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マーラーフェスティバル追悼 [海外音楽鑑賞旅行]

マーラーフェスティバルについては、自分は責任があると思う。ゆりかごから墓場まで。彼らが最終的にどうなったのかを説明する義務があると思うのだ。


衝撃だった去年の今頃。まさに3か年計画で予算案を立案し、日記で公表してからは、連日の特集日記連載で、毎日マーラー三昧。そうやって徐々に盛り上げていき、2020年5月に一気に爆発する予定であった。


そして世界中がまさかこんなにいっぺんに変わってしまうとは誰もが思わなかったコロナ禍。マーラーフェスティバルは、毎年開催されるふつうの音楽祭ではないのだ。20~30年に1回のレアな音楽祭なので、それだけ落胆も大きかった。


今回のフェストでは、マーラー財団(Mahler Foundation)と、とりわけ、マーラーの孫娘のマリナ・マーラーが協力体制にあった。



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マーラーの孫娘マリナ・マーラー
Marina Fistoulari Mahler (1943)


マリナ・マーラーはいまやマーラーを知る生き証人のような存在。


またマーラー交響曲・歌曲全曲演奏会だけではなく、マーラーの所持品、写真コレクションなどマーラーに所縁のあるものも展示される予定であった。アムスやパリの美術館との手配も済んでいた。そしてシンポジウムや講演会なども連日開催予定であった。


これは観たかったし、聞きたかったなぁ。


ライブストリーミング配信も予定されていた。コンセルトヘボウでの公演の様子をリアルタイムでコンセルトヘボウ・ホールの向かいにある緑の芝生の公園のところに大スクリーンを立てて、パブリック・ビューイングもする。自分は2番「復活」だけチケットが取れなかったので、このPublic Viewingを体験する予定であった。


まさに十数日間、アムステルダムがマーラー一色に染まるフェスティバルであった。


今回のフェストのマネージング・ダイレクターはサイモン・レイニンク氏。


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前回の1995年大会のとき、サイモン氏は、父といっしょにこのマーラーフェスト1995を楽しんだ思い出がある。学生時代にそんな経験をしていたサイモン氏が、いまや今回の2020年大会では、マネージング・ダイレクターを務めるというのだから、時代の流れ、経過に感慨深いものを感じる。


1987年の秋の10月のある夕方、サイモン氏が若い学生だった頃、父がいまや伝説となってしまったレナード・バーンスタインによるマーラー交響曲第1番のコンサートに連れて行ってくれた。そのアメリカ人は、「マーラーは、交響曲の分野で、20世紀の最も重要なイヴェントになると確信している。」と予言していた。


サイモン氏はこの日の夕方のことは、けっして忘れることのできなかった。


そしてその8年後、サイモン氏と父は、忘れることのできないマーラーフェスティバル(マーラーフェスト1995)を一緒に楽しむことになったのだ。


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「アムステルダムは、私の第2の音楽の故郷だ。」


盟友メンゲルベルクとの出会いもあり、いままで音楽業界であまり評価が芳しくなかったマーラーが、アムステルダムでの予想を上回る暖かい大喝采を浴び、それを契機にアムステルダムに何回も足を運びようになり、自ら指揮をして何回も公演を開催した。


アムステルダムは、まさに熱狂の渦、興奮のるつぼと化した。
アムスでの滞在が作曲や編曲のきっかけになることも多かった。


そんなマーラーとアムステルダムとの交友を祝して、いまからおよそ100年前にメンゲルベルクが第1回のマーラーフェストを開催した。それが始まりである。RCOを率いてマーラー交響曲全曲・歌曲を演奏した。第2回は1995年。ベルリンフィル、ウィーンフィル、コンセルトヘボウの3大オケで同様に全曲演奏。


そして100年目の節目に当たる2020年。まさに3回目のマーラーフェストであった。今回もベルリンフィル、ウィーンフィル、コンセルトヘボウの三大オケの夢の饗宴の他、ブタペスト祝祭管、マーラー・ユース・オーケストラなどの出演も予定されていた。


まさにHuge Dissapointment !と彼らが嘆いたのはよくわかる。
Huge Disappointedだよ、まさにこれは。。。


自分は泣いた。


2020年大会が中止になったときに、彼らのalternative solutionが、オンライン音楽祭。


Mahler Festival Online。


音楽祭をオンラインで配信するという発想は画期的であった。リアルタイム配信ではなく、過去の演奏会分の配信ではあったが。一石を投じたことは間違いない。


彼らはまだまだあきらめない。

1年延期するという。
マーラーフェスティバル2021を開催するという。


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東京五輪もそうだが、コロナ禍も1年経過した頃には落ち着いているであろう、という読みがあったのかもしれない。


