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美食倶楽部 人形町今半のすき焼き 序章 [グルメ]

北大路魯山人の流れをくむ由緒正しき日本古来の美食を、陶器などの芸術とともに楽しむ美食倶楽部。ついに始動である。


記念すべき第1回は、人形町今半のすき焼きを紹介したい。


書いていくうちに大変な力作になってしまい、しかたがないので序章(端書~はしがき)と本編の2部構成とすることにした。


序章(端書)編は、人形町今半の歴史、すき焼きの歴史、人形町今半のすき焼きとは?といういわば基礎のお勉強である。


そして後半の本編は、実際お店に訪問して今半のすき焼きを体験する、という体験談である。


明治28年牛鍋屋として創業した今半は東京にお住まいの方なら誰でもご存知と言っていいほど知名度の高いすき焼きやしゃぶしゃぶの専門店である。


今半は、個人的にいろいろ想い出があって、高級なすき焼きってどんなものなのだろう?その究極のすき焼きというのを自分がはじめて体験したお店でもある。過去に2回ほど通わせていただいた。


自分はすき焼きといったら、実家で母親が作ってくるお手製のすき焼きしか知らなかった。誰もが食べたことのある庶民のすき焼きである。


今半のすき焼きを食べたいと思ったきっかけは、第一に雁屋哲さんの美味しんぼ第5巻の牛鍋の味を読んだときである。そこに出てくる魯山人風すき焼き。


衝撃であった。


そしてつぎにテレビのコマーシャルや料理雑誌の写真に出てくる、高級すき焼きの美しくいかにも美味しそうな写真。もちろんプロの写真だから、映えるように撮っていると思うのだが、ふだん自分の実家で食べている母親がつくるすき焼きとはあまりに違う。雲泥の差といっていいほど、美味しそうである。


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まさに芸術品である。


その特選牛肉の大きくて薄い肉、おそらく最高級のA5の牛肉、これを割り下にくぐらせ、焼いて、そうしていかにも香ばしそうにぐつぐつ鍋で野菜などの具とともに煮あがっているお姿、堪りませんね。その煮て焼き上がったお肉を、溶き卵でまぶして食べる。


高級なすき焼きってどれくらい美味しいのだろう?


なんかもうその写真やテレビの動画を見るだけでよだれものなのである。母親のすき焼きとはもう別世界なのである。


一度でいいから高級すき焼きというものを食べてみたい、と願うようになった。そして当時ネットで調べたと思うのだが、すき焼きといえば人形町の今半であることを発見した。


そうして通ったということである。


それはそれは美味しかった。


両親が東京に遊びに上京してきたときは、この今半に連れてってやろうとずっと思っていた。でもそれもかなわない夢となってしまった。親不孝者である。



ここで人形町今半の紹介、そしてそもそもすき焼きってどのような歴史を辿ってきたのか、そして牛肉のこと、いろいろ紹介できれば、と思う。


情報引用元:


人形町今半公式HP



有限会社矢野畜産 A5は味の評価ではない。牛肉の等級 (ランク)の決まり方。



和牛と国産牛の違いは何?和牛の種類とその定義





明治という激動の時代の中、現在の墨田区本所吾妻橋に一軒の牛鍋屋が誕生しました。明治28(1895)年のことです。最初の屋号は「今半」だったとも「今用」だったとも言われていますが、岡山から上京してきた髙岡常太郎が始めた商いです。



●人形町今半の誕生


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大正12年関東大震災の復興が進み、昭和3(1928)年、今半からのれん分けをし、「今半本店」「今半(現在の浅草今半)」に分かれて次々と営業を再開させました。この時、「今半」は2代目の髙岡耕治が屋号を継ぐこととなりました。


時代は下って昭和27(1952)年12月8日、浪曲師広沢虎造の定席であった日本橋人形町の寄席「喜扇亭」跡に「今半」の日本橋支店が開店しました。


昭和29(1954)年9月には今半日本橋支店の店長に「今半」の次男・陞(のぼる)が就任。その2年後の昭和31(1956)年3月に「有限会社今半」として独立、髙岡陞が初代社長に就任しました。


