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孤独のグルメ [グルメ]

2012年にテレビ東京の深夜枠でひっそり始まった「孤独のグルメ」。いまや押しも押されぬ大ベストセラーで、シーズン10まで来てしまった。自分は、もうこの始まった当初からずっと見ていて、もうすごく好きで大ファン。なんか激しさ、過激さをもとめるいまのエンタメ業界において、なんかホッとするというか、自分はやはりこういう番組のほうがいまのエンタメ番組より全然好きだな。


10年間ずっと見てきたので、自分もすごい感慨深い想い出があります。


輸入雑貨商を営む主人公・井之頭五郎(松重豊)が営業先で見つけた食事処にふらりと立ち寄り、空腹を満たす至福の時間を描くドラマである。


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どこにでもありそうな街の飲食店にふらりと入り、特別ではないふつうの料理を探す主人公の姿は、グルメサイトの星の数でおいしい店を探すのが当たり前の時代へのアンチテーゼでもあるのかもしれない。主人公がおいしそうに食べる様子に共感する人たちも続出し、長く愛されるドラマになっている。



原作は、作・久住昌之氏、画・谷口ジロー氏による同名漫画。1990年代に月刊漫画誌に連載された後、2008年から2015年まで「週刊 SPA!」で新作を掲載。単行本2巻を発刊し、世界各国で翻訳出版されている人気漫画だそうだ。


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自分はこの原作の漫画を読んだことはないけど、谷口さんの描画がいかにも「孤独のグルメ」のイメージにあってよい。いい味出してると思う。


谷口さんは亡くなられたんじゃないですかね?だからもう漫画の続編は見れないのだ。


原作の漫画はたった2巻しかなくて止まったままだけど、ドラマのほうでそのオリジナリティはどんどん受け継がれているのだ。


自分は「孤独のグルメ」のどこが好きかと言うと、やっぱりなにげない普通を撮っていること。ほのぼのとしていて、いまのエンタメのようなあざとさがないこと。いつ見ても安心できる現代版・水戸黄門のようなドラマであること。とりあげる食がふだんの我々の手に届くふつうの食事であること、ほんとうにどこにでもあるふつうの飲食店を扱うこと、そしてそれをいかにも美味しそうに食べること。これは自分が食べたいな~とついつい思ってしまうこと。いわゆる深夜枠の飯テロであること。そして自分の身の丈に届くのでいつかはその店に自分が行ってみたいと思うこと。


こんなところにあるのではないだろうか。


本当にそこら辺にある飲食店で、ふつうのグルメなんだよね。

それを淡々と1人で楽しそうに食べていく。

それをただ描写している。。。


こういうアプローチは現在の過激命のエンタメ業界にとって革命だったよね~。


松重豊さんも俳優人生で、まさかただ単に食事を黙々とするドラマでブレークするとは思ってもおらず、演技をすることでなんぼの勝負の俳優人生において、いかがなものなのか、という葛藤もあったと聞く。


このドラマは、まさに松重さんのあの演技だからこそ、成り立っている、松重さんの演技がそのまま「孤独のグルメ」のイメージに繋がっているといっていいほど当たり役だ。いまや井之頭五郎の役は松重さん以外には考えられらないだろう。


あのドラマのトーン、あの雰囲気を出せるのは、松重豊さんだからこそ、と言っていい。


そんな孤独のグルメでは絶対的な存在なのだが、ここにきて心配な噂もある。

それは松重さんが、孤独のグルメを降板したい、と希望を出していることだ。


自分は、役者人生において、ただ食べているだけで評価されるのは納得がいかない、そこを気になされているのか、と思っていたのだが、実際はもっと切実な理由があるようだ。


それは食べるというロケが年齢とともにかなりタフで厳しくなってきているとのこと。松重さんは、普段はすごく小食なそうだ。スタイルも細身でつねにスマートを維持している。


