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別府アルゲリッチ音楽祭 [国内クラシックコンサート・レビュー]

クラシック音楽界のスーパースター、マルタ・アルゲリッチは日本に初めて降り立った日から51年、大分県別府との出会いから28年。日本で初めて自らの名前を冠した音楽祭は、「別府の奇跡」と世界を驚かせた。



なぜ東京ではなく別府なのか。


クラシックファン、アルゲリッチファンとしては、ずっと遠い別府で開かれるこの音楽祭に憧憬の念を抱きながら過ごしてきた。


この音楽祭が東京公演と称して、東京オペラシティで開催されるようになったのもそんなに遠い昔のことではないのではないだろうか。


自分は、いまから何年前だったか覚えていないけれど、その東京公演をやるというその記念の年にかけつけた覚えがある。東京オペラシティ。


アルゲリッチも自分もこれからは一期一会。アルゲリッチの公演にはできる限り足を運ぼうと決意している。


自分のクラシック鑑賞人生の中で、唯一悔いが残るのは、自分の日記できちんと”別府アルゲリッチ音楽祭”のことを語っていないことだ。


これはダメだろう。自分にとって絶対避けては通れないことなので、今年の音楽祭に通って華々しくぶち上げたいと考えていた。じつはそう思ったのは去年で、無念にもコロナ禍で中止。そして今年もチケットが取れず、奇跡的にギリギリのところで救済できてなんとか確保したという次第である。やっぱり波乱の運命だな、と思う。


別府アルゲリッチ音楽祭について、私の日記でぜひ語らせていただきたいのと、この音楽祭の末長い繁栄をお祈りするばかりです。


別府アルゲリッチ音楽祭の公式HP



このHPの記載から抜粋して紹介させていただきたいと思います。もちろん自分のために書きます。自分の勉強のため、この音楽祭の歴史を学ぶために書きます。



なぜ東京ではなく別府なのか。


アルゲリッチと別府のものがたりは1994年に始まる。


記者会見など滅多に応じないクラシック音楽界の頂点にあるピアニストアルゲリッチが、ジャーナリスト達の素朴な質問に答えた印象的なシーンがあった。



「日本であれば東京だと思いますが、なぜ別府なのですか?」

「それはキョウコがいるからです。」


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キョウコとは日本人ピアニスト伊藤京子さんのことである。アルゲリッチは1977年ミュンヘンで伊藤さんと出会った。二人の親交は続き、この別府へと奇跡をもたらすこととなったのである。


当時の別府市には別府コンベンションプラザの建設が進んでいた。別府のこの施設から世界発信を願っていた別府市中村太郎市長は、両親が別府へ移住した伊藤の噂を聞き、この役割を伊藤に託したのである。


伊藤さんは市長に尋ねました。「本気で世界へ発信を考えているのですか?」と。市長の国際的な催事を本気で考えていきたい、という返事を受けて伊藤は真に世界へ通用する人材が必要だと考えました。


偶然にもその時、伊藤さんはアルゲリッチと共に聴衆と一緒に演奏家が育っていけるような音楽会を企画していました。伊藤さんの知人であった馬場財団の支援を受けて「アルゲリッチ・チェンバーミュージック・フェスティバル」を東京はじめ地方公演を行いました。長年サロンコンサートをシリーズで続けていたNHK大分放送局の要望もあり、その公演の一つに大分市も入っていたのである。


この公演の時に中村市長が直接アルゲリッチに委嘱をすることになったのだが、これだけのスターピアニストであり多忙を極めており、芸術家の中の芸術家であるアルゲリッチがまさか受諾するわけがない、と考えていました。


しかし大半の予測を覆してアルゲリッチは快諾したのです。


「別府の奇跡」はこうして始まったのです。



「出会い」から生まれたアルゲリッチとの奇跡は、本格的な音楽祭を前に地元の人々にその意図を伝えることから始めました。


そのために、プレコンサートとして1995年から1997年までの3年間の時間を持ちました。


'95年の第1弾、世界を驚かせたアルゲリッチの10年ぶりのピアノリサイタル!