昭和34(1959)年、高度経済成長期に重役弁当として会席弁当を配達していましたが「出来立ての温かいすき焼の出前は出来ないだろうか。」と陞は考え、どじょう鍋に使われていた土鍋からヒントを得て、保温性の高い土鍋を樫の木で作った重箱に入れ、ご飯もすき焼も温かいままお届けするようになり大人気商品となりました。


その後、アイディアマンの陞は、関西で牛肉を湯で煮る料理が有ると聞き研究し、人形町の銅細工屋でオリジナルの火鍋子鍋を作りしゃぶしゃぶを開始。牛肉のたたき、ポンズすき焼、フランス寿司等を開発。既存概念にとらわれない新たな挑戦が続きました。


●人形町今半の歩み


その後、昭和42年、人形町今半は日本橋髙島屋店内に精肉売場を、昭和44年に新有楽町ビルに飲食店初の支店を、昭和49年には池袋東武に惣菜売場・精肉売場・佃煮売場を次々に開店、店舗を徐々に増やしていきます。現在では飲食店20店舗、精肉惣菜店18店舗、仕出しを担当するケータリング部門のキッチンを東京と名古屋の3か所で開業、精肉グロッサーリの通信販売、量販店等で販売している、


割下や各種タレなどを担当している営業部門を加え、飲食店・精肉惣菜店・ケータリング・営業部門と全4部門にまで枝葉を広げてまいりました。



今半の始まりというのは、すき焼きを弁当でお届けする重役弁当としての会席弁当が始まりだったんですね。そしてそこから関西のしゃぶしゃぶに目を付けて、しゃぶしゃぶにも取り入れる。


こうしてみると、すき焼きという形で正式に取り入れているのではないことがわかりました。


そうして、いよいよすき焼きの歴史です。すき焼きはどのように誕生して、どのような歴史を辿ってきたのか。




●すき焼きの誕生


さらに江戸時代末期になると、関西地方で「魚(うお)すき」という料理が現れます。これは浅めの鍋で魚介類などを醤油タレで調理したもので、最初は魚の煮付けに近い形のものであったとされています。


語源としては薄切りにした食材を指す「剥き身(すきみ)」、風流で洒落たものを指す「数寄」などが考えられます。また、農作業中の料理として鋤(すき)を鍋代わりに味噌や醤油で肉を調理する「鋤焼き」という調理方法が存在したことも文献に残っています。


これらが合わさり、牛の剥き身(すきみ)を味醂や醤油で調理した「すき焼き」が関西で誕生しました。


すき焼きは関西がルーツなんですね!



●関西のすき焼き


京都は牛すき焼きの発祥の地であり、日本一の牛肉文化を持つとも言われています。京都から始まった「関西風」すき焼きは、牛脂をなじませた鉄鍋で牛肉を焼き、砂糖や醤油などで調理することで肉の脂味を強く感じられる手法です。肉と野菜を交互に調理することで常に変化する鍋の状態を昆布出汁、水などで調整し、最後まで仕上げる面白さがあります。


牛肉のすき焼きは、京都が発祥の地でした!


この関西風の調理方法でちょっとピンと来ませんか?「肉と野菜を交互に調理することで・・・」これって魯山人風すき焼きのことですよね。すき焼きの元祖である関西風は、じつは魯山人風すき焼きにも関連があるのかもしれません。魯山人はちょっと変わった人だったので(笑)、魯山人風すき焼きも彼独特の調理法だと思うのですが、関西風はそこにルーツを持っているのかもしれません。関西風は、砂糖を使うとありますから、砂糖を嫌っていた魯山人のすき焼きともやや違う感じです。



●肉食の奨励


一方同時代の関東では、慶応3(1867)年に「牛鍋」屋が東京で開業。同年、今里町(現在の白金台)に政府公認の食肉処理場が誕生しました。


次いで明治5(1872)年1月24日、明治天皇が牛肉を宮中で食したことを公表、肉食解禁を宣言しました。この背景には、列強諸国との晩餐会に牛肉を使用したいという外交的事情と、富国強兵政策のために国民に上質なタンパク質を摂取させる必要があるという政治的事情がありました。



