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神様からの粋なプレゼント [グルメ]

今年の3月に東急新横浜線が開通した。日吉~新横浜間を結ぶほんとうに小っちゃい路線で、おそらく首都圏の路線でもっとも短い路線なのではないだろうか。たった3駅しかない路線である。(笑)


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なぜ、こんな小っちゃな路線を作ろうとしたのか?


同じく開業する相鉄新横浜線とは新横浜駅でつながり、神奈川県央部および横浜市西部と東京都心部が直結し、広域鉄道ネットワークの形成と機能の高度化がなされ、所要時間の短縮や乗換回数の減少など、鉄道の利便性向上となるとともに、新幹線へのアクセスが向上します。


・・・ということである。


表向きはそうなのかもしれないが、自分にとっては全然違う意味を持つ。

我がおらが街は、この新横浜線の3駅の中にあるのだ。


そして新横浜まで、すぐその隣なのである。これはおらが街から新横浜まですぐ隣の駅になる、ということである。


もうこれは自分にとって大革命、大変な出来事なのである。それは新横浜ラーメン博物館のある新横浜まで、すぐ1駅で行ける、ということである。


それまででも、新横浜ラーメン博物館までは、すごく近いと感じていた。東横線で菊名まで行き、そこで横浜線に乗り換え、新横浜で降りればいい。かなり近いと思っていた。


この地理感のよさを利用して、もう新横浜ラーメン博物館は、我が庭、ラーメン大好きの自分にとって、行きたいと思えば、すぐにそこに行けるマイスポットと化し、1995年以来30年間通い続け、いまも通い続ける愛するべき場所である。


それでも東横線、横浜線と合計5つの駅を通過するし、乗り換えもしないといけない。


ところが、今回の新横浜線は、新横浜はなんと隣の駅なのである。

しかも新横浜線は、たった3つの駅しかない短い路線。


これは神様が、ラーメン好きの自分のために、これからも、もっともっと新横浜ラーメン博物館に通いなさいよ!という素敵で粋なプレゼントだったんだと思いたい。(笑)


けっして新横浜駅の新幹線へのアクセスの良さの拡充だけではない。

それは表向きの理由だと思う。


このたった3つだけの駅の首都圏最短の路線は、まさに我がラーメン人生のために、神様が急遽こしらえてくれた路線なのである。乗り換えなんてしなくてもいいように、新横浜に直接ブリッジしてしまう、たった3つの駅の路線を作ってしまおう!


それが本当の真実である。


それこそ工事は、2015年あたりからやってたんじゃないかな?


これなんですか?なんかできるんですか?

いや、なんか新しい駅ができるらしいんだよ。


その当時、自分がタクシーの運ちゃんと交わしていた会話である。

その頃から広大なエリアで、工事の幕で覆われ、大掛かりの工事をしていた。

7年ぶりにようやく開通した、ということである。


最近かなり仕事が大変で、精神とともに疲れ果てていたので、開通のニュースは知っていたのだが、なかなか新横浜線に乗ってみよう、新しい駅を体験してみよう、というアクションを起こせなかったのだが、ようやく今日実行した。


もちろん目指すは、新横浜ラーメン博物館。


昔と違って、いまの時代、路線を増やすということは、地上に敷くことはほとんど無理であろう。立ち退きを強制し、建物を破壊してスペースを作って・・・そんなのいまの時代無理だろう。


いまの時代、新しい路線を増やそうとするなら、もう地下を掘るしかない。

地上の邪魔にならないように、ひたすら地下深く掘る。


おらが街の新横浜線の駅は、いまの東横線の駅とは違う場所にある。


できたてホヤホヤの新横浜線は、地下のすごい深いところに作られていた。めちゃめちゃ長いエスカレーターを2回も乗り換えるほど深い。


すごく広大なエリアで、新しくてピカピカであった。


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驚いたことは、新横浜がすぐ隣である、というだけではない。

二俣川までも直結なのだ。


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二俣川は、運転免許センターがある我がエリアである。いつも東横線で横浜まで出て、そこで遠い遠い(笑)相鉄線まで行って乗り換えて、そこで二俣川まで行く。それが今後は、新横浜線で直結とは!!!相鉄線との融合のメリットはこんなところにもありますね。ラーメンだけではない。運転免許更新までメリットを作ってくれたとは!



