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川崎大師 風鈴市 2023 [寺院・仏閣]

毎日暑いですね~。連日36度の猛暑ですよ。


今年も川崎大師では、夏の風物詩である”風鈴市”が開催されます。

7月17日(月)~23日(日)の7日間。


コロナ禍である2020年は開催中止。2年ぶりの開催の2021年、自分ははじめて川崎大師風鈴市に参加してみた。でもこのときはコロナ感染症対策のため川崎大師境内での風鈴販売は行なわず、仲見世にある協力店舗に風鈴を飾って販売するという異例の措置であった。


本当の風鈴市というのは、川崎大師境内の中に大きなテントを張って、その中で全国の風鈴をいっせいに販売する、いわゆる境内内に特設会場をつくる、そういうスタイルなのだそうだ。


自分は川崎大師風鈴市は、2021年に初めて存在を知ったので、そのコロナ対策用の風鈴市しか知らなく、本来の姿の風鈴市を知らないのだ。去年の2022年も行ってみたが、やはり店舗内のみでの販売であった。


今年の川崎大師風鈴市2023


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ついに4年ぶりに、もとのオリジナルの姿に戻すという。

つまり川崎大師境内内で、大きなテントを張って、境内内特設会場で、全国の風鈴を販売する、そういうスタイルを拝見できるのだ。これはぜひいかなきゃ!と思い、開催初日の7月17日に行ってきた。



川崎大師風鈴市


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川崎大師の境内に、全国各地から約800種類・2万個の風鈴が集結。

川崎大師オリジナルの『厄除だるま風鈴』をはじめ、金属、陶磁器、ガラスなどの各種風鈴が販売される。


川崎大師オリジナルの『厄除だるま風鈴』は、こうやってひとつひとつ職人さんが作っていくんですね。


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そして、その『厄除だるま風鈴』ひとつひとつに、ご住職さんがご本尊でご祈祷してくださいます。大護摩と同じです。


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これが川崎大師オリジナルの『厄除だるま風鈴』です。


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また、石・炭・金・銀などを素材とする珍しい風鈴や、かわいいキャラクター型の風鈴も並び、さまざまな風鈴が涼を奏でます。


古くなった風鈴を納める「風鈴納め所」も境内に設置します。風鈴市の期間だけ授与される「厄除開運だるま風鈴守」も例年人気があります。


風鈴市が始まりますよ~という”風鈴市開会式法楽”です。


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全国各地の風鈴が一堂に勢ぞろい。

福岡の博多風鈴、佐賀の有田焼風鈴、同じく佐賀県の伊万里焼風鈴・・・


風鈴って、ほんとうに全国の各都道府県でそれぞれ違うものなんですね。


この川崎大師風鈴市。


主催は川崎大師観光協会がやっています。


協賛として


大本山 川崎大師平間寺

川崎大師表参道商業協同組合

京浜急行電鉄株式会社

川崎大師仲見世通会


ですね。


川崎大師風鈴市は、やはり風鈴のあのちんちろりんという音色がなんともいえない涼を奏でるというか、ほんとうにあの音色は癒されますね。


どんなに暑くても、あの清涼感のある音色を聴くと、涼しく感じるから不思議です。ヒーリング、癒し効果のある音色だと思います。


自分が行ったのは、川崎大師風鈴市2023の初日、7月17日(月:祝日)でした。この日は、残念ながら無風に近くてほとんど風がなくて、あの風鈴のちりんちりんという音色がほとんど聴けなかったです。境内内のテントでは、さすがに音がしないのではまずいだろう、ということで、扇風機を回していました。(笑)苦労しているんですね~。


では川崎大師風鈴市2023の様子です。

この日は雲ひとつない快晴。気温36度の酷暑。無風で風がなかったです。(風鈴があまり鳴っていない。)


川崎大師の仲見世通り。


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店舗間をこうやって糸で結び、ここに風鈴を結び付けて、宙に飾ります。


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各店舗では、全国各地の風鈴を置いてくれています。


ここは従来通りですね。この店舗に飾るスタイルは、ひょっとしたらコロナ前はなくて、コロナ禍になって、このスタイルになったのかもしれませんが、コロナ明けになっても、このスタイルは残しましょう、という配慮なのでしょうかね?もとのスタイルに戻る今年でも、各店舗には、風鈴が飾られていました。


美しいですよね~。

仲見世通りのお店は達磨屋さんが多いので、だるまのあの赤い色と、この風鈴の色が妙に保護色的にマッチングしていて、すごく鮮やかな鮮烈な色調をわれわれに印象付けます。


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ここまではコロナ禍のときの開催と同じとして、ここからが本番です。

川崎大師境内内でテントで売られている本来のスタイルを拝見します。


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風鈴の吊るし方ですが、こういう感じで竹で碁盤の目状を作るやり方が多かったです。そこに風鈴をぶら下げていく感じです。


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テントの中で飾られているほかに、このように正方形の形で棒柱を組んで飾られている場合もありました。


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川崎大師ご本尊さまの厄除弘法大師をはじめ、不動明王や愛染明王などの諸仏が奉安されている大本堂です。お参り、祈願してきました。


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ここにも風鈴が飾られています。


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川崎大師風鈴市、しかと目に焼き付けてきました。境内内の特設会場での全国の風鈴、とても圧倒されました。確かにこの人の賑やかさですと、コロナのときはアウトだな~とは思いました。


また復活できてよかったです。


ここが風鈴納め所で、風鈴を納めるところです。

ふつうにゴミ箱に捨てちゃ罰が当たりますね。(笑)きちんと専用の納め所があるのです。

1年に1回なんですね。


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そして納め風鈴法楽が行われます。

風鈴のご供養を行うのです。


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川崎大師風鈴市2023。7月17日(月)~23日(日)までやってます。

ぜひ行かれてみてください。



さて、川崎大師に来たら、仲見世通りでどうしても寄らないといけないお店があります。


住吉さんの久寿餅です。

住吉さんといえば、川崎大師の市内に複数軒ありますが、やはりここ山門前でいただくのが王道ですね。


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「住吉」は、大正六年に創業、 以来一〇〇余年山門前で、 お大師様とともに歩んで参りました。 添加物は一切使用せず 厳選した素材と妥協なき職人の技で 伝統の味を守り続けております。古来より浄化や厄を払うという意味を持つ三角の形、その名の通り縁起の良い久寿餅が皆様へ倖せを運ぶよう当店の想いを黄色の包に重ねております。久寿餅をはじめ、お土産に好適な和菓子の数々を取り揃えて皆様のお越しを心よりお待ちしております。


山門前住吉 五代目当主


・・・でございます。


お土産用、持ち帰り用の販売だけでなく、実際食べていける甘味処もあるのです。


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天井には、これまた風鈴が飾られております。


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商売繁盛を祈願して、たくさんの方からの川崎大師の大護摩の木札が寄せられています。達磨もあります。


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さっそく、ここで久寿餅と抹茶のセットをいただきました。


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美味しんだけど、これは久寿餅を食べるたびに遭遇することなんですが、久寿餅にまぶしてあるきな粉のような粉末状のもの。これに甘みのあるあんみつがかかっているのですが、この粉末状のものを口に入れると蒸せるんですよね。(笑)ゴホゴホという感じで。粉末だからぜったいそうなってしまいます。


久寿餅って食べ方が難しいんですよね。長年に渡って食していますが、いまだに上手に食べれません。今回もゴホゴホ咳き込んでしまいました。


でも美味しかったです。


あと、川崎大師に来たら、必ず寄るスポットがあります。

それがこの奈良漬けの町田屋さんです。


奈良漬専門店、大正6年(1917年)、川崎大師の仲見世商店街に創業した老舗漬物屋「町田屋」さん。


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奈良漬け美味しいですよね~。

由来は、江戸の川崎宿までに遡ります。

東海道の宿場町であった川崎宿。


江戸期の大人気の滑稽本、東海道中膝栗毛で茶屋の万年屋で弥次さん、喜多さんが食べたことで有名になった奈良茶飯。この奈良茶飯に奈良漬けもついていて、この本のこの描写で、江戸期ではすっかり大人気になった。去年日記で盛り上がりましたよね~。(笑)


そこから伝統を受け継いでいる奈良漬け屋さんなのです。この町田屋さんというところは。



この「町田屋」さん店舗の奥に創業100周年記念事業として新飲食スペース・和カフェ「小さな奇跡の店 川崎大師松山」があるのです。


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本当に町田屋さんのお漬物がたくさん売っている商品陳列棚の横にひっそり入り口があるのです。


もともと川崎大師の商店街の店舗に無理やりカフェスペースを作ったという感じですから、応急措置という感は否めないのですが。。。


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ここで食すのは決まっています。



お漬物7種類のお茶漬けセット


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お漬物7種類によるお茶漬けセット。美しいですね。本当に美しい。

町田屋さんは奈良漬をはじめとするお漬物のお店。

本当にいろいろな種類のお漬物があります。


お漬物とともに、お茶漬けをサラサラとかっ込んでいく。なんか無性に懐かしい~。このスタイル。おフクロの食卓以来の感覚。


さっぱりしていて美味しかった~。

やっぱり日本人はこれです。


これで880円。なんとこの値段でこの一皿を二杯お替り自由なのです。



そして、川崎大師カレー


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川崎大師名物です。


ある意味この和カフェの一番の売りというか、看板メニューです。


川崎大師カレーは、完成の道のりは大変だったそう。200以上のカレー屋を回り、創作の日々。あまりの手間で工程のかかる製品のため工場委託も難航しようやく完成致したもの。2年以上の歳月をかけ、ようやく完成した苦労の賜物だそうです。



川崎大師カレーは三段階に変化する深い味わいカレー

甘さ→コク→辛さの三段階に変化するのは良質な素材とその配合の妙が秘密。


とにかくめちゃめちゃ手の込んだ研究に研究を重ねたカレーなのです。そんなカレーがこんなお漬物屋さんの隣にあるついでに作ったような(失敬)休憩所、和カフェで提供されているなんて、誰も意外や知らないことでしょう。秘かなる穴場なのかもしれません。


川崎大師カレー、いろいろなメニューがあるのですが、自分は一番人気のスタウトポークカレーにしました。初めての方はまずこちらを!スタウトビールで煮込んだトロトロのポークが2枚も乗った当店1番人気のカレーだそう。



これは美味しかったね~。第一印象はやっぱり甘いですね。とてもフルーティな味、フルーティなカレーだと思います。そしてコクもあって、辛さも十分。確かに三段階に変化するカレーです。


自分の味覚では、やはりこの”甘い”がとても印象的なカレーです。


本当に美味しいカレーだと思います。


川崎大師に来た際は、必ずと言っていいほど寄るこの和カフェ「小さな奇跡の店 川崎大師松山」。

そしてそのとき、かならず2つのメニュー


お漬物7種類のお茶漬けセット

川崎大師カレー


を食すこと。


これが決められたミッションなのです。

今回も無事達成できました。


今度来るときは、また年明けの初詣のときかな。

でもこれ食べたさに、これを食べるだけに、また川崎大師行っちゃうかも?(笑)


それほど美味しいです。







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東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経 そのに [寺院・仏閣]

この坐禅・精進料理・写経のイベントをご指導していただけるのが、禅僧の宇野全智(うのぜんち)さん。



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曹洞宗総合研究センターの常任研究員として、坐禅会や講演会、写経会などを通してわかりやすく禅の教えを伝えている。本当に全国つつがなく、いろいろなところに出向いては、いろいろ貴重な法話などをして、坐禅、精進料理、写経の教えをいろいろ布教なされているようです。今日はここと思ったら、明日は地方のあそこなど全国を忙しく回われていてすごい忙しいと言っておられました。


当然自分は会場一番乗りですので、宇野ご住職とサシでお話できました。横浜に住んでいる。東横線でやって来た。朝4時半起きで大変だった。その中に坐禅は組まれたことはありますか?というご質問がありましたので、え~北鎌倉の建長寺で体験したことがあります。


