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児玉桃さんのECM録音 第3弾 小澤征爾さんがECM ! [ディスク・レビュー]

児玉桃さんのECMレコードからの第3弾の新譜がリリースされた。なんと!小澤征爾さん&水戸室内管弦楽団との2006年に共演した公演を音源化したもので大変驚いた。



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モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、細川俊夫:「月夜の蓮」 
児玉 桃、小澤征爾&水戸室内管弦楽団




小澤征爾さんがECM !!!


小澤さんをECMサウンドで聴くような時代が来るとは夢にも思わなかった。


2006年のモーツァルトイヤーのときに、水戸芸術館で小澤さん&水戸室でモーツァルトのシリーズをやっていて、そこに児玉桃さんが招聘されたときの公演のようであった。


いまや世界の大作曲家となった細川俊夫さんの曲「月夜の蓮」とモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。3日間のリハーサルも本番も録音していて、編集も仕上がった状態で保管されていたそうで、それが今回のECMでの音源化にスムーズにつながった原因だったようだ。


2006年のモーツァルトイヤーはよく覚えています。日本や世界中がモーツァルトブームだった。NHKはモーツァルトの特番を毎日やっていたような記憶がある。(モーツァルトのたくさんの曲を毎日1曲づつ紹介するとか・・・)


「モーツァルトの音楽を聴くと健康にいい!」というのがキャッチフレーズでしたね。


よく覚えています。


自分もこの年はこのブームに乗って、いろいろモーツァルトの音源を買い込んで、コレクションしました。毎日なにかしらモーツァルトを聴いていたような気がする。


この年の最大のビッグ・イベントだったのは、ニコラウス・アーノンクールが率いるウィーンフィルの来日公演@サントリーホールであった。


もちろんオール・モーツァルト・プログラム。


アーノンクールならではのそのピリオド・アプローチにかなり舌を巻いたものであった。
こんなモーツァルトがあるとは!(笑)


アーノンクールの実演に接することができたのは、結局これが最後となってしまった。

2006年のモーツァルトイヤー、忘れられないです。

その年の出来事だったんですね。


真相は謎であるが、今回の発案はやはり児玉桃さんなのであろうか?

自分は発案からECM音源化に至るまでのプロセスに異常に興味を持ってしまう。


本来であれば、新レコーディングといきたいところであるが、コロナの事情もあってままならず、そこに今回の案を発案したとか・・・


そのためには、小澤さんはもちろんのこと、水戸芸術館の許諾が必要だし、ECMのマンフレート・アイヒャーへの承諾も必要。そして全部クリアになったところで、問題はそのマスターをどうやってECMで音源化したのか?とか。


マスターはすでに編集済みだったということなので、水戸芸術館のほうで、WAVファイルにしてインターネットでECMに送って、ECM側で化粧を施してマスタリングしたのか、とか。


なんか、そんなことどうでもいいじゃない、というところが妙に気になります。(笑)
すべて私の勝手な想像です。相変わらず変なやつです。


児玉桃さんとしては、自分の演奏家人生の中で永遠の絆である小澤さんと細川さんとの共演をECMからリリースすることで、ひとつの自分の確固たる形にしたかったのではないでしょうか?



今回、この新譜を聴いて、思わず自分が抱いた印象は、前半の細川さんの「月夜の蓮」と、後半のモーツァルトのコンチェルト23番とはまったくの別世界だと感じたことであった。


全然世界が違うというか・・・


でも細川さんの「月夜の蓮」は、この年のモーツァルトイヤーにちなんで、細川さんが23番の第2楽章がとても美しいと感じていたらしく、それで23番を選び、その23番へのオマージュとしてこの「月夜の蓮」を作曲されたのだそうである。じっさい、「月夜の蓮」の最後のほうには23番の第2楽章のメロディが出てくるとか。


だからとても意識されて、その関連性を持った両曲なのだが、芸術性・感受性に乏しい自分には全然別世界のような音楽に感じてしまった。


自分への強烈なインパクトがあったのは、もちろん「月夜の蓮」であった。
これはかなり自分にはクルものがあった。


モーツァルト・コンチェルト23番が全世界万国共通の音楽ファンに喜ばれるとしたら、「月夜の蓮」はオーディオファンにとって心中穏やかでないというような衝撃があった。


実際の実演では、演奏された順番は、コンチェルト23番→「月夜の蓮」だったそうだが、自分には確かにそちらの順番の方が納得いくし、順当であろうと思うが、アルバムとなるとやはりコマーシャルな曲がトリの方がいいのであろう。


「月夜の蓮」は、オーディオ述語で表現するならば、広大なダイナミックレンジに音のトランジェント(立ち上がり、立ち下りのこと)の急峻さで、かなり刺激的である。


聴いていたら心中穏やかではないのである。

興奮してしまう。


オーディオライクな捉え方で大変申し訳ないのですが、自分にとって現代音楽は、”隙間の美学”と感じているところがあって、その音数の少なさ、”沈黙”、”間”にモノを語らせるところがあって、それはある意味、日本、和の世界に相通ずるところがあって、万国共通の音楽の楽しみ方とはちょっと違います、自分の場合。