これが新横浜線の車両。

なんか、東横線とあまり変わらないですね。(笑)


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でもこういう特別塗装車両もあるんですよね。報道で出ているのは、こちらの車両ですかね。こっちに乗ってみたいです。


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新横浜線の新横浜駅。

もちろんいままでJRの新横浜駅とは違う。


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新しい新横浜駅は、とにかくピカピカで綺麗で、すごく広くて感動しました。もうJR新横浜駅より全然いいですね。


すごく広くて、出口がいっぱいあって、ラーメン博物館方面に出るのはどの出口から出るのがいいのか、駅の掲示板地図を見てもよくわからず。


結局駅員さんに聞きました。


出口10番を出てください、とのこと。


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出口を出たところは、よく見覚えのあるラー博に行く途中の歩道でした。


そのままラーメン博物館へ。


開館は午前10時半なのだが、10時頃着いたのだが、もうすでにこれだけの大行列。


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もうひたすら驚くしかない。

みんな本当にラーメンが好きなんだな~。

中国語や韓国語があっちこっちから聞こえてきて、外国アジア人が多いことがよく分かりました。完全にインバウンド景気復活の気配ですね。


新横浜線という神様からのプレゼント。これからももっともっとラーメン博物館に通いなさいよ!ラー博に通いやすくしてくれた神様の気持ちに報うために、自分はついに6か月入場フリーパスを購入!


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ラー博に入場するには、当日券だと380円払わないといけないのだが、6か月入場フリーパスだと500円だから、全然こちらのほうがいい。年間フリーパスでも1000円なので、ケチらないで年間フリーパスにしておけばよかった。でも3回入場してくれたら、さらに6か月延長で年間に昇格するので、自分の使用頻度からもうあっという間だろう。


じつはフリーパスを買おうと思った理由は他にある。それは新横浜ラーメン博物館開館30周年記念として、いま大々的にやっている


”あの銘店をもう一度”


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これに、すみれとけやきが出店してくれるに違いない。

これを首を長くして待っているのだ。出店は1か月の限定期間だから、もし出店したら、もう毎日、それも可能だけど、土日だけでもいい。もう通い詰めたいのである。そのためには事前準備としてフリーパスが必要なのだ。


すみれは、北海道の中の島本店から乗り込むのかな?それともすみれ横浜店がやるのかな?すみれ横浜店は、自分は楽しめるので、できれば中の島本店が乗り込んでほしい。


すみれは、1995年、この新横浜ラーメン博物館で全国デビューした。あくまで北海道札幌の一地方のご当地ラーメンだったのが、このラー博衝撃デビューでいっきに全国区になった。自分もすみれは、このラー博ではじめてその存在を知って衝撃を受けて、まさにその後の崇拝者となり、まさに運命の出会いとなった。


あの当時は、暖簾には、純連と書いて、すみれ、と呼ばせていた。あの当時の純連(すみれ)のお店があった場所が、ここである。


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昔は、この1階の一番隅っこのここにあったのだ。

いまはラーメン店舗としては潰してしまい、パチンコ トラヤホール、昭和のレトロな建物としてしまっているようだ。こんな隅っこにあると、長蛇の行列だと列の整列に困り、地の利が悪いという判断なのだろうか・・・


すみれと並んで、自分が楽しみにしているのが、札幌ススキノに小さな店舗を構える味噌ラーメンの”けやき”である。


けやきは、すみれの後任として、その同じ場所に入った。すみれが卒業というのはかなりショックであったが、その代わり、まったく未知だったけやきの味噌ラーメンに知り合えた。


就職浪人していたとき、新横浜にある港北ハロワークに毎月通っていて、かならず、このラー博でけやきを堪能していた。


それがこの場所である。


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中2階の通路の途中にある場所で、いまは、”あの銘店をもう一度”プロジェクトで、新しい出店のお店が開店準備をしているようで、いまは営業していないようだった。


この場所も懐かしすぎる!!!


