SSブログ

東京町田で信長の安土城天主を体験する [城]

日本のお城の中で一番好きなのは、織田信長の安土城である。闘うお城というより魅せる城で、日本のお城で初めて天守閣というもの(信長の場合、天主閣)を兼ね備えた先駆けだったとされる。


やはり日本に代表される名城の数々と比較すると、その独特の意匠が堪らなく自分を惹きつける。


それまでの城にはない独創的な意匠デザインで絢爛豪華な城。
この独創的な意匠に、自分は一発でやられた。

なんか日本のお城っぽくない。南蛮の国や唐の国の風情がある。
それが和様と混ざったようなまさに独創的。
やっぱり信長らしいお城だと思ってしまう。


安土城は本能寺の変のあと謎の焼失にあってしまい、そのあと復元されていない幻の名城である。


1885年から2005年に至る120年間の間、7人の学者によって、その復元案というのが示されたが、 天主(ふつうのお城は天守と書くが、信長の安土城だけ天主と書く)の復元案として、1994年、内藤昌による復元案が有名であろう。


51MNMRG1MML[1].jpg


でも安土城ファンとしては、信長が建立した安土城の当時の本当の姿はどんな感じなのだろう?という想いは永遠のミステリーとしてつねに自分の中に内在する。


信長が権力を誇示するために狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風がアレッサンドロ・ヴァリニャーノに贈られ、彼の離日に同行した天正遣欧使節によりヨーロッパに送られて教皇庁に保管されているとの記録がある。それは安土城の姿を知る決め手の一つと考えられ、現在に至るまで捜索が行われているが、未だに発見されていない。


この屏風がなんとか発見されてくれないかな、とずっと思っているのである。その屏風に描かれた本当の安土城は、復元案と違って意外や地味だった(笑)とならないことを祈りたいが・・・。


なぜ、自分が安土城に惹かれるかというと、そして安土城が、日本の他の名城の外観と比較して、あまりにその外観が奇異と感じるのは、ずばり5階の朱色(赤)の八角形の円堂の外観のところなのだと確信している。


城全体の外観のバランスを観たとき、この赤い八角円堂の部分が、思いっきりインパクトが強くて、自分への印象度を強くしているのだ。


自分が子供心に、思いっきり衝撃を受けたのも、この5階の赤い八角円堂の部分だった。
子供の頃、NHK大河ドラマでCGで描かれたその画面を見て衝撃であった。

いままでの城にはなかった、まさに南蛮、唐の風情である。
さらに最上階の6階の金色の天主も最高だ。


そんな安土城天主がなんと!東京町田で観れる!


きっかけは、吉田類さんの酒場放浪記を観ていた時に、この町田の美術館の紹介があったのだ。えぇぇ~!うそ~町田で観れるの?


もう自分はびっくりして、急いで美術館名をメモして、ネットで場所を確認して、昨日さっそく行ってきたというところである。


昨日はまさに衝撃であった。自分が恋焦がれていた安土城天主が、つい目と鼻の先の町田で体験できるなんて。夢のようである。昨日は興奮が収まらず、日記を書くまでの平常心になるまで、丸1日かかってしまった。


なぜ、そんなことが可能になったかというと、東京・町田市で住宅や不動産を手がける太陽グループの山中泰久氏が大の信長ファンで、その信長に纏わる蒐集したコレクション、およそ600点を管理する一般財団法人太陽コレクションが、東京町田にそのコレクションを展示する美術館を開設した、ということらしい。


「泰巖(たいがん)歴史美術館」。


「泰巖」は、織田信長の戒名である「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」の一部。「泰然自若として威厳のある」という意味だそうである。


2020年3月22日にオープン。その直後にコロナ禍にあってしまい、2020年6月に再オープン。まだオープンしたばかりで、知名度も上がっていない状態なのであろう。昨日訪れたときは、自分は開場時間の1番乗りで入ったせいもあるのか、客は自分しかいなく、あとで老夫婦が1組という感じである。


信長好きの個人コレクションから美術館へ。

信長好きが高じて600点のコレクション蒐集!


資産家というのは、本当にお金持ちだと思うが、これだけのコレクションをするだけでも、その月日と総費用はいったいいくらになるのであろう?


お金を持っている人は、本当に持っているんだな、と驚くばかりである。


泰巖歴史美術館は全部で5Fのフロアからなる。

1F/2Fが「信長の生涯」で安土城天主の原寸大の模型が展示されている。
自分の最大の目的である。


3Fが「信長の時代」で、信長の一族や家臣、信長と同時代に活躍した信長を取り巻く戦国武将たちにまつわる展示物。


4Fが「合戦の時代」で戦国時代、ドラスティックに変化した「合戦」にまつわる展示物。


そして5Fが「信長と茶の湯」で、茶の湯の精神である無駄のない清浄な世界を象徴する白をベースとした空間に茶室(待庵)を展示。信長が奨励した黎明期の茶道文化の体感、である。


さっそく行ってみる。


アクセスは小田急の町田駅の北口である。自分は間違えて、JR(横浜線)の町田駅の北口と勘違いして、1時間近く路頭に迷いました。(笑)小田急の町田駅北口のほうである。お間違いなく。徒歩5分くらいであろうか?


