赤坂四川飯店 [グルメ]
1993年~1999年にフジテレビ系列で放映された「料理の鉄人」という料理をテーマにしたバラエティ番組があった。
料理・グルメ漫画などのフィクション作品で描かれる「料理人同士の対決」を現実に行うというコンセプトで、「美食アカデミー」の主宰が美食への追求とそれを生み出すに相応しい料理人を求め、美食アカデミー所属の"料理人=鉄人"と挑戦者を対決させると言う番組である。
いわゆる料理の鉄人という絶対的権者がいて、そこに挑戦者の料理人が勝負を挑む。。。そういう設定である。
「グルメブームの波に乗った」といえる。
その後、2012年と2019年にも、フジテレビは同様のシリーズを放送したが、どちらもあまりウケなかった。1990年代に大成功できたのは、企画の斬新さに加え、グルメブームの波も大きかった。
グルメブームは、ヌーベル・キュイジーヌを持ち込んだフランス料理店が次々に誕生し、1970年代の終わり頃から食べ歩きをする人たちが増えて始まった。
1983年にグルメ漫画の『美味しんぼ』の連載が『ビッグコミックスピリッツ』で始まって若者たちの関心が高まり、バブル景気という追い風が到来。
レストランのマナーでまごつく人が珍しくなく、「食を語ることははしたない」とする大人がたくさんいた時代だったからこそ、一流料理人たちが次々に腕前を披露する番組は、新鮮な驚きを視聴者にもたらしたのだ。
覚えているよ~。料理の鉄人。毎週見てました~。
その後、主宰や鉄人はどんどん世代交代していくが、自分がリアルタイムで観ていた頃は、
「美食アカデミー」の主宰は、鹿賀丈史さん。
料理の鉄人には、中華の鉄人、フレンチの鉄人、和の鉄人がいて、
中華の鉄人:陳建一
フレンチの鉄人(二代目): 坂井宏行
和の鉄人(初代):道場六三郎
これが絶対的メンバーであった。自分はこの頃が一番熱烈に見ていた。フレンチの鉄人と和の鉄人だけは、その後いろいろ世代交代で交代していくんだけど、中華の鉄人の陳健一さんだけは、ずっと鉄人を全うした方なんですよね。
鹿賀丈史さんの鉄人や挑戦者たちを紹介して行ったりするときの、あの狂言のようなセリフ言い回し、よく覚えています。
毎週、絶対的王者である鉄人に挑戦者が挑んでいく訳だけれど、鉄人はやはりチャンピオンだから強くないといけない。しかも中華、フレンチ、和のそれぞれの一流レストランのシェフである。プライドもあるだろう。挑戦者から毎週挑まれて、テレビでお茶の間にその勝敗結果を晒されるのは、なかなかシビアな心境だったと思う。プロとしてはやはり負けられない。。そういうものは絶対あったと思う。
番組は材料、今週はこれを使った1品ということでお題が与えられて、それに基づいて制限時間内に自分で考案した料理を作り上げる。もちろんどういう料理を作るかは、何週間も前に事前に本人たちが練習に練習を重ね、その結果を番組内で披露する、という感じである。
プロの意地にかけても負けられない鉄人たち。
それぞれの勝敗は、
中華の鉄人
陳建一
鉄人在任期間…1993年10月 - 2002年1月
対戦成績…94戦68勝23敗3分 連勝記録19 勝率72.3%
フレンチの鉄人
二代目: 坂井宏行
鉄人在任期間…1994年2月 - 2002年1月
対戦成績…87戦70勝16敗1分 連勝記録8(3回達成) 勝率80.4%
和の鉄人
初代:道場六三郎
鉄人在任期間…1993年10月 - 1996年1月
対戦成績…39戦33勝5敗1分 連勝記録11 通算勝率84.6%(現役時代の勝率は87.1%)
だったそうである。
日本料理、中国料理などの枠を超えて、各ジャンルの鉄人が挑戦者を受けて戦う、異種格闘技をイメージして作られた料理バラエティで、手に汗を握る実況中継をした対決は、男性を中心に当時の若者に大ウケしたのだ。(その中の男性の1人でした。。笑笑)
海外へも遠征して注目され、アメリカで「アイアンシェフ」というタイトルの同種の番組が作られるなど、世界各国へも影響を与えた。
この中で、自分がじっさいその人のお店に行ってみたいな~と思ったのは。フレンチの鉄人の 坂井宏行さんのフレンチレストランだった。当時自分は若かったので、お洒落で高級なフランス料理に凝っていた時期でもあって、鉄人のお店で鉄人の料理を食べてみたいな~と憧れていた時期があった。でも結局、いまだに実現できていない。
