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新宿中村屋 [グルメ]

小田急新百合ヶ丘に会社寮があったときは、そのまま小田急に乗って、新宿まで出ることが多かった。通勤では、下北沢で井の頭線に乗り換えて、そのまま渋谷まででて、そこから山手線で品川、大崎、五反田である。でも休日は、やはり小田急でそのまま新宿に出ることが圧倒的だった。


新宿は、自分の遊びのスポットであった。

新宿にはじつに濃厚な想い出がある。

渋谷じゃないんだよね。あの頃は新宿だった。


以前お話したと思うのだけど、新宿のどこで遊ぶというかぶらぶら歩くか、というと2通りある。新宿西口と新宿東口である。


新宿西口はいぜん紹介したと思う。

高層ビルがそびえ立っているエリアである。


ここには、夜、よく彼女とのデートスポットであった。夜の高層ビルエリアは、都会的なセンス、雰囲気が漂っていて、じつに格好よかった。


で、ふだん土日の休日はどこで遊ぶかというと新宿東口のエリアだった。自分にとって、新宿と言ったら、もうそのまま新宿東口のエリアのことと言っていい。新宿というと、すぐにあの東口エリア界隈のことを思い出すほど、愛着がある。隅々までよく歩いていてよく知っていたな~。


大人になってから、新宿や渋谷には行かなくなった。新宿、渋谷は若者の街ですね。あの人混み、雑多な広告看板、あのごちゃっとした感覚。もう大人にはキツ過ぎる。


やはりいまは赤坂とか大人の高級な街のほうがいいです。


新宿東口は、あの紀伊国屋書店がある新宿通りがいちばん想い出が多い。新宿と言ったら、まずあの新宿通りのあの風景のことを思い出してしまう。そして新宿通りからさらに1本中に入ったりすると、またいろいろなエリアが広がっていて面白かった。歌舞伎町は含まない。歌舞伎町もよく歩いたけど、あそこはご存じのように猥雑な感じで、あまり好きではなかった。でも歩いてよく知っています。(笑)


そんな中で、紀伊国屋書店のある新宿通りにある”新宿中村屋”というカレー店に超ひさしぶりに行ってみたいと思った。新宿といえば、新宿中村屋というくらいカレーが有名なところで、ここはよく立ち寄って食べていた。あの店内の様子は、いまだに克明に頭の中に刻み込まれていて忘れられない。カレーと言ってもふつうのカレーではなく、カレーの元祖、インドのカレーを食べさせてくれるお店ということで有名であった。


自分にとって、新宿といえば、あの新宿中村屋でカレーを食べているシーンを絶対思い出してしまう。それだけ頻繁であった。


ひさしぶりにどうなっているかな~。新宿中村屋のインドカレーってどんなカレーだったっけ?どんな味だったっけ?


カレー大好き少年である自分は、急に食べたくなり、超久しぶりに新宿中村屋行ってみよう、ということになった。



新宿中村屋は、紀伊国屋書店の斜め向かい側にあったはず。


たしか、ここだったよな~。


ところが自分のイメージにあった新宿中村屋がない。そのかわり、新しいビルで、新宿中村屋というビルそのものが存在していた。


新宿中村屋本店から、新宿中村屋ビルへ。


あれ~~~。建て直したのか~。リニューアルしたのか~~。

そりゃそうだよな。あれからすごい年月が経つ。


ネットで調べてみると、老朽化を原因に旧新宿中村屋本店は閉業になっていた。2011年の頃だ。新宿中村屋本店は、ビル老朽化に伴い建て替え工事を行うため、2011年の10月19日の営業で休業に入る、とある。再開は2014年だ。ということは、自分は新宿中村屋にもう12年以上も行ってなかったんですね。(笑)ご無沙汰しておりました。


ネットで自分がお世話になっていた頃の新宿中村屋の写真を探してみた。


ありました!!!そうです。ここです!まさしくこの建物です。

懐かしいな~。店内の様子もよく覚えていますよ。


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2011年の閉店の最後のときは、ファンが集まって大変な賑わいだったそう。


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そして、自分が今回行ったときに、あらたにお目見えしていた新しい新宿中村屋は、こんな感じでした。もうビルそのものが新宿中村屋ビルでした。


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最新鋭のカッコいいビルで、各フロアにいろいろな新宿中村屋のいろいろモールが存在している感じですね。


