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イッセイミヤケの制服 [雑感]

オリビア・ニュートンジョンのご逝去は、やはりショックだった。自分の世代だと中学生のときですね。湖面から顔を出している「水のなかの妖精」のレコードは、自分も中学生時代の少ないお小遣いで買いましたとも。とても大切に何回も何回も繰り返して聴いていたな。宝物でした。


ジョリーンでしたかね。当時の一世を風靡していました。


その後の「フィジカル」とかジョン・トラボルタとの映画「グリース」のときになったら、もはや自分は卒業していたんですけどね。(笑)


いま自分のSNSのTLは、オリビアの動画が洪水のように流れている。オリビアは本当にしばらくご無沙汰していたんだけど、ひさしぶりに近影を見て、驚いた。


すごく綺麗なんだよね。


スタイルも変化がなく、品があって美人のていが変わっていなかった。本当にいい歳の取り方をしていたんだな、と驚きました。


人間歳を重ねていくなら、こういう歳の取り方をしたいものだと思いました。


自分の時代のスターの象徴でした。

謹んでご冥福をお祈りをしたいと思います。


それと同時に、デザイナーのイッセイミヤケ(三宅一生)氏の残念なご逝去のニュースがあった。


ファッション、お洒落な人生とは、まったく縁のなかった自分の人生にイッセイミヤケ氏は、1点だけ接点がある。


そうか・・・イッセイミヤケ氏も亡くなったか。いろいろ思うところもあり、自分の社会人人生をスタートさせた頃を思い出した。


1987年の頃のソニーの制服。


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この頃にソニーのこの制服に見覚えがある人は、ほとんどいないだろう。技術メーカーなどは、おそらくいまやどこでも私服OKだと思うのだが、自分が上京して東京で生活をスタートさせた1987年、ソニーには社内で着用を義務付ける制服があったのだ。


この制服が、イッセイミヤケ・デザインだったのだ。


全体の色合いは、ベージュ。そして縁が赤いラインの縁取りがされているのだ。袖のところは着脱可能な仕組みになっていて、ふつうは袖をとって、いわゆるベスト、チョッキという感じで着ている人が大半だった。自分もベストとして使っていた。


ポッケが大きく、自分はそこに放送に関する業務をしていたので、世界の放送方式、周波数プランが記載されたポケット帳をいつも忍ばせていた。チューナ開発担当者のマナーであった。


自分はそのときは、社服、制服にとりたて拒否反応があった訳ではなかったが、このソニーの制服にはそんなに拒否反応がなかった。さすがイッセイミヤケのデザインだな、と思っていたところもあった。


大学を卒業したばかりの23歳の若造にとっても、いまから35年前であっても、”イッセイミヤケ”といったら、世界のブランドだったのだ。


入社した1987年から、おそらく3年くらい経ったころだろうか。社内での制服は禁止になって、私服でよいことになった。そのときにこの制服を会社に返したのかどうか覚えていないのだが、もちろんいまは手元には残っていない。


世の中の企業は、それこそいろいろなドレスコードがあるに違いない。外様と接する機会の多い営業関連などスーツであるところも多いだろう。


オフィスで着用する服装には、必ずどこの企業でもドレスコードが決まっているのだ。必ず、その企業の精神、考え方にあったドレスコードが規定されている。


技術メーカー、電機メーカーのような技術者中心の企業の社員のドレスコードは、もういまや私服があたりまえではないだろうか?技術者はお洒落が苦手なのと(笑)、作業をやったりするときに動きやすい日常の普段着が一番楽でいい。服装にあまり気を使わないで、楽な日常の普段着だと、頭の回転にもすごくいい。服装をきちんとしていると頭が緊縮する感じでのびのびできないのだ。技術者には普段着が仕事の効率という点でいちばん能率的なのだ。


米国のITベンチャー企業などは、もうジーンズにポロシャツをジーンズの外に出すというカジュアルな感じがあたりまえだろう。


自分のいまの会社も転職当時は、制服があったんですよね。べつに強制ではなく着たい人が着る、という感じ。自分はこの制服がすごく嫌でたまらなかった。(笑)冴えないんだよね。


