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ラーメン二郎という奇跡~総帥・山田拓美の”遺言” [グルメ]

取材拒否を貫く「ラーメン二郎」山田拓美氏の実像に迫るドキュメンタリーがフジテレビで放映された。これはぜひ録画しておかないとと思い、録画してあったのを本日ようやく拝見した。


二郎・ドキュメンタリー.jpg


ラーメン二郎は、やはりどうしても自分でも語っておかないといけない。二郎の世界は、やはり女人禁制の世界だと思う。男性の世界ですね。


女性が二郎に入るのは勇気が必要ですね。自分は二郎の店内で女性を見かけたことはまずないです。



味も見た目も強烈なインパクトを放つラーメン。そのパワフルな一杯は、


「二郎はラーメンではない。二郎という食べ物である」


「三回食べると抜け出せなくなる」


など、独特な格言めいた言葉と共に、「ジロリアン」と呼ばれる数多くの中毒者を輩出。


自分もれっきとした”ジロリアン”である。


一種独特のラーメンで、一度食べると病みつきになるというか、かなり中毒性がある。反面、受け付けない人にはまったくダメであろう。単なる”豚のエサ”なのかもしれない。芸術的なお洒落なラーメンとは、まったく正反対の極致にあるようなラーメンである。


自分のラーメン人生の中でも、この二郎はかなりいろいろな店に通いました。


いまでこそ、体力的にあまり食べれなくなり、店にも行かなくなりましたが、若いときは相当通ったです。


そんなラーメン二郎の創業者、山田拓美さんの最初で最後のドキュメンタリーである。我々ジロリアンは、山田さんのことを、"総帥"と呼んでいるのだ。


そんな総帥は、2019年2月に慶應義塾大学から特選塾員に選任されたことを記念して、その人柄と功績を形に残すことを目的として、特別に番組が制作されることとなった。


そのドキュメンタリーで、長らく重い口を閉ざしていた秘密のベールを一気に脱いだという訳だ。


自分は二郎に相当通ってきているが、意外と知らなかったラーメン二郎の創業以来の歴史。


創業は1968年(昭和43年)で、東京都目黒区の都立大学駅近くに当初「ラーメン次郎」の名前で開店した。これは開店前年の1967年1月にエースコックから発売されて人気となっていたインスタントラーメン、「ラーメン太郎」を捩ったものとされている。


店主の山田は和食料理人で、ラーメンについては全く知識がなかった。最初は「ラーメンぐらい何とかなるか」とたかをくくってラーメン店を出店したが、開店当初から半年間は1日あたりの売上が昼前から深夜まで営業しても20杯以下と低迷していた。


様子を見かねた近所の中華料理店店主が自分の中華料理店で修業するようにすすめ、山田はその勧めに応じて3か月間の修行をした。また、近隣にあった雪印乳業の社員子弟学生寮に住んでいた北海道出身の客から受けた助言を参考にし、独自の味を作り出した。提供するラーメンのボリュームと味付け、山田の人柄が学生に受けたことから店は繁盛した。


1970年代には慶應義塾大学三田キャンパスのある東南の角に当たる交差点脇での営業を開始。 ここは慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇であり、最寄りの鉄道駅(田町駅や三田駅)と三田キャンパス正門との導線上にあった。ここへの移転の際、ペンキ屋が新店舗の看板の「次郎」とすべきところを間違えて「二郎」と書いてしまったことから、以降はそのまま「ラーメン二郎」表記で通している。



1990年代に三田通りの拡幅計画が実施される見通しとなり、これによって二郎も影響を受けることが判明したため、山田は店を閉めることを考えた。


三田通りの店舗は1996年(平成8年)2月末に閉店した。同年6月から桜田通り沿い(慶應義塾大学正門近く)に移転し、営業を再開したのが現在の三田本店である。


・・・大体こんな感じである。


自分がラーメン二郎を知ったきっかけは、アムスの同期の友人のおかげである。慶應大学三田キャンパスに近くに店を開いたラーメン二郎は、瞬く間に慶大生のソウルフードの立ち位置を勝ち取り、慶大生に愛され、そこから歴史が始まったと言っても過言ではなかった。


アムスの友人は慶大出身なのだ。だからきっと大学時代によく通っていたのだろう。慶大生ならば、もう誰もが知っている有名店だったのだ。


そのアムスの友人に初めて連れて行ってもらった。ラーメン二郎が、慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代だ。


友人もそうだと思うが、自分にとってラーメン二郎と言えば、もうこの慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代の店舗のことを言うのだ。


