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児玉麻里のブラームス [ディスク・レビュー]

児玉麻里さんのひさしぶりの新譜は、初のブラームス・アルバム。

児玉麻里さんといえば、言わずと知れたベートーヴェンひと筋のピアノ人生、ベートーヴェンを敬愛し研究し、極め尽くしてきた。ピアノ・ソナタ全集、ピアノ協奏曲全集、弦楽四重奏曲。PENTATONEだからこそできる息の長いプロジェクトを長年にかけて完遂してきた。おそらくほかのメジャーレーベルであれば目先の売り上げを重視し、つねにマーケット優先、売上優先の曲目選び、レーベルの指針通りの選択を余儀なくされることもあり得たであろう。


演奏者の意図を汲み入れ、そのアーティストの目指すところを、それを何年、十何年かけてひとつのツィクルスとして完成させる、というのは、やはりレーベルとしてそれなりの理解がないとなかなかできないことだと自分は思う。


児玉麻里さんは、本当に2000年当初からPENTATONEでベートーヴェンのピアノソナタ全集に取り組んでいた頃から注目して追いかけていたが、こうやって20数年以上経過して思うことは、あの頃からまったくブレていないというか、完璧なまでに自分軸を持っていて、すごくマイペースというか、自分のリズムを崩さず、自分の目指すところを進めて、それをきちんとレーベルが理解していて、自分の理想通りのピアニスト人生を歩まれているのではないか、と思うことだ。


ご家庭も幸せ、もういうことない人生なのではないでしょうか。(笑)

うらやましいです。つねに激動で幾度ものの苦難を乗り越え、もう波瀾万丈だった自分の人生もあやかりたいところです。


ピアノとしてのベートーヴェンを極め尽くした感のある児玉麻里さんにとって、つぎなるターゲットとして選んだのがブラームス。ベートーヴェンといえば、ブラームス。ブラームスはベートーヴェンを尊敬していたし影響も大きく受けてきた。児玉麻里さんのピアニズムの根底にはやはりドイツ音楽があるんだな、と思いました。妹の児玉桃さんは、フランス音楽、現代音楽を得意としていて、姉妹とも、ご自身のカラー、目指す音楽性がきちんと確立されているのが興味深い。



児玉麻里さんは長年ブラームス作品を温めてきており、まさに今、満を持しての発表となるそうだ。ブラームスのピアノ作品もかなりの作品数があるので、これからの児玉麻里のアルバムとしてはブラームスを軸に展開していくことになりそうな気配である。



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新しい道~ブラームス:ピアノ・ソナタ第1番、シューマンの主題による変奏曲、シューマン、C.シューマン編:献呈 児玉麻里(日本語解説付)





「新しい道」。

~ブラームスとシューマン夫妻の出会い


今回フォーカスしたのは、ブラームスとシューマン夫妻の出会いで、そのときにブラームスが作曲したいわばブラームス初期の作品である。ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、そしてヨハネス・ブラームスの関係ほど、文書の形できちんと記録されているものはないであろう。我々はその記録から、いまの時代においても、この3人の当時の関係を詳しく理解することができる。


三者の間にあった友情は終生、変わることはなかった。この生命の繋がりから発せられる魅力は、長年に渡って、心に深く刻まれ、その始まりの物語を音楽でなんとか伝えることができないか。それが児玉麻里さんの最大の関心事になっていた。


ライナーノーツに、そのようにご自身が書かれている。

そういう衝動、想いが今回のブラームス・アルバムとして思う存分、その思いの丈を語ってくれているのだ。


ブラームスとシューマン夫妻の出会い、そしてブラームス初期の作品。


自分もずいぶんご無沙汰しているので、ここはひとつひとつ確認しながらトレースしていってみたい。とても感動的であると同時に、とても人間臭くて、ブラームスという人柄がよくわかり、その後のブラームスの成功はやはりシューマン夫妻なくしてはありえなかった、ということがわかる。そしてその後のブラームスの人生、創作活動についても、シューマンの妻・クララとの関係を抜きにして語ることはできない。


この部分は別途解説を試みてみることにする。音楽を聴く前に、こういう知識は事前にあったほうが絶対いい。アルバムの音楽性、意図するところがよく理解できると思う。


ブラームス~“恩師の妻との禁断の愛-14歳年上の女性に翻弄された人生” (日本コロンビアHPより抜粋)


本名:ヨハネス・ブラームス

出生地:ドイツ ハンブルグ

生年月日:1833年5月7日(おうし座)


