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北海道ラーメンを愛す 前編 [グルメ]

大学まで北海道に住んでいたのだけれど、当時からラーメンをそんなに意識して食べていたかというとまったくそんなことはないと思う。1986年まで住んでいた訳だけど、どうなのだろう?全国的にラーメンブームというのが起こったのは、自分が東京に住むようになってからのような気がする。
                                                   
いわゆるテレ東のTVチャンピオンで「ラーメン王」が火付け役になって、スープ3滴で店名をあてられる。。。そういうラーメンについて並々ならぬ博識ぶりと、その舌を持ち、全国の有名ラーメンを我がものとする。
                                                   
それがいわゆるラーメンブームの牽引役だったような気がする。それ以来、年間何百杯食べ尽くす、全国の美味しいラーメン店を行脚してほとんど制覇する。ラーメン評論家などの有名人も次々に登場。
                                                   
決定的だったのは、1994年の新横浜のラーメン博物館の開館だろう。全国の有名なラーメンが、東京で食べることができるようになった。これで一気に火を吹いた。全国各地のいわゆるご当地ラーメンというものに陽があたり、一大ブームになった。
                                                   
自分も全国的にラーメンブームだと思ったのは、1995年以降の記憶しかないのだ。それ以前、ましてや北海道に住んでいたときは、そんなにラーメンというもの自体に狂信的に熱中した記憶はまったくなかった。あくまでふつうの食べ物のひとつに過ぎなかった。
                                                   
北海道住んでいたときの小中学生のとき、母親がいつも出前で取ってくれた醤油ラーメン、高校時代に同級生の友達と毎日下校するときに必ず寄って味噌ラーメンを食べるのが毎日の日課だった春日食堂、そして大学のとき友人が下宿していた近くにあった北14条だったか、北18条だったかのラーメン店。すっかり店名を忘れてしまったが、ここは朝方の4時までやっていて重宝したものだ。北18条の東風荘で徹マンしたあと、よく食べに行ったものだ。
                                                   
高校時代の春日食堂は、社会人になった後でも、2000~2003年、大病で北海道の実家で静養していたときにもよく通っていたのだ。あれから何年経っているんだ?まだやっているんだ?懐かしい~。
                                                   
そのラーメン屋のオヤジ、親指がないんだよね。むかしその筋の人だったのかもしれない。(笑)親指がないのに、出来上がった並々で熱々のラーメン丼をその指、手で持ってきてくれるのが妙に印象に残っているのだ。春日食堂の味噌ラーメンは最高に美味しかった。味噌ラーメンとはこうあるべき、という基本のような味噌ラーメンだった。高校時代とまったく変わらなかった。
                                                   
残念ながら春日食堂は人知れずその後閉業してしまった。
                                                   
北海道に住んでいたときなんて、ラーメンに関してはこんなものである。自分は全然全国のラーメンには詳しくないし、ただラーメンが好きなだけで、自分のお気に入りのラーメンを何回も繰り返して楽しむというそういう狭範囲のラーメンマニアである。
                                                   
自分がいま日本はラーメンブームである、と認識するようになったのは、間違いなく1995年以降。新横浜ラーメン博物館開館以降だと思う。
                                                   
純連やすみれを知ったのもラー博のおかげである。そこから、いろいろなラーメンを楽しんできた。それはいままでの日記でいろいろご紹介してきたのでお馴染みなラーメンたちである。
                                                   
今回は、ひさしぶりに北海道に帰省するということで、北海道でなければ味わえないラーメン店に行きたいと思っていた。いまや有名ラーメン店は全国区で東京で食べられる時代。でもそんないまの時代でも東京では食べられない北海道ラーメンを食べ尽くしてこようと思ったのである。いずれも自分のラーメン人生になじみの深いラーメンたちである。
                                                   
5泊6日の旅程だったけど、なんと!6日ラーメンを食べていた。ラーメン以外の食事はしなかったです。全部ラーメン。
                                                   
北海道ラーメンとは?
                                                   
「札幌」「函館」「旭川」のラーメンを総称して「北海道三大ラーメン」、もしくはそれに「釧路」を加えた「四大ラーメン」と呼ばれる。これは昔から有名なフレーズで、札幌の味噌、函館の塩、そして旭川の醤油である。自分はやはり味噌と醤油派かな?
                                                   