結局、自分の人生に大きく関係してくるのは、中華の鉄人 陳建一さんの中華料理、赤坂四川飯店だった。
中華が大好き、やっぱり日本人の味覚に合う、喰った~という満足感があるのは、やはり中華料理である。そういう持論があって、自分は中華料理がほんとうに大好きである。自分に合っていると思う。
ヨーロッパで暮らしていたときも結局、ロンドンで毎日の朝昼晩のご飯として食べていたのは中華だった。毎日食べていた。(当時、あまり自炊していなくて外食ばかりであった。イギリス、ロンドンの食文化レベルであると、やはり中華になってしまうんだよね~。)
中華料理はほんとうに偉大で、ヨーロッパでは、どこの国に行ってもかならず中華料理のお店はかならずあった。だからヨーロッパのいろいろな国を旅行していると、食事難民になることはまずなかった。かならず中華があって助けてくれた。もちろんドイツ料理、フランス料理、オランダ料理、ベルギー料理、オーストリア料理も十二分に楽しんだけど、ここぞ!というときに腹いっぱい食べたいときは、やはり中華なんだよね~。日本人の味覚にもともと合っているのです、中華料理というのは。
そんな大好きな中華料理なのだが、それまではふつうに町中華とか、横浜の中華街、もしくはそれなりの中華料理屋さん、それこそ中華料理のレストランは無数にあるので、場所を選ばず、いろいろなところで楽しんでいたのだが、ある日、ふと中華料理の中でも四川料理に興味を持つようになった。
なかでも自分の中で、興味が湧いてしょうがなかったのが、四川麻婆豆腐である。
自分は中華を食べるときは、かならず麻婆豆腐と海老チリソースのこの2品はかならずオーダーするという自分の決まりごとがある。せっかく中華を食べるなら、この2品は絶対食べたいのだ。美味しんだもん。
とくに麻婆豆腐は大好きで、目がなかった。麻婆豆腐は美味しんだけど、自分のアンテナにビビッと反応してきたのが四川麻婆豆腐。とても辛い四川料理、そしてこれまたとても辛い四川麻婆豆腐。
とくにやられたのは、四川麻婆豆腐のあの写真である。自分がふだん食べていた麻婆豆腐はどちらかというとオレンジ色の日本人の舌に合わせたあまり辛くない日本風にアレンジした麻婆豆腐である。
でも四川麻婆豆腐はまさに中国四川省のオリジナル・元祖の麻婆豆腐。
写真を見ていても、ものすごく濃いブラック系統のどす黒いオレンジ色で、これはうまそうだ!さらには辛そうだ!一度食べてみたい~、と思ったのだ。
そういう食欲をそそるような写真であった。四川麻婆豆腐の写真というのは。
そして当時は、四川料理、そしてこの四川麻婆豆腐を日本ですごく宣伝していたのだ。そのブームに乗ったところがある。
その四川料理、四川麻婆豆腐を宣伝していた人が、赤坂四川飯店の陳建一さんだったのだ。陳建一さんこそが、四川料理、四川麻婆豆腐の代表的な存在、第一人者であった。
当時日本のテレビやマスコミで、大活躍していて、四川料理の日本への啓蒙に力を入れられておられた。自分は、料理の鉄人で中華の鉄人で、陳建一さんのことをよく知っていたので、とても親しみが湧いて、また外見も優しそうなので、すっかりファンになってしまい、よし!これは一度、赤坂四川飯店の陳建一さんのお店そのものに行ってみたい!そして本場の四川麻婆豆腐を食べてみたいと思ったのである。
料理の鉄人での中華の鉄人で、すっかり全国区になった陳建一さん。そのテレビ人気にも乗じて、陳さんのお店の赤坂四川飯店もすごい大繁盛ぶりだったそうである。テレビ効果ですね。そういう効果も相まって、尚更、自分の本業である四川料理の日本への啓蒙をそのブーム、波に乗せたところがあった。そのブームに乗っていっきに四川料理を宣伝しよう、というところもあったと思う。
自分が四川麻婆豆腐の存在を知って、胸ときめいたのも、その陳建一さんブームに乗ったところがあったことは確かである。
陳建一さんは日本に四川料理を広めた陳建民氏の長男。大学卒業後、料理の世界に入り、1990年に父の後を継いで赤坂四川飯店社長に就任した。93年にスタートした「料理の鉄人」では、〝中華の鉄人〟として出演。和の鉄人・道場六三郎さん、フレンチの鉄人・坂井宏行さんらとともに活躍した。