星の数ほどの女性が人生に登場するも、その恋愛が盛り上がるとブラームスの方から逃げていく…女性からすると、こういうタイプもかなり面倒だったりしますね。


そんな偏屈なブラームスにも、ずっと敬愛しつづける女性がいたようです。それは自分の大切な恩師の妻であり、14歳も年上の女性でした。


《苦労を重ねた幼少期》


ブラームスの父は、ダンスホールや町の楽隊で演奏するコントラバス奏者でした。裕福ではありませんでしたが、小さい頃から音楽の手ほどきは受けていました。ただ、家庭を養うために若い頃はハンブルクの売春宿でピアノを弾いていたといいます。


「数ヶ月沖に出ていた帆船が入港すると、船内から船乗りたちが女を求めて猛獣のごとく姿を現す。するとその半裸の女たちは彼らをいっそう駆り立てようと、ダンスや接吻、抱擁の合間にぼくを膝に座らせてわくわくさせたものだ。それが女性の愛についてぼくが最初に受けた印象なんだ。」


ブラームスの恋愛観はこうした幼少期の出来事が作用しているのか、彼は一生結婚もせず束縛されず、単純でお金で買う愛も普通にころがっている…そんな生き方をしてゆきます 。


《シューマンとの出会い》


ブラームスのピアノ演奏の実力は悪くはなかったものの、性格的に地味なこともあって、演奏家には向いていなかったようです。その代わり、作曲家を生業として切磋琢磨しているうちに、20歳の頃、彼はシューマンの元へ出向き書き溜めた曲を次々と披露。43歳のシューマンはこの若い作曲家の才能にすぐにほれ込み、ブラームスを世に送り出す記事を書いたり、出版社への売り込みのサポートもしていきます。無名で新人のブラームスが活躍できたのも、このシューマンのサポートがなかったら決してできなかったことですね。


《追いかけては逃げる-やっかいな性格》


若い頃のブラームスは、金髪に青い瞳のイケメンタイプ。周りの女性も実力のある若くてかっこいいブラームスを放っておくはずもなく、何人かの女性と仲良くなっては離れるということを繰り返していたようです。ブラームスは付き合いだすと結婚を考えずにはいられないようだったのですが、結婚したら自由でいられなくなってしまう・・・というジレンマも抱え、結局は関係が盛り上がるとブラームスの方から逃げてしまうようでした。


《14歳年上の恩師の妻への恋心》


青年時代はもてていたブラームス。20歳のときに出会った恩師、シューマンとの出会いが彼の恋愛人生に大きく影響します。ブラームスの才能にほれ込んだのはシューマンだけでなく、その妻で実力派ピアニストだったクララもそうでした。1854年シューマンは自殺を図り、精神病院に入ることになってしまいます。その知らせを聞いたブラームスはすぐにクララのもとに駆けつけ、シューマン夫妻のこどもの世話から家事にいたるまで家族のようにクララを支えたといいます。そして、「愛するクララ。あなたをこよなく愛しています。」という手紙も見つかっています。14歳も年上のクララと若きブラームスの仲の良さは、周囲にもはっきりと分かるようになり、入院中のシューマンもそれに気がつき、そのショックもあって精神的にますます悪化させたという説もあるほど。


自殺騒動から2年。シューマンは入院中に亡くなってしまいます。 では、シューマンの死後ブラームスとクララはどうなるかというと・・・結局二人は別れてしまいます。 理由は確固たる証拠があるわけではないのですが、もともとブラームスはマジメな性格。自分の存在でクララが完璧な女性でなくなることを恐れて、ブラームスの方から離れていったのではないかといわれてます。


《離れてはまた戻り・・・》


クララのもとから離れたブラームスは、アガーテという女性に恋をして婚約まですすんだものの、「結婚して束縛されたくない」という手紙を残してアガーテからも去ってゆきます。そして、こともあろうにクララの元にまた戻っていきました。その後もブラームスは他の女性と仲良くなっては自ら別れを告げ、またクララのところに戻るということを繰り返し行いました。そのたびにクララは寂しい思いをしたのではないでしょうか。そんなこんなでつかつ離れずな関係をずっと続けたブラームスとクララ。その関係はクララ76歳でその命を閉じた瞬間まで続いたといいます。 生前、この二人は作品や演奏について相談したり議論をする、最高の友人といってもいい関係でもありました。二人の関係がプラトニックだったのか、そうではなかったのか…そこまでは私たちの知る由もありませんが、これほど長い間最高の友人関係が続いたとなると、あくまでも二人の関係は男女の関係を超えた精神的なつながりだったと思わざるを得ません。




