村上春樹ライブラリー [雑感]
話題の村上春樹ライブラリーに行ってきた。1度は顔を出しておきたいと思っていたので、晴れた日にやってきた。
村上春樹ライブラリーは、正式名称は、「早稲田大学国際文学館」。早稲田大学キャンパス構内にある。早稲田大学出身の作家・村上春樹さんから寄託、寄贈された小説、エッセイなどの執筆関係資料や、海外で翻訳された膨大な著作、数万枚のレコードコレクションなどを保管、公開している。また村上さんの書斎やオーディオルームなどをここに実現して、作家・村上春樹の世界を再現しようという試みだ。
「物語を拓こう、心を語ろう」というコンセプトのもと、村上春樹文学の研究とともに、国際文学、翻訳文学の研究拠点として交流・発信をしていく施設と位置づけている。
村上さんが、早大に相談を持ち込んで、実現へと進んだプロジェクトで、建築家・隈研吾さんによる設計。ユニクロなどを展開するファーストリテイリング会長兼社長の柳井正さんから建築費用約12億円の全額が寄付された。
坪内博士記念演劇博物館に隣接する旧4号館を大規模改修して誕生した。学生時代、演劇博物館に足繁く通っていたという村上さんが、自らこの場所を選んだそうである。
自分が最初にこのニュースを聞いたとき、まず忌憚のない感想を述べさせていただくと、これは村上さんの終活なのかな、と感じた。(笑)自宅にある数万枚におよぶレコードコレクションや、いままでの執筆関係資料などもし万が一の亡くなられたあとに、このままこれらがうやむやに処分せざるをえなくなり、消えてしまってはもったいない。どこかで世の中の村上春樹文学ファンのためになるところに寄贈したいと思われたのではないだろうか。そこで母校の早稲田大学に白羽の矢を立てられた。
自分はそのように思った。自分だったらそう思うからだ。
でもそれがきちんと実現できてしまうこと、そしてその建設費用に12億の全額寄付が実現できてしまうこと。これはもう凄いとしかいいようがない。
世界中に読者を持つ村上春樹さんは、本当にみんなから愛されているんだな。ご自身が書くことが本当に大好きで自分の好きなことを追求された人生を歩まれ、そしてその結果として、みんなから愛されている。
才能とは言え、こんな幸せな人生、恵まれた人はいないんではないか、と思う。
もう80歳になる村上春樹さんだが、これからも健康で長生きされ、少しでも我々に夢を与え続けてほしいと思う。
村上春樹ライブラリーは、早稲田大学キャンパス構内にある。
大隈講堂。
大隈重信像
ここまでの写真は、結構ネットで簡単に見つかるのだけれど、次のようなアングルの写真はなかなか見つからない。大隈重信像を背後から撮影して、そこに大隈講堂を重ねるという構図だ。以前に早稲田大学の日記を書いたとき、この構図をネットでずいぶん探したのだけどなかったんだよね~。もうこれは自分が現場にいって、自分が撮影するしかないと思いました。ようやく実現成就です。まさに自分の撮った写真です。お宝です。
村上さんが学生時代に足繁く通ったという坪内博士記念演劇博物館。村上春樹ライブラリーはこのすぐそばに建っている。
ここが村上春樹ライブラリー(早稲田大学国際文学館)。
入館は、予約制だ。ネットで決済して来館日を予約する。時間割制である。受付で受け付けて、そのまま進む。
村上春樹ライブラリーは、この建物のフロアー3Fを占有している。B1F,1F,2Fである。
休日の日曜日に行ったのだが、かなりの盛況ぶりだった。客層は圧倒的に若い。おそらく早大生とも思われる。中には年配層の方もいらっしゃった、
これだけの盛況ぶりなのであれば、またコロナ対策ということもあって、予約制、時間割制というのも納得のいくところである。
受け付けは地上の1Fである。そこにすぐオーディオルームがあるのだ。1番の魅せどころの階段のところは、この1FからB1Fに下るところにある。
まずはオーディオルーム。自分は一番ここが訪れてみたかったところだ。
オーディオルーム
スピーカーはソナスファーベルとJBL。なぜ、このブランドなのかは、わからない。
スピーカーケーブルは床を這わせては見苦しいので、床下配線です。(笑)
送出系の機器が見当たらない。部屋内にBGMが流れていて、このSPから流れいているので送出系はどこかに隠してあるのだろう。
いま、このBGMがかけられています。
ありました。送出系は、受付のテーブルの下に隠されています。マランツのSACD&ネットプレイヤーとアキュフェーズのプリメインですかね。
別に隠す必要はないと思うんですけどね。(笑)オーディオマニアからすると、送出系もきちんとSPの傍にあって、ビシッと見せつけてシステムを誇示するのがいいと思うのですが、そういういかにもオーディオマニア的な展示は好まれないようです。
あくまで自然なリラックスした音楽を聴く場所としての装いで、ということでしょうか。オーディオルームの監修は、ステレオサウンドの小野寺弘滋氏だそうです。小野寺氏は、公私に渡って、村上さんのオーディオに関する相談相手なのだそうです。
