上がり方があくまで、CSも含めたOne Of Themに成り下がってしまっていると思うのである。


これは全部CSのせいである。


はたして、日本のプロ野球にクライマックスシリーズ(CS)って必要なものなのか?不要なのではないのか?そこを議論したいのだ。


自分はCS不要論者である。元に戻してほしいです。


やっぱり長いペナントレースを勝ち取ったチームは最大限の敬意を表するべきである。たかが1勝のアドバンテージじゃダメである。たかが1勝のアドバンテージで、143試合のペナントレースの代替えとなるか、である。


日本シリーズは、セ・パともペナントレースを勝ち取ったチームが戦うべきである。そうすることで、日本シリーズに対するエネルギーの爆発、気運も一気に盛り上がるというものである。


自分が1番問題だと思うのは、日本のプロ野球のクライマックスシリーズ(CS)は米大リーグMLBのプレーオフのシステムをそのまま拝借しているということである。


自分は当時からそれは無理があるだろう、MLBとNPBではまず根本的にチーム数が違っていて、事情が違うのだ。MLBはそうせざるをえない事情があるのだ。だからプレーオフというシステムを導入している。


それをNPBがそのまま拝借してきても無理があるのだ。なんかNPBにMLBのプレーオフを無理やりあてはめて、なんとかこじつけたのか、いまのクライマックスシリーズ(CS)なのである。


だから変なことになってしまう。


そこで、米大リーグMLBのプレーオフ、別名ポストシーズンのシステムについて解説しよう。

米大リーグMLBは、米国はすごい国が広大なので、ご覧のように大変なチーム数があるのだ。

メジャーリーグは、

「アメリカン リーグ(ア・リーグ)」と

「ナショナル・リーグ(ナ・リーグ」の2リーグからなり、


2リーグ内にさらに「西部」,「中部」,「東部」の3地区に分けられるのである。


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ア・リーグに14チーム。

ナ・リーグに16チームが所属しており、計30チームが、年間162試合のレギュラーシーズンを戦うのである。


西部、中部、東部それぞれの地区ごとに、その地区に所属しているチーム間で162試合戦うということである。


彼らの場合、世界一、いわゆるワールドシリーズを決めるには、これらのそれぞれの地区優勝者からさらにそれを勝ち抜いていくというシステムを作らないといけないのである。


ア・リーグの西部・中部・東部でそれぞれの地区優勝チームがある。

ナ・リーグの西部・中部・東部でそれぞれの地区優勝チームがある。


合計6チームいるわけだ。ここからさらに世界一を決めるシステムを作るにはどうしたらいいか。


まず、ア・リーグの1位のチームを決めないといけない。

そして、ナ・リーグの1位のチームを決めないといけない。


そのために考え出したシステムが、ディビジョンシリーズ、リーグチャンピオンシップシリーズなのである。それで、ア・リーグとナ・リーグのチャンピンが決まって、最後の世界一のワールドシリーズが戦われるというシステムである。


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これだとわかりずらいだろうから、さらに詳しく説明すると、米大リーグMLBのプレーオフとはこういうシステムなのだ。


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ア・リーグの地区優勝者、いわゆる西部・中部・東部の3チームをさらにその勝率で分ける。

ナ・リーグの地区優勝者、いわゆる西部・中部・東部の3チームをさらにその勝率で分ける。


そこにさらにワイルドカードと言って、地区優勝できなかったア・リーグ、ナ・リーグの優勝チーム以外の勝率1位,2位,3位のチームを参加させて敗者復活戦をするということである。


このようにトーナメント方式で、地区優勝者以外にもワイルドカードで敗者復活戦も交えトーナメントをおこなう。それがディビジョン・シリーズであり、リーグチャンピオンシップシリーズなのである。5戦して最初に3勝したチームが勝ちである。


そうやってア・リーグ、ナ・リーグのそれぞれのチャンピンが決まり、両リーグのチャンピン同士で世界一を争うワールドシリーズを戦うのである。ワールドシリーズは7戦で最初に4勝したほうが勝ちである。


これがメジャーリーグMLBのプレーオフ(ポストシーズン)の仕組みなのである。


自分も昔から大リーグが国土が広いからチーム数が多くて、複数の地区に分かれてペナントレースが行われて、その地区優勝者でのトーナメントがプレーオフなのかなというレベルの認識だったのだが、こうやって改めて勉強するとなるほどである。


日本のプロ野球(NPB)のクライマックス・シリーズ(CS)は、この大リーグMLBのプレーオフのシステムをそのまま持ってきているのだ。考え方含め、そのまま拝借しているだけなのだ。


なるほど考え方、そっくりだ。(笑)


でもやっぱりチーム数など事情が全然違うだろう。MLBは地区ごとに分かれていて、チーム数がすごい多いからこういうシステムで世界一を決めざるを得ないけど、日本のプロ野球のように、たかだか両リーグで12チームくらいで、このシステムを導入するのは無理があるのではないか、意味ないんじゃないか、と思うのである。


ところがNPB側でこのCSを導入した理由など拾ってみると、なるほどな、と思う意見もある。


「CSは短期決戦の面白さがある」

「興行面、ファンから見ても消化試合を少なくするため必要。ただし上位チームのアドバンテージはもっと多くすべき」

球界全体にメリットがあり、ファンもリーグ戦とは違った野球を楽しむことができる。これはCSの存在意義として、非常に大きなウエイトを占める部分だ。

「長いリーグ戦を戦い抜く力と短期決戦を勝ち抜く力を兼ね備えたチームが称賛されるべき。消化試合が減る」


自分は、この意見はすごく納得する。


自分は日本シリーズ当日、パ・リーグの数チームがまだ消化試合を淡々と戦っていた時代を知っている。昔はドーム球場がなかったため、雨天中止試合の数が多かったのだ。スタンドではファンが日本シリーズのラジオ中継を聴いていた。そのスタンドは当然のように閑古鳥が鳴いていて、実にむなしい光景だった。


消化試合をなくす、というのは確かに言い得ている意見だ。

ペナントレースであるチームが独走が決まってしまうと、ペナントレース自体がダラダラ消化試合みたいになってしまい、興行的にもかなりよろしくない。優勝できなくてもCSにさえ出れればチャンスがあるんだよ、といことで頑張りがいが出てくる。消化試合を減らすという意味ではこれは興行的に見ても確かに正しい意見だと思う。


つまりCS実施により、たとえレギュラーシーズンの優勝チームが早々に決まってしまっても、2位、3位争いへの興味・関心が維持され、いわゆる“消化試合”が激減する。チケット、グッズ等の売り上げにもつながり、興行的にも上々のコンテンツとなるというわけだ。


この意見はプロ野球のビジネスサイドからすると至極真っ当な考え方で、自分は納得せざるを得ない。まさにその通りだと思う。


ちなみに、Web誌のスポーツナビが、CS不要論?クライマックスシリーズは必要?不要? プロ野球ファンの意識調査結果を発表!という興味深いアンケートを実施した。


それによると、


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「CS不要論に賛成=CS廃止派」が22.2%、「CS不要論に反対=CS続行派」が35.7%という結果になった。「賛成」「どちらかといえば賛成」を合わせると33.1%、「反対」「どちらかといえば反対」を合わせると50.2%。半数近くのファンはCSを継続してほしいと考えていることがわかった。