この場所は、すみれ、そして純連・すみれの産みの親の母親の村中明子さんの”駅”を出店していた場所なのである。ラー博にとって、この場所は選ばれた人気店のお店だけが入れるそんなエリート・スポットだったような気がする。けやきも、この場所にあったすみれの後任として、この場所に入ったのである。


この場所は、自分のとってラー博でのすみれ・けやき、札幌味噌ラーメンの名店と言ったらこの場所なのである。出店するときは、やはりこの場所にしてほしいな。



今日、ラー博に来ようと思った理由はここである。


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ご存じ、ラーメンの鬼、佐野実さんの志那そばやである。


佐野実さんの志那そばやは、藤沢鵠沼が佐野さんのルーツである。


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この店舗懐かしすぎる!(笑)

佐野実さんのことは、みんなよくご存じだと思うので、深くは説明はしないが、それまでラーメンというと、男性専科、体育会系の食べ物・・・そういうイメージが先行していたと思うのだが、佐野さんは、素材そのもののに徹底的に拘り、それこそ日本全国からその名産物なるものを、あるときは自らその地方に出向いて、交渉して、入手してそれをラーメンに取り入れる。そういう徹底的に素材に拘った上品で美味、そして見かけも美しいラーメンを作り上げた。


醤油のさっぱり系のラーメンである。


それまでのラーメンのイメージを変えた人だと思う。そして、その徹底的なプロ意識で厳しい人で、そこから”ラーメンの鬼”と呼ばれるようになった。


2000~2003年、病気で北海道の実家で静養していたとき、よく当時のテレビで、佐野さんが弟子をリアルで鍛え上げる、という企画の番組があって、そこでもう徹底的に怒鳴って、厳しく鍛え上げる、そういう姿がお茶の間に浸透して、鬼、怖い人というイメージが先行していたと思う。


で、それで最後に佐野さんの許しが得て、これで弟子も暖簾分けを許される・・・頑張れよ!・・・というそういう脚本なのである。それを見ていた自分は、当時は病気療養で人生最低の状況だったので勇気づけられたものである。


あ~~~オレもいつか社会復帰できるかな~、とか勇気づけられたのである。


佐野さんの当時の藤沢鵠沼の本店は、1回だけ行ったことがある。

佐野さんのあの性格から、店内の写真撮影を許すわけがなく、ネットで調べてみたが、まったく拾えなかった。でも自分ははっきり覚えている。


カウンターだけでロの字を形成していて、その中に厨房があるのである。つまりカウンターのお客さんが見ている中で、いっせいの視線を浴びている中で、その中で佐野さんがショーをやっているようなものである。


もちろん私語厳禁である。

それは、まさに異様な雰囲気であった。

シ~ン・・・まさに静寂のつつまれる中で、ロの字のカウンターのお客さんはただひたすら佐野さんのラーメンを作っている姿をただ見ているだけなのである。


あの雰囲気は異様だったな・・・。(笑)

自分の友人の中には、本来食べ物って、ゆったりリラックスして楽しむもの。お客さんに対してそういう態度を強いる姿勢というのはどうも感心できない。


そういう意見も多かった。自分はこの意見に納得するところもあった。

ファンも多かったけど、アンチも多かったと思います。


佐野さんが亡くなられてから、藤沢鵠沼の店は畳み、いまは戸塚で”志那そばや”として新しく出直しているらしい。


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佐野さんの娘さんが、それまで勤めていた百貨店の仕事をやめて、志那そばやを経営している会社に入社して、佐野さんの遺志を継いでいるらしい。



佐野さんが亡くなられてから、志那そばやの店内でお客さんが緊張する、ということもなくなったのだが、そんな矢先、2021年のこと、突然、志那そばやがTwitterでこう宣言したのである。




