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秀吉の大坂城 [城]

城郭模型という模型のジャンルがあることを知った。城郭というのはお城のこと全般のことを指す。だから天守閣もそうだし、二の丸御殿や三の丸御殿なども全部のことを指すのであろう。


城郭模型であれば、自分は自分の好きなお城の原点である安土城の模型を作りたいな、そして部屋に飾っておきたいな、と思う。


この城郭模型を専門のお仕事とされている島充さんと素晴らしい方がいらっしゃる。


ご紹介は、もう少しあとにさせていただくが、彼が出された著書の表紙に、とても自分の心がググっと引き寄せられ、これは!と驚いてしまい、急遽、島充さんってどんな人?そしてその著書を購入して読んでみたのだ。


その中に散りばめられている彼の城郭模型の作品の数々、そして城郭模型の作成過程、そのほかいろいろなことを読んで、すごく感動してしまいした。


お城のことは、専門的なことはよくわかっていないけれど、とにかくお城が好きという、”なんちゃって城マニア”にとって、すごく素敵な世界だと思うし、自分をどんどんお城の世界に引き込んでくれる。


城郭模型の世界は、まさに男の世界だなぁーと思います。


こういう自分の世界をきっちり持っていらっしゃる方は素晴らしいな~と思います。


自分が島充さんの城郭模型の世界を知った、そのきっかけは、豊臣秀吉の大坂城、すなわち豊臣大坂城である。


以前、大阪に大阪城を体験しに行ったときに、豊臣大坂城と徳川大坂城との違いについて、お話したと思うのだが、いまの大阪城の天守の意匠というのは、正確には秀吉が築城したときの大坂城とはかなり違うのである。


秀吉の大坂城天守は、漆喰塗の黒いお城だったのだ。そこに黄金のいろいろな柄が塗装されている、見た目かなり派手な天守で、派手好きだった秀吉らしい天守だったのだ。


自分は、それを江戸城天守を再建する会の広島大学の三浦正幸先生のセミナーで、その秀吉時代の大坂城天守の外観をCGという形で見たことがある。


うわぁ、これは格好いいなーと思いました。


その秀吉時代の大坂城天守を城郭模型として、作られているのが島充さんの代表作だったわけだ。


これがその著書の表紙と、模型写真の秀吉が築城した当時の大坂城である。


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超カッコいい~。


大坂城というのは黒いお城だったのである。黒い漆喰塗りに黄金の意匠を施した、まさに派手好きだった秀吉好みのお城だったのである。


そして、これが島さんの城郭模型による秀吉大坂城。


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いま大阪にある復興大阪城天守もとても素敵だけれど、自分はこの秀吉時代の元祖大坂城天守にはかなり惹かれます。ググっと自分をその世界に惹きこんでくれます。


自分が島充さんの城郭模型の世界に興味を惹かれたのは、なによりもまずこの秀吉時代の大坂城天守の姿であった。


黒いお城で、黄金の意匠。

いかにも派手好きな秀吉らしい天下人のお城。



昭和34年(1959年)12月。大坂城総合学術調査のポーリングで、地下7.3mの地点に、漆喰で固められた古い石垣の層が確認された。その後にも数度にわたる発掘がおこなわれ、それらがすべて豊臣時代の遺構であると結論付けられた。


これによって現在我々が目にしている「大阪城」の表土部分は、秀吉が築城した当時のものより最大で10mも高い位置にあり、大坂の陣の後、徳川政権下で大量の盛り土が成された、まったく新しい城郭であることもわかったのである。


現在ある鉄骨鉄筋コンクリート造りの五重八階復興天守は、徳川再築時の天守台を利用した変則的なものである。


豊臣時代のそれは地下二階、地上は六階の黒漆喰塗りで、基本構造は安土城の天主をスケールアップしたものと想像されている。


秀吉時代の大坂城カッコよし!である。


これが自分のこの日記でとにかくアピールしたかったこと。


島充さんの城郭模型紀行という著書もさっそく購入させてもらった。


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島充の城郭模型紀行

島充(著)






基本は城郭模型の代表作の写真集なのだが、その中に説明文もいろいろあり、城マニアにとってはとても面白い。


とにかく写真集がとても素敵だ。


城郭模型の代表作として、


福知山城、二条城、備中松山城、大坂城、熊本城、松江城、彦根城、犬山城、名古屋城、姫路城、広島城


の11の作品の写真が掲載されている。


むさぼるように眺めさせてもらった。いいな~素敵な世界だなぁ。


ちょっと何点かピックアップして紹介しますね。



●二条城


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いま京都にある二条城は、天守が焼失してしまい、二の丸御殿が国宝に指定されてますね。自分も京都に行ったときは、この二条城二の丸御殿の中を見学してきました。徳川慶喜が大政奉還を言い渡したお部屋も見てきました。素晴らしかったです。


天守のある二条城は、いまではとても想像できませんが、この二条城にも天守閣は存在したのです。


天下人のお城は五重の天守というのが、基本ルールなのですが、その最初の天下人の五重の天守だったのが、この二条城天守だったと言われています。


平安京は皇室の権威と、宗教施設による精神的な防御が長く続いてきた。そのため、強力な敵が出現すると、たちまち略駄や大火が発生し、時の権力者は避難を余儀なくされた。


永禄11年(1568年)足利義昭を奉じて京に入った織田信長は、この欠点を克服するため、最初の二条城を造ったが、数年後に破却。現在の二条城は、そこから西南の位置に数町移動して造営されたものなのである。