ロケの日は、もう朝から絶食で本番に臨む。そして、あのように美味しそうに完食する。もちろんこれは本人が全部食べている。他の人が食べるなどのやらせはいっさいない。


だから失敗は許されない。失敗をして、もう1食食べるとなるともうギブアップである。だから撮影スタッフ間でもロケ本番はすごい緊張が走るらしい。


ドラマのシーズンが始まると、毎日ロケがあり、そのたびに完食しないといけない。


松重さんもけっこういいお歳を召されてきたので、もう年齢的にそのロケの完食が厳しいと感じてきているのだそうだ。もともと小食であることに加え、もう年齢的に、ドラマのようにがっつりと完食することがかなり厳しい。


そう感じているのだそうだ。


それで悩みに悩んだ挙句、スタッフにそろそろ体力の限界を申し出ているそうだが、スタッフは、もう最初から「ダメダメ、このドラマは松重さんあってのドラマなんだから。」とまったく掛け合わないそうだ。


松重豊「孤独のグルメ降板説」の真相はどうもそんなところらしいのだ。


これはわかる~~~。こういう事情であれば、なかなか納得もいく。松重さんの後任役として、香取慎吾くんとか、いろいろ挙がっているけど、やはりあの孤独のグルメのあの独特のモノトーンの雰囲気は慎吾君じゃ無理だろ?(笑)


松重さんだからこそ、成り立っているドラマというのは誰もが思うことである。



孤独のグルメを見ていて、前半は井之頭五郎の仕事の話を小耳にはさんで、いよいよ後半にメインのお店探し。そしてお食事。


井之頭五郎が1人で黙々と食事をしているとき、自分は撮影として、どう撮っているのか、それをあとでどう編集しているのか興味をもって見ていた。


先日、シーズン10に入る前の特別スペシャル版でそこら辺の秘密を公開していた。

つまり食事のシーンのロケをそのまま公開取材みたいな感じである。


それを見ていて、自分は長年の謎が一気に解けた感じである。


まず自分が不思議に思ったことは、井之頭五郎が黙々と食べているとき、いわゆるこれはアフレコなんだが、松重さんの1人語りが続く。


その内容ってどうやって書いているのかな?

脚本家、作家さんが書いているのかな?

でもまるで食べている本人じゃないとわからないようなセリフばかり。

いかにもそれを食べているからこそ、わかるそんなセリフ。


ここが謎だったのだ。


でもその公開取材を見た瞬間、いっぺんにその謎が解けた。それは本番中に松重さんが食べている間に、思ったことをその都度ロケを中断して、スタッフが松重さんから聞き出しているのだ。食べ物の印象、うまさふくめ・・・。もちろん本番の脚本では、脚本家によるプロの面白さ、言い回しなどを加えた本番用セリフに書き換えていることはもちろんである。


でも、基本は、松重さんが食べているときに、その都度その感想をスタッフに伝えていた。。。これはかなり自分にとっては大きな発見であった。


それなら納得がいく。


あとは、ご飯を食べるときの咀嚼音というかな、かなりの効果音がドラマでは加えられているのだけれど、これはどうやっているのか。もちろん食べている動作と完璧なまでにその効果音はシンクロしているので、あとで人工的に加えたものではない。


あくまでロケで実際マイクで生収録していることは間違いない。それをあとで増幅して効果音として加えているのか・・・


この部分のナゾは、残念ながら公開取材ではあきらかにされず、自分の謎のままである。あの咀嚼音がなんともいいんだよね~~~。(笑)


流行り廃りの激しいエンターテインメントシーンにおいて、この「孤独のグルメ」が10年続く背景には、原作者でありドラマ制作にも携わる久住昌之氏の飲食店への思いと「お店も人も街もすべてが料理の味になる」という哲学があるのだ。


●テレビの料理の取り上げ方に違和感


久住氏が原作の映像化に際してこだわったのは、料理をしっかり映すことだ。モノローグで主人公がただ食べるだけの姿を映している背景には、従来の情報番組のグルメコーナーなど、テレビにおける料理の一面的な取り上げ方への久住氏の違和感がある。