村上さんのレコードコレクションが展示されています。
そしてここが村上春樹ライブラリーを象徴する看板スポット。村上春樹さんの小説には、現在から違った異次元の世界へとくぐり抜ける事象をよく書かれていることが多く、そのようなトンネルをイメージした意匠デザインにした、と建築家・隈研吾さんは仰られています。
よく見てほしいのですが、階段のところが、向かって左側と右側とちょっと違います。ふつうに昇り降りする階段は左のほうを使います。右側は、その場所で本棚から本をとって、その場所で座り込んで腰をかける場所として使います。
だから左と右とで、階段の造りが違うので、脚を踏み外してケガをしないように、という注意が必要です。これは入館前にさんざん係員スタッフの方に注意されたことです。創造性豊かな意匠表現ではありますが、危険な造りでもあるんですね。
こうやって本棚から本を取って、階段のその場で座り込んで読んだりします。
階段の左右両端は、こんなに本で一杯です。村上さんの著書以外もたくさんあります。要は村上さんにとって人生で大切に読んできた本もたくさん紹介されているんですね。
1Q84で出てくるリトルピープルもこんな感じでお出迎えしてくれます。なんか可愛いいたずらみたいで微笑ましいですね。
階段を降りたところはB1Fになるのだが、ここにも本棚スペースや、その本を取って読むスペースが展開されています。
ここはちょっとビクッときました。(笑)五味康祐さんのオーディオ巡礼や、菅野沖彦さんの新・レコード演奏家論がありますね。
村上さんは無類の音楽好きで、ジャンルも隔たりなく、いろんなジャンルの音楽を聴かれますが、やっぱりメインはジャズがお好きなんだと思います。
建築家・隈研吾さんに関する書籍コーナーです。パネルには”トンネルとしての建築”という寄稿をされて、今回のこの村上春樹ライブラリーについてのデザイン意匠設計に至った境地を説明されています。
B1Fにはカフェラウンジがある。学生が主体で運営されるカフェだ。
このカフェは、時間に関わらず、自由に外から出入りできて休憩できるそうで、外からはこんな感じのカフェである。このカフェには店名がついていて、橙子猫(オレンジキャッツ)というらしい。猫好きな村上さんらしい名前である。
カフェ店内。
ホッとするような趣味のいい絵画も展示されています。
このグランドピアノは、村上春樹さんが経営するジャズ喫茶「ピーターラビット」ではライブ演奏が行われていたのだが、当時、店で使用されたいたグランドピアノだそうです。すみません、ピアノメーカーを確認するのを失念してしまいました。
これは舞台「海辺のカフカ」で使われた舞台美術装置です。
長編小説「海辺のカフカ」(2002年、新潮社刊)は蜷川幸雄(1935-2016)の演出で舞台化され、(脚本フランク・ギャラティ、制作ホリプロ、初演2012年)、国内にとどまらず、ロンドン・ニューヨーク・シンガポール・ソウル・パリなど海外5都市で公演され、世界の演劇界で高い評価を受けた。土星を思わせるネオンサインの舞台装置は、印象的なシーンで登場します。
この水槽も、舞台「海辺のカフカ」に登場する舞台装置です。
舞台「海辺のカフカ」の冒頭、この水槽の中に入った主人公佐伯/少女が印象的な音楽とともにステージに登場する。佐伯役には、2012年の初演は田中裕子(さいたま芸術劇場)、2014年~2015年には宮沢りえ(ロンドン・NY・シンガポール・ソウルなど国内外での公演)、2019年には寺島しのぶ(パリと東京)が演じました。
このカフェ橙子猫(オレンジキャッツ)は、学生主体で運営されている。自分は抹茶ティーとドーナッツをオーダーしたのだが、やはり学生らしい、なんというのかな、手慣れていない、手際が悪いというか、バタバタした感じで、すごい出来上がるまで時間がかかる。プロのお店では考えられないくらい。(笑)
でもなんか可愛いというか、一生懸命やっている感が伝わってきて、すごい微笑ましかった。別に急いでいる訳でもなく、ぐっと相手に合わせて待っていた。
美味しかったです。
B1Fには村上さんの書斎がある。中には入れなく、ガラス張りの外から眺める感じだ。
村上さんが普段執筆されている書斎は、以前雑誌の写真掲載で拝見したことがあるが、確かにこんな感じであった。
部屋を縦使いにして、その端に長い机を置いて、そこにMACを置いて執筆している。プリンターもある。
そしてその前に、おそらく出版社の方との面談場所に使うソファとテーブルが置いてある。壁にはレコードコレクション。
実際の本物の書斎には、オーディオ機器もそこに鎮座されていたような気がする。
1Fのオーディオルームを出たところに、こんな座るスペースがあります。この中で本を読んだりするのでしょうか。。。実際自分も座ってみたのですが、なんか閉じた自分の世界だけに籠れるような感覚に陥ります。
村上春樹著作年表。
この階段で2Fに上がります。もちろんエレベーターもあります。
