現代最高のディーヴァ [オペラ歌手]
ディアナ・ダムラウとニコラ・テステのオペラ・アリア・コンサートをサントリーホールで聴いてきた。
ダムラウは1度でいいから、生の声を聴いてみたい、とずっと願っていた歌手で、コロナ禍で延期になっていたコンサートでようやくそれを実現できた。
想像していた以上に、素晴らしい歌手で、自分はもう興奮度は最高潮マックス!やっぱり自分が目をかけていた通りの大器の歌手だと確信した。
あの晩は、もうコンサートの感想をつぶやくほどの体力もなし、ひたすら、参りました~、という感じで、そのまま興奮で夜寝られなかった。
これはあくまで自分の曖昧な記憶の中での話なので、認識違いもあるかもしれないので、ご容赦願いたいのだが、ディアナ・ダムラウという歌手は、過去の出演作の中で、いわゆるあたり役という形で一世を風靡した、華々しいデビューを飾った、この作品で一気にオペラ界で知名度を上げた、というような衝撃的にオペラ界に登場してきた歌手というのではなかったように思う。
いわゆるコンスタントに地道に作品に登場を重ねつつ、そのプロ、歌手としてのレベルの高さ、そしてその容姿端麗さ、そしてこの人本来が持ち合わせているパッと陽が差して、一瞬にしてその場が明るくなるような暖かい人柄。。。こういう要素が積み重なってきて、2010年以降にいわゆる推しの歌手というか、評判が一気に高まってきた、そういうオペラ界への認知度の高め方をしてきた人なのではないか、と思うことだ。
2011年、日本が東日本大震災に見舞われたとき、アンネ・ネトレプコをはじめ、軒並み来日キャンセルを決め込むアーティストが多い中、ダムラウはいっさい構わず、来日してくれて、我々日本のオペラファンに大きな感動と勇気を与えてくれた。
あれがほんとうにいかに嬉しかったか!
もちろん来日しなかった方々を否定するつもりは毛頭ないし、普通に判断すればあの危機的な状況下で来日中止を決めるほうが、極めて正しい判断だったと思う。これは間違いない。
でも第九を振ってくれたズービン・メータもそうであったが、そんな逆風の中で来日してくれたその行為は、その当時大惨劇、悲劇で心身ともに打ちのめされている状態の我々にとって希望の光というか、いかに勇気づけられ、嬉しかったか。日本人の心の中にずっと大きな感謝の意味も含めて一生涯深く刻まれるのではないか、と思っている。
オペラ界で、いわゆる推しのブームが押し寄せたのは、2013~2015年あたり。自分もその波に乗った。彼女のCDをいろいろ聴き込んでいき、ロペス=コボス&ミュンヘン・オペラ管の「ランメルモールのルチア」全曲で感銘をし、ダムラウはいい歌手だな~と認識を新たにした。
自分の中で、ディアナ・ダムラウという歌手が心に入ってきた、自分がおそらくファンになってしまったんだろうな、と思ったその瞬間だった。
当時の自分にとって、ルチアといえば、やはりナタリー・デセイだった。デセイのファンでもある自分にとって、デセイのルチアは十八番中の十八番でコンサートにはよく足を運んでいた。
そんなデセイのルチアと比較すると、
ダムラウの声の印象は、声帯が広いというか発声のレンジに余裕があって、聴いていて抜けるような気持ち良さがある。
デセイのほうがレンジが狭くて、強唱のときに高域の音が少し耳にキツク感じることがあるのだが、ダムラウの声はスゴイ余裕があって、うるさく感じないというか、発声の許容レンジが大きいと感じる。声質はとても美声で線というか芯が太いしっかりした声だと思う。歌い方もとても情感的に歌う感じで、色っぽい。もちろん彼女のコロラトゥーラ技法は素晴らしいの一言。
確かに一推しされるだけの才能あるソプラノ歌手だと感じた。
