SSブログ

男の顔は50歳代から [クラシック雑感]

自分は、男性指揮者や男性アーティストは、女性の場合とは、やはりちょっと違うのではないか、といつも思うところがある。男性には厳しいと言われるかもしれないが、やはり同じ同性の男として求めるもの、期待するものはそれだけ大きいということでもある。
                                                   
最近の例を挙げるとしよう。
                                                  
フィンランドの指揮者、1996年生まれの若干27歳の若さで彗星のようにクラシック音楽界で現れたクラウス・マケラ。
                                                   
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の次期首席指揮者にも就任予定。世界中で引く手あまたで熱い熱視線を浴びており、日本での初演でも圧倒的な名演だったそうで、その評判も狂信的だ。
                                                   
自分は、まだ一度も実演に接していないので、なんとも評価のしようがない訳だが、またYouTubeでも拝見してみようとは思っているもののいまひとつ乗り気がしないのも確かだ。
                                                   
というのも、クラシック界のいわゆる世界の巨匠といわれるお馴染みの指揮者たちは、もう高齢化が進み、また長年に渡る君臨で、新しい次世代のスター、新しい顔の登場、世代交代を必要としていることはあきらかな状況だ。
                                                   
そこにマケラの登場は、願ってもいないタイミングだったのだろう。そして非凡なその音楽的センスなどがそれに拍車をかけているのだろう。これを業界が放っておくはずがない。
                                                   
彼の造る音楽を実際聴いていないのだから、あれこれ言う資格はないと思うが、自分にはどうしても時期尚早と思うところが多い。
                                                   
指揮者という仕事は、まさに年輪が必要な仕事。長年に渡る体験、経験、そして勉強が必要な仕事だと思うからだ。あるときは挫折を味わい、苦渋をなめながら、苦労をしてこないといけないだろう。
                                                   
そんなトントン拍子に進むわけがない。
                                                   
仮に進んだとして、それはある程度歳とったときに、つまり成功しか知らない人、エリートの道しか味わったことがない人ほど、人間としてつまらない人はいないのではないか、と思う。
                                                   
指揮者こそ、そんな勉強、たくさんのオーケストラとの実演、体験、世界中を駆け回って、学んでいき、そして男として50歳代の頃になったときこそ、男として、指揮者として1番いい顔になっているはずで、指揮者として頂点、最高のときなのじゃないか、と思う。
                                                   
指揮者って息の長い、人生かけての一大仕事なのだ。
                                                   
べつにこれは指揮者だけの話じゃない。
男の人生、そのものについても同じことが言えて、50歳代になると、人生の仕組み、社会の仕組み、会社の仕組みなんかが見えてきて、そして自分がいままでやってきたことも含め、人生の年輪が熟してきて、人間として一番いい顔をしているのは50歳だと思うのだ。
                                                   
男は50歳代の顔が一番いい。
                                                   
男は50歳代の顔が一番カッコいい。
                                                  
                                                   
自分は小澤征爾さんの指揮者人生の中で一番好きだった頃は、食道がんが発覚して記者会見をしていたあの頃。
あの頃の小澤さんの顔が一番好きだ。
                                                  
                                                   
ozw001-jlp08813119.jpg
                                                   
ozw001-jlp08813111.jpg
                                                   
ozw001-08813122.jpg
                                                   
ozw001-08813114.jpg
                                                   
picture_pc_a670ce1f52f014c5be6034e6246f2664.jpg
                                                   
                                                   
30年余りのボストン時代は、小澤さんにとっては、まさに成長期。そして日本人として初のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、そしてベルリンフィル、ウィーンフィルなどヨーロッパを客演指揮として駆け巡り、・・・このときの小澤さんが一番好きだ。
                                                   
そしてこのときの小澤さんの顔が一番好きだ。
                                                   
まさに長年、世界中の指揮者としての道を極め尽くして、その頂点に達していたとき、男の顔として最高だと思うのだ。これぞ、男のいちばんいい顔だと思うのである。
                                                   
この頃から松本の当時の呼び方のサイトウ・キネン・フェスティバル松本の小澤人気もちょっと狂信的で、神がかるというか異常な人気状態に変わっていった。
                                                   
小澤さんがサイトウキネンで振るのをなんとか実演に接したいとずいぶん苦労した。
                                                   
このときの小澤さんの顔こそ、何十年と指揮者として修羅場をくぐってきて、指揮者とはどういうものなのか、そういうものを体験、勉強してきて、その年輪が自然と顔の表現に現れたものなのだろう。そして、たぶんその時点も指揮者の勉強はつねにオンゴーイングなのだろう。
                                                   
指揮者って、たぶんつねに勉強なのだろうけど、本当に指揮者としてわかってくるのは、そういう経験を重ね、真価を発揮するのは50歳代からなのではないのか、と思うのである。
                                                   
そしてそのときこそ、指揮者、男として一番いい顔なのだろうと思う。
                                                   
それだけ指揮者という仕事はいつも勉強、経験が血となり肉となっていくものだと思うからである。指揮者は経験がものをいう仕事なのである。20歳代、30歳代でそれを求めるのは無理だし、どんなに頑張ってみせてもそれは表層的なものでしかないように思う。
                                                   
でもクラシック業界としてはけっして間違っていないし、正しいある意味お決まりのスタンダードな戦略なのであろう。自分は昔は若かったので、そのことをよくわかっていないところもあったが(いまでもであるが。。笑笑)、きわめて妥当で正しい戦略だということもよく理解できる。
                                                   
指揮者、アーティストを育てていくということは、これは!という光るものを持っている人は、やはり若い時代からメディアで注目してあげていっしょに育てていってあげる。それはお互いにとってプラスの相互作用をもたらすし、業界としては至極当然の常識なのである。
                                                   
山田和樹氏がセンセーショナルにデビューしたとき、自分は同じような印象を持った。指揮者には経験が必要。まだまだ若すぎる。。。みたいなことを言っていた記憶がある。
                                                   
でも将来有望な人、指揮者は、ほんとうに若いときから、メディアとしては、いっしょになって育てていってあげよう、それがメディアの役割なのだ。自分にはそのことがよく理解できていなかった。
                                                   
山田和樹氏は、あれからずっと活躍を見てきて、自分がすごく感心しているのは、日本人の作曲家を積極的に取り上げていること。いろいろ勉強、経験の年を重ねつつ、最近、メディアで拝見する山田氏の顔は男としてほんとうにとてもいい顔になってきていると思う。
                                                   
やはり男の顔は、年輪とともにいい顔になっていくのである。
                                                   
                                                   
クラウス・マケラのことを熱狂的に狂信するのはべつにいいと思うが、自分は彼が指揮者のこと、指揮のことを本当に分かってくるのは、これから20年後、30年後なのだろう、と思っている。いま現在指揮のことをほんとうに分かっているというよりは、自分が持ち合わせているずば抜けた音楽的本能でさばききっている。指揮者としては、まだまだ勉強不足で未経験で知らないことも多い。
                                                   
男として経験、年輪を踏まえ、いちばんいい顔になるのは50歳代になってからだと思うのである。
                                                   
これからの人なのだ。
そして世界中のメディアとして、彼をいっしょに次世代のスターとして育てていこうとしていることもよくわかった。
                                                   
彼がその最高にいい顔をしているとき、そのときは、すでに自分はこの世にいないことは確かである。(笑)
                                                   
                                                  
                                                  
                                                   

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
今年の芸術の秋下北沢本多劇場 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。