ブラームスは、女性に対してすごい熱く恋愛は盛り上がるのですが、そうなって佳境になってくると結婚に縛られたくないということで、自分から去っていく。。。なんとも面倒な人だったんですね。(笑)


ブラームスの肖像画といえば晩年の髭のけむくじゃやらの老人画が有名で、みんなそちらを想い出すかもしれませんが、じつは若い頃のブラームスの肖像画もあって、これは驚きますよ。すごいハンサムなのです。これはもてただろうな・・・と推測します。


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ブラームスは、敬愛するベートーヴェンと同じ生涯独身を貫きますが、その人生はけっして寂しいものではなく恋多き人生で、本人自身も恋に没頭するタイプのようでした。でも女性と恋に落ちては、ブラームスのほうから去っていき、そしてまたクララのもとに戻ってくる。。それを繰り返していた、といいます。そうやってクララとは一生涯の恋、というよりはある意味ここまでくると、いい親愛なる友人関係といったほうがいいのではないでしょうか。


ブラームスにとって、ロベルト・シューマンの妻、クララはそんな永遠の女性だったのです。


名もなきブラームスを音楽界に知らしめたのは、ロベルト・シューマンのおかげです。ブラームスがシューマン夫妻のデュッセルドロフの家を訪れて、書き溜めた自分の曲をピアノで何曲かを夫妻の前で披露。それにシューマンはいたく感動。まさに、ピアニストとして、作曲家としての”救世主”を見出させしめることになります。


シューマンはすぐに、「新音楽時報」に掲載した有名なエッセイ「新しい道」で、熱くその予言めいた熱意を表現したのです。


「私は、そのような人物が・・・突然現れると信じている。その熟達は徐々に花開くのではなく、ミネルヴァのようにジュピターの頭部から”完全武装”で飛び出してくるのだ。そして今、彼は、その揺り籠で神の愛と英雄たちが見守る、若き血の持ち主として登場した・・・


こんな感じでシューマンの絶賛の賛辞が延々と続くのです。


これで無名だったブラームスは、いっきに楽壇・音楽界にその名を馳せることになります。

まさにブラームスにとって、音楽家、作曲家としての人生を歩むうえで、シューマンは恩師ともいっていい存在だったのです。


もうここまでは、この今回の児玉麻里さんのブラームス・アルバムを聴き込むうえで、最低限知っておかないといけない史実です。これを知って聴くのと、知らないのとでは、全然有難みが違ってくると思います。


というか、ある意味、この3者の相互関係、そしてブラームスにとって、ロベルト・シューマンとは、クララとは、そういう史実を語っていく上で絶対欠かせない曲が、今回のアルバムにすべて散りばめられている。そう言っても過言ではないと思います。


今回のメインはブラームスの「作品1」であるピアノ・ソナタ第1番。1853年10月1日にブラームスはシューマン夫妻を初訪問し、この曲を自らの演奏で披露したといわれます。最初ロベルト・シューマンがひとりで聴き始めたものの、「クララにも聴かせたい」と止めさせたことが知られています。シューマンは晩年の病に苦しんでいましたが、その月末に「新しい道」のタイトルで熱くブラームスを楽壇に紹介しました。


このピアノ・ソナタ第1番。


その第1楽章の冒頭から、ベートーヴェンを手本としていることを隠そうともしていない、その大胆な手法。(笑)ベートーヴェンのハンマークラヴィアからの引用とも思われる追想もあり大胆だな~と思います。やはりブラームスは、ピアノだけでないですが、交響曲、弦楽合奏、すべてにおいてベートーヴェンの影響を受けていて尊敬していたのだと思います。


自分はこの曲を聴いて、ブラームスの晩年の頃の作品に比べると、希望に満ちた明るい雰囲気が漂っていて、若い頃の作品だな~と思います。けっして旋律的に凝った難解な節回しがなく、非常に単純で明快。わかりやすい曲だと思います。


そしてこれはいつも思うことですが、そしてベートーヴェンの曲にも言えることなのですが、ブラームスの音楽というのは、いわゆるブラームス節とでもいうのか、独特の曲調みたいなものがありますね。旋律、拍感、調性などいろいろ全部ひっくるめて。パッと聴いたときに、あっこれはブラームス!って一発でわかるような。骨格感がしっかりしていて、重厚、分厚い、メロディを聴いたら一発でわかる。らしさというのがある。