ルックスも、鼻筋から目のあたりがとても平坦でさっぱりした爽やかさが漂っていて、彼女のオペラの実演に接してみると、とても魅力的なんだろうなぁ、と想像できた。なんか全体に漂う雰囲気が御嬢さん的なので、役柄的に似合う、似合わないというのが出てきそうだな、とその当時は確かに思った。
自分にとっては、とても魅力的な歌手に映り、自分の応援するオペラ歌手のリスト・宝箱入れに入れることにした。そんな2013~2015年頃のいわゆる業界におけるダムラウ推しのブーム真っ盛りのときに、自分もいい歌手だと心酔し、彼女のファンになっていったのだった。
ディアナ・ダムラウは、ドイツ出身の歌手。ヴュルツブルク音楽大学でカルメン・ハンガヌに師事後、ザルツブルクでハンナ・ルートヴィヒの薫陶を受ける。1995年にヴュルツブルク市立劇場でモーツァルトの《フィガロの結婚》のバルバリーナ役で初舞台を踏み、マンハイム国立劇場やフランクフルト・オペラなどにも出演するようになった。
以降、モーツァルト、ヴェルディ、ドニゼッティ、ロッシーニ、ベッリーニなどのオペラ作品に数多く出演し、オペラ歌手のジャンルとしては、ベルカントの歌手の部類に入るのではないか、と思う。でも、R.シュトラウスのオペラも、「ばらの騎士」をはじめ、「アラベラ」、「ナクソス島のアリアドネ」なんかにも出演されているのですよ。またベートーヴェンのフィデリオにも!
ベルカントだけに偏らず、いわゆる自分の声に合った作品であれば、作品の幅を広げていく。そういう心意気も見え隠れする。
オペラ歌手にとって、自分の声に合った役柄を選んでいく。
これは非常に重要なことだと思う。
声は天が授けてくれた自分の宝でもある。
この声を壊してしまえば、自分の歌手人生もそれで終わってしまう。
自分の歌手キャリアを考えていく上で、どのような作品、役柄を引き受けていくかは、自分の声に合うもの、それでいながら歌手としての自分の成長が見込めるもの、そういう判断が歌手の中にあるに違いない。
加齢とともに、声変わりもしていくかもしれない。そうすると若い頃歌っていたレパートリーがだんだん自分の声に合わなくなってきて、次第に重い感じのものに変えていくなど、つねに自分の声のコンディションとともにレパートリーを今後どう増やしていくかは、オペラ歌手の人生かけての永遠のテーマ、宿題事項なんだと思う。
ちょっと歌手名は忘れてしまったけれど、カラヤンがこの役を歌え、とある歌手に命じたところ、その歌手はきっぱり拒否。我々歌手は、声を壊してしまえば、それで人生お終い。どの役であれば自分の声に合うかは自分が一番わかっている。いくらマエストロの命令でもそれは従えません。。。
そんな問答を想い出した。
CD、歌手として、いわゆるオーディオとしてダムラウをじゅうぶんに聴けてきた自分にとって、今度はダムラウが実際歌っているところ、いわゆるオペラ作品として歌っているその姿を拝見したいと思うようになってきた。
もちろんその頃には、ダムラウはすでに大スターだったので、ふつうに新国立劇場でオペラ出演という訳にはいかない。キャリア的に、もうそのエイジ世代は通り越しているのである。
そうすると、もうその頃はオペラ界の大スターであったディアナ・ダムラウの実演に接しようとするならば、もう現地にいくしかないのである。ダムラウを観るために、ヨーロッパ、アメリカMETにいかないといけないか~。。まっそんな感じで自分の中では考えていた。
ある日、米METでグノーの「ロミオとジュリエット」が上演され、ヒロイン役のジュリエットとしてダムラウが抜擢されたのだった。METライブビューイングとして日本でも映画館で観れるようになった。当時はMETのオペラ公演が映画で世界中に配信される、ということで超話題になっていた時期である。
ダムラウの「ロミオとジュリエット」をMETライブビューイングとして映画館に観に行ったのは、2017年ですね。
これがまさに衝撃であった!!!
