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大江広元 [歴史]

キタ~~~という感じですね。頼朝の知恵袋、まさにブレーンの存在。大江広元、ついに登場という感じです。結構、自分的には待ってました~という感じです。


この大江広元が登場してから、頼朝の依存度が激増していきますね。まさに右腕、ブレーンという感じで、つねに頼朝の傍にいて、常に相談されつつ事を進めていく感じになります。京都、朝廷事情に精通していて、坂東武者には足りない部分を、一手にこの大江広元が引き受けて、鎌倉幕府の基盤を築いていきます。


公文所、政所として、その別当として主に朝廷との交渉にあたり、その他の分野にも実務家として広く関与していくのです。まさに政治のための実務家なのです。文人政治家という感じですかね。頼朝は重用します。鎌倉幕府の中ではかなり重要な人物なのです。キーパーソンなのです。


「成人してから後、涙を流したことがない」と、後年自ら述懐したという逸話があります。大江広元の情に流されない冷静な人物像が反映された逸話で、なかなかニヒルな役でもあります。


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鎌倉幕府の一番の特徴は、全国に守護・地頭を置いたことです。守護は警察で治安を守る役割で、地頭は税金を徴収する役割ですね。この守護・地頭を全国に置くことで、頼朝、鎌倉幕府の全国支配が現実的なものになりました。


この守護・地頭を各地に置くことを提案したのは、大江広元の案だったとか。


頼朝の死後、後家の北条政子や執権・北条義時と協調して幕政に参与しました。承久の乱のときも、大江広元はあくまで鎌倉方に立って主戦論を唱えた北条政子に協調、朝廷との一戦には慎重な御家人たちを鼓舞して幕府軍を勝利に導いた功労者の一人でした。


朝廷官軍を鎌倉で迎え撃つという論を退け、いやいやこちらから京都に登って朝廷官軍を撃破するべき、という強硬論も大江広元のアイデアで、結局その通りになって、幕府軍を勝利に導いたのです。



だから、今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、登場から最終回まで、主役の味方として君臨していく役柄になるはずです。


三谷脚本の妙もあって、ドラマの全体のトーンとしてコミカル調が微笑ましいですが、本当はこの時代のドラマは、まさに血と血で争うドロドロの抗争劇なのです。(笑)でもそんなに暗くならないように、三谷脚本がバランスを取っている感じですね。


いまみんな仲良くやっている御家人たちも、ドラマ後半になっていくにつれて、1人1人とどんどん粛清され滅ぼされていく感じでしょうか。寂しくなります。


そんな中で大江広元はその抗争に巻き込まれることなく、つねに権力側に居て、最終回まで安心して観ていられる存在なのです。


いままでは御家人たち同士で和気あいあいという感じでしたが、大江広元が登場したことで、ドラマに1本の芯が入ったような感じになると思います。


そんな大江広元、ついに登場!という感じで、いやいや存在感ありましたねぇ。切れ者という雰囲気ありました。さすが!という感じです。自分的にはついにキタ~~~という感じです。



自分は、1979年の「草燃える」のときに、はじめて、この大江広元という人物を知りました。当時は、岸田森さんが演じられていました。


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岸田森さんは、もう故人ですが、当時はとても渋い名脇役というか、いい役者さんでした。石坂浩二さん演じる頼朝に、傍につねに岸田森さん演じる大江広元が居て、つねに相談されている、というシーンがすごく印象的でした。石坂さんの頼朝と岸田さんの大江広元は最高に絵になったコンビでした。そのときに大江広元って知的な人でカッコいいな~と子供心に思ったものです。自分は岸田森さんの大江広元の大ファンだったのです。


だから今年の鎌倉殿の13人で大江広元の登場を待ち望んでいたのです。いやぁ~初回からじつに存在感あってよかったです。只者じゃない雰囲気が溢れていたし、他の御家人とちょっとカラーが違うし、インテリの雰囲気がありますね。今後、大泉洋・頼朝の傍にいて、つねに相談してアドバイスを受けている図が日常茶飯事の通常になっていきますね。


大江広元を演じるのは、栗原英雄さん。


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すごい2枚目で、いい男だし、かなり存在感あって、只者じゃないなと思いました。役者としてオーラありますね。デキル男を演じるにはもってこいという感じです。セリフ口調も威厳あります。


岸田森さんの広元は、どちらかというと優男のインテリという感じでしたが、栗原さんの広元は、もっともっと存在感があって、威厳あります。


栗原さんは劇団四季にいらっしゃったんですね(1984年入団)。そして2016年の真田丸でテレビ出演デビューだとか。大変申し訳ないのですが、自分は存じあげませんでした。申し訳ありません。年齢は自分とほぼ同世代(1歳下ですが、社会人歴は先輩ですね)。


劇団四季で数多くのミュージカルに出演され、2009年退団。退団後は舞台や映画を中心に活動を続け、2016年に大河ドラマ「真田丸」(真田信尹 役)でテレビドラマ初出演を果たしました。


ご自身の演劇論として、


芝居で大切なのは相手役の反応や出方であり、それを敏感に受けそして返していく演技こそが最上の演技である。


「感情は自分で作るのではなく相手役からもらうもの。自分がどうしたいかというのを相手にぶつけた時に、相手役の反応によって初めて感情は生まれる」


「自分は自分の色だけでは生きられない役者。カメラマンや演出家の言葉が必要」「自分を常にニュートラルな状態に置くことも重要」。


役をもらい役に入ると、普段の生活もその役の感じでしかいられなくなりがち・・・だそうです。


出演作の中に、「私糖尿病ですって(2015年)」というのもあって親近感がわきます。(笑)


先日の初登場のときの印象は、これはかなり切れ者で、頼朝にグサッとささる確信論を告げ、もう周りの御家人もうかうかしていられない、という怖い存在のような感じでしたね。


大江広元は、実際の史実においても、大河ドラマにおいても、とても重要なキーパーソンなので、ぜひ注目してあげてください。


期待しています。


2017年の自分の第1次鎌倉マイブームのとき、源義経所縁のお寺として満福寺を訪れました。頼朝と不仲になり、平家を滅亡させたあと、義経は鎌倉入りを頼朝に拒否されます。そこで、弁明のお手紙、いわゆる腰越状をこのお寺で弁慶にしたためさせるのです。この腰越状は、大江広元に送られたと言われています。


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当時撮ったこの写真、すごく懐かしいです。この腰越状、いま現代語訳もふくめ、この満福寺で200円で売られているそうです。ぜひふたたび訪れて、現代語訳を読んでみたいです。どんな釈明の内容なのか・・・




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