●牛鍋の流行と今半


これを境に関東では続々と牛鍋屋が開業、最盛期には都下に550軒以上の牛鍋屋がしのぎを削っていました。この軒数と人口の比率を現在の東京都で換算すると実に8900軒以上、コンビニより多く街で見かける、と言えばその繁盛ぶりが想像できるでしょうか。


そんな時代のなか今半は誕生、最初は小さな牛鍋屋からスタートします。


当時の東京で流通していた牛肉は未発達な処理技術のせいで臭味が強く、それを使う牛鍋は味噌や醤油で強い味付けと匂い消しをしたものが大多数だったようです。


しかし政府公認の食肉処理場を皮切りにより高度な処理技術と衛生管理が発達、安全で上質な牛肉を供給できるようになりました。


●牛鍋から「関東風のすき焼き」へ


基本的に江戸前料理は関西の料理を簡略化して無駄をはじいたものが多く、それを江戸のお点前料理、江戸前と言われていました。牛肉の質の向上と共に、関西から剥き身を使ったすき焼きが伝わり、「関東風」のすき焼きが完成していきます。


関西風では鍋で調味料を合わせ味を調えますが、気が短い江戸っ子はそれが面倒で、最初にたれを作れば簡単じゃないかとのことですき焼きの割り下が完成していきます。江戸っ子は、柔らかくって、ふわふわっとして、甘いものが好きでしたから、割り下の砂糖と醤油だけではものたりなくて、みりんが入り今の割り下となったと言われております。


この「割り下」を使うかどうかが関東風と関西風の分かれ目になるといえます。「関東風」のすき焼きは、割り下を使うため汁気も比較的多い傾向にあり、鍋の味が一定になりやすいため、大人数で鍋を囲んで思い思いに箸をのばすことのできる大らかさがあります。


今半は牛鍋の質を磨き上げていくなかで、関西のすき焼きの技法と関東の割下を融合させ、「今半のすき焼」を完成させていきます。


すき焼きの作り方はまだまだあります。


鍋に野菜を敷き詰め、野菜の上に牛肉を広げ、その上から割り下をかけて食材の蒸気で肉を調理する山形県米沢市の置賜風と言われる手法。キッチンで調理したものを皿に盛り付けて出す沖縄の手法。


地域や家庭ごとに多種多様な調理方法が存在するのがすき焼きです。使う材料も様々で、北海道・帯広周辺では豚肉、関東や九州では鶏や軍鶏を使うこともあります。




へ~、そうだったんですね。そもそもすき焼きという言葉は最初からある名前ではなく、最初は牛鍋。そこからすき焼きとなっていった。すき焼きは関西が発祥の地。(京都)それですき焼きには、お好み焼きと同じで関西風と関東風と2種類存在するのです。


関西風は鍋の中で調味料を合わせ味を調えるけど、気が短い江戸っ子は、最初からたれを作ってしまえばいい、これが関東風なんですね。これがいまでいう割り下なんですね。


この割り下を使うかどうかで、関東風と関西風の分かれ目になるんだそうです。


今半のすき焼きは、この関西のすき焼き技法と関東の割り下を融合させた「今半のすき焼き」という独特のスタイルなんだそうです。



すき焼きの歴史がわかったところで、今度はそのすき焼きの主役である牛肉についてちょっと勉強してみましょう。黒毛和牛だとか、A5,A4,B5とかの用語聞いたことあるじゃないですか。この日頃の疑問をクリアにしておきたいです。


日本国内で流通している牛肉は、「輸入牛」と「国産牛」、そして「和牛」に分けられます。



輸入牛は、外国で加工し、輸入した肉を指します。国産牛は基本的に、日本で飼育・加工された牛を指します。しかし、外国で飼育した牛を輸入し、日本で飼育した後に加工した場合も国産牛として表示することが可能です。