これがダムラウか~。。。である。
もう完璧なまでに自分の好み。よし!これで完全に自分の射程内に入った。ダムラウとはどんな歌手なのか完全に理解できた。
この日を以て、自分は正式にダムラウのファンになって行こう!と心に決めた日である。いまから6年前の2017年である。
METライブビューイングは、日本では非映画コンテンツとも言われるが、カメラワークなど多彩で、実際のオペラハウスの座席で観劇するよりも、リアルに間近で歌手たちの演技を観れるため、効果は抜群だと思う。
ひと昔前のロックコンサートと同じですね。昔のロックのコンサートは、スタジアム級でのライブになると、もう観客席からはスターたちは米粒くらいにしか見えないのだけれど、大型電子スクリーンが登場してから、コンサート会場でもスターたちのアクションが間近で観れるようになった。ロックショーにおける一大革命である。
METライブビューイングでオペラを観る、という行為もそういう革命的な要素が十二分にあると思う。
ダムラウは、やはりそのさっぱりとした風貌というか、上品さを兼ね備えた美貌なので、いわゆる役を選ぶ、というかお姫様的な役割が似合うことは間違いない。ロミオとジュリエットのジュリエット役は、まさにそんな彼女にドンピシャのあたり役だと感じた。
声も素晴らしかった。ソプラノとしての純度の高い声質で、定位もしっかりしていて安定感のある発声。やはり喉、声帯の帯域が広いので、強唱してもけっしてサチらない、というか飽和しない。突き抜ける高音など突き抜け感抜群で、これはじつにうまい歌手だと確信した。
そしてなによりもオペラは演技である。いかに歌いながら演技で我々を魅入るか。オペラは、演奏会形式と違い、オペラ歌手は演技で、そして歌唱の両方で我々を魅入らないといけない。
そんな演技と歌の双方を拝見して、お姫様役のジュリエットとしては、ダムラウは最高だと自分は認識、PLLフェーズロックインしたのである。
METライブビューイングでこんなに大感動したのは、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」のときのイゾルデ役のニーナ・ステンメ様のときと、このグノーの「ロミオとジュリエット」のジュリエット役のディアナ・ダムラウのときの2回のみである。
METライブビューイングの場合は、幕間になると舞台袖でインタビューがある。
そのインタビューで、まず彼女は英語がすごく流暢だった。(笑)ドイツ人なのだけど、子音が強いドイツ語訛りもまったくなく、ネイティブのように滑らかに英語を話す。驚きました。
そしてなによりも、すごく明るい人なのだ。めちゃめちゃ陽気で、その場がパッと明るくなるような陽のオーラがあって、ダムラウってほんとうにいい人なんだな~明るい人なんだな~とそのときに初めて知ったのである。
自分は、METライブニューイングの幕間インタビューで、ダムラウの人となりを知ったのである。、
ふだんから着飾らないお茶目な人なので、自分は好意を寄せていた。
コロナ禍のときに突然沸き起こった日本で、ウィーンのチョコレート、ザッハトルテをウィーンのホテルザッハから取り寄せることが殺到してしまった大騒動。大ブームになったとき。
ダムラウは、ウィーンのホテルザッハのカフェ・ザッハで、ザッハトルテで自分のお誕生日を祝福。(笑)
また、オペラ歌手として大尊敬するエディタ・グルベローヴァと記念撮影が撮れたことをすごく喜んでいた。
自分は、いまはやはり仕事が忙しいので、なかなかオペラはいろいろ聴けなくて、どうしてもワーグナーに偏る傾向があるのだけれど、ベルカントものは、グルベローヴァのCDはほとんど全部集めているし、ダムラウのCDもかなり集めている。
自分にとって、ベルカント・オペラの有名なオペラ・アリアは、グルベローヴァのCDとダムラウのCDで、普段聴いているので、よく勉強して知っているという感じなのだ。だからベルカント・オペラは、自分にとって、グルベローヴァとダムラウが先生のようなものである。