さらに年代別に見ると、


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年齢が若いほど「CS不要論に反対(=CS続行派)」するファンが多いということだ。この傾向はとりわけ10代、20代で顕著で、「反対」「どちらかといえば反対」に投じた10代のファンは65.6%、20代は59.9%となった。



年齢が高くなるほど「CS不要論」への賛成派(CS廃止派)が増えていく傾向にある。特に60代以上のファンの48.7%は、「賛成」「どちらかといえば賛成」に票を投じている。酸いも甘いも知った世代は、143試合の重みをより強く感じているのだろうか。


CSが不要か、必要か、というと、すごい拮抗している結果だけど若干CSは必要と考えている人が多く、若い人ほどCS必要と考えている人が多く、高齢な人ほどCS不要と考えている人が多いということだ。


CS不要、必要という点では拮抗しているので、やはり今後もいろいろ問題とされることは間違いないだろうし、そのたびに、CS不要論、必要論で議論になるんだろうな。


そして高齢な方ほどCS不要と考えている人が多く、ペナントレース143試合の重みを尊重しているという結果に自分は納得するような感じである。


まさにオレだ(笑)という感じである。

昔のプロ野球を知っている人は、やっぱりどうしてもCS不要論、ペナントレースの価値下げるな、という意見なのだろう。


自分もこの日記を書こうとしたときは、もう徹底的にCS不要論でガンガンに主張してやろうと思ったけれど、こうやってつぶさに調べていくと、それなりの事情、経緯もわかってきて、いまはなんか複雑な気持ちである。(笑)








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SKI NOW [スポーツ]

北海道出身にとって、スキーは地ガキ(地元のガキという意味)にとって絶対得意でないといけないスポーツであった。北海道で生まれ育った人間にとってスキーができないのは、かなり恥ずかしいことだと幼少の頃から思っていたところがあった。ピアノと同じで、自分は幼少時代から英才教育を受けていたのだ。


ピアノは母親の押しであったが、スキーは父親の押しであった。


自分は子供の頃、本当にイヤでイヤで堪らなかったのであるが、子供の頃スキースクールに入っていた。オヤジの強制である。


子供の頃は、北海道の中央にある芦別(富良野に近いです。)というところに住んでいたので、芦別には2つのスキー場があった。


駅の真裏にある三角山スキー場と、芦別レジャーランドの近くにある国設スキー場である。


三角山スキー場は、地の利こそ駅の真裏なので、メジャーなのだが、なにせ上級者向けのすごい難しいスキー場であった。自分はその後、全国の有名なスキー場をくまなく体験していくが、それをもってしても三角山スキー場ほど難しいスキー場はないのではないか、と思う。


おそらく全国で3本の指に入る、いやトップといっていいほど難しいスキー場だった。(自分のスキー人生を振り返ってつくづくそう思う。)


なにが難しいか、というと、とにかく急斜面でコブだらけの斜面ばかりだからだ。初心者向けの斜面が少ないスキー場だった。50年以上前の大昔だし、田舎だから山の開拓も親切じゃなかったのだろう。現代のスキー場のほうがよっぽど初心者にとって親切である。スキー場をつくるとき、斜面やコースが初心者にやさしいか、充分検討したうえで、山を切り開くと思うのだが、あの田舎では、そんな検討もあまりしなかったに違いない。


もう50年以上も前のことだけど、いまでもその難解な斜面コースははっきり脳裏に刻み込まれている。


芦別三角山スキー場は、もう大昔(自分が芦別に住んでいたときに)に廃業になってしまったのだが、ネットでググってみると、なんとその写真、ポスターがあった。(笑)


懐かしすぎる!(笑)よくあったな。


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自分は、子供の頃、この三角山スキー場で徹底的に鍛えられた。自分のスキーライフ、スキー人生は、この三角山スキー場ですべて基礎が築かれたと言って過言ではない。


自分は、この三角山スキー場のスキースクールに、毎週日曜日通っていたのだ。


スキーには、大きく基礎スキーと競技スキーの2種類が存在すると思う。


基礎スキーというのは一般庶民向けで、滑降するフォーム、姿勢の美しさを追求するスキーの基本のようなものだ。それに対して競技スキーというのは、いわゆる斜面にポールを立てて、そこをかいくぐりながら、滑りタイムを争ういわゆる競技スポーツのことである。


自分はもちろん基礎スキーである。


基礎スキーには公益財団法人スキー連盟、通称SAJというスキー検定がある。記憶では、3級から始まって、2級、1級とある。その上が準指導員、指導員の資格ではなかったか。


下は3級の試験に落ちた人は、自動的に4級を与えられたと記憶している。


一般市民で、基礎スキーを極めるのはこのSAJスキー検定の資格を有することであった。


基礎スキーの滑降には、いろいろある。ボーゲンとかはもう検定のスコープ外。問題外である。(笑)まずは、パラレルターンではないだろうか。両足のスキーを平行にくっつけながら、左右のターンを繰り返す滑降である。そして上級者向けになるとウエデルンというのがある。これはパラレルターンの間隔を超短く、小刻みに曲がりながら滑降することを言う。


3級にはパラレルターンの前のステップとしてシュテムターンというボーゲンとパラレルターンをミックスした滑降もあります。


そして直滑降。1級になるとスキージャンプがあります。


自分は、三角山スキー場で、鍛えられながらSAJ3級に合格した。SAJ検定に合格すると、バッジがもらえるのだ。小さなバッジで、スキー帽につける。3級、2級、1級でそれぞれバッジの色が違うのだ。


左の金のバッジがSAJ1級、右の水色のバッジがSAJ2級です。


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子供心に憧れました。


ところが、2級が難しかった。三角山スキー場の斜面はあまりに難しすぎるので、検定も難しかった。なかなか合格できなかった。オヤジの提案で、富良野スキー場の検定試験を受けることにした。


いま富良野スキー場は北海道を代表する超有名なスキー場であるが、当時は富良野北の峰スキー場と呼んでいた。富良野北の峰スキー場は、大スキー場なので、斜面が初心者に優しくできている。SAJ2級検定もやりやすかった。


自分は見事、この富良野北の峰スキー場にてSAJ2級を合格した。オヤジも大層喜んでくれた。


スキーに関しては、そういう英才教育を受けていたから、子供なのにやたらとスキーがうまかった。小学校や中学校で体育の時間のときに、スキーをやったりするのだが、自分は他の子供たちと比べて、ダントツにスキーがうまかった。先生やみんなからいつも尊敬の眼差しであった。


でもSAJ1級のカベは高かったな。別に受けようとも思わなかったし、2級に合格した時点で、なんかさらに上を目指す気力もわかなかった。スキーはうまいやつは本当にうまい。とても自分はかなわないや、と思うところもあった。


