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雑色 [街歩き]

自分には子供時代によく遊んでくれた方がいらっしゃる。ここではOさんとしよう。オヤジは高校教師だったのだが、そのオヤジの教え子で、卒業後、ご本人も東京に就職されて生活基盤を東京に移されたわけが、それでも義理堅く、帰省で北海道に戻っては、オヤジのところに挨拶がてら、よく遊びに来てくれた。


子供の頃、よく自分と妹はOさんにいっしょに公園に連れて行ってくれたり、とかいろいろ遊んでもらった。子供の頃はほんとうにOさんと遊んでもらった記憶がいっぱいある。ほんとうに面倒見のいい、優しい方であった。オヤジもOさんには絶大な信頼を寄せていた。


自分も就職で東京に上京したときにも、相談事にのってあげてくれ、いろいろ見守ってくれ、というようなことをオヤジはOさんに相談していたと思われる。


Oさんは読売新聞社の記者を勤められておいでだったので、東京の知見とか、情報通など頼りになる方だった。オヤジもそこを見計らって、息子を頼む、という感じで相談していたのだと思う。


東京生活でいろいろ自分がピンチになったときは、いろいろ相談に乗ってもらったこともある。自分が病気で3年間、休職したときも復職のときに電話をかけてご挨拶したことがある。でもその2003年以降かな?それ以降、もういまや20年間音信不通である。


すでにリタイアされている年齢とは思うが、どうされているのか音信不通である。


オヤジが亡くなったこともあるし、オフクロも施設となると、それも仕方がないことか。


じつは、自分が東京に上京した1987年に、Oさんが「よく来た!」という感じで、ご挨拶がわりに東京で会おうということで、お電話をいただいたことがあった。


待ち合わせをどこにするか、ということで、指定されたのが、”雑色(ぞうしき)”という街。


雑色?


東京に不慣れな自分は、雑色、それってどこ?という感じで、結構入念に事前に調べた記憶がある。雑色は、いまでも無名というか、ほとんど知られていない街ですよね。ほんとに目立たない街、まったく無名な街である。


Oさんが、どういう理由で、この雑色という街を選んだのか?

自分にはわからない。


雑色にある居酒屋さんで、ちょっとお酒を傾けながら、「よく東京に来た。」という感じで、いろいろよもやま話をしたのを覚えている。


あれから36年経つわけだが、どうして雑色だったのか?東京で待ち合わせなら、渋谷、新宿、有楽町とか大きな街はいくらでもある。確かにあまりデカい街だと待ち合わせに困るので、ある程度小さい方がいいだろう。


でもなぜ雑色(ぞうしき)なのか?


そのとき思ったのは、Oさんは新聞記者なので、やっぱりいろいろ土地通というか、情報通で、こうなんか味のあるそういう普通の人が選ばないような隠れた名宝みたいなそんな価値観をこの街の中にあることを知っていて、それで自分に紹介してくれてこの街で会おうということになったのではないか。


いわゆるOさんが雑色という街に、なにか特別の拘り、所縁のある町、あるいは、Oさんが雑色という町が好きである、この単純な解でもいい、たとえば自分の取材で訪れて知った町とか、そういう想いがこの町にあったからではないか。


自分はずっとそう思っていたのである。それ以来、自分の心の中に、この雑色という街がずっとこびりついていて、忘れることができない。Oさんと最初に東京であった街。それが雑色。


なぜ、Oさんは雑色を選んだのか?


自分の永遠の謎だったのである。


ずっ~と、っ自分の心の片隅に居座り続け、その解を見つけることができない。でもそんな36年前に、Oさんと会った町を克明に覚えているということ自体、なんか異常ではあるのだが(笑)、それだけ自分の記憶には鮮明で、しかも雑色という町自体が無名で、なぜそこなのだろう?という想いをず~っと心に抱いていたからである。


”雑色(ぞうしき)”という街の名前自体が、なにかこう日本古来の由緒ある、そういう雰囲気を漂わせているのである。自分が雑色という街をいつまでも覚えていたのは、やはり他の街では感じない、独特の風格がある。


日記で街歩きというジャンルを開拓したいと思っていた矢先、自分はあれから36年後な訳だが、自分は雑色の街をいま改めて訪れたいと思うようになった。


36年後の真実を暴きたい。(笑)