自分が陳建一さんを認識したのもこの料理の鉄人での中華の鉄人としてからだった。
陳建一さんは「料理の鉄人」で挑戦者に負けた最初の鉄人。そして生涯の負け数も他の鉄人と比べ一番負け数が多かった。女性料理人に連敗したこともあり、「女性に弱い鉄人」と呼ばれたこともあった。(笑)
陳建一さんは、インタビューでこんなことを語っている。
時を同じくして「料理の鉄人」もスタートしました。出演のお話をいただいた時、最初は断りました。でも段々と面白そうだなと思うように。だって原価計算しないで料理を作っていいだなんて夢みたいな話です。
約6年間で94戦68勝。19連勝という記録は作りましたが、鉄人の中では一番弱かったんです。忘れられないのはある若い女性の挑戦者に負けた時。悔しいやら情けないやらで、まっすぐ家に帰る気になれなくてねぇ。多摩川の河川敷で石ころを投げながらボーッとしていました。
人気番組の影響もあって店は大繁盛したけど、僕は怖くてしょうがなかった。スタッフに「これは俺達の実力じゃない、勘違いするなよ」と再三伝えていました。ですが鍋を振る回数が増えれば、その分、センスや技術は磨かれます。そういう意味では、自分にとっても、後進育成においてもいい経験となりました。『料理の鉄人』はいろんな意味で僕を成長させてくれた番組です。感謝しています。
今は息子の建太郎に3代目オーナーのバトンを渡して一安心しています。僕が父から教えられたのは「絶対に手を抜くな。愛のない料理を提供するなんてお客さんに失礼だ」ということ。僕が息子に伝えたのは「料理は愛情」ということだけです。
技術は勝手に覚えますからね。
これからも愛のある料理人を育てていきたい。それが自分の使命だと思っています。
中華が大好きだった自分。
そしてあの当時、なにより四川麻婆豆腐というのを食べたくて食べたくて仕方がなかったこと。四川麻婆豆腐こそが麻婆豆腐の元祖・オリジナル起源なのです、という宣伝。
当時、四川料理を日本に啓蒙する第一人者でもあった陳建一さん。その四川料理の中でも、陳建一さんがその最筆頭として宣伝のトップにあげていたのが、四川麻婆豆腐である。そんなこともあって、自分が、陳建一さんのお店である赤坂四川飯店を訪れるのはそんなに時間のかからないことであった。
初めて、赤坂四川飯店に行ったことを覚えている。
あとで、紹介するが、大変な高級店であった。ふつうの庶民の中華料理店とはひと味もふた味も違うレベルの高いお店であった。かと言って、お店の雰囲気や店員さんの態度は、ぜんぜん高級ぽくなくて極めて庶民的。ふつうの町中華と変わらないくらい庶民的でな~んだ、と拍子抜けするほど。
でも、自分がこの赤坂四川飯店が高級店だと思うのは、値段がべらぼうに高いことだ。もう1品、2千円~3千円なんて安い方だ。1品8千円とか1万円とかもざらにある。お値段が庶民感覚から離れすぎている!それくらいお高いお店だった。四川料理って原価率の問題もあって大変なのかもしれませんね。これくらいの値段設定でないと利益率があがらないのかもしれません。
自分は、こりゃ貧乏な自分には無理なお店だな~。と思った。1回行ったら、1回四川麻婆豆腐を体験出来たら、もう来ないだろうな、と思ってしまった。
初めて食する四川麻婆豆腐。
これは確かに辛かった。もう町中華、横浜中華街の麻婆豆腐とは全然別物。あまりに辛すぎて、そして辛いながらも味も独特のクセのある唐辛子の辛さや山椒のしびれるような刺激、そしてさまざまな香辛料や調味料などによる豊かな香りがして、正直なところ、自分はあまり美味しいとは思わなかった。なんか全部一皿食べる、完食するのがかなり苦しかった。
自分にはあの安っぽい日本人向けの味覚に合わせた甘いオレンジ色の麻婆豆腐のほうがいいな、と思った。自分はやはりおこちゃま向けなのだと思った。
これが四川麻婆豆腐か~という感じで、ほろ苦いデビューとなった。
四川麻婆豆腐とふつうの日本人向けにアレンジされた甘い麻婆豆腐ではもう全然世界が違うと思う。
レベルも全然違う。
四川麻婆豆腐は、やはり唐辛子、山椒、そして香辛料や調味料をすごくたくさん使っているな、という感じで、独特の辛さでクセのある味だった。最初は見事に完敗した自分であるが、不思議な現象に陥ることになる。