べつに準指導員、指導員になるつもりはまったくなかったし、スキーはもうそれで充分と思っていたところもあった。


こうやって自分は北海道で、スキーの才能を英才教育によって鍛えられたのである。


自分の人生で、スキーのことに夢中になったのは、それからずいぶん時間の経った十数年後であった。


それは大学を卒業して、就職で東京に上京した1987年である。


この年に、原田知世さんの「私をスキーに連れてって」が空前の大ヒットとなり、日本全国中に空前のスキーブームが訪れるのだ。


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懐かしすぎる~!(笑)映画の中では、ユーミンこと松任谷由美さんが歌う曲であふれた。


「サーフ天国、スキー天国」、「恋人がサンタクロース」「ロッヂで待つクリスマス」「A HAPPY NEW YEAR」「BLIZZARD」。


とくに特筆すべき点として「恋人がサンタクロース」は、本作の代名詞的楽曲として広く一般に浸透した。主題歌を凌駕した本作品の象徴とも言うべき挿入歌であり、クリスマスの定番曲として現在も数多くのアーティストによってカヴァーされ続けてきた。


もうユーミンと言えば、スキーというくらい絶対的な象徴イメージになってしまい、もう日本全国大変なスキーブームになったのだ。


自分もまさか雪のない東京でスキーに夢中になろうとは夢に思わなかった訳だが、それを決定づけたのが、「SKI NOW」というスキー専門番組であった。


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会社寮の部屋の中で深夜にSKI NOWを見て、そこで滑っている上原由さんのスキーを観て、一気にファンになってしまったのだ。


SKI NOWって番組知ってますか?(笑)


「SKINOW」(スキーナウ)は、日本テレビ→テレビ東京で1982年から1997年3月29日まで放送されていたスキー専門番組。どちらもサロモンの一社提供番組である。


その当時、大変なスキーブームがおきていた時代背景もあり、スキーヤーの熱烈な支持を集めた番組である。海外ロケを踏まえた本格的なスキー専門番組でもある。 番組開始初期は、サロモンの一社提供で開始し、海外ロケ企画も多く、販売価格の安い深夜帯枠でも番組制作費は相当なものだったが、サロモンとしては自社の利益というより、スキー業界全体の盛り上がりを目指し、テレビ番組開始に至ったと言われているパイオニア的存在なのだ。


これは本当にすごい番組であった。製作費べらぼうですよ。人気スキーヤーたちが、深雪の中をシュプールを描きながら1人滑ってくるのだ。当時はドローンとかなかった時代だから、ヘリで撮影していたんじゃないかな。カメラの角度が空中の高いところから、斜面を見下ろすような感じだったから。


もちろんアラスカとか、海外のロケもふんだんにやっていて、海外の山の深雪の中をこれまた漕いで滑ってくるのだ。これが観ていてめちゃめちゃ格好いいのだ。


スキーに心得のある者にとって、なんとも魅力的な番組であった。


自分は1990年頃から見始めたかもしれない。(よく覚えていない。)


その番組の中で1人の若い女子スキーヤーのファンになってしまった。


それが上原由さんである。

懐かしすぎる。(笑)


いまはどうされているのだろうか・・・。


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芸能人ではないし、ネットもなかった時代だから、露出も少なくスキー雑誌やこういうSKI NOWのようなスキー専門番組でないとお目にかかれないので、それがさらに拍車をかけてファンになってしまった。


とにかくいまでも忘れられないのが、そのSKI NOWで、上原由さんともう1人の男性スキーヤーの2人で上手な演出でお互い交互に交差しながら弧を描きながら斜面を降りてくるシーンがあって、BGMと相まってすごく打ちのめされたのだ。


新潟県の妙高高原スキー場での撮影である。


なんと!素晴らしいのだろう!


いっぺんに虜になってしまい、大ファンになってしまった。そして子供の頃に英才教育を受けそれ以来、長い間眠ったままになっていた自分のスキーに対する情熱がふたたび蘇った瞬間でもあった。


いま世間ではスキーが大ブームでもあるし、これはいっちょやったる?


いまでこそ、クラシックのコンサートホールが大好きで、国内、海外、いろいろなホールを体験することが、自分の勲章にもなっているわけだが、当時の自分にとって、全国の有名なスキー場を体験することは、そんな自分に勲章を与えるそんな感じがして、無性にそそられたのだ。


よっしゃ、やったるか!という感じで、それと同時に、まさか東京に来てまでスキーをやるとは思ってもいなかった訳だ。(笑)


上原由さんは、神保町のCome'questo?というイタリア系(?)のスポーツ・カジュアル衣服のブティックみたいなお店で働いていた。


もう神保町にはそのお店はないと思うが、ネットでググってみてもない。ただ、Come'questo?という同じ名前で同じロゴで北海道の小樽にお店があるのを発見した。スポーツ・カジュアル衣服のお店でまったく同じである。たぶん同じであろう。


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神保町にあったときと、なにか違うのかな?なんで小樽なんだろう?上原さんはそこで働いているのかな?


いろいろな想いがよぎる。


神保町のCome'questo?は自分は何回か訪れた。そこですごい派手なVividなピンクのスウェットの上を買ったり、他に小物のグッズとかも買ったと思う。ちゃんとCome'questo?のロゴが入っている。


その派手なピンクのスウェットは、当時の前職の会社にふつうに勤務時間に着ていきましたよ。(笑)ドレスコードもあったもんじゃない。(笑)


お店では上原さんは働いていたが、当時は恥ずかしがり屋さんだったので、声をかけることもできず、ただ遠くから見ていただけでした。


SKI NOWで上原由というスキーヤーを発見して、ふたたびスキーに対する情熱が湧いてきた自分は、そのつぎに知ることになるのがスキー技術選である。正式名称は、全日本スキー技術選手権大会である。


これはいまも続けられている競技イベントであるが、その当時は長野県の白馬八方尾根で開催されることが常であった。スキー技術選とは、なにを競う競技なのかというと、いわゆる基礎スキーというジャンルの最上位クラスの競技会である。


スキー滑降のフォームの美しさ、姿勢、滑降のダイナミックさ、演技点などいろいろな要素が審査点に加えられる。単純で絶対値的なタイムを競う競技スキーとは違って、ある意味審査員の審査眼ひとつに頼ってしまうところもあり、そこはグレーではあるのだが、でもその当時はそんなところまで考えることもなし。


自分はそんな競技があるなんて思ってもいなく、基礎スキー出身者としてはすごく気になる競技会であった。


上原由さんもそのスキー技術選に毎年参加していたのだ。


スキー技術選を知るようになると、他にもいろいろなスターのスキーヤー達の存在を知るようになる。


当時自分がスキー技術選に夢中になっていたときに、男子スキーヤー部門で全盛期にあったのが、渡辺一樹選手であった。懐かしすぎる。(笑)いまどうされているのだろう?(2012年に技術選を引退されいるようだ。)