マーラーフェスティバル2021は、規模を縮小した。全曲ではなく、第1番~第6番+大地の歌のみを行うというものだった。


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そこには、ベルリンフィル、ウィーンフィルの名前がなかった。おそらく同時期のタイミングで、ライプツィヒ・マーラーフェスティバル2021が開催されるのでそのままアムスの方にも出演してもらうという段取りだったのだろう。


自分はずいぶん悩んだが、2021マーラー音楽祭には行かないことにした。規模が縮小で顔ぶれもレベルダウン。そこに旅行費用、チケット費用をかけるのは勿体ないと思ったのだ。またの機会があるに違いない。いま慌てることはないと思ったのである。


そんな経緯である。

それから1年経過した。


コロナ禍真っ盛りの散々な2020年だったが、マーラーフェスティバルのことは、すっかり忘れていた。そんな昨日、偶然とはいえ、大変ショック(ある意味想定できたことではあるが。)なニュースを知ってしまった。


マーラーフェスティバル2021開催中止。


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「コンセルトヘボウが5月に予定していた「マーラー・フェスティバル」の中止を発表した。元々は昨年計画されたフェスティバルで、コロナ禍で延期されていたもの。世界の名だたるオーケストラに出演してもらい、交響曲の全曲演奏を行う予定だった。今年は1番から6番の演奏に規模を縮小し、18日から23日に予定されていたが、2年続けて開催が見送られることになった。」


おそらく延期はないであろう。中止だと思う。


何十年に1回のインターンバルの音楽祭であるから、完全にコロナが収束する時期まで待つに違いない。


同時期に開催予定であったライプツィヒ・マーラーフェスティバル2021は、2023年に延期のようである。


2021年に予定されていたマーラー・フェスティヴァルは2023年に延期されることが発表された。〈速報〉2021年のライプツィヒ・マーラー・フェスティヴァル、2023年に延期(2021年2月)


マーラーの没後110年となる2021年5月にライプツィヒで開催されるマーラー・フェスティバル。地元ゲヴァントハウス管を中心に各国のオーケストラを集めて、12日間で交響曲全10曲+大地の歌、その他数曲が演奏される。カペルマイスターとしていわば「ホスト」ともなるネルソンスはGHOを指揮し、2番と8番という合唱入り大曲二つを担当する予定であった。



ようやくワクチンが出てきてコロナの収束にも期待を持てるようになった時期であるし、時期的によくわかる状況ではある。


でも悲しいなぁ。


自分は昨日このニュースを知ったとき、なんか自分の一世代が終わった、という悲しい気持ちになった。自分の人生をかけてきたものが、崩れ去るときはこんなにあっけないものなのか、悲しい。


世の中、生きていくことだけで大変な人がいっぱいいるし、METのように音楽業界に携わる人たちは、給与も満足に支払われていない状況下でもあるから、音楽祭が中止になったくらいでなんだ!と言われそうだが、でもやっぱり、なんか全てが終わったな、という感慨深い気持ちである。


それは主催者側もそうであろう。


我々以上に大きな損失であるし、開催中止に関わる多額の負債を負うことにもなるから、ある意味我々以上に相当状況は重い。


この音楽業界にとって闇の状況はいつまで続くのであろうか?


自分は、マーラーフェスティバルに追悼の意を評して、この日記を書くものである。

瞬間ではあったけれど、夢を見させてくれて、どうもありがとう。

またいつか復帰できる日が必ずやってくる。


何年後かに開催されるマーラーフェストで、目の前にそびえ立つコンセルトヘボウの前に立ち、


「こんなに劇的な人生が、いまだかつてあったであろうか!
どんな脚本家でもこんなに劇的なストーリーは書けないと思う。」


と一緒にむせび泣こうではないか。(笑)


そんな日が必ずや来ることを夢見ています。


フェスティバルは中止になってしまったが、マーラーフェスティバル2020に向けての自分の熱い想い、連載した数多くの熱い日記の数々は永遠に残るのである。


こればかりは失いようがない。

ノンノン日記の家宝とも言える存在である。 
自分の財産である。


こんなに短期間に集中して、マーラーのことを勉強して、聴いたことは、おそらく人生初めてである。そしてなによりも驚いたのは、自分がこんなにマーラー音源(映像素材も含めて)を持っていたのか!という驚きであった。


自分のクラシック人生にとって、マーラーという作曲家はとても特別な存在になるであろう、いままでも、そして今後も。


奇しくも、コロナ禍でソーシャル・ディスタンスを要求され、大編成でのコンサートの実現が難しくなってしまった昨今、マーラーの交響曲は、いまの時代のもっとも正反対に位置する作曲家になってしまったのである。