その中でブラームス特有の美しさという要素がある。


ふだんはとても厳格的でいかにもドイツ音楽そのものという感じなんだけれど、ふっとしたところのフレーズにすごい美しいメロディが垣間見えるんですよね。厳格な流れが基本にあるから、余計にこの突然短くふっと現れる美しいフレーズに妙に感動してしまう。その美しさもどちらかというと哀愁、陰の美しさ、四季のシーズンで言えば秋。ブラームスのこのメローな美しい哀愁を帯びた旋律の作曲能力はすごいと思います。


自分はブラームスの音楽を聴くときは、いつもそう思います。基本はとくに晩年作品ですが、とても重厚で分厚くて厳格的なんだけど、このふっと現れる美しさにブラームス音楽が美しい、と感動してしまうのです。ブラームス音楽って、この組み合わせ、兼ね合いこそが真髄なんじゃないかなと思っています。これこそがブラームス音楽という感じで。


まさに大人の音楽です。この渋さ、渋い美しさは若い人はもとより、ある程度年配がいった人のほうが理解しやすいような気も・・・。


これはベートーヴェンの曲もそうです。やはりここはブラームスは師であるベートーヴェンのエッセンスをいただているのではないでしょうか。


このブラームスの音楽人生の出発点ともいえるピアノ・ソナタ第1番は、基本は若々しいまだ希望に満ちていた時代の溌溂とした筆致ですが、このブラームス音楽に特徴のそういう緩急のつけかた、短フレーズの美しさが強調されるようなそんな仕掛け造りがもうこのときから身に着けているように思います。その兆しが見られるのです。これはいわゆる才ということなんでしょうね。


これがきっかけとなり、ブラームスは翌年、シューマンの「色とりどりの小品」Op.99の「5つのアルバムの綴り」第1曲と「クララ・ヴィークの主題による即興曲」Op.5をもとに「変奏曲」Op.9を作曲、クララに捧げました。さらに6年後、ルイ・マルの映画「恋人たち」で用いられたことでも有名な弦楽六重奏曲第1番の第2楽章による変奏曲を作り、やはりクララに捧げています。


この2曲がアルバムに収められています。

これらの2曲はブラームスとしては悩ましいまでの感情があふれており、クララへの思慕の情が感じられます。


そして最後が、シューマンの献呈。


これはあまりに有名ですね。本当に美しい珠玉のような曲。なんと美しいメロディなんだと思います。もう誰でも知っている曲ではないでしょうか?耳にした瞬間、あっこの曲!というくらい有名です。


ロベルト・シューマンは1840年の結婚記念日に歌曲集「ミルテの花」Op.25を新妻に贈りました。「あなたは私の魂、あなたは私の心」という言葉にすべてを託し・・・これらを素晴らしく強調する、舞い上がる旋律によって、クララに向けて直接語り掛けました。


クララは日記にこう書いている。


「ポルターアーベント(婚礼前夜)!ロベルトがまた、花嫁への美しい贈り物<ミルテの花>をくれました。私はとても感動しました。チェチェリーが私にミルテの花輪を手渡してくれましたが、それに触れたとき、私は非常に神聖な気持ちになりました。」


フランツ・リストは、この「献呈」をはじめてピアノ独奏用に編曲しました。超絶技巧で鳴らしたリストらしいかなり技巧に走ったヴィルトゥオジックな曲調にアレンジして、この美しい曲を編曲しました。


このリストのピアノ編曲版の「献呈」は、曲の時間も2~3分程度の手頃な短さと相俟って、この曲の持つ本来の美しさなどがあって、まさに不滅のアンコール・ピースとして定着し、どのピアノコンサートでも、かならずアンコールでお目見えする、というくらい定番になりました。


もちろんこのリストのピアノ編曲版だけではない。本来の歌曲としても不滅のアンコール・ピースなのです。自分はグルベローヴァさまのCDや実際のリサイタル、そして他のオペラ歌手のリサイタルのアンコールでもこのシューマンの献呈の歌曲版は、もう数えきれないくらい体験してきた。もうそれだけ絶好の美しさ、秀逸な作品なのである。


こんな素敵な歌曲を、婚礼前夜に妻のクララにプレゼントするなんて、ロベルト・シューマンという男はなんとロマンティックな男なのだろう、と思ってしまいます。


リストのピアノ編曲版の「献呈」は、自分はCDでもよく聴いてきたし、YouTubeでもよくお目にかかる。日本のピアニストもこぞって、この献呈を録音してきた。


やはりそこはリストらしい、どちらかというとメリハリの利いた技巧的な派手な献呈である。


でもクララは、このリストによる超絶技巧的な編曲をあまり好んでいなかった。ロベルトが自分に贈ってくれた細やかな気持ちとはだいぶかけ離れているように感じていたからだ。


