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ジャニーヌ・ヤンセン 12のストラディヴァリウス [ディスク・レビュー]

いまから十数年前に1700年代に制作されたあの名機、ストラディヴァリウスと現代モダン楽器の音とを比較する、という実験が盛んにおこなわれた。一種のブームになっていた、と言っても過言ではなかった。


自分はくだらないな、と当時思っていた。そんな結果に一喜一憂するのはじつにくだらないと思っていた。


自分からその実験結果を自ら世間に吹聴して、なんか思想を洗脳することは絶対やめようと思っていた。自分の性格の性分に合わないし、第一そういうことをやって、ストラディヴァリウスの神話を地に貶めるのは、自分の人生の趣旨にもっともに反することだからだ。


自分なりの理屈で、ストラディヴァリウスと現代モダン楽器との違いは、このように理解していた。自分なりにそのように自分の鞘に納めて理解していた、という意味である。


いわゆる楽器としての”鳴り”、音量感、響きの芳醇性などは、現代モダン楽器のほうに軍配。つまり弾いていて、すごい鳴りっぷりなのは、現代モダン楽器。


それに対して、ストラディヴァリウスのほうは、300年以上経過した熟成した木の胴体から奏でられる音は、倍音含め、一種独特の複雑で繊細な音を形成するのではないか。その音色の響きの美しさ、複雑さは300年という歳月のみが可能ならしめる、というような感じである。


現代モダン楽器の鳴り、音量感 対 ストラディヴァリウスの音色の美しさ、複雑さ。


これがノンノン流にいままで自分の頭で理解していた、無理やり鞘に納めて理解していた方法である。


この差を一番体感しているのは、ヴァイオリニスト、それもストラディヴァリウスを所有して使用している超一流のヴァイオリニストなのではないだろうか。


自分のストラディヴァリウスに対する考え方に、そういう技術的なアプローチだけではなく、ストラドが持つその精神性、それを所持して弾くヴァイオリニストだけが理解できるもっと崇高な精神的効果がきっとあるに違ないと確信していた。


それは理屈、能書きだけではとうてい説明できない高尚な精神性である。心の拠り所、ヴァイオリンに心を委ねる奏者の気持ちの違い。これは現代モダン楽器とストラドでは違うのではないか、と想像した。



自分の理解はここら辺で止まっていた。



2010年に行われたある実験では、「現代のヴァイオリンと1700年ごろに作られた名器「ストラディバリウス」などの間には大きな違いがない」という結果が発表された。それぞれの楽器を人間の耳で科学的に比較して導かれた結果ではあるのだが、この結果に対してプロヴァイオリニストのロウリー・ナイルズさんはコメントを直後のブログで公表し、実験結果の本当の意味や、古い楽器が持つ存在意義や価値について思いをつづっている。


ナイルズさんは2010年にインディアナポリスで開催されたヴァイオリンコンテストに参加。コンテストに併せて実施された調査に協力したナイルズさんをはじめとする23名のヴァイオリニストは、2台のストラディバリウスと1台のグァルネリ、そして現代の最高級ヴァイオリン3台、合計6台のヴァイオリンを試奏する機会を与えられた。


調査の目的は「現代の楽器と古い名器は本当に音色が違うのか」を明らかにすることだったのだが、なんと多くのヴァイオリニストは、作られてから300年以上が経つ1台数億円というヴァイオリンと、現代のヴァイオリンを区別できないということが実証された。その結果はネットでも報じられたのだが、ナイルズさんはこの結果におおむね同意している一方で、やや不満に感じている部分があるとして、自分の思いをブログに綴っている。


ナイルズさんは35年以上のキャリアを持つヴァイオリニストで、メインに使用している楽器は10年クラスの現代のヴァイオリンと、1800年代中期のイタリア製ヴァイオリンの2台。これまでにもストラディバリウスなどの超高級ヴァイオリンを何台も演奏してきた経験があり、ノースウェスタン大学で音楽を学んで数々のコンクールに出場している実力の持ち主である。



テストにあたり、協力するヴァイオリニストには楽器のブランドなどは一切伝えられておらず、真っ暗な部屋で目隠しをされて視覚からの情報も遮断された状態に置かれる。その状態で、2台のヴァイオリンを渡されてそれぞれを1分ずつ演奏。これを5回繰り返し、10台の演奏が終わった時点で自分の好みに合ったものを2台選びます。そしてさらに同じことをもう一度繰り返して、最終的には20台のヴァイオリンから4台のヴァイオリンを選んだ。



しかし、実はヴァイオリニストたちが演奏していたのは20台ではなく6台のヴァイオリンで、試奏の際には同じものを繰り返し渡されていたことがテスト後に明かされた。


その際に用いられたのは、研究チームによってチョイスされた現代で最高とされるヴァイオリンが3台に加え、1740年頃のグァルネリ、1700年と1715年頃のストラディバリウスの合計6台で、「音色」「音の伝達性」「演奏しやすさ」「演奏への反応性」の4点について評価が行われた。このテストの際に求められたものについてナイルズさんは「どのヴァイオリンが数億円のものかを当てるものではなく、どれがプレイヤーの好みに合うかというものでした」と語り、報道されていたものとは違う狙いがあったことを明らかにしている。