和牛は、日本の在来種をもとに作られた食肉専用の牛を指します。品種を指して和牛と呼ぶため、必ずしも国産牛であるとは限りません。


「和牛」と呼ばれる品種は、「黒毛和種」「褐毛和種」「日本短角種」「無角和種」の4種類のみです。この他の品種の牛は「和牛」と表示することはできません。 4種類いる和牛ですが、全体のおよそ90%を占めるのは黒毛和種、いわゆる「黒毛和牛」です。


日本三大和牛の神戸牛・松阪牛・近江牛・米沢牛も黒毛和牛なんですよ!黒毛和牛というのは牛の種類、そしてそれぞれに産地があるということなんですね。


今半で扱う牛肉も黒毛和牛です。


牛肉はやっぱり黒毛和牛だよね~という人も多いですよね。


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黒毛和牛とは「黒毛和種」という品種の牛のこと。黒毛和種は国内和牛飼育量の90%をしめる品種で、全国に約160万頭ほどいます。まさに日本を代表する和牛ですね。


そんな黒毛和牛は名前のとおり黒毛を携えており、黒い見た目をしていますが、少し褐色がかってもいます。



黒毛和牛の肉質は肉牛のなかでも最高ランクです。肉質の最大の特徴は、なんといっても霜降り(サシ)のきめ細かさでしょう。霜降りとは赤身の間に交雑している脂肪のこと。黒毛和牛は霜降りがキレイに入っており、非常に美しい見た目をしています。

 

また、黒毛和牛は霜降り具合だけでなく、美味しさや柔らかさなどの品質面も優れています。口に入れた瞬間にとろけるような食感と、上品な脂肪の甘みはやみつきになる美味しさです。


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さらに、牛肉のランクとして、A5,A4とかいうナンバリングも聞いたことありますね。これもクリアにしておきましょうね。


牛肉にはA5、A4、B5といった等級(ランク)があります。一般的にはA5牛肉が最もおいしいお肉だといわれます。ですが、この牛肉の等級、実はお肉の「味」は評価していません。そのため最高ランクといわれるA5の牛肉でも、必ずしもおいしいお肉とは言えないのです。


では、なぜA5の牛肉はおいしいと、一般的には言われるのか。

なぜA5の牛肉は値段が高いのか。

そもそもA5とA4の、A5とB5の牛肉の違いはなにか。


●牛肉の等級の全体像


牛肉の等級は、A5、A4、B5のように「アルファベット+数字」の形で表記されます。日本食肉格付協会が農林水産省から承認を受けた牛枝肉取引規格に基づいて、等級を決定しています。


アルファベットの部分は歩留(ぶどまり)等級といい、これは「その牛からどのくらい商品となる牛肉が取れるのか」を評価したランクです。いわば生産性の評価ですね。AからCの3段階があり、Aが最高ランクです。


一方、数字の部分は肉質等級といい、これは「牛肉の色沢」「牛肉の締まりときめ」「脂肪の色沢と質」「脂肪交雑(脂肪の入り具合)」の4つを総合的に評価したランクです。1から5の5段階があり、5が最高ランクです。



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つまり、A5とは「商品となる牛肉がたくさん取れて、脂肪の色沢と質、牛肉の色沢や締まり、きめが良く、脂肪が多く細かい」という意味です。


●歩留(ぶどまり)等級について


A5,A4,B5などのAやBのアルファベットの部分。これは歩留等級のことです。歩留等級は「牛からどれだけ商品となる牛肉が取れるか」を評価したものです。


より具体的には、牛から頭・皮・足・内臓を取り除いた枝肉(えだにく)と呼ばれるお肉から、第6~第7肋骨間のロースやバラ面積を見て、商品となる部分肉(ぶぶんにく)がどれだけ取れるかを表しています。



●肉質等級


そして、A5,A4,B5の5,4の数字の部分。これが肉質等級のことです。


肉質等級は名前のとおり「牛肉の質」を評価したランクです。具体的には、次の項目を評価します。


脂肪交雑

脂肪の色沢と質

牛肉の締まりときめ

牛肉の色沢


それぞれの項目は、1から5の5段階でランク付けされます。いずれも5が最高ランクです。


ただ、肉質等級を見るときの注意点として


基本的に見た目の評価である。

牛肉の味に関する評価項目はない。


ということなんですね。決して食べて美味しいという意味でジャッジしていないんです。だって食べたらそれでなくなってしまうから、食べる前にその見た目で判断するということなんだと思います。


