アンディ・サマーズ自伝ポリス全調書 Vol.1 [ロック]
これはポリス・ファンにとってはかなり衝撃な告白本だ。すでに2007年に出版されていたんですね。全然知らなかった。
昨日自分は読破して、その衝撃はかなりショッキングで、ノックアウトされてしまい昨日は廃人同様と化していた。自分のようにポリスを高校、大学のときにじかに体験して熱中してきたリアルタイム世代にとって、40年ぶりに知るその真実、舞台裏。
あまりに衝撃的すぎる!
そうだったのか。。。
ある意味このまま知らないほうがよかったか・・・。
でも知ることでポリスファンとしてさらなる新たな1歩を踏み出すことができるに違いない。
自分が大絶賛したいのは、翻訳をされた山下理恵子さんだ。ふつう翻訳本というのは非常に読みづらいというか、やはり自分の言葉で書いていないというハンディもあるため、読者にとってすっと頭に入ってこない、文章としてこなれていない、という感じるものが多い。(ある意味そこが翻訳家の一番のスキルになるのであろう。)
でもこの本は違った。まさに1人称単数で、アンディが自分で語っている告白本のようなニュアンスがばっちり決まっていて、すごいリアル感である。
完璧パーフェクトである。
自分はポリスのことをよく知っているので、まさにアンディの告白がす~っと自分の中に入ってくるのである。
そうだったのか・・・という新しい発見とともに。
まさに40年ぶりに知る真実である。
ずっと長年ポリスファンだった人にとっては、まさに溜飲を下げる想いとはこのことを言うのであろう。
アンディ・サマーズ自伝ポリス全調書
ギタリストのアンディ・サマーズがポリス以前の自分のキャリア人生とポリスのときの人生を綴った本だ。
史上最強のロックバンド、ロック界のスーパー三銃士・・・このバンドは自分の学生時代の青春期の想い出がいっぱい詰まっていて、もういままで日記で書いてきたとおりだ。
自分の青春時代のそのもののだ。
アンディ・サマーズのギター・サウンドはそのままポリスの曲のメロディ・ラインを担うことが多く、その役割は大きかった。自分は長年ポリス・サウンドを聴いてきて、そしてアンディのギターを聴いてきて他のバンドにはない大きな特徴があるな、とずっと感じていたのである。
まずは、アンディが使っているギター。1961年製のフェンダー・テレキャスター。アンディの代名詞、顔と言っていい、このギター。
写真を見ての通り、塗装が剝がれてきていて、かなりの年季ものであることがわかる。最新のエレキ・ギターはいくらでも世の中にあるのに、この古いギターをポリス時代はずっと使っていた。もちろんポリスのコンサートのときは、曲によって新しいギターに変えたりするけれど、大半の曲はこのテレキャスターを使う。
アンディにとって、このギターはギタリストとして自分の想い入れの深いギターなんだろうな、と薄々は感じ取っていた。でもそのことを記載した記事は自分の子供の頃から見たことがないし、ずっと謎だったのである。
そしてアンディのギターサウンド。これはふつうのロックバンドのギターサウンドとはかなり違う。まず自分が一番の特徴だと思うのは、ギターソロをやらないことである。
アンディはギターソロはやらない。
ふつうロックバンドのギターといえば、曲の途中で、いわゆるロックバンドの顔として、派手なソロパフォーマンスをやる。目にもとまらぬ速弾きをしてみせて、まさに聴衆を陶酔させる。まさにこのときこそ、ギタリストは、やはり”ロックバンドの顔”というところを主張するのである。
でもポリスのアンディ・サマーズはそういうギター・ソロをやらないのである。
やったとしてもとても控えめで短いワンフレーズのみ、という感じ。
コンサートで言えば、キング・オブ・ペイン、キャント・スタンド・ルージング・ユー、ソー・ロンリーなど。
自分は子供のとき、これが不思議でしようがなかった。
ある意味、ちょっとストレスに感じていたこともあった。
なんで、もっとフレーズを超速弾きして見せつけてくれないのかな~という感じで。
そのほうが聴いているほうもとてもスカッとするのに。
ギタリストに求められるところってそういうところなんじゃないのかな~とずっと子供心に思っていたのである。
もうひとつは、アンディの非常に多彩なギターワーク。いわゆるふつうのロックギタリストのギター・プレイとはかなり毛色が違うのである。