泰巖歴史美術館が見えてきた。


DSC06912.JPG


DSC07006.JPG


エントランス。


DSC06919.JPG



入場料は1500円でした。安い!


そこで係員から簡単な説明。写真撮影は、安土城天主はご自由にどうぞ。松図もご自由に。それ以外は写真撮影禁止ということであった。


まず安土城天主。

1Fと2Fを吹き抜けで設置されている。


これだけの巨大のオブジェを写真で撮影するとき、その構図をどうするかは、かなり悩ましいところだと思う。巨大すぎて1枚のフレームに収まらない。最近流行りの広角レンズで1枚に歪んで収めるというあのテクを使わないとダメであろう。


まずは自分の憧れの的である安土城天主のショット。
障壁画は狩野永徳によるもの。その復元図である。


DSC07001.JPG


DSC06962.JPG


天主.jpg


DSC06926.JPG


DSC06929.JPG


DSC06931.JPG


DSC06934.JPG


DSC06938.JPG


DSC06955.JPG



2Fに上がると、天主閣と同じ高さ。天主閣は有事の際以外は使われない事が多いのであるが、信長はこの天主に居住したと言われている。


DSC06979.JPG


DSC06971.JPG


DSC06972.JPG


DSC06982.JPG



ほぼ原寸大ということである。
もうまさに圧倒されました。
原寸大で自分の目の前にそびえ立っているんですから。
自然と涙が溢れ出て止まりませんでした。


あらためてその絢爛豪華な天主にうっとりである。
自分の憧れていた安土城天主。


自分はこの安土城天主の5,6階部分の原寸大の模型というと、滋賀県にある安土城天主 信長の館という施設を思い出す。この信長の館でも、この安土城の天主の5,6階の部分を実寸大ということで、復元して展示しているのだ。


1992年に開催されたスペイン・セビリア万博で日本館のメイン展示として出展されたもので、豪華絢爛な安土城、信長の世界観が見事に再現されていて、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など圧巻なのである。


それと今回のこの町田の美術館の模型と違うのか、比較して確認してみたくなった。(意地悪ですね。(笑))


写真を比較すると、やはり両者でかなり違うようである。


まず狩野永徳の障壁画が全然違うし、町田のほうにある5階の朱色の八角堂の中の上り龍を絡ませてある柱などは、滋賀県の信長の館には存在しない。6階の金色の天守の中に描かれている障壁画も違うようだ。


自分は歴史学者ではないし、専門家ではないので、ここでどちらが正しいとはとても断定できないけれど、滋賀県の信長の館は1992年当時の時代考証、そして町田のほうは最新の時代考証によるもので時代の経過による研究レベルが違ってきたものなのであろう。



この2Fの部分にシアターがあって、信長の人生を19分のビデオが制作されていて、鑑賞できるようになっているのでこれはぜひ観るべし!(制作はNHKでした。)


たいがん美術館-3.jpg


信長の人生は、もう大河ドラマを含め、イヤと言うほど知っているが、改めてビデオで観ると興味深いし、面白い。


音声がメチャメチャ音がいいです。2chだと思うが、まるで映画サラウンドを聴いているみたいな臨場感、音場感で圧倒されました。(たぶんサラウンド音声なのでは?サラウンドSPが見当たらなかったけれど。)


とにかくこの安土城天主の原寸大模型が、東京町田で観れるのである。
町田ですよ、町田!すぐそこです。


今後の自分の都内のスィートスポットになりそうです。
間違いなく何回も通ってしまうでしょう。


1Fにはその天主のすぐそばに松図の復元も展示されている。


天瑞寺(てんずいじ)(京都)「松図」は、天正16年(1588)、豊臣秀吉が実母である大政所の寿塔として創建した客殿を飾る障壁画の一部である。


作者は狩野永徳。


明治7年(1874)に客殿が破却され、障壁画は現在も所在不明。それを実技的見地から原画復元を試みたものだそうである。


これも写真撮影OKです。


DSC06945.JPG


DSC06947.JPG



信長人生年表。(全戦闘史)


DSC06957.JPG



織田信長


DSC06997.JPG



162276874_277384460568849_7445202476191708697_n.jpg
(c)泰巖歴史美術館FB

信長の肖像画は、いわゆる教科書の有名な図や、イエズス会士の画家ジョバンニ・ニコラオが描いた絵をいままで拝見してきたが、この肖像画は自分にとって初めてである。信長ってやっぱりこういう顔だったんですね。自分がいままで見てきた肖像画には共通点があります。それがやはり信長のご尊顔なのでしょう。