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以後、小澤征爾、ギドン・クレーメルなどアルゲリッチの推薦する世界のトップ・アーティスト、アジアの演奏家たちによるコンサートを毎年ビーコンプラザで開催。回を追うごとに、地元の人々の間にも少しずつ理解が深まり、ボランティア活動に協力する人たちも増えてきました。



そして満を持して1998年11月アルゲリッチの世界初の音楽祭が開始されました。


音楽祭の正式名称「Argerich's Meeting Point(R) in Beppu」~アルゲリッチの出会いの場~にはアルゲリッチと伊藤京子さんの“人が出会うことで多くのことが変わり、未来が開ける、幸せな出会いを多くの人々へ“という深い思いが込められています。


音楽が社会にできることを心に刻み、この名称に込められた思いと共に音楽祭はスタートしたのです。[日本語名通称:別府アルゲリッチ音楽祭]



・・・そうだったのか~~~。


この音楽祭はアルゲリッチと伊藤京子さんの関係で持っているということはよく理解していた。でもここまでも大きな音楽祭に育っていくには、スポンサー、大分県、そして財団など大きな力が必要で、並々ならぬ努力のたまものだったということがうかがえる。


1995年のアルゲリッチのソロ・リサイタルって、じつはすごいことなんですよ!クラシックファンであれば、よくご存じだと思いますが、アルゲリッチはコンサートでは決してソロをやらない、1人では演奏をしない人なのです。必ず気の合った室内楽メンバーと小編成、あるいはオーケストラとのコンチェルトでやります。


だからソロ・コンサートをやるということは、それだけ別府、伊藤京子さんへの信頼が厚い証だったと言えると思います。


2007年3月より財団法人アルゲリッチ芸術振興財団(総裁:マルタ・アルゲリッチ、理事長:大分県知事)がこの音楽祭の企画・運営を行っているとのことである。


会場は、大分県別府市のビーコンプラザ、iichiko 総合文化センターなどでおこなわれるが、特筆なのは、2015年春にオープンになった世界で唯一の”しいきアルゲリッチハウス”である。


ふたたび起きた別府の奇跡と言われている。


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素晴らしい音楽の時を与えてくれるアルゲリッチへ、アルゲリッチ芸術振興財団の名誉理事 椎木正和氏から尊敬と親愛の証しとしてこのハウスが贈られることになったのです。アルゲリッチ専用のピアノ「マルティータ」とともに永く音楽を届けて欲しいという願いも込められ、素晴らしい音響を持つ「サロン」から、これからも歴史に残るアルゲリッチの名演を皆さまへお届けします。


このようにアルゲリッチの名を冠したサロン、ホールはもちろん世界唯一であろう。きっと音響も素晴らしいに違いない。


このしいきアルゲリッチハウスのレジデンス・アーティストとして竹澤恭子さん、川本嘉子さん、小菅優さんが選ばれ活躍している。


大分県別府市にとって、アルゲリッチは、まさに街起こし的な大切な至宝であり、これからも大切な関係を続けていきたいという真摯な気持ちがよく伝わってくる。


そんなアルゲリッチに対する熱い想いで驚いたのが去年2021年に制定された”マルタ・アルゲリッチの日”の制定である。これには自分は心底驚いてしまった。(笑)もうここまで大切に思われたら、同じ人間としてこれ以上の幸せな気持ちはないだろう、と思うのである。


大分県では、アルゲリッチ芸術振興財団総裁 マルタ・アルゲリッチの大分県をはじめ日本、そして世界各国での歴史的な功績を称え、2021年6月5日アルゲリッチ総裁の80歳の誕生日を祝し、6月5日を「マルタ・アルゲリッチの日」として制定しました。


私たちアルゲリッチ芸術振興財団は、大分県とともに、地方から世界に向けた音楽祭を通じて、芸術の役割や寛容と共生の精神を世界に発信していきたいと考えています。そして、誰もが安心できる安寧な社会の実現に向けて努力するとともに、この精神を未来に伝えてまいります。



アルゲリッチと大分のつながりは、公式HPのぜひこのページを読んでほしいと思います。



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自分は圧倒されてしまいました。ここまで深くは知らなかったので、大分県とアルゲリッチの歩んできた28年、お互いがとても大切なパートナー関係だということがよく理解できました。この日記を書くまでまったく知らなかったです。これを機会に大分県とアルゲリッチの深い絆についてみなさんの知ることとなれば幸いと思います。


自分はこのことを知って思うのだが、自分の場合、ある意味28年経過してできた成果物、結果を紹介しているに過ぎない訳じゃないですか?ある意味トンビに油揚げ的な感じで、出来上がったものを紹介しているに過ぎない。


でも、いままで紹介してきたことを、なにもないところから始めて28年かけて、ここまで育て上げてきた、いわゆる主催者側のご苦労の賜物と考えると、本当に頭が下がる思いでもある。


別府アルゲリッチ音楽祭でもうひとつ重要なのが、ピノキオコンサート、ピノキオ基金である。



マルタ・アルゲリッチと伊藤京子が「育む」のコンセプトのもと、「子どものための無料コンサート」を1998年第1回音楽祭から実施。2007年3月、財団法人設立を機に、子どもたちを良質なコンサートへ招待する「おたまじゃくし基金」(2000年設立)と「子どものための無料コンサート」を統合し、新しく「ピノキオコンサート」と名付け、大人と子どものためのコンサートとした。