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渡辺一樹さんは、小柄なんだけどすごい安定した美しいフォームで、当時、男子スキーヤーの中では絶対的なトップに君臨していた。技術選の優勝者年表リストを見ると、1988~1992年の5年間ですね。自分が東京でスキーに熱中していたのは、結局この5年間だったということになる。この5年のうち、渡辺一樹さんは4回の技術選優勝者である。


もう圧倒的に強くて美しかった。渡辺一樹さんは、普段は栂池高原スキー場で専任インストラクターとして働いていた。


その渡辺一樹さんのライバルというか双璧だったのが、佐藤譲さんだ。


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佐藤譲さんは競技スキー出身者で、当時の基礎スキーの技術選の世界に競技スキー出身者が入っていくのは、かなり挑戦的で異端児扱いされていた記憶がある。すごいスキー界で話題になっていた。


その佐藤譲さんが、渡辺一樹さんを抑え、優勝したのが、1990年大会だ。上の写真の緑のスキースーツがそのときの写真である。


あの高速ウエデルンで、スキー場内の観衆を一気に沸かせ、優勝をもぎとった。鮮明に覚えているし、忘れられないです。


この5年間はつねに優勝を渡辺一樹さんと佐藤譲さんで競っていたというか、そういうライバルとして君臨していた2人の時代であった。


女子スキーヤーも上原由さん以外にもいろいろなスキーヤーの存在を知るようになる。山崎操さんとかね。美人で有名なスキーヤーでした。いまはどうされているのか。。。


男子スキーヤーでは、他に海和俊宏さん、斉木隆さんとか、我満嘉治さんとか。懐かしすぎる。(笑)


どういうスキーフォームだったか、完璧に覚えていますよ。みんなそれぞれ個性があります。指紋、声紋と同じでスキーフォームも1人1人で全部異なります。


自分も白馬八方尾根までリアルに技術選を観に行ったこともあります。それは上原由さんの実際の競技を見るためにです。斜面の下のほうで、上から滑ってくるのを観ていました。そのとき、なんかあっけないな~と思い、結局リアル技術選を体験したのはこの1回のみでした。


もちろん見ているだけではない。自分もやるのである。


まずスキーウエア、ブーツ、スキー板を買わないといけない。


当時、日本中スキーは大ブーム。その聖地のようになっていたのが、神田神保町である。いまでは神保町というと古本屋やカレーの街としかくらいにしか思わないだろうけど、当時の神保町は、まさにスキー用品店のメッカだったのである。



ウィンタースポーツの王様といえば、かつてはスキーであった時代。その全盛期、多くの若者が足を運んだのが、神田神保町のスキー用品店街であった。


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「かつての古本屋街からスポーツ用品店街へと変身したかのように、表通りにスキー用品店が並ぶ。 その一軒、ヴィクトリアJOYスキー用具館は、16日昼過ぎから店内が客でごった返した。 「ひやかし」は少なく、ほとんどが現金を手にした買い入れ組。 スキー板では9万円前後、靴も7.8万円と輸入ものの高級品に人気が集中した。 高級品志向に乗って、若者たちのポケットから一万円札が無造作につかみ出される」


1984年の朝日新聞の記事である。


スキーはまさにバブル真っ盛りの1980年代の1大ムーブメントだったのである。


自分は、もう足繁くこの神保町のスキー用品店街を梯子してまわったものだ。



スキー人口は1980年代を通じて増加し続け、そのピークは1993(平成5)年の1770万人であった。なんと日本国民の約9人にひとりはスキーをしていたのである。前述のようにスキー用品店が人でごったがえし、現金が飛び交う事態が生まれるのも当然である。


しかし、スキー用品ビジネスはかなりハードでもあった。スキー商戦のピークは12月頃で、夏にバーゲンを行って前年の在庫を処分。新製品は8~9月から並び始めるため、新製品が正価で売れる時期は極めて短いのである。



そんななか、スキーウエアのファッション性も重視されるようになる。当時はド派手な蛍光色のスキーウエアが「標準」だった。


自分は毎年、この神保町のスキー用品店街を見て回るうちにあるスキー業界の規則性みたいなものがわかってきたような気がした。


それはスキーファッションは、1年1年であっという間に変わるということである。去年買ったスキーウエアが、今年はあっという間に時代遅れになってしまうということだ。


時代の流行に乗ろうとしたら、毎年新調しないといけないのだ。自分はなんかやってられないな、と思った。



当時はバブルの時代だったから、そんな毎年新調のサイクルや、1年ごとにスキーファッション更新は至極あたりまえのことだった。業界はノリノリだったのだ。


スキー業界は、人気スタースキーヤー達にスキー板を使ってもらう、スキーウエアを着てもらうことで、それをプロモーション宣伝とする、それがあたりまえの図式であった。もちろんそれに便乗して売れるのである。


自分は板はサロモンを買った。当時上原由さんはサロモンに所属していて、サロモンの広告塔でもあった。またSKI NOWもサロモンの提供番組であった。サロモン全盛期だったといっていい。


スキー板は、やはりそのメーカーによって固さ、滑降の曲がりやすさ、など板の特徴があって(靴の履きやすいのそんな感じ、滑りやすさみたいなもの)、自分はサロモンだけではなく、OGASAKAも買っていたような気がする。OGASAKAは固くて曲がりやすいのだ。


そしてスキーウエア、ブーツもしっかり買い込んだ。膨大な金が吹っ飛んだ。


そして、いざ全国の有名スキー場に見参である。


いまから30年以上昔のことであるが、自分がいま思い出せるのは、



白馬八方尾根

苗場

ガーラ湯沢

蔵王

野沢温泉

妙高高原

志賀高原 焼額山


ここいらに何回も出没した。


白馬八方尾根


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苗場


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妙高高原


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全国津々浦々のこれらのスキー場に交通の足はどうやっ行っていたのか?


それは東京から各地方の有名スキー場に直通のバスがあったのである。新宿駅の南口を発着点として、深夜に出発して、夜中に運航して、翌日の早朝に目的のスキー場に到着するというものである。そして翌日の夕方に同じくそのバスに乗って東京に帰ってくるのである。


当時は大変なスキーブームだったので、そういうバスビジネスがとてもあたりまで、ふつうに運航していたのである。


でも夜中はバスの中で過ごすので、もちろん眠れるわけもなし。一生懸命バスの座席の中で眠ろうとするのだけれど、結局眠りの浅いそんな寝不足の状態であった。


それでも毎週のように全国の有名スキー場に通い続けたのは、やっぱり若かったね~~~。当時は、川崎の新百合ヶ丘に会社寮があったので、小田急線で新宿まで直通1本。それにしても重いスキーを運びながらよくやったものだといまは懐かしく思います。いまはとてもじゃないけど無理です。


上で挙げたスキー場の中で、一番回数を通ったのが、新潟県の妙高高原スキー場。ここはSKI NOWで自分をスキーの世界に舞い戻らせてくれたきっかけになったスキー場。斜面が緩くて初心者向けの優しいスキー場であった。