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ここで長年に渡って、新宿中村屋に対して大きな誤解をしていたこと気づく。というか、新宿中村屋に対してきちんとした知識、理解がなかった。単にインドカリーのお店としか認識がなかったのだけれど、ビジネスの本流はそこではなかった。今回日記を書くにつれて、新宿中村屋について調べてみたところ、ようやく真の姿を理解できた。長年に渡って誤解をしていたようだ。すみません。



1901(明治34)年にパン店として本郷に創業した新宿中村屋。1909(明治42)年に現在の新宿に移転し、クリームパンの考案や、中華まんじゅう、月餅、水ようかんの缶詰など、独創的な商品を世に送り出してきた。中でも、日本に亡命し同店がかくまったインドの独立運動家が、1927年(昭和2)年に作った「純印度式カリー」は多くの文化人・著名人にも愛され、現在も同店の看板メニューとして人気を博す。



新宿中村屋は、明治34年創業の老舗食品メーカー。現在は全国の駅ビルや百貨店などの直営店で、お菓子などを中心に販売している。


NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場した川村屋は、新宿中村屋がモデルなのではないかと話題になったのを覚えている方もいるのでは?また2020年6月には、アド街ック天国の「東京でカレーのおいしい街ランキング」内で新宿は第2位となり、その中で新宿中村屋が取り上げられた。


●新宿中村屋の歴史


新宿中村屋のはじまりは、東大の正門前で営業していた「中村屋パン」というパン屋さんであった。創業者は相馬愛蔵・黒光夫妻。菓子パンの定番「クリームパン」は、新宿中村屋の創業者夫妻が、シュークリームをヒントに編み出したものなのだそう。


クリームパンの生みの親だったとは驚きですね。


独創的なパンを次々考案する中村屋パンの売り上げは好調であった。しかし当時売上高を少なく申告することは商売人の常識だったなか、正直な2人は売上高をごまかすことなく伝えていたため、莫大な税金に苦しめられることに。


そこでさらなる売り上げアップを目指し支店を出すことにした。白羽の矢が立ったのが、現在の新宿あたりだったといいます。その当時新宿付近はみすぼらしい街でしたが、愛蔵は将来性があると感じたのだそう。現在の新宿の様子を見ると、その目論見は当たっていたことになりますね。


新宿中村屋が新宿に支店をオープンさせたのが明治40年。かなりの売り上げを達成し、新宿支店は現在の新宿中村屋の場所へと移転しました。この移転がきっかけで、新宿中村屋は和菓子の販売に乗り出すことになったのです。


お客様に選ばれる和菓子を作るため、手始めに上質なもち米を使用した賃餅をリーズナブルな価格で販売。これによりもともとの中村屋のお客様に「中村屋の和菓子は上質だ」と印象付けることに成功し、和菓子の販売はうまくいきました。


新宿中村屋が洋菓子を手がけるようになったのは大正9年。次の年にはロシアパンの製造も手がけるようになりました。このころの日本は食文化が様変わりし、洋食屋洋菓子が広がりつつあったのです。


新宿中村屋は大正12年、さらに業績を伸ばし株式会社となりました。この頃から新宿も大きく様変わりし、百貨店や大型店が次々進出するように。客足はこういった大型店にとられ、小売業者は打撃を受けたと言います。


こうした状況を打破するため、純喫茶のオープン、営業時間の延長、腕のある技術者をやとうなど新宿中村屋は新たな策を次々打ち出しました。昭和2年には現在でも新宿中村屋を代表する商品「純印度式カリー」「月餅」「中華まん」を開発。こうした策が功を奏し、新宿中村屋はさらに売り上げを伸ばすことに成功したのです。


昭和23年、ビルを直して営業再開にこぎつけ、その後従業員たちの奮闘もあり、新宿中村屋は復活を遂げました。どんどん業績を伸ばす新宿中村屋は、徐々に全国に販路を広げていきました。


大阪で開かれた万国博覧会への出店を機に、新宿中村屋の知名度はさらに上昇。創業者夫妻をモチーフとしたテレビドラマや小説もできるほど注目度は大きかったそうです。


●純インド式カリー(純印度式カリー)誕生秘話


新宿中村屋が「純インド式カリー」を生み出したのは1927年のこと。新宿中村屋本店のキャッチフレーズ「恋と革命の味」が生まれたのもこれがきっかけだったと言います。純インド式カリーの販売が始まった6月21日は、恋と革命のインドカリーの日としているのだそう。遊び心があって素敵ですね。


現在ではどこでも食べられるインド式カリーですが、その当時まだ日本ではかなり珍しかったそうです。ではなぜ新宿中村屋で、純インド式カリーの販売に至ったのでしょうか?