それで、結局クララ自身が、この歌曲「献呈」をピアノ編曲し直してしまうのだ。

本来の夫の曲のイメージを壊さないように。本来の姿に戻すべく。。。


それがクララ・シューマン編曲の「献呈」であり、このアルバムに収められているのもこのクララ編曲版のほうである。クララ編曲版のほうは、おおよそ超絶技巧とはまったくかけ離れた素朴でおとなしい素直な曲調である。


リスト編曲版はものすごい数が出回っていてメジャーなのに対し、クララ編曲版はあまり演奏される機会も少なく陽の目をあたることもない。


このクララ編曲版のほうをアルバムに収めることが、児玉麻里さんのひとつの拘りだったのであろう。


児玉麻里さんのピアノは、とてもスタンダードというか派手な色付けとか個性を際立たせたり、とかの脚色はしないタイプだと思う。まさにあるがままの自然流。自分が目指すところのベートーヴェン、ドイツ音楽に向かって自分を素直に表現する、実直なピアノだと思う。そこにあまり作為的なものはほとんど感じない。


ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、そしてヨハネス・ブラームスという3人の出会いをなんとか音楽として表現できないか、そこに今回のアルバムの肝があって、それにあわせて選曲をされて、アルバムコンセプトが決まっている。。そんなアルバムである。


素晴らしかったです。

こういう新譜を聴いて日記を書いてみないと、普段なかなか仕事や他趣味などで忙しく頭が回らないので、いい勉強になりました。やっぱりクラシックは自分の原点だな、と思うとともに、この場に戻ってくるとなんかホッとしますね。



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録音は、2022年7月、ノイマルクト・ライトシュターデルでおこなわれた。

録音チームは、ポリヒムニア。レコーディング・プロデューサー、バランス・エンジニア、エディターにエルド・グロード氏。

ベテラン、やっぱり安心して聴けます。児玉麻里さんのPENTATONE新譜は、SACD5.0サラウンドなのです!もういまや、コストの関係上、PENTATONEアーティストの中でもサラウンドで出せる人は、本当に看板スターとしての扱いの人くらい。


すごいことだと思います。


SACDサラウンドを聴くために、ひさしぶりにリアスピーカー、リアパワーアンプを稼働した。リアスピーカー、スピーカーケーブル外れてた。(笑)


やっぱりSACDサラウンドのサウンドいいです~。音の厚み、音の定位感、音場感などがぐんとリッチになって、これを一度聴いてしまうともとに戻れないです~。


オーケストラと違って、ピアノソロだと2chステレオでも十分でないか、と思ったときもあった。昔そういう日記を書いてゴローさんに、いやそれは違うとコメントをもらったこともあった。(笑)


やっぱりピアノソロでもサラウンドになると、実際の現場、会場の気配感、空気感など一段と豊富になり、2chステレオとは段違いの差である。



児玉麻里さん、最近、アルフレッド・ブレンデルを訪ねる夢が叶ったそう。


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(c)Mari kodama Facebook


アルフレッド・ブレンデルは、まさに我々の世代のピアニスト。もう引退してしまいましたが、その全盛期ではベートーヴェン弾きとして有名なピアニストでした。


1960年代にベートーヴェンの全ピアノ曲を録音した初のピアニストとなる。1970年代にベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音(フィリップ)した。1982年から1983年にベートーヴェンの全ソナタ32曲を欧米の11都市、77リサイタルで演奏。1996年にベートーヴェンの全ソナタの全曲を録音(3回目)した。


ベートーヴェンだけではない。ハイドン、モーツァルト、シューベルト、シューマンといったドイツ・オーストリア音楽の王道とも言うべき作曲家の作品を得意としていました。


派手なピアニストではなかったですが、知的な雰囲気を漂わせていたピアニストで、堅実な奏法でした。自分の記憶ではレーベルは、フィリップスでしたね。


自分もブレンデルのCDはよく買いました。その中でもフィリップスから出ているサイモン・ラトル&ウィーンフィルとのベートーヴェン ピアノ協奏曲全集はいまでも自分のベートーヴェン・ピアノコンチェルトの基準、ものさし、定番です。数ある作品の中でもベートーヴェンのPコンチェルトといったら、このラトル&VPO&ブレンデルの録音がすべての基準になっています。この基準がまず自分の身体の中にあって、それで他作品を比較します。



同じベートーヴェン弾きとして、児玉麻里さんとしては、どうしてもお会いしたかった先偉人だったのでしょう。


よかったと思います。










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