苗場は、やはり人気だったね~~~。当時のスキー場の王様的存在で絶対的な知名度があった。目の前が苗場プリンスホテルだ。自分も全国のスキー場を体験するなら、やっぱり苗場は体験しておかないとだめだな、と思いました。やはりすごい人気ぶりでした。スキー場内ではもちろんユーミンの曲がずっと流れていました。



野沢温泉スキー場もよかったですね。当時はこのスキー場で競技スキー大会をやっていましたね。野沢温泉ではもちろん温泉三昧。そして野沢菜漬けをつまみながら、日本酒熱燗でくぃ~っと一杯。最高でございましたな~~~。(笑)


ガーラ湯沢は、この時期にスキーブームに則って、新しくできたスキー場であった。駅から直通でそのままスキー場のゲレンデに出られる、というのが売りであった。


なかなか初心者に優しいいいゲレンデだったと思う。


結局、自分が東京に来て以来、スキーに熱中していたのは、1988年~1992年あたりの5年だろうか。それ以来ピタッとスキーはやめてしまいました。それ以来30年のブランクがあります。


もうスキーをやろうという元気もないし、高齢だから、転んで骨折ったりしたら困るし、まず重いモノかついでスキー場まで行こうという気力がわきませんね。


あの頃は本当に若気の至りでした。


上原由さん、いまはどのように過ごされているのか、まったくネットにも情報がなく不明。海和俊宏さんのスキースクールで講師として教えていた、という情報もあったりしたようです。



プロのサービスマンに今どきのハードワックス仕上げを学びます。「私にもできるかも!」


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というのも見つけました。


あと、YouTubeでスキーファッション2021~2022年を評価する、というものも発見しました。


お元気そうでなりよりでした。


いまのウィンター・スポーツは、もうスキーというよりは、スノボーなんでしょうかね・・・?東京に住んでいると、自分の周りでは、ここ30年以上は、冬のスポーツなど、まったくそのような話題も聞くこともなく、冬季五輪でスノボーを拝見するくらいしか接することがないのですが、スキー大全盛期に青春期を過ごした自分にとってはなんともさびしいかぎりです。いやいや1998年の長野五輪がありましたね。あれは日本中大フィーバーでした。ジャンプの新日の丸飛行隊、スピードスケート、フィギュアスケート。。。本当にあんなに興奮したことはなかったです。


あの長野五輪で、ゴローさんは、小澤征爾さん指揮で、世界中を第九で結ぶという企画の現場の実行担当者なのでした。


もういまやスキーをもう一回やろうという気は毛頭ないですが、あのゲレンデの気持ちよさは懐かしく思い出します。


自分の心に声により、ふっとスキーのことを語りたくなりました。







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Tokyo 2020 開会式の印象 [スポーツ]

Tokyo2020開会式の印象。国内、海外含め、いろいろな評が出揃ってきて面白い。


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もちろん賛否両論。民主主義国家たるもの、絶対そうあるべき。非難を拒んではいけない。


自分が意外だったのが、結構、酷評や批判の評の内容を読んでからだった。


その大半は、「ダサい」「しょぼい」「金かかってない」という感じであろうか。この批評をたくさん散見したときは、かなりショックでした。(笑)


自分の第一印象は、「ちょっといままでに見たことのない開会式で斬新。」「過去の開会式とは一線を画す工夫があって、かなり面白い、ユニーク。」「オリジナリティがすごいある。」という感じでかなり肯定的な立場であった。


とにかく驚いてしまったのが第一印象であった。


ちょっと頭に血が上ってしまい、かなり興奮してしまい、頭の中がいつまでもループ状態でその夜は寝付けなかったです。


だから、「ダサい」「しょぼい」「金かかってない」というワードを見たとき、まったく自分が想像もしていなかった言葉だったので、「そう見るか!」という感じで驚いたのである。


やはり日本国民、世界国民、人間1人1人いろいろなモノの見方をしますから面白いな、と思いました。


逆に相手の立場で考えると、そういう批判をするということは、オリンピックの開会式に対してどういうものを期待しているのだろうか、ということを考えてみたりする。


やっぱり1984年のロス五輪のとき以来の商業主義に則っとって引き継がれてきたその現場、会場でのふんだんなマンパワーを駆使した絢爛豪華なショーを期待していたのかな、とも思ったりもした。


いわゆるオリンピックの開会式というステレオ・タイプのイメージを期待していたのかな、という想像をしてみたりする。


自分が率直に感じたのはこんな感じである。


●ビデオクリップを多用している。


このビデオクリップを多用する、ということ自体、いままでの現場主義のオリンピックの開会式ではあまり見かけなかった印象があるのだけれど、どうなのであろう。


そのビデオクリップの造り自体、すごくスピード感があって、現代風、今風の格好良さがあった。ちょっと日本人が造っているとは思えない感じの垢ぬけた感じ。


またこのビデオクリップの多用はコロナ禍で、会場での大掛かりなマンパワーを使った式が不可能なため、苦肉の策として考案されたものなのかもしれない、とそのときに思いました。


テレビで観戦している人は、そのままビデオクリップとして、会場にいる人は大きな会場のスクリーンに投影して見ていたんでしょうね。


ビデオクリップを多用していたことで、あまり金がかかっていない、という印象が起こったのかもしれませんね。


●IT、テクノロジーの印象。


そのビデオクリップの画面内容でも特にそうだったのだけれど、全般的に要所・要所でIT・テクノロジーのイメージが結構前面に出ていてかなり格好良かった。ちょっと今風だなぁ、と好印象だった。


ちょっといままでの開会式とはかなり違う近代的なイメージでよかった。


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東京の夜空に浮かび上がった1824台のドローンが、市松模様の大会エンブレムと地球を作って、五輪の開会式を幻想的に盛り上げた。米Intelの「Shooting Star」システム。



●日本人らしくないユーモア、洒脱さ。


日本はある意味、歴史の長い伝統国家であり、その伝統芸術をたくさん持ち合わせている国だけれども、そういう形式のイメージにとらわれないユーモアが全般に溢れていた。


ある意味、生真面目な日本人らしくない、というか、きっちり形式ばったものではなく、もっと今風のユーモアが散りばめれていて、日本が造っているとは思えないな~という印象。


これは逆を言えば、伝統・文化を重んじる方々からすると一本の筋が通っていない、軽薄短小と目に映ってしまったのかもしれませんね。


●工夫がある。


「ダサい」「しょぼい」「金かかってない」というまったく自分が想像もしていなかった言葉だったけれどやはりいろいろな工夫が施されているな、という印象であった。


●ゲーム音楽


入場行進曲にゲーム音楽を使う、というのも画期的というか驚いた。自分はゲームはまったくわからない人だけれど、ものすごくいいアイデアだと思う。ユニークだと思う。ゲーム、アニメなどのエンタメ・コンテンツは日本が世界に誇る、まさにいまの日本を象徴するビジネス。日本をアピールする場としては、この一面もぜひ取り入れておかないといけないところなのではないでしょうか。


