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東京2020オリンピック SIDE:A SIDE:B [映画・ドキュメンタリー]

すべてが異例だったオリンピック。

あの夏、私たちは何を経験したのか。


アスリート側の視点で描くSIDE:A

アスリートを支えた側の視点で描くSIDE:B


東京2020オリンピックの公式記録映画である。


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自分は、SIDE:Aは初日公開の6/3、SIDE:Bは2日目の6/25に渋谷の映画館に観に行った。客入りは、SIDE:Aで3人、SIDE:Bで9人だった。


たしかに寂しいものがあって、映画でも無観客であった。(笑)


興行的に大失敗で、あまりに客が入らなく、五輪だけでなく、「映画も無観客上映」と揶揄されていたりする。そして映画評も片っ端から酷評ばかりである。



それでも忌憚なく自分の意見、感想を言わせてもらうならば、自分的には近来に稀にみる大傑作の公式記録映画であった、という大絶賛である。


日本って同調圧力の国。記録的大コケになると、褒めている記事はほとんどない。なぜ大コケなのかを理論付けている評論ばかり。そしてたたみ掛けるようにこれでもかというくらい酷評を続ける。


自分が評論家に向いていないと思うのは、感動したストーリー、事象に対してそれなりの1本の芯・考察を通すことだ。今回の論評をひと通り読んでみると、なんでこんなにひねくれて物事を考えるかな~、深読みし過ぎじゃないの?もっと素直に受け止められないのかな~と思ってしまう。


興行的に大コケという結論がまず先にあるから、映画の内容論評も悪い方向、悪い方向に持っていこうというような論法操作があるように感じる。もしこれが反対ならたぶん論評もその逆方向だろう。


たぶん自分の性格からして、もっと単純で、単細胞なので評論家稼業には向いていないことは間違いない。


その中でなぜ興行的にうまく行かなかった理由として、なんとなく自分が考えるのは、やっぱり東京2020って大変だったじゃないですか。いままで誰もどの国も経験したことのないような試練。


まずはなにがあってもコロナ禍、これがなによりも1番痛い。そして公式エンブレムの盗作疑惑や新国立競技場の建築費高騰、さらに大会組織委員会の会長・森喜朗氏の女性差別問題、開会式の音楽担当・小山田圭吾氏がハラスメントで辞任・・・これでもか、とあまりに試練が多すぎた。


開会式の1週間前でも開催反対80%だったくらい。やっぱり国民の中で、国民全体でオリンピックに対しての負の感情、もうたくさん、勘弁というイメージが根強く残っているんじゃないかな。


そんな経緯がある。それを国民はみんなよく知っている。だから今さらお金を払って楽しい気分でそうだった五輪の映画を観に行こうという感じにはならなかったのじゃないのかな。


そして公式記録映画だから、政府の五輪美化の映画だと思われたんじゃないかな。


べつに変な誇張などなく五輪美化でもない、事実をありのままに伝えている。


自分は大変感動したし、素晴らしい映画だと思う。興行成績とか巷の論評なんてまったくあてにならないと思う。


同調圧力なんかに負けないで欲しい。そんなものに影響を受けて損をするのは自分である。見た人がどう感じるかどうかだと思うのである。


自分は同調圧力には負けない。自分はこの映画大絶賛である。


特にSIDE:Bが素晴らしい!SIDE:Bはたぶんもう1回映画館に観に行くと思う。


1964年の東京五輪のときは、オリンピック開催は、戦争敗戦後の高度経済成長期の象徴だった。そんな祝祭性もあって、国民全体として、その公式記録映画は大ヒットした。


でも今回の東京五輪は、その当時とは状況、様相がまるっきり違う。国民感情、そういった映画としての祝祭性という色合いは出せないけど、きちんと後世に記録を残すという公式記録映画としては最高作品で、後世に残る優れた素晴らしい作品なのではないかと思う。


コロナ禍真っ只中の大変だった舞台裏、いかに大変だったか、裏方みんないかに苦労していたのか、そんな我々国民が知らなかったような状況も、いっさい包み隠さず、すべて詳らか、描写している。自分はこの舞台裏のSIDE:Bを観て、もうとても感動してしまった。


アスリート側の視点で描くSIDE:Aは、圧倒的に外国のアスリートの方々を取り上げているのが素晴らしいと思った。大会中は日本のメディアはもう情けないくらいの内弁慶で日本の選手しか取り上げず、海外の選手は皆無。メディア、報道のスタンスとしていかがなものか、という問題提起もあったくらいである。


公式記録映画だから、政府、東京都から許可をもらえるのだろう。普通の取材ではとても入り込めないような内部の会議の貴重な映像もたくさん御開帳だ。そこではまさに未曾有の試練続きの緊迫度の連続が伝わってくる。


ドキュメンタリーとしては最高に美味しいのではないか。


普通のジャーナリストが入れないような競技場のトラックの中での撮影も許されているので、とにかく音の臨場感が半端なく生々しい。素晴らしい音だと感じた。



これはまさに立派な公式記録映画として最高の役割を果たしていると思うのである。


この映画ドキュメンタリーは、日本というより欧米を意識していることは間違いないと思う。ドキュメンタリーの手法が極めて欧米的である。


1番そう思うのが、特にSIDE:Bでの各人のインタビューを細切れに編集して繋ぎ合わせる手法だ。これは完全な欧米スタイル。


昔、2010年頃クラシックのドキュメンタリーでこういうインタビューを短く繋ぎ合わせる手法が盛んに試みられ、頻繁に観た。自分にとってカルロス・クライバーのドキュメンタリーが初めての体験である。ゴローさんから教えてもらった。これって欧米スタイルのドキュメンタリーの作り方なんだよねって。