だからこの記念のショットは、すごく自分のことのように嬉しかった。
いいフォトだと思います。
ここまでが、自分にとってのディアナ・ダムラウとの馴れ初めである。
・・・となると、あとは実演に接することだけなのである。
生の声を拝聴することだけなのである。
残されたミッションというのは。。。
これを、2023/5/23(火)に実現してきたのである。
旦那様のニコラ・テステとともにデュオコンサートで、オーケストラの東京フィルをバックに備えてのオペラ・アリアコンサートである。サントリーホールで拝聴してきた。
ディアナ・ダムラウ。6年半ぶりの日本。渋谷忠犬ハチ公で。(笑)なんか思う存分東京を楽しんでくれているみたいでよかったです。
ちょっと座席が遠すぎたかな。ダムラウの表情やアクションなどもうちょっと間近で観たいと感じた。やっぱり歌もののコンサートは歌手の近くで聴くのが一番ですね。
このRDブロックはふだんあまり利用しないポジションなのだが、音響的にはいいと感じた。やっぱり歳のせいか、オーケストラは全体の響き、音場をすっぽりそのままつつみ込むように聴ける座席がいいと思うように嗜好が変わってきた。とくにサントリーホールは、1階席の平土間より上階席のほうが音響がいいように思う。
オーケストラの響きがそのまま丸っと包み込むように堪能出来て、その響きが上に上がってくる感じのところを聴くのがベストだと思う。サントリーホールは皇族VIP席のRBブロックがベストなのだが、ここだと真横になるので歌手が真正面から観れないので、RDブロックにした。
コンサートは、ディアナ・ダムラウの歌、ニコラ・テステの歌、そしてオーケストラ・東京フィルのオーケストラコンサートという3パターンを繰り返していく感じで進行した。
当初は、ダムラウの声をずっと聴いていたい、と思っていた自分は肩透かしを食らった感じで、ちょっと欲求不満であった。なんか楽しみが分散されてしまうみたいな感じで。
でも今考えてみると、ひとつのパターンをずっと繰り返すよりは、このような3パターン単位で繰り返していった方が、コンサート自体が単調にならずによく練られた手法である、と理解出来てきた。
演目は、やはりロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、ベッリーニ・・・とベルカントが中心。
前半は、正直なところ、ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステともに素晴らしいのだが、最近声楽もののコンサートといえば、東京・春・音楽祭の5時間のハードボイルドなワーグナーしか聴いていないので、なんか、今回のコンサートは、ダムラウの声は美しいのだが、なんか物足りなくて、上品だけど、これで終わっちゃうの?という感じで、かなり欲求不満であった。
やっぱりオレの体質的には上品なベルカントより、ハードボイルドなワーグナーのほうが合うのかな?自分を思う存分気持ちよく興奮させてくれるのは、ワーグナーなのかな、とか思ったりした。
それが自分の前半の正直な感想であった。
旦那様のニコラ・テステは、非常にいい、じつに素晴らしい声質を持ったバス・バリトンであった。いや~いい声しているな~~~と惚れ惚れする感じである。男声であれば最高に憧れる声質であろう。声量も申し分なし。いい歌手だと思います。
ダムラウ、オーケストラと交互に順番に主役を務めていったのだが、非常に奥ゆかしいというか、奥さんのダムラウにひと華もふた華も咲かせるというか、自分は一歩を身を引いて、あくまで奥さんを前面に出すように自分を抑えるというか、底辺の力持ち的な振舞で、自分は泣けてきました。
まさに男の鏡のような存在ですね。声も素晴らしいですが、この1歩引いた感じで、でも全体に華を添えるこの演出には大変感心いたしました。
そして後半。
クライマックス、驚きは後半に待っていた!