あのプラカードの吹き出しの貧祖さ(笑)も笑っちゃいますが、あれもゲーム、アニメらしく、逆に面白過ぎ。特徴あってグーです。


なぜか任天堂の曲が使われなかったようですが、閉会式のほうで使われるのではないでしょうか。(笑)



●配慮


ミュンヘンオリンピックでの犠牲者への黙祷や最終聖火ランナーの大坂なおみさん採用に見る多様性への配慮。入場行進の旗手を男女ペアでおこなうこと。式の至る所で世界の問題とされているテーマへの配慮が盛り込まれている、と感じたこと。


これはやはり意識せざるを得なかったところなのでしょうね。素晴らしいと思います。



●無観客のフォロー


今回の開会式は無観客で行われた訳ですが、夜に新国立競技場の観客席を見ると、まるで満員御礼のように見えたこと。これは上野の東京文化会館の座席シートでもよく使われている手法ですが、座席にいろいろな色を塗っておくんですね。そうすると、遠くから見ると、空席でも人が座っているように見えるのです。


これが今回功を奏しましたね。

まるで満員のように見えました。


歓声も人工的に付加されていましたね。


そのほか、天皇陛下の宣誓表現の修正など、感動した面はここに書ききれないほど多々あります。




バッハ会長のスピーチ長かったですね。(笑)


自分は、橋本聖子会長のスピーチはすごく感動しました。いままでの長い苦労、波乱含みのトラブルに見舞われながら、その処理を表に立ってやってきた人だけに、ようやくたどり着いた、その当日を迎えたという感極まった到来感があって、ちょっとジ~ンと涙ぐみました。



バッハ会長のスピーチは長すぎました。スピーチが行われた壇の周囲は、お行儀のいい日本人選手で固められていたため、テレビではみんな真面目に聞いているように見えましたが、テレビに映っていないところでは、暇すぎて寝っ転がってしまう選手がたくさんいたようです。(笑)


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また開会式終了後にすかさず話題になっていたことで、カザフスタンの旗手の美人は誰?(笑)


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美人すぎるカザフスタン旗手にネット騒然「妖精ですか?」

そのあまりの美貌の持ち主で、ネット民たちは騒いでおります。(笑)

ボクもそのときは気づきませんでしたが、あとからその話題を知りました。


旗手を務めたのは、三段跳びで3大会連続メダルを獲得しているオリガ・ルイパコワ選手。スラリとしたスタイルと驚くほどの小顔で、王妃のような衣装を身にまとって笑顔で手を振るシーンが流れると、一気に話題が沸騰で大変な話題になっています。



やはりジャーナリズム、記事としては、斜めに観るというか、批判をすることで、正しい道に誘うという使命があるので、どうしても手厳しい記事が多いですが、オリンピック大好き人間の私の日記ではオール・ポジティブ思考でまとめてみました。癇に障ったらスミマセン。(笑)


いろいろ専門家の評論家の方々の開会式論評を読ませていただきました。参考になりました。いろいろなご意見ありますね。能天気、楽天主義の自分にとっては、ちょっと硬派すぎて理解できないところも多々ありましたが、そういう見方もあるんだな、と参考になりました。


でもこれだけは言えることとして、この前代未聞の出来事、パンデミックの中で、普通にできない、ままならぬ状況下で、こうやってちゃんと形にして実現した現場スタッフの苦労には頭が上がらないです。


いままで経験したことのないような、いろいろな制約がある中で、そしてアンチ・オリンピックの風潮の中でこうやって黙々と準備を進めてきたことは、ひたすらご苦労様、よくやったとしか言えないです。



東京オリンピックの開会式について、海外メディアは「控えめなセレモニー」などと伝えています。


無観客で行われた開会式について、アメリカのNBCは「今までとまったく異なるオリンピックが、見たこともないような開会式で始まった」と伝え、AP通信は「カラフルではあるが、妙に落ち着いたセレモニーが独特なパンデミックの中でのオリンピックにふさわしい雰囲気を醸し出した」と伝えたようです。


イギリスのガーディアン紙は、「非常に控えめなセレモニー」と表現し、BBCの解説者は「観客のいない空っぽなスタジアムでアスリートはどう感じているのかという視点で見ている」と話しました。


オリンピックに反対するデモに言及するメディアも多く、韓国の聯合ニュースは、「開会式当日までも日本国民に愛されなかった大会」などと伝えているそうです。



気になる開会式の視聴率ですが、正式には明日の月曜日に出るそうですが、テンタティブでは、43%あたり。上手くいけば50%の大台に行くかも?とのニュースが入ってきています。


(2021.7.27追記。東京五輪開会式の世帯視聴率は56.4%。前回リオデジャネイロ五輪の23.6%を大幅に上回った。リオの2倍以上。1964年の前回東京五輪の61.2%に迫る高視聴率だった。)


前回のリオオリンピックの開会式が、14%台だったことを考えると、約その3倍。COVID-19という前代未聞の状況下の開会式で、祝祭とはある意味違った意味で、国民の関心を呼んだのでしょう。


こうなったら、閉会式も楽しみです。

これも録画する予定です。



開会式の翌日の朝刊。朝日、読売、毎日、日経、日刊スポーツ、スポニチの各誌。

記念に全部買いそろえておきました。永久保存版です。


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「いままでに見たことがないユニークなオリンピックの開会式」、ということで、自分のこれからの人生で語り継いでいくために買っておきました。


まだ目を通していませんが。。。



でもこれからがまた大変ですね。まだいろいろ試練がいっぱいやってきそうです。もう新国立競技場や一般道に、見学客がいっぱい詰めかけて、もう密状態もいいところ。


「オリンピック今からでも中止しろ!」デモも凄いらしく、そのデモ自体がすでに密だとか。(笑)


この調子で行くと、おそらくピークの8月には、間違いなく感染者数3000人は突破しますね。(笑)


ニュースでは、ボランティア・キャンセルで大量の弁当が廃棄処分になっていたりのニュースを見ました。オリンピックの負の部分も相当大きそうですね。





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東京2020 オリンピック [スポーツ]

自分は1964年の東京オリンピック・イヤー生まれである。だから今回東京2020の開催をかなり楽しみにしていた人間である。招致成功のときに、ものすごく喜んだ人間である。


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まさか自分が生きている間に、もう1回東京でオリンピックが開催されるとは思ってもいなかったから。


まさか世界中がコロナCOVID-19のパンデミックに襲われるとは夢にも思わず、どんどん呪われたオリンピックの相を呈してきたとき、招致の際の醜聞など、どんどんオリンピックについて逆風となっていく世相に嘆き悲しんだ側の人間である。


世界中がオリンピックどころではない、やったとしても全世界の選手にとって公平な大会にもなりそうにない、こんな状況下でやったとして誰が喜ぶのか、みんな心ひとつにして盛り上がれるのか。。。