そしてもうひとつがナレーションをいっさい入れないことだ。ひたすら当事者のインタビューと映像だけで物語を繋いでいく。ナレーションがないと、なんかこう重み、シリアスが増してドキュメンタリーとしての真実性が深まるような気がする。まさに「静」の物語である。欧米のドキュメンタリーではこういうナレーションがないのが普通である。


作品の作り方が非常に社会派的なアプローチで欧米スタイル。これはひとえに河瀨直美監督のカラー、目指していたところなのだろう。


ということで、世間の酷評、バッシングにはいっさい無関心で、自分はこの映画はもう全然大傑作だと思ったのである。




SIDE:Bを渋谷の映画館で観終わった後、かねてより行きたいと思っていた新国立競技場に直接行ってみたいと思ったのである。まさに映画のこの興奮のるつぼの状態でいままさに観るのが1番だろう。


東京2020の主戦場、舞台だからである。


お恥ずかしながら、五輪大会中は結局自分は足を運べなかった。あれから1年、ようやってこうやって訪れることができる。


自分が行きたかったのは、このアングル。


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五輪のモニュメントが置かれているこのショットである。このモニュメントは、大会中はひとつの観光客の記念撮影の場所でいつも劇混みであった。


都営大江戸線で国立競技場で下車。すぐそばに立っている。


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もう圧倒された。あたりまえだけど、本当に大きい。1周しようと思ったが、もうメチャメチャ大変であった。しかもこの日は記録的な灼熱の夏日であった。



開会式の聖火台も展示されていた。


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こんなモニュメントの銅像もある。


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でも大きい競技場を1周しながら、あの五輪のマークのモニュメントがいつまで経っても現れないのである。おかしいな~~~と思いながら。ついにInformation Staffに聞いてみた。


そうしたら、そのモニュメントは、この競技場ではなく、道路を挟んであの黒いビルの下にあると言われてしまった。


そうだったのか!!!


あの五輪のモニュメントは、この新国立競技場の敷地エリア内にあるのではないのか?テレビや写真では敷地内にあるように見えたのだが。。。


ひょっとしたら、東京五輪が終わって、新国立競技場は五輪とは関係なくなるので、モニュメントだけが移動になったか?


言われた通り、道路を挟んで隣のビルに行ってみた。そうしたらあった!


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こんな感じで鎮座していました。


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そして、これがお決まりの新国立競技場をバックに五輪モニュメントの撮影するアングルである。大会期間中は、このモニュメントはいつも大混雑で記念撮影する人でいっぱいであった。


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いまは、あの頃の喧騒なんてまるでなかったように、もの静かに佇んでいる。自分は1句詠みたい気分になった。


「夏草や兵どもが夢の跡」


かつてこの地で世界中の戦士たちが戦いを繰り広げていたのである。いまはまるでなにごともなかったように噓のように静かに佇んでいる。じ~んと来てしまい自分は言葉にならなかった。そう詠まざるを得ない気分だったのだ。


ここまで来たらどうしても寄りたいスポットがあった。それはこの新国立競技場そばにあるラーメン屋さんのホープ軒である。


正確にはホープ軒 千駄ヶ谷店である。


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あの開会式の夜、開会式が終わったのは午前0時ころ。そうしたらもう夜中である。みんなお腹ペコペコである。


そのときにここらで開いている食べ物屋さんといったら、ここのホープ軒のラーメン屋さんくらいしかなかったのである。そして開会式を観たさに、新国立競技場の周りにかけつけていた市民が、いっせいにこのホープ軒に詰めかけたのである。


当時はソーシャル・ディスタンスといって、客間のスペースとかうるさかった時代。そんなときにこんなにひとつのお店にギュウギュウに詰めかけたら、そりゃ問題だろう!ということで超話題になった。



まさに開会式の夜。劇混みになり有名になったホープ軒である。


そのホープ軒でラーメンを食べたくなった。ホープ軒、千駄ヶ谷店は新国立競技場のすぐ傍にあった。

そう!そう!ここである。


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向かいは、こんな感じで、目の前に新国立競技場がそびえ立っている。


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1階は立ち食いエリア、2階はふつうに座って食べれるような場所になっていた。ここで、自分はチャーシューメンを選んだ。


これが開会式の夜、一躍有名になったホープ軒のラーメン。


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とんこつの臭みがちょっと気になる感じだが、そこそこに美味しかったと思う。あの頃、みんなコロナ禍の真っ最中にギュウギュウになりながら、このホープ軒のラーメンをほうばっていたんだな、と思い、感慨深く思いました。


東京2020オリンピック。

我々に様々な想い出を残し疾風のようにかけぬけていった。


すべてが異例ずくめだったオリンピック。あの夏、私たちはなにを経験したのか。


あの年の閉会式の3日前。


自分は脳梗塞で救急車で搬送され入院。大変な闘病生活の2か月間を過ごしました。まさに歩くことはまったくできず、車いすから立ち上がることすらできなかった毎日。まったく歩けなかった。一生自分は車いす生活。自分の人生もこれで終わったな。この事実を自分の中でどうやって受け入れるか・・・悲しみと失意のどん底にいた。


せめて最寄駅からコンサートホールまではなんとか自分の自力で歩いて行けるようになりたい。コンサート通いはなんとかぜひ復活させたい。


そんな夢をいだきながら、リハビリのスタッフと毎日きついリハビリに励んでいた2か月だったのだ。



あの年の夏は一生忘れられないです。







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