それは四川麻婆豆腐は、しばらくするとまた食べたくなる。。。そういう中毒性があるのだ。あの独特の香辛料の効いたクセのある辛さ。またどうしても食べたくなる。そういう再現性、中毒性がすごい。
あ~、食べたい!という感じになるのである。
赤坂四川飯店は、すごく高いお店なのだけれど、この四川麻婆豆腐を食べたいがために、ついつい通ってしまう。それを繰り返していると思う。気づけば通算5回は軽く通ってる。高いのに。。。
最初の敗北宣言から信じられない自分である。
お高くても、どうしても通ってしまう。
そういう魔力がある。赤坂四川飯店は。
何回目に通ったときかな~。あれはFacebookをやり始めた2013年頃だと思うのだけど、赤坂四川飯店に行ったときのこと。店員さんに、陳建一さんの大ファンでこのお店によく来ているんです。と言ったら、いま厨房に居るよ。あとで呼んであげるよ。いっしょに写真でも撮りな。とあっけなく仰る。
そしてこの赤坂四川飯店で、念願の陳建一さんとツーショットの写真を撮ってもらったのである。そのときの感動のつぶやきはFacebookに投稿した。
はじめて食べた四川麻婆豆腐美味しくて、その後クセになってよくここに通ってます。ありがとうございます。
そう!それはうれしいね。四川料理はほんとうにいろんな料理があるから、どんどん遠慮なくたくさん食べてって!
その後もなにげない会話をさせていただき、いい想い出です。
その陳建一さん、なんと!今年の3月に亡くなられたんですよね。死因は間質性肺炎でした。ショックだった。一時代が終わったな~という感じである。
四川麻婆豆腐をはじめとする四川料理の第一人者で、テレビの料理番組でも人気を集めた料理人、陳建一さんが亡くなられた。
四川料理をいかに日本に普及させていくか、という点では、陳建一さんのお父さんである陳建民さんが創業者。赤坂四川飯店を創業して、四川料理の日本への普及に尽力した。そういう意味では陳建民さんがパイオニアである。
でも料理の鉄人で、一躍日本でブームに乗って、四川料理、四川麻婆豆腐を日本に普及させたのは、やはり陳建一さんによるところが大きかったと思う。やはりテレビ、メディアの力にうまく便乗して、一気にメジャー級に知名度を上げたのが陳建一さんの功績だったのではないか。
自分の世代では、やはり四川料理、四川麻婆豆腐というと、陳建一さんという方程式になってしまう。
陳建一さんが亡くなられて、いまは長男の陳建太郎さんがあとを継いでいる。
赤坂四川飯店。
私達がご提供している四川料理は、北京料理、広東料理、上海料理とならび「中国四大料理」と称されるもののひとつです。肥沃な土地で育てられた豊富な食材を使い、唐辛子の辛さや山椒のしびれるような刺激、さらには酸味や香味をもたらす様々な調味料や香辛料を使うことで、深みのある味わいに仕上げてあるのが特徴です。
四川飯店グループの料理の数々は、創業者である陳建民の魂の産物です。先代の時代は、本場の料理を再現するための食材や調味料を入手することは、非常に困難でした。そこでさまざまな創意工夫をこらし、いくつもの名物料理が生まれました。私達はその精神を引き継ぎ、「もっと美味しい料理」を目指して日々知恵を絞っています。
陳建民は10歳の時に宜賓の「海清園」というソバ専門店に勤めて以来、料理の世界で生きていくことになる。料理を学び、作りながら雲南省、重慶、武漢、南京、上海、そして遂に大陸を離れて台湾、香港を経て、1952年に来日。各地をさすらってきた建民だが、その後、洋子ママと出会って結婚し、日本の地に根を張って四川料理を広めていく。
建民にとって妻の洋子ママの存在はとても大きい。本人はママを「神様がくれた宝もの」と呼ぶ。通訳、マネージャーとしても常に寄り添い、二人三脚で現在の四川飯店の礎を築いた。
建民のさすらい行程
●四川飯店の誕生
1958年秋、建民は現在の西新橋である東京・田村町に最初の四川飯店を創業(現在は閉店)。続いて、1960年に六本木の2号店、1970年に赤坂四川飯店をオープンし、さらに全国各地に店舗を展開していった。