あの頃からずっと謎に思っていたこと、なぜOさんは雑色を選んだのか、いま現在、雑色の街を歩いてみたら、ふっと頭の中にその解が浮かんでくるかもしれない。


そんな想いがあり、ぜひ実行したいと思った。


その前に”雑色(ぞうしき)”という言葉自体にどういう意味合いがあるか、調べてみた。自分は昔から、この雑色という名称そのものに、にどうしても引っかかりを感じて、心の隅に残り続けているのだ。


雑色”と書き、「ぞうしき」と呼ぶ街の由来は、鎌倉時代、宮中の雑役の役目をしていたむかしの地名によるものである。


古代の律令(りつりょう)制に始まる用語で、中世より近世まで用いられたが、いずれも下級の諸種の身分と職掌を表す。


古代では、「諸司雑色人」といって、朝廷の官人や有位者の下にあって、雑使に従う使部(しぶ/つかいのよぼろ)、宮廷の諸門の守衛、殿舎の清掃・管理・修理、乗輿(じょうよ)の調進、供御(くご)の食物の調理、水氷の供進などにあたる伴部(ばんぶ/とものみやつこ)などの職種があった。


それより身分が低く、宮廷工房で生産にあたる品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)も雑色に含める解釈もあり、各官司で、写書、造紙、造筆、造墨、彩色、音楽などに従う諸生・諸手もそうよばれた。


その後、雑色の概念は拡大され、「諸国雑色人」といって、国衙(こくが)や郡家で、上記に準じた身分のもの、「諸家雑色人」として貴族の家務に従う従者にも適用され、また蔵人所(くろうどどころ)をはじめ政府の諸所が成立すると、蔵人所雑色のような特殊なものも現れる。


中世に入って、武家の従者が雑色とよばれるのは、おもに「諸家雑色人」の系譜を継ぐもので、幕府の番衆の下級役人から、一門以外の従者に及ぶまで用いられた。


・・・とのことである。


まっその時代その時代の定義の仕方はあるようだが、要は雑用係ですね。(笑)それも身分の低い・・・



雑色という駅名は、開業当時の地名である雑色村に依る。「雑色」は鎌倉時代に宮中の雑役を務めた地名だが、明治末期に六郷村に編入され、地名は駅名のみに残る感じだそうだ。


いまの雑色駅(ぞうしきえき)は、東京都大田区仲六郷二丁目にある、京浜急行電鉄(京急)本線の駅である。各駅停車でないと停まらない駅である。


雑色駅


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たぶん36年前の雑色駅がどうであったかは、まったく覚えていない。ただ覚えているのは、雑色駅の前の商店街のところのどこかの居酒屋で(ベージュな感じの色合いの上品なお店だった。)お会いして盃を交わした、ということだけである。


雑色の街のことも全然覚えていない。


いまの雑色駅は上の写真通りだが、あの頃がどうであったかも覚えていない。


とにかく雑色という街をいま現在歩いてみればなにか閃くかもしれない。


雑色駅の前には、雑色商店街というアーケイドの商店街が存在する。


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雑色商店街は、駅の東西両側に長く伸びた比較的大きな商店街で、駅の東側にオーケーストアの大型店が在る。また、3大ハンバーガーショップであるマクドナルド・ロッテリア・モスバーガーが全て駅前に存在する珍しい地域である。(笑)駅前は車通りは少なく、主に歩行者や自転車が通る道路となっていて、バスやタクシー乗り場は駅前には存在しない。


駅前のアーケイドの中にある商店街は、さっと俯瞰する限りでは、いわゆるいまでいう資本系のチェーン店がずらっと並んでいるという風情であまり個性的なお店とかがあるとは思えないところであった。コンビニもセブンイレブン、ファミマと連なっており、それにハンバーガーショップ、そしてdocomoやauなどのスマホショップ、そしてドトールや日高屋など、ほんとうにチェーン店の嵐。


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自分はつまんない街だな~という初印象であった。(笑)