大切なお客様へ


支那そばや戸塚本店では、当面の間店内での会話をお控え頂きますようお願い申し上げます。

必要最低限の会話でお過ごし、静寂をお楽しみくださいませ。


支那そばやが開店したのは1986年神奈川県藤沢市鵠沼海岸でした。


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・・・・・


出た~~~!支那そばや、21年ぶりの「私語厳禁」、である、(笑)


やっぱりそうこなくっっちゃ。



戸塚店、今度、行ってみますね。


そんな佐野実さんの志那そばやであるが、新横浜ラーメン博物館にも出店していたのである。長期間に渡って、ラー博を支えていた名店であった。


志那そばやがラー博に出店、ということで、そこから自分はかなり通い詰めて、堪能させていただいた。


今回、”あの銘店をもう一度”プロジェクトで、志那そばやが出店、しかもあの懐かしい藤沢鵠沼時代の味を復刻というから堪らない。自分はよく正確に把握していないのだけれど、じつはおそらくいまの戸塚店はじめ、系列ふくめ、あの藤沢鵠沼時代の味とはちょっと違っているらしいのだ。


だから藤沢鵠沼時代の味を復刻、ということはラーメンマニアの方々にとっては、すごく貴重な体験らしい。調理する側も最高の配慮を重ねつつ、スープをはじめ、あの当時の味を復刻することに頑張ったらしい。


行きたい、行きたい、と思いながら忙しくて、今日やっと実現なのである。


志那そばやは、ラー博では昔からこの場所なのである。店舗内はまったく昔のままで、あれ?昔からずっと続けてました?という感じである。(笑)


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あの厨房内で、佐野実さんを拝見したことも何回もある。


券売機にも、鵠沼醤油ラーメンと書いてあって、特別感満載。佐野さんのラーメンは素材に拘るので、値段高いんですよね。さらに復刻版だから追い打ちをかける。1400円でした。


藤沢鵠沼時代の味を復刻した志那そばやのラーメン


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見た目も美しくて上品ないかにも佐野さんのラーメンである。

昔とまったく変わらず。


佐野さんのラーメンは、かんすいを多く使っていることで、有名なのだが、かんすい(かん水)というのは、中華めんのこしをつけたり、中華めんに特有の風味をつけたりするもので、中華麺などの製造に使うアルカリ塩水溶液のことである。


やはり肝はスープですね。これこそ佐野ラーメンという感じで、いろいろなエキスで何重にも作り上げた高級なスープという味わいである。単なるサッパリ系という言葉では言い尽くせない複雑な味である。ちょっと香ばしさがあって、独特のコクというか旨味がありますね。


自分はずいぶんラー博の志那そばやには通っているのだが、これが藤沢鵠沼時代の味を復刻、と言われてもよくその違いがわかりませんでした。(笑)


これはやっぱりどうみても佐野さんのラーメンだよな~という感じです。


ぜひ、藤沢鵠沼時代の味、堪能くださいませ!と言いたいところですが、15日(月)まででした。(笑)なかなか自分が行けなくてギリギリになってしまいスミマセン。


昭和のレトロな雰囲気の街作りの再現した新横浜ラーメン博物館。

すごい人です。もう窒息すると思いました。もうコロナどこ吹く風です。


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ラー博で昔から気になっていたお店がありました。

一度食べてみたいな~と思っていたお店です。


北海道・利尻島「利尻らーめん味楽」


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醤油らーめんなのですが、写真でみるとすごく美味しそうなのです。


焼き醤油らーめんということでした。


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すごく香ばしい醤油味で美味しかったです。

期待通りでした。


日本で初めてラーメンというものを作った来々軒も元気でやっていました。


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この最初の味を復刻させるための研究をじっさいの実現に向けて協力したのが志那そばやなのでした。


神様からの粋なプレゼントで、今後もますます新横浜ラーメン博物館に今まで以上に簡単に来れるようになり、自分のラーメン愛もますます磨きがかかりそうです。












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