その後統合後に、制服も禁止で私服でOKになった。


自分には、やはり制服には拒絶反応があると思う。精神的な拒絶反応。フロア内で、誰もが画一された同じファッションで統一化されている。これは自由主義の世界の精神に反する。精神的に苦痛である。そんな印象がある。


製造業の場合、工場の場合は、衛生関連、安全面などもろもろの理由でおそらく制服着用の義務があると思う。もちろんそれはそれで仕方がない。そうあるべきだと思う。


自分は企業人の人生35年間、この社の制服を着ていた時代を除いて、すべて私服であった。オール会社生活を全部私服で通せたのは、本当に幸せとしかいいようがない。ラッキーだったと思う。


いま考えれば、もしスーツを毎日着ていかないといけない職場だったら、それこそ大変だったろうな、と思ってしまう。



私服と言ってもなんでも自由という訳ではない。私服の中でも、さらにその企業の社風にふさわしいドレスコードが決まっているのだ。


いまの会社だと、やはりシャツはきちんと襟がついたものを着ること。カラーシャツはあまり派手なのはダメかな。襟のない丸首のTシャツとかダメである。そしてシャツは必ずズボンの中に入れること。


若者文化のシャツをズボンの外に出すラフなスタイルも禁止である。私服とはいえ、それなりに企業人にふさわしいスタイルを要請される。


そして在宅勤務の時代。そのドレスコードもさらに緩和というか、ないものに等しくなり、出社するときに気を付けるという頻度になった。


もちろん自分にもスーツで通っていた時代もあるのだ。ロンドンのオフィスに勤務していたとき、もちろん技術系企業であるにも関わらず、エンジニアであるにも関わらず、そこのドレスコードはビシッとスーツなのだ。


オフィスでPC端末を操作しているときは、ジャケットは脱いで、純白のYシャツにネクタイ。その風景の中で仕事をしていたとき、いや~~これはやっぱりイギリス紳士の国なんだな、というような妙な腹落ち感があったものなのだ。イギリス人は、やはり誇り高きというか、Gentlemanであれ!というような英国人特有のキザさがあって、それが妙に様になっているのだ。ここはイギリスのオフィスなんだな、ということで自分はとても納得感があった。


そりゃ大変でしたよ。毎日スーツ、Yシャツにネクタイ。スペアを用意したりお金もかかりました。


そんな想い出もあった。


やっぱり私服が楽です。


自分は、スーツのようなフォーマルな制服が嫌いか、というと全然そんなこともない。


女性の紺のジャケット姿(別に紺でなくてもいいですが。)など、すごく素敵だと思います。昔からの自分の感覚なんだけど、女性のジャケット姿はとても自分には知的で格好良く映ってしまいます。男性のスーツ姿やジャケット姿はあまりに普通過ぎて全然感じないのだけど、女性のジャケット姿はかなりそそられます。女性からすると、紺のジャケットなどリクルート・スーツとしてオシャレ感覚もまったくない問題外の服装なのかもしれませんが、自分は正反対。全然惹かれます。


ここ最近、自分は秘かに思っていることなんですが、自分はひょっとして制服フェチなのかもしれない、と考え込んでいるところです。


コンサートホールのレセプショニストや、航空会社のCAなど、その凛々しい制服姿に、自分はかなりきてしまいます。相当ゾクっとさせられます。首にスカーフというのが最高に素敵です。


ある意味、この制服ファッションは、女性の特権だと思っています。その職種の女性の特権だと思います。しかも女性であれば誰でも似合うという訳でなく、スタイル含め限られた人の特権なんだと感じます。


男性の制服姿は普通っぽすぎてなんにも感じないのですが。(笑)


そういうこともあって、制服が似合う企業というのも世の中にはたくさんあり、自分はそれはそれで尊敬の念を抱いています。



ソニーの制服から始まったこの話。


結局、イッセイミヤケ(三宅一生)氏のご冥福をお祈りしたいということが主旨なのでした。世界中に多大な影響をおよぼし、ファッション界にひとつの時代を築いたと思います。


安らかにお眠りください。


R.I.P.






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