そうすると教えてくれました。


坐禅にも流派があるんですよね。


いわゆる北鎌倉の建長寺は臨済宗なので、臨済宗の坐禅というのは、ふつうにこのような感じでの坐禅になります。道場に対して、ご住職と対面しながら坐禅を組むといいますか・・・


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それに対して、ここ曹洞宗の坐禅というのは、みんな壁に向かって坐るんですね。これが曹洞宗の坐禅なのだそうです。


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この臨済宗と曹洞宗の坐禅の違いについて宇野ご住職は教えてくれました。

北鎌倉の建長寺ということは臨済宗での坐禅ですね・・・という感じです。


そこまでお話していたら、どんどん参加者がやって来たので、サシでの会話はそれでお終いでした。


宇野ご住職は、見た目もハンサムなイケメンさんで、やはり法話がお上手というか、話が非常に活舌がよくて、発音もしっかりしていて、声がよく通る。この仕事で全国を駆け巡っているだけあって、やはり慣れているというか、まさにこのイベントは天職のような感じさえお見受けしました。


法話というのは、ご住職さんが、我々に対してお話していただける非常に人生にためになるお話、教えのことをいいます。ご住職さんの法話を聞けるだけで、お金を払っているんだ、という有難みが感じられますね。それだけ心に刺さりますし、勇気をもらうことも多いです。


写真タイムはかなりフリーで自由でした。お写真を撮る方は、カメラを同伴されてくださいね、と仰っていただける。写真タイムということで、その都度時間を取ってもらえましたし、かなり自由でした。ほかのお客さんのお顔が映らなければなんでもOKです。


これが会場となった、「東京グランドホテル」内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」です。正確にはここにはもともと曹洞宗の本部があった訳で、そのときから修行道場があったわけですが、東京グランドホテルとなってからもこの修行道場はそのまま残されて、ここで坐禅、精進料理、写経などのイベントをやる訳ですね。それがここ「微笑庵」なのです。


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そんなに極端に大広間という訳ではなく大体横長の20畳くらいのスペースでしょうか?2部屋が連なっており、両部屋とも畳敷で、1部屋は坐禅に使い、もう1部屋は、テーブルがロの字で置いてあり、そこで精進料理をいただいたり、写経をしたりする部屋になっています。


この修行道場の旗頭といっていい掛け軸もあります。


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日本の美意識の感覚って、やはりこの庭、庭園の造りにありますね。ここに日本人としてのわびさびの美しさを感じますね。


この修行道場「微笑庵」は、ホテルの5階にあるのですが、5階といったら高いところにある訳でその制約条件の中でこのような格式の高い庭を実現できるのはすごいと思いますね。


さて、参加メンバーは10名程度の満員御礼です。男性もいましたが、女性が多かったかな?このシリーズ大変人気だそうで、毎回満員で、結構待たないといけないようですよ。


最初に坐禅です。


これも最初に宇野ご住職とサシでお話出来たときに知ったのですが、坐禅を組むときのお尻の下に敷くいわゆる坐禅用の座布団、いわゆる坐蒲(ざふ)。


これも臨済宗と曹洞宗では違います。


臨済宗では、長方形の座布団で、それをふたつに折り曲げて、お尻の下に敷く。これが臨済宗流派です。でも曹洞宗は違うんですよね。写真を取り損ねましたが、曹洞宗の坐蒲(ざふ)は小さくて丸いのです。


宇野ご住職は法話も兼ねて、坐禅の組み方や、心構えなどをじつに流暢に説明してくれます。


北鎌倉の建長寺の坐禅会では、無料で一般の市民が自由に坐禅ができるように、というざっくばらんなものだったので、そんなに丁寧には教えてくれませんでしたが、こちら曹洞宗の坐禅のほうでは、有料でお金をいただいている、ということもあり、坐禅の基本からじつに丁寧に教えてくれました。


坐禅の基本は、お尻ごとドテって坐るんじゃなくて、お尻の座骨の部分で座り、姿勢をよくして座骨ひとつで体を支えていく感じで、そこが決まればその上に背骨が乗っかり、その上に頭が乗っかる。。。どんどん座骨の上に上乗せしていく感じなんだ、と教えてくれました。


そして坐禅の真髄は、”調う(ととのう)”。


この一語がすべてを表すキーワードのような気がします。

呼吸をゆったり長めにとって、身体、気持ちを整う。


自分は北鎌倉の建長寺の坐禅会のときに、坐禅って難しいな~と思ったのは、坐禅を組んでいる間、それは30分、1時間なのかもしれませんが、心を”無”にすることの難しさです。それだけの時間、なにも考えずに”無”になることって意外や難しんですよね。


かならず邪念が入ります。

いろいろなことが頭の中を過ります。思い出したりします。かならずなにかを考えちゃんですよね。


宇野ご住職の教えでは、あまり”無”になることを意識せずに、外から入ってくるものはそのままそれを受け入れて、それを外に受け流す、ありのまま、ということでしたでしょうか・・・。耳から入ってくる音は、それは~の音なんだな~とそのまま受け流す。それが大事なことだと仰っていました。


今回の坐禅は、時間的にはたった5分くらいの時間だったんですが、なんかすごい時間が経ったような気がしました。建長寺のとき、30分とか1時間とか、よくできたな、と思います。(笑)


今回の坐禅では、警策(きょうさく)はありませんでした。希望者のみ、会が終わった後に独自でやっていただけたようです。


警策(きょうさく)というのは、この弛んだところをお坊さんにバシッと喝を入れてもらうことをいいます。坐禅というとふつうかならずつきもの、というかこれを思い出しますよね。


坐禅が終わりますと、隣の部屋に移って、精進料理です。

これがじつは一番楽しみでした。坐禅、写経は経験あるのですが、精進料理は初めての体験です。

なんでも食べることは楽しみですね。(笑)



今回いただく精進料理は、朝粥です。


修行道場では本来、朝粥・胡麻塩・漬物だけだそうですが、今回は季節の食材を使った精進おかず3品が付きます。


こんな感じでした。お盆が漆塗りのすごい高級なものを使っているような気がします。


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ここでまた宇野ご住職のいろいろな教えがあります。まず食器の説明。食器はちょっと一般家庭の食器と違っていて、蓋からなにから重ね合わせして1つにして収まる省スペースな造りになっています。


そしてお寺での精進料理の食べ方の作法ですね。お箸のおき方であるとか、朝粥のお替りの仕方の作法であるとか。。。いろいろです。お粥はしゃもじで食べます。3品はお箸で食べます。


食べ終わったら、そのまま食器をそこに残していく、ではダメなんですね。それじゃお寺じゃないです。(笑)俗世間になってしまいます。


お寺では、食べ終わった後、自分で自分の食器を洗わないといけません。それは台所で洗うという意味ではありません。その自分の座席で洗わないといけないのです。食べ終わった後、お給仕さんがお湯を持ってきてくれて、食べ終わった後の茶碗にお湯を注いでくれます。それを食器洗う専用のブラシがあって、それで丁寧にお湯を使いながら食器を拭って洗うのです。そうして、それを全部のお皿でやって、重ね合わせてひとつにまとめて、元に戻す。


これがお寺の作法です。自分で食べたものは、自分で洗い、自分の座席でそれをやるということです。


今回は、その食器を洗う専用のブラシは使えなかったので、お漬物のたくわんで注がれたお湯でお茶碗を拭うという作業をしました。


今回の精進料理を食べるにあたって、とても大切な教えを教えていただきました。


それが


「五観の偈」(ごかんのげ)


です。


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「五観の偈」を学び、朝粥をいただくのです。


この次にある写経でも結局この「五観の偈」(ごかんのげ)を筆ペンでなぞりました。


修行生活では、食事を作ること、そして頂くことをとても大切な修行と考えます。そして「五観の偈」(ごかんのげ)には、食事をいただく側の心構えが簡潔に説かれているのです。


禅の修行では、食事の前にこの「五観の偈」を唱えますが、短いお唱えごとですので、ぜひ普段の食事の前にもお唱えするようにしましょう、とのことです。


簡単に言うと、「五観の偈」(ごかんのげ)というのは、いまこうやって食事をとれるのは、どれだけの人たちがこの目の前にあるお膳に関わってきたかその有難みに感謝しつつ、ありがたくいただきましょうというような内容です。


「五観の偈」(ごかんのげ)


・ひとつには。功の多少を計り、彼の来所処を量る。

(この食事がここに車で、いかに多くの人々の手間や苦労があったのかに、深く思いを巡らせます。)


・ふたつには己が徳行の。全欠を忖って供に応ず。

(この食事をいただくに値するほどの正しいふるまいや、世のための人のために役立つような行いをしているかどうか、自分自身の行いを振り返ります。)


・みつには心を防ぎ過を離るることは、貧等を宗とす。

(心の過ちを止めるために、貧りの欲などを見極め、修行の心をもっていただきます。)


・よつには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。

(私の健康と生命を支えるための「良い薬」として、この食事を受け止めます。)


・いつつには、成道の為の故に、今此の食を受く。

(人間として正しく生きるためには、今この食事をいただきます。)



精進料理の感想ですが、まっこれこそお寺の精進料理です。

美味しいですが、物足りないです~。(笑)

腹いっぱい食べたいです~。(笑)


そんな欲にまみれた人は、きっとこの悟りはいつまで経っても解脱の境地になりませんね。朝早く4時半に起きて、腹ペコでかけつけた訳ですから、お腹ペコペコだったわけですが、当然朝粥で満足できる訳もなく、東京グランドホテルですから、朝のモーニングなどのブッフェスタイルがないかな、有料でもいいから、そこでお腹を満たせようと思いました。


でもアメリカン・ブレックファーストのようなそんなブッフェスタイルはなさそうな感じのホテルなので諦めました。空腹のまま、家にびしょ濡れになりながら戻ったです。(笑)


最後は写経です。


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この朝食のときに教えをいただいた「五観の偈」(ごかんのげ)について、改めて写経という形で筆ペンでなぞりました。写経は心を集中するいい鍛錬になりますね。


気持ちが落ち着いて集中していないと、あ~~~もういいっ!!という感じになってしまいます。(笑)


この写経で書いた「五観の偈」(ごかんのげ)は、そのまま家に持ち帰って、どこかに飾っておくのがいいとのこと。自分もCDラックの上にそのまま置いて飾ってあります。


こんな感じでございました。

朝7時からあっという間の2時間。


朝の頭がすっきりしているこの貴重な時間帯に、こういうことで時間を過ごすのはすごく心の健康にいいと思います。


いわゆる朝修行というものですね。


宇野ご住職は、坐禅、精進料理、写経、どの会についてもかならず参加者1人1人の感想を伺って、それにたいして丁寧なお答えをする、という真摯な態度で臨まれていたのが印象的でした。


大変お世話になりました。


大変いい時間を過ごせたと思います。


東京のど真ん中で、こういう経験は、なかなかできないでしょう!