それは創業者夫妻の娘がインドの独立運動家であるラス・ビハリ・ボース氏と結婚したことがきっかけだったのだそう。愛蔵氏も本物を提供することにこだわりました。しかしその当時、なかなか納得のいく食材が手に入らなかったといいます。そこで愛蔵氏は自社の養鶏場や牧場を作り、自分たちの手で納得のいく食材を揃えたのだそうです。こうした努力が実り、純インド式カリーは現在でも愛される新宿中村屋の代表メニューとなったのです。



当時日本に広まっていたのは小麦粉を使った欧風タイプのカレーです。ところが、ボースが作ったのは本場インドのカリー。お米はインディカ米を使用し、スパイスの強烈な香りが漂います。またお肉も日本人が見慣れない骨付きのゴロっとした大きな鶏肉。その異国の料理に日本人は初め戸惑いを隠せませんでした。そこで相馬夫妻はお米をインディカ米のようにソースが浸透し、なおかつジャポニカ米のようにモチモチ感がある白目米にします。しばらくするとお客さまが骨付き肉やスパイスの香りにも慣れ、次第に売り上げが伸びていくようになりました。当時、町の洋食屋のカレーが10銭から12銭程度でしたが、中村屋のカリーは80銭。それにも関わらず飛ぶように売れたそうです。


こうして、純印度式カリーは中村屋の名物料理になりました。そこにはボースの、相馬家との出会いと、祖国に対する愛情があったのです。



情報引用元


長く親しまれる老舗「新宿中村屋」の愛される秘密を大公開(スイーツビレッジ)



そうだったのか~~~。いまようやく知るその真実。新宿中村屋というのはもともとはお菓子屋さんだったんですね。クリームパンの発明、中華まんじゅう、月餅、水ようかんの缶詰・・・もともとはお菓子屋さんなのです。


新宿中村屋は、和菓子、洋菓子、菓子パン、中華まん、レトルト・缶詰のカレーなどを製造販売しているほか、いわゆるデパ地下やショッピングセンターなどで菓子店と(直営店15店)、レストラン(直営店10店)を営業している。また、関東で販売される中華まんのシェアトップを占めており、コンビニエンスストア向け業務用食品にも商品を持つ。2019年(平成31年)3月期の売上比率は、菓子事業76%、食品事業22.5%、賃貸事業1.5%である。


・・・との正式紹介文です。


新宿中村屋の原点ってここだったんですね。しかもお菓子類にしても日本では発明者、パイオニア的存在だったのです。しかも明治からとか、大正からとかハンパではないくらいのパイオニア的存在。


インド式カリーは、あくまでついでだったんですね。(笑)

でも純インド式カリー(純印度式カリー)は、サブビジネスであるにも関わらず、新宿中村屋の代表メニューにまでなってしまったのです。


自分の昔の記憶にある新宿中村屋本店の店内を思い出してみました。確かに店内は、レストランというよりは、喫茶店という趣で、ガラス張りで外の通りから中の喫茶コーナーが丸見えで、外を歩いているとあ~こんなところに素敵なカフェが!と思ってしまうのです。それだけ目立っていました。コーヒー、紅茶、ケーキなどの軽食もメニューに豊富だったです。というか、喫茶メニューのほうがメインメニューの扱いでした。そのメニューの中に、サブとして純インド式カリー(純印度式カリー)があったのです。


そういえばだんだん思い出してきました。自分は当時新宿中村屋をインドカリーを食べるだけではなく、単に新宿東口エリアを歩いていて疲れたから、ちょっとひと休み、というカフェ的な感じで利用していたのでした。間違いない。だからふつうにアイスコーヒーとケーキだけとかそういう場合も多かったです。物販コーナーの中に、ちょっと無理やりスペースをこしらえた喫茶店という感じで、自分はほんとうによく利用していたのです。


ショーウインドウでの物販コーナーもありました。それが新宿中村屋のお菓子類だったんですね。


ようやくほどけかかっていた記憶の糸がむずびあってきました。


でも人生の長年に渡って、純インド式カリー、インド式カリーの元祖を食べたいのなら、新宿中村屋・・・とずっと頭に中に刻まれていたのです。そういうイメージのほうが圧倒的でした。店内が単なる喫茶店の装いというのは、この日記を書くときに、頭の中にだんだんと蘇ってきました。