このような状況下でも経済上の問題からゴリ押しでも開催しようというIOC、日本政府。商業至上主義のオリンピック、そのような姿勢に辟易するのは自分もまさに同じ感情だし、その通りだと思う。


まさに世論は正しい。


天皇陛下が1人で参列されるのも、そんな国民感情のことを慮ってのことなのだろう。


そんな状況下でオリンピックがどんどん悪者になっていって、愚の骨頂、不要なもののように扱われていくのが、心が痛い。


今回のコロナに纏わるオリンピックの醜聞で、オリンピックに対して負のイメージがどんどん重なっていき、国民にオリンピック・アレルギーというか嫌悪感を知らず知らず心の奥底に根付いていく。それがいやだなぁ。


このアンチ・オリンピックの世相真っ只中の中で恐れずに告白するなら、自分はオリンピックが大好きである。


子供の頃から大変な感動をもらってきた。自分がオリンピックに関心を抱くようになったのは、1972年のミュンヘン・オリンピックからである。松平康隆監督のもと、アタッカー大古に横田、センター森田、セッター猫田など男子バレーが優勝したときの感動は忘れられない。


それからもうおよそ60年の間のオリンピックでもう数えきれない感動をもらってきた。(もうあげたらキリがない。)


やっぱりこの4年間のために頑張ってきたアスリートたちが、その瞬間を勝ち取り、号泣して泣いている姿は、もう自分は感動の極みで、思わずもらい泣きしてしまう。


この瞬間が一番好きだなぁ。


自分は基本スポーツが大好きな人間なのである。スポーツは造りものでない、真のドラマなので、その勝利の瞬間はすごいインパクトが強烈で大感動なのである。あの瞬間はぜったい人工的には造れない。


自分は野球、サッカーだけでなく、スポーツ全般に好きである。だからその頂点のオリンピックは大好きなのである。


このアンチ・オリンピックの世相の中で、黙って大人しく何も言わずに様子をみているのが一番保身でいいのかもしれないが、なんか、オリンピックが好きなのに、そのように周りの様子を伺いながら自分を偽るのも悔しいので、ちゃんと告白しておくことにした。


だって昔から好きなんだからしょうがない。


まっ今回のオリンピックで一番可哀そうなのは選手たちだよね。まさにこのために人生を捧げてやってきたのに、このような境遇で国民の世論との板挟みに会いながらやらないといけないんだから。


重ねて言っておくが、国民みんなオリンピックは好きなはずなのだけれど、このような状況下でも大人の事情でゴリ押ししていく、もっと大事なことがあるだろう、というところに問題があって、こんな状況になっているのだろうと思う。そのことに自分も異を唱えるつもりは毛頭ない。


今週の金曜日7月23日にいよいよ開幕である。はてさて、どんな感じで進んでいくのであろうか?はたして盛り上がるのであろうか?


そこで自分が考えたこと。

それは、この開会式を録画しておくことにした。


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そして、これを未来永劫、残しておくことにした。消去不可能、書き換え不可能のWrite OnceのBD-Rで未来永劫の自分の資産として残しておくことにしたのだ。


自分がこの先何年生きられるかどうか、わからないけど、東京2020オリンピックを確かに経験した、ということを一生の形見として残しておきたいのである。


コロナCOVID-19のパンデミックという逆境の中、こうやってオリンピックを東京で開催したんだよ、という記録保持のために。


おそらく、この先もう二度とオリンピックを東京に招致するということはないだろうから・・・。




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両国で大相撲観戦 [スポーツ]

人生で1回くらいは大相撲を生で観てみたいと思い、大相撲春場所六日目取組を観に、両国国技館まで出向いた。


緑が丘のちゃんこ芝松で、春場所がすぐに始まることを知ったのだ。肉体がぶつかり合う相撲はコロナ的にもなかなか厳しいスポーツであろう。


チケットを取る段階で、相撲の座席のことをよく知らなくて、タマリ(溜)席、マス席、イス席とあるのだが、1番人気はマス席。これは全日程とも完売であった。そこで一番安いイス席を獲ったのだが、やはりせっかく観るならどうしてもマス席で観たいと思った。


日本相撲協会サイトの中古リセールを見たら、マス席が出てきた。すぐにゲット。平日なので、会社をお休みをいただき行ってきた、というところである。


もうひとつ目的があって、いままでちゃんこと言ったら、緑が丘のちゃんこ芝松のちゃんこ鍋しか知らなかったので、本場の両国のちゃんこ鍋を体験したいと思ったのである。


人生初めての両国。

こんな感じで結構雑多な感じの景観だった。


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ちょっと意外だったのは、両国と言ったら、もう力士が引退をした後、みんなちゃんこ屋さんを経営するのだろうから、両国には、ちゃんこ屋さんがひしめいているのではないか、と思ったことだ。


でも実際両国駅付近を散策したのだが、そんなにちゃんこ屋さんというのはなかった。


散策した感じ、こんな感じである。

横綱横丁なんていうのもある。


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これはいかにも元力士がやっているちゃんこ屋さんですね。


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ここは品のよさそうなちゃんこ屋さんである。


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モンゴル料理なんていうのもあります。(笑)
これは少し興味あります。今度体験してみますね。


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いかにも昭和のレトロといった喫茶店もありました。


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わが生鮮スーパーマーケットのまいばすけっともありました。


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とにかく広範囲で歩いたのだが、予想外にちゃんこ屋さんというのはなかった。


ちゃんこ屋さんは、ひとまず置いておいて、まずは本番を行きましょう。


人生初めての両国国技館。


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いかにも相撲という感じですね。いろいろな関取の名前が印字された旗です。
この写真に見える塔の一番上で太鼓を鳴らすわけです。
あの相撲が始まるときの合図の太鼓です。


ここで衝撃の事実を知ることになる。


自分は子供の頃から相撲はテレビで見ていたから、テレビ放送は午後4時スタートで午後6時に終わるものという常識が脳内に埋め込まれていた。


ところがチケットには午後1時開場とある。
てっきり自分はコロナの関係で、早いのかと思っていた。
午後1時にスタートして午後3時で終わるのか、と思っていたのである。
相撲は2時間だと思っていたのである。


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ところが隣の相撲ファンのおばさんの話を聞くと、相撲は午後1時からスタートして午後6時までの5時間やっているという。


えぇ~そんなに長いの?最後まで観る?(笑)


つまり大相撲と言うのは午後1時からスタートするものなのである。それこそ序の口、幕下、十両、そして中入り。その5時間の中で、最後の中入りの取り組みだけをテレビで放映しているだけなのである。それが午後4時から午後6時である。


ずっと大相撲を知っていながら、ここにきて初めて知った事実である。(笑)


いよいよ開場。初めて入る両国国技館。


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この優勝カップの展示を見たとき、自分はなぜか、子供の頃に、相撲の千秋楽の表彰のときに外国人の審査員がいて、「ヒョーショージョー!」と言って場内の笑いをとっていた有名な審査員いたな、と思い出しました。自分の世代だと、知っているのではないでしょうか?