素晴らしい催しだったと思います。






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東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経 そのいち [寺院・仏閣]

普段味わえない特別な体験を掲載するメディア・予約サイトに「Otonami(旧:Wabunka)」というのがある。自分はFacebookでその存在を知ったのであるが、日本のよさ・らしさを感動体験として発信していて、日本の魅力を感動体験として届けるというのがその主目的。もっと端的に言うと、和の美しさ、日本ならではの感動体験のイベントが日本全国でいろいろ主催されている訳だが、それを紹介するポータルサイトのような存在で、そこからそのイベントに予約できる予約サイトでもある。(決済機能付き。)


せっかく魅力ある和の文化、日本ならではの感動体験のイベントを、みんなに知ってほしい、そしてそのイベントに参加してほしいという広告型ビジネスの予約サイトのことである。


Otonami(おとなみ)



これはかなり素晴らしいと思う。

FBで上がってくる紹介される写真は、本当に日本の美しさを極めたという超一流の写真ばかりで、ほんとうに芸術品のようなこれぞプロという写真ばかり。日本人に生まれてきてよかった~ということを実感する写真ばかりである。


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和大好き、日本大好き、ついでに和食が大好きの自分にとっては、大変いいポータルサイト・予約サイトを知ることができたと思っている。


これからもいろいろ利用させていただきたい、と思っているのだが、その中で自分のアンテナにビビッとくるイベントがあった。


それが、


「東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経」


というイベントである。


東京・芝公園という東京のど真ん中にある東京グランドホテルの一室で、朝7:00~9:00という早朝タイムでこれらを実体験しよう、という試みである。


坐禅や写経については、2022年2月~3月にかけてマイブームになって、日記でも取り上げて自分なりに勉強した。そして坐禅や写経の実体験としては、北鎌倉の建長寺で体験することができた。懐かしい想い出である。


鎌倉や北鎌倉。あの年、2022年は、もう1年中、「鎌倉殿の13人」の大フィーバーで、自分はもちろんのこと、全国中鎌倉フィーバーなところがあって、鎌倉が非常に熱いスポットでもあった。そんなブームにあやかって、自分は鎌倉五山の巡礼やそのほか鎌倉殿、北条氏に纏わるお寺を巡礼したのであった。懐かしいです~。あの頃の熱い気持ちにまた戻りたいな。


だから北鎌倉の建長寺という雰囲気的には、いかにも坐禅、写経が似合う場所でもあったのだ。ところが今回は、東京のど真ん中の東京グランドホテルの一室で、それらをやりませんか?それも早朝、頭がすっきりしているところで。


しかも精進料理。ご住職の法話つき。


これは自分をかなり惹きつけた。1回のイベントに参加できるメンバーが満員で10名ほどであるので、月に2回、3回と定期的にやっているイベントのようだ。


自分はさっそくotonamiの予約サイトで予約をした。


そして先日体験してきた、というわけだ。


「東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経」


芝公園「曹洞宗宗務庁」僧侶に教わる朝の禅体験で心と身体をととのえる −坐禅・朝食・写経−(Otonami限定)


東京・芝公園内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」にて、禅体験を通して心と身体を調えます。禅僧の手ほどきのもと坐禅を組み、朝粥を主役とした精進料理の朝食を作法に則っていただきます。さらに、心静かに写経を行い、禅の考え方への理解を深めます。朝の清々しい空気の中、時間を有意義に過ごしてみてはいかがでしょうか。



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東京・芝公園の「東京グランドホテル」内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」にて、禅体験を通して心と身体をととのえるOtonami限定プラン。禅僧の手ほどきのもと坐禅を組み、朝粥を主役とした精進料理の朝食を作法に則っていただきます。さらに、心静かに写経を行い、禅の考え方への理解を深めます。ひとたび日常を離れてゆったりとした時間を持つことで、新たな一日を気持ちよく始めましょう。



・朝の清々しい空気の中、禅僧の朝修行に基づき坐禅・朝食・写経を体験できます。

・日常から離れ、自分と向き合う静かな時間を持つことで、心と身体をととのえます。

・禅の世界を体験してみたい方や朝の時間を有意義に過ごしたい方におすすめです。



これはすごい魅力的です~。もう自分はすぐに飛びついてしまいました。参加料も5,500円なのでそれなりにお手頃です。


さっそく行ってきた訳だが、その当日は東京に台風が接近している中で、かなり雨が振っていてコンディションは最低であった。靴の中もベシャベシャで、服もずぶぬれ。


なによりも朝7時からスタートする。東京のど真ん中の芝公園。そうなると横浜の自分の家からだと、朝4時半起きで、朝5時台の電車に乗らないと間に合わない訳で、台風で全身ベシャベシャの気落ち悪さに加え、朝早起きの体調コンディションの悪さで、かなり体調が悪かった。


もっといいコンディションで迎えられればよかったのにな~と思ったものである。


そんな中で会場の東京グランドホテルについた。


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あとでご住職さんとお話ができたので、いろいろ情報を教えてくれたのだが、もともと、この東京グランドホテルというところは曹洞宗の本部のあったところだそうだ。曹洞宗の本家本元の本部。だからそこには曹洞宗の修行道場などもたくさんあったわけである。その曹洞宗本部がビジネスとして収入を得る算段としてホテル業を担うことになり、東京グランドホテルとしてオープンした、というのがいきさつのようだった。


確かに東京グランドホテル。東京のど真ん中のホテルにしては、いかにゴージャスな高級ホテルなんだろう?と構えて期待していたところもあるのだが、予想外に質素で(失敬)、かなりふつうのサラリーマンが出張でつかうビジネスホテル・クラスと言っていいランクだと自分は感じた。


約800年前の鎌倉時代に道元禅師が中国から日本に伝え、瑩山禅師が全国に広めた曹洞宗。その事務局である「曹洞宗宗務庁」は、「東京グランドホテル」内に修行道場「微笑庵」を設け、曹洞宗の教えや修行について一般の人に向けてわかりやすく伝えるべく坐禅会や写経会などを積極的に開催している。


これが今回のイベントなのだ。


では具体的にどんなことをやるのか。紹介していこう。


情報引用元:otonamiサイト



朝一番、禅僧の作法に習う修行体験


東京・芝公園にある曹洞宗の事務局「曹洞宗宗務庁」が本体験の会場です。周辺は古くからのオフィス街ですが、朝一番は人が少なく静か。清々しい空気が1日の始まりを後押ししてくれそうです。


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「禅の教えをわかりやすく伝えたい」との想いから、曹洞宗宗務庁では坐禅会をはじめとする様々な活動を行っています。禅とは、物事の真実の姿やあり方を見極め、これに正しく対応していく心のはたらきを調えること。教えの根幹は坐禅にあり、坐ることで身体を安定させ、心を調えることで身・息・心の調和をはかります。


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禅の世界へ誘うのは、禅僧の宇野全智(うのぜんち)氏。曹洞宗総合研究センターの常任研究員として、坐禅会や講演会、写経会などを通してわかりやすく禅の教えを伝えています。まとう空気は穏やかで清々しく、その素敵な笑顔に思わず引き込まれます。



法話と坐禅を通して日常から離れる体験を


はじめに宇野氏による法話を拝聴します。禅の教えを初心者にもわかりやすく伝える宇野氏のお話は、身近な話題、暦や年中行事など、日によってトピックはさまざま。日頃意識していなかった自分を取り巻く豊かな世界、気づきと学びのあるお話は目から鱗です。


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続いて禅の基本となる坐禅を体験。坐禅の作法や心構えについて教わり、いよいよ実践。丸く厚みのある坐禅用の坐蒲(ざふ)に坐って姿勢を整えます。お腹から息を長く吐くことを意識し、ゆっくりと呼吸を整えます。「坐禅をする時は、露天風呂に入った時のような、リラックスしてのんびりしているイメージを持ってください」と宇野氏。はじめてだと少し緊張してしまうかもしれませんが、力まずに取り組んでみましょう。


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坐禅の時間は数分間の短い時間ですが、ゆっくりと心がほどけていくのを感じられるでしょう。日常生活では得られないゆったりとした時の流れの中で、思わぬ気づきがあるでしょう。坐禅が終わった後は、感じたことを共有したり、気になったことやわからないことを尋ねてみたり、宇野氏との会話を楽しみます。慌ただしく過ぎてしまいがちな朝の時間。体験での学びをきっかけに毎日数分でも坐禅を取り入れれば、また違った一日となるかもしれません。


「五観の偈」を学び、朝粥をいただく



曹洞宗では、食事をすることも大切な修行のひとつ。800年前、道元禅師は食事をいただく作法と意義を示した『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』を著しました。禅僧のテーブルマナー指南書といえるこの書には「五観の偈(ごかんのげ)」という5つの心得が記され、今も修行道場では僧たちが毎食前に唱えています。


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修行道場では本来、朝粥・胡麻塩・漬物だけですが、本プランでは季節の食材を使った精進おかず3品が付きます。春夏秋冬、日本の大地の恵みに感謝をしながらいただきましょう。坐禅の後の食事は感覚が研ぎ澄まされ、お米の甘みや食材の旨みが心と身体に染み込みます。


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食事は禅僧の作法に則っていただきます。食後には、お粥が入っていた茶碗にお湯を注ぎ、一つ残しておいたたくあんで糊を取って飲み干します。食材の命そのもののありがたさと尊さをしっかり受け止め、「ごちそうさま」と唱えましょう。


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書く修行「写経」を通して心と身体をととのえる


最後は写経体験です。漢文で書かれた「五観の偈」をお手本に、間違えないよう一字一字集中して書き写します。紙とペンで文字を書くことが非日常になっている方も多いかもしれません。写経を終えると、心地よい疲労感と達成感に包まれます。


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写経して出来上がったものは、思い出として持ち帰ることができます。本体験で得た気づきを日常に活かし、教えを実践するためのお守りともなってくれることでしょう。目まぐるしい日々の中で折に触れて見返し、穏やかな心を取り戻すきっかけにしてみてください。


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道端に咲く一輪の花に足を止める体験を


「日常生活は忙しく、速さや効率が求められます。まるで飛行機で移動しているようなものですが、飛行機に乗っている時、道端に咲く一輪の花には気づけません。坐禅は、その一輪の花に気づき、足を止め、その美しさを感じる体験なのです」。宇野氏は坐禅をする意味について、そう語ります。朝の静謐な空気の中で、禅に親しむひととき。坐禅と朝食、写経を通して、一人ひとりの心に咲く一輪の花を見つけてみてはいかがでしょうか。



これがすべてです。



長くなりますので、二部構成にしますね。


つづく








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秘密のベールにつつまれた寿福寺 [寺院・仏閣]

今日この日に、この日記を書こうと思った矢先に、とても悲しいニュースが飛び込んできた。歴史小説作家の永井路子さんが、97歳で亡くなられたそうだ。老衰とのこと。


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鎌倉時代をはじめとした中世の歴史研究、歴史学の最前線の成果を取り入れた独自の史観とに裏付けられた明快で親しみやすい作風で人気を集めた。


永井路子さんといえば、自分にとって文句なしにNHK大河ドラマ「草燃える」である。「北条政子」「炎環」「つわものの賦」など永井路子さんの原作を中心に脚本がつくられた。


この時代の歴史描写、歴史人物の取り上げ方は、歌舞伎に代表されるように、平家物語、源義経、源平合戦、そこに源頼朝が絡んでくる・・・判官びいきの源義経を悲劇の主人公として描くことが圧倒的に多かった時代背景の中で、永井路子さんの独自の史観は、あくまで源頼朝と東国武士団の旗揚げであった。


自分がいちばん拘ったところ、いままでに見たことのないような衝撃、格好良さ、いちばん惹かれたそういう視線での物語描写は、永井路子先生がルーツだったのだ。


「草燃える」がなかったら、いまの自分の鎌倉好きはなかったといっていい。永井路子先生の偉大な業績、足跡に敬意を表しながら謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。


永井路子さんは、去年の「鎌倉殿の13人」はどのような想いでご覧になっていたのだろうか。


今日この日記を書こうと思ったのとシンクロして、このようなニュースが舞い込んできて、自分はただただ驚くしかない。



鎌倉殿ロスは大きい。鎌倉・鶴岡八幡宮の大河ドラマ館、TwitterやInstagramなどの公式SNSサイトも正式に閉鎖になり、ますます寂しさが募ります。まっ新しい大河ドラマが始まるとともに、だんだん遠くなっていくのはわかってはいたことですが、なかなかそのロスから立ち直れない昨今の自分です。