塩ラーメンというのはさっぱりしていて美味しいと思うけど、せっかくラーメン店に来たのに塩ラーメンを頼むのは勿体ないというか、そんな感じなのである。自分にとっては。
                                                   
関東周辺で見られる「北海道ラーメン」と称する店には「ラードを使った熱々スープ」「味濃いめのタレ」「固くてやや太めの熟成縮れ麺」という特徴があるという評論家の指摘がある。自分はなるほど言い得ている。ずばり特徴を掴んでいるなと、さすがと感心した。
                                                   
                                                   
では、自分がぜひお勧めする”ノンノン推薦北海道ラーメン”をご紹介しよう!
                                                   
●純連(さっぽろ純連)
                                                   
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もうこれはいわずもがな、いままで何度も日記で熱く語ってきた自分のラーメン人生の頂点に立つラーメンである。いまさら同じことを説明することはしないが、やはり北海道ラーメンを語るうえでは、ここをトップに持ってこないと自分の気が済まないのである。純連の味噌ラーメンは、自分のラーメン人生の中で最高位に位置するキング・オブ・ラーメンである。
                                                   
ここの味噌ラーメンは本当に美味しい。スープの表面を熱々のラードで覆い、熱さを逃さないように熱々にして、そしてなんとも濃厚な味噌の味、まさにパンチが効いている味。味噌味で一番大事なポイントは、このパンチが効いているという味感覚である。生姜風味が下味で隠され、それが妙に濃厚な味噌とよく合う。
                                                   
とにかく一度食べたら忘れられない、またすぐ食べたくなる中毒性のある味。こんな濃厚な味噌味、そんなかなりクセになる味噌ラーメンなのである。
                                                   
自分はじつは純連は、1995年に新横浜ラーメン博物館ですみれ(当時の暖簾には純連と書いて、すみれと呼ばせる呼び方でした。)を経験してこれはウマい!とすごい衝撃を受けて、同期のアムスの友人に教えてあげたところ、友人は札幌に行ったときに地元の人にどこがいいと聞いたら、純連(じゅんれん)と言われたので行ったらすごく美味しかった、という話を聞いた。
                                                   
自分はアムスの友人をラー博に連れていき、当時の純連(すみれ)を食べさせたところ、いや違うな~。もっとスープが黄色いんだよ。そして、純連を、”すみれ”とは呼ばないんだよ。地元の人はみんな”じゅんれん”と呼んでいた。
                                                   
自分は一気に謎のループに陥ってしまった。そして札幌まで出かけてその真意を突き止めた。純連(じゅんれん)は、兄の村中教愛さんがやっていて、純連(すみれ)は、弟の村中伸宜さんがやっているお店なんです。兄弟でやっているんです。
                                                   
こうやって、自分は純連の歴史を学ぶことになったのである。母の村中明子さんから始まり、村中教愛さん、村中伸宜さんのサクセスストーリーを学んでいったのである。
                                                   
純連とすみれの味噌ラーメンはすごい似ているけど、やっぱりちょっと違うんだよね。
純連のほうが、スープの色が黄色・橙色が強烈で、すみれのほうが、マイルドな茶色。
純連のほうが、生姜風味が強くパンチも強烈。すみれは比較的マイルドだけど味噌味としてかなり濃厚。
純連は、使用する麵として森住製麺なのに対し、すみれは西山製麺。
                                                   
自分はどっちが好きという禁断の質問はいけないことだと思うけど、純連派だった。でもすみれも純連にはないウマさがあって、もういまやどっちがウマいということは断言しないことにした。もうどちかかに優劣をつけることは不可能だし、そういう行為自体が愚の骨頂だと思うからである。
                                                   
純連は本当に想い出がある。存在を知ったのは、1995年。だから自分が東京に住んでからだけど、徹底して純連の味噌ラーメンを食べる機会があった。それが2000~2003年の自分の大病による3年間の休職である。この間、北海道の実家で静養することになった。
                                                   
毎月1回北大病院に定期健診に行くのだけど、診察が終わった後、この純連で味噌ラーメンを食べるのが休職中の唯一の楽しみだったのだ。月に1回、必ず澄川の純連まで出向いて純連の味噌ラーメンを食べた。・・・ということは3年間で36杯食べたのだ。このとき、自分は純連の味噌ラーメンを完全に自分のモノにできた、と確信した。
                                                   
おそらくあのまま東京に住んでいたら、たまに帰省するときくらいしか食べれなかったであろう。あのときのあの黄金の味は、あれからもう20年以上経った先日食べてもまったくブレていなくて変わっていない不変の味だった。これぞ、本物!本物とはこうあるべきだ!というお手本のような1杯であった。そしてその味は未来永劫不変で引き継がれていくのである。
                                                   