大正末、百貨店の新宿進出に中村屋は少なからず脅威を感じていました。また、お客さまから「買い物の時一休みできる場所を設けてほしい」とのご要望を以前からいただいていました。そこで創業者相馬愛蔵は喫茶の開設を検討。しかし喫茶のようなていねいなお客扱いは容易にはできないだろうと尻込みしてしまいます。ボースは祖国インドの味を伝えるため、「喫茶部を作るならインドカリーをメニューに加えよう」と提案しました。そして1927(昭和2)年6月12日、喫茶部(レストラン)を開設。同時に、純印度式カリーが発売されました。


・・・とのことですから、自分の利用理由とまったく同じですね。新宿東口エリアのあの新宿通りで、買い物ついでにひと休みしたいとかならず思うので、そういうときに、あそこの新宿中村屋本店の喫茶店はすごくいい場所にあって、ものすごく目立つので、ついついスルスルと入ってしまうものなのです。





新しく新宿中村屋ビルというビルそのものが新宿中村屋になって現在。B1FとB2Fに自分が目指すお店がありました。


B1Fには、ボンナというスイーツ&デリカ専門のショップがありました。

ちょっと覗いてみることに。


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自分はこの日の取材当時は、新宿中村屋はインドカリーのお店という徹底的な思い込みがあったので、なんでスイーツなんて手広くビジネスを拡げているのだろう、と不思議でした。儲かっているんだな、というレベルで。


インドカリーのレトルトはもちろんスパイス系や調味料、そしてスイーツ、なんとワインも揃えている感じで、女性に人気が出そうなスポットだなと思いました。なかなか素敵でしょう?


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そして自分の本命。純インド式カリー(純印度式カリー)を食べるために、今度はB2Fのマンナというレストラン&カフェに入ります。


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ここはレストラン&カフェという広い括りなので、純インド式カリーだけじゃないです。いろいろな料理が食べれると思います。ちょっとこの日は他のメニューは確認しませんでしたけど。。。麻婆豆腐やボルシチ、中華料理など、国際色豊かな名物メニューがたくさんあるようです。


自分が在りし日の新宿中村屋本店のことを思い出すと、お菓子ショップのところに無理やりスペースをこじ開けて、喫茶店を無理やり作って、そこで、喫茶メニューのほかに、サブとして純インド式カリーを提供していた時代を思い起こしますと、いま現在はこんなゴージャスな店内。ものすごい進化としか言いようがないです。


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自分はもちろん迷うことなく、純インド式カリー(純印度式カリー)をオーダーします。


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ご飯を白目米にしました。幻の米”白目米”です。


白目米は江戸時代、美食家や一流料亭、徳川家などが好んで食していた最高級米です。昭和13年頃までにインドカリーに用いておりましたが、作付け量の少ない白目米は栽培されなくなり、幻の米となったのです。中村屋では平成8年にインドカリー誕生70周年を記念し幻の米となっていた白目米を、総料理長の二宮が2年間かけ、半世紀ぶりに復活させ、農林水産大賞も受容しました。幻の米”白目米”の特徴としては、小粒でべとつかず、カリーソースをかけると平均して浸透し、一粒一粒によく絡まり、インドカリーの味を引き立てるお米だそうです。


新宿中村屋では、期間限定で白目米をサービスしていましたので、そりゃ大変!いまのうちに味わったみなければ!と思い、白目米にしました。


純インド式カリー(純印度式カリー)。もう何年ぶり?ざっと軽くみても10年以上ぶり?


やっぱり元祖のインドカリー。よこすか海軍カレーもそうだったけど、初めて日本に来日したカレーの味と言うのは、得てして現代人好みのコクのある濃いカレーか、というとそうでもないんですよね。元祖のカレーというのは意外にさっぱりしていて、かなり淡白な味で、いかにも昔のカレーという感じです。


ぜんぜん辛くない。まったく辛くない。なんかでんぷん多めのいかにもカレーを一般人が食し始めたときに出回ったカレーらしい素朴であっさりしたカレーでございました。これはやはり昔のカレーだよな~という感じがしました。


甘みがあるかな。超高級米の白目米と合わせると、これはこれは、大層高級な上品なカレーでございました。非常に淡白ではありますが。骨付きの鶏肉が美味しいですね。現代普及しているカレーとはまったく別次元のひと味もふた味も違う純印度式カリー。現代のカレーとは同じ土俵上、ものさしでは語れない独特の美味しさがありました。非常に美味しいカレーだと思います。まさに日本で最初にインドのカレーを紹介した新宿中村屋のカレーはぜひ食べておかないといけないカレーだと思います。