これはいたしかたがないですね。

それだけインパクトありました。


鎌倉殿のFBコミュニティでは、”皆武衛だ!”というタイトルでオフ会やるらしいですよ。(笑)楽しそうで素晴らしいです。


さて、去年鎌倉殿への巡礼ということで、鎌倉五山を行脚する企画を実行しました。

建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺ですね。

いまでも鮮明に覚えています。楽しかったです。


その中で第三位の寿福寺はとても不思議なベールにつつまれた謎めいた雰囲気のある禅寺でした。


寿福寺は、源氏のルーツの地に立つお寺なのである。

寿福寺は、源義朝の邸宅あとに開山として栄西が招かれ、建立されたと伝えれられている。開基は北条政子。


ふだんは一般公開はまったくおこなっておらず、仏殿、境内はつねに閉鎖されたままで、中に入れない。寿福寺の楽しみ方は、参道。この参道の敷石は鎌倉随一の美しい意匠と言われている。


そして北条政子、源実朝のお墓、やぐらを拝みにいくしかない。この2か所しかないのだ。


でも例外がある。それはお正月とGWには特別公開、特別拝観ということで、仏殿、境内の中を公開するようなのだ。


この年2回の特別拝観の期間・時間は下記の通りである。


・1月1日から1月7日 8:00~16:00

・5月第1週(GW期間)8:00~16:00


自分はこの情報をネットで見つけて色めきだった。この情報源は、2022年のお正月に寿福寺の特別公開に行かれた人のブログで、なんと!!!あの仏殿や境内の中の写真も掲載されているのだ。

中はこんなふうになっていたのか!・・・である。興奮を抑えることができなかった。

これはぜひ自分もこの期間に行って、自分のカメラで撮影したい。自分の写真で日記にしたいと思っていた。


この人が行かれたのは、2022年のお正月で、自分がこのブログを発見したのが、1月中旬。もうまずは2022年のGWを狙うしかない。


もう楽しみにしていましたよ。


ところが、GWであるにも関わらず、閉鎖のままでした。GWの一週間ずっと通いましたよ。今日こそ開いているかもしれない。でも期待も虚しく柵はしまったままでした。


そして今年の年初、正月。あらたに期待をしながら新年の初詣をかねて寿福寺にむかいました。もうドッキドッキでしたよ。


1月2日に行ったのですが、なんとまたしても柵は閉じたまま。

もう自分は深い絶望感。


去年のGWから、そして今年の正月と2回連続して特別公開はされないということは、きっとなにかお寺のほうで、予想外のアクシデントがあったのかもしれません。お寺の住職さんが病気になってしまったとか。


2回も連続して特別公開がされないということは、自分はもう寿福寺の特別公開に立ち会うことは、久しくはなさそうだ、という予感がしました。


たぶん、なんかありましたね。


とにかく寿福寺というお寺は、人とのつきあい、俗世との関りを徹底的に避けているような雰囲気で、SNSなんかもちろんやっていないので、お寺からこの期間に特別公開やりますよ~なんていうアナウンスもないし、特別公開の時期なのに、なぜ開いてないのか知りたくても知ることができないのである。


ネットでは一応電話番号が書いてあるのですが、そこに試しにかけてみてもまったく出ません。

あきらかに世捨て人、秘かに源氏のルーツである地、お寺を守っていこうというお寺なのです。


そこで、特別公開2022に行かれた方のブログの写真をお借りして、秘密のベールにつつまれた寿福寺の仏殿、境内の写真を紹介しようと思います。ぜひ自分のカメラで撮影したかったな~。やや無念ではありますが。


まず、今年の年初、1月2日に行ったときの寿福寺の様子から。

こちらは自分のカメラ、写真です。


この日は快晴でした。


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寿福寺と言えばこの参道ですね。

この参道の敷石は鎌倉随一の美しい意匠と言われています。


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そしてこの瞬間がっかりするのです。(笑)

柵が閉まってます。

もう世捨て人の雰囲気たっぷりです。


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さて。。。です。ここから寿福寺の特別公開のときの仏殿、境内の中をご紹介します。こちらの方のブログからお写真をお借りします。



鎌倉の寺院と札所巡り by鎌倉PRESS

寿福寺のお正月期間 特別公開(特別拝観)の様子




いつもは柵が置かれて入れないようになっている寿福寺の仏殿前の門、柵がなく自由に入れるようになっています。


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ホントに~~~。(笑)その場に立ち会ってみたいわ。(笑)


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柵の無い門をくぐり中へと進みます。


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少し苔むした石畳を歩いて本堂へと向かいます。



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何度も訪れている寿福寺、本堂の前に立つのは初めてです。

この本堂、正確には仏殿と言って、鎌倉市指定の文化財にもなっています。


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屋根の上には波模様の鐙瓦が置かれていました。


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軒下の柱の左右には唐獅子が取り付けられていました。


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本堂の屋根を見ると笹竜胆の寺門があります。源家縁の寺院であることがわかります。


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本堂の戸が開いていて、中には賽銭箱も置かれています。

なんか鼻血が出そうです。(笑)もしその場に立ち会っていたなら心臓バクバクでしょうね。



本堂の中を覗いてみました。


おぉぉぉぉおおおおお~~~!!!


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中央に黒い釈迦如来像でしょうか?


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左右に大きな仁王像も置かれています。


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中央上部には「興禅閣」と書かれた扁額が掲げられていました。


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仏殿前の庭の片隅に五輪塔などの石塔が置かれていました。


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顔の識別が出来ない風化した石仏もありました。


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年間で2週間ほどしか公開されない寿福寺の本堂が見られる特別公開、もしお正月、GWに鎌倉に来るようなことがあれば立ち寄ってみてはいかがでしょうか?


滅多に見られない寿福寺の仏殿、機会があればぜひ見に来てください。

以上、寿福寺のお正月期間 特別公開(特別拝観)の様子についてでした。


鼻血ブー。(笑)


これは興奮ものでございますね。

本当に小さな仏殿なのだということがわかりました。


これはぜひ自分のカメラ、写真で日記にしたかったです。今年のGWにも行ってみようと思ってますが、たぶん柵がしまったままだと思います。もういつになったら、日記にできるかわからないため、もう我慢しきれず。。という感じです。


なにせ、秘密のベールにつつまれた寿福寺ですので、この仏殿の中のことを説明している文献は皆無です。黒い釈迦如来像をはじめ、どれがどういうものなのか、誰も説明できない、まったく誰もわからないのではないでしょうか?


だからこの仏殿の説明を試みることも不可能なのだと思います。


源氏ルーツの禅寺、北条政子が建てた寿福寺。誰からも話しかけられることなく、その仏殿の解説も試みることもできず、800年以上もずっとこうやって秘かに鎌倉の地に佇んでいるのです。謎過ぎます。


でも神秘的、ミステリアスです。


今年のGWもぜひ行ってみようと思ってます。

もちろん来年のお正月も。。。


北条政子が建てた寿福寺。北条政子の生涯について歴史的な名著を残してきた永井路子先生。そんな永井路子さんのご逝去の報により、よりその想いが強くなったのである。









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鎌倉五山 浄妙寺 [寺院・仏閣]

鎌倉五山を巡る旅も今回が最後。鎌倉五山第五位の浄妙寺。


ここは五山の順位こそ最後であるが、境内に英国ガーデンテラスのある美しくてグルメな禅寺として有名で、じつは自分が一番楽しみにしていたといっていい。


訪問したあとの印象も鎌倉五山の中でもっとも美しい禅寺だったというのが自分の印象である。


とにかく美しい。


鎌倉時代のあのちょっと男らしい武骨な感じとは違う。それを印象付けているのは、英国ガーデンテラスの石窯ガーデンテラス、そして茶堂 喜泉庵の存在であることは間違いない。自分はここを一番の目的とした。


浄妙寺は、鎌倉駅からかなり歩く。30分近く歩く。徒歩で30分というのはかなりの距離です。


あとで調べたところバスがあるんですね。当日は気づきませんでした。地図を見ながら、鶴岡八幡宮を突き抜けて、ひたすら歩くんだな、と方向感覚を確認し、ひたすら歩きました。


歩行がまだ万全ではない自分にとってこれはキツかった。家に帰ってから翌日はまったく使い物にならずグデ~となっていたのと、この日から2週間ほどは体の調子が悪かったです。


鎌倉五山 浄妙寺


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鎌倉 浄妙寺は源頼朝の重臣、足利義兼が1188年(文治4年)に開創されたと言われている。始めは極楽寺という名前であったが、義兼の子供の義氏が浄妙寺と変名したそうである。


源頼朝や政子、その子供 実朝も帰依した鎌倉 浄妙寺の高僧である。室町将軍の足利義満が五山の制度を作った時は、七堂伽藍(寺の主要な七つの建物)が完備し、塔頭23院もある大寺院であった。


でも火災があり衰退し、今では総門、本堂、客殿、庫裡だけが残っている。浄妙寺に建物が少ないのは、この火災が原因だったんですね。鎌倉五山第五位なのも、その建物の少なさに起因するのかもしれない。


境内は国の指定史跡になっていて、鎌倉幕府とゆかりの深いお寺である。


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本堂。大きなグリーンの屋根がトレードマーク。本堂は1756年に再建された。濡れ縁(縁側)は日当たりも居心地が良くて、休憩するのにとても気持ちのいい場所である。


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本堂には、鎌倉十三仏の一つである本尊の木造釈迦如来坐像や、開山の退耕行勇坐像、お産の神様の木造淡島明神立像が安置されている。


自分も手を合わせてきました。



そしていよいよ石窯ガーデンテラスに行きます。山のてっぺんにあるようです。


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こんな坂道をどんどん登っていきます。息が切れて大変でした。


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ここですね。


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浄妙寺の境内を抜けて坂道を上ると、驚くことにそこには美しい洋館と庭園があります。「石窯ガーデンテラス」と言うそのレストランでは四季折々の美しい景色を眺めつつ優雅なアフタヌーンティーを楽しむことができます。


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築90年の洋館を改装し造られた、浄妙寺の境内にある一軒家レストランである。英国式庭園を眺めながら、本格的なアフターヌーンティーやランチが楽しめます。石窯で焼いた自家製パンの販売や、鎌倉野菜などの地元食材をふんだんに使ったメニューやワインやビールなどのお酒も飲めます。


浄妙寺の中でこの石窯ガーデンテラスがもう一番最高です。ここが一番の魅せ場です。確かに他の鎌倉五山の禅寺とは雰囲気や趣が全然違いますね。浄妙寺はとてもお洒落な鎌倉五山なのです。


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室内とテラス席があるのですが、自分はもちろんテラス席を所望しました。英国式庭園を眺めながら、看板メニューのアフタヌーンティーをいただくのです。この日は、雲一つない快晴でした。


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こちらがアフタヌーンティー・セットです。3800円です!かなりお高いです。ここは、他のメニューもかなりお高めだと思います。


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快晴の日に、英国式庭園を眺めながら、アフタヌーンティーをいただくのは、かなり最高です。なんか都会の喧騒を忘れさせてくれるような静粛さで、美しい庭園を見ながら鳥のさえずりだけが聴こえる清々しさがあります。いやぁ~最高だな~と思いながら過ごしておりました。


ただ、失敗したのは、この庭園を散歩することも可能だったんですね。まったく気づきませんでした。庭園内をいろいろ散策すると、それこそまた美しい自然の夢の別世界があったのかもしれませんね。



室内はこんな感じになっています。なんか明治時代の洋式館、ヨーロッパの館を思い起こさせる雰囲気がありますね。


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石窯で焼いた自家製パンはこのように販売されています。


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これが石窯なのでしょうかね。


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ここは会計カウンターです。レジもお洒落です。


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この石窯ガーデンテラスを体験するだけのために、浄妙寺に来る価値があると思います。


そしてもうひとつの魅惑のスポット、茶堂 喜泉庵にも伺います。


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境内には古民家を移築した「喜泉庵」があり、手の行き届いた杉苔の枯山水の庭園を眺めながら抹茶をいただけます。ここは天正年間(1500年代)に僧が一同に会してお茶を喫したと言われています。1991年に復興したのだそうです。