2Fにはギャラリーラウンジといって、ここでは、デビューした1979年から2021年までの村上春樹作品の表紙を展示。村上さん本人から寄贈された本で、多くが初版本。日本で刊行された村上さんの著作はもちろん、世界各国のさまざまな言語で翻訳された作品もそろっています。
ここから本をとって、このテーブルのところで読めるようになっているんですかね。
端末で探したい本なんかも検索できるのでしょうか。
これこそ、まさに村上春樹ワールドといっていいですね。まさにそんな雰囲気が漂っています。
本をとって読んだ場合、その読み終わった後の本をここに返しておくんですね。本の陳列は、やはり順番がきちんと決まっていて、お客さんが勝手に違うところに無造作に返すのはダメなんだと思います。
スタジオもありました。村上さんは現在Tokyo FMで、「村上RADIO」のラジオ番組をやっていらっしゃいますが、そのスタジオ現場風景なのでしょうか。ガラス張りで中には入れないで、外から眺める仕組みです。
ここはラボとなっていましたが、なにをやるところなんでしょうかね。
ここは展示室。いまちょうど端境期にあって、新しい展示に向けて準備中で、閉鎖中でちょっと殺風景ではありました。
以上が、村上春樹ライブラリーの見学レポです。ぜひ一度足を運ばれることをお勧めします。
自分がこの空間に居合わせて、その空気を感じたことに、やはり本の世界だな、と思ったことです。本当に本が好きな人の堪らない空間なのではないか、と思いました。それは村上文学のファンであればなおさらのことだと思います。
どんなに電子版の世界が進行して行っても、紙の本というカルチャーが消えることはないと確信のようなものを自分は感じました。
そんな本好きには堪らない、本の香りがする空間をぜひ体験されてみてください。
最後にこの村上春樹ライブラリーをオープンするに先立って村上さんの記者会見の内容をご紹介してお終いにします。
「この4号館というのはね、僕が学生だった頃は、学生に占拠されてました、しばらくの間。1969年、いまから52年前ですか。占拠された4号館の地下ホールで、山下洋輔さんがフリージャズのライブをやったんです。そのときにピアノを大隈講堂からみんなで勝手に持ち出して運んできまして、そのときピアノを担いだひとりが作家の中上健次さんだったということです。中上さんは早稲田の学生じゃなかったんですけど、外から手伝いに来ていたみたいですね。
僕の友だちの何人かはその催しに加わったんですけど、僕は残念ながらそのライブには行けなかったんです。でもそのコンサートのドキュンタリー番組をつくっていた田原総一朗さんの話によると、民生とか革マルとか黒ヘルとか中核とかそういう仲の良くないセクト同士がみんなひとつの場所に集まって、ヘルメットをかぶって喧嘩もせずに、呉越同舟で山下さんの演奏に聞き入っていた話です。
そういう建物が、今回再占拠されるといったら問題があってよくないんですけど、まるごと使わせていただけることになったのは、とてもありがたいことで、非常に興味深いめぐり合わせだと思うんです。
柳井正さんも、たまたまですが僕と同じ年に早稲田に入学されたので、こういうのも何かの縁だという気がします。山下洋輔さんにもいつかまた、同じ場所でがんがんピアノを弾いていただきたいなと思います。
その当時、僕らは「大学解体」というスローガンを掲げて闘っていたんですけど、暴力的に解体しようとしても、それはもちろんうまくいかなくって、こちらが解体されちゃったんですけど。
でもね、僕らが心に描いていたのは、先生が教えて生徒が承るという一方通行的な体制を打破して、もっと開かれた自由な大学をつくっていこうというような僕らの思いだったんです。それは理想としては決して間違っていないと思うんですよね。ただやり方が間違っていただけで。
僕としてはこの早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリーが、早稲田大学の新しい文化の発信基地みたいになってくれるといいなと思っています。先生がものを教えて、学生がそれを受け取るっていうだけじゃなく、もちろんそれは大事なことではあるんですけど、それとは別に、同時に、学生たちが自分たちのアイデアを自由に出しあって、それを具体的に立ち上げていけるための場所に、この施設がなるといいなと思ってます。つまり、大学のなかにおけるすごく自由で、独特でフレッシュなスポットになればいいと考えてます。
早稲田大学というのは都会の真ん中にあって、比較的出入り自由な場所なんです。それは、大学と外の世界が混じり合うのに非常に適した環境だと僕は思います。そういう地の利を生かして、大学と外の世界がうまく、よい形で大学を軸にして混じり合えば、いいなと思っています。
でもそのためには学生のみなさん、それから大学のスタッフ、一般市民のみなさんの協力がどうしても必要になってきます。どうかよろしくお願いいたします」
2022-03-21 12:20
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