10年以上前、いやそれより遥かに若かった社会人スタートの青春時代に、新宿の街を遊びのエリアとして活動していた時代。新宿通りを歩いているときに、ちょっとひと休みしたいと思うときに、とても目立つ休憩場所だった新宿中村屋の喫茶コーナー。そこで何回も食べた純印度式カリー。こんな味だったかな~とちょっと思い出せない感じではありました。でもこういう味だったんでしょう。メニューに登場して以来味は変わってないと思います。



素人の自分の味覚がいかにあてにならないか(笑)、は以下の「新宿中村屋」料理長の石崎厳さんの純印度式カリーの秘訣のコメントであきらかである。いかに純印度式カリーが手の込んだ高級料理のカリーなのかが分かる、というものだ。


それを紹介して終わりとしよう。


――カリーの素材は、それぞれどんなこだわりがありますか


石崎:「まずはタマネギ。兵庫県淡路島・丹後地方で栽培された肉厚な大玉のタマネギを、1人前1個(約300g)ほど使用し、バターでアメ色になるまで炒めます。次に加えるのは、骨付きの鶏。お客様から『どこの部位を使っているの?』と聞かれることも多いのですが、もも肉もむね肉も、1羽丸ごと使っています。誕生当時から鶏肉の質にはとくにこだわり、一時期は自社で養鶏場も持っていたほど。現在は、飼料や飼育日数、環境などまで指定した契約農家から仕入れています。それから、小麦粉を使わずにとろみを出すために重要なのが、自家製のヨーグルトとゼラチン質が豊富な鶏からとったブイヨン。カリーに自然なとろみとコクを与えてくれます」



――スパイスにも、おいしさの秘密がありそうです。


石崎:「使用するスパイスは計20数種類で、2回に分けて加えます。1回目は、肉を炒めるとき。挽き方や配合の異なる2種類のカリー粉をブレンドして加えるのですが、このうち1種類は、発売当時からボース氏より受け継いできたカリー粉を使っています。2回目は、煮込み終わった後に、液体状の“煎じマサラ”を加えます。煎じマサラは、当時ボース氏が黒っぽい液体を加えていた、という見聞をもとに、のちのシェフが考案したもの。6~7種類のスパイスを1時間ほどかけて抽出しています。これを仕上げに加えることで、スパイスの香りがさらに引き立ちます」


石崎:「『新宿中村屋』では、カリーを長時間煮込んだり、一晩寝かせたりすることはしません。煮込みすぎると鶏肉がかたくなってしまいますし、スパイスの香りも飛んでしまうので、完成したカリーはその日のうちに提供します。お客様に一番いい状態で召し上がっていただくために、一度に作るのではなく、毎日100~150人分を数回に分けて仕込んでいます。それから、提供温度もしっかりと管理しています。ソースポットとお皿は事前に温めておき、カリーとライスも温度管理してお出しします」



――豊富な薬味がつくのも特徴的ですね。


石崎:「発売当時の写真を見ると、薬味はそこまでついていませんが、戦前からチャツネは添えられていたようです。現在は、キュウリの酢漬け「アグレッツィ」と、らっきょうとオニオンチャツネ、マンゴーチャツネ、レモンチャツネ、粉チーズを添えています。薬味の使い方は人それぞれで、お皿の縁に全種類並べて少しずつかける人もいますし、最初から全部のせて混ぜて食べる人もいます。段階的にいろいろな味が楽しめるのも、お客様に喜ばれています」




――伝統の味を守り抜くには、どんな苦労がありましたか?


石崎:「カリーのスパイスは、最初はインドから取り寄せていたようですが、戦中、戦後は手に入らない時代もあったようです。その時には、ボース氏とともに日本でインド独立運動をしていた友人が、『新宿中村屋』のためにカレー粉をブレンドして持ってきてくれたそうです」



石崎:「また、長い歴史のなかでは、手に入らなくなってしまった素材もあり、時代に応じてどう素材を選び、味を伝えていくかが大切だと感じています。『新宿中村屋』の味は、支えてくれる農家さんや業者さんがあってこそ守られているもの。たとえば付け合わせの「アグレッツィ」に使っている小さなキュウリは、たった1日収穫が遅れただけで大きくなってしまうため朝晩2回収穫する必要があり、作ってくれる農家さんが減少しています。また、創業当初インディカ米に代わって採用した「白目米」も、収量が少ないため戦後は幻の米として手に入らなくなってしまいました。インドカリー発売70周年の際に、もう一度お客様に食べていただきたいと栽培をスタートし、1998(平成10)年からは限定的にですがお客様にご提供できるようになりました」








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