喜泉庵は浄妙寺の境内にある、鎌倉で唯一枯山水を眺めながら抹茶が気軽に楽しめる茶室です。そんなに混雑しておらず、並んだりぎゅうぎゅうになったりはしません。


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喜泉庵の入り口からもう素敵ですね。入り口で注文・支払いを済ませ、靴を脱いであがります。


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喜泉庵の中はお座敷になっていて、テーブル席と畳に敷かれた毛氈に座る席と2タイプ。これなら足が悪い人や正座が苦手なでも、安心してのんびりできますね。遠くに見える枯山水。皆さん見入っています。


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縁側越しに見る枯山水庭園。


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喜泉庵は抹茶とお菓子が頂けるのですが、お菓子は、生菓子がいいですね。こちらで頂ける和菓子屋「美鈴」の上生菓子は、季節毎に変わるのだそうです。


「美鈴」といえば鎌倉の有名な和菓子屋さんだそう。見た目も美しいですが、味も美味しいと評判だそうです。美味しい和菓子とお抹茶を食べながら、枯山水を眺めながらのんびりできます。


癒されますね~。


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なんかすごい別世界です。浄妙寺が他の鎌倉五山の禅寺とまったく雰囲気が違うのは、この石窯ガーデンテラスと喜泉庵のせいだと思いますね。



これで浄妙寺での自分なりのスポットが行けて満足です。浄妙寺は建物、遺産自体があまり多くないんですね。本堂があるくらい。


足利貞氏、足利直義のお墓は見てきませんでした。じつはこの浄妙寺、鎌倉駅から相当歩くので、もう自分なりにもうかなりバテバテで、脚が棒になってしまい相当疲れていました。早く家に帰りたいというその一心だったのです。


でもこれじゃ禅寺を訪問しに来たのか、グルメを楽しみに来たのかわからないので、禅寺訪問であることを主張するために、最後に鎌倉稲荷を見て帰ろうと思いました。



ところがこれまた大変なところにありました。歩行が万全でない自分にとって、そしてこの日、散々歩いてもうバテバテで、早く家に帰りたい自分にとって、まさに鬼のような場所にありました。


細い山道を登っていきます。(これがかなりきつい。)そしてこんな急な階段を登っていかないといけないのです。


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浄妙寺には、鎌倉の地名の由来ともされる藤原鎌足の「鎌槍伝説」が残されています。昔、藤原鎌足は、鹿島神宮参詣の途中で由比の里(現鎌倉)に宿泊しました。


すると、夢に現れた老人から「鎌槍をこの地に埋めれば天下はよく治まる」というお告げを受け、白狐に導かれるまま所持していた鎌槍を浄妙寺の裏山に埋めたのだといいます。


鎌倉という地名は、この鎌足の「鎌槍」から生まれたという説があるのです。開山堂には、「木造藤原鎌足像」が安置されています。


それがここなのです。


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藤原鎌足は、中大兄皇子(のちの天智天皇)に仕え、大織冠を授けられ藤原姓を賜った。のちに摂関政治を行う藤原氏の祖。


甘縄神明神社を創建したという染谷時忠は鎌足の子孫とされ、長谷寺開基の藤原房前は鎌足の孫といわれています。


鎌倉を訪れた鎌足は、夢のお告げによって鎌槍を大倉の松ヶ岡に埋めて祠を営んだといわれ、それが浄妙寺の鎌足稲荷の始まりと伝えられています。



これで大願成就。あとは鎌倉駅まで歩いて帰るだけですが、その30分の徒歩が地獄のようでした。(笑)脚を引きずって歩くというのはあのことをいうのでしょう。鎌倉駅からさらに1時間、自分の駅に着いて、自宅まで這うように歩いて帰り、その日から2週間は体の調子が悪かったです。(笑)


浄妙寺に行くには、バスを使いましょう!








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謎だらけの寿福寺 [寺院・仏閣]

1200(正治2)年、源頼朝の妻・北条政子が頼朝の死後、頼朝の父である義朝の旧邸跡に明庵栄西を招いて創建した禅宗のお寺。開基が北条政子で、開山が明庵栄西である。まさに源氏のルーツといっていいお寺。


でもこのお寺、秘密のベールに包まれているのである。美しい参道で人気の寿福寺、でも本堂の前の門はいつも入れないようになっていて、本堂の前で参拝することは出来ない。美しい参道を楽しむのと、北条政子、源実朝のお墓参りを楽しむというのが心得である。


しかし年に2回、お正月とゴールデン・ウィークの時に本堂前まで行ける特別拝観が実施されるのだ。


自分はそれを楽しみに今年のGW休暇、行ってみたのだ。GWのいつなのかはわからない。寿福寺からの正式なリリースは期待できないのだ。なにせ、寿福寺は、SNSなどいっさいやっていないし、電話やFAXのお取次ぎもない。試しに電話をかけてみたのだが、鳴りっぱなしで全然とる気配がなかった。もう不愛想そのもので、世捨て人、世間との関りを持ちたくない感じである。


寿福寺のお正月の特別公開に行った様子をブログであげている方がいらして、そこには5月の第1週とある。


寿福寺の特別公開の様子、秘匿の仏殿の中の様子など、そのブログに丁寧にレポートされているので中がどうなのかはじつはもう知っている。


でもその写真をお借りして、説明するのはいやだ。やはり自分でじかに体験して、自分の眼でその空間を確認して、自分のカメラで写真を撮りたい。自分の写真でないと嫌なのだ。


自分の実体験とともにレポートするというプライドがある。


そこで、即実行である。会社がGW休暇に入った5月3日。


いや~~もうドキドキである。普段秘密のベールに包まれている寿福寺の全貌がいま解き明かされようとしている!これはかなり心臓バクバクで緊張しました。鎌倉駅で下車、小町通りを歩いて行ってずっと突き当たったところを左折。そこから住宅街をひたすら突き抜け、線路を渡ったら、そこは寿福寺である。


歩いて行ってお寺に近づくにつれて、その鼓動が激しくなっていくのがよくわかった。


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そして寿福寺に到着。


寿福寺の本堂前の門は、上記の写真の通り普段は柵が置かれ本堂前まで行って参拝することが出来ない。


あれれ???もうゴールデンウィークに入ってますが・・・(笑)なんでクローズドなのだろう?


自分はもうガックリである。この落胆、気落ちはかなり想像以上であった。


たぶん日にちが違うのだろうかな?もっと後日に公開されるのかな、と思い、明日出直すことにした。


そして翌日である。


またしても柵が置かれクローズ。う~む。なんなんだろう?


GWは訪問客、参拝客も多く、賑わっていたが、基本非公開なお寺なのでそんな混みようがない。みんな柵の前から覗くくらいである。


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もうこうやってがっしり柵でクローズドなのだ。


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ちなみに、柵の向こうの仏殿を、この位置から撮影してみる。あの仏殿の中に入りたいのだよな~~~。


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ちょっと横の道を行ってみると、寿福寺の梵鐘があった。


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そしてその先に、立ち入り禁止の厳かな雰囲気が漂うエリアがある。


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遠くを見ると、住居の建物のような感じである。おそらく寿福寺を管理しているお坊さんの住まれている住居なのではないか?でも人の気配がまったくしない、廃墟のような佇まいであった。


いつもせっかちなので、開門の朝9時に行っていた。ひょっとすると時間帯が違うのではないか、もっと遅いのではないか。


そうしてさらにその翌日、お昼過ぎに行ってみた。そうしたら、またしてもクローズド。


これで3日連続である。もうこうなったら意地でも通い続けるぞ!と決意し、会社のGW休暇の終わりまでずっと通い続けることにした。


5月3日から5月8日までの6日連続。

通い続けました。


全部閉まってました。(笑)


あれ~GW特別公開ではなかったの???


もう自分の落胆ぶりは半端ないです。ひょっとすると、5月3日より前の、5月1日、5月2日が公開日だったりして・・・。でも普通GW休暇の一週間はずっと公開し続けるものですよね?


もう謎だらけの寿福寺である。


今年のGWはなにかアクシデントがあって、公開できなかった事情があったのだろうか。いっさいナゾ男くんである。なにせ世間といっさい関りを持たないお寺なので。


自分の街から鎌倉までって電車代もバカにならないんですよね。1000円超えます。6日間通ったので、6000円以上は飛びました。貧乏人には辛いです。


GWはいっさい旅行などの予定は立てていなかったので、もうこの6日間、朝に鎌倉まで行って劇混みの小町通りを歩いて行って、寿福寺にフラれて、そのまままた小町通りを帰って鎌倉駅から自分の街に帰る。ただひたすらこれを繰り返していました。


虚しかったです。(笑)


GWの鎌倉、小町通りはすごい人混みです。天気もほとんど快晴だったのではないでしょうか。もう歩いているだけで徐行しながら歩かないと人とぶつかってしまいます。せっかちで、歩くのがメチャクチャ速い自分にとって相当ストレスだったです。イライラMAXです!


鎌倉はとても素敵な街ですが、普段観光目的でもない限り、そんなに行かないですね。それをこの6日間、鎌倉に通い続けたこと、小町通りを毎日歩けたこと、町ぶらり旅でいろいろな発見があったこと。これも人生の中でいい想い出になると思います。


そうなると、来年のお正月でしょうか。自分はあきらめないです。正月の元旦、みなさんは伊勢神宮や川崎大師などに初詣するかもしれませんが、自分は寿福寺で初詣します。(笑)特別公開されたその秘密のベールに包まれた仏殿で初詣したいと思います。


初詣をこのお寺でする人は普通いませんよね。(笑)リアルタイム実況中継します。あけましておめでとうございます、のひと言で始まり、仏殿内を実況生中継です。波乱万丈な2023年になりそうです。


来年元旦というと、鎌倉殿の13人終わってますよね。ぜひ放映中の今年中に実現したかったのですが。。。


横須賀線ホームを降りて、鎌倉駅の改札に出るまでの通路口でいま話題のあれを見つけました。SNSで話題になっていましたが、自分も発見できました。


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6日間毎日通っていたので、毎回拝んでました。






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鎌倉五山 寿福寺と浄智寺 [寺院・仏閣]

鎌倉五山のランク付けでは、寿福寺は第三位なのだけれど、それだけでは評価できないとても大切な所縁の伝説を持っているお寺である。


寿福寺は、源氏のルーツの地に立つお寺なのである。


平安時代に検非違使の平直方が鎌倉に居を構えて以来、この地は桓武平氏の東国における拠点であった。その後、源頼義が直方の娘婿となり、嫡男の源義朝が生まれると屋敷を源氏に譲った。鎌倉と源氏の縁の始まりである。


1051年前九年の役として知られる戦いで奥州に向かう源頼義が源氏山で勝利を祈願した。鎌倉幕府を創建した源頼朝の父、源義朝。源氏の頭領であり関東に大きな基盤を築いた義朝の館が、かってこの場所にあったといわれている。


頼朝が鎌倉に拠点を置いたのも父である義朝の地盤がこの鎌倉にあったためであり、その点においてもこの寿福寺の地は源氏と鎌倉幕府にとてもゆかりの深い土地といえるのだ。


寿福寺は、源義朝の邸宅あとに開山として栄西が招かれ、建立されたと伝えれられている。開基は北条政子。


お寺を初めて建てるときは、必ず開基と開山という2人の役割がいる。開基というのは、いわゆる資本主、スポンサーのことであり、そのお寺を建てるのにお金を出した人である。大抵の場合は、その当時の時の権力者がなる場合が多い。


それに対して開山というのは、そのお寺の教え、悟りを開いた人である。大抵の場合は、僧、お坊さんがなる場合が多い。


寿福寺は、開基が北条政子、そして開山が明庵栄西。



1200(正治2)年、源頼朝の妻・北条政子が頼朝の死後、頼朝の父である義朝の旧邸跡に明庵栄西を招いて創建した寺で13世紀後半になって禅宗の寺院となった。


本尊は釈迦如来坐像。その脇には大きな仁王の像がある。鎌倉五山の第三位。


三代将軍実朝もしばしば訪れ、最盛期には十数か所の塔頭を擁する大寺であったという。


まさに源氏のルーツの地に立つ寿福寺。


鎌倉五山の中で、もっとも重要なお寺であることがわかった。これはもう鎌倉五山の順位など関係ない。


ただ、このお寺は、すごいミステリアスなのだ。基本的に非公開なのである。一般公開されていない。そして電話・FAXの受付もいっさいしていないのだ。


超ミステリアス!