美術館-2.jpg

(c)インターネットミュージアム


美術館-3.jpg

(c)インターネットミュージアム



つぎに3Fの「信長の時代」へ。このコレクションで非常に貴重だと自分が思ったのは、古文書。いわゆる信長が誰にあてた手紙であるとか、朱印であるとか、そういう書面類のものである。


信長の一族、家臣、そして同時代の戦国武将らによる書状類が並ぶ。


信長が最も恐れたのが、“甲斐の虎”武田信玄と“越後の龍”上杉謙信。信長は両者との決定的な対立を避けており、その関係を物語る書状は注目される。


これは本当に圧倒されます。秀吉が北政所にあてた手紙であるとか、武田信玄から織田信長への感謝状「お味方くださること、頼もしく」などもうたくさん。


しかし、よくこれだけのものを蒐集したな、と本当に驚くばかりである。


4Fは「合戦の時代」。1番人気らしいです。室町幕府の権勢が低下し、守護大名に代わって全国各地に戦国大名が勃興。領土拡大を目指して他の大名と争い、合戦の時代に突入する。


集団での戦いや、鉄砲の登場など、戦術の変化もあり、戦国時代の甲冑は大きく発展していった。展示室には武器も展示。重要文化財を含む日本刀の他、奥には火縄銃がずらり、である。


美術館-1.jpg

(c)インターネットミュージアム


最後の5Fは、「信長と茶の湯」。


DSC06976.JPG


信長は松永久秀から茶の湯の世界を知り、その世界に傾倒していく。松永久秀はその後信長に謀反を起こし、数多の自分の財産の茶器といっしょに自決することになるのであるが。(去年の大河ドラマ麒麟がくる、で鮮明に描かれていましたね。)


いままで戦の恩賞として土地を与えていたいままでの慣習から、その恩賞に茶器を与えるなど、茶道具そのものに価値観を与え、利用したのも信長であった。


京都・妙喜庵にある国宝の茶室「待庵」を再現、展示ケースには茶道具が並ぶ。茶の湯を愛した信長。“名物狩り”で畿内と近隣諸国から茶道具を集め、しばしば茶会を開催した。茶の湯を利用した統率「御茶湯御政道」は、秀吉の時代にも引き継がれていくことになる。


この展示されていた京都・妙喜庵にある国宝の茶室「待庵」を見て自分が思ったこと。
昔の人は小さかったんだな、ということである。(笑)

いまの人間のサイズではとても狭くて入れないくらい小さな茶の間である。
感覚的にそんなことを思いついてしまいました。


以上が、泰巖歴史美術館の全貌である。


とにかく予想を大きく上回る充実ぶり。日本史ファンはもとより、織田信長ファンにとっては堪らない展示品なのではないか、と思います。自分はもう堪りません。(笑)


おそらく歴史学者を専門職とされている先生方にもとても価値観の高い希少資料がかなり展示されていて、参考になるのではと思います。


一介の信長ファンで資産家の方が、自分の趣味だけで、これだけの骨董品、貴重資料を蒐集して美術館にまで展開してしまう、というのは本当に驚きとしか言えないのですが、やはり自分でコレクションして自分内で収めているだけでは我慢できなくなって、みんなに公開して見てもらいたいという気持ちが大きくなったんだと思います。


そしてついには安土城天主の原寸大模型まで作ってしまった。(笑)


あえて1点、自分が思ったこと。


それはこれだけのコレクションですから、その場で観ても、もう興奮状態。しかも写真撮影禁止ですから、展示物をその場でいっぺんに理解することは、なかなか難しいと思いました。自分は何回も通わないとダメだな、と思いました。


公式HPは非常にあっさりした記述であまり詳しくは展示物の内容について書かれていない。実際美術館に行く前にもう少し、ここが見どころとか、鑑賞のポイントみたいなコツが書かれているものが公式HPに記載されているといいと思いました。


織田信長ファンだったら、ぜひ1度はこの美術館行かないとダメでしょう。

この東京町田にある泰巖(たいがん)歴史美術館、ぜひ行かれてみてください。


織田信長は、気性が激しい、残虐、パワハラとか言われていることは有名ですが、その一方で過去の伝統的なものの考え方に捉われず、つねに新しい文化、新しい考え方、制度をどんどん導入していったアイデアマンだった人。


自分は男として、後者の才能にとても尊敬の念を抱いています。


過去の大河ドラマでもやはり織田信長役をどの役者さんがやるかは、いつも注目の的。
男らしいところがいいですね。


泰巖(たいがん)歴史美術館



泰巖(たいがん)歴史美術館へのアクセス












nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。