あの20年前からすると、同じ澄川にあるけど、いまや建て直しで店舗もすっかりリニューアル。でも店舗内はまったくあの頃の20年前とまったく変わっていなくて同じ店内の配置なんだよね。
                                                   
純連が自分のラーメン人生の中で、キング・オブ・ラーメンの最高位にあるのは、美味しいだけではない。そういう自分の人生の挫折、苦しい時期にいっしょに立ち会ってくれた1杯だったからである。
                                                   
澄川の純連は、むかしは厨房が丸見えだった。でもいまや厨房はあまり見えないようにしている。いまのすみれもまったくそうなのであるが、これは自分はこう予想している。純連やすみれの味噌ラーメンは、このスープをフライパンで作っていく過程に1番のノウハウがあって、そこが丸見えだと同業者からマネされてしまうと危惧したからではないかと思うのである。
                                                   
純連やすみれは、じつは味噌ラーメンばかり注目、話題に上がるけど、じつは醤油ラーメンもめちゃめちゃウマいです。ものすごい香ばしい醤油味で、これはちょっと他の店ではこの味は出せませんね。
                                                   
高級な醤油ラーメンという感じです。自分は醤油ラーメンでもこんなに美味しいお店はないと思います。でも悲しいかな、純連やすみれって滅多に本場のお店に行けないじゃないですか?そんなチャンスがない。たまにしか行けない。そうなると、どうしても味噌を頼むしかないんですよね。そうならざるを得ない。北大病院に通っていたときは、味噌も食べたい。でも醤油も食べたい。。。1回の来店で2度楽しみたい。で、味噌ラーメン食べた後、追加で醤油ラーメン頼んだりしていました。(笑)あの頃はそれを許してくれた。いまは1杯食べたら、また行列の最後尾に並び直おさいないといけませんね。
                                                   
純連やすみれに入って、味噌以外を頼むのは、なんかもったいない気がしますが、ぜひ醤油も食べてみてください。抜群のウマさです。推薦します。
                                                   
そういうことからすると、純連やすみれに入店して、塩ラーメンを頼むというのは、自分にとってはもうまったくの未知の世界。(笑)純連やすみれの塩ラーメンっていままで食べたことがないです。なかなかもったいなくて頼めないです。
                                                   
純連は、昔、高田馬場に進出してくれました。もう毎週食べに行ってたです。また東京進出してほしいです。地方に支店を出すのは、スープの味が変わって難しいのかもしれませんが。。。
                                                   
                                                   
●すみれ
                                                   
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いまの純連やすみれ、いわゆる純すみ系ラーメンを全国区にしたのは、間違いなくすみれの村中伸宜さんのおかげ。家族全員の反対を押し切って、すみれを新横浜ラーメン博物館に出店して、全国デビューさせた。それですみれの大ヒットで、この濃厚な味噌ラーメンの存在が全国区になった。
                                                   
自分はヨーロッパから帰ってきたのが1996年だから、よく覚えている。まさに衝撃であった。こんなウマい味噌ラーメンがあるなんて!なんて濃厚なんだ!自分はいっぺんに惹きつけられてしまった。そしてその1996年だけでも相当ラー博に通ったんではないかな?すみれ目当てで。
                                                   
当時のすみれは、ラー博の中で地下の広場の一番片隅の場所に店を出していた。その場所いまでもよく覚えている。とにかくこんな美味しい味噌ラーメンを食べたことがないというぐらい衝撃だったから、いろんな友達に言い触れ回ったり、推薦したりした。いままでの味噌ラーメンという概念を根本から覆すくらい自分にとって衝撃だった。当時はSNSとかなかったからね。勿体ないことをしました。
                                                   
村中伸宜さんは、すごいビジネスマンというか積極的な人だと思いますね。すみれを一地方のご当地ラーメンでは終わらせない。いろいろ弟子入りを多く取り入れ、どんどん自分のお店をデビューさせていく。やっぱり料理人にとって、お店で修行しているときは、将来に夢は自分のお店を持つことではないですか。料理人はみんなそう。
                                                   
すみれは、そういう点ですごく積極的。もうどんどん弟子に秘訣を伝授して、どんどん自分のお店をデビューさせる。そういうお店の暖簾やどんぶりには、ちゃんと”すみれ”と印字することで、お墨付きというか、みんなの信頼を得られるような配慮もしてあげる。
                                                   