「いままでのテレビの食べ物の取り上げ方を雑だと思っていました。トークやお笑いで引き伸ばして、料理は「おいしい」ってひと言だけ。一般視聴者に向けたおもしろい番組作りなのかもしれませんけど、そういうことを徹底的に排除して、食べるところをひたすら細かく丁寧に撮っていきました。結果、繰り返し観るに耐えるものになり、また観たいと思ってもらえた」


それと同時に、料理と同等かそれ以上の尺を割いて取り上げるのが、飲食店そのものと、そこで働く人たち。人間ドラマによって料理の背景が描かれることが、より立体的にその味を伝えることにつながる。


「料理とお店のイメージだけを伝えるグルメ番組とは違います。店主がどういう人でどんなお店なのか、そこに来るお客さんやお店の周囲の風景、街を丁寧に取り上げます。描きたいのは料理だけではなくて、お店も人もすべて。そのすべてが料理の味になっているから」(久住氏)


●グルメサイト評価至上主義へのアンチテーゼ


もう1つ、本ドラマの特徴的なところは、有名店や人気の名物メニューを取り上げるのではなく、知らない街の名もない飲食店で特別ではない普通のメニューのなかの料理をピックアップすること。


どこにでもある身近なお店にも、おいしい料理はいくらでもある。「孤独のグルメ」では、それを発見することの楽しみを提示している。それは、昨今のグルメサイトで3つ星以上の店を探すのが当たり前になっている時代へのアンチテーゼにも見える。


「アンチテーゼという考え方はしたことありません(笑)。でも、みんなが騒いでいるお店やテレビに出ていたお店に行くだけじゃなくて、いいお店はどこにでもあるから探してほしいという気持ちはあります。友だちが知らないおいしいお店や料理を見つけるのは幸せなことです。それが自分の住む街に前からあったお店だったり、そこが新たな行きつけのお店になったりするとうれしい。そういうお店を1つでも2つでも増やしてほしい。僕は近所の飲食店を応援していますから(笑)」(久住氏)



自分は思うんだが、10年間やり続けて、マンネリにならずにどんどん成長していっている。。ドラマを長く続けていくということは、かならずこのマンネリの壁にぶち当たる。


人気作である一方、同じような内容がずっと続けば視聴者に飽きられる。飽きられないようにするためのあの手この手のリニューアルが、ファンにとっては陳腐化に映るといった裏目に出ることも少なくない。


そんな秘訣のようなものがあるのか、気になるところだが、意外やそんなにマジメに考え抜いているというよりは、もっと自然体な構えのようだ。


「毎日ふつうに食事することを誰もマンネリとは思わないですよね。人の生活のなかの空腹と食事、という繰り返しを描いているんです。同じようなものを食べていても、毎日同じ気持ちではないですよね。気合いを入れてグルメを食べに行くのではなく、お腹が空いたからなにか食べようという誰にでもある普通の行動。それを丁寧に描こうとすれば、いくらでもドラマはあると思います」



やっぱり、この孤独のグルメが、自分にとって1番大きな共感と感じたことは、「孤食の楽しみ」。

これに尽きると思う。


「1人でおいしい飲食店を探して自分なりのおいしいメニューを見つける喜び」をひとつの食の楽しみ方として一般的にした功績は大きい、と思う。


自分は、この孤食が大好きな人間なので。(笑)

正直なところ、親しい仲間といっしょの食事も確かに楽しいけど、やっぱりそのときは楽しい会話、雰囲気作りに気を取られてしまって、正直食事の美味しさまで気が回らないことも多いですよね。


せっかくの御馳走なのに、それはすごくもったいない。

自分は子供の頃からそんな感覚があって、美味しいものは、大好物は1人で食べたい派、1人で楽しみたい派なのである。


親しい人たちとの会食は、これはまったく別次元の話といっていい。


だから、この孤独のグルメが登場した10年前、自分は、うぉぉおおお~これこそ自分のイメージ、自分自身をそのまま鏡に映し出しているようなそのまんまのドラマだな、と驚き、すごく共鳴したのである。


