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祇園精舎の鐘の声 [雑感]

祇園精舎の鐘の声


諸行無常の響きあり


沙羅双樹の花の色


盛者必衰の理をあらわす


おごれる人も久しからず


ただ春の世の夢のごとし


たけき者も遂には滅びぬ


偏に風の前の塵に同じ


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祇園精舎の鐘の声.jpg



「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」


誰しもが聞いたことのあるこの有名なフレーズ。平家物語である。琵琶法師が琵琶をつま弾きながら、こう語り継いできた。


平安時代末期における源氏と平氏の争いを描いた物語。作者は不明。平家物語は琵琶法師の「語り」を 媒体として伝承されてきた。



平家物語、まさに日本人の心に響く名言。


まさに盛者必衰、おごれる人も久しからず、である。


「栄耀栄華を極めたものも長くは続かず、春の夜に見る夢のようなはかないものであり、勢いがある者もやがては滅びてしまうのは、風にたやすく吹き飛ばされる塵のようなものだ。」


・・・という意味である。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」

 

「諸行無常」も「盛者必衰」も仏教の言葉で、「諸行無常」とはこの世のすべてのことは常がなく、続かないこと、「盛者必衰」はどんな者も必ず衰えることを言う。

 

これは仏教の価値観・無常観を表す言葉である。

 

沙羅双樹とはお釈迦さまが亡くなるとき、沙羅の樹が臥床の四方に二本あったことから、仏のさとりをひらかれた最高の偉人といわれるお釈迦さまでも亡くなるときがくるという「盛者必衰」を表している。

 

祇園精舎とは「精舎」とは寺のことであるから今日の言葉で言えば「祇園寺」で、お釈迦様がご説法をなされた寺のこと。

 

この「祇園精舎」の北西の一角に無常堂(無常院)があり、祇園精舎で終末期を迎えた僧たちが、最後のひとときを過ごす場所、今日でいうとホスピスのようなところであった。

 

臨終を迎えると、建物の四隅に配されていた鐘が鳴ったといわれる。


ネットで調べたら、このような記載であった。


自分も、この「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」はあまりに有名で耳にしたことが多いのでそれになりに知識にあったのであるが、最近、Twitterでかなりバズった話で自分が驚いた話を紹介しよう。


「祇園精舎ってどこ?」平家物語にまつわる観光客からの素朴な質問…



観光客に京都で「祇園精舎ってここから何分くらいかかりますか?」と聞かれたとき、なんと答えるべきだろうか?


学生時代に古典の授業で「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」から始まる「平家物語」の冒頭を暗記した覚えがあるだろうか。その答えをつぶやいた、



「祇園精舎ってここから何分くらいかかりますか?」

「多分半日以上かかります」

「えっ?祇園精舎って、この辺にないんですか」

「インドですね」

「えっ?平家物語の祇園精舎ですよ?」

「インドですね」


そう、祇園精舎はインドだったのだ。


【祇園精舎】


インド北部のネパールと国境を接する地域に栄えた古代インドのコーサラ国にあった寺院で、現在は遺跡が残る。ちなみに本当に鐘があるのかどうか確認したところ、30年以上前、祇園精舎に鐘がないことを残念に思った日本人の有志達が祇園精舎に鐘を贈っていた。現在もその鐘は静かに佇んでいるそうだ。


ツイッターでは、


「え、京都にないんですか」

「京都に住んでた時でさえ「このへんにあったんやろな」って認識だった…」

「祇園にあるお寺だと思われてるのか」


など数多くの反響があり、なかには、「江戸時代の日本人は、カンボジアのアンコールワットのことを祇園精舎と勘違いし、多数の日本人が、祇園精舎と錯覚したままアンコールワットを訪れたそうです」と、さらなるプチネタを投稿する人も。これらの反響から、祇園精舎は京都にあると思い込んでいる人が結構な割合でいることが浮き彫りになった。


・・・だそうである。


観光客が祇園精舎=祇園をイメージして、地元人に聞くことはよくあることなのだろうか?


「知らんかったわ…てっきり祇園社(八坂神社)あたりのどっかのことだと思いこんでた」「祇園さんならあるけど神社」みたいな反応がありましたね。実際に聞いてきた観光客は祇園や八坂神社(祇園さん)に行きたかったのかも。



まさに驚きである。(笑)自分も祇園精舎は、てっきり京都の祇園のことだと思っていました。祇園で神社みたいなところだと、やはり八坂神社ですね。


はっきりイメージしたわけではないけど、なんとなく祇園精舎って、あのあたりという漠然のイメージがありました。


このバズったTwitterをみたとき、にわかに信じられなかった自分は、ネットで、祇園精舎を調べてみました。そうするとWikkipediaに書いてありました。


祇園精舎


祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、Jetavana-vihāra)、正式名:祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ、梵語: jetavane ’nāthapiṇḍadasya-ārāme)は、インドのコーサラ国首都シュラーヴァスティー(舎衛城)、現ウッタル・プラデーシュ州シュラーヴァスティー県にあった精舎(vihāra)である。釈迦が説法を行った場所であり、天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の1つである。


祇園精舎は、釈迦の大口支援者であったスダッタ(アナータピンディカ)によって、釈迦に寄贈された。そのためアナータピンディカ園とも呼ばれた。


現在では、一帯は歴史公園に指定されている。公園内には釈迦が説法を行った場所とされる香堂(ガンダクティ Gandhakuti、釈迦が寝食を行っていたとされる場所)やストゥーパなどが残されている。また園内には、仏教において二番目に尊いとされる菩提樹、「阿難菩提樹」がある。北インドの仏教徒にとって、祇園精舎は聖地の1つとして重要な位置を占めているが、その中でもガンダクティが最も重要とされる。


写真付きである。(笑)

ここが現在の祇園精舎である。


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祇園精舎はインドにあったのである!


「平家物語」の冒頭に詠われているところから、特に日本ではよく知られているこの祇園精舎。


実際の祇園精舎には鐘は無かったが、1981年に日本の「日本国祇園精舎の鐘の会」が梵鐘と鐘楼を寄贈した。なお、梵鐘は中国起源で日本に伝わったもので、元来インドには無かったものである。


祇園精舎といえば、徳川家伝来「祇園精舎図」もある。


江戸幕府三代将軍・徳川家光は、長崎のオランダ語の通訳・島野兼了に仏教の聖地「祇園精舎」の視察を命じている。その頃、カンボジアのプノンペンの日本人町の人達は、アンコール・ワットが祇園精舎であると誤認していた為、その誤った情報が日本にも伝えられ、大勢の日本人が祇園精舎の参詣としてアンコール・ワットへ出かけていた。


島野兼了もその誤った情報により、そこが天竺(インド)の「祇園精舎」であると思い込んだままアンコール・ワットを視察し、一枚の「見取図」を作成した。


祇園精舎については、日本人はそそっかしいというか、誤解の歴史だったんですね。さらには、本物の祇園精舎に鐘がないことを残念に思い、そのまま鐘を贈ってしまうとは。(笑)


日本人っておかしいですね。いままで信じていたことが真実でないことを素直に受け入れられないんですね。

まっ自分も含めてですが・・・


まさにこれはトリビアといっていいですね。


この歳になって初めて知る真実に驚きました。




 

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