車の通りはほとんどない。ただ人が歩く通りだけである。


東西に横にずら~っとひたすら長い通りなのである。


アーケイドを通り過ぎると、また横にずっと今度はアーケイドなしで飲食店などが並んでいる感じである。


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36年前の居酒屋さんがいまも残っているとは思えないのだが、アーケイド内、そしてアーケイドを外れた通りで、何件か居酒屋さんをピックアップしてみる。


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・・・う~ん???・・・・違うよな~~~。


敢えて言えば、こんなイメージに近かったかも?居酒屋さんじゃなくて、とんかつ屋さんだけど、ベージュというのがなんかイメージに合う。そりゃ36年前の居酒屋さんがいまも残っている訳ないですよね。(笑)


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正直、雑色商店街のお店はつまらないと思いますが(笑)、このインド・ネパールのレストランは魅かれる感じがしました。(笑)


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このやきとり屋さんは、すごい人気がありました。おいしそ~。食べたかった・・・


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正直である。正直である。気を悪くしないで欲しいが、雑色はそれほど個性的な街とは思えず、やや寂れているというか寂しい街のような印象がする。車、タクシー、バスという類のものはいっさいなく、ひたすら人か自転車のみが行き来する。そして高齢化が進んでいる街のような印象を受けた。若い人はほとんど見かけない。


でもあのテレビ東京のアド街ック天国で、京急 雑色が放映されているんですよね。(2021年5月22日放送分)

驚きました。


第1位は雑色商店街でした。

昭和な庶民派商店街ということで紹介されています。



昭和23年から続く、お惣菜が大充実の商店街。


【デリカキング】


鶏肉を使ったお惣菜がオススメ。中でもお買い得なのが、日替わりの盛り合わせ。店の人気商品が7種類入って、お値段はなんと400円。


これは私のほうで写真を撮りました。


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【肉のミゾグチ】


昭和34年に創業。80種類以上ある惣菜の中から日替わりで40種類の惣菜が並ぶため、毎日来ても飽きることはない。毎月2日間だけ登場するのが、「ビーフカレー」。お肉屋さんが、大量の牛すじを使って作るカレーはコクが深い逸品。



【いのせ】

ショーケースには、揚げたてのお惣菜がずらり。しかし、一番人気のお惣菜は水曜日限定の「ポークシュウマイ」。12個も入って400円。水曜日だけで、1万5千個が完売する。発売日にはお店の前に行列ができ、お客さんは大量買いが当たり前。ポークシュウマイの仕込みは3日前にスタート。岩手の「岩中ポーク」を使う。味のポイントは、大量の玉ねぎ。みじん切りにした玉ねぎを、洗濯機で脱水。このほうが余分な水分が抜け、肉の脂が生きるのだという。



「雑色」

知っている人もいるが、聞いたことがない人もいるであろう町。


雑色駅について目に入るのが、駅前からJR京浜東北線の線路まで続く商店街。

東京都大田区で最多の店舗数を誇るにぎやかな商店街。


帰宅時間、夕方の商店街には、スーツ姿、主婦、学生、たくさんの人がそれぞれの一日を終え帰宅する。一人暮らしをしていると、誰しも一度は「寂しさ」を感じることがあるはず。


「人」と関わる温かい町、おかえりがある町。商店街で、いのせや肉のミゾグチで今晩のごはんのおかずを買っているときに、お店の人との会話で温かみを感じ、ホカホカした気持ちで家路に急ぐ。


そういうささやかな幸せがある街が雑色なのだ。それはネットで調べてようやくそういう町なんだということがわかった。


街をただ歩いているだけでは、そのことはわからない。たた寂しい寂れた町のように思ってしまうかもしれない。やっぱりそこに住んでみないとわからないのだろう。


いま現在、2023年のときの雑色を歩いてみたが、正直自分の頭に閃くものはいっさいなかった。(笑)


Oさんがなぜ雑色を選んだのか?


雑色は、古くから雑用係の身分の低い人たちのこと。町も高齢化の進んだ庶民的な町。あえていえば住宅街だと言っていいだろう。暮らすために商店街やオーケーストアがあるということ。ほんとになんの変哲もない、ふつうの小さな町。


雑色であるからこそ、というポイントが自分には見つからなかった。理解できなかった。



Oさんがなぜ雑色を選んだのか?


これは、まだ永遠の謎、永遠のテーマとして自分の中に残りそうである。





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