「料理は愛情。愛情のない料理はダメよ」をモットーに、多くの後継者を育て、日本各地に四川料理を広めていった。また、1966年には恵比寿に料理学校を創立。建民が亡くなり閉校するまでの24年間で延べ15,000人以上の卒業生を輩出した。
昭和62年現代の名工。表彰直後の建民(右端)
こうした建民の料理人生から生まれ、今も四川飯店の味を守り伝えているのが、「建民川菜三十式」と呼ばれる三十の調理技法である。
建民川菜三十式
その後を継ぎ、陳建一が二代目オーナーシェフとして、フジテレビ「料理の鉄人」やNHK 「きょうの料理」などのテレビ出演を通して、四川料理を更に広めることになった。現在、全国に四川飯店・スーツァンレストラン陳・陳建一麻婆豆腐店など四川料理の魅力を伝える店舗を多数展開している。
建民と建一
2015年、陳建一の長男である陳建太郎が三代目として、そのバトンを受け取った。歴史に敬意を払って、伝統的な料理や技術をしっかりと継承していくことはもちろん大切なことである。しかし、その上で今以上にお客様に四川料理を楽しんでいただけるようにと、新たな要素も取り入れながら、これからの時代の四川飯店をスタッフと力を合わせて築いている最中である。
今年の3月に、自分に四川麻婆豆腐の魅力を教えてくれた陳建一さんが亡くなられたことをきっかけに、ぜひ赤坂四川飯店に伺おうとかねてより考えていた。それを先日実行してきた。これで通算6回目の赤坂四川飯店詣でである。
赤坂四川飯店は、永田町にある。国会議事堂とか参議院会館とかあるまさにあの永田町である。やはり政財界の大物など通う人もそれなりにグレードの高い方々なのであろうか・・・だからお値段も高いのか。。
四川飯店としては、本店の赤坂をはじめ、日本橋、池袋、松山、博多にある。
また、新しさを取り入れたモダンで革新的な四川料理レストラン ”スーツァンレストラン陳”としては、渋谷、名古屋。さらには、名物料理の麻婆豆腐と担々麺を中心としたカジュアルレストランとしては、”麻婆豆腐・担々麺専門”としては、高松、博多専門店、四川飯店麻婆豆腐代々木、木場、立川。
などいろいろ全国店舗展開しているようだ。
そういえば自分の記憶の中には、あの赤坂のサントリーホールの正面向かいにある森アークビルの中にも、昔、陳麻婆豆腐を食べさせてくれるお店がありました。現に自分は何回も通いましたです。美味しかった。いまは閉店になってしまいましたが。
赤坂四川飯店は、東京メトロ半蔵門線で永田町駅下車。4番出口が一番近い。交差点角にセブンイレブンがあるところが目印だ。ここを曲がってまっすぐ行くと左折したところにある。
ただ、赤坂四川飯店っていかにも中華料理のお店という感じではなく、全国旅館会館という建物の中の5F/6Fにあるんですよね。5Fは宴会会場なので、実質6Fになる。
だからふつうの中華料理のお店、レストランと思うとまず見当たらない。
それ風の中華風の雰囲気も全くない。
全国旅館会館。
たしかに近くにこういう看板があるので、あ~ここだ、ということはわかる。
でもじゃあどっから入るのかな?というのはかなり悩むと思う。
上の全国旅館会館の中にまず入って(そこに気づくまですごい時間がかかると思う。。笑笑。看板はあるのに、入り口はどこ?ってかなり悩むと思う。)その中でエレベーターで6Fまで上がるのだ。
赤坂四川飯店
劇混みなので、予約はしていったほうがいいだろう。自分は予約なしだったので、正味30分くらいかな、待ちました。
待つスペースもきちんとこんな感じですごい高級感あります。さすが赤坂の高級店です。
創業者:陳建民(本名:東建民)と二代目:陳建一さん(本名:東建一さん)の賞状が飾られていました。
まさに超高級な中華料理店。日本で四川料理を啓蒙してきたパイオニアのお店である赤坂四川飯店は、こんな感じの店内です。
自分はこのおひとり様席で・・・
ほんとうに超高級店なのだけど、お客さんの客層とか、店員さんのスタッフとかほんとうにざっくばらんな庶民気質な語り口。さっぱりしていて、まるで町中華にいるみたい。ほんとうに拍子抜けします。要は1品1品の値段が信じられないくらいバカ高いだけです。(笑)
自分は中華を食べるときは、かならず麻婆豆腐と海老チリソースは頼みます。
ではこの日食べたメニューを1品ごとに紹介していきますね。
四川名物”よだれ鶏” 2,700円 高い!