そして食べてみたら、やっぱりそういう見た目のジャッジがそのまま美味しいよ~~~ということなんではないでしょうか。その見た目のジャッジと実際の味との関係性が経験上蓄積されているということなのではないでしょうか。


A5,A4,B5というナンバリングは、あくまで美味しいという評価ではなく、その牛肉がその1頭の牛の各部位からどれくらい採れるかということと、そしてその肉の見た目の評価である、ということだということです。けっして美味しさのパラメータではないのです。


でも実際食べてみたらこのランクは美味しかったなど、その経験値がたくさん蓄積されてきた。そこに各ナンバリングの評価値と美味しさの関係性が長年にわたって構築されてきた、ということなのではないでしょうか。


なんとなくわかってきましたね。


では、なぜ「最高ランクのA5和牛が一番おいしい」と言われるのでしょう。それは、霜降り肉を好む方が多いからです。市場が霜降り肉を求めているから、A5=最高ランク=おいしいとなるわけですね。


人形町今半のすき焼きで使用される牛肉は、みんなすべて黒毛和牛のA5ランクのものです。どのメニューを選んでもそうです。牛肉の産地としては、神戸牛、松坂牛、近江牛、米沢牛とかどれかにこだわって絞っているということはなく、黒毛和牛でA5ランクであれば、満遍なくいろいろな産地から仕入れている、ということだそうです。


今半では、その黒毛和牛A5ランクのものの中でもさらに特上と極上にランク分けしているのです。これは今半さん独自の選眼なのだと思います。


極上になればなるほど、より甘みが増して柔らかく最高なんだそうです。ちなみに、今半で扱う黒毛和牛A5ランクのお肉ですが、コースで頼むと3枚ついてきます。総量が120gと決まっていて、1枚が40gを3枚になります。


それにさらに追加オーダーとして肉を追加する場合、特上の場合は、1枚2,500円、極上の場合は、1枚3,600円です。


吉野家の牛丼何杯食べれるんだ?(笑)

軽く10杯はいけそうですね。


自分は、特上のお肉、1枚2,500円を2枚追加して、コース3枚のお肉と合わせて合計5枚の黒毛和牛A5ランクのお肉を楽しむことにしました。


人形町今半のすき焼きのおいしさは黒毛和牛の味だけではなく「割り下」の味にもその秘密があります。



割り下とは砂糖・しょうゆ・みりん・酒など複数の調味料を混ぜ合わせ、煮立たせて作った煮汁のことです。


人形町今半では創業以来から変わらぬ割り下の味の黄金比率があるそうです。その黄金比率とは、「醤油4:みりん3:砂糖2:水1」 です。(企業秘密を公開してもそれでもかなわない王者の余裕といったところでしょうか。。。)


全ての調味料を鍋に入れ、さらにプラスαで昆布出汁を入れてひと煮たちさせるだけの覚えやすくて作りやすい割り下なのです。


これこそが、まさに人形町今半による究極のすき焼きなのです。


人形町今半は、都内にもかなりの店舗を展開しています。本店の人形町本店から日本橋高島屋S.C.店、銀座店、上野広小路店、有楽町店、横浜高島屋店、・・・そして名古屋や福岡にも展開するなどじつに17店舗展開しているようです。


すき焼きはもちろんですが、しゃぶしゃぶ、鉄板焼きなども看板メニューです。


人形町今半に行くには、自分の靴を新調しないといけないと思いましたが、かなり億劫で面倒なのでやめました。(笑)仲居さんに見られたとしても一瞬の恥だからいいかな、と。


自分が訪れるのは、もちろん本店の人形町今半です。自分にとって、人形町今半といえば、この人形町本店のことをいいます。


では、後半は、いよいよ何年ぶりかに人形町今半を訪問して究極、至極のすき焼きを体験してきます。

まさに超一流の世界でした。


お楽しみに。







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