ふつうにコンサートホールでマーラーの交響曲が聴けるようになるのは、いったいいつになることであろうか・・・。


今回のフェスティバル中止の報を聞いて、まず自分が決断したのは、バーンスタインの1968年に発売された最初のマーラー交響曲全集のSACDシングルレイヤー全集を買うことだった。


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2018年にソニークラシカルからリリースされ、マーラー日記連載しているときに、その存在に気付いたのであるが、価格帯が2万円台で高いな~と思い、そのときは決心がつかないでいた。


でも欲しかった。

今回のタイミングで、思い切ってオーダーすることにした。


マーラーの死後、マーラーの作品はほとんど演奏される機会がなかった。マーラーのよきサポー ターであったメンゲルベルクや、直弟子であったブルーノ・ワルター、そしてマーラーから作曲や 指揮法を学んだオットー・クレンペラーは、確かにマーラーの作品を取り上げ録音を残した。


しかしマーラーの作品を後世に渡って真に世に普及させ、商業的な成功に導いたのはレナード・ バーンスタインであることは誰も異論はないであろう。


昨今のマーラーブームの礎を築いたのがバーンスタインなのだ。


バーンスタインは、自分のことを”マーラー音楽の使徒”と考えていたところがあって、”We Love マーラー”のキャンペーンもやったりして、その頃はあまり演奏される機会のなかったマーラー音楽をこの世に普及させていこうという使命感に燃えていた。


「マーラーは、交響曲の分野で、20世紀の最も重要なイヴェントになると確信している。」と予言していた。


「つぎの時代には、必ずマーラーが来る」と言ってはばからなかった。



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マーラーの肖像がプリントされたシャツを着てリハーサルに臨むバーンスタイン(1970年代)



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1960年4月16日、マンハッタン・センターでのブルーノ・ワルターによる「大地の歌」のセッションを訪れたバーンスタイン



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1963年9月、マンハッタン・センターでの交響曲第2番の録音セッション



そんなバーンスタインは、生涯においてマーラー交響曲全集を何回も作っているが、その中でもその1番最初となった記念すべき全集が、1968年に当時のCBSソニーからリリースされた14枚組LPのマーラー全集である。


まさに録音史上初の「マーラー交響曲全集」の快挙だったのである。


マーラーを今後普及させていきたいと思っていたバーンスタインにとって、マーラーの全集を作ることはどうしても実現させないといけない壁だったのである。


この全集こそ、20世紀マーラー演奏史上最大の金字塔であった。


 
 
1960年、マーラー生誕100年を記念してニューヨークで開催された「マーラー・フェスティヴァル」に際して録音された「第4番」を嚆矢に、1967年まで8年の歳月をかけて、ニューヨーク・フィル定期での演奏と並行して「第3番」(1961年)、「第5番」「第2番《復活》」(1963年)、「第7番《夜の歌》」「第9番」(1965年)、「第1番《巨人》」(1966年)、「第6番《悲劇的》」(1967年)の順でセッション録音が行なわれ、その間、1966年のロンドン響客演の折りに「第8番」が収録された。


この時点でこれら14枚分のLPとして発売された9曲の交響曲は「GMS 765」という特別なカタログ番号が付され、箔押し・ビニール・クロス貼り・アルバム式・シリアル番号入りの濃紺のボックス・セットに収められ、録音史上初の「マーラー:交響曲全集」の誕生を見た。


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参考 アメリカ初出LPボックスのアルバム(左)、アルバムの背にはられていたマーラーの肖像のメダル(右)



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参考 アメリカ初出盤のマーラーの肖像をデザインしたLPレーベル(左)、アメリカ初出盤のシリアル番号を手書きしたステッカー(右)



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アメリカ盤初出LPボックスの箔押し部分


さらに1969年にバーンスタインがニューヨーク・フィル音楽監督を退任後、1970年代に「大地の歌」(1972年、イスラエル・フィル)と「第10番~アダージョ」(1975年)が録音され、より完璧な交響曲全曲録音が完成した。今回のボックス・セットは、「大地の歌」「第10番~アダージョ」を含む交響曲全曲と、「第10番~アダージョ」の初出盤にカップリングされていたジャネット・ベイカーとの「亡き子をしのぶ歌」(1974年、イスラエル・フィル)を収録したもの。


バーンスタインはこの後、1971~76年にかけて「大地の歌」を含む映像による交響曲全集、1985~88年にはマーラーと縁の深かった3つのオーケストラを使ったデジタル・ライヴ収録による8曲の交響曲(第8番、「第10番~アダージョ」、「大地の歌」が未収録で、それぞれ1974年・75年・65年の録音が充てられて全集化)を残しているが、この第1回目の全集にこそ、バーンスタインのマーラー音楽の使徒としての熱い使命感が溢れんばかりに込められており、21世紀となった今でもその鮮烈なメッセージを伝え続けているのである。