ポリスの曲を聴いたことのある人なら誰もが知っているチャッチャッチャッとギターをカッティングするようにする刻む奏法や、クラシックギターを思わせるようなアコースティックな奏法、自分はギターのテクニックの世界はあまり詳しくないので、きちんと説明できないけれど、とにかくものすごいバリエーション豊かな奏法を数えきれないくらい何種類も持ち合わせていて、それをいろいろ組み合わせてポリスサウンドを構築していくのである。
スチュアートの乾いたスネアビートのドラム、そしてスティングのハスキーで高いテノールの声とベース、そしてこのアンディのふつうのロック・ギタリストとはかなり毛色の違うじつに多彩なバリエーションのギター奏法。
このスリーピース・サウンドで構築されるサウンドは、かなり独特であった。空間、隙間をうまく利用するロック・サウンドという感じで、他のバンドとはかなり毛色が違っていてオリジナリティが光っていた。
それが当時のロック・シーンにとっていままで聴いたことのないサウンドということで、かなりセンセーショナルだったのだ。
アンディは下積み時代が長く、スティングやスチュワートよりかなり年長で、キャリア歴も長い。大器晩成型なのである。そんな下積み時代に大学でクラシックギターを教えていたこともある。だから単にロックというジャンルに収まらないいろいろなジャンルのギターを体験し学んできた。
まさにアンディ・サマーズの顔といっていい、1961年製のフェンダー・テレキャスター。
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使い古したフェンダー・テレキャスター。ペンキは剥がれ、ピックアップはギブソンのハムバッカーと取り替えられている。1972年にロサンゼルスで買った200ドルの中古ギター。
これを売った少年は、こんなに僕にとって大切なギターになるとは思わなかったであろう。僕は本当に売るのかと彼に確かめたほどだ。このギターになにかを感じたから。新しいギターを買うように何度も薦められたけれど、その気になれなかった。こいつが好きだったから。僕の魂。女と同じでギターも本物を一生で一本でいいと誰かが言っていた。それが僕にとっての、1961年製のテレキャスター。
その週間後のこと。僕の生徒のひとりがレッスンのときに古いギターを持ってきて、売りたいという。使い古した61年製のフェンダー・テレキャスター。僕は断ったけど、ちょっとだけ手にして弾き始めると心が騒いだ。遠い昔の想い出が蘇る。忘れていた自分自身を思い起こす。僕は心が揺れて、ギターをしばらく手元に置きたいと申し出た。
家に持って帰ると、何時間も弾き続けた。誰にも止められない。「僕を弾いて」とギターが話しかけているようだ。翌日、ギターを買い取ることを電話で伝えた。このギターで練習すると、何かを取り戻したような気がする。世の中に戻るためのエネルギー。そのエネルギーが持続して、僕は地元のバンドと演奏することになった。ソロを弾いて、一緒に演奏しながら、ギターのフレーズを考える。生まれ変わった自分。テレキャスターはすばらしい音色で、僕はとりつかれたように演奏に没頭した。
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そういうことだったのか。。40年目にして知る真実である。すべてがスッキリとした。
アンディはポリス以前にアニマルズやソフトマシーンといった数多くのバンドを渡り歩いていたとき、エリック・クラプトン、ヤードバーズ時代のジミー・ペイジ、ジミ・ヘンドリックス、ロック界の壊し屋と言われたザ・フーのキース・ムーン、そしてのちにアルバムを一緒に造ることになるキング・クリムゾンのロバート・フィリップなど数々のロック界のギタリストのレジェンドと親交があった。
その各々の親交の様子があからさまに告白している。
たとえばエリック・クラプトンとの親交。
当時はすごいブルース・ブーム。
みんなエリックを神のように崇めていた。
でもアンディはその影響されず、我が道をいった。
エリックは、レスポールのギターを愛用していた。
そのレスポールが盗難に遭ってしまった。
アンディはその当時テレキャスターの他にレスポールを持っていた。
エリックは、それを売ってくれ、200ポンドで買う。
自分はテレキャスター1本で生きていこうと思い、エリックにレスポールを売った。
そのほかにもエリック・クラプトンとはいろいろな親交があって、仲良くしていたようだ。
ジミ・ヘンドリックスに出会ったときの衝撃も生々しい告白である。まさに信じられない、ギターであのような音を出せるということ自体信じられない、同業者として相当驚いていたようだ。いっしょにジャム・セッションをやった想い出など。
自分がアンディに感心したのは、このようなレジェンドのギタリストと親交を持ちながら、彼らのギター・テクニック、ギター奏法に影響されることなく、自分は自分、という強い心を持っていたことである。
ブルース・ブームのときは、世のギタリストはみんないっせいにエリック・クラプトンの真似をする。そんな姿勢とは一線を置いた。
ギタリストとしてのアンディのポリシーである。
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ギターを弾き始めたときから、音楽に必要なのは自分の言葉で演奏することだと信じていたから。
僕と同時期にギターを弾き始めたクラプトン、ベック、ペイジ、アルバート・リーは皆成功している。ひたすら自分の道を進むべきか、もっと時代に合わせて売れるようにするべきか。機が熟していないだけかもしれない。自分が根を下ろすための条件がそろっていないだけ。
この頃、後に僕の相棒となる奴ら(スティング、スチュアート)は、イギリスでまだ学校に通っていた。
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遅咲きのアンディにとって、親交のあったレジェンドのギタリストが世に羽ばたいていくのをよそ目に自分の進むべき道をどうするか、悩んでいたのである。
アンディの下積み時代のギターテクの習得方法で驚いたことがある。
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レコードを聴きながらテクを覚えるときは、回転数を変えて聴いていた。そのほうがよく聴きとれるからだ。
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アンディの長い下積み生活はそれはそれは大変なものであった。ミュージシャンの売れない時期、毎日どうやって食っていくか、もうそれはアンディに限らず世界共通のことだが、まさに食うための金を稼ぐために、バンドの働き口を探す、そんな長い苦労の道を歩んだ。
イギリスとアメリカを行き来しながら、そんな売れない時期を過ごす。
途中LSDのような薬物、幻覚剤の体験もする。効果が現れてくると目の前が虹色の極楽浄土が一面に広がるなど
・・・自分にどのような世界が訪れるか克明に告白している。
これは結構衝撃だったな。
アンディは挫折を繰り返し、ついに一時音楽活動を休止して、アメリカのカリフォルニア州立大学ノースリッジ校で音楽を学ぶ。ここでクラシックギターを学んで、毎日ギターを教えては、その少ないレッスン料で毎日なんとか食いつないでいたようだ。
ここでクラシックギターを学ぶことで自分のギタリストのキャリアとして大きな糧になったことを述懐している。
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スティングと僕が音楽を一緒に始めたころ。共通の接点となったのがクラシックギターだった。彼はクラシックギターのファンで、僕はいくつかの曲を弾けた。だからバッハやヴィラ=ロボスを弾いてくれないかと彼が言ってきたのだ。ロックの世界でこういう音楽が好きな奴はめずらしいので、僕は嬉しかった。ジャンルが違っても音楽を好きな奴をみつけるのは喜ばしい。こうやって僕らの曲の方向性も定まっていった。
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ポリスの曲の中にもこのクラシックギターを思わせる奏法が取り入れられている曲が何曲もあります。
そして運命のスチュアート、スティングと出会うことで、ポリスとしての運命が訪れる。
アンディが出会った頃のポリスは最初は4人編成だった。ベースがスティングとマイク。ベースが2人というのはあきらかにサウンド的におかしいだろう、ということで、才能がないマイクにはやめてもらうことに。
そしてスチュアート、スティング、そしてギタリストの アンリ・パドゥヴァーニ。
これが初期のポリス。
ここにアンディが加わるという布陣になる。
このギタリストのアンリ・パドゥヴァーニ、かなりギターのテクニック的に問題があったらしい。スティングがアンリのギターテクでは、自分の曲作りに影響がでてダメだと不満を漏らしていたらしい。
これは有名な話だが、アンディが加わるときに、アンリを辞めさせろ。アンリはテクニック的にも問題あるし、バンドにギタリストは2人も要らない。じゃないと俺はバンドには加わらない。
このアンディの要請によってこれでアンリはクビになった。
というのが世に有名な話である。
ポリスファンであれば、誰でも知っている話である。
自分もこの説をずっと信じていた。
でもアンディの告白本によると、それが真相ではないようである。
世間一般にはアンディがアンリを辞めさせたということになっているが、全然真相は違うのだそうである。このアンディが辞めさせた説にご本人は随分苦しめられてきたらしい。(笑)
スチュアートもスティングもアンディも3人による独特の緊張感、空気感が生むクリエティブな現場にアンリがついていけない、というか明らかに力不足という認識で合意の元というのが真相なのだそうである。
合議の上である。
で、結局スチュアートがアンリに電話をしてクビを告知した。
そうやって、ついにスティング、スチュアート、そしてアンディという黄金トリオが登場して発進する。
ときは、1976年。
1976年夏のロンドンでは誰もがパンク・ファッションで着飾っていた。逆立てた髪の毛、引き裂いたTシャツ、黒い革ジャン。飛び跳ねて踊りながら、アンフェタミン(中枢興奮薬)を吸う。彼らのお手本はセックス・ピストルズとマネージャーのマルコム・マクラーレン。
ポリスをパンクバンドとして売り出したいのは、スチュアート。
スチュアートはパンク路線がいい!という意見。
3人とも髪の毛をブロンドに染めた。この髪の毛をブロンドに染めたことで、他のバンド、奴らとは違うというなにかのインスピレーションが湧いたのだそうだ。
なんかこれで行けるぞ!的ななにかを感じたというか。
スティングのソングライターとての才能センス、そしてそのテノールのハスキー声。3人が生み出す緊張感、クリエティブな感性に、アンディもこれはなにか起きる、俺はやっと成功するかもしれない。。という手応えを掴んだと述懐している。
スティングはそのときに曲を初めて作るのではなく、ポリスをやる前からずっと曲を自分で造っていたらしく、それをお披露目する訳だが、あきらかにパンク・ムーブメントで終わるようなものではなくクオリティの高さがあった。
その作曲のセンスにアンディは驚いたと言っている。
その頃に、スチュアートがスティングにボブ・マーリーのレコードを渡し、スティングがそのリズム、コード進行をすごく気に入って、自分の曲作りに取り入れ始めた。
これがスティング、そしてポリスサウンドにレゲエの要素を取り入れるきっかけになった。
ロクサーヌ、キャント・スタンジング・ルージング・ユー、ソー・ロンリーなどの初期の名曲が生まれた。
でもそんなに最初からうまくいくわけではないんだな。レコード会社と契約できるまで、そしてあのビッグなそして自分たちの生涯のレーベルになるA&Mと契約するまで苦難の道のりを歩む。
でも読んでいると、彼らにはスターになるべくその時々のポイントでラッキーなことが重なっていると思うんですよね。そういう運命があった。
イギリスをはじめ、アメリカなどいろいろツアーに行くのだけれど、観客が4人だけとか(笑)、1時間の予定のコンサートがスチュアートのあまりの超高速ピッチのテンポで15分で終わっちゃったとか(笑)、失敗続きだったがめげずに突進していった。
そうしてロクサーヌ、キャント・スタンジング・ルージング・ユー、ソー・ロンリーなどがイギリスのチャートに認知されてきて上位に食い込んできて、バンドとして独り立ちできるくらいになった。最初のアルバム「アウトランドス・ダムール」もスマッシュ・ヒット。
ポリスがついにスーパースターになったのは、2作目の「白いレガッタ」であろう。「孤独のメッセージ」が大ヒットして、ついにスーパースターの仲間入り。
自分もポリスの5枚のアルバムの中で最高傑作だと思うのは、この2枚目の「白いレガッタ(Regatta De Blanc)」だと思うんですよね。ギター、ベース、ドラムスという最小単位のスリーピースの音でビシッと決まっていて超格好いいです。
ホワイト・レゲエと呼ばれたポリス・サウンドがここに確立した。
ポリスサウンドの基本はこの2枚目のアルバムにすべて集約されていると思います。
そこで、なぜアンディはギター・ソロをやらないのか。
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従来のロック的な演奏を捨てるということは、ギターのソロをやらないということ。流行に乗って誕生した新しいパンク・バンドではギタリストがソロ演奏をするほど能力がないという現実もあった。
大げさに弾くギター・ソロなんて横柄だと思われて、エリック・クラプトンみたいな年寄りのやることだと決めつけられた。だからソロが短くなって、これまでギターに命を捧げてきた正統派のギタリストには辛い時代となった。でもギターの音を効果的にするのは何もソロだけじゃない。僕はそう考えて、新案を試してみることにした。
僕が使ったのは、昔から使われているエコープレックス。ふたつのテープヘッドの周りをスプールで回転刺せるものだ。単純だけど、ギターにハーモニックな音を加えるのに効果的だ。バラバラになったサウンドに空間を創出することもできる。使っているうちに、激しいダブルリズムのエフェクトが生まれた。つまりドラムに対して8分音符のリズムを刻んだり、16分音符のパターンにしたりして、さらに不協和音のハーモニーやアクセントをつけたシンコペーション色づけするということ。この結果、ギターのサウンドが虹のように多彩になった。
エコープレックスを使うことで、バンドの独創的な方向性が決まっていった。音に空間性が生まれて、自由を感じた。スティングはその雰囲気に合わせて絶妙に歌った。まるでマイルス・ディヴィスのトランペット・ソロみたいに。もちろん影響を受けたに違いない。レゲエのベースラインはそのままにして、スチュアートはリズムを裏返し、僕はロックでは使わないような不協和音を入れた。こうして、どのロックバンドも成し遂げていないような音が生まれた。僕は演奏に夢中で気がつかなかったけれど、代わりに、僕ら以外の連中のほうが早く気づいた。自分たちのやっていることを理解したときには、こんな演奏が当たり前にようになっていった。
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僕がソロを弾くと観客は喜んだ。でも問題はスティングが自分の影が薄くなるのを嫌ったこと。ギターソロを始めると、できるだけ短くして自分にスポットライトを戻そうとした。パンク・バンドでもソロはやらないが、それとは違う。ソロなしではバンドとしての音楽の幅が狭くなると思う。頭に来たけど、僕はバンド内の関係を損なわないために我慢した。そうでなくても問題だらけだったから。今後はギター・ソロはやらないとスティングが断言した。でも僕は練習し続けた。いつかソロができる日が来ると信じながら。
ポリスの音楽はスペース・ジャム、空間の即興演奏と呼ばれることがある。テープのディレイ、レゲエっぽいビート、不協和音のハーモニー、スティングの高いテノールの声、ジャズのウエーザー・レポートのパンク版というべきか。事前に決めた演奏をしているわけでなく、お互いに駆け引きしながら生まれてくる音。
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自分はこのアンディのこの部分の告白を読んで、長年の謎というか、自分が抱いていた疑問がすべてクリアになったと思った。すごい大感動してしまった。
そうなんだよ、ここなんだよ、ここ!
長年ポリスファンをやってきて、40年ぶりに開眼したことである。
ここなのである。
自分がずっと聴いてきたポリスサウンドを文字で書き起こすとこういうことなんだよな、という納得感。
ギターソロをやらないことは当初は前向きな考えから肯定的に捉えているけれど、でも後半はスティングのやきもちとして捉えていて、ギタリストとしてはやはりギターソロをやることこそ本物、それこそギタリストの華というべき、というのがギタリストしての本音が垣間見えるのが面白い。
やはりそこが本音なんだろうな。
このアンディの告白本の自分にとっての核心はまさにここだったのです。
2021-05-23 16:10
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