2015年第17回別府アルゲリッチ音楽祭にて、ピノキオコンサートの活動にご賛同いただいたArgerich's Friendsを中心とした音楽家や日本生命保険相互会社のご協力を得て、同年5月18日に「日本生命presents ピノキオコンサート支援チャリティin東京」を開催し、コンサートの収益金を全てピノキオ基金に充当しました。


この基金を活用し、しいきアルゲリッチハウスや県外でのピノキオコンサートを開催し、さらなるピノキオコンサートの充実を目指します。



遠い別府で開催されていたアルゲリッチの音楽祭。東京でも開催されるようになって自分も縁が出てきた音楽祭。数年前に九州にオーディオオフ遠征をおこなったときに、東京への帰路で別府から飛行機を使うため、別府空港に寄ったときのこと。空港内にアルゲリッチ音楽祭の看板が立っており、あ~、いまそのシーズンなんだな~と感慨深げに思ったのも懐かしい想い出である。いつか本拠地の別府でこの音楽祭を体験してみたい夢は捨てきれていない。


そしてコロナ禍を経て、満を持して3年ぶりに開催された別府アルゲリッチ音楽祭2022。東京オペラシティにやってきました。


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もう超満員御礼です!


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自分が最近アルゲリッチの実演に接したのは、2016年のロンドンでのBBC Promsのときと、いつか忘れたけれど、同じ東京オペラシティでの別府アルゲリッチ音楽祭であった。


シューマンのピアノ協奏曲。


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シューマンはやはりアルゲリッチの雰囲気にとても合う曲だと思う。とてもシューマンらしい明るい長調な曲で自分は大好きである。アルゲリッチのピアノ奏法はある意味、もう自分の体の中に染みついているので、どんなにお歳を召されていてもその雰囲気はまったく変わらず、アルゲリッチらしいな~と思ってしまった。強打鍵で、なんかこうちょっと雑といおうか(笑)、いい意味で愛嬌のある即興性というか、アルゲリッチらしいのである。愛せる人だな~と心から思ってしまう。


シューマンのピアノ協奏曲は、ピアノコンチェルトの中でも優秀な佳曲である。自分にとってはマレイ・ペライア、ハイティンク&コンセルトヘボウ、そして内田光子、ラトル&ベルリンフィルなど、2010年あたりにこの曲に徹底的に嵌って、この曲を追求し尽くした経験がある。アルゲリッチの演奏は、そんな名演奏とは、ちょっとひと味もふた味も違ったような気がする。かなり違う。スピードやダイナミクスの緩急がけっこうあって、アルゲリッチ・オリジナルカラーという感じであった。


アルゲリッチの雰囲気、カラーに染まっているとてもオリジナリティのある演奏で、ちょっと自分はいままで聴いたことのない、耳慣れた演奏とはずいぶん違うな~と感じた。第1楽章のカデンツァはこの曲のカデンツァとしては自分はあまり聴いたことのないカデンツァであった。


でも終わってみれば、大好きなシューマンのピアノ協奏曲であることには間違いなかった。それを再確認できた、という感じである。


でも思うのである。自分が生まれる前から世界の第1線で活躍してきた大ピアニスト。演奏云々という次元で語ること自体が間違っていると思うのである。もういまではそういう次元で語ってはいけないピアニストなのだと思う。


アルゲリッチ&マイスキーの室内楽コンビも聴けたし、もう自分のクラシック人生で微塵の後悔もないです。


やっぱりアルゲリッチは、愛すべき人。マイスキーもそうだと思うけど、アルゲリッチ80歳越えているはずですよね。すごいもうバリバリに元気そう。(笑)50歳後半で老い発言している自分が恥ずかしくなりました。彼女を見ていて、自分は、いま人生の最高潮のところにいるんだ、まだまだ、という元気をもらったという思いです。


素晴らしかったです。



別府アルゲリッチ音楽祭2022 東京公演

日本生命 presents ピノキオ支援コンサート オーケストラ・コンサート


マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

チョン・ミン(指揮)

ミッシャ・マイスキー(チェロ)

ウィリアム・チキート(コンサートマスター)


東京音楽大学オーケストラ・アカデミー


序曲「ローマの謝肉祭」(H.ベルリオーズ)

ピアノ協奏曲 イ短調 op.54 (R.シューマン

幻想曲集 op.73(R.シューマン


~アンコール

ショパン:序奏と華麗なポロネーズ op.3

ショパン:チェロ・ソナタ ト短調 op.65から第3楽章ラルゴ


交響曲第1番 ハ短調 op.68(J.ブラームス)


~アンコール

ブラームス:交響曲第1番から第4楽章





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