ネットで一生懸命写真を探したのだけれど、まったく1枚も見つからなかった。


あえて、見つかったのは、この1枚だ。


二郎交差点.jpg


そうだ!これだ!いまと違うのは、この頃は山田さんと奥さんとの2人で全部やっていたのだ。奥さんは皿洗いと、お客さんとのお金のやりとり担当だ。小銭が、いつもバラで置いてあった。調理は、山田さん1人だ。


これが自分の一番思い出に残っている二郎の真の姿である。


いまは、もはや全国に42店舗を構える大チェーン店になっていて、三田本店でも山田さんだけでなく、黒いTシャツを着た若い青年達が手伝っている感じである。


友人から、二郎での注文の仕方を教えてもらう。ジロリアンなら誰でも知っていると思うが、二郎の注文の仕方は、かなり特徴的で初めてのお客さんには敷居が高いのだ。


最初、山田さんが”大?小?”とサイズを聞いて、最後のトッピングを聞くときに、”はい?”という感じで1人1人に聞いてくるので、そうすると”大ダブル野菜ましまし、からめにんにく”とか呪文を唱えるのだ。(笑)


大はサイズ。もちろん反対は小である。ダブルとはチャーシュー大盛2倍、ましましとは増量という意味である。からめは辛み味の醤油タレつきである。にんにくは、ニンニクである。


この呪文が初めての人にとっては敷居が高い。


当時はこういうやりとりだった。


いまはもう自販機になっていて、大体の注文は自販機で買うときに決まるのだが、ただ、トッピングを聞く伝統は残っていて、そのときに”ニンニクいれますか?”と聞いてくる。そうすると呪文を唱えるのだ。


この”ニンニク入れますか?”という問答は、自分の時代にはなかった。昔は、山田さんが”はい?”と聞いてくるだけだった。


友人に連れられて初めて食べた二郎のラーメンは衝撃であった。もう最初の出会いでハマってしまった。こんなうまい個性のあるラーメンは食べたことがないと衝撃であった。こんな旨いラーメンがあるとは!ってな感じである。


なんともいえないくどみのあるワイルドな味。いままで食べたことのない未知の味だった。


一番最初の出会いでひとめ惚れしてしまった。かなり中毒性のある味だった。


それ以来、自分はラーメン二郎の大ファンになった。


この奥さんと2人でやっていた時代、慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代こそが自分にとってのラーメン二郎の原点であった。


それ以来この店に足繁く通うことになる。


1996年に閉店になると聞いたときはショックであった。でもすぐに同じ慶応大学三田キャンパス前に移転になったと聞いたときはホッとした。これがいまのラーメン二郎三田本店である。


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いまのように、全国各地、いろいろな場所に支店ができる、つまり自分のお店で若い人を育てながら、暖簾分けしていくということをいつのときから始めたのかは、自分は認識していないのだが、あっという間にどんどん支店が出来ていったという感じだった。自分の記憶では、奥さんと2人でやっていたときの後からのような感じがする。


その中でも、"総帥"山田拓美さんのいる三田本店は、ジロリアンの間ではラーメン二郎の聖地といっていい場所であった。


そこから自分は、三田に限定せずにいろいろな支店を渡り歩くようになる。


いま全国には、42店舗のラーメン二郎の支店があるのだそうだ。


これは自分が思うことなのだけれど、山田さんが育てて、暖簾分けしていったにも関わらず、ラーメン二郎は支店によってかなり味が違うというか個性が違うような気がする。


二郎の支店の個性とは、ずばり核心を突く言い方をするならば、それはスープの味だと思う。麺やトッピングはそんなにバラツキを感じない。大きな違いを感じるのはスープである。


自分はいろいろ店を食べ歩いたのだけれど、自分の好みにあう支店ってじつはなかなか少ないのだ。


自分は高田馬場店の味が好きだった。自分の好みだけれど、二郎のスープはしょっぱいのが好きである。高田馬場は猛烈にしょっぱかった。


高田馬場店は、かなり通いました。残念ながら、高田馬場店はその後閉店。


そこから自分は、自分の好みの二郎の支店をなかなか見つけることができなかった。スープがどうも合わないというか違うのだ。


目黒店、新宿歌舞伎町店、品川店、横浜関内店・・・もう数えきれないくらいいろいろな支店を渡り歩いたのだけれど、自分が通い詰めたいと思うスープの味の二郎の支店はなかなか見つからなかった。