これははじめての経験でしたが、せっかく四川飯店に来たならば、ふつうの町中華では食べられないようなメニューが食べたいな、と思いオーダーしたものでした。前菜というにはボリュームがあるし、メインというのもどうか、という感じで。鶏肉です。全体にかかっているのが特製タレなのでしょうね。これは甘酸っぱい、基本ちょっと甘めなじつに珍味というか手の込んだタレだな、と思いました。このタレにじっくり漬け込んでいる鶏肉の切り身を食べるという感じです。鶏肉は蒸しているボイルされた鶏肉です。これはすごく美味しかったです~。かなり珍味と言うか珍しい経験したことのないようなメニューでした。
海老のチリソース 3,000円 高い!!
中華料理屋さんに入ったらかならず頼むエビチリ。昔から疑問に思っていたことがあって、エビチリって他のメニューと比較してダントツにお値段がすごい高いですよね。これはなぜなのだろう?と昔から疑問でした。
もう数多のエビチリを食べてきた自分にとって赤坂四川飯店の海老のチリソースは、もうグレードが全然違う超高級品でした。それはエビのプッリプリのところもそうですが、なによりもそのチリソースのかなり手の込んだ非常に濃厚なソースです。このチリソースがもうそこら辺の中華屋さんとはもう別次元で違います。超高級です。庶民的なものはもっとソースがつるつるしていてオレンジ色で薄っぺらい感じがするのですが、ここのはソースがつぶつぶ状でとても濃い橙色で、とろみがすごく、かなりいろいろな味を組み合わせた複雑で濃厚なソースです。非常に高級な味がします。
うわぁぁ~これはクオリティがすごい高い、と思いましたから。こんな美味しいエビチリはちょっと食べたことないです。この日食べたメニューの中では、この海老のチリソースがいちばん最高だと思いました。
五目チャーハン 1,500円 高い!!!
この日は1か月に1回のブルーな儀式、血糖値検査があった日でした。HbA1cが過去最高の良値を叩き出したこともあって、この日は大いに羽目を外してもいいです。糖質制限でふだんはあまりとらない糖質、ご飯類ですが、この日はガッツリ食べたかったので逝きました。まさにチャーハンは中華の王道。パラパラで美味しかったです。
四川飯店伝統の麻婆豆腐 2,000円 高い!!!!
まさに四川飯店に来たら、これは絶対頼まないといけないでしょう!
まさにキング・オブ・四川飯店ともいうべきメニューです。
自分もこれを食べたかったから赤坂四川飯店まで通おうと思ったのです。
辛いよね~。ほんとうに辛い。そして独特の味。あのオレンジ色の甘い日本人向けのおこちゃま麻婆豆腐とは月とスッポンの違いです。
これぞ四川麻婆豆腐。
唐辛子、山椒、そして香辛料や調味料をふんだんに使っているまさにこれぞ四川料理という代表。
辛い~。そしてクセになるウマさ。
でも四川麻婆豆腐を食べるといつもそうなのですが、全部一気に喰うのはかなりツライ。ちょっと一皿は厳しいな、といつもそう思う。いつも半分くらい食べるとギブしたくなってしまうんですよね。(笑)それくらい辛いし、クセがある。
でも、数日、数か月するとまた食べたくなるんですよね。
美味しかったです。
最高でした。
烏龍茶も頼んで、この4品で、軽く福沢諭吉さんが飛んでいきました~~~。(笑)
やっぱり貧乏人にはなかなかハードルが高いお店ではあります。
でも、今年、陳建一さんが亡くなられて、ぜひ今年中に1回はかならず来たいと思っていたので、とても満足です。
また来たいと思います。
2023-09-21 17:57
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