鎌倉五山 浄妙寺 [寺院・仏閣]
鎌倉五山を巡る旅も今回が最後。鎌倉五山第五位の浄妙寺。
ここは五山の順位こそ最後であるが、境内に英国ガーデンテラスのある美しくてグルメな禅寺として有名で、じつは自分が一番楽しみにしていたといっていい。
訪問したあとの印象も鎌倉五山の中でもっとも美しい禅寺だったというのが自分の印象である。
とにかく美しい。
鎌倉時代のあのちょっと男らしい武骨な感じとは違う。それを印象付けているのは、英国ガーデンテラスの石窯ガーデンテラス、そして茶堂 喜泉庵の存在であることは間違いない。自分はここを一番の目的とした。
浄妙寺は、鎌倉駅からかなり歩く。30分近く歩く。徒歩で30分というのはかなりの距離です。
あとで調べたところバスがあるんですね。当日は気づきませんでした。地図を見ながら、鶴岡八幡宮を突き抜けて、ひたすら歩くんだな、と方向感覚を確認し、ひたすら歩きました。
歩行がまだ万全ではない自分にとってこれはキツかった。家に帰ってから翌日はまったく使い物にならずグデ~となっていたのと、この日から2週間ほどは体の調子が悪かったです。
鎌倉五山 浄妙寺
鎌倉 浄妙寺は源頼朝の重臣、足利義兼が1188年(文治4年)に開創されたと言われている。始めは極楽寺という名前であったが、義兼の子供の義氏が浄妙寺と変名したそうである。
源頼朝や政子、その子供 実朝も帰依した鎌倉 浄妙寺の高僧である。室町将軍の足利義満が五山の制度を作った時は、七堂伽藍(寺の主要な七つの建物)が完備し、塔頭23院もある大寺院であった。
でも火災があり衰退し、今では総門、本堂、客殿、庫裡だけが残っている。浄妙寺に建物が少ないのは、この火災が原因だったんですね。鎌倉五山第五位なのも、その建物の少なさに起因するのかもしれない。
境内は国の指定史跡になっていて、鎌倉幕府とゆかりの深いお寺である。
本堂。大きなグリーンの屋根がトレードマーク。本堂は1756年に再建された。濡れ縁(縁側)は日当たりも居心地が良くて、休憩するのにとても気持ちのいい場所である。
本堂には、鎌倉十三仏の一つである本尊の木造釈迦如来坐像や、開山の退耕行勇坐像、お産の神様の木造淡島明神立像が安置されている。
自分も手を合わせてきました。
そしていよいよ石窯ガーデンテラスに行きます。山のてっぺんにあるようです。
こんな坂道をどんどん登っていきます。息が切れて大変でした。
ここですね。
浄妙寺の境内を抜けて坂道を上ると、驚くことにそこには美しい洋館と庭園があります。「石窯ガーデンテラス」と言うそのレストランでは四季折々の美しい景色を眺めつつ優雅なアフタヌーンティーを楽しむことができます。
築90年の洋館を改装し造られた、浄妙寺の境内にある一軒家レストランである。英国式庭園を眺めながら、本格的なアフターヌーンティーやランチが楽しめます。石窯で焼いた自家製パンの販売や、鎌倉野菜などの地元食材をふんだんに使ったメニューやワインやビールなどのお酒も飲めます。
浄妙寺の中でこの石窯ガーデンテラスがもう一番最高です。ここが一番の魅せ場です。確かに他の鎌倉五山の禅寺とは雰囲気や趣が全然違いますね。浄妙寺はとてもお洒落な鎌倉五山なのです。
室内とテラス席があるのですが、自分はもちろんテラス席を所望しました。英国式庭園を眺めながら、看板メニューのアフタヌーンティーをいただくのです。この日は、雲一つない快晴でした。
こちらがアフタヌーンティー・セットです。3800円です!かなりお高いです。ここは、他のメニューもかなりお高めだと思います。
快晴の日に、英国式庭園を眺めながら、アフタヌーンティーをいただくのは、かなり最高です。なんか都会の喧騒を忘れさせてくれるような静粛さで、美しい庭園を見ながら鳥のさえずりだけが聴こえる清々しさがあります。いやぁ~最高だな~と思いながら過ごしておりました。
ただ、失敗したのは、この庭園を散歩することも可能だったんですね。まったく気づきませんでした。庭園内をいろいろ散策すると、それこそまた美しい自然の夢の別世界があったのかもしれませんね。