上の城郭模型の写真は、そんな造営時の天守のあったころの二条城である。立派なお城だったんですねぇ。




●名古屋城


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名古屋城も実際現地の名古屋まで実物を見に行きましたが、ちょっと上の写真とは違いますよね。そうしたら、よく読んだら、この城郭模型は、焼失前の名古屋城天守のようでした。ずいぶんいまの天守とは意匠もデザインも違います。


名古屋城は、元来の姿である木造建築にしようという動きがありますが、素人の自分はどうなのかな、と思います。木造建築は長年経年すると木材が腐敗してきたりで安全性に問題がありますね。そうなったら、また破却せざるを得ないのではないのでしょうか。


木造の高層建築物は危険ですね。耐久年数と安全性から危険だと思います。




●熊本城


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なぜか、この城郭模型では、熊本大震災があって、瓦解してしまったときの熊本城天守を模型として再現しています。当時の記録をそのまま残すという意味合いでしょうか。


熊本城、小学生のときにオヤジの実家、佐賀県にいくときに、九州一周旅行をやったときに熊本県行きました。そしていよいよ熊本城、というときに自分は熱をだしてしまい、オヤジが大層残念がったという想い出があります。


熊本城の中には行けなかったけれど、街の中から天守の姿を遠く眺めた記憶はあります。また、ぜひ熊本城に行ってみたいです。


熊本城天守は、もう完全復興されたんですかね?




●姫路城


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姫路城は、来年の国内旅行の計画の中に入っています。(笑)ぜひ体験してみたいです。日本を代表する世界遺産。白鷺城ともいわれる真っ白なお城で本当に美しいお城です。




城郭模型ってとても素敵な世界でしょう~。こんな世界があるんだな~と感心しました。


そこで島充さんのご紹介。


福岡県生まれでいまも福岡に在住されているんですかね。小さなお寺に生まれる。慶應大学文学部美学美術史学専攻卒業。幼少より日本の伝統建築空間に魅せられ、模型作りに明け暮れる。


大学卒業後、寺務のかたわら模型製作を再開。2015年より作家としての活動を開始する。展示模型、メディア向け模型、鑑賞模型から創作模型まで幅広く手掛ける。


模型製作の域を超えた綿密な考証に加え、臨場感ある写実的な作風を特色としている。



自分は昔プラモデルを作った記憶があるのは戦艦大和。子供時代、戦艦大和が好きで好きで、そのプラモが欲しくてたまらなかった。


親にねだって、やっと買ってもらい朝早く起きては一生懸命作っていましたね。完成したときは宝物でした。


今この歳になって、プラモデル、はたして作れるだろうか?年々進む老眼に、細かい作業をやるときに手が震えるとか、あとそういう細かな作業やっているとき、神経がきちんと集中できないかもしれませんね。細かい作業は精神の集中力が必要です。


技術者、ハードウエアエンジニアを引退することを決めたのも、そういう体力的、精神的な限界を感じたためです。


CADパターン設計で、6層もある多層基板設計をCADでデザイン設計して、6層もあるから2層目は電源ラインで、3層目はGNDライン、それ以外は信号ラインとかで、設計した回路図通りに、部品配置のパターン設計をやって、完成したらそのP板を発注して結線がプリントアウトされた基板が出来上がる。


そこに部品を実装して、はんだ付けして、動かす。動かすためにはソフト屋さんの協力が必要な場合は、ROM/RAMにプログラムを書き込んでもらう。そして作業台でその基板の動作確認をして、性能評価をして、性能をあげていく。


・・・これは、ある意味プラモデル造りに相当する細かな作業だと思います。もう長年そういうことをやっていると嫌になっちゃいました。(笑)、


だからプラモ造り、いまできないんじゃないかな~とも思ったりします。


ぜひ安土城の城郭模型があったら、寄る年波に負けず、作ってみたいです。


城郭模型のアトリエや、制作時の工具や材料なんかもこんな感じで説明が書いてあります。すごいですねぇ。マニアックです。


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島充さんの模型のルーツは、年の離れた姉が進学の地に選んだのは信州、その引っ越しに同行した幼少の島さんが姉に連れられ初めて目にしたのが松本城。


その荘厳で美しい威容に強い衝撃を受け、そのまま松本城のプラモデルを買ってもらい、引っ越しの手伝いそっちのけで製作に勤しんだという。


それが記憶にある限り、島さんのプラモデル初体験ということだそうだ。


松本城、いいお城ですね~。もう何回も実物を見ましたが。このお城も最高に美しい荘厳なお城です。


城郭においては、昭和に再建された多くの天守閣を見て、その復元の正確さだけを基準として評価する向きもあるという。その見方を決して島さんは否定しないのだが、自身としてはもう少し広い視点で捉えている。それはいくら正確に復元したとはいえ、もともとの建物とは物理的にまったく異なるものだという動かしがたい事実。


裏を返せば、それは、失われた建物は二度と生き返ることはないという歴史の不可逆性であり、建物の尊さそのものである。そこを重視する。


だから新しく建てられた建物を見ても、消えてしまった元の建物の姿を安易に重ね合わせることはしない。再建に際し、誰がなにをもとに考証し、どのような設計がなされ、施工時にはいかなる理由で変更が加えられたのかという、再建された背景そのものに興味がわくのだそうだ。



秀吉の大坂城の意匠に思いっきり反応してしまったのがきっかけだったけれど、こうやって城郭模型というジャンルの世界を改めて垣間見て、大好きなお城のことはもちろん、いろいろ勉強させられることが多かったです。


楽しい夢のある世界ですね。






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