まさに、この第1回目の全集こそ、マーラー録音史上もっとも重要な位置をしめる音源なのである。



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1967年10月、「マーラー:交響曲全集」のLPアルバムを手にして喜ぶバーンスタイン。アルバムのボックスケースを持っている左の人物はプロデューサーのジョン・マックルーア、バーンスタインの右はフェリシア夫人、コロンビア・レコード社長クライヴ・デイヴィス


情報引用元:

ソニークラシカル:20世紀マーラー演奏史上最大の金字塔。SA-CDシングルレイヤーで全集化。
https://www.sonymusic.co.jp/artist/LeonardBernstein/info/498242



この記念すべき第1回目のCBSマーラー全集を、ソニークラシカルが、SACDシングルレイヤー全集としてさらにボックス化したものなのである。


レナード・バーンスタインによる第1回目のマーラー交響曲全集は、20世紀におけるマーラー演奏史に残る金字塔の一つ。グールドのバッハやストラヴィンスキー自作自演などと共に、ソニー・クラシカル・レーベルに残された最も重要な録音といえる。バーンスタインの生誕100年を記念して、2007年にアンドレアス・マイヤーによってDSDマスタリングされた音源をSACDシングルレイヤー9枚にまとめボックス・セットとして発売、というものである。


日本独自企画で完全限定生産である。


2007年アンドレアス・K・マイヤーのDSD音源を使い、シングルレイヤー用にカップリング 9枚組(非圧縮、1枚最大109分)。


非圧縮というのが素晴らしいではないか!
これはオーディオマインドをかなりくすぐります。

2018年のバーンスタイン生誕100周年を記念した企画だったんですね。

これは欲しいなぁ~とつい思ってしまった。


このCBS全集は、自分はCDでは持っているのである。


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でもやはりSACDシングルレイヤーの全集はとても魅力的。


そしてこのボックスならではのいろいろな特典があって、バーンスタインのマーラーを極めるにはこのボックスはどうしても欲しいと思っていた。2万円台なので、貧乏な自分は地団太踏んでいたが、昨日のフェスティバル中止の報を受けて、自分がまず思い浮かべたのは、このボックスを買おう、ということだった。


完全限定生産で、在庫がなくなり次第終了となります、だそうだったので、ずっと気になっていたのである。発見した去年春のときは買えなかったのであるが、売り切れ、なくなったらどうしよう、とずっと心配していた。2018年に売り出されたものなのに、まだあるいうことは、あまりに高価だから、みんな手を出せなかったということなのでしょうか。またマーラーは難しい、という理由もそこにはあるのであろう。


さっそく届いた。


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さらに各ディスクにはアメリカ初出のオリジナルLPジャケット・デザインを採用し、収容ボックスには「GMS765」のデザインのイメージを再現。


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写真で見える白い冊子のライナーノーツには、個々の交響曲の初出時のライナー翻訳のほか各曲の歌詞対訳、「GMS765」の解説に掲載されていたバーンスタイン自身による有名なエッセイ「マーラー:彼の時代が来た」(1967年「ハイ・フィディリティ」誌掲載)、ロバート・セイビン「ニューヨークのマーラー」、ハンス・ファンテル「マーラー、人と音楽」、2009年に海外で全集ボックス化された際のティム・ペイジ「バーンスタインのマーラー」、エリック・ライディング「バーンスタインの転換点、マーラー」を掲載。


サービス満点のすごい特典つきなのである。


自分の宝物になるであろう。


まず2番、3番を聴いてみたが、素晴らしい。これはいまからの60年前の1960年代の録音なんですよね。その解釈という点で、現代のマーラー録音とまったく変わらない、違和感を微塵も感じないのは、当時のバーンスタインの解釈が、現在のマーラー解釈の基礎を成しているその証なのではないだろうか。


同じユダヤ人で、同じニューヨークフィルの音楽監督であることからバーンスタイン自身が、自分の姿をマーラーと重ね合わせて、ある意味陶酔している・・・それがこの半端ではない没入感ぶりの演奏となっていることは間違いなく、レニーらしい情熱的でこってりとしたマーラーを堪能させてもらった。


録音も期待通り素晴らしかったです。
音の鮮度感、迫ってくるような音の凄み、文句ない名盤である。
さすがSACDシングルレイヤーである。


これから全曲ゆっくり堪能させてもらう。


これを以て、マーラーフェスティバルへの惜別の念は表現できたのではないか、と思う。ここまで書けば、自分もすっきりして、悔いはなくなりました。綺麗さっぱりの気分である。


明日に向かって、また新しい目的を見つけて、歩んでいくのである。

 






 

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