独特の芸術観というか。


だから音楽を聴いている耳ではなくて、オーディオを聴いている耳と化してしまう。剃刀のように鋭利な感覚とか、その急峻なトランジェントとか、思いっきりオーディオ的に美味しいのである。無意識にそういう耳になってしまうので、どうしようもない。


ラヴェルやドビュッシーがとても淡い色彩感、カラフルで軽い感じのパステルカラーのような色のイメージだとすると、「月夜の蓮」は、巨大な半紙の上に墨汁をたっぷり染み込ませた筆で一気にひと筆書きで書き下ろす水墨画のようなイメージである。


そして一番大事なことは聴いている者に対して、恐怖感を与えること。
聴いていて、背筋がゾクゾクとくるような怖さ、凄みを感じること。


昔、武満徹さんの曲で小澤さんが初演した「ノーヴェンバー・ステップス」。
あの鶴田錦史さんの尺八の音色には恐怖、怖さがあった。

オーディオ再生として、あの恐怖感をいかに出すか、というのがひとつの肝であった。


あの世界がまさに現代音楽のもっとも大事なところなのではないか、と素人の自分なりに考えているところである。


細川さんは、ずっと小澤征爾さんのファンで、小澤さんのレコードを集めていくうちに、武満徹さんを知ることになったとのことなので、その武満魂みたいなものをものの見事に継承されていて素晴らしいと思いました。


この「月夜の蓮」は、かなり怖いです。聴いていると心中穏やかでないです。曲としてのスケール感もずば抜けていて、自分としては実際の公演の順番であったコンチェルト23番→「月夜の蓮」のほうが至極当然のように思いました。


とても23番のオマージュというコマーシャルな23番の曲想のペアとは思えない別世界を感じました。すみません、作曲家の本来の意図と全然的が外れていて。(笑)


現代音楽はそんなに普段聴くテレトリーでなく、どちらかというとオーディオ的な耳で聴いてしまう嗜好があるので、ズレていたならば申し訳ないです。


児玉桃さんのインタビューでは、「月夜の蓮」は、


「泥の中に根を張った蓮が、やがて成長して水面に上がり、月に向かって美しい花を咲かせる。蓮のつぼみは、祈りの手の形にもたとえられます。そんな情景から受けるインスピレーションが、よく伝わる音楽になっています。オーケストレーションは繊細で、淡い色合いながらも色彩感が豊か。ドビュッシーやラヴェルに通じる世界でもあります。」


とのことなので、自分のイメージと全然正反対。(笑)
やっぱり芸術性、感受性には乏しいのかもしれませんね。


(インタビューはあとで読みましたので、こうなりました。前もって読んでいたらそのようにイメージしながら聴けたかもしれません。)


この曲、実際の実演に接してみたいと思いました。とにかくスケール感が凄くて圧倒されるので、これは生で聴いたらすごい緊張感だろうな、と思いました。


そして、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番。

もうこちらは、いつもの自分の日常の世界。普段コンサートホールで通って聴いている身近な世界。自分の知り尽くしている世界。「月夜の蓮」から23番に移行した時のあのホッとするなんとも言えない安堵感。


あ~オレの世界だ。

人間はやっぱり日常が一番です。

そんな感じです。

心なしかサウンドも全然違うような気がする。


今回ECM側で化粧などを再度施しているかどうかはわかりませんが、前半と後半でサウンド的にも相当印象が違います。23番はとても自然でニュートラルで普通のサウンド。自分の身近な世界で自分にすぅ~っと入ってきます。


「月夜の蓮」は、あのECM独特のサウンドであるトリッキーでクールな響きを兼ね備えているように思います。


なんか前半と後半で全然印象が違います。もしECM側で編集などいっさいしていないとすると、実演だけで、あの恐怖感とスケール感を出すとしたら、これは実際凄いオーケストレーションだったんだな、と思います。


23番は本当にいい曲。


第2楽章も美しくて本当に素晴らしいですが、自分は第3楽章の冒頭のピアノで奏でるところの主題がとても好きです。


タ・タ・ターン・・・・、タ・タ・タターン・・・・


このメロディが最高に好きです。この箇所は児玉桃さんが”タメ”というかピンポンが弾むように、弾けるようにリズミカルに弾くのがポイントだと思うのですが、この箇所が何回もリピートされるたびに楽しい気分になります。


本当にいい曲ですね。


23番を聴いていると、オーディオの耳ではなく、音楽の耳になります。
音楽を聴いているという感覚に溢れます。


作曲家や演奏家の意図するところとは、ちょっと違ったかもしれませんが、自分はこのように感じたということでした。


今回の新譜がきっかけで、本当に久しぶりに小澤征爾&水戸室内管弦楽団のことを思い出しました。水戸芸術館でベートーヴェンの交響曲全曲演奏会をやっていたとき、自分は皆勤賞で水戸に通っていました。小澤さんの指揮をこんなに何回も拝見できたのは貴重な経験だったかもしれません。


そこでいいことを思いつきましたので、次回の日記で披露したいと思います。


今回の新譜で収録された2006年公演の当時の様子。(c)大窪道治 (水戸芸術館)


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