そしてドラマ自体に覆うなんというかモノトーンな淡白さに非凡なものを感じ、これはいい!複雑、驚きをもとめる現代にいたって、逆にこういうほうが全然新鮮で面白い!と思ったのである。


孤独のグルメ、松重さんの食の細りの問題もありますが、これからも末永く松重さんで続けてほしいと思います。


じつは孤独のグルメは、ずいぶん昔から自分の日記で取り上げようと思っていたのだが、自分の場合、やはり直で自分が体験するという記事を挟み込まないと、自分らしくないと考えているところがあって、孤独のグルメの場合、ドラマで紹介されたお店を、実際自分で訪問して、そのメニューを体験してみる。。。こういうシナリオかな、と考えていた。


コロナ禍になる前の2018年5月11日放映のシーズン7で放映された


第6話「千葉県浦安市の真っ黒な銀ダラの煮付定食」


である。


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これだ~~~!

自分が求めていたものはこれ!

まさに自分が心底食べたいと思ったもの。



「銀ダラの煮付けお刺身付けて」


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銀ダラは想像とはおお違いで「真っ黒な岩のような固まり」その見た目に驚かされる。さらに 一口食べると銀ダラと銀のごはんのラリーが止まらなくなるほどその味の奥深さに驚くことに「マグロ」と「イカ」のお刺身と定食についてくる小鉢。


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この真っ黒な銀ダラ。

これはウマいだろ~。

間違いなくウマいに決まっている。


白いご飯が進む、進む、というものである。



とにかく真っ黒なルックスの銀ダラの煮付けがインパクト大!の一品である。この黒さは継ぎ足しで使い続けているという醤油のせいなんだそうだ。


見た目とは裏腹に、ほどよい味付けで、ふわふわな仕上がりだそうだ。


五郎さんも「色もスゴイが、デカい!味は、、美味しい!たしかに銀だらだ。ただし俺の知っている銀だらとは全然違う!ふわふわだ!中は真っ白。巨大な岩山を採掘しているみたいだ。」と大絶賛であった。


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この銀ダラの煮汁をそのままご飯にかけたら、いや、五郎さんは煮汁のほうにご飯を混ぜ合わせて食べていました。


「ほ~らきちゃったよ~!完璧な旨さの黄金比だ、これは常識の先に現れた幸福だ!いやぁめちゃくちゃうまい。」


これはヤバいっすね。(笑)


これはぜひ食べてみたい~~~!!!


と思い、ずっと狙っていたのでした。この「真っ黒な銀ダラの煮付定食」を自分で実体験して、そしてはじめて「孤独のグルメ」のことを日記で書こうと思っていたのでした。


お店は千葉県浦安にある羅甸(これで”らてん”とよびます。)。


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よっしゃ!千葉の浦安まで遠征だ~!と行き込んでおったのですが、そのままコロナ禍に突入してしまい、テイクアウトのみとなってしまいました。


コロナ禍が通過して、無事平穏が戻ったら、またイートインも復活するのかなと思い、ずっとこの5年間待っていたのです。そして意を決して、昨日電話を入れてみました。


そうしたら、


もうテイクアウトのみにしたんです。うちは、みんな歳を取ってきたので、もうふつうの食堂スタイルはやらないことにしたんです。これからはテイクアウトのみです。



がーん!


これはショック過ぎる!。

テイクアウトだけでも行ってみる?

でも持ち帰って、白いご飯炊かなきゃ。。。


・・・諦めました。


残念ながら、「真っ黒な銀ダラの煮付定食」体験できませんでした。


無念のひと言。美味しかっただろうな・・・。


でも「孤独のグルメ」を愛する気持ちは変わらず。実体験できなかったけれど、その深い愛する想いはそのまま表明しようと思った次第なのです。








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