秘密のベールに包まれた禅寺なのである。


ただし、正月やGWには、特別公開するようで、自分はぜひ近々のGWの照準を合わせて、再び寿福寺を訪問してみたいと思っている。


秘密のベールに包まれた寿福寺の仏殿、境内をぜひ拝みたいと思っている。たくさん写真を撮ってきて、日記にしたいと思っているので、お楽しみに!


寿福寺は基本は非公開なので、中の境内は拝見できないのだが、でも見れる観光スポットはちゃんとあるのだ。そこはつねに公開なのである。


事前にネットで調べたところ、これはぜひ行く価値がある。それだけこのスポットには魅力がある!ここを観るだけでも価値がある、と即決で判断した。



これは行かない訳にはいかない。


さっそく寿福寺に行く。鎌倉駅から小町通りをずっと歩いていって、ずっと端まで行って、左折する。住宅街の中をひたすら歩いて行って、線路を超えたら、もうそこは寿福寺である。


総門。


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源実朝を偲ぶ石碑が立てられていた。1992年に建てられた石碑のようだ。寿福寺は、政子だけではなく、源実朝や源頼家とも所縁の深いお寺なのである。


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そして、寿福寺といえばこの参道。この参道の敷石は鎌倉随一の美しい意匠と言われている。


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寿福寺の一番の魅力はここでしょう。でも自分が写真を撮ると下手なんだなぁ。(笑)


事前にネットで調べたプロの写真はこんな感じです。


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鎌倉随一の美しい意匠。自分はこのプロの写真をみて、これはぜひ行ってみて、自分の目でじかに見てみたいと思ったのだ。


そうしてもうひとつのスポットを見に、このお寺の裏山のほうに向かう。


こんな怪しげな裏山への山道。ここで合っているのかちょっと不安になる。


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そうすると、また門が現れる。


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ここに看板を発見する。


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おぉぉ~ここで間違いない!


確信を持った自分は、さらに裏山のほうに向かう。


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そうすると、階段を昇ったところは、そこには一面に墓地が開けていた。


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そして自分が目指したところ。それがここである。


北条政子、源実朝のお墓。


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寿福寺の裏山には、北条政子と源実朝が眠る墓があるのだ。


墓地、最奥に源氏山をくり抜くようにやぐらがある。ここに北条政子、そして源実朝のものと言われる五輪塔を安置したやぐらがある。実朝の塔があるやぐらは「唐草やぐら」と呼ばれ唐草模様の彩色がかすかに残った珍しいものだそうだ。


ここが北条政子のお墓(やぐら)。


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そしてこちらが源実朝のお墓(やぐら)。


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現場で見たところ、どちらが政子、実朝の墓なのか、よくわからなかった。確信が持てなかった。ただ政子のほうは、看板に書いてあったので、たぶん間違いないと思う。



こちら側のアングルからも、政子、実朝のお墓を撮る。


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寿福寺のもっとも所縁のあるポイントとして、この政子、実朝のお墓がある、というのはあまりに強烈なメッセージだし、ここはぜひ訪れないといけないだろう、と思ったのだ。


自分は嬉しかった。まさかここで、政子や実朝のお墓参りができるなんて思ってもいなかったから。鎌倉五山のことを調べていくうちに、順位付けの順番で、今度は寿福寺の番ということで調べたらこんなミステリーが待っていたのだから。


自分は高まる鼓動を抑えることができなかった。


寿福寺の観光スポットは、美しい参道と、この政子、実朝のお墓参りである。そしてなによりも源氏のルーツに立つ禅寺である。非公開の秘密のベールに包まれたお寺であるけれど、鎌倉五山の中でもっとも重要な立ち位置にあると言えるのではないだろうか。


寿福寺の裏山からそのまま源氏山公園に行くこともできる。そこには有名な源頼朝像があるのだ。


ぜひ行ってみようと思ったのだが、うまくたどり着けなかった。


源氏山公園の源頼朝像は、また機会を改めて、別ルートで行きたいと思っている。鎌倉駅から結構歩くので、歩行に支障がある自分にはかなりハードルが高い。どうしようか困っているところだ。



日を改めて、今度は浄智寺。


浄智寺は、鎌倉五山第四位の禅寺である。


浄智寺が創建された十三世紀の後半の鎌倉は、北条氏がきわめて盛大で禅宗がもっとも栄えた時期である。


1281年(弘安4年)執権として有名な北条時頼の三男、宗政が29歳で亡くなる。浄智寺は宗政夫人が幼少の師時を開基にして、宗政の菩提を弔うために創建されたお寺である。


開山が3名連なるのが、鎌倉では他に例をみないが、当時は渡来僧が多かった禅宗の雰囲気が垣間見れる。史料が乏しく真相は不明だが、3人の中で唯一の日本人である「南洲宏海」が、すでになくなっている「兀庵普寧(ごったんふねい)」に開山の名誉を遺贈し、実際には「大休正念(だいきゅうしょうねん)」を据えたのではないかと推測されているそうだ。


浄智寺は、北鎌倉駅から歩く。北鎌倉駅の建長寺や円覚寺などがある方面とは、反対方面にある。



浄智寺惣門(高麗門)


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「寶所在近」の文字が掲げられた美しき惣門。池の前には苔むした石の反橋がかけられた、美しき惣門。その脇に鎌倉十井のひとつ「甘露ノ井」がある。



浄智寺の鐘楼門


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鎌倉では珍しい唐様の鐘楼門。


杉林に囲まれた参道は鬱蒼としていて、その先に鎌倉では珍しい唐様の鐘楼門がある。手前の鎌倉石の階段も美しく、すり減った鎌倉石が歴史を刻む古刹の佇まいをみせてくれる。2007年に再建された鐘楼門は「山居幽勝」の額が掲げられ、花頭窓のある上層には1649年(慶安2年)の梵鐘が吊るされている。



曇華殿と木像三世仏坐像


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曇華殿(どんげでん)と呼ばれる仏殿。本尊は珍しく室町期作の木像三世仏坐像で県指定重要文化財である。


浄智寺本尊。木像三世仏坐像


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向かって左から阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来で、過去・現在・ 未来の時を代表している。鎌倉地方に多い衣の裾を台座に長くたらした様式が見どころ。鎌倉仏の特徴をよく表しているといわれている。



巨木。コウヤマキ


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鎌倉市指定文化財のマキ仏殿脇のコウヤマキは鎌倉第一の巨木。鐘楼前のビャクシンとともに鎌倉市指定文化財になっている。


浄智寺は趣があって、美しい。


そのほかにも、拝観した順路で紹介していきたい。ネットで調べてみたが、以下の写真がなんなのかよく判明しなかった。当日行き当たりばったりで写真を撮るので、あとで後日調べて照合するという超めんどくさいことをしないといけないのだが、これらの説明があるものはなかった。


浄智寺といえば、大体、上に挙げた浄智寺惣門(高麗門)、鐘楼門、曇華殿と木像三世仏坐像、そして巨木。コウヤマキがメインのスポットなのでこれ以上の細かい説明は、ネットでいろいろ探したけどなかったようだ。これだけ網羅しておけば十分ということか。


行く前に見どころを全部把握しておくことは、かなり難しいため、ひとつ後悔したところがあった。境内奥の、洞穴の中に立っている布袋さまは、「鎌倉・江の島七福神めぐり」の布袋和尚(ほていおしょう)。お腹をさするとご利益があるとされ、皆が触っていくので、お腹のあたりが、黒くなっている。


今回この布袋和尚を拝見できなかったのは、なにより後悔である。次回行くときは、かならずお腹をさすってこよう。


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説明なしで写真を並べるだけでも、その通りに歩いて拝観している雰囲気が味わっていただけるものと思う。鎌倉五山第四位、浄智寺、素晴らしい禅寺でした。




鎌倉幕府と所縁のある鎌倉五山の禅寺巡り。残りは、浄妙寺である。


浄妙寺は境内に英国ガーデンテラスのある鎌倉のお寺で、これまた魅力的なのだ。石釜ガーデンテラスというレストランがあり、境内で食事ができるという驚きの異空間。またパンやコーヒーをいただけるテラスや、抹茶をいただける喜泉庵があり、知る人ぞお寺グルメのユニークなお寺なのだそうだ。


とても楽しみにしています。




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鎌倉五山 建長寺と円覚寺 [寺院・仏閣]

鎌倉五山は、鎌倉にある臨済宗の禅寺で、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つの寺院とその寺格のこと。(鎌倉時代は、この中に京都の建仁寺が入っていたが、いまは入っていない。)


京都五山に対してそう言う。


中国南宋時代に五山官寺制度があり、それが日本に鎌倉時代に伝わり、北条氏によって導入された。その後、鎌倉幕府が滅亡すると、鎌倉中心の五山ではなく、京都を中心とした五山が定められた。


幕府は京都と鎌倉に五山制度を構成し、室町時代、足利義満の時に、五山の制を定めたのである。その際、京都の南禅寺を別格の上位にして、京都五山、鎌倉五山の寺格を固定してきた。


ちなみに、鎌倉、京都には数多くのお寺があるが、なかでも臨済宗や曹洞宗など禅宗の寺院を「禅寺」と呼ぶ。 


これが先の日記で学んできたことである。




鎌倉五山には、順位がついていて、いわゆる”寺格”といわれるもので、寺に格付けがされている。


鎌倉五山の順位は、第一位-建長寺、第二位-円覚寺、第三位-寿福寺、第四位-浄智寺、第五位-浄妙寺である。


この五山の上に、京都の南禅寺が別格上位として設定されている。


五山では、茶道、精進料理などの禅文化が発達し、現在も建物や寺宝を見ようと、多くの観光客が訪れる。鎌倉五山は、一日かけて五山めぐりをする観光コースもあり、観光名所になっているそうだ。


今回、鎌倉五山を巡る行脚をしたいと思っているが、まずどこに行くか。自分の中では、まず建長寺のけんちん汁を体験したかったので、建長寺は最優先であった。


建長寺は鎌倉五山第一位である。


であれば、鎌倉五山第二位の円覚寺も行こう。建長寺は北鎌倉駅から結構歩くが、円覚寺であれば駅降りてすぐである。


鎌倉五山第一位と第二位でワンツーフィニッシュでいいと思いました。


当日はあいにく曇りの日だったが、建長寺、円覚寺ともに訪問出来た。華やかな京の貴族文化の寺院を経験していたこともあって、最初、シブ~、ジミ~とも思ったが、終わるころには、すっかり鎌倉仏教文化にぞっこんである。


素晴らしい五山文化であった。


寺院を見ながら、感動しながら思いつくまま写真を撮った。どこがどの建物で・・・なんということはまったく予習せず、とにかく行き当たりばったりでバシャバシャ撮った。


当日、お寺でもらったパンフレット。


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あとで、この日記を書くために膨大な枚数の写真を眺めながら、記憶の中の地理感覚と、このパンフレットの地図とを照合しながら紹介していく。


だから誤りやうろ覚えのところもあると思うが、ご了承を。


●建長寺


日本初の本格的禅寺。鎌倉を代表するお寺のひとつ。国宝の梵鐘など、とても見どころの多い境内は国の史跡である。


1253年(建長5年)、時の執権、北条時頼が宋より蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)を招いて、我が国の本格的な禅宗専門の道場として創建された。


三門、仏殿、法堂が一直線に並び、禅宗特有の伽藍様式をいまでも残している、鎌倉が誇る美しい禅刹である。三門や巨大な地蔵菩薩坐像などみどころも多く、北鎌倉を代表する観光スポットといわれる。