いまでも思うのだけれど、ラーメン二郎が本当にうまい、こんなうまいラーメンがあるのか、と心底思ったのは、奥さんと2人でやっていた慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代。あの"総帥"山田拓美さんが作っていた二郎ラーメンほど美味しいものはなかった。


あの頃が1番美味しいと感じたのだった。あれを超える二郎ラーメンは、どこの支店でも体験することはできなかった。


同じ山田さんがいまでも作っている三田本店の二郎ラーメンは、大変申し訳ないのだけれど、そしてとても言いずらいことなのだけれど、あの頃の味ではないような気がする。あの時代を体験したく、何度もいまの三田本店に通ったが、そのたびに、あれ~こんなんじゃなかったけれどな~~~と思うのが正直なところだ。申し訳ないです。


話を少し元に戻して、本題のドキュメンタリーのほうに戻そう。


二郎.jpg


そんな伝説の"総帥"山田拓美さんのドキュメンタリーは、ジロリアンの自分にとって、とても興味深かった。ラーメン二郎の創業以来の歴史、二郎をここまで育て上げてきた苦労話、山田さんにとって二郎とは?”二郎系”という言葉に違和感があるとか、そして山田さんの人生観、ラーメン観など思う存分インタビューで引き出してくれる。


あの山田さんがスーツ姿でインタビューを受けているのである。(笑)もちろんいつものあの黄色のシャツ姿で店内でのインタビューもある。


やっぱり感じるのは、成功した人だけが持ちうる言葉の重みというか、けっして難しい言葉を使っている訳ではないのに、言葉に経験と実感の重みを感じることだ。


奥さん、山田康子さんのインタビューもある。奥さんから見た山田拓美さんとは、いままでの二郎の道のりなどなど。最初、奥さんは、二郎ラーメンって食べれなかったそうだ。(笑)お客さんはよくこんなラーメン食べれるものだな、と思っていたのだそうだ。(笑)元来、サッパリ系の正統派の志那そばが好きなのだとか。


そりゃ二郎ラーメンは正反対の位置づけだ。


もちろん山田夫妻だけでなく、目黒支店の店長とか、他の支店の店長とか、お弟子さんとかのインタビューもあって、そういう人たちから見た山田拓美さんとは?という感じで、その人間性を詳らかにする。


自分にとって、新鮮に感じたのは、支店を出すまでの道のり、お弟子さんを育てていって、暖簾分けして、店をオープンするまでも紹介されている。


支店を出すのは、二郎なりの山田さんなりの鉄則があるようで、どこの土地に店舗を出すとか、人任せにせずに、山田さんが自分の脚で確かめて、いろいろ算段していることがわかった。


でも言っていた。いままで1軒たりとも、潰れたお店はなかったと。。。


おそらくは、最初で最後であろう伝説のカリスマの"総帥"山田拓美さんの真のドキュメンタリーが拝めてとてもよかった。この録画を大切にBD-Rに焼いて、永久保存版にしておこう。


さて、自分の好みにあった二郎の支店探しの旅。数年前にようやくたどり着けたような気がする。


それは意外や意外、自分の家の近く、通勤路の途中にあった。(笑)ここ数年は、ずっとここに通っている。


ここの支店の二郎ラーメンのスープは、すごくしょっぱくて自分好みなのだ。高田馬場店の味にすごく近い。


ここ最近、二郎は全然行っていないのだけれど、ひさしぶりに行ってみた。


そうすると・・・


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最後尾を曲がったところでも、さらに列は続いているのだ。


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凄すぎる!!!


ちょうどお昼時だったということもあるけれど、それにしても凄すぎる!ここのお店は人気店で並ぶことで有名で、いつ行っても長蛇の列で待たされる。


ラーメン二郎の世界、ジロリアンの間では、行列の最後尾に並び始めることを”接続”という。(笑)そして無事カウンターでラーメンにありつけることを”着丼”という。(笑)


〇時〇分、接続。。。〇時〇分、着丼。


こうやってSNSでは報告するのだ。これがジロリアンの世界である。


久しく行っていなかったのであるが、ひさしぶりに行ったら、お店が入っているビルがメンテナンス中であった。


店内には、二郎の社訓が飾られている。まさに肝に命じよう。


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ひさしぶりの二郎ラーメン。小・野菜からめにんにく。


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もういまや大は食べれない。大は普通のラーメンの量の1.5倍はある。いまの年齢では、小しか無理である。


ひさしぶりに食したが、やはりうまかった。


ラーメン二郎よ、永遠なれ!である。



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