室内はこんな感じになっています。なんか明治時代の洋式館、ヨーロッパの館を思い起こさせる雰囲気がありますね。
石窯で焼いた自家製パンはこのように販売されています。
これが石窯なのでしょうかね。
ここは会計カウンターです。レジもお洒落です。
この石窯ガーデンテラスを体験するだけのために、浄妙寺に来る価値があると思います。
そしてもうひとつの魅惑のスポット、茶堂 喜泉庵にも伺います。
境内には古民家を移築した「喜泉庵」があり、手の行き届いた杉苔の枯山水の庭園を眺めながら抹茶をいただけます。ここは天正年間(1500年代)に僧が一同に会してお茶を喫したと言われています。1991年に復興したのだそうです。
喜泉庵は浄妙寺の境内にある、鎌倉で唯一枯山水を眺めながら抹茶が気軽に楽しめる茶室です。そんなに混雑しておらず、並んだりぎゅうぎゅうになったりはしません。
喜泉庵の入り口からもう素敵ですね。入り口で注文・支払いを済ませ、靴を脱いであがります。
喜泉庵の中はお座敷になっていて、テーブル席と畳に敷かれた毛氈に座る席と2タイプ。これなら足が悪い人や正座が苦手なでも、安心してのんびりできますね。遠くに見える枯山水。皆さん見入っています。
縁側越しに見る枯山水庭園。
喜泉庵は抹茶とお菓子が頂けるのですが、お菓子は、生菓子がいいですね。こちらで頂ける和菓子屋「美鈴」の上生菓子は、季節毎に変わるのだそうです。
「美鈴」といえば鎌倉の有名な和菓子屋さんだそう。見た目も美しいですが、味も美味しいと評判だそうです。美味しい和菓子とお抹茶を食べながら、枯山水を眺めながらのんびりできます。
癒されますね~。
なんかすごい別世界です。浄妙寺が他の鎌倉五山の禅寺とまったく雰囲気が違うのは、この石窯ガーデンテラスと喜泉庵のせいだと思いますね。
これで浄妙寺での自分なりのスポットが行けて満足です。浄妙寺は建物、遺産自体があまり多くないんですね。本堂があるくらい。
足利貞氏、足利直義のお墓は見てきませんでした。じつはこの浄妙寺、鎌倉駅から相当歩くので、もう自分なりにもうかなりバテバテで、脚が棒になってしまい相当疲れていました。早く家に帰りたいというその一心だったのです。
でもこれじゃ禅寺を訪問しに来たのか、グルメを楽しみに来たのかわからないので、禅寺訪問であることを主張するために、最後に鎌倉稲荷を見て帰ろうと思いました。
ところがこれまた大変なところにありました。歩行が万全でない自分にとって、そしてこの日、散々歩いてもうバテバテで、早く家に帰りたい自分にとって、まさに鬼のような場所にありました。
細い山道を登っていきます。(これがかなりきつい。)そしてこんな急な階段を登っていかないといけないのです。
浄妙寺には、鎌倉の地名の由来ともされる藤原鎌足の「鎌槍伝説」が残されています。昔、藤原鎌足は、鹿島神宮参詣の途中で由比の里(現鎌倉)に宿泊しました。
すると、夢に現れた老人から「鎌槍をこの地に埋めれば天下はよく治まる」というお告げを受け、白狐に導かれるまま所持していた鎌槍を浄妙寺の裏山に埋めたのだといいます。
鎌倉という地名は、この鎌足の「鎌槍」から生まれたという説があるのです。開山堂には、「木造藤原鎌足像」が安置されています。
それがここなのです。
藤原鎌足は、中大兄皇子(のちの天智天皇)に仕え、大織冠を授けられ藤原姓を賜った。のちに摂関政治を行う藤原氏の祖。
甘縄神明神社を創建したという染谷時忠は鎌足の子孫とされ、長谷寺開基の藤原房前は鎌足の孫といわれています。
鎌倉を訪れた鎌足は、夢のお告げによって鎌槍を大倉の松ヶ岡に埋めて祠を営んだといわれ、それが浄妙寺の鎌足稲荷の始まりと伝えられています。
これで大願成就。あとは鎌倉駅まで歩いて帰るだけですが、その30分の徒歩が地獄のようでした。(笑)脚を引きずって歩くというのはあのことをいうのでしょう。鎌倉駅からさらに1時間、自分の駅に着いて、自宅まで這うように歩いて帰り、その日から2週間は体の調子が悪かったです。(笑)
浄妙寺に行くには、バスを使いましょう!