テストの結果、合計で23人のヴァイオリニストが最も「好ましい」と評価を与えた楽器は古いストラディバリウスではなく、現代のヴァイオリンの1本だったということであった。


さらに、1700年製のストラディバリウスは、最も低い評価が与えられたという結果が明らかになった。




この結果をもとに「ストラディバリウスは現代の楽器と大差ない」という結論が出されたというが、ナイルズさんは「このテストでプレイヤーに求められたのは「どのヴァイオリンがいいと思うか」を評価するものであり、「どれがストラディバリウスか」ではなかった」として、「もしテスト結果を「ヴァイオリニストはどれがストラディバリウスか見抜けなかった」とするのであれば、もっと違う方法のテストを行わなければならなかった」と語る。



**************



自分は当時この実験結果にとてもショックを受けて寝込んだ記憶がある。(笑)クラシック界に介在するストラド神仰がものの見事に崩れ去る瞬間である。


だから言ったでしょ!こんなことをして楽しい?


自分は、ストラドには、そういう技術的な要素だけでは説明できないもっと深い精神性があるとずっと思っていて、ちょっと具体的に説明できないのが悔しいのだけれど、それはストラドを所有しているヴァイオリニストだけがわかるそういう精神の支柱がある、と思っていた。


この、「ストラディバリウス 対 現代のヴァイオリン」対決実験で、自分がナイルズさんの実験レポート・ブログを引用したのは、その長年謎に思っていた精神性の正体をものの見事に言い当ててくれていたからである。


自分が長年なかなか表現できなかった内容。読んで、そう!それだよなぁ!それ!という我が意を得たり、という感覚である。


それがこの後の文章である。


「現代の楽器と大差なし」と判断された貴重な楽器が持つ本当の価値とは・・・


自分が言いたかったことは、こういうことなのである。


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テストの実施には好意的に参加していたナイルズさんは、その結果についても大きく異論はない様子だが、「このテストでは本来は重要である「プレイヤーと楽器の長期にわたる関係」について明らかにされていません」と別の視点を投げかけている。



新しい楽器は年月と共に音色が良くなることもある一方、実際に多くのミュージシャンが嘆くように、その音色が失われていくこともあるものです。一方の古いヴァイオリンにはアンティークとしての価値があり、プレイヤーの演奏に「知恵」を与えることがあるといいます。しかし同様に、必ずしも音色は一定しておらず、日によって表情を変えて時には演奏するのが難しく感じる日もあるものです。



「現代のヴァイオリンが、数億円のストラディバリウスに匹敵することは否定しない」とナイルズさんは語り、実際にこのテストの際にも両者はそれぞれ素晴らしい音色を奏でていたという。特に「私は現代のヴァイオリン製作者をサポートしています」として現代のヴァイオリンにも高い評価を持っていることを明らかにしながら、同時に古い歴史のある楽器に対する意義を以下のように説明する。


ある日ナイルズさんは娘と一緒に美術館を訪れ、250年前にトマス・ゲインズバラによって描かれた絵画「青衣の少年」を目にしていた。その時の様子を「インターネットの画面で見るのとは違い、高い壁面に掲げられた実際の絵画が持つ存在感は、どんな精巧なレプリカや写真でも伝えることができません」と語る。



「今この時代に生きている誰一人として、この絵画が描かれた時には存在していませんでした。どうしてそんな長い間、この絵画は存在しつづけて来られたのでしょう」これと同じことが、古い楽器にも言えるとナイルズさんは語る。長い時間が経っても元の姿のままで、何一つ失うことなく存在しているのはなぜか。それは、この楽器が受け継いできた歴史であり、奏でてきた音楽の存在であり、昔の芸術家によって創られた作品は「その物体だけではなく、その魂の中に存在し続けるのです」とナイルズさんは語る。


「科学的な答えではないって?でも、私たちはアーティストなんです。歴史やイマジネーションは芸術の一部です。そしてわれわれも、歴史の一部を作っているのです」と語るナイルズさんの言葉は、芸術が持つ意味そのものを教えてくれる。



***************



・「プレイヤーと楽器の長期にわたる関係」


・実際の本物だけがもつ存在感。


・古いヴァイオリンにはアンティークとしての価値があり、プレイヤーの演奏に「知恵」を与えることがあるといいます。


・私たちはアーティストなんです。歴史やイマジネーションは芸術の一部です。


ここら辺の記述であろうか。。。ヴァイオリニストにとってストラディヴァリウスを持ち、それを演奏するということは、長い歴史を経てきた楽器だからこそ持つそのアンティークとしての存在価値とともに、奏者に深いイマジネーションを搔き立ててくれる、知恵を与えてくれる、そういうものなのではないのだろうか。