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けんちん汁の点心庵さんのところの門から入ったのであるが、建長寺の石碑とともに、鎌倉殿の13人の梶原景時のゆかりの地という旗がいっしょに掲げられていた。なんだか、うれしい・・・。


梶原景時(かじわら かげとき)は、鎌倉幕府初期の有力御家人で、源頼朝の死後に追放され、一族とともに滅ぼされた御家人である。


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目の前は鎌倉学園という学校の校舎があった。素晴らしい、いい環境にありますねぇ。



三門(国重要文化財)


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高さ約30mの巨大な山門。現在の姿は1775年(安永4年)に第201世住職「万拙硯誼(ばんせつせきぎ)」により再建されたものと言われている。


仏殿(国重要文化財)


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本尊として禅寺としては珍しく巨大な地蔵菩薩坐像が安置されている。現在の仏殿は東京・芝の増上寺より、徳川2代将軍「徳川秀忠」の夫人で小督の方「崇源院(すうげんいん)」の霊廟が1647年(正保4年)に移築されたものといわれている。



建長寺本尊 地蔵菩薩坐像


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まさに建長寺のご本尊さまである。坐高約2.4メートル、台座を含めると5メートルにもなる建長寺の巨仏は地蔵菩薩。


建長寺はかつて地獄谷と呼ばれた土地の地蔵堂を中心に建立された。なので禅寺なのだが本尊が釈迦如来ではなく地蔵菩薩なのである。



梵鐘(国宝)


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国宝。鎌倉三名鐘のひとつ。


巨大な鐘は国宝に指定されている。大きさこそわずかに円覚寺の洪鐘(おおがね)には及ばないが、円覚寺、大船の常楽寺の鐘とともに「鎌倉三名鐘」と称されている。


1255年(建長7年)に、大和権守「物部重光(もののべしげみつ)」が鋳造したものといわれている。



建長寺の法堂


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法堂(重要文化財)。住職が仏に代わって須弥壇上で説法するためのお堂。千手観音像、釈迦苦行像、天井の雲龍など見どころ満載である。


申し訳ない。天井の雲龍を撮影するのを忘れてしまいました。あまりに圧倒される空間なので、天井に気づかなかった。



伽藍のレイアウト


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スミマセン、この写真だけ借り物です。雲ひとつない青天。(笑)


一直線に並ぶ宋風の伽藍配置。


一直線に並ぶ宋風の伽藍配置がとても特徴的。手前から仏殿、法堂、大庫裏。創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅宗寺院を模したもの。主要な建物が直線にならぶ大寺院であった。その後数度の火災により、その多くが焼失してしまったが、江戸時代に入り「沢庵和尚」や徳川幕府の後援などによって、再建復興。


2003年(平成15年)の創建750年事業によってほぼ現在の姿に整備された。2011年(平成23年)に唐門の修復を終えたことで現在の新しい建長寺に至る。



方丈(龍王殿)


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建長寺方丈。龍王殿ともいわれ、宝冠釈迦如来が祀られている。総門と同じく1940年(昭和15年)に京都の般舟三味院の本堂を移築したもの。


中に入れるようになって拝観できる。さっそく入ってみる。心が清められるようだ。


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方丈の唐門(国重要文化財)


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別名、勅使門。唐破風屋根の唐門は、江戸増上寺にあったものを1647年(正保4年)に移築したもの。



池泉庭園(国名勝)


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蘸碧池(さんぺきち)を中心した方丈庭園


方丈の北側には心字池を配した池泉庭園があり、方丈の縁側から眺めることができる。建長寺を開山した「蘭溪道隆(大覚大師)」作とも、「夢窓疎石(円覚寺や浄妙寺の住持を歴任した名僧、瑞泉寺庭園など作庭家としても有名)」作と伝えられている。


自分はこの池泉庭園を眺めたとき、これよりもとても雅な庭園は今までいくつも見たことがあるけれど、まさにこの庭園こそ武家文化の庭園だよな~男らしいな~と思ったのである。



本派実務本院


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中には入れませんでした。玄関から記念の1枚。



鎌倉五山第一位、鎌倉を代表する禅寺、建長寺。しかと堪能しました。


素晴らしかった~~~。



情報引用元:


【北鎌倉】建長寺。鎌倉を代表する禅寺




つぎに円覚寺。鎌倉五山第二位の禅寺である。北鎌倉駅を下車したすぐ傍にある。



円覚寺の総門。北鎌倉の玄関


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北鎌倉駅を降りると、そこは円覚寺。


鎌倉五山第二位のその寺格通りいまもなお鎌倉有数の巨刹で、北鎌倉では建長寺に並ぶ観光スポットで人が絶えない。


北鎌倉を降りわずか1分、すぐに円覚寺の総門が現れる。普段は北鎌倉の待ち合わせポイントとして大いに賑わうほか、秋になると門前は鎌倉でも有名な紅葉スポットであり、多くの観光客が吸い込まれていく。




山門。円覚寺のシンボル


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見ごたえのある印象的な三門は、夏目漱石「門」の舞台にもなった。


開基は鎌倉時代の名執権、北条時宗(ほうじょう ときむね)。モンゴル帝国(元)の侵略戦争「元寇」に際し、戦没者の菩提を弔うために1282年(弘安5年)に開かれたお寺である。


国宝の舎利殿や洪鐘(おおがね)、季節の花々、座禅会も随時開催され見どころ満載のお寺である。


この門は三解脱さんげだつ(空くう・無相むそう・無願むがん)を象徴するといわれている。煩悩を取り払い涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされている。



円覚寺の仏殿


宝冠釈迦如来が祀られている建物。


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仏殿の宝冠釈迦如来


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仏殿に鎮座する巨大な本尊、宝冠釈迦如来(ほうかんしゃかにょらい)。宝冠と胸飾りをまとうおごそかな姿は圧巻。頭部のみ鎌倉時代の作品。胴体は焼失し江戸初期に補造。華厳経の世界を説く姿から華厳の釈迦(盧遮那仏)とも言われている。


仏殿の白龍の図


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仏殿内を見上げると圧巻の白龍図が。文化勲章受章者の前田青邨監修、守屋多々志揮毫作の三爪の龍図である。



仏殿の中に、坐禅を組む場所と思われるスペースを発見した。人生で1度でいいから坐禅組んでみたいです。体験してみたいです。


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十王堂(桂昌庵)


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選仏場


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選仏場とは坐禅道場のこと。1699年に建立。いまは運慶派の南北朝時代の作品と言われる薬師如来が安置されている。



大方丈、円覚寺の方丈(ほうじょう)


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建長寺のところでも、この「方丈(ほうじょう)」という建物が出てくるのだが、方丈とはなんなのか?方丈とは、1丈 (約3m) 四方の部屋の意で,禅宗寺院の住持や長老の居室をさす。


美しい庭園を持つ方丈。中に上がることもできるので円覚寺の中でも人気の場所である。本来、方丈は住職の居住区画なのだが、「宝物風入」をはじめとする各種イベントの多目的ホールのように使用されているそうだ。



円覚寺は方丈でも大方丈と呼ばれていて、部屋の容積は大きいと思うが、この写真が大方丈だったのか、は確信が持てず。(笑)スミマセン。



唐門(からもん・勅使門)


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1839(天保10年)建立の方丈の正門である唐門。屋根の形が弓を横ししたような形であるが、これを「唐破風(からはふ)」という。松と鳥、獅子と像、扉には龍、雲、波濤など見事な彫り物が見られる。


この写真も本当に唐門だったのかは、確信が持てず。(笑)



舎利殿(しゃりでん・国宝)


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鎌倉で唯一の国宝


舎利殿は、鎌倉唯一の国宝建造物。源実朝が宋の請来した「佛牙舎利」というお釈迦様の歯が祀られている。ぜひ中に入ってみたかったけれど、立ち入り禁止だったんだよね~。



途中、佛日庵という休憩茶店の付属した建物を発見する。


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北条時宗の廟所


佛日庵(ぶつにちあん)は、鎌倉幕府8代執権、北条時宗(ほうじょう ときむね)の廟所である。中の茶室「烟足軒(えんそくけん)」ではお抹茶を楽しむことができる。


なかなか風情があって、一休みしていこうかな、と思ったが、やめといた。おみくじもできるみたいである。抹茶とお団子をいただきたかったです。



洪鐘(おおがね)【国宝】と弁天堂


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円覚寺に来たらこれはどうしても観ておかないといけない。ところが、これがじつに大変なところに立地しているのだ。


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こんな山のてっぺんを登っていく感じである。これはまだある一部の写真である。これを登り切ったところを、さらに右折して、それをまた登り続けるのである。


なんでもこの石段、130段ほどあるそうだ。


正直歩行リハビリを継続している身からすると勘弁してくれよ~という感じであった。山のてんぺんにある感じである。


これが円覚寺の国宝、洪鐘(おおがね)


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この洪鐘のすぐ隣に、一息できる弁天茶屋があるのだ。残念ながら現在は休業中であった。



洪鐘弁天堂茶屋


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鎌倉の景色を眺望できる弁天茶屋で一休み。洪鐘(おおがね)と弁天堂を見学のご褒美。なによりも一息できる弁天茶屋がオススメである。


情報引用元:

【北鎌倉】円覚寺。北鎌倉で必須の観光スポット




以上、鎌倉五山第一位の建長寺と第二位の円覚寺、いかがでしたか?


寺の規模としては、大きいので、事前に予習したとしても頭に入らないものである。自分も前日に、ネットで予習をしていったのだが、全然頭に入らなかった。


やっぱり当日、その場を訪れて、自分の視覚できっちり捉えた後、自分の記憶に刻み込んだ後に、もう一回勉強しなおすと、頭に入ってくるものである。


でもとりあえず、バシャバシャとその場で撮影して、その膨大な枚数の写真から、これはなに?というのを、あとで調べて帳尻を合わせ、説明文を加えるのは、すごい大変。しんどかった~~~。(笑)


かなりの力作で大変な工数のかかる日記であることがわかった。


鎌倉五山を自分のものにするには、やはり2回訪問しないとダメであろう。1回訪問して、写真を撮影して、そのあとに、めちゃくちゃ大変な後編集、日記を作成する。


その後に、もう一回お寺を訪問するのである。


そうすると完璧に自分のものになると思います。


残りの鎌倉五山、寿福寺、浄智寺、浄妙寺も気合を入れて、取り組んでいきたいと思います。


追伸:ちなみに・・・


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この写真は、北鎌倉の明月院の境内。そうあの6月に青いアジサイでいっぱいになる明月院ブルーで有名な場所である。シーズンオフになるとこんなに寂しくなるのか。(笑)


まるで全然の別世界のようです。でもその代わりと言ってはなんですが、この季節の蝋梅(ロウバイ)の黄色の花が咲き始めたそう。やはり北鎌倉、鎌倉もいいシーズンのときに訪れたいものです。


秋の紅葉の京都は、じつに素晴らしい世界でしたが(でも地獄の混雑!)、鎌倉の秋の紅葉も絶景の風景なのではないでしょうか・・・。





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鎌倉五山と京都五山 [寺院・仏閣]

鎌倉に根付いた仏教文化は、やっぱりひと味違う。京の華やかな貴族文化とは相対する、その対極にあるような印象で、いかにも東国武士団の素朴で地味、そしてある意味武骨ともいえる男らしい文化である。


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うわぁ、ジミ~!と最初は思ったが、これぞまさしく鎌倉の仏教文化なのだろう。いろいろ見て回っていくうちに、その魅力の虜となっていく自分がいた。


なんか妙に心が落ち着く。自分はこういう世界が大好きである。やっぱり日本人なんだな~と思います。


学生時代は、日本史がすごく好きで好きで堪らなかった。理系の人間にとって、社会科というのは学業の負担でしかないと当時は思われていて、共通一次(いまでいう共通テスト)試験では、地理、倫理(いわゆるチリリン)を受験するのが定石と言われていた。