廊下を歩いていき、場内に入ります。


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一瞬に目の前に現れた相撲、土俵の世界。
少し興奮して身震いしました。想像以上に土俵って狭いものなのだな、と思いました。


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ここがタマリ(溜)席。
審判員のすぐ後ろの座席。
一番特等席の座席です。
別名、「砂かむり席」と言います。
3万円以上します。外来オケのクラシック・コンサート並みです。


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2階席のイス席です。
ここは5000円~1万円くらいの相場です。
ふつうの椅子です。


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ここが1番人気のマス席です。
靴を脱いで座布団の上に座る感じです。
1万~3万円の相場です。


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マス席の中でも圧倒的な数を占めるのは、2人マスです。
このように四角い枠の中で2人が入る訳です。
身内ならいいですが、知らない人同士ならちょっといやですね。


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マス席の両端は1人マスになっています。
自分はここにしました。


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この日はオヤジも連れてきました。オヤジと観るつもりでした。
相撲が大好きだったオヤジにぜひ観せてあげたいとずっと思っていたのです。
生きているときにぜひ連れてきてあげたかったな。
親孝行は生前にすべし!


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このように土俵では、午後1時開場とともにすでに取り組みが始まっているのです。


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自分が実際現場に来てわかったことは、土俵の上での出来事と、場内の観客の動きはまったく独立で関連がないのです。クラシックのコンサートのように、演奏中は、観客は静かに動かないで聴いていないといけない、という制約がないのです。


土俵上がどうであろうと、観客は自分の意思で好きなときに自由に席を立って、トイレや、売店に行くことが可能なのです。野球でもそうですから、ある意味当然と言えば当然なのかもしれませんね。もちろん結びの一番で、席を立とうがそれは観客の自由なのです。



こうやって土俵に向かう前のスタンバイしている力士。


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土俵のこの側面についている突起は、力士が土俵に上がるときに足をかけるところです。


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テレビ放送でよく映っている勝敗を示す掲示板。


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自分の座席から土俵を観るアングル。


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向かい正面と言って、テレビで映る反対側の正面席ですね。このように2階席のイス席はほとんど人がいなくて、土俵の周りのマス席だけに人が集中して座っているという感じです。同じマス席でも後方はほとんど人がいないです。あくまで土俵の周りだけです。


実際現場に来て、もうひとつ驚いたことは、相撲ファンの年齢層がかなり若いこと。そして女性層が非常に多いことです。若い女性すごい多いです。


クラシックのコンサートのほうがよっぽど高年齢層だと思いました。(笑)


いま相撲界ってそんなに人気力士っていたっけな?と思いました。結構1人で来ている若い女性も多く、横断幕を自分で持って応援しているのです。微笑ましくてよかったです。


もちろんコロナの関係で歓声をあげて応援することは許されません。でも相撲は、やっぱり取り組みの進行に応じて、どうしても驚きや大歓声がでますね。中入り後になると一番一番で大歓声と拍手が多くなります。


自分は向かい正面なので、NHKの放送席が丸見えでした。
正面カメラがあります。相撲中継はここから撮っているんですね。


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自分が一番驚いたのは、行司とこの呼び出しの方の声の通ること、通ること!


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館内に朗々と響き渡ります。オペラ歌手も真っ青というくらいの声量と定位感のある声です。これはおそらくかなり訓練されているものと思います。普通じゃあれだけの声を出せないと思います。


いい声しています。



十両と中入りの力士は、その始まる前にこのように土俵入りします。
この順番で儀式をやるわけです。


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今回は横綱不在ですので、横綱の土俵入りが見れなかったのは残念でした。横綱の場合、あの独特のまわしを付けて1人でやりますね。刀を持った付き人がいながら。


実際の取り組みは迫力がありました。
肉体と肉体とのビシバシっとぶつかり合うその音。そして力士の生声。
かなり迫力がありました。


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中入りの後半になると、人気の一番にはこのように懸賞金がつきます。


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勝敗の微妙なときは、このように”物言い”があります。
このときは取り直しでした。


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ちょっとここで休憩して、通路をご紹介。

通路はこんな感じです。


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売店です。


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大相撲アーカイブ場所といって過去の名勝負などのビデオが流れていたり、力士の手形があったり、ファンには堪らないものなのだと思います。


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両国ちゃんこ、国技館カレー、国技館ハヤシ。ぜひ食べてみたかったですが、この夜は両国の本場のちゃんこ鍋をいただきますので我慢しておきましょう。


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いよいよ結びの一番。
志摩ノ海×貴景勝の一番。全然知らない力士ですね、スミマセン。


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取り組みは中入りの後半になるにつれて、カメラのフラッシュが激しく一斉にたかれますね。おそらくプロのスポーツカメラマンだと思います。新聞の一面のためなのでしょう。


これで大相撲春場所六日目。すべて終了。弓取り式です。


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最初は5時間は相当長いな、途中で帰ろうか、とも思いましたが、実際始まってみれば物珍しかったということもあってか、あっという間に時間は過ぎました。


楽しかったです。
オヤジもさぞかし喜んでくれたと思います。


そして秘かなる一番の楽しみ。本場の両国のちゃんこ鍋をいただく。両国のちゃんこ屋さんとしては、この陸奥部屋の霧島さんが一番立派で由緒正しい感じがしたのでこのお店にしました。


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霧島関。


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ビルのテナントに入っていて、複数階を占領しています。

結構雰囲気ある個室もあります。


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ところが実際はビル内ということもあって結構狭くて、しかも超満員。こんな図でした。


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みんなマスクなし。マスク会食なんて全然なし。大声で激論、談笑でかなり怖かったです。特に自分の隣の若い女性4人のテーブルは、かなり怖かったです。マシンガントークに大爆笑・・・本人たち、全然コロナのこととか気にならないのかな?怖くないのかな?とずっと不思議でなりませんでした。


その隣で私は1人、マスク会食で、さっさと食べるもの食べて、早くこの場から逃げ去りたいという感じになるくらい怖かったです。(笑)



そしてこれが本場の両国のちゃんこ鍋。
陸奥部屋の伝統の霧島味のちゃんこ鍋です。


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これはじつに美味しかったです。
ダシが醤油と味噌の合わせで、かなり薄味です。相当薄いです。
具材から塩分とか出てきますから、これで十分なんでしょう。


とにかくつくね肉団子、お魚、野菜、ねぎ、しいたけ、油揚げ、しめじ・・・具材がとてもゴロゴロと大きくて、なんでも入っていて食べ応えがあって本当に美味しい。


さすが本場の相撲部屋のちゃんこ鍋だと思いました。
かなり美味しいです。


これを食べると、自分がずっと贔屓にしていた緑が丘のちゃんこ芝松のちゃんこ鍋が味が濃すぎてとても貧祖に思ってしまいます。


とにかく具材がゴロゴロと大きいのです。


本場の両国のちゃんこ鍋を食べれて、本当によかったです。

人生初めての両国国技館での大相撲観戦、そして両国のちゃんこ鍋。


満足の1日でありました。









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