ダムラウ、まさにアクセル全開。この日のコンサートでは、1曲歌うごとにドレスを変えていくサービスぶり。さすが!と唸ってしまった。
自分は最近メッゾばかり聴いているので、ソプラノの声域の声を聴くのがじつにひさしぶりのような気がした。ソプラノらしい非常に線が細いというか繊細な美しさで、非常に純度が高い、ピュアな声。でありながら、ここぞ、というときの強唱のときの広大なレンジ感、突き抜け感という圧倒的な歌唱力を披露した。
声質としては、非常に柔らかい声で、すごく揺らぎというか癒しの効果を聴衆にもたらす独特の周波数軸特性・時間軸特性をもった声だと思う。そしてすばらしい声量感。
それはワーグナー歌手の巨艦のような圧倒的な声量とは違うのだ。
非常に繊細な美しさを伴った線の細い声でありながら、ピュアで声量も圧倒的にある。
そういうトータルのバランスとしての完璧さ。
そんなイメージがダムラウの声の印象であった。
そして、それは彼女が歌っているときに、本人の意識とは関係なく無意識に出てしまう歌っているときの自然の仕草や演技、細やかなパフォーマンス。そういうものがすべてにおいて、すごく自然でサマになっているのだ。
やっぱりダムラウはオペラ歌手なんだな。。彼女はやっぱりプロだ。演技をしながら歌っている彼女を観てみたい。そういう衝動に無性に駆られてしまった。
まさに圧倒されたと言っていい。
自分の選択眼に間違いはなかった。
ディアナ・ダムラウは現代最高のディーヴァと言っても過言ではない、と確信した。
アンコールも5曲も歌ってくれるサービスぶり。
プッチーニの「私のお父さん」のアリアのときは、そのあまりに誰もが知っているその美しいアリアに、みんな大興奮。ダムラウがそれをあの美声で美しく歌い上げる姿は大変な感動を巻き起こした。
そして、さらにびっくりするようなサプライズもありました。
アンコールの最後に、「春よ来い!」を流暢な日本語で2番まで歌ってくれるサービスぶり。
もう場内は大歓声となりました。
後半にこんなに大興奮が待ち構えていようとは思ってもおらず、もう終演後は恒例の感想のつぶやきを打つ気力もなく、ただそのまま帰って、ドキドキ興奮しながら布団に入ったのでした。
ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステ オペラ・アリア・コンサート Kings & Qeens of Opera
2023年5月23日(火)19:00~
サントリーホール
指揮:パーヴェル・バレフ
管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団
G.ロッシーニ
歌劇「セミラーミデ」より序曲
G.ロッシーニ
歌劇「セミーミデ」より「麗しい光が」
A.トマ
歌劇「ハムレット」より「私は貴方に懇願する、おお、兄上よ」
A.アダン
歌劇「我もし王なりせば」より序曲
P.ハジェフ
歌劇「マリア・デシスラヴァ」より「偉大なる神よ、私の願いを聞いてください」
C.グノー
歌劇「シバの女王」より「一人の女性の足元に」
L.ドリーブ
バレエ「歓楽の王」よりガイヤルド
G.ドニゼッティ
歌劇「マリア・ストゥアルダ」より「私のタルボ!」
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G.ヴェルディ
歌劇「ドン・カルロス」より「ひとり寂しく眠ろう」
G.ドニゼッティ
歌劇「アンナ・ボレーナ」より「ああ、この純真な若者は」
P.I.チャイコフスキー
組曲 第1番 ニ短調 作品43番より第6曲 ガヴォット
P.I.チャイコフスキー
歌劇「エフゲニー・オーゲニン」より「恋は年齢を問わぬもの」
V.ベッリーニ
歌劇「ノルマ」より序曲
V.ベッリーニ
歌劇「ノルマ」より「清らかな女神よ」
<<アンコール>>
ヴェルディ
歌劇「群盗」より「3か月前に見知らぬ1人の男が!」
ドニゼッティ
歌劇「ドン・パスクワーレ」よりカヴァティーナ「騎士はあの眼差しを」
プッチーニ
歌劇「ラ・ボエーム」より「古き外套よ、聞いておくれ」
プッチーニ
歌劇『ジャンニ・スキッキ』より「私のお父さん」
春よ、来い(童謡)