でも自分は日本史が好きで好きで堪らなかったので、社会科の受験科目として日本史を選んだのである。日本史は本当に覚えることが多くて大変なのかもしれないが、好きこそものの上手なれ、という言葉があるように、自分にとってはまったく負担にはならなかった。


自分の日本史好きは幼少の頃からなのである。


日本の寺院仏閣には、古より”五山”といって、5つの寺院を挙げて特別に扱う歴史がある。今回、鎌倉五山というのがどうしても避けて通れなかったので、自分もいろいろ調べてみた。


そうすると、日本の歴史の中で、五山というのは、鎌倉五山だけではないことがわかった。


「五山」とは、中国の制度にならったもので、禅宗寺院の格式を表したもの。鎌倉時代に北条氏によって導入された。


鎌倉では、南宋で修行を積んだ栄西によって持ち込まれた「臨済宗」が発展し、北条時頼や北条時宗などによって大寺院が建立された。


五山の制度がいつ取り入れられたのかは定かではないが、1299年(正安元年)に九代執権北条貞時は浄智寺を五山に列するよう命じている。


また、どの寺院が五山に列せられていたのかも定かではないが、鎌倉の禅宗四大寺である建長寺、円覚寺、壽福寺、浄智寺と京都の建仁寺が五山に列せられていたと考えられる。


北条氏による鎌倉五山


壽福寺

1200年(正治2年)創建

建仁寺(京都)

1202年(建仁2年)創建

建長寺

1253年(建長5年)創建

円覚寺

1282年(弘安5年)創建

浄智寺

1281年(弘安4年)頃創建



鎌倉幕府滅亡後の五山として、


後醍醐天皇が決定した五山というのがある。


後醍醐天皇による建武の新政下では、1334年(建武元年)、京都を中心に五山が定められた。 


一位:南禅寺

二位:建長寺

三位:円覚寺

四位:東福寺

五位:建仁寺


足利尊氏が決定した五山


室町幕府を開いた足利尊氏は、1341年(暦応4年)、五山を武家中心のものに改めた。 


一位:建長寺・南禅寺

二位:円覚寺・天龍寺

三位:壽福寺

四位:建仁寺

五位:東福寺


足利義満が決定した五山


1386年(至徳3年)、室町幕府三代将軍足利義満は、南禅寺を五山之上に置き、鎌倉五山と京都五山を決定した。この決定が最終的なものとなる。



鎌倉五山と京都五山。

鎌倉と京都の寺院が五山として名を馳せてきたんですね。


もともと五山という発想が、鎌倉時代の北条氏によって導入されたものだということだから、つねに東と西でその名誉を分け合ってきたのだと思います。


鎌倉五山の中でも、なぜか京都の建仁寺が選ばれている。


禅の文化が生んだ「五山文学」


禅宗寺院の隆盛は、「五山文学」を生んだ。五山文学とは、禅僧による法語や詩、日記などのこと。


建長寺に残されている蘭渓道隆の「法語規則」は国宝。詩文では、義堂周信の「空華集」や絶海中津の「蕉堅藁」が知られている。禅僧は外交文書の起草においてもなくてはならない存在となっていた。


禅の文化が生んだ「美術」


鎌倉時代から室町時代にかけては、禅僧の「頂相」(ちんぞう)が盛んに制作されるようになる。「頂相」とは、禅僧の肖像画、または、彫刻のことで、師が弟子に法を伝えた証として制作された。


建長寺に残されている「蘭渓道隆像」(肖像画)は国宝。


円覚寺の「仏光国師坐像」、瑞泉寺の「夢窓国師坐像」、建長寺塔頭正統院の「高峰顕日坐像」などの頂相彫刻は、国の重要文化財に指定されている。


頂相の他にも、建長寺や円覚寺の「仏涅槃図」、「五百羅漢図」などの多くの仏画が描かれ、水墨画のルーツになったともいわれている。


情報引用元:


数字で表された鎌倉の名所:鎌倉五山



鎌倉五山は、北条氏によって任命されたお寺。今年の大河ドラマの主役の北条義時の後の世代になるが、ぜひ大河ドラマに纏わる巡礼として、この鎌倉五山をまわってみたいと思ったのである。







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川崎大師 風鈴市 [寺院・仏閣]

川崎大師は、自分の首都圏での心の拠り所のお寺である。2005年頃から、必ず年初の初参りは、川崎大師と決めている。他のお寺に浮気したことがない。2005年頃は本厄、前厄、後厄の前厄にあたって、どこかお寺でそういう厄払いをしたいと思い、友人にどこかいいお寺を教えてもらえないかということで、教えてもらったお寺。それがそもそものきっかけであった。


いくら図太い神経の自分でも、やはり前厄、本厄、後厄になにもしないのは気持ちが悪かった。


以来、ずっと川崎大師一筋である。結局、自分が転職した、人生の大きな転換期も、本厄の42歳のときであった。


古くから「厄除けのお大師さま」として知られる、川崎大師 平間寺(かわさきだいし へいけんじ)では、毎日、護摩祈祷を修行し、厄除け、家内安全、商売繁昌、健康長寿など、皆さまの諸願成就をお祈りしている。


そこで護摩祈祷をしてもらい、、近所の達磨屋さんで、達磨を買っていくのが、自分の慣わしである。


1年のうち、必ずこれをやらないとなんか気持ち悪い。


そんな自分も年々だらしがなくなってきて、いつも新年あけた年初の初参りのときの1月の自分の誕生日のとき、と決めているのであるが、だんだんそれが夏になったり、秋になったり、結構いい加減になってきた。


今年の年初は行っていなかった。


いま川崎大師では、風鈴市をやっているということで、これはいいタイミングと思い、護摩祈祷をしてもらい、お護摩の木札と達磨を買いに行こうかな、と思った。


風鈴市のときに、川崎大師に行ったことがなかったので、その風鈴市を体験する、というのも大きな目的であった。


川崎大師の風鈴市というのは、全国のご当地の風鈴をいっせいに川崎大師に集める、まさに清涼感あふれる夏の風物詩の行事なのである。


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いままではお寺の中の境内で、テントを造営して、そこにいっせいに全国ご当地風鈴を展示していた。でも去年は、コロナで開催中止。そして2年ぶりとなった今年は開催だけれど、お寺の中の境内での集中展示はやめて、周辺の店舗にそれぞれ展示してもらう感じでコロナ対策とした。


全国のご当地風鈴を集めた川崎大師平間寺の風鈴市が20日、周辺の37店舗を会場に始まった。新型コロナの影響で昨年は中止。2年ぶりに夏の風物詩が復活した。


1996年に始まった風鈴市は川崎大師観光協会が主催。コロナ対策として期間を5日間から8月22日までの1か月間に延長し、会場も境内ではなく周辺の店舗に分散した。


「店舗巡り川崎大師風鈴市」と題した今回も同寺で祈願した特製の「厄除(やくよけ)だるま風鈴」をはじめ、東京都の「切り子風鈴」や東京五輪にちなんだ「南部風鈴」など、全国45都道府県から800種類、2万個が集結。周辺の店の軒先に数種類ずつ並べられ、涼しげな音色が地域にあふれた。


この川崎大師の夏の風物詩である風鈴市はぜひ行ってみたかったんですよね。


今年は、それぞれのお店に分散されて展示されているけれど、そのショットを撮って来たので、ちょっと日記で紹介したい。


風に揺られて、あの風鈴が鳴る音を聴いたら、本当に心が和む。

あ~夏だなぁ~と思う。

風鈴の音色って、本当にいいですね。

そして風鈴の姿も、本当に心癒される。


自分の家にも風鈴をつけたいと思いました。


川崎大師の前の商店街に、このように空中にワイヤーを張って、そこに風鈴を取り付けていくんですね。それをジグザグやるわけです。


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それぞれのお店に分配された各地のご当地の風鈴たち。


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なんとくまモンの風鈴もありました。(笑)


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川崎大師の御本堂のところにも風鈴が取り付けられていました。


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そよ風にそそぎ、チンチロリンと美しい音色を奏でる風鈴たち。

そしていろいろな風鈴。


いやぁ~本当に心癒される。

うちに風鈴欲しいです。本当に。



この川崎大師の商店街のところには、いつも飴を切るために、包丁をタンタンとリズミカルに鳴らすのが商店街中に響き渡って、ひとつの名物でもありますね。この包丁のタンタンを聞くと、あ~川崎大師に来たんだな~と実感します。


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そして川崎大師。


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そして川崎大師でのいつも行い事。


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まず、ここで、いままで使用した、古いお護摩の木札と達磨をここで返却します。さすがにふつうにゴミ箱に捨てたりはできませんよね。バチが当たります。そういう古いモノの処理していただけるところです。そのときに、必ず心なりのお賽銭を入れることを忘れてはいけません。


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そして聖徳太子像に一礼で拝みます。


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そして護摩祈祷の申し込みする場所です。護摩祈祷は、その寄付するお金に応じて、いろいろランク分けがあります。最高は3万円から下は2000円まで、いろいろ選べる。


自分は昔は3万円でしたが、最近はさすがに予算体力がなくなり1万円コースです。


なにを願い事祈るのか、それはたくさんの選択肢があって、選べるようになっています。健康第一、交通安全、商売繁盛、大願成就、・・・もうたくさん候補があります。その選択した内容に応じて、そのお護摩の木札にその願い事が書かれるのです。


自分は、今年は、”心願成就”にしました。


護摩祈祷は川崎大師本堂でおこなわれます。1万円コースの人は、このご本尊様の前の畳に座って、祈祷を受けます。


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ご本尊さま。


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3万円コースの人は、同じ護摩でも大護摩と言われ、ここに座れる特権があるのです。


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3万円コースは本当に凄いです。特別扱いです。まず受け付けたら最初に別室に通されるんですよね。そこで同じ大護摩祈禱者とともに祈祷開始時間まで待つのです。そして時間になったら僧侶の方が迎えに来て、さっきの写真の場所に誘われ座って祈祷を受けられるのです。もちろん祈祷は、1万円コースとは時間帯が違って、その3万円コースの方のみの特別祈禱になります。



そして祈祷が終わったら、またさっきの和室とはまた違った部屋に通され、そこでお屠蘇の1杯をいただけるのです。それぞれの巫女さんがお酌をしてくれます。そして、これまた僧侶がそのお客さん1人1人につき、厚くお礼を言いながら、その大護摩の木札と記念品一式を、きちんとした風呂敷に包んでくれるのです。


大護摩の木札は、1万円の木札よりも、もっと大きく素晴らしいです。そして、このたびは本当にありがとうございました。。。とお礼をいただきでお終い。


とにかく3万円コースは、最初から最後までVIP扱いの待遇なのです。


なぜ、自分は3万円コースのVIP待遇のことをこんなに詳しいかと言うと、自分はかなりの年数3万円コースだったからです。自分の体験談に基づいています。


でも年々貧乏体質になり、護摩祈祷に3万円を出すのは、厳しくなり1万円コースに格下げ。ご本尊様の前の畳の大広間でみなさんといっしょに受ける、という感じで収まるようになったのです。



この護摩祈祷で、川崎大師のご本尊さまに願い事をしないとその1年が始まらないです。


そして護摩祈祷のあとに、達磨を買います。自分がいつも達磨を買う達磨屋さんは、ここです。「人生、開運しますように・・・」と願いをかけながら。


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川崎大師の前の商店街にあります。


これで、自分の川崎大師での一連のきまりごとはお終いです。


川崎大師といえば、やっはり住吉の久寿餅(くずもち)ですよね。


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ご祈祷が終わったときは、必ずここで久寿餅をいただきます。


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川崎大師にいって、これをやらないと1年がどうしても始まらないのです。困ったときだけ、お願いしにいく、という心構えではダメですね。普段から、規則正しく通う者のみが救われるような気がします。


今回は、風鈴市を体験することが大きな目的だったので、違った意味で満足しています。




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