やっぱりラーメンファンにとって、そういう”すみれ”のブランドのロゴが入っているだけで、完全に信用するものなんですよ。大体味が想像できちゃう、というか。それで安心するものなんです。
                                                   
単に、すみれを有名にするだけではなく、そういうところまで配慮していてすごい積極的なのは、自分はほんとうに人間の器としてかなり大きいのではないか、と思うのです。
                                                   
料理人、職人というのはなかなかそうできないですよ。やはりノウハウ、自分だけの秘訣。そういうものが商売道具になる訳ですから。だから自分は、すみれ、村中伸宜さんというと、すごいビジネスマン、積極的というイメージが大きいんですよね。
                                                   
もういま東京だけでなく、いろいろな地方で、”すみれ”ブランド、”すみれ”お墨付きの純すみ系のお店、もうたくさん出店していますよ。そのたびに自分はいつもそのように思っています。
                                                   
やっぱり純連(じゅんれん)とは違うんですよね。すみれのほうが、かなり社交的で積極的でビジネスマンだと思います。
                                                   
すみれは全国区だから、お金持ちなので、よく店舗をリニューアルします。(笑)自分は、札幌の中の島の本拠地にすみれを何回も訪れましたが、お店の建て替えなど3回経験していますね。1996年にラー博ですみれを知ったとき、アムスの友人から純連(じゅんれん)の話を聞いたとき、すぐに札幌に飛んで純連(じゅんれん)を探したのですが、なぜか純連(すみれ)のほうに着いてしまいました。(笑)
                                                   
当時のすみれは、かなり古い掘っ建て小屋のようなお店で、1996年頃だと思います、暖簾は純連ですみれと読ませる。そして味噌ラーメンを食べたら、ラー博のとまったく同じなので、あ~~~ここは純連(じゅんれん)ではなく、純連(すみれ)だったんだな、と認識しました。(笑)
                                                   
自分はカウンターだったので、そのとき厨房にいた村中伸宜さんに話しかけました。「新横浜ラーメン博物館でも出店されていますか?」「はい。」ただ、そのやりとりだけでしたが、いま思えば記念の直接会話でした。
                                                   
その後、木造のかなり綺麗な広い敷地での立派な店舗にリニューアルしました。もうこの頃になると、ひらがなで”すみれ”になります。
                                                   
このときは北海道の友人といっしょに食べに行きました。すみれって、地下鉄の中の島駅から結構歩くんですよね。冬に行ったので、雪道、凍結路面の中、大変だったような記憶があります。木造の綺麗なお店で、味噌ラーメン美味しかったです。
                                                   
そして現在の上の写真の店舗です。もういまや押しも押されぬ大ラーメン店と言っていい表構えです。すみれが本拠地にしている札幌の中の島というところは、創業者の母、村中明子さんが純連を始めた由緒ある土地なので、そこでその歴史をずっとこれからも受け継いでいこうという意思の表れだと思います。
                                                   
中の島駅からかなり遠いです。(笑)冬はかなり歩くの大変です。
                                                   
ひさしぶりの本場のすみれの味噌ラーメン。いやぁぁぁ・・・さすがとしかいいようがない。うまかったな・・・。本当にウマい。濃厚って感じで、これこそ本場の味、昔と変わらない不変の味という感じですね。
                                                   
すみれ横浜店にも見習わせたいです。(笑)首都圏で唯一すみれの味が楽しめる”すみれ横浜店”。すごい商売繁盛でいつ行っても長蛇の列で並びます。創業時はう~ん、美味しいけど本場の味、自分が知っている1996年当時のラー博のすみれとは、ちょっとやっぱりなんかが違うな~と思いましたが。、先日行ったら、もうかなり進化していて驚きました。
                                                   
スープがかなり本場の味に近くなってきて、そうそうこんな感じ、というふうになってきましたよ。うれしかったです。
                                                   
やはり古くからのファンというのは、本当にウルサくて面倒な人と思うかもしれませんが、言っていること、文句を言っていることは正しい、本当のことが多いです。
                                                   
ラーメンのスープというのは本当に命というか難しいんでしょうね。時間が経過するにつれて、どんどん発酵するというか、こなれてきていい味になってきたという感じです。
                                                   
すみれ横浜店、あともうちょっとという感じです。
                                                   
やっぱりダメだな。
                                                   
自分は、純連、すみれのことを語らせると、もう止まらなくなってしまい、また字数制限で、1つの日記では終わりそうにないので分けることとします。

                                                   

                                                   






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