そこには音色がどうこう、どっちがいい音色という俗的な次元はなくて、奏者の精神の拠り所としてのストラディヴァリウスの存在価値を説明してくれる。


ヴァイオリニストにとって、ストラディヴァリウスとはそういう関係、パートナーなのだろう。これは簡単には言葉では表現できることではありませんね。実際、ヴァイオリニストが体感してわかる境地なのだろうと思います。



ジャニーヌ・ヤンセンの新譜。


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12のストラディヴァリウス

ジャニーヌ・ヤンセン、アントニオ・パッパーノ





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ジャニーヌ・ヤンセンが名匠ストラディヴァリウスが遺した世界的至宝、12本の名器を演奏して、珠玉のヴァイオリン作品を録音したクラシック・ファン垂涎のアルバム。


英Sky ArtsのTV番組とのタイアップ企画によるプロジェクト。


ストラディヴァリウスの楽器は制作されてから約300年間にわたり、世界に名を轟かせた名ヴァイオリニストたちと生涯を共にしてきた。そしてそれぞれの名器には楽器と縁が深かった作曲家や演奏家の名前がニックネームとして付けられているのである。今回の録音に使用された楽器も、クライスラーやミルシテインなど著名はニックネームが付けられた名器中の名器である。



このアルバムは、退院日の9月24日の夜に届いた。入院がもう1日延びていたら、HMVに返品されるところであった。(笑)


つらい闘病生活で2か月間音絶ちの生活の後だから、自分のオーディオで聴くこのアルバムは心に染みた~。


番組の企画としてとのことだが、12本のストラディヴァリウスを使って録音なんて、なんというキワモノ的なアルバムなのだろう、というのが当初の自分の印象。


たぶん個性豊かな12本のストラドたちによる競演ということで、1曲1曲がもっと凸凹していて、それぞれがその個性の音色を競演していると思ったのである。


でも実際のアルバムの印象はまったく想像もしない別世界であった。12本のストラディヴァリウスを使って演奏しているとはとても思えず、1本の楽器で、全部を弾き通している、それぞれの小作品が全部ひとつに繋がっている、物語、ストーリーとして全部繋がっているという作品性に驚いたのである。


もうドラマである。初めから終わりまで、ちゃんとメロディのドラマができていて、きちんとストーリーが出来ている。選曲、曲順など相当考えた末のことなのでしょうね。


このアルバムを聴いていると、12本のストラディヴァリウス・・・ということを忘れてしまうのである。


このアルバムのライナーノーツでもっとも読みたくない類の文は、このストラディヴァリウスは、高域が・・・音色の艶が・・・と1台1台について、オーディオのTechnical Termを使ってその音色を特徴づけ、論評している類の文章であろう。(笑)


そんなものを読まされても、読む方でうんざりしてしまうだけ。そのようなものは誰も読みたくない。


そんなつまらないことなど、一蹴してしまうほど、アルバム・コンセプトのストーリー性が抜群で、全作品が繋がっている。そちらの音楽性を楽しむのがこのアルバムを楽しむコツであろう。


12本のストラディヴァリウスは、あくまで料理にふりそそぐ調味料的な役割で置いておくのがいい。


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ジャニーヌ・ヤンセンは、もう我々にはあまりに馴染みの深いヴァイオリニストである。自分にとっては、古くはオーディオ仲間の間で、彼女のアルバムをよく聴いていた。


日本人にとってとても近い存在になったのは、数年前のN響のヨーロッパ・ツアーでソリストとして同行して、各ヨーロッパの都市を回ったときであろう。自分もこのときに彼女にとても親近感がわいた。我々日本人のために頑張ってくれている、というのがなんとも嬉しかった。


ジャニーヌ・ヤンセンは、見かけはとてもやさしそうに見えるのだけれど、じつはお金(たとえばチャイナマネー)ではいっさい動かない、しっかりとしたプロ根性の持ち主なのだそうだ。


自分の立ち位置、進むべき道というのを、自分でしっかり描ける、ある意味マイペースな人なのだと思う。


信じられないことに、自分はジャニーヌ・ヤンセンの実演に接したことがないのだ。何度もチャンスがあったのに、ついつい行きそびれた。


こういうのが一番よくないんだよねぇ。



これはあくまで自分の個人的印象なのだけれど、ジャニーヌ・ヤンセンはとてもリーチが長いヴァイオリニストというように感じるんですよね。特に弓をボーイングする右腕のリーチの長さがどうにも頭から離れなくて・・・。


他のヴァイオリニストではそのようなことはあまり考えないのだけれど、彼女の場合、なぜか右腕のリーチの長さが、自分の視覚に訴えてきて、訴えてきて、すごい特徴的な演奏スタイルなのです。



人生終わる前にぜひ一度